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16篇の短篇アニメーションを2時間かけて上映する会が、3月27日にアップルストア銀座の3階で開催された。多摩美大や武蔵野美大の学生さんたちの作品だ。1月には満員御礼だったと聞いていながら、20分前に会場入りしたら自由席は半分も埋まっていない。それが、開演から少したつと立ち見の客が左右にぞろぞろと。こういうところが、学生の催しらしいところだ。ひとこまヒトコマの絵はそのまま額に入れて飾りたくなる出来映えなのだが、商業アニメに慣れてしまった脳には、ずいぶん間延びして見える作品が多かった。そういう感受は、ぼうとく なのかもしれないけれど。たぶん、ぼくの脳は、一瞬間をも退屈させない映像作品に慣れきって堕落しているのである。それにしても、どの作品も 素ッとぼけた仕上がり。こうまで 素ッとぼけ が揃うと、素ッとぼけ の価値が下がる。サムネイル画像集 をご覧ください。(← 見たい画像をクリックすると拡大します。もう一度おなじ画像をクリックすると戻ります。)参加作品一覧 から、これはという作品をいくつか。清水誠一郎 「chu-gakusei (完全版)」無機質的な 人間もどき が、スポーンと抜ける快感世界をスポッ、あ、スポッ!澤井邦男 「HERO DRINK」飲むと空飛ぶスーパーマンになれるドリンク剤を拡販男がくれた。でっぷりおやじの生活の結末は? 星新一のショートショートの味わい。奥下和彦 「赤い糸」画面の左から右へ貫く、たった1本の赤い糸が、つねに一筆書きの絵の形をとりつつアニメとして人の出会いをつづる。秀作なのに、背景音楽の音とびが惜しまれる。井上 涼 「赤ずきんと健康」昔話キャラ総動員の素ッとぼけた癒しは、ミュージカルの味わい。後半、息切れしたかな。大桃洋祐 「輝きの川」美しい切り絵のアニメ。そのまま絵本化したい宮沢賢治ばりのストーリー。16分の作品だが、思い切って10分に圧縮すれば作品の質が昇華する。伊東佳佑 「PHOTON」抽象図形がユーモラスなドラマを踊る。三品和貴子 「降伏論」束芋作品ばりの色調の絵に才能を感じるが、ストーリーが散漫。告畑 綾 「夫婦」粘土人形のリアリティあふれるアニメ。ごくごくふつうの老夫婦の生活を粘土人形が演じるだけで、ここまでおもしろいとはね。薩摩浩子 「海の人」いささか退屈なアニメだが、あとで解説を見たら砂絵コマ撮りのアニメだったという。予習してから見ればよかった。しかし、やはり、6分は、長すぎた。あと7篇あったのですが、ご紹介できず、ごめんなさい。ひとことで言えば、もう少し圧縮してエッセンスを楽しませていただけると、サイコーです。= = 3月のブログ冒頭 = =六本木ヒルズの ANNA SUI ショップのショーウィンドー。2月26日の夜、森美術館で 「医学と藝術展」 をみたあと、さまよって、ふと。六本木ヒルズはとんでもないところで、周囲を1周半も巡ったけど地下鉄六本木駅へ行く入り口がない。警備員さんに聞くと、「エレベーターで2階レベルへ上がっていただければ、ありますよ」。いったん六本木ヒルズ森タワーの入り口付近まで上がらないと、地下鉄への降り口がない仕組み。設計思想にいささかの傲慢さを感じてしまいました。
Mar 28, 2010
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『人間を幸福にしない日本というシステム』 (“The System That Makes Japanese Unhappy”) で一時期注目を集めたカレル・ヴァン・ウォルフレン (Karel van Wolferen) 氏が、日本の民主党政治を絶賛しているのには、あきれた。ヴァン・ウォルフレン教授いわく、「革命に等しいことが起きている。鳩山政権の半年は、オバマ政権の1年間より多くの変化をもたらした。最も強固な官僚の砦となっている財務省から、予算編成の掌握力を奪い取れるかどうかが、新政権の次なる試練だ」Martin Fackler 記者の Hatoyama bangs away at bureaucracy( 「鳩山政権、官僚制に打撃」、3月25日 『ヘラルド (IHT) 』 紙) という、民主党への提灯記事に紹介されていた。わたしに言わせれば、全体利益よりも民主党の党派的利益を優先させる予算を組み、そのツケで国債を増発することとなり、その処理のために ゆうちょ銀行 の安定肥大化を目指すというプロセスは、まことにスジが通っているが、後ろ向きの変化でしかない。『北國新聞』 3月25日の社説に同感だ:≪郵政改革法案 懸念される官営の肥大化 政府が示した 「郵政改革法案」 の骨子は、小泉政権が進めた民営化路線を転換する内容であり、「官営企業」 の肥大化によって民間金融機関が大きな打撃を受ける懸念がある。ゆうちょ銀行が持つ貯金残高は北陸3県で約5兆円に上り、このほとんどが国債購入に充てられている。ゆうちょ が県民の貯蓄資金を吸い上げると、民間金融機関の融資姿勢にまで影響が及ぶのではないか。 ゆうちょ銀行への預け入れ限度額が現行の1,000万円から2,000万円、かんぽ生命の保険金限度額を現行の1,300万円から2,500万円へ引き上げられると、日本郵政グループの経営は確かに安定するだろう。政府出資比率が3分の1を超える実質的な 「政府銀行」 の信頼度は民間の比ではなく、郵便・貯金の全国一律サービスを維持するという法案の目的は達成されるかもしれない。 だが、その代償は決して小さくない。そもそも郵政改革は、簡保を含めると個人金融資産の3分の1を占めていた巨大官業を民営化し、市場メカニズムにゆだねることにあった。国債や財政投融資などを通じて、公的部門に流れていた資金を民間部門に流し、国民の貯蓄を投資に振り向けることで、経済の活性化につなげる狙いだった。