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昨日の1年生の授業は、わたしが教室に着くのを待っていたように、 30人の学生全員が、『HAPPY BIRTHDAY』の歌を歌いだした。 予想外のことだったので、驚いた。 1年生たちは発音の練習が終わって、文章を読み段階に進んでいる。 その中で数詞(1、2……20、30など)を学んだばかり。 日本語の数詞、特に日にちの数え方(ついたち、ふつか、みっか、よっかなど)は、 学生たちにとって難関の一つで、 上級生になってもまだ覚えていない学生もいるほど。 先日、授業で、日の数え方を教えた時、学生たちの誕生日の読み方を教えた。 その時、10月29日は、私の奥さんの誕生日だと教えた。 ついでにいえば、11月29日は、私が父と慕った、会社の社長の誕生日で、 1月29日は私の誕生日。 (ちなみに12月29日は夏目雅子さんの誕生日) それを覚えていた学生たちが、私の奥さんのために、 『HAPPY BIRTHDAY』を合唱してくれたのだった。 朝8時から、合唱で歓迎を受けるなんて、 日本じゃ考えられないだろうな。
2009年10月30日
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この大学では、私たち外国人教師と外国人留学生のために、 外事弁には専門の料理人と食堂が用意してある。 外国人向けの料理ということで、中華料理には変わりはないが、 味は濃くなく、油も控えめになっている。 私が外事弁で食事をするのはだいたい三分の一。 他の三分の一が学生食堂で、 残りの三分の一が、学校近くの市場通り(通称:破街:おんぼろ街) 学生食堂は量が多く、値段が安いことが魅力で、学生たちとよく一緒に行く。 破街は、学生食堂ほどではないが、値段が安く、しかも味はとても美味しい。 麻婆豆腐は4元か5元だし、牛肉ラーメンは3元ぐらいだ。 破街で食事をする日本人は少ないので、 私が行くとよく目立つようだ。 今ではすっかり有名人になってしまった。 ある店では、食べ終わってお金を払おうとしたところ「今日はタダでいいよ」と言われた。 またある店では、「これはサービスしとくから」と注文していない料理をご馳走になった。 そして、また別の店の老板(主人)は、 私が食べている時はいつも、「どうぞ」と言ってタバコを勧めてくれる。 5年前に禁煙をして、今も続行中なのだが、 タバコは嫌いではないので、勧められれば、ありがたく吸うことにしている。 タバコを吸っている私を、学生は珍しそうに見ている。 翌日、また吸いたいという気持ちにならないので、 安心して吸える、というところもある。 愉快で熱心な学生たちは勿論だが、 こんな人たちが周りにいるので、 私の中国での生活は楽しい。 4年もここで、生活できるのは、そういう人たちに囲まれているからだろう。。
2009年10月28日
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週末は学生(2年生)と一緒に食事をした。 去年、今年と私が担当している学生たちなので、お互いの性格や気心は分かり合っている。 いつも冗談を言ったり、誉めたり、からかったりしている。 食事をしている時、こんな会話になった。 学生A「先生はどんな肉が好きですか?」 私 「Aさんの肉を食べたいです」 学生B「(笑)先生、Aさんの肉は脂身ですよ」 学生A「(笑)いいえ、私は赤身です」 学生をからかったり、からかわれたり、 みんな、腕をあげたなあ!
