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いやいや、昨日はケッコー自分的にも盛り上がっちゃいましたけど、私はマジですよー。ちょっと時間をかけて戦略を練りますね(笑)ということで、またしても突然で恐縮ですが(笑)、先日の道楽者同志のくだらない会話を思い出したので御紹介させて下さい。ほぼ身内受けのネタですが、どうしても皆様とこのアホさ加減を共有したくて、書いちゃいました。これは私の古い戦友であり盟友の一人でもありますブラザー・テリーとの、深夜の千葉駅前通りでの会話の模様です。「いやぁ、ちょっと危ないおっさんが居てさぁ、やべぇなぁと思ったらさ、こっちに来るわけよ。踊ってて足でも踏んだら絡まれそうでさー、ちょっとビビッたわけ」「えっ?そんな危ない人居たの?Mさんじゃなくて(笑)」「確かにMさんもちょっとアブナ系だけど(笑)、もっとマジで強面だったのよ。でさぁ、こりゃヤバイかなって思って、ロニー呼ぼうと思ったのね」「えっ?」「いや、ロニーだったらさ、謝ってくれるかなと思ってさ(爆笑)・・なんか謝るのうまそうじゃん(爆笑)」「ぎゃははー、そうだよ、クレーム処理15年のキャリアがあるからねー」「そうだろ?」「オレ呼んで揉まそうとしたのかと思っちゃったよ」「いや、この歳でさすがに喧嘩はないだろって思ったけど、ロニーは結構期待を裏切るから(笑)」「テメー、オレを怒らせるなよ!とか言っちゃったりして(笑)・・・オレを怒らせたら・・・DJやっちゃうぞー!とかね」(爆笑)「オレが怒ったらステップ踏んじゃうぞー!とか(笑)」失礼致しました。いくつになってもくだらねーヤツですんません。ちなみに二人とも50歳をすでに越えてます(爆!でも、このノリこそが、昔懐かしき70年代のディスコ野郎の乗りなのです。解っていただけたでしょうか?ってか解りたくもないと思いますが、まあ、このノリをもうちょっと続けたいなぁと思っている道楽親爺です。ということで、道楽本舗は道楽の集大成、究極の道楽に向けて着々と進んでいます。お店の方も来月には正式に改装工事に入れると思います。夢のCD制作は、アチコチのツテを頼って実現のための計画を練り始めています。道楽者の皆様も是非一緒に遊んで下さい。
2007年09月21日
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なんか古い話で盛り上がっちゃったりしている今日この頃ですが(笑)、せっかく盛り上がったんだから、もうちょっと道楽者の風呂敷広げてみましょうか。昨日のメッセージ、インディアナのシスタ・チェリーからもらったメッセージで、ジジイはビビっときてしまいました。70年代のディスコ野郎が集ってCD作るってのも面白いかなぁ~なんて思ったんですよね。もちろんオリジナルの楽曲使って、みんなの個性を結集した「道楽」をブチかましてみるのも面白いかなぁなんてね。今時の録音システムはデジタルだから、昔ほど金も掛からないと思うし、たとえ自主制作盤だって、面白けりゃそれで良いってことだから、まんざらふざけた与太話でもないよね。こんだけ道楽者のネットワークが出来たんだから、結構常識はずれな企画が出てくるんじゃないですかね。みんな歳の割には頭ン中は若いから(笑)ベーシックなプロセスをざっと描いてみたんだけど、たとえば、1. 