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中国から更新です。 赴任先の大学の、これまで3年間住んでいた部屋に帰ってきました。 なにがどうと、うまく言えませんが、 温かいです。 2か月間、留守にしただけなのに、懐かしい感じがあります。 空気も景色もあちこちから聞こえてくる中国語も、すべてが、 なんだか私を歓迎してくれているようで、 温かい気持ちになりました。 これまでは大学の人が北京で私を迎えてくれたのですが、 今回は迎えはなくて、一人でここまでやって来ました。 外事弁の人たちも「迎えはいらないでしょ?」と、 すっかり安心、信頼してくれたからです。 授業が始まるのはまだ1週間先のことですが、 明日は早速、学生が会いに来てくれます。 日本では「中国を嫌い」だと思っているそうですが、 そういう人にあえて中国を好きになってもらおうとは、もう思いません。 ただ、私の授業を聞いてくれる中国人の学生たちには、 日本人と日本を好きになってもらいたいとは思います。 私の授業を好きになってくれて、 日本と日本語に興味を持ち、 日本に関するいろいろなことを知って、 日本語がどんどん上手になり、 日本をますます好きになってくれる。 そういう授業をしたいと思っています。 そのために中国に来たのですから。。
2009年08月30日
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夏休みももうすぐ終わり。 ということは、私の日本での生活ももうすぐ終わって、 中国での4年目の生活が来週から始まります。 担当の授業は2年生の「会話」と「作文」、そして1年生の「発音」。 興味を持っているのは、 新年度の1年生の「発音」を4人の日本人教師全員が担当するということです。 これまでは2人の日本人教師が担当していて、 去年は、他の先生のクラスの学生全員が私のクラスを聞きに来ていました。 私としては、自分の授業が学生たちに認められたと思って嬉しかったのですが、 もう一人の日本人先生が学生を遠ざけたり、雑言を吐いたりで、 そちらの方が、私にとっても学生たちにとってもストレスになっていました。 新年度は4人の日本人教師全員が1年生のクラスを担当するということで、 それぞれの個性がはっきりわかるでしょうし、 クラスのレベルにも差がつくかもしれません。 1年生の場合は、まず日本語を好きになること、 日本語を話すことを恥ずかしがらず、楽しめるようにすること、 授業を待ち遠しく思えるような授業をすること、 日本人に親近感を感じてもらえるようにすること、 そんなことを心掛けていれば、 学生たちは自分でどんどん勉強をして、レベルが上がっていきます。 特に競争を意識するわけではありませんが、 私のクラスは他のクラスより、賑やかで笑いが途切れず、成績も断トツ! そんなクラスにしたいと思っています。 というわけで、この夏、我が家で過ごすのは今日が最後。 明日の朝早く、大阪に行って、博物館などを巡りながら1日を過ごして、 明後日の朝、中国に行きます。 ……では、行ってきます。。
2009年08月28日
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もうすぐ私の夏休みが終わって、中国での生活が再開する。 毎年この夏休みはのんびりとしかし充実しながら過ごそうと思っている。 今年は福岡に行ったり、大山僧兵コースを踏破したり、鳥取砂丘に登り、 県内の有名なソフトクリームを食べ歩き、先週は出雲の玉造温泉に浸かった。 毎日、家族のために料理を作るというのは毎年、自分に課した仕事。 今年は家に帰って来たら、奥さんが活力鍋を買っていたので、 それを使っていろいろな料理を作った。 サバの味噌煮、イワシの梅煮など魚料理が多かったが、 最近のお気に入りは豆料理。 近所の市場で、近くの農家の皆さんが持ち寄った野菜を売っているので、 野菜はもっぱらそこで新鮮で安いものを買っているが、 大豆や黒豆、うずら豆、インゲンなど、豆もたくさんあったから重宝していた。 大豆とこんぶ、こんにゃく、にんじんなどを煮込んだ野菜豆や、 黒豆を砂糖で味付けしたものなど、 活力鍋なら水も少なくてすむから豆本来の味を堪能できる。 市販の煮豆は味が濃いが、 自分で作ったものは調味料は控えめでも豆本来の味が出るから、いくらでも食べられる。 