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2020年06月20日
クエーカー教 初期の歴史を学んでみた オンライン講座
ここ数年 Amishコミュニティー(相互扶助)や神との契約に元ずく生き方への憧れ
からの、その裏にあるゆがんだ現実に対する驚き、物事を一面的に見ることばかりでは本質を見ることはできないことを知った。
次に私の関心を惹きつけたのは、Universal教会。誰もが救われるというゆるーい?がりのコミュニティー。しかしこれも少し前に日本からなくなってしまった。現在アメリカにはあることは確認したが。
そして現在関心があるのが、クエーカー教だ。
Simplicity(簡素な生き方をする)
Peace(平和を築く者となる)
Integrity(誠実に神と人に接する)
Community(共同体に奉仕する)
Equality(平等に人を尊ぶ)
Stewardship(環境保全に努める)
ジョージフォックスが始めたとされたこのコミュニティーについて、ランカスター大学のオンライン講座を通して勉強してみた。Pink Dandelionという教授の論文を以前少し目にしていたので、彼が中心となって配信していた講座は親しみを持って参加することができた。
初期のクエーカーは今とは異なり聖書の言葉をかなり意識したコミュニティーであったようだ。しかし、沈黙の礼拝はその頃から特徴的で、静かに自分の中のLightを通して神の声を聴くという神秘体験、だれもが直接神と繋がることができるという(教会や神父、牧師を介さず)同じプロテスタントの中でもかなりの異端をはなっている。
イギリスの階級制度、王政や教会の特権への疑問から生まれたイギリス発祥の宗教だ。現在は三分の一はアフリカ大陸にその信者がいるようだが、イギリス、そしてイギリスから移民してきたアメリカにも一定数の信者はいるようだ。しかし、日本には現在100名前後の信者しか存在していないようだ。茨城、東京、大阪の3か所しか集会所(ミーティングハウス)はなく、50年後に日本にクエーカー教徒はいなくなる可能性だったるんだと思う。
私は信じるか信じないかという問いに対しては、答えを出せない状態でいるが、生き方の追求としての宗教は歓迎したい。初めはアーミッシュ的なことに憧れを感じていた。相互扶助はコミュニティーの?がりとしてあこがれる要素だ。しかし、神の次に男性、その次に女性、こども、という考え方、家族内でレイプされても、相手を許せという教え、赦せば自分も神から赦される。という考え方はとうてい受け入れることはできず、表面的なものしか見えていなかった自分に愕然とした。
その点、今のところ、クエーカーは信じるか信じないかを考えることは脇において、どう生きるかの指針として寄り添っていける、自分にとってはピンとくる教えだ。
2020年6月20日のHPによると
「悪い言葉を一切口にしてはいけません。
ただ聞く人に恵みが与えられるように
その人を創りあげるのに役立つ言葉を
必要に応じて語りなさい」
エフェソの信者への手紙4章29節となっている。
神を信じよ、とか信じれば救われる、とか選民思想的なものは、受け入れることはなかなかできないが、生き方としていつもそばにおいておきたい、もっと学びたい、気付きを深めたいと思うのは、クエーカー教だ。
最近Pink Dandelionの本を大阪のキリスト教研究の教授が翻訳したので、ゆっくりと読んでみようと思っている。
からの、その裏にあるゆがんだ現実に対する驚き、物事を一面的に見ることばかりでは本質を見ることはできないことを知った。
次に私の関心を惹きつけたのは、Universal教会。誰もが救われるというゆるーい?がりのコミュニティー。しかしこれも少し前に日本からなくなってしまった。現在アメリカにはあることは確認したが。
そして現在関心があるのが、クエーカー教だ。
Simplicity(簡素な生き方をする)
Peace(平和を築く者となる)
Integrity(誠実に神と人に接する)
Community(共同体に奉仕する)
Equality(平等に人を尊ぶ)
Stewardship(環境保全に努める)
ジョージフォックスが始めたとされたこのコミュニティーについて、ランカスター大学のオンライン講座を通して勉強してみた。Pink Dandelionという教授の論文を以前少し目にしていたので、彼が中心となって配信していた講座は親しみを持って参加することができた。
初期のクエーカーは今とは異なり聖書の言葉をかなり意識したコミュニティーであったようだ。しかし、沈黙の礼拝はその頃から特徴的で、静かに自分の中のLightを通して神の声を聴くという神秘体験、だれもが直接神と繋がることができるという(教会や神父、牧師を介さず)同じプロテスタントの中でもかなりの異端をはなっている。
イギリスの階級制度、王政や教会の特権への疑問から生まれたイギリス発祥の宗教だ。現在は三分の一はアフリカ大陸にその信者がいるようだが、イギリス、そしてイギリスから移民してきたアメリカにも一定数の信者はいるようだ。しかし、日本には現在100名前後の信者しか存在していないようだ。茨城、東京、大阪の3か所しか集会所(ミーティングハウス)はなく、50年後に日本にクエーカー教徒はいなくなる可能性だったるんだと思う。