2009年10月25日
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2年生の「会話」授業でのロールプレイはひと段落して、 来週からは100分の授業時間の中の30分を使って「ディベート」をしようかと思っている。 それも寮の「ルーム対抗ディベート合戦」。 中国の大学では、学生は寮に住んでいて、ルームメート同士の結びつきが強い。 それを利用すれば、白熱した「ディベート」合戦になるのではないかと期待している。 先週の授業では、ディベートのやり方を練習するために、次のテーマで意見を出させた。 「新婚旅行をするなら、中国国内旅行がいいか海外旅行がいいか」 教室を二つに分けて、意見を戦わせた後、来週のテーマを発表した。 そして、来週は2つのルームが、 「日本に留学するなら、アパートで一人暮らしかそれとも日本人の家にホームステイ」 という二つに分かれて、どちらがいいか、論戦を展開する予定だ。 1週間の準備期間を与えたのは、 その期間を使って、何をどう言えばいいか、充分に練ってもらいたいと思ったから。 慣れてくれば、これも即席ディベートへと発展させていこうと思っている。 テーマは、来週は「日本に留学するなら」だが、 その後はこんなテーマを考えている(学生たちには秘密だが)。 「結婚するなら、早婚がいいか晩婚がいいか」 「子供にやらせたい職業は、公務員か或いは芸能人か」 「美容整形に賛成か反対か」 授業中、教科書は使うが、最初から最後まで教科書、という授業はしない。 教科書を「読む」ことと、「話す」ことは違うと思っているからだ。 学生たちに自分で考えて「話す」チャンスをたくさん与えて、 間違ったところは直していけばいい。 だから、私は学生たちに、むしろ「たくさん間違える」ことを奨励している。 誰かが間違えれば、私がそれを直して、 クラス全員が正しい日本語を覚えることができるからだ。 そのために、授業では、間違えても恥ずかしくない雰囲気作りを重要視している。 間違えることが恥ずかしくなくなれば、会話に対する恐怖心が消えて、 日本人との交流に勇気が持てるようになる。 そして日本人とたくさん話をすれば、会話は必ず上手になる。 「会話」の授業は教師がたくさん話すのではなく、 学生がたくさん話す授業のほうがいい。 私はそう思っている。。
2009年10月22日
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私は日本では教師経験がない。 日本に来て仕事をしていた中国人に日本語を教えたことはあるが、 「学校」での教師経験はまったくない。 中国の大学で日本語を教えている日本人は、 ほとんど日本で教師経験を持っている人ばかりで、それも40年近いという長い経験だ。 教師社会には、他の民間企業で働く人たちとはまったく違う独特の価値観がある。 中国に来てから、その独特の価値観に気がついた。 そして戸惑った。 2年前、ある男性教師の授業を見学に行った時のことだ。 その時、その日本人教師は、学生に教科書を追い読みさせていた。 「追い読み」とは、まず教師が読み、その後、学生に続けて読ませるというやり方のこと。 その追い読みで、彼は単語ごとに区切って、学生に読ませていた。 単語ごとに区切るのは、いくらなんでも短すぎるだろうと思った。 しかも彼には、単語の語尾を上げるという癖があった。 学生たちは語尾を上げるという奇妙な発音で、教師の通りに読んでいた。 私が一番、気になったのは、その教師は、 教壇に教科書を置き、俯いて教科書を読んでいたということだ。 これでは声が通らないし、学生の顔も見えない。 授業の後、私はさりげなく、遠慮しながら、その三つの点を指摘した。 返ってきたのは、怒鳴り声だった。 なんだ、偉そうに! お前がどれほどのものだ! と言いたそうな語気と内容の怒鳴り声だった。 それ以来、他の先生と授業について話をすることをやめた。 今年の3年生たちは、去年、私が教えた学生たちだ。 去年の私の教え方やその時の学生たちの反応、レベルなどについて、 今年の先生に伝えることができればいいのだが、それができない。 去年も私は2年生の担当だった。 その私の部屋に、毎週、3年生の学生たちが遊びに来ていた。 理由はいろいろあるだろうが、彼女らは3年生のその教師の部屋にはほとんど行かなかった。 その状況を見て、3年生の教師は、自身の授業中に学生たちにこう言ったという。 学生たちの名前を5人挙げてバッシングしたそうだ。 「この人たちは○○(私の名前)派だ!」 そして、どうなったか? 3年生たちは、私の部屋に来なくなった。 きっとその日本人教師は、それで満足されたのだろう。 3年生たちは、私の部屋に来なくなったが、 学校の外で、その先生の目の届かないところで会うようになった。 そして今年、4年生になった彼女は、堂々と私の部屋に来るようになった。 教師にはそれぞれ自分だけの世界があって、 それは侵害しても、侵害されてもいけない。 誰もが一国一城の主なのだ。 だから、他の教師の授業を見て学んだり、参考にしたりということはない。 まして、私のような者が口出しをすることなど、 他の教師にとっては、神をも恐れぬ行為なのだろう。 ちなみに、今年の他の二人の日本人の先生たちは、去年までとは違って、 融通が利く方々です。。。
2009年10月19日
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3年生たちは、12月に日本語能力1級試験という関門が待っている。 例年、この試験を控えて、3年生たちはストレスを感じ始める。 ところが……! 今年の3年生たちは、なんか楽天的で、のんびりしているように見える。 勿論、一生懸命に準備はしているのだろうが、深刻そうな雰囲気はない。 「大丈夫ですよ。先生、心配しないで」なんて言っている。 去年、その前、そしてその前の年の3年生たちは、今の時期、 日本人教師の部屋に来て会話の練習をすることは少なかった。 試験の準備が忙しいから、先生と会話をする暇がない というのが、去年までの3年生たちの言い分だった。 だが、今年の3年生(のあるクラス)たちは毎晩のように、 日本人教師の部屋を訪ねて、わいわいと会話を楽しんでいる。 「試験の準備と日本人との交流は両立できます」 というのが、今年の3年生たちの言い分。 それでこそ、わが教え子! 頼もしいなあ! 口だけじゃなくて、結果も見せてくれよ!
