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卓球の世界選手権の様子が、こちらのCCTVで連日放送されている。 幸い、こちらもゴールデン・ウィークで授業は休みだから(学生たちはひっきりなしにやってくるけど)、特に夜はテレビを見る時間は以前よりある。 まあ私の場合は、ジャン・イーニンを目当てに見るわけだけど、 昨日は福原愛が、中国のテレビ局のインタビューに答えている場面が映っていた。 使用言語は勿論、中国語。 それを聞いて、まずい! と思った。 彼女の中国語、うまい! すっかり差がついてしまった! 中国で生活をしている以上、中国語が上手になって日本に帰りたい。 言葉を変えれば、中国語の上達は、私が中国で暮らしてきた証明でもある、と思っている。 やべえ! 練習しなければ。。
2009年04月30日
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日本ではオリンピックの時以外では、ほとんど見ることができない「卓球」が、 こちらでは、さすが国技とあって、見る機会は多い。 そして見るたびに、「卓球は格闘技」だなあ、と思う。 昨日、テレビをつけたら、「卓球世界選手権」を放送していた。 しかも、ジャン・イーニンの試合だった。 ジャン・イーニンは卓球の世界チャンピオンで、オリンピックでも金メダルを取った。 昨日の試合は第1セットを失ったが、その後の3セットはまさに完勝。 強え~っ! と唸ってしまった。 実は私のパソコンの壁紙はジャン・イーニンの写真。 それを見た学生が、こう言った。 「先生、ジャン・イーニンはもう彼氏がいますよ」 余計なお世話だっつーの。。
2009年04月29日
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5月の終わりに行なう日本語ドラマ発表会『日本語大好き』(仮称)に向けて、 今日から2年生たちが動き出した。 日本語ドラマ発表会は今年で3回目。 過去2年は3年生たちと一緒にやったが、今年は私は2年生の担当なので、 勿論、2年生たちと一緒にやる。 脚本は2つ(悲劇と喜劇)書いた。 ともに悪くない出来だと思う。 特に悲劇は、見た人が、必ず泣くような内容にした。 脚本を書いている時に、私自身が泣きそうになったほどだ。 実は2年生たちとやるのは、私にとってもチャレンジだ。 昨年までより、台詞の質や量を落としたくなかったから、 2年生たちにとっては、ややレベルが高くなっているかもしれない。 今日の初の読み合わせでは、発音やアクセントに苦戦していた。 感情を込める以前に、読むだけで精一杯という状態だった。 これに演技が加わるのだから、相当な練習が必要になる。 だからこそ、やる価値がある。 2年生たちのモットーは、『できない理由を言うな!』だから 頑張ろう! 2年生たち! 写真は去年の日本語ドラマ発表会『日本語ドッカーン』のもの。
2009年04月27日
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2年生の『作文』の授業で、「手紙」をテーマに作文を書かせた。 2年生たちは総合日本語の授業で日本語の「手紙」について勉強したので、 その応用という狙いもあった。 「手紙」を書くのは「私」。 「手紙」を出す相手も「私」。 つまり大学2年生の「今の私」が20年後の「私」に手紙を書くという趣向。 20年後の自分など、これまで想像したこともなかった学生たちは、 今の自分の生活を書き、授業や恋愛の悩みや夢を書き、 20年後の自分がどうなっているか、想像を巡らせていた。 「手紙」を書くことは面倒くさい、つまらない、日本語の手紙の形式は難しいと 言っていた学生たちも、このテーマには乗り気になってくれた。 そして、いつものことだが、学生たちが作文を書いている間、 私は教室の中で、ずっと音楽を流していた。 先週の作文の授業で流していたBGMはEAGLESのBEST。 「ホテル・カリフォルニア」や「テイク・イット・イージー」など、 私の作文の授業では、学生たちは音楽を聴きながら作文を書いている。 このEAGLESの曲は、30年前、私がよく聴いていたものばかり。 その時、まさか、中国で日本語教師をしていようなどとは想像したこともなかった。 まして、その曲を中国の学生たちに聴かせるなんてことも、考えたこともなかった。 学生たちの20年後、 私はどこで、何をしているだろうか?
