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MET来日公演の大幅なキャスト変更に伴い、結構な騒ぎになってるようですね。 ジャパンアーツの経緯説明はこちら。 http://www.japanarts.co.jp/MET2011/message0611.htm まぁ、キャスト変更で不利益を被るのは、払い戻しが無い限りは一方的にお客の側なので、文句が出るのは仕方ないとは思います。 更に申さば、私は今日のボエームしか買っていないという、恐らくこの件で最も発言権が無い人間の一人(笑<だって、無関係どころか、一般的には「利益を被った」と看做されるであろう層ですからね)なのですが、それはそうなんだけど、今後起こるであろう事態に向けて、備忘録的に。 そもそも、なんでこのMET、ボエームしか買っていないかというと、はっきり言って高いから。先行発売とかで出遅れたのもあって、安いとこ買えなかったんですよ。でね。METのドン・カルロも、ダムラウのルチアも、興味ない訳じゃないけど、MAX S席で62,000円、買えるチケットでも3万円以上払って観たいか?となった時に、まぁそこまででは、ということで買わずにしまったというのが本音。私が買ったのは、だから、ネトレプコのボエームだけ。日程の関係もあるにはあったけど。 今回のドン・カルロやルチアに6万円出す気が知れない、とかいう意味ではありません。ただ、お金が無いのと、費用対効果で消費者としてそこまで出す気がしなかった、ということ。正直、あぶく銭が100万円あっても、出したかどうかは分からない。1000万円あったら買ってるかも知れないけど。批判的な意味でなく、だから、分からんのです、私には、買った人の気持ちは。そりゃそうだ、だって買ってないんだもん。 私の基準は、そういうこと。費用対効果。それ以上でも以下でもない。 で、今回、震災理由にせよ、ネトレプコはキャンセル。ある意味これは私にとってはがっかりな話で、というのは、代役がフリットリであろうが、目当てのネトレプコは聞けないのだから。これは、フリットリがどうか、という話とは別。正直に言って、フリットリが出るなら喜んで観に行きます、というのが本音。でも、それは元々の期待通りではない。 でもまぁ、ある意味諦めてもいます。なんでかというと、コンサートは博打だから、私にとっては。 コンサートなんて、人間がやってることだから、何があるか分からない。まず自分が行けるかどうか分からない。行けても、コンサート自体をやるかどうかが分からない。やったとして、予定通りの内容で出来るかどうか分からないし、出来たとしても満足の行く内容かどうか分からない。演奏が良くても、他のお客とか諸々の不安定要素の結果、満足して聞けるかどうか分からない。分からないことだらけ(笑) その上で、チケットを買っているので、何かが起きてもある程度諦めることが出来るのです。言い換えれば、諦めがつくものしか買っていない、ということでもある。 考え方は色々あります。だから、この考え方を押し付ける気もしません。ただ、6万円を越えるチケットを買わない理由はそこにあります。そこまで突っ込む気がしないんだもん。一日中パチンコ台の前に座る気がしないのと同じ。でも、この馬だったら万馬券になるかも、と思って、千円分買ってみる、くらいのことはする、というところでしょうか。 うーん。ヘタレだ(笑) でも、そういうことを承知で言えば、今回の対応ってそれほど酷いのでしょうかね。 相次ぐキャンセルそれ自体は、お客にとってはたまらん話ではあるけれど、今の事態にあっては已むを得ない所ではないかと思います。よしんばそれを理由にしていない「体調不良」であっても、最終判断の中に「そこまでして今の"日本"に行く理由無いよね」という見方も無いではないのではないかと。 だから、興行側で人為的に発生させたのは、フリットリの振替だけ。 その上で敢えて申すのですが、私の今回のプログラムの評価は、上述した通りなのです。 METのドン・カルロ。 ダムラウのルチア。 ネトレプコのボエーム。 この中で、その看板が真に損なわれたと言えるのは、実はボエームだけではないかと思うのです。 ドン・カルロは、確かに踏んだり蹴ったりです。レヴァインにボロディナとカウフマンがキャンセルの挙げ句、フリットリまで振り替えられた。振替先のキャストも、ルイジ以外はちょっとね、という感じ。確かに酷い。でも、ホロストフスキーのロドリーゴと、Wキャストのフィリッポ二世は健在ですよね。であれば、私にとってのドン・カルロの魅力は、それほど落ちていない。結果どうだったかは知らないですが。 ルチアは、カレーヤがキャンセルで、代役を立てただけですよね。看板のダムラウは不動。で、結果結構良かった訳でしょ? ボエームは、看板のネトレプコと、ロドルフォのカレーヤがキャンセル。で、ボエームというのは、結局、幾らオケが頑張ってみても、歌手に左右されてしまう演目です。 と考えると、ボエームに最大限手厚くフォローを入れるのは妥当な優先順位だと思うのです。フリットリを振り替えちゃうのは、流石にやり過ぎだとは思うけど。 こういう興行を打つ以上、相当のコストはかかります。であれば、何らかの形で上演するなら、そうそう返金は受けられないだろうし、返金するなら公演自体をキャンセルするしかない。キャンセルすれば、どちらも民間の団体であるMET、ジャパンアーツ共多額の負担は避けられない。であれば避けたいだろうし。じゃぁ、興行を維持する上で、最良の策は何か?最大多数の最大幸福を求めるならば、何が最善か? そうした判断の結果が今回の結論だと思うのです。 くどいようですが、お客の側が一方的に不利益を被るのだから、文句が出るのは仕方ない。でも、そこまで眦決して非難するほど余裕の無いギャンブルは俺はしないなぁ、と、他人事モードで思ってしまうのではあります。 で、あのドン・カルロは、そんなにつまらなかったのかしら?引越公演を中止して返金するべきだった、というくらいに?
