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新聞には 「辻元議員の社民離脱は村田蓮舫議員への嫉妬ゆえか」 などという記事は出ないが、『北國新聞』コラム 「時鐘」 でそういう見方を知った。辻元議員は、赤ちゃん返りしたかわいそうな姉にされていた。“辻元 蓮舫 嫉妬” でグーグル検索してみたら、目下 8,900件のヒットだ。これから増えるだろうか。なお、いわゆる 「蓮舫さん」 だが、「蓮舫」 はいわば 「イチロー」 「小雪」 みたいなもので、氏名の名の部分だけである。藝能人としては 「蓮舫」 でよいと思うが、たとえば政界にイチローが進出して大臣になるとき、イチロー大臣で納得感があるだろうか。やはり、「鈴木一郎大臣」と名乗ってほしいというのがわたしの偽らざる感情だ。現に、米国の新聞では Ichiro より Mr. Suzuki として登場している。だから、蓮舫大臣についても、村田蓮舫大臣と呼ぶことにする。彼女の姓は、村田だ。英字新聞は Ms. Murata と書いているか、これからチェックしよう。『北國新聞』コラム「時鐘」平成22年7月29日≪幼い姉に妹が生まれて周囲の関心が妹に移ると、姉が 「赤ちゃん返り」 するそうだ。だだをこねたりいたずらしたり。「わたしの方も向いて」 とのアピールだと児童心理学者は言う。久々にスポットを浴びた辻元清美衆院議員にその 「かわいそうな姉」 を見た。ちやほやされて、お姉ちゃんを嫉妬させた妹は民主党の蓮舫行政刷新担当相だろう。政治家を矮小化するつもりはないが、辻元議員の涙の離党が政治問題とはとても思えないのである嫉妬はだれにもある。政治家の嫉妬は闘争のエネルギーにもなる。本当は女性よりも男性議員が強烈で、嫉妬は 「女偏」 ではなく 「男偏」 で書いたらいいと言った女性議員もいたくらいだ。テレビに出て目立つことで政治家が評価される風潮がそれを助長したように思う。賭博問題で揺れた名古屋場所が終わったら、不祥事の対応に説明がなかったと横綱審議会がご立腹だ。特別調査委員会にスポットが当たりすぎた結果である。主役が脇に追いやられて怒った。これも一種の男の嫉妬だろう。権力の蜜を一度は味わい、それを失いかけた者の抵抗は、なぜか哀しい。≫
Jul 30, 2010
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もと伊藤忠商事会長の丹羽宇一郎中国大使は、これから先も評論家気分の発言をして政治・外交を混乱させるつもりだろうか。やはり中国大使の器ではない。人民元相場について「個人的に言うと、数年のうちに1ドルは4~5元にならざるを得ないだろう。つまり中国の輸出競争力が落ちていく」と、7月26日の日本記者クラブの記者会見で発言している。為替相場について大使館員の分析報告も北京から外務省など中央官庁へ打電されているはずだが、素人評論家の為替相場観とのツジツマ合わせを大使館員が意識せざるをえない、といったことにならないか。「個人的に言うと、数年以内に中国の不動産バブルが崩壊してインフレが加速し、人民元はむしろ下がるだろう」という見方だってありうる。わたしはむしろ、この見方だ。実需の伴わない無用な不動産への投資を政府が促進したため、実体経済力以上の通貨量があり、偽札の量もバカにならないのだから、かなりのインフレが起きて元相場が下がる可能性はある。さまざまな可能性がある事象について、商社の役員として決め付け発言するのは勝手だが、大使がそれを行うと大使館員の分析業務への影響が心配だ。「個人的に言うと」 は、免罪符にならない。のっけからこれでは、先が思いやられる。産経新聞1面によると、同じ7月26日の歓送迎会で丹羽大使は中国の軍備拡張について「大国としては当然のことといえば当然のことかもしれない」と、意図不明の発言をしている。中国の軍拡が既定事実なのだから、それに対抗して日本も国防体制をしっかり整えなければならないということなのか、それとも中国の軍拡を傍観していて当然だということなのか、と問い詰められたとき、しっかり「前者のほうだ」と答えるだけの覚悟をもっての発言なのかどうか。評論家気分が抜けないまま北京に送り出すのが心配な丹羽大使である。わたしのような者は評論家気分で書いても良いが、大使は大使職という権力をもち大使館員をコントロールする立場になるのだから、評論家ではいけない。
Jul 27, 2010