楽曲作成~まあ、これはそーゆーことの好きな道楽者が自分で曲作って、自前で録音して「原曲」をデジタル音源にすることからはじまりますよね。次にこの音源を作詞の好きな道楽者に送ります。こんなんは今時ネットじゃ当たり前だから全然問題ありませんよね。2. 詩と曲がかみ合ったら「ラフ・デモ」を作って、名前は言えませんが潜在的に沢山いそうな歌いたがり道楽者(笑)に配布して、歌入りのデモを作ってもらい、全員に返信。3. 皆でどの道楽者の歌がしっくり来るか決めてもらって、楽曲と歌手が決めます。次は本番用のアレンジですが、これはちょっとプロの領域なんで、どこぞのツテで格安で引き受けてくれる人を探します。4. 同時にアルバム・コンセプトを皆でノーガキ垂れて作っていきますが、この段階でCDのジャケデザインをデザイン好き道楽者の手に委ねます(笑)5. 編曲の譜面が出来上がったら、次はミュージシャンの確保ですね。基本的には費用的時間的にみてもプロを使った方が安いのですが、元々道楽者の企画ですから、演奏好き道楽者とプロの混成で行きます(笑)ここらが一番金も時間もかかる作業ですが、いざとなったらデジタル処理でごまかすってことで、プログラミング好き道楽者に、カラオケを作ってもらい、おいしい部分だけ目立ちたがり道楽者に演奏させるってことで妥協する(笑)6. 歌入れは、デジタル音源のカラオケに自宅録音で頑張ってもらって、できるだけエコー効果の高いコンクリ製のガレージとかデパートのトイレとかで、恥も外聞もかなぐり捨ててSOULFULに熱唱してもらう(笑)7. ということで、可能かどうかわかりませんが、これらの出来上がってきた原音をトラックに分けてMIXING好き道楽者にきちんとエフェクトしてもらい、ここでマスターの完成です。当然これだけじゃ道楽者として面白みがないので、更なる道楽者的スパイスを入れ込みます。ってかそこまではまだ考えてないけど、DJを入れちゃうとか、踊りを入れちゃうとか(えっ?)、なんかもうひとつふざけてみたいですねー。8. さて、このマスターをどこぞのインディーズ制作会社に持ち込んで、プレスしてもらうわけですが、まあ、このくらいの費用だったら、みんなで割っても高々知れてるでしょう。何枚くらい作るのかしらんけど、いざとなったらフィリピンって手もあるし(笑)いやー、またまたくだらねーこと考えましたね、このジジイは。でもね、こうして考えてるだけでも人生が楽しくなるでしょ?それにね、モノを創り出すってことは、本当に楽しいことですからね。昔からどーしても越えられなかったジジイのこだわりがひとつありまして、それは、DJにしてもダンサーにしても、結局は人の曲の上で遊んでるってことだったんですよね。つまり、どこまで行っても人のふんどしで相撲を取ってるみたいな(笑)、そんなコンプレックスがあって、それがまあ、あの「新宿ディスコナイト」に繋がったんですけど、あん時ゃまだ若かったし、時代もまだアナログだったからね。せいぜいガあんなものしか作れなかった。でも、今の時代、なんでもアリでしょ?(笑)だったらジジイのFUNKもアリかな、なんて思い始めてる今日この頃なんです。(ってか昨日急に閃いたんですけど・爆)ALL STARS of 70’s SOUL DISCO GANGS(仮称・笑)こんな流れでどうです?もし道楽親爺がヒトヤマあてたら資金援助して、メージャーデビューまで目指しますよ!