しかし、「官から民へ」 の流れを逆転させる法案が成立すれば、元のもくあみになりかねない。 民間と対等な立場で競争し、より効率的なサービスを提供するとした民営化のメリットは失われ、公社時代の 「見えない国民負担」 を最小化するとした目的も果たせない。逆に民間金融機関の経営を圧迫し、法人税収の減少を招く可能性も考えられる。 亀井静香郵政・金融担当相は参院財政金融委員会で、「国債を安定的に引き受ける、そうしたメガバンクを新たに作るつもりは全然ない」と述べた。だが、ゆうちょ には融資のノウハウがなく、資金運用の人材もいない。資金が増えれば、国債を買うだけしか手がないのではないか。政府から見れば、国債の引受先が増える安心感はあるだろうが、国民の利益につながるとは考えにくい。≫いまや、ゆうちょ のトップはもとの大蔵官僚だ。この最高位の天下りがあるから、短期的に天下り先が減らされても財務省官僚は文句を言わずに、むしろ民主党政権のもとで肥大化を図っている。事業仕分けショーのシナリオ書きも、財務省官僚が得た新たな利権のひとつ。官僚の砦、財務省には、ちゃんと餌を与えているわけだ。
Mar 25, 2010
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八田與一(よいち)技師を描いたアニメ映画 「パッテンライ !!」 の 試 写 会 が台湾国の台南県や台北市で行われたことは、平成21年11月17日のブログ でご紹介した。『北國新聞』 によると、さらに輪を広げての巡回上映会が台南県ではじまったそうだ。同紙3月23日の社説から:≪八田映画が台南巡回 次世代の交流に大きな弾み 台湾の水利事業に尽力した金沢出身の八田與一(よいち)技師を描いたアニメ映画 「パッテンライ !!」 の巡回上映会が台湾・台南県で始まり、8月まで同県内の教育、文化施設で順次開催される。八田技師が建設した烏山頭(うさんとう)ダムのある地で、次代の日台交流を担う若者たちに八田技師の功績を広く伝えることは大きな意味を持つ。 八田技師を通じた金沢、石川と台湾との児童生徒らの交流は広がりを見せており、今月も金大附属高生が修学旅行で烏山頭ダムを見学し、金沢学院東高が台湾の生徒一行を迎えて友好を深めたばかりである。「パッテンライ !!」 の台南県巡回上映を若者らの交流促進の弾みとしたい。 台南県の計画では8月までに同県内の小中学校や、高校、大学、専門学校のほか図書館、社会教育センターなどで上映する。「パッテンライ !!」 は昨年、台湾各地で上映され、八田技師への関心と共感が一気に高まった。 今回の台南県巡回は最初の児童対象の上映会が好評だったように、若者に人気のある日本のアニメという媒体によって、八田技師の不屈の意志や、誰に対しても分け隔てなく接した人柄などが若年層によく伝わるはずである。台湾での日本語世代の高齢化が進むなか、日本と日本人に対する理解を深めてもらうためにも、より多くの若者に見てほしい。 石川と台湾の生徒による八田技師ゆかりの地の訪問は、互いによい刺激を受けている。金大附属高の生徒はダムの実物を見て、スケールの大きさと技術の高さに驚き、「郷土の偉人」 であることを肌で感じた。また、金沢学院東高を訪問した台湾の生徒は、八田技師の生家や母校も訪れた。一行は技師を誇りとする地域の人々の思いに接して、八田技師を 「平和の大使」 とたたえている。 今秋に台湾を訪れる泉丘高生も 「パッテンライ !!」 を鑑賞するなど、事前の学習を深めている。台湾でも巡回上映を機に金沢、石川を訪れる若者が増え、相互交流の促進を期待したい。来春には石川県で日台観光サミットが開催される。八田技師を通じた若者たちの受け入れ体制もさらに整えたい。≫
Mar 23, 2010
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ぼくの母校・愛光学園 (松山市) の高校1年生に、野村美月というひとがいる。彼女のつくる俳句の感性が、ずば抜けている。このひとは、伸びる。世間もほうっておかず、高校生俳句大会のいくつかで受賞している。美月さんの句は、こんな句だ。正 統 の 王 を 名 乗 れ よ 雨 蛙 美 月小 春 日 や フ ラ ス コ の 首 恐 ろ し き神 無 月 (かんなづき) 標 本 の 蝶 燃 や し け り第12回神奈川大学全国高校生俳句大賞を受賞した。彼女の自註がある。≪私の空想の世界では、<雨蛙> は高貴であるし、<フラスコ> は折れそうで そら恐ろしい生き物であるし、<蝶> は炎の中 鱗粉をまき散らし羽をぼろぼろにしながら舞わされる。この三句は、そのようすを写生した、いわば 「空想写生」 の俳句である。≫作句のプロセスを 「空想写生」 と名づけたのは、手柄だ。“空想写生” で Google 検索してみたら、ヒットしたのは4件だけで、俳句とは無関係のものばかり。野村美月さんは高校1年生にして俳句論のキーワードを創造してしまったわけ。これだけでも、偉大だ。ちなみに俳論キーワードのうち、同じ4文字熟語の “二物衝撃” を Google 検索したら 28,400件のヒットだ。「空想写生」 というキーワードの独創ぶりがわかる。「空想写生」 は、美術や音楽を語るのにも使えそうだ。自分の脳内のプロセスを客観視し、まさに写生することで生れたキーワードだ。*雨蛙の句の 「正統の王を名乗れよ」 は、ロード・オブ・ザ・リングばりの西洋ファンタジーを連想させる。蛙は、わずか12文字で泰西空想世界にワープした。“正統の王を名乗る” も、ありそうでいて、美月さんのオリジナルだ。Google 検索しても、俳句と無関係の1件しかヒットしない。「フラスコの首恐ろしき」 でふと、ろくろ首を想う。“フラスコの首” + “恐ろしい” で検索したが、フラスコの首を 「恐ろしい」 と評した用例は出てこなかった。だから、オリジナリティは高い。