全8件 (8件中 1-8件目)
1
200枚あまりの賀状を出しました。その4割あまりが現代アートのアーティストの皆さんでした。画廊オーナーやアートつながりの皆さんを含めると、7割近くが美術関係者という、数年前とはまったく様変わりの状態になっております。演劇つながりの人 (ドラマリーディング教室の参加者含む) も多いですね。と言っても、プロの役者さんは5人だけなんですが。今年はもっと多くの役者さんとご縁ができればいいなと思っています。学生のころは、親戚や松山つながりの人たちを除けば、エスペラント関係の人たちがほとんどを占めていました。それが今や、エスペラントつながりで賀状を出すのは4人だけですからねぇ。政治評論みたいなことを書いている割に、このつながりの人たちは非常に少ない。政治関係の集まりに出ると、保守系の集まりであっても感性の違いに不愉快な思いをすることが多く、最近ほとんど行かないんですね。*大みそかは、溜りにたまった12月の新聞のスクラップ作業をしながら、映画を観ていました。映画 「恋の罪」 出演: 水野美紀、富樫 真、神楽坂 恵女優の富樫 真(まこと)さんが、3役分くらいやっておりますね。舞台のお芝居を観ているような充実感。じつはこの DVD は、わたしのごひいきの岸田 茜さんがチョイ役で出ていると聞いて買ったのでありますが、冨樫さんや水野さん、神楽坂さん、それぞれに期待以上の内容でした。というわけで、謹んで新年のお慶びを申し上げます平成癸巳年。芝居やアートを見る側から踏み出して企画制作に乗り出します。6月には 三島由紀夫作品の朗読劇とライブ ペインティング(即興画)、ピアノ演奏の協同企画 を Artcomplex Center of Tokyo で開催いたします。徳川時代の浮世絵文化のこころを継承して 「役者絵」 プロジェクト にも挑みます。旬(しゅん)な女優さんを日本画家に描いてもらい複製プリントをファンに提供します。都内の画廊と共同で ハワイ在住の画家の日本初個展 の開催も目論んでいます。今年も感動あふれる年に!皆さま、よいお年を!
Dec 31, 2012
コメント(0)
予告篇を見るたび ほろっと来ていたので、映画本篇を見たら最初からぼろぼろになるのではないか。そう思って観た映画 「レ・ミゼラブル」 だったが、冒頭の囚人による巨船の船曳きにはじまるリアルで凄みのある映像の数々が圧倒し、脳は涙の回路ではなく異空間にほうりこまれた。きかせどころのアン・ハザウェイさん演じるファンテーヌの 「夢やぶれて」 も、脳はじっと聴きいるだけだ。映画最後の壮大なパリ蜂起シーンで、ようやく来はじめて、映画が終わってエンドロールが流れ出したところで、つまり演劇であれば拍手の嵐というところで、静かな客席でぼくは おいおいと泣きじゃくった。声は出さなかったけれど、一気に号泣した。こんな形で感動する映画は、はじめてだった。すごい映画だ。役としてはサマンサ・バークスさんのエポニーヌが断然よかった。彼女の 「オン・マイ・オウン」 には、じんと来た。やはり笹本玲奈さんの役ということで、エポニーヌに思い入れがあるからだろうか。帝劇のエポニーヌの舞台化粧は、やたらと顔に煤を塗るのが不満で、笹本玲奈さんにもいちどご意見したことがあったのだけど、映画を見るとサマンサ・バークスさんは顔に煤など塗っていない。やはり、煤は余分なのである。対決するふたりの主人公。風貌的には、ジャン・ヴァルジャンを演じたヒュー・ジャックマンさんのほうが、抜け目なく悪をあばこうとするジャヴェール警部に似つかわしい。逆にジャヴェール警部を演じたラッセル・クロウさんのほうが苦労人のジャン・ヴァルジャンにすっとはまる感じだ。ラッセル・クロウさんがもっと痩せ形だったらなぁ。彼のジャン・ヴァルジャンが観たかった。=【平成25年1月追記】圧倒的な描写映像に支えられたジャン・ヴァルジャンやファンテーヌよりもエポニーヌに感動したのはなぜなのか。リアルに描きつくした映画の感動よりも、帝劇の舞台のほうが感動が深かったように思うが、それはなぜなのか。