2009年10月15日
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昨日の2年生の「会話」は楽しい雰囲気で授業ができた。 その雰囲気を作ったのは学生たち。 先々週から、教科書のテーマに沿ったロールプレイを、授業に取り入れているが、 昨日のテーマは『買い物』で、私は学生たちにこんな宿題を出した。 登場人物は3人で、学生(女)、店の主人、学生の彼氏という構成。 まず学生が店に行き、彼氏の誕生日に何をプレゼントしようかあれこれ探す。 店の主人はいろいろなものを見せて、その良さを紹介する。 プレゼントを買った学生は彼氏にそれを渡し、 受け取った彼氏は、そのプレゼントを見て……。 こんな内容で、1週間準備させて、昨日の授業の中で披露させた。 びっくりしたのは、学生たちが、私の原案を自由にアレンジして、 もっと楽しい内容に変えていたこと。 例えば、こんな感じ。 学生が店に、彼氏のプレゼントを買いに行き、店の主人にあれこれ相談する。 それを見ていた隣の店の主人は、学生を自分の店に引っ張ってきて、 自分の店の品物を隣の店より安く売ろうとする。 そして二軒の店で、商品(時計)の良さをピーアールしあって、値下げ合戦が始まり、 とうとう最後はただで学生に時計を売って(?)しまう。 彼女はその時計を彼氏にプレゼントし、 感動した彼氏は、彼女に感謝をして、更に好きなる。 しばらく話をした後、食事に行くことになり、 プレゼントされた時計で時間を確認しようとしたところ、 その時計は壊れていて、動いていなかった(というオチをつけたところで終わり)。 学生たちはこんなストーリーを考えて、それを日本語で演じた。 スッゲエ! と思った。 確かに学生たちの日本語にはいくつかの間違いはあった。 だが、それは私が直せばいいことで、 それよりもっと重要なことは、 学生自身が「もっと話したい」「日本語を話すことは面白い」と思うこと。 何しろ、まだ2年生になったばかりなのだ。 来週のロールプレイのテーマは「アニメ」 登場人物は2人。 子供がアニメばかり見ていることを心配している母親と、 その母親の相談に乗る教師、という設定。 ロールプレイの中に、必ず使うべき単語を指定したほかは、 私は何も条件はつけなかった。 授業が終わった後、学生が私に駆け寄ってきて、こう聞いた。 「先生、来週のロールプレイは3人でやってもいいですか?」 いったい、どんなミニ・ドラマを見せてくれるやら。。。
2009年10月13日
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学生と話をしていると、いろいろな「中国らしさ」が話題になることがある。 ある時、「もし可能なら、高校生に戻りたいか?」と学生に質問したことがある。 大半の学生は「もう高校生には戻りたくない」と答える。 理由を聞けば、高校生の時は大学受験に合格するために、 朝から夜まで勉強漬けだからだという。 曰く、 毎朝5時半に起きて、6時には教室に行き、自習を始め、 夜は11時まで勉強を続けて、その後で寮に帰って寝る。 放課後のクラブ活動などはなく、ひたすら勉強なのだそうだ。 彼らは寮で寝起きしているから、そういう生活が可能だ。 今、彼らは大学に入って朝から夜まで、授業を受けている。 授業がない時は、自習に費やしている時間も多い。 日本人には信じられない勉強の量だが、 それでも彼らに言わせれば、高校の時に比べたら、とっても気楽なのだという。 そして高校の授業は、クラスの中の成績の良い学生を対象にして行なうのだそうだ。 成績が悪い学生は、教師にとって「ダメな学生」だそうで、 教師には相手にされない。 授業に追いつくためには、一人でひたすら努力をするしかない。 日本型と中国型、どちらがいいとは言えないが、 「勤勉」というのが、何も学校の授業のことを指しているとは言わないが、 今の日本人は決して「勤勉」ではないよな……と思う。。
2009年10月10日
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国慶節の連休は昨日で終わって、今日から授業が再開された。 そして明日、明後日は水曜と木曜の振り替え授業がある。 その昨日は、中国人の先生たちと一緒に食事をした。 食事をしながら授業の仕方や、クラスの雰囲気づくりなどについて話をした。 毎年感じることだが、1年生の時の担任教師によって、クラスの雰囲気は大きく変わる。 あるクラスは静かで、学生からの発話がほとんどなく、 またあるクラスは学生からどんどん発言や質問があって、とても賑やかな授業になる。 そして大抵の場合、賑やかなクラスは試験の成績も良い。 クラスだけではなく、学年によっても大きな差異がある。 一昨年と昨年、私が担当していたクラスは学生たちがとても積極的で、 日本語を話すことを楽しんでいた。 他の日本人教師の部屋にもどんどん出掛けていって、 日本人との交流を楽しんでいた。 それは彼女らが3年生になった今も、ずっと続いている。 彼女らはどんな日本人とでも、日本語で何時間でも話ができる。 逆に1年生の時から、日本人との交流を避けてきて、 上級生になった今でもなお、日本人と話す時に「恥ずかしい」、「怖い」、「緊張する」と 思って、会話ができない学生もたくさんいる。 今年、私が担当している2年生のクラスは、 1年生の時に日本人と話すという習慣がなかった。 そのために、まだ日本人と話す時に「恥ずかしさ」や「怖さ」を感じている学生が多い。 しかし、まだ2年生になったばかり。 これからの1年間で、それを直していけばいい。 私は今日は授業がないので、 さあ、明日からまた頑張ろう!