大きなスプーンに山盛り掬って口に入れると、実に贅沢な味に舌鼓を打てる。 豆と言えば、私が何度か紹介した、中国の大学近くの市場通り「破街」では、 豆をその場で挽いて、豆乳を作ってくれる露店がたくさんある。 「大豆」「紅豆」「黒豆」「緑豆」「ピーナッツ」「アーモンド」など 生(または茹でた)の豆を自分で選べば、 その場で飲み物にして渡してくれる。 これがまた濃厚で美味しい! 学生たちはいろいろな豆をミックスして注文するが、 私はそれぞれの豆の違いを味わいたいので、いつも1種類だけでジュースを作ってもらう。 これまでで一番美味しかったのは「アーモンドジュース」。 来週、学校に着いたら、早速飲みに行こうと思っている。 日本には日本の、中国には中国のそれぞれ美味しいものがたくさんある。 どちらも美味しくいただけるなんて幸せなことだ。。
2009年08月26日
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中国の学生たちからメールが届いた。 「先生、いつ帰って来ますか?」という内容。 待っていてくれる人がいるというのは嬉しいことだ。 更に、そのメールには日本語能力1級試験に合格したことも書いてあった。 私たちの大学では1級試験は3年生の12月に受験することになっている。 だが彼女らは他の学生に先立って、2年生の7月に受験をした。 そして合格してしまった。 大学に入ってから日本語の勉強を始めて、僅か1年半で、 1級試験に合格するなんて、本当にすごい! しかも彼女と一緒に受験をしたクラスメート3人もみんな合格していた。 勿論、彼女らの努力の賜物だけど、私もそれに乗っかって、自慢しちゃおうかな。 今回試験に参加して、しかも合格した学生たちって、 みんなこの2年間、私が担当した学生たちなんです。 中国の学生たちは本当によく勉強をする。 日本の学生たちには、中国の学生の努力など、到底想像できないだろう。 今、日本では選挙戦が賑やかだけど、 民主党に風が吹いて、政権交代間近なんだそうだ。 国の針路を決める大事な選挙が「風」などという 「気分」や「雰囲気」で決まっていいのだろうか、と思う。 日本にとって大きな問題である財政再建などは10年や20年ではできることではないのに、 政権が変わるたびに方針も変わったのでは、針路など定まるはずはない。 一番心配しているのは、国がやるべき仕事について論議が活発ではないこと。 国の仕事とは「財政」「外交・防衛」「教育」「福祉」などだが、 「外交・防衛」と「教育」についてはっきりさせてほしい。 民主党が政権を取れば、社民党と連立を組むそうだが、 社民党のイデオロギーを実行すれば、国際社会から孤立せざるをえない。 更に民主党の支持母体に日教組がいるから、民主党は日教組の意見を取り入れるだろうが、 そうなれば日本の教育の将来はどうなってしまうのだろう。 高速道路が無料になるなんて、実は大きな問題ではなく、 国の根幹に関わるもっと大きなことを論じるべきだろう。 総選挙とはそういう場にするべきだ。。
2009年08月25日
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日曜日は朝一番で総選挙の期日前投票をすませて、 そのまま足を伸ばして隣の県の玉造温泉に行って、のんびりと湯に浸かってきました。 来週の投票日には、私はもう中国に行って4年目の生活が始まるので、 選挙結果はネットで確認するしかありません。 日本での最後の夏休みに温泉で精神的にのんびりできたのはいい思い出です。 中国での生活も4年目になると不安はいっさいありません。 これまで中国での生活は、学生たちに囲まれて、楽しいことばかりでした。 それでも今回、中国に行くことがワクワクしないのは、 5月に父が亡くなって、家の中が寂しくなったので、 これでまた私が中国に行くとなると、 残された家族は更に寂しさを感じるだろうと心配しているからです。 夏休みの間はずっと家族と一緒にいて、 離れている時は、一緒にいる時以上に家族を大切に思う。 いつも考えていることですが、 会えない時間が家族の絆を一層強くするような、 そんな気持ちでまた中国に行こうと思っています。 日本にいる時間はあと1週間だけになりました。。
2009年08月23日
