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2018年10月17日
ディスコ 〜サーカス〜
大学のころ、ライティングの課題を提出した翌日は横浜中華街そばの山下公園手前にあったサーカスというディスコによく友達と踊りにいっていた
そこは、横須賀、座間、厚木、根岸などにあるアメリカ軍基地に駐在しているアメリカ人がよく出入りしていた。また、基地で暮らしているフィリピン人、中華街で働いている中国人、そして日本人とさまざまな言語が飛び交っていて、日本ぽくない雰囲気のディスコだった
黒人がボディコンの日本人の腰に自分の腰を擦りつけて、フロアで踊っている様は、初めての人には驚きの光景だったと思う
なんでそんな場所へ行くことになったのか今ではまったく記憶にないが、英語をしゃべる機会と、酒と踊りに惹かれて、月に1〜2回はオールで遊びに行っていた。
友達はそこで出会った横須賀のアメリカ人と付き合っていた
その友達から人を紹介されて、少し付き合ったが、長くは続かなかった
どちらかというと、その時々に気になる人とその場だけで踊って楽しめればそれでよくて、別に手にスタンプを押してもらって、近くのホテルへ中抜けしに行こうとは思わなかった
そのうち、高校時代の男友達ともサーカスで遊ぶようになった
結構な人数で乗り込んでいって、異国の雰囲気の中で、キャーキャー自分たちだけで楽しんでいたように思う
同じ大学の同級生たちとも出かけたことがあるが、一人の友達は近くの駐車場に連れ出されて、車の陰に隠れて、お口で・・・・・ということもあったらしい
さすがにそこまで自分は押し切られることはなかったが、しっかりとコミュニケーションをとることができない女の子は危ない目にあうんだなぁと反省し、誰を一緒に連れて行くかは、よく考えてから誘うようになったと思う。
フロアーはダンスをするカップルでにぎわっているが、ソファーがおいてあるエリアは薄暗く、抱き合ってメイクアウトしていても、目立たない。Music was so loud だったのでちょっとぐらいの声は聞こえない。そばに座って顔を近づけて話をしないと会話さえできない。だから話しているうちに、・・・・・となってしまうのだ。それに押しの強いアメリカ人だから、きちんとNoと言えない人は持っていかれてしまう
ときどき、自分は日本人にはない押しの強さと粘り強さと、巧みな交渉によって、もってかれそうなときもあったし、それを期待して遊びに行っていたこともある。しかし、そういうときに限って、あまり誘われなかったりした。
やっぱり、おいたはダメよと守護霊が守っていたような気がする
願望は想像の中で満たしなさいってことか????
あのとき、受付にいた女性は40歳ぐらいだった。常連のアメリカ人たちが、ファーストネームで彼女の名前を呼び、彼女も夜の女王よろしく、笑顔を振りまいていた。
大学生の私は、職業、ディスコの受付、夜のみの仕事??知り合いアメリカ人、入れ替わり立ち代わり、いくらもらえるんだろう??自分はうらやましいと思ってるんだろうか?それとも、軽蔑してるんだろうか?といった不思議な気持ちを、行くたびに感じていたことを覚えている
あの気持ちはいったいなんだったんだろう????
軽蔑なのか嫉妬だったのか。
朝の電車が走り始めるころまで、眠たい目をこすりながら、ソファーに場所を確保しながら、けだるさと闘って帰るといったことを繰り返していた。
木曜日が課題の提出日、もちろん徹夜でエッセイを仕上げていたわけで、1日あけて金曜日にオールをするなんて大学生じゃなきゃできない
今はもうサーカスはなくなってしまっている
でも私の記憶の中では、若干の黒歴史の1部として、サーカスは残っている
そこは、横須賀、座間、厚木、根岸などにあるアメリカ軍基地に駐在しているアメリカ人がよく出入りしていた。また、基地で暮らしているフィリピン人、中華街で働いている中国人、そして日本人とさまざまな言語が飛び交っていて、日本ぽくない雰囲気のディスコだった
黒人がボディコンの日本人の腰に自分の腰を擦りつけて、フロアで踊っている様は、初めての人には驚きの光景だったと思う
なんでそんな場所へ行くことになったのか今ではまったく記憶にないが、英語をしゃべる機会と、酒と踊りに惹かれて、月に1〜2回はオールで遊びに行っていた。
友達はそこで出会った横須賀のアメリカ人と付き合っていた
その友達から人を紹介されて、少し付き合ったが、長くは続かなかった
どちらかというと、その時々に気になる人とその場だけで踊って楽しめればそれでよくて、別に手にスタンプを押してもらって、近くのホテルへ中抜けしに行こうとは思わなかった
そのうち、高校時代の男友達ともサーカスで遊ぶようになった
結構な人数で乗り込んでいって、異国の雰囲気の中で、キャーキャー自分たちだけで楽しんでいたように思う
同じ大学の同級生たちとも出かけたことがあるが、一人の友達は近くの駐車場に連れ出されて、車の陰に隠れて、お口で・・・・・ということもあったらしい
さすがにそこまで自分は押し切られることはなかったが、しっかりとコミュニケーションをとることができない女の子は危ない目にあうんだなぁと反省し、誰を一緒に連れて行くかは、よく考えてから誘うようになったと思う。
フロアーはダンスをするカップルでにぎわっているが、ソファーがおいてあるエリアは薄暗く、抱き合ってメイクアウトしていても、目立たない。Music was so loud だったのでちょっとぐらいの声は聞こえない。そばに座って顔を近づけて話をしないと会話さえできない。だから話しているうちに、・・・・・となってしまうのだ。それに押しの強いアメリカ人だから、きちんとNoと言えない人は持っていかれてしまう
ときどき、自分は日本人にはない押しの強さと粘り強さと、巧みな交渉によって、もってかれそうなときもあったし、それを期待して遊びに行っていたこともある。しかし、そういうときに限って、あまり誘われなかったりした。
やっぱり、おいたはダメよと守護霊が守っていたような気がする
願望は想像の中で満たしなさいってことか????
あのとき、受付にいた女性は40歳ぐらいだった。常連のアメリカ人たちが、ファーストネームで彼女の名前を呼び、彼女も夜の女王よろしく、笑顔を振りまいていた。
大学生の私は、職業、ディスコの受付、夜のみの仕事??知り合いアメリカ人、入れ替わり立ち代わり、いくらもらえるんだろう??自分はうらやましいと思ってるんだろうか?それとも、軽蔑してるんだろうか?といった不思議な気持ちを、行くたびに感じていたことを覚えている
あの気持ちはいったいなんだったんだろう????
軽蔑なのか嫉妬だったのか。
朝の電車が走り始めるころまで、眠たい目をこすりながら、ソファーに場所を確保しながら、けだるさと闘って帰るといったことを繰り返していた。
木曜日が課題の提出日、もちろん徹夜でエッセイを仕上げていたわけで、1日あけて金曜日にオールをするなんて大学生じゃなきゃできない
今はもうサーカスはなくなってしまっている
でも私の記憶の中では、若干の黒歴史の1部として、サーカスは残っている