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天木さんの1/28ブログによれば「日本は正しい政治哲学や理念も無い事から、国家外交は対米追従一路に執着し、政界は派閥と権力簒奪の争いで月日を送っており、軍国主義の復活は危険度を超えている」と北朝鮮から日本の政治状況まで批判されているそうです。日本の手の内が筒抜けだから、なかなか的を得ているではないか・・・・と感心している場合ではない!心配なのはしたたかな北朝鮮の外交手腕に日本政府、外務官僚は対抗しうるのか?ということだが、天木さんのブログを見る限りはお寒いかぎりのようです。一連の不祥事のあと、田中真紀子さんの失脚で改革のお目付け役がいなくなり、息をふき帰しつつある?アホタレ外務省であるが・・・アメリカ合衆国の出先機関のような外務省をこのまま国民の税金で養っていくほど国庫は潤沢だろうか?と心配するのです。1964年に自民党政府がルメイ少将に勲一等旭日大綬章を授与したそうで、その理由が「航空自衛隊の育成に貢献した」のだそうであるが・・・(ルメイ少将とはB-29による本土大空襲の発案者でありかつ実行部隊の司令官でした)アメリカに物申す状況になかったにしろ、政府、外務省の対米追従のスタンスはこの頃から発していたのかと苦々しく思うのです。持論ですが宮内庁と外務省を統合し儀典庁とすることでスリム化を図り、ODAの中間搾取を排し、税金の有効活用を図るべきだと思うのです。だって今の北朝鮮に対する外交方針策定には外務省がいてもいなくても大差ないし、大局は政府判断に任すしかないじゃーないですか。(いまだに閨閥を縁故採用する旧幣害務省に期待するのが、どだい無理があるのだろうか?)無条件降伏を避けるための本土決戦計画とは・・・今にして思えば馬鹿げているが、そこまで大本営がピントを外した背景には外務省の外交感覚が後押ししていたのではないか?と思うのです。ポーツマス条約以降の外交史と言えば現在まで、金は出すが評価が低い連戦連敗の歴史では無かったという思いがするので・・・・怒りを込めて外交史を勉強しようと思う。ところで 史実を書く場合にはよく調査する必要があるが、参考文献を意識して無視する行為を「スルー」と呼ぶらしい。私のお気楽ブログではひとつの文献をもとに書くことが多いので無意識スルーばっかりではないか。
2005.01.30
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・身捨つるほどの祖国は無いと言われている昨今、捨てることのできないのが日本語らしいけど・・・・日本語が出てこない日本映画であるが、醜い日本と、我が身に疲れてくると、こんなビデオに手が伸びて・・・・ウラジオストックで撮影してセリフが全てハングルという異色の映画らしいということで借りたが・・・・サイが触媒のように作用してホテルビーナスは変わってゆく♪サイという少女の心の闇を解き放つために、自身も疲れたホテルの住人達に連帯が生まれ、住人達の再起が見られるお話であり、吹き溜まりのようなホテルビーナスにたどり着いたサイは言ってみればバグダッド・カフェのジャスミンではないか。交通事故で恋人を失ったチョナン(草なぎ剛)、請われてサイの母を殺したガイ、医療事故でやけになったドクター、花屋の開店資金のために麻薬を売る娘(ソーダ)なんかも出てきて不幸のオンパレードのようで重いし、湿ったお話めいたところもあるが・・・吹き溜まりのようなホテルということではバグダッド・カフェと似ている。ただバグダッド・カフェは乾いていて、もっと現実的ではあるが。サイが逗留を始めた頃「僕はね ただいるだけ・・・」とチョナンは言うが、チョナンのように全てのしがらみから逃避してホテルビーナスに逗留したいと、弱気になったりもします。(チョット危ない)サイとガイにようやく和解が生まれたとき、ガイがサイの目の前で警察に捕まってしまうが・・・警察の吐くクズという言葉に怒り、くってかかるチョナンの気力にはチョットだけ希望が見えます。映画はこのあとモノクロからカラーに変わり、ホテルビーナスの住人達の希望を予感させて終わります。やさしさを描くには日本という場所を離れる必要があったのか?リアルよりも“普遍的なお話”に徹するには外国で外国語による映画というこだわりになったのか?という疑問が残るけど・・・日本人と韓国人(そしてロシア人も)が協力してこの映画を作ったことの方が、より希望の芽が見える気がします。ソーダを演じる韓国人女優なんかイイナー!!個人的にはハングルにこだわる映画とは何だろう?という言語学的興味で借りたビデオでしたが・・・・やさしさと幸せの芽が見えるような映画でした。ということで ちょっと哀しいところもあるが幸せ王国シリーズ(左記)に感想を並べることにしよう。公式HPはどう?