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目下の国防課題のイロハのイは、沖縄県の西半分に正常な国防体制を敷くことだと前から思っている。『北國新聞』 平成22年7月22日社説に全く同感だ。≪先島諸島に陸自部隊 離島防衛の認識深めたい 防衛省が、沖縄県の先島諸島に陸上自衛隊の部隊配備を検討している。沖縄駐留米軍の再編・縮小問題が外交、安全保障の焦点となっているが、沖縄本島以西の 「無防備な国境の島々」 の防衛に関する国会の議論は少なく、国民の関心も薄い。安全保障と海洋権益確保の面で重要性を増している離島防衛の国民的な議論と認識を深めたい。 宮古島や石垣島、与那国島など日本西南端の先島諸島は、中国と領有権を争う尖閣諸島と目と鼻の先であり、台湾、中国とも至近距離の戦略的に重要な位置にある。防衛省は中国海軍の増強と海洋進出に対応し、2005年度からの現行防衛計画大綱に 「島嶼部に対する侵略に対して、実効的な対処能力を備えた体制を保持する」 と明記した。しかし、沖縄本島以西の島々では現在、宮古島に航空自衛隊のレーダーサイトがある程度で、「実効的な対処能力」 の整備はこれからの課題である。 日米両政府が合意した米海兵隊のグアム移転など沖縄駐留米軍の縮小は、自衛隊による防衛体制の見直しと不可分のはずである。しかし、沖縄では自衛隊に対する抵抗感も根強い。離島防衛については、政府自身の認識も十分ではなかった。例えば、日本の領空を守る 「防空識別圏」 の境界線が、領土である与那国島の真上に引かれるという異常な状態が、今年6月にようやく正された。沖縄復帰前の米軍の誤った線引きを今まで踏襲してきたのである。 宮古島や与那国島に国境警備の陸自部隊を段階的に配置するという防衛省の検討案に対して、中国や台湾を刺激し、国際交流による沖縄振興に好ましくないといった声が今後高まるとみられる。 しかし、与那国島の町長と町議会議長は昨年、現実に即して陸自部隊の配備を防衛省に要請している。尖閣諸島周辺における中国海軍の動向や台風など大規模災害への対処、さらに自衛隊配備による地域活性化やインフラ整備に期待してのことである。沖縄の米軍基地負担の軽減だけでなく、周辺諸島の防衛と振興策についても真剣に検討する必要がある。≫与那国島上空の防空識別圏の線引きを日本政府が正し、台湾政府がこれに反発し、目下 与那国島の上空の一部は日本政府と台湾政府の防空識別圏が重なり合っている。この辺の事情をわかりやすく図入りで説明したサイトがあったので、ご覧ください:与那国上空 「防空識別圏」 変更を台湾に拒否させる中国http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-1209.html
Jul 23, 2010
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二酸化炭素の削減で大騒ぎしているときに、中国や東南アジアから野菜を空輸で輸入するのは不見識ではないか。輸入禁止にはしない。パクチーや空心菜のように、輸入に頼らざるをえない葉モノもある。野菜の不作による緊急輸入もあるだろう。輸入のためにぜいたくに空輸するのを禁止するものではないが、盛大に二酸化炭素を排出する分、炭素税を払え、ということだ。高い環境意識を標榜する会社は、葉モノの空輸輸入には原則として関わらないでほしい (日本で作っていない葉モノや緊急輸入は例外)。わたしの勤務先が葉モノの空輸をどれほどやっているか、調べれば分かるが、調べてしまうとこのテーマについて何も書けなくなる。第三者として言うしかないが、葉モノの空輸輸入に関わるのは止めてもらいたい。葉モノの空輸に炭素税をかけることにより輸入野菜の値が上がり、結果として国内で野菜が作りやすくなる。税収は、太陽光や風力発電など再生可能エネルギーの全量買取制度の財源に充てる。単なる関税はWTOのルールが許さないだろうが、関税とは別枠の 「炭素税」 ということであれば、制度創設ができるのではないか。葉モノ野菜に対象を限定するのは無理かもしれない。空輸容積に対していくらという形で炭素税をかければ、価格のわりに容積をとる葉モノ野菜決め撃ちの制度にできるだろう。半導体のように、容積・重量あたりの価格が高いものなら、炭素税をかけられても影響はない。
Jul 22, 2010
