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自衛隊の英文名は Self-Defense Forces である。防衛が defense と米国式綴りになっている。英国式は defence である。わたしはいつも defence と綴ってきたので、改めて Self-Defense Forces の綴りを見て、昭和20年代の出発の哀感を感じた。「自衛隊」という名称は、「自衛隊法」で定められているから、国会の議決を経て法律を変えないと改名できない。しかし、Self-Defense Forces を National Defense Forces (ないし National Defence Forces) に変更するのは、おそらく省令でできるはずだ。自衛隊の英訳名は国会の議決を要する 「法律」 で定められてはいまい。自衛隊を国防軍に改名するのは、国会での (おそらくは途轍もなく不毛な) 議論と決議が必要となる。ところが、Self-Defense Forces を National Defense Forces に変えるのは、行政府の権限で、すなわち首相の意思でもって可能なはずである。安倍政権が成立したら、まずは自衛隊の英文名を変更してはどうか。中国と韓国が1週間くらい騒ぐだろうが、そして朝日新聞などが1ヶ月くらい騒ぐだろうが、そしてワイドショーのコメント人らが「名刺や看板の掛けかえの費用がもったいない」などと最後っ屁をひるだろうが、けっきょく改名によって何も悪影響はない (当然だが!) ということが事実でもって証明される。それからおもむろに、自衛隊法の改正にとりかかればよい。
Nov 28, 2012
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メールマガジンで配信したコラムです。無料メールマガジンの登録は http://archive.mag2.com/0000063858/index.html でどうぞ! ぎりぎり今日まで店頭に並んでいる 『週刊文春』 11月29日号の中国小特集は、わたしのコメントが3ヶ所で使われている。 155ページ4段目にある、中国進出したフォルクスワーゲンの逸話は、ぽろっと話した内容に記者が飛びついたもの。「1980年代の話だから、ネタが古すぎ。ぼくが編集長なら却下だよ」と、原稿の段階で赤信号を出したのだけどねぇ。 158ページ1段目の、ピジョン社の中国進出についてのコメントも、寝言で言えるような凡庸。質問されたから一般論を言ったまで。 同じページの2段目のコメントが唯一まともなもので、そのくだりだけご紹介すると≪前出の泉氏によれば、中国のスーパーや百貨店は日本の経営手法を吸収している段階だという。「十年以内に、日本のノウハウを学んだ純中国系のスーパーなどが、日本系小売企業を駆逐しますよ。中国側はつねに官民一体です」 ≫■ 教訓を生かして ■ 週刊文春には、10月4日号にもコメントを使ってもらったが、そのときだいぶ懲りた。 週末に喫茶店で2時間も話したのに、記者がまとめたのはアクビが出そうな文章で、怒ったわたしは差し替え原稿を書いて、そちらを使ってもらった。 再度取材申し込みがあった今回はその教訓を生かし、自分がしゃべりそうなことを文章にまとめて記者へ送り、そのあと電話で補足した。 ところが記者が使うのは、電話でチョロッと喋った下らないコメントのほう。毎度、がっくりである。 読者諸賢には、週刊文春にそのまま掲載されても良いつもりで書いて送った、わたしの一文をご紹介しよう。◆◆◆ 中国市場の将来 ◆◆◆中国が目指しているのは、日本みたいに国産ブランドで市場をおおいつくす国です。日本みたいに、自動車はほとんどが国産ブランド、家電品も国産ブランド、化粧品も国産、そこにわずかに贅沢品やニッチな商品としての輸入ブランドがある、という景色。東南アジア諸国がそれを望んでも、ムリ。しかし、中国や韓国は、それができる国なのです。産業がひととおり揃っていて、勤勉実直な労働者がいますから。◆ 前例あり ◆発電プラントや製鉄プラントも、中国は1980年代までは輸入プラントをかなり採用していました。しかし、1990年代後半からは日本からこれらのプラント輸出はほぼ皆無。中国国内のメーカーがかなり高度なものまで自分で作っています。日本メーカーの商機は、大型タービンの軸となるローター材のように技術的に中国で作れない基幹部材や、高炉ガスを利用する特殊なガスタービンのようなニッチな商品に限定されています。日本の重電機業界側もそういう状態を当然のこととして受け止めているから、今さら「中国へ発電プラントが売れなくなって困っている」などと言う企業はありません。話題にならないから一般の日本人はそのことを知らない。しかし、そういうことが、これから次々にいろんな市場分野で起こってくるのだという割り切りが必要です。そうならないと考えるとしたら、それこそ中国人をバカにしています。◆ 中国企業の席捲は現在進行形 ◆すでにケータイは、中国企業が中国市場を席捲(せっけん)していますね。