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こんなことばがあった。≪感情生活には、喜怒哀楽といった大ざっぱな分類にはあてはまらない、曖昧模糊とした部分がいっぱいあります。その曖昧模糊とした部分に、三十一文字という定型の詩のかたちをとった言葉をあたえてやるのです。≫ (19ページ)岡井 隆 著 『今はじめる人のための短歌入門』 (角川選書、昭和63年刊)≪はじめから結句のわかっている歌など、だれが詠むでしょう。初句にはじまって、第二句、第三句と進んでいくうちに、予想外の言葉があらわれてくる。そのたのしみにこそ、短歌のすべてがあります。≫ (57ページ)≪今までの人生の上で、あるいは最近の体験のなかで、いま思っても苦しいほどに特殊な状況をえらんで、くりかえし、その時の感情をおもいおこしつつ、歌ってみるのがいいのです。≫ (149ページ)≪「近代短歌史」 の常識は、これは、作歌経験がある段階に達したときには、必須課目であります。初級の短歌という言葉を、もし使うとすれば、初級の短歌の最終講義は、この「近代短歌史」であります。≫ (168ページ)本書はもと角川選書で出ていたが、昨平成23年に角川ソフィア文庫から再刊された。
Apr 30, 2012
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勤務先の今年の新入社員には、在日中国・台湾人 (=本書でいう 「島国チャイニーズ」 ) が 「全体のウン・パーセント」 といえるくらい多かった。日本国籍をとり日本名を名乗っている人たちを入れると、その数はさらに多い。(具体的な人数は、社秘にあたろうから書かない。)日本社会における在日中国・台湾人の比率に比べれば、突出しているといってもよい。日教組におもねる文部科学省が、日本の原住民らに 「手抜き教育」 (=通称・ゆとり教育) 政策を実施した成果がみごとに表れた、のかどうか。(手抜き教育政策に影響をうけて没落したのは、日本社会の 「中」 以下のひとたちであって、「上」 に属する層は関係なかったろうというのが、ぼくの希望的推測なのだけど。)野村 進 著 『島国チャイニーズ』 (講談社、平成23年刊)だからといってぼくに反感や危機感があるかというと、そうではない。中国側の利益を追求するスパイが混じっているかもしれない、などと言い出したらキリがない。そんなことを言い出したら、北京や上海の事務所の職員を全員、日本人で固めねばならない。いまどき心から共産党に通じるひとがどれほどいるのか。共産党への反発がひときわ強い人々こそ、在日中国・台湾人のなかにいるはずだし。それより何より、わが社を選んでくれた在日中国・台湾人諸氏にも個々人の才能を遺憾なく発揮できるような職場であるよう心をくだくのがぼくの役回りというものだ。中国や台湾で教育を受けていれば、「国家のない非武装の世界がいちばん幸せだ」 みたいな気持ちのわるい日教組思考とは無縁であるに違いない。ぼくにとっては、よっぽど話が通じる人たちだ。*『島国チャイニーズ』 はイキのいい本。読んでよかった。劇団四季の中国人俳優や、芥川賞作家・楊逸(よう・いつ)さんのことを深掘りしたルポは、もっとも 「明」 の部分。山形県などの農村に嫁いだ中国人妻にまつわる、「そんなはずでは」 の積み重なりと、それを少しずつ克服する人たちの話が、どちらかといえば 「暗」 の部分だろうか。池袋の駅北口周辺がチャイナタウンと化していく過程と内実の描写には納得感があった。池袋は旧満洲 (黒龍江省・吉林省・遼寧省) 出身者、蒲田は福建省出身者、大宮は上海出身者の街という棲み分けが生まれているという。王貞治さんの出身についての記述があった。≪王の父は台湾出身と一般の日本人には思われているが、そうではない。中国浙江省青田県の寒村の生まれである。大正末に来日し、終生中華民国の国籍を変えず、子息の王もそれに倣ったため、中華民国、すなわち現在の台湾の出身と誤解されているのである。