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昨日のノリでついでに韓国映画もいくつかご紹介しておきましょう。といってもこちらはVIDEOで見たものだけですから、日本在住の皆様より数は非常に少ないと思います。私が一番初めに見たのは、板門店国境で働く兵士の友情のお話でした。見たのはだいぶ前なのでちょっとタイトルを忘れてしまいましたが(38度線とかいうたいとるだったかなぁ)、板門店国境で働く北朝鮮の兵士と韓国の兵士がひょんなことから知り合って友情が芽生えていくお話です。まあ、ちょっと考え難いかなとも思えますが、実際に元々同民族だし、あり得ないことではないかとも思います。ドラマの視点は韓国側兵士からの方に重点が置かれていますが、閉鎖された国、北朝鮮の軍内部の映像表現がちょっとリアルでした。韓国人特有の(日本風に言えば)義兄弟の契りを結んだ両国の兵士、さらにその兵士たちも互いに兄貴分、弟分のような持ち、これらが国境線で酒宴を開いたり、民主主義と共産主義のイデオロギーについて議論を戦わせたりしていくうちに、遂には自分達の越えられない一線にまで到達してしまうのですが、思想教育の怖さも十分に理解できますし、同胞としての民族意識との葛藤なども私のような平和ボケしたニッポン人には多少刺激になりました。ネタバレしてしまうのでエンディングは言えませんが、当然敵対している国の友情話なのでちょっと悲しい結末を迎えます。私個人の感想としては、これはその昔夢中になって見た東映の任侠映画に近いと思いました。国は違えど男同士の友情っていうのは概ねこんな感じなのでしょうか。ちなみに、太古の昔から戦士はホモで繋がっていると何かの本で読んだことがありますが、軍という閉鎖された中で同胞を殺戮する非日常世界では非生産的愛情(子供を生まないという意味で)によって戦意高揚を実践したらしいです。まあ、いってみればこれは効率的に殺戮を行う人間の闘争システムのようなものでしょう。って、またちょっと話が飛躍してしまいました。バイオレンス系が苦手な人でも、テーマは国家イデオロギーと男の友情の話ですから隣国の歴史を知る意味でも一見の価値はあると思います。さて、次の映画はこれも残念ながらタイトルをわすれてしまったのですが(それじゃ探しようがねぇーじゃん)、こちらは最近の韓国の若者の恋愛青春映画と云う感じのドラマでした。映画のプロローグを見たときは、最後まで持つかなぁと思ったのですが、これが案外良かったので今でも印象に残っています。物語は録音技師のプロを目指す主人公の青年と、ラジオ番組のパーソナリティをしている女性の出会いから始まり、その愛の行方とそれぞれの日常の生活の中での二人の葛藤が淡々と描かれています。本当に淡々とした映像で、恋愛ストーリーながら大したメリハリもなく大そうなクライマックスもありません。ただ、若い韓国人の日常生活が自然と伝わってきて、私にはそれがとても好印象でした。人を恋する気持ちとか、思春期の不安定な精神状態はどこも同じだなぁと思ったのと、この青年の家族の、その家庭の日常の中に韓国人の精神的な構造や習慣などが滲み出ていて、やはり若者は古いものを否定しながらも、親の生き方を踏襲していくような形は、私が育った日本の環境とも似ていて共感が持てました。彼女のマンションに通うようになった青年が、次第に彼女のペースで生活を翻弄されていく姿は、誰しも経験のあるほろ苦いラブロマンスの想い出が蘇るのではないでしょうか。なんか昔にこんな質感の日本映画を見たような気がして、非常に親近感が沸きました。最後は男の子から大人の男へとなっていくところを、さわやかに表現した映像で終わります。三つ目の映画は「ブラザーフッド」(ようやくタイトルが出ました)この映画は日本のメディアでも大きく取り上げられていたので、皆さんもよくご存知かと思います。でもって感想ですが、正直言って「プライベート・ライアン」の韓国版みたいな感じでした。とにかく戦闘シーン、殺戮シーンがやたらとリアルで、しかも朝鮮動乱(南北戦争)の話ですから歴史をよく知らない人にはたぶん実感が湧いてこないのではないでしょうか。兄弟愛のお話なのですが、どうも私には信憑性が欠けている様に思えてなりませんでした。兵役に引っ張られるところにしても、兄さんの嫁さんが巻き込まれるところにしても、本当かなぁって感じでした。確かに韓国国内の赤狩りは相当なものだったと想像が付きますが、どうもストーリーが強引すぎてドラマにのめりこむことができませんでした。ということで、バイオレンス系の苦手な人にはお薦めできません。しかし映像的なテクはかなり素晴らしい出来で、戦闘シーンは、本当に怖かったですね。ついでにもう一本、「猟奇的な彼女」、これも日本ではかなりのヒットを記録したようですが、確かに面白かった。ドラマとして十分楽しめる娯楽作品です。こちらも最近の韓国の若者の日常がふんだんに出てくるので、興味深く見ることができました。最後の「泣き」もきちんと計算されていて、十中八九観客はハマるだろうなと思いましたね。役者が良かったというのもあるでしょうね。この女の子の奔放な表情が素晴らしく、実際にはあり得ないようなシーンでも、うまくドラマのエピソードとして表現されていました。なんとなく日本も韓国も最近は男の子が女の子に引きずられる時代なのかなぁ、なんて思ったりしましたが、日・中・韓のボーダーラインはすでに若者の手によって崩されているような気がした映画でもありました。あと、ホラーも何本か見ましたが、かなり出来の良い作品があるので、ホラー好きな方は韓国映画も中々ですよ。猟奇殺人をテーマにしたサスペンス仕立てのホラーがあったのですが、これも残念ながらタイトルを忘れてしまいました。(またかよぉ~、それじゃ紹介になんないじゃん)署内でちょっと浮いた刑事と、定年間近の刑事のコンビがバラバラ死体事件の捜査に向かい、浮かび上がった容疑者の美女二人を追っていくというストーリーなのですが、プロットもしっかりしているし、映像も凝っていてかなり怖い見せ方をしてくれます。最後のどんでん返しのたたみかけ方には、かなりのセンスを持った監督だと思いました。え~、タイトルがあやふやで紹介になりませんでしたが、そのうち調べてご報告させてもらいます。レンタルショップ行けばわかると思いますケド(こらこら)、最近の韓国映画は本当に素晴らしいです。
2006年01月31日
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昨日は中国暦の旧正月、春慶節でした。毎度お馴染みの爆竹やら花火やらで賑やかな日曜日となりました。私も仕事柄、華人協会のパーティーなどに呼ばれ、多忙な一日でもありました。今年は戌年で「FIRE DOG」の看板がアチコチに掲げられ、レストランではウェイトレスが正装のチャイナドレスに身を包み、中々色艶やかなおねーちゃんたちを見て久しぶりに道楽者爺は鼻の下をなが~く伸ばしたりもしました。いや~、普段から顔見ている娘たちなのですが、やはり鮮やかな色のチャイナドレスを身にまとうと見違えるほど輝いて見えるのはなぜでしょうか。やっぱり日本人も着物で正装すると見違えたりするのでしょうかねぇ。ということで家に戻ったのは夜の8時過ぎで、結局ブログ日記はお休みしてしまいました。中国気分に盛り上がったついでに昨夜は中国映画のDVDを目一杯借りてきて、オールナイトで見まくりました。相変わらずお調子者の道楽者は何でもやることが極端です。でもって、殆どの映画に登場する女優がチャン・ツィーで、最新作の「SAYURI」にも日本人役で出ているというから驚きです。なぜか我娘は「SAYURI」だけは許せないと憤慨しておりました。「中国人や韓国人が日本人を演じるのは許せない」そうで、根本的には彼女の学校でこの映画が話題になっていて、芸者とか日本文化についての質問攻めにあってゲンナリしていることが原因のようでした。我娘はMade in Saipanですから、日本の文化といっても知識は非常に乏しく、しかも学校には日本人生徒が彼女しかいないため、相当にめげているようでした。特に韓国人、中国人のクラスメートは最近の日本文化に異常に興味があるようで、ジャニーズ系の情報からアニメ、ゲーム、オタク関連、最新歌謡ヒットなどの情報にやたら詳しく、彼等の質問に答えられないと、「貴方本当に日本人なの?」とか言われるそうで、そこに持ってきて今度は外国人が作った日本映画ですから、彼女にしてみれば良い迷惑のようです。さて、映画の方は、まず最新作「WHITE DRAGON」から見始めました。これは盲目の刺客と美女剣士のラブストーリー系アクション、ちょっとコメディみたいな物語で、子供たちは途中から席を立ってしまいました。「中国映画はすぐに空を飛ぶからイヤなんだよ」と息子が申しておりました。「コメディならコメディで少林サッカーとかKUNG FUみたいにバカバカしければ見られるのに、これは中途半端だよね」と娘はブツブツ言って退場しました。ということで、続いて第二段は「ラバーズ」です。これは奥方が金城君のファンなので再びお茶の間に全員集合して見ました。息子曰く、タランティーノだからどうせデタラメな話になるよ、の解説どおり、非常にわかり易いストーリー展開ではありましたが、やはり凝った映像はそれなりに楽しめました。中国的スパイ映画というか、どんでん返し乱発映画というか、一体何が言いたいんだ!って怒りたくなりましたが、「金城君がカッコいいからこれでいいの」という奥方の一言で全員納得した映画でした。メインキャストは3人ですが、チャン・ツィーの相手役が金城君じゃなかったらつまらなかっただろうなぁ、というところで、そんな映画でした。ひつこく第三弾は「グリーンディスティニー」。これはまた凄かったですね。竹やぶの中の殺陣とか、城の塀を横歩きしたり、空飛んだり、とにかく見せ場がやたら多くて、ストーリーはともかく見てて面白かったです。その昔初めてスーパーマンを見たときの感じに似ていました。これは映画の大型スクリーンで見たらもっと面白かっただろうなって思いました。しかし、映画の内容について書く気が起こらないのはなぜでしょう。トドメの第四弾はがらりと変わって「初恋が来た道」。なんとこの映画こそがチャン・ツィーのデビューだそうで(娘談)、これは非常に真面目な典型的中国映画といった感じでした。日本だったら、さしずめ山田洋二監督あたりが撮りそうなドラマですね。中国の片田舎(といっても、もう凄まじいほどの田舎)に帰郷した青年の語りから入るのですが、映像はモノクロから入っていきます。青年は年老いた母に会うため久しぶりに故郷に帰ってくるのですが、その母親が父親と出会った話をナレーションするところから、映像は過去のドラマへと入っていき色がつきます。過去が現実として生きているという意味でカラーになるのでしょう。母親の思春期時代を演じるのがチャン・ツィーです。彼女の村に学校が出来、都会から先生がやってきます。この道がタイトルの初恋が来た道なんですね。まあ、ストーリー的には誰もが想像つくような、村の娘と都会からやって来た先生の恋物語なんですが、途中で文革(毛沢東の文化大革命)の影響ですったもんだがあったり、娘の母親の持病(目の病)で苦しんだりとかがあって、淡々とした生活の中で芽生えた恋が彼女の人生の全てであったことを、その息子があらためて理解するというような大変心温まる映画でした。しかし、このチャン・ツィーは素晴らしく輝いていました。この後、アジアン・ビューティとして脚光を浴びていったようですが、この映画で見る彼女の表情は最高です。さすがのファンキーじいちゃんも久しぶりに胸がキュンとなりました。先に見た三作に登場するチャン・ツィーはありきたりの女優に成り下がってしまったような気がします。この順番で見て良かったなぁというのが実感です。もし一番先にこの映画を見ていたら、後の三作は10分持たなかったと思いますね。で、最新作の「SAYURI」に彼女が出ていることを想像すると、う~ん、やっぱなんとなく想像がつくって言うか、日本人だからこそ見たくない気がしますね。娘のアドバイスも納得します。ちなみに娘の親友は香港チャイニーズでスマップのファンです。(関係ないか)我娘は「少林サッカー」とか「KUNG FU」とか大好きですが、親友の香港娘はあまり好まないようです。どうもこのあたりの感覚がお互いに文化の誤解というようなもので認識されているような気がします。香港娘曰く、ジャッキー・チェンは香港人のアイドルだけど、マンダリン(本土)の映画はつまらないし、少林サッカーのあの程度のギャグで笑う中国人はアホだ、そうです。娘も「日本をデタラメに表現する外国映画を私は見ない」と、学校でノーガキかましたそうです。ちなみにタランティーノのキルビルは日本オタクの子供たちには妙にウケてましたが、我家では総スカンを喰いました。息子は「こんなデタラメなことやって良いの?」などと言っております。以来、タランティーノの名が出ると、今度はどんなメチャクチャやるの?って感じの監督として位置付けられているようです。でもこうして米国以外の外国、特にアジア系の映画を見るっていうのは面白いものですね。余談ですが、一時話題になった「踊るマハラジャ」ってインド映画を見たときは、もうこれは完全なギャグだと思いましたね。はっきりいってワケわかんない。それとひとつ驚いたのが、インドでは俗に言うマイナーなメロディが明るく楽しいメージャーとして捉えられているということでした。これにはびっくりしました。アクション映画のようなメロドラマのような物語の中、突如ミュージカルのように主人公が歌いだしたりして、しかもブルージーなマイナーな楽曲なのに、どうも踊りは妙に派手な振り付けだったりと、もうファンキー爺の許容範囲を完全に越えてしまっていて、ただただ圧倒される映画でした。そこでこの疑問を晴らすため、この映画で使われていた哀しげなマイナーの曲をコピーして、インド人スタッフに聞かせてみました。「この音楽は哀しい音楽だろ?」「えっ?これは楽しい音楽ですよ」「そうかなぁ~、オレには哀しい曲に聞こえるんだけど」「いやいや、これは皆で楽しく踊る曲です」う~ん、わからない。世界はひとつ、音楽の感覚は皆同じだと思っていた私もまだまだ鼻タレ小僧だったのでしょうか。そこで、日本の演歌「津軽海峡冬景色」をインド人に聴かせてみたら、「これは楽しい曲でしょ?」だって。これは本当に驚いた。メロディーを認識する感覚は万国共通ではなかったのです。恐るべしインド人。もひとつオマケに、踊るマハラジャで喋っている言葉は地方によって吹き替えが入っていて、ヒンズー語(共通語)が通じないところが沢山あるとのことでした。
2006年01月30日
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この2日間はやや社会派ブログの様相を見せました非生産活動推進委員会でございましたが、熱しやすく醒めやすいという非常にわかり易い道楽者根性は相変わらず健在で、ころっと変わって今日のテーマは「快感」についてです。皆さんは大麻で翔んだことがありますか?って、いきなり突拍子もない質問ですが、その昔「なぎらけんいち」さんというフォーク歌手が歌った替え歌がありました。(シャボン玉の替え歌です)「○○飛んだ、大麻で飛んだ、大麻で飛んで弾けて消えた~」この○○の部分が当時大麻不法所持で逮捕された某芸能人の名前が入っていました。(すでに遠い過去の事件となりましたが、一応実名は伏せておきます・笑)大麻に限らず麻薬というのは脳内で分泌される覚醒物質の代用品というか、擬似物質にすぎず、しかも実際に分泌される覚醒物質は麻薬の数十倍、数百倍の効力があるそうです。(私はガッコの先生でもハカセでもないので、これは学術書等からの受け売りです)ということは、人間はこういった薬物を使わずともかなりテンションの高い覚醒が自身で行えるというわけです。まあ、ヨーガとか気孔とかがこういった能力を活性化させる方法であることは皆さんもすでにご存知かと思います。ではなぜ人は覚醒を求めるのでしょうか?おぼろげながら幼児期の体験を遡ってみても、目を瞑ってグルグル廻ってパッと目をあける遊びが流行ったり、ちょっと危ない遊びでしたが首の血管を締め付けておいてクラっと貧血状態を起こしてみたりと、かなり早期の段階から意識の変化を潜在的に求める性質が人間には備わっているように思えます。えー、つまり人間は、意識の変化が快感に繋がるということを潜在的に知っているということではないでしょうか。そして人間が生存する原理と申しますか、その根源は、快感の追求ではないかと思うわけです。人は快感に向かって進んでいる、というか、快感によって導かれているばかりでなく、その快感の作り方も知っていると思えるのですね。一番身近な例で言うとスポーツなんてのがそうじゃないでしょうか。きついハードトレーニングを耐えるのは、その先にある快感を知っているからこそで、忍耐が重ければ重いほど快感は増幅されます。更に突き詰めていくと、人間の脳機能の約80%はSEXによる快感を意識しているようで、残りの20%くらいが実生活のために使用されているというデータもあります。そして「だから人はパンツを履いた」という素晴らしい理論があります。つまりパンツを脱ぐ快感を知っているからこそ、あえてパンツを履いたということですね。詳しくは栗本慎一郎先生の「パンツをはいたサル」および「パンツを捨てるサル」をお読み下さい。(私は二十二年前にこの著書に触れて以来栗本先生を師と仰いでおります)更に栗本先生は独自の「パンサル理論」でこうも述べておられます。「人は破壊(蕩尽)して快感を得るためにモノ(過剰)を造りだしている」これもやはり、誰もが幼児期の体験にあるように、積み木をせっせと積み上げていった後一瞬にしてこれを破壊して恍惚となる行為に象徴されています。ということで、文明文化は破壊することを目的として積みあげられていく、という恐ろしい結論に達するわけです。う~ん、それじゃ救いがないじゃないか、とおっしゃるでしょうが、そうです、我々に救いは無いのです。(キッパリ)したがって、我々道楽者の使命はこの救いのない「パンツ」を捨てることであり、快感を増幅させる脳内物質のコントロールを自ら行える「ヒト」としての次のステージに備えることなのです。なこと言われても意味がわからない?そうです言ってる私だって分からないのですから、貴方にわかるはずがありません。そんなことを解ってるくらいだったら、こんなトコでくだらないノーガキを書いてません。今日私が言いたいことはただひとつ、人間の「生」の根源はすべて快感に支配されているということなのです。それは全て「欲」という言葉でよく表現されています。くだらねーシャレ言ってんじゃないとお怒りにならずよく考えて下さい。欲求があるからこそ行動を起こすので、意識しようが無意識であろうがヒトの行動の全てをコントロールしているのが快感に導かれた欲なのです。これ以上この話を続けると危ないカルト集団のようになってしまいますので、ここから先は皆さんご自身でお考え下さい。いくら非生産行為が好きだからと言って教祖さまになりたいわけではありません。ということで、快感なくしてヒトは存在せず、その快感を次から次へと生み出しては進んでいくヒトという生き物が貴方なのです。さあその先には一体何が待ち受けているのでしょうか?つらい日々の現実に直面したときには、是非ともこのテーマで道楽者の脳活動を活性化させて下さい。ただし覚醒作用を起こす脳内物質の分泌が極端に増えすぎるとコントロールが効かなくなり、脳内に溢れ出した強度の覚醒物質によって四六時中快感に浸っている状態となり、恍惚のヒト、廃人と化す恐れもありますので、ドラッグも含め、あまり快感を追求しすぎると命取りになりますのでお気をつけ下さい。そのままシヤワセに昇天されたいという方も、くれぐれもご親族や友人、隣人の方々の迷惑とならぬようひっそりと逝っていただければ幸甚と存じます。(いや~、タメになる道楽者の与太話だなぁ~)まじめに興味を持たれた方は養老孟子先生の「脳」シリーズをお薦めいたします。「バカの壁」とか「さかさめがね」とか「涼しい脳味噌」などが読みやすく、脳髄を刺激してくれる著作集でございます。値段もお手頃です(^o^)