2005.01.29
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新潟出張から帰ってきたので、新潟のいい想いを書こう。ホテルに社長が迎えに来たので、夜の街に繰り出した。社長といっても有限会社の社長で個人商店主のようなもんだが、同い年のこの社長が無類のカラオケ好きで、道楽の連れに連れ出されたようなものである。きれいな子がいて、客が少ないクラブ?を探して転々と歩いてやっと妥協できるクラブに落着いた。トランジスタグラマ(古い表現だ)の子が好みだが社長の方にうつり、細身のややバタくさい子が横についた。こうなれば自分の歌に没頭しよう。「花はどこに行った」の英語バージョンはないの?と探したり・・・「白いブランコ」を忘我の境地で歌ったりして・・・社長の歌の合間に私の歌がはさまり日付を越えて・・・新潟の夜はふけていった。社長が強要するチークダンスでもそのバタ子は両足をはずして抱きつくし、コブラツイストをかけてくるし。席にもどれば膝の上に腰を掛け、髪をグシャグシャにしてくれるは・・・カラオケ画面の歌詞が読めないではないか。おいおい ディープキスを迫るのか?これは営業用なのか?酔っているのか?だんだんと彼女のタガが外れてゆく。団塊世代のおっさんが彼女の琴線のどのあたりにふれたか知らないが、とにかく熱烈歓迎をうけたのであった。そして鉛色の空の下、裏日本にもはじける子がいるもんだなーという感慨を持った次第でした。翌日も機嫌よく仕事をこなし、仕事に来たのか遊びに来たのか?となったが・・・謹厳実直なシニアライフ?で特異点のような楽しい晩でした。ということでこの晩の歌を記憶をたよりに挙げてみる。・長崎は今日も雨だった(出だしはいつもコレ)・釜山港へ帰れ・時計(伴奏が高級すぎてキーが合わず)・恋の街札幌(裕次郎はナツメロになってしまったなー)・愛人(歌える歌というより好きな歌手だから)・石狩挽歌(この詩がいいんだなー)・白いブランコ(この晩いちばんと自賛)・抱擁(ムード歌謡に挑戦中)・ノラ(ムード歌謡に挑戦中)・ふたりの大阪(デュエット)・ブランディーグラス・とかでした。サラリーマンの接待とは、趣味と実益を兼ねた?かくもいじましいものだが、かって大蔵官僚の受けたノーパンシャブシャブというものは凄いものでは?あったんでしょうね。接待と言えば、元大阪高検公安部長が捜査情報を流す見返りに元暴力団組員から接待(高級クラブでの酒食やデート嬢の紹介)を受けた職権乱用罪や収賄罪に問われているそうで、2月1日の大阪地裁で裁判があるようです。********************************************************2月1日の裁判結果は検察側のほぼ完勝で、元公安部長への実刑判決があったが、元公安部長が言うように「検察側の裏金作りの口封じ」の疑惑は解明されなかった。調査活動費という名の使途不明金は以前より急減しているそうだが、検察組織のトカゲの尻尾切りという疑惑は深まったったかも?・・・・・・と夕刊が報じています。(2月1日追記)
2005.01.28
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敗戦前の話だが、どこから一億玉砕というような標語が出てきたのだろうか?国体を護持するためには、臣民が玉砕すればよかったのだろうか?敗戦を経て、一億玉砕という標語から1年もたたぬうちに一億総懺悔という流行語がうまれるが、どちらも出どころはお役人からである。なんという軽さ、変わり身の早さというものだろう。敗戦直前で狂っていたにしろ、こういう無責任で残酷な標語をつくり、流布させたお役人は、やはり許せないでしょう。本土決戦方針に基づいて沖縄で「出血持久」という無慈悲な時間稼ぎを行い・・・・(護持すべきものは国民ではなかったという愚かさはどこから来たんだろう?)本土では実際には戦闘を行ったわけではなかったが、一億玉砕を強いるような天皇制集団無責任体制というものは臣民にとっては、ある意味アメリカ軍より怖いものではなかったのか?と想像します。