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高3の次女は漢文が苦手だ。役に立てばと、岩波ジュニア新書の 『漢文の読みかた』 (奥平 卓 著) を図書館で借りてきた。学習素材の文章の選び方がいい。とかく漢文の教科書は 『論語』 と 『史記』に偏りすぎだが、この本の構成は新鮮だ。32ページにこんな小文があった。学問とくに語学とは何かを言い得ているので、書き写しておこう。有 鳥 将 来, 張 羅 待 之。 得 鳥 者 一 目 也。 今 為 一 目 之 羅, 無 時 得 鳥 矣。鳥の将(まさ)に来たらんとするあり、羅(あみ)を張りてこれを待つ。鳥を得(う)るものは一目(いちもく)なり。いま一目の羅(あみ)をつくれば、時として鳥を得(う)るなし。鳥が飛んで来ようとしているので、網を張って待ち構えた。さくっと鳥を捕(つか)まえるのは、たくさんの網の目のなかのたったひとつだ。なぁんだ、役に立つ網の目はひとつだけじゃないかといって、ほんとに目がひとつしかない網をつくったら、いつまでたっても鳥は捕まえられない。*語学がその典型だが、1万の単語をおぼえたからといって、通訳をしたり文章を読んだりする一度だけをとらえて役立った単語の数を数えれば、たかだか数十語、数百語だ。だからといって数十語、数百語しか覚えずにいてモノになるかといえば、そんな限られたタマ数では一度たりとも使いものにならない。通訳をする直前に辞書をあれこれ引いて最後の備えをするが、そういう直前の備えで覚えた新単語が実際に役立つことはまず無かった。長らくの、どうせ大部分がムダとなる知識の蓄積が、ことばのちからだった。
Aug 31, 2010
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山本冬彦さんのブログ に、美術支援政策にむけた協同組合 「美術商交友会」 の提言のことが書いてあった。銀座柳画廊の野呂洋子さんが中心になって取りまとめているという。美術品にまつわる諸外国の税制の違いが興味深く、また政策出動の必要を感じさせられた。こんな具合である。日本の場合、一流の美術品は資産として計上され、基本的に損金処理はできない。泉が別途調べてみると、古美術はもちろん、美術年鑑に名前が載っているような作家の作品は一律、減価償却が不可能。減価償却が可能なのは、美術年鑑に名前がまだ載らないような作家の作品で、かつ1点あたり20万円未満 (かつ1号あたり2万円未満) の作品だという。その点、中国では企業が美術品を購入すると全額を損金処理できるそうだ。そうであれば、「法人税を払うくらいなら美術品を買って損金で落とし、値上がりを待とう」 ということになる。中国で、美術品バブルが起きるのも道理だ。野呂洋子さんによると平成21年度、中国でのオークション取引総額はなんと2,000億円。これに対して、日本のオークション取引総額は99億円だったという。結果として、画家・工藝家への強力な支援となる。「ソフトパワーで勝負だ!」 などと我々が強がっているうちに、従来ソフトパワーに乏しいものと見なしてきた独裁国のほうが、ずっと進んだソフトパワー政策を進めていたわけだ。悔しいし、こうなると脅威である。ここで負けてはいけないと思う。野呂洋子さんによれば、その他の各国の支援策もそれぞれに優れた点がある。・ アメリカ:美術館への寄付金が税金の控除対象になる。マンハッタンでは 「アート税」 が導入されていて、建築費の一定比率の資金を美術品購入に充(あ)てなければならない。・ ドイツ:公共機関では毎年、年間経費の1%を美術品購入に充てなければならない。建築費の一部分を美術品購入に充てなければならない。・ フランス:壁にかけてある美術品には相続税がかからない。美術品にかかる消費税に優遇措置がある。 ・ 韓国:美術品には相続税がかからない。海外での美術展に参加する場合には助成金がでる。省庁をまたがった文化政策を実施。
Aug 28, 2010
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自分の意思に反して故郷を離れざるを得ないことが補償の対象になる世の中なら、わたしも補償をもらいたい。四国・松山市を熱愛し、ずっと松山市にいたかったにもかかわらず (嘘…)、国家の教育政策の不備により高レベルの大学が存在しないため、やむなく東京へ “事実上” 強制連行されて、東京で勉強せざるをえなかった。大学を卒業したら両親や親戚のいる松山市で働きたかったにもかかわらず(嘘…) 、国家の産業政策の不備により、わたしの能力を生かせる国際業務の職場が松山市にはないため、やむなく東京に “事実上” の強制連行をされたまま、国家権力によって規定された勤労の義務を履行させられ続けている。“事実上” の強制連行によって本州に住まう、かわいそうな在本州四国人のわたしである。補償をしてほしい!……なぁんてことを言っても、「おまえの 自 由 意 思 だろ」と跳ね返される。あったりまえ。*政治運動家は、戦時中の徴用令による渡航を 「強制連行」 と呼ぶ。いかにも 「不法に、犯罪者あつかいで身柄を拘束されて来た」 というイメージを鮮烈に植えつけようという悪意がみなぎっている。だから、徴用令による渡航を 「強制連行」 と呼ぶ連中の言い分を、わたしは全く信用しない。「在日朝鮮人は強制連行で日本に来たのだ」という主張が嘘であることを端的に語る産経新聞記事があった。平成22年3月11日のもの。切り抜いて仕舞い込み、「あれ? どこへ行ったっけ?」と探していたら、ひょっこり出てきたので、紛失する前に転記しておこう。産経新聞 平成22年3月11日、3面≪戦時徴用わずか245人 在日朝鮮人戦時中の徴用令によって日本に渡航し、昭和34年の時点で日本に残っていた朝鮮人は、当時登録されていた在日朝鮮人約61万人のうちわずか245人だったことが10日、分かった。自民党の高市早苗元沖縄・北方担当相の資料請求に対し、外務省が明らかにした。資料は昭和34年7月11日付で、245人について「みな自分の自由意思によって日本に留った者または日本生まれだ。本人の意思に反して日本に留めているような朝鮮人は犯罪者を除き一名もいない」と結論付けている。永住外国人に地方参政権 (選挙権) を付与する法案の推進派は、在日韓国・朝鮮人が自分の意思に反し日本に住んでいることを理由の一つに挙げてきた。≫
Aug 28, 2010