2006年01月28日
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いやー、こんなにライブドア事件について皆さんの関心が高いとは驚きです。このブログの昨日のアクセス件数は開設以来最高を記録しました。単なる道楽者爺のノーガキがこんなに沢山の方に読まれていると思うと、道楽者オヤジとしては更に調子付いて与太話を繰り返せざるを得ませんね。ということで、今日はせっかくですからファンキーじいちゃんの推理というか、考察を加えた幾つかのキーワードも提示しますので、これからの新聞記事やニュースを見ながら皆さんご自身で「あーでもない、こーでもない」と独自のノーガキをコイて楽しんで下さい。まず、今回の事件はかなり前から地検が追っていたはずで、ホリエモン氏が昨年の衆院選で広島六区から立候補したのも、司法の手が入ることを想定してのことだったと思います。このあたりの顛末は新聞でも報道されているように、自民党武部幹事長の二男と友人関係にあったホリエモンを自民党が刺客として送り込んだのは間違いないのですが、自民党でも地検特捜部の動き、情報は察知していたはずですから、党の公認も推薦も行わず、ただ亀井氏には自民党が絵図を描いたということだけを示したいがために、自民党本部で武部氏がホリエモン氏を紹介するという妙なパフォーマンスが行われました。落選後のホリエモン氏は自民党に保身を願ったようですが、もちろん司法の手が入ることを知っていて党員にするなどリスクを犯す自民党ではありません。ホリエモン氏逮捕は時間の問題というところで耐震強度偽装事件が浮上し一気に流れが変わります。この事件も皆様ご存知のように創価学会=公明党が深く関わっていますから、自民=公明連立政権を揺るがす大事件として野党が突っ込まないわけがありません。国会喚問もある時点を境に急にトーンダウンしていったのは何故でしょうか。メディアも相当にこの事件の暴露記事をせっせと載せていましたが、なんとなくうやむやのままここに来て、世間が最も喜ぶ大スキャンダルの登場です。すべては「裏取引」というきちんとした資本社会的力関係が作用していることは明白ですね。司法、政界、メディア、金融といった世の中の動力は、自らの利益のためにしか動きません。ということで、私はガッコの先生でも評論家でもありませんから、単なる爺のノーガキということで、これは皆様への社会を楽しむヒントとしてご提供したまでですので、あとは皆様が独自の調査なり、考察などを加えて楽しんでいただければ幸甚と存じます。もうひとつだけ、ホリエモン氏の気になる発言がありましたので付け加えておきます。「カネさえあればなんでも買える」「カネは家系や民族で人を差別しない」えー、ほぼ間違いのないご指摘とは思いますが、道楽者オヤジはこの「差別」という単語が非常に気になります。特に家系とか民族とかいうこだわりは何かを示唆していると思えてなりません。東大まで行ってなぜにこのような発言をなされるのか、ファンキーじいちゃんはその彼の背景が非常に気になります。大手マスコミも含めニッポンの一流企業では公安警察からの情報を得ているでしょうから、どんなに高学歴で優秀な学生であったとしても、テロを支援する国や独裁国家あるいは日本を敵国とみなす国の籍を持つ者や、過激派グループとの関連が認められる者の就職は不可能です。これを差別というかどうかはわかりませんが、私は国体を守るという意味においてこれは差別にはあたらないと思います。結構マジなノーガキになってしまいましたが、最近やたらと頭でっかちの若者が増えている反面、大事な身体に簡単に落書きしてしまう子供たちもいたりして、おかげでじいちゃんの脳はハイパワーで回転し続けて益々ファンキーな折り返し人生を楽しむ「道楽」が増えて嬉しく思います。
2006年01月27日
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連日ライブドア事件が巷を賑わしておりますが、毎度のことながら公開処刑のようなマスコミ・メディアの姿勢もなんとかならないものでしょうか。クズのような情報ばかり垂れ流して「ジャーナリスト」を気取るヘタレたちを見ていると、どうもへそまがりの道楽者根性が頭をもたげてきてしまいます。小学生だって「良い」「悪い」の評論くらいできます。毎度お馴染みの「犯罪者」の経歴などをこれ見よがしに垂れ流しては「内面に迫る」とか言ってますが、単なる与太話以外の何ものでもなく、「世論」などというカッコ良い言葉でカムフラージュした風評をさも正論のように流布する姿は、他人事ながらムカつくばかりの今日この頃です。(笑)大体、街頭インタビューなんてものがお笑い種ですよね。「さ~、仕事も終わったし一杯飲みに行くぞ~!」ってなヤツ捉まえて、「ライブドア事件をどう思いますか?」って、「う~ん、やはり虚業に踊らされたってことじゃないですか」だって。そんなこと聞いて何か意味があるのかって感じですよね。一般庶民にとってはそれが良いことでも悪いことでも、大方の人が羨ましがっていたわけで、ここに来て「ざまーみろ」ってのが本音じゃないでしょうか。ホリエモン氏は日本株式会社の構造から飛び出したところで博打を打ったんだから、構造の中にいる奴らにそれをどうとか言う資格なんてないし、そんなこと聞いたところで何の役にも立ちません。相撲で言えば幕下力士が横綱の相撲を評論するようなものだし、野球で言えば二軍選手が一軍の監督を批判するようなものです。どうせマスコミも今やエンターティナーなんだからジャーナリズムの精神を貫いて、とことんイッっちゃったレゲエのおじさんとかに聞いてみるとか、ダンボール生活している人達に聞いてみるとか、あるいは楽天とかに行って「おたくは大丈夫ですか?」とか、下世話な話にした方がウケると思いますね。まあ、一番怖いのはこの風評というか世論とも言えない世間の流れですね。「世間」という実体のない塊に翻弄される現実とその「世間」の後押しをするメディアが非常に怖いです。そういう点で見れば、ライブドアも「世間」を相手に商売して「世間」によって裁かれるという面では妥当なのかもせれませんね。しかし、ホリエモン氏はやっぱ自民党に守ってもらいたかったんだろうなぁ。あの摺り寄り方は異常でしたものね。でもさすがに老獪なおっさんたちですから、成り上がりの若造とでは勝負になりませんでした。OUT OF LAWで頂点を目指したホリエモン氏ですが、体制のシステムに食い込む方法までは緻密に計算できなかったんでしょうね。ということでジャーナリストを気取るメディアのアホタレのみなさん、ジャーナリストとは何かということをもう一度よ~く考えて記事を書いたりルポを作って下さい。いくら姑息な錬金術を心得た若者だからって、資金が無ければここまで大きくなれなかったはずです。こんな単純なことすら報道されてませんね。子供だってわかりますよ。金のなる木でも持っていたんでしょうか。10円で博打打っていきなり一千万円勝ったりしませんよ。では一体この資金は何処から出て来たのでしょうか?国立大学まで行ってエリートコースに乗れなかった理由は一体なんだったんでしょうか?疑問は数多くありますね。ここらの話をきちんとマスに乗せてこそジャーナリストと言えるのではないでしょうか?ところで姉葉さんは今どうしているのでしょう?小嶋社長はどうなったんでしょうか?こっちの問題こそ一般市民の街頭インタビューで、もっともっと世間を騒がせなければいけないような気がしますけどね。目先の利いた若造が一攫千金狙って金儲けした話より、もっともっと身近な問題だと思うんですけどね。貴方の住んでるマンションは本当に大丈夫なんですか。ということで道楽者のみなさんは元々、資本主義社会では不真面目に生きている方々ですので、道楽者らしく無責任なギャラリーとなって今後の展開を楽しみましょう。(^0^)この記事を評価する
2006年01月26日
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最近古いカセットテープの音源をCDにコピーする作業にはまってしまいまして、せっせとオリジナルCDを制作している道楽者です。20年前、日本を脱出するときに所有していたレコード・コレクションは全て処分してしまいましたので、今手元にある昔の、懐かしのサウンドはカセットテープだけです。それにしても、これらのテープは時代を経て音源は劣化し、更に家庭のゴミとして不当な扱いを受け、いつくかは処分せざるを得ないという悲しい末路を辿ったのですが、ここに来てようやく大きなスペースもとらず保存する方法がみつかり、ファンキーじいちゃんは毎晩シコシコとCD作りに励んでおります。その昔のバンド練習一発録音テープやら、ディスコのDJ中に録音したものなども混ざっており、久しぶりに聞く当時のデタラメ人生が蘇り、大変懐かしい世界に浸ることが出来た数日でした。しかしこうして時代を振り返ってみると、当時のディスコで実際に自分が選曲していた曲も実際にはしっかりとした記憶がなく、最近復刻された当時のヒットソングから記憶を手繰り寄せるような感じで、一般的なヒット曲に集約されていってしまうのですね。そこでずーーーーっと古い記憶を辿りつつ、当時のディスコでよく掛かっていた曲ながら、生き残っていない中堅ヒット曲の掘り起こしをしてみたいと思います。もちろん音源も今更手に入らないので、本当に私の心の中にしかないヒットソングです。まず、私の記憶の中で強烈な印象を持っている曲がひとつあります。「アイエアムワナ」アイエ(AIE)とかいう邦題でリリースもされたアフリカンビートのダンスナンバーで、「ア~イエ、アムワナ~」って女性コーラスから入っていく曲でした。スワヒリ語だかなんだかようわかりませんが、ちょっと趣のある感じのメロでビートはチャチャ系だったと思います。アフリカンビートでは「ソウルマコッサ」っていうのもありました。「ママコ、マコ、マコッサ~」ってお経のような歌が入った民俗音楽風な曲でしたね。後年マイケルがこのコーラス部分を使っていたと思うのですが、マコッサの意味はよくわかりません。さらにちょっとメージャー系ではオシビサが受けてました。77~78年頃は「サンシャイン・デイ」がかなりのヒットを記録しましたが、私はその前の曲が印象的でした。確かデビュー曲だと思いますがタイトルが思い出せません。日本のロックグループ「イエロー」が「オ・シ・ビ・サ~」というコーラスを入れて取り上げていました。ちなみにジョニー吉長氏が在籍していたグループです。オハイオプレイヤーズのスキンタイトのカバーみたいなJB‘sのメイキンラブってのも面白かったですね。もう楽曲はそのまんまスキンタイトでコーラスだけが「メイキンラ~ブ」って変えてあるだけでした。当時は「なんじゃこりゃ?」って感じでした。JBは何をやっても良いのかなどと思ったりもしましたね。JBのPeople’s レーベルもこの頃は絶頂期ではなかったでしょうか。かなり単発のシングルが出ていたと思います。何とかスコットとか、スウィート・チャールズとかリン・コリンズとか、随分シングルが出てました。中でも強烈に印象に残っているのが「ソウル・エクソシスト」ってヤツですね。かなりアップテンポのファンキーサウンドで、途中に映画のサントラ風の語りとか入っていたりしてエンディングではピアノメロが映画風で救急車の音とかも入ってました。あれはちょっと異色でしたね。時代の流行に敏感なJBらしい企画ものでした。しかし、当時はシングルヒットというのがメインで随分とありました。ビルボードもHOT100は最も熱いヒットチャートではなかったでしょうか。ちなみに私がどうしても忘れることのできない曲に「SEXY DYNAMITE」というのがあります。サビの部分が、「You are Right on! You are Dynamite!」って言うんですけど、未だに誰が歌っていたのか解らず、是非もう一度聴いてみたい楽曲のひとつです。曲の雰囲気的に言うとルーファストーマスみたいな感じだったと思うのですが、イマイチ記憶がはっきりしません。もうひとつファットバックバンドの「I feel real good」をもう一度聴いてミみたいですね。非常に昔っぽいサウンドでマンドリルのフェンスウォークとかと並んで、当時珍しかったブラス入りのダンスナンバーでした。そういえば、昔はバンドがフェンスウォークとかWARのGet Downとか「世界はゲットーだ」とかディスコで演奏していたんですよね。プラウドメアリーもCCRヴァージョンがバンドでレコードはアイク&ティナターナーでした。確かティナ・ターナーの自伝映画があって、ティナとアイクの出会いからロンドンで復帰するまでのやたら長いストーリーでしたけど、アイク&ティナ・レヴューというグループ名でツアーを廻っていた頃のステージングは昔のまんま見事にコピーされていました。女性三人のコーラスとティナがミニスカートはいて、腰振る姿はやっぱりカッコよくてセクシーでしたね。後年ミックジャガーとの競演で円熟したセクシーさも見せてくれましたが、やはりあの若い頃のダイナマイトパワーは圧巻でした。アイクは刑務所から出て来たのでしょうかねぇ。あの泣きのギターとティナのセクシーVOICEは絶妙のエロチックさが脳髄を刺激してくれました。またまた話が脱線してしまいましたが、古テープには私の元同僚の黒人ジョー率いるHOT SNOWのシングル4曲が入っていて驚きでした。テープがアドバンス部分でブチギレしていたので、なんとかクレージーグルーで引っ付けて一発録りでCDに保存できました。しかし、この音色というか音質はもう涙が出そうに懐かしかったです。とにかく黒人っぽくて、ベースなんか今じゃ考えられないほど走っちゃったりして、もうフィーリングだけの勝負って感じです。まさにバンドって感じですね。最近はデジタル系というのでしょうか、一人多重録音や、プログラム音源などで非常に機械化されたものばかりで、こういった生々しい音っていうのが少なくなってしまったのは残念です。所詮ROCKバンドなんてのは若さとかパッションのみで突っ走る音楽だと思うので、あまりこざっぱりまとまるとつまらないですよね。
2006年01月25日
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いやいや遂に取られてしまいましたね。無責任なギャラリーである不良親爺としてはこれから先がちょっと楽しみです。まあ、しかし側近だか番頭だか知りませんが、たった3日で「かんおち(笑)」とはちょっと情け無いですね。業界用語で「うたった」と言いますが(笑)、こんなコンジョなしと一緒にゼニ儲けしたのがホリエモンの人徳といったところでしょうか。どのみちアウトローの一発野郎なんですから、ギリギリの線で勝負するのは当たり前だし、いつ取られてもおかしくない生き方を選んだんですから、せめて修羅場をくぐる仲間だけはよ~く選ばなければいけませんね。私の持論でもありますがまずは仲間ありきなんですよね。それもアウトローというのは自分達の価値観や掟で生きているのですから、一般社会の常識や法律でくくられてケツ割るような、ゴホン、失礼しました、白状するようなコンジョなしを見抜けなかったというか、こんなもんを使って調子こいていた自分の目が節穴だったということでしょう。企業舎弟のように割り切って錬金術のみ利用しておけばよかったものを、身内にして一蓮托生の道を選んでしまった親分の器量のなさといったものですから自業自得です。こうなったら、開き直ってせいぜい身内を庇って潔く縛に付くことを期待したいです。束の間とはいえせっかく若者たちに夢を与えたヒーローだったのですから、この先見苦しい泥仕合だけは見せて欲しくないというのがファンキー親爺の願いです。間違いなくホリエモンもいわゆるアウトローですから、ごく一般的な市民としてメージャー路線を絶たれたところから出発しているのですから、生涯を賭けた博打に掟破りを平気でするようなパートナーを選んでしまったのは致命傷でしたね。生き急いだって感じもしないではないですが、アウトローというのは実の親兄弟に頼れないからこそ仲間の存在が重要なわけで、己の社会的保身よりも仲間ウチでの掟に生涯をかけることが結果的に自身の保身になるという鉄則を守れなかったところが今回の顛末ではちょっと情け無かったですね。くどいようですが、これは私の持論です。私自身の人生を振り返ってみても、早くも18歳で人生投げちゃった私がここまでやってこれたのも仲間の掟で生きたからこそなんです。社会に出て生活をするようになれば、親兄弟が助けてくれることなんてのはやはり限界があるわけす。一生遊んで暮らせるよな資産家の家に生まれたのでもない限り、いずれは自身のリスクは自身で背負って歩かねばなりません。そんなとき、支えになってくれるのは仲間しかいないんです。銭金の問題だけではなく、特に精神的なものは親兄弟や身内には言えないこと、理解できないことなどが沢山あるわけで、そんなとき脇をしっかりとおさえてくれる存在が仲間なんです。この絆こそが金では買えない唯一のリアリティだと私は信じています。古い話ですが、映画「人間の証明」で一躍脚光を浴びたジョー山中氏が、その大チャンスをフイにした事件がありました。大麻所持と売買容疑で現行犯逮捕されてしまったのです。まあ、この手の業界ではお馴染みの事件ですから、犯罪自体は大したことじゃありません。特に大麻なんて最近じゃ中学生だって吸ってるくらい普及しちゃってますから、「麻薬」なんていうオドロオドロしい表現も滑稽です。ということで、彼が挙げられたのはその販売ルートつぶしと見せしめだったわけですが、なんとジョーさん拘留中黙秘を通して口を割らなかったんです。当時お子さんもまだ小さく、当局は泣き落としやら、脅しやら、あの手この手を使って攻めましたが、とうとううたわずに自身の罪だけで通しました。ちなみにその後の武道館のコンサートに私も見に行きましたが、彼は堂々と「オレは悪いことをしたとは思っていない」と叫んでおりました。(やっぱ悪いことは悪いと思うんですケド、一応法律に触れているので)まあ、大麻論議や犯罪についての良し悪しはともかくとして、彼のこの掟を守ったアウトローの生き様には感動しました。(ほっと胸をなでおろした仲間もいたことでしょう)えー、決して犯罪を擁護しているわけではありません。犯罪はいけません。本人より家族や身内が迷惑します。でも、その迷惑を顧みず仲間との掟を守ることこそアウトローのアウトローたる所以だと思うわけです。話が少々脱線しましたが、今回のホリエモン騒動で私が気になる点を二つだけ挙げておきましょう。まずひとつは、今後ひょっとするとホリエモンの家系がクローズアップされるようなことになると、少々ややこしい黒幕や仲間同士の泥仕合になっていくでしょう。もうひとつは、何故この時期に引っ張った(逮捕)かということです。司法当局の動きは緻密な計算で動いていますから、あえてこの時期を選んだというところが更に大きな影の存在を示唆しているように思えます。ということで、これは誰でもできる評論のひとつで道楽者のノーガキですから、あまり真剣に取り組まないようにお願い致します。無責任なギャラリーの一人として、この騒動に彩を添える講釈をつけて楽しもうと思っただけですのでヨロシクです。この記事を評価する