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以前から、ぜひ自分で訳してみたかったミュージカルナンバーがある。ミヒャエル・クンツェの Mozart! から、Gold von den Sternen.帝劇版の小池修一郎訳では 「星から降る金(きん)」 だ。あこがれを胸にいだき、夢を見ずにはいられない人間の本能のうずきを愛撫してやまない曲で、ドイツ語の原曲を何度も歌っては涙を流した。幸か不幸か、日本語版の 「モーツァルト!」 は観たこともCDを聴いたこともなかった。先日ついに銀座の山野楽器でCDを買ってしまったので、封を開く前にドイツ語原文から和訳を試みた。もちろん、シルヴェスター・リーヴァイさんの曲で歌えるように。*キラ星を見つけに 泉 幸男 訳むかし石の城に魔法の庭があり王さまが王子と住んでいた王は年をとり、希望うしない扉閉ざし、壁をきずいて「ここが最高」 と王は言うでも王子は外を夢見る誰も行ったことのないかなたにキラ星ふりそそぐ生きるとは学ぶことキラ星みつけに行くひとり、試練の道「どうせ、しくじるぞわしもそうだった魔法の庭にいるほうがいいここなら安全だおまえを守る高い壁、閉ざした扉」王さまなりの愛情は王子の夢とは別ものさいはてに降るキラ星つかめば夢がかなうという生きるとは学ぶことキラ星みつけに行くひとり、試練の道を愛とは解き放つこと愛とは別れることでもある愛とは自分を捨てること愛があればこう言える「はるかな、さいはての地キラ星をさがし求め行け」生きるとは学ぶことキラ星みつけに行くかなたの地へ足ふみしめ試練に満ちた世界試練の道へ*小池修一郎さんの訳と歌い比べると面白いのだが、著作権のつごうで小池訳をここに掲載するわけにはいかない。ミュージカルファンのかたは、どうか東宝CDをかけて比べてみてください。泉訳のほうが小池訳より原文の構成に近い。「ホシからのキン」 というのが日本語では聞いて分かりにくいので、泉訳では「(ふりそそぐ)キラボシ」 と訳してある。小池修一郎訳の 「なりたいものになるため」 「望むように生きるなら」 が、拙訳では 「生きるとは学ぶこと」 となっている。原文は Sein heisst Werden, Leben heisst Lernen.直訳すると「何かであるということは、そうなるということを意味する。生きるとは学ぶことを意味する」といっても分かりにくいだろうから、ドイツ語を英語に直訳すると、To be means to become, to live means to learn.やはり、分かりにくい、か。「生きるとは学ぶこと」 という一節は唐突だから、文脈に合わせて適当に整えた小池訳の考えもわかるのだが、これをあえてリフレーンに据えたミヒャエル・クンツェさんの思いがあるはずだ。やはり、忠実な訳が捨てがたい。「星から降る金」 は劇中、ヴァルトシュテッテン男爵夫人の歌で、東宝CDでは一路真輝さんが歌っている。ことし11~12月の帝劇公演では幸寿たつきさんと涼風真世さんのダブルキャストだ。もちろん、観に行きます。シナリオや歌の和訳の仕事を、いつかやってみたい。キラ星を見つけに!
Jul 18, 2010
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山口仲美(なかみ) 著 『日本語の歴史』 (岩波新書、平成18年)。大学でこんな授業を受けてみたい! そういう名著だ。 第5章の 「言文一致をもとめる ―― 明治時代以後」 で、これまでの認識を改めた。いわゆる 「言文一致」、わたし流に正確に言えば 「明治期の口語文法にもとづく文章語の確立・普及」 は、抵抗勢力を前に遅々として、しかし一直線に、進んだものとばかり思っていた。漢文読み下し調あるいは擬古文が覆う世の中に、明治20年 二葉亭四迷が 『浮雲』 とともに登場し、以後、ゆっくり着実に言文一致体の文章語が普及したものと思っていた。ところが実際はそうでなくて、明治の初めから浜に寄せては返す波のように、手を変え品を替えさまざまな流儀の口語文が現れては打ち捨てられ、ようやく明治29年の尾崎紅葉の 『多情多恨』 による 「である調」 の完成でもって文体の確立を見た、というのが山口仲美さんの説明。「である」 体がなぜウケたのか。山口仲美さんの論には説得力がある。≪「である」 は、前の章でのべましたが、江戸時代の学者が講釈などで使った公的な感じのする文末表現です。明治時代になると、ヨーロッパの書物の翻訳にも用いられました。また、演説や講演などの公の話の場で用いられた文末表現です。