≫ (215ページ)ほかでも言われていることだけど、商売の継続についての考え方の対比も、具体的な数字が興味深い。≪中国本土でも海外でも、同じ商売の「継続」にチャイニーズは日本人のようには重きを置かない。たとえば水商売で成功したら、その店を売り払って、社会的なステータスのより高い別の商売に移るのは、彼らのあいだでは常識である。それがひいては、200年以上継続している会社が日本には3千社もあるのに、中国には9社しかない現実に結びつく。なにも中国だけではなく、日本以外のアジアではこれが当たり前で、200年以上継続する会社は、インドにはたった3社あるだけで、韓国を含む朝鮮半島には1社もない。≫ (253ページ)もうひとつ興味深い数字が、在日中国・台湾人の知識人の数。≪日本の大学で博士号をとり、その後も日本に残って就職している中国・台湾出身者は、すでに3千人を超えているという。そのうち、日本の大学で教授や准教授などになっている者は、2,600人にのぼる。これは、『現代中国人の日本留学』 などの著書がある日本僑報社の段躍中編集長があげた数字で、なんと世界中から留学生が集まるアメリカよりも多いのだそうである。≫ (51ページ) 意外なところで日本は開かれた社会であるということだろうか。
Apr 30, 2012
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ぼくが大学生のころ (昭和50年代後半)、「経済学は何で役に立たないのか」「さんざん捏ねくり回した挙句、人間社会の分析がからきし出来ない経済学」といったことが盛んに言われていた。マルクス経済学の終焉の時期にあたったこともある。しかしそれ以上に深刻だったのは、近代経済学が壁にぶち当たっていたことだ。近代経済学は、homo economicus の存在を前提とした。人間というのが完全に合理的で、世界のすべてのことに通じていて、自分の利益追求を最優先する存在だという、実に嘘っぽい仮定をもとに組み上げられた結果、嘘っぽい答えしか得られなくなっていた。筒井義郎・山根承子(しょうこ)著 『図解雑学 行動経済学』 (ナツメ社、平成24年刊)人間って何なの? 心理学と経済学を結合させたのが行動経済学らしい。ぼくが大学生のころ、この分野の授業はなかった。行動経済学の創始者といわれる Daniel Kahneman が一世を劃した Science 誌上の論文発表が昭和49年。人間行動が、論理的な推論にもとづくより、あてずっぽう(=heuristic)によるところが大きいという、そりゃそうだろと思えるような内容だそうで、これが当時の経済学界では劃期的だった。ぼくが中学3年生のころだね。そのあとカーネマン氏がプロスペクト理論を発表するのが昭和54年、ぼくが大学2年生のころ。そういう新しい思潮だったから、大学の授業に反映されなかったわけですね。物珍しさで手にとってみた入門書だけど、わかりやすかった。これはもっと深く学んだほうがいいなと思った。*幸福のパラドックスの話が、腑に落ちた。≪主観的幸福感を高めることが人生の目標であると考えると、…(中略)…生活において、他人と比較しないものや、簡単には順応しないような (=他人が同じ土俵に上がってこれないような) 事柄に重点を置くことが重要です。たとえば、豪華な家や車といった物質的な豊かさは目に触れやすく、自分の家と他人の家を比較して相対的に評価する傾向があるでしょう。一方、読書や家庭生活の調和などは他人にはわかりにくいので、これらについてはその絶対水準が幸福感を増大させる傾向が強いでしょう。≫ (194ページ)ぼくが会社の人事の滑った転んだに無関心であろうとし、自分の得意分野・関心対象にのめり込むのをよしとし、より多くのひとに発信できることを夢見てきたのも、これに符合する。
Apr 30, 2012