2006年01月24日
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先日、K-UNITのKUNIさんのサイトで知ったのですが、ウィルソン・ピケット氏が亡くなられたようです。つい最近「ソウルサバイバー」というDVDで彼の元気な姿を見たばかりでしたので非常に残念です。KUNIさんもご自身の掲示板で語っておられますが、70年代前半の不良少年少女のヒーロー像として多くの黒人ロッカーが存在していました。ジェームス・ブラウンなどもその典型的なパターンで、元ディスコ協会会長の勝本氏なども相当に入れ込んでいました。少年院(USでは刑務所扱いですが)上がりのワルが、道端で踊りながら金を稼ぎ、音楽の世界で成り上がっていく姿に感銘したものでした。特に人種差別という生まれたときからのハンディキャップさえも乗り越えていく不屈の精神=SOULと繋がる構図がありました。ビートルズだってストーンズだって、元々は手の付けられない不良からROCKして成り上がっていったわけで、そのルーツがJBでありウィルソン・ピケットなどのR&Bスターでした。日本では矢沢の永吉っつあんがこの不良ドリームを体現されましたが、やはり私等のような年代の親爺には、未だ黒人の退廃的なムードとそのファイティング魂みたいな方がより心を揺さぶられます。その昔、ディスコが踊り場と呼ばれていた頃の「ショータイム」は、やはり不良の生き方を体現していたツッパリ小僧がここ一番登場して、踊りの技をご披露したものでした。古くはクック、ニック&チャッキーなんてのもこういったショータイムをベースにヒーローとなっていったわけですね。そしてこのショータイムの課題曲が、ウィルソン・ピケットの「ダンス天国」とかアイク&ティナ・ターナーの「プラウドメアリー」でした。その後、踊り場からディスコ~ソウル・ブームに移っていく過程で、いわゆるR&Bのスターたちは時代の陰に入っていってしまったわけですが、あの頃の腹の底から搾り出されるブルージーな魂の叫びみたいなものは、踊り場といわれた一種独特の雰囲気の中で不良小僧たちが胸躍らせた音楽でもありました。ディスコって呼ばれるようになってから、ニューソウルなんて呼ばれ方をするようになってしまい、魂=SOULからはちょいとはずれたダンスミュージックへとなっていってしまったんですね。ということで、私の年代の不良少年が思春期の一番多感な時に影響を受けた音楽、そしてシンガーのひとりであるウィルソン・ピケット氏の死にあらためてご冥福を祈りたいと思います。ちなみに映画「ソウルサバイバー」では、彼の発言がファンキーでカッコよく、時代の陰に埋没していった数多くのアーティストが出てきますので、ソウルファンの皆様にはお薦めです。私個人としても非常に共鳴した映画でした。自分達の時代が終わったあと、残ったものは「何」だったのか、そんなことを考えさせられる映画でした。「印税もっとよこせ!」とか「シュープリームスのダイアナ・ロスは一番ブスだった」とかニューヨークの街を車で走りながらインタビュアーに「オレはあのあたりでヤクを売ってたんだ」とかとにかくみい~んな不良オヤジ、不良オバンのままでした。
2006年01月23日
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今日は子供たちを連れてバイクの練習に行ってきました。バイクといっても日本で言うスクーターのことです。サイパンでは免許なしで乗れるので多少危険ですが、こういうことはできるだけ早いうちに覚えておいた方が良いだろうということでやらせました。米国の法律では16歳で自動車の免許を取得できます。現在我が家の長女は17歳、来月で18歳になりますが、すでにクラスメートの何人かは免許を取って車を運転しています。我が家では日本式に則って18歳まで我慢させましたが、いよいよ来月にはチャレンジさせなければなりません。長男はまだ15歳ですが、やっぱり男の子なのでバイクには興味があり、今日はこの二人を連れてはじめての路上体験を実施しました。スクーターといってもいわゆるゲンチャリではなく、250ccの大型スクーターです。このあたりが法律規制の面白いところで、スクーターの形さえしていればあくまでもモペットとして扱われるので免許は必要ありません。逆に50ccといえどもモーターサイクルの形をしていれば、免許が必要になります。(未だにこの基準がわかりませんが)ここに目をつけた業者が観光客相手にレンタル商売を始めたので、最近はバイクの事故が頻発しています。ということで、今日は私も久々に乗ってみましたが、250ccとなればやはり車体が重く、ゲンチャリのように簡単にハンドルが切れず、子供の手前ちょっとカッコ悪いところを見せてしまいました。まあしかし田舎でよかったというか、もし日本だったら今頃は暴走族の仲間入りなどしていてもおかしくはない年頃の子供たちですが、さすがにここじゃ暴走したくても走りようがありません。(^.-)しかしこの運転免許ってのも面白いものですよね。実は、私の運転免許は20年前にこちらで取得したんですが、当時はきちんとした試験場もなく、日本の原付免許証を持っていって「自動車の免許なので書き換えて下さい」って言ったら、疑いもせず(っていうか日本語読めないから写真だけ見て)書き換えてくれました。申請料はなんと$15。当時の為替でも三千円はしませんでした。ちなみに私と一緒にこちらにやってきた相棒のチェングは、期限切れの失効自動二輪免許で書き換えに見事成功。西暦じゃないから期限もわかりませんからね。相変わらずのデタラメ野郎ですみません。ということでまんまと北マリアナ連邦政府発行の免許証を取得した私たちは、翌年これを日本に持って行って日本の免許証に書き換えを行いました。申請料三千円のみ。簡単な講習があったので丸1日かかりましたが、正真正銘日本国政府発行の自動車運転免許証でした。ホントですよ。日米協定の提携国では相互の免許証の変換を認めているのです。言うなればビザみたいなものですね。相互間の便宜を図るという意味でしょう。ところ変われば、常識が見事にひっくり返るということも皆さん肝に銘じておきましょう。なお、こちらで免許を取得しても3ヶ月以上の滞在証明が必要になりますので、観光ビザでは不可能です。また最近はちゃんとした試験場でテストを受けさせられますから、私の頃とは法律規制も変わっていますので、決して不埒な考えを起こして真似などなさらぬようお願い致します。
2006年01月22日
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今日の関東地方は雪だそうで、さぞかし寒いことでしょうね。すでに私の記憶の中からは「冬」という概念は消えうせてからどのくらいになるかわかりませんが、人間なんてものは所詮ないものねだりみたいなところがあって、こうして年がら年中暑いところに居ると着膨れして白い息を吐いていたころを懐かしく思ったりします。思えば数十年前に夜の東京でウダウダしていた頃は、よく高中正義さんの音楽などを聴きながら南の島を夢見たものでした。暖かい島でのんびりくらしたい、とか、自然の中で裸になりたい、とか、想像の世界に浸ることで現実からしばしの逃避を繰り返していたんですね。思い起こせば、私がディスコ業界に入るきっかけにしても、ずーっと好きな音楽を聴いて踊っていたいという単純な夢を全うしただけのことで、要はケジメがつけられない性格というか、楽しいことばかりしていたいという子供じみた欲求から始まったものでした。よく表裏一体とか陰陽とか言われるように、辛いことがあるから楽しいことがあるわけで、常に対比するものがあってこそ人生にはバリエーションが生まれるわけですね。退屈な毎日、社会人としての義務を全うする生活があるからこそ、そのストレスや抑圧を解放するために色々な趣味があるので、その趣味ばかりで生活を成り立たせようなんてこと自体がお調子者の道楽者なのです。まあ、世の中そんなに甘いものじゃありませんから、好きなことばかりしてヘラヘラ生きたツケはきちんと廻ってくるので、それが早いか遅いかの差こそあれ、いずれは社会という大きな流れに呑みこまれていくのです。二十年前、私の人生も旬が過ぎ、そろそろ夜の東京にも飽きはじめたころ、南国へのエスケープに夢膨らませました。もうヘトヘトに疲れたから南の島でのんびり暮らしたい、そんな体の良い逃げ口上、口実を作って自分に言い聞かせると、さっさと身支度をして飛び出したものの、「自然」は「都会」ほどに甘くはありませんでした。疲れるから休みが必要だし、休むからまた現実に戻って我慢できる、そんな繰り返しこそがフツーの人の生き方なワケでして、休むところで仕事をするってことは、もう逃げ場がないわけですね。ディスコしかり、リゾート地しかり、フツーの人たちが辛い毎日の中で、ほんのひと時心を休める場所なワケで、そこで働くということは自分自身が休む場所をあらたに探さなければならないという当たり前のことを理解したときはすでに時遅し、ということでせめて、毎日高い空と透き通るような海を見て暮らせるこの幸せを噛みしめながら粛々と(笑)日々を送っていく今日この頃の私です。えー、何が言いたいのかと申しますと、「隣の芝は青い」ってなことで、人間誰しも辛いときは他人が羨ましく思えたりするわけでして、自分だってどこかの誰かに羨ましがられていたりするわけです。まあ、人間なんてものは皆考えること感じることは諸全同じですから、疲れたら少し肩の力を抜いて一休みしましょう。そのためにも何か道楽を見つけて下さい。バカバカしければバカバカしい道楽ほど、それはきっと貴方の人生を潤してくれるはずです。ということで、今日は私の大好きな夏目漱石先生の言葉をご紹介させて頂きます。智に働けば角が立つ情に棹させば流される意地を通せば窮屈だとかくに人の世は住みにくい住みにくさが高じると安いところへ引き越したくなるどこへ越しても住みにくいと悟ったとき、詩が生まれて画が出来る人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもないやはり向こう三軒両隣にちらちらするただの人であるただの人が作った人の世が住みにくいからとて越す国はあるまいあれば人でなしの国へ行くばかりだ人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろうどうぞ皆様安らかな週末をお過ごし下さい。非生産活動委員会 委員長より愛をこめて(^o^)
2006年01月21日
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え~、しつこいと言われそうですが、もう一回このテーマでお話しさせて下さい。昨日、一昨日とお話した内容はどうも抽象的すぎたようですので、きょうは私の体験談を交えて考察を重ねたいと思います。私はサイパンという島の、とあるリゾートに勤務しております。え~、サイパンと唐突に言われてもどこにあるのかわからない方が殆どだと思いますが、事実よくわからないところにある南洋諸島のひとつがサイパンです。どうしても所在地が知りたいという几帳面な方は世界地図を広げて下さい。日本の名古屋あたりから赤道に向かって10cmほどやや右下に行ったところに、北マリアナ諸島という点のような島々がいくつかあります。その中のひとつがサイパンです。近くにはグアム島なんかもあるはずです。ということで、あまり地理的なことには拘らず、年中暑い南国の小さな島というイメージを描いていただければよろしいかと思います。日本に近いということもあってお手軽海外旅行の代表選手のような観光地ですから、来島者の年齢層も上から下まで幅広く、特に20歳代の男女の皆様にはちょっとしたお小遣いで気軽に遊べるリゾート地とも言えます。さて、そんなところで生活を営んでおります私が最近ひどく気になることがあるのです。それは、体に墨を入れた若いおねーちゃん、おにーちゃんがやたら増えているということなのです。サイパンというところは基本的にノービザですから、年末年始には彫り物品評会でもあるのではないかというくらい、日本全国からツワモノの皆様がやってこられます。週間実話とか噂の真相とか、マニアックな雑誌にも登場される有名人の方々などもいらっしゃって、恒例のお正月ゴルフコンペなども行われております。もちろんこのようなオオモノの方々は人前で裸になるようなことはまずございません。炎天下の南国の暑さに耐え、必ず長袖シャツなどをご着用され、私共一般人へのお気遣いがうかがえます。そんなプロ集団の方々とは対照的に、奇抜なデザインや色彩に富んだ刺青をまるでアクセサリーのごとく露わにした若者たちが闊歩する姿を目の当たりにして、私のようなおっさんは少々戸惑ってしまいます。私等の年代の人間にとっての彫り物といえば、それはやはり一般社会との訣別、もうこの世界には戻らないというような決意の表明ともいえるものでした。ノスタルジー的に言っても、一生消すことの出来ない墨を体に入れ、それを背負って生きていく覚悟の上で高い金を注ぎ込むわけですから、そこまでに至る精神的な葛藤もあったはずです。反面、大した考えも無くハッタリで彫り込んじゃったヤツも結構いたりしましたが、そういうやつは結局半端な生き方しかできず、まさに彫り物がその人ナリを表していたのかもしれません。でもって、そのTATOOを入れた若者のほとんどが別に本職目指して彫り込んだわけでもなく、ましておねーちゃんたちにとっては流行りだからという、かる~い気持ちで入れちゃったというような話ばかりで、一体この子達はどんな大人、どんな親になっていくのか、非常に不思議な気持ちでした。染髪や衣装はその歳なりに変えることはできますが、墨ばかりはそう簡単には取れません。取れないからこそ、生涯この道で生きる、みたいな意気込みも生まれたわけで、それなりの儀式に近い神聖さも昔はありました。個人的には、昔の絵柄より今のアートっぽいデザインの方がカッコ良いと思いますが、これから先やり直しの効かない人生を本気で考えているのか、他人事ながらちょっと心配ですね。更に、こういった子達と話してみると、案外フツーの子だったりすることも驚きでした。昔は墨入れた子なんてのはおおかた本職にかぶれちゃって入り込んじゃってるヤツとか、身内が本職だったりとか、どのみちまともな世界、いわゆる一般社会では生きていけないような奴らばかりで、まさか大学生とか、フツーに勤め人しているなんてことはありえませんでした。まして女の子で墨入れるなんてのは、もう一生私は裏稼業で生きて生きます、みたいな世間との訣別が男以上にきちんとあったものです。それが最近のTATOOは、フツーの、それもご近所に住んでるようなフツーの子が平気で入れ込んじゃってるのにはおっさんはコメントすらできません。私の近辺にも数人おりまして、一応は大学まで行った娘さんたちですが、お尻から腰のくぼみあたりにきちんとアートされておりました。まあ、この現象はTATOOばかりでなく、昔で言う不良とかツッパリ小僧なんてものは一様に悪ぶった恰好をしていきがっておりましたが、どうも最近はフツーの子が意外と本職の道へ進んでいたりして、もう本当に外見からは判断できません。つい先日も、小柄な長髪のお兄ちゃんと、それなりの最近のファッションに身を包んだお姉ちゃんのカップルがやってきまして、何処から見てもフツーのアベック、大学生くらいのカップルといった感じでしょうか、ホテルのフロントで観光バスの時間を尋ねておりました。英語もよく分からないせいでしょうか、バスが時刻表どおりに来ていないことに少々ご機嫌の悪くなった彼氏の方がフロントで文句を言っております。どうも言葉が通じないせいでしょうか、語気が荒れてきたので、これはいかんと思い老婆心ながら私が間に入りました。ところが、言葉の通じる相手が出てきたからでしょうか、突然彼の怒りは私に向けられ、何を怒っているのかもわからぬまま怒鳴られる羽目となってしまったのです。「いつまで待たせるんじゃいうとんのや、いつになったらバスがくるんじゃ、ボケっ!」内心、ボコボコにしたろかこのガキゃと思ったりしましたが、自分も若い頃は見境無く牙を剥いたりしたことを思い出して、おっさんらしい諭しかたをしました。「まあ、こんな土地だから日本みたいにきちんとは動かないんでね。私が送って行ってあげましょう」車中で話してみると、この怖いもの知らずの若者は少々アウトローの道を歩んでいるようで、これから先の試練が目に浮かびました。それにしても、もう少しわかり易い恰好をしていてくれないと、私のような世間離れしてしまったおっさんには接し方を考える余裕すらありません。そう考えると、やはり昔は解り易かったですよね。パンチ頭に剃りこみなぞした奴らには、まず最初から威嚇されているので「要注意」という警戒警報が発令されたりして、無用なトラブルを回避するよう周りもうまく立ち回ります。俗に言うフーテンっぽい奴らには、下手な犯罪などに巻き込まれぬよう注意したり、回りが大事に至らぬよう目を光らせることもできます。私のようなケースは、きっと日本じゃ当たり前になっているのかと思うと、これは中々に住みにくい世の中ではないかと思ったりしてしまいます。オレはワルだぞぉ~と、きちんと体面的に表してくれていると、同類以外は巻き込まれることなく一般的社会生活を恙無く送れますが、フツーの体面をして突如変身されたりすると、突然の事態に対応できない多くの日本人は大惨事を起こしたりしてしまうのではないでしょうか。ちなみに最近世間を騒がせている痛ましい事件の数々を見ると、このような時代の流れに皆がついていっていないのかなぁとも思えます。社会的ポジションや職業、生き方を現す身なりがきちんと型にはまっていることの安心感というのは、意外に大事なことだったのかもしれませんね。この記事を評価する
2006年01月20日
