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学生の家から帰ってきました。 今回は、私の誕生日を祝うために招かれたもの。 これで、今年の冬休みの出歩きは終わりです。 西安、上海、蘇州、無錫、南京、商丘、焦作……たくさん出歩きました。 2年前の誕生日は、まだ授業期間ちゅうだったので、学生と一緒に食事をしました。 去年は遼寧省の学生の家で、餃子を食べながら祝ってもらいました。 そして今年は河南省の焦作市の学生の家で迎えました。 それぞれ、忘れられない思い出ができました。 今年、私を待っていたのは、学生の手作りによる料理と火鍋。 そして、大きなケーキ! 写真ではよくわかりませせんが、とても大きなケーキです。 誕生日にケーキを食べるなんて何年ぶりでしょうか。 食事をした後の、お腹いっぱいの状態で、このケーキを頂きました。 今年の誕生日イベントのメインは、翌日の山登り。 焦作市の郊外に「雲台山」という国家5星の景観区があり、 その山に登ることにしたのです。 山登りといっても、日本でのイメージとは全然違いますが……。 「雲台山」とは一つの山の名称ではなく、いくつかの山の総称。 その姿は、こんなふうに険しく、特に冬は厳しく見えます。 これらの山の中にいくつもの観光ポイントがあり、 観光客はバスに乗って、観光ポイントを順に巡ります。 まず、最初に行ったポイントは「紅石峡」というところ。 紅色の奇岩が幾重にも層をなして、谷になって切れ込んでいます。 眼下には遥かに観光客姿が見えています。 そしてそこまで下りて行きました。 冬だから水が少ないのですが、それでも自然の壮大さを実感できます。 今回、私を招待してくれた学生です。 水が少ないということもあるのですが、寒さが厳しいせいで、滝も凍っています。 それでも石段を登ったり下りたりしているうちに、汗をかいて、 彼女は着ていたコートを脱ぎました。 次に目指したのは、雲台山の中にあるお寺(道教)。 実は、これが想像を絶する非常に厳しい道のりでした。 初めは、そこに見えるのが、目的の寺だと、軽く考えていました。 (と言っても、ここまで二千段近くの石段を登ってきて、かなり疲労しているのですが) ところが、辿り着いて、更に上を見上げれば、更に何ものかが目に入りました。 途中には、こんな姿も。 登っても登っても石段は永遠のように続き、氷点下だというのに、身体は汗まみれです。 金比羅山の石段を、何度も繰り返し登り続けたような感じです。 やっと辿り着いたと思ったら、最後に更に試練が待っていました。 急勾配の100段ほどの石段です。 前を歩いていた人たちも、前傾姿勢になって、必死に登っています。 頂上から見ると、他の山はすべて視線の下にあり、 まさに「雲台山」という名の通りです。 息を切らして、脚の筋肉の苦痛とともに登った前半と比べて、 後半は、笑う脚をなだめたりすかしたりしながら、急勾配をひたすら下りて行きました。 下から見ると、あらためて、自分が登った高さに感心します。 後ろに見える、岩山の頂上まで登ったのでした。 思わず「すっげえ!」と声が出てしまいました。 食べ過ぎた食事とケーキのカロリーは、これですっかり消費したでしょう。
2009年01月31日
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さきほどから、学生たちからのメールが届き始めています。 29日は、私の誕生日です。 この歳になって、誕生日が嬉しいというわけではないのですが、 1年生たちが、「sensei tanjoubi omedetou」などと、 日本語でメールをくれるのは、嬉しいことです。 去年の誕生日は遼寧省の学生の家で、餃子とゆで卵とで、祝ってもらいました。 今年は河南省の焦作市の学生の家に招かれました。 誕生日の翌日は、学生と一緒に雲台山という景勝地に行く予定です。 雲台山というだけあって、山です。 体力が持つかどうか不安です。 一人旅もいいのですが、学生の家を訪ねて、中国人の温かい人情に触れる、 これが非常に心地良いです。 では、行ってきます。