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『絵で見る樺太(からふと)史』 という読みやすい小冊子がある。「樺太1945年夏 氷雪の門」 の上映館で8月11日に買って即日読了。発売元は太陽出版。著者は高橋是清さん (昭和46年東京生まれ。同姓同名の政治家とは別人)。スジの通った記述で、好感がもてる。これを読んで驚いたのが、日本領の南樺太に立派な産業があったこと。樺太の蝦夷松(えぞまつ)・椴松(とどまつ)を原料にした製紙工場が大正時代から設けられ、昭和8年5月には王子製紙が競合他社を吸収合併して、樺太随一・日本最大の製紙会社となる。良質の無煙炭も産出した。炭坑のある塔路町(とうろまち)は炭鉱関係者が集まって人口が増え、塔路小学校は3,000名の児童をかかえる、当時 日本最大の小学校だった。そういう繁栄があったからこそ、企業は極寒を補う高給を支払えたし、島民が40万人を数えたわけである。本土空襲が始まると、米軍の空襲がない樺太にわざわざ疎開してくる人々もいて、「樺太天国」 という言葉まであったと、これは映画プログラムのほうに書かれていた。こういう基礎知識を国民が共有していたなら、「サハリン残留韓国人問題」 というデマに日本人はだまされずに済んだはずだ、と改めて思った。産経新聞記者の喜多由浩(きた・よしひろ)さんが、さる8月22日にコラム “from Editor” に書いている。ネットで調べたら、平成19年6月4日にもこの問題をさらに詳しく書いておられた。後のちの資料として、転記させていただきます。産経新聞 “from Editor” 平成22年8月22日≪「菅談話」 によってまた、亡霊が動き出した。現在進行形だから生霊というべきか。多くの国民が知らないまま、長年、巨額の血税がつぎ込まれてきた、「サハリン残留韓国人問題」 への “デタラメ人道支援” のことである。 韓国・ソウルから南へ電車で約1時間の安山市に、サハリンから韓国への帰国者用の住居として日本が約27億円を拠出して建てたマンション群がある。2LDK、バス、トイレ付き。韓国語が読めないサハリン生まれの2世が多いから、ロシア語の掲示板は至る所にあるが、日本の支援に感謝する記念碑などは見当たらない。 住民に話を聞いてみると、しょっちゅう里帰りする (彼らのサハリン-韓国の往復渡航費も、滞在費も日本持ちだ) ためか、家財道具がまるでなく、“別荘代わり” に使っているとしか思えない人、関係のない一族郎党を堂々と住まわせている人。驚くべきことに戦後、北朝鮮や旧ソ連からサハリンへ移ってきた人 (当然、日本とは何の関係もない) まで住んでいるという。 日本の支援はこれだけではない。療養院をはじめ、引き続きサハリン在住を希望する人たち用の文化センターの建設費。果てはヘルパー代や光熱費の支援まで。3年前には、「まだ帰国を希望する同胞が3千人以上もサハリンに残っている」とゴネられ、民間マンションの借り上げ代などとして約3億円の追加支援を余儀なくされた。 この問題で日本政府は「法的責任はない」と言い続けてきた。ところが、戦後30年もたって大ウソのプロパガンダをわめき立てる輩(やから)が出てくる。「日本は4万3千人もの朝鮮半島出身者をサハリンへ 『強制連行』 し、戦後は彼らだけを 『置き去り』 にしたんだ」と。日本人がそう言うのだから韓国側が飛びつかないはずがない。 まあ、日本もアジアの大国だ。一万歩譲って 「人道支援」 はヨシとしてもいいが、それはもう “十分すぎるほど” やった。戦後65年、本当に故郷へ帰りたかった当事者は、もうほとんどいない。日本とほとんど関係のないサハリン生まれの2世、3世のために、人道支援が続けられているのだ。 夫の朴魯学さんとともに帰還運動に取り組んだ堀江和子さん (ともに故人) が憤然として言ったことがある。「本当に帰りたかった1世のときは助けてくれなかったのに、なぜ関係のない人にお金を出すのか」と。 (文化部編集委員 喜多由浩)≫「島民40万人のなかの4万3千人が、半島から拉致されて来た朝鮮人だった」 なぁんてわけ、ないだろ。かりにそんな囚人島だったとしたら、怖い。「樺太天国」 などという言葉は生まれない。朝鮮半島から遠く樺太に来て製紙工場や炭坑で働いた。かりに 「朝鮮出身の労働者がその出身ゆえに、内地出身の労働者より低い賃金しかもらえなかった」 とすれば、今日の価値観からいって賠償の対象となりうるかもしれないが、そういうことではないようだ。戦後に、日本人のように樺太から追放されることなく、生活基盤のある樺太に残った朝鮮人たちは、「追放されずに済んでよかった」 と思っていた可能性だってあるのではないか。さて、同じ喜多由浩記者の3年前の文章を読んでみたい。こちらのほうが詳しい。産経新聞 「深層真相」 平成19年6月4日 ≪「在サハリン韓国人」 理由なき支援 続く予算拠出 今春、成立した政府の平成19年度予算に 「在サハリン 『韓国人』 支援」 の名目で約3億円が盛り込まれたことを一体どれだけの国民が知っているだろうか。「人道的支援」 の名の下、サハリン残留韓国人問題で政府が拠出してきた金はすでに70億円近い。だが今夏以降、サハリンから韓国への帰国事業を拡大することになったため、日本も新たな負担を求められることになったのである。戦後、60年以上が経過し、もはや支援対象者はほとんどいなくなったはずだ。“理由なき支援” が続く背景は…。 (喜多由浩)◆◇◆ 韓国・ソウルから電車で約1時間の安山市に、サハリンからの永住帰国者約1,000人が住む 「故郷の村」 のアパート群がある。2000年に日本が建設費約27億円を出して造った (土地代・維持費は韓国側が負担) 施設だ。 バス・トイレ付きの 2LDK。家賃は無料、生活費として1世帯あたり日本円にして約10万円が韓国側から支給されるから、ぜいたくさえしなければ生活に心配はない。 ほかに、病弱者を対象とした療養院もあり、建設費はもちろんヘルパー代まで日本が出している。これらは平成7年、周辺国への 「謝罪」 に熱心だった村山内閣時に決定されたものだ。 日本の支援はこれだけではない。日韓の赤十字が運営する共同事業体に拠出する形で、▽ 永住帰国はしないが、韓国への一時帰国を希望する人たちのサハリンからの往復渡航費と滞在費を負担 (今年3月までに延べ1万6,146人が一時帰国)▽サハリンに残る 「韓国人」 のための文化センター建設 (04年竣工、総工費約5億円)など、相手方から求められるまま、至れりつくせりの支援が行われてきた。◆◇◆ だが昨年秋、韓国側は「まだサハリンには韓国への永住希望者が3,000人以上も残っている。今年夏以降、数百人単位で順次、帰国させたい」として、日本側に新たな支援を求めてきた。 日本が建てた永住帰国者用の施設にはもう空きがない。ついては、別の公営住宅などを借りるからその家賃を日本側で負担してほしいという話である。 さすがにそれは拒んだものの、結局、サハリンからの渡航費などは日本側で支援することになった。それが冒頭に挙げた約3億円だ。 そもそも、戦時中に労働者としてサハリンに渡ったのであれば80代、90代になっているはず。戦後60年以上たっているのにいまだに 「支援対象者」 が絶えないのは、支援者の条件が単に、「終戦前から引き続きサハリンに居住している 『韓国人』 」 などとなっているからだ。 この条件なら終戦時に1歳の幼児だったとしても支援対象になるし、日本とのかかわりも問われない。実際、現在の対象者の多くはサハリン生まれの2世たちである。戦後、北朝鮮から派遣労働者としてサハリンに渡った人など、「日本とは何の関係もない人」 まで、支援を受けていることが分かっている。◆◇◆ 戦時中、朝鮮半島からサハリンへ行った労働者は企業の高い外地手当にひかれて、自ら海を渡った人が多かった。しかも、彼らが戦後、帰国できなかったのは、当時のソ連が北朝鮮に配慮して国交のない韓国への帰国を認めなかったからだ。