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ついに来た! 電話アンケート! 呼び出し音が鳴って、送受器を取ると、選挙に関するアンケート調査だった。 報道機関などが、コンピューターで無作為に発生させた番号に電話をかけて調査するというもの。 選挙に行きますか? 支持政党はありますか? それはどこですか? 誰に投票しますか? 比例区はどの政党に……などなど。 いつもテレビなどで見ていて、本当にやっているのかなと思っていたが、 本当にやっていました。 ついつい正直に答えてしまいましたが、 選挙前にこういうアンケートを頻繁にやって、その結果を発表するというのは、 有権者の投票動向に影響を与えそうで、あまり好きではない。 選挙速報での当確を早く発表するためのデータ作りでもあるのだろうが、 自分の政治信条をあれこれ話すのも、なんだかいい気がするものではない。 でもまあ、相手がコンピューターの音声で質問してきたので、 言われるままに電話機のプッシュボタンを押してしまった。 ですから次回のアンケート結果には、私の意見も反映されています(笑)。。
2009年08月21日
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日本に帰って来てからは、食事を作ることが私の担当なので、 スーパーに買い物に行く機会は多い。 そしてスーパーに行くたびに気になることがある。 本来、その売り場にあるはずのない商品が置いてあるということだ。 ソースや醤油のコーナーに味噌が置いてあったり、 肉の売り場に魚が置いてあったりする。 誰かが買おうとしてカゴに入れたものを、途中で気が変わって、 それを元のところに返すのを面倒くさがって、目の前にポイッと置いてしまうのだろう。 自分勝手でモラルが感じられない光景だ。 一緒に買い物に行った子供はきっとそういうの見ているから、 子供たちもいずれはそういうことを真似するようになる。 衣食足りて礼節を失う……今の日本ってそんな感じなんだろうか。。
2009年08月20日
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私の奥さんは社会福祉士やケアマネ、精神療法士などいろいろな資格を持っている。 それを見込まれて、地域の役場からヘッドハンティングされ、 今は役場に嘱託として勤めている。 今年で3年目(私が中国に赴任した時に役場に勤め始めた)でマンネリ化したせいか、 来年からはまた新しい環境で仕事をしたいなどと言っている。 私に「好きなことをやるのが一番」と言って、中国に送り出してくれたように、 私も奥さんに関しては「自分がやりたいことをやればいい」といつも言っている。 そのためにお互いに協力し合っている。 だから私も奥さんも来年はどこで何をやっているかわからない。 仕事がら地域の障害者や認知症患者、要介護認定者、生活保護、独居老人など相談事項や、 その世話、法的な問題解決などを担当している。 今日、その仕事場にある老婦人が相談にやって来たという。 聞けば、その老婦人の兄(つまり老人)は奥さんと二人暮らしをしていたのだが、 先日、奥さんが急病で入院してから、何も食べていないのだという。 それを心配して、当の本人に代わって、妹さんが役所に相談に来たのだ。 食事をしないのは、奥さんが心配で食欲がないのはなく、 ご飯の炊き方や買い物など全てを、これまで奥さん任せで、 自分では何もしたことがなかったからだという。 食事以外でも家の中のことは何がどこにあるかさえわからないのだそうだ。 子供が独立して家を出て行き、老人夫婦だけで住んでいるという家は近くにも多い。 その夫婦もいずれ、どちらかに先立たれる。 夫が先に亡くなった場合、残った奥さんは一人でもうまく暮らしているケースが多いが、 逆に妻に先立たれた夫は家事もできず、不便さと孤独を託っていることが多いという。 私はどうかな? 家事で困ることはないと思うし、何か目標を持ってやるということも大丈夫だろうけど、 自分ひとりのために食事を作るという侘しさに耐えられるかなあ? 誰かに食べてもらうために作るのはいいのだけど。。
2009年08月18日