自分の想像力の翼が存分に広げられたかどうかではないだろうか。ジャン・ヴァルジャンやファンテーヌのみじめな境遇は、観る者が想像力で補う余地もないほどに、映像の雨が降る。しかし、エポニーヌがどんな人生を経て、マリウスにどのようにして出会い、慕いはじめたのか、映画は一切説明しない。そこに想像力の翼を広げる場がある。想像の翼を広げながら、ぼくらは涙を流す。物語作品は、ドキュメンタリーではない。直接的に記録されていない部分に思い及ばせ、想像が鮮烈な気づきに導いてくれる、そういうちからが演劇にはある。だから感動は深い。映画 「レ・ミゼラブル」 をひたすら観察者のように観てしまったのはなぜだろうと自問しつづけていたのだが、きっとその理由は、ぼくの想像力をはるかに凌駕する映像に圧倒されて、想像の翼がはばたかなかったからだ。エンド・ロールとともに、翼は宙を舞い始めたのである。
Dec 28, 2012
コメント(3)
最近ビビッときた囲み記事が、これ。≪働かない 「働きアリ」 がいる!? 常に一部は仕事に 「出遅れ」 新たな性質 北大チーム発見≫「働かない働き蟻」 といっても、ほんとに全然働かないわけではなくて、群れのなかで働き手が少なくなると働き始める。群れのなかで、つねに一定の割合の蟻が、出遅れてノンビリしている (ように見える) 。日本経済新聞 平成24年12月15日夕刊1面の囲み記事。北海道大学の長谷川英祐准教授のグループ研究だそうだ。≪よく働くアリと働かないアリを別々にしても、再び同じ割合で、働くアリと働かないアリに分かれた。≫すごく共感できた。人間の群れだって、正常な群れは働かないひとがつねに一定の割合でいるものではないか。われわれ総合商社の職場だって じつは、なぜかあんまり席にいない人とか、明らかに仕事のないひととか、必ずいるんだな。そういうひとだって、働くときは働く。まぁ、それが生き物の本性にかなった あり姿だということですね。つねに100%稼働の群れというのは、想像しただけで怖いと思いませんか。それって、大躍進か文化大革命の群衆のよう、というか、暇になってはいけないと進軍あるのみの軍隊というか。生物が100%稼働するイメージとしては、異常繁殖したトノサマバッタが飛び荒れて草木を食い尽くす蝗害(こうがい)状況とか、顕微鏡の下で一斉に分裂を繰り返す黴菌(ばいきん)とか。やっぱり、100%稼働って、病的なんだろうな。必要な仕事の量は乱数のようにブレる。「つねに100%稼働」 の群れがいるとすれば、それは明らかにムダな仕事も大量に行っているのだろうし、そしてぎゃくに、ほんとうに必要な仕事の量が増えたときには対応できずに群れが危機に陥る。研究者を検索したら、長谷川英祐博士 (理学) の自己紹介 があった。ページの後半をみると、研究テーマのなかには「はたらかない働きアリはなぜいるのか? 疲れる集団の社会生理学」とか「ヨモギヒゲナガアブラムシはなぜあんなに色が多様なのか」とか「グッピーのメスは連続的にオスと出会ったとき一番いいオスを選ぶか? 1回しか取れない回転寿司の論理」とか、興味深いものがいろいろと。たぶんこれも、神さまの謎にせまるひとつの道なのかもしれませんね。神さまや天使たちも、きっと100%稼働じゃなくて、だからこの世界にはとんでもないハプニングが尽きないのかも。長谷川英祐博士は、サングラスをかけるのが好きで、アルファロメオを愛し、映画鑑賞は年に50~60本ということだそうで。前だけじゃなくて、横にも斜めにも跳んでる生き方、共感しますね。あらわれかたは異なるけれど、ベクトルはぼくも似たところがあると思います。
Dec 19, 2012
コメント(2)