そして怖いと言えば、現代の行政システムが戦時と同じこと、戦時の事実に迫る態度を自虐という言葉で非難する風潮、テロに屈しないという理由で派兵延長を容認すること、NHKに対する検閲疑惑・・・・・などタカ派的偏向が目につくことです。タカ派的偏向に対しては、自虐と呼ばれようが“非戦の偏向”でバランスをとるのがリベラルな態度ではないかと思うのですが・・・・山口二郎教授が言っている自己修正能力(下記)とは非戦の偏向とでも言うものではないかと思います。歴史を批判的に振り返り、誤りを誤りとして直視する態度を自虐的と呼ぶ社会には、自己陶酔だけがはびこり、自己修正能力は育たない。靖国問題にしても、戦争を指導した者の責任を明らかにすることと、戦争で犠牲となった人々を追悼することを明確に区別しなければ解決はありえない。死者を糾弾することには意味はない。しかし、戦争指導の実態を解明し、誤った政策決定を検証することは、自己修正能力を持つための必須の条件である。単に死者を賛美するだけでは、戦争そのものを引き起こした知的な欠落や個人の不在を未来に引き継ぐ結果に終わるに違いない。現在の国内の雰囲気が満州事変以前とさして違わない・・・とよく言われるけど、怖いですね。サマワの基地にこもり、象徴的に旗を立てることが国際貢献なのか?・・・対米追従という無責任な官僚の御都合によって生命の危機にさらされる自衛隊員がかわいそうではないか?
2005.01.23
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今月号の「論座」で山口二郎教授がいいことを言っている。いわく・・・小泉政権に唯一功績があるとすれば、意図していたかどうかはともかく、戦後システムの崩壊を加速させたことであろう。・・・なるほど、そういう見方もできるのか。山口教授のリベラルで鋭い指摘にいちいち納得し、田吾作としては頭が整理される思いがするので、私自身のためにも以下にその抜粋を載せてみます。●思えば、戦後システムがあまりに安楽であったことが、この十数年の停滞を生んだとも言える。その中に順応して生きる限り、自己の所属する組織(政党、省庁、会社・・・)や自分自身の生活以外のことを考える必要はなかった。戦後システムを維持するためには何が必要か、このシステムが耐用年数を迎えたときにこれをどう更新するかといったシステムの原価償却という発想は、政治家にも官僚にも存在しなかった。個々の仕事や生活の場で日本人は知恵を働かせてきたが、システム全体に関しては思考停止状態が続いたのである。●バブル崩壊に対する公共事業の大盤振る舞い、コメ市場開放に対する巨額の農業補助金、政党再編成の中での自民党と社会党の連立、行政改革という名の省庁合併など、政策や統治主体の質の劣化を量的拡大で補うという対応は各所に見られた。未曾有の人気の中で登場した小泉政権に唯一功績があるとすれば、そうした量的拡大という弥縫策をやめ、意図していたかどうかはともかく、戦後システムの崩壊を加速させたことであろう。戦後システムはここまで空洞化しているということを、彼は国民に知らしめたのである。●官僚の劣化も、この十年で明らかになった。九〇年代中頃に続発した当時の大蔵省、厚生省のスキャンダルによって官僚の威信は地に落ちた。特に興味深いのは、最近裁判所がいくつかの事件に関して行政の誤りを認定し、日本官僚制の特徴であった無謬性神話(官僚は絶対に間違ったことをしないというドグマ)がその面からも否定されている点である。水俣病関西訴訟では、最高裁判所が水俣病に関する国の責任を明確に認定した。また、高裁、地裁のレベルでは、ダム建設にともなう灌漑事業の事業認定や高速道路の建設計画決定の手続きにおいて行政に違法行為があったという判決が出された。日本の官僚制は、政策は誤りうるという前提で自己修正の能力を持つという文化変容を迫られているのである。長い間絵に描いた餅であった三権分立、とりわけ司法による行政へのコントロールが、官僚に対する風当たりが強まる中で、ようやく実質化しようとしているということもできる。●日本において、無際限の対米追従以外のシナリオを書くに当たって、知的な蓄積は存在しない。外務官僚のほとんどはアメリカしか見ていない。