私は信じるか信じないかという問いに対しては、答えを出せない状態でいるが、生き方の追求としての宗教は歓迎したい。初めはアーミッシュ的なことに憧れを感じていた。相互扶助はコミュニティーの?がりとしてあこがれる要素だ。しかし、神の次に男性、その次に女性、こども、という考え方、家族内でレイプされても、相手を許せという教え、赦せば自分も神から赦される。という考え方はとうてい受け入れることはできず、表面的なものしか見えていなかった自分に愕然とした。
その点、今のところ、クエーカーは信じるか信じないかを考えることは脇において、どう生きるかの指針として寄り添っていける、自分にとってはピンとくる教えだ。
2020年6月20日のHPによると
「悪い言葉を一切口にしてはいけません。
ただ聞く人に恵みが与えられるように
その人を創りあげるのに役立つ言葉を
必要に応じて語りなさい」
エフェソの信者への手紙4章29節となっている。
神を信じよ、とか信じれば救われる、とか選民思想的なものは、受け入れることはなかなかできないが、生き方としていつもそばにおいておきたい、もっと学びたい、気付きを深めたいと思うのは、クエーカー教だ。
最近Pink Dandelionの本を大阪のキリスト教研究の教授が翻訳したので、ゆっくりと読んでみようと思っている。
2018年12月29日
コンポストと私の中のクエーカーリズム??
自分はまだクエーカー教徒になったわけではない
また、クエーカー教徒は、私の理解によると(現在勉強中)洗礼がないのが特徴
そういった、儀式的な事柄を重視せず、神との直接的なかかわり(体験)を重視するらしい
Simplicity
Integrity
Peace
Equality
Stewardship for the Earth 環境への配慮
Inner light for everyone 誰の中に光を持っている
上記の6項目は、どのクエーカー教のHPに示されていた
さて、今回いろいろと調べているうちに、急に「環境に対してできること」に関心がとんだ
今までは全く興味も関心もなかったんだけど
それは
コンポスト
そう、生ごみを堆肥にするための入れ物(コンポスターともいうらしい)
生ごみ処理は唯一個人の家庭でできるもの
さらに、その堆肥を使って、お野菜なんか育ててしまったら、
無農薬だったり、フレッシュだったり、いいじゃんね〜
なんて、急にエコロジーに考え始めた私。
やっぱり自分は何ができるか考えはじめたのは、クエーカーのことを調べ始めてから
そうやって、いろいろと体にしみこんでいくもんなんだな〜とちょっと感動
ごみの分別とか、資源ごみとか急に気にするようになってきた
普通の主婦なら、そんなこととっくに気づいてやってるんだろうけど、
私は、生ごみについて考えたのは初めて。
市で助成金がでるところもあるというので、調べてみたら
でるようです
でも上限が5万円まで
それも4分の3の金額まで
今自分が調べたバイオ式コンポストは約10万円
4分の3だと7万5千円だけど、
上限が5万なので、5万円の出費となる
それにランニングコストとして、月に200円程度の電気代がかかるそうだ
でも、CO2を出す量を考えると、その方が少ないらしい
地球環境にいいことしてるんじゃない?
堆肥でお野菜作れたら、もっと楽しいんじゃない?
今日はそんなことを調べて、やっとテーブルの上がきれいに片付いた日でした
でも、テーブルの上に乗っていた書類や本は、床の上に移動しただけですけれど・・・・トホホですわ〜
何かぶれない生き方がしたくて調べ始めたアーミッシュからのクエーカー
生活の中に意味を感じて行う行為が増えていくといいなと思ってます
また、クエーカー教徒は、私の理解によると(現在勉強中)洗礼がないのが特徴
そういった、儀式的な事柄を重視せず、神との直接的なかかわり(体験)を重視するらしい
Simplicity
Integrity
Peace
Equality
Stewardship for the Earth 環境への配慮
Inner light for everyone 誰の中に光を持っている
上記の6項目は、どのクエーカー教のHPに示されていた
さて、今回いろいろと調べているうちに、急に「環境に対してできること」に関心がとんだ
今までは全く興味も関心もなかったんだけど
それは
コンポスト
そう、生ごみを堆肥にするための入れ物(コンポスターともいうらしい)
生ごみ処理は唯一個人の家庭でできるもの
さらに、その堆肥を使って、お野菜なんか育ててしまったら、
無農薬だったり、フレッシュだったり、いいじゃんね〜
なんて、急にエコロジーに考え始めた私。
やっぱり自分は何ができるか考えはじめたのは、クエーカーのことを調べ始めてから
そうやって、いろいろと体にしみこんでいくもんなんだな〜とちょっと感動
ごみの分別とか、資源ごみとか急に気にするようになってきた
普通の主婦なら、そんなこととっくに気づいてやってるんだろうけど、
私は、生ごみについて考えたのは初めて。
市で助成金がでるところもあるというので、調べてみたら
でるようです
でも上限が5万円まで
それも4分の3の金額まで
今自分が調べたバイオ式コンポストは約10万円
4分の3だと7万5千円だけど、
上限が5万なので、5万円の出費となる
それにランニングコストとして、月に200円程度の電気代がかかるそうだ
でも、CO2を出す量を考えると、その方が少ないらしい
地球環境にいいことしてるんじゃない?