だから 「日本に法的責任がない」 という政府の主張は間違っていない。 百歩譲って、アジアの大国としての 「人道的支援」 は認めるとしても、すでに使命は十分に果たしたはずである。それなのに、支援を打ち切るという話はどこからも聞こえてこない。 支援事業を行う日赤国際部は、「日本政府としては各事業の効果や必要性等を入念に精査の上、人道的観点から現実的な支援を策定しているものと承知している」とコメント。外務省関係者からは、「この程度 (の額) で済むのなら…」 と本音も漏れてくる。 だがそういう 「事なかれ主義」 が歴史問題で日本を苦境に追い込み、竹島や慰安婦問題で譲歩を余儀なくされたことを忘れてはならない。【用語解説】 サハリン残留韓国人問題 戦時中、日本統治時代の朝鮮半島から企業の募集などで樺太 (現・ロシア領サハリン) へ渡った韓国人が、戦後にソ連 (当時) の方針で出国が認められず、数十年間にわたってサハリン残留を余儀なくされた。日本の民間人の運動がきっかけとなって、1980年代半ば以降、日本を中継地とした一時帰国、さらには韓国への永住帰国が実現した。日本政府は一貫して 「法的責任はない」 と主張してきたが、日本の一部政党・勢力が 「日本が強制連行した上、韓国人だけを置き去りにした」 などと、事実無根のプロパガンダを繰り返したために、日本政府は帰国事業などへの人道的支援に乗り出さざるを得なくなり、戦後60年以上たった現在も支援が続いている。≫この用語解説に一点、いちゃもんをつけておくと、「樺太 (現・ロシア領サハリン) 」 といえば日本が本気で統治したことのない 「北樺太」 のことになってしまう。日本領樺太だった 「南樺太」 は、国際法上はいかなる国にも属さない所属未定地なのである。日露平和条約が締結されていないから。
Aug 28, 2010
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小沢一郎・鳩山由紀夫と並べると、「日本式左翼」 の本流で 在日韓国人・朝鮮人の票固めに熱心な菅直人・仙谷由人陣営がまともに見えるくらいだから、感性の劣化はおそろしい。自民党のおしゃべりな長老たち、といえばたとえば森喜朗元総理。このひとが自民党下野以来 ず~っと黙っていることを、かねて不思議に思っている。小沢一郎が代表選で勝てば、病身・小心の自分自身は総理はやれないから首相には別のひとを推すだろう。当然、自民党との連立を仕掛けるだろうし、それに対して谷垣総裁は「とんでもない」というだろう。そこで久々に登場して「野党のままじゃ、どうしようもないだろ」と大連立をまとめるのが、キングメーカーを自認する森喜朗氏ではないかと思っている。当たったら、ほめてください。ほめられる事態じゃないけど。いやはや、日本国が最悪の選択肢に向かって爆走している感じだ。小沢一郎の一日も早い完全引退を祈ります。
Aug 27, 2010
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中国とインドの成長の限界は、水不足によってもたらされる。水が絶対的に少ない中東で、いくら資本があっても工業が育たないのを見れば分かる。水不足がもたらす限界点の向こうは、中東の砂漠・土漠をイメージすればよい。これがぼくの持論で、変えるつもりはないが、すでに膜技術の進歩で淡水を工業的につくるコストがどんどん下がっている。下に転載した日経産業新聞記事が紹介しているように高度な防水シートで農業用水が節約できるようになれば、問題解決はさらに進む。当分は高コストだから中国・インドの貧しい農民が使えるものではないだろうけど、では日本で爆発的普及がありうるか。この技術をつかえば、従来から農業が抱え込んできた日本の水利権(みず・りけん)が放出されるだろうか。わがふるさと松山市も、水不足に苦しまずに済むようになるだろうか。日経産業新聞 平成22年8月23日 「水の世紀」 第6部 農の源泉 (上) ≪培地に高分子膜、95%節水最も水の利用が多い産業は――。製紙や製鉄など重厚長大の工場ではなく、正解は農業。国内でも世界でみても水使用量の約7割は農業用水だ。水不足が深刻な地域が増えるなか、少ない水で多くの実りが得られる農法へのニーズは高い。「水の世紀」 第6部 は 水を有効利用する独自技術やアイデアで 「豊作」 の持続へ挑む企業の姿を追う。 千葉県旭市でトマトを栽培する農事組合法人和郷園のハウス。鈴なりにトマトがなっている苗の根元をめくると、薄いビニール状の膜が出てくる。その下の土壌とは防水シートで遮られており、栽培に使う土は膜の上にある厚さ1~2センチメートルの培土のみ。薄い膜がトマトの根に適度な量の水を供給し、成長を支えている。■ 1株1日300ミリリットル ■ 根は膜に密着し、その下に適量垂らされた水分と養分を吸い上げる。実を大きくするため、培地に直接水を与えることもあるが、それでも1株が1日に必要な水は200~300ミリリットルで済み、土に直接植えた場合に必要な4~5リットルの5%ほどに過ぎない。 この膜は4年前、農業資材ベンチャーのメビオール (神奈川県平塚市) が開発した。社長の森有一氏は東レやテルモで人工透析用の医療用膜などを開発した膜のスペシャリストだ。「水処理や医療に多くの高分子膜が使われているのに、なぜ農業に使われないのか」。自らその可能性を探りたくて、15年前に53歳で起業した。 良い農作物作りはまず土作りから――。そう信じてきた農家は 「膜で農家を土作りから解放する」 という森氏に当初、懐疑的だった。2008年に千葉の和郷園が “膜農法” を初めて導入。高糖度のトマトを安定栽培できると分かると、利用する農園が急増。この2年で、全国の3ヘクタールを超える広さのハウスに、膜が敷き詰められている。 膜の販売は国内にとどまらない。世界気象機関によると世界の水使用量の約7割は農業用水。水不足が深刻な中東などへ、大企業と組んだ進出にも取り組み始めている。 大阪市内のビルの地下の一室。図書館を思わせる可動式の棚に、培地に植わった野菜の苗が敷き詰められている。大手商社・丸紅の大阪支社内で、植物工場システムの実験場が昨年11月から稼働している。 培土には保水性の高い特殊な土を使う。無駄な水やりが要らないため、1株のレタスができ上がるまでに必要な水は2リットルのみで、土での栽培の1割以下となる。室内で使いやすいように培土は通常より重さが11分の1と軽い。 カブやイチゴなど、栽培実績のある品数は40種にもなる。「都市部にスペースが多い流通事業者や電鉄会社などに利用を働き掛けたい」 (宮地博明・副支社長) とし、3年後に20億円の売り上げを見込む。 人工の光を使った 「図書館型農業」 には海外からの関心も強い。丸紅の実験場にはシンガポールの政府関係者のほか、オーストラリアやアラブ首長国連邦 (UAE) からも視察団がやってきた。■ 水耕にも注目 ■ 水耕栽培も節水面で注目を浴び始めた。大成建設が北海道浦臼町に建設した植物工場では、水槽に発泡スチロールを浮かべ、その上に植物を載せている。培養液は地中に染み込まないだけでなく、水面からもほとんど蒸発しない。「水使用量は通常の1割程度」 (新規事業グループの山中宏夫課長)。南国の果物マンゴーも、水耕用の培養液を供給する配管を敷いた薄い培土を使えば、北の大地でも栽培できる。 水耕栽培の弱点は根が分泌する生育を抑える物質が培養液内に徐々にたまること。フィルターなどで除去できず、一定期間で全量の入れ替えが必要だ。 そこで明治大学の早田保義教授は、培養液を完全に循環利用する農法を研究中。二酸化炭素 (CO2) の微細な気泡と光触媒を併用して養液を浄化する。今年度中には川崎市内のキャンパスに実証プラントを立ちあげ、4~5年後の実用化を目指す。産学の技術が日本発の節水農法の可能性を広げそうだ。≫