日常の会話にはあまり用いません。こうした性質をもつ 「である」 が、なぜ、言文一致体の停滞を打破できたのか? それまでに存在する文末表現では、うまく表現できなかったことが 「である」 の出現によって可能になったからです。それまで地の文で説明に用いられる文末は、「でございます」「であります」「です」「だ」です。ところが、これらは、いずれも読み手に直接働きかけてしまう文末なのです。地の文で客観的に説明したい時には、向かない表現形式なのです。それに対して、「である」は、客観的に説明するのに向いています。ちょっと例をあげてみます。地の文で「彼はあの人が好き」という状況を説明しなければならないとします。地の文ですよ、会話文ではありません。「彼はあの人が好きでございます」「彼はあの人が好きであります」「彼はあの人が好きです」「彼はあの人が好きだ」と地の文に書いたとします。読者は、直接書き手の判断を聞かされた感じになって、客観的な描写にはなりにくい。丁寧な表現かぞんざいな表現かという違いはありますが、これらは、すべて直接読者に語りかける表現形式なので、客観性が出にくいのです。ところが、「彼はあの人が好きである」とすると、客観性のある説明文になる。「である」 は、もともと公の話の場で用いられる表現なので、客観的な語感を持っているからです。地の文の機能は、物事の説明や描写にあります。それが、「である」 の出現によって、客観的に行えるようになったのです。≫≪言文一致体の一番の悩みは、地の文の記述に客観性が確保できない点だったのです。日本語のように、つねに相手を意識して話す話し言葉を書き言葉に援用する時のネックでした。それが、「である」 体の出現によって、打破できたのです。≫ (203~205ページ)なるほど! 第三者的な素っ気なさが必要な演説や翻訳ものが無色透明の道具を求めて 「である」 をこれに充てたことに、尾崎紅葉が目ざとく着目してこれを文学にも使える道具として磨き上げたわけだ。この本は、いたるところにこの 「なるほど感」 があって、メリハリのきいた日本語史論になっている。係り結びがなぜ消えていったのか、その過程と理由を追ってゆく第3章 「うつりゆく古代語 ―― 鎌倉・室町時代」 も、わくわくさせられた。*207ページの「個性の出せる言文一致体」というくだりも、納得感が高かった。日ごろぼくががブログや配信誌用に文章を書いているとき、「です・ます」 と 「である」 「だ」 を意識的に混在させることがある。学校流には 「です・ます」 なら 「です・ます調」 を貫き、「である」 なら 「である調」 で一貫すべしというのが教科書的教えだから、じつは若干の後ろめたさを感じていたのですな。ところが山口仲美さんは、「です・ます」 と 「である」 の適度な混用を理論づけする説明をくれた。≪現在、私たちは、言文一致運動の成果を満喫しています。書くための特別な言葉や文法があるわけではありませんから、誰でも書ける。おまけに、その時の気分に従って、自在に書ける。主観的に断言したい時は 「だ」 を連発し、語りかけたい時は 「です」 や 「ます」 を使い、客観的に述べたい時は 「である」 を使うというぐあいに。≫≪さらに、私たちは、「です」 「ます」 調で文を進めていても、途中で 「である」調や 「だ」 を織り込むことがあります。それでも、少しもおかしくはない。なぜなら、話し言葉では、始終そういうふうに調子が変わるからです。言文一致体の基本は話し言葉なのですから、それでいいわけです。そして、その変調には書き手の呼吸のリズムがあらわれます。それが、個性です。言文一致運動のお蔭で、文章に個性が出てきたのです。一人一人呼吸のリズムが違うように、文章もひとりひとり異なった呼吸をしているのです。≫ (207~208ページ) 山口仲美さん、いろいろとすっきりさせてもらえて、ありがとうございます。
Jul 17, 2010