基幹部品が依然として日本製だとしても。検索エンジン関連ビジネスも、中国共産党が Google を追い出しにかかっていて、中国企業の独擅場(どくせんじょう)になるのは目に見えています。家電品もパソコンも、中国ブランドが強い。中国政府は国産品販売支援策を、おりおり繰り広げますから、海外ブランドは太刀打ちできません。合弁企業の製品が売れて国富の一部が流出するより、純国内企業の製品が売れたほうが、中国経済にとってはメリットがある。だから、中国側が官民一体で動いて、海外ブランドは粛々と駆逐されていきます。◆ 日本車も駆逐される ◆いわゆる日本車が、不買運動の対象になっていますね。日本から輸出した車のみならず、中国の合弁工場でつくった中国製の日本ブランド車まで不買の対象になっている。「一時的な落ち込みだ」と楽観論を言うひとがいますが、わたしはそうは思いません。中国ブランドの中国車で一般大衆市場をおおいつくそうというのが、中国政府の長期的な考え方です。日本や韓国の風景を思い返せば、中国政府がそう考えることのほうが自然です。もちろん、ベンツやレクサスはニッチな商品として残るでしょうが。◆ 日系のスーパーや百貨店は ◆日本系のスーパーマーケットや百貨店が今回、狼藉(ろうぜき)の対象になりました。これもひとつの前兆と読むべきです。いま中国は、スーパーマーケットや百貨店、コンビニチェーンなどの経営ノウハウを日本から吸収している段階です。10年経たないうちに、純中国企業のスーパーや百貨店、コンビニが、地元政府の絶大な支援を受けて日本系を駆逐するでしょう。それは何の不思議でもありません。皆さんの周りに、カルフールやウォールマートはありますか? 日本系企業が競争を寄せ付けなかったから、外国系の流通店舗はほとんどありませんね。中国では中国企業が、中国政府の支援を受けつつ日本系企業を駆逐するのです。日本系の合弁企業が育てた中国の人材が、それら中国企業の幹部として高給で抜擢されるでしょう。◆ 5年でキャッシュを回収せよ ◆わたしは、中国へ投資をするなとは言いません。儲かるなら、やればいいのです。しかし、5年以内で投下したキャッシュが返ってくるようなものに限ることです。10年、20年のスパンで投資するのは、危険なことだと思います。「キャッシュ」 ということをあえて強調したのは理由があります。たとえば日産自動車は、中国市場で合弁工場生産の日産ブランド車を売って高収益を上げていますが、これはあくまで帳簿上の連結収益なのです。キャッシュ (現金) を配当金として日本へ還流させることによる収益ではありません。キャッシュ自体は中国国内で再投資され、資産としてどんどん積み上がっているわけですが、さて日産はキャッシュをいつ日本へ引いてくるのでしょう。気がついたら中国企業との戦いに敗れ、赤字撤退で資産をそっくり中国に置いていった、というようなことにならねばよいですが。老婆心ですがね。◆◆*◆◆ 日本の百貨店が中国企業によって駆逐されると、いくら言ってもピンとこないかな。 こう言えば、わかってもらえるだろうか。 平和堂が「和平堂」になる日、と。 平和堂が一生懸命育てた人材が、中国共産党幹部の息のかかった中国企業に高給で根こそぎ引き抜かれる日。 平和堂が新規出店をしようとしても、許認可が下りない日。 平和 (peace) は、中国語では “和平 (ホーピン) ”。 「和平堂」 へと、看板が掛けかえられる日だ。
Nov 27, 2012
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「東の大観、西の栖鳳」 と竹内栖鳳(せいほう)が称されたのは、絵の実力 (ひとびとを納得させる描写力と多様性) に加えて、後進をよく育てたことによるのだろう。あちらこちらで、1点2点と拝見してきたが、まとまった形で栖鳳の画界にひたったのは初めてで、深い感動に包まれた。明治34年の六曲一双 「虎・獅子図」。左隻の獅子図を、平成23年6月17日にサントリー美術館 「不滅のシンボル 鳳凰と獅子」 展で見ていたが、今回再会してあらためてこの110年前の作品の滴りおちるような新しさに打たれた。栖鳳の制作の文脈のなかで見ることで、獅子を活写した筆致の際立ちが感得できた。淡彩画というジャンルもある。単色ならば薄墨であろうが、それを彩色画で表現する。「緑池」 は、肩から上だけ水面にのぞかせて浮く蛙の、水面下のからだの描きが絶品だ。中国江南風景は描きつくされているが、それでもなお 「城外風薫」 は、さまざまなモチーフを散在させる巧みなセンスが光って、飽きない。2羽の濡れ烏と楊柳を迫力ある筆致で描いた 「驟雨一過」。解説を聞くと、栖鳳の “省筆(しょうひつ)” の真骨頂があるという。≪日本画は省筆を尚(たうと)ぶが、充分に写生をして置かずに描くと、どうしても筆数が多くなる。写生さへ十分にしてあれば、いるものといらぬものとの見分けがつくので、安心して不要な無駄を棄てることができる。≫ 「栖鳳語録」 『国画』 2巻9号 (昭和17年)作品紹介の録音は、栖鳳のことばを京のアクセントで読んでいた。正しい京都ことばで読まれていたのか、よくわからない。(山種美術館で、きょう11月25日まで)
