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書くわけ
そこに山があるから・・・に通じて愉しいから書くのである。書く苦しさはあるが終わった後、出来不出来は別にして達成感と虚脱感の快い疲労は書いた者しか分からないだろう。
題材を決めて資料を漁り読んでからすべてを忘れるために若い頃はパチンコに行き喧しい騒音の波の中に身を置いていると今まで読んだものが頭の中から完全に忘れられたものだった。それらは体に入りとどまっていて書くときに自分の考えに変わって出てくれるのだ。パチンコには資金がいるしそんなことばかりしていたら家庭が破産するので深夜の映画館に行きポルノ映画を見ることで頭から忘れることもあった。蕩々とスクリーンに映し出される痴態をただ眺めているだけで何がどうなっているのか覚えてはいなかった。が、その方法も有効であった。だが書く前のプレッシャーを解きほぐすには馬鹿なことをして無駄な時間を浪費することであることに気づくのだ。読んだ本が頭に残っているとついつい生の資料を書いてしまうおそれがあったからそうしたのだ。その間に構成は出来、書き出しと終わりの1行が出来ていた。九十九パーセントが頭の中で出来、後の1パーセントが書くことなのだ。後は一気に書き上げていく、そこには降臨があって書いた物が自分の物ではないような感じを受けたものだ。書いて最低一ヶ月は何もせずにほったらかしておいて推敲をしなが書き直しをした。六月と十二月は応募原稿の締め切りなのでそれまでに四作づつ書き上げていた。万が一という考えはなかった。ただ書くことが愉しくてしょうがなかったのだ。その結果が応募であっただけなのだ。読んで書くそのことが面白く愉しかったのだ。そんな青春時代を過ごした人は全国で多くいただろう。書くことはいって見れば麻薬のような物だった。完全に書く中毒になっていたと言える。その楽しみの後には応募原稿が一次通過、二次通過、最後の十作へと繋がっていった。私の作品は暗くて重かった。人に読んで貰って喜んで貰える物ではなかった。考えて欲しいと思って書いたのだ。多分に自分のために描いた物が多かった。が、考える事のみを求める読者は少なく面白くて溜飲を下げることが出来ればいいという人たちが大半だった。それは分からないわけではなかった。この世知辛い世の中で金を出してまで人の苦しみを分かち合おうとする人はそんなにいなかったのだ。
「もっと面白い売れる物を書く努力をしてください」と出版社へ電話すると編集長がそう言った。これは資質の問題でそう簡単に面白い物がかけるはずもなかった。出版社は賞を与えて雑誌に載せ評判が良ければ単行本にしてもうけるのだからそう言うのは当たり前であったろう。だが内容は重たく暗いが書く方は愉しかった。書いているとだんだん体が暑くなり昂揚して知らず知らずにパンツ一枚で書いているときがしばしばあった。
林芙美子さんが真冬に布団をかぶり裸で書いていたという逸話があるがそのことは真実だと理解できた。書いていると頭を血が駆け回り体はほてってそうなったのだろう。
文章を書くと言うことは頭脳労働であり肉体労働なのだ。物書きと言えば病弱な感じを想像するが今では健康そのものという肉体労働の人たちが多くなっている。精神が病んでいればいびつな物しか生まれないと言うことなのだろうか。深く物を考えていると精神は病んでくる、だが、今の物書き達は健康な肉体労働をしている人たちが増えたと言うことなのか。その方が健全だが。
昔の作家と言えば家庭のことはほったらかし、淫乱多情で、我が儘、偏屈、貧乏、病気持ち等々負の存在であった人たちが多かったのだが、今はそんなスキャンダルは聞こえて来ない。実生活が滅茶苦茶だが書いた物は清潔で道徳的だったという事が良くあった。それはまさに詐欺師なのである。きれい事を並べておいて反社会的な事をしていると言うことなのだ。なぜかそんな反社会的な作家の坂口安吾さんに惹かれ、彼の「堕落論」を教科書にしている矛盾を感じるのだが。人の世界はそんな物かも知れない。差別を否定している人たちが一番の差別者であるという事は良くあることなのだから。
私のことで言えば、鬱に罹って以来物事を突き詰めて考えるようになった。書くことが苦痛になっていたが快方するにつれて愉しく書けるようになり今までの文体が変わってきた。文章の短い人は循環器に傷害があるという説があったのだが、谷崎潤一郎さんの作品を読んでそれはただの仮説であると思った。彼は作品に依って文体を変えていたのだ。文体を持てと言う先輩がいたがその文体はテーマによって変わる物なのだ。だから文体など関係なく、自由に書くべきなのだと納得した。つまりテーマが文体を産んでくれるものと解釈している。そう思うと文体などに関わらずに書くことが出来る。
今読んでいる南木佳士さんの作品は私小説の色合いが濃いいが随筆と小説の文章は異なっている。それは彼の特質なのだ。
物を書く人の資質と言えば優しさと真実を持っているかどうかというものであると南木佳士さんを読んで感じた。
そんな物をこの私が持っているのかと問われれば、分からないとしか答えられないが・・・。
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