2009年04月25日
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朝から夜まで、学生たちが入れ代わり立ち代わり、私の部屋にやってくる。 寝ている時以外は、いつも学生が傍にいる……と思いたくなるほどだ。 それでも、時々、ぽっかり時間が空く時がある。 そういう時は、私は他の教師の授業を見に行くようにしている。 最近、こんな光景を見た。 ある1年生のクラス(先生は中国人)で、授業が終わった後、 学生たちが教壇の前に集まって、先生と楽しそうにお喋りをしているという光景だ。 そのお喋りは、授業が終わった後、30分以上も続いていた。 「いい光景だなあ」 と思った。 授業が終われば、学生たちがそそくさと教室を出て行く授業が大半だからだ。 教師に親しみを感じ、授業を心待ちにして、活発な授業をする。 ……こういうクラスは実は少ない。 そして、そんなクラスの学生たちは、会話が好きになり、 日本人教師とも積極的に交流し、課外活動などに参加する機会も多い。 だが、そんな「素晴らしい学生たち」は、大抵の場合、こんな評価を受ける。 「生意気だ!」 先日、ある日本人教師が2年生に対して、こう言い放った。 そして、1年生や2年生が、その日本人教師と校内で会った時、挨拶をしたら、その返事は 「あなたは私の学生ではない!」 だったという。 かつて、同様にその活発さを「生意気だ」と評されたクラスがある。 去年、私が教えていた4年生の2班だ。 そのクラスは会話のレベルだけでなく、 日本語1級試験でも、他のクラスに比べて、抜群の合格率を誇った。 積極的であること、朗らかであること、教師に対して親しみを感じること、成績が良いこと、 ……これが果たして「生意気」なのか。 もし、そうなら「生意気」って、全然悪くないな。
2009年04月22日
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先日、着ていたウィンドブレーカーが破れた。 それを見た学生たちが、「先生、私が直します」と言って、それを寮に持ち帰り、 今日、直し終わったものを届けてくれた。 学生たちが妙に笑っているので、理由を聞いたところ、 破れていたところを直すのとは別に、自分たちで、裏地に勝手に刺繍をしていたようだ。 その刺繍が、これ。 「HAPPY」という5文字。 寮で、1人が1文字ずつ、縫ったのだという。 「この字は私」「私はAを縫いました」「私はPです」などと、嬉しそうだった。 しかし、一番、嬉しかったのは、たっぱり私です!
2009年04月20日
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先日、学生から届いたメールの文面。「先生、私たちのために戦ってくれて本当にありがとう。 私たちはずっと先生のこと、応援するからね!!!!!!」 細かいことは書きませんが、私も本当に堪忍袋の緒が切れました。 どうして、学生たちにあそこまでひどいことを言わなければならないのか! 昨年、その日本人教師が学生たちに向かって吐いた言葉、 「だから、中国人はダメなんだ!」 それもひどかったけど、今回はもっとひどい! 何より許せないのは……。 やめた。 これ以上書くと、止まらなくなる。 私が「戦った」後、学生たちは、ずっと泣いていました。 自分たちの味方がいてくれたことが、本当に嬉しかったのでしょう。 学生たちは、私が絶対に守るから!
2009年04月17日
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2年生の『会話』の授業を終えて、今、部屋に帰ってきた。 私の授業は、賑やかさ、笑い声の大きさ、笑顔の多さでは、 他のどの先生の授業にも負けていないと思う。 そして、その雰囲気の中で、学生が緊張せずに、日本語を話すことを楽しんでいる。 今日の授業の中で、とても嬉しいことがあった。 私が担当している2年生の3班は学生が30人いる。 それを2つに分けて、15人ずつ週に1回の授業をしている。 つまり、私は2回だが、学生は1週間に1回だけ授業を聞くということになる。 そして、今日の授業で、学生たちがこう言ってくれた。 「1週間に1回ではなく2回授業を受けたい」 つまり、15人で1回の授業ではなく、30人で2回、授業をしましょうということだ。 2年生たちは、毎日、朝から夜まで授業に追われている。 それなのに、私の会話の授業は、1回から2回に増やしたいというのだ。 嬉しかった。 自分がもっと忙しくなって、自由な時間が少なくなるのに、それを承知で、 授業を増やしてくれ、というのだから、 教師冥利に尽きる。 こんな学生たちは、私の誇り、私の宝物だ!