Aug 24, 2010
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地方銀行が地域食材商品や工藝品・日用品を域外市場へ売り込むのに一役買う、そんないい話が日経MJ紙に載っていた。松山市の話だった。主人公は、いわゆる第二地銀の愛媛銀行。松山市役所が松山城のロープウェイ乗り場に県外からの観光客向けのアンテナショップを設営し、愛媛銀行がショップの運営をおこなう。ハードは行政、ソフトは民間銀行だ。去年11月下旬に松山市へ帰ったとき、ちょうど開店準備中だった。いま調べたら、去年12月6日が開店日だ。地域産品の市場拡大のような仕事は、ほんらいは商社の守備範囲ではなかったか。それに手をつけないことに、いささか忸怩たるものを感じた。だが、勤務先の商社で、愛媛県の地域産品の域外拡販はとても手がけられない。そもそも松山市に事務所を置いていない。むかしは置いていたが、駐在者がひとりとアシスタントの女性がひとりだけ。とてもこんな仕事はできない。企業と企業、事業と事業の間に入るバルク商売 (=量で勝負するビジネス) の業態として成長してきたので、こまごました商品の育成は苦手だ。この分野では、コンサルタントとしてさえ機能すること能(あた)わず。地方銀行の場合、商流そのものでは商売にならなくても、それが融資先拡大のきっかけになればいいわけだし、地域活性化がそのまま業容拡大につながる業態だ。日経 Marketing Journal (流通新聞) 平成22年8月16日1面≪地銀、地域の 「食」 育む愛媛銀、アンテナ店運営仕切る―― 融資先開拓の重点に 地域の食材は地方銀行が育(はぐく)む――。地銀が農林業や地場の食品業界との取引を強化している。製造業を中心に資金需要が低迷し、新たな取引先の発掘を急ぐ地銀、小売業や外食店といった販売先の開拓や紹介を地銀に期待する農業・食品業界、双方の思惑が一致。地銀は 「農」 や 「食」 を今後の成長分野と位置付け、地域経済再生の切り札に据える。 8月上旬、松山城 (松山市) の近くにある愛媛県産品のアンテナ店 「えひめイズム」 は観光客や地元客でにぎわっていた。しゃれた店内には地元企業75社の食品や工芸品、日用品など660品がずらり。市が昨年12月に開いたが、品ぞろえや店の運営などは地元の第二地銀、愛媛銀行が一手に引き受けている。 同行感性価値創造推進室 (感性室) の室長で、アンテナ店の仕掛け人、三宅和彦氏は 「愛媛の逸品を全国に発信する拠点」 と位置付け、「実力はメジャー級なのに知名度はマイナー級な商品ばかり集めた」 と話す。開発段階から企業と取り組み、売れる商品に育てるインキュベーター(孵化器) の役割も持つ。 感性室は同行が昨年5月に 「銀行の殻を破る」 (中山紘治郎頭取) ために設けた販路開拓に悩む取引先の “相談所” だ。地域経済が低迷するなか、地元企業の業容拡大を後押しし、融資など銀行の本業につなげる効果を同室は期待されている。これまで売れなかった理由は何か。商品の名称か、包装デザインか。検討会議には感性室が紹介したデザイナーやコピーライターも加わる。 設置から 1年3ヶ月。販路開拓では成功例も出始めた。 ミネラルウオーター 「竜馬の水」 (350ミリリットル 100円)は以前、製造販売元のぞっこん四国 (松山市) と似た 「ぞっこん水」 という名称だったが、販売が低迷。感性室の協力を得て4月に名称と包装デザインを変更。取水する四国カルストが坂本竜馬脱藩の道であることを包装に載せ、物語性を持たせた。刷新後は西日本高速道路のサービスエリアなど納入先が5割増えた。 ミカンジュースの販売会社、じねん (松山市) は日本航空の国内線ファーストクラスで出される飲み物の座を射止めた。瀬戸内海の中島で育てたミカンの最良品だけを材料にしたジュース 「朱光(あかり)」 だ。150ミリリットル入り 750円と高価で販路は限られていたが、「独力ではつかめない大企業との接点を銀行が作ってくれた」 (じねんの佐伯清社長)。 有高扇山堂 (愛媛県四国中央市) が えひめイズムに置いた水引のはし置きはホテルオークラ東京内のレストランに採用された。「地元に密着した地銀ほどプロデューサーに向いているところはない」と力を込める三宅氏は実は経済産業省出身。官僚時代は主に中小企業政策を担った。「売り込み交渉役は買って出る」。銀行マンとしてその思いを実行に移している。 同じ愛媛県を地盤とする伊予銀行も今春からサントリーグループと連携し、取引先の食品メーカーの全国進出を後押ししている。7月には同グループの外食会社、ダイナックの居酒屋 「咲くら」 にミカンジュースを材料に使った 「愛媛ハイボール」 がお目見えした。伊予銀の取引先の食品会社が食材を提供した。「地域の 『いい食材』 を最も知っているのは地銀。その情報がバイヤーの役に立つ」(伊予銀・法人営業部の松下大介課長代理)。伊予銀はサントリーグループ関連会社の社員をかんきつ農園や漁協に案内し関係を深めた。 地方の中小企業が高付加価値の商品を売り込んでも「価格以外の点は小売り側に評価されず空しく帰ってくることばかり」 (愛媛県内の食品会社)。だが地域を代表する地銀からの話なら小売りも 「聞いてみようという気になる」 (同)。「売る地銀」の役割は一層大きくなりそうだ。■ 農家や食品業者 融資先開拓の重点に ■ 地方銀行はメガバンクとの競争激化、製造業を中心に融資の伸び悩みなどに直面している。一方、デフレや食の安全・安心に対する消費者の関心の高まりなどから、小売り・外食業者は信用できる食材を求めている。農家や地場の食品業者は販売先の開拓を進めたい。 三者三様の課題があるなか、地銀は 「農」 や 「食」 を成長分野と位置付け、ブランド化の推進、販路の開拓・紹介などの支援を通じて業容拡大を狙う。 愛媛銀行の中山紘治郎頭取は「地域経済の回復が遅れるなかで、銀行が 『商品開発』 『販路開拓』 の支援で地域経済を引っ張っていく」と強調している。≫満足に商品化されないのを昔から残念に思っている愛媛県産品がある。愛媛県内子町(うちこちょう)小田(おだ)の釜揚げウドンだ。山間部だから、大豆と椎茸で出汁をとる。醤油色の濃いつけ汁に、卸した柚子や生姜、あるいは胡麻で香りを添える。麺は、讃岐うどんのように腰はなく、やわやわしている。これをするするいただく。田舎うどんである。JA小田が商品化したものがあるが、包装に 「売ろう」 という気がまるでない。松山空港にも置いてない。「えひめイズム」 が、小田うどんを全国区に送り出してくれないだろうか。内子町小田は、わたしの父の里である。
