全33件 (33件中 1-33件目)
1

2011年に『竹内文書の謎を解く2―古代日本の王たちの秘密』の著者校正を終わったその日に二重の虹が出たことは以前、お伝えしました。そして今回、『Lシフト--スペース・ピープルの全真相』を書くに当たって、秋山氏を都内で取材、「空の彼方にある三つの塔」の話を聞いたその直後に、二重の虹を目撃しました。8月11日に発売予定のこの新刊(私の18冊目、共著としては10冊目、新装版は除く)は、表紙に虹のデザインをあしらっていることからもわかるように、虹を主要モチーフにした本でもあります。実はその後、おそらく今年中に秋山氏との共著(脱稿して出版社に送付済み)でもう一冊(19冊目)出る予定ですが、私の20冊目の本となる予定の単著の原稿の初校編集作業が昨日(7月30日)終わりました。そうしたら、驚いたことに、その日の夕方、またまた二重の虹が出たんですね。写真はまだ二重になる前ですが、それはそれは鮮やかな虹でした。この約二十分後に二重の虹となりました。この執筆・編集作業と二重の虹のシンクロは、私を常に癒し、励ましてくれます。いつも、ありがとう。
2018.07.31
コメント(0)

ミルク・ヒルからエイヴベリーがどのように見えるかも紹介しておきましょう。このように見えます。って言っても、わかりませんよね。シルベリー・ヒルの右奥の方にあるのですが、目印はエイヴベリー村の教会の尖塔です。わかりづらいと思いますが、左下のほうに尖塔がありその右横の樹木の茂ったところがエイヴベリーの遺跡があるところです。森のような樹木で覆われているので、ストーンサークルやヘンジはみえません。それからナップ・ヒルの周壁遺構の拡大写真もお見せしましょう。 この土を盛ったような土手状構造物が丘の周りに張り巡らされています。今から5500年前の構造物と言うのですから、驚きですね次は南側から見たミルク・ヒルです。中腹にホワイト・ホースの地上絵が描かれていますね。ホワイト・ホースの左側の尾根の向うにミルク・ヒルの頂上があります。 ホワイト・ホースのアップ。ただし、このホワイト・ホースは古代人が描いたものではなく、比較的近年の作であるとのことです。
2018.07.30
コメント(0)

今日の写真は怖いですよ。「羊たちの沈黙」です。みんなこちらにお尻を向けて、無言の抗議をしています。目を反対方向に向けると・・・黙ってこちらを見ていますね。きっと「怪しい奴が来た」と思っているはずです。こちらは・・・無残にも毛を刈られて、ヤギのようになった羊たち。まったく相手にしてくれずに、みんな去って行きました。遠くにみえるのがナップ・ヒルですね。いずれもミルク・ヒルから下って行くときに撮影しました。
2018.07.29
コメント(0)

羊たちの注目を浴びながら、ひたすらミルク・ヒルの山頂付近を目指します。南の方角を見ると・・・ミルク・ヒルに隣接するウォーカーズ・ヒルと、アダムの墓と名付けられた長塚が見えました。中央左の丸く盛り上がったのがそうですね。しばらくすると、頂上付近に到着します。非常に平らな山頂の山なので、どこが最高点(295メートル)かよくわかりません。この辺りで標高285~290メートルくらいです。奥に見える土手は、5,6世紀から10世紀ころにかけて防衛線として造られたワンズダイクと呼ばれる土盛遺構です。重要な場所だったので、守る必要があったのでしょうね。これがその防衛ラインです。地図を見ると、この土手の左側がミルク・ヒルの山頂があるようです。土手の上に昇って、北側を見ます。やはりありましたね。シルベリー・ヒルです。写真の左奥のほうに霞んで見えるなだらかな丘が、おそらくウィンドミル・ヒルです。エイヴベリーはシルベリー・ヒルの右のほうにありますが、写真のフレームには収まっていません。霞んでいなければ、ミルク・ヒルからソールズベリー平原だけでなく、遠くウェールズのブラック・マウンテンまで見渡せるそうです。
2018.07.28
コメント(0)

秋山氏との共著『Lシフトーースペース・ピープルの全真相』が8月11日(予定)に出版されます。取材、構想から一年以上かけてようやく完成しました。内容はとにかく濃くて凄いです。Lシフトとは何かを含めて、秋山氏が未来人とも言えるスペース・ピープルから教わった「地球のための未来教科書」の全貌が明らかになります。巻頭写真では、本物のUFOがどのように写るのかをカラー写真で紹介しております。どうぞご期待ください。
2018.07.27
コメント(0)

エイヴベリーを発って、最初に向かったのは、この地域の最高峰でもあるミルク・ヒルです。ウォルベリー・ヒルよりわずか2メートル低いだけの標高295メートル、ウィルトシャー州で最も高い山(丘)です。車を中腹の駐車場に止めて、山頂を目指して歩きます。見渡す限りの牧草地。そして・・・見渡す限り羊ばかりです。来た道を振り返ると・・・ナップ・ヒルが見えます。標高261メートルの目立つ山です。山頂を取り囲むように紀元前3500年ごろ造られたとみられる周壁遺構がめぐらされています。これらの山々は、ミルク・ヒルがエイヴベリーの大ヘンジとストーンヘンジを結んだ直線上にあり、ナップ・ヒルがウィンドミル・ヒルとシルベリー・ヒル、そしてウェスト・ケネット・ロングバローを結んだ直線上にあるなど、重要な測量点となっています。とは言うものの・・・羊たちにとっては、そんなことはどうでもいいことですけどね。ナップ・ヒルの右のほうに目をやると・・・う回路で見つけた円錐形の綺麗な丘ピックト・ヒル(標高202メートル)が見えました。大和三山の耳成山に似ています。
2018.07.27
コメント(0)