2007年09月20日
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9月1日の千葉ZOOM以来、すっかり懐古的になってしまった道楽親爺です。そんな、しょうもないジジイがどうしてももう一度聞いてみたい音楽というのが、いくつか甦ってきましたので、道楽者の皆様にワガママ言ってお尋ね致します(笑)もしこれらの音源をお持ちでしたら、ひとつコピーを頂けると嬉しいです。かなりマニアックな分野ですので(笑)、昔話のネタにでもして頂ければそれはそれで本望です(笑)1.ラベル(パティ・ラベル独立前ね)のphoenix(フェニックス)確かアルバムタイトルだったと思います。2.クール&ザ・ギャングのMother Earth(マザー・アース)アルバム「スピリット・オブ・ザ・ブギー」のB面トップ(何故かこのアルバムはUSでCD化されてません)3.メシオ・パーカーのThe Soul of a Black manアルバム「US」のB面で延々と続くバラッド。今は無きJBの語り入り。このアルバムも何故かUSではCD化されてません。大昔のテープはあるのですが、もう一度キレイな音源で聞いてみたいのです(笑)4.ファットバックバンドのI feel real goodアルバムタイトルは忘れましたが、1974年頃のヒットだったと思います。当時は吉岡氏から買ったシングル盤を磨り減るほどかけた記憶があるのですが、LP(古っ!)ではロングヴァージョンだったような。。。。5.誰の曲だったかどうしても思い出せない「Sexy Dynamite」(ルーファス・トーマスだったかなぁ)サビは「You’re right on, you’re dynamite!」ってトコだけしっかり覚えてます。6.ウィリー・ハッチのGet ready for this当時、ジョイ吉野がやたら気に入って踊っていたダンスナンバーでした。アルバムタイトル。7.ジミー・キャスター・バンチの「E-MANブギー」アルバム・タイトルは思い出せないのですが、たぶんバーサ・バット・ブギーが流行った頃の佳作だったと思います。あまりの古さに自分でも書いてて笑ってしまいましたが、言ってるほどどうしても欲しいってほどのもんでもありませんので、あまりマジで受け取らないで下さいねー。もし、古いものを集めるご趣味の方とかがいらっしゃって、たまたまこれらの原音をお持ちでしたら、ひとつコピーを恵んで下さい(爆しかし、なんでこんなに懐古的爺になっちゃたんだろうねー。やっぱZOOMで弾けちゃったせいかなぁ~(笑
2007年09月19日
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古い話で恐縮ですが(笑)、先日「細木数子先生」の暴露本を読みました。ことの真意はともかくとして、少なくとも私らの先輩であることは間違いのない事実のようです(笑)戦後の渋谷、百軒店(ひゃっけんだな)で育ったという彼女も生粋の不良ですね。しかも後年は赤坂マンハッタンのオーナーだったってところも、微妙に親近感の沸く汚れのお一人であります(爆)ということで、別に今日は、この本のことや細木大先生のことをとやかく言いたいわけではありません。実はこの本に登場する町や人々の名称が妙に懐かしかったもので、今日はその辺りのことを書いてみたいと思います。まず、第二次大戦後の復興と共に成長した盛り場繁華街、そしてそこから生まれてきた私ら道楽者のルーツである不良少年少女の生態などを振り返って見たいと思います。(ってか、そんなたいそうなもんじゃないケド)まず、都内盛り場、数々の不良伝説が生まれたプレイング・スポットの名称・呼称についてノーガキこいてみましょう(笑)なんといっても盛り場のルーツ3大名勝といえば、銀座、渋谷、新宿でしょう。でもって、当時の粋なあんちゃん、ねーちゃんたちは、これを「ザギン」「ブヤ」「ジュク」と呼んでカッコつけたものです。