2009年01月28日
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商丘で新年を迎えた日は、朝ごはんを食べた後、他の学生の家に向かった。 その学生が、家族や近所の人たちに、 「私の日本人の先生が来る」と宣伝して回ったのだそうだ。 そのせいか、彼女の家の周りには、初めて来る日本人を一目見ようと、 近所の人がたくさん集まっていた。 「日本人は箸を使えるのか?」「座ってご飯を食べるのか?」「春節はどう過ごすのか?」 など、次々に質問が来る。 それほど、日本人の日常はほとんど知られていない。 同様に、中国人の日常を知っている日本人もほとんどいない。 農村の生活は決して豊かでもなく、便利さなどとは程遠い。 広大な土地の中で、上水道や下水道も完備されていない。 だが、農村を訪ねるたびにいつも思うのは、便利さと家族の幸せとは別だということだ。 家族のみんなはいつも笑顔で、結びつきが強く、お互いに協力し合って生きている。 子供たちはいつも親のことを考え、親は子供のことを案じている。 私が中国の農村を好きなのは、誰もが底抜けに明るく、飾らず、親切だからだ。 二人目の学生の家に行った時も、盛大な歓待を受けた。 初めに6皿ぐらい出てきて、それを食べていると、 次から次へと、新しい料理が出てくる。 食べても食べても、目の前には新しい皿が置かれる。 上の写真の料理を食べた後で、「正式」な食事が始まると聞いた時はさすがに驚いた。 すべて私という客を迎えるために、お母さんが一生懸命に腕を奮ってくれた料理だ。 彼女の家を辞去する前に、家族や友達と一緒に記念撮影。 みんな笑顔だ。 彼女の家族といえば、この方たちも忘れてはいけない。
2009年01月28日
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中国で年越しをするのは、今年が3回目。 いずれも学生に招かれたもので、去年は遼寧省、一昨年は河南省の洛陽、南陽と 中国の農村で、日本とは全然違う新年の雰囲気を堪能し、 今年は河南省の商丘の農村で新年を迎えた。 学生の家に行く前に、商丘の街を散策した。 商丘は歴史の古い街で、街の中に多くの遺跡が残っている。 『古城』の北門で、この門をくぐるといにしえを思わせる賑やかな通りが続いている。 夜ともなれば、街の中には夜店の屋台が出現する。 この日、夜の気温は零下3度。それでも、とても活気がある。 この屋台で食べた肉挟モーは、西安で食べたものよりおいしかった。 だいたい屋台で食べるチープフードに、外れはない。 そして、学生の家へ。 中国の農村での年越しには慣れているつもりだったが、 今年、私を招待してくれたのは回族の学生。 家の中、門など、至る所に回族の文字(イスラム文字?)が目に付く。 回族は豚肉を食べない。 中国では、除夜は餃子を食べるのが一般的だが、 彼女の家では、餃子は作らず、ご覧のような料理が並んだ。 近所のレストランのコックさんが来て、腕を振るってくれたとのことで、 どれも抜群においしかった! しかも食べても食べても、次から次へとおいしい料理が出てくる。 これが中国式の歓待。 彼女の家は10人という大家族で、お姉さんの旦那さんだとか、お兄さんのお嫁さんなど、 一度聞いただけでは関係がよくわからない。 そんな人たちに囲まれて、たくさん食べ、たくさんお酒を飲んだ、 そして、何よりもたくさん話した。 誰もが初めて見る日本人に興味を持ち、日本についていろいろな質問をしてくる。 中国の農村に行ったことは、私は何度もあるが、 そのいずれの村でも、私は初めて村を訪れた外国人だという。 言葉を代えれば、村人たちは、私を見て、日本人とはどういう民族かを判断する。 多くの人が、学生の家にやって来て、遠巻きに私を見ようとする。 その輪がだんだん小さくなって、私と言葉を交わすようになる。 私が日本を代表しているなどという思い上がりもないし、責任を感じているわけでもない。 そして、私一人が何をできるというわけではないが、 これまで訪れたどの村でも、私が帰った後は、日本に関心を持つ人が増えたという。 そういうことを聞くだけでも嬉しい。 小さな村で、決して豊かとはいえない生活だが、 家族の結びつきはとても強く、近所付合いも自然で、深い。 そういう人たちに歓迎してもらえることが、私としては何にも代えがたい喜びであり、 そういう経験が、私の宝になっていく。