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昨日は昨今のニッポン人ファッションについてノーガキをこかせて頂きましたが、今日は国際民族性的観点からもう一発屁理屈をコキます。日本人社会の中において、各業界あるいは年齢層によるファッションセンスとその社会的ポジションが、機能的にリンクしなくなっているということを、昨日はだらだらと述べましたが、今度は国外から見たニッポン人のファッションセンスと社会的ポジションの関係を見てみましょう。外国人が描く一般的ニッポン人像は、相変わらず大きな塊のようなイメージで捉えられているようで、映画などに登場するニッポン人はかなり古臭いタイプの象徴的モデルとでも言えます。反面、秋葉系に代表されるように、或る意味突出したニッポン人像というのも平行して巷に出回っているようで、ファッションセンスと社会的ポジションのリンクはここでも崩壊しているように思えます。ゲイシャやサムライ、コスプレやオタク、ヤクザとパフィー(笑)などなど、取りとめの無いアイディンティティに困惑するのは私たち年配の日本人も同様です。これは私たちニッポン人がアジアへ飛び出したとき、まずその外見からその国の人々を判断する人種カテゴライズは非常に困難であり、ガイドブックを頼りに大方のイメージで捉える作業と似ています。それはせいぜい肌の色の濃淡で判断する程度のものです。ところが唯一私たちにも容易に見分けられることは、彼等のファッションと社会的ポジションの関係がはっきりしているということでしょう。もちろんこの判別法は外見による社会的ポジションの確認であり、その人間性までも分類するものではありません。これは「職業に貴賎はない」という立派な建前に裏付けられた(笑)ニッポン人特有の人間性にも関係があります。ボロボロの衣服に裸足で街を徘徊するおじさんを見て、まさか公務員だとは思いませんね。でも、だからといってそのおじさんが危ない人だと決め付けてはいけません、などという心優しいニッポン人が無防備に犯罪に巻き込まれたりしてしまうわけです。ではそういった近隣アジアの人達の目にはニッポン人(まあいわゆる観光客ですね)は一体どのように映っているのでしょうか。アメリカやヨーロッパに行くと、日本人、韓国人、中国人はほとんど判別不可能のようですが、アジア圏内に関してはニッポン人の色分けは突出しているようです。これはある意味ターゲット(獲物)としてニッポン人が捉えられているような気もします。その昔は首からカメラをぶら下げてゾロゾロ歩く団体を指してニッポン人としていたようですが、最近では携帯電話とブランド物がトレードマークになっているようです。特に若い子たちはアジアのどこの国へ行っても「ニッポン人」の判別が可能なようで、これは一種独自のニッポンの文化を代表するファッション形態なのかもしれません。ここでいうファッションというのは、単なるその装いを指すのではなく総合的なイメージとしてのファッションです。最近では、韓国、香港あたりの若い子もニッポン人ファッションを追ったりしているようで、似たようなファッションをした若者をあちこちで見かけますが、私のようなオッサンにも見分けが付くことが不思議です。これはひょっとするとニッポンの文化とそのファッションが完璧に統合された結果なのかもしれませんね。ニッポン国内にいて見分けが付かないのはその社会的ポジションですが、こうして一歩国外から見直してみると、ニッポン人というアイディンティティはしっかりと見分けが付くようになったのですから、「外見で人を判断するな」の教えがきちんと根付いたということでしょうか。ここ数日メディアを賑わしているライブドアのホリエモン社長なんて良い例ではないでしょうか。今でこそあれだけ顔が売れてしまいましたが、もしメディア登場前の彼と街で出くわしても、彼の社会的ポジションをその場で把握できる人はたぶんいなかったでしょう。でも、仮に彼がアジアのどこかの国へ出かけたとして、その国の人たちにはたぶん彼が日本人であることは容易に判断できたと思います。(顔つきは結構中国系ぽいですけどね)この現象は日本という文化がミクロ的に国民によって体現されているということなのでしょうか。ようやく独自の道を歩み始めたニッポン文化は、果たしてこれからどのような展開を見せるのか、年老いた道楽者は非常に楽しみです。
2006年01月19日
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それが良いことなのか悪いことなのか私には判断が付きかねますが、最近の日本人の階級ラベルに則したファッションというものがきちんと捉えられません。日本に限らず、昔はその人の恰好(ナリ)で社会的ヒエラルキーが表現されていた、というより、生活ランキングによってそのファッションが決まっていました。そしてそのファッションが社会的分類のラベルとなっていたわけですね。もちろん制服・ユニフォームというラベルもあるのですが、その人の生活形態、職種、生き方などがファッションとして自然にカテゴライズされていることが一般的社会のフォーマットです。それは私の表現で言うところの社会の「着ぐるみ」を着させられている、あるいは着ているということです。ところが最近の日本人はどうも、この外見で見分けるということが非常に困難になってきたように思えてなりません。まあ、制服は別としても、昔はサラリーマン=背広ネクタイ、学生=アイビー、ヤクザ=ダボシャツ雪駄(笑)、不良=ヤンキー、等など、その人が所属するカテゴリーにあったファッションという枠で大まかな見分けが付いていました。言ってみれば分かり易い世の中だったわけです。概ね外見でグループ化されますから、日本人の大好きな「和」あるいは「輪」を作るには非常に便利な構造とも言えました。更に、日本の場合、これらの職種によるファッション形態が生活ランキングまでを表していないというところにオリジナリティがあったと思います。例えば、背広ネクタイを着用している人と地下足袋に法被を着込んだ人の住居が同じだったり、坊主頭の学生と粋な彫り物の入った角刈りのにーちゃんが同じ銭湯で湯船に浸かっていたりとか、職種による実生活レベルでの極端な差はありませんでした。これがアメリカあたりの形態と比較してみるとその差は歴然としています。まずホワイトカラーと呼ばれる頭脳労働者と、ブルーカラーと呼ばれる肉体的労働者が同じ住居に住むことは先ず無いし、居住する地区もしっかりと分区されています。さらにホワイトカラーの上位ランキング者であるパワーエリートの集団が、肉体的労働者階層とたとえ遊びといえども行動を共にするなどということはありえません。それほどしっかりとしたヒエラルキー、資本主義社会身分カースト制度によって構成された社会なわけです。冒頭でも言いましたが、それが良いことなのか悪いことなのかは判断できませんが、少なくとも日本の場合は中卒や高卒でもこざっぱりしたスーツにネクタイをして、それなりの会社勤めもできるわけで、その背広姿を見て社会的階級を意識したりする人は少ないでしょう。その根底には俗に言う「中流意識」というか「村意識」というか、概ね平均的生活水準の中にいる自分という意識を各自が持っているからに他ありません。だから人を外見で判断するという意識は、諸外国に比べてかなり薄いと思います。それでも私が日本で暮らしていた二十年前はまだ、外見である程度のカテゴライズができる社会環境がありました。危ない道に進みたいヤツは眉毛を剃ったり(笑)、体に墨を入れたりして一般社会との線引きをしたものです。官庁あたりに進もうなどと思うヤツは、やはり白ワイシャツに地味なネクタイなどを捲いたりして、それなりに自身の意識を高めたりしたわけでもあります。まあ実際に私も国外に出てみて初めて外見が思ったよりモノを言うということに気付かされたのですが、こればかりは日本人には中々理解しにくいことかも知れません。特にアジアではまだまだ貧富の差が激しいですから、それなりのバリっとした恰好をしているだけで言葉遣いや態度が変わります。スーパーに買い物に行っても、ジーパンにヨレヨレのTシャツ姿で入店すると店員の態度も非常に高飛車ですが、同じ店にポロシャツ、スラックスで行くと、これが同じ店員かと思うくらいその態度は卑屈で妙に親切だったりします。彼等は顔じゃなくて全体像としてのファッションとして人を見ているようです。さあそして現在の日本ですが、これがもう私には全然ワケがわかりません。フツーの子がなんで墨を入れたりしちゃうのか、そのフツーの子というのも皆似たり寄ったりで、髪の毛を染めたりするのも特別なことでもないし、だらしない恰好もフツーの中に分類されています。もっとわからないのは、ユニクロの500円のTシャツを着て、うん十万円もするヴィトンのバッグなどをぶら下げているおねーちゃんたちです。更に私などから見ればヘビメタ系とかロックバンド系のおにーちゃんが、チーマーとか言うバイオレンス系だったりとか、もう私のようなおっさんには人を外見で判断することは不可能なこととなったようです。特に私の場合はニッポンの生の風俗には数十年触れていませんから、もうちょっとわかり易い恰好をしてくれないと戸惑うばかりです。くどいようですが、これが良いことなのか悪いことなのか分かりません。しかし、少なくとも外見である程度の判断ができる社会の方が、生活水準に合ったそれぞれの生活を守るという意味からは適しているように思えます。最近の犯罪を見るにつけ、その昔、親兄弟、近所の人たちに言われた「変な人についていっちゃだめよ」とか、「ああゆう不良のお兄ちゃんたちと遊んじゃだめよ」とか、その例になる人物像が身近で共通であった頃を懐かしく思うのは私だけでしょうか。だから私の場合は今でも成金ファッションみたいな感覚が非常に好きです。一世一代のおしゃれ、タキシード着込んだ土建屋のおっちゃん、指には金の塊みたいな蒲鉾指輪、腕にはローレックス、ヴィトンのポーチなどを小脇に抱えて颯爽と歩く姿が大変懐かしい時代に思えてきます。もちろんポーチの中に「萌え」のフィギアなんか入ってなかったですよね。
2006年01月18日
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調子付いてもう一発映画評をコカせていただきます。今日の映画は「ショーシャンクの空に」というアメリカ映画です。アメリカでは刑務所を扱った映画は絶対こけないといわれるほど、数多くの監獄モノがありますが、これもその中のひとつといえます。えー、内容はと言いますと、不倫していた妻と不倫相手のプロゴルファーを射殺したとして、亭主の銀行員エリートが収監されるところから物語は始まります。彼は一貫して無実を主張しますが、もちろん一度収監されてしまえばあとは四の五の言ったところで状況が変わるはずも無く、刑務所の掟に従って生活をしなければなりません。まず前半は刑務所の内部の実態をリアルに見せます。このあたりがアメリカ人の好きな部分なのではないでしょうか。現実から隔離された世界の出来事はみな興味があるのでしょうね。そんな主人公の元エリート銀行員は刑務所の生活に順応しながらも、強い精神力と明晰な頭脳を持って理路整然と自己の道を貫いていきます。そんなある日、一人の担当官の遺産相続の税務対策についてアドバイスをしたことから、その能力を買われて所長のアシスタントをすることになっていきます。もちろん所長は彼が生涯ここから出られないことを利用して、汚職による蓄財を管理させ私腹を肥やしていきます。10年の歳月を通じて所長の犬となりつつも、彼は刑務所に図書館を作ったり無知な囚人に教育を施したりと、それは素晴らしい実績を残していきます。そんなある日、新たに収監されてきた若い犯罪者から主人公の妻と不倫相手を殺した真犯人を知ります。主人公は早速所長に再審請求を行う手続きを願い出ますが当然却下されます。さらに所長はこの顛末をもみ消してしまいます。主人公は異常な執念で食い下がりますが、所長は飼い犬を折檻するようにとことん主人公を打ちのめします。ということで結末は見てのお楽しみといったところでしょうか。ただし典型的なアメリカ映画ですので、救いの無いエンディングで落ち込むことはありませんので安心してご覧いただけます。もちろんどんでん返しもしっかりとしたプロットの上で描かれていますので、見終わった後の爽快感は格別です。過去数多くの刑務所モノがヒットしましたが、この映画も十分大衆的な評価を得られた作品ではないかと思います。脱獄モノでは「パピヨン」とか「アルカトラズからの脱出」とか、刑務所内部の告発ものではロバート・レッドフォードの「ブルベイカー」などが強く印象に残っています。日本でも安部譲二さんの原作「塀の中の懲りない面々」なんてのもありましたね。さらに遡ると「網走番外地」なんてのもありました。(それってちょっと違くねぇ?)私の感想はと言いますと、これも昨日の「半落ち」の評と似て、どうもテーマとは別の違うところに観点がずれてしまいました。というのも、実は最近花村萬月氏の「ゲルマニウムの夜」という気味の悪い小説を読んでしまったせいか、刑務所という閉鎖的空間の中で繰り広げられる人間の行動とその心裡にどうしても目がいってしまったのです。小説の方の舞台は刑務所ではなく教護院なのですが、一般社会から隔離され閉鎖された世界という点では同じ環境であり、そこで繰り広げられる倒錯した行為は刑務所同様独自の世界観によって住人達の生活が営まれています。まあ、どちらもフィクションでしょうから、どこまで真実かはわかりませんが、閉ざされた世界に放り込まれた人間が考えること、感じること、行うことにあまり変わりはないのかなというのが感想でした。日米の壁も年齢の壁も越えてこの二つの物語の根底でリンクする「或るモノ」は、やはり人間の思考回路と「神」あるいは宗教との関係とでもいったものでしょうか。映画の話からは少々はずれますが、花村萬月氏とか内田春菊氏とかの小説は確かにその描写は生々しくも素晴らしく官能的であるのですが、蓋をした臭いものを執拗に見せ付けるようなところがあって、どうも私には馴染めませんでした。「それを言っちゃぁ、おしまいだぜ」みたいなもので、誰しも持つ人間の一番隠したがる部分をこれでもかってくらい見せ付けられると、特に繊細で臆病(笑)な私などはうんざりしてしまうだけではなく、だからなんだよぉ~、と別の本能で押さえ込みたくなる衝動に駆られたりしてしまいます。非常に私見ですが、芥川賞ってこの手のドロドロしたものが好きですよね。芥川賞作家ってかなり「冷たいモノ」でイッちゃった人たちなんかなぁ、なんて思いますね。ちなみに花村萬月さん、私と同い年なんですね。アウトロー作家とか言われているようですが、別の道のアウトローかな、なんて思いました。聞くところによると浅田次郎さんと仲が悪いようですが、タイプが違うのでケンカにはならないような気がします。えー、話が非常に脱線しましたが、「ショーシャンクの空に」は結構重たいテーマながら観賞後の爽快感は、私の大好きなアメリカ映画なので安心して見れるピカレスクロマンといった映画でした。
2006年01月17日
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昨日に続いてもう一発映画評をコカせて頂きます。すぐに調子付く性格なモンで、DVDを見始めるとやたら続けて見てしまうのです。しかも見るジャンルはてんでんバラバラ、洋画、邦画、中国、韓国なんでもあり、無節操というか、その時の気分で手当たり次第って感じです。ということでこの映画「半落ち」は邦画です。主演は寺尾聡、柴田恭平他、結構渋めの俳優人、演技派の方々で固められています。タイトルの「半落ち」というのは警察の隠語で、犯罪容疑者の取調べによる供述が半分落ちたということを指しています。よく刑事ドラマとかに出てくる取調室でのやり取りで、ホシは「落ちた」とか、尋問専門のプロ刑事を「落としの誰々」とか表現する「落ち」の意味です。供述が全て完了したことを「かんおち」と言っていましたから、「半落ち」とは文字通り半分は終わったということです。そしてこの供述書を元に検察が立件して起訴することで裁判となるわけです。ドラマの内容は、これがちょっと重いテーマでして、いわゆる社会派ドラマといったところでしょうか。まずは、寺尾聡扮する警察の元教務官が「妻殺し」で自身の管轄所に自首してくるところから物語は始まります。動機はアルツハイマー病に犯されていた彼の妻自らが、夫に自分を殺してくれるよう願い、夫はそれにしたがって妻を絞殺したという、近年の社会問題として絶えず論議されている医療介護の問題から切り込んできます。自首された管轄の警察署では、当然この不祥事について体裁を整えるような処理を施そうとするわけですが、検察側との確執や、司法機構の中での担当刑事、担当検事の葛藤や、更に新聞報道、ジャーナリストや裁判官などの私生活なども織り交ぜてドラマは核心へと迫っていきます。この老齢元警察官の犯した妻殺し事件の真相を追究する担当刑事の葛藤を縦軸にして、これに関わる人々の日常生活の中からテーマである「あなたは誰のために生きているのですか」という問いかけが横軸として非常に緻密に織り込まれていきます。警察官の尊敬も厚く、部下に慕われる人格者である元教務官が、果たして殺人を犯すに至った心情と、なぜそこまで追い詰められたのかという謎かけから始まり、真相を知ろうとすればするほど司法機構という閉鎖的なシステムの中で複雑に絡まっていく人間関係がアンチテーゼとして描かれていきます。ドラマは犯人の動機とその心情の核心に次第に近づくことによって、遂にはあらたな社会問題までも浮き上がらせていきます。多少推理ドラマの要素もあるので全ては言えませんが、テーマは人間の生あるいは生命についての率直な問いかけであると思います。ドラマの中で幾度か語られる問いかけ「あなたは誰の為にいきているのですか」は、人間の究極のテーマではないでしょうか。ということで、私にとってはあまりにも沢山の問題をたたみかけられた様でちょっと重かったですね。特にアルツハイマーとかその他の身体的問題については、実際に関わられている方々を思うといたたまれない心境でもありました。つい最近ですが私の周辺でも同様の体験をされた方がいたので、この映画は見せたくないと思いました。また、警察機構内部の問題はよくやったなぁ、って感じですね。まあ、映画ですからあの程度が精一杯でしょうが、これはまさにフィクションですね。検察との関係も中々的を得ていたと思います。強いて言えば、メディアとしての新聞の現状がちょっとありきたりだったかなって感じです。あんなに根性のあるジャーナリストって、新聞社にはもうほとんどいないんじゃないですか。ましてこれだけの社会問題をテーマにして、きちんと消化できる能力のある記者が果たして何人いるか疑問です。映画もメディアですから、同業をあまり辛辣に叩きたくはなかったのかもしれませんが、官の腐敗以上にメディアも相当腐った状態であることは間違いないと思いますので、このあたりも現実に即した表現をされたらもっと共感が持てたかも知れません。やや、詰め込み過ぎという気もしますが、ちょっとシリアスな気分で社会派ドラマを見たいという方にはピッタリの映画です。
2006年01月16日