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消費税の議論は、ふたつのレベルに分けられる。ひとつは、「消費税率引上げ+法人税率引下げ」 が景気を悪化させるのか、という議論。「悪化させる」 という論者に説明してほしい。「消費税率引下げ+法人税率引上げ」が景気を良くするという理屈が成り立つかを。もし成り立つのであれば、消費税率が10~25%の諸国は金融危機への対応策として直ちに「消費税率引下げ+法人税率引上げ」に走ったはずである。実際には、そうではなかった。法人税率引上げが、確実に企業の投資を冷え込ませるからだ。法人税引上げ前なら成り立った事業が、法人税引上げによって成り立つ見込みがなくなる、というケースが確実に存在するからだ。議論のもうひとつのレベルは、(消費税率引上げを肯定したとして) 消費税率引上げのタイミングをいつにするか、というもの。わたしのかねてよりの持論は、「中国の安価な商品の流入で、生活必需品が100円ショップで買えるようになったタイミングこそ、消費税率引上げのチャンスだった」というもの。政治の停滞で、このチャンスを逸した。では、今後、いつ引き上げるのか。JPモルガン証券チーフエコノミストの菅野雅明さんが、7月14日の日経夕刊コラム 「十字路」 にいいことを書いている。≪消費税率引き上げが中長期的に見て必要ならば、景気の底入れを確認でき次第、むしろ早急に行うべき、というのが歴史の教訓であるように思える≫という。どういうことか。≪消費税増税時期に関しては「景気が十分に回復するのを見届けて税率を引き上げるべきだ」という言い方をよく耳にするが、これは正しい政策なのだろうか。≫≪多くの市場参加者が先行きに強気になる時は、相場は転換点に差し掛かっていることが多い。政策判断も同じだ。多くの企業、消費者の景気判断が強気になったときが景気のピークになりやすい。次回の消費税率引き上げも景気回復を待つと結局景気のピーク近辺での増税となり、再び 「消費税率引き上げが景気後退を招く」 結果となりかねない。そうなると消費税率引き上げに対する拒否反応が一層高まり、それがさらに将来の消費税率引き上げのタイミングを遅らせかねない、という悪循環に入る可能性がある。≫卓見というべきだ。税率を引き上げるコンセンサスを得て法改正するだけで怒濤の1年、それを実施に移すのに半年はかかるだろう。きょう方針を決めて明日から税率を変えられるわけではないことを考えれば、明らかに景気の底入れが見られるいま、政治は本気で行動を起こすときである。
Jul 16, 2010
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わが国のマスコミは、なぜ徹頭徹尾に民主党にやさしいのだろう。■「小沢グ」 か 「非・小沢グ」 か ■ 選挙記事を見ると、自民党候補には 「町村派」 「額賀派」 「古賀派」 「山崎派」 「伊吹派」 「麻生派」 「無派閥」 のように、こまごまとレッテルが貼られる。 ところが民主党候補には 「小沢グ」 とか 「鳩山グ」 「前原グ」 といったレッテルが貼られることはない。(「グ」 は 「愚」 ではなく、「グループ」 の略である。) 民主党の 「小沢グ」 と 「非・小沢グ」 の得票状況は、9月の民主党代表選を左右する。得票しだいでは、衆・参の小沢グループが民主党から割って出る可能性をも左右する。 「小沢グ」 候補と 「非・小沢グ」 候補の色分けこそ、今回の選挙報道の焦点であるべきだ。 自民党候補が町村派であろうが額賀派であろうが、当選後に自民党から割れて出る可能性は低い。 しかし 「小沢グ」 候補は選挙後に民主党を離れて、たとえば公明党と合流するといった現実的可能性があった。 とすれば、民主党候補については 「小沢グ」 なのか 「非・小沢グ」 なのかをハッキリと報道しつづけるのが、マスコミの本来あるべき常識的姿勢ではなかったのか。■ 隠し3法案+α ■ 国際感覚に乏しい四国の恥、仙石由人官房長官が、選挙日直前になってやおら、もと慰安婦への賠償法案の成立を狙う発言を始めた。「戦時性的強制被害者問題の解決促進法案」。 選挙後に公明党との連立を目指す布石か? と思わず身構えてしまった。 もと慰安婦への補償金問題はそもそも韓国政府が幕引きを決めているのだから、今さら日本政府側から蒸し返せば、またまた空しい騒ぎを煽るだけであり、日韓不友好につながるだけだ。 さいわいなことに、参院選の結果は中選挙区制の日々を思い出させる安定感があった。 自民党とみんなの党を足した数が、本来の 「自民党」 の議席数だ。 これに公明党を足せば 「自・公の大勝利」 状況だから、公明党も当面は民主党との連立には踏み込まないだろう。「外国人地方参政権」 「夫婦別姓」 「人権侵害救済機関」 の実現を目指す、民主党の隠し3法案。 参院選が終わって、これらが怒濤のように衆参両院を通過してゆく悪夢の日を恐れたが、参院選の結果をみれば、民主党に 「全共闘ごっこ」 をしている余裕はあまりない。 油断禁物だが、少しだけ胸をなでおろした。