現実的な政策提言ができるシンクタンクも日本にはない。その意味で、説得力のある選択肢をすぐに提示することは難しい。要は、政治的意思の問題である。まずは、民主主義において国民が選択した政策はアメリカといえども認めざるを得ないという当たり前の現実をもとに、アメリカのご機嫌をそこねたら日本は終わりだというマインドコントロールを解くことから始めなければならない。山口教授の絶望と怒り・・・そして希望が見えるような論文です。今年は戦後60年ですが、次の10年後には“戦後○年”という言い方はしないだろうと山口教授は言っています。そうかもしれないが・・・個人的ではあるけど、満州事変のあった昭和6年あたりから現代史のイメージを造っているので(団塊世代としては)、いつまでたっても戦後で数えるかもしれない。山口二郎オフィシャルホームページを覗いてみたら、「論座この十年の日本政治」としてこの論文が載っていた。せっかく雑誌から転記したのに・・・・・ま いいか。山口教授の明晰な診断は、天才宮台さんの取っ付きにくい論評と違って、我々やや年老いた田吾作にはわかり易く腑に落ちる気がします。けれど 腑に落ちたままで、安全弁が吹いたままでは山口教授の期待にそえないでしょうね。
2005.01.21
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今日の朝日新聞に例の「NHK圧力問題」について1/12付の朝日新聞朝刊の報道の経緯、内容が載っていた。また、帰宅後にはNHKのニュースでもこの問題について、NHKが朝日新聞に反論していた。まさに二大高級(高給?)メディアのバトルという様相を呈してきたなー。最近の朝日はNHKのように大組織の弊害か?、たまにピント外れがなきにしもあらずの感があったが、今回のバトルでは分があるのかな?そのへんを、アサヒコムとNHKオンライン(下記)で調べてみようと思う。NHKオンラインの反論を読むと安部さんのコメントを詳しく載せていて安部さんサイドであることは明らかであるが・・・そのスタンスは検閲容認というのか?公共放送として偏向を排すというのか?・・・評価の難しいところでしょうね。●1/18アサヒコムより●1/18NHKオンラインの反論●「戦争と女性への暴力」日本ネットワークの反論も聞かないと真相がわからないだろう。********************************************************NHKは国営放送でもないのに、視聴者から視聴料を徴収しているし、予算作成を国に報告義務があるらしい。国と視聴者に対するスタンスが確立していないというか曖昧で(特殊?で)、まさに特殊法人という感じです。とにかく言えるのはNHKのように組織が大きくなると、内部からの自浄作用は当然として働かないのではないかということです。そういうことで、NHKは長井ディレクターの内部告発を重く受け止めてもらいたいものです。しかし 偏向のない普遍的に公平、公正な報道というものは原理的にありえないので、偏向の裁定というものは個人ではできないものかも知れないですね。そして偏向という裁定は国民全体に委ねるというのがデモクラシーなんでしょうね。・・・・と偏向めがねでながめる私は思います。(1/22追記)
2005.01.18
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5時46分今朝は小雨が降っていたので朝連は中止し、家の前でストレッチをしていました。あの時も連休明けの起床する時刻でした。あの日から10年たったのか・・・10年前だけど地震の記憶は鮮明です。阪神淡路大震災の犠牲者のご冥福をお祈りします。
2005.01.17
