ウゴ・チャベス
Cubadebate、2019年10月7日、Érika Ortega Sanoja記者
午後6時ごろにテレビ局を出た。ミランダを母にあずけてから私は着替えに行った。ボレロの角に着いたのは午後8時ごろだった。ラジオとイヤホンを持っていたが、すでに宮殿近くを埋め尽くしていた人びとの騒音でよく聞こえなかった。とても長い時間、踊って、飛び上がって、立っていたことを覚えている。その体重と妊娠にもかかわらず、痛みはまったくなかった。とてもとても幸せだった。
夜9時ごろ、ホアンに出会った。彼は幸せそうに、いつもと同じ笑顔で、プエルトリコのオストス主義独立運動のメンバーや南米の若者たちと一緒にいた。彼ら全員のなかに私は、多くの希望と将来の信頼が私たちを乗り越え埋めつくしているというとても魔法的なプロセスを証明する喜びを見た。結果発表の時間がやってきたとき私たちはホアンに、マヌエラのミドルネームを決めるところだと話していた。モニターではテレビが選挙評議会からの中継を告げ、ティビサイ・ルセナが映った。彼女が結果を読み上げ、そのあと疑義はなかった。私たちボリーバルの人民はふたたび歴史を作っていた。
その場にいた私たち全員が泣き、笑い、飛び跳ね、喜びで叫んだ。私たちは、悲しさや憎しみすべてを克服し、その瞬間あなたの病気にも打ち勝っていた。私たちは誰にも負けないと感じていた。私たちこそが人生や喜び、愛、尊厳と主権の保証だからだ。そしてイメージがはっきりした。娘の名前はマヌエラ・ ビクトリアにしよう。
私たちは感動してたくさん泣いた。それで私は人民のバルコニーにいるあなたを見るのを手伝ってくれとJJに頼んだ。彼は、それは賢明ではない、と言った。それはもっともだったが、あなたへの愛で私の勢いは止まらなかった。私は妊娠を利用して押していき、あなたを見るのをやめる気がない人びとの越えがたい壁に道を開き、ついにたどりついた。
あなたを近くで見た。8年前にそうしたように。2004年8月15日の大統領再信任国民投票でミラフローレスのバルコニーに初めて行ったときだ。でも今回は、あなたは物理的にはとても近くにいたのに、同時にとても遠くに見えた。本能的に私はふたたびあなたに会うのはとても大変だろうと分かっていて、実際あなたに会うことはもうなかった。ボリーバルのようにこの国の歴史に燦然と登場するあなたを見れたことはとても大きな誇りだ、愛するチャベスよ。これは誰も私から消せない。私はそこにいた、あの2012年10月7日に。
ウゴ・チャベス大統領、大統領選挙勝利演説完全版(2012年10月7日)
Yo estuve ahí (+ Video)
http://www.cubadebate.cu/especiales/2019/10/07/yo-estuve-ahi-video/#.XZze6EYzbIU