翌十日目の5月31日。この日は夜明けとともに起床し、宿泊先から歩いてすぐの場所にあるエイヴベリーの遺跡の朝もやの中の写真撮影をしに出かけました。午前6時19分に撮影した写真。太陽はまだ昇ったばかりで、この位置にあります。牛たちもまだ眠そうですね。エイヴベリーの遺跡に到着。下の写真はエイヴベリーの大サークルの北西部の巨石です。ダイヤモンド型の巨石。確か北の門番石と呼ばれていたと記憶しています。その上に門番のカラスが止まっていました。そして、こちらがその隣の巨石。イヌの横顔のように見えます。巨石の右奥に見える塔がエイヴベリーの村の教会です。その後、太陽がすっかり隠れてしまったので、宿屋に引き上げます。こちらがその宿屋。ここに二日間お世話になりました。特典は、村のレッド・ライオンで食事するときに部屋のカギを見せると10%引きだったか15%引きにしてくれることでした(もしかしたら20%引きだったかも)。非常に便利な宿屋でした。
2018.07.26
コメント(0)

ヘンジの北東部分の散策を続けましょう。ここで目立つのはこの大きな樹木です。何とも言えないくらい見事な樹形をしています。エイヴベリーのシンボルマークにも使われています。近づくと・・・下の方にサルノコシカケのようなキノコが生えておりました。この木も聖なる木とされているようで、願掛けをしている人を見かけました。次の写真は、数少ない北の小サークルの立石です。そしてこちらは、北東部分ではほとんど残っていない大サークルの立石。この北東部分では、オーブリーが生きていた時代にはまだ大サークルの立石は6個は残っていましたが、現在ではこの石を含めて3個(内一個は横倒し)だけが残っているだけです。北の出入り口からウィンドミル・ヒルを望みます。非常になだらかですが、よく目立つ大きな丘であることがわかりますね。この丘の頂上部分に周壁遺構や円墳が築かれています。散策はここまで。この日はいつものレッド・ライオンで夕食を済ませました。
2018.07.25
コメント(0)

エイヴベリー大ヘンジの東まで来ると、土手の行く手を道路が阻みます。土手が道路で途切れているんですね。これがその道路です。村とヘンジの中央を東西に走っている道で、この道を東に行くと、マールボローに出ます。この道がヘンジが建造された時代からあったかはわかりませんが、少なくともオーブリーが17世紀に調べた時には既に存在していました。道の北側には北の小サークルの残骸の立石が横倒しになっています。オーブリーの時代にはまだストーンサークルであるとわかるくらいの数は残っていたのですが、今では閑散としています。南側よりも北側の立石のほうが激しく破壊されたようですね。それでも北の小サークルの中央部にあったコーヴと呼ばれる巨石遺構の立石はわかります。こちらの巨石がそうですね。元々はコの字形に立石が三個並んでいたのですが、いまでは二つだけが残っています。別の角度から撮影します。ちょうど別の見学者が来たので、大きさを比べるために撮影します。結構大きい巨石であることがわかりますね。こうしたコーヴのような巨石遺構は、スタントン・ドリューや先日紹介したアーバー・ロウにもあることがわかっています。
2018.07.24
コメント(0)

エイヴベリーの大ヘンジには南南東のウェスト・ケネット・アヴェニューの近くから登って、そこから時計の反対回りに土手の上を歩いていくことにしました。昨日紹介した、なだらかな山容を持つウィンドミル・ヒルが建物の向う側の樹木の間に見えます。今では大きな樹木が生えているのでわかりずらいですが、かつてはエイヴベリーの大ヘンジおよびその内側にある大小のストーンサークルを見下ろすような感じで北西に鎮座していたことがわかります。ヘンジの土手の上から、いま来た道を振り返って撮影します。ちょうどバスが走っているのが見えますが、そこがウェスト・ケネット・アヴェニューの出入り口の部分です。ヘンジの外側を見ると・・・羊たちが放牧されていますね。ヘンジの内側にも牛や羊が放牧されています。ヘンジは元々、こうした家畜を囲うために造られたのではないかとも考えられています。家畜が逃げ出せないように、土手の内側に溝を掘ったというわけですね。その土手と溝がよくわかる写真です。深い渓谷のようにも見えますね。しばらく歩くと、前方に人だかりが・・・ヘンジの南東にある「聖なる木」に集まって、儀式をやっているようです。夏至が近づくころになると、たくさんのスピ系の人々がこのエイヴベリーにやって来て、各人各様のお祭りや儀式をしています。今でもエイヴベリーは聖地なんですね。
2018.07.23
コメント(0)

博物館を離れて、今度は実際にエイヴベリーの遺跡を見て行きましょう。これは一番外側のストーンサークルである大サークルの立石です。かなり大きな石で存在感があります。その大サークルの外側を取り囲んでいるのが、ヘンジです。大きな環状のくぼみと土手が見えますね。ヘンジは溝と土手から成ります。土手の内側に溝があるのがヘンジで、ストーンヘンジのように土手の外側に溝があるものは、基本的にヘンジとは呼びません。でも慣習的にストーンヘンジと呼んでいるんですね。そのヘンジの土手の上に登って撮影します。先ほど紹介した大サークルの二つの立石が手前にあり、その右奥に見えているのが、大サークルの中にある南の小サークルの立石です。ストーンヘンジと違って、エイヴベリーのストーンサークルは自由に歩き回ったり巨石に触れたりも出来ます。手前の真ん中の立石にはちょうど座れるぐらいのくぼみがあり、玉座の石として知られて、皆思い思いに写真撮影していました。正面奥に見えるのが、パブ「レッドライオン」です。で、次の写真は先日紹介したウェスト・ケネット・アヴェニュー(巨石回廊)をエイヴベリーのヘンジの上から撮影したものです。連結部分にはかつてもっと立石が立っていたことがわかっていますが、今はアヴェニューがあったこともよくわからなくなっています。そのアヴェニューの反対側(北北西)を見ると・・・木々と村の建物の向うにウィンドミル・ヒルと頂上付近にある円墳が見えました。
2018.07.22
コメント(0)

