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昨日は「昭和の日」だったそうで、日本のあちこちで昭和を偲ぶ催しが行われたようですね。昭和生まれっていう存在は、今の平成生まれの人たちにとってどんな存在なのかなぁ?私ら昭和時代の人間でいうと、明治生まれの人たちみたいな存在になるのかなぁ。なんだか、そうして少しずつ自分たちが時代の遺物になっていくようで嫌ですね。そう考えると、西暦の方が良いですよね、便利で(笑)それでも2000年代に入っちゃったから同じか。19XXで、後ろ二桁の表示が共通項だと思えるのもいつまでかなぁ?今なら、私の場合「55(Fifty-five)」で通用するけど、2000年代の人が増えてくれば、これも通用しなくなります。いちいちナインティーン・フィフティファイブとフルフレーズを言わなきゃならないっつーのも、なんだか面倒です。だったら、日本みたいに「昭和」「平成」とか仕分けしてくれた方が、わかり易いかもしれません。昭和生まれです、平成生まれです、って、これだけで、なんか時代背景をイメージできる感じがします。ってことで、最初に言った、元号(時代)の持つイメージってどんなんでしょうか。そういえば、私達の時代、昭和は長いですから、「戦前」「戦中」「戦後」という分け方もあります。これもこの言葉の持つイメージがしっかりしています。そうは言いつつ、戦争体験者も少なくなり、今の老齢者は戦中派といっても、戦時中に生まれたとか、開戦時に生まれたというような方が多いのではないでしょうか。(大きなお世話なんですが・・・・)最近は「団塊世代」とかいうイメージもしっかり根付いてきてます。平成の子供たちにとっての団塊世代って言えば、きっと「お年寄り」なんだろうね。じゃあ、僕らはどんなんだろう?僕らの時代はどうしてくれるんだい?(なんて呼ばれたいの?)う~ん、せっかくだからカッコ良い呼ばれ方したいなぁ(笑)なんでこんな話をしたかっていうと、先日、千葉の戦友YUKI姐から「40年代ポップス特集」というテレビ番組を送ってもらいまして、これが結構ツボにはまって、夫婦で盛り上がっちゃったんですね。でもって、ジジイが一番感じてしまったのが「傷だらけの人生」だったんです。「古い奴だとお思いでしょうが、古い奴ほど新しいものを欲しがるもんでございます」懐かしいセリフで始まるこの歌なんですが、シミジミ聴いてしまって、あまりにもごもっともな詩に、ジジイは少し感動してしまいました。「どこに新しいものがございましょう。生まれた土地は荒れ放題、今の世の中、右も左も真っ暗闇じゃござんせんか」なにからなにまで真っ暗闇よぉ~、筋の通らぬことばかり~40年代にヒットしたこの曲、今聞いてもちっとも古くないじゃないですか。ってことは、私達はみんな、なんも変わってないってことですか?それでも新しいものを欲しがる私達、そうして人はみな傷だらけになって生きているんでしょうか。ということで、遅ればせながら「昭和の日」にちなんで、昭和30年生まれの道楽親爺の独り言をお届けしました。
2007年04月30日
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え~、なんだかんだと忙しくしておりまして、昨日は日記をお休みしてしまいました。せっかくの暇つぶしを楽しみにされていた方には、慎んでお詫び申し上げます(笑)しかし、この「慎んでお詫び申し上げます」ってセリフは、最近のニュースの定番になりつつありますよね。昨日も東京電力の原発ミス隠しで、社長が頭下げてました。あまりにも見慣れてしまったのでしょうか、なんだかお決まりの舞台を踏んでいるようにしか見えないんですよね。そのセリフもなんか暗記したばかりみたいな、たどたどしい口上で、更にその社長のお姿というかお顔をいうか、ヒジョーに個性のない表情をしています。こんな頼りないおっさんが社長やったんかい、みたいな感じですか(笑)昔の「社長」っていうのは、なんかこう、もうちょっと個性的で迫力がありましたよね。なんだか学校の延長みたいな会社ごっこてな感じです。ってことで、道楽親爺はそんなノーガキこいてる場合じゃないんです。実は、私は昔からド近眼で、コンタクトレンズを愛用しているのですが、最近の忙しさから在庫数を勘定するのを忘れてまして、昨日気がついたら在庫ゼロでちょっとうろたえてしまったのです。日本のように便利なめがねドラッグなんてのはありませんから、アメリカの通販(インターネット)で買うか、島に2件しかない眼科の診療を受けてから購入するかの二者択一なんですね。といっても、今回のような緊急事態では、通販の1週間はかなり危険ですので、仕方なしに眼科でアポを取って検診してもらいました。年も年なんで、まあ、診てもらっとくのも良いかなと思い、約1時間半の検診を受けました。結果は特に問題もなく、緑内障、白内障の危険もないとのことでした。やれやれってことで早速コンタクトレンズ購入となりました。間に合わせだから1ダースで良いかな、と注文すると、レジのおねーちゃんが「はい、じゃ60ドルね」と微笑んでくれました。なんだよ、ネットで買えば21ドルだぜ。ちょっと暴利を貪りすぎじゃねーの、とかブツブツいいながら、ノーチョイスの悲しさ、なけなしの60ドルをシブシブ払ったジジイでした。と、ここでジジイはこの事態を道楽者的分析を試みたのでした。我家は親の遺伝で子供二人がコンタクト使用ですので、ネットでまとめ買いすると多少割引になります。ポイントはここなんです(笑)1箱21ドルを10箱まとめて買うと1割引になります。ってことで189ドルプラス郵送代を合わせると、約200ドルになり、これは正規料金210ドルよりも安い買物です。ところが、このまとめ買いという特典は、その日暮し的な道楽者精神には少々ひっかるところがあるのです。たとえば、今手持ちに250ドルしかなかったとして、このまとめ買いを実行すると、手持ち残高が50ドルになってしまいます。もちろん、その代わり、約3ヶ月以上はコンタクトの在庫を心配する必要もなく、出費の必要もありません。でも、今月のおこづかいは50ドルしかないんです。わかるかなぁ~、この微妙な計算。(わからねぇよ、そんなもん)この体質は若い頃に育まれた私の気質かもしれません。多少単価は高くても、目先にある商品を買えば60ドルの出費で、手持ちは190ドルも残るのです。当然ひと月先くらいにはまた60ドルの出費がかかるのですが、先の250ドルより目先に190ドルに心動かされる私は、やはりビンボー人なのでしょうか。もし三ヶ月先に事故にでもあって死んじゃったら、金もコンタクトも無駄になるじゃねーか、などと都合の良い屁理屈で自分を言い聞かせてしまうジジイ。小銭はやたらとマメに使うクセに、大金がどんと使えないみたいな。(200ドルが大金かよ・笑)結局、この体質は「安物買いの銭失い」と呼ばれる、典型的ビンボー人の体質なのでしょうか。(あーあ)
2007年04月27日
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昨日言いたかったことが、ちょっとずれてしまったのでもう一発ノーガキこかせてもらいます。どうぞお昼休みの憩いの一時、暇つぶしにジジイの屁理屈におつきあい下さい。(笑え~、今日は人間の潜在意識についてのお話です。昨日お話しした、南洋諸島土着民のアルコール酩酊作用ですが、もちろんこれはきちんとデータを取った理屈ではありませんので、あらかじめ御了承下さい。(笑)ただただ、私の経験にもとづいた与太話です。ということで、トラック島出身の人々がアルコールで泥酔してくると、何故か決まって刃物を振り回したがります。目が据わってきて、たいてい「あいつはオレ達ファミリーのXXを殺りやがったんだぁ」とか言い始めると、この恐怖のイベントの始まりです。「オレのXX番目のアニキの子供の娘がヤツに殺られたんだ」とかいう話しが出てくると、聞かされている方はもう深海を泳ぐ哀れな小魚のように、一体どのような家系図を参照したら良いものか、かなり複雑な世界へと誘い込まれてしまうのです。「ふ~ん、じゃあ、その殺されちゃった娘ってのはいくつだったの?」と聞くと、「○○が殺られたのは15の時だ」って言うから、「えっ?それっていつの話?」って更に聞くと「俺が20歳のときだ」って平気で答えるこの男のアニキはいったいいくつなの?って、こんなグチャグチャな家族構成図を想像しているうちに、あたりは異様な雰囲気に包まれていきます。キッチンから包丁を取り出してきて、よっこらしょと腰を据え始めた頃には、周りにはもう誰もいなくなります(笑) マジですよー。怖いんだから。まあ、私みたいなちょっと仕事関係でキンチョーするような人間が居るうちは、まだ彼らもテンションがあがっていますから、ほどほどなんですけど、私が退席した後の惨劇は想像を絶する格闘の世界が繰り広げられるのです。ってか、さすがにその現場は見たことありませんが、翌日、彼の奥さんとか隣人とか友人が憔悴しきった顔でやってきて「ちょっと眠らせて下さい」というような有様です。時々顔や体に傷があったりして、これは今で言うドメスティック・バイオレンスなんですけど、なんでも島じゃあたりまえみたいなとこがあって、関わったヤツが悪いってなもんです。そう考えると、殺人事件のひとつやふたつ起きてもしょうがないか、みたいなことなんですけど、まあ、私の知る限りではトラック島出身者のほぼ全員が「刃物」好きのようです。昨日も言いましたが、パラオ島の人は石を投げるのが得意のようで、コトあればすぐに石を手にします。でもって、こういった島々の特質(笑)ってのは、やはりその生活習慣の中で意識に摺り込まれていくのでしょうかね。不思議なのは、ここ地元サイパンではあまりこういった類の事件は少ないですし、私自身もそういった経験がありません。まあそれなりに酔うと態度がでかくなって、子供みたいになっちゃうんですけど、原人に戻って戦いを挑んだりはしませんね(笑)逆に、そういう離島の人々を小ばかにしたりします。それでも言ってみりゃ、50年そこそこの文化差なんですけどね(笑)まあ、酒乱とかは別として、文化圏の人たちにはあまり多くはみられませんよね。そいうことは。ってことは、この動物的闘争本能というか、戦闘モードに入る潜在意識というのは、文化の歴史、年月によって移り変わっていくってことになりますよね。だとしたら、これら離島の島人たちと、たとえばグアム島とかハワイ島の人たちを比べたとき、人間の動物としての感覚は進化してるんでしょうか、それとも退化してるんでしょうか?ちょっとした疑問が生まれてきます。そんな疑問がずーっと続いている私なんですが、これは日常のごく一部で、実はこういったパラドックスみたいな疑問は、こうした自然の島にいると毎日浮かんでくるんですね。でもこれらを真剣に考えると夜眠れなくなっちゃうので、問題提起だけにしときますね(笑)でもって、また締めくくりは体験談をひとつ。かれこれ20年前になりますが、私がこの島に流れ着いた頃、「島対抗野球大会」ってのがあったんです。各島から代表チームが参加して勝ち抜き線を行っていくんですが、イベントの少ない島はどんと盛り上がって、日本のプロ野球ナイター観戦みたいな感じで、夜の涼しくなった野球場で熱戦が繰り広げられました。たまたま私が見たゲームが、パラオ島対トラック島だったんですね。(ほんとですよ)で、途中デッドボールに近い死球でひと悶着あって、ちょっと緊張した場面もありました。スポーツとはいえ、島の屈強な男達のチームですし、少々野蛮人的血統も持つ彼ら(失礼)ですから、こりゃチトやばいんじゃねーの、みたいな雰囲気に球場は包まれましたが、そこはそれ、スポーツマン精神に則り、なんとか収まりました。ところがです(笑)なんとそのゲームの後、この両チームのメンバーがスーパーの前で出会ってしまったのです。(おおっ)すでに試合終了後の酒盛りも終了しています。スーパーの駐車場は、デスマッチ無制限の特設リングに早変わり、両者入り乱れてのバトルロイヤル開始となりました。そして、この因縁のピッチャーとバッターが対決、パラオチームの投手は石垣の石をつかんで投げます。トラックチームのバッターはこれを、材木切りに使う鉈で受けます。ゴンと音を立てて石の塊は砕け散って、石のかけらが飛び散ると、パラオチームは一斉にこの石を拾ってトラックチームに投げつけたのでした。ギャラリーもとばっちりを食って負傷者が出ました。(私じゃないよ)当時はまだまだ田舎の事件でしたから、パトカーも来るのが早くて、大惨事に至る前に事件は収束しましたが、翌日の地元紙には、「場外乱闘」の記事が大きく載りました。あれから20年。島対抗野球大会は、島対抗カヌーレースへと様変わりしました(笑)
2007年04月25日