これをたとえば* 夏 の 夜 フ ラ ス コ の 首 恐 ろ し きとすると、もろに ろくろ首 の世界で、付きすぎ。「小春日」 の駘蕩(たいとう)に、フラスコの首をひやりと ぶつける感性がいい。ぼくの句に理 科 室 の 人 体 模 型 日 脚(ひあし) 伸 ぶ 伊澄航一というのがある。この 「人体模型」 もまた 「恐ろしき」 存在として「日脚伸ぶ」の駘蕩にぶつけたのである。神無月の句を読んだ翌朝、「 『蝶の標本燃やしけり』 だったよな……」とつぶやきつつもう一度、句を見たら、「標本の蝶燃やしけり」だった。「蝶の標本」 では詩にならない。燃やすのは 「標本の蝶」 でなければならない。標本というモノを燃やすのではなく、標本という仮の姿をした蝶という存在を燃やす。ぼくみたいな おじさんは、ここですぐに* 雪 女 郎 標 本 の 蝶 燃 や し け りみたいな安易な道を考える。蝶を燃やして散る灰を雪に見立て、犯人として雪女郎をもってくるという、おざなり。ここで月の名の 「神無月」 という茫漠たる季語を配合したことで、説明っぽさのない句としてまとまった。角川春樹 編 『現代俳句歳時記』 で 「神無月」 をみるとか ん か ん と 鳴 り 合 ふ 竹 や 神 無 月 山田みづえ君 骨 と な る を 待 ち を り 神 無 月 秋山巳之流などの句が、燃える標本の蝶 に近い連想に支えられている。美月さんには、神無月の句がもう1句ある。烏(からす) だ け の プ ラ ッ ト ホ ー ム 神 無 月 美 月これも、描く世界は さきのいくつかの句と近い。烏の句は、子規顕彰松山市小中高校生俳句大会で特選となった。*美月さんのいまひとつの句に打ちのめされた。夏 手 袋 革 命 の 夜 の 脈 打 て る 美 月夏手袋に、革命、とは。「夏手袋」 は、貴婦人の礼装用のレースの品。夏 手 袋 に 透 く 手 美 し 脱 ぎ て も か 辻井夏生下層の民を連想させる 「革命」 の対極にある。貴婦人にとって、革命の夜とは。貞淑を強いる周りのプレッシャーを手袋のように脱ぎすてて、身分ちがいの男に身を委ねる夜。心臓がひときわ脈打つ。ぼくなりに空想写生の絵解きを行いながら、ぞくぞくした。夏手袋の句は、第12回俳句甲子園全国大会で ひめぎん(=愛媛銀行)賞をもらっている。ぼくの絵解きによればアブナい名句ということになるが、さて、愛媛銀行の諸氏はこの句をどう読んだのだろう。以上、野村美月さんの句と自註は、愛光学園の同窓会誌に紹介されていたもの。ご活躍をお祈りする。読んでほしい俳句関連書や俳誌を数冊、愛光学園の恩師へお送りし、美月さんに渡していただくことにした。
Mar 16, 2010
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ぼくの大好きなミュージカル 「ジキル&ハイド」 や 「シラノ」 を作曲したフランク・ワイルドホーンさんが第2部後半に登場し、そのピアノ演奏にのって、当世きってのミュージカル俳優が得意のナンバーを歌うという贅沢な企画。3月13日、夜の部に行った。Frank & Friends (フランクとその友たち) の名のとおり、ワイルドホーンさんと俳優さんたちが音楽の同志として交わすうちとけた会話が気持ちよかった。笹本玲奈さんは第2幕前半、薄紅色の大輪のバラの枝を濃いローズ色の地にプリントしたドレスで登場し、楽団の演奏で 「ルドルフ」 から 「愛してる それだけ (Only Love)」 をしっとりと歌ってくれた。さらに1曲おいて、井上芳雄さんと 「ただ君のために (I Was Born To Love You)」 を。カーテンコールの挨拶で笹本さんは「きょう1日だけ、昼と夜の2回の公演でしたが、『ルドルフ』 をこういう形で久々に歌うことができて、感ずるところがあって涙ぐんでしまいました」。7日の鹿賀丈史コンサートでは、ぴちぴちと明るさ全開でしたが、13日の笹本さんはどことなく沈んでいました。プロですから、歌うときは その歌の顔になっているのですが、歌やセリフがないときの笹本さんはそのときの気分が正直にあらわれてしまう。舞台の名演技で大ウソを演じながら、じつは嘘がつけないひとなのです。いっぽう、第1部の 「MITSUKO ~愛は国境をこえて~」 は、来年春に安蘭(あらん)けい さん主演で舞台にかかるミュージカルの聴かせどころをコンサート形式で披露してくれた。オーストリアの外交官ハインリッヒ・クーデンホーフ・カレルギー伯爵に見初められ嫁いだ明治女性の青山光子 (ぼくにとっては、香水 MITSUKO の由来となったひと)。彼女の生涯と、彼女をとりまく世界の波乱が、その子リヒャルトを狂言回しにして語られてゆく。光子が安蘭けい さん。ハインリッヒは、誰が演じるか。岡 幸二郎さんあたりでしょうか。わたしは、石川 禅さんヴァージョンで観たいです。*それにしても、このコンサートは贅沢。去年6月以来ひさびさの井上芳雄さん。声の伸びが高音から低音までまんべんなく突き抜けていた。同じステージに田代万里生(まりお)さんも登場するというところがまた。ふたりとも主役を張るひとだから、お芝居での共演は当分ないだろう。田代さんの高音は、世界をぐいぐい持ち上げるような歌い上げかただ。ワイルドホーンさんも「今回の公演のリハーサルの楽しみのひとつは、マリオのみごとな歌声を発見できたことだった。ニューヨークに連れていきたいくらいだ」と絶賛していた。「ジキル&ハイド」 からは、ぼくが心酔する娼婦ルーシーの歌 「新たな生活 (A New Life)」 をマルシアさんが絶唱。じんじん来た。「罪な遊戯 (Dangerous Game)」 と 「あんなひとが (Someone Like You)」 も。カーテンコール挨拶でマルシアさんは「 『ジキル&ハイド』 は自分がミュージカルの舞台にデビューさせてもらった作品で、役づくりはまるで自分の子供を産むような気持ちでした」 と。