メールマガジンで配信したコラムです。無料メールマガジンの登録は http://archive.mag2.com/0000063858/index.html でどうぞ! 大掃除の、第1弾がおわった。今回の選挙は、成人して以来はじめて、投票所でウルッと来た。 長かった3年あまり、沈黙してきたふつうのひとたちが、黙々と投票所で鉛筆を走らせることで、政治の掃除ができるとはと。■ 民衆は無知だがバカではない ■ 安倍政権には、「説得の政治」 「論理が一貫した政治」 を追求してほしい。 たとえば、原子力発電。民主党政権に欠けていたのは、説明と説得だった。 わたしは勤務先が電力関係の仕事だ。職場の同僚諸氏も、いちおう電力で飯を食っている。だから、風力発電や太陽光発電の限界について、いちおう分かっているだろうとタカをくくっていた。 ときどき職場で若手を集めて講師をつとめるのだが、先日は衝撃を受けた。「風力や太陽光発電がいかに頼りにならないか、彼らは知らない!」「天然ガスや石炭の輸入で日本の国富がいかに失われるか、彼らはなぜもっと意識しないんだ!」 電力関係の職場でさえ、この体たらくだ。ごく一般の日本人は、それこそなんとなく、「これからは風力や太陽光でなんとかなる」「原子力がなくても、停電しなければそれでいい」と思って、アンケートの 「原子力不要」 にマルをつけるのだろう。 それに従うだけなのなら、政治は要らない。 一般民衆は、無知だ。しかしバカではない。だから、事実と論理を知らせれば、正しい方向を向くひとはきっと増える。 無知ゆえに3年前に民主党政権を選んだ民衆。 しかしバカではなかったから、自民党政権に戻った民衆。■ 説明と説得から逃げない政治 ■ 民意の 「調査」 をする前に、まず必要なのは・ わかりやすい事実説明・ 情熱ある説得の2点だ。 民主党は、説明と説得から逃げた。低レベルのワイドショーに脳をかきまわされた 「騒々しい民意」 に従うことにした。そして、「従う」 だけでなく、その先へと爆走した。 安倍政権には、説明と説得の政治を行ってほしい。 消費税導入やインフレ目標設定の問題も、つまるところは 「世代間の損得をどのように調整するか」 ということだ。 なんとなく無難な現状維持を志向する一般民衆に対して、説明と説得をしてほしい。 そのための論理構成を提供するのが、わたしのような論者の役目なのだと肝に銘じつつ、そう思う。■ ようやく各論を語れる時代になった ■ 民主党政権の時代には、突っ込みどころがありすぎて、政経評論を書く気がなえた。 安倍政権の誕生でようやく、各論の建設的提案ができる。これからいろいろ書かせていただきます。
Dec 17, 2012
コメント(2)
きのう12月15日の忘年会は、ときめきでいっぱいで、思い返すだけで胸がくるしくなるほどすばらしかった。わかります、この気持ち?演劇プロダクションのトムプロジェクトが主催する 「トム☆トム倶楽部忘年会」。プロの役者さん9名と、トムプロジェクトの岡田潔社長とスタッフの皆さん、そして演劇サポートメンバー。総計30名ほどが、新宿の某所に集いました。これが、おもしろくないはずがないじゃありませんか。年賀状のネタにと、年に何本の芝居を観ているか数えてみたら50本を超えていたのが2年前です。3年連続で今年も、50本を超えましたね。けっこういろんなジャンルのを観ているわけですが、気がつくとトムプロジェクト企画のお芝居は、いつもヒットなんですね。人間の存在のひだに分け入る。あぁ、ひとのこころは、こんなふうに揺れ、なびき、ほてるものなのか。というわけで、トムプロジェクトの演劇をお得な価格で楽しめるトム☆トム倶楽部の会員になりまして、これからは全作品観るぞ! と昨年の冬にまたひとつ悟りを開いたわけであります。*トムプロジェクト所属の岸田茜 (きしだ・あかね) という女優さんがいます。妖変自在の清楚な女優です。ルックスに恵まれた女優さんはたくさんいますが、そのなかでも岸田茜さんは、律儀な役作りの焔で確実に窯変を果たすひとなんですね。経歴をみると、ぼくがかつて知りながら素通りしてしまった 「エル・スール」や 「あとは野となれ山となれ」 に出ているのですが、ぼくが岸田さんを初めて観た芝居は昨年の 「重力」 @ 赤坂レッドシアター でした。ちゃきちゃきした都会娘。