■ 景気対策とは法人税減税なり ■ マスコミのアンケートによれば、相変わらず選挙民の期待の 「いちばん」 は景気対策だ。 過去には、景気対策イコール公共事業だったわけだが、効果的な公共事業が一巡してしまったいま、大企業から中小企業まで等しく潤すのが法人税の減税である。 事業を行う人々を支援するために法人税を減税し、その財源を消費税に求めるという政策は、ほとんどの先進国が行っている。 消費税の増税に反対する論者には、こう言いたい。 それでは貴殿らはヨーロッパ諸国の政府に対して「景気回復のために消費税を15%引き下げなさい」と真顔で言えますか と。 ヨーロッパ諸国の政策専門家と、わが国の田舎モノの消費税反対論者のあいだでテレビ討論をさせてはどうか。 ■ ねじれ国会 ■ ねじれ国会に、長らく自民党が苦しみ、今や民主党が苦しむ。 つくづく参議院は、日本の政治のスピード感を殺(そ)ぐ癌である。 わたしは参議院廃止、一院制実現に賛成である。自民・民主の両党がその方向に向かうことを望むが、憲法改正は当分さきだから、目先をどうするか考えなければならない。 ねじれ国会では、党議拘束をかけた法案は衆院か参院のどちらかの議院で必ず否決される。 党議拘束をはずして議論する法案の数を増やしてゆくしかない。米国などの議会に見習うべきだ。 そして、「法人税減税+翌年の消費税増税」 をセットにした税制改革と、安心できる年金改革を、自民党・民主党が一体となって議論し結論を出すべきだ。 税制と年金は、政権交代にかかわらず真っ当な政策が継承されてゆくという保証がほしい。■「走る」 スピード感 ■ コラムの題を 「参院選後をどう走る」 とつけた。「走る」 スピード感を自民党はしっかり取り戻してほしい。 子供手当てや高校無償化のようなバラマキ政策をムリして実現したが、得票力の源泉にならなかった。バラマキ政策のはかなさを、与党にはしみじみ認識してもらいたい。
Jul 11, 2010
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ピカソについての評論なら岡本太郎さんの 「青春ピカソ」 がいちばんだ、とどこかで読んで、これを収めた 『岡本太郎著作集2 黒い太陽』 (講談社、昭和55年刊) を図書館で借りた。「青春ピカソ」は、フランスで作品と向かい合った感動体験から書き起こす。読みながら、ぼく自身の感動体験と引き比べ、引き込まれた。次々とスタイルを破壊し脱皮する、駆け抜けてゆくピカソを高く評価する岡本さん。その一方で後年の、何を描こうが受け入れられる身分となったピカソのいとも自在なる停滞へは、世間の高い評価とは逆に飽き足らず思う部分があることを記している。*本に収められた 「自伝抄」 で、この有名人の生い立ちを知った。「伝統」について描かれたくだりは、ぼくの日頃の思いと共通している。引用する。≪私は何かといえば伝統をかさにきて、権威ぶっている連中、それが 「現在」 を空しくしていることに我慢できなかった。伝統と伝統主義とはまったく違う。伝統は過去に頼ることでも、パターンを繰り返すことでもない。いつでも新しく、瞬間瞬間に生まれ変わり、筋を貫きながら現在に取り組むこと、それこそが伝統を創るのだ。≫ (395ページ)ぼくがかねて信奉している 「伝統とは創るものだ」 という定理を、またひとつ補強してもらえた。「黒い太陽」 にも、こんな一節がある。≪今日、世界が形式的伝統を否定することによって、真に世界的であると同時にローカルな新しい伝統をうち建てているのに、型どおりの伝統を続けるとすれば、日本文化は記念博物館のように、愚直にも土俗的雰囲気に窒息しなければならない。≫≪われわれ日本人こそ、あの伝統主義の憂鬱な雰囲気から一度すっかり脱却し、それを越えてゆかなければならない立場にある。≫ (164ページ)*「感動」 を、「同質化」 ということばで分析してみせたくだりも、腑分けの切れ味に感服した。≪ピカソがプリミティーヴな初期浮世絵版画にほれこんだり、グロピウスやアルプが日本の石庭に感動したり、タウトが桂や伊勢神宮や飛騨の農家に頭を下げる。―― 彼らは珍しいから面白がってるのではない。藝術家としての眼で見てピンとくる造形的な純粋さ、それに心が打たれるのだ。それが彼らにとって発見であるからこそ新鮮であり強烈なのである。エキゾティックな興味ではなく、その瞬間、同質化する感動なのだ。≫ (52~53ページ)*「黒い太陽」 のなかで、たまさかに出会った美しい女性への賛嘆のことばにも、大いに共感した。