全10件 (10件中 1-10件目)
1
ことしも楽しい卒展の季節です。画廊で作品を見たり本人と会ったりしたことのある作家の作品には、とりわけ思い入れを感じますし、今後の展開が期待できる作家や作品を注文したくなる作家を発見するのもうれしい。◆ 外田千賀(そとだ・ちか)さん (学部・油画)別格の作家として、ディーヴァ (女神) の tica ちゃんから。彼女には銀座フォレストの個展でお会いして、これはという絵が山本冬彦さんに買われていたのが諦めきれず、自画像を注文し、その作品はいまリビングに飾ってあります。卒展作品は 「イリディセント・プラン (虹色計画)」 三部作。朦朧感のただよう写実油画に見えるけど、じつは CG プリント。オリジナルデータはパソコンのなか。3作は、順番に「価値を楽しみ尽くされた果てで、幸せな眠りに就ける」(これは日本語がおかしい。「価値が楽しみ尽くされた果てに、幸せな眠りに就ける」 なんだけど。ふたりのヌード。去年フォレストの個展で買った。)「ほかの誰より輝いて、選ばれるのを待っている」(魔都・上海の娼館のおもむき。歴史資料をうまく活かした。しずかで美しく、苦さを知った少女たち。)「そして壊されゆくために、この肉体は治癒される」(なんとなくマグリットの絵のような……。)◆ 北川麻衣子さん (修士・油画)彼女も銀座フォレスト組。黒いボールペンで幻視キャラをどんどんくちゅくちゅ描いていくひとだったが、いまは黒いダーマトグラフを使って重厚なモノクロ画を。今回の大作 「口寄せ」 はパネル3枚を横につなげて、左右にわかれて争う獣を描く。両陣営の首領は獣に扮した人間で、気迫の表情が惹きつける。北川さんには、三越特選会で会ってお話ししたことがある。その後、泰明画廊でも個展を開いた。順風満帆の彼女が、さらにストーリーを豊かに紡ぎだすのが楽しみ。◆ 大熊弘樹さん (学部・油画)これから精進を続ければ、塩谷 亮さんや諏訪 敦さん、石黒賢一郎さん等のあとに続いて、いい写実画を描いてくれそうな作家。人物画が好きなぼくとしては、今回の卒展一の発見。◆ 猪瀬直哉さん (学部・油画)現代・未来文明の廃墟を描く。というと、元田久治さんが思い浮かぶが、猪瀬直哉作品には光と影の切迫感がある。現実には存在しない巨大建築の廃墟を SF 的にみせてくれる。深い。検索してみたら、ときの忘れものや Ota Fine Arts で既に作品を取り扱っていた。これだけ力のある作家なら、当然!◆ 小柳景義(かげよし)さん (修士・デザイン)小柳さんの 「湖上の攻防」 を佐藤美術館で見たことがある。池田 学さんのように人間を細かく描きこんで、それを目で追っていくのが楽しいが、池田作品とちがって細かい描き込み部分は画像のほんの一部にすぎず、あとは大づかみの風景構図。ファイルを見ると、構図のおもしろさで見せる作品を多作している。絵の隅々まで描き込む池田 学さんと比べすぎかもしれないが、小柳景義作品はなんとなく 「描いてる途中」 感がただよう。いま一歩、描かれ足りない、塗られ足りない感じがしてしまう。余白のとりかたが、絵画出身ではなくデザイン出身の感覚で処理しているからではなかろうか。◆ 岡本瑛里さん (修士・油画技法材料)中目黒のミズマ・アクションで 「謡にまみえに」 を制作中の岡本さんにお会いしたことがある。大和絵の伝統とアニメのセル画の感性。気迫。緊迫。修了作品 170×362 センチの大作 「胞衣清水(えなしみず)」 は右側の一部がまだ下塗り段階だった。ミズマ・アクションで、その丁寧な仕事ぶりを拝見したので、修了作品に既にいかに多くの時間が費やされているか、自ずと推し量られる。「通りものの路」 の完成作品と大下図の展示もおもしろかった。大下図は、それだけで独立した水墨画の良品の味わい。*日本画で印象にのこった作家は、おふたり。◆ 澁澤 星(しぶさわ・せい)さん (修士・日本画)岩絵具がつくるマチエールと色彩の魅力を存分に味わわせてくれて、見るひとを飽きさせないちからがある絵を描く。