マルシアさんはワイルドホーンさんのタイプらしく、ワイルドホーンさんはしきりに彼女の美貌をほめていた。3月7日には鹿賀丈史さんに 「時が来た」 を歌ってもらって背筋に電流が走ったが、13日の夜は同じ曲をハンガリー人のマテ・カマラスさんが英語で歌ってくれた。これがまた、よかった。カーテンコール挨拶で、マテ・カマラスさんは「きょうは This Is The Moment を昼と夜、2回も歌うことができた。自分でも感激している」と上気して話していた。特筆して褒めておきたいのは岡本 茜(あかね)さん。今回は第1部で光子の次男リヒャルトの年上の恋人イダを演じ、第2部では 「シラノ」 から 「これが恋 (Love Is Here At Last)」 を田代万里生さんとともに歌った。長身で愛くるしいルックス。伸びやかな声。これは舞台の神さまが放っておかない。岡本さんが宝塚雪組を退団後、オーディションで舞台に立ったはじめてのミュージカルが平成19年4月の 「ジキル&ハイド」。この舞台をぼくは2度見ているが、岡本さんのことは記憶がない。プログラムを見ると、そのとき岡本さんの名はアンサンブルの皆さんの最後に載っていた。「シラノ」 の修道女役で、ぼくは彼女に注目した。鹿賀丈史さんとともに主演していた朝海ひかる さんより輝いて見えた。*そして、そして、このコンサートでいちばんの活躍は安蘭けい さん。第1部の MITSUKO での女役もよかったけれど、第2部で久々に宝塚時代に戻って The Scarlet Pimpernel から 「ひとかけらの勇気 (A Piece Of Courage)」 を歌うと、でかいオーチャードホールが宝塚の侠気で満ち、ぼくのからだも うきうき反応して止まなかった。(このあと3月18~21日には大阪の梅田藝術劇場メインホールでも公演あり。ただし、大阪公演には笹本玲奈さん・井上芳雄さんは出ないので、別の人たちが 「ルドルフ」 のナンバーを歌います。)
Mar 15, 2010
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高峰譲吉博士の生涯を描く映画が製作されることを 『北國新聞』 で知り、去年6月16日のブログに期待感を書いた。(高峰譲吉博士を描く映画 「SAKURA SAKURA」 で見たい、夢のような高峰邸) 映画はようやく出来上がり、3月20日から金沢市と富山市で先行上映されるという。4月にはニューヨークとロサンゼルスでも上映だ。この映画は、ぜひ、見たい。『北國新聞』 平成22年3月13日 社説≪高峰映画の米国上映 偉人の志伝え次代の懸け橋に 金沢、高岡ゆかりの世界的化学者、高峰譲吉博士を描く映画 「さくら、さくら ~ サムライ化学者高峰譲吉の生涯~」 が4月に米国ニューヨークとロサンゼルスで上映される。タカジアスターゼの開発やアドレナリンの発見などで国際的に高く評価される一方で、日米親善に大きな功績を残した博士の映画が米国で上映される意義は大きい。探究心と人間愛に満ちた博士の志を米国のより多くの人々に伝えて、北陸、日本との新たな交流につながることを期待したい。 ニューヨークでは4月21日から 「ジャパン・ソサエティー」 (日本協会) で上映される。ジャパン・ソサエティーは日米交流を目的とした米国の非営利団体で、高峰博士が尽力して米国の財界有力者を集めて発足した。博士は同じように交流拠点として 「日本クラブ」 も創設するなどして、日米の相互理解と友好促進に奔走した。 また、ワシントンに桜も贈っており、2012年には恒例の 「桜祭り」 の一環として、寄贈100周年の記念行事も予定されるなど、研究者の枠を超えて両国の交流に尽くしたスケールの大きい足跡を残している。 ロサンゼルスでは4月に開催される「ジャパン・フィルム・フェスティバル」 の招待作品になっており、こちらには博士の孫の高峰譲吉3世が住んでいる。日本映画への関心が高まっているなかで、ゆかりの地での上映は、博士の功績をあらためて現地の人々に知ってもらう絶好の機会といえる。 昨年、台湾では水利事業に貢献した金沢出身の八田與一(よいち)技師を描いたアニメ映画 「パッテンライ!!」 が全土で上映された。それを機に八田技師への関心と共感が一気に広まり、若い世代の交流も深まっている。「さくら、さくら」 の上映も、高峰博士の遺志を継いだ次代の懸け橋となる人材が生まれる契機になってほしい。 石川、富山両県でも3月20日からの先行上映に合わせて、高峰博士に関する勉強会が発足するなど博士への関心が高まっている。多くの苦難を乗り越え、大志を実現させた郷土の偉人から大いに元気をもらいたい。≫
Mar 14, 2010
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東京国立博物館 (上野) の平成館。長谷川等伯展 が大人気だ。 3月11日(木)に午前半休して行ってみたら、入場は80分待ちだった。 とても時間がなく、本館1階の常設展を楽しんでから係の方と話したら「等伯展も後半に入り、お客さまが増えております。金曜夜は8時まで開館で、比較的入りやすいようです」。 12日(金)の夜6時40分。等伯展にはすぐ入れた。 人垣から垣間見る名作の数々。 そしてその夜、すばらしいことが起きた。■ 国宝切手 「松林図」 ■ 長谷川等伯 (1539~1610) の名と国宝 「松林図屏風(しょうりんず びょうぶ)」 は、小学校4年生のときから覚えがあった。 種明かしをすると、昭和44年7月21日に 「松林図」 の国宝切手が発売され、父が1シート買ってきて「だいじにせぇよ」といって、切手を集め始めたわたしにくれたからだ。 ちなみに当時は、記念切手が値上がり期待の投機対象とされていた。父がシート買いをしたのも、そのせい。 