2009年04月16日
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『日本語スピーチ・コンテスト』が終わった。 毎回、参加者が増え、レベルもどんどん高くなっている。 中国という異国にいて、日本語を学んでいる学生がこんなにたくさんいるということが まず、嬉しい。 ただ、非常に残念なこともあった。 予選の時の、ある日本人教師の採点に疑問が持たれたことと、 そのために、その後の、中国人教師と日本人教師の間で口論が起こったことが、それだ。 参加者が90人近くに達したために、予選は22人ずつ4つの教室に分かれて、 それぞれの教室の上位3人が、決勝大会に進むという形で行なわれた。 そして、4人の日本人教師(うち、1人はやっぱり欠席)がそれぞれの教室に1人ずつ配置された。 その中のある教室で、3年生に対して非常に好意的過ぎる採点が続発した。 その教室の日本人教師は3年生の担当だったが、 教室内でスピーチを聞いていた2年生などから、疑問の声が上がり、 中国人教師が、その日本人教師に採点基準を問いただしたところ、 「私に喧嘩を売ってるの?」 という答えが返ってきたのだそうだ。 私は他の教室で採点を担当していたので、 ことの真偽はよくわからない。 ただ「喧嘩を売ってるの?」に続いて、 「日本語学部は3年生が中心になるべきだ」だとか 「それなのに今年の2年生は生意気すぎる」などという言葉が、その教師の口から出てきた と聞いて、うんざりしてしまった。 これまでに、 「だから中国人はダメなんだ!」 と教室で学生たちに向かって暴言を吐き、 部屋に1年生が来ることに腹を立てて、 「私の部屋に来ないように、1年生に言ってくれ!」 と、中国人の教師に電話をかけたなど、 その教師の逸話には事欠かない。 せっかくの大事なイベントなのに、 後味が悪いものになってしまった。
2009年04月14日
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『日本語スピーチ・コンテスト』の予選が終わりました。 4つの教室に、22人ずつ分かれて、予選が行なわれ、 それぞれの教室の優秀者、上位3人が、明日(つーか、もう「今日」だけど)の 決勝大会に進みます。 その模様はまた後日、報告するとして、 コンテストが終わった後、それぞれのクラスでスピーチをした学生たちが、 私のところに集まってきて、取り囲んでくれました。 会場だった教室から、私の部屋まで、彼女たちと一緒にお喋りをしながら、 ゆっくり歩いて帰りました。 思えば、彼女らが1年生の時から、ずっと一緒に頑張ってきました。 今回のコンテストの前、原稿の添削、指導、会話の相手、授業の準備、そして授業と、 絶えず何かに追いまくられている日がずっと続いて、 疲れ果てていた時、彼女たちが、私の体を心配して、 随分と気を使ってくれました。 今では、誰にも負けない、誰にも真似のできない、しっかりとした絆が、 私と学生たちの間には「ある!」と実感しながら、歩いていました。 教師と学生という関係ではなく、 また日本人だ中国人だなどという意識もなく、 人間と人間として、お互いに欠かせない存在になった。 そんな感じがします。 ところで、教室の中で、こんなものを見つけました。 絵は上手いけど、この時の授業、きっとつまらなかったんだろうな(笑)。
2009年04月13日
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スピーチ・コンテストを明日に控えて、原稿の添削と発音矯正はすべて終わった。 コンテストの出場者は88人、そのうち、私が指導をしたのは63人。 去年のコンテストでは47人を指導して、相当疲れたが、今回はそれ以上だった。 直している最中に、次から次へと学生たちがやって来るのは、まだ我慢できたが、 これで全部終わった! と気を抜いた後に、7人揃って、原稿を持ってきた時には、 ダメージが大きかった(笑)。 良かったこともある。 それまで話したことがなかった学生と、これをきっかけに親しくなることができたからだ。 親しくなるというのは、私にとってもそうだが、学生にとっても良いことだ。 