修了作品の 「herself」 は、中央に女性がひとり (顔の描き方が、ぼくの好きな作家の松谷千夏子さんのスタイルに似ている) 、そのまわりにおそらく彼女にまつわる鸚鵡や扇風機、花々をコラージュふうに。◆ 川崎麻央(まお)さん (学部・日本画)「私の海」 は青のヴァリエーションがうつくしく、顔の描きかたも端正。*デザイン科は元気があっていいな。デザイン科だけの銀色でおおわれた図録も買ったんですが、本人写真も1枚1枚りっぱなポートレートになってるし、その横にある8項目の一言コメントも設問が秀逸:「自分のキャッチコピー」 「友達の名言」 (≪語尾に 「パーティー」 をつけるとなんでも楽しくなるよ≫ とか)「愛用の道具」「最近気に入っている遊び」(≪マッサージ大会≫ ってのがあった)「テンションのあがるもの」「20年後の自分へ」「最後の晩餐は」「藝大にひとこと」。◆ 牧 雄一郎さん (学部・デザイン)蟻の群れの動きを飽かず眺めてることって、ありませんかね。アニメ作品 「街は流転する」 は、レゴブロックの街をレゴブロックが整列してひょこひょこ動いていくような。色の選択も、原色をはずしていながら、中間色っぽさもなく、さすが藝大だねッと思わせる。◆ 岩瀬夏緒里(かおり)さん (学部・デザイン)アニメ作品 「婆ちゃの金魚」。婆ちゃがタライを漕いでいくあたりから見ました。思いのこもった金魚を回想、再会。ほろっとさせられたので、花丸です。◆ 河野温子(よりこ)さん (修士・デザイン)欧文カリグラフィーの線で動物たちを描いた 「装飾花鳥図」。華麗な、最高級のロゴと申せましょう。ぼくがステーショナリー会社の幹部だったら即、彼女と専属契約を結びますね。◆ 國光裕子(くにみつ・ゆうこ)さん (学部・デザイン)はちすを丸い顔にしたてた白い蓮の花。蓮が群がる大小の11の小島を部屋に展開した環境アート 「心地 ―kokochi―」。*彫刻科。◆ 松元久子さん (修士・彫刻)このかたの陶のワニさんには、昨年3月に INAX ガレリアセラミカでお会いしています。ひきこむ ちからあり。
Jan 29, 2012
コメント(0)
日本独特の喫茶店メニューに、厚さ4センチくらいのふかふか 「ピザ・トースト」 があった。絶滅危惧種。ピザの味付けのない、バター (と砂糖) を塗っただけの ふかふかトーストは、絶滅したのではないか。ぼくが学生だった昭和50年代には、いまのファーストフード店の役割を喫茶店が果たしていて、スパゲティと並んでこういうメニューがあった。トーストはほんらい煎餅のようなカリカリ感を楽しむ薄切りのはずなのに、その対極のふかふかの超厚切りが好まれたのは、磯辺焼きや安倍川もち感覚で食べたからだと思う。あるカルチャー (=ふかふかピザトースト) が容易に広まるには、それを受け入れやすくする原型カルチャー (=磯辺焼き) が存在している。原型カルチャーを探してみよう。これ、泉理論です。*絶滅危惧種ではないけど、雀並みに数が減りそうな 「年賀状」 は、ぼくの大好きな日本独特の風習だ。クリスマスカードや中国・韓国の年賀カードは、いずれも単価が年賀状の10倍の商業カードだから、個人が100枚、200枚と送ることは考えられない。多数のひとに送れて、受け取った挨拶を後々まで取っておける年賀状は、ほんとによくできたシステムだ。Wikipediaで 「年賀状」 の項を読むと≪1873年に郵便はがきを発行するようになると、年始のあいさつを簡潔に安価で書き送れるということで葉書で年賀状を送る習慣が急速に広まっていった。≫とあるのだけど、「急速に広まっていった」 背景に原型カルチャーがあったことを東京国立博物館の浮世絵展示で知った。歳旦摺物(さいたんすりもの)。江戸時代後期には粋人のあいだで元旦に、いまの年賀状のように折り紙サイズの木版画を交換する流儀があったという。浮世絵コーナーにある色紙判摺物の作者をみると、窪 俊満 (くぼ・しゅんまん、1757~1820)、魚屋北渓 (ととや・ほっけい、1780~1850)、渓齋英泉 (けいさい・えいせん、1791~1848) の作品が並ぶ。