銀座の呼び名「ザギン」はたぶん、当時JAZZ喫茶(っていうかバーっていうかカフェっていうか、色々です)が流行っていたこともあって、バンドマン用語にならって、言葉を逆さまに言うところから来たものでしょう。今の業界はどーだか知りませんが、私の現役当時でもよくこのような用語が使われておりました。たとえば、メシ=シーメ、酒=ケーサ、とか言うように、逆さになると音が伸びるといったような特殊活用もありました(笑)でもってバンドマンは酒と女に意地汚いとか言われておりまして(笑)、ちょっとした不始末なんぞをしでかすと「ドンバ根性出し丸だなぁ」とか言ったりしたものでした。「あのターギ野郎、こーまんに釣られてスーホのヤサに行ったのは良いんだけどよ、ヒモがスジ咬んでることも知らねーでよ、まったくドンバ根性出し丸だよなぁ~」などというように使われます。(註釈)あのギターを弾いている男性は、夜の床に釣られてホステスの家に行ったのは宜しいのですが、彼女の内縁の夫が暴力団の構成員だということも知らずに呑気なものでバンド根性まるだしですねぇ」(笑)ちなみに数字の符牒も、音階表現でC万G千(ツェー万ゲー千)などと言ったりもしていました。Cはドレミのドですから「1」、Gはソで「5」ってことで1万5千円ってことですね。話が脱線しましたが、いわゆる銀座の呼称はこんな感じで一般に普及していったのではないでしょうか。え~、正確な資料はありませんのであくまでもジジイの推測です(笑)さて、次はブヤとジュクですが、これはもう完全に不良少年少女たちから発生した呼び名ではないかと思われます。今でも、生意気コイてるにーちゃん、ねーちゃんたちは言葉を短縮するクセがあるようですが、こうして振り返ってみると、不良の血統のようなある意味遺伝子のように連綿と続くバカの血を垣間見るような気がします(笑)(え~年取ってもこのような癖が抜けない人もいるようです。えっ?)私も祖父祖母が戦後渋谷で焼き鳥屋なんぞをやっていたということもあってか、当時の渋谷のアイドル「安藤組」には少なからず因縁があります。(ってかどーでも良いことなんですが)更に新宿といえば、後年ディスコ野郎としてバカの限りを尽くした思い出の地でもあり、未だにこの二つの盛り場は道楽親爺の心の奥底で哀愁を漂わせております。特にどちらの地も、ガード下にいわゆるフェチと呼ばれるようなもの凄い哀愁とノスタルジーを感じてしまうのは、単なるジジイの感性なのでしょうか?(爆)渋谷の安藤組、新宿の万年一家、このふたつは不良少年が憧れた伝説の愚連隊です(笑)更に冒頭の暴露本に登場している小金井一家なんてのも、不良の自慢話には必ず一度は登場する必須アイテムでしょう(爆)この流れで池袋はブクロと呼ばれ、23区をはみ出した流れ者がたどり着く場所と言われた吉祥寺はジョウジと呼ばれてました。そういえば「ジョウジのシロ」ってのが通り名のように、吉祥寺の代表的不良の溜まり場でしたっけ。あとは自由が丘の「オカジュウ」が有名ですね。ここらもバンドマン分布図で言うところの占有率が高かったのでしょうか?そのような比較分析をしてみると、なぜか赤坂とか六本木はこうした呼び名がありませんね。サカアカ(笑)とも言わないし、ポンロク(笑)とかもあまり聞いたことがありません。ポンギとかでも言うのでしょうかね。青山もヤマアオとか言わないし、このあたりはやっぱ上品なんですかね(笑)それにしても当時の不良って、垢抜けてるようでどこか野暮ったくて、なんか親しみのある感じがしますよね。現場は死ぬほど怖かったけど(笑)
2007年09月17日