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盆休み最後の日、昨日は山登りをしました。 標高1080メートルぐらいの低い山ですが、 太陽を遮る木がなくて、ずっと直射日光を浴びながら登るという山です。 実は4年前、一度チャレンジした時は、真夏の炎天下ということもあって、 私の奥さんが、途中で気分が悪くなり、断念したという経緯があります。 今回は奥さん自らリベンジしたいと言い出しての再チャレンジでした。 晴れてはいたものの、風は涼しく、気温も高くなかったので、 案外、楽に頂上に着きました。 山から下りた後で、もう一度登ることができそうなほど体力も充分でした。 前回、途中で諦めたことをずっと悔しく思っていた奥さんにとっては、 気が晴れた登山だったと思います。 今月末には、私が中国に行かなければならないので、 家族と一緒に過ごす日はもう残り少なくなっています。 次の週末は出雲まで足を伸ばして、玉造温泉でのんびりする予定です。
2009年08月17日
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我が家は5月に父が亡くなったので、今が初盆です。 顔も見たことがない先祖の墓参りよりも、 私が生まれてから、ついこの間までずっと一緒にいた父親の墓参りとなると、 やはり気持ちも変わります。 我が家は墓が2箇所にあって、 父も母も、母代わりに私を育ててくれた祖母も、 みんな海に面した新しい墓に入っています。 それ以外にもう1箇所、家から少し遠くの、山の麓に古い墓があって、 こちらには祖父より以前の先祖が眠っています。 盆の前はそちらの古い墓の掃除に行きました。 1年に1回の掃除なので、雑草は延び放題で、墓石が見えないほどです。 この草刈りが毎年、夏の年中行事となっています。 これがなかなか大変で、暑さもあって体力を消耗します。 慣れない態勢で草を刈っていたので、 今日は太腿の裏の筋肉がパンパンに張っています。 普段からこまめに掃除をしていればいいのですが、 僅かなことをこまめに続けるより、 1回だけ頑張る方がいいという性格なので、 結局、盆の前に汗をかくことになります。 そういう性格だから仕方ありません。 性格の問題ではなく、先祖に対する慰霊の気持ちの問題なのでしょうが。。
2009年08月13日
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梅雨明けしたというのに、本当に雨が多いですね。 楽しみにしていた高校野球も雨のために二日続けてノーゲームになったし。 気温が低くても湿気が多いから、やっぱり不快。 雨といえば、高校3年生の時の文化祭の日も朝から雨が降っていた。 午後から小降りになったので、私たち生徒は総出で、 腰を屈めて、グランドに浮いた水をスポンジで吸い取ったものだ。 そんなこともあってか、企画からずっと携わっていた私と友人とは、 最後のグランドファイアーが終わった後、誰彼かまわず、抱き合って泣いたのだった。 何かをやるにしても生徒が中心になって、自分たちがやりたいことをやるのが一番いい。 文化祭が終わった日の夜、近所の友人の家で打ち上げ会を開いた。 庭に置かれたテーブルの上にはたくさんのビール瓶が並び、 友達のお母さんが料理を次々に出してくれた。 私がビールを飲み、タバコを吸ったのは、その時が初めてだった。 友達のお父さんは町議会議員をしていたが、 息子とその友人がビールを飲み、タバコを吸っているのを見て、 「今日だけだぞ! 火の始末はちゃんとしなさいよ」 とだけ笑いながら、厳しい声で言ったのだった。 遥か遠い高校の時の思い出です。。
2009年08月10日
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女優の大原麗子さんが亡くなった。 聞けば、10年ほど前にギランバレー症候群を患って闘病したとのこと。 この「ギランバレー症候群」は神経性の難病で10万人に1人の割合で発症するそうです。 実は私も10年前、このギランバレー症候群で闘病をしていました。 立てず、歩けず、吐いてばかりいました。 自分の体が突然、自分のものでなくなったように思えて、 不安と恐怖におののいていたことを思い出します。 会社をずっと休んで、復帰するまでに4か月かかりました。 でも治った分だけ幸せだったのかもしれません。 治らずにずっと苦しんでいる人も多い病気だそうですから。 大原麗子さんは女らしさとコケティッシュなところがあって、いい役者さんでした。 ご冥福をお祈りいたします。。
2009年08月07日