2009年10月09日
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始まる前は長いと思っていた国慶節の休みも、あと二日で終わって、 金曜からまた授業が始まる。 そして土曜と日曜は、水曜と木曜の授業が振り替えで行なわれる。 つまり今週の週末は、金曜から休みなく、来週へと入っていくことになる。 まあ、来週は水曜から運動会が行なわれるので、また連休が続くのだけど。 この国慶節の休み中は毎日、朝から夜まで学生が私の部屋にやって来た。 学生のレベルに合わせて使う単語や話題を変えながら、相手をするのだが、 やはり学生ごとに個性があるので、 話をしていて、私自身が楽しいと思うことがあれば、そうでないこともある。 日本語の能力と、面白い会話をする能力は違うのだ。 それは、日本人教師にも言えるのだけど。 私の部屋に来てくれた学生に対しては、 日本語の間違いを直す、発音を矯正するということだけでなく、 いろいろな話題で、日本や日本人、授業、私などに対する興味を感じさせ、 冗談を交えて、笑わせながら、 学生たちに「楽しかった」という気持ちで帰ってもらいたいと思っている。 だが、私が何か質問した時に、「わかりません」 他の話題を持ち出した時は、「興味がありません」 という返事を一言だけ返されて、後は沈黙されても楽しい会話にはなりにくい。 こちらが気分を害する時もある。 日本のアニメやドラマを見て、その中の台詞を覚えて、 私に対して使う学生がいる。 先日、校内で学生に会った時、私は用事があって急いでいたのだが、 その私に対して、学生が掛けた一言が、これだった。 「おい、逃げるなよ!」 なんだかなあ……。
2009年10月07日
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中川昭一元財務大臣が亡くなった。 こちら(中国)のテレビでも5分ぐらいにわたって報道されていた。 お父上も無念の死を遂げられただけに、ご子息である中川氏の死は更に痛ましい。 先進国財務相会議でのもうろうとした記者会見で評価を落とし、 捲土重来を期した先の総選挙でも、再起のチャンスを得ることはなかった。 失意の死と言ってもいいだろう。 私は個人的に中川氏を知っているわけではないが、 政策通であり、自分の考えをはっきりと言葉にできる論客でもあったように思う。 「何か」があった時の、日本人の酷薄さには恐怖を感じることがある。 有名な人、地位が高い人、財産を持っている人……、 これらの人が「何か」した時、ヒステリックに責めるという「日本人らしさ」には、 どうもついていけない。 首相が漢字の読み方を間違えただけで、鬼の首でも取ったように責めまくる。 鷹揚に笑って許すということができない。 漢字の読み方を間違えても、政策を掲げ、それを実行する能力があればいいではないか。 以前、年金を未納していた国会議員を吊るし上げて責めたこともあったが、 今はそんな話は聞かない。 責めるだけ責めれば、後は知らん顔。 今回の選挙で政権が交代した。 またぞろ、マスコミによる「あら探し」が始まるだろう。 日本がだんだん住みにくい国になっていくような気がする。。
2009年10月04日
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2016年のオリンピック開催地の投票で、東京が落選した。 残念だなあ。 北京オリンピックがあったばかりで、またアジアというのも不利だったかなあ。 でも、前回の東京オリンピックの時のように、 国民が一つになってオリンピックを成功させようという空気は、 今の日本にはないだろうし。 公然と「オリンピックは反対!」「金がかかる!」なんて言う人も多いから。 こういうイベントはお金だけでは計り切れない効果ってのがあって、 特に狭い島国に住んでいる日本人は、広い世界のことを知っているつもりで、 実は全然、知らない人ってたくさんいるから、 オリンピック開催はそういう意味でも有意義だと思うのだけど。 まあ、残念だけど、投票の結果だから仕方ないな。 でも、2016年か……。 私はどこで何をしているだろうな。 全然、想像できないな。。
2009年10月02日
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