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え~先日、千葉県でブレイクしてしまった道楽親爺ですが、サイパンに戻ってきてからも脳髄のあたりが刺激されっぱなしで、益々調子付く今日この頃です(なんじゃそりゃ)ってことで、実は千葉ZOOMで薄い頭に汗を流しつつ(笑)、踊りまくった数時間、ちょっと閃いたことがありました。それは、このディスコに集った中高年の殆どが、当時の流れのまんまでいるってことと、更にこの中高年に紛れて数名の若者がいることに気がついたのです。ってか、日本在住の皆様はその年代ごとに時代背景が変わっていく様を見ていますから、別段不思議でも何でもないのでしょうが、ジジイにしてみれば数十年の空白の後に垣間見た現実なのです。え~、話が回りくどくなりましたが、一番面白かったのは、もう私とは二回りも違う子供たちが一緒になってステップ踏んでる姿でした。これってどう理解したら良いのか、ジジイにはちょっとしたカルチャー・ショックのようなものでした。これは私ら世代がその昔、50年代のファッションを真似たり、リーゼントしてR&Rを聞いたりしてたのと同じことなんでしょうかね?でも、だとしたら、なんでアフロは出てこないのでしょうか?(ばかやろう!)しかもステップ課題曲がきちんとあって、それを従順に追う若人たちの群れ(笑)なんだかなぁ~。不思議な気持ちでした。当然、同年代のジジ&ババは昔を偲んで、それなりに楽しんでいるのですが(笑)、踊りを踊ることが楽しいことだって思うのは、別に年齢制限はないし、パターンもあまり関係ありませんよね。ってことで、ひとつ思ったのは、これはひょっとしてオレ達はスゲー時代に生きたディスコ野郎だったんじゃないかってことですね(意味わかんねーぞ)昨夜、ウチの息子17歳がマドンナを聞いてヘラヘラ踊っていたもんで、「おまえなぁ、踊るんなら、もうちょっときちんと踊れよ。なんならオヤジが教えてやろうか」ってなことで、いつものしょーもないオヤジと息子の会話があったのですが、息子のヘッドフォンから漏れ出した音は「ディスコ・インフェルノ」ではありませんか。「おろっ?おまえトランプスなんか聴いてんのか?」「えっ?ナニ、トランクス?」「違うよ、トランプスだよ。これ、ディスコ・インフェルノだろ?」「マドンナだよ」ふ~ん、ってなもんで、それで会話は終了しましたが(笑)、確かに70年代~80年代がマーケティングの対象になっていることは認めますが、最近やたらと耳に付くこの70~80年代のディスコカバーは、今時の子供らにはどんな風に映っているのかとても興味があります。確かにリメイクとかカバーってのはいつの時代もあるんだけど、私らの時代の音楽の焼き直しってことで言えば、当時、これらの音楽で青春(笑)していた私らこそ、旬な存在ではありませんか。それに、踊りだって日本独自の発展をしたものですよね。今でこそジャニーズだってディスコ系の踊りを踊ってるけど、当時はやっぱり色物だったし、まさかこんなに普及するとは思ってもいませんでした。でもよく考えてみたら、当時の自分たちが「やってみよう」とか「なりたい」って思ったことは、今の世代には当たり前になってきてるんですよね。歌って踊るアーティストなんて、今更当たり前だし、バイリンガルも当然みたいな感じだし、ダンスミュージック系も歌謡曲には付きものになってますよね。ってことは、やっぱオレたちの時代は凄かったってことでしょう?今でこそ当たり前の「歌って踊る」カタチを作ったのは、オレ達ディスコ野郎だったんじゃないですか。当時、バカにされたり、踊る宗教とか呼ばれたディスコが、こんなカタチで現在に生き残っているなんて、なんか不思議な気分ですよね。ということで結論ですが、我々ディスコ野郎は永遠に新しいのです。(えっ?)我々往年のディスコ野郎たちは、決してノスタルジーに溺れ死ぬことなくSOUL MUSICを引きずりながら、新たな境地を開拓していくのです(おおっ~、シブイ!)人生80歳までは軽く生きちゃう時代を生きてるんですから、あと20年くらいはみんなで楽しく遊びましょう!古くなった体は多少ガタも来てるでしょうが、精神性だけは常に新しい「遊び」を創出していきたいものですねー。
2007年09月15日