アレクザンダー・ケイラー博物館内の展示物を見ていきましょう。最初はこちら。パネルの一番上の写真は、エイヴベリーで出土した新石器時代の矢尻ですが、驚いたことに北イタリアのアルプスから渡って来たものであることがわかっているそうです。上から二番目はウィンドミル・ヒルから出土した石斧。石斧の石には、遠く湖水地方やウェールズの石が使用されていると書かれています。非常に広範囲な交易があったことがわかりますね。こちらはシルベリー・ヒルの断面図。次もウィンドミル・ヒルから出土した道具類。紀元前3600~3300年前のものです。石には模様が描かれていますね。何らかの文字の可能性もあります。いずれも用途はよくわかっていません。こちらは水差しと思われる、新石器時代の陶器の杯(カップ)。ウェスト・ケネット・アヴェニューから出土していますが、非常に洗練された模様が彫られています。そして、こちらが・・・ジョン・オーブリーの説明パネル。17世紀に彼が英国王チャールズ一世にこの遺跡を紹介しました。そのとき描いたエイヴベリーの遺跡の地図が下に紹介されています。王からまとめるように命令された報告書は結局完成せず、20世紀になって『モニュメンタ・ブリタニカ』として出版されました。
2018.07.21
コメント(0)

大きく迂回したので時間がかかりましたが、エイヴベリー複合遺跡に到着しました。エイヴベリー複合遺跡の概略を説明しましょう。上の説明板の左上にあるのがウィンドミル・ヒルの周壁遺構と古墳群です。この複合遺跡では最も古い紀元前4000~3300年ごろのものです。その下が紀元前2400年ごろ建造された人工丘シルベリー・ヒルで、さらにその下にウェスト・ケネット・ロング・バローという長墳が描かれています。これは紀元前3600年ごろの遺跡です。一方、右上にあるのが紀元前2600年ごろに建造されたエイヴベリーの大ヘンジ。大ヘンジの中に巨大なストーンサークルがあり、さらにその中にストーンヘンジ並みのストーンサークルが二つあります。その下に描かれているのは、紀元前2500年ごろ造られたとみられるサンクチュアリーと呼ばれるストーンサークルです。このサンクチュアリーとエイヴベリーは、ケネット・アヴェニュー(ウエスト・ケネット・アヴェニュー)という両側に列石が立ち並ぶ回廊で結ばれています。その巨石回廊がこちらです。二キロ以上にわたって、かつてこのような立石が立ち並んでいました。一時期ずいぶん破壊されたのですが、20世紀になってアレクザンダー・ケイラーという人がエイヴベリー遺跡群の保存に乗り出し、倒れていた巨石を引き起こしたり、復元したりして現在に至っています。彼は出土品などを展示する博物館を造りました。そのアレクザンダー・ケイラーが造った博物館は現在では、ナショナル・トラストに委譲され改装されて、このような立派な建物になっています。下の写真はウィンドミル・ヒルを発掘しているときのものです。前列中央がケイラー氏です。彼がいなければ、エイヴベリーの遺跡群の破壊はもっと進んでいたかもしれないと考えられています。
2018.07.20
コメント(0)

ストーンヘンジ複合遺跡の取材が終わったので、再び約30キロほど北にあるエイヴベリー複合遺跡に戻ることにしました。ところが途中、通行止めの道路があり、大きく迂回する破目に。その迂回が面白い結果が生みます。今まで見たこともないような綺麗な円錐形の山が道路から見えたんですね。道路の路肩に車を止めて、撮影します。非常に目立つ山です。古代人の測量山、もしくは人工的に造られた丘であるように思われます。形としては、聖マイケルライン上にあるバロー・マンプに似ています。後で調べたら、ピックト・ヒルという名の丘(標高202メートル)であることがわかりました。さらにその奥には、このような綺麗な山もありました。比較的なだらかな山です。こちらはウッドボロー・ヒル(標高205メートル)と呼ばれています。二つの丘はこのように並んで鎮座しています。で、撮影の際、たまたま止めた場所にはこのような碑が立っていました。スワンボロー・タンプの石碑と呼ばれるモニュメントです。そこには次のように書かれています。2000年7月29日、スワンボローの名を持つ者たち、あるいはこの村の出身者がここに集まり、記念碑を建立した。871年、後に大王となるアルフレッドが、デーン人(ノルマン人の一派)との戦いに赴く途中に兄の王エゼルレッド一世と出会い、いずれかが死んだら父親が残した土地は死んだ者の子供たちが相続することを誓った場所である。迂回したおかげで、面白い場所に辿り着きました。後で調べたところ、この二つの丘はエイヴベリーの複合遺跡とストーンヘンジの複合遺跡を結ぶ極めて重要な測量点であることもわかりました。
2018.07.19
コメント(0)