Aug 22, 2010
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台湾の大学・大学院・専門学校への中国人留学生入学が来年には解禁になるそうだ。どうせ既にスパイはたんと入り込んでいるだろうから、オモテで中国人留学生をシャットアウトしても意味がない、という判断だろうか。中国人留学生は当然ながら “祖国統一” の宣伝と組織化に努力することを条件に送り込まれる。今まで台湾にいたのはスパイだからオモテ立っての運動はせずウラからの策動だったろうけど、オモテから来た中国人留学生ならオモテ立って堂々と学内で “祖国統一” 宣伝に力を注げるだろう。それに乗る台湾人学生ではないだろうけど、臭い球として考えられるのが嘘八百を並べる反日運動の展開だ。親日国の学生を反日に洗脳する使命を託されて来ることは十分考えられる。中国で政府が反日をあおると、反日が反共産党に転化しかねないから危険だが、台湾へ留学生を送って反日をあおる分には、中国にとって失うものは何もない。台湾政府が中国人留学生の数に一定の枠を設けることを祈る。中国人留学生の日常をチェックして、透明性のある運用をしてもらいたいものだ。日本経済新聞 平成22年8月20日 6面記事≪台湾、中国人学生の留学解禁へ【台北=新居耕治】 台湾の立法院 (国会) は19日、中国人学生が台湾の大学・大学院や専門学校に留学することを解禁する法改正案を可決した。教育部 (教育省) はこれを受け詳細規則を早期に策定する方針で、来年には初の中国人留学生が誕生する見通し。≫
Aug 20, 2010
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笹本玲奈さんが、ここ1年間の出来事や今後の夢などを語ってくれました。8月15日に都内のホテルで開催されたファンクラブイベントで、120名ほどが参加しました。ぼくは3度目の参加ですが、この会とともに夏が終わるような気がします。イベント前半は、ここ1年間に出演した舞台を写真やビデオで振り返りつつ ――≪去年10月の 「屋根の上のヴァイオリン弾き」 は次女ホーデルの役でしたが、千本ノックのような練習がつづきました。恋人のパーチックを演じる良知真次(らち・しんじ)さんとのやりとりは、演技を厳しく指導されて、1日に3時間くらい集中した練習が続きました。父親デヴィエ役の市村正親さんは、いろいろアドバイスをくれました。「こうしろ」 というのではなくて、「こうやってみたらどうかな」 という言い方で。市村さんはご自身も毎日少しずつ演技を変えておられたので、それに合わせて自分も演技をどう変えていこうかと、とても勉強になりました。母親ゴールデ役の鳳蘭(おおとり・らん)さんは、じつはわたしの母が宝塚時代に舞台で相手役をしたかたで、そのかたと舞台をご一緒できるのはご縁を感じました。わたしもいつの日かゴールデ役をやらせていただくのではないか。そのときは、パーチック役が市村さんの息子さんだったりして。≫そのあとの11月の帝劇 「レ・ミゼラブル」 は、公演期間後半に11回、エポニーヌ役を演じましたが ――≪エポニーヌ役は、わたしも2003年から繰り返し演じていて、演じるたびに進歩があるのが当然だと思いますし、そう思われてもいる。今回はあまり練習ができないまま11回の出演で、毎回がものすごいプレッシャーでした。演じるごとにテーマを決めているのですが、今回はエポニーヌが生きたであろう姿を自分なりに改めて考えました。演技を重ねるにつれて加わったものを剥ぎ取って、2003年にジョン・ケアードさんに指導いただいた演技にもういちど立ち返ってみました。化粧は、ファンデーションもやめて、ほとんど すっぴんで舞台に立ったのですが、2千人の人たちの前で女子がすっぴんで出るのは、とっても勇気が要ることなんです。化粧した顔のほうが絶対きれいだし。≫≪来年また 「レ・ミゼラブル」 があり、ジョン・ケアードさんも再来日し演出するそうなので、舞台もいろいろ変化があるはずです。わたしも、次はどんなテーマをもって演技をしようかと考えているところです。≫今年4月の 「ガイズ&ドールズ」 から 「私が鐘(ベル)なら」 を明るく歌ったあとは、「ピーターパン」 のお宝映像。10代の笹本玲奈さんのピーターパンでした。古田新太さん演じるフック船長から、平成14年に149回目のピーターパンで迎えた千穐楽での笹本さんの凛々しい舞台挨拶の姿まで。そして、ことし7月19日に8年ぶりに150回目のピーターパンからスタートした再演。≪8年前の演技はまだまだ心残りな点があったので、今回この歳で再演の機会をもらえてラッキーでした。今回は思い残すことのない演技ができました。前回より重い7キロのハーネス (舞台で飛行するための吊り上げ安全ベルト・金具一式) をつけて、走って跳ねて歌って飛んでだったので、とくに第1幕はほとんど過呼吸状態で苦しかった。この歳でやっておいて、ほんとうによかった。アメリカでは48歳でピーターパンをやった俳優さんがいたそうなので、それじゃぁ わたしも48歳までやりたい、なんて思いますけど、実際はそういうわけには。今回は高畑充希(たかはた・みつき)ちゃんとのダブルキャストでしたが、充希ちゃんは楽屋でも皆んなから引っ張りだこで愛されてましたね。その充希ちゃんも、やがては次のピーターパン役にバトンタッチしていくわけですよね。≫*イベント後半は、恒例のジャンケン福引に替えて、テーブル対抗のクイズタイム。「笹本玲奈がコンビニで必ず買うものは?」 というクイズがありましたね。ぼくは 「アイスクリーム」 だと思ったのですが、テーブルの女性陣の意見で 「チョコレート」 と回答したところ、正解は 「ファッション雑誌」 でした。そう聞けば洋雑誌を送ってあげたくなりますが、まぁ、雑誌は買うのが楽しいんですよね。会場のスクリーンでは、小6でデビューしたときの 『フォーカス』 誌の写真記事の紹介も。「キムタクと じゃんけんするのが夢」 というタイトルでした。そのときはホリプロの計らいで木村拓哉さんの色紙をもらったのだそうですが、いまだにじゃんけんはできずにいるのだそうで。え!? 藝能界ってそんなに互いに会えないものなのでしょうか……。たしかに木村拓哉さんと笹本玲奈さんではジャンルが違うので、なかなか鉢合わせることがないのですねぇ。締めは、ピーターパンのナンバーから 「アイム フライング」 と 「ネバーランド」。「もうほんとうに、ひとまえで歌うのはこれが最後になると思います」と言いながら。「ネバーランド」 には万感がこもっていて、聞きながら何度も電気が走ってしまいました。以上、イベントのほんのさわりだけ、ご紹介しました。笹本さん、来年ジョン・ケアードさんが来たときカジュアルな会話ができるところまで、英語を勉強しようね!かなうことなら、勉強のコツの伝授だけでも指導講師をしてさしあげたいですが。「ミー&マイガール」 の英文シナリオを教材にしたいけど…、ちょっとむずかしいかな。
Aug 15, 2010