堆肥でお野菜作れたら、もっと楽しいんじゃない?
今日はそんなことを調べて、やっとテーブルの上がきれいに片付いた日でした
でも、テーブルの上に乗っていた書類や本は、床の上に移動しただけですけれど・・・・トホホですわ〜
何かぶれない生き方がしたくて調べ始めたアーミッシュからのクエーカー
生活の中に意味を感じて行う行為が増えていくといいなと思ってます
2018年12月25日
Quaker のいいサイトを見つけた
今日は午後からクエーカー(society of friends)のサイトを読んでいた
現在日本には140名程度のクエーカーしかいないらしい。だからあまり日本語の書籍もないし、論文なども少ない
インターネットで日本語で調べても限界を感じたので、英語サイトを検索してみた
クエーカー発祥の地はイギリスなので、イギリスのサイトを読んでみた。
私でもほとんど辞書なしで内容を理解できるぐらい、簡単な英文で書かれた、クエーカーについての説明を見つけた。何を信じ、どう生活しているのか。
まあ、以前からクエーカーに関する日本語のサイトがなさすぎるから、自分で翻訳してみようかなと考えていたが、あったらあったで、日本人になじみのある考え方なんじゃないかと思えてきた
また、友達に、もしクエーカー教徒はお酒をのんじゃいけないと言われたらどうするんだ?という質問に対する答えを見つけた。
禁酒運動をしている頃の時代の生活を続けている人もいるし、たしなむ人もいる、クエーカー教徒の間で統一見解はないらしい。さらに、統一見解がされていない事柄としては、中絶をしていいか、避妊をしていいかにすいては個人の判断によるらしい。
逆に、武器を製造する会社への投資、ビジネスとしての関わりはもってはいけないとされていたり、ホモセクシャルに対しては、認める見解をだしている。
教義があるわけではなく、個人と神との間でのやりとり、(経験)を第一優先にし、生き方の中で信念にそって行動していくことを重視している感じがする
誰の中にも神がいて、牧師や教会を通して神とかかわる必要はないとし、自分の中の光に導かれて行動せよということらしい
死後の世界についても、統一見解はない。少なくとも信じなければ地獄へいくとは言っていない。またキリストについても、素晴らしい見本を示してくれた存在と位置付けている。これが他の宗派のTrinityを信じているメインストリームからは外れている。
Seekerとして、生活の中で実践することを大事にしている、ここに魅力を感じている
この誰た自分をシャキッとさせてくれる考え方だから。
今度はアメリカのクエーカーとイギリスのクエーカーの違いを調べてみようと思う
現在日本には140名程度のクエーカーしかいないらしい。だからあまり日本語の書籍もないし、論文なども少ない
インターネットで日本語で調べても限界を感じたので、英語サイトを検索してみた
クエーカー発祥の地はイギリスなので、イギリスのサイトを読んでみた。
私でもほとんど辞書なしで内容を理解できるぐらい、簡単な英文で書かれた、クエーカーについての説明を見つけた。何を信じ、どう生活しているのか。
まあ、以前からクエーカーに関する日本語のサイトがなさすぎるから、自分で翻訳してみようかなと考えていたが、あったらあったで、日本人になじみのある考え方なんじゃないかと思えてきた
また、友達に、もしクエーカー教徒はお酒をのんじゃいけないと言われたらどうするんだ?という質問に対する答えを見つけた。
禁酒運動をしている頃の時代の生活を続けている人もいるし、たしなむ人もいる、クエーカー教徒の間で統一見解はないらしい。さらに、統一見解がされていない事柄としては、中絶をしていいか、避妊をしていいかにすいては個人の判断によるらしい。
逆に、武器を製造する会社への投資、ビジネスとしての関わりはもってはいけないとされていたり、ホモセクシャルに対しては、認める見解をだしている。
教義があるわけではなく、個人と神との間でのやりとり、(経験)を第一優先にし、生き方の中で信念にそって行動していくことを重視している感じがする
誰の中にも神がいて、牧師や教会を通して神とかかわる必要はないとし、自分の中の光に導かれて行動せよということらしい
死後の世界についても、統一見解はない。少なくとも信じなければ地獄へいくとは言っていない。またキリストについても、素晴らしい見本を示してくれた存在と位置付けている。これが他の宗派のTrinityを信じているメインストリームからは外れている。
Seekerとして、生活の中で実践することを大事にしている、ここに魅力を感じている
この誰た自分をシャキッとさせてくれる考え方だから。
今度はアメリカのクエーカーとイギリスのクエーカーの違いを調べてみようと思う