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今日のサンプロで「NHK圧力問題」が放映されている。安部さんも出演していて田原さんが真相に迫るようだが、情報操作はあったのか?という点が気にかかるところです。NHK番組の偏向うんぬんという点も気になるところですが・・・報道の自由、知る権利のほうが大事でしょうね。NHKは公平公正な報道を要求されていて、偏向報道は流せない立場にあるので、報道内容の自主チェックがあって当然だろう。問題は国によるチェック(事前検閲)があったのか?ということでしょう。もしあれば、国による情報操作となり憲法21条に抵触することになるのだが。サンプロの時間配分が短くて、真相追求も尻切れトンボのようっだったが、これまでのメディア情報によれば・・・・海老沢会長体制下のNHKでは、偏向が問題となるような政治性を帯びた番組については、その内容が事前に国に筒抜けになるような事実があったようで(これも伝聞ですが)、NHKの独自性に疑問符がついたことだけは確かなようです。21日からの国会では、野党3党が安倍氏らの参考人招致を求めることを検討するとみられているが・・・次期主相候補の安部さんは政治生命を賭けて弁明することになるだろう。海老沢会長が辞任するNHKがどう変わるかは今後注目するところですが・・・・当分のあいだ、政治に絡む報道にはNHKは当てにできないので民放、新聞等で補完するしかないという気がします。視聴料を払っているのに、しっかりしろNHK!という感じですね。*******************************************************問題の番組は、旧日本軍慰安婦問題の責任者を裁く市民団体開催の民衆法廷を取り上げたもので、戦争責任が絡む政治性が強い番組だそうで、内容はこれから調べるところです。とにかくカット前には天皇が有罪判決を受けた模擬裁判が出てくるという極めてラディカルな番組だったそうだが、こんな番組はタカ派の安部さんとしては見逃すわけにはいかなかったのではないかと想像する次第です。また国民として戦争責任を追及するドキュメンタリー番組とは、日本人の良質の側面が見える番組になり偏向とまでは言えないのではないか?と番組は見てはいないけど思うのですが。この番組の背景などは秀さんの日記に詳しく載っているが、都合のいいことに秀さんがトラックバックしてくれたので、詳細はトラックバック(下記)をどうぞ!
2005.01.16
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新潟の山間部に雪は降り続き、被災地のインフラ復旧は春を待つしかないようです。もうすぐ10回目の1月17日が巡ってくるが、それにつけても阪神大震災後の国の冷たさは何だ!住居を失い、ローンのみ残ったが、そこに阪神地区の不況が追い討ちをかける。いちおう公営住宅に入居できたが、“ご近所”というコミニュティを失った高齢者が233人も孤独死したらしい。神戸には「人と未来防災センター」という大きな施設があり被災経験を記録し、これからの防災に資するということでそれもいいことだろうが、立派な箱物に違和感を覚えるのは私の僻目だろうか?立派なお役所を作る一方、被災者の個人資産までは援助できないそうだが、焼け太りくらいの援助することには“明日はわが身”の国民から支持が得られると思うのだが。つまるところは国としては他の被災援助事例との整合を崩せないという、お役人根性から一歩も踏み出せないということではないだろうか?大地震、津波は日本では現実の脅威であるが、これでは被災すれば運が悪かったということなのか?大規模災害時の復興に対しては、他事例との整合という膨大な業務にたじろぎ、手をこまねく官僚が想像できるが、これが怠慢で冷たい国という形で表れるのだろう。一方 国連の常任理事国入りは国の(外務官僚の)の悲願らしいが・・・・なんのことはない、委員会開催時に議場外の廊下で情報収集するのは官僚としては耐えられないという面子の問題らしい。国連分担金とか、米軍への思いやり予算は官僚の采配を政権党が追認してズルズルと踏襲されている。その采配に通低するのは官僚の縄張り争い、面子、過大な業務からの逃避etc であるが、税金は在るところには在るのだ・・・聖域の特別会計(官僚の隠し口座)、同盟関係維持費用、独立行政法人への掴み金などから災害復旧にまわすとか・・・要は国のスタンスを見直し、官僚の生存より国民の生存を優先する社会を目指せばいいのだが。(だいぶ吹いてしまったかな?)