「正統竹内文書の日本史・超アンダーグラウンド」シリーズの第二巻の新装版が本日(7月19日)発売となります。こちらですね。そして同シリーズの第三巻は8月3日に発売となります。その後、シリーズ第四巻に相当する『正統竹内文書口伝の秘儀・伝承をついに大公開!』と私の単著である『誰も知らない世界の御親国日本』の新装版も相次いで発売される予定です。
2018.07.19
コメント(0)

ストーンヘンジのビジター・センターを見学した後、ウッド・ヘンジとダリントン・ウォールを訪れました。まずは地図でご紹介しましょう。南北が逆さまの地図ですが、黄色で描かれた長い滑走路状の構造物が全長2・7キロのカーサスです。その上の水色で描かれた線と丸が、アヴェニューとストーンヘンジです。で、現在いる場所が赤い部分で、ウッド・ヘンジとダリントン・ウォールの間にいます。ここで注目すべきは、カーサスの伸びた方角にウッドヘンジがあることですね。正確に方角が測られて、建造されたことがわかります。また、ウッドヘンジとダリントンウォールの中心を結んだ直線は、約30キロ離れたエイヴベリーの大ヘンジの中心を通っています。これも正確に方角が測量されて設計されていることの証拠になっています。また、ダリントンウォールとエイヴベリの大ヘンジはほぼ同じ大きさです。つまり5000年前の古代ブリトン人は、ストーンヘンジ複合遺跡とエイヴベリー複合遺跡という二つの巨大な遺跡群を、グランドデザインしたうえで、その大きさも方位角も正確に測量して建造していることがわかるわけです。しかもその測量技術も、土木技術も、ジョン・オーブリーの生きた17世紀やステュークリーが生きた18世紀の科学技術を凌駕していたことは間違いない事実です。本当にすごいとしか言いようがありません。写真でみていきましょう。これがダリントンウォールという巨大ヘンジです。手前に土手があり、遠くの方にも土手が見えますが、それがダリントンウォールのヘンジの盛り土部分です。直径470~500メートルありますから、向こう側ははるか彼方に見えます。紀元前2500年ごろ建造されました。そしてこちらがウッドヘンジの案内板。真ん中の女性がウッドヘンジを調べたモード・カニントン女史。ウッドヘンジは1925年に撮影された航空写真によって、はじめて存在が確認された遺跡です。柱の穴だけが見つかり、かつて樫の木の丸太がサークル状に立っていたことが判明しました。ウッドヘンジの写真です。その柱の穴の部分には、位置を示すために、現在コンクリートの柱が立てられています。
2018.07.18
コメント(0)

カーサスの見学も終え、後は歩いてストーンヘンジのビジターセンターに戻ります。ビジターセンターには、当時の住居を復元した模型が建てられています。そしてこちらは、ストーンヘンジで使われている重さ28トンのサーセン石のレプリカ。上のように巨石を固定したソリ状の木造構造物を造り、それを丸太の上に乗せて、丸太をローリングさせながら運んだ可能性が高いのではないかとされています。サースン石は30キロ離れたエイヴベリーのそばのマールボロ丘陵から、ブルーストーンは240キロ離れたウェールズのプルセリ丘陵から運ばれたとされています。ビジターセンターの中にも展示室があります。展示室内のパネル。ストーンヘンジのアヴェニューの航空写真ですね。このアヴェニューのラインが夏至の日の出ラインであり、この地域の最高峰ウォルベリー・ヒルに向かう直線となります。かつウォルベリー・ヒルから見た冬至の日の入りラインになるわけです。上の写真の真ん中にご注目ください。このストーンヘンジ複合体遺跡では最も古い時期である5600年前、すなわち紀元前3600年ごろ造られた周壁遺構のロビンフッズ・ボールです。同心円状に二重の円型の堀と土手が築かれています。ヘンジの原形のような構造物ですね。ただし、残念ながらこの遺跡は、軍の演習場の中にあるため進入禁止になっており、実物を見ることができません。そして実はこのロビンフッズ・ボールには、非常に高度な測量技術の秘密が隠されています。それも別の機会に明らかにいたしましょう。
2018.07.17
コメント(0)

今回ストーンヘンジを再び訪れた理由の一つは、前回見なかったストーンヘンジ周辺遺跡を見ることです。前回見損ねたのは、全長2・7キロもある長大なカーサスです。もちろん視界の中にはあったのですが、いかんせん空から出ないと全体像はわからなくなっているんですね。こちらがその航空写真です。まるで飛行場の滑走路みたい巨大な長方形状の構造物が写し出されています。これが幅100メートル、長さ2・7キロのカーサスです。ストーンヘンジの北の草原に広がっています。上の写真で言うと、右手のほうにストーンヘンジがあります。地図で確認しながら、ストーンヘンジから北に進むと、最初に現れるのは、カーサス古墳群。このような円墳が6基ほど並んで建造されています。そしてさらに北に進むと、カーサスに。こちらがその写真です。「えっ、ただ溝があるだけ」と思われるかもしれませんが、その通りです。地上からは構造物であることがわからないんですね。この轍の跡のような草原にできた溝がカーサスの南側の縁なのです。で、このカーサスは遠くに見える、森と森の間に向かって延びています。その森と森の間までずっと歩いていくと、ふたたび案内板が立っています。これで現在地が確認できますね。赤地に白で「You are here」と書かれているところが現在地です。地図で確認しながらカーサスの終点を撮影。中央から左にかけてちょっと段差があるのが見えますが、そこがカーサスの西端ということになります。わかりずらいですが、本当に長大な「滑走路」を造ったものです。なぜこれほど大きくしなければならなかったかと言うと、おそらく実物もそのようなサイズだったからだと思います。何の実物かと言うと、既にお気づきですよねーーUFOです。円墳(バロー)がUFOの子機で、ストーンヘンジが12人乗りの司令機です。そしてカーサスが葉巻型母船UFO。もっとも2・7キロでは小型か中型クラスの母船かもしれませんね(笑)。
2018.07.16
コメント(0)