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え~、映画「アポカリプト」の呪縛から未だ抜け出せない道楽親爺のブログです。今日も厳しい現実からのしばしの逃避、くだらない屁理屈、束の間の暇つぶし、などなど、色々な楽しみ方がございますが、皆様がとりあえず今日も1日頑張って生き抜けますよう心よりお祈り申し上げます。ということで、私の頭の中から本当に「アポカリプト」が抜けていません。映画ではユカタン半島が舞台になっているようですが、私の住むこのサイパン島も、元々はスペイン人の入植から文化が始まっていますので、どうも映画の内容が自分の環境と妙に重なってしまうのです。まあ、歴史的に言っても、人類史上初の世界制覇を達成した民族であるスペイン人ですから、極論してしまえば、どこの世界の人もルーツはスパニッシュってことになるのでしょうか。(エスパニョーラか!?)でもって、今日は現在私が居住しているサイパン島を道楽者的文化人類学でノーガキこいてみたいと思います。このサイパン島は元々北マリアナ連邦諸島という名称で、ミクロネシアの島々が一団となって形成されていた連合体だったのですが、つるんでいてもあんまりメリットがないから、みんなでテキトーに別れましょうってことでバラバラになったのが、現在のミクロネシア諸島です。まあ、その大元は、やはり日本の統治下にあった時、南洋諸島群として扱われていたことに端を発するわけですが、それよりも更に遡ると、ドイツ領時代があって、スペイン領時代があるわけです。ざっと島々を列記するっと、サイパン、ロタ、テニアン(この3つの島が北マリアナ)、ヤップ、マジョロ、トラック(現チュウイック)、ポナペ、パラオそしてグアム、ちょっと離れてラバウル、マーシャル、コースライなどが点在しています。どこも貧困な島ですので、結局、グアムかサイパンに出稼ぎに来るっていうのが実際のところです。ですから、こらら島々の首都がサイパンやグアムにあたります。グアム島はすでにアメリカの領地でアメリカの政府が仕切っていますので、近隣の貧しい島からグアム島へ移住するケースも増えています。サイパンはどうかというと、こちらは米国領でも自治権をもっていますから、独自の憲法や法律があるので、近隣の島々からの出稼ぎ組みも、ここで所帯を持って簡単に暮らすことができます。(なんせ、元々は連邦だったんですから)それでサイパン島には、パラオ島をはじめとした各島の低額所得者、低学歴者が集ってきてコミュニティを作ったりしています。あとはフィリピン人労働者も多いです。ですから私も、かれこれこういった、サイパンよりも更に貧しい島々出身の人々との接触や労働を重ねてきたわけですが、そのような生活の中で最も疑問に思ったのが、どっちがどっち?ということだったんですね(笑)意味判らん? 当たり前ですね、これだけじゃわからないでしょう。つまり、簡単に言っちゃうと、どっちが正しいの?みたいなね、文化論について、とてつもなく深いパラドックスがそこに存在しているんです。で、とりあえず、先進国と自負するニッポンや韓国は、おなじみのパターン、人材育成の名目で自国の文化を目一杯押し付けて服従を強いるのです。時に「常識」、時に「礼儀」として、無理やり彼らの精神の中に詰め込もうとします。でもね、その根本にあるレベルが違いますから、これはどうしても無理があります。だって、わずか100年前、地元の人々は腰蓑を巻いてのんびりと暮らしていたのです。100年って、今で言えば2世代以内ですよ。つまり、我々のおじいちゃんくらいの時代です。もちろんその下地には、スペイン人が施した思想哲学がありますが、それにしたって高々300年ほど前の話です。まあ、具体的に言うと、たとえば草履(ぞうり)なんてのが良い例で、元々この地に履物の概念なんてなかったんですね。強いて言えばスペイン人が靴を履いていたので、その存在は理解していたでしょうが、実際に自分たちが身に付けるようになったのは、この日本人が持ち込んだ草履だったんですね。そしてモノと一緒に言葉も入りこんでいきます。こちら現地では「ゾーリ」がそのまま現地語になっています。似たようなので、「デンシンバシラ」=電柱、「チチバンド」=ブラジャー、「サロマタ」=女性の下着などがあります。さすがにフンドシはないですね。何故かって?そりゃ、フンドシは南洋諸島じゃあたりまえ、トラディショナル・ファッションですから、こればっかりは外来語ではなくオリジナルがあります。まあ、そんなわけで、裸でのんびりと暮らしていた人々が、支配者の侵入と共に、教育という名目で見に付けていった「文化」とは一体なんなんでしょうかね?ここでまた映画「アポカリプト」に戻りますが、文明の先駆けとなった時代の人々が行ったこと、それが同族支配であったということと、自然の中に人造物を増やしていく行為であったということが、どうしても頭から離れないのです。つまり、人間はほっといたらとんでもないことをしでかしてしまう生物で、ひょっとしたら、人間だけがこの自然のシステムからはみ出している存在ではないのかってことです。かろうじて、社会とか国とかいう枠を作って、なんとか理性とか呼ばれる都合の良い考え方を屈指して体面を保ってはいますが、実際はとんでもない生物なんじゃないでしょうかね、私ら人間は(笑)あんまり考え過ぎると、もっと危ない生物になりそうなので、屁理屈はこのくらいにしておきましょう。最後に私の面白い体験をお話して今日の道楽者日記は終わりにしたいと思います(笑)前文で、近隣の島々からサイパンに出稼ぎに来ると言いましたが、比較的多いのがパラオ島、トラック島、ポナペ島、ヤップ島、マジョロ島です。でもって、彼らに酒を飲ませると、かなり危険な状況になります(笑)原人の血が甦るっていうのか、「アポカリプト」のようになるのです。闘争本能がむき出しになるというか、見境いがなくなるというか、ほぼ8割が暴れます(笑)ところが、この暴れ方に一定の法則、ルールみたいなものがあって、たとえばトラック人はやたらとナイフを振り回したがり、パラオ人は石を投げたがります。比較的温和なのがポナペ人とマジョロ人です。パラオは石のお金(石貨)が有名ですが、この石は遠いヤップやマジョロなど他の島から切り出してくるのです。カヌーに乗って何ヶ月も石切の旅に出ます。石に執着心があるんでしょうかね。ポナペはナンマドールという、海底にお城のような住居跡があります。沖縄にも似たよな遺跡がありますが、ポナペの遺跡も有名です。ヤップ島では未だにフンドシがトラディショナル・ファッションとして生きており、プライドの高い部族が集落を構成しています。さて、地元サイパン人はどうでしょうか?やはり酒乱みたいなのはどこの国にも居ますが、何故かサイパン人に見境いなく狂っちゃう人は少ないです。ってことで、これはやはり文化の歴史と関係があるんでしょうかね。実際にトラック島やパラオ島では、現地人には酒の販売が厳しく規制されています。文化がもたらす人の意識の移り変わりってのがちょっと興味深いのです。
2007年04月24日
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食べ物の話ではありません。映画のお話です。またまた妙な映画を見てしまいました(笑)一昨日見た映画「アポカリプト」のインパクトが強過ぎたので、口直しにと思って中国映画のDVDを借りてきたのですが、これがまた妙な映画で、またしても左脳が刺激され頭がぶっ飛んだ道楽親爺の日曜日となりました(笑)しかし、またなんで中国映画だったのかとお思いでしょうが、そうです、当ブログでもすっかりお馴染み(笑)、近所の中国人レンタルショップのおねーさんのお勧めだったからです。実は、その前に見た「The Departed」っていうアメリカ映画のオリジナル版、「無間道」(インファナル・アフェア)という中国映画が見たくなったのがきっかけでした。アメリカ・ヴァージョンは私の大好きなマーティン・スコセッシ監督作品ですから、もう一度オリジナルヴァージョンを見てみたくなったのです。で、最初に見たときはあまり気にしていなかったんですけど、このオリジナル中国映画、なんとエンディング・パターンが二種類あったんですね。更にスコセッシ監督はこの最後のどんでん返しを更に上回ったラストに仕上げていたんですね、新たな発見でした。(ってほどのことでもないですが・・・・爆!)え~、またまた話が脱線してしまいましたが、本題の「餃子」って映画、このタイトルが面白かったのでちょっと期待していたんですけど、妙な意味で期待は裏切られませんでした。(なんじゃそりゃ?)そりゃなんつったってタイトルが「餃子」ですから、中国の日常生活とか、最近の恋愛動向とか、そんなカルチャー的な洒落た作品だと思い込んでいたんですね。ところがっ!(って別にそんなに驚くこたぁないんですけど)これがもう、なんと表現してよいやら、ある意味、生活文化を題材にした映画っていえなくもないし、ホラーかもしれないし、社会風刺かもしれないし、なんかヒジョウに変わった映画でありました。ただ、水餃子を食べるシーンが妙にリアリティのある映像で、なんとなく監督の表現したかった「餃子」の意味がわからないでもないって感じですか(笑)(いよいよわからない?)主人公は香港の安アパートで餃子を作って売っているおばさんです。(そのまんまじゃん)ってか、おばさんって設定だし、本人もおばさんて言ってるんですけど、まだ若いし妙にセクシーなんですね。ここがまあ、この映画のちょっとしたポイントなんですけど、とにかく色気と食い気と寒気の入り混じった映画でした(笑)ただね、台詞が全部中国語だし、字幕は英語ですから、テーマはイマイチつかみきれていないと思います。これって日本語版って出てるのかなぁ。まあ、日本でもご覧になれる機会があったっら見て下さい。ホラー系の色物でちょっと映像に凝った映画であるということだけは言っておきましょう(笑)ついでにもう1本借りてきたのが「PROMISE」っていう時代劇(?)で、日本人俳優の真田広之さんが出てました。なんか最近は世界的にこの手の映画が流行りなんでしょうか?ゲームの世界を映画にしたみたいな感じですね。時代も場所も定かじゃないんですけど、まあ、中国のどこかみたいなところで、戦国の世を生き抜く武将と奴隷とお姫様が大活躍、更に運命の女神まで現れるという、ローリング・プレイ・ゲーム系大スペクタクル・ファンタジー・アクションです(笑)中国映画お馴染みの「空を飛ぶ」シーンもふんだんに盛り込まれています。とにかくお金が掛かっていて、CGとかの出来も素晴らしいので、損した気にはなりませんから、話のタネにはお勧めの1本でしょう。さすがに3本続けて見たら、けっこうハマってしまった自分がちょっと怖かった(笑)次は高倉健さんが出ている「千里走単騎」を見てみようかな、
2007年04月23日
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変な映画見ちゃいましたね。『アポカリプト』(Apocalypto)メル・ギブソン監督作品。スペイン入植直前のユカタン半島が舞台で、マヤ文明の衰退を描いた映画でした。ホンモノかどうかはわかりませんが、全編通マヤ語を使っているそうです。映画で使えるほど、マヤ語なんて実際に伝承されてるんですかね?まあ、内容もちょっと?ってトコがいくつかありましたけど、それにしても妙な映画でした。メル・ギブソンって、私はマッド・マックスからのファンなんですけど、監督としてはちょっと変わった哲学をお持ちのようですね(笑)この映画の印象としては、彼の監督作品「ブレイブ・ハート」に共通するものがありますね。なんというのか、やはりこの人も敬虔な宗教家ですから、人間の「生」に対しての見方がこのあたりに見えているような気がします。人間の本能というか、暴力性とか、支配性とか、動物の体を持つ人間が、唯一信じようとしている存在と、その存在を信ずるが故に更なる矛盾に埋もれていく愚かさみたいなものでしょうか。意味わからん? 私だってわかりません(笑)太古の文明が残した「存在の証」みたいなものを、常に人は追いかけていて、その中に自らの存在を見出そうとする作業?まあ、屁理屈好きにジジイにゃぴったりの映画でしたけど、結局見終わったのが明け方4時近くだったので、なんか生活のリズム崩れちゃったかなぁ~みたいなもんです(笑)その昔、「人類創生」とかいう、やっぱりちょっと不思議な映画を見た時と同じような感じでした。これはマヤ文明のもっと前のお話で、人間と火の関わりについて描かれていました。そういえば、2001年宇宙の旅の小説の中に、この「人類創生」のラストシーンとよく似たシーンがあって、それがことの他強く印象に残っています。ちょっと下ネタ系かもしれませんがお話しましょう(笑)ストーリーは、太古の昔に、人間が火を求めて旅するという設定で、何故かこの映画、セリフがまったくない。そこが素晴らしいというか、時代考証的にも、文字や言葉が出てくる以前に人類は火の存在を知っていたってとこがチョイ良かったですね。2001年宇宙の旅も、やはり太古の昔、言葉のない時代の人類の一人が、月を見て何かを感じる、つまり月の存在を理解し始めたところから、壮大な人類の歴史が動き出したみたいな話でした。でもって、映画「人類創生」の方は、すでに火を持つ部族に出会ってカルチャーショックに落ちいった旧人類が、その先進部族の女を連れて新天地を求めていくというところで終わるんですが、そのエンディングで、彼らは背後位から正常位に目覚めるんですね。そして身ごもった女の丸いお腹を撫でながら、月を見上げるんですね。そのさりげないシーンが、小説2001年宇宙の旅と重なって、なんとなく人類の脳の出発点みたいなものを感じたのを覚えています。多少の疑問もあるんですが、描きたかったことは理解できるみたいな感じですね。こういう映画を見ると、人が殺しあったり、春を売ったり買ったりすることを止めろって言う事は、人間を止めろっていうことと同じなのかなぁと思ったりしちゃいます。まあ、妙な映画でしたが、アメリカではヒットしたらしいですから、皆様もご興味ある方は是非どうぞ。ただ暴力シーンがかなりリアルなので、その手の映像が苦手な人にはお薦めできません。あと、マヤのピラミッドについては、ちょっと疑問が残りました。屁理屈親爺には(笑)
2007年04月22日