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この1篇の爆発的おもしろさを皆さまと分かち合いたくて、井筒 周(いづつ・めぐる)さんの配信 「ボストン読本」 最新号を転載します。 こんなに深ぁ~い爆笑は、久しぶりでした。◆■◆ ヒップホップダンスの勘違い ◆■◆ 今月から中学校の体育の授業で 「ダンス」 が必修になって、ヒップホップダンスを教える学校があるという記事が日本の新聞に載っているのを読んで、私はぶったまげた。 しかも「学校でヒップホップダンスなんか教えるのはけしからん」という話ではなくて「学校もかっこよくなってきた」「子供たちも大喜び」みたいな話になっているので、ますます、のけぞった。 この驚きをどうたとえるか。 もし、アメリカの中学校で、どじょうすくい (安来節) を教えているとしたら、日本人なら、かなり驚くだろうけれど、まあ、それに似た驚きと言ったらいいかな。■ 不良の文化 ■ 日本の踊りのなかで、どじょうすくいが非常に特殊なものであり、またたいていの現代日本人にとっては 「宴会藝」 という意味合いが付着しているのと同様に、 ヒップホップも非常に特殊で、しかも強烈な意味がある。 ヒップホップというのは、アメリカが発祥の地だが、アメリカで、学校でヒップホップダンスを教えるなんてことはありえない。 よしんば、ヘンな先生がヒップホップを教えたとしたら、生徒の両親は怒り出すだろうし、生徒も「ぜったいにイヤだ」と反発するだろう。 なぜかというと、ヒップホップは 「不良の文化」 だからだ。 都市の中心部の貧しい不良たち、しかも主に黒人が作り出したものだからだ。 ヒップホップ音楽であるラップは、暴力的や性的な言葉に満ちている。こういうものは学校で教えるものではないし、反体制・反権力のものだから先生から教わるものでもないのだ。 ヒップホップを先生から教わったら、もうそれはヒップホップでなくなってしまう。■ 意味を悟らず、形式だけ学んだ ■ だから日本でヒップホップダンスを教えるな、と言いたいのではない。 べつに外国で不良がやっていることだからといって、日本の学校で両家の子女がそれを学んで悪いことはない。 日本には日本の文化の文脈がある。 そうではなくて、私が思ったのは、「なるほど、外国の文化というものは、そのものが持つ意味が剥奪されて、形だけが伝播するのだなあ」ということだ。 日本は古くから中国や西洋からいろんなことを学んできた。 でも、ちょうどヒップホップが 「不良」 という意味を剥奪されてそのダンスの形式だけが伝わったのと同じように、仏教や民主主義、近代科学など外国から伝わったもののなかにも、意味が剥奪されて伝わったのも多いのではないかと、思わずにはいられなかった。■ 外国文化の勘違い ■ だからどうしたと言われれば、それだけのことだ。 だが、日本のヒップホップとアメリカのヒップホップが全然意味が違うのと同様に、きっと日本が受容した外国文化には本場のものとは全然意味が違うものも、ものすごく多いのだろうと想像してみたのだ。「勘違い」 といえば意地悪かもしれないが、もしかしたら、日本の文化の相当部分が、外国文化の 「勘違い」 から成り立っているのではないかと思って、自分の立っている場所が何か頼りなく感じられたのであった。== 泉コメント: 勘違いできるのも、受容する側にそれなりに文化の蓄積があるから美しい誤解をしてしまうわけですな。 受容する側がまったくの白紙だったら、勘違いの余地もないわけですが。 逆に言えば、受容する側がそれなりの文化・文明をもっているなら、外国文化の受容にもそれなりの意識をもって取り組まないと、ピエロになっちゃうということですね。 では井筒さんの本篇に戻ります ――== 体育のダンスといえば私の子供のころは 「フォークダンス」 というものがあった。 オクラホマミキサーとか、マイム・マイムとかを覚えている。 あれはアメリカからの輸入品、おそらく戦後の連合国軍総司令部 (GHQ) 経由で入ってきたものだろうが、「フォークダンス」 なるものをアメリカ人がやっているのを見たことがない。 あれは、いったい何なのだろう。■ 革命的気分 ■ いまにして思うと、フォークダンスという、まあ、あれほどアホらしいものをよくやらされたものだと思う。