狂歌の趣味人からの注文をうけて、小さなサイズに贅沢をつくした木版画をつくったわけで、歌麿や広重とは別ジャンルだったわけである。この展示は東京国立博物館の本館10室で、きょう1月29日まで。*高円宮(たかまどのみや)コレクション室で3月25日まで開かれているのが、現代根付(ねつけ)の展示。ほとんどが平成の作品である。和装が絶滅危惧種だから根付に実用用途はなくなったけれど、美の珠玉を創造するジャンルがこうして活き活きと存在しているのはうれしい。
Jan 29, 2012
コメント(0)
松山の一刀彫人形師・西川南雲(なうん)さんに、うれしい再会。日本橋三越本店本館5階の 「J・スピリッツ」 コーナーで 「伊予比奈 てのひらのお雛さま展」。(会期は 1月24日まででしたが、2月末まで展示販売は続くので、ぜひご覧ください。)南雲先生とはじめて道後温泉の雛人形ショップでお会いしたのは十数年前。南雲先生が、いまのわたしの歳だったかなぁ。繊細な色づかいに打たれました。さっそく龍の絵を色紙に描いてくださいました。「墨は濃淡のアクセントが自在につけられて便利」 と言いながら、龍の手足に墨を垂らしこみ。色紙はさっそくわが家の玄関に飾りました。すてきでしょ。
Jan 27, 2012
コメント(0)
国土交通省が、国営公園の落ち葉や枯れ枝を蒸してガスを発生させ、それをつかってガスタービンを回して発電する実験をするという。日本経済新聞、平成24年1月17日夕刊1面の記事。見出しは≪落ち葉や枯れ枝で発電 公園に災害用電源 国交省、実用化へ試験≫。「落ち葉や枯れ枝を蒸す」 というが、これは 「蒸し焼きにして木炭ガスを出させる」 ということだろうか。あるいは 「蒸気で蒸して発酵させてメタンガスを出させる」 ということだろうか。いずれにせよ、その熱源をどうするかが問題だ。停電中にこれを行うのが前提だから、大量の石油を燃やすのだろう。国営公園内で ?!牧場の牛の糞を集めてタンクでメタンガスを発生させ、ガスエンジンの燃料として使って発電するシステムは実用化されている。糞は発酵しやすいが、それでもメタンガスを得られるまでに1週間かかる。災害が起きるのが晩秋ならいいが、春や夏には落ち葉も枯れ枝もない。落ち葉や枯れ枝を保管する大型のサイロが必要だ。素人は、「燃料は落ち葉や枯れ枝だからタダだし…」 などと考える。太陽光も風もタダだが、太陽光発電や風力発電のコストが高いのはご存知のとおり。落ち葉や枯れ枝を蒸し焼きにしたり、蒸気で蒸して発酵させたりして、ガスタービンを回せるだけの高品質のガスを製造する設備は、レアな特注品だ。しかも国営公園内に設置するのだから、きわめて高性能の環境装置をつけなければならない。目の飛び出るような高級設備で、税金のムダづかいここに極まれり。実用化は相当に困難だ。さしずめ業者は実験プラントを言い値で売り込めばそれでよいという考えでは?そもそも国営公園内でガスタービン発電を行うことが許されるのだろうか。そういうことが許されないのが公園地区ではないのか。国交省は、運動家と結託した業者に騙されているのかもしれない。日経記事の本文は以下のとおり:≪国土交通省は災害が発生した場合の非常時電源として、落ち葉や枯れ枝を燃料にした発電設備を大規模公園に設置する。地震などのときに避難場所となる公園で、停電が起きても救護活動に支障が生じない電力供給設備を整える。まず2012年度中に国営公園で試験を始め、全国に広げる考えだ。全国に17ある国営公園から1~2ヵ所を選んで試験運転する。設置するのは落ち葉や枯れ枝、雑草を蒸してガスを発生させ、タービンを回し発電する設備。均質ではない燃料に対しても発電効率の高い設備を目指す。企業と協力、1年ほどかけて試験し実用化する。発電した電気は普段は公園内の照明などに使い、災害時に停電した場合は被災者への救援護活動に使う。