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渋谷の映画館でこの映画を見て、後悔した。 もっと早く見て、もっと早くブログでご紹介すればよかったのに、と。 36年前の昭和49年に、当時のカネで5億円超をかけて制作され、前売り券70万枚が売れた。公開直前にソ連の抗議に屈して上映中止が決まり、北海道と九州で2週間だけ上映された、幻の映画。 昭和20年8月に、終戦日のはずの15日以降も無差別殺傷を繰り広げながら樺太を南下するソ連軍がもたらした日本人の悲劇を描く。 クライマックスは、樺太西岸の真岡(まおか)郵便局勤務の若い女性電話交換手9名の、8月20日の集団自決に至る、よく知られたあの出来事だ。 平成20年8月に、日本テレビが新たにテレビドラマを制作放映している。「霧の火~樺太・真岡郵便局に散った九人の乙女たち」。 わたしは見ていないが、日テレのドラマ放映によって南樺太・真岡の悲劇はあらためて国民の常識となった、はずだ。Wikipedia によれば、視聴率は 11.7%だったという。■ 散逸し、平成16年に見つかったフィルム ■ 昭和49年の映画のほうは、お蔵入りのまま、いつしか散逸した。 36年前に映画の助監督をつとめた新城 卓(しんじょう・たく)さんが、平成16年になってフィルムの存在を偶然に知り、公開に向けて動いた。 新城さんによれば≪153分と109分の2つのヴァージョンがありますが、今回上映する上映素材は、数少ない残されたプリントのなかからテレシネをして再編集をした119分ものです。多くのプリントが散逸し、保存状態も最良とはいえませんが、この日本の閉塞した状況の中で公開することに大きな意味を感じております。≫ 自決を選んだ乙女たちの定めは悲しいが、無差別殺傷で撃たれ、あるいは逃避行に耐えられず、何らの意義を与えられることなく絶命するひとびとの姿はいたましい。 この悲劇にロシアからの反省・謝罪を確保することなく、韓国・北朝鮮へ反省・謝罪の再表明をすることが、いかにバランスを欠くものであるかを痛切に思い知らされる。■ 丹波哲郎さん、南田洋子さん ■ キャストのうちには丹波哲郎さんもいて、沈着にして熱い鈴木参謀長を演じている。 南田洋子さんは、日ソ国境ちかくの町から赤ん坊を背負い小学生ふたりの手を引いて南へ南へと歩く母、安川房枝を演じる。 谷川で逃避行の渇きをいやす人々をソ連機の機銃掃射が襲い、敵機が去ると小学生の子供ふたりは水辺で血を流して死んでいる。 引き揚げ船の出る町にようやくたどり着いた安川房枝と赤ん坊だが、市街に乱入したソ連兵の銃に撃たれる。「あなた……、せっかくここまでたどり着いたのに……」と、虚空の夫に言い残して絶命する房枝。あとには、赤ん坊が幼い手で宙をかきながら泣きつづける。■ 日本軍の最後の奮戦 ■ この悲劇は南樺太どまりだったが、日本軍の最後の奮戦がなければソ連軍は怒濤のように北海道になだれ込み、北海道で同じことが起きていたのは間違いない。 北千島最北端の占守島(しゅむしゅとう)では日本陸軍の戦車部隊がソ連軍に善戦し、局地戦では勝利を収めた。 南樺太でも、熊笹峠の戦いで日本軍は激闘してソ連軍の南下を阻止した。 これら日本軍の防衛戦によってソ連は北海道侵攻を断念し、北海道民の逃避行の悲劇は起こらなかった。 当時もしも日本国憲法第9条第2項のごとき無抵抗主義をふりかざしたら、日本領内の北海道でいかに巨大な悲劇が起きていたことか、映画 「氷雪の門」 を見ると思い知れる。 その意味では、「9条」教の信者らにいちばん見てほしい映画だ。 といっても、おおかたの信者らは この映画を見ても「だから戦争はいけないんです」と目をくりくりと輝かすだけ、だろうか。 わたしは、「9条」教信者らの 「戦争反対」 姿勢の妙な明るさ、能天気さが堪えられない。 戦争反対とは、現実の矛盾を直視した苦渋に満ちたものでなければならない。*「樺太1945年夏 氷雪の門」 は、東京の 「シアターN渋谷」 で上映中。 受付で聞いたら、「少なくとも8月20日までは必ず上映します。それ以降も上映が続くとは思いますが、1日じゅうの上映ではなく、回によっては他の映画を上映することになるかもしれません」とのことだった。シアターN渋谷 電話 03-5489-2592渋谷区桜丘町24-4 東武富士ビル2階 小さな映画館。平日の夜6時半からの回に行ったら、満席に近い入りだった。 『祖國と青年』誌によれば、おって北海道、新潟、神奈川、愛知、京都、大阪、沖縄の道府県でも上映があるそうだ。* 映画館で売られていた本をご紹介しておきます。わたしは、これから読むところです。川嶋康男 著 『永訣の朝 樺太に散った九名の逓信乙女』 (河出文庫、平成20年刊) 定価: 720円+税 この本は、地道な取材を重ねたノンフィクション。 いっぽう、日本テレビのドラマは、テレビドラマなりの演出も入っているとのことです。■◆ 再録 ◆■ 産経新聞、平成22年6月15日の文化面に、この映画の紹介記事が掲載されています。ここに再録します。≪南樺太の悲劇「氷雪の門」36年ぶりの劇場公開「この映画は歴史の証人」“幻の映画”と呼ばれる 「樺太1945年夏 氷雪の門」 (脚本・国弘威雄(たけお)、監督・村山三男) が、36年の年月を経て、全国で順次公開される。太平洋戦争末期に、ソ連が日本領だった南樺太 (サハリン) に侵攻し、自決を強いられた真岡郵便局の女性電話交換手9人の悲劇を描いた物語。昭和49年の公開直前、ソ連側の抗議によって公開中止になった。助監督を務めた映画監督の新城卓さんは 「この映画は歴史の証人」 と訴える。同作は、北海道で新聞記者をしていた金子俊男さんの 『樺太一九四五年夏・樺太終戦記録』 (講談社) が原作。南田洋子さんや丹波哲郎さんらが出演し、戦闘場面の撮影では陸上自衛隊が協力した。製作実行予算が5億円を超えた超大作映画として話題を呼んだ。だが、公開直前に配給元の東宝が上映中止を決定。「反ソ映画は困る」 という駐日ソ連大使館の抗議や、東宝が進めていたソ連との合作映画 「モスクワわが愛」 への配慮があったとされる。結局、北海道と九州で2週間だけ上映された。1945年夏、太平洋戦争は終末を迎えようとしていた。樺太には緊張の中にも平和な時間が流れていた。ところが8月9日、ソ連軍は日ソ中立条約を一方的に破棄し、南樺太に侵攻。終戦後も戦闘は拡大していった。そして8月20日、真岡の沿岸にソ連艦隊が現れ、艦砲射撃を開始。電話交換手の女性たちは職務への使命感や故郷 (自分が生まれ育った樺太) への思いから、職場を離れることはなかった。ソ連兵がいよいよ郵便局に近づいた。路上の親子が銃火を浴びた。「皆さん、これが最後です。さようなら、さようなら」。この通信を最後に、9人は服毒死を選ぶ。配給会社 「太秦(うずまさ)」 の小林三四郎社長は「同作は日の目をみないまま月日が流れ、多くの関係者が亡くなった。樺太の街のセットを作り上げた美術監督の木村威夫(たけお)さんと上映を目指したが、木村さんも3月に亡くなった。さまざまな思いが詰まった作品」と話す。新城さんも「表現の自由が約束された社会であるはずなのに、この映画には自由がなかった。日本というのはどういう国なんだろう、と悔しかった。政治的意図はなく、史実を伝えたいだけ。ザ・コーヴの上映中止や普天間問題などを考えるきっかけにもなるのでは」と話している。7月17日からシアターN渋谷で。全国各地の劇場でも順次公開する。≫