2009年01月27日
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今朝の最低気温はマイナス12度。 中国では明日が除夜で、明後日が春節(旧暦の新年)。 しばらく江南の旅日記を紹介していたが、今日からまた旅行に行く。 行き先は河南省の『商丘(しょうきゅう)』という街。 商丘は河南省の東の端にあって、と山東省と接している。 その街の歴史を5000年以上遡ることができ、 春秋戦国時代には宋の国の都が置かれていたという由緒あるところ。 そこに住む学生に招かれて、年越しをすることになった。 彼女は自分で「無口」「内気」と評していて、 なるほど性格は暗いわけではないが、会って、話をするときも、 声が小さく、恥ずかしそうにしていたものだ。 2年生になってから、毎週一度、一緒に散歩をしたり、時には食事をしたりしていたが、 そうしているうちに表情が明るくなり、よく笑うようになった。 彼女の「会話」の先生からも、 「授業ちゅう、別人のように積極的になった」という評価を聞いた。 その彼女が、自分の家で年越しをしないか、と誘ってくれた。 学生の家で、その家族たちとわいわい喋りながら、賑やかに年越しをするのは、 これで3年目だが、私も楽しませてもらうかわりに、 学生の家族たちにも、日本人との楽しい思い出を作ってもらいたい。 というわけで行ってきます。 外はこの冬一番の冷え込みですが、せめて心だけでも温かくなりますように。
2009年01月24日
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蘇州から無錫はバスで1時間ほど。 街は意外にといっては失礼だが、近代的で、しかもきれい。 かつては錫がたくさん取れたが、それを全部掘り尽くしてしまったことから、 『無錫』の名が付けられたという。 この地方の街らしく、街の中には至る所に堀が流れ、 その堀も、夜ともなれば、やはりライトアップされる。 無錫の街で、秘かに期待していたのが、CCTV(中国中央電子台)の『三国城』。 かつてCCTVで『三国志』をドラマ化した時のロケ基地で、 『三国城』に隣接して『水滸城』も広がっている。 例えてみれば『風雲たけし城』が撮影された緑山スタジオのようなものか。 ロケ基地の中の山の上から見下ろした太湖。 これは天文学者でもあった孔明が、雨を呼んでいる、『三国志』の中の有名な場面。 他にも『桃園の契り』や『赤壁の戦い』などの撮影現場もあり、 『桃園の契り』の舞台である桃園は造花の桃が満開でした(笑)。 『三国城』の隣は『水滸城』。 そこでは何か撮影が行なわれていたが、見るからに戦争ドラマ。 『三国城』を後にして、次は公園めぐり。 無錫随一の庭園との評判がある『蠡園(れいえん)』。 この時期、観光客は一人もおらず、実にのんびりとした庭園めぐりでした。 春になれば、木々の色も鮮やかになって、更に見栄えがするのだろうな、などと 思いながら、湖畔をわたる風に吹かれておりました。 この頃になると、発熱と頭痛はほとんど治まり、 鼻水と喘息のような咳を残すのみとなっていました。 食欲も次第に出てきて、食事は2品を注文し、ビールも1本つけるまでになり、 2日間、滞在した後で、最後の訪問地である南京へと向かったのでした。
2009年01月22日
