カルロス・プエブラの作品はキューバ革命初期の音楽の歴史を形成している
Radio Habana Cuba、2020年7月12日、 teleSUR
そのメロディーと歌詞は彼が生きた時代を描き、革命的変革の熱狂がその歌の中に残されている。作曲家でギターリスト、歌手のプエブラは、エルネスト・チェ・ゲバラに捧げた歌によってひじょうな名声を得ている。
カルロス・マヌエル・プエブラ・コンチャは1917年9月11日、ハバナ市の東にあるマンサニージョ市で生まれた。プエブラは独学で成長したあと、ピアニストで音楽学者のオディリオ・ウルフェーが率いる当時の人民音楽神学校に通うようになった。
プエブラは1931年、地元のラジオ放送CMKMで歌い始め、自身のプロキャリアをとても早い時期に開始することになった。そのあとハバナの東にあるマタンサスに移り住み、現地のラジオで活動していたトリオに加入した。
そこでの達成には、人気番組「芸術高等裁判所」での準優勝がある。プエブロの音楽的遺産は、以下に記す楽曲を含む、一連の名曲を生みだした。
アスタ・シエンプレ(永遠に)
「アスタ・シエンプレ」はエルネスト・ゲバラについて語られるたびに言及される賛歌となっている。その象徴的な詞のなかでプエブラは、この死去した国際主義の闘士への大いなるリスペクトの感情を表現した。
「ここにまだ残っている / この魅力的な率直さは / きみの愛すべき存在によるものだ / チェ・ゲバラ司令官よ」という歌詞はおそらく、このキューバ人歌手のもっとも著名なものであろう。
「イ・エン・エソ・ジェゴ・フィデル(そしてそのときフィデルがやってきた)」
この歌は1959年のキューバ革命勝利後の革命的変革過程について語っている。歌詞のなかでプエブラは、フルヘンシオ・バティスタの毒性政権を打倒したあとの革命新政府の最初の行動を、キューバ国民による痛快な代表的政策をもとに要約している。家賃値下げ、企業国有化、そして多国籍企業から土地を取り返し農民たちへ分配した農地改革。
デ・クーバ・トライゴ・ウン・カンタール(キューバから私は歌を持ってくる)
この歌では、キューバとその国民の基本的な特徴が語られている。国による影響と、いかに他の諸国民にとっての希望となるかが強調されている。
カント・ア・カミーロ(カミーロに歌う)
カミーロ・シエンフエゴスはキューバ革命のもう一人の主要人物であった。チェの親友でもあったカミーロの死は、バティスタ独裁を打倒したその年に起きた。そのためプエブラは、その大いなる陽気さと、国民から受けた愛情によって「国民の笑顔」と形容されたカミーロにこの歌をささげた。
クーバ・ノー・エスタ・ソラ(キューバは孤立していない)
この作品は、キューバを他の世界の国々から一方的な強制手段によって孤立させようとする米国などの国々による典型的な孤立政策について取り扱っている。しかしながらプエブラはキューバはいかにして孤立していないかについて語っている。
カルロス・プエブラはヨーロッパ、アジア、アフリカで満員の観客から拍手喝さいを浴びながら自身の芸術を送り届けた。彼の音楽は世界的な映画監督たちによって撮影されたいくつかの著名な映画作品のサウンドトラックに使われている。
Legado de Carlos Puebla a través de algunas de sus canciones
http://www.radiohc.cu/noticias/cultura/228292-legado-de-carlos-puebla-a-traves-de-algunas-de-sus-canciones