タグ: クエーカー
2018年12月18日
クエーカー研究をしている人はあまりいないかも
Outlander のドラマの中にもクエーカーが出てくる
世界の中でも100万人いないと思うぐらいの小さい宗派
イギリスで生まれたカソリックの教会という権力や教会の腐敗に対するプロテストとしてできたグループ
現在日本には140名程度の信者がいるらしい
なぜか茨城、東京、大阪の3つの場所に集会所がある
東京には普連土学園という私立の女子高がある
もしここが共学だったら、息子を入れたいとおもったほどだ
さて、クエーカーとは総称で 正式には Society of Friendというらしい
Integrity
Equality
Community
Peace
Simplicity
を大事にしている
UmprogrammedとProgrammed があり、
前者が 座って神が語り掛けてくるのをじっと待つタイプの集会
後者が 牧師がいて、集会のメニューが決まっているものとなっている
また聖書をよりどころとしているグループと聖書は比喩とひて捉えているグループとに分かれるようだ
そしてdogmaが明確にないというのが共通している
Inner lightが誰の中にもあり、神が直接語り掛けるというのを信じている
そういった理由から、時代とともに、地域とともに、それぞれ少しずつ違うグループとしてクエーカーは成り立っているように思えてきている
その地域ごとに年に1度集まって集会を開いているが、別の地域では別のグループへと変化をしているのは容易に想像がつく
すでに、プロテスタントよりの聖書、牧師が存在しているグループ
スピリチュアル系クエーカーは、聖書は寓話であり、キリストの存在さえもあまり重要にとらえていないグループまでいろいろあるようだ
自分はどちらかというと一番縛りがなく、しかし、毎日の生活の中で、生き方を追求していくことを大事にしていこうとするグループがあれば参加したいと思っている。日本の集会がどういった形式なのかもよくわからない。
神を信じるかどうかさえもあまりわかっていないし、実感としてないが、どう生きるかを追求するために指針となる考え方がクエーカーにはある。上記の5項目は人としてのあり方としてあこがれる。
アーミッシュはというと、聖書がすべてであり、聖書の通りにすると、死後、神に救われると信じている。だから生活様式も300年以上変えずに、社会の状況に最小限の影響の中で、救われるためにかたくなに生き方を変えずにいる。
クエーカーというと、平和主義をかかげ、平等を大事にして、コミュニティーを大事に社会を形成していこうという姿勢がある。そして質素に生き、統合性を中心としてどちらかというと生き方を大事にして、救われることを目的にしている宗教ではないように感じている。
あまりにもよくわからないので、いろいろと調べていくうちに、Quaker Journal という雑誌をしることができた。いろいろなクエーカーが自分の経験をはなす機会となっている。申し込んでお金を払ってまでとなると大変だが、紹介の記事を読んだりするだけで、いろいろなことがわかるようになった。
日本には140名程度のクエーカーしかいない
おまけに、論文などの数も少ない
クエーカー研究はあまりされていない
さらに、140名にたいして本を書いても売り上げは伸びない
だから日本語の本はほとんどない
1970年代に少しあるが、古い本しか検索にひっかからない
自分はクエーカーについて少し興味がある
英語ももう少し勉強すれば、翻訳ができるかもしれない
英語でクエーカーの人が書いた本を少しずつ読んでいるが、いいことが書いてある
翻訳できるならしてみたいと、少しだけ意欲が湧いてきている
それには、世界史、宗教革命、キリスト教史、など幅広い知識が必要だと思われる
自分で勉強をすすめていくほど、記憶力はないと思ったりもしている
NHKの放送大学とかで勉強でもしないとダメかもなあと思う
でもとにかく、Quaker Ways という本を読んでみようと思っている
趣味としてでも、関心を広げて好奇心を持てるものがあることは、幸せだと思っている
ちょっと前までは、心理学の本をむさぼるように読んでいたが、最近ではあまり読みたいと思わなくなっている。ある程度納得したからかもしれない。それならば、コーチングの本やNLPや組織論の本が読みたいと思う。またモチベーションをあげる方法とかそういうことに関心が移ってきている。Positive Psychologyとか。
そういった本は、たくさん翻訳されているからあまり私が入り込む余地はない(心理学的な背景をじっくり勉強したわけではないし)でもクエーカーに関しては、穴場かもと思ったりする。まあ需要もないけれどね。