2005.01.14
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二世議員といえば筆頭が純ちゃんだが・・・・いまお騒がせの安部さんも中川さんも二世議員である。そして いずれも爽やかな風貌で言動は勇ましいタカ派である。そこで・・・・二世議員はなぜタカ派なのか?という疑問がわいてくるのだが。生まれながら民衆を指揮する(と勘違いしている)立場の御曹司はどうしても、戦争に駆り出される側の感性が欠落しているのではないか?・・・・・そして生まれながら体制側にいるので、かって国民を無謀な戦争に駆り出した無責任体制を心底憎むという感性は多分持ち合わせてはないのではないか?・・・・と思いあたるのである。昨晩 NHK番組の事前検閲疑惑について安部さんの弁明を報道ステーションが流していた。「それは伝聞でしょ・・・」と安部さんはNHKの長井ディレクターの内部告発を早口で否定していたが、真相はどうなんだろう?一方 今朝のNHKニュースでは内部告発の事情の一部に事実誤認があったと早手回しに報じていたが、どちらが真相なんだろう?視聴者とはメディアが流す情報により真相を類推するしかない立場にあるのだが・・・少なくとも私の偏向した目には安部さんのタカ派ぶりがより印象づけられたのだが、真相を知りたいものである。海老沢会長辞任とか上層部の検閲容認体質とかで、私の偏向まなこには伏魔殿とのイメージさえ浮かぶNHKであるが・・・やはり特殊法人であるNHKに対しては体制側の締付けはあったのかと愕然とするし・・・・NHKが偏向するとなれば、もはや民放や週刊誌のゲリラ的暴露報道しか頼るメディアが無いではないかということになり・・・もう視聴料の自動振込みは止めたくなってくるのです。ということでアサヒコムの以下関連記事によりその後の動きに注目しているところです。http://www.asahi.com/national/update/0112/006.htmlhttp://www.asahi.com/national/update/0113/014.htmlhttp://www.asahi.com/national/update/0113/029.html(その後の動き)●民主、共産、社民の野党3党は14日午前、国対委員長会談を開き、旧日本軍の慰安婦問題を扱ったNHKの特集番組が、放送前に同局幹部と安倍晋三自民党幹事長代理の接触後に内容が変更された問題について、通常国会で追及していく方針を確認した。今後、安倍氏らの参考人招致を求めることを検討するとみられる。(1月14日の毎日新聞より)天木さんの1/14のblogから引用します。おりしも連日新聞をにぎわせている大阪市職員の福利厚生費をめぐる不当支給問題で、「おかしいと思っている職員はいたはずなのに、言い出せない空気があった」との大平光代助役の言葉を14日の各紙が報じている。告発する勇気は大変な事だ。しかし北海道警察の裏金づくりも一人の告発者から、隠蔽し続けた警察の巨悪が国民の前に明らかにされた。告発こそが、泣き寝入りさせられかねない弱者が、絶対的権力者の悪に対抗できる武器なのだ。長井さんの勇気をたたえ心から応援していきたい。それにしてもNHKという組織がここまで権力者におもねっているとは驚いた。世に騒がれているNHKの金銭的な不正など比べ物にならないほど深刻な醜聞だ。報道によれば長井さんは、NHK改革の一環として昨年9月に設けられたばかりの内部告発窓口「コンプライアンス(法令順守)推進委員会」に対して、昨年12月に調査を求めたにもかかわらず、1ヶ月たっても何の調査も行われていなかった為会見に踏み切ったという。NHKの改革がいかに見せ掛けだけのものであったかということだ。そしてこの期に及んでも会長以下幹部が、事実を否定している。●1/18アサヒコムより●1/18NHKオンラインの反論