Nov 25, 2012
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ルイス・キャロルの 『不思議の国のアリス』 を忠実にミュージカル化した舞台とばかり思っていたら、なんとこの芝居のアリスは子持ちの離婚妻で、反抗しまくる娘クロエの失踪を追いかけて不思議の迷宮に迷い込む。 あわてウサギが冒頭に出てくるけど、幕が開いたらニューヨークの編集室で小説家アリスが編集者に絞られているんだものね。 「アリス」を現代化したというよりも、「アリス」 のモチーフをつまみ食いした、悩める現代人の自己発見のお芝居だ。 そうそうたる役者さんを起用している割には、とくに第1幕はファミリーミュージカルっぽい。 子供向けの芝居だと勘違いしてホントに子供を連れてきた親は、勤労感謝の日の青山劇場には皆無だったけど、もし仮に子供が客席にいても騒がずに観ていてくれるかな、という感じ。 これが逆にぼくにはたいそう物足りなかった。こどもこどもしすぎて、観ていて気恥ずかしくなる場面も少なくない。正直、かなり失望した。 ところが、あわてウサギを演じていた田代万里生(まりお)さんが、ルイス・キャロルに扮して登場する第2幕なかばあたりから、俄然よくなった。 反抗をやめていい子になった娘の無気力・無意思の姿を見せつけられ、これまでひたすら娘を従わせようとしてきた攻撃的な自分の誤りに気がつき愕然とする母アリス。 アリスに朗々と語りかける田代キャロルの歌にしびれた。 つまづき、ころび、打たれながら、自分を再発見し、家族を再発見するアリス。現代人への切実なメッセージが伝わってきた。* 安蘭けいさんと、悪役の帽子屋を演じる濱田めぐみさんが、歌の出番はいちばん多かったかな。 主役は安蘭けいさんだけど、舞台を率いていたのは濱田めぐみさんだったな。 娘クロエを演じる高畑充希(みつき)さんや、離婚夫ジャックを演じる石川 禅(ぜん)さんは、主役を張れる実力にもかかわらず歌らしい歌は1曲だけで、なんとももったいない。 渡辺美里さんが女王さま役で第1幕・第2幕ともごく短時間のご登場。その分、存分に声量を披露して、実力を見せつけた。 きょうは安蘭けいさんと高畑充希さんのアフタートークがあった。高畑さんが、のっけから関西辯なのでびっくり。これに安蘭さんも関西辯で応じる。 司会は、もちろん、指揮者の塩田明弘さんでした。(青山劇場で、12月7日まで)
Nov 23, 2012
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2015~2019年の未来予測に≪世界情勢 (中国)5~6の国家に分裂、「連邦共和国制」 へ移行≫とある。それができる国柄じゃないから、苦労してるんだけどね。日本の未来はというと、同じく2015~2019年に≪価値観・トレンド副業を持つサラリーマンが6割を超える≫だって! おいおい、中国やロシアじゃないよ。毎年、わたしの職場に日経BPコンサルティング社から 「未来予測シリーズ」という高価な出版物のカタログが送られてくる。引用は、そのカタログの一節だ。「全産業編」 が31万5千円 (税込)。わたしに関係するであろうエネルギー編は21万円だ。まぁ、これを個人で買うひとはいないだろうが、いいものなら会社は買う。どういう需要があるかというとね、大企業の役員のうちでもおべっかで偉くなったような連中は、現実と切り結ぶ戦いをやってないから、10年先、20年先のことが予測できると考えちゃうんだな。「2020年の絵姿を描け」みたいな指示を平気で下してくるわけさ。そういうナンセンスな指示に対しておべっかで答えるためのアンチョコ資料として使うわけ。「出所: 日経BP社」 と注記ができるしね。「10年後に成人する日本人の数は?」という予測なら、ほぼ狂いなく答えが出るだろうが、ビジネスの現場レベルでは半年後の予測ですら外れまくっている。それでも3年後の予測であれば、プロジェクトのタネはそこそこ見えているから、現場なりの数字や絵姿は描ける。5年後の予測となると、もう、どうでもいい予測だ。まして10年後の予測なんて、意味がない。むしろ、なまじっかそんな予測を立てて、現実を色眼鏡で見たり、無益な投資につながる思い込みに走るほうが恐ろしい。*2015~2019年の未来予測に≪世界情勢 (中国)5~6の国家に分裂、「連邦共和国制」 へ移行≫かね。この一文を見て、「未来予測レポート」 購入は却下だな。中国統治の適正規模は、たしかにこの未来予測レポートのとおりで、台湾の独立は当然として、内モンゴルやチベットや東トルキスタンも独立すべきだし、残りの中国本部も 「広東省」 「揚子江以南」 「揚子江以北」 に分けるのが正解だ。(それをやると、揚子江の洪水対策がもめるなぁ…。)しかし独裁専制政権は、観念上の 「全領土」 を統治しているのだということに権威の源泉を求めざるを得ないから、国家分裂はタブーだ。チベットや台湾の独立を阻止しようと異常なまでに興奮するのは、そのためだ。中国の国家規模の適正化以前に、民主的な国政選挙が実施されなければならない。権力の権威が選挙によってもたらされ、秦の始皇帝以来の 「全領土統治」 をもって権威の証しとする必要がなくなってはじめて、国家分裂が実現する。そういう、ものの順序というものに考え至らず、面白半分に2015~2019年の未来予測に≪世界情勢 (中国)5~6の国家に分裂、「連邦共和国制」 へ移行≫と書く日経BPの軽佻浮薄。わたしは大きなバッテンをつける。