シートで収集帳がたちまち埋まるので邪魔っけに思い、4つ折にしたらこれが見つかり、しこたま叱られた。 妙な因縁のある 「松林図」 である。 切手の小さな画面ではさすがに、等伯の躍動する筆遣いまでは伝わらない。単なる枯淡の水墨画と思って、きょうまで来た。■ 国宝に囲まれて ■ 今回、等伯展をみて、そのオールマイティーぶりに感嘆した。 装飾性ゆたかな仏画にはじまり、近代精神の感じられる写実的な肖像画、華麗で優しい金碧画、筆致自在の水墨画。 国宝 「松林図屏風」 は、第2会場の最後のコーナーにあった。 幾層にもわたる人垣が、ひとしく松林の霧の世界にひきこまれている。 わたしも人垣のあいだを少しずつ前に進みながら、右から左へ歩き、またもう一度右から左へ。 堪能して時計をみたら、閉館まであと7~8分の時間があった。 いまひとつの国宝 「楓図壁貼付(かえでず かべはりつけ)」 をもう一度見に、第1会場へ戻った。 先ほど見たときは人垣で全体を眺め渡すことがかなわなかったが、さすがに閉館5分前である。第1会場の人はまばらで、7~8名の愛好者が名品と別れを惜しむように見入っていた。 そこにわたしも加わった。 しっとり華やいだ 「楓図」 の左には、これまた国宝の 「松に秋草図屏風」。こちらは雄渾な筆遣いだ。■ そこに、おられた ■ 国宝に囲まれるようにして過ごす数分間。時計を見ると8時を過ぎているようだが、閉館のアナウンスもない。 国立博物館も粋な計らいをしてくれるものだと思いつつ、「楓図」 の真正面に立って見入っていた。 ふと右を見た。 わたしから5メートルほど離れたところに皇后陛下がおられ、若手の学芸員の説明に静かにうなづいておられた。 ほんらい皇后さまがお立ちになって楓図をご覧になるべき絶好の場所に自分がいることに気づいた。 はっとしてすぐ後ろに下がり、ご一行からやや離れたところに行き、皇后陛下の後ろ姿を拝見していたが、皇后さまは先ほどの位置からすぐには動かれなかった。 学芸員が早く楓図の中央までお導きすればよいのにと思い やきもきしていたら、やがて皇后さまは斜めに歩きながら屏風の中央に近づかれ、いつくしむような眼差しで眺めておられた。 ふと、見物人のような自分を恥じてその場を離れ、第1会場を逆方向に戻ると、もう観覧者はひとりふたりほど。 重要文化財の 「千利休像(せんのりきゅうぞう)」 や、同じく重文の 「山水図襖(さんすいず ふすま)」 と、一対一で対面し、心ゆくまで味わった。 皇后陛下にいただいた至福の時間である。■ 一般客も8時20分まで ■ 閉館時間を15分過ぎたころ、係のひとから「第1会場を閉めさせていただきます」と伝えられた。 第1会場を出てみると、第2会場の入り口も閉められていた。なかに皇后陛下ご一行がおられるのである。 図録を買ったりして8時20分になり、ちょうど第2会場の出口付近を通ったら、最後の一般客が10名ほど出てくるところだった。 8時20分まで「松林図」などの名品と語り合えた人たちだ。 第2会場の出口もようやく閉められ、係の人たちが「お帰りは平成館でなく本館の出口経由で」と促す。 本館展示場を抜けて本館正面を出たとき、白バイに先導された車が数台、すべるように走り去るのが見えた。8時半だった。■ 皇后さまのお人柄ゆえ ■ 皇后陛下と博物館の皆さんにいただいた幸せな時間に感謝しつつ、上野公園を歩いた。 「楓図壁貼付」 をご覧になる皇后さまを思い出していた。 あのとき、博物館の係のひとたちが一般客に声をかけて、場所を空けさせ、皇后さまをすばやく楓図の真正面にお導きすることもできた。 端的にいえばあの段階でわたしを含めた一般客を全て退館させることもできた。 すでに閉館の8時を過ぎていたのだから、文句の出ようはずもない。 じっさいに起きたことは、ご紹介したとおり。 随行員も博物館の人々も、 皇后陛下 の控えめなお人柄と謙遜なお考えを知りつくしているからこそ、あえてあのようにお計らいしたのだろう。 われわれは、すばらしい皇后陛下をいただいた。「長谷川等伯 没後400年特別展」は、東京国立博物館で3月22日まで開催。 http://www.tohaku400th.jp/3月15日(月)は休館。22日(月)は祝日なので開館。火曜~木曜は午前9時半~午後5時。金曜は午前9時半~午後8時。土・日・祝日は午前9時半~午後6時。入館は、閉館の30分前まで。 その後、京都国立博物館で4月10日から5月9日まで開催の予定です。 http://tohaku.exh.jp/
Mar 14, 2010
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たまに、浅瀬に迷い込んだ鯨を “救う” べく、なんとか沖へ送り出す大作戦がニュース種になることがある。天然記念物なら別だが、鯨ならさっそく捕獲すればいいのに。専門の人たちにも来てもらい、肉から骨まで利用しつくす文化を披露すればいいのに。いつもそう思う。平たくいえば、浜辺で焼肉パーティー。抗議で騒ぐオーストラリア人対策には、パーティー入り口脇で 「カンガルー虐殺・肉処理」 の映像を大型スクリーンに流しておけばよい。ところが偽善 (?) の はびこる今日では、浅瀬で鯨が死ぬと そのまま浜に埋めて腐るに まかせる。白骨化したころ掘り出し、標本にするのが せいぜいだ。骨しか使われぬでは、鯨は成仏できまい。*鯨の味噌漬けというのが、能登にはあったらしい。『北國新聞』平成22年3月10日 コラム 「時鐘」 より≪映画 「おくりびと」 を褒めて私たちを喜ばせてくれたのに、今度はイルカ漁批判映画を持ち上げる。訳の分からない米アカデミー賞である。ルール無視の隠し撮りが、果敢な潜行取材という褒め言葉になる。ものは言いよう。うさんくさい話は、聞き流すしかない。ムキになって言い返しても、疲れるだけである。能登で新種の鯨が捕獲されたことがある。「肉はみそ漬けにするといい」と、地元の人に言われて驚いた。研究者に同行し、新発見に色めき立ったのだが、地元の人はとうに鯨のことを知っていた。大切な宝物として扱い、一片の肉も粗末にしてはいなかった。反捕鯨団体は、鯨がかわいそうだと叫ぶ。相手は、人間が束になってもかなわない最大、最強の生き物である。おそれ、敬う気持ちがわくはずである。声高な 「保護」 には、自分たちこそが最強の支配者であるという思い上がりがプンプンする。そんな手合いは、風向き次第でふらつくもの。大食漢の鯨が増えすぎると、ほかの魚たちが危なくなる。もし、そうなったなら、今度は真っ先に鯨を殺せ、と叫びかねない。やはり、うさんくさい。≫