2011年06月19日
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新国立劇場 14:00~ 3階正面 2回目です。因果なもので、それほど好きというわけでもないコシ・ファン・トゥッテの時に限って、きっちり行けるという.... まぁ、改めて観て思うのだけど、私はやっぱりあまりコシは好きではないのだろうな、と。もう一つピンと来ませんでした。オペラ自体がね。多分、それほど悪い訳ではないのだろうと思うし。 歌唱陣は前回よりもう少し出来映えが良かった模様。やっぱり女声上位なのは変わらず。それと、トレーケルは、やっぱり、演出の故もあるやも知れないけれど、ちょっとドン・アルフォンソという役には、どうかなぁ。こういう軽妙な役にはどうだろう? 喝采を受けていたのはフィオルディリージ、次にドラベッラ。これはまぁ納得かなと。それと同じくらいなのがトレーケル、なのが、まぁ、悪くないんだけど.....かな、と。 一方、指揮者にはなんだか腰の入らないブーイングがちらちら。これが分からない。まぁ、良くはないですよ、確かに。メリハリが無いと言えば無い。もっとやりようもあるだろうけど、ブーイングするほどではないなぁ、と。目立って破綻している訳ではないし、公演を進行させるというレベルに於いては、決して責められるレベルではないな、と。これをブーイングものだと言うなら、日本で行われるオペラの大半はブーイングを喰らってると思いますけどね。凡庸は褒められたものではないけれど、それが現実の新国のレベルだと思うので、この指揮だけがブーイングってのはよく分からなかった。 演出。結論的には、あまり評価しません。 所謂現代演出で、舞台を現代のキャンプ場に設定。ドン・アルフォンソはキャンプ場のオーナーというか店主という設定。恋人達は、どういう設定なんでしょう、正直細かい「これこれこうだろう」という設定ははっきりしなかったように思います。男二人が従軍するのは、元々軍に居たからなのか?その割には真面目そうな青年二人という態だし、変装して現れる際にはパンクなバイク乗りのならずもの、といった感じ。 元々コシはストーリー自体が結構無理がある、或いは今の我々からは想像するのに現実感を伴うのがなかなか難しい設定だし、その割にテーマは現代的とも言えるので、演出が様々な形を取ることが比較的受け入れやすいとは思います。 ただ、この設定は、じゃぁ分かりやすいのか、と言われると、ちょっと厳しい面がある。私は現代演出に否定的ではないつもりだけれど、その点では功利主義的に考えていて、つまり、現代演出にすることは、原作に対し「ノイズ」を多かれ少なかれ発生させるので、その「ノイズ」を発生させて尚それに見合うだけの内容であるべき、と考えます。その意味で、コシ自体は上記に述べたような理由で「ノイズ」の発生量は少ないのだけれど、それによって十分に見返りを得ていたかどうかというと、ちょっとね。 最大の問題は、幕切れの処理。平たく言えば、この演出は「元の鞘に納まる」のではなく、皆で破局を迎えて終わる。要するに、皆が皆この実験そのものなりその結果なりに憤って、ドン・アルフォンソ以外は皆舞台からてんでに去って行って、暗転。幕。 あのですね。コシ・ファン・トゥッテというオペラは、男性目線で言う所の「女なんてこんなもんさ。仕方ないでしょ。それを受け入れましょ」という話であり、女の裏切りを目の当たりにして尚、女は従順な振る舞いを示し、男はそれを受け入れて終わる。まぁ、そういう話な訳です。これは結構荒唐無稽な話であって、それ故に無理もあるし、テーマも色々に読み取れる。その辺が、確かに、近年コシが盛んに上演される所以かも知れないけれど、この結構無理な筋立てが、このオペラのドラマの源泉である訳です。 この演出は、要は、「こんなことされたら普通怒る」というその普通を最後にぶちまけてみせて終わる訳です。それは確かに極めて真っ当な反応かも知れない。けれど、そこには至極当然の反応しかないのであって、正直、全然ドラマが存在しないのです。ドラマのような修羅場かも知れないけれど、以上終わり、ということなら、それは、オリジナルの「コシ・ファン・トゥッテ」の毒を生かしていない。 