Nov 21, 2012
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岩波書店が出した歴史書ということで、警戒心をもって読みだした本書だが、なんのなんの、みごとな名著だった。知識人にとっては、司馬遼太郎の幕末小説なんぞより百倍おもしろい。『幕末維新変革史・上』 宮地正人 著 (岩波書店、平成24年刊)航海術の発達で欧米列強がひたひたと東アジアに押し寄せはじめるところから、阿片戦争の情報を日本の知識層がどのように得てどう考えていたか、漂流民帰国が世界知識をどのようにもたらしたかなど、たんなる無知蒙昧の徒ではなかった当時の日本人を描くことにはじまる。おなじく幕府といい、水戸藩といい、薩摩藩といっても、内部の構造的対立は複雑だ。一筋縄ではいかない現実の複雑さを、当時のさまざまな公文書や書信からの抜粋で示す。世の中って、そういうふうに動くよね、という納得感をくれる本だ。安政の大獄から薩英戦争、下関戦争、長州征伐、孝明天皇による条約勅許で上巻は終わっている。下巻は戊辰戦争から西南戦争、自由民権思想の萌芽を語るという。早く読みたい!*≪百姓身分の者は苗字を有していても公式には使用できず≫ (33ページ) という記述に、あぁ、そういうことだったのかと、そういう端々の知が、またよろしい。≪幕末維新期を理解する上で「躓きの石」となっている日本人の思考パターンは、すべてのことがらをイデオロギー的に判断しようとすることである。「攘夷主義者だったのに変り身が早かった」とか、「攘夷主義者だったのに、その思想が深くなかったから変身できた」とか、この説明のやり方が現在でも平然と通用している。著者は一貫してこのような説明の仕方に反対してきた。≫ (126ページ) という著者・宮地正人さんの言は、けっしてハッタリではない。当時の日本人の情動への愛がある。第一次長州征伐のとき攻める側の総督府参謀だった西郷隆盛が、いかに長州の急進派と直接に対話し、理解し、説得したか。そしてそれを通じて長州側と薩摩側の心情関係が急速に変化したことの記述 (433ページ) も興味深い。薩長同盟の淵源が、ここにあったということだ。
Nov 18, 2012
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「TPP参加」 と 「TPP交渉への参加」 の違いがよく分かっていないひとがいる。「自分はTPP参加に賛成だ」 などと、ぼくはけっして言わない。TPP交渉への参加には、賛成である。交渉は、すればいいのである。交渉決裂で、まさか米国は東京大空襲を決行するつもりはあるまいよ。世の中には、「TPP参加に反対」 という論者と 「TPP交渉への参加に賛成」 という論者のふたつがあるわけだけど、選挙で票が取りやすいのは 「TPP参加に反対」 のほうだ。反対論は一見、現状維持だ。だから一刀両断の10秒で言える。賛成論は、あくまで長い目で見た現状維持だ。TPP交渉参加には得失があるから、それを説明するのには30秒かかる。目先の票を見て国を滅ぼす小沢一郎は 「TPP参加に反対」 という。選挙民はバカだ (と政治家は考える。じつは政治家の説明の仕方がヘタだ) から、30秒のメッセージに付き合わない。だから結局、政策論は脇に置いて、「ひと」 や 「前科」 で選んでください、ということになるんだけどね。政権を失うことが見えているから、捨て鉢になって票が取りやすい 「TPP参加反対」 を掲げてもいい民主党なのに、あえて 「TPP交渉への参加に賛成」 と掲げさせた野田佳彦総理は、偉かった。選挙の争点から外れることで、TPP交渉への参加はチーチーパッパの議論を脱して、実行へ向かう。消費税率引き上げと同様、TPP交渉への参加がようやく見えてきた。
Nov 18, 2012