ふつうにじょうずで、かわいい、役者さんだと思いました。ところがそのあと 「欺瞞と戯言(たわごと)」 @ 本多劇場 を観たら、うつくしい淑女、それでいて どことなく田舎っぽさがただよう娘として登場し、後半の妊婦姿の所作にも細やかさがあって、役作りがただものではない。終演後にロビーで出待ちのお友だちと話しているのを見かけた。笑顔がさわやかにはじけた、一見ふつうの子。その彼女からこれだけ幅のある演技が繰り出されるとは! 大いに伸びて大女優になってほしいと思ったのでした。忘年会の場所を書いたメモをしまいこんで分からなくなり、トムプロジェクトさんとメールのやりとりをするうち、岸田茜さんも参加することを知って、わくわく感に押しつぶされそうでした。参加する役者さん9名の名前を教えてくださったので、どのかたの近くに坐っても話題に困らないように9名それぞれの経歴をネットで予習して会場に向かったのでした。そうしたら、なんと、幹事さんがぼくの席を岡田潔さんの前、岸田茜さんの左隣に用意してくださっているじゃありませんか。「死んでもいい」 と思いましたね。死んじゃ困るけど。持参した笹本玲奈さん肖像画をサンプルとして岡田社長と岸田さんに見せながら、岸田さんのポートレートを日本画家・吉敷麻里亜さんに描いてもらう泉プロジェクトの話をしたところ、前向きのご返事。絵が出来あがったら、ジクレープリント (高品質の複製画)にして岸田さん本人に差し上げるほか、岸田さんのファンにも買ってもらって収益は画家とプロダクションが享受し、ぼくは原画を部屋に飾って大満足、という趣向です。江戸時代の浮世絵文化では役者絵が重要な位置を占めていたわけですが、そういう文化を現代なりの形でよみがえらせたいというぼくの夢を、岡田潔さんに理解いただけて、とってもうれしかった。*忘年会でほんの5分ほど、役者さんたちにドラマリーディングをやってもらえたら!星新一のショートショート 「秘密結社」 のセリフを女性ことばに変えたヴァージョンをつくり、女優の富樫 真(まこと)さんと岸田茜さん、大出(おおで)勉さんに読んでもらおうと目論見ました。会場に着いて、進行係のひとに台本を渡したのですが、「時間がぎりぎりなのでムリかもしれません」 との反応。5時から8時まで3時間も続く忘年会なので、5分間くらい融通がきくだろうと思ったのは甘く、7時ごろからの1時間は役者コンビ2組による 「漫才対決」 と、バカラのグラスを1等賞にした 「じゃんけんゲーム」 で時間が過ぎてしまったのでした。岸田茜さんが6時半すぎに席からいなくなってしまったのも、漫才出演の扮装準備だったのですねぇ。女優のしごとへの意気込みもコミカルに語った出し物でした。じゃんけんでは、なんと私めが、英国エインズレイ社のエリザベスローズのマグカップをいただきました。最高のひとときを思い出しながら、コーヒーをいただいています。ご恩はトムプロジェクトさんへ十倍返しするつもりです。
Dec 16, 2012
コメント(0)
K’s Gallery (京橋三丁目) で開催の「京橋 K’s 句会」に飛び入り参加しました。俳句にはかつてのめり込みましたが (だから一家言もっていますが)、句会というものへは初参加。会場の主である K’s Gallery オーナーの増田きよみさんにご紹介いただいたので、小さな蛮勇で。投句締切はとっくに過ぎていましたが、4句つくっていきました。以下にご披露しておきます。季題は 「湯ざめ」 「玉子酒」 「狐火」 と、比較的つくりやすく、場が盛り上がりやすいものでした。か ら こ ろ と 鳴 る 石 鹸 に 湯 冷 め な し 伊澄航一伊澄航一は、ぼくの俳号です。「湯ざめ」 ということで、おそらく人々は右下がり発想で盛り下がる句ばかり作ってくるだろうと思って、逆を行ってみました。♪小さな石鹸 カタカタ鳴ったという、かぐや姫の 「神田川」 が下敷き。唄には軽く 「カタカタ」 がぴったりですが、俳句にカタカタと鳴る石鹸に湯冷めなしでは、うるおいがないので、「からころ」 と。