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さて、今日は、一昨日たれたノーガキの続きです。道楽親爺のどーでも良い屁理屈ですが、今日も憩いのひと時、どうぞ暇つぶしにお読み下さい(笑)先日は私の青春時代(笑)、1980年前後の日本のポップ・ミュージック、あるいはジャパニーズROCKが、どれだけ米英の影響を受けていたのかということをお話しましたが、今日はその英語と日本語の「音」への乗り方の違いについてノーガキこいてみたいと思います。まず、英語の歌と日本語の歌の決定的違いですが、これは「おたまじゃくし」に「言葉」を乗せる方法が違うということです。(なんじゃそりゃ)つまり、音符に言葉を乗せる時の違いが、音作りの違いそのものになっているということなんです。それはどーゆーことかと言うとですね、たとえば一小節に四分音符が四つ並んでいたとしましょう。いわゆる4/4で四拍子です。音階は別として、リズムは、タン、タン、タン、タンと四つ規則的に刻みます。これに詩を乗せるとして、タンという音ですから、少なくとも2つの音が乗りますね。たとえば、「ボケ、バカ、アホ、マヌケ」と歌ってみましょう。(もうちょっとマシな例はないんかい)どうですか?(笑)最後のマヌケがちょっと字余りの感じで乗りにくいですよね。じゃあ、マヌケって言葉をこの四つにはめ込んでみたらどうでしょう?「マ、ヌ、ケ、(休)」になります。字で書くと3文字プラス休符ってことになりますが、歌にしてみると、四分音符ひとつのタンは決して「マ」にはなりませんよね。「マっ」か「マぁ」でしょ?ってことは、歌うと「マぁ、ヌぅ、ケぇ、(休)」か「マっ、ヌっ、ケっ、(休)」になります。さあ、今度はこれを英語でやってみましょうか。う~ん、なんにしようかなぁ。ジジイらしくわかりやすいところで、THIS ISA PENでやってみましょう(笑)四分音符四つですよ。「This、is、a、pen」って、字で書くとよくわかりませんけど、実際にはこんなきっちりとはまりませんよね。たぶん、ディス、イズ、ァ~、ペン、みたいな感じかな。それとも、ディス、イッズァ、~、ペンってな感じかもしれませんね。ナニが言いたいのかっていうと、英語には音符と言葉の関係をはっきりさせなくても良いってことと、音符ひとつに単語を乗せることができるってことなんです。この大原則が、音楽と詩を融合させる大きな可能性を秘めているんですね。アイ・ラブ・ユーって歌ったとすると、これは、タン、タン、タン、(休)のリズムになります。日本語だったら、あい(タン)、しぃ(タン)、てる(タン)ってなるのかな(笑)でも、言葉の持つ意味から言ったら、「私はアナタを愛してる」ってのと「あいしてる」ってのは同じじゃありませんよね。もっと突っ込めば、歌い方ひとつで「おれはおまえが好きなんだあ」になるか「あたしはあなたが好きなのよ」になるか、はたまた「好っきやねん」になりますが(笑)、英語の場合は聞き手の感性に委ねられる部分ってのが大きいと思うんですね。もちろん日本語だって当然、歌い方によってそのイマジネーションの広がりは変わってきますけど、主語が曖昧な分だけ哲学的な面が強調されます。たぶんこのルーツは俳句や短歌の世界に通じているのでしょう。ってことで、長々と屁理屈が続きましたが(笑)、いわゆるROCKの成り立ちが英語にある以上は、このエッセンスってのが付いてまわってくるのは仕方ないことです。まあ、簡単に言っちゃうと、アメリカン・ロックはテキトーが一番(笑)みたいなもんです。音符なんて決め事はもう、覚書みたいなもんで、「ノリよノリ!なんつってもノリだから」みたいな気分がROCKだってなことです。日本人みたいに律儀に音符を追っていって目くじら立てたりしないのです(笑)ところが! です。最近は、英語圏のROCKERが日本語ROCKの美しさを理解し始めているのです。きちんと音符に言葉が乗る美しさが目新しいってのもあるのでしょうが、もうそろそろ日本のROCKもひとり立ちしても良い時代に来てると思います。まあいうなれば、さんざっぱら好き勝手して遊んできたら、今度は形式美とか様式美に感心が移ったみたいなものでしょうか。私らの時代でいえば、流行りの日本語ROCKのルーツは必ずアメリカンROCKだったんですけど、今の時代のROCKERたちがルーツにしているのは、もうすでにニッポンのROCKになってきてるんですよね。加えてバイリンガルも自然に入り込んできてますから、この先どんな風に進化していくのかジジイ的にもちょっと楽しみです。昔は「東洋」ってエッセンスをやらた売り物にしていたニッポンの音楽も、ようやく自然なカタチでニッポンのティストを生み出し始めたってことですかね。まあ、言ってみれば、私らの時代は、欧米人(欧米かっ)の感性に歯が立たなかったから、コンプレックスの裏返しみたいな「オリエンタル=東洋」でごまかしていたってのが正直なトコじゃないでしょうか。昔はNHKの特番の主題歌によくありましたね、そんな音楽が(爆)こらこらこらっ!ということで、現在、現役でROCKされている若人のみなさん、爺婆のROCKERは貴方方の今後の活躍に期待してますからね。頑張って下さいね。
2007年04月21日
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昨夜から戦友の皆様より「訃報」が届けられています。ニッポンのJB、ドン勝本さんが癌のためお亡くなりになりました。なんだか不思議なものですね。まるでJBの後を追うようにして旅立たれていきました。勝本さん。私にとっては大先輩にあたる生粋のSOULマンでした。今日は故人を偲んで、ドン勝本さんが大活躍したころのお話でもしつつ、ご冥福をお祈りしたいと思います。「ポップの勝本さん」今から35年くらい前ですかね。新宿にチョロチョロし出した頃、不良少年達の間で伝説的な踊り場(笑)として親しまれた「ポップ」、そこの用心棒が勝本さんでした。同じく「デカボク」の愛称で親しまれた(笑)「朴さん」って人も居ましたっけ。勝本さんは、私の地元、御馴染み国士舘大学でしたから、当時はもうかなりおっかなかったですね(笑)17、8歳のころの先輩っていうのは、たかだか2~3歳の年の差でも、大人と子供くらいの開きがありましたから、口聞いただけでビビっちゃう(笑)みたいな時代でもありました。それにしても、あの当時はなんであんなにも頻繁にケンカがあったんですかね。それもハンパじゃなくて、殴る、蹴るだって、みんなかなり力一杯でしたから、ハッタリは通じないみたいな、怪我人無しでは収まらないみたいな凄いところでしたね、昔の踊り場は。もう、店に入っただけでハイテンションみたいな(笑)また、その客のナリも凄かったですよね。まあ、なんといっても一番凄かったのは蛇腹の学ランそのまんまってヤツですか(笑)今じゃ考えられませんね。ということで、そんな不良の一年生時代に垣間見た、不良の先輩が勝本さんで、私の中のそのイメージが大きく変わったのが、やはりエンバシーでした。はっきりと文句は覚えてませんが、入り口には「SOUL音楽の嫌いな方の入店はお断りします」みたいな看板が掛かっていましたっけ。でもって、JBのパネルがあって、SOULファッションにアクセサリーみたなのが飾ってあって、真っ暗な店内は「白目」がギラギラみたいな異様な雰囲気に包まれていて、その中にドンとお腹のでっぷりしたアフロのおっちゃんが一人(笑)、黒のジャンプスーツにデカイアフロ、それがあの「ポップの勝本さん」でした。体型がね、やっぱ似てましたね、JBと。お腹の出具合が(笑)当時のSOULマンでエンバシー行かなかったら、それはニセモノみたいな時代でしたから、そんな店で、ことのほか存在感のある勝本さんは、もうその当時から確かにドンの風格はありました。子供心に(笑)、ああ、この人が全国のSOULマンを束ねている元締めなんだ、みたいなね、思い込みもありましたよ、実際。その後、ディスコという名前が世間一般に浸透して認められるようになって、勝本さんは全日本ディスコ協会を設立して会長になりました。まあ、とやかく言う人もありますが(笑)、そりゃ、おまえだろって?(笑)まあ、あの時代は、みんな夢の中に居た、みたいな時代でしたから、そりゃあちこちでイザコザもありました。前にもこの日記で何度も書いていますが、私にとっちゃ、やはりSOULの親分みたいなもんで、全国のSOULマンの頂点に立った人ってことでは、間違いなくドンだと思うんですね。踊りの上手い下手はともかくとして(爆)あはは。でもって、ドン勝本さんを慕って集っていた若い衆も随分居たんですよ。もちろん私だってその中の一人だった。そんな思い入れが強かったからこそ、反発心も強かった、みたいなもんなんですよ。それも今にして思えば良い想い出です。だからひとつだけ記しておきたいのは、勝本さんは死ぬまでJBと踊りとディスコが好きだったってことではないでしょうか。昨年の夏に、初めてダンテリにお邪魔したとき、偶然にも何十年ぶりかの再会をしたのですが、それも今にして思えば何らかの御縁があったのでしょうね。でも、勝本さん、晩年、二度目の花を咲かすことが出来たんだから、幸せだったんじゃないですか。一足先に向こうでディスコ協会作って待ってて下さいよ。そんでもって全霊界ソウル・ダンサーズ結成して下さい(笑)今度はジョニーも説得して、一緒にメンバーに入れてもらいますから。(合掌)
2007年04月20日
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昨日、英語の翻訳についてノーガキこきましたが、ついでにもう一発ノーガキこかさせてもらいます(笑)今日は翻訳ではなくて、言葉を音(MUSIC)に乗せることについて考えてみましょうか。その昔、私の時代のミュージシャンや音楽業界で活躍していた人間は、なぜか英語で歌うことにかなりムキになっていました。このブログでも何度も取り上げたことがありますが、和製ディスコ・サウンドというのがこの典型的なパターンだったと思います。当時すでに「音」だけで言えば、日本のミュージック・シーンは世界的な水準までに達していました。ってか、テクノなんていうジャンルでは世界的イニシアチブさえ取ったと言っても過言ではないと思います。もちろんこれは、ポップミュージックの世界の話ですよ、あくまでも(笑)いわゆる広い意味でのROCKで、その演奏テクニックやレコーディング・システム、楽器や機材のクオリティ、そのどれをとっても、世界的水準からみて見劣りなどしないところまで来ていたし、逆にデジタル系の楽器などは世界ランキングのTOPを取ったのではないでしょうか。そういった面から見ると、やはりYAMAHAの功績は甚大だったでしょうね。当時のサウンドは世界的レベルで十分に通用するものでしたが、ひとつだけどうしてもぶち壊せない壁があったんですね。それが「歌」=「ヴォーカル」だったんです。インスト(演奏)だけだったら、十分に世界を目指せる実力を持つミュージシャンもたくさんいました。実際に米英に渡って行ったセッション・マンやスタジオ系ミュージシャンだってかなりいました。でもね、英語の歌が駄目だったんですね。それでも、比較的ディスコ系はチャレンジにはうってつけのマーケットだったのでしょう。随分と色々なチャレンジがありましたね。ピンクレディだって英語で歌ったりしたんですよね(笑) KISS IN THE DARK~ビルボード誌のHOT100のランキングにも入りましたっけ。事務所も相当な金使ったことでしょう(笑)でもね、素人が聴いても解るくらい杜撰な英語でした(笑)(ごめんね~)日本国内でも和製英語ヴァージョンのディスコ・サウンドも随分出ましたけど、ヒットしたのはほとんどインストに近いものだったような気がします。結局その原因は、製作者側にあるのではなくて、消費者側にあったのです。単純明快、当たり前の理屈です。聴く側が英語の歌を理解できなかったんですね(笑)ってか、今だって、英語の歌なんてほとんど理解できないんじゃないでしょうか。それでも、英語で歌いたいってのは、やっぱ、コンプレックスというのか、アメリカ文化への憧れからくる夢だったのかもしれませんね。英語で歌わなければ本物じゃない、アメリカ人になりたいみたいな感じですか(笑)1980年代前後流行となった、このインターナショナル志向、今風に言えばグローバル志向みたいな風潮ですが、それでもディスコがなかったら10年は遅れていたと思います。そういう意味で言うと、ディスコって割りと便利な環境だったんですね。実験的な場として。言うなれば、メインは踊り、ダンスミュージックですから、英語っぽさが出てればとりあえずプレイされるみたいなとこがあったし、たとえヴォーカルが認められなくてもヒットが狙えた便利なマーケットだったのでしょう。そこそこは回収可能、大コケってのが少なかったみたいな(笑)では本物志向のアーティストはいなかったのかっていうと、そんなことはなくて、今でも印象深いのはゴダイゴってグループですね。テレビドラマ「西遊記」のテーマでブレイクしましたが、このグループは完璧な英語ヴァージョンでぶっちぎりました。モンキーマジックとガンダーラは大ヒットしました。あとはショーグンってバンドですか。このグループも故・松田優作さん主演のテレビドラマ「探偵物語」のテーマで有名になりました。そういえば、矢沢栄吉っつあんもイギリスまで出かけていって英語版作ったりしましたっけ。後年、ドゥビーのメンバーとやってだいぶ本物っぽくなりましたね。そうしてみると、私らの時代の人間は結局アメリカに近づくことがひとつの目標だったのかもしれません。ちょっと後の時代になるとバイリンガル系が続々と出てきて、自分たちがやろうとしてたことをあっさりとやっちゃったんですけどね(笑)小林克也さんなんかも良い例ですよね。マイケル富岡の登場で一気に状況が変わりました。今ならパックンみたいなのもいるし、宇多田ヒカルさんなんてもうそこらへんのボーダーは完全に超えちゃってますしね。ということで、もうちょっと言い足りないことがあるので、後編に続く。。。。(爆!