Aug 15, 2010
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朗読やひとり芝居を、自己充足=自己満足のための格好(かっこ)つけの場にしたら、誰の心も揺さぶれない。そう知らされた。鴻上尚史(こうかみ・しょうじ)さんの 『俳優になりたいあなたへ』 (ちくまプリマー新書) を読んで、貴重なことを教えられた。第2回の読書イベント (平成20年11月15日) のとき、吉屋信子 『鬼火』 を朗読したのだが、期待したほどウケなかった。自分ではウマく読んだつもりでいたが、ある参加者からは「なんかこう、恥ずかしがって読んでいるみたいというか、はにかみの幕ができてしまっているというか。自分をぱっとさらしていないんだなぁ。じつは、声もよく聞こえなかったし」と言われた。自己満足を求めて格好をつけていたことを、見透かされた。鴻上尚史さんは言う。≪いろんなメディアに共通した俳優の仕事はね、一口で言うと、「作家の言葉を、観客や視聴者に伝えること」 なんだ。とにかく、作者の言葉をそのメディアの受け手に届けるってことだね。伝えるものは 「俳優自身」 じゃなくて、「作者の言葉」 なんだ。≫≪「作者の言葉」 を効果的に伝えるために、俳優は、「役」 を演じるんだ。つまり、「役」を演じるとは、「俳優自身」 を見せることじゃなくて、「作者の言葉」 をちゃんと伝えることなんだ。≫ (37~38ページ)≪演じることは、自分の一番恥ずかしい部分、隠したい部分をさらけ出すことなんだ。君は、心を許した人の前でしか見せない表情、動き、喋り方を、大勢の人の前で見せないといけない。それは、とても恥ずかしいことだし、傷つくことだ。≫≪普通の人なら、大勢の観客やテレビカメラの前では、思わず気取ってしまう、守ってしまう、かっこつけてしまう。でも、そうなれば、観客は敏感に感じる。「あ、この人、心を許したふりをして、じつは心のシャッターを下ろして会話している」と分かる。観客にそう見抜かれたら、君がどんなに誠実なセリフを語っても、観客は感動しない。≫≪心の扉を閉じないで、解放された精神状態のままでおこなうんだ。つまり、俳優は、率先して、深く傷つくことが必要な職業なんだ。≫ (118~119ページ)人物の性格を台本から抽出して役づくりするとともに、全員が一緒になって走っていく目標としてのテーマを抽出する。≪「若さは素晴らしい」 が 「テーマ」 なら、このセリフは熱っぽく語られる。負けるもんかっという匂いを入れてもいいだろう。「若さはもろい」 なら、このセリフは、どこか神経質でこわれ物の匂いを漂わせた語り方になるだろう。やがて死の予感に怯えていてもいい。だから、「テーマ」 が違うと、セリフの言い方が微妙に変わるんだ。≫ (141~142ページ)演技が、たくさんの可能性を繰り出し、そこから選びとるものであることも知らされた。≪感じたままに言うのは、演技じゃないんだ。それは、癖なんだ。癖は、どんな風に言おうかという表現を考えてないんだ。君が演技の天才ならそれでいい。天才じゃないなら、どの言い方がベストなんだろうって探す必要がある。だから、プロの俳優は、「ああ、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの?」というセリフを、何十通りでもいえないといけないんだ。それも、本心からね。≫≪自分の癖を自分の演技だと思っている人は多い。そういう人は、残念ながら、いつも同じ言い方になる。癖だからね。そして、観客から飽きられていく。≫ (147~148ページ)自分の 「気」 をうまく発散させるための契機として、「じゃまをするもの」 を見つけ出し、あるいは 「じゃまをするもの」 を演技者が想定・設定して、それを克服してゆくんだというノリを演技の原動力にするのがいいようだ。(これは、鴻上尚史さんの言っていることを、泉ふうに言い直してみたもの。)≪いい台本には、「じゃまするもの」 がちゃんと書いてある。水準の低い台本には、書いてない場合がある。その場合は、台本に矛盾しない範囲で、君が一番納得して、一番ドキドキする 「じゃまするもの」 を君が決めるんだ。≫ (148ページ)俳優になりたい動機。これを、ぼくの場合は、朗読あるいは一人芝居をする動機と言い換えてみよう。動機は、何だろう。鴻上尚史さんの思いのなかのひとつの理想は、「いろんなお話が好きで、いろんなキャラクターになって、いろんな人の人生を経験したい」という動機。≪それを見る観客は、いろんな人の人生を、客席にいながら体験できるんだ。素敵なことじゃないか。≫ (163ページ)素敵な時間の共有をよろこびあえるところまで、いきたいな。
Aug 10, 2010
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日韓併合100年にあたって、首相談話の発表を画策している勢力がある。 仙谷由人官房長官がその筆頭格らしい。 昨晩、夢のなかで喧嘩した。泉 「仙谷さん、琉球処分についての首相談話は出さないのですか」仙 「何でそんなものが必要なのか」泉 「琉球処分というのは、半独立国の琉球王国を廃して、沖縄県として日本国に組み入れた、明治5年から12年までの政治の動きですね。 日韓併合について首相談話で反省や謝罪をするつもりなら、琉球処分についても反省・謝罪をしてもらいたい」仙 「なるほど、沖縄への謝罪はこういう点でも不十分だったわけだ」泉 「琉球処分が完了して沖縄県が設けられるのが明治12年、1879年です。 2014年が、琉球処分135周年にあたります。それに向けて準備を進めましょう。 まずは、琉球王朝の子孫一同へ、日本国首相がひざまずいて謝罪をするところから始めましょう」仙 「王族への謝罪は、進歩派の端くれとして受け入れがたい。しかし、天皇を琉球王家の子孫にひざまずかせれるなら、それも悪くないな…。 う~ん。 民衆の富の収奪とか、ことばを奪ったとか、そういうことを反省・謝罪することでいきたい」泉 「琉球王国を滅ぼし、民衆から琉球語を奪ったことを謝罪する、ということでよろしいでしょうか」仙 「けっこうでしょう」■なりすまし沖縄人を排除せよ■泉 「これから忙しくなりますね。 琉球王国を滅ぼしたことを謝罪するからには、沖縄県を琉球共和国ないし琉球王国として再び独立させなければなりません。 そういう行動が伴わない謝罪は偽善です。 琉球軍も創設しなければならないし、日琉安保条約や米琉安保条約も調印せねばなりません」仙 「謝罪や反省は、単なる形式上のことですよ。カネをばらまいて済むことだけ、やればいいのです」泉 「琉球語を奪ったことを謝罪しますか」仙 「せざるを得んだろう。謝罪するだけならタダだ」泉 「謝罪するからには、琉球語の復活への具体的行動が必要です。 政府予算でNHKに琉球語チャンネルを作りましょう。 沖縄県の公文書は日本語と琉球語の2言語で作成することにしてもらいましょう。 カネさえあれば、できるのです。 