やはり戦争に負けるというのはつらい。 しかしながら、フォークダンスには、ただ一点、男の子にとってはものすごく嬉しい点がある。 それは、「女の子の手を握れる」 ということだ。 握手やハグの習慣のない日本で、女の子の手を握ったり、肩に腕をかけることができるというのは、なんという革命的なできごとだろうか。 とくに、オクラホマミキサーなんかは、次から次に相手を変えて女の子の手を握り放題、肩にも腕をかけられるし、乱交状態だ。 わははは、気分はカサノバかドン・ファン、時代が下ってヒュー・ヘフナー (Playboy 誌の発刊者) なのだ。 ただし、あと二人か三人で好きな××さんと踊れるという時に、音楽が止んでダンスが終わってしまったときほど、人生の不条理を感じるときはないけれど。■ ふふふふ、いまどきは… ■ 自分の経験を考えると、35歳でアメリカに来てから、男女かわまず握手をするようになったが、それまでに生まれてからの35年間で私が手を握ったことのある女の数といえば、さぁてまぁ百人はいるだろうかね。 百人斬りだな。 しかしながら、その内訳を見ると、フォークダンスで小・中学校時代に手を握った女の子がそのうちの90人以上を占めるだろう。 そう考えると、フォークダンスは偉い。 あるいは私が情けないのか。 ヒップホップダンスのほうがカッコいいかもしれないが、ヒップホップなら女の子の手は握れないのではないかな。 ふふふふ、いまどきの小・中学生の男子は気の毒だな。◆ メールマガジン 「ボストン読本」 の無料購読申込みはこちらのアドレスからどうぞ:http://www.geocities.jp/bostondokuhon/
Apr 24, 2012
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The New York Times の記事を読んでいたら、「やはりこんな構文も許されるのだな」 という発見に遭遇した。In January, Forbes magazine named Riverside the hardest city in the country in which to find a job.「1月にフォーブズ誌はリヴァーサイド市のことを、米国じゅうでもっとも雇用先を見つけにくい市(まち)と見なした」4月13日付 NYT の Jennifer Medina 記者の記事 “In California, Economic Gap of East vs. West” (カリフォルニアで、東と西の経済ギャップ)から。この文の the hardest city だけを取り出すと、変な表現だ。「最も難しい市(まち)」 って、何?ほんらい hardest だけでは city の形容詞にはなりにくい。上の表現のベースとなるのは、こういう文だ:It is hard to find a job in the city.「仕事をその市で見つけるのは難しい」最上級にしてIt is the hardest to find a job in the city.「仕事をその市で見つけるのは最も難しい」the hardest city in which to find a job「(数ある市のなかでも)仕事を見つけるのが最も難しい市」“in which + to 不定詞” という構文に注目だ。これをちょっと変えてthe city in which it is the hardest to find a jobこれだと「(他のことに比べて) 仕事を見つけるのが最も難しい市」という意味にもなりそうだ。
Apr 20, 2012