敗 戦 の 帝 國 ホ テ ル た ま ご 酒 洋酒が似合う帝國ホテルですが、たまご酒をぶつけてみました。敗戦の帝國ホテル、だから、洋酒ではなく、したたかにたまご酒なんです。玉子酒を、病気や爺婆にぶつける句は、いけませんね。敗戦というのは、むろん、昭和20年8月15日の終戦の日ではなく、昭和20年9月2日、戦艦ミズーリ上で降伏文書に調印した日のことであります。8月15日のあとも、日本固有の領土の千島列島で、侵略者ソ連に対する祖国防衛戦が繰り広げられておりました。卵 酒 出 待 ち の 客 は 待 た せ お け句会の主宰である女優の藤田三保子さん (俳号は藤田山頭女) への挨拶句となっております。役者の気合。狐 火 の 伯 母 も い と こ も 生 き て を り狐火がたくさん。親戚が多いのでしょう。故郷に思いをはせて。ぼくの伯母はみな亡くなり、叔母しか生きていませんが、俳句にはやはり伯母でしょう。*4句は紙切れにプリントし人数分もっていきました。予定があって、2時間の句会の前半しか参加できず、ぼくの句は主宰に渡して失礼させていただきました。さてどんな批評があったやら。句会では、ほかの皆さんの句を5句選ぶことになっていたわけですが、ぱっと見、選びたい句が1句しかなくて、あ、こりゃあかんわ、と思った次第です。しかも最高得点だった句は、中途半端な “自由律” の句で、あ、こりゃあかんわ。申し訳ありません。なんか、ぼくの4句がいちばんよかったんですよね (笑)というわけで、薄情なる泉くんは 「京橋K’s句会」 にはこれっきりだと思いますが、主宰の藤田山頭女さんのノリはなかなかのもので、楽しい時間でした。ありがとうございました。
Dec 13, 2012
コメント(0)
恥さらしな話を少々。渡辺京二著 『逝きし世の面影』 (平凡社ライブラリー) を読んでいたら、551ページにイザベラ・バードの著作から大津の祭の光景を語った一節が和訳引用されていて≪みずぼらしい長い通りは光と色彩によって荘厳され、店舗の正面は消えうせて、色鮮やかな燈籠のアーチと花綱が通り全体を妖精の国に変えていたのだ≫とあった。あれ? 「荘厳され」 とは何だろう。荘厳は、「荘厳だ、荘厳な」と活用する形容動詞の語幹である。『新潮現代国語辞典』で ソウゴン をひくと、案の定≪(名・形動) 尊くておごそかなこと。宗教的な威厳・雰囲気の感じられるさま。≫とある。そうだよな。サ変動詞じゃないよな。いや、まてよ。そのあとに≪→ ショウゴン≫とある。それがどうした? と思いつつ、ショウゴン をひいたら、あ痛ッ!≪(名・スル他動) 〔仏〕 寺院・仏像などを美しく飾ること。また、その飾り。→ソウゴン≫とあるではないか。〔ヘボン〕 とあるから、明治19年刊のヘボン編 『和英語林集成 第3版』 にも 「荘厳(しょうごん)する」 は収録されているわけだ。用例として、高村光太郎の 『 「道程」 以後』 から≪蜘蛛の巣で荘厳(しょうごん)された四角の家には≫が引かれている。わが国語力、まだまだこのていどである。「荘厳する」 を奇異に感じる向きのお役に立てばと、恥をしのんで披瀝する次第。
Dec 2, 2012
コメント(0)
日展はぼくにとって、わくわく感に満ちた展覧会だったのだが、ことしは油画の特選作品の選び方に大いに不満あり。心が動く作品も、女性を描いた若手の油画の秀作に限られた。もっとも気に入ったのは李暁剛(り・ぎょうごう、Li Xiaogang)さんの「青いリンゴ」。長い髪の、ジーンズと白いカーデガンの素足の女性。右足を抱え込む手には、青いリンゴが握られている。四肢の長さで、北方漢人だと知れる。くぼんだ漆喰壁には、しずかに寄せる白波の姿が透ける。ため息が出そうな写実画でありながら、ひとつの写実にべつの写実が重なり、徹底した写実の向こうにのみ存在しうる幻想が現出する。李暁剛さんは、第39回と第41回の日展で特選をとり、ことしは新審査員として出品している。昭和33年北京生まれ。特選のなかでは、橘貴紀さんの 「亜也(あや)」 がよかった。