Mar 11, 2010
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国際交流基金。国内外で日本文化紹介・交流活動を地道に行っていて、その機能は大いに拡充すべきだと、かねてから思っている。ところが、驚いたことがある。政府の出資金600億円が国際交流基金で 「運用資金」 と称して塩漬けにされ、預金金利や国債・地方債の利子を稼ぐことに充てられているという (産経新聞3月7日1面)。政府の出資金は、調達コストとして 「国債の金利 + α」 が掛かっていると見るべきだ。金利を払って調達している政府出資金なのに、これを預金し預金金利を 「運用益」 と称して事業につかうとは、とうてい正気の沙汰ではない。まして、国債を売って調達したカネでまた国債を買い、その国債金利を 「運用益」 と称して事業につかうとしたら……。空腹をまぎらわすために自分の手を食べるタコみたいなものだ。記事によると、国際交流基金の 600億円だけでなく、日本藝術文化振興会の 541億円、中小企業基盤整備機構の 298億円、日本スポーツ振興センターの 250億円、環境再生保全機構の 60.7億円など、じつに総額 1,843億円がそういう使われ方 (=埋蔵金化)。政府の出資金は、国債金利を払って調達していると考えるべきだから、これを「金利運用」 のために塩漬けにするなど本末顛倒。それぞれの独立行政法人や公益法人には、政府から毎年 「追加出資」 のかたちで必要経費を支払うこととし、1,843億円の資金は即座に国庫返納ねがい、子供手当てではなく国債減らしに充てるのが、スジだ。事業仕訳ショーとは別次元の問題として、運用金利を益金として事業につかうための政府出資基金は、原理的に、即刻廃止してほしい。
Mar 10, 2010
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鹿賀丈史さん主演の 「ジキル&ハイド」 のCDを聴きながら書いています。ぼくにとっての鹿賀丈史さんは、何といっても 「ジキル&ハイド」 そして 「シラノ」 で感動をくれたひと。そして 「翔ぶが如く」 で魅力的な大久保利通像を心に刻んでくれたひと。むかし横浜で行われたエスペラントの催しの司会をしたとき、ぼくはすっかり 「料理の鉄人」 の主宰・鹿賀丈史さんの気分で演じました。その鹿賀丈史さんが昭和48年以来の藝歴をふりかえるコンサート。市村正親さん、笹本玲奈さん、田代万里生さんがゲストで、加えて指揮は塩田明弘さんという贅沢な顔ぶれです。ぼくの目当ては、もちろん笹本玲奈さんだったわけですが。*昭和48年の劇団四季公演は 「イエス・キリスト=スーパースター」 という題名。「ジーザス・クライスト=スーパースター」 に変わるのは、その3年後の昭和51年。時代を感じますね。で、昭和48年公演のイエス・キリスト役に鹿賀丈史さんはいきなり抜擢されたのだそうで。「キリストの扮装のまま、劇場ホールの駐車場でなごんでいたら、しこたま叱られました」「初日を迎えたら、お客のあまりの少なさに驚き…… 1ヶ月公演だったんですけどね、2週間くらいしたら満席になったんです。千穐楽には、立ち見が出ましたねぇ」「レ・ミゼラブル」 でジャン・ヴァルジャンとジャヴェールの役だった鹿賀丈史さんが、「ほんとはマリウス役もやってみたかった」。だから 「レ・ミゼラブル」 からまず歌ったのは、マリウスの 「カフェ・ソング」。「いちど皆さんの前で歌ってみたかったんですよ」。ミュージカルナンバーから久保田早紀さんの 「異邦人」 まで歌い継いでくれたなか、背筋に電気が走ったのはやはり 「ジキル&ハイド」 の 「時が来た」。ジキルがハイドに変化(へんげ)するまでの劇中の4曲を鹿賀丈史さんが歌う舞台にはジキル博士の実験室のセットも設けられ、ミュージカルのさわりを楽しめました。「ジキル&ハイド」 は是非また観たいのですが、鹿賀丈史さんの次は誰がやるか。ぼくは、藝達者な実力俳優の石川 禅さんが適任だと思っていますが。*笹本玲奈さんは、中盤に田代万里生さんとともに、ようやく登場。あそび心のある華麗な黒いドレス姿で、最高のうつくしさでした。「もうすぐ自分の出る番だというところで、 (鹿賀さんと市村さんの) トークがずいぶん続いたので、すっかり緊張しちゃいました」「でも、玲奈は本番に強いんだよね」市村さんが「玲奈はほんとにきれいな声なんだ。ずいぶん大きくなったよねぇ。ロンドンでピーターパンの銅像が参考になるかなと思って、写真に撮ったのをあげたの、覚えてる?あれから13年経ったんだよね」という言葉は、いつくしみに満ちていました。田代万里生さんは「ぼくが自分のおカネで観たはじめてのミュージカルが鹿賀さんの 『ジキル&ハイド』 だったんです。きょうはここに来させていただいて、ほんとに光栄です」苦労人の市村さんいわく「やっぱり、優等生なんだよねぇ、彼は」笹本さんが黒いドレスのまま 「ピーターパン」 から 「アイム・フライング」 と 「ネバーランド」 を清らに歌いました。ことし7月に笹本さんは久々のピーターパン役を演じることになっていて、だから選んだナンバーなのでしょう。そのことを言わなかったのがまた、よかったですね。