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フランス領のアルザス地方は、アルザス語がドイツ語の一系統だということは一目見ればわかるし、建物もドイツのスタイルで、どう見てもドイツ固有の領土だ。フランスが勝ち、フランス領になっている。コルシカ島も同じで、コルシカ語がイタリア語の一系統だということも明白だし、ほんらいイタリア固有の領土だ。フランスが勝ち、フランス領になっている。さんざん血を流した末、蒸し返すのをやめたのが欧州諸国だ。表面は静かだけれどそれは、蒸し返さたら本気で怒るぞという強い決意を、諸国が共有しているからだ。*尖閣諸島については、日本と中国の外交当局のあいだに、公然の密約があるはずだ。(1) 日本人は尖閣諸島に立ち入らず、自衛隊も駐留させない。(2) 中国人は尖閣諸島に立ち入らず、中国共産党軍も駐留させない。(3) 領土の帰属は、本気で議論することは避ける。(4) 以上の代償として中国はxxxxxxxすること (ないしxxxxxxxしないこと)。日本の外交当局がラクをしたいがために、日本側が百歩しりぞいた密約が結ばれているにちがいない。そう考えないと、尖閣諸島についての日本政府の異常な弱気さが説明できない。自国領なのに、自国人が上陸することを取り締まる日本政府。密約なしにはありえないことだ。密約の相手方は中国政府当局だが、中国はいまや公然の二重権力の軍国主義国家で、政府のコントロールがきかない共産党軍が経済利権にまで踏み込んで勝手に行動する。共産党軍が密約を破るたびに、中国外交当局はああだこうだと言い訳をしてきたろうが、日本側がものわかりのよすぎるお人よしなものだから、中国外交当局すらいまや密約を守る必要がないと考えるに至ったというのが、今日の状況だ。密約を洗い落して、常識あるパワーポリティクスの世界に引き戻すことが、国家間の関係を成熟させることになる。密約は、日米間にだけ存在するのではない。
Apr 19, 2012
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松山の木彫人形師、西川南雲(なうん)先生に、日本橋三越本店本館5階 「J・スピリッツ」 コーナーで再会しました。「伊予一刀彫 皐月人形展」きょう4月17日まで作品約20点を展示しています。その後も若干のお人形さんは5月1日まで展示です。こちらが今年の売れ筋。皐月(さつき)人形のオールスターキャストということで人気があるそうです。いろいろなところで売れたものを合わせると、150セットを超える注文があった由。新生 皐月組 (小)こちらは、吹流しのモダンな感覚が気に入りました。わたしの一押し。平成23年の新作だったそうです。悠颯 鯉のぼり南雲工房の人形のご注文は、こちらのサイトで!http://www.naun.co.jp/top.shtml
Apr 17, 2012
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芝居好きが、舞台裏や楽屋のようすを書いたものを読む感覚。ぼくの心を奪う現代アート展の数々が、こういう営みによって支えられていたのかと。難波祐子(さちこ) 『現代美術キュレーターという仕事』 (青弓社、平成24年刊)ぼくも現代アートはもともと好きだったのだけど、意識的に美術館や画廊をがんがん回りだしたのは3年ほど前からだ。この本を読むと、昭和60年代から (=つまりぼくが会社勤務をはじめた頃から) 美術界が大きく変わりはじめたこと、そしてもちろんその萌芽は昭和20年代からあったことなど、興味深い。ぼくが参加しそこねた同時代史のよう。でも最後のほうは、ぼくに近しい同時代史だ。本の最後に収められた、著者・難波祐子さんと中原祐介さんの洒脱な対談を読むと、中原さんがこんなことを言っている。≪学藝員があまり展覧会を見ないんだよ。だから企画展をやるにしてもね、そう簡単にできない。例えば、ときどき東京の展覧会を見にきたりしているのはいるけれど、全国の公立美術館の学藝員がちょっと遠いところでやっている展覧会まで頻繁に見ていない。そうすると、自分のなかにある美術館の仕事の知識が広がらない。企画展のときはちょっと貧しくなるんだよね。だからもし学藝員に企画展をやらせろ、となると、美術館の仕事をすっぽかして、どんどん展覧会を見にいくことを僕は勧めたい。≫なんでこのくだりに反応してしまったかというと、ぼくが画廊めぐりをしていても、画廊オーナーないしギャラリストに対して同じことを感じることがあるからだ。