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上海から列車で1時間、蘇州は水郷の街である。 街の中を縫うように水郷が巡っている。 夜ともなれば、水郷はライトアップされる。 蘇州に着いた時、その水郷の上を、冷たい風が吹いていた。 長引く発熱のせいで、こめかみに鈍い痛みを感じながら、風に吹かれてこの街を歩いた。 まずはホテルに入って少し休もうと、予約していたホテルを探した。 旅に出る前にネットで予約し、地図を手帳に写していたのだが、そのホテルが見つからない。 大きな交差点のKFCの向かい、というわかりやすいロケーションにもかかわらず、 それらしき建物にまったく行き当たらない。 道行く人、道路を清掃しているおばさん、店の人、挙句に交番に行って尋ねてみたが、 誰も、「知らない」と首をひねるばかり。 中には、方向を示しながら教えてくれる人もいたが、 そのことごとくが間違い。 20人以上に聞いて、誰も名前も場所も知らないホテルって、何だよ! 前日、携帯を充電し忘れたせいで、ホテルに電話も掛けられず、 結局、蘇州初日は、行き当たりばったりで見つけたホテルに泊まることに。 翌日、タクシーに乗り、運ちゃんに聞いてみたが、やはり「知らない」との答え。 充電をすませた電話でホテルに電話を掛け、運ちゃんと話をしてもらう。 場所を確認した運ちゃんに乗っけていってもらった先は……。 表通りから引っ込んだ、汚い路地の中の、 ホテルと言うより、倉庫と言ったほうが良さそうな建物で、 フロントと言うよりも、ダンボール箱が置きっ放しの部屋に、 煙草をくわえたひげ面の男がいるといった建物。 それでも、見かけは悪くても、部屋はきれいかもしれないなどと、 自分を落ち着かせて、部屋に入るや、 お湯は出ず、トイレは錆びて、部屋全体が湿っぽい。 というわけで、急遽キャンセルをして、近くのホテルに宿を取ったのだった。 新しく取ったホテルは、湯はたっぷり、きれいで、フロントも愛想がよく、しかも朝食付き。 1泊168元は、予約をしていた120元に比べると高いが、 それでも充分に納得。 では、以下に蘇州の写真をアップしておきます。 蘇州と言えば園林建築と庭園。 主だった観光スポットの見所はこういった庭園。 こちらは蘇州博物館。 見所があったのは郊外の虎丘というところ。 ここでは何組かの日本人グループとすれ違った。 奥に見える塔は、この角度からだと何という変哲のないものだが、 横から見ると、はっきりと傾いている。 名付けて「東洋のピサの斜塔」。 寒風の中、ホテルを探し歩いて、身も心も疲れてしまったせいか、 蘇州滞在ちゅうは、食欲がまったくなく、街角の焼き芋を買って晩ご飯にしていた。 3泊した後で、無錫に向かう頃から、体力の回復が手に取るようにわかってきた。 ちなみに、蘇州以外では、ネットで予約したホテルは何の問題もなく、 値段もサービス価格で、しかも快適に泊まれたことを書き加えておきます。
2009年01月21日
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帰って来ました。 11日間の旅も、終わってみればあっという間でした。 去年は遼寧省をぐるっと回ったのですが、 今年は上海、蘇州、無錫、南京というコースでした。 以前なら旅に出る前には期待と不安があったのですが、最近はそれもなく、 「じゃ、ちょっと行ってくるね」というような、近所に買い物にでも行くような感じです。 これもまあ、成長だとか進歩と言えば言えるのでしょうか? 各都市で2泊か3泊という、ゆったりした日程を組んだおかげで、今回は助かりました。 というのも、初日から発熱、頭痛、鼻水、咳というひどい状態だったからです。 旅が終盤になるに従って、風邪の症状もだんだん和らいできたのですが、 旅行から帰ってきた今も尚、喘息のような咳が止まりません。 それでも見るべきところはしっかり見ました。 上海は何度も行っているので、今回はB級スポットに的を絞りました。 その一つが「上海郵政博物館」。 以前、妹妹さんのブログで見た時から、行きたかったスポットです。 館内は意外に広くて、見るべきものもたくさんありました。 これは世界のポスト。 もう一つ行きたかったのが「公安博物館」。 