鹿賀さん・市村さんが 「ラ・カージュ・オ・フォール」 「ジーザス・クライスト=スーパースター」 からメドレーで歌ったあと、笹本さんは今度は清楚な白いドレスで登場し、「ウェストサイド物語」 のマリア役として鹿賀さんと 「トゥナイト」 を歌い、セリフの掛け合いも披露してくれました。市村さんが「玲奈のマリア役を聴いてると、とってもいいんだよね。ホリプロで 『ウェストサイド物語』 やれるといいのにね。版権の問題があるんだけど、何とかならないかな。今度、ぼくからも言っておくよ」*鹿賀丈史さんが劇団四季をやめたのは29歳のとき。劇団の公演の都合で、あるオーディションをトライできなかったのが直接の理由だったそうですが、辞めたあと2年間近く、ほとんど仕事がなくて映画やテレビの関係者に挨拶で頭を下げて回っていたのだそうで。そして 「野獣死すべし」 で声がかかり、「頭は下げるものだと思いましたよ」。それからは次々と仕事が舞い込むようになります。映画の仕事では、仕事で決して手を抜かない桃井かおりさんとのラブシーンが印象深そうでした。市村さん「ぼくは劇団四季に41歳までいたんだよね。丈史がいたときは、ソロで歌う役は丈史がだいたい取っていっちゃったから、ぼくは踊りながら歌う曲しか回ってこなかったのよ。丈史がいなくなってから、ようやくソロの歌が回ってくるようになったけど」そういう市村さんは鹿賀さんの2歳上。鹿賀さんは 「市ちゃん(いっちゃん)」 と呼んでますね。今回の 「それぞれのコンサート」。鹿賀丈史さんヴァージョンとは別に、市村正親さんヴァージョンがあって、プログラムを見るとフィナーレでは 「オペラ座の怪人」 をメドレーで歌ってくれるようです。きっと楽しいコンサートでしょう。(3月14日まで東京国際フォーラム・ホールCで。そのあと3月22~24日に大阪の梅田藝術劇場のシアター・ドラマシティで。)
Mar 7, 2010
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ぼくは大学1年の11月に自分で詩集 『ハイウェイの木まで』 を出してから、結局そのあとが続かなかった。東京があまりに彩りにあふれていて詩に専念できなかったのと、せっかく本として出したのにキャンペーンが下手で次の一歩につなげられなかったのと。駒場祭に屋台を出して詩集を売ったあと、 『詩と思想』 という詩誌から声がかかり、昭和54年3月号の 「座談会・二十歳の見た現代詩」 に顔写真入りで登場し、作品1篇も載せてもらった。いま思えば、取っ掛かりとしては相当恵まれていたのに、それを次につなげられなかったのは、ぼくに詩の道を進もうという努力の心がなかったせいだ。詩作が進まないなら、英語やエスペラントの現代詩の翻訳に取り組む手もあったのだが、おもえば大学のころはエスペラント雑誌の編集や学習記事執筆に夢中で、そちらに時間をささげすぎてしまった。*さてこの、平田俊子さんの詩集 『詩七日』。書名が、死者を祀るあの 「初七日(しょなのか)」 のモジりと思い、いささかあらたまった気持ちで読み進み、ふとあとがきを見たら 「詩なのか? (=これって、詩なの?)」 のモジりと知った。はなはだしい拍子抜け。詩集のなかの6作目 「六月七日」 を読んで、がしっとつかまれてしまった。端的にクライマックスに跳び、芝居の山場を味わえる快感が、よい詩にはある。≪ゆうべ誰かがやってきて泊めてほしいとつぶやいたためらいもせず部屋にあげドアを閉めると二重にカギをかけた≫これが、第1聯(れん)。読み返してみると、さいしょの3行に7・5のリズムがある。すっと引き込まれたのは、そのせいもある。安部公房作品のような肌合いのちょっとした非現実。これっくらいの非現実が、ぼくにはこころよい。≪この日がくるのを待っていたこの人がいつか ひとを殺して匿ってほしいといってやってくる日をそしたら命がけでこの人を守ると何年か前 こころに決めたこの日のために引っ越しもせず電話番号も変えなかった≫第3聯。谷川俊太郎さんの詩を読むようなリズム感。ドラマのエッセンスを一気にあおる高揚感がある。そして最後の3行。≪もう何があってもきみをはなさないよ古ぼけた映画のセリフみたいなことを思いやせこけた頬をつついてみたりした≫この、かろみ。このかろみが、またいい。かるいのに、しっかり色がつき、適度に脂がのっている。やられた。じつに、正統派の現代詩だ。いっぽう 「十三月七日」 は、母と自分のことを書く。これも、最後の聯の転進がうならせる。教科書に載せたいくらい、うまい。≪シミやシワをきれいに隠す液体のファンデーションわたしはそれで自分のこころを隠そうとしているのかもしれない≫「自分のこころを隠す」 というモチーフが、それまで語ってきた母との自分史を総括していて、すとんと落ちる。*平田俊子さんという詩人を、ぼくはまったくフォローしていなかった。つまるところ、大学2年生のころ現代詩から離れてしまったぼくは、詩人の知識が荒川洋治さんや伊藤比呂美さんどまりだ。調べたら、平田俊子さんは伊藤比呂美さんと同年の昭和30年生まれだった。荒川洋治さんや伊藤比呂美さんの最近の詩集を読んだが、ぼくの心にはもう響かなかった。このふたりの詩人は、ぼくから見てあまりに最果てのところに行ってしまった。平田俊子さんの構成力、ことばへの愛着、はずし方の適度さ。これから、平田さんの作品をいろいろ読んでみようと思った。『詩七日』は、しらべたら第12回萩原朔太郎賞を受賞していた。納得の受賞。(『詩七日』 思潮社、平成16年刊、1,800円 + 税)
Mar 6, 2010