犬が人を噛んでもニュースにならないが、人が犬を噛めばニュースになる、という俗言があります。あれはどちらかというと批判的に、或いは露悪的に言っている訳だけれど、オペラというドラマに於いては、少なからずこれに近いことがあると思います。どちらかといえば肯定的な意味合いで。コシのドラマたる所以は、かくも惨い実験結果をコミカルに描き出し、尚且つそれを受け入れる、という話にしている所が同時代的には面白く、現代的にはアイロニーに満ちていると受け取られていると思うのです。その意味で、この演出のような解釈も、決して誤りではないけれど、これは結局犬が人を噛んだ話になってしまっている。 そりゃそうですよ。至極ごもっとも。こんな仕打ちを受けて女性が黙っている方もおかしいし、一方で身から出た錆とはいえこんな惨い裏切りを見て「まぁ、しょうがない、そんなもんだ」と言えるもんでもないでしょ、と。でも、それを、正味3時間使ってオペラでやって、だからなんなの? 元々180度捻った作品を更に捻ってみたら、合計360度回転して真っ直ぐになりました、以上。それでも一回転してる分の味があればいいんだけど、ちょっとねぇ、それもねぇ。 まぁ、私は、多分、このオペラ、あんまりよく分かってないのだろうから、あまり大きなことを言う資格は多分無いのだけれど。
2011年06月12日
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新国立劇場 14:00~ 4階右手 フィオルディリージ:マリア・ルイジア・ボルシ ドラベッラ:ダニエラ・ピーニ デスピーナ:タリア・オール フェルランド:グレゴリー・ウォーレン グリエルモ:アドリアン・エレート ドン・アルフォンソ:ローマン・トレーケル 新国立劇場合唱団 東京フィルハーモニー交響楽団 指揮:ミゲル・A・ゴメス=マルティネス 演出:ダミアーノ・ミキエレット やーもー全然Blog更新してないですね。ホントに。なんやかやでばたばたしていて、一体どれだけ溜まってるやら.... これも先週の公演。実はこれより先に書く話が一杯あるのだけれど、流石に今日これからもう一度観に行く予定なので、これくらいは書いておこうかと。 ところで、今は「コジ」なんですかね。新国立劇場の表記はそうなっているけど、正しい発音はどうだったかしらん。濁るのかねぇ。昔っから「コシ」「コシ」言ってたもんですが。あんまり、イタリア語で、sの発音が濁るというのは覚えがないのだけれど。 総体的に言うと、まぁこんなもんかな、いいんじゃないでしょうか、という感じだったかなと。(大体が暫く前の話を書いているので記憶頼りだし....) 基本的に女声の方が出来が良かったかな、と思うのは、役のせいもあるのかも知れませんが、それにしてもちと男二人の方がもう一つだったかな、と。トレーケルのドン・アルフォンソは、ちょっと真面目過ぎて合わないような気も。この演出に照らしてみれば、むしろこのくらい、笑えないくらいの方がいい、ということかも知れませんが。声が悪い訳ではないんですけどね。 演奏は、可もなく不可もなく、というところかなぁと。一部ではあまり評判が良くない指揮ではあるようですが、こんなもんじゃないのかしら。躍動感に溢れる、とか、流麗な、とかいうのとは違った、まぁ言ってしまえば凡庸なのかも知れないですが、これもまた「こんなもん」じゃないかしらん。 演出は、ちょっとどうだろう。もう一度観た上で書こうとは思いますが、個人的にはあまり評価はしていないです。ごく簡単に言うと、意外性の無い当たり前の結論になってしまっているのがなんだかつまらないということ。現代演出にしたのも、発想の根本と実際にそこに提示される設定との食い違いがあって、それが随分ちぐはぐな印象に繋がっているというか。 正直、あまり魅力的とは言えないかなぁ。 こういうのを観ると、なんとなく新国立劇場のコンセプトがマンネリ化している気がするのですが......
2011年06月11日
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