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昨夜はオールナイトでDVDを観賞いたしました。ということで今日は私好みの作品「ソウル・ザバイバー」についてノーガキをコキたいと思います。まずサブタイトルにある「ルーファスの捧ぐ」とあるようにこれはルーファス・トーマスに捧げるMOVIEです。更に往年のR&Bシンガーが続々と登場し、過去の映像と現在の姿をオーバーラップさせながら、近年のコンサートライブの模様を紹介しています。最近似たような映画が多く出ていますが、本作は他のものとはちょっと趣の違う切り口からSOULを描いています。ルーファス・トーマス、サム&デイブ、シュープリームス、アン・ピープルス、シャイ・ライツ、アイザック・ヘイズ、ウィルソン・ピケットなどなど60年代~70年代のSOULの代表選手たちが続々と登場してきます。このあたりは、モータウンやBBキングのブルース映画などと同様で、アーティストのインタビューや過去の映像を使って、昔のファンだけではなく今のリスナーたちにも興味を抱かせる内容になっています。ところが、この作品は他の作品と比べてアーティストの現在をストレートに見せてくれているところに非常に価値があります。それはノンフィクションのドキュメント・フィルムとしてのカメラが、アーティストの表面だけにとらわれることなく、現在のかれらのその私生活にまでリアルに迫っているからです。常々私が言っている、もちろん持論に過ぎませんが、本気で時代とかかわってきた人間は無傷で歳を重ねてはいない、ということがきちんと描かれていることに大変感動しました。そして黒人歌手、アーティストとして時代の先端を走った彼らのその後は、やはり誰もが相当な痛手を負っており、しかもすでに老境に入りつつある往年の大スターたちは、今もしっかりと不良精神を持ち続けて生きている姿がそこにあったのです。モータウンを代表とする、同時代を生きた他のアーティストは現役スターを含め陽の当たる道を歩み、片やワッツタックスを代表とする時代の流れに埋没していったアーティストたちの現在とは、その生き様もだいぶ違った色合いを見せています。少なくとも青春時代(くっさ~)を不良として裏通りを歩いてきた人なら、たぶん彼らの今の生き様をみて共感が沸くことでしょう。思えば70年代80年代がスポットを浴びる昨今、表舞台に現れる時代の代表者は生き残った実力者とも言えますが、その時代を本気で駆け抜けたその他大勢のアウトローの生き方こそ、今の自分たちと重なって、当時若い感性を揺さぶったSOULというものを今ようやく一人の日本人SOUL MANとして分かち合えたような、そんな気分にさせてくれた映画でした。大変抽象的な表現でしか語りませんが、それはこれから見る方への先入観を植え付けたくないからです。仮に若い頃遊びすぎてドロップアウトしてしまい、後半の人生で社会復帰に苦労された方なら、きっとこの映画を見たとき、今後の人生における「何か」を示唆してくれる思います。そしてそれこそが、私が追い続けた「SOUL」だと断言できます。(ちょっとオーバーかな?)とにかくこれは道楽者必見、お勧めの1本です。機会があったら一度その目で確かめて下さい。
2006年01月15日
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昨日はちょっとバイオレンス系ノスタルジーになってしまいましたので、今日は昭和40年頃の新宿のお話をしましょう。私の新宿の思い出といえばまず頭に浮かぶのが「フジオプロ」です。フジオプロというのは漫画家の赤塚不二夫先生のプロダクションのことで、場所は当時新宿の淀橋小学校近辺だったと思います。私が小学校高学年くらいの時で、空前の大ヒット「おそ松君」は全国の小学生を熱狂させた漫画でした。確か少年サンデーに連載されていたと思います。当時の少年週刊誌は「サンデー」と「マガジン」の二つしかなく、どちらもそれなりの人気連載がありましたが、なんといってもおそ松君はダントツで一位でした。そんな超売れっ子漫画家の赤塚先生に会いたいという一途な思いから、いつもの調子で私が先導役となって同級生を募り、あつかましくも先生の事務所を訪問したのでした。4~5人だったかなぁ。その同級生の中に地元「梅が丘」駅前で食堂をやっていた家の息子がいて、昔彼が新宿に住んでいたということで、うまくそそのかして道案内を頼みました。まるでおそ松君にでも会えるかのごとく期待に胸弾ませ、一同はそれぞれ親に内緒でかき集めてきた小遣いをはたいて小人切符を買い、小田急線に乗り込んだのです。高学年とはいえ小学生だけで電車に乗って学区粋から出るなどということは、当時では大変な不良行為でした。「誰々君のお姉さんが連れていってくれる」だの「誰々君の叔父さんが一緒」だのと大嘘コイてきたヤツや、しっかり黙って出てきたヤツなどもいて、悪いことをする背徳感はまた一種独自の快感にも繋がったりしておりました。それでも子供の思いは純粋で、とにかく人気漫画を描いている作家にひとめ会ってこの胸の思いを伝えたいという、全国漫画ファンの代表のような気分で一杯だったわけです。さて新宿駅に着いた一同は食堂の倅の道案内で淀橋浄水場を抜け、フジオプロが入っているビルを目指しました。当時の新宿駅は東口の拡張工事などで、やたら迂回路が多かったために、どうもはっきりした記憶が残っていないのですが、たぶん西口から新大久保方面へ抜ける道の雑居ビルだったのではないかと思います。駅から随分と歩いた記憶がありますから、住所は新宿でもかなり大久保寄りだったのではないでしょうか。そして遂に目指すビルを見つけ出した一同は、興奮に打ち震えながらフジオプロめがけて一気に突入したのでした。そこは小さな雑居ビルの2階か3階だったと思います。ところが事務所に続く階段にはすでに小中学生のグループが列を成してウダウダしており、子供同士とはいえ多少の殺気の気配も漂います。「お前等どこから来たの?」列の先頭にいる頭ひとつ抜きん出たヤツが横柄な態度で尋ねてきます。「梅が丘」「どこだよ梅が丘って」「世田谷」「世田谷かよ、随分遠くから来てんだな」って、聞いてる本人も世田谷がどこにあるかもわからなそうなヤツです。その他大勢の小学生もどうやらこの年上の中学生らしきヤツに頭をしっかり押さえつけらていたようで、反発精神は暗黙のうちに連帯意識が生まれます。「そんな遠くないよ。小田急線で10分くらいだぜ」さすが新宿育ちの食堂の倅が反撃します。思わぬ反抗的態度にちょっとひるんだ中学生はアゴを突き出して言います。「オレらは原宿から来てんだぜ」中学生の後ろに小学生らしき子供がひとり、どうも弟のようです。その他更に小さい小学生が食堂の倅に擦り寄るようにして口を挟みます。「ぼくたちは京王線の笹塚から来たんだ」こういう時の連帯意識は共通の敵を定めることで深まります。そんな子供同士の攻防が繰り広げられる中、事務所のドアがガチャッと開いて中からまたも小学生の一団がゾロゾロと出てきました。「ありがとうございました~!」小学生の一団は口々に例を言いながら階段を降りて行きます。しかもなにやら色紙のようなものを小脇に抱えているではありませんか。-し、しまったぁ~。サイン帳でも持ってくるんだった。一同がはっと気が付いたところで、事務所の中から小柄な口ひげ叔父さんが現れ、ニコニコしながら「さあ、お待たせ、どうぞ」と言って事務所の中に招き入れてくれました。中は机に向かって絵を描いている人が数人いるだけの非常に殺風景なオフィスでした。口ひげおじさんは子供たち一同を見回して「君たちはどこから来たの?」と尋ねました。それぞれの子供の口から勝手に飛び出す地名におじさんはニコニコして頷き、「えーと、何人かな~」と言いつつ子供たちの頭数を数えます。「ごめんね。赤塚先生は今この上の書斎で仕事中だから会えないんだよ」なんだか状況が呑み込めぬまま一同は事務所の中をキョロキョロ見渡して落ち着きません。「じゃ、ちょっとここで待っててね」そういって口ひげ叔父さんは事務所の奥に引っ込んでしまいました。またも子供たちだけの世界になると、攻防戦は復活します。「こんなに沢山いたんじゃ、赤塚不二夫には会わせてもらえないよな」件の中学生は私たち小学生グループに向かって、さもあえない原因はお前達のせいだぞ、ぐらいの高飛車な態度で再びアゴをしゃくりあげます。「おじさんは待ってろって言ったじゃん」またも食堂の倅が食い下がります。その後ろの低学年組も暗黙の後押しをします。緊張が高まったところで、口ひげおじさんの登場です。「いや~、待たせてごめんね。さあ、一人一枚ずつ取って」おじさんはおそ松君のキャラクターと赤塚不二夫先生のサインの入った色紙を一同に配り始めました。なんのことやら意味もわからぬまま一同は色紙を受け取り、描かれたキャラクター漫画に目を凝らしました。「やったあ、おれのはチビ太だ」「オレはデカパン」異常な興奮に盛り上がる一同はおじさんの誘導で事務所から出されます。とにかくモノを貰ったら納得するのが子供です。「ありがとうございました」そう口々に大きな声でお礼を言うと、喉をゴロゴロ言わせた猫のように皆色紙を抱えてさっさと階段を降ります。ここで少々あざとい私は、さっき中学生が呟いた「なんだオレのはイヤミかよ」の一言に「お前のと取り替えてくれよ」の次のセリフを予感し、小学生軍団全員に「さあ急がないと電車に間に合わないぞ」とかけ声をかけて一目散に走り出しました。結局何をしに来たのかわからぬ事務所訪問でしたが、子供にとってはもの凄い宝物を手に入れたようなもので、このリスクの高い冒険は十分に満足できるものでした。この色紙をくれた人が「ダメ親父」でブームに沸いた古谷敏三先生だったと知ったのは、色紙の中のチビ太が色あせて誇りにまみれになった頃でした。今にして思えば、この絵を描いたのもたぶん古谷先生だったのでしょう。子供好きの先生らしいファンサービスだったわけですね。
2006年01月14日
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昨日に引き続き今日は世田谷のお話をひとつ。え~、私が生まれ育った井の頭線池の上駅前の家は借家だったため、祖父の死後数年して立ち退きを迫られることとなりました。この時すでに私は父なし子であり、母親は年老いた祖母と弟(祖父母の長男ですね)を連れて小田急線の梅が丘というところに引っ越しました。鼻タレ小僧の私が5歳になったばかりの頃でした。当時は幼児を受け入れてくれるアパートなんぞは非常に少なく、結局私等没落一家の移った先は同じように幼児を抱える家族が寄り合った四畳半一間のアパートでした。まさしく落語に登場する長屋そのもので、隣の部屋とは薄壁1枚で仕切られ、6世帯が一棟に押し込まれた縦長のアパートでした。もちろんこの6世帯全部に子供がいるわけですから、それはそれは賑やかなものでした。すでに鼻タレ小僧の先導役としての自覚を持ち始めていた私にとっては、ちょっとしたガキ王国の大将になるにはさほどの時間は必要ありませんでした。もうひとつ、私がリーダーシップを発揮させる理由に、母親の弟、つまり私の叔父さんにあたるわけですが、この叔父さんが教育大学に行っていたことも大きく作用しておりました。そりゃ、なんてったって国立ですから、しかも学校の先生になるため大学で勉強しているんですから、こんな貧乏長屋にしてみればちょいとした立身出世物語、貧乏人の憧れ美談みたいなところがあり、その家族の子供という私は否応無く長屋の住民の勝手な期待を集める存在でもあったのです。自分で言うのもなんですが、それなりの恰好をしてだまって座っていれば賢そうな顔立ちで、ちょっとしたお坊ちゃんのような雰囲気は周りの大人の目にはそれなりの子供に映っていたのでしょう。こればかりは両親に感謝しなければなりません。この見た目の聡明さとか多少の品のよさとかは、その後トンコ修業に明け暮れた不良馬鹿時代にどれだけ役にたったことか、未だその顔も知らぬ父親や、苦労続きで年老いた母親に今更ながら感謝の念で一杯です。ということでこの頃の話をしたら落語のネタ以上にリアルなバカ話満載で、話し始めたら止まらなくなりそうなのでこれはまた改めてということにしましょう。さて、この長屋は小田急線梅が丘駅から徒歩十五分くらいのところにあり、そのアパートの前は都立明正高校があり、その高校の坂上には国士舘大学がありました。そして私が通った世田谷区立山崎小学校、中学校は、その国士舘大学の通学路に面した場所に位置しておりました。このように不良小僧を育成するにはまさに最適な環境で育った私が、小学校を卒業して中学に進む頃にはしっかりとアウトローへの道を歩まぬわけがありません。なにせ登下校の際には蛇腹の制服を着たガニ股歩きのお兄さんやら、もちょっと年上のやたら長い丈の学生服を着たお兄さんやらが、あたり構わず「押忍!」「オスッ!」「おっす!」の怒号とも思える挨拶をしまくる姿は、軍隊というか、縦の社会というか、子供心にもがんじがらめの教育の一種独特の恐怖を垣間見たものでした。対する都立明正高校の自由で軟派な生徒を見るにつけ、すでにこの頃から公立、私立、男子校、共学校の違い、如いては世の中の矛盾をはっきりと認識したものでした。昭和四十年代後半の頃です。更に、私の住んでおりました長屋の近くにはバタ屋部落と呼ばれた一角があり、さすが長屋の住民である、おっかさん、おとっつぁんは子供たちにここへの出入りは固く禁じておりました。ダメと言われりゃ尚更やりたがるイケイケ小僧は、近所の悪童を引き連れてこの秘境に探索に出かけ、そこで知り合った秘境の悪童たちと親交を深めることになり、これらの仲間は後に地元の不良軍団として一緒に育っていくことになったのでした。当時の世田谷は武蔵野と呼ばれたくらいですから、未だあちこちに畑なども点在し、のどかな土地でもありました。同級生の半分くらいは駅前の商店街の子供たち、四分の一くらいが地元の地主系といわゆるサラリーマン家庭のやや裕福な子供たち、残りがビンボーなウチのガキたちといった層に分かれていました。小学生くらいまではこの身分差は認識こそあれ、さほど強調される意識までにはなりませんが、思春期を迎え、自分の生活環境や人生上の自分の将来などを漠然と描き始める頃には屈折した感情となって現れ始めます。昔は一緒に野球をしたりサッカーをして遊んだ奴らが、義務教育を終了する頃にはきっちりと別の世界で生きるようになっていきます。同じ不良の道を志す地元の中でも更なる色分けが進みます。商店街グループは将来その商店を背負って立つプレッシャーを意識し始め、不良というよりはいち早く大人への道歩み始めていきます。中流家庭組の不良グループはバイクとかバンドとか、多少の経済的ゆとりからホビー系不良の道を実践していきます。残ったのがどーしょーもないビンボー者不良グループです。ご存知の通り、これが一番タチの悪い不良となっていくわけですね。当時の不良の一世一代の見せ場はなんといっても「お祭り」です。世田谷もあちこちに八幡さまがあり、新宿方面から順を追って縁日が始まります。梅が丘の不良グループもお祭りには徒党を組んで出かけますが、必ず近隣の学校の不良たちといざこざを起こします。というよりはいざこざを起こすために出張っていくわけですから、ここらが不良の一番の晴れ舞台になります。そして近隣の不良グループを押さえ込むことが地域の不良勢力を束ねることになります。最近の縁日にはテキヤさんなど居ないようですが、当時はテキヤさんが良い味を出していましたね。ダボシャツに腹巻、雪駄で鉢巻して、彫り物もチラチラ見えて、結構粋でした。中には中学校の同級生なんかが混じってたりして、妙に大人に見えたりしたものでした。さて、お祭りのメインイベントである不良同士のケンカは神社の境内の裏とか、縁日夜店の路地とかで繰り広げられます。選手代表は大概中学時代の番長の因縁を引きずっていますから、ここで頭を押さえれば地元で一躍有名になれるわけです。当時の私の地元では、梅が丘中学、若林中学、世田谷中学、太子堂中学、桜ヶ丘中学、緑ヶ丘中学、富士中学、このあたりを制すれば十分地元の顔役になれました。まあケンカといっても可愛いもので、バカ不良小僧がぐるりと輪になってファイターを囲み、中では素手で殴りあうという単純なものでした。しかも殴りあう前に、空手のカタとかボクシングのポーズとかのハッタリも十分にアピールされ、時には柔道のような投げ技で押さえ込まれて終わりなんてのもありました。ところが、ここで名前を売っていくことが更なる危険を招くということに気がついた頃には、当人も逃げられないほどのバカの袋小路に入りこんでいて、無責任なギャラリーの手前、したくもないケンかを本気でさせられることになるのです。我町内の番長Y君もバタ屋部落出身のファイターでしたが、実際にお兄様は本職のヤクザでありまして、ハッタリも十分に効いた中々のヒーローでした。事実近隣の中学校の番長を数人支配化に置き、それなりの地位を保っていたのですが、中学を卒業と同時に高校に進学、もちろん彼が行けるようなトコですからツワモノ揃いの学校なわけで、世の中はそんなに甘くないということをすぐに悟ったY君でした。ところが地元ではすでに神格化された番長ですから、地元のアホ連中が待ちに待ったお祭りの夜、大名行列のように引っ張り出され、更なる強敵と一戦を交えることになってしまったのです。とにかくきっかけを作るのが大好きなバカ舎弟のような小僧が、見慣れぬ猛者に因縁つけて「ちょっと待ってろよ」の捨て台詞を残してY君の下へひた走ったわけです。「兄貴ぃ、ちょっとみかけねぇツラしたツッパリに因縁こかれたんすよぉ~」早く修羅場を見たい無責任なアホ小僧のギャラリーたちは、「どこのどいつだ!」ぐらいに場を盛り上げ、いざ大将のご出陣となります。しかし、この頃のY君はすでに世の中には上には上がいるということを高校生活で多少は学んでおりますから、見知らぬツッパリを相手に一戦交えることがどれだけリスクのあるケンカであるか察しているわけです。「Y君だったら一発だよ」「ここらでイキがるとどーゆーことになるか教えた方が良いっすよ」更に逃げ道をふさがれたY君は担がれた神輿のように相手の前へと誘われていきます。「なんだてめぇ、こんな大勢つれてきやがって」先手を取られたY君、それでもギャラリーの手前恰好だけはつけます。「心配すんな、俺が相手してやっからよ」と啖呵を切って相手を裏道に連れて行きます。跡に続く金魚の糞たち。ところが路地に入った途端、ギャラリーたちは思いがけない光景を目の当たりにして言葉を失います。Y君の後ろを歩いていた猛者は、いきなりY君を背後から羽交い絞めにしてそのままバックドロップ、脳天逆落としを食らわせたのでした。ゴンッと音を立ててコンクリートに頭から落とされたY君は、道路に転がったまま頭から血を流して声も出ません。猛者は更に出血した頭を踏みつけるように踵で蹴り飛ばしました。またしてもゴンッと音を立ててもんどりうったY君の鼻からおびただしい鮮血が噴出し、大の字に転がったY君は白目を剥いています。猛者はギャラリー一同を見回して、ケンカの発端を作ったY君の舎弟を見つけ出すと、さほどきつくない目で睨みました。「次はおめぇか?」言った途端に舎弟は一目散に逃げ出しました。ギャラリー一同は今目の前の事態を理解するほど余裕もなく、ただ黙って立っているだけで精一杯でした。「誰か救急車でも呼んでやれよ」そう言って猛者は縁日の人ごみに消えて行きました。この事件の数ヵ月後、首にギプスを捲いたY君は親戚を頼って大阪に旅立ちました。聞く所によると、関西一のY組系のどこぞの組に就職したとのことでした。もちろん、それ以来地元のアホ連中は彼の姿を見ていません
2006年01月13日