2007年04月19日
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昨日はあつかましくも、竹内まりやさんの英文詩を和訳してしまいましたが、この翻訳という作業、これが実に難しいものなのです。特にこういった詩というのは、読み手の感性で理解が異なってくるし、では直訳したらどうかと言えば、それはあまりにも味気ない文の羅列に成り下がってしまうし、本当に難しい作業ですね。たとえば映画の和訳なんか見ていると、その訳者の感覚がモロに反映されますから、下手をすると映画自体を台無しにしてしまうなんてこともあります。逆に、原語で理解できなかった心理的な表現が、和訳のおかげでインスパイアされたなんてことも私的体験として実際にあります。そんなことを考えながら、昨日の詩を載せたのですが、英文で男女を見分けるのがこれまた困難なことに改めて気が付きましたね。I=私って書けばそれですんじゃうんですけど、日本語みたいに俺とか僕とか、あたしとかいう表現がないから、文全体を眺めていって、さて、一体これはどちら側から書いた詩だろうか?などと悩んでしまいます。昨日の詩で言えば、「YOU MAY HAVE BEEN MY TRUE LOVE」ってフレーズがビビっときたので、このMY TRUE LOVEのLOVEを恋人(女性)に充てて、男性の立場から書いてみました。単純に言っちゃえば「あなたは私の真実の愛を持ち続けている」ってことなんで、男女どちらでも当てはめることのできる詩です。もちろん詩全体も、どちら側の立場からも「訴えることのできる愛」(笑)が表現されているのですが、私はあえて、このLOVEにこだわってみました(笑)ですから道楽親父的解釈だと「あなたは私の真の恋人であり続ける」みたいなとこでしょうか。え~、余談ですが、「私のラバーさん、酋長の娘ぇ~」っていう下品な唄がその昔、下品な酔っ払いオヤジによってよく歌われていましたが(今時の人は知らんでしょうが)、これは大間違いですね(笑) LOVERさんは男性を指すものですから、これは娘じゃなくて、酋長の息子となります。したがって、この唄を歌う下品なオヤジたちは皆ホモということになります。(失礼しました)さて、そんな英語の解釈で、受け取る詩の内容が変わるというのも、たいへんに面白いことです。つい最近ですが、アンジェラ・アキさんという若手のシンガーソングライターがNHKに出ておりまして(ってか、またNHKかよみたいな)、彼女がBOZ SCAGGSの名曲WE ARE ALL ALONEを和訳して歌っていたんですね。ボズ・スキャッグスといえば、私ら道楽親爺のディスコライフ(笑)にも登場した、かなり渋めのアーティストでもあります。そして、特にこの曲はスローバラッドとしても、長く歌い継がれてきている名曲のひとつです。でもって、このアンジェラさん、このWE’RE ALL ALONE、まあ、いうなれば「私たちだけ」ってか、「ふたりきり」みたいな詩を、なんと、「私たちはみなひとり」という解釈で挑んだんですね。スゲーって思いましたね。さすが鋭い感性の持ち主です。もちろん彼女は正真正銘のバイリンガルですから、英語自体の理解力は当然私なんかより優れています。でも、この解釈っていうか、読み方っていうのは、言葉が理解できるってことと、詩が読めるってことの違いをあからさまに示してくれた例だと思うんですね。逆に言うと、こういう読み方をするっていうのは、英語がわからない人に多いと思うんです。日本語でも同様に、普通に言葉を理解する人には、こうした見方って中々できないんですよね。それが、きちんとネイティブの言葉を理解している人が、独自の解釈で詩を読んだってことに本当に驚きました。もうひとつ突っ込んで言うと、時代の感性かなとも思えるのは、たぶん私たちの時代の人間には、詩のイメージが観念的に固まってしまっていますから、角度を変えた見方はできないでしょう。ボズ=クールみたいなね、しかもラブ・バラッドってイメージも強過ぎますから、まさかね、ウィ・アー・オールでぶち切って、アローンとは絶対に思いつかない発想です。俺のベスト・ラブ・ソングみたいに固まっちゃってますから(笑)ということで、今日は皆様に翻訳の楽しさ、っていうか、つまらぬ形式にこだわらないで楽しむ英語をお勧めしたいと思います。私は、昔から、英語をそのまま原文で理解できたら良いなぁ~と思い続けている、物好き親爺ですが、ジジイになって気がついたのは、言葉そのものにこだわらず感性で言葉にぶつかる大切さみたいなことだったんです。そういえば、日常会話で使っている日本語だって、その時代、その人間関係、その環境で、意味することが随分と変わってきますよね。結局、英語だって同じで、ストレートに意味をぶつけてくる分だけ、日本語よりは扱いやすいかもしれません。そう考えると、日本語って結構やっかいな言語ですよね。もちろんその原語をもつ日本人もね、やっかいな人種かもしれません。
2007年04月18日
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このところ懐かしい日本のポップミュージックの話題が続いていますが、いろんなことを思い出しているうちに、そんな昔の曲を聴いてみたくなって、昨夜キャビネットを捜索してしまいました。そしたら古いカセットテープの中から、先日お話した竹内まりやさんの「時の旅人」のテープと一緒に古びた歌詞カードが出てきました。この曲は同名の「時の旅人」っていうアニメ映画の主題歌だったんですね。私はてっきり「里見八犬伝」か「魔界転生」のテーマソングだとばかり思っていました。特に魔界転生は、お話が転生そのものだったせいか、そう思ったりしちゃいましたね(笑)ということで、せっかくですから、またまた御紹介しちゃいましょう。ざっくり、テキトー訳詩(笑)もつけときますね。これは私の個人的解釈によるものですので、原文及び作詞者の竹内まりやさんの本意とは異なりますので、くれぐれもご理解下さい(笑)時の旅人I’ve seen you somewhere, such a long long time agoBut I don’t know when, your beautiful face and hairThat I think I really touched sometime, it’s all so familiarずっとずっと昔、どこかで会っているはずでも、いつかはわからない美しい髪とその顔確かに触れたことがあるはずすべてがとても懐かしく思えるからYou don’t have to say nothing, nothing go explainI feel the same sweetness just like beforeYou may have been my true loveGod only knows where we come from 何も言わなくていいんだよなにも、理由なんて昔のまま、変わらないやすらぎを感じるからそう、たぶんあなたは私の本当に愛する人ぼくらがどこから来たのかは、神にしかわからないEverything on Earth can be reincarnatedSo are we, over and over, even if I’m killedThere’s no need to be afraid in tearslisten to meこの地にあるものすべてが生まれ変わっていくぼくらのように、何度も何度も、たとえ私が殺されたとしても何も畏れることはないさ、さあ涙を拭いて、よく聞いてYou don’t have to cry nothing, nothing to regretI know we’ll reunite beyond timeThe future is always waiting for the two of us, eternallySo please, oh please kiss me again哀しむことも、泣く必要もないのさだってぼくらは時を超えて再び出会うのだからそうさ、未来はいつだってぼくら二人を待っているんだ、永遠にだからお願いさ、もう一度キスして欲しいWe were made to be time strangerMoving on across the universeぼくらは時の旅人となって宇宙を横切っていくんだOh, come closerSo please, oh please, kiss me againさあ、もっと近くに来てお願いだから、もう一度キスして欲しいどうですか?詩も曲もたいへんシンプルで、まりやさんの声もきれいだし、魂がユニバースに融合しそうな感じの歌です。皆様も、もし機会があったら一度聞いてみて下さい。良い感じですよ。まさに時代を超えて心に響く歌ではないでしょうか。ってか、こんな昔の曲って、今時手に入るのかなぁ~?