同省の試算によると、広さが約165万平方メートルの昭和記念公園 (東京都立川市、昭島市) の場合、年間の必要電力の1割程度を賄えるとの試算結果を得たという。雑草や落ち葉を燃料にして植物ごみの量を減らす狙いもある。国交省によると、全国で年間200万トン程度発生している公園や街路樹の植物ごみのうち、肥料などに利用されるのはわずかで大半は焼却処分されている。公園に発電施設を置く自治体向けの指針づくりも進める。植物ごみの収集方法や効率的な発電方法といった情報を提供し、全国の避難公園での普及を後押しする。≫新聞記事を再読するに、4月1日のエプリルフール記事のように思えてならない。
Jan 17, 2012
コメント(1)
ぼくが立派な書斎をもっていると想像してくれたかたがいましたが、実態はこれです。寝るときには、このチャブ台みたいな机を畳んで奥にしまい、布団や毛布・枕を座敷からリビング・台所を経由してかついできます。……と書くと、「ビフォーアフター」 に出られそうな感じがしてきますが。きょうは怒っています。10年つかった掃除機がこわれたので代わりに新調したロボット掃除機のルンバに、じゅうたんの隅の飾り糸をちんちくりんに刈り取られてしまったのです。チャブ台みたいな机の下に敷いてあるのは、パキスタンのカラチに出張したとき買ったカーペット。縁(へり)は、こんな感じです。左のほうだけ、ふさふさしていますが、右にいくに従って刈り取られたようになってますね。数日間、ルンバを使われたばかりに、こうなっちゃったんです。ちょうどカーペットの隅のところでひっかかって、飾り糸をいっしょうけんめい掃除ブラシで掻き取り、刈り取り、吸い取ったのでしょう。右のほうはもっと悲惨ですよ。これです。なんということでしょう!飾り糸を裏に折り込んで隠したわけではありません。ほんとに、ちんちくりんになっちゃったんです。まったくとんでもないロボット匠(たくみ)です。うちの女性も、じゅうたんの飾り糸が削れていることには気がついていたはずです。ゴミのなかに太めの白い糸くずが異常にたくさん入っていたはずだから。カーペットがあわれで腹が立ったけど、バカらしくて怒る気にもなりません。ルンバはぼくの部屋で使うなと言いました。ぼくの部屋専用に、別にちっちゃな掃除機を買うことにしました。
Jan 16, 2012
コメント(3)
まともな座標軸をしっかりもった記者として、ぼくは日経の伊奈久喜さんを尊敬している。その伊奈さんが38人の関係者に面談しつつ資料を読み込んで書いた評伝。政治が国家を語ることを放棄した昭和35年体制 (=北岡伸一教授の名づけた 「60年体制」) の制約のなかで、制約の突破を念じつつ国際現実と誠実に切り結んだ東郷文彦の生涯が、伊奈さんの心に響いたからにちがいない。首脳会談や外相会談の準備作業を丹念に追った記述は興味深い。愛知揆一外相の名がなつかしい。その愛知外相が昭和44年6月に訪米するときには、共同声明の案文とともに不足部分を日本側の一方的発言で補う方式を考えることを外相が事務方に指示したという。一方的発言をしてみたり、あえて双方が異なる解釈で臨むままにしてみたり、いろんな技があるものだ。ビジネスでは一方的発言をしても何も残らないが、外交は物語を紡ぐことでもあるから、そういうビジネスとは異なる世界がある。どうしようもない軽さにもかかわらず重職に就きチヤホヤされた政治家として三木武夫もジミー・カーターも鳩山由紀夫もぼくの大嫌いな政治家だが、185~189ページあたりの記述を読むと、三木武夫という政治家は案の定、決断が必要なときに意地悪くうじうじとし、不誠実なタヌキだったようだ。 (伊奈さんはそこまで露骨な表現はしていないが。)米大統領のカーターも、昭和52年に福田赳夫首相と会談した際、失礼にも米側の考えの書きつけを首相の前に投げつけたことがある。 (これは191ページの記述。)≪従来の国会答弁は、国際情勢への対応と国内政治の事情を総合判断しながらできあがってきた一種の美学体系であり、どこかひとつに手を触れれば、全体が崩れ落ちる危険がある。≫ (209~210ページ) の記述は、言い得たりだ。≪2009年の政権交代で登場した民主党政権は、インド洋での給油活動をあっさりやめた。「米国の手薄を補う」との東郷文彦の発想からは逆行する決定である。民主党政権下の日米関係がよそよそしくみえるのは、実はこれが響いている。≫≪日本政治が東郷の宿題を完成するには、まだまだ時間がかかる。であればこそ、東郷らの残したものをかみしめてみる必要がある。≫そういって筆をおいたこの本は、ジャーナリスト・伊奈久喜氏の警世のメッセージでもある。