この愛惜がなければ、藝術はさびしくなる。≪会期の終わる前の日、ふるえ上がるほど美しい女性が現れて値段を聞く。金なんかどうでもよい、差し上げてしまいたいくらいだったがそうもゆかない。彼女は明日でおしまいと聞いて非常に残念そうだったが、「それでは多分明日、友だちをつれて来るから。」といって帰って行った。翌日私は一段と緊張して待機していたのだが、ついに彼女は現れなかった。サインもアドレスも置いていったから、これはどうしてももう一度個展を開かなければなどとたいへんに気を回してしまった。≫ (146~147ページ)まさに fall in love だ。作品をただで上げてもいいと衝動的に思い、このひと一人に会うためにでも個展を開きたいと衝動的に考える。「せつない」 を一気に燃やすようなこの気持ち、わかるなぁ。昭和28年5月のカイロでは、こんなこともあったと。やはり 「黒い太陽」 から。≪ムッサディエ嬢という白い紗(しゃ)のドレスに装った若い令嬢に紹介された。プルミエ・バル (premier bal 最初の舞踏会) に出たという感じの初々しい女性である。だが、青灰色の大きな眼がすばらしく情感的だ。彼女のような、たおやかな娘がこの激しい気候に、よく耐えられるものだと奇妙に感動したりする。酔いはすでに回ってしまっている。するとどうもこのお嬢さんのそばを離れがたくなって来た。この宵は何と透明ですばらしいんだろう。ムッサディエ嬢はこの天の星のような美しい眼をきらめかせながら「私たちもこの宵のためにこそカイロに居るのです。こんな夢のようにすばらしい夜の美しさはヨーロッパにはありません。」私もその通りだと思った。カイロにあの窒息するような昼間がなくて、こんな宵ばかり続いて、しかも彼女のように美しい女性がいつまでも僕のそばに居てくれるのなら、日本に帰るのをやめて、もうこのまま ―― と図々しくも切ない思いが胸をかすめ……(後略)≫ (193~194ページ)せつなさが、クラシックである。
Jul 10, 2010
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今年2月26日に公布され7月1日に施行された、中国の 「国防動員法」 を読んでみた。日本で昭和13年に施行され昭和20年に失効した国家総動員法にあたるが、中国の 「国防動員法」 のほうが たらたらと長文である。目を引くのが第63条だ。ことがあれば、軍の管理統制が国民生活のすべてに わたりうるという軍国主義丸出し。≪第63条 国が国防動員の実施を決定したら、必要に応じ、法にもとづいて、国防動員が実施されている区域で以下の特別措置をとることができる。(1) 金融、交通運輸、郵政、電信、新聞出版、放送・映画、情報ネットワーク、エネルギー・水供給、医薬衛生、食品・食糧供給、商業貿易等の業界で管理統制を実施する。(2) (略)(3) 国家機関、社会団体および企業事業所において特殊工作制度を実行する。(以下、略)≫管理統制の対象にエネルギー・水供給や情報ネットワークが入っているのは、なるほどだが、金融や商業貿易まで軍の管理統制下に入るとは、どういう状態を指すのだろう。素人の軍人らが、金利操作や価格操作の指示をするのだろうか。日本の国家総動員法を見ても、第3条の 「総動員業務」 の定義に 「総動員物資の生産、修理、配給、輸出、輸入又は保管に関する業務」 とか 「国家総動員上必要な金融に関する業務」 などが含まれているから、軍国主義下の軍隊はここまで手を突っ込んでくるということだ。それにしても、「国家機関、社会団体および企業事業所において特殊工作制度を実行する」 とはどういうことなのだろう。国防動員法には、「特殊工作制度」 の定義がないのだが。建国以来、軍国主義国家であった中華人民共和国だが、法の整備が遅れていたころは空白部分は中国共産党による指導で埋めていた。さすがに近代的な法の整備を進めてゆくと、突然に中国共産党を登場させるわけにもいかず、そこで非常事態にこれまで通り中国共産党が軍を使って好き放題ができるよう国防動員法を制定した、というのが実態であろう。
Jul 6, 2010