それは、日本人と話す緊張感が少なくなるから。 学生たちの会話能力の向上を阻んでいるのは、緊張感、恥ずかしさ、怖さ……この3つ。 それが、原稿の添削や発音の矯正、そしてその後の、私とのおしゃべりを通じて 解消できれば、大きな進歩に繋がる。 1年生たちが理解できる単語と文法で話して、聞き取れる喜びを感じさせて、 しかも面白い話をして、学生たちを笑わせ、 「次もまた先生と話をしたい」と思ってもらう。 日本人教師として親近感を持ってもらうことは、そのためにとても重要だ。 その点では、疲れたことは疲れたが、大いに意味のある疲れだったと思う。 ただ、疲れとは別に、やはり1人の教師に集中するというのは、良いこととは思えない。 そして、1人の教師に集中したのは、やはり理由がある。 その理由はここでは書かないが、その「理由」によって、 学生たちは、ある者はがっかりし、ある者は憤慨し、ある者はやる気をなくした。 それはとても大きな問題だと思う。 断っておくと、私以外に、もう一人、学生を第一に考えている先生がいます。 その先生は、先日、大学からの要望で、来年も引き続き、 この大学で教鞭を取ることが決まりました。
2009年04月12日
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スピーチ原稿の添削と発音矯正は50人を超えて、ほぼひと段落ついた。 この後、駆け込み依頼が何人かあるだろうが、それでも10人前後だろう。 ところで、1年生の授業では、今週からある試みを取り入れている。 去年は1クラス12人で「発音」の授業をしていたのだが、 今年は1クラスが28人。 しかも、他の先生のクラスの学生も全員来るし、同じ授業を2回聞きに来る学生も大勢いる。 だから、毎回、授業の時は教室に40人以上の学生がいる。 学生が多いから、授業は賑やかになる。 それはプラスの面だが、やはりマイナスの面もある。 一人ひとりの会話の機会が少なくなるということだ。 そして、教室の後ろに座って、ただ聞いているだけという学生も多い。 このことが、ずっと気になっていた。 日本語を話すのが恥ずかしい、緊張する、だから話さない、という学生は多い。 だが、それ以前に、教室で、或いは人前で発言することが恥ずかしいという学生がいる。 それを克服しなければ、教師の部屋に行って、会話の練習をするなんて、無理だし、 会話の上達など、望むべくもない。 というわけで、今週の授業から、話すチャンスを格段に増やした。 私が話す簡単な日本語を中国語に通訳させたり、 会話資料の文章を英語で通訳させたり、 会話の例文も増やした。 日本語を話すことが恥ずかしいなら、中国語でも英語でもなんでもいいということ。 何でもいいから、まず手を上げて話す習慣をつけてほしいと思った。 すると、手を上げる学生の数が増えた。 普段、教室の後ろで黙って授業を聞いていた男の学生が、 「先生、俺に話させてくれ」と言いたそうな顔で手を上げていたのを見た時は、 心の中で思わずガッツ・ポーズがでた。 彼が話したことによって、隣に座っていた彼の友達も、手を上げるようになった。 いい連鎖反応が続いて、その日の授業は、以前に増して賑やかになった。 まず、初めの一歩が大事だと思う。 日本語の授業だから、日本語を話すことは当然だが、 それに凝り固まる必要はないのではないか、と思う。 きっかけは何でもいいから、話すということが大事だ。 先週は中国語を話したから、来週は英語で話してみようか、でもいい。 そうやって、「じゃ、日本語を話してみるかな」「先生の部屋に行ってみようかな」 そう思えるようになれば、後は自然に話し好きになる。 まだ1年生だから、そこからスタートしても、まだ充分に間に合う。
2009年04月10日
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来週の月曜日に開かれる『日本語スピーチ・コンテスト』に先立って、 たくさんの学生たちが、「原稿を直してください」とやって来る。 いままでに36人の原稿を直して、発音も矯正してきた。 そして、今、手元に15人の原稿が積んである。 明日までに、直し終えて、学生に返し、その後、発音の矯正をしなければならない。 明日は、私も授業があるし、4年生が面接の練習にやってくる。 そして、多分、明日の授業で、30人ぐらいの学生が、 「原稿を直してください」と頼みにくるだろう。 ちょっと、きついな。 でも、他の先生に断られた学生を、再度、私が断るわけにもいかないし、 もともと断ろうなんて、考えたこともないが、 今週は、体力と根気との勝負だな。 やっぱ、きついな。