久しぶりに来たストーンヘンジの観光施設は、2010年に訪れた時とずいぶん変わっていました。大きなビジターセンターが離れた場所にできて、ストーンヘンジにはバスで行くか、30分ほど歩くかしないとたどり着けません。アイルランドの古代遺跡ニューグレンジがあるボイン渓谷方式ですね。行きはバスに乗って、ストーンヘンジのそばまで行きます。8年ぶりに見るストーンヘンジは、まったくそのままです。時折、小雨が降るのですが、それほど気になりません。カラスが飛んでいますね。反対側からも撮影します。そしてこちらが、ヒール・ストーン。北東にあるアヴェニューの出入り口に立っている立石です。この石をストーンヘンジの中心軸から見た写真がこちら。中央の柱と柱の間の向う側に立っているのが、ヒール・ストーンです。つまり、夏至の日の朝、ちょうどヒール・ストーンの向う側から太陽が昇るように設計されているわけです。そしてその太陽が昇る直線の先にあるのが、先日紹介したこの地域の最高峰ウォルベリー・ヒルです。この日はガスっていたので、ウォルベリー・ヒルまでは確認できませんでした。薄い山陰の向うに、ウォルベリー・ヒルが鎮座しているわけです。
2018.07.15
コメント(0)

9日目の5月30日。この日は朝からしとしとと雨が降っていました。エイヴベリーの周辺遺跡の取材をする予定でしたが、予定を変更して、比較的雨でも取材しやすい場所を訪れることにします。最初の訪問地はこちら。キングトン・セント・マイケルという小さな町です。実はジョン・オーブリーは、この町の西にあるイーストン・ピアースという田舎で生まれています。ですから、ここが最寄りの町であったわけです。上の写真は公民館です。で、こちらが町のメインストリート。本当に小さな田舎の町でした。ジョンは小さいころ、よくこの町の長老連中から物語を聞いたり、いろいろなことを教えてもらっていたと書いています。次に向かったのは、ラコックです。ここは映画やドラマの撮影にも使われる町として有名です。『ダウントン・アビー』などでも使われたそうです。確かに昔風の建物が並んでいますね。雨があがることを期待して、次はストーンヘンジを訪れることにしました。
2018.07.14
コメント(0)

ウォルベリー・ヒルに立ち寄った後、再び北上して、アフィントンのホワイト・ホースの遺跡群に向かいました。ここには白馬の地上絵のほか,鉄器時代のヒル・フォート(丘を利用した要塞)や新石器時代のロング・バロー(長墳)が集まっています。ただ、この日は雨模様だったので探索はせず、スウィンドンのアウトレットで買い物をすることにしました。アウトレットでショッピングをした後は、この日の宿泊先であるエイヴベリーに。もう何度も訪れている巨石に囲まれた村です。羊にも囲まれていますね。芸術的な造形美ですね。ここに二泊して、周辺の遺跡を詳しく調べる予定です。
2018.07.13
コメント(0)

聖マリア・マクダレン教会の方に丁寧に案内してもらったこともあり、そのお礼(献金)を兼ねて絵葉書を購入しました。こちらがその絵葉書です。1833年に描かれた聖マリア・マクダレン教会です。オーブリーが生きた17世紀ではありませんが、まだオーブリーの時代の面影が深く残っていたように思います。現在の教会はこちらです。車が激しく行き交っています。この後、オックスフォードを離れて、南に向かいました。そして到着したのが、こちらの丘。知る人ぞ知る、ウォルベリー・ヒル。バークシャー州にある、ロンドンーブリストル間のイングランド南東部における最高峰(標高297メートル)です。下から見ると、このような丘になっています。頂上部がなだらかな大きな丘です。ここはストーンヘンジから見ると夏至の日の出が昇る先にあります。逆に冬至の日にこの丘の上から地平線を見ると、ストーンヘンジに夕陽が沈んで行くのが観測できるようになっています。間違いなく測量点ですね。実際にウォルベリー・ヒルは、ストーンヘンジ遺跡群とエイヴベリー遺跡群を一望に見渡せる位置にあります。ちなみにジョン・オーブリーが生まれたのは、場所はウィルトシャー州イーストン・ピアースの自宅で、1626年3月12日の日の出のころだそうです。その日の朝日は、イーストンピアースから見ると、実にエイヴベリーとウォルベリー・ヒルを結んだ直線の先から昇ったことになります。オーブリーは後にエイヴベリーの巨石群を見つけ、王立協会の会員として国王チャールズ一世と皇太子をそこに案内し、そして国王からエイヴベリーの遺跡の報告書を書くように命じられます。つまり、彼が自分の名前(Aubrey)にきわめてよく似ているエイヴベリー(スペルは現在aveburyだが、かつてauburyとも書いた)の巨石群を有名にしたわけですが、それはまさに生まれた日と場所、そして名前からも運命付けられていたと言うことができるかもしれませんね。
2018.07.12
コメント(0)