こちらは警察の歴史に関する博物館で、牢屋も見ることができるというので、 期待していたのですが、実はこの日が日曜日で、休館日でした。 上海在住の方、チャンスがあれば一度、見に行ってください。 面白かったといえば、「マダム・タッソー蝋人形館」。 中は広くて、有名人がいっぱい。 まずはトム・クルーズがお出迎え。 後ろに見える方々も、すべて蝋人形です。 こちらには、こんな方も。 こんな人たちと一緒に写真を撮っている人がいて、 写真を撮り終わるのを待っていると、それが全部、蝋人形だったり、 蝋人形だと思っていたら、急に動き出したり(人形ではなくて普通の人間!)、 異次元ワールド全開でした。 まるで本物のアインシュタイン博士! 相変わらずおきれいなこの方も。 面白くて楽しめる博物館です。 ただ問題は、入場料が高すぎる(135元)ということ。 そして意外に楽しめたのが、人民公園に隣接している「都市計画博物館」。 こちらは2010年の上海万博の計画が展示してありました。 中国館やイギリス館などは、もうデザインもできて、見事なものでしたし、 万博のための交通整備や、パビリオンの配置なども、既に決まっています。 それらを眺めているうちに、上海万博に行きたくなりました。 来年かあ、私はどこで何をしているんでしょうね。 そんなこんなで、ゆっくりのんびりと、博物館を回り、 それでも1日の歩行時間は4~5時間を超え、 後はホテルで、薬を飲んで、休養に努めるといった上海の旅でした。 ベッドに横になって本を読むというのも、私にとっては、また貴重な時間です。 最後に、上海で大学院生になっていたり、仕事をしていたりする卒業生たちが、 私のために集まってくれました。 彼らは、初めて赴任した時に教えた当時の3年生たちですが、 お互いに故郷を離れた上海の地で会えるなんて思ってもいませんでした。 心の中に暖かいものを感じながら、次の朝、蘇州へ向かったのでした。
2009年01月20日
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本日、2発目です。 明日から11日間のぶらり旅に出かけます。 西安では知り合いがいましたが、今回は全くの一人旅です。 行き先は上海、蘇州、無錫、南京です。 日本人ツアーで網羅している観光スポットには全部立ち寄るつもりですが、 ツアー客のみなさんが立ち寄らないところで食事をしようかなと思っています。 西安で氷点下の中、異常に歩きすぎたせいか、大学に帰ってきてから 頭痛、発熱、悪寒、鼻水、咳、関節痛などが一度に表れました。 薬を飲んで、2日間、ずっと布団の中に籠もり、ひたすら体力の回復に努めたおかげで、 今日は外を歩けるようになりました。 明日からの旅行は、この調子なら大丈夫だと思います。 上海では妹妹さんがブログで書いておられた「郵政博物館」や「公安博物館」などを 見ようかと思っています。 中国の街を一人で歩いているということが、数年前には想像できなかったことです。 想像していなかったことを、今、自分がやっているということに 自分で感動しながら旅をしてきたいと思っています。
2009年01月09日
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まず写真から。 中国式の朝ごはんです。 揚げパン(油条)と、コショウが利いたスープです。 普通は豆乳を飲むのですが、「食べたことがないものを食べる」がモットーなので。 ずっと中国で暮らしていますが、実はこういう朝食を食べる機会はあまりありません。 大学の中で生活しているので、特に朝ごはんを外まで出かけて食べるのが億劫だからです。 だからいつも果物(りんご・梨・バナナ)と粉末豆乳です。 1日1個のりんごで医者いらず、だから、それでもいいのですが。 さて、今回の西安の旅で嬉しかったことは、 かつての教え子が会いに来てくれたことです。 私は日本にいた時、記者と並行して研修生の受入れ事務と日本語指導を行なっていました。 