2007年04月17日
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今日もちょっと懐かしい音楽のお話です。私は昭和30年生まれで、いわゆる団塊の世代の人たちの背中を見て育ってきた世代です。ベトナム戦争、学生運動、フォークブーム、ドラッグ、サイケ、アングラ、ハレンチ、東映やくざ映画、ETC.。。。。そんなポップカルチャーを憧れを持って背伸びしていたのが私らの時代ですね。今、巷で「団塊の世代」がちょっとしたブームになっているようですが、私なりにこの先輩方の時代を振り返ったときに、まず頭に浮かぶのが「戦争」なんですね。とにかく、みんな何かに向かって戦っていたっていう印象が強くて、それは情熱とも言えるのでしょうか、古いものをぶち壊していく「力」みたいなものを感じていました。対して自分の時代はどうだったかというと、そういう先輩たちが切り開いて行った道に要領よく乗っかっていったみたいな感じです。ベトナム戦争も終わり、学生運動も収束し、フォークと反戦運動はその行き場を失って、毒の抜けたニューミュージックへと変貌し、破壊のROCKはダンスミュージックへと移行し、要するに「戦い終わって」中味のない浮かれた時代の始まりだったような気がします。合っているかどうかわかりませんが、第二次世界大戦で敗北したツケを負った子供たちがこの団塊の世代で、その世代の燃えカスが私らの時代だったと思います(笑)そんな人畜無害の時代で開花した私の青春ですが(笑)、私らが憧れの眼差しで見ていた団塊世代と呼ばれる先輩方から受け継いだものといえば、やはりそれは「アメリカ」だと思うのです。もちろん、その歴史は第二次大戦後の進駐軍に端を発しているわけですが、私らの時代はベトナム戦争にそのすべてのルーツがあると思います。それは、横須賀、横浜、立川、福生など、米軍が駐留していた基地から流れ出てきた、大きな意味でのアメリカでした。そんな目の前に現れたアメリカ文化、それはテレビや雑誌で見ていた憧れのアメリカが、まさに自分の前に突如として現れ、生活の中に入り込んできたそんな衝撃でもありました。そして、そんな自分の体験が重なる、今でも心に残る歌がこの「フェンスの向こうのアメリカ」です。楽曲は柳ジョージさんで、詩に描かれている情景は柳さんの子供時代、横浜本牧あたりの思い出のようです。せっかくですからご紹介しときますね。*フェンスの向こうのアメリカ*石畳の坂を登れば海の見える丘に出た防波堤にあたる波間に俺を呼ぶ声が聞こえたどんなに離れてもけして忘れなかったよ朽ち果てた俺の家と鉄のフェンスAREA ONEの角を曲がればおふくろのいた店があった白いハローの子に追われて逃げてきたPXから今はもう聞こえないおふくろの下手なブルース俺には高すぎた鉄のフェンスあばよのひとこともなく 消えうせたあの頃 帰りたいHOME TOEN SUITEネオンライトの空に飛び交う黒い懺悔のハーモニードラとジープの吼える声は昨日と今日の道しるべ今はもう流れない潮風と赤いキャンディー高いフェンス越えて見たアメリカせめて肩の重荷 降ろすことができたら 帰りたいHOME TOWN SUITE高いフェンス越えて見たアメリカどうですか。詩だけだと感傷的かもしれませんが、曲は中々ポップで軽やか、ノスタルジックな爽やかさみたいな感じです。でもって、この詩のテーマである、米軍キャンプのフェンスを隔てたアメリカと日本、これこそまさに私らの時代そのものだったような気がするんですね。鉄のフェンス越しに垣間見たアメリカ文化。未だに私の中にくすぶっているアメリカ文化は、このフェンスを越えてはいませんね。
2007年04月16日
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昨日の続きみたいなお話です。ユーミンの「5cmの向こう岸」って詩の話をしましたが、実際に私がこの時代のユーミンの曲を聞きだしたのは随分大人になってからのことなんです。ご存知のように、私の青春はただひたすらSOUL MUSICにかぶれるだけの人生でしたから、その時代の邦楽なんてほとんどリアルタイムでは知らないんです。そうですね、リアルタイムで知っていたとすれば、ユーミンの「あの日に帰りたい」とか、沢田研二の「時の過ぎゆくままに」くらいですかね、記憶に残っているのは。ですから、ユーミン・サウンドに興味を持って、聞き始めたのは「中央フリーウェイ」とかがヒットした頃の時代でした。それでも、当時はやはり職業柄、洋楽中心の生活が続いていましたから(笑)、お気に入りソングもどちらかと言えばフュージョンっぽい感じがメインでした。「影になって」とかね、けっこう良い感じでしたよね。当時はボズ・スキャッグスとかクリストファー・クロス、ボビー・コールドウェルなど、後にAORとか呼ばれる、イージーリスニングJAZZみたいなのが流行でしたから、日本のアーティストもこぞって似たような「音」を取り入れていた時代でした。まあ、当時は巷のユーミン人気などはまったく実感していなかったし、そんな程度のかかわりでしかなかったんですね。そんでもって、月日は流れ、年齢もそろそろ30に近づこうとしていた頃、当時の彼女(ってか今のヨメですが)が聞いていたテープ(当時はウィークマン全盛でしたね)が「時のないホテル」だったんです。でもって、ちょっと大袈裟かもしれませんが、そのとき初めてユーミンの世界というものに興味が湧いたんですね。確か「よそゆき顔で」っていう曲だったと思います。なんかね、詩に出てくる女の子の気持ちがね、ズンと胸の中に飛び込んできたみたいな感じでした。それで、昨日お話した「5cmの向こう岸」っていう詩に感動して、へぇ~、こりゃ女の子が夢中になるのもうなずけるなぁと思ったんです。なんていうのかな、少女漫画をもうちょっと現実的にドラマ仕立てにした「歌」みたいな感じだったですね。それで、ちょっと気になってユーミンのアルバム聞きまくったんですね。根が凝り性だから(笑)熱しやすく醒め易いんだけど。そしたら、詩だけじゃなくて、その音創りもすごくカッコ良くて、へぇ~、中々じゃん、とか生意気こいてみたりなんかして、けっこうハマっちゃったんですよね。そうして聞き込んでいるうちに、あることに気がついたんです。なんだ、アレンジャーは旦那かよ~、みたいなね。そうしてみると、ユーミンの「音」がある時期を境にして、私生活的表現感性(?)から、コマーシャルベースにちゃんと乗るようなカタチになって、大きくブレイクしたみたいな感じが見えてきた。でもって、これが昨日の竹内まりや、山下達郎ご夫妻の時に感じたものと同様のものだったんです。「少しだけ片思い」ってのを聴いて、う~んこりゃたぶん旦那とのエピソードだね、みたいに勝手に思い描いたりしたんですけど、そこでまたビックリしたのが、このバックコーラスが山下達郎さんと吉田美奈子さんだったんです。もちろんコーラスアレンジは彼らの手によるものでしょうが、この「音」にはしびれました。そしてそのとき自分の趣向が、知らぬ間にある線で結ばれていることに気がついたんですね。そうかぁ~、オレはこの手の感性に共鳴するタイプなんだと、あらためて自覚したんです。更に時を同じくして私は、ある一冊のコミックと出会いました。それが柴門ふみさんの「元気です、俊平」でした。これは、たまたまDJ時代の後輩が持っていた漫画だったんですが、「なんだ、おまえ少女漫画なんか読んでのか?暗いやっちゃなー。どれどれ見せてみろ」ってなことで読んだのがその第一巻で、主人公の俊平君が勝手に片思いした同級生に、それこそ勝手に夢見ていくお話でした。そしてこれも、すでに30近くなろうとしていた私にとって衝撃の一冊となったのです(笑)それは、この作者、いわゆる少女漫画家が、思春期の少年の気持ちをこんなに上手に表現できるってことに驚いたのでした。はい、ご想像通り、彼女の本を読み漁りました(笑)そしたらなんと驚いたことに、この作家は自らをフーミンと名乗り、コミック界のユーミンを目指していると言うではありませんか。しかも過去の作品には、ユーミンの詩をDEDICATEした作品もチラホラとあり、またしても自分がこのカテゴリーの中で回っていることに気がついたのです。フーミンさん、後に「東京ラブストーリー」とかで大ブレイクしましたが、私はそんな彼女のずっと前の作品からのファンだったのです(笑)もちろんコミックだけではなく、フーミンの著作「恋愛論」も全巻読破しております(大いばりっ!)ということで、たぶん私はこのような感性と同じサークルの中でウダウダする親爺なのでしょう。最近はこの頃よりちょっとだけ大人になった気もしますが(笑)さて、最後になりましたが、ユーミン、フーミンとくれば、やはりムーミンでしょう。えっ!? ひょっとして道楽親爺はムーミンファン?(笑)残念でした。別に私はムーミンのファンではありません。じゃ、なんだ? と言われると、語呂合わせもさることながら、私はムーミンに出てくる「スナフキン」というキャラに道楽者の真髄を見出したのです(爆)ユーミンで少女の心を学び感性を触発され、フーミンで少年の心の奥を心理学的にレクチャーされ、最後はムーミン谷のスナフキンに理想的な人生を描く自分を見つけたのでした。(あ~あ)
2007年04月14日
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昨日のNHKの番組に出ていたのです。(ってかテレビはいつもNHKみたいな)確か4月からの新番で「SONG」とかいうタイトルの番組だったと思います。しかし、驚きましたね、マリヤさんって私と同じ年だったんですね。見えない!絶対に52歳には見えませんでした。ホント昔のまんまだった。簡単なバイオも入っていて、ちょうど私らがディスコで盛り上がっていた頃のヒット曲「不思議なピーチパイ」とか、80年頃の楽曲が久々に聞けて嬉しかったですね。そういえばこの「不思議なピーチパイ」って12インチシングルがディスコにも配布されましたっけ。あれはなんだったんですかね。本気でディスコプロモーションをやろうと思ってたんかなぁ~。そういえば、彼女が東京音楽祭で賞をとった曲(タイトルわすれちゃったけど)のイントロが、ドナサマーのディスコヒット(う~ん、これもタイトル忘れちゃったなぁ)のモロ、パクリだったのを覚えています。こりゃパクリっつーより、コピーじゃん、みたいなね。でもって、確かこの後マリアさんは現役からしばらく姿を消したんじゃなかったかな。そんでもって、あの名盤「バラエティー」で復活してきたときは凄い驚きでした。「マージービートで躍らせて」とか、モロ達郎サウンド「プラスティック・ラブ」とか、彼女の魅力が全て引き出されたようなアルバムでした。久しぶりに自分でお金出して買ったレコードの1枚でもありました(笑)私個人的には、山下達郎さんのプロモ用レコードで、小林克也さんのDJにゲストで登場していた彼女のENGLISHにちょっと痺れた記憶があります。克也さん扮するハワイのDJが電話でマリヤさんのリクエスト受ける、っていうシュチエーションだったんですが、その時のマリヤさんの英語がすごくきれいで、My name is Mariya Takeuci, seventeen years old XX high school student・・・・・(そんな感じだったと思う)ってのが聞き取れたのが嬉しかったんですね(笑)こんなガールフレンドがハワイにいたら良いなぁ~、みたいなね、ちょっとした妄想もあったりして(笑)声も可愛かったし。でも、バイオには彼女の在米の記録は紹介されませんでした。(なんでだろう)私はてっきり彼女はハワイ育ちの日系人だと思っていたんですけどね。そんな、ちょっとミステリアスなところも魅力なのかもそれません。そういえば、山下達郎さんも結婚後、歌詞に出てくる英語とその歌の発音がかなりホンモノっぽくなりました(笑)やっぱ奥様の影響なんでしょうかね。それでもまあ、私は特別なファンってことでもないのですが、やはり彼女のセンスというか才能はとても好きです。特に結婚後の彼女の活動は落ち着いた感じで、しっかりしたコンセプトで、少女っぽさの中にも大人の女っぽさが入り混じっていて、なんというのかな、女性の爽やかな色気とでも言いますか、とにかく不思議な魅力を持つ人です。(ってかちょっと褒めすぎ?)特に私がたいへん気に入ってる曲がありまして、これは薬師丸ひろ子さんがオリジナルを歌っていたもので、後にセルフカバーとして発売された「元気を出して」という歌です。涙など見せない強気な貴方をこんなに悲しませる人は誰なの意外かもしれませんが、若干52歳道楽親爺はこういった少女チックな詩でコロッと逝ってしまうのです(笑)そういえば、デビュー当時の荒井由美さん(現・松任谷)の詩なんかも、けっこうハマリましたね(笑)「5センチの向こう側」なんて歌は、けっこう泣かせますよ。自分より5センチ背が低いボーイフレンドとの顛末を歌った曲なんですが、この感性が中々良いのです。ってか少女漫画っぽいんですけど、男にもこういったほろ苦い思い出ってのは、案外心の底にこびり付いているもんです。年取るとだんだん打算的になっちゃうんですけどね(笑)ということで、今日はなんだか、いまひとつしまりのない日記になってしまいましたが、詩を読める心だけはいつまでも持ち続けたいと思う道楽親爺でした。ちなみに、竹内まりやさん、お名前はMARIYAと書くんですね。これは日本人としてのこだわりなんかなぁ~。
2007年04月13日