画廊の仕事をしているのに、すぐ近くでやっている個展のことすら知らないことがざらにあるわけです。本業を別にもって昼休みや退勤後にあちこち回っているぼくからすると、「本業で画廊やってるひとが、画廊めぐりを楽しめなくてどうするの?」みたいなことを考えてしまうわけですね。その例外ということですぐ思い浮かぶのが、Oギャラリーの大野博子さんで、昼休みに銀座界隈の画廊を自転車で巡っておられるのにすれ違ったことも何度か。あと、銀座 Gallery フォレストの森 弘彦さん。このかたは、若い才能の発掘のために卒展・修了展なども丹念に見てまわっておられて、それがあの、週替わりで2人の若手作家に個展を開かせるエネルギーになっているわけですね。
Apr 14, 2012
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国債と税収とインフレの関係について、日経のコラム 「大機小機」 (平成24年3月22日) が分かりやすく解説していた。≪政府が国債発行で財政赤字を賄った場合は、返済のために元利金の合計に見合う税収を得る必要がある。≫これは出発点。税収の代わりに紙幣をどんどん刷っちゃえばいい、というひとがいるが……≪紙幣の発行で赤字を賄った場合は、税収でその紙幣を回収する必要がある。≫通貨増発論者のなかには、このポイントを語らないひとがいて困る。木の葉のおカネで経済を元気にしてもいいのだけど、木の葉は木の葉だから化けの皮が剥がれないうちに回収する必要がある。政府が回収する方法は、税収しかない。≪回収しなければ紙幣の増発に見合う分だけ将来のインフレ要因になり、物価上昇が紙幣の価値を引き下げることで税金を払うことになる。≫そうなんです。世の中に魔法はないのだから。木の葉のおカネを回収しないということは、木の葉のおカネを認知したことになるわけで、「なぁんだ、木の葉のおカネが混じっているのか」とばかり、貨幣価値が下がり、物価が上がる。じゃぁ、おまえはどうすればいいと思ってるんだ? という問いに答えましょう。(1) つみあがった国債に見合う税収を新たに得ることは、もはや不可能。日本の経済は成熟期に来ていて、新興国のような経済成長はありえないのだから、国債の積み上がりを解消するような税収増はもはや見込めない。(2) とすれば、通貨を増発するしかない。これに賛成。年3%のインフレをターゲットにして通貨の増発を行うべきだ。上の2つの論点に賛成か反対か、全国会議員に聞いてみたいんだな。そういうことを新聞はやらなきゃいけないんだよ。政局記事には飽き飽きしてるんだ。
Apr 10, 2012
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再会も出会いもあったし、はじめて浮世絵を買ったし、はじめて中国人アーティストの写真作品を買ったし、収穫の多いアートフェアだった。(アートフェア東京2012は、3月30日~4月1日の3日間、東京国際フォーラム 地下2階展示ホールで開催。)3月30日と31日に行った。買い物は4点、都合16万8千円でした。◆ 渓斎英泉 「春野薄雪(はるのうすゆき) (鶯宿梅おうしゅくばい)」 @ 角匠(すみしょう) (cent mil enoj)たいそう思い切った構図の春画。ぼくの尺度からいえば、とてもいいテイスト。よくありがちな春画は、むくむくした男根がびらびらした女陰と接する誇張に満ちた図なのだけど、この 「春野薄雪 (鶯宿梅)」 は女性のからだの描き方がナチュラルで、モダンな感じがした。浮世絵は、これまで展覧会やカタログで相当の数を見てきたおかげで、自分のなかに判断基準ができていたので、今回スイッチが入るとほぼ即決してしまった。文政5年(1822年)の作とあった。ところが浮世絵そのものにはどこにも発行年は書かれていない。「文政5年だと、どうやってわかったのでしょうか」角匠の角田日出男さんが、親切に解説してくれた。