マートン・カレッジのバラです。マートン・カレッジの遠景。左側の樹木の向う側に見えるのがクライスト・チャーチです。マートン・カレッジは皇太子が留学していたカレッジですね。水路の研究にふさわしく、近くには小川も流れています。チャーウェル川(River Cherwell)です。オックスフォードを舞台にしたイギリスの刑事ドラマ「刑事モース」でも似たような風景の小川や散歩道が出てきましたね。とても綺麗な散歩道です。この後、聖マリア・マクダレン教会へ。今度は開いていました。教会の人にジョン・オーブリーの墓石のことを聞くと、やはり「わからない」とのこと。ただし、「墓碑なら壁に飾られているから」と言って、教会の奥に案内してくれました。こちらがその墓碑です。真ん中左がオーブリーのことを記した墓碑です。オーブリーの小伝を書いた学者のロウソン・ディックが、墓碑がないことを不憫に思ったのか、20世紀に造らせた墓碑のようです。一般にはほとんど知られていない教会ですが、今でも時々、オーブリーの墓を訪ねてくる人はいるのだと案内してくれた人が話してくれました。
2018.07.11
コメント(0)

次に向かったのは有名なクライストチャーチ。17世紀のイングランド内戦時代には、チャールズ一世はここを王宮として使用しました。現在は大聖堂兼カレッジとして使われています。内戦時代にオックスフォードの学生だったオーブリーも、ここの大食堂グレート・ホールで王が食事をしながら話をするのを目撃したと手紙に書いています。「ハリー・ポッター」に出てくる魔法学校の食堂もここがモデルだそうです。そのクライストチャーチの西門のそばには、このようなお店があります。クライスト・チャーチで数学を教えていたルイス・キャロルが書いた『鏡の国アリス』に出てくる「アリス・ショップ」です。物語の中では、アリスが機嫌の悪い羊と出会う店として描いています。そのお隣の喫茶店でしばしお茶をします。窓越しに見えるのがクライスト・チャーチ。そしてこちらが、その全景です。クライスト・チャーチのお隣には、内戦時代に女王の居宅となったマートン・カレッジがあります。薔薇の垣根の綺麗なカレッジでした。
2018.07.10
コメント(0)

滞在第八日の5月29日。この日は午前中は引き続きオックスフォードの町中を見て歩きました。町の中心地の交差点にあるカーファックス・タワー。時計を見ると・・・午前8時15分。この日も早いスタートです。で、この交差点を右折して、三番目の角を左折。アポロ劇場の先に、前年にジョン・オーブリーの本を買った青空マーケットがあるはずでした。ところがこの日は、火曜日だったのでお休み。マーケットが開催されるのは、水、木、土とのことでした。ドイツ人の古本店主さんにお礼を言いたかったのですが、残念でした。でも、brexitでドイツに帰ると言っていたので、もうイギリスにはいないかもしれませんけどね。前日も訪れたジョン・オーブリーが埋葬されている聖マリア・マクダレン教会まだ朝早かったので開いていません。後ほどもう一度立ち寄ることにしました。こちらは前日は既に閉まっていた室内のマーケット。カラフルな野菜や果物が軒先に並べられておりました。
2018.07.09
コメント(0)

ボドリアン図書館のツアーが始まる前に、オックスフォード大学のトリニティ・カレッジにも立ち寄りました。こちらの写真です。でも、既に閉館時間となっており、中に入ることはできませんでした。ここは、17世紀にジョン・オーブリーが学んだカレッジですね。ちょうどイングランド内戦が始まったこともあり、オーブリーは卒業できませんでした。それでもオックスフォードで出会った人やそこでの経験は、人生を生きていくうえで、オーブリーの精神的支柱となったんですね。こちらがトリニティ・カレッジの門と全景です。再びボドリアン図書館に戻ってきました。上の円形ドーム状の建物は「ラドクリフ・カメラ」と呼ばれる図書館の一部です。元々は科学関係の書物を収めるために建てられた図書館だったそうです。どうして「カメラ」というかというと、「カメラ」とは、元々は写真撮影のための暗い箱のことです。つまり薄暗い部屋という意味でもあるんですね。確かに書庫は薄暗いですから、まさにカメラというわけです。こちらがボドリアン図書館の本館。中に入ると、広い会議室のような場所があります。実は、オーブリーが生きた17世紀のイングランド内戦時代、ロンドンを追放された国王チャールズ一世がオックスフォードに王宮を置いたことがあります。で、ここが英国議会として使われていたこともあったそうです。写真撮影ができるのはここまでで、二階の閲覧室などは撮影不可でした。この図書館は「ハリー・ポッター」に出てきそうな場所だなと思ったら、実際に撮影したのも、この建物でした。
2018.07.08
コメント(0)

オックスフォードに到着。上の写真はオックスフォードのハイストリート(目抜き通り)です。ホテルはこの目抜き通りにあり、非常に便利でした。ただし駐車場への入り口が狭くて、車を入れるのに結構緊張しました。最初に出掛けたのは、オックスフォード大学のボドリアン図書館。風格がありますね。図書館内のツアーに申し込みましたが、ツアー時間までには一時間ほど時間があったので、他の場所を見学に行きます。こちらがアシュモーリアン博物館。ジョン・オーブリーの草稿や手紙、絵などがこの博物館に保管されていましたが、19世紀に草稿などはボドリアン博物館に移管されました。そしてこちらの教会が・・・セント・メアリー・マクダレン教会。オーブリーがオックスフォードで客死したときに、葬られた教会です。いまでは雑草が生い茂り、墓碑もすり減って読めなくなってしまっているため、オーブリーがどこに埋葬されたかもわからなくなってしまったそうです。教会の記録には、「1697年、異郷の人ジョン・オーブリー、6月7日埋葬」と書かれています。
2018.07.07
コメント(0)