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中国と台湾が6月29日に “両岸経済合作架構協議” (Economic Cooperation Framework Agreement, ECFA) に調印した。(中国語の “協議 (シエ・イー)” は、 「合意 (の覚書)」 という意味でよく使われる。)当事者どうしは 「両国間」 という表現を使えない両国だから、こういうとき中国語では “両岸” と呼ぶことで議論を避ける。日本語では 「中台経済協力枠組協定」 ということになろう。かなわぬ理想を言うならば、台湾はASEANに加盟して、まず東南アジア諸国との間で自由貿易を享受するというのが、あるべき姿だと思う。中国との関税撤廃等の新たな枠組みも、台湾がASEANの一加盟国として中国・ASEAN間の包括的な交渉のなかで決めてゆく。そんな世界が、わたしの思い描く理想だ。これがなぜ不可能なのか、台北駐日経済文化代表処 (=駐日台湾大使館) のサイトに解説がある。両岸経済協力枠組み協議 (ECFA) に関するQ&A (定義、内容) 2009年4月9日≪Q: どうして先にASEANと締結しないのですか?A: ASEAN憲章第6条によると、新規メンバーの加盟にはASEAN加盟各国全会一致の合意が必要であり、1カ国でも反対すれば加盟することができません。わが国の置かれた国際現実から見て、それはきわめて困難なことです。目下、政府は中国大陸と経済協議の締結を推進する一方で、主要貿易パートナーとFTAの締結を積極的に推進しています。双方同時に進めることによって、わが国の全体的な対外貿易競争における環境を改善することができます。中国大陸のほか、ASEAN等の国および地区もわが国が同時に努力する対象となっています。≫そもそも 「台湾政府が独立を本気で語れば宣戦布告するぞ」 と威嚇する中国だ。台湾がASEAN諸国に働きかけても、片っ端から潰しにかかるのが中国だろうし、カンボジアとビルマは確実に中国側を向く。それでもなお、台湾が属するべき国際枠組みは先ず何をおいてもASEANだ、と理想を語り続けなければ、まして難しい 「台湾独立」 はさらに遠のいてしまう。台湾側が歯を食いしばってASEAN加盟の理想を掲げ続けることで、世の中が台湾を見る目を少しずつ変えさせ、中国側から見た交渉のハードルを高く維持することができるはずだ。*7月1日の『自由時報』 (民進党系) の社説 を読んだ。思うに任せぬ現実を前に、風刺が炸裂していた。タイトルからして≪台湾を買いたい共産党、台湾をタダで呉れてやりたい国民党≫と来た。≪国・共の両党の政府が中国重慶でECFAに調印しようというその日に、台湾国防省の前次官である林中斌氏があるシンポジウムでこんなことを語った。「馬英九政権になってから中国・台湾の両岸情勢の緊張が緩み、北京側は 『台湾を得るには、攻撃するよりもカネで買うほうが安くつく』 と考えるようになった。『戦わずして東アジアの盟主となる』というのが北京の新戦略だ。北京は台湾に対して今後も 「気前の良さと善意」 を振りまき続けて、台湾の人心を勝ち取ろうとし、各方面の力を動員して中国・台湾の軍事上の不信をなくし、米国へ圧力をかけて台湾への武器輸出を停止させようとするだろう。」≫≪我々 (=自由時報) が思うに、ずる賢く立ち回る中国の戦術を、一般のマトモな国の論理で測ってはならない。「気前の良さと善意」 を振りまくといっても、実のところは気前がいいわけではなく、全ては中国の役に立つことを絶対条件として組み立てられている。「台湾を買う」 ほうが 「台湾を撃つ」 より安くつく、だけでは満足しないのだ。中国は、「台湾を買う」 値段も徹底的に値切る気だ。≫≪中国の歴代のリーダーは、毛沢東しかり、江沢民しかり、台湾海峡を眺めて嘆くのみ。胡錦濤に至っては文治も武功も一流人ではないから、台湾には手出しのしようもない。ところが問題は台湾側の 「内部から外部へ呼応する」 馬英九の誤った政策にある。台湾をさらに安く 「買い叩く」 歴史的なチャンスを中国に与えたばかりに、いまや台湾は本来の売り値の最低レベルすら確保できない始末だ。そんなわけで、胡錦濤は 「台湾を買う」 必要さえなくなったし、馬英九の能力では 「台湾を売る」 ことすらできず、まさに本紙が過去に予言していたとおり 「台湾をのし付きで呉れてやる」 状態になってしまった。≫≪ECFA締結後の台湾は、ふたつに分裂してしまうだろう。中国から利益を得るビジネス界・財界と、中国から利益を得られないか得ることが難しいその他の人々の、ふたつの階級に。≫
Jul 4, 2010
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