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私は昭和30年、東京は世田谷区代沢というところで生まれました。正確に言うと、国立淡島総合病院の一室で母体からこの世に現れました。当時の記憶はかなり漠然とはしておりますが、4歳あたりからのいくつかのシーンが今もしっかりと脳裏に焼きついております。意識が芽生え始めた頃、私は井の頭線の池の上という駅前にあった2階建ての家で暮らしておりました。池ノ上駅の下北沢寄り踏み切りの真ん前、東北沢から淡島通りに抜ける駅前商店街、当然、現在もその跡地には建物が立っており、道路を挟んだ反対側には「佐久間葬儀店」が昔のまま残っているようです。この佐久間葬儀社の息子と私は同い年で、我家の裏手にあった古材木置き場で遊んだ覚えがあります。踏み切りを渡って線路沿いに進むと池の上小学校があり、正門へ続く小道に「金鳥」という駄菓子屋がありました。お店は二軒並んでいて、向かって右側が駄菓子屋、左手が文房具屋と分かれていて、学校帰りの子供達の溜まり場でした。その頃の近所の遊び友達といえば、佐久間葬儀社の倅、その隣の床屋の倅、我家の隣で反物を扱っていた家の倅、駅前のすし屋の倅、踏切を越えた乾物屋の倅などでした。所謂商店街の倅たちってところでしょうか。今でもそうですが隣駅の下北沢には立派な商店街がありますから、当時池ノ上駅前は猫の額ほどの商店街でしかありませんでした。私の家は祖父が一代で起こした運送業を営んでおり、門前には荷物を置く広い土間があり、時々そこには炭俵が高く積み上げられていておりました。というのも、その頃すでに祖父は他界しており、運送業は廃業、土間はそういった業者さんに場所を貸していたようです。しかし、こんな物心付くか付かないうちでもすでに子供社会のヒエラルキーは形成されており、もちろんこれは力関係で明確な序列が出来上がっているわけです。私達のグループでは、まずひとつだけ歳が上だった反物屋の倅が気性も荒く手が早かったせいか、みな一目置く存在でした。そして何故か次が私で、私の場合は力関係というよりは遊びに対するその発想力や先導性のようなものが評価されていたようです。一度、私はこれら鼻たれグループを扇動して、井の頭線の線路脇を歩いて鉄橋を見に出かけたことがありました。残念ながらご近所のオバちゃんの通報により、血の気の失せた青鬼のような形相の父母連の追っ手が入り、志半ばで連れ戻されてしまう結果となりましたが、当時の私はいつも目にしていた下北沢茶沢通りにかかっている鉄橋を、この足で歩いて渡ってみたいという夢に突き動かされ、その話に目を輝かせた鼻タレ軍団を率いて先頭を行ったのでした。当然、各自が家に連れ戻されるや否や頭といわず尻といわず殴られ、ある者は大人の拳ほどもあるお灸を据えられるというような、厳しいお仕置きを受けたことは言うまでもありません。そんな当時の商店街小僧達のパラダイスはなんといっても渋谷でした。駅前の東横百貨店は子供達の夢の国のようなものでした。もちろんメインスポットは玩具売り場、次に屋上にある遊園地、締めくくりは最上階にあったお好み食堂のお子様ランチが鼻タレ小僧のフルコースでありました。都内の電鉄駅はどこも随分と様変わりしましたが、井の頭線渋谷駅だけは今も当時の面影が多少残っています。改札をでて左手の窓からセンター街ビルの上に電光掲示板が見え、切符売り場で券を買う間ここで待たされる子供はみな小さな窓ガラスから電飾文字や絵が動くのを覗いていました。デパートという言葉に郷愁とほのかな憧れを未だ持ち続ける私は、あのエスカレーターに乗って売り場を巡った子供のころの興奮は潜在的に私の中で確実に生きています。「おでかけ」という言葉の響きも良いですね。普段みすぼらしい恰好をした鼻タレ小僧が窮屈な服を着せられ、親の見栄としか言いようのないエナメルの黒靴など履かされて電車に乗って出かける「トーヨコデパート」は、当時「おでかけ」という神聖な儀式のようでもありました。渋谷駅といえばハチ公像です。あのあたりもレイアウトは随分と変わりましたが、雰囲気的には当時の面影を引きずっているように思えます。まあ一番様変わりしたのは道玄坂あたりでしょう。昔は百軒店(ヒャッケンダナ)と呼ばれるテント村みたいな一角があって、ここらは駅前のモダンな雰囲気とは別に終戦後の闇市の影を引きずる雰囲気がありました。回りには空き地もたくさんあったし、駅前を外れると閑散とした住宅地みたいな感じでした。このあたりは確か昭和50年頃まで残っていて、不良が吊るしのコンポラとかヨウラン(丈の長い背広)などを買いに来ていました。当時はまだ不良のヒーロー安藤組の伝説が、不良の間では憧憬を持って語り継がれていましたから、このあたりを徘徊することで一丁前の不良を気取るバカが沢山おりました。ちなみに私の祖父母は戦前戦後にかけて、運送業の傍らこのあたりで焼き鳥屋を営んでいたこともあり、闇市時代の話は多少耳にしたこともあります。ご近所の娘さんがヤクザに憬れてズベ公のグループに入ってしまい、足抜けが出来ず親御さんに請われて祖父が話をつけに行ったこととか、後年は安藤組の若い衆が店によく出入りしていたことなどを聞いた覚えがあります。まあ、とにかく私の中では渋谷は特別に思い入れの深い町です。思春期には新宿の方に入りびたりとなりましたが、渋谷は心の奥底に流れる故郷のような気がしてなりません。旧国鉄(今のJRですね)のガード下を渡って井の頭線乗り場に続く階段の下には、不二家があって、ぺこちゃん、ぽこちゃんの人形の前でえんぴつチョコやパラソルチョコを買ってもらうのが帰路最後のおねだりでした。当時、ガード下には傷痍軍人がアコーディオンを引いてたり、ゴザ敷きのテキヤさんなども居て、公衆便所から漂ってくるアンモニア臭など、まだまだ胡散臭い街並みでした。そんな渋谷の町に燦然と輝く希望の星が東横百貨店と不二家で、幼い子供の目には憬れの地、そこはまさに異国でした。今も忘れない東横デパート玩具売り場で見たブリキ製の宇宙探検ロボットが欲しかった。銀色に塗装されたコルト45も欲しかった。拳銃無宿のショットガンも欲しかった。ララミー牧場のウィンチェスターも欲しかった。ライフルマンのライフルも欲しかった。ローハイドの・・・・・・。
2006年01月12日
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昨日の続き「壬生義士伝」について語り足りない部分があるので、もう少しノーガキをこきます。この物語は盛岡出身の下級武士である吉村という侍が、凶作による飢餓に喘ぐ一家の窮状を救うため藩を捨て「出稼ぎ」に出るところから始まります。彼が見出した「金策」というのが、幕末の動乱期に色々な思惑から組織された「新撰組」に入隊することであり、やはり同様な考えから集まってきた脱藩者達と共に日本国の革命という時代の大きな波に呑み込まれていく「侍」の姿が描かれています。徳川幕府が長い年月をかけて築いてきた日本という国のパラダイムが、新しい価値観によってそのすべてを書き変えられていった時代を背景に、その時代の流れに翻弄されつつもあくまでも家族の愛に拘って生きた一人の男・武士を中心に物語は展開されていきます。いわゆる明治維新・幕末に関しては数多くの著作が出ておりますので、深くは触れませんが、まあいつの時代も一般庶民にとっては目の前にある日々の暮らしこそが現実であって、時代や国というものを大きな視野で見るほどの余裕はないわけであります。ましてや自分がその時代を動かしているのだ、などという志や自覚を持って生きた者はやはりごく一部の人間だけであったと思います。大方の者たちはその時代、世の中の混乱のドサクサに紛れていかに生き延びるか、いかに良い身分を勝ち取るかということだけが目的だったわけで、これもいつの時代でも変わらないことではないかと思います。この物語の主人公も「大義名分」を利用して、家族を養うため出稼ぎに出たわけですが、なにせ革命ですから今で言うところの内戦状態なわけで、体制側につくか反体制側につくかはちょっとした博打のようなものであったでしょう。さあそして、この主人公は女房子供を飢え死にさせぬために一生懸命に金を稼ぐわけですが、彼の商売はもちろん人斬りであります。今風に言えば傭兵でしょうか。雇われて戦争をする、人殺し部隊ですね。もちろんどんな形にせよ戦争とは大義名分によって行われるものですが、内情は利権の争奪戦であり、所詮は資本家のための権力闘争でありますから、その戦争の末端に位置する前線の兵がお金の為に人殺しをするのは当たり前なわけで、大量に相手を殺戮した場合などは「手柄を立てた」ということで表彰までされてしまうわけです。とまあ、物語の大筋はこんな感じですが、もちろんこの大筋には色々な肉付けがされているのでこんな感単に説明が付くものではありません。ご興味のある方は本でも映画でも是非ご覧になって下さい。というわけで私が一番感銘を受けたのが、「ヤツはオレ達の良心なんだ」という部分です。これは物語の中で主人公と対比されて描かれている、非常にクールで人を斬ることだけを生きる目的とした斉藤という男の言葉で、その男は自らも人間を否定して生きている侍であり、その斉藤がこの主人公である吉村という武士を指して言った言葉です。そして主人公の吉村はこう言います。「私は生きるために人を斬る。私はまだ死ぬわけにはいかないんだ」斉藤は新撰組という傭兵部隊で殺戮を重ねていくうちに、主人公の吉村という男の生き方を見極めていきます。それは、自分の所属する新撰組のためでもなければ藩のためでもなく、徳川幕府や新政府でもなく、もちろん朝廷や天皇のためでもなく、只ひたすらに自分の家族を飢え死にさせないために人を斬って金を稼ぐという献身的行為に貫かれています。そして、その彼の生き様が体現しているものこそが、人としての「良心」であると言ったのです。映画では描かれていませんが、原作では最後にその良心が生み落とした「種」が「実」を結んでいくところまで書かれています。時代は変われども今私たちが暮らしている世界とどれほどの違いがあるでしょうか?確かに刀を持って命こそ奪ったりはしていませんが、資本社会の中での殺戮は日々繰り返されています。私にしても、生きるためには数々の人の人生を踏みにじって来たわけで、それはとりもなおさず人間の人間たる所以でもあります。そして私たちは今も、必ずこの世界のどこかに人間の「良心」を見ているのです。少々俗っぽい話になってしまいましたが、人の生活、人生の中で時折垣間見ることのできる「良心」が、いわゆる宗教で言うところの「神」の存在ではないでしょうか。しかしながら、哀しいかな「良心」はほんの束の間の存在であり、現れてはすぐに消え、時間という流れの中に埋没していってしまいます。朝のTVニュースで流れる惨事、無慈悲にも失命された人々が映し出され、これらの現実を目の当たりした私は心の中から沸き起こる深い哀しみに包まれます。数分後、ニュースは明るい話題に移り、私の心は喜びに満ち溢れます。そして今私は今日のお昼ご飯の心配をしています。これが私という人間です。そして私はこうして誰にでもできる評論を書いているのです。この記事を評価する
2006年01月11日
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「お申さげながんす」先日ご紹介しました浅田次郎著「壬生義士伝」の映画をDVD鑑賞致しました。聞くところによるとTVでも渡辺謙主演でドラマ化されたようですが、映画のほうは中井貴一主演でした。話題的にはとうに旬を過ぎてはおりますが、なにぶん離島に暮らす身の上ですので多少のズレはお許し下さい。「おもさげながんす」(これはこのドラマの主人公の盛岡弁?の口癖ですね・笑)ということで私は原作本を読んでいたので、十分に楽しめる内容ではありましたが、映画だけ見た人は果たしてこのモラルというかテーマを理解できるのかなというのが率直な感想です。映画というのはおよそ2時間の中で全てを凝縮表現するという枠がありますから、あらためて脚色物の難しさを感じました。特に原作が良くできていると、観客の先入観みたいなものに左右されてしまったり、どの部分に焦点をあてるかという選択によっては商業的な成功、興行成績を生むかどうかも重要なファクターとなりますから、監督の腕にすべてはかかっているということになるのでしょうか。個人的にはクライマックスでの「泣き」がちょっと物足りなかったかなぁという感じですが、中々しっかりとした作りで丁寧に撮られた作品だと思います。読書時は主人公の吉村のイメージはもうちょっと色白の優男を描いていたのですが、それでも中井貴一さん、十分に役にはまっていました。脇を固める佐藤浩市さんも中々良かったです。前半でもっと悪人っぽかったら後半がも少し泣けたかなって感じですか。テレビドラマの渡辺謙さんは見てませんが、イメージ的には中井さんの方が良いかな。このDVDは家族全員で見るぞ!のかけ声とともに父親の強権を発動して女房子供を無理矢理テレビの前に参集させました。「いいか、このドラマはなぁ、お父さんのお友達が感動して勧めてくれた家族のドラマなんだぞ。だから皆で見なければ申し訳ないんだ」「え~、私、時代劇なんか見たくないよぉ~」「これってラストサムライみたいな映画?」「ニンジャとか出てくるの?」「シノビっていうんだよね」「シンセングミってNHKでやってたヤツと同じ?」という具合に、始まりこそブツブツ言われましたがやはり映像は直接感性に訴えてきますので、親父の強引さに対する不平不満もそのうち大人しくなり一同画面に集中いたしました。ギャラリーからは時折時代考証や歴史についての質問を受けましたが、そんな教養があるくらいだったらこんな僻地で暮らしているわきゃねぇだろ、と心の中で思いつつも、父親のメンツにかけて知ったか野郎の大雑把な指導で乗り切りました。さあ、いよいよクライマックス。もちろん私も、どういう見せ方をするのか興味津々、心の中では「さあ、泣けよ、お前ら、たっぷり泣いてお父さんの苦労を知るのだぞ」と多少の作為も見え隠れする中、ドラマは最終章へと突入して行きました。一家団欒、しばし沈黙を破ったのは奥方でした。「可哀想じゃん。なんで助けてあげないのよぉ~、幼馴染なんでしょ」-更に娘が「この人なんで鉄砲隊の中へ切り込んでいっちゃったわけ?逃げれば良かったじゃん」-再び奥方「なんでその息子まで行くのよ」-なんと我息子までも「妹がかわいそうだよね」策士策に溺れる。なんと家族からはブーイングの嵐が巻き起こってしまいました。お父さんの目論みは儚く消え失せ、ニッポン人のルーツ、サムライ魂は我家ではとうとう理解されることもなく週末の夜は過ぎていったのでした。ということでニッポン人の「侍魂」は今や単なる中年男の郷愁となってしまったようで、このドラマの主人公のような生き様は、もはや男のロマンとしてデフォルメされた虚像にすぎないのかとシミジミ思ったりしました。確かに死ぬの生きるのという追い詰められた時代ではありませんから、人と人がギリギリの境界線で触れ合うというような手触りは、もう日本人の手には届かないものとなってしまったのかもしれませんね。そういえば以前にも「たそがれ清兵衛」という時代劇を見たときも、我家では私以外に大きな感動は得られませんでした。あれっ?でもトム・クルーズには感動していたなぁ。なんでだろ?生き残ったからかなぁ。そう言えば、渡辺謙演じるサムライ勝本が死ぬときも、同じようなこと言ってましたね。この武士道的精神の「死」は、やはり今時の子供には理解出来ないのかも知れませんね。もちろん決して褒められる行為だとは思えませんが、この精神というのはどうも時代を反映しているようで、昨今の不祥事や事件の当事者達の往生際の悪さにはもはや「武士道」のような精神を見出すことは不可能です。こんな大人たちを見て育った子供には損得抜きで生きる「道」は見えてこないのかも知れませんね。でも私は、日本人に限らず人間には「損を承知で何かをやる」遺伝子は必ず組み込まれていると思いますし、いずれはこの遺伝子が読み返されることを信じたいです。そのためにも、くだらないこと、ばからしいこと、一銭にもならないことに死ぬまで血道を上げて行きたいと思います。なんだか映画評が脱線してしまいましたが、「壬生義士伝」には私的に色々な人生のエッセンスが隠されているので、もう一度あらためて語りたいと思います。この記事を評価する
2006年01月10日
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このところ多忙な非生産活動推進委員会は、現実のお勤めである生産活動に追われてしまい昨日のどーらくをお休みしてしまいました。また、今日は朝から電話回線の調子が非常に悪くブログの書き込みが遅れてしまいました。全国のどーらくファンの皆様申し訳ございませんでした。というわけで本日の道楽者のテーマは「評論家」という職業についてです。しかし、世の中には色々なジャンルの評論家がいますよね。飛行機事故とかになると突然とってつけたような航空機材事故評論家とか、戦争が起こったりすると軍事評論家とか、最近では「萌えぇ~」でおなじみ秋葉系評論家とか、ワケのわからない人も結構出てきますね。こういう人たちは普段何してゴハンを食べているのか不思議です。できれば私も何かの評論家になってメシを食っていきたいものです。でもって、彼等の評論っていうのが、ほとんど意味の分からないものとか、単なるノーガキに過ぎないことが多くて、別にこんな人を引っ張り出してこなくても、その業界に携わっている人でも十分に説明できる簡単な内容のものばかりというのが実情ですね。だいたい専門的なジャンルになればなるほど専門用語とかカタカナが多用され、いかにもプロっぽい雰囲気を出していますが、じゃあ端的に言うとどうなのって考えると、非常に当たり前なフツーのことしか言ってないわけですね。つまりマスコミに名前が出ていればプロとしての資格を得ているという思い込みが狡猾に作用しているわけで、下手したら今時の中学生や高校生だってもっとまともなこといえるぞっ、てな人もかなり多いくせに、それらを真に受けて受け売りしてるヤツとかでてくるから困ったものですね。もう少し自分の目で見て自分の頭を使って考えないと、本当にヤバイことになりますよ。だいたい世の中、つまり社会や人生、人の生き方にマニュアルなんてもともとないんだし、強いて言うのなら「取扱説明書」としての義務教育があるくらいのものです。これにしても時代というハードの中で国家というシステムが作動する原則的な取り扱い方しか書いてありませんから、各自が環境に合わせて自身でマニュアルを作成していかなくてはなりません。一応この「取り説」のなかで一番肝心で原則として変えられないものは、自分が所属する「国」と、コミュニケーションのための「言語」ですね。まあ、よその国へ帰化したり、失踪してとんでもない僻地に勝手に紛れ込んだりする人も中にはいますから、例外もありということで認識しておくべきでしょう。ほとんどの人は出生した土地の国の一員として、その国の中で生きて行く「取り説」を貰う訳です。こればかりは運と言うか、どういうシステムで生まれてくるのかわかりませんから、本人が好むと好まざるとに関わらず、かならずどこかの国民として登録されなければなりません。更にその国の地域、区域、家族などの順に所属が決められています。そして「評論家」なる職業、あるいは生業が必要とされる場合ですが、それはこのような人間の所属部分が重なり合ったり比較されたりする状況下において、価値観の均衡化が行われるときに最も効力を発揮します。身近な例で言えば、映画とか音楽とか文化・芸術面では、アーティストの持つ価値観を具体的な表現を用いて説明することが評論家のお仕事でもあります。通常は評論家自身がそのアーティストの熱狂的ファンとか信者だったりしますから、かなり詳細にそのアーティストの人物像に触れることができます。ただし、ここで勘違いしてはいけないのは、評論家は本人ではありませんから、どんなに深く突っ込もうが知識があろうが、そのアーティストが創作した作品が持つ「中味」については語れるわけがありません。あくまでも送り手であるその作品と、受け手である観客、あるいはリスナーとの作用関係を説明するに過ぎません。時々何を勘違いしたか、アーティストの価値観やメッセージにまで大きなお世話を焼きたがる評論家がいますが、造った本人が言わないことまで言ってはいけません。まあ、文化芸術面というのは、根本的に人間の感性の部分ですから、多少の脱線や僭越な見解もしばしば許されますが、これが政治とか経済になると、「社会現象」などというもっともらしい表現を使って自身の著作物の販売促進などに利用するケースがありますので注意が必要です。よく、「これからの時代を乗り切る答えはここにある」みたいな発言やコピーで、ビジネス書やノウハウ本などをアピールする大先生などもおりますが、評論化が回答を用意して「取り説」を作ること自体が本末転倒です。答えを持っているのなら、自らが率先して政治家なり経営者になれば良いので、責任のない立場で偉そうなことを言ってはいけませんね。更に、具体的な答えすらなく、最後は哲学みたいなことを言い出す先生にも困りますが、もっと凄い先生になると強引に神仏、宗教に持ち込む場合もあったりします。そして一番タチの悪い評論家もどきは、何でも評論したがるフツーの人々ですね。物事を評論することで、その立場と自分が同格だと思い込んでしまう人たちです。自分が勝手に思い込んでる分には構いませんが、他人を捕まえて「オオモノ」をアピールされたりすると、もうこれは関わった人たち全員が不幸な時間をシェアしなければならなくなります。誰彼構わず人を捕まえては、政治談議、経済談義を繰り広げたがる「近所の鼻つまみ者」は、「小泉政権は・・」とか「そもそもイラク紛争は・・」とか、語り始めた時点で本人はすっかり小泉さんとか防衛庁長官とかと同格の立場になってしまいます。まあ、この程度なら単なる「鼻ツマミ野郎」でバカに付き合うってのも暇つぶしくらいにはなりますが、もっと身近な話題で盛り上がる評論家モドキは手が付けられませんので、さっさと逃げ出すことをお薦めいたします。もし逃げられないような状況に遭遇した場合は、逆に質問攻めにして戦意を喪失させる作戦もあります。しっかりと「オオモノ」っぷりを見極めるように、バカになりきってくだらない質問で相手を疲れさせましょう。子供の頃、誰彼構わず大人にぶつけた「なぜ、なぜ?」の質問攻めを思い出して下さい。相手が答えられなくなった時、答えるのが面倒臭くなったとき、それは貴方に勝利が訪れ無駄な時間の浪費から開放される瞬間です。この記事を評価する