亜也という若い女性の立像。ふっとちからを抜いて立っている姿の存在感。写実の確かさと、ちからの抜け具合のアンバランスが、いい。同じく特選となった佐藤龍人(りゅうと)さんの作品は上野の森美術館併設ギャラリーの個展で拝見したことあり。他の特選作品には不満が多い。めりはりのない川辺の住居の絵や、絵の半分を占める赤い背景の塗りがあまりに単調な瘤牛(こぶうし)の絵、背景の描きがあまりに平凡な老女の坐像、完成度80%のイコン祭壇の描画などが、特選に選ばれているのは、何としたことか。年功序列で 「そろそろ潮時ですね」 とばかりの特選であることが見え見えだ。ぼくが佐藤龍人さんの作品を前に、同氏の個展で見た10点ほどの作品を回想しながら評価するのと同じプロセスが働いているのではあろうけど。*ぼくが審査員なら特選にしたい作品を4点ばかり。買いたい! と思った作品は、飯田裕子(ゆうこ)さんの 「遥(はるか)」。褐色の肌の異国の美少女の、さわやかなヌード。いつまでも眺めていたい。うしろの獅子と縞馬は、少女を際立たせるべく さらりと描かれているが、いい加減ではない。作家の技倆を感じたのが、開原順子さんの “Nadia” だ。インドネシアの女性だろうか、バティックを着て密林に立つ。緑と茶色が織り成す絵。バティックの絵柄はこまやかに、女性の顔やからだは軽やかに描かれ、めりはりがある。古河原 泉さんの 「ここに湛(たた)えよう」 は、日常世界の女性が瞑目し、あたかも水の女神のように腕をのばし手をひろげる。モノクロの女性を緑の色彩が支配するが、アクセントの赤の散らし方が、いいセンスだ。渡邊裕公さんの 「静穏麗日」 は、ソファに坐る女性を中間色の水性ゲルボールペンの丹念な線描きで浮かび上がらせた。日本画、油画とは別の1ジャンルを設けてさしあげたくなる。愛媛県の作家だ。*特選とは言わないが、モチーフが面白かったのが武満俊一郎さんの “snow white” である。「白雪姫」 といっても、姫と鏡の女王は白いドレスと黒服を着たふつうの女性である。黒服の女性が白いドレスの女性を組み伏せてリンゴを差し出す。武満作品そのものは着想に依存しすぎている。描かれた女性が平凡すぎたかな。しかしぼくは思ったのだけど、こういう白と黒の女性が対立する組み合わせを “Snow White” というモチーフとして普遍化し、画家が競ってそういう “Snow White” 画像を描く時代が来たらおもしろいな。 *彫刻は、ブロンズや石膏、木彫に替って、樹脂作品が多いことに気がついた。べつに今年になって増えたわけではなく、ぼくがいままで気がつかなかっただけだろうけど。男の子と痩せ牛の、植田 努さんの特選 「ケサリアの牛飼い」 を周回しつつ、ふと 「樹脂」 という表示を見て驚いたのである。牛飼い像を最初みたときはブロンズ像と思った。それにしては、そのモトとなる粘土造形のみずみずしさがそのままに出ていて、ブロンズのゴツゴツ感がないなぁと思っていたところに、「樹脂」 の2文字が目にはいった。なるほど樹脂の作品は、伝統的なブロンズや石膏の作品に比べて、制作が比較的容易で、しかも割れない。これからますます樹脂作品が増えるのではないか。そんななか、こころに残ったのは石膏作品、勝野眞言さんの 「植・VII」。うつくしくうつむくビーナスの頭部は割れて、蔓草が生(お)いだしている。あえて不便な石膏という素材をつかったことで、はかない白のもろさが女性美を引き立てている。彫刻作品の写真を初めて買った。今回、日本画についてコメントしていないが、実際のところ日本画の部は停滞しきっていないか。油画と同じモチーフを、単に岩絵具で描くから日本画でございで良いのだろうか。油画にないモチーフを料理したものが、あまりに少なかった。(第44回日展は、国立新美術館で12月9日まで。今年からは金曜日も午後6時で閉まってしまうのが残念。昨年まで金曜は夜8時まで至福の時があったのに。)
Dec 2, 2012
コメント(2)
全8件 (8件中 1-8件目)
1