Jan 14, 2012
コメント(0)
たしかに人間ってそんなふうに動くだろうなぁ、という納得感に満ちた本。振り返って、これまで読んだ中国史の本では、悪玉に指定された人間以外の人らが妙に立派すぎるんだな。あれは相当にウソが入ってたということだ。『真実の中国史 1840-1949』 宮脇淳子 著、岡田英弘 監修 (李白社、平成23年刊)岡田英弘さんに宮脇淳子さんといえば、中国文明を語る最強のコンビでしょう。編集者からの質問に宮脇さんが答える対談をベースにまとめたものなので、読みやすい。太平天国の時代に、中身もよく理解せぬままキリスト教に “かぶれた” 理由が、外人の威を借りて他人にいばりちらすためだったというくだりなど、「外来思想のお飾り道具化」 現象としてとらえればいい。「思想」 は、思想でなくなり、道具 (=武器としての手段) と化す。20世紀の漢人にとっての社会主義・共産主義のお題目も、同じことだ。アヘン戦争より日清戦争こそが極めて中国史を左右するできごとだったこととか、孫文がたかだか自分の都合中心でスタンドプレーする変節漢だったこととか、袁世凱が存外立派な人物だったこととか、張学良がコミンテルンべったりで、親の張作霖を謀殺させた張本人である疑いが濃いこととか、いやはや。世上に流布する中国史の本のほとんどが、中国共産党のご都合でつくられた史観に色濃く影響をうけていて要注意だと著者は指摘する。いちおう、市古宙三(いちこ・ちゅうぞう)著 『中国の近代 (世界の歴史20)』 (河出書房新社) だけは信頼できる概説書だそうだ。ぼく個人としては、やはり昭和前期に日本人が書いた中国見聞録や中国経済書などをちゃんと読まねばなと思いを新たにした。宮脇淳子さんの 『真実の中国史』 は、中国を論ずる書き手の踏み絵に使える。中国語版が出たらいいな。
Jan 8, 2012
コメント(0)
娘たちに年賀状が来ないのにはビックリした。大学3年と大学1年のふたりの娘に来た年賀状は2枚ずつだ。「年賀状は、旧(ふる)い」と、下の娘が言っていたらしい。葉書に代って電子メールの世の中だと。前回の正月には、娘たちもそれなりに年賀状を出していたし、それなりに来ていた。今回、下の娘などはついに1枚も年賀状を出さなかった。1年前と今のあいだに大きな潮目がある。職場に来るクリスマスカードも激減した。かつて商社という職場では12月になると、ひとつの課だけで30枚も40枚もクリスマスカードが来て、それを壁に貼りだすのが風物詩だった。いまは部長でさえ10枚ほどしかもらわない。わたしに来たクリスマスカードは香港からの1枚だけだった。クリスマスカードが減りだしたのは数年前からだ。重たい電子メールでサンタクロースが踊る動画などを送ってくる人が出始めたころ。いまや、そういうクリスマスメールさえ減った。クリスマスや正月に祝いのメッセージを送り合うという「文明の作法」じたいが、消えつつあるように思える。日常のコミュニケーションが豊かになった分、暦の節目に意味を見出さなくなりつつある。*ぼくの場合、年賀状は200枚ほど出した。前の正月からアート関係のひと宛のものが急増し、今回は画廊で会った画家の皆さんや親しい画廊経営者などに合わせて100枚ほど出している。画家からいただく年賀状のなかには、将来チョーお宝となること確実な版画葉書を送ってくださるかたもいるし、いろいろ楽しめるので、永久保存の葉書ファイルに入れてとっておく。年賀状交換の風習が消えると、この楽しみがなくなるかと思うと残念だ。
