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ある本に出ていた話だが、何度も刑務所に出たり入ったりしている人が、またまた、スーパーで300円のパンを万引きしたとする。警備員に捕まって、本人も万引きを認め、拘置所に入ったとしよう。すると国選弁護人がついて、検事が取り調べをする。何回も万引きを繰り返しているので、今度は裁判にかけられることになる。当然有罪だから6ヵ月ほど服役して、その後出所することになるのだが、この間、ざっと130万円かかるのだという。300円の万引きが130万円の国費、つまり税金を潰すことになるのだ。こんな金が出ていくなんて、私たち一般人は予想もしないが、民主主義は金がかかるものだと、つくづく思ってしまう。窃盗だけでも年間122億円の経費がかかるというから、万引きはやめておこう(笑)。これはほんの1例だが、この種の話はいくらでもあるという。ごみを庭に貯めて、近所から苦情が出ても、これを片づけられないという話もある。かかる費用が厖大で、地方自治体では、いちいち負担できないというのだ。それも単に清掃車が来ればいい、という話ではないからだ。私たちに見えている処理費だけではない、さまざまな出費があるのだろう。いま静岡県で、教育長が「万策つきた」と悲鳴をあげるほど、教師たちのセクハラが続出している。8月だけでも5件。年間ではどのくらいなのか、見当もつかない。教師たちも、自分のセクハラ1回につき、一体いくらかかるのか、計算してもらいたいくらいだ。少なくとも、300円の万引きより高くなることを知ってほしい!
2011/10/25
「ねんりんピック」は24回目になるが、今年は熊本県で行なわれた。これは60歳以上の男女による「スポーツと文化」の祭典だが、それこそ数年後には70歳以上の祭典にしてもいいくらい、高齢者が元気だ。一体どのくらい、高齢者が元気かというと、丁度1年前の「滋賀マスターズ陸上選手権」で、100歳の宮崎秀吉さんが、100メートル走で29秒83という、世界記録を出している。それだけでなく、砲丸投げの選手でもある。オリンピックで日本人最年長金メダリストは、射撃の蒲池猛夫で、48歳だった。今年の世界陸上で世界最年長金メダルを獲得したのは、ハンマー投げの室伏広治36歳だ。これらの人々は、たゆみない練習をしているのだろうが、私たちでも、ジョギングなど練習を重ねていけば、自分なりに「よくやった」とほめてやりたい成果が上がるはずだ。ちなみに最年少でも、びっくりするほどの天才少年少女アスリートがいる。オリンピック平泳ぎ200メートルで優勝した岩崎恭子は、なんと14歳だった!今年の卓球全日本では、10歳2ヵ月の伊東美誠が初優勝を記録したが、あの天才少女、福原愛選手の記録を11ヵ月も更新している。ゴルフの石川遼選手も15歳で優勝しているが、もしかすると天才少年少女が続々と出現しそうだ。それを反映して、いまやバディスポーツ幼稚園を初め、エンゼルスポーツ幼稚園、昭和スポーツ幼稚園などが、親たちの注目を集めている。中には横峯さくらや石川遼のように、子どもを有名スポーツ選手にして、それで食っていこうという親たちも多いという。そううまくいくはずはないのだが。
2011/10/18
鉢呂経産相が「放射能つけるぞ」事件で辞任したのは自業自得だが、この辞任記者会見で、やくざのような言葉を使って、大臣を脅した新聞記者がいた。さすがにほかの記者からクレームの声があがったが、新聞記者はそんなにエライのだろうか? いまこのいきさつは、ネット上で読むことも、聞くこともできる。この記者は時事通信の経済部員だが、たしかにこの言葉づかいは最低だ。「何を説明したいのか言いなさいよ」「説明しろって言ってんだよ」大臣の記者会見は、大衆団交ではない。記者は話を聞いて質問するのがスジであり、糾弾(きゅうだん)する場ではない。さすがに時事通信社では部長とその記者が、詫びに行ったが・・・。だがこの記者の卑怯なところは、他のフリー記者からの名刺交換に応じず、何を聞かれても一言も答えず、逃げてしまったことだ。しかしこの男Sは、フェイスブックに登録していたので、顔までバレバレになってしまった。これがまた、実にふてぶてしい顔をしているのだ。それより書いている内容に問題がある。この一文が最後で、あとはまったく使った形跡はないのだが、そこには――8月15日午前9時32分「ああ~あ。今日もまたシゴトかあ」同日午後6時11分「会見が夕方になったせいで宴会に遅れちゃうよお」もしかすると鉢呂会見の日も、宴会に遅れる腹イセに、怒鳴ったのかもしれない。仕事をする気なんか、このS記者は、これっぽちもなかったのだろう。これがいまの新聞記者の実態だ。
2011/10/13
私は男たちからよく質問される。「櫻井さんは男でありながらどうして、女性の心がわかるのですか?」私の場合は、女手一つで、7人の子を育てた母を見ていてわかった部分が多いが、もう1つ、早くから女性の詠んだ俳句や短歌に親しんだ点も大きい。たとえば、ここに歌人、中条ふみ子と俳人、竹下しづの作品を1作ずつあげてみよう。灼きつくす口づけさへも目をあけて うけたる我をかなしみ給へ短夜や乳ぜり泣く児を 須可捨焉乎(ステッチマオカ)2人の経歴はここでは書かないが、中条の歌は「熱烈なキスでさえも目をあけて、彼の愛が本当かどうかをさぐる私は、なんという女か」という意味合いのものだ。竹下の句は「この暑い夏の短い夜に、乳をほしがって泣くわが子なんか、捨てちまおうか(須可捨焉乎)」という、衝撃的なもので、血ののぼった女の恐ろしさを、みごとに表してしる。これは一例に過ぎないが、文学の道を進む女性でさえも、「おんな」なのだ。小説と違って、短歌や俳句を読むのは、大して時間はかからない。それでいて、むしろ一瞬で、女の心の深渕を覗くことができる。現実の生きた女性と、女流歌人、俳人の作品と、同時につき合っていくならば、男として抜きん出た女性心理の専門家になれるのではないか? 私はそういう勉強をしてきた。
2011/10/04
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