仕事をやめて、ゆっくりすることができるようになったら、チャレンジしてみたい。それまで、できることを少しずつ。英語の勉強とか、クエーカーについての本を読んだりといったことを進めてみたいと思う。
世界の中でも100万人いないと思うぐらいの小さい宗派
イギリスで生まれたカソリックの教会という権力や教会の腐敗に対するプロテストとしてできたグループ
現在日本には140名程度の信者がいるらしい
なぜか茨城、東京、大阪の3つの場所に集会所がある
東京には普連土学園という私立の女子高がある
もしここが共学だったら、息子を入れたいとおもったほどだ
さて、クエーカーとは総称で 正式には Society of Friendというらしい
Integrity
Equality
Community
Peace
Simplicity
を大事にしている
UmprogrammedとProgrammed があり、
前者が 座って神が語り掛けてくるのをじっと待つタイプの集会
後者が 牧師がいて、集会のメニューが決まっているものとなっている
また聖書をよりどころとしているグループと聖書は比喩とひて捉えているグループとに分かれるようだ
そしてdogmaが明確にないというのが共通している
Inner lightが誰の中にもあり、神が直接語り掛けるというのを信じている
そういった理由から、時代とともに、地域とともに、それぞれ少しずつ違うグループとしてクエーカーは成り立っているように思えてきている
その地域ごとに年に1度集まって集会を開いているが、別の地域では別のグループへと変化をしているのは容易に想像がつく
すでに、プロテスタントよりの聖書、牧師が存在しているグループ
スピリチュアル系クエーカーは、聖書は寓話であり、キリストの存在さえもあまり重要にとらえていないグループまでいろいろあるようだ
自分はどちらかというと一番縛りがなく、しかし、毎日の生活の中で、生き方を追求していくことを大事にしていこうとするグループがあれば参加したいと思っている。日本の集会がどういった形式なのかもよくわからない。
神を信じるかどうかさえもあまりわかっていないし、実感としてないが、どう生きるかを追求するために指針となる考え方がクエーカーにはある。上記の5項目は人としてのあり方としてあこがれる。
アーミッシュはというと、聖書がすべてであり、聖書の通りにすると、死後、神に救われると信じている。だから生活様式も300年以上変えずに、社会の状況に最小限の影響の中で、救われるためにかたくなに生き方を変えずにいる。
クエーカーというと、平和主義をかかげ、平等を大事にして、コミュニティーを大事に社会を形成していこうという姿勢がある。そして質素に生き、統合性を中心としてどちらかというと生き方を大事にして、救われることを目的にしている宗教ではないように感じている。
あまりにもよくわからないので、いろいろと調べていくうちに、Quaker Journal という雑誌をしることができた。いろいろなクエーカーが自分の経験をはなす機会となっている。申し込んでお金を払ってまでとなると大変だが、紹介の記事を読んだりするだけで、いろいろなことがわかるようになった。
日本には140名程度のクエーカーしかいない
おまけに、論文などの数も少ない
クエーカー研究はあまりされていない
さらに、140名にたいして本を書いても売り上げは伸びない
だから日本語の本はほとんどない
1970年代に少しあるが、古い本しか検索にひっかからない
自分はクエーカーについて少し興味がある
英語ももう少し勉強すれば、翻訳ができるかもしれない
英語でクエーカーの人が書いた本を少しずつ読んでいるが、いいことが書いてある
翻訳できるならしてみたいと、少しだけ意欲が湧いてきている
それには、世界史、宗教革命、キリスト教史、など幅広い知識が必要だと思われる
自分で勉強をすすめていくほど、記憶力はないと思ったりもしている
NHKの放送大学とかで勉強でもしないとダメかもなあと思う
でもとにかく、Quaker Ways という本を読んでみようと思っている
趣味としてでも、関心を広げて好奇心を持てるものがあることは、幸せだと思っている
ちょっと前までは、心理学の本をむさぼるように読んでいたが、最近ではあまり読みたいと思わなくなっている。ある程度納得したからかもしれない。それならば、コーチングの本やNLPや組織論の本が読みたいと思う。またモチベーションをあげる方法とかそういうことに関心が移ってきている。Positive Psychologyとか。