Jan 5, 2012
コメント(1)
インフレがない社会。物価が上がらない社会。いいに決まっている……? 日本の官僚は優秀だから、昭和60年ごろから物価が上がらない社会を維持してきた。 インフレがない社会でいちばんトクをするのは、官舎や社宅が充実していて、住宅ローンを組まずに過ごせて、退職金が多い職種である。 え、それって、公務員や銀行員じゃないか。 財務省や日本銀行で勤務する人々が、自分たちのご都合でインフレ退治をしすぎておかしくなったのが日本の財政ではないかと、まぁ、これがわたしの偏見なのである。 住宅ローンをかかえる一般の勤労者は、じつは多少のインフレがあったほうがいい。 給料の表面金額が増えるため、借金が相対的に目減りしてくれるからだ。■ 物価も収入も1.8倍になったら ■ たとえば年3%のインフレが20年間続いたなら、どういうことになるか。 物価は、1.03の30乗で1.8倍になる。 単純計算すれば、葉書は90円、手紙を出すのに145円切手が必要な社会になっている。為替レートも1ドル145円あたりのはずだ。 給料の上がり方は物価上昇に少なくとも1年遅れるから、インフレは常に評判が悪い。 しかし見方を変えれば、35歳で住宅ローンを組んだひとが55歳になってみると、返済原資となる給料の表面金額がほぼ1.8倍になっているわけだ。 55歳で年収700万円のひとが、収入の2割の140万円をローン返済に充てているとしよう。年収の表面金額が1.8倍の1,260万円になったとしたら、ローン返済に充てられる額も250万円になる。 ローンの元本の金額は変わらないから、ローンの返済はしやすくなっている。■ インフレなら税収の表面金額も自然増 ■ じつは国家の借金である国債も同じことが言える。 インフレが続いていれば、税収の表面金額も自然と上増しされる。 まるで税率を上げたかのように。 税収金額が増えれば国債の返済もラクだ。国債残高が相対的に目減りしてくれるから。適度にインフレが続く社会なら、いまの日本のように公的債務をGDPのほぼ2倍の900兆円弱にまで膨らますことはなかったろう。 日本の財政を健全化させるためには、いまや増税だけではとても間に合わない。増税分は、社会保障に関係するカネ回りのために使い切ってしまうだろう。 消費税や所得税の増税分というフロー (カネの流れ) を国債返済という “砂地” に撒いてしまっては、経済のフローが減って景気が悪くなる。■ 将来の資産を先食い ■ 国家財政が破綻寸前なのは、20年あまりインフレを極端に排除してきたことが原因なのだから、これからインフレ社会へと舵を切るしかない。 高齢化社会になればなるほど、インフレ社会へ舵を切るのは政治的に難しくなる。 ほんとはせめて10年前に調整インフレを発動しておくべきだったのだが、それをどんどん後回しにして 「いまの逸楽」 をむさぼり続けてきたのが日本社会である。≪民主主義の問題点は、今の生活を良くしようとして負担をきらい、将来の資産を先食いすることにある。≫≪民主主義、資本主義にかわる新たな理念は、今のところ見つからない。だとすると、民主主義、資本主義のあり方を改良しながら使っていくしかない。新年を、資本主義を進化させる年にしたい。≫≪遅まきながら世代格差を是正しようという考え方が共有されるようになった。≫ (日本経済新聞元旦社説) その具体的方法は、いま調整インフレを発動することしかないとわたしは考える。 しかし、調整インフレについて言及している元旦社説はなかった。 「デフレのいま、調整インフレを語ってどうする」ということだろうか。消費税引上げだけで足れりとする日本のメディアの感覚は、危機感がなさすぎる。■ 国債は日本人が買っているから大丈夫? ■≪これまで、日本には1,500兆円近くの個人金融資産があり、日本の国債は9割以上が国内の機関投資家や個人投資家に保有されているため、国債の消化を海外に頼る欧米諸国と比べて危険度が比較的小さい、とされてきた。