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この前、私の奥さんと話をしていたら、こんな話になった。 彼女の親父さんは日曜大工が好きで、毎週日曜日にはホームセンターに行って、 材料を買ってきてはいろいろなものを作っていたという。 今、私の家で使っているテレビ台や椅子は、若かりし日の親父さん作ったものだ。 誉められたことではないが、私の奥さんが子どもの頃は夏休みの宿題の工作なども、 親父さんが代わりに作っていたという(笑)。 そんな親父さんが、ある日、奥さんに「何か作ってよ」と頼まれた時、 いつもならすぐにホームセンターに材料を買いに行くところを、 その日は「なんだか面倒くさいなあ」と答えたそうだ。 それを聞いて、私の奥さんは、父も歳を取ったんだなと実感したという。 好きなことが、ある日突然、面倒になったり気が向かなくなってくる。 これって、歳を取ったことの兆候かもしれない。 私は料理を作ることは好きでも嫌いでもないから、 時々、食事を作ることを面倒だと思うことはあるが、 例えば、学校で学生たちと会話の練習をしたり、一緒に散歩をしたり遊んだり、 或いは、授業に行くことが億劫になった時、 その時が、歳を取ったということなのだろうか。 今のところそういう意識はないし、 今でも毎日、学生たちのことを思い出しては早く会いたいと思っている。 まあ、学生たちと会いたいという気持ちがなくなったら、 日本語教師という仕事を辞める時だろうな。
2009年08月06日
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毎日、天気がすっきりしなくて、夏の気分はどこへやら。 外に出る気もしなくて、もっぱら家の中で過ごしています。 日本に帰って来たら、奥さんが「活力鍋」を買っていたので、それで料理を作っています。 活力鍋を使うといろいろな料理が「簡単に」「早く」「おいしく」できるので、 とても重宝しています。 これまでに作ったのは「サバの味噌煮」「サンマの梅生姜煮」「鯵の酢醤油煮」 調理時間が10分程度で、しかもどれも骨まで柔らかく食べることができてびっくりします。 魚料理が多いのは、夜、スーパーに行くと売れ残って半額のシールが貼られた 魚が目につくので、それを買っているから。 前にも書きましたが、売れ残って捨てられる魚や肉が可哀想なのです。 我が家の食事の基本は魚と野菜です。 魚以外にも豆料理も柔らかく炊き上がります。 煮えにくい大根を使ってイカと大根の煮物も簡単で手早くできます。 でも、こうやって考えてみると、毎日作っているのはほとんどが和食です。 中国では中華料理ばかり食べて、それが苦にならず普通の状態でしたが、 日本では和食ばかり食べています。 やっぱりその国の気候風土に合った食べ物ってあるんですね。
2009年08月04日
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すっきりとした青空を最近しばらく見ていません。 しょっちゅう雨が降って、肌寒い日が続いています。 もう8月なんですけどね。 今日はもし晴れたら島根県へと足を伸ばして観光地や博物館を巡るつもりでした。 家族がソフトクリームが好きなので、 島根県の名物ソフトもいくつか食べようと思っていましたが、 予定を変えて、家の中で静かに片づけをしています。 父が持っていた古い荷物の中に、父や叔母さん達の小学校や中学校の通信簿がありました。 父は小学校を卒業する前に父(私から見れば祖父)を亡くしたので、 学校を出てからはずっと妹たちのたちのために、ある時は兄、ある時は父代わりとして、 仕事をして家計を支えていました。 自分が進学できなかった分、無理をしてでも私を進学させたいと思っていたようです。 その私が今、曲りなりにも中国という異国で教師をしています。 そのことについて父は私に何も言ったことはありませんが、 多少なりとも誇りに思ってくれていたようです。 茶色に変色した通信簿やいろいろな書類、証書、写真、手紙など 一枚ずつ眺めていると、その人の人生がつながってくるようです。 外に遊びに出かけるのもいいのですが、 こうやって静かに人の人生を思い耽るのもまた面白いものです。
2009年08月02日
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