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10月末に、ある一流ジャーナリスト宅にお邪魔して歓談した。 話が野田佳彦総理のことになり、わたしから「野田さんも、消費税率引上げを決めたところで潔く早期に解散しておれば、将来があったのに。選挙でどうせ民主党は崩壊状態になるが、野田さんなら、見識と年齢からいってもう一度、なんらかの形で国政の枢要なポジションにつけるひとだった。ところが輿石東の言いなりになるところを国民に見せつけ、仲間の落選を憂えて解散を先延ばしにし、挙句は田中慶秋に田中眞紀子でガタガタになり、これで将来をなくしましたね。次があるひとだったのに、この2ヶ月でフイにした」と論評したら、まったく同意見であると賛同を得て、これはうれしかった。■ みな感謝のタイミング ■ 「次につないだ野田佳彦氏」 と今回タイトルをつけたが、もちろん民主党政権を次につないだわけではない。 野田氏個人の政治生命を解散への決断で次につないだわけで、野田総理のこの判断は正しい。最後のチャンス。危ないところだった。 20年待った政界再編のガラガラポンのスイッチを押した、のかもしれない。 民主党が今後数ヶ月の間に立ち直れる材料はないから、じつは解散を遅らせれば遅らせるほど民主党議員の当選者数は、減る。 ブウ垂れている民主党議員らこそ、じつは感謝すべき年内解散だろう。 橋下徹氏の、化けの皮とまでは言わないが、金メッキが剥げたタイミング、というのもいい。■ 不作で名は残らない ■ 嘘つき総理のまま野垂れ死にすることなく、まずは消費税率引上げの実現で日本史に名を残し、自らの将来もつなぐことができた。 鳩山由紀夫、菅直人のふたりも強烈な不作だったが、まぁ、不作のひとというのは10年経てば歴史から消えて、せいぜいが「こんなトンデモ男がいた」とコラムのネタとして残るくらいである。 野田佳彦さんは危ないところで日本史にぶじに名を残すことができた。
Nov 15, 2012
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幼少のころからテレビを見て50年余、これほど嫌いなCMは他にない。「三菱地所を、見に行こう」 という、桜庭(さくらば)ななみさん主演CMだが、シナリオがあまりに不自然で、ひとをバカにしている。たとえばその 「拡がり篇」 (30秒もの) は、こんなふう。若い男と女の喫茶店での会話。女は桜庭ななみさんが演じている。CMはこちらで見られる:http://www.youtube.com/watch?v=DWx0LoihdQo男 「こんどの土曜、どうしてる?」女 (不愛想に) 「三菱地所ッ!」男 「じゃ、日曜は?」女 (嘲笑っぽく) 「三菱地所ッ!」男 「ぼくと三菱地所のどっちが好きなの?」女 「ごめん」男 「え~」<ここから、女がバックグラウンドで歌いだす>♪ だっていつもそばにあるんだから、三菱地所を~ 見に行こ~~ いろんな街へ~ 見に行こ~~ 三菱地所を~ 見に行こ~~<別のナレーションの声>あなたのそばで三菱地所の街づくりが拡がっています<女の歌ふたたび>♪ いろんな街へ~ 見に行こ~~こんな性格不美人、振っちゃえよ!! こんな女に比べれば、どんなドブスでもまだましだ。どこのバカが考えたのだろう、この不自然なシナリオは。このCMが流れ始めると、他のチャンネルに即、切り替える。好感度ゼロ、いや、マイナス無限大だ。もしぼくがマンションや協業先をこれから選ぼうとしていたら、三菱地所は即、候補から外すね。べつに桜庭ななみさんを批判しているわけではない。CM前半の不自然なやりとりのない、歌だけの15秒ものCMはふつうである。親しい (はずの) 友人に、「三菱地所ッ!」 と言い続ける性格不美人を演じさせられた桜庭ななみさんこそ、被害者というべきだ。彼女のマネージャーは、このCMの仕事を蹴るべきだったと思うね。
Nov 13, 2012
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さいきん、やることがことごとく裏目に出ているのが中国だが、フィリピンへの嫌がらせのためにフィリピンバナナの輸入を制限した一件も、ぜひ中国が泣きを見る結末にしてやりたい。南支那海の南沙諸島の領有権をめぐる対立が原因というのが通説だが、大連港や上海港でフィリピンバナナへの検疫を長引かせることでバナナを腐らせる。バナナは売り物にならず、フィリピン業者が損に泣く。といっても、バナナの損失は20億円ていどらしい。そんなことでフィリピン人が「わかりました。南沙諸島はあきらめますから、バナナを輸入してください」と頭を下げるものか。河野洋平や鳩山由紀夫じゃあるまいし。*というわけで、行き場を失ったバナナが日本へ大量に輸出され、バナナの値段が下がっている。そこで、フィリピンバナナを食べる会を結成して、バナナの消費を大いに盛り上げることにした。与党も野党も古傷だらけで、「尖閣諸島ナントカカントカの会」 ではなかなか超党派では集まりにくいが、「フィリピンバナナを食べる会」 だと議員さんも集まりやすいんだよね。議論がギスギスしだすと「まぁまぁ、そう言わずに、バナナをもう1本どうですか」「いやぁ、ダイエットも返上ですな。とにかくフィリピンを応援ですな、ハハハ」もっとも、日本共産党だけは「フィリピンバナナという品種のバナナはありません。あくまでフィリピンのバナナを食べるのですから、会の名前も 『フィリピンのバナナを食べる会』 とすべきです」と主張し、他の政党とは一線を画することにしたらしい。
Nov 11, 2012