『春野薄雪』 というのは、じつは数枚の浮世絵版画を収めた艶本で、画廊としても1冊そのまま販売できれば望ましいのだけれど、それではあまりに高価すぎて買い手がつかない。そこで書籍を解体し、なかの浮世絵版画を1枚1枚バラで売ることとし、そのなかの 「鶯宿梅」 を今回ぼくが買ったというわけ。艶本の奥付を見せてくださった。たしかに文政5年とあった。◆ 王慶松 “Follow Me” @ Ullens Center for Contemporary Art (kvindek mil enoj)写真作品。インクジェットプリンターで刷った200枚限定 (86/200)、作家署名入り。巨大な黒板。英文字、漢字、白墨の消し跡。猥雑。作家自身が講師に扮し教壇に坐って教鞭を振りかざしている。気合。愛嬌。気迫。作品のパワーに引き込まれていたら、係の女性が英語で話しかけてきた。北京の画廊なのである。こちらから中国語に切り替えた。今回の展示でどの作品が好きかと聞くので、この “Follow Me” を指さしたら、「綺麗でもないこの作品を選ぶとは、いいセンスです」と、親指を立ててほめてくれる。セールス・トークだけどね。「アートフェアの主催者が来て、やはりこの作品を買いたいと言っていた」という一言もくすぐる。あとで調べたら、“Follow Me” は けっこう有名な写真作品だった。心が傾き、額縁は要らないな…と思いはじめたとき「額縁の代わりに、作品を入れるホルダー付きの販売なら、お値引きできます」と電卓で価格を見せてくれたところで、陥落。ほんとは多少は価格交渉の余地があったのだろう、「サービスです」といって、本をくれた。これがまた、お宝だった。“China Talks: Interviews With 32 Contemporary Artists by Jerome Sans” (Timezone 8 社、平成21年刊)32人の中国の現代アート作家のインタビューを収めた図録で、インタビューをした Jerome Sans 氏は Ullens Center for Contemporary Art のオーナーだ。たしかにこの展示ブースの中国人アート作品はみな魅力的で、Jerome Sans 氏の目利き力を感じた。ぼくに声をかけてくれたギャラリーの女性、慕金鵬さんは気のいいひとで、それから1時間余り経ってブースの近くを通りかかったら、駆け寄ってきて作品 “Follow Me” を印刷した絵葉書をくれた。「探したら、あったので。よろこぶと思って」と。◆ 生井 巌(なまい・いわお) ドローイング 「他人の顔」 + 「拾いある記」 @ えすぱす ミラボオ (ok mil enoj)ブースに、ペン画満載の白地の文庫判日記が置いてあった。たくさんの貼りこみで ぶ厚くなり、天地と小口を焼いてある。見覚えがあった。「それって、非売品ですよね?」 と思わず聞いた。まぁ、値段がつけられないだろう。見覚えがあったのは正解で、いぜん湯島の羽黒洞さんでも展示されていたのである。絵葉書大のペン画を200枚余り収めた葉書ホルダーをめくるうち、欲しくなってきた。ぼくのスイッチを入れたのは、顔面だけが遊離してこちらを向いている横向き男のペン画。安部公房の 『他人の顔』 を連想させる作品。「売っていただけますか」 と聞いたら、「作家を呼んできます」 という。ほどなく来られた昭和16年生まれの生井さんの笑顔には、いろんな思いや出来事で洗われた純粋さを感じた。元気のかたまりのようなひとだ。販売を快諾してくれた。「ドローイングにお題をつけてください」 と頼んだが、無題とのこと。ぼくが勝手に自分だけの作品呼称として 「他人の顔」 と名付けた。生井さんは、「おまけをあげましょう」 と言って非売品のお宝もくださった。回数券切符のホルダーに畳みいれた紙を広げると、道で拾った錆びた部材の写生だ。題して 「拾いある記、繁栄を支えた愛しき物達」。◆ 益村千鶴(ますむら・ちづる) neutron artist prints collector’s box @ neutron Tokyo (dek mil enoj)細密写実。