琉球語の口語・文語を確立するための10年計画を立て、日本語を琉球語に翻訳するスタッフを大量に養成して、日本政府の補助金で雇用するのです」仙 「失業対策の一環で名案かもしれませんな」泉 「沖縄人の尊厳をふみにじっている日本人集団を、沖縄県から締め出すことも重要です。米軍基地反対運動をリードしているのは、沖縄県人になりすました本土の運動家連中ではありませんか。 そういう人たちを排除することから、沖縄の独立が始まるのです」仙 「(突然切れて、セリフが聞き取れない)」■ チベット、新疆ウイグル… ■ 日韓併合を反省・謝罪するくらいなら、チベットや新疆ウイグル(東トルキスタン)を早く独立させるよう中国政府に要求せよ! 夢のなかで仙谷氏に会ったとき、そう言ってやろうと決意した。 ところが、夢のなかでは脳と口が思うように働かず、話題は沖縄に終始してしまった次第だ。 日清戦争で日本が負けていたら、朝鮮はその数年後に清国に併合され朝鮮省になり、今も中華民国朝鮮省のままだろう。 半島が完璧に漢人および なりすまし漢人の天下となって、山間部に朝鮮族自治区が点在していることだろう。 日露戦争で日本が負けていたら、朝鮮は即座にロシア領となり、ソ連成立によりコレア社会主義共和国となり、ソ連の解体によってコレア共和国としてようやく独立していただろう。 ロシア語ペラペラのコレア人として、今も大学教育はロシア語で行われていることだろう。
Aug 9, 2010
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親の年金をかすめ取るために葬式もあげずに生存を偽装し、それが見つかると 「部屋に入ったまま出て来ない」 とか 「行方不明だ」 などと、いけしゃぁしゃぁと言ってのけるとは、こいつら日本人か!? と、脳内で叫び声がした。いずれの国にも詐欺者は、たんといる。日本にこういう詐欺があって、なんの不思議もない。それなのに脳が 「こいつら日本人か!?」 と叫びをあげたのは、典型的 「日本人」 のあり方としてぼくが無意識に農村の住人を想定しているからだろう。農村の相互扶助・相互監視のイメージのなかでは、この種の 「偽装生存」 詐欺は起こりえなかったし、だからこれまでの日本の行政から見れば 「想定外」 なわけだ。ことの成り行きを見て、妙なところで日本健在(?)ぶりを感じたのは、「偽装生存」 詐欺のことを一向に犯罪扱いせず、詐欺者たちのおとぼけに大真面目で付き合う (フリをする) 日本社会だ。やがて犯罪と立証されるだろうし、そういうなった途端にニュースの扱い方も手のひらを返したように変わるだろう。最終的には行政通達が出されて、年金受領者の生存確認を制度化するところまで行ってもらわないと、ぼくの気持ちも収まらない。*あぁ、日本だなぁ、と感じたもうひとつの事例は、天皇陛下から横綱白鵬へのお祝いと励ましの伝え方だ。これが米国大統領であれば、大統領直筆の署名入りの手紙が横綱個人宛に発出されるだろう。だが、日本で天皇陛下の御名入りの手紙が個人宛に出されるものではない。だから、書簡の発出者は宮内庁であり、その宛先は日本相撲協会となった。組織から組織あてだ。白鵬関は、書簡のコピーを受け取った。かたちを守りつつ、こころは確実に伝えられた。『北國新聞』 コラム 「時鐘」 平成22年8月4日 ≪千秋楽の悔し涙が報われたことになる。快挙を達成した横綱白鵬に、天皇陛下がお祝いと励ましの書簡を届けられた。異例のご配慮だという。3場所連続全勝優勝は史上初である。47連勝という歴代3位の記録も達成した。が、野球賭博問題で、取組は生中継されなかったし、天皇賜杯授与も自粛された。無念の涙を流した横綱に、陛下は心を寄せられた。白鵬が抜いた横綱大鵬の連勝記録は、「誤審」 で止まったとされている。土俵際の微妙な攻防が黒星と判定された。周囲は同情したが、大鵬は「横綱が物言いのつく相撲をとってはだめだ」と自分を責めた。そんな横綱の姿を、白鵬は手本にする。土俵の外の騒ぎに目を奪われて、相撲ファンは孤軍奮闘する横綱の志をどれだけ知ろうとしたのだろうか。陛下のご書簡は、そんなことも問い掛ける。場所前も場所中も、親方や力士が謝罪した。が、涙を流して出直しを誓った人は、何人いたのだろうか。不祥事のたび、深々と頭を下げる光景を見慣れて久しい。空々しい陳謝に鼻白むことも増えた。だからこそ、本物の悔し涙にまで、鈍感ではいたくない。≫
Aug 5, 2010
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民主党が当人らの思いに反して 「傲慢」 を批判される要因はいろいろあるが、自公政権下で決まった制度を何が何でもいじろうと、いじることを自己目的化しているのが露骨なのも一因だ。辺野古の新たな基地の滑走路の位置を何としても自公政権案と違えようとしているのもそうだが、厚生労働省の分野でも 「後期高齢者医療制度」 を形だけ いじろうとしている。じつは 「後期高齢者医療制度」 にはわたしはさっぱり関心がなくて、これまた 『北國新聞』 に教えてもらった。『北國新聞』 社説 平成22年8月1日≪高齢者医療 現行制度の方がましでは 後期高齢者医療制度に代わる新たな医療制度について、厚生労働省の改革会議がまとめた中間報告案は、議論が生煮えで新制度の良さがさっぱり見えてこない。現行制度は7月、金沢市で約2千人分の保険料額決定通知書に誤りが見つかるなど多少の混乱は残るものの、既に2年以上が経過し、定着し始めている。わざわざ手間暇かけて新制度に移行する必要があるのか、疑問に思えてくる。衆参ねじれのなかで、野党との協議も必要になることを考えれば、現行制度を手直しする程度にとどめてはどうか。 新制度が導入されると、75歳以上の約1,400万人のうち、退職者や自営業者ら約1,200万人が国民健康保険 (国保) に加入し、残る2割の会社員やその扶養家族らは健康保険組合などの被用者保険に移る。確かに、これなら年齢によって保険証が変わることはないだろうが、年齢区分の解消は単に形だけに過ぎない。 国保では、高齢者の収支は別勘定となり、運営は現行制度と同じく、都道府県単位である。税金と現役世代の支援で9割、本人1割の負担割合も現行制度と同じだ。高齢者や現役世代の負担が急に増えることのないよう、公費投入をうたってはいるが、財源については一切触れられていない。 後期高齢者医療制度は導入当時、評判が悪かった。75歳になると、それまで入っていた保険から抜け、対象者だけの保険に強制加入させられるため 「姥捨て山」 と言われ、「後期」 という呼称についても高齢者への配慮がないとたたかれた。当時の自公政権に対し、民主党などの野党が攻撃の材料に使った側面は否めない。 こんな経緯もあって、民主党はマニフェスト (政権公約) に後期高齢者医療制度の廃止を掲げたが、年齢による区分をなくすためだけに、わざわざ制度を変える必要があるとは思えない。報告案を見る限り、現行制度より優れている点があるとは思えず、無理に移行しても混乱を招くだけではないか。ここはメンツにこだわらず、現行制度を検証・再評価し、問題点を洗い出した方がよい。≫メンツにこだわる柄か、ということである。
Aug 1, 2010
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