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TIME 誌 11月12日号の投稿欄を見ていたら、「ブータンの牧歌的なところだけに目を向けすぎてないか?」 という指摘があった。和訳すると、≪10月22日号の記事 「幸福の追求」 では、ブータンのことを 「おだやかでやさしい生活パターンで有名な、牧歌的仏教王国」 として書いてありますね。バランスを考えて (in the interest of balance)、わたしなりに指摘しておきたいのは、伝統的にブータンの低地に居住してきた主としてヒンズー系の少数民族に対して迫害が行われていること。強制送還や暴力行使が行われ、代々の所有物を補償金もなく没収しています。残った少数者たちは、ブータンの伝統衣装を着させられ、学校で少数民族言語を教えることも禁じられました。牧歌的というには程遠いかも。Michel Bostrom (オーストラリア、アデレード市)≫原住民を迫害し、住みやすいところを奪って住んだ豪州白人に、これを言われたくはないな、というのが最初の感想だった。この短文だけ読むと、ブータン系は悪玉ということになるが、ここで疑問が生じた。・ ここでいうヒンズー系の被迫害者たちは、ブータンの国境画定のあとに入って来た侵入者ではないのか? ・ それとも、ブータンが国境を画定するときに無理をして、ヒンズー系の異民族の領域まで自国領にしてしまったことが悪いのか?・ ヒンズー系の少数民族は、第三国による政治的干渉の先兵として暗躍させられ、あやつり人形の悲哀を味わっただけではないのか?という具合に疑ってかかるところから出発するのは正しいよなと思いつつ、ネット検索してみた。この問題のこと、まったく知らなかったので。Wikipedia の 「ブータン」 の項にも 「南部問題」 という小項目を立てて説明があるが、Wikipedia は活動家が書いていることがあるから、アテにならない。国連UNHCR協会のサイトがあった。「ネパール (ブータン難民)」の項。それによると、≪19世紀後半から20世紀初頭に経済的な理由から、多くの人々がネパールからブータン南部へ移住しました。これらネパール系住民は1958年国籍法に基づきブータン国籍を取得するに至りましたが、低地に住むネパール語を話しヒンズー教徒中心のネパール系の人々と、中高地に住む仏教徒の主流派ブータン人とは、そもそも民族的にも宗教的にも異なります。1980年に導入されたブータン政府の民族主義的政策の結果、ネパール系住民は国籍を失い、90年代初頭に大量のネパール系ブータン人が国を追われることになりました。≫さきのオーストラリア人の投稿では、ブータンの低地にはそもそもヒンズー系の少数民族が住んでいた、という書きぶりだ。しかし、国連UNCHR協会の記述によれば、ヒンズー教徒中心のネパール系の人々がブータンに進入したのは国境画定の後だから、彼らこそ身を慎むべき侵入者ではないか。ネパールは人口2,800万人の大国だ。それに比べてブータンはわずか70万人の小国。ブータン側は相当気合をいれて民族の独自性を守っていかないといけない。「地球市民だよ」 みたいなことを言っていたら、あっという間にネパールに呑み込まれてしまう。ネパールからの侵入者にはお引き取りねがうか同化してもらうかしかない、というのが、正しい政策だと思う。
Nov 9, 2012
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241107 Rail Rule Roots ―レール・ルール・ルーツ― @ イプセンスタジオ (中板橋新生館) 作・演出: 佐川大輔、出演: 中原くれあ、斉藤まりえ、豊田可奈子、佐川大輔(昨年11月の 「空っぽの騎士」 で、あしたのジョーのように燃え、1年のブランクを置いての公演。今回は、脇スジを束にした、オチのない芝居で、ちょっと苦戦。芝居の途中で観客に大きなサイコロを振らせて、その結果に基づいて芝居を進めちゃうという小劇場ならではの基軸があって、だから90分の芝居だけど110分分くらい練習してるよね。)佐川大輔さん、中原くれあさん、初日、観せていただきました。進化の可能性をたっぷり秘めた芝居だと思いました。構成としては、脇スジをひたすら束ねた感じで、ワークショップでこんなことやってるんだなぁ、と思いながら観ていました。人間の時間って、こんなふうに偶然にまかせた選択の重層なんだよ、というメッセージですね。時間的に終わりが近づき、「この劇、どういうオチつけるんだよ?」 と心配になりだしましたが、佐川さんもオチがつけられなかったみたいですね。終わりは無く、始まりの連続があるだけではないでしょうか、という締めは、意表をついていておもしろかったですが、もっと深掘りしてほしかった。中途半端感が残りました。いつもながら、役者さんたちの動きはキレがあって、よく練習してあるのが感じられました。くれあさんのプロの技で救われているところも多分に。最初の男性ふたりの掛け合いは、長すぎて、お笑い芸人の出し物になりかけました。あそこは台本をかなり削ったほうがいいです。あと、カテコはしっかり、やってください。やはり、カテコで拍手して、盛り上がって帰宅するものなのです。カテコのない芝居は、クリープを入れない珈琲ですよン。まぁ、今回は観客のコメントもかなり辛かったと思いますが、わたしもやはり、以前からの路線を追求してほしいなと思います。オリジナル劇に挑戦したのに、結果的にはワークショップの延長、どの演劇にも存在するような脇スジを集めたものになってしまい、かえってオリジナル性が低減してしまったと思います。Theatre Moments 流の古典の再生に、ぼくは偉大なるオリジナル性を感じてきました。ぜひまた、観せてください。なにはともあれ、10日土曜昼、また観に行きます!幻の高層ビルの一室でサイコロを振ったあとの芝居、こんどはカブキ(?)篇じゃなくて、ミュージカル篇をどう準備してるのか、観てみたいです。サイコロ、あたるかな。