2006年01月09日
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え~、昨日はサイパン領事主催の新年会に行ってきました。正確に言うと、在北マリアナ連邦諸島日本国領事館松海領事が在留邦人を招待した新年パーティです。ちなみにサイパン島の人口は約7万人で、領事館の昨年度の調査によると在留邦人は約1500人ほどだそうです。私が思うにあと100人くらいは観光で入国してそのまま潜伏している人がいるのではないかと思っています。カード破産者とか禁治産者とかね(笑)ということで、出席者は100人未満といったところでした。私も一応仕事柄こういった場には顔をだしているワケですが、毎年出席するたびに、その昔ペルー大使館で起きた例の事件を思い出しては道楽者的空想に浸ったりします。まあサイパンの場合は米国領でしかも自治領ですから、いきなり武装集団に襲われたりすることもありませんが、何があってもおかしくない時代なのでせめて心の準備というか危機感は持っていなければなりませんね。たぶんペルーの時もこんな感じで、のほほーんとおせち料理や升酒など飲んで「おめでとうございます」なんてやってたんでしょうね。そこにいきなり武装集団がダダーッとなだれ込んできたんですから、そりゃ皆相当慌てたことでしょう。しかし、私の体験から言わせてもらうと、日本人というのはこういう突然発生した危険状況に対して殆どの人が無力というか、棒立ちというか、現状認識に大変疎い民族ですね。今目の前で起こっている状況がきちんと理解できないし、何をどうすれば良いのかさえもほとんどの人が瞬時に判断できずうろたえるばかりです。うろたえるくらいならまだましですが、本当にその場にぼーっと立ち尽くすような光景を何度目にしたことでしょうか。これはあまりにもニッポンの生活、というよりニッポンでの育ち方が平和かということを物語っていますね。私も過去数々の「危険」に遭遇しましたが、まあまず日本人の殆どが無防備でお人好しですね。特に事故や犯罪の被害者になった時の日本人ほど無力なものはありません。「想定外」ってことになるのでしょうかね。ニッポンでは日常的にまず起こりえない軽犯罪が東南アジアでは頻繁に起こります。最近の日本もこのような事件が多発しているようですが、日常的という面ではその比ではありません。またそんな無防備の日本人が被害に遭えば遭うほど、犯罪の標的、恰好の餌食として彼等の「想定内」になっていくわけです。私もサイパン在住二十年の間には強盗、窃盗、空き巣、乱闘、交通事故、水難事故等など、自らも被害者になった経験もあり、そのたびにニッポンという国がどれだけ平和な国であるかをつくづく思い知らされます。最近の日本もだいぶ危なくなってきているようですが、それでも日常的に犯罪に巻き込まれる件数はまだまだ低いはずです。自爆ネタで恐縮ですが、十数年前、繁華街のど真ん中で強盗に遭った話をしましょう。まだ宵の口の10時頃だったでしょうか。飲み屋で接待を終え、繁華街を駐車場まで歩いておりましたところ、すれ違った車の中からロコボーイが声をかけてきました。「タバコくれ」とか「小銭くれ」なんてことは時々ありますから、ちょっと危険だなと感じつつも無視して背中を向けて二~三歩歩いたところ、背後からドンと押されたので振り返ると手にしていたセカンドバッグをひったくられました。ひったくった現地の少年は仲間の乗るピックアップに飛び乗ると、もの凄い勢いで逃げ去ったのです。商店街の人たちが目撃してましたから、なんだなんだと出てきてくれて、「大丈夫か」などと声をかけてくれました。このあたりは日本と違ってみなすぐに出張ってきてくれて面倒みてくれます。ご存知のように不良出身の私ですから、常に貴重品や現金は別に隠して、バッグには大したものは入れていませんでした。あえて言うなら中味よりバッグの方が高かった(笑)ということで、少々恥ずかしながらも商店街の方々に「大丈夫、大丈夫」などと愛想笑いなどしながら余裕をかまして突っ張っておりました。この辺もノーテンキですよねニッポン人は。引ったくりにあったんだから大丈夫なわけないだろって。でも大方の日本人はこんな感じじゃないですか。対面とかを結構気にしたりして。でもって、射撃場のオヤジが水などをコップにいれて持ってきてくれたりして、まずは水飲んで落ち着けってことですね(水はイイらしいですよこーゆー時は)、実際私も非常に落ち着いていて、さてどうしたもんかな、などと考えつつ、射撃場のおっちゃんに「なんでピストルで撃ってくれなかったんだよ」なんて冗談まで言ったりしてヘラヘラしてたんですけど、なんだか人が妙に集まってくるんですね、自分の周りに。なんだよ、そんな大げさなことじゃねーだろ、たかだか引ったくりじゃん、みたいな感じですね。そこで、こりゃ早く退散しようと思い、水の入ったコップを射撃場のおっちゃんに返そうとしたら、着ていた白シャツが赤く染まっているではありませんか。おや、どっか怪我したかなと思って、さっき背後からぶつかられたあたりに手をやると、なんと真赤な血がべっとり、「なんじゃ、こりゃぁ~!」って故松田優作さんの真似してる場合じゃないって、しっかり背中を刃物で刺されていたんですね。驚くというより事態を飲み込むまでに数十秒かかりました。まさしく「想定外」です。商店街の皆様の手回しが良く、今自分がどのような状況にいるのかをようやく理解し始めた頃救急車が到着、そのまま病院に連れて行ってもらいました。ちなみに翌日の地元新聞にきちんと名前入りで登場してしまいました。仲間内では「フィリピーナと痴話喧嘩のもつれで刺される」とか噂されて酒の肴にされたりもしました。こういったことが、以前から私の言う「井の中の蛙」ということなんです。皆、ニッポンの常識でしか環境を理解できない。まさかセカンドバッグひったくるのに刃物で刺したりするとは思いませんからね。日本的な感覚だとそう考えますよね。長期在住の私ですらまだまだ認識が甘かったですね。危険と感じたとき、早足で逃げるとか目を逸らさずに立ち止まるとかすればよかったんですけどね、まさかね、刺されるとは思いもよりませんでした。地元民ですらこうですから観光客はおして知るべしです。人通りの少ない裏道を薄着のおねーちゃんが二人で、ブランドのバッグなんぞぶら下げてフラフラしていたら、「どこかに私を連れてって」って言ってるようなものですよね。車が近づいてきてカタコトの日本語で優しく声かけられたりして、「ふん、私たちはそうかんたんにナンパできないのよ」なんて気取ってる間にバッグひったくられておしまいです。ひったくられたおねーちゃんは状況がすぐに理解できません。「だってぇ、ナンパされてると思ってたからぁ~」まあ、怪我しなかっただけでもありがたく思わなきゃね。ということで、こういう感覚はぬるま湯にいてはわかりません。ましていくら言葉で訴えたところで実感のない危機感では役に立ちません。でもニッポンがこういう事態に備えなければならない日も遠いことではありませんよ。さて、領事館主催の新年会に話を戻しまして、領事の新年のご挨拶に続いて地元日本人協会会長のご挨拶です。日本最大の旅行会社JTBの現地法人、仮にA旅行社としておきましょう。(こらこら、匿名の意味無いだろそれじゃ)その代表でもあります日本人会会長から一言含蓄のある言葉が述べられました。「人は石垣、人は城」武田節の一節らしいですが、今の日本社会全般を通じて人材の希薄さに大変な危機感を持たれておられました。まあ、昨今の企業で言う立派な人材とは、お金を稼ぐ能力のある人ということになるのでしょうが、それにしても最近の日本の大手企業の情けない姿はとりもなおさず我々ニッポン人の姿でもあります。殊更日本人に拘るわけでもありませんが、少なくとも「日本」という代紋を背負って生きている国民は、好むと好まざるとに関わらずニッポンの若衆ですから、なんとか新しい人材を育ててもう少しまともな国にしなくてはいけませんね。ということで私は道楽者の信念にしたがい、どーらく者がニッポンを再生させてくれることを夢見て、とにかくどーらく野郎をどんどん増殖させていこうと思っています。この記事を評価する
2006年01月07日
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このところノーガキが続きましたので今日は久々に古ネタでお送りいたします。実は、昨日友人からあるブツが届きまして、久しぶりに爺の脳髄を刺激するほどの感動に打ち震えたのでございます。(ってもったいぶるなよって感じですか)友人が送ってくれたのはDVDで、内容はとあるテレビ番組のコピーでした。画像も当時のものですからかなりレトロなんですが、なによりも驚いたのはこんな映像をどこから入手したのかということと、誰が持っていたのかということです。世の中にはスゲー人がまだまだいるんですね。さてその番組ですが、なんと「全日本ディスコ大会」というタイトルで日本全国の代表ディスコを実況中継でつなぎダンスコンテストを行うという、なんやよーわからん番組でした。凄いですね、タイトルから内容がまったく想像がつきませんね。こうして今、改めてみると「ギャグ」としか言いようのないセンスです。100%ヤラセ間違いなし、一体何を言いたいのか、とにかくディスコ、ディスコの合言葉オンパレード。しかもダンス評論家やらディスコ評論家まで登場して、踊りやステップについてひと通りの講釈までついております。まあ、結論的に言えば「ボニーM」の来日公演に合わせ、ワーナーと呼び屋(プロモーター)が仕込んだ宣伝だったのですが、当時テレビにディスコがこれだけ長い時間アップされたのは珍しいことではなかったでしょう。実はこの番組が放映された当時、偶然にも私はリアルタイムで見ていたんですね。確か仕事前の午後7時か8時くらいのオンエアーだったと思います。東京代表は新宿伊勢丹前にあった「ラジオシティ」からの実況で、なんとMCは当時の私のパートナー鈴木昇二でした。隣にはディスコ協会勝本会長まで登場して、確かにホンモノのディスコのクローズアップには間違いありませんでした。司会の朝比奈マリアさんも懐かしかった。雪村いづみさんのお嬢様ですね。モデル系バイリンギャル・タレントの元祖みたいな方でした。彼女も一度ディスコ系のアルバムを出しまして、その時プロモのお手伝いをした関係もあり、非常に懐かしかったです。まあ、なにはともあれ当時の相棒が全国ネットで放映されたことは、私にとっても名誉なことでしたから内容はともかく未だに記憶にしっかりと残っています。ということで、その当時のジュリーの写真がありますのでご紹介しましょう。これは新宿ワンプラスワンのお正月風景です。隣に居るのはフィリピン人のレビーです。彼もリト君同様、その昔新宿ビバヤングに出ていたバンドマンで、やはり日本人のガールフレンドを頼って来日、ジュリーのツテを頼ってトゥモローUSAでDJデビューしました。その後、ルックスがイマイチということもあって、階下のワンプラスワンへ移動となりました。結果的にコレが幸いして、USAの崩壊の犠牲にならず何とか生き残ったわけです。彼も中々面白いヤツで、一時六本木スクエアビルにあった妙な店にいたこともありました。この店はラスベガスのショーガールのダンスショーが売り物でした。金髪のアメリカンガールズが6人ほどで色っぽい踊りを披露するわけですが、なんとこのなかにひとりオカマ(今風に言うとニューハーフですか)がいて、何故かレビーは彼女を私に紹介してくれました。小柄でしたけど結構可愛かったですね。って、もちろん言葉が通じませんから何もありませんでしたが。(なら言葉が通じたら何かしたんかい?って突っ込んでる場合じゃありません)いやいや、懐かしさのあまり話がやたらぶっ飛びましたが、TV番組の話に戻ると、ボニーMがどれだけの稼ぎをしたかを考えずにはいられませんでしたね。二束三文の版権で無名のグループで大当たりって、業界関係者は大変美味しかったでしょうね。それと番組の中で地方のディスコが紹介されて、これも中々に良かったですね。今にして思えば、当時は本当に時代の先頭を走っていたのがディスコって実感しました。しかし、なにもトラクターに乗ったアフロ小僧までヤラセなくたって良いでしょうに。これってもう完璧にギャグとしか思えませんね。もひとつ、ボニーMの緊急来日って設定で成田空港から中継が入るんですけど、ゲートから通路に人が誰も居ないってのも笑えますね。当時はまだ海外旅行なんて一般的なことではなかったからでしょうが、こんなことすら疑問にも思わず見てたかと思うと笑えます。更にリポーター(顔は見えないけどアメリカ人だと思う)が彼らに歩きながら質問をしているのですが、なぜかリポーターの部分はそのまま英語で、ボニーMの答えだけに同時通訳風のMCがかぶるってのも妙でした。リポーターが何を聞いているのかわからんのに、答えだけ日本語で通訳が入るってのも変ですね。なんだか彼等の言ってることを無理矢理聞こえなくして都合の良いコメントに置き換えているような気もしないでもない。ということで、当時のマスコミのやり方はまだまだ稚拙ですね。でもそれを見て真に受けて興奮してた自分たちは、一体なんだったんだろうとあらためて思う今日この頃です。(なんちゃって)(注意)このDVDはあくまでも私と友人の個人的なお付き合いの中でやり取りしたものですので、非売品であり、たとえ入手ご希望の方などがおいでになったとしてもお譲りはできませんので何卒御了承下さい。
2006年01月06日
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いつの時代も「子供」は親のツケを支払っています。親子の関係を更に広げていくと、「子供たち」は国のツケを支払っています。国と民の関係を広げていくと「子供」は時代のツケを支払っています。そしてツケを支払う子供たちも、いずれは新たなツケを次の世代の子供たちに残していくのです。経済大国と呼ばれるようにまでなったニッポンの転換期、第二次世界大戦でニッポンが負ったツケは生き残った子供たちによって支払われてきました。その全てを破壊されつくした国に残された子供たちは生きるため必死で頑張りました。生きることは食べること、食べるためにはお金を稼ぐこと、お金を稼ぐためには立派な教育を受けること、立派な教育を受けさせるためにはがむしゃらにお金を稼ぐこと、こんな形で当時のニッポンの子供たちは時代のツケを払ってきました。戦争のツケを支払って育った子供たちは、なんとか次の世代の子供たちには苦労をかけさせたくないと頑張ってお金を稼ぎました。次の世代の子供たちに必要なことは、きちんとした教育を受けさせること=安定収入の確保という大きな時代の流れでした。もちろん国も教育には力を注ぎ、将来の国家を担う人材の育成、経済を支える企業の支援、国民の生活水準の向上など、その全てが上昇志向でした。このころのお父さん、お母さんは頑張りましたね。私なんぞがこんな簡単に語ってはバチがあたるというくらい頑張ってニッポンの土台を築いてくれたと思います。もちろんこんな簡単な説明だけでは不十分ですが、流れは概ねこんな感じです。お金を稼いで「金持ち」になることが「幸せ」になる道だと信じて疑わず、将来に夢を託してわき目も降らずがむしゃらに突っ走ってきたお父さん、お母さん。ようやく衣食住事足りて、教育も全国的な水準で均一化され、自分達の子供は便利な世の中で育てることができるようになりました。次の子供たちが支払ったツケは、急成長した経済大国ニッポンの矛盾でした。戦後のどさくさで臭いものに蓋をして遮二無二突っ込んできた「臭いもの」が次々と露になってきました。大学紛争、政府高官の汚職、企業が垂れ流す公害等など、これらは現代に続く新たなツケも育んで行きました。子供たちを幸せにする唯一の方法と信じて突っ走ってきた親たちが直面した子供たちとの葛藤。さあ、その葛藤の中で育った子供たちは次の世代の子供たちにどんなツケを残したのでしょうか?そうです、それが今私たちが目の当たりしている世界です。「今の子供は何を考えているかわからない」よく耳にする言葉ですが、じゃあ昔は子供の考えていることがわかったのか?これは何も今に始まったことではありませんね。いつの時代だって本当に子供の考えていることなんて解るわけがないんです。あたりまえです。子供自体だって自分が何を考えているのかきちんとわかって生きているわけないでしょう。「わからない」といっている本人だってわからないまま生まれてきて大人になったんですから、今更子供のことがわからなくても当たり前なんですね。もうひとつ言えば、「子供は親の背中を見て育つ」と言いますが、子供は社会、時代を見て育っています。昔は親が食うや食わずで子供に愛を注いだから、子供もそれを受け継いだ。これもツケですね。負のツケばかりではなく正のツケだってきちんと支払っているんです。じゃあ今時の子供は一体どんな時代でどんな大人を見て育ってきたのでしょう。ということで今日の結論です。子供は常に時代のツケを払うことが「お約束」なのですから、大人がくだらない屁理屈を捏ねて手なずけようとせず対等に付き合いましょう。子供だと思うから解らなくなるんで、一丁前の人間としてみれば多少アホな奴らでもそれなりに付き合っていけると思います。それにいつの時代だって「子供」=「若さ」は弾けるものです。まあ、どのみち彼等も次の世代にツケを残すことになるのですから、せめてそこのところだけでも伝えられたらと思うだけです。この記事を評価する