≫≪しかし、個人金融資産は、住宅ローンなどの債務を差し引いた実体では1,100兆円になる。公的債務との差は200兆円程度だ。今後、国債発行がこれまでのペースで増える一方、高齢化による貯蓄の取り崩しによって金融資産が目減りすれば、国民の資産だけでは国債を吸収できなくなる。≫(読売新聞元旦社説) 昔からある議論に、「日本の国債は日本人が買っているから、右手が左手から借金するようなもので、いくら国債残高が増えても問題ない」というのがある。 いまのような地球規模社会 (グローバル社会) で、「日本人に買ってもらってれば安心だ」などとカネの貸し手の国籍を論ずること自体が無意味だと思っているのだが、いずれにせよこの昔からある議論がもはや成り立たなくなりつつある。■ 消費税は何の財源として使うか ■≪財政状況が深刻化し、大震災に見舞われながらも、円に対する国際的信認はなお厚い。日本には欧州並みに消費税率を15~25%に引き上げる 「余地」 があると思われているからだろう。≫(読売新聞元旦社説) 一般にそう言われているが、わたしは繰り返し念を押したい。 消費税の増税によって、積もり積もった国債を解消するという考え方は、間違っている。 消費というフローから消費税分を切り取って国債返済という砂地に撒いて吸収させてしまうと、フローがガタ減りになって景気が落ち込むだけである。 消費税は、あくまで社会保障などの目的でカネのフローを生むための原資として使わなければならない。 消費というフローを社会福祉などのカネのフローに転換し、それがそのまま新たな消費につながるように、カネの循環を促しつづける限り、景気の落ち込みは少ない。■ 「何十年も先の世代が返済する」? ■≪財政支出や金融拡大に頼った 「成長の粉飾」 はもうしない。いま増やした国の借金は何十年も先の世代が返済するが、彼らはまだ生まれてもいない。決定権のないまま負担だけを背負わされる。民主主義の欠陥である。この愚をこれ以上繰り返してはならない。≫≪増税や政府支出のカットはつらい。成長率の押し下げ要因になるが、将来世代のことを考え甘受しなくてはいけない。≫(朝日新聞元旦社説) 文章がやや支離滅裂なのは朝日新聞の特徴として甘受しなくてはいけない。 社説は題して 「すべて将来世代のために」 と言い切っているが、その割には≪いま増やした国の借金は何十年も先の世代が返済するが、彼らはまだ生まれてもいない≫と、なんとも悠長な時間感覚である。 いま増やした国の借金は、いまの今から調整インフレによって目減りさせるしかない。 その痛みを現世代が分かち合うことで、将来世代へ住みやすい国を引き継ぐのである。 すべて将来世代のために。*以上、1月2日発行の わたしのメールマガジン配信を転載しました。メールマガジン無料講読のお申込みページはこちらです:http://www.f5.dion.ne.jp/~t-izumi/mailmag.htm
Jan 3, 2012
コメント(0)
西新井大師に初詣に行ったら、柏手(かしわで)を打つ音がする。 どこの若造かと振り返ったら、アタマの毛の不自由な初老のひとだった。 柏手を打つのは神社ですよ、ここは仏教寺院ですよと伝えてあげたくなる、わが生来(せいらい)のおせっかい性……。 もしもし、と呼びかけようとしたら、 また背後から柏手の音がする。 嗚呼(ああ)! まぁこういう人も、まさか葬式のとき焼香しながら柏手は打たないだろうが。 じつは逆の問題もある。 靖國神社に参拝すると、柏手を打たず、寺参りのときのようにじっと手を合わせている人が、1~2割は いる。 あまりに基本的すぎて、教えてもらう機会がないのかもしれない。 ワイドショーの冒頭で話題にしてもらえないか。 いちばん効果的なのはお笑いネタにしてテレビで笑い飛ばすことだが、宗教がらみは笑いが凍るかもしれない……。
Jan 2, 2012
コメント(2)
全10件 (10件中 1-10件目)
1