2005.01.13
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小泉さんの靖国参拝などで、日本の戦後処理問題がいつまでたってもグズグズと取りざたされているが・・・・そして、自民党議員から「何度謝罪すればいいんだ?」といらだちが表明されるが・・・被害を与えた諸国にきちんとした謝罪をしなかったツケがいつまでも尾をひいているのだろうか。きちんとした謝罪をしなかった理由だが・・・戦争を遂行した軍人、徴兵された臣民の双方ともに空気のような同調圧力に引きずられていたと感じていたようだから、責任者不在で、謝罪する気は起きなかったのか?また タケノコ生活、戦勝国による東京裁判、朝鮮戦争勃発などが続く当時の世情では、じっくり戦争責任について追求する余裕がなかったのかも知れない。(しかしニュールンベルグ裁判を経験したドイツが徹底した贖罪を行っているので、ヒマが無かったではすまないのではないだろうか?)平和憲法遵守の日本を3年後にはアメリカの傭兵に変えようとしたアメリカの世界戦略から見れば、日米の政府とも日本の謝罪を強く要求する情勢にはなかったのかもしれないが・・・・辛苦を受けた国民の側から戦争責任に対する強い追及をしなかったことが、今の悲惨な日本を招いたような気がする。<当時の世情>・昭和22年5月 :日本国憲法施行・昭和23年11月:東京裁判、A級戦犯25被告に有罪判決・昭和25年6月 :朝鮮戦争勃発・昭和25年7月 :レッドパージ開始・昭和25年8月 :警察予備隊令公布・昭和26年9月 :サンフランシスコ条約調印・昭和27年4月 :サンフランシスコ条約発効(日本国独立)・昭和28年3月 :第1次引き揚げ船が入港・昭和28年7月 :朝鮮戦争停戦戦後処理について宮台真司さんが次のように述べています。 ドイツの戦後処理は日本とは対照的で、国内の軋轢を権力的に押し切って、戦争犯罪人を時効を外してとことん追求しました。しかしこれは「そうしないと欧州社会で生き残れない」からで、だから国民的合意に裏打ちされた「徹底した反省」が可能だったわけです。 日本の場合、中華人民共和国独立から朝鮮戦争へという流れのなかで、アメリカが傘になりましたから、ドイツが生き残るたまにコストをかけて選択せざるをえなかったふるまいを、選択しないですみました。しかし歴史がおもしろいのは、戦後五十年たって、この負担免除がよかったのかわるかったのか、自明ではなくなったことですね。 日本の戦後高度成長はアメリカ極東戦略に組込まれたがゆえの負担免除でなされたので、短・中期的には幸運でした。ところが、いまはどうか。政府間レベルでまがりなりにも信頼を獲得したドイツはEU統合や経済ブロック化の要石となってアメリカに対抗できますが、日本にはアジア経済ブロックを作れる力はない。まったく信頼されないからです。
2005.01.10
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まだ嫁さんが里から帰らなくて逃げた女房状態なので・・・今夜は自炊ということで、シャブシャブ材料をスーパーで買ってきた。豚肉、ネギ、トウフ、何とかキノコ、ゴマダレ・・・と白菜は買置きがあったし、これでいいだろう。ところでシャブシャブのツユはダシを取るのだろうか?息子に聞いても確とした返事は得られそうも無いし、まあいいか・・・ダシがないより有るほうが旨いにちがいない・・・コンブと煮干はあったかな?ということで、かなり?のものになりそうです。味のほうは後ほど報告します。******************************************************味のほうは まーまーでした。予想はしていたのですが・・・・ゴマダレの強烈な味に誤魔化されるので、シャブシャブの素材は淡白であっても・・・旨いのです。