ときに、写実のピースを再構成してシュールな作品にも仕上げる。とにかく丁寧だ。作家の益村さん、それからギャラリストの森家由起(もりや・ゆき)さんとお話しするうち、油画作品を葉書大に縮小したジクレープリント4枚セット (Edition number: 7/20) を買うことにした。作品名は、“Blind” “Esperanza” “Viburnum” “Interlacing” とある。(esperanza はスペイン語で「希望」、viburnum は植物名で「ガマズミ」。)neutron tokyo さんでは、ちょうど3月に多田さやかさん (東北藝工大在学中) に裸婦画を注文して描いてもらったところだった (作品名 “Rise”; dudek mil enoj)。*ギャラリストの皆さんとのお話も楽しい。とりわけ Gallery Suchi の須知吾朗さん、靖山画廊の佐甲朋子さん。Bambinart Gallery の米山 馨(よねやま・けい)さんは、記帳したぼくの名を見て、「facebook やブログを見てますよ」 と声をかけてくださった。万画廊の伊藤 愛さん。名古屋の画廊さんなので滅多に会えないひとだが、驚いたことに画廊じたいが4月に銀座に移転してくるという。Welcome to Tokyo!アーティストとの出会いで一番のびっくりは、近藤智美(さとみ)さん。VOCA展で作品を見、冊子で写真を見て、いちど会ってみたいと思っていたら、なんと Art Lab TOKYO のブースで受付嬢をしてらっしゃった。それから、注目のアーティストは KAMIYA ART に出品していた中里善恵(なかざと・よしえ)さん。墨で描いた動物画は、南画ふうでも宋画ふうでもなく、ゴヤの作品を想起した。昭和57年生まれ、東京藝大油画卒。絵もいいけど、小柄なご本人もお美しい。東京藝大の卒業・修了展で作品をみて注目した佐藤草太さんにも、新生堂さんのブースでお会いできた。大正時代からワープしてきたような雰囲気のひとだ。アートフェアの各ブースの批評をしていたら endless なので、今年はこれくらいで。
Apr 3, 2012
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鎌倉時代以降の日本は、太平洋岸が時代を追うごとに繁栄し、日本海側がかすんでいる。(表日本、裏日本という用語がかつてあったが、いまではタブー語になった。)太平洋岸のほうが温暖だしドカ雪も降らないし、繁栄して当然という気はするが、古代日本はそうではなかった。出雲や畿内の文明は太平洋岸から遠い。静岡県の古代文明といえば、日本史には登呂遺跡が単発で登場するが、そのあとは今川氏の登場まで静岡県は静かだ。あれだけ住みやすそうなところなのに。高知県だって宮崎県だって、暖かくて住みやすそうで、古代人がぽこぽこ子供を産んで人口が増えそうなものだが…。データの裏付けのない妄想ですが、かつて太平洋側に古代文明が栄えていたのが、巨大な津波で押し流されてしまったのではないか。静岡県から宮崎県にかけて太平洋岸沖にのびる南海トラフ (ユーラシアプレートの下にフィリピン海プレートが潜り込んでひずみをため込む場所) が大地震と大津波を起こしたら、浜岡原発あたりに21メートルの津波、高知県黒潮町で34.4メートルの津波が想定されると、3月31日に内閣府の有識者検討会が発表した。そういう衝撃的な大津波が古代文明を押し流したら、立ち直りは難しい。救援物資なんて、来ないんだから。生き残った人たちも、「たたりだ」 とか 「また来年も大波が来るかもしれない」 とか思って、移住するだろう。太平洋側は人のまばらな場所になる。暖かくて、魚も捕れて、住みやすいはずなのに。神武天皇の東征は、日向(ひゅうが)の地が津波に遭ったので避難のため移住した古代の記憶の反映かもしれない。以上、ぜんぶ根拠はありません。でも仮説としては 「あり」 でしょ。
Apr 3, 2012
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