Radio Habana Cuba、2024年3月5日、 Prensa Latina
このフレーズは1960年3月4日、ハバナ港でのフランス蒸気船ラ・クブレ号破壊の犠牲者の追悼式において発せられたものであり、その場でキューバ革命の歴史的指導者フィデルは、この犯罪における米国政府の関与の証拠を提示し、米国の激化する敵意と対決する決意を表明した。
同船は、始まったばかりのキューバ革命を外国からの攻撃の増加から防衛するために、ベルギーで購入した兵器と弾薬を積んで首都ハバナに到着していたが、破壊され、およそ100人が死亡し、400人が負傷および四肢切断の被害に遭った。
スローガン「祖国か死か」はそのときから、19世紀のスペイン植民地主義からの解放戦争を促進した歴史的な二者択一のスローガン「自由か死か」と調和し、キューバの民族自立・主権・独立の権利のための闘いに同伴してきた。
「祖国のために死ぬことは生きることである」という確信は、1868年以降、国歌に込められており、キューバ国民が祖国の解放を求める闘争の呼びかけとしてこれを用いたバヤモの奪還後に広まった。
このような決意は、国家英雄ホセ・マルティの作品「アブダラ」(1869年)でも登場しており、そこでは、「祖国のために、祖国が野蛮な圧制者の臆病な奴隷となるのを見るまえに死ぬ」、と述べられている。
現在、歴史を歪曲する者たちがおり、国のシンボルの文脈を無視する一環として、誤った日和見主義的な視点をこのフレーズに与えている、と専門家たちは見ている。
キューバの歴史家パウル・オルティスによれば、このスローガンは、人びとが死ぬことを欲すよう提起しているわけでも、死を誇張しているわけでもなく、祖国を守るために、もしそれが必要ならば、命まで捧げる、ということを表現している。
キューバTV(2024年3月5日)
キューバTV(2024年3月4日)
Consigna Patria o Muerte vigente en Cuba por más de seis décadas
https://www.radiohc.cu/noticias/nacionales/348924-consigna-patria-o-muerte-vigente-en-cuba-por-mas-de-seis-decadas