七日目の5月28日。この日はジョン・オーブリーの第二の故郷とも呼べるオックスフォードに向かいます。その途中に立ち寄ったのは、ワーウィックシャー州にある「ケニルワース城」。エリザベス朝時代のお城と庭園です。最初に出迎えてくれたのは、この人たち。この日は年に何回かしかないイベント・デーで、エリザベス朝時代の衣装に身を包んだ人たちが音楽で出迎えてくれました。こちらは鷹狩に使う鷹ですね。何とも豪勢な衣装です。そしてこちらがエリザベス朝時代の庭園を再現したもの。エリザベス一世は未婚の女王で知られていますが、求婚する人はいました。この城の持ち主のロバート・ダドリー(初代レスター伯爵)もその一人で、女王の気を引くために、この城と庭園を造ったと言います。エリザベス女王には他にも寵臣はいましたが、その中でもダドリーは一番のお気に入りで、愛人関係にあったとされています。この城は二人の愛の巣であったというわけですね。
2018.07.06
コメント(0)

このように全く偶然に、意味のある一致が起こることをシンクロニシティと言います。・ボドリアン図書館にオーブリーの草稿を売却した人物を探す。・家人が急に「チェスターフィールド」という言葉を話題に取り上げる。・草稿を売却した人物の住所が「チェスターフィールド」であることがわかる。非常にうまく出来ているでしょう。つまりこの宇宙はシンボリックな意味で溢れているわけです。この意味に気づくと、シンクロニシティの波に乗れるんですね。逆に意味がわからないと、作業が滞ったりします。さらに面白いのは、シンクロニシティには二重三重の意味が隠されている場合があることです。一つ目の意味は、原稿を売却した人物が「チェスターフィールド」に住むチャールズ・グレヴィルで間違いないことを示すことでした。では、そのほかの意味は何でしょうか。一つ考えられるのは、その「チェスターフィールド」から「チェスターフィールド伯爵」のフィリップ・スタンホープが連想され、オーブリーと何らかの関係があるのではないかということです。で、その関係と言うのは、はっきり言って現時点ではわかりません。わかっているのは、オーブリーが亡くなる3年前にスタンホープが生まれていることと、二人とも紳士のための教育が必要であることを力説していることでしょうか。とにかく現地に行けば、何か関連性がわかるのではないかと思って、チェスターフィールドに宿泊することにしたわけです。まあ、それは置いておいて、アーバー・ロウからチェスターフィールドのホテルに戻り、その日はゆっくりと休みました。ところが、このホテルへの宿泊が非常に記憶に残ることになる事件が起きました。異変が起きたのは夜中の二時ごろでした。最初は遠くの方でかすかに、やがては気になって眠れないくらいの大きな音で、警報機が鳴り始めたんですね。火事かと思って廊下に出ると、ほかの宿泊客も廊下に出ており、何の警報なのかわからずに右往左往しています。実はこのホテルはレストランが閉まった後、従業員は全員帰ってしまいます。では夜間何かあったらどうするかと言うと、ホテルの支配人に電話することになっているんですね。宿泊客の一人が支配人に電話して、既に状況を説明したと言います。支配人はすぐそばに住んでおり、ほどなく車を飛ばして駆けつけてくれました。そして警報機の音は止まったので、皆それぞれの部屋に戻って再び就寝しました。翌朝チェックアウトする際に、支配人にどうして警報機が鳴ったのかを問いただしました。すると、意外な答えが返ってきました。「原因を調べようと、すべて点検してみたのだけど、全く異常がなかった。今でもどうして鳴ったのかわからない」というのです。このようなことは滅多にあることではないとも言います。ほかにも不思議なことがありました。実はこのホテルには「ピーコック(孔雀)」という名前が付いているのですが、家人がこの何日か前に「孔雀」の夢を見たというんですね。オーブリーの伝記を読むと、奇しくもウィルトン・ハウスに飾られた「ピーコック」という有名な白い競走馬の絵や、『モニュメンタ・ブリタニカ』を販売する予定の本屋のリストに「ピーコックのクラヴェル氏」という名前が出てきます。詳細は不明ですが、何か不思議な因縁がありそうですね。もしかしたら、この警報騒ぎも、奇妙な夢も、オーブリーの魂が、チェスターフィールドへの訪問が思い出深い滞在になるようにと、あるいは何かに気づくようにと取り計らったのかもしれません。これがそのホテルからの風景です。レストランの中の写真。ちょっとおしゃれだけど、お騒がせなホテルでもありました。
2018.07.05
コメント(0)