それがきっかけで、中国で働くことを考え始めたのですが、 勤めている会社を辞めて、家族と離れて、単身、中国に来ることは簡単なことではなく、 諦めようか、と思いながら、日本語教師の資格を取るために勉強していました。 資格を取ったからと言って、中国に行ける当てもなく、 仕事も嫌になって精神病の一歩手前の毎日を送っていました。 今回、私に会いに来てくれた教え子たちは、 そんな最低の精神状態の時に、日本語を教えた研修生たちです。 日本語の問題集を持って、毎日、一人で自習をしていたZさんは、 明るくなって、笑顔でよく話すようになっていました。 今は通訳の仕事をしているそうです。 日本語のレベルが低くて、授業ちゅう何も話さず、時には泣いていたQさんは、 今は美容学校に入って、彼氏もできました。来年、結婚するそうです。 時間だけでなく、国を超えて、交流できるって、 素晴らしいことです。
2009年01月09日
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西安から帰って来ました。 たくさん食べて、たくさん歩いた旅でした。 西安は2回目、有名な観光地は前回回ったので、今回は味覚と体力づくりが目的でした。 西安に着いたのは朝まだ明けぬ7時丁度。 朝食は通りすがりに見つけた、少し小ぎれいな店で。 選んだのは包子、かぼちゃのお粥、そして西安名物だといわれるロウジャアモー。 異郷では、その地域の名物を味わうのが、旅の面白さの一つ。 この店はきれい過ぎたので、次の日は、もっと小汚いところへ行くことに決定。 その後はひたすら歩き。 駅に着いた7時から昼ごはんを食べた12時までは、とにかく歩き。 行きたかったスポットの一つ「陝西省博物館」は定休日だったので、 大雁等方面へコースを変えて、そこから鐘楼近くのイスラム街まで足を伸ばした。 遠くに霞んで見えるのが大雁等。 この日、西安は氷点下で、ちらほらと小雪が舞う日和。 ここは「大興善寺」。 中国密教の発祥の寺院ですが、参拝者の姿はありません。 昼ごはんはイスラム街の中で。 メニューは、これが目的だったという羊肉の串焼き(1本1元)。 西安と言えば、これというほど有名な「羊肉パオモー」。 焼いた小麦粉を小さく切って、スープに入れた料理です。 スープはおいしいですが、パオモーを箸で食べるのがちょっと面倒くさい。 そして、内臓肉の串焼き。 この店があるイスラム街は、猥雑で開けっぴろげで、おいしいものがたくさんあるので、 私のお気に入り。 これは中華風のドーナッツのようなもの。 こちらは練った小麦粉に野菜や香辛料を練りこんで、油で焼いたもの。 これは蒸し料理。 もち米を蒸して、餡をつけて食べる料理。 棗(なつめ)。 夜のイスラム街はまた風情があって、歩くのが楽しい。 到着日の最後のメニューは、西安の言葉でいう「湯包」。 熱々の小籠包をたれにつけて食べるもので、これは絶品! 手前に小さく写っているのが八宝粥。 甘くて、身体に良さそうな食材を使ったお粥です。 たくさん食べた後は、また散歩。 夜の鐘楼。 ライトアップされてきれいでした。
2009年01月08日
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今夜の夜行列車に乗って西安に行きます。 思えば2年前、こちらに赴任して初めて旅行したのが西安でした。 切符の買い方も、列車の乗り方もわからず、ずいぶん不安だったのを覚えています。 この2年間で、あちこち一人旅をして、今ではすっかり慣れました。 これまでは飛び込みでホテルを探していたのですが、 10日からの上海・蘇州・無錫・南京の旅は、 ネットでホテルを探し、場所や値段、部屋の大きさなどを確認した上で予約しました。 おかげで宿泊費を1泊120元(1700円)ぐらいに抑えることができました。 日本人の旅行なら300元から400元が相場でしょうか。 160元ぐらいを考えていただけに、40元の節約。 10日間で400元の節約は大きいです。 不安は何もありませんが、 そういう時ほど気を引き締めて、旅を満喫しようと思っています。 では、行ってきます。。
