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「なでしこジャパン」に国民栄誉賞を授与するという。これで菅内閣の支持率は少し上がるだろう。この栄誉賞は、これまで個人にしか与えられていないので、今回は初めてのケースとなる。この国民栄誉賞の賞品は賞状、楯、賞品となっており、現金はない。ただし賞品は1人当たり100万円程度のものといわれており、マラソンの高橋尚子選手は、98万円相当のパテック・フィリップの腕時計をもらっている。だが今回の栄誉賞はむずかしい。控え選手はどうなるのか? もちろん受賞枠に入るのだろうが、本人は面映いのではないか?それより、グループ、団体の場合はこのあと困るのだ。「忠臣蔵」の四十七士の場合は、せっかくの義挙を生かしておけば、必ずその名譽を汚す者が出るだろうと、全員を切腹させてしまった。しかしこれが、結果として武士道精神を高めることになった。平成の世の中では、2、3年のうちに、早くも栄誉賞の名を汚す女性が出てくる危険性もある。特に女性の場合は、結婚した相手によって、幸、不幸が分かれていく。すでに、内幕をペラペラしゃべったり、遅刻して先発要員から外された選手もいるくらいだ。「あの国民栄誉賞の受賞者が!」という事件を起こさないことを祈りたい。1人の場合は、そんなことは考えなくてもいいが、団体だと、どうしても心に緩みが出る。多分、団体の受賞は、今回が最初で最後となるのではあるまいか?
2011/07/28
早朝の博多祇園山笠を走ったその日、加藤清正公の居城であった熊本城を見学に行った。加藤清正といえば、豊臣秀吉の一の側近だった。武将としても秀れていたが、同時に国を治める名君であり、さらにその上、城造りの天才でもあった。いまでいえば、総務、経済産業、国土交通の3大臣を兼務できるほどの実力をもっていた。秀吉が亡くなったあと、その子秀頼の傅り役(もりやく)となったが、徳川家康と戦いになったときは、熊本城に秀頼を迎えようと、豪華な「昭君の間」をつくっている。昭君と将軍を引っかけた言葉といわれているが、この昭君の間から城外に脱出できるカラクリも施されていたという話も残っている。清正は築城に際して、将兵たちの飲み水を大事にし、多くの井戸を城内に掘らせている。城ではないが、現在、明治神宮に清正公のつくった「清正井」(せいしょうい)が残されている。パワースポットとして有名なので、あなたも知っているのではないか?また土壁に塩を混ぜたり、するめを塗り込めている。いざ籠城で食料が尽きたとき、この塩分をなめ、するめをかじれば数日は命が保てる、と考えたようだ。築城の名人だけあって、単に城の形だけ美しくしたのではなかった。あくまでも敵の手に陥ちない工夫がこらされていたのだった。その証拠に、西南の役では、西郷隆盛の大軍を迎えて、政府軍の谷干城は少ない将兵で城を防ぎ切っている。そんな熊本城の歴史を、この目で見たかったのだ。
2011/07/20
このたび【人に好かれる文章講座】を開催することになりました。出版界の伝説の編集長、櫻井秀勲と、ベストセラーを数多く手がけてきた編集者、岡村季子が本を書くときに大切なことはもちろん、メールや手紙を書くときにも、ちょっとしたことで人生が大きく変わる秘訣をお教えします。受講を希望される方はぜひ、このメールの返信にてお申込みください。講座の詳細は以下の通りです。*****人に好かれる文章講座縁と運を呼ぶ文章のつくり方http://www.sakuweb.jp/20110726.pdf講 師櫻井秀勲/岡村季子開催日時2011年7月26日(火) 午後7時00分~9時00分会 場東京・早稲田ウーマンウエーブ・セミナールーム受講費一般6000円*****
2011/07/12
「週刊新潮」が創刊2800号を迎えた。戦後に出た週刊誌の中ではもっとも古く、1956年(昭和31年)の創刊だった。新聞社系を除く出版社として、初めてのウィークリー出版だ。その記念号に、共産党の元名譽議長だった野坂参三の記事が載っている。野坂といっても、この名前を知っている人は少ないだろう。しかし、敗戦直後の1946年(昭和21年)1月、亡命先のソ連から帰国したときは、日比谷公会堂に、3万人を集めて帰国歓迎大会がひらかれたほどの、国民的英雄だった。この野坂が1992年(平成4年)100歳のとき、共産党を除名され、それもあって翌年亡くなったいきさつを「週刊新潮」は書いているのだが、私がここで書きたいのは、そのことではない。私が疎開先の高校3年のとき、野坂は帰国2年目で、まだ圧倒的な人気だった。当時私は社会部の新部長として、学校中をあっといわせる企画を考えていた。1つは千葉刑務所の監獄に入って、獄中の生活がどんなものであるかをレポートしようというものだった。もう1本は野坂参三に直接手紙を出して、取材させてほしいと願ったのだ。いずれにしても地方の一高校生としては、大胆な案だった。千葉刑務所長は、法務省と相談し、結果としては高校生には「危険すぎる」ということで、校長宛て、丁重な断りが来た。しかし戦後、生まれ変わった所内を見てもらいたい気持ちはあると、むしろ私のプランを評価してくれたのだった。驚いたことに野坂参三は、私にハガキではあるが、「忙しくてむずかしい」旨の丁重な返事をくれた。「ノサカサンゾウ」とカタカナの署名だったのが、とても新鮮だった。このハガキは学校側が保管するということで、私の手元にはない。もしいまそれがあれば、野坂の人となりを知る貴重な資料になったと、残念でならない。
2011/07/08
IMF(国際通貨基金)の前専務理事、ドミニク・ストロスカーンのセクハラ事件は、32歳ギニア女性のでっち上げだったようだ。無罪放免になるという。もっとも本国フランスでも、同様な訴えをした女性がいるので、まだよくわからないが。一体誰が仕組んだワナなのか、この女性は報酬のことで仲間に電話したところを、警察に察知された。真相は追い追いわかっていくだろうが、ニューヨーク市警察の世紀の大黒星となりそうだ。しかし、ニューヨーク市警ともあろうところが、なぜギニアからの亡命書類に虚偽の内容が載っているのを、見過ごしたのだろう? もしかすると、アメリカ政府がからんでいるのだろうか?この事件さえなければ、ストロスカーンは専務理事のままでいたか、あるいはフランス次期大統領の有力候補だった。それを足首に監視装置をつけて、軟禁状態にしたのだ。今回、無罪放免となり、かりにフランス大統領に当選したとしたら、アメリカは、相当苦しい立場に追い込まれるのではあるまいか?専務理事の座を降ろしたかったのか、それともフランス大統領にさせたくなかったのか――あとあとまで国家の犯罪として、フランス国民に疑惑を抱かせることは間違いない。日本の特捜検事ではないが、あちらの警察はとてつもない力をもっている。1回無罪になった「疑惑の銃弾」の三浦和義を逮捕したり、それこそロス市警は、三浦の疑惑の自殺まで引き起こしている。中国も怖い大国だが、アメリカも恐ろしい大国だ。
2011/07/05
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