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今日は、道楽者の戦友たまさんの身に起きた「小さな戦い」についてのお話です。ちなみに、時々このブログに登場する「戦友」の皆さんですが、これは、概ね私と同じ時代を似たような環境で過ごされた人たちを指して、勝手に私がそう呼んでいるだけのことで、別に一緒にどっかで戦争をした仲間と言うことではありません(笑)ただ、生きてきた時代背景と生活環境が同じようなレベルであるということでは、一人の人間として一般社会と戦っている、いわゆる戦線が同じであるということで、戦友と親しみを込めて呼んでいるのです。前置きが長い? でも、この前提をしっかりと理解しておいてもらわないと、これから先のお話がつまらなくなるのです。(そうかぁ?)ということで、戦友の某マイミクさん(ってか、たまさんだろ、すでに名前書いてるし)が、最近ちょっとした「戦い」を起こしましたので、当ブログの非生産活動推進委員会としても後方支援をしていきたいと思い立ち、とりあえずコトの経緯を簡単にご説明することにしたのです。え~、戦友のたまさんが、ある日のこと、たいへん可愛がられておりますペットのワンちゃんと散歩を楽しんでおりましたところ、読売新聞記者の取材を受けたそうです。たまさんとしてみれば、そりゃ大好きなワンちゃんのお話ですから、話は弾み、いろんなことをおしゃべりしたとのことでした。そんなこんなで、楽しみにしていた新聞を開き、記事になった自分の話を読んだたまさんは愕然としたのでした。なんとそこに書かれた記事は、善意の気持ちで取材を受けたたまさんの期待を裏切る内容であるばかりでなく、事実を歪曲した中傷に近い誹謗記事であったのです。そこで、たまさん、早速新聞社へ抗議をすると、更に感情を逆なでするような慇懃無礼な回答が届いたのでした。ってことで、この顛末の詳細をお知りになりたい方は「たまさんのブログ」をご覧下さい。残念ながら、ブログはMIXI(ミクシィ)なので、ひとつ御了承下さい。このブログもMIXIにそのまんま乗っかってますので、検索していただければ、マイミクから入れます。(こらーっ、手ぇ抜くなー、ちゃんと紹介しろー)私も、この顛末を知り、ヒジョーに腹立たしい思いを感じた一人でありまして、もし、私が日本に住んでいたら、間違いなくたまさんと一緒に読売新聞に乗り込んで、担当者及び編集責任者を相手にきちんとお話をしていたことでしょう(笑)どうも最近メディア関係者は甚だしい誤解をしているようで、自分達の職業に妙な特権意識があるようです。メディアなんてカタカナ英語を使っちゃったりしてますが、果たして現場記者で英語をきちんと読み書きできる人間がどのくらいいるのか、ましてや、日本語で本当にきちんとした記事を書ける記者がどのくらいいるのかさえ疑問です。特に今回のような場合は、その記事の媒体が一般社会で最も公共性の高い新聞ですから、その言動、文章がどれだけの影響力を持つのかということをしっかり認識した上で、仕事をしているのかを是非とも問い質したいと思いましたね。少なくとも記者は、記事を書くにあたってはその内容に関する予備知識、事前の調査資料など、どこかから借りてきたようなものではなく、自分自身でファイルした論拠を持たずして批判的な記事を載せるべきではありませんね。そして誤解の根本はここらへんにあると思います。まず、記者本人が客観的立場の表現を使って社会批判とか行うのが、典型的なパターンですね。それにとってつけたようなデータなどを引っ張り出してきて、高飛車なノーガキをこくってのが、特に社会派などと呼ばれる三文記者に多いです(笑)大体、記者が記事を書くにあたって、客観的なんてことは不可能なんですね。どんな事実だって、それを見る目を通してしか入ってこないのですから、批判的態度の記事を書くってことは、ズバリ主観の現れでしかありません。その点をはぐらかして書くのであれば、ヨイショだけの提灯記事でも書いてる方がよっぽど正直です。え~、私のようにちょっと過激な人間がノーガキをこくとこーゆーことになります(笑)でもね、私ゃ、これでメシ喰ってませんからね、その辺の責任についても、その新聞記者には是非ノーガキをこきたいです。おまえこれでメシ食ってんだろ。だったら死ぬ気で書かんかい!くだらねー評論家みたいなこと書いてんじゃねーぞ!ってことですね。最後に、今回の騒動の中で一番腹立たしかったのが、その記者がたまさんに宛てた回答の文章が教科書みたいだったことです。正直言って、私は商売柄トラブル処理をウン十年やってきてますんで、若造がこんな取ってつけたような文章を書いたことにヒジョーにムカついています。そんな文章を書くことがジャーナリストだと思っている、この記者の思い違いというか大勘違いをきちっとわからせてやりたいという欲求にかられました。ちょっとほっとけないみたいな(笑)どうして、もっと自分の言葉で表現できないのでしょうかね。だって、おまえメディアの人間だろ、しかも記者だろ?じゃなかったら、この苦情を適当に処理しようとしてるのか?そう怒鳴りたい気持ちで一杯になりました。ホント。つまり、そこらへんが、モノを書く上での本当の意味の記者の責任だと思うんですね。まだまだ青いですか?道楽親爺。ということで、たまさん、腹減ってもあきらめず頑張って下さい(笑)応援してますよー。
2007年04月12日
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またまたニッポンのホラー映画見ちゃいました。「呪怨」の監督の最新作とかいう触れ込みで、御馴染みBLOCK BUSTERSに入ってきました。テーマも面白そうだし、前作からして、まあまあ見られるだろうってことで、店主に奨められるまま借りてしまいました(笑)感想・・・・・・・・・・見なきゃ良かった(笑)なんか凝り過ぎって言うか、途中からストーリーが見えてきちゃって、どんでん返しとか、オチとか、ほぼ読み切れてしまいました。まあ、この監督の作品が好きな人には、そこそこ見れると思います。でもね、輪廻転生って本当にあるんですかね?私は半信半疑ってとこですか。デジャブって感覚もよくあるし、なんか前世の記憶みたいなのが残っているのかなぁ、と思うこともしばしばで、否定はしないけど、確信するほど信じてないってとこですか。ただ、あまりにも運命論とか因縁論みたいなのに左右されてしまうと、自由な精神がそこで束縛されてしまうような気がして、あまり考えたくない部分でもあります。漠然とした意識の中で「あるのかなぁ」っていう感じでしょうかね。そういえば、昔の映画で「里見八犬伝」っていう角川映画のテーマソング、竹内マリアさんが歌ってたと思うんですけど、あれっ?「魔界転生」だったっけ?どちらか忘れました。その歌詞に、Reincarnated って言葉があったのを覚えています。確か「時の旅人」っていうタイトルだったと思います。全ては生まれ変わっていく、みたいな内容で、「心配はいらない。私たちはまためぐり逢うのだから」ってな詩でした。私たちはみな時の旅人、宇宙を駆け巡る魂、そして永遠に甦る~そんなロマンチックな詩でしたね。でも、ずっとめぐり合いっぱなしじゃ、旅する意味ないじゃんってか、松田聖子と郷ヒロミを思い出しちゃったりして、ちょっとブルーになったりもして(笑)ただ、今生で結ばれずに死に別れていくとき、そんなセリフで死んでいけたら幸せかなと思いましたね。「次の生でまためぐり会えるから、心配しないで、 So please, kiss me again.」いいなぁ~、そんなのって。美しいですよね、とっても。まあ、映画の、ドラマの世界だから想像して楽しめるわけで、実際に自分が死ぬとき、そこまで愛した人とそんな別れができるのかどうかは、果たして、約束はできませんね(爆!でもねぇ、若い頃は、次に生まれてくるときもまた一緒になろう、ってマジで思ったこともありました。正直言って1回か2回は本気でそう思ったことがある。今は?・・・・・・・「ノー、コメント(笑)」ってか、実際にその時になって見なきゃわかんないですよ、そんなことは(笑)それに次に生まれてくるときは、空とか海になりたいですね。空気とか。単なる「存在」ってのは良いなぁ~(笑)
2007年04月11日
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全国どーらくファンの皆様お元気ですか?2日間のご無沙汰でした。道楽親爺の役に立たないブログです(笑)実は日曜日からプロゴルファーのラリー・ネルソン氏が遊びに来ておりまして、なんだかんだと慌しい毎日で、どーらく日記もお休みしてしまいました。ゴルフに興味のない方にはまったく意味のない話だと思いますが、元全米チャンピオンのラリー・ネルソン氏は、なんと私が働いているゴルフ場の設計者なのです。(ふ~ん)かれこれ15年ぶりにサイパンにやって来たネルソン氏、少々肥られた感じですが、さすがにワールド・チャンピオンのオーラに包まれておりました。ってか、ゴルフに興味の無い人にとっちゃ、単なるおっさんでしかありませんケド(笑)でも、このネルソン氏、実はプロデビューは30歳過ぎてからなんですね。元々は建築設計士で、ゴルフは趣味だったそうなんですが、やはり天才とかいうやつなんでしょうね。全米チャンピオンの後もシニアでの優勝もしています。そして今回、殿堂入りを果たし、久しぶりに自身の設計したコースを見に来たのでした。仕事柄、私は日本のプロ・ゴルファーの方々と接する機会も多いのですが、このネルソン氏は中でもずば抜けてホンモノの紳士のひとりと言えます。物腰も穏やかですし、とにかく上品ですね。とかく日本のプロの皆様はどちらかというと、庶民的(笑)体育会系という感じなんですが、ネルソン氏はひじょうに育ちの良いご家庭に育ったという雰囲気をもっています。それでも、コース設計に来た20年前には、ジャングルやブッシュの中を開発スタッフを引き連れて歩き回ったりするほどの現場タイプ人間でもありました。もちろん私も一緒にコース予定地のジャングルを歩き回りましたが、レイアウトも自分自身がきちんとその場に立ってイメージを描いていましたから、俗に言う「名前貸し」の設計者ではありません。そんな彼の人柄が、やはりコースレイアウトに出ているのでしょう。お蔭様で、我がゴルフコースは長い間ゴルファーの皆様に親しまれています。今日はちょっと仕事がらみのお話をしてしまいましたが、やはり何かひとつのことを突き詰めた、頂点を極めた人というのは、ジャンルを越えて重みのある人生を背負っていますよね。単なるおっさんなんですけど、存在感がね、やはり違います。私もこんなおっさんになりたいと、結構本気で思ったりしちゃいましたね(笑)普段は単なるジジイ、見た目、フツーの何処にでも居るおっさんなんだけど、ちょっとした仕草に貫禄と言うか、プロの技が光る、みたいなね、そんな存在感のあるジジイに憧れてしまうのです。ヘラヘラしてるジジイのクセに、躍らせたらシブイ!みたいなね、そんなジジイになりたい夢見る道楽親爺なんです。そういえば、カッコよさの価値観も年相応に変わってきますよね。昔は、やっぱり外観ばかりに気を取られていたけど、この年頃になると、やっぱ中味も大事かなぁ、なんて思えるからちょっと不思議です。ってか、言ってるほどマジではないんですけどね(笑)そこらへんが道楽者の道楽者たる所以です。ああ、立派なジジイになりたい(爆!まあ、そこそこテキトーに遊び心を持ちつつ、歳を重ねて生きたいな、とシミジミ思う道楽親爺の今日この頃でした。(なんのこっちゃねん)
2007年04月10日
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え~、怒涛の時代を生きる道楽者の皆様コンニチワ~。今日はちょっとディスコ・サウンドのお話なんかしちゃいましょうか。1970年代にとぐろを巻いて盛り上がったディスコブームを振り返ることで、実はその時代背景と言うか、世界の歴史を垣間見ることができるのです。(なんちゃって)ひとつ言っておきますが、道楽者の与太話ですからあまり真剣に考えないように(笑)ってか、読んでる貴方も道楽者でしょうから、その心配はありませんか。え~、時代は確か1977年頃だったと思います。リズム&ブルースからソウル~ダンスミュージックというような流れで、音楽と共に変化して行った遊びの形態が「ディスコ」という新しいカテゴリーを生み出し、それが世界的な規模で拡がって行ったというのが皆さんご存知の定説です。(笑)っていうか、流行なんてものは元々そんなにしっかりした根拠があって出来上がったものじゃありませんから、正直言って本当のところは誰にもわからないのではないでしょうか。ただ、振り返ってアナライズしてみたときに、ああ、そうか、そういうことだったのか、みたいな理解をするということで、人それぞれが自分の歴史に注釈をつけて懐かしむ、というようなことだと思います。さて、前置きが長くなりましたが、その世界的なディスコブームを生み出すターニングポイントとなったのが、77年頃からディスコに登場し始めた「ロング・ヴァージョン」というコンセプトのレコードでした。今の若人にはわからないと思いますが、昔は塩化ビニールの円盤レコードを使っていたのですよ、ディスコでは(笑)それまでにも、いわゆるダンス・ミュージックというカテゴリーはありましたが、それはあくまでも踊りを目的としてはいるものの、やはり歌手やミュージシャンがきちんとした演奏(プレー)で人々を楽しませるという、根本的な部分はライブ演奏中心でありました。映画「レイ」とかをご覧になって頂ければお解りになると思いますが、日々の辛い現実を離れ、音楽と酒で憂さを晴らすため、人々はバーやクラブへ出かけて踊りを楽しんだのです。まあ、今も昔もやっていることにさほどの変わりはありませんけどね。ただ、この踊りが生活に密着していたという点では、やはり黒人音楽と黒人文化、後にSOULと呼ばれるジャンルが創り出した世界であることは間違いないことでしょう。そして、このライブをお手軽に楽しむ方法として、レコードという発想が生まれてきたのですね。まさに記録したものって意味で言えばピッタリです。いつでもどこでも、クラブのライブ演奏が楽しめる。つまり、バンドやミュージシャンが居なくても踊ることができるってことが、画期的な娯楽を生み出していったわけですね。もちろん、ここらからモータウンとか、スタックスとか、アトランティックとか、みなさんよくご存知のレーベル、今で言うベンチャー・ビジネスが肥大化していったわけです。