そういった本は、たくさん翻訳されているからあまり私が入り込む余地はない(心理学的な背景をじっくり勉強したわけではないし)でもクエーカーに関しては、穴場かもと思ったりする。まあ需要もないけれどね。
仕事をやめて、ゆっくりすることができるようになったら、チャレンジしてみたい。それまで、できることを少しずつ。英語の勉強とか、クエーカーについての本を読んだりといったことを進めてみたいと思う。
2018年06月27日
アーミッシュになぜ惹かれてしまうのだろうか
アーミッシュに本格的に関心を持ったのは、この本を読んでから
『アーミッシュの赦し』なぜ彼らはすぐに犯人とその家族を許したのか
ドナルド・B・クレイビル/ スティーブン・M・ノルト/ デヴィッド・L・ウィーバーザーカー
一番驚いたのは、自分の家族が殺されたのにも関わらず、
犯人を赦し、その犯人の家族をも赦し、自分も娘を殺され辛い時期でもあるのに、
犯人の家族を励まそうとする、アーミッシュの思考でした。
自分の娘がレイプされても、
「私たちはあの若者を許します。別の生き方をしてほしいのです」
「動機がわかってもしかたがない。神がお計らいになることの本当の理由は
私たちにはわかりません。」
「私たちは裁く立場にない。それは偉大なる神がなさること」
そしてアーミッシュは、赦さなければ許されない、と信じている。
アーミッシュの信仰の核心、救いの概念の核心
神の赦しは、他者を進んで赦せるかどうかにかかっている。アーミッシュの話、説教、文章に
繰り返し現れるフレーズは
『許されるためには、赦さなければならない』
「もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。しかし、
もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。」
マタイ伝第6章第14−15節
アーミッシュの中心的価値はコミュニティーにある。そのため独特のルールとして
自己否定、従順、受容、慎ましさという教会の不文律(オードヌング)がある。
自分自身を教会の権威の下に置き、神に服従して生きること、そしてそれを行為でもって
表現することが何よりも大切なこととなる。
自分の子どもが殺されてもである。
「いくら許してもそれで終わりということではなく、何度でも赦さなくてはいけない」
自分の人間らしい感情と追従すべき考えの葛藤の中で、自分の悲しみを受け入れ、怒りを超えて
相手を赦すことに取り組んでいく彼らは、本当に聖書に描かれていることに忠実に生きているんだなあと
感じた。
1年間修行に出て、終われば通常の生活に戻るようなものではなく、自分がアーミッシュと生きていくと
決めた時から、死ぬまでずーっとである。1回赦したら自分が赦されるというわけではなく、死ぬまで将来的にも、何度でも怒りを受け入れ、相手を赦さななければ、自分は救われない(天国に入れない)
すべてを神にゆだねる全幅の信頼は次のアーミッシュのコメントから読み取れる。
「人が間違った選択をしても、神はお止になりません。この出来事がどんな善をもたらすのかはわかりません。でもきっと何か意味があるのです。」
「あんな恐ろしいことを誰かにまかせるのは神のご意志ではありません。でも神があれを起こるにまかせた以上、きっと私たちの精神にとって善いことがもたらされるのです。」
どんな出来事が起きようが、神が意図をもってなされたことだろうから、受け止めて、赦していく。
自分の個人としての感情を否定し、受け入れ、乗り越え、赦す。
これが人間にとって健康な精神状態を保つという視点で考えてみて、果たして健康的といえるのかどうかはわからない。そもそもボタンは装飾、装飾は、虚栄、だから服には一切のボタンがついていない。
模様のある服は着ない。アクセサリーはつけない、など人よりも目立つことは、嫌われる。
自慢話や知識をひけらかすことも、聖書の教えからは離れてしまうので好まれない。
アメリカの文化の特徴として認知されている自己主張をことごとく否定しながら生きている彼らにとって、
自分の感情でさえも主張することをコントロールしているわけだ。
いままでも、アーミッシュのコミュニティーの絆の強さ、シンプルライフ、自然と生きる姿、物事に対する感謝、神に対する絶対的な信頼など様々なことが魅力的であった。でも今回、自分の感情を味わうよりもさきに、聖書の教えにしたがうストイックさに、自己否定の意味を初めて知りました。自分が思っていた以上の自己否定と実践でした。
また、神が一番偉く、次に男性、そして女性と順位が明確であることに、違和感を抱きました。
自分が旦那からのDVがあったとしても離婚できない。DVがあっても逃げることもできない。それでも神のご意志だと受け止めて、赦すことができるのだろうか???