「なぜチェスターフィールドに宿泊することに決めたか」ですが、話は昨年12月18日にまで遡ります。当時私は、昨年五月にオックスフォードの青空市場で購入した本の作者のことを調べていました。本のタイトルは『モニュメンタ・ブリタニカ』で著者はジョン・オーブリーという17世紀の好古家です。実は今回のイギリスの旅の大きな目的の一つは、このジョン・オーブリーの足跡をたどることでもありました。この未完の大作『モニュメンタ・ブリタニカ』の草稿は、1697年にオーブリーが亡くなった後、出版されることなく、出版を依頼されていたロンドンの書店「アウンシャム・チャーチルに長いこと眠っていたんですね。代々、その草稿は子孫が相続していたのですが、1836年に書店の親族がオックスフォード大学のボドリアン図書館に売却します。図書館の記録によると、その売却した親族の名前がチャールズ・グレヴィル氏でした。で、このチャールズ・グレヴィル氏とは何者かということをネットで調べると、該当者が8人出てきました。そのうち生没年から三人に絞り込むことができました。その最初の人物であった国会議員チャールズ・グレヴィルのことを記したサイト(「英国議会の歴史」の紳士録)を閲覧しているときに、家人との約束で外出しなければならなくなり、パソコンの電源を切って、家人と車で横浜に買い物に出掛けました。その帰り道のことです。普段通りに車を運転していると、隣に座っていた家人が全く唐突に「チェスターフィールドって、イギリスに確かあったよね」と言いだしました。私は運転をしながら、「チェスターフィールドという地名は覚えていないし、行ったことはないと思う」と答えると、家人は「今通りすぎた家具屋の名前が『チェスターフィールド』と書かれていたように思ったから、気になって聞いてみただけ」と言うんですね。おかしなことを言うものだと思いながらも、私はそれ以上深く追究しませんでした。そのまま何もなければ、そのことは私の記憶から永遠に消え去ったはずでした。ところが、自宅に戻り昼食を取った後、再びパソコンを立ち上げて、国会議員チャールズ・グレヴィルのサイトを閲覧した瞬間に「チェスターフィールド」という地名が目に飛び込んできたんですね。そこには「ミドルセックス州チェスターフィールド街15番地のチャールズ・ジョン・グレヴィル卿」とはっきりと書かれていました。生没年を見ると、一七八〇~一八三六年となっています。まさにオーブリーの草稿を図書館に売却した年に亡くなっていることがわかります。おそらく死ぬ直前、あるいは遺書によって図書館への売却を依頼したのでしょう。サーの称号を持っていること、大佐であったことなどの記述も図書館の記述と一致。この人物が図書館にオーブリーの草稿を売却した人物であることは間違いありませんでした。(続く)
2018.07.04
コメント(0)

六日目の5月27日。今回の滞在では、農場が北限でした。ここから南下して、この日の目的地は、イングランド中部の町チェスターフィールドです。農場の人(ジャック)からは、なんでそのようなマイナーな場所に行くのかと聞かれましたが、最初は「ソファ」の代名詞になっているからだと答えました。それでも訝しがっているので、「近くにアーバー・ロウという巨石があるからだ」と説明すると、ようやく納得してくれました。私が巨石好きだとわかっているんですね。さらにジャックが「では、ストーンサークルは何の目的で造られたのか」と聞くので、私は端的に「ストーンサークルは巨大な天体観測所であり、暦であるとともに、その方角に何があるかを示す地図なのです。立石は日時計の役割もします」と答えました。すると、ジャックは少し沈黙してから、ようやく納得して、私を質問攻めから解放してくれました。もちろん、ストーンサークルには別の目的もあるんですけどね。また、本当はどうしてチェスターフィールドに泊まることになったかも次のブログで説明することにして、とにかくこの日は農場からチェスターフィールドのホテルまで直行しました。そのホテルはレストランでもあったので、お昼時のお客さんでごった返していました。チェックインの時間には早かったのですが、大丈夫だと言うので、早々とチェックインを済ませて、アーバー・ロウに向かいました。面白い雲が出ていますね。まるで巨大な生き物のようです。入口に置いてある缶に一人1ポンドの寄付を入れます。2010年か2011年に来たときは確か50ペンスでした。自分が所有する土地に見知らぬ人が大勢来るわけですから、なにがしかの対価は欲しいですよね。で、こちらがそのアーバー・ロウ。別名「北のストーンヘンジ」。ヘンジがあって、その内側にストーンサークルが並んでいるのですが、何と全部倒れています。もともとは立石だったのが、数千年間強い北風にさらされたため横倒しになってしまったとのことです。その倒れたストーンサークルの全景です。サークルの中央部にはコーブと呼ばれる巨石組石もあったとみられています。反対側からも撮影。土手の上に凸凹したマウンドがありますね。小さな円墳であると考えられています。そして、この近くには大きな円墳も築かれています。上の写真の盛り上がったマウンドが、その円墳です。ストーンヘンジと同じように、巨大な複合遺跡であったことがわかりますね。
2018.07.03
コメント(0)

この日の宿泊先は、カーライルのそばの農場兼ゲストハウスです。その途中、UFO雲を発見。撮影します。中央の雲なんかは、結構UFOに似ていますね。農場に到着。大きな木ですね。ちょっと向うに行けば、スコットランドです。近所を散歩。田舎の風景が広がります。庭も綺麗ですね。非常に上品な農場・ゲストハウスなのでとても気に入っています。ここでのんびり、英国の田舎の料理を頂きました。さて、突然ですが、告知です。ヒカルランドから出版した日本史シリーズ5巻の新装版が順次、2000部ずつ増刷されることになりました。シリーズ累計2万8000部でしたから、これで累計3万8000部になります。新装版はこのような表紙になります。明日発売で、内容は既に出版されたものと同じです。お持ちでない方や、カバーがこちらの方がいいと思う方は、どうぞお求めください。
2018.07.02
コメント(0)

次に訪れたのは、お城と庭園が一緒になった大邸宅ベルセイ・ホールです。こちらがその大邸宅。大邸宅とお城の間を庭園が結んでいます。このような庭園が続きます。さらにお城に向かって庭園を進んでいくと・・・このように石切り場をそのまま庭園にしているんですね。20分ほど歩くと、お城に到着します。最後は最初に紹介した大邸宅からの風景です。雄大な自然の中に、うまく自然を利用した庭園を造りましたね。お城は17世紀に拡張された中世のお城。大邸宅は19世紀の初めにギリシャの建築を参考にして家族の居宅用に改築されました。
2018.07.01
コメント(0)
全33件 (33件中 1-33件目)
1

![]()