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道楽道を貫くと決めたその日からあまりの忙しさに、さすがにちょっと疲れが見えてきた道楽親爺です。ブログも休みがちなもので、道楽者の皆様からは「オレよりバカな奴が居なくなると不安になるからブログを続けてくれ」とか「もっとバカなことを書いてくれないと困る」とか「もっとアホなブログを読んで安心したい」とかのお叱りを頂きました(笑)私よりは多少マシな道楽者の皆様には慎んでお詫び申し上げます。ということで、サイパンの道楽親爺がブチ上げた道楽者救済プロジェクト「道楽者本舗」は、いよいよ店内リノベーションに入りました。カーペットを剥がして床を清掃、壁を洗浄して塗り替え、などの作業に入っております。未だ何をするのかも決まっていませんが、そんなのんびりした道楽親爺を周りは放っておいてはくれずにどんどんを作業が進んでいきます。まあ、当面は「事務所」ってことで使うかぁ~、みたいなところですが、「何の事務所?」と突っ込まれると答えに窮してしまいます。(相変わらずいーかげんなやっちゃなぁ~)ところで、この「事務所」という語感ですが、どうも私の頭の中では、事務所=暴力団というリンクが結ばれておりまして、「事務所に連れて来い」とか「事務所で話しよう」とか言われると、この歳になっても未だキンチョーが走るしょうもないジジイです。(ホントにしょーもねージジイだ)そこで私は、年甲斐もなく、事務所のことを「オフィス」と呼んでおります(そうなの?)でもって、このオフィスで何をするか?引き続き皆様からの「ネタ」をお待ちしておりますので、思いついたらメールでも掲示板でも適当に書き込んで下さい。先のことはどーなるかわかりませんが、世の中やったもん勝ちみたいなトコもありますから、あまり深く考えずにどんどんお寄せ下さい。採用させて頂いたアイディアで一攫千金、ブレイクしてお金持ちになったら、サイパンにご招待して株主になってもらうっつー、夢のプレゼントも継続していますよー。今日のサイパンは雨です。どうやら沖縄のあたりに大きな低気圧があって、雲を巻き込んでいるようです。台風にならなければ良いけど。南国で1日中雨に降られるってのは、満場のディスコで誰も踊ってくれないDJの立場(笑)みたいなもんで、ケッコーいたいです。(なんのこっちゃねん)ちなみにサイパンでは10年ぶりくらいのスキャンダルで「細川ふみえの旦那事件」ってのがありまして(笑)、私が別に書いてるニュース・ブログでこれを流したら、スポーツ紙とかがそのまんまコピーして掲載してしまったようで、各方面に波乱を招いてしまいました。しかし、記者ってのも、いい加減なもんですね。きちんとニュース・ソースくらい自分で確認してから書けって言いたいです。ネットのニュースで検索したら、自分の書いた文章がそのまんま載ってたりして、あきれてしまいました。コピー&ペーストってことで、簡単に転載できちゃうから、こうなってくると新聞ももうほとんど信用できませんね。この事件は未だに地元では色々なもの引きずっていまして、今後の展開が楽しみでもあります。そのうち道楽者的ネタにして書いちゃおうかななんて思ってます。
2007年09月13日
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いや~っ、あっという間に1週間が過ぎてしまいましたが、道楽親爺はもう完全に舞い上がってしまい、毎日ご多忙な日々を送っております。ということで、さんざん前置きで盛り上がった千葉ZOOMのイベント乱入は、想像通りの凄まじい一夜となりました。それでも、もう1週間前のことになっちゃったんだよねー。月日が経つのは早いものです(シミジミ・・・・・)せっかくですから、この盛大な1日を道楽者的実況レポート風に書いてみました。題して「みんなで踊ろう、良い歳コイて・イン・千葉」(爆)え~元々のイベントは千葉唯一のディスコZOOMの姐さん兄さんお二人のアニバーサリー(って誕生日だよ)、二人合わせてONE HUNDRED ONEってな催しでございました。道楽親爺もサイパンから初めて千葉に上陸する為、一人じゃ心細いってことで、往年のディスコ野郎たちに呼びかけて、一気に盛り上がろうと企んだ次第です(笑)まずは、当ブログでもすっかり御馴染み、音楽評論家兼DJ、MC、何でも屋のマイク越谷さんをご招待致しました。