今まで思っていたイメージをはるかに超え、考えさせられる本でした。
しかしながら、神に従って生きる 日々の継続的な実践 コミュニティーの在り方にはいまだに魅力を感じています。現代には失われてしまっている何かに反応しているからかもしれません。
『アーミッシュの赦し』なぜ彼らはすぐに犯人とその家族を許したのか
ドナルド・B・クレイビル/ スティーブン・M・ノルト/ デヴィッド・L・ウィーバーザーカー
一番驚いたのは、自分の家族が殺されたのにも関わらず、
犯人を赦し、その犯人の家族をも赦し、自分も娘を殺され辛い時期でもあるのに、
犯人の家族を励まそうとする、アーミッシュの思考でした。
自分の娘がレイプされても、
「私たちはあの若者を許します。別の生き方をしてほしいのです」
「動機がわかってもしかたがない。神がお計らいになることの本当の理由は
私たちにはわかりません。」
「私たちは裁く立場にない。それは偉大なる神がなさること」
そしてアーミッシュは、赦さなければ許されない、と信じている。
アーミッシュの信仰の核心、救いの概念の核心
神の赦しは、他者を進んで赦せるかどうかにかかっている。アーミッシュの話、説教、文章に
繰り返し現れるフレーズは
『許されるためには、赦さなければならない』
「もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。しかし、
もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。」
マタイ伝第6章第14−15節
アーミッシュの中心的価値はコミュニティーにある。そのため独特のルールとして
自己否定、従順、受容、慎ましさという教会の不文律(オードヌング)がある。
自分自身を教会の権威の下に置き、神に服従して生きること、そしてそれを行為でもって
表現することが何よりも大切なこととなる。
自分の子どもが殺されてもである。
「いくら許してもそれで終わりということではなく、何度でも赦さなくてはいけない」
自分の人間らしい感情と追従すべき考えの葛藤の中で、自分の悲しみを受け入れ、怒りを超えて
相手を赦すことに取り組んでいく彼らは、本当に聖書に描かれていることに忠実に生きているんだなあと
感じた。
1年間修行に出て、終われば通常の生活に戻るようなものではなく、自分がアーミッシュと生きていくと
決めた時から、死ぬまでずーっとである。1回赦したら自分が赦されるというわけではなく、死ぬまで将来的にも、何度でも怒りを受け入れ、相手を赦さななければ、自分は救われない(天国に入れない)
すべてを神にゆだねる全幅の信頼は次のアーミッシュのコメントから読み取れる。
「人が間違った選択をしても、神はお止になりません。この出来事がどんな善をもたらすのかはわかりません。でもきっと何か意味があるのです。」
「あんな恐ろしいことを誰かにまかせるのは神のご意志ではありません。でも神があれを起こるにまかせた以上、きっと私たちの精神にとって善いことがもたらされるのです。」
どんな出来事が起きようが、神が意図をもってなされたことだろうから、受け止めて、赦していく。
自分の個人としての感情を否定し、受け入れ、乗り越え、赦す。
これが人間にとって健康な精神状態を保つという視点で考えてみて、果たして健康的といえるのかどうかはわからない。そもそもボタンは装飾、装飾は、虚栄、だから服には一切のボタンがついていない。
模様のある服は着ない。アクセサリーはつけない、など人よりも目立つことは、嫌われる。
自慢話や知識をひけらかすことも、聖書の教えからは離れてしまうので好まれない。
アメリカの文化の特徴として認知されている自己主張をことごとく否定しながら生きている彼らにとって、
自分の感情でさえも主張することをコントロールしているわけだ。
いままでも、アーミッシュのコミュニティーの絆の強さ、シンプルライフ、自然と生きる姿、物事に対する感謝、神に対する絶対的な信頼など様々なことが魅力的であった。でも今回、自分の感情を味わうよりもさきに、聖書の教えにしたがうストイックさに、自己否定の意味を初めて知りました。自分が思っていた以上の自己否定と実践でした。
また、神が一番偉く、次に男性、そして女性と順位が明確であることに、違和感を抱きました。
自分が旦那からのDVがあったとしても離婚できない。DVがあっても逃げることもできない。それでも神のご意志だと受け止めて、赦すことができるのだろうか???