2009年04月08日
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去年の1年生たちを、私は「史上最強」「空前絶後」と評価している。 他のクラスの授業も聞きに行く、上級生の授業にも顔を出す 担当教師以外の部屋に会話の練習に行く、友達同士で絶えず日本語で話をする、 ……すべてが、それ以前の1年生には見られなかったことで、 会話のレベルは既に上級生(3年生、時には4年生さえ)を超えている。 その「史上最強」の彼女らが、去年、できなかったことがある。 それは1年生の時に、校内の『日本語スピーチ・コンテスト』に参加すること。 去年、彼女らはコンテストの会場の最前列に陣取って、 先輩たちのスピーチを食い入るように聞くだけだった。 ところが、今年の1年生たちは、なんと20人がスピーチ・コンテストに出場する! これこそ、まさにこの学校始まって以来の出来事。 1年生だけに、難しい内容の原稿は書けない。 5分の制限時間には届かず、3分ぐらいの内容でしかない。 だが、それでも尚、参加しようという気持ちが素晴らしい。 「空前絶後」を超えた、今年の1年生をどう形容すればいいのだろう。 1年生たちは、きっと先輩の後姿を見て、積極性を学んだのだろう。 1年生の時に、日本人に慣れて、会話に親しみ、積極性を養えば、 その後の日本語学習で、飛躍的に伸びる。 そういう友達の姿を見て、クラスメートたちも影響を受けて、 学年全体が活気づく。 コンテストに出場する1年生たちが、次々に原稿を持ってやって来る。 それは素直に嬉しい。 1年生の授業で私がやってきたことが間違いではなかったと、 学生たちが証明してくれている。 だから、この仕事は楽しい。
2009年04月05日
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先日書いた4年生の話。 外国語の専門学校の日本語教師の職に応募して、1次試験を通過した彼女は、 次なる2次試験へと駒を進めた。 2次試験は日本語の『模擬授業』。 どういう授業をしてもいいが、条件は「賑やかな授業」をすること。 そこで、彼女は私の授業を参考にしようとして、私にアドバイスを求め、 入念に準備をして2次試験に臨んだ。 その彼女から今日、メールが届いた。 そこには、こう書いてあった。 「先生、おかげさまで合格しました。本当にありがとうございます」 だが、これで教師の職を得たわけではない、 次に3次試験が待っている。 大変だけど、頑張ってほしい!
2009年04月02日
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最近は1年生たちがひっきりなしに私の部屋にやってくる。 覚えた単語も文法も少ないが、 それでも会話を楽しみたいという気持ちが感じられて、それがとても嬉しい。 そして話をするたびに、聞き取りが上手になり、会話の幅も広がっていく。 そういう進歩を見ることができるのも、また嬉しい。 ある女の学生は前期の授業中はいつも後ろの席に座って、発言もなかった。 しかし、後期からは、友達と一緒に私の部屋に来て、会話をするようになった。 先日、授業で教室に入った時、一番前の席に彼女が座っているのを見て、 私は、心の中でガッツポーズをしてしまった。 毎日、学生と一緒だから、平凡といえば平凡な日常だが、 相手の学生たちが日々、変化、上達、進歩しているから、 飽きることがない。 1年生や(最強軍団?の)2年生たちに負けじと、 昨夜は4年生が部屋にやって来た。 今夜は3年生たちがやって来る。 周囲は毎日、変化している。
2009年04月01日
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