胡散臭い仕事では業界第一位のおっさんですが(笑)、それでも再会は、かれこれ10年ぶりになるのでしょうか、心持ちやつれた感じがしてました。しかし、日本広しと言えども、ここまでローリング・ストーンズにハマって、これほど深く関わったおっさんはいないんじゃないかと思いますね、マジで。今回もライナーノート付CD持参で現れました。「いや~、悪かったすね、こんな遠くまで付き合わせちゃって」(マイクさんのご自宅は埼玉県所沢です)「ヤダって言ってもどうせ無理矢理連れ出すんだろ?(笑)」「なんだ、わかってんじゃん」「いや、カミさんがさ、ロニーからの呼び出しじゃ行かないわけにはいかないだろって言うからさ、散髪までしてきちゃったよ。ロニーは奥方に信用あるから」(この日マイクさんは青山の理容室で散髪してきました)ってことで少々干からびた(笑)オヤジ二名は待ち合わせの渋谷ハチ公前(こらこら、カワイイところで待ち合わせするなよ)で落ち合い、マイク氏の携帯サイトで最短路線を割り出し地下鉄で東京駅に向かいました。東京駅からは総武線のグリーン車に乗りました(おおっ!)「なんかさぁ、昔の営業思い出すね」「あれ、ロニーとは営業行ったことあったっけ?」「何言ってんの、北海道も行ったし、金沢だって行ったじゃん」「ああ、金沢ねぇ、懐かしいね。あそこはさ、元々克也さん(小林克也)の紹介だったのよ。本当は克也さんが行くはずだったんだけど、いけなくなってボクんとこに回ってきたんだよね」「金沢って言えば、寿観光、未だあるの?」「潰れたよ。結局オレも4~50万やられたかなぁ。まあ、ギャラだから実質的な損害はなかったけどね」「そういえば、金沢には花見キョンが行って、ラジオ番組とか持ったんじゃなかったっけ?」「花見君ねぇ~。彼、居なくなっちゃったよ」「居なくなったって、蒸発かなんかしちゃったの?」「昔からそんな感じだったじゃない」とまあ、こんなくだらないジジイの昔話が花咲くうちに総武線グリーン車は千葉駅に到着。ここで二人はもうひとりのおっさんを呼び出しました。池袋のアダムズアップルとか林檎屋、新宿ハローホリデーとかでサラ回してたチェングです。こいつのおかげでサイパンで路頭に迷ってしまった私ですが、昔のことは水に流して、10年ぶりの再会です。そういえば、このチェング、20年前は千葉テレビのビデオ・ジョッキーとして電波にまで乗ったバイリンガルDJの草分け的存在だったんですね。それがいつしか老いぼれて(笑)、あやうく塀の中へ落ちそうになったところを、なんとか更生したという、文字通りしょーもないおっさんの一人です(笑)千葉の駅前をウロウロしつつ、ようやくZOOMにたどり着いたマイク&ロニーはすでに盛り上がりつつある店内でMIXIのお友達に初めてお会いしました。アチコチのサイトでもすっかり御馴染み「おーさん」は、もう会った途端に全てがおーさんでした(なんじゃそりゃ)そして、もうひとりSupercops2さんにもお目どおり叶いました。偶然にもこのCops2さんとマイク越谷さんとは昔馴染みとのことで、これまた妙なご縁です。そして、我等が兄貴の登場です。(ばぁあ~ん!)元「金髪の庭師(笑)」こと庭師Mさん。そのまんまの方でした(爆)先輩「大入袋」ありがとうございました。カッコのつけ方がいかにも新宿系です。頂いたお守りはしっかり財布に収めてあります。続いて、戦友テリー登場。その後ろには、な、なんと約30年ぶりの再会、シュガー・パイ・ガイことEさんの姿が。。。。懐かしかった。お互いに老けたけど、フィーリングは昔のまんまです。嬉しかった。当時の狭いサークルですから、このEさんはエンバシー時代のイサムちゃんと仲良しだったので、新宿時代に中の良かったチェングとは、あのガラ悪イサムを通じて昔話に花咲きました。更にチェングの仲間だった、池袋アダムスのDJジョニーこと平将門の写真を店内で見つけ、異常な盛り上がりを見せるおっさんたち。