Nov 8, 2012
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この土・日・月は、黄金の芝居3連チャンでした。いずれも一級一流のストレートプレイ (話劇) で、ぼくのことばでいえば、脳内配線のつなげ違いからヒュッ、シュッと火花が出、やがてめらめら燃え上がる感じ。この緊張とワクワクと、役者さんひとりひとりのキャラ作りの格闘を見る楽しさと、あぁ、これはもうお芝居でなきゃ絶対に味わえませんね。ぼくの演劇メモから転載します。3つのお芝居が連句のようにつながっているでしょ。241103 るつぼ @ 新国立劇場小劇場 Arthur Miller 作、水谷八也(みずたに・はちや)訳、演出: 宮田慶子、出演: 鈴木 杏(あん)、池内博之、浅野雅博、磯部 勉、田中利花、栗田桃子、関時男(不倫相手の妻を魔女呼ばわりして陥れるアビゲイル・ウィリアムズは、本格女優がぜひ演じたい役だろう。虚実のひだを自らつくり、正気として狂気を演じる女を演じるとき、何重もの入れ子構造に立ち向かうことになる。そのアビゲイルを演じた鈴木杏さん、みごとだった。原作 The Crucible は、昭和28年にトニー賞を受賞した。ユダヤ系ポーランド移民の子アーサー・ミラーが38歳のとき。本格演劇では今年見たなかのピカ一だった。)241104 欺瞞と戯言(たわごと) @ 本多劇場 中津留章仁 作、出演: 竹下景子、下條アトム、長谷川初範(はつのり)、真山章志、岸田 茜(華族・滝川一族に入り組むひびが、崩壊をもたらしつつ再生の予感を残す作劇は、三島由紀夫を連想させた。一族に嫁ぐ銀行家令嬢を岸田茜さんが演じたが、笹本玲奈さんのような美しい微笑と表情の豊かさに、すっかり心を奪われた。天性の美貌とキレのある演技。前作 「重力」 でも魅力を感じたけれど、今回もう重度のファンになってしまった。みごとな芝居を1列目で見た後、トムトム倶楽部のバックステージツアーとアフタートークがあり、前日の 「るつぼ」 に引き続き、最高の演劇日だった。経歴を見ると岸田茜さんは平成21年に演劇研修所試演会で 「るつぼ」 のアビゲイル役を演じている。彼女のアビゲイル、ぜひ観てみたい。)241105 こどもの一生 @ パルコ劇場 中島らも 作、演出: G2、出演: 谷原章介、吉田鋼太郎、中越典子、笹本玲奈、山内圭哉(ケータイ圏外の島の病院に、心を病んで集められた5人が、10歳の子供 (…という設定だが、あの演出は8歳だと思う) に引き戻すストレス解消療法を受ける内、軌道が外れてホラーへ。鋼太郎さん演じる傲慢中年が子供に溶解する瞬間が絶品; 子供って、何なんでしょ? 5人の子供演じがよくできていて、こりゃ芝居じゃなけりゃ味わえない; テレビでこれをやると、高等ふざけで終わる。笹本玲奈さんは、家電量販店で働いて家電品ノイローゼになった女性の役でした。このお芝居は、あと2回観ます。進化が楽しみ。)
Nov 6, 2012
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【10月29日のブログに大幅加筆し、11月5日にメルマガ配信したものです】 皆さんは、小学校2年生のときのことをどのくらい覚えているだろうか。 人間は60年前の個人的な体験の詳細をどのくらい再現できるだろうか。 「歴史を語る」とき、70代の老人が語る8歳時の体験記に、いかほどの史料価値を認めるものだろうか。■ 1937年には8歳だった ■ 大野敏明さんが10月23日の産経新聞 「from Editor」 欄に 「南京取り立て裁判の怪」 と題して書いている。 ≪11月9日に東京地裁で奇妙な裁判が始まる。≫ 老中国人女性が、南京事件についての自分の証言の矛盾を指摘した本の著者と出版社のことを、名誉棄損だと南京の人民法院に訴え、賠償を命じる判決が下りた。 中国の裁判所は日本で判決を執行することはできないが、≪この中国人女性は、こともあろうに東京地裁に強制執行を求める訴訟を起こしたのである。≫ ≪もし、今回の裁判で中国人女性の訴えが認められると、南京の法院で一方的に下された判決が、日本でも有効とされ執行されるという、とんでもないことになってしまう。≫■ 仕立てられた “証言” の矛盾 ■ 老女の名は夏淑琴。1929年5月生まれだから、いま83歳だ。 