今まで思っていたイメージをはるかに超え、考えさせられる本でした。
しかしながら、神に従って生きる 日々の継続的な実践 コミュニティーの在り方にはいまだに魅力を感じています。現代には失われてしまっている何かに反応しているからかもしれません。
2018年06月25日
アーミッシュのYoutubeを見ました〜
なぜか2年前の夏あたりから アーミッシュとクエーカー
についての興味が高まってきている
おそらく50歳をすぎて、生き方を模索しはじめたことと関係はしていると思う
2015年の夏に、高校の同窓会に参加するために、ミネソタ州へ行った。
(アメリカの同窓会は5年に1度ぐらいで行われている)
そのときに、自分が高校生の時には全く気づきもしなかったのだが、
アーミッシュの村が、車で30分も走ればあることに気が付いた。
実はフランスが発祥のホワイトキルトやアーミッシュのつくるキルトが
私にとってはやけに心に響くことが以前からあった。
ハワイアンキルトとか、日本のキルトには全く心動かされないのに。
結局、この夏にもアーミッシュの農場をいくつかまわって、
真っ白いキルトとおいしいタフィーを買って帰ってきた。
15年前ぐらい前には、メノナイト(アーミッシュの祖先のような集団)
のマーケットで彼らの生産物を購入した。そのときは、鍋つかみと
キルトのベッドカバーだったと思う
シンプルでストイックな生活をしている彼らに大変興味を持っていた。
大学を卒業したてのころは、アメリカンインディアン、南西部のプエブロの
生き方に関心を持っていた。
アメリカンインディアンにしろ、アーミッシュのようなコミュニティーにしろ
現代社会との軋轢、葛藤を含め、彼らが経済を優先せずに、スピリチュアル
なことを大切に生活している姿に心揺さぶられた部分があった
今週末はアーミッシュについてのサイトを読み直したり、
youtubeで彼らについての番組を何本も見てしまった
アーミッシュの若い女性が、自分の生き方を探し求める映画をYoutubeで見つけました
Love Find You In Charm 2015
という題名です。日本語の字幕がないので英語が理解できる人はぜひ見ていただきたい。
自分の集団にはフィットしない感じを抱いていた女性
世界を見る機会をもったけれど、
外の世界の価値観は自分の大事にしたいこととは乖離していることを体験し
納得して自分の居場所を選択していくという話です
アーミッシュはアナバプティストという立場を取っていて
(成人18歳〜22歳をめどに、自分が教会に所属するか、
家族から離れて外の世界で一生生きていくかを決め、
洗礼を受けるという考え方)
他のプロテスタントやカソリックのように、生まれてすぐに
バプタイズする宗派とは一線を画します
一度落ち着いてアーミッシュやクエーカーについて調べてみようとおもいます
おそらく50歳をすぎて、生き方を模索しはじめたことと関係はしていると思う
2015年の夏に、高校の同窓会に参加するために、ミネソタ州へ行った。
(アメリカの同窓会は5年に1度ぐらいで行われている)
そのときに、自分が高校生の時には全く気づきもしなかったのだが、
アーミッシュの村が、車で30分も走ればあることに気が付いた。
実はフランスが発祥のホワイトキルトやアーミッシュのつくるキルトが
私にとってはやけに心に響くことが以前からあった。
ハワイアンキルトとか、日本のキルトには全く心動かされないのに。
結局、この夏にもアーミッシュの農場をいくつかまわって、
真っ白いキルトとおいしいタフィーを買って帰ってきた。
15年前ぐらい前には、メノナイト(アーミッシュの祖先のような集団)
のマーケットで彼らの生産物を購入した。そのときは、鍋つかみと
キルトのベッドカバーだったと思う
シンプルでストイックな生活をしている彼らに大変興味を持っていた。
大学を卒業したてのころは、アメリカンインディアン、南西部のプエブロの
生き方に関心を持っていた。
アメリカンインディアンにしろ、アーミッシュのようなコミュニティーにしろ
現代社会との軋轢、葛藤を含め、彼らが経済を優先せずに、スピリチュアル
なことを大切に生活している姿に心揺さぶられた部分があった
今週末はアーミッシュについてのサイトを読み直したり、
youtubeで彼らについての番組を何本も見てしまった
アーミッシュの若い女性が、自分の生き方を探し求める映画をYoutubeで見つけました
Love Find You In Charm 2015
という題名です。日本語の字幕がないので英語が理解できる人はぜひ見ていただきたい。
自分の集団にはフィットしない感じを抱いていた女性
世界を見る機会をもったけれど、
外の世界の価値観は自分の大事にしたいこととは乖離していることを体験し
納得して自分の居場所を選択していくという話です
アーミッシュはアナバプティストという立場を取っていて
(成人18歳〜22歳をめどに、自分が教会に所属するか、
家族から離れて外の世界で一生生きていくかを決め、
洗礼を受けるという考え方)
他のプロテスタントやカソリックのように、生まれてすぐに
バプタイズする宗派とは一線を画します
一度落ち着いてアーミッシュやクエーカーについて調べてみようとおもいます