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冬季オリンピックでさまざまな文章が綴られたけれど、競技のようすや選手の苦労話がほとんどだったろう。文明に説き及んだコラムに、ふっと心に風が吹くのを感じた。『北國新聞』 平成22年3月2日 コラム 「時鐘」≪冬季五輪を見終わって 「カナダは住みやすそうな国だ」 との感想を持った。東洋系も多い移民同士が溶け合って、子どもたちの笑顔がいい。カナダの魅力を世界にアピールできたのなら五輪開催の意義は大きい。様々なオリンピックを見てきた。国威発揚の意図が露骨な大会や古い民族の誇りを取り戻すような大会もあった。今大会は、国対国の熱い戦いもあったが、選手対選手の美しい競い合いが心に残った。地方色豊かで、かつ国際性をもったバンクーバーの雰囲気は自然の美しさとともに印象深い。ある美術家が、日本の工芸の特徴は四季の美しさを描く点にあるとカナダの青年に説いたところ「カナダの自然はもっと美しい」と反論された。そこで再び説明した。「美術に四季が反映してますか」。それでカナダ青年は納得したという。自分の国を美しいと思うのはだれも同じだ。美は主観であり、国民性がにじむ。「日本は美しい」の言葉を独善ではなく、客観的に表現できる能力がこれからは必要だ。五輪はその感性を育てる。17日間ご苦労様の感謝を込めて、カナダに一番きれいな色のメダルを贈りたい。≫最後のくだりに、ほろりと来てしまった。*わたしは最近、気管支炎らしくて絶不調。書きたいことはいろいろあるのだけど、布団に戻ります。横浜美術館の 「束芋 断面の世代」 展は今日3月3日が最終日。去年12月からやっていたのに、けっきょく見損ねてしまった。今年の大きな心残りになりそうだ。じつは2月12日 (金) に横浜美術館の前まで行ったのだが、なんと休館日だった。横浜美術館は木曜日が休館日という思いがけないスケジュール。たまたま2月11日 (木) が祝日のため開館し、翌2月12日を休館にしたというわけ。足立区から横浜みなとみらいまで出かけて門前払いはきつかった。2月28日に行きたかったが、風邪でダウン。3月中旬くらいまでやっているような気がしていたが、けさ朝食のとき長女が「きょうは束芋に行く。最終日だから」。嗚呼! 図録を買ってくるよう、軍資金を渡した。
Mar 3, 2010
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「ミス・サイゴン」 のキム役を60歳の女性がみごとに演じ歌ったとして、ぼくは彼女に感情移入できず、ついに電流を感じないままカーテンコールで精一杯の拍手をするだろう。かりにキム役を60歳の女優が演じ、クリス役を70歳の男優が演じたとしても、歌唱力さえあれば舞台としては立派に成立する。けれど、たぶんそれは通常の演劇とは別物。壮大に手の込んだ、役者さんたちを神輿にかついだ 「お祭り」 と呼ぶべきだろう。*「上海バンスキング」 を上演するシアターコクーンのロビー中央に、蓄音器が設けてあった。SP盤のジャズが流れた。はじめて、蓄音器のやわらかな響きをナマで聴いた。SP盤は、子供のころ父の田舎の家の電蓄にかけて聴いたことがあるけれど、あれはアンプを通した音だ。ほんものの蓄音器というのは、レコード盤を針圧120グラムの鉄針でなぞって引き出した音を、電気増幅ではなく共鳴作用だけで大きく響かせる。電気が要らない蓄音器。だからレコード盤の回転もゼンマイ仕掛けだった。「アンプがありませんから、演奏の音は調整できないんです。音は、大きくも小さくもできません」と、蓄音器のそばにいた係のひとが教えてくれた。ほんの一瞬、無性(むしょう)に蓄音器とSP盤が欲しくなってしまった。欲望は脳裡から直ちに振り払ったが、帰宅してプログラムを見たら、最終ページに 「蓄音器とSPレコードの専門店シェルマン」 (銀座三丁目) の広告が出ていた。蓄音器もまた、お祭りの道具だ。日々の道具とは別物の。CDを大音響で聴くのとは別のカテゴリーの楽しみ。*「上海バンスキング」 初演の昭和54年に、ぼくは大学2年生だった。翌年も、翌々年も再演、三演され、しっかり社会現象になっていた。好奇心はあったけれど、ご縁ができなかった。今回、30年前の初演とほぼ同じ人たちがキャストをつとめる。これはぜひ観なければと劇場に行った。観客席に温かみがあった。「上海バンスキング」のラスト公演は平成6年。いまから16年前だ。過去の公演を観たことのあるリピーターが、どのくらいいたのだろう。練りに練られてよく出来たお芝居で、ぐいぐい引き込まれた。上海バンスキング (=前借り王) こと波多野四郎 (串田和美さん演) がアヘンに手を出して引き込まれた幻の世界の演出が、なかでもたいそう気にいった。ただ、舞台にもとめるゾクゾク、ビリビリ来る感じをついにいただけなかったのは、一部の役者さんの実年齢と配役の想定年齢のあまりの乖離にぼくがついていけなかったみたいです。これは役者さんが悪いのではなく、ぼくの観劇準備が至らなかったのです。主役の正岡まどか役はおそらく20代後半の想定。いっぽう演じる女優さんは、初演のときは35歳、映画出演のときは43歳だったが、現在は66歳。想定年齢17歳の 「ミス・サイゴン」 のキムを57歳の女優さんが演じるのに等しい。女優さんには花があり、昔からのファンは大感激だったと思いますが、やはりぼくは新しい世代がこの 「上海バンスキング」 をぜひ引き継いでほしいと願ったのでありました。公演は、カーテンコールのときもしばしジャズのオンパレードで、やがて舞台から役者さんたちが演奏しながらロビーへ向かい、ロビーの小さな舞台でも女優さんが歌を聴かせてくれた。最後までサービス精神旺盛な、温かい劇場の夕べだった。ありがとうございました!チョイ役で出ていた20代の木村智早(きむら・ちはる)さんやサントス・アンナさんが、「上海バンスキング」 の次の舞台へのリレー走者になっていただきたいものです。(渋谷のシアターコクーンで3月14日まで上演。)
Mar 1, 2010
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