南京事件のあった1937年には8歳だった。 訴えられた出版社である 展転社(てんでんしゃ)を支援する会の会長・阿羅健一さんの文章を読むと、ことの経緯がよくわかる。 同会会報第1号 (10月20日付) から引用する。≪発端は、夏淑琴という女性が10年以上も前にみずからを 「南京事件の被害者」 と言いだしたことだ。夏淑琴は度々体験を述べており、また夏淑琴に対する聞き書きもあって、それらには矛盾がある。松村俊夫氏は著書 『 「南京虐殺」 への大疑問』 のなかで、このような矛盾があるのは、彼女たちの責任でなく、ただそのように仕立てられただけなのであろう、と書いた。夏淑琴の証言を比較検討すると、当然の表現である。≫ 阿羅さんの文章の全文は、こちらで読める:http://www.tendensha.co.jp/saiban/241017.html もう少し引用を続けよう。≪すると平成12年11月、夏淑琴は松村俊夫氏を南京の裁判所に訴えると言いだし、平成15年6月、1千万円の損害賠償を求める訴状を南京の裁判所に提出した。それまで犠牲者だとする中国人が日本の裁判所に訴えることはあったが、中国で訴訟を起こしたのは初めてである。平成18年6月、南京の裁判所は松村俊夫氏に出廷する召喚状を送ってきた。日中間に民事訴訟の効力を認める取りきめがなく、松村俊夫氏に応ずる義務はない。しかし、南京の裁判所は一方的に進め、11月15日、証拠交換を行い、23日には審理を始め、夏淑琴だけが出廷し、即日結審となった。そして平成18年8月、南京の裁判所は約5百万円の損害賠償を命ずる判決を下した。それから6年、今回、突然、この損害賠償を強制執行するよう日本の裁判所に訴えでたのである。≫■ 8歳の子供の証言が重要史料となる、うそっぽさ ■ 広島・長崎への原爆投下が事実かどうかを論じるときに、当時8歳の子供だったひとの60年後の “証言” に頼らざるをえないとしたら、原爆投下の事実は疑わしい。 実際には、明白な証拠が星の数ほどあるから、当時8歳の子供だったひとの “記憶” に頼ることはありえない。 この皮膚感覚で、夏淑琴さんの一件をながめたい。 南京 “虐殺” を論じるために、当時8歳の子供だったひとの60年後の回想を重要史料として採用せざるを得ないのだとしたら、そのこと自体が異常なのである。 南京 “虐殺” の虚構性を、むしろ裏打ちするものと言える。■ 独立国でなくなる ■ 夏淑琴さんが要求するごとく、中国の裁判所が言い渡した損害賠償を、日本の司法機関が中国の代理店よろしく強制執行するとしたら? それはもう、日本が独立国でなくなったのと同じだ。 それがもし許されるなら、中国の裁判所は「尖閣諸島が日本領だと主張して中国13億人の名誉を棄損する日本の国会議員は全員、ひとり1億円の損害賠償または懲役1年の実刑に処する」と言えばよい。 日本の司法機関は「へへぇ、中国さま、合点承知の助左衛門!」とばかりに、日本の国会議員の大多数の財産を差し押さえ、または刑務所送りにする……ことになる。 笑止。■ 老いの涙 ■ だから、今回の夏淑琴さんの訴えは、いかに東京地裁がゆがんでいようが、門前払いになると信じたい。 ではなぜ中国共産党は、夏淑琴さんにムリ筋の訴えを起こさせたか。 さしあたって2つ考えられる。 夏淑琴側が敗訴したとき、朝日新聞社会面をきっとこんな大見出しが飾るだろう。≪無常判決に老いの涙「南京虐殺の真実は曲げられない」≫ かぎ括弧は便利だ。新聞社が一切の責任を負うことなく、いかなるデマでも大見出しにできる。 文句が来たら「いや、これは、単なる引用ですから」と言うだけのこと。 おそらく忠良なる読者の過半数は、かぎ括弧の有無に注目することなく、新聞社からのメッセージとして意識下にしまいこむ。 日本で急速に薬効切れとなっている “南京大虐殺” 説を再補強するには、効果的だ。■ 行政・立法へ介入する判決傍論 ■ もう1つ危惧されるのが、最近の裁判官が得意とする 「傍論」 活用だ。 判決の主文では夏淑琴側の主張を門前払いしつつ、傍論で “南京大虐殺” 肯定論を展開して、「この視点を国民教育の制度全体に幅広く反映させるとともに、対外政策の拠って立つところとすることが強く望まれる」などと、司法の分際で立法・行政に介入するコメントをする、あの手法だ。 傍論は、いわば裁判官の独り言。傍論の妥当性についてのみ上訴する仕組みはない。だって、独り言だから。 しかし裁判官の独り言は、重みがあると言えば重みがあるから、扇動活動家は重宝する。■ わたしが中国共産党員だったら ■ 夏淑琴さんのムリ筋の損害賠償請求は却下しつつ、傍論では中国側の主張を宣伝する、そんな判決が出るよう、中国の工作者が暗躍していてもおかしくない。 わたしがもし本件担当の中国共産党員だったとしたら、何十人もの優秀な工作員を動員して、日本の法曹界とメディアと民主党・社民党への働きかけに全力を挙げるだろう。 あたりまえのことだけど。
Nov 5, 2012
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