2009年01月04日
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今夜の夜行列車に乗って西安に行きます。 思えば2年前、こちらに赴任して初めて旅行したのが西安でした。 切符の買い方も、列車の乗り方もわからず、ずいぶん不安だったのを覚えています。 この2年間で、あちこち一人旅をして、今ではすっかり慣れました。 これまでは飛び込みでホテルを探していたのですが、 10日からの上海・蘇州・無錫・南京の旅は、 ネットでホテルを探し、場所や値段、部屋の大きさなどを確認した上で予約しました。 おかげで宿泊費を1泊120元(1700円)ぐらいに抑えることができました。 日本人の旅行なら300元から400元が相場でしょうか。 160元ぐらいを考えていただけに、40元の節約。 10日間で400元の節約は大きいです。 不安は何もありませんが、 そういう時ほど気を引き締めて、旅を満喫しようと思っています。 では、行ってきます。。
2009年01月04日
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今年は毎日、その日だけの目標を決めることにしました。 中国語の例文を5つ覚える……これは毎日、実行します。 昨日は、 「たとえもっとお金があったとしても、必ずしも幸せが買えるとは思えない」 「お年寄りでも若者でも、誰でも参加する資格がある」 「あの人にはどこかで会ったことがあるような気がする」 「服が雨で濡れてしまった」 「急がなければ間に合わないよ」 これは簡単だったので、順調に覚えることができました。 まずは、簡単で、日常会話で使えるものから、です。 実は、昨日は、この5つを覚えながら、教室楼を1階から6階まで5往復しました。 脚がガクガクして、息も切れ、たっぷり汗をかきました。 それを含めて、歩いた時間は延べ2時間半。 「1日2時間以上歩く」というのも、毎日の目標です。 そして、毎日、本を50ページ以上読む。 明日の夜から西安に行くので、西安までの往復の夜行の車内で、 今、読んでいるクィネルを読み終わりたいと思っています。 というわけで、「ことしこそ!」と決意して、今日が二日目。 継続は力なり、です。
2009年01月03日
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明けましておめでとうございます。 新年の雰囲気が何もないまま、元日が過ぎました。 雰囲気といえば、学生たちからたくさんメールが来ました。 100通ぐらいでしょうか。 1年生たちも、ローマ字で日本語を書いて、送ってきました。 それぞれに返事を出し、その間に部屋に来てくれた学生からプレゼントをもらいました。 ありがたいことです。 去年の暮れから、外事弁のスタッフの知り合いに、日本語の個人レッスンをしています。 自作のテキストを使って、会話の練習をしていますが、 彼女のノリがいいので、進歩が早いです。 大晦日は、彼女の家族に誘われて、一緒に食事をしました。 さて、今年は、学生たちの日本語能力を向上させることは勿論ですが、 自分の中国語も上達させたいと思っています。 ……毎年、同じことを言っているようですが。。 そのために、毎日、新しい単語とその例文を覚えるようにします。 テレビを見て、せめて半分以上、わかるようになることが目標です。 冬休みは4日から西安に行きます。 西安をぶらぶらした後は、10日から上海、蘇州、無錫、南京と、 これもまた一人でぶらぶらと回ってきます。 26日の春節は学生の家で年越しをして、 29日の誕生日は、これも別の学生が誘ってくれたので、彼女の家に行きます。 去年以上に充実した良い一年にしたいですね。 皆様も今年が良い一年でありますようお祈り申し上げます。。
2009年01月02日
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