2005.01.09
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昭和12年11月18日に発令された大本営令(軍令第1号:下記)を作った官僚軍人は この軍令が軍の権益を拡大するものであるが、国民を地獄の果てまで引っ張っていく法律でもあることを、自覚していたのだろうか?最高権力者の一人称“朕”で始まる軍令であるから畏れ多いと自覚はしていただろうが、淡々と職務に忠実に作成しただけではないだろうか?この「大本営令」と大本営・政府連絡会議があれば鬼に金棒で、どんな無謀な侵略行為でも、その場の空気で天皇の名を借りて開戦できることまで、当時の官僚軍人は自覚していただろうか?かくして統帥部の作戦をほぼフリーパスで通過させるシステムが完成したのである。こんな完璧な?集団無責任システムは、さすがに現在の日本には存在しないが、システムの効率化を追求すればこんな方向に向かいかねないので現在でも要注意だと思います。そして 昔も今もこんなうしろめたい集団無責任システムを作った責任者がきわめて曖昧なんですね。国民が追求する戦犯としては統帥部の軍人あたりにちがいないだろうが・・・統帥部といっても権益拡大を目指すだけでなく国益を視野にいれた軍人もいただろうし、敗戦の責任を取り自決した軍人もいたし人それぞれであり、戦犯探しをしてもラッキョウの皮むきのような徒労を感じてしまう。戦時官僚は自分の作ったシステムに縛られていたようなものだから、戦犯の線引きが難しいのではないだろうか?(戦後に復権した統帥部参謀としては国会議員となった辻政信、伊藤忠会長となった瀬島龍三がいるが彼らは限りなく戦犯にちかいはずであったのでは?と思うが、それを許した日本人も似たり寄ったりでしょうか)このあたりが優秀な官僚の官僚たる由縁なのか?それとも日本人官僚の限界なのか?も知れない。それにしても国というものは、戦争になったとたんに国民を縛るシステムに変わるものであり・・・お役人というものは、自分の作る法律が国民に辛苦を与えることに対して無責任、無自覚な存在である?と感じるのですが・・・現在の有事法制において有事と判断する際に 大本営令発令が頭をよぎるようで薄ら寒い気がする。【大本営令】田村先生のHPから引用朕大本営令ヲ制定シ之ガ施行ヲ令ズ大本営令第1条 天皇ノ大纛下二最高ノ統師部ヲ置キ之ヲ大本営ト称ス 大本営ハ戦時又ハ事変二際シ必要二応ジ之ヲ置ク第2条 参謀総長及軍令部総長ハ各其ノ幕僚二長トシテ帷幄ノ機務二奉仕シ作戦 ヲ参画シ終局ノ目的二稽へ陸海両軍ノ策応協同ヲ図ルヲ任トス第3条 大本営ノ編制及勤務ハ別二之ヲ走ム
2005.01.08
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久々の朝連に出たが正月に怠けたのでちょっとしんどい。風はないが、寒月がかかり冴えた星空である。なんだなんだ 晴れた星空から白いものがひらひら落ちてくる。(これは雪なんだろうか?)暦の上では今日は小寒らしいが さすがに寒い。昨晩帰ってきて今日から仕事初めです。呆けた顔をひきしめてサラリーマンの顔になろう。
2005.01.05
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今日から四国の田舎へ帰省します。2泊か3泊になると思います。幼馴染に久しぶりに会うのが楽しみです。こころざしを果たしていつの日にか帰らん・・・ではなくてこころざしを果たさず、久しぶりに帰る・・・・という感じですね。
2005.01.01
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