更に千葉のぴゅんぴゅん丸氏も現れて、往年のディスコDJ同窓会さながらでした。「当時こんだけのメンバーが集ったら凄いことになってたよなぁ~。今でこそ単なるジジイの集りだけど(笑)」ここでJBのスーパー・バッドが掛かりました。当然M兄貴がフロアに飛び出し、道楽親爺も後を追いました。ポップコーンセブン踊っちゃいましたねー。良い歳コイて(笑)M先輩、今度はパルスのチャチャ伝授して下さい。それにしても、昔の踊り場、思い出しました。懐かしかったぁ~。どんどんヒートアップしていくお店は第一回ショーケースの始まりです。YUKI姐さんとSHUN兄さんの夫婦ダンス(笑)マジでSHUNさんカッコ良かった。SHUNさんの生活はやっぱここにあるんですね(なんじゃそりゃ)ディスコ野郎現役です。うらやましいくらい、生き生きとしてましたよー。その他、ファンクラッシュのAKIちゃん、ハンバーグ屋のヨッシー、サチちゃん、パチちゃん、DJ・AMAYAさん、みなさん、本当に楽しい夜をありがとうございました。帰りはマイクさん、シュガーさんと3人でファミレス行ってらーめん食べました。しかも始発で朝帰り。うっつらうっつらしながら、「始発帰りなんで何年ぶりだろ?」とマイク越谷氏。「そうだねー、昔はこうして毎晩セコセコ遊んでたんだよねー」「でもさ、昔は携帯も無かったし、コンビニも無かったし、淋しかったよね」「そうだね、でもそれなりにみんな生き生きしてたよね。本当に楽しんでたよね、毎日を」さすがに50歳を超えると、身体がキツイってことを悟るのは翌朝の目覚めのときでした。
2007年09月08日
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トンネル抜ければ~ 海が見えるから~ そのままドン突きの~ 三笠公園で~三笠公園にはたどり着けなかった。汐入駅からドブ板に抜けたら、そこはおしゃれな街だった。せせこましい道幅だけが、かろうじて昔の面影を残しているだけで、30数年前のあの胡散臭さはどこにもない。せめて昔ながらの店の一軒でもあったらと、通りを進んで行くと、涙が出るほど懐かしかった。昔はこんな店があちこちにあって、兵隊さんがオンリーさんと並んで微笑む額縁入りの似顔絵が飾ってあった。隣には刺繍屋が一軒、この店と同じくぽつんと、そして細々と生きていた。嬉しくなって通りを更に進むと、ダサいスカジャン着て~、おまえ待ってるから~。昔のまんま、そのまんま。約30年前にここで買ったスカジャン。どうしてもこのスカジャンを着せたい奴が居た。店に入ると耳の遠いオヤジが出てきて愛想笑いをした。その笑顔がそのまんまオレの青春とかぶった。「オレ30年前にここでスカジャン買ったんだよね」「ああそう」「値段も倍になったんだね」「この刺繍は全部手仕事だから」「妹と弟に買ってってやりたかったんだけど、これじゃちょっと無理だね」「大きさは、どのくらい?」「そうだね、オレより一回りくらい大きいかなぁ」「大きいのはねぇ、やっぱり高いんだよ」「いや、良いよ高くても。ひとつもらうから」「デザインは?」「そうだなぁ~、やっぱ、虎かなぁ、これから戦わなくちゃならないから」「えっ?」「30年前にね、ここに居た奴でね、海自で船に乗ってたんだよ。オレより二つ下なんだけどね、ちょっと患っちゃっててさ・・・・・、たぶんオレより先に行きそうなんだ」「じゃ、端数は負けときましょう」「ありがとう。これも想い出になるよ」オレの話を聞けぇ~、5分だけでも良い三笠公園で、ダサいスカジャン着て会う約束はとうとう果たせなかったけど、30年前の店で虎のスカジャンを買ったオレは、横須賀から終点の久里浜まで出た。ここも昔の面影はほとんど残っちゃいなかったけど、少しだけ潮の香りがして、古い創りの駅が心もち優しかった。横須賀・・・・・次に来るときは奴の歩いた道を、今度はゆっくりとなぞってみたいと思った。完
2007年09月07日
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