ライブ演奏、こじんまりとした職人芸だったダンス音楽が、時代の技術に乗っかって大量生産され始める頃には、このレコードという商品そのものに価値が吹き込まれていったわけです。もちろん世界的な規模で「大量生産」=オートメーションの波が人々を呑みこんで行きました。途中省略(笑)さて、そのような流れで生まれてきたディスコですが、それまで黒人音楽に主導されてきた資本市場に、更なる大量生産のトレンドが生まれてきました。それが「ディスコ・サウンド」だったのです。ディスコのために作られたダンス・サウンド。あえてダンスミュージックと言わないのは、それが音楽として成立する前に、単なるサウンド(音)であるからです。音楽的な質や個性が表現される以前の「音」、それがディスコ・サウンドの本質でした。言ってみればメトロノームみたいなものです。万人に踊りやすく、シンプルでわかり易い。しかも長く踊っていられることを可能にしたレコード。それこそがディスコ・サウンドの真髄なのです。私が、初めて目にしたジャンボ・シングルと呼ばれる12インチのディスコ専用レコードは、レイフ・ギャレットの「ダンスに夢中」でした。その大きなシングル・レコードに針を落としてまず驚いたのは、間奏パートから始まるイントロが、その歌メロが出てくるまで少なくともフルコーラス分くらいはあったことでした。正直言って冗談だと思いましたね。どういう意味があるのか、まったく製作者の意図が読めませんでした。そして歌メロが終わると再び間奏パートが延々と続きます。品質や個性よりも、便利でお手軽な量産と短期回収サイクル。ディスコ・サウンドと共にディスコそのものも量産、大量消費の形態へと変化して行きましたね。飲み放題、食べ放題、大量収容、いわゆる薄利多売トレンドが世界を覆い尽くしました。そんな時代の幕開けから、今年でちょうど30年が経ちました。大量生産、大量消費は、確かに便利な世界、手軽な社会を実現することができたように思えます。あれから30年。道楽親爺は、初めてジャンボ・シングルを手にしたあの時の漠然とした思いが、今再びこの胸に湧き上がってきています。踊らせ続けるための「音」はエンドレスで続いています。メトロノームは「音」を24時間刻んでいます。その時々に歌メロが挟み込まれ、踊り続ける足を止めさせません。今日は表現がちょっと詩人ぽかったかなぁ~。(笑)
2007年04月07日
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全国の道楽者の皆様、また、不良中年の皆様こんにちは。非生産活動推進委員会がお送りする、あまり役に立たないブログです。今日も、道楽親爺のくだらないノーガキを読んで暇をつぶして下さい。(笑)厳しい毎日を生き抜くためのストレス発散、あるいは目まぐるしく動く資本経済の中で、ほんの一時の安らぎを感じていただければ幸甚と存じます。さて、当ブログが推進しております非生産活動とは、一般社会における社会的義務としての生産活動、いわゆる経済活動に対して非営利的活動における超自己満足行為であります(笑)これはどーゆーことかと申しますと、世間一般で言われるところのいわゆる、無駄なこと、無駄なものをせっせと生産する行為に他なりません。ん? 待てよ、無駄とは言えども、それじゃあ、結局は生産活動になるんじゃねーか、とおっしゃる向きもおありと存じますが、それは確かにスルドイご指摘でございます。(笑)人がこの世に存在するということは、原則として生産活動を伴うわけでして、人間としての生命体そのものが何もせず生きながらえることができない仕組みとなっている以上、人の行動全てが生産活動に当てはまってしまうのです。だから私は空気になりたい(爆では、この委員会が指し示す、非生産と生産の違いは何かと申しますれば、それは資本経済が定義する価値を否定する行為と、その価値を獲得するための行為というふうに大別された価値観の差なのです。早い話、その行為がお金を生み出す行為か、あるいはその行為自体がお金という価値に当てはまるかどうかということなのです。え~、長々とムツカシそうなノーガキをこきましたが、ここで実例をあげてご説明申し上げましょう。(笑)これは、昨晩、私が体験いたしました理不尽な行動に巻き込まれ、不毛な時間を費やしたお話でございます。昨夜、私は、たいへんに薄っぺらな人生を60年以上も生きてこられた(笑)、あるご老人のお誘いを受け、ご夕食を共にいたしました。ご老人は少々私よりも社会的に優位な立場でございますので、あまり波風を立たせたくない私は、言うがまま、されるがままのタイコ持ち状態、いや、軟禁状態にあったのでございます。忍耐強く、約2時簡にわたる人生訓を拝聴いたしまして、ああ、これが世の中の仕組みと言うものなのか、と半ば諦めつつ、頭の中ではアース・ウィンド&ファイヤーのレッツ・グルーブがエンドレスで回り、心はファンタジー宇宙の果てを飛び回っておりました(笑)「どうだ、○○君、わかるか?それが組織というものなんだよ」「いやぁ、ベンキョーになります」「いかにして現場の空気をマネージメントに取り込んでいくかということが・・・・」レッツグルーブトゥナイッ!~「だから、オレはね、こう言ってやったんだよ、取締役全員を目の前にして・・・・」「はぁ~、ベンキョーになるなぁッ~」「国土交通省がどう動くかと言うことがね、今後の我々にとって・・・・・・」レッツグルーブトゥナイッ~「○○君、ここんとこわかるかな?つまり日米航空協定がだね、成田の・・・・・・」レッツグルーブトゥナイッ~「どうだ、ちょっと歌っていくか?時間大丈夫?奥さんとか家で待ってたら悪いけど」断らないことを前提にした気配りの言葉を受けて(笑)、私は人権を蹂躙されたまま、いつもの某カラオケクラブへと突入していったのでした。あいかわらずこの老人は、百年も昔の場末のキャバレーで遊んでいるような退屈な駄洒落と下ネタ連発で、勝手に盛り上がっちゃあ、自分で大笑いしてご機嫌です。こーゆー時は、言葉が通じない分だけフィリッピーナの対応がプロフェッショナルに思えてくるから不思議です。私はといえば、愛想笑いも少々疲れてきて、この場を逃げるのは歌うしかないと判断し、ご老人のご機嫌をなるたけ損なわないように、古い演歌などをリクエストして歌ってごまかします。興が乗ってきたところで、この薄っぺらの老人にマイクをバトンタッチして、しばし寛ぎのひととき。(笑)ここで私は、ふとこの状況を分析してしまったのです。これは大きくジャンル分けすると、やっぱ生産活動の一環だよなあ。この百姓ジジイを接待しているこの行為は、長い目でみて会社に利益を生み出すための行為だから、結局はこれも経済的生産活動ってことだよな。と、ここまでは誰もが納得する屁理屈ですが、では、この無意味に流れていく不毛な時間はなんなんだ、という疑問が湧いたのでした。オレはなんでこんなアホタレジジイの相手をして、時間を無駄にしなきゃなんないんだ?まあ、大方の人が必ず一度は抱く疑問ですね(笑)でも、待てよ。じゃあ、これがもし家に帰ってて、道楽にこの時間を費やしていたとしたらどうなんだろ? 道楽は利益を生み出す行為ではないから、これこそオレの推進する非生産活動だけど、時間を無駄に使うっていう意味じゃ同じなんじゃねーか?う~ん、我ながらスルドイところを突いたようです(笑)レッツグルーブトゥナイッ~!!!!そうか、わかったぞぉ~!同じ無駄な時間でも、そこに価値を見出せるかどうかが道楽者としての分かれ道なんだ。(あーあ)長いことお付き合いありがとうございました。道楽親爺はこれからも、道楽者にとって価値ある無駄を一生懸命生産し続けていく所存でございます。(爆!
2007年04月06日
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最近ムチャクチャ忙しい道楽親爺です。先日も御紹介させてもらいましたが、今、ニュース・ブログを毎日書いておりまして、これがケッコウ大変な作業なんです。そりゃ、なんつったって英語の新聞を日本語に訳して、それをブログに載せようってんですから、それはもうジジイに乏しい能力の限界に挑戦しているようなものです。(爆)しかも毎日のことですから、かなりプレッシャーがかかります。元々プロの翻訳家でもなんでもない、単なるフツーの中年オヤジがチャレンジするには、ちょっとばかし無謀な試みかもしれませんが、始めた以上は何が何でも続けたいと意地を張るのが道楽者の真骨頂。とにかく行けるとこまで行ってやろうじゃねぇーかと、毎日、頑張るオヤジです。(また、髪の毛が薄くなっちゃったよー)まあ、こんな道楽だか仕事だかボランティアだか、わけのわからないゴチャマゼの生活ってのが、意外と自分にあっていたりして、妙な充実感もあったりするから面白いですね。それでもって、よしゃあ良いのに、今度は音声ブログなんぞをやってみようとか思ったりして、早速チャレンジしてみたのですが、これが中々、というかムチャクチャ手強いヤツでして、さすがにちょっと落ち込んでしまいました。戦友のテリー先輩を見習って、よおし、おいらもインターネットラジオとかやっちゃっうんだ、とか思い始めたらもう我慢できません。即行動の道楽者です。まあ、私の場合は音楽放送じゃなくて、この時事ネタをやろうってことで試行錯誤してたんですが、いうなれば、文章を書くより喋っちゃった方が早いだろうってことで、ひじょうに安易な発想、チープな試み(笑)、思い立ったらすぐやりたがる、野次馬根性、そんなとこで、昨晩、音声ブログのいろはをグーグルってみたんですけど・・・・・・・わからん(笑)まず、無料の音声ブログには登録したんですが、音声をUPする方法がわからず、とりあえず息子のReoをこっそり持ち出して、トイレにこもって「あー、テステス、マイク・テスト」とかやって録音してみたのですが、「あれっ?これってどうやってファイルにするの?」みたいな根本的な問題に即ぶち当たってしまいました。そこで再びグーグルって、エンコード・ソフトなる無料ソフトをダウンロードしました。そうだよ、MP3ファイルに変換さえできれば後は、ここにアップロードすりゃ良いだけじゃん、とすぐに立ち直って元気を出す若干52歳のジジイは再びトイレへ。(臭いヤツです)「オレをなめるなよ。これでも昔はディージェーなんかやってたオヤジだぞ。ベシャリはまだまだ負けねーぞ!(ってか誰に?)」とかブツブツ良いながら、「テス、テス、マイクのテスト、ワン、ツー」とか言いつつ録音再開。そんでもって、これを変換ソフトに入れれば出来上がり。なぁんだ、簡単じゃねーか、チキショー。これでオレもニュースキャスターだ。とか言いつつ、ファイルを開く。。。。。。あれっ?開けない。どないなっとるんじゃわりゃー!とReoに八つ当たりしてみてもなんの解決にもなりません。またもグーグルって、エンコードの仕方というページを見つけて読み始めること5分。チンプンカンプンで瞼が次第に塞がっていきます。苦手な状況に直面するとすぐに眠くなる性格は昔から(笑)ということで、結局昨晩はそのままGO TO THE BEDでした。(爆)今朝は本業が少し忙しかったので、なかなか動きが取れずも、ようやくニュース・ブログを終わらせ、今こうしてこれを書いています。ということで、テリー先輩他、IT熟練者の戦友の皆様、なんか良いアドバイスがあったら教えて下さい。私の場合は、音楽番組なんぞを作ろうとかいう大それた考えはまったくありませんので、とりあえず5分くらいの「おしゃべり」がどこかの音声ブログに乗せられれば良いだけです。え~、これから道楽親爺は戦友便り配信のためのCD用エンベロッブを探しに出かけます。今まで使ってたヤツ、すごく気に入ってたんですけど、在庫切れで代用品が中々見つからないのです。そんな事情で最近の戦友便りが少々遅れていますが、すぐに再開しますから少々お待ち下さい。今年のネタはちょっと渋めですよ。ご期待下さい。ってか、SOULネタもそろそろ尽きてきちゃったので、あとはROCK, JAZZゴチャマゼで行きます、なんつってもゴチャマゼ大好き野郎ですから。人生イロイロ、男もエロエロ、女だってパロパロ、みんなゴチャマゼ大好きよぉ~(笑)(注)パロパロというのはタガログ語で浮気者という意味です。本来の意味は蝶々(ちょうちょ)で、あっちの花、こっちの花と飛び回るから浮気者って表現らしいです。勉強になりましたか(笑)
2007年04月05日