2006年01月05日
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生きるということは後戻りのできない道を歩むことです。私は単なる道楽者で学者じゃありませんから確かなことは言えませんが、生物は常に環境に対応しながら生息しているはずですので、その生態及び体系も日々変化しているはずです。ということは、人間の体も生活環境や自然環境と密接な関係を持って変化しているということになります。最近やたらと「自然」とか「健康」とかを目にしたり耳にしたりしますが、もしあなたが賢明な道楽者であるならばここで首を傾げなければいけませんね。人間の体は非常に優れた機能を持っていますから、常に自分が置かれた環境に合わせて生きていけるように無意識のうちにコントロールしています。だから時代によって病気の種類も変わるし、体の機能も変化していますね。これは自然環境ばかりではなく、人為的な薬物による影響も受けているし、視聴覚からの影響も受けています。母乳の代わりに粉ミルクを飲んで、カップヌードルやレトルト食品で育った子供たちは、ことの善悪はともかくその環境で体質が育まれて来ているわけです。さらに土をアスファルトで塗りたくった道の上を歩き、冷暖房完備の家で暮らし、ビタミン剤や栄養ドリンクを飲む生活環境の中で日々の暮らしが営まれているのです。さあそしてこの状態で今度は「自然回帰」で「癒し」だそうです。でもよく考えて下さい。これらは皆お金で買う「自然」なんです。それはそれで極めて個人的なことですから他人がとやかく言うことではありませんが、ちょっと変だと思いませんか。「自然」も含めて、本当に良く効く薬があるなら「宣伝」する必要があるのでしょうか?例えば、よく「風邪の特効薬」を見つけたら(造ったら)ノーベル賞だとか言われてますね。でも本当にそんな特効薬があったら、テレビや雑誌に広告を載せるまでも無く爆発的に売れるでしょう。見栄えが良くて、早く育つ野菜を作るために畑の栄養ドリンクとして化学肥料を使います。もちろん害虫からの被害を防いで大量出荷をするためです。つまり生産効率を高めて利益を上げるわけですね。私はこれらを否定したり誹謗中傷するつもりはありません。その逆にこれらを否定する人たちに疑問を投げかけているのです。「無農薬野菜」や「自然食品」というと聞こえは非常に良いですが、これらの自然回帰願望とでも言える現象は、生産効率の向上以上に複雑な問題を孕んでいると思われるからです。なぜならば、今人々が盲目的に受け入れている「自然」の殆どが「人工」であるからです。だってそうでしょう。インスタントラーメンに代表される化学食品や、家電製品に囲まれた環境で育った人間たちが作る「自然」なんですから。しかも土壌や水質だって相当に汚染されています。いくら農薬を使わない野菜といっても、昔の自然で育った野菜とは違うものなんです。もうひとつ言わせて貰えば、それらを摂取する人間だってすでに環境によって体質が変わっているのですから、いきなり生の「自然」を取り込んでいったらそれこそ拒絶反応を起こすかもしれません。だってそうでしょ。いくら自然を体内に取り込んでも、今現在生活している環境は自然とは程遠い人工の中なんですから。「癒し」とか「自然とのふれあい」とかも同じですね。そんなに本当の自然に触れたかったら、手付かずの自然が日本国内にだっていくらでもあります。電気もなければ水道もないようなところに行ってみればわかるはずです。癒される前にストレスでズタズタになりますよ。(笑)要するにこれは「自然」というブランドの商品を買っているということなんです。海と空、自然を求めて3泊4日のパッケージツアーで買う「癒し」の旅。空調設備が整ったホテルに泊まり、その目の前にきちんと整備された海岸があり、造園設計のされた森林で過ごし、レストランでは今流行のメニューが出てくる。これの一体何処が「自然」なんでしょうか?くどいようですが、私は否定しているのではありません。要するに本当の姿を見て欲しいだけなんです。人工的に育った人間がいきなり生の自然に触れ合ったら、それこそそっちの方が危険です。だから人工的な自然で十分だと思います。要は非日常的空間に身を置くことが必要なだけで、殊更「自然」とか「癒し」を強調する必要があるのかということです。じゃあ何が言いたいんだ、と言われれば、「情報」に踊らされてはいけないということなんです。最近は個人でも十分に多種多様な情報を入手できるような環境にありますが、果たしてその情報は正しいのでしょうか?というよりも貴方にとって必要かつ重要な情報なのでしょうか?実際に現地にも行ったことのないレイアウトのプロが「自然と触れ合いの旅」のパンフレットを大量生産しています。パンフレットとしての完成度は最高です。ノスタルジックな感覚は私も好きですが、どうあがいたって私たちは昔には戻れません。よしんば戻れたとしても体がその環境に適応しないでしょう。人間も長い時間をかけて環境と共存してきたのですから、「昔は良かった」と懐かしむのは勝手ですが今更元には戻ることはできません。まして昔が良かったと思えるのは今の環境があってのことです。しょっちゅう停電があったり、水が止まったり、汲み取り式トイレとか、あえて後戻りしたい人なんていないでしょう。人間の都合で「自然」を取り戻そうというのも身勝手な話です。確かに化学製品より自然製品の方が人間にとっては「良い」はずですが、だからといって手放しに自然賛美するのもどうでしょうか。今私たちはそれらのディティールに拘るのではなく、もう少し大きな構造的な視野でこれらの融合を図っていくことが必要だと思います。さて本日の結論です。全国の「自然」ブランド愛好家の道楽者のみなさん。皆様が極めた道楽のエッセンスを是非とも公開して下さい。資本主義的経済活動のファクターを通さぬ、実体験と道楽的感性で得た皆様の優良情報を提供して下さい。銭儲けの為に利用されている「自然」に関する氾濫情報を整理して、より良い「自然」との融合を図りましょう。この記事を評価する
2006年01月04日
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ということで今日は道楽者を増殖させるためのノーガキをひとつコカせて頂きます。昨年ニッポンでドッカーン!と炸裂した建築設計偽装問題ですが、ひとつ気になるキーワードがあったので道楽者のプロから一言述べさせて頂きます。問題の設計認可の審査にあたって担当者が語った「性善説」というこの一言が非常に気になります。要は「一級建築士が作成したものだから」ということで、疑う審査ではなく、プロの作ったものは原則を守っているという前提の上で審査をしている、ということでした。非常にもっともらしい言い訳ではありますが、よーく考えて見ましょう。元々このような構造設計は専門職、プロの仕事しかないわけであり、審査に提出される書類はすべてプロの作成したものです。となると、一般的にプロの行う仕事はすべて「性善説」にもとずいて規準が審査されるということになってしまいます。では、プロでない一般人が公的な認可を得るための申請に対しては、「性悪説」で疑って審査するということになるのでしょうか。非常に変な理屈ですね。昔から「餅は餅屋」という比喩がありますが、各業界には必ずプロがいて、もちろん数多くの難関を突破して専門家となったわけですから、技術はもちろん精神面でも一般人に比べて特殊な能力が評価された結果でもあります。そしてそのような厳しい世界でプロになった方々は、全て世のため人のため社会的貢献を担う人材である、という素晴らしい哲学的期待で位置付けられております。これは素晴らしい理念であり理想ではありますが、仮にこの理念が現実に適応しているのであれば、何故人類に平和は訪れないのでしょう?って、話がちょっと飛躍しすぎましたが、では、犯罪を取り締まるプロが犯罪を犯した場合、この性善説が適応されると一体どのようなことになるのでしょう。警察という機構は「おまわりさんだから悪いことはしない」という性善説によって管理されているのでしょうか。暴力団という機構は「ヤクザだから悪いことをする」という性悪説によって社会管理されているのでしょうか。まだまだあります。裁判官とか教育者とか、私達の周りには非常に沢山のレッテルが貼られた人々が混在して生活を営んでるわけです。これはエリート意識という構造にはまっている結果ではないのでしょうか。「性善説」ですべて片付くのならきっと世界はもっと住み易い世の中になっているはずですね。ところが資本主義経済社会というソフトは現実世界で必ずしも「性善説」では稼動していません。たとえば、「募金」とか「寄付金」とか「義捐金」とかを募る機構がありますが、果たして集められたお金が本当に救済に使われているかどうか、またODAという大義名分で国民の税金がアチコチの国へ流れていますが、これらの資金は本当に人々の役にたっているのでしょうか。「性善説」に当てはめて結論を出せば、そういうことをする人々は皆善意の人たちだから役に立っているはずだ、と思っている、思わされているのではありませんか。本当の援助とは、これら善意の元に集められた資金の使い道まできちんと管理してこそ本当の慈善になるのではないでしょうか。ニッポン人はそこまで立ち入ると「下賎な話」とか「セコイこというな」とか言って曖昧にしがちですが、一番肝心な部分を避けて通る「和をもって尊しとする」立派な精神に依存しすぎているように思えます。だからといって人を疑ってかかれといっているのではありません。もう少し世の中の出来事の裏側、社会の構造を見ることができれば、そう簡単に右へ倣えはしなくなるのではないでしょうか。今現在、世の中は根本的に「お金」という血液で廻っています。このシステムはそう簡単には変えることはできませんが、少しずつでも軌道修正は行っていけると思います。先ほども言いましたが、ODAを例にとって説明してみましょうか。発展途上国のインフラ整備は、潤っている国の「性善説」によって援助が行われています。では途上国のインフラ整備に当たる業者さんは誰なんでしょう?道路を直したり、公共設備としての建物を建てたり、もちろんニッポンの高度な技術が役に立つのは言うまでもありません。そんなもの無償援助で請け負う企業などあるはずがありません。国のお金、税金は無償援助に近い形で流出していきますが、その援助資金が支払われる先は一体どこなのでしょうね。「キックバック」という言葉を聞いたことはありませんか。言いえて妙、まさに蹴り返されてくる援助資金は誰の利益になるのでしょう。まあ、こんな話をしてもきりがないのでこれ以上しませんが、私が言いたいのは、このシステム自体が悪いといっているのではなく、苦しい人々のために役に立つことは「結果」であり「プロセス」に拘っていても始まりませんから、今は細かいことはさておき「結果」を見ていくようにしたいと思うだけです。どういうことかというと、本当に苦しんでいる人々の望むものを与えることができているのだろうか、ということに目を向けるべきではないかということです。誰も使わない山道に橋をかけたり、きちんとした配給システムもないところに食料や医薬品をどかんと落とすとか、裕福な国の自己満足でしかない援助や、結局は自身の利益の為に公共の財産を浪費するとかいったことに皆で目を向けていきましょう、という道楽者からのささやかな提案です。話をもどすと、今回の建築設計偽装事件は大掛かりなシステムの上に成り立っているわけで、マスコミが言うほどそんな単純な構造ではありません。マスコミも今や情報を自ら処理できる能力が無くなっていますから、なんとか単純な図式にして一般市民的フツーの人々を丸め込もうとしている構造が見えてきます。それを見過ごしたというか、騙された一般市民的フツーの人々(つまり私たちですね)にも間違いなく責任があるわけですが、では一体どーすれば良いのかというと、それは目を開いて自身の目で見ていくことしかないわけです。このままの状態では、ニッポンはいずれ情報を持つ人と持たない人の二層に分かれていき、良い情報、つまり利益を持つ情報は非常に狭いサーキットの中で廻っていくことになるでしょう。人によってはインターネットやIT産業の発展を救世主のように崇め、これらの情報システムが人々に恩恵をもたらせると言っていますが、確かに可能性こそあれ、それでも万人に等しい恩恵をもたらせるとは限りません。逆に、情報を処理する能力のない個人に向かって一方的に情報を垂れ流しているわけですから、情報の価値観と情報過多いうあらたな弊害も生まれてきています。情報、情報といいますが、果たして私たちが人間として、社会としてどれだけ有効かつ価値のある情報を入手できることができるのでしょうか。ということで本日の結論です。今更、政治経済や社会の勉強を始めても手遅れです。残された道は一般社会の提示する価値観をどんどん壊す、非生産的な活動を行っていくことです。今までの社会通念のウソや、企業によって生産効率を高める目的のためだけに洗脳されてきた一般常識を覆していきましょう。時代のパラダイムはすでにシフトし始めています。乗り遅れてはいけません。私はもうすでに爺ですから今更先頭に立って暴れることはできませんが、これからニッポンを背負って立つ若い力のみなさんは、もっともっと世の中に疑問を持って下さい。簡単に人から言われたことを真に受けず、自分の頭で考え、自分の目で見て判断しましょう。そのためには少々無謀なことでも色々な世界を見ることです。どーらくを追求していくと必ず世の中の矛盾とか、人間の不合理性とかにぶち当たります。その時が勝負です。その時まで鋭気を養い、知識を身につけ、馬鹿なことを本気でやりましょう。この記事を評価する
2006年01月03日
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さあ激動の2006年がスタートしましたが、もともとケジメのない道楽者野郎にとってはいつもと変わらぬ毎日の始まりでしかありません。今更ながら自分を振り返ってみても、遊びと仕事がごちゃ混ぜで公私のけじめがつけられない性格は未だに変わっておらず、年齢とともに多少は世間の常識なぞを気遣うようにはなりましたが、相変わらず頭の中では完全に世の中を舐めきった人生哲学に占有されており、結局死ぬまでこんないーかげんな生き方をしていくのでしょう。(見た目にはわからんけどね・笑)年末年始はくだらない忘年会や新年会にやたらと呼び出され、飲みたくもない酒を飲まされ、聴きたくもない調子っぱずれなカラオケを聴かされ、挙句の果ては緊迫する世界情勢や日本経済などのありがたいご高説を賜り、それなりにムツカシイ顔をして頷いたりする一般市民を見事演じ切った私ではございますが、時代の流れが速すぎるのか、実情をきちんと把握してモノを見ている人が非常に少ないように思えて仕方がありませんでした。「木を見て森を見ず」とよく言われますが最近富に感じるのは、いわゆる日本の大手企業の人材不足というか人間的資質の欠乏というか、とにかくデカイ会社のハッタリ野郎たちには呆れるばかりです。なんだかここまで来ると「ギャグ」としか思えないような会社の体質を厭というほど見せられて、会社内部の権力闘争や生存競争が人生の全てのような世界で生きている方々が、日本経済を動かしていると思うと背筋の凍る思いです。最近、山口組の六代目継承が無事行われたようですが、日本の大手企業の皆様もこういった平和裏に権力の移譲が行われている世界を見習った方がよさそうです。特に最近問題ばかりの日本航空経営陣の皆様には、このように抗争や流血事件も起こさず組織を維持する、時代の流れをきちんと把握したアウトローのノウハウを学ぶことをお薦めいたします。そしてニッポンの道楽者の皆様。特にニッポンの将来を担う若手どーらく者の皆様には、是非とも早いうちから国外に出て「井の中の蛙」から脱却することをお薦めしたいです。最近は外国人の流入も増え、国際化したように見えるニッポンですが、よく考えてみて下さい。いくら「芸者」や「相撲」が文化だからって、ノーテンキに観光にやって来る外国人がそんなに沢山いるわきゃありませんね。盛り場や繁華街になぜ人が集まるのか?金儲けに決まってるじゃありませんか。みんなでニッポンの金目指して群がって来ているのです。そんな外国人とお友達になりたいからって、高い円払って駅前で留学なんかしてる場合じゃありません。そうです、これからはニッポン人がガイジンとして生きるのです。そのためにはより多くの世界の実情をその目で確かめましょう。別に沢山の外国をアチコチ廻って歩く必要はありません。「木を一生懸命見ていれば自然に森が見えてきます」ひとつのことに集中すれば、自然とその全体像も浮き上がって見えてくるのです。よく世界各国アチコチを巡ったことを自慢する人がおりますが、それは千人切りを自慢するアホな色男と似たようなもんです。要は数じゃなくて中味なんですね。女一人をとことん知れば、女性の全体像が見えてくるってことです。数こなすのも悪くはありませんが、数に拘っていては、何をしているのかが見えなくなります。ということで少々下品な喩えになりましたが、爺婆になる前にニッポンを脱出して世界観、人間観を是非とも磨いて下さい。どうせまともなヤツはそんな馬鹿らしいことは絶対しませんから、特にビンボーを自慢する若者は是非ともここらで勝負して下さい。そして、どっちがまともなのかをしっかりとその目で見極めましょう。この記事を評価する
2006年01月02日
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あけましておめでとうございます。さあ今日から新しい年2006年のスタートです。といって特別の思い入れもありませんが、今年もできる限りこの日記を書き続けていきたいと思います。昨年は昔話に終始しましたが、今年は現在の出来事なども交え更なる非生産的活動を繰り広げて行きたいと考えております。「過去は全て善」「道楽は続くよどこまでも」という感じで、年が変わったからといって過去の自分が消えるわけでもなく、現在の自分が生まれ変わるわけでもなく、ただただ淡々と日々を生きていくだけです。歳を重ねてわかったような気もするし、逆にもっとわからなくなったこともあるし、生きるということはそんなフツーのことの繰り返しなのでしょう。ですから1年の抱負とか、祈願とか、道楽者には縁のないことなので、私はいつものとおり楽しいどーらくに夢を見ながら粛々(笑)と人生を歩んで参ります。これからの私の人生はどれくらい馬鹿なことができるかという挑戦です。ということで、今年も楽しくて馬鹿らしいことに一生懸命励みたいと思います。非生産活動委員会会長としては、ご賛同いただける道楽者の皆様と「馬鹿らしいこと」「一銭にもならないこと」で新たな時代をシェアしたいと願うばかりです。どうぞ今年もよろしくお願いいたします。
2006年01月01日
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