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今日も私の地元サイパンのお話です。実は先日、息子の学校の先生が「舞台」に立つというので、毎度御馴染み道楽親爺の野次馬根性だしまるで(笑)、このお芝居を見に行って来ました。出し物はミステリーの女王アガサ・クリスティー原作の「そして誰もいなくなった」でした。まあ、とにかくイベントの少ない田舎の島では、こうした「舞台」で生の「芝居」を見るなんていう経験は中々できませんから、期待はせずともケッコウ盛り上がったりしました。会場は市営の多目的ホールですから、普段、子供たちがやるような学校のイベントほど貧乏くさくはないだろうとは思いましたが、いかんせん田舎の中のド田舎なもんで(笑)、どんなもんかなぁ~という一抹の不安もありました。そういえばよく日本の田舎で、村の青年団だとかが真面目なドラマを芝居にしてやったりしてますが、ひょっとしてそんなんかなぁとも思いつつ、でもアメリカ人のドラマだからなぁ、まあ、そこそこ見られるんじゃないかなぁとか、意外と楽しんでいるジジイでありました。ということで、開演は午後7時30分。息子は先生から前売り券を買っていたので、私と末娘の分は当日券を買います。せっかちな道楽親爺は7時15分に会場に到着。あたりを見回すも観客らしき人影なし。(ドキドキ)そこへ息子のクラスメートが数人現れ、ちょっとほっとしたのも束の間、開演時間までは会場の中に入れないと言われ、子供達を一緒に外の駐車場でグダグダすることになってしまいました。良い年してグダグダも疲れます。(笑)そんなこんなしているうちにお客もチラホラやってきて、少しだけサイパンのイベント・ナイトも盛り上がってきました。当然のことながら観客の殆どはアメリカ人です。しかも、ほぼ白人。っていうか、サイパンにBLACK AMERICANって凄く少ないんですよね。数えるほどしかいません。ってか、サイパン人自体がCOLOREDですから、別に違和感はないのですが、それでも白人ばかりが2~30人集ると、さすがにニッポン人のオヤジは圧倒されます。(笑)さて、入り口には白人のオバちゃん二人が受付をやっていて、手提げ金庫に現金を入れて当日券を販売しています。私が「大人1枚、子供1枚」と言うと、「あなたはXXのメンバー?」って聞くもんで、「いいえ、ちゃいます」と答えると、「メンバーになると30%割引になるわよ、入らない?」と言われてちょっとビビりました。というのも、こんなイベントは割と頻繁に行われていて、小さいながらもコミュニティが出来上がっていることを知り、更に、在住アメリカ人だけでも相当な数のメンバーがいることを聞かされて本当に驚きでした。へぇ~、サイパンもまんざら捨てたモンじゃないね、とわかったようなわからないような独り言を呟く道楽親爺でした。当日券を買うと、手作りながらケッコウ立派なパンフレットを手渡され、村の青年団による「劇団芝居」を想像していた私は、このコミュニティのイベントに対するその真面目な取り組みにちょっとビビったりしました。ということで、結局30人ほどのこじんまりした雰囲気の中で、このミステリーは上演されたのです。出だしはちょっと会場の雰囲気が馴染まず唐突なオープニングを感じさせましたが、冒頭の登場人物の紹介を兼ねたドラマの進行手順は中々のものだったし、役者さんの粒も揃っていて、正直言ってこりゃバカにできないなと思いましたね。大道具、小道具も、こんな田舎の島にしちゃ、よく創ったもので、舞台装置にもう少しお金をかければこれはこれで立派な舞台になると思いました。上演時間は約2時間半と長丁場でしたが、多少の粗はあるものの、後半は観客もドラマの中に引き込まれて、$15の入場料は決して高くはありませんでした。公演後、息子は先生と歓談したりして、少々興味が湧いたようでした。聞いたところによると、キャスティングにはオーディションがあって、応募者もかなりな数があったそうです。その中から主に舞台経験者が選ばれたとも言ってました。つまり、息子の先生も、教師をしながら演劇の道を目指しているようで、こうしたイベント企画は年に何度か行われているとのことでした。ようやく「カルチャー」というものが、生活の中に入りこんできたサイパン島の将来にちょっとだけ希望が見え隠れしてます。こうした文化的なイベントは、できるだけ感受性の強い時代の子供たちに見て欲しいとも思いました。つまり、ビンボーな国でも、こうした芸術?にお金を払う、つまり、芸術に触れることで生活に潤いを与えるという人生の余裕を体験する意義は深いと思うんですね。それにしても、アメリカ人というのはこうした文化活動はお手の物といった感じで、ひじょうに手馴れた段取りで行われたイベントに、アメリカ人の文化も垣間見たようで、私にとってもそれなりの良い体験が出来ました。
2007年04月04日
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4月3日午前8時現在、北マリアナ諸島は今年最初の台風Kong-Rey(コンレイ)が通過中です。今のところコンディション1で、強い風雨に覆われたサイパン島ですが、なんとか大きな被害は免れそうです。ということで、嵐の中で道楽親爺は今日もブログを書いております。さて、今日も昨日の続きで、我が家の長女の修学旅行のお話です。昨日はこの卒業旅行の費用集めの話をしましたが、最終結論として行く先を決めるについては相当な議論が行われたようです。まずは、みんなで言いたい放題、思いつきで選び出されたディスティネーションの第一位はニッポンでした。クラスのほとんどの子が夢のアキハバラ(笑)に行きたいと言ったそうです。昨日も言いましたが、娘のクラスは韓国人が多いので、特に彼らの意見が突出していたようです。「本物のオタク」を見たいとか、「メイド喫茶」に行ってみたいとか、「本物のコスプレ」を見たいとか、「コミケット」に行きたいとか、そんなんばっかりだったそうで、話を聞いていて、彼らにとって一体ニッポンってどんな国なんだろうと思いましたね、実際。(笑)アキバに行ってPSPとPS3を買いたいってのがほとんどだったそうです。第二位は香港でした。これは韓国人とフィリピン人他アジア系の生徒のリクエストだったとのことでした。特にフィリピン人は、香港ドルの為替レートと物価の安さが主な選択理由だったようで、昨日も言いましたが、すでにこの年齢で国際情勢などにも精通しているフィリピン人には頭が下がりました。(笑)それでも、学校は私立ですから、サイパンでは比較的裕福な家庭の子供たちなんですけどね。やっぱり、生活環境というか、人生についてはすでにシビアな見方を持っているようです。第三位は韓国で、理由は近いからってのと、韓国人が多いから安心っていうのがあったそうです。これは主に中国人の子からの声だったようで、逆に韓国人は香港や上海を希望したそうです。あとは、バリとかタイとかシンガポールとか、もう手当たり次第(笑)みたいな感じで、行ければドコでも良いなんていうウチの娘は出番がなかったみたいです。(笑)でもって、結局は集めた経費とにらめっこして、トラベル・エージェントに電話しまくって、インターネットで調べて、また銭勘定して(笑)、最終的にフィリピンに決定したのだそうです。まあ、決定的理由は、同伴してくれる父兄が他の国にはいなかったってことでした。(爆)しかし、よりによってフィリピンとはなぁ~、ってどこの親も思ったのではないでしょうか。ウチの娘の友達にもひとり、仲良しフィリピン人がいるのですが、なんでもそこの親に「あなたは日本人だから狙われ易いから気をつけるのよ」って言われたといって笑っていました。いったい自国のことをどう思っているのでしょうか?更に、別のフィリピン人の子の家に行ったときなどは、バッグの持ち方から、アクセサリーの付け方まで懇切丁寧に教えてくれたと言っては大笑いしていました。大切なアクセサリーは持っていっちゃ駄目。バッグは必ず前に下げてジッパーは閉める。現金は目立つところにしまってはいけない。財布も目立つように持ち歩かない。などなど。なんかスゲー国へ冒険に行くみたいですよね。(笑) どんだけ危ないんだよ、みたいな。何でもそこのウチの娘は、フィリピンに行くときは必ず現金は靴の中に入れておくと言ったそうで、そこでも笑いが止まらなかったと言っていました。それでなくともウチの娘は本当によく笑うんですが。。。ということで、出発前日まで、この「フィリピン旅行心得」が繰り返されたようで、すでに気分はもうマニラという感じですっかり出来上がっておりました。(笑)「お父さん、お小遣いは$150もあれば十分だって。それってフィリピン人の平均月収なんだってさ、あはは。だから1ヶ月暮らせるって言われた」コロコロと屈託無く笑い転げる娘は、そう言ってしっかりとオヤジから$150をせしめたあげく、「ペソの両替もね、100ドル札の方がレートが良いんだって。なんでも大きい札と小さい札じゃ両替レートが違うらしいよ」と教えてくれました。そして、道楽オヤジは彼女の航空運賃を近所のトラベル・エージェントに支払いに行って驚きました。なんと、航空券はサイパン-インチョン(韓国)-マニラだったのです。なんでも地元の格安航空券をグループチケットにして購入したのだそうです。「そんならついでに韓国で1日遊んでくれば良いじゃないか」って尋ねると、「うん、私は大丈夫なんだけど、フィリピンの子とかはビザを取るのが大変だから」ということで、結局トランジットで空港の中をウロウロするだけの辛い旅になりそうです。そして出発はなんと夜中の午前1時。さすが空港には子供たちの親が続々と結集してきては、名残惜しそうにしばしの別れを交わしておりました。みんな実に心配そうでした。なんか身売りした子供と別れるみたいな感じですか。(笑) 総勢20名ほどの妙な人種混成グループは、各自各国のパスポートを携えて真夜中のサイパン空港から飛び立って行ったのでした。オヤジは娘との別れに一言「いざとなったら金がモノを言う国だからな、金は適当に分けてあちこちにしまっておけ。いざとなったら金握らせればなんとかなるからな」と、いかにも父親らしい素晴らしいアドバイスで(笑)、愛する娘を何でもアリの素晴らしい国へと送り出したのでした(笑)。達者でなぁ~。腹が減ってもがんばれ~。ってか、ウチの娘は人一倍食いしん坊です。(笑) おまけに胃腸がやたら丈夫なんです。まあまず、そういう心配は無いのでしょうが、ちょっと南方系なもんで、ボーっとしてるのが今ひとつ気がかりといえば気がかりかなぁ。(笑)
2007年04月03日
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長女が卒業旅行に出かけました。いちおうサイパンも米国規準なので、学期末は6月末日で新学期は9月です。貧乏な国(島)なので、学校行事に修学旅行はありません。ですから、費用他全てが実費で生徒負担になるため、その年のクラスメートが委員会を立ち上げ、全ての行程を自分たちで計画します。まあ大体、最終学期の編成が終わると同時に、この卒業旅行の計画が立ち上げられます。もちろん前年度の卒業生の動きを手本にしながら、行く先を決め、予算を組んで、色々なFund raiseを行います。費用全額が生徒負担ですから、何とかその資金集めをするために「ファンド・レイジング」という寄付金プロジェクトが組まれるのです。洗車とかランチパックの販売、空き缶集めなどなど、とにかく地味ぃ~な活動で地味ぃ~な売上をコツコツ貯めていきます。(笑)そう聞くと「偉いやっちゃなぁ~」とか思われるかもしれませんが、その度に必ず父兄が駆り出され、結局は自腹を切って貢献したりするので、傍で見るより親の負担は大きいのです。洗車といえば、洗車用器具や洗剤など買わされ、ランチセールといえば、どんな中味のランチ(弁当)かもわからず前売り券50枚とかノルマを渡され(親父の時代のパー券売りより厳しいぞ)、空き缶集めなどは、新聞に清掃ボランティアなどと学校の宣伝を載せて一般人の参加を募ったりします。ってか、そんなボランティアに参加するのは父兄位のもので、結局はおとっつぁんやおっかさん、ねーちゃん、にーちゃんなどが駆り出され、早朝から海岸周辺をゴミ袋を手にウロウロします。(笑)でもって、これは学生ボランティアってことで、拾い集めた空き缶や廃物は市が破格(ってほどでもないですが)の値段で買い取ってくれたりします。とまあ、そんなこんなで、いちおう学生なりに自力で目的を達成させるという、別の意味での主体性教育のようなカタチになりますので、これはこれで意義のあることなのかもしれませんが、親は大変です。(笑)そんなわけで、我家の長女のクラスは韓国人のクラスメートが多かったので、ランチパックがやたらと多かったですね。何故かって?そりゃ韓国人の家庭で作る焼肉(いわゆるバーベキュー)は、そりゃなんつったって万人に知れたテイスト(笑)ですから、順調な売上を確保できます。親は良い迷惑かもしれませんが、熾烈なセールス戦争を勝ち抜くためには、やはり「味」が勝負なのです。(笑)どこの学校も、資金集めの方法は同じですから、週末ともなるとビーチ沿いのハイキング・ロードにはランチパック・セールの看板がアチコチに並びます。ドライブスルーよろしく、駐車しやすい場所の取り合いですから、この場所取りのための先発隊なども組織されます。(笑)何故かこのランチセールスの一等地が我が家の前なので、我が娘はしょっちゅう朝4時起きで場所取りに出動させられました。ある時は、某高校が店を出すらしいとの情報で、なんと泊り込みで場所を確保なんてこともありました。(笑)まあ、ウチの娘は親の血を引いてますから「ランチ作るの手伝ったり、道路で弁当売りさせられるよりこっちの方が楽だもんね」などとノタマッテおりました。(笑)さて、そんなこんなで集めた資金ですが、想像通り、たいした資金補填にもならず、結局旅費は親の散財となったのでした。(あーあ)そんな親の苦悩も知らず(笑)、子供たちはデスティネーションについてあれやこれやの意見が飛び出し、中々まとまりません。韓国、中国系の子たちは日本を希望し、フィリピン他のアジア系の子は香港ディズニーランドとかを希望したそうです。一見、子供らしい考えのように見受けられますが、これがまた実に国の色が出ているのです。フィリピン系の子供たちは、もうすでに経済感覚が鋭くなっていますから、自分達の家の経済状況や、旅費、通貨の為替レートなど、色々な情報を基に意見を述べているのです。対して、韓国、中国系は、それなりの国家経済力の上で育ってきていますから、ある程度のワガママは可能と考えつつ、本当に自分たちが行って遊びたい場所を選択しています。(この年ですでにこれだけの差があるんですよ)でもって、最終的には全体の経費バランスを考慮して(笑)、フィリッピンになったようです。(まあ、当然っちゃ、当然だよね)安いから。(爆!あとは、ビザの問題もあったんですけどね。韓国人、中国人の中にはUSシチズンを持っていない子もいたので、選択肢が相当絞られてしまったようです。あとは、フィリピン人生徒が何人か居て、そこの親が同行するというような話しでまとまったようでした。だって、この旅行に先生は参加しませんからね。(笑)ホントですよ。生徒が計画した、自分達の自分達による自分達のための旅行なんです。この話、続きがあるのでまた明日。。。。。。
2007年04月02日
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