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今の二極化した社会は満州事変頃の二極化と似ているのかもしれない。当時の落差は都会と農村の落差であったが、今は公務員や正社員という勝ち組と、パートやフリーターの負け組との落差である。「誰か昭和を想わざる」のネコラジオさんは戦前は今とさほど違う社会ではないと常々言っていられて、その歴史認識に目からうろこの私ですが・・・そのネコラジオさんが昭和7年の血盟団事件について“栄華を誇る財界サイドから見たらテロ犯人でも、疲弊しきった農村部から見たら救国の英雄”というふうに複眼的な見方を披露しています。しかしテロの風潮が、ゆくゆくは軍事クーデター、統帥部の横暴などを助長し日本を破滅に導いた事実があり、義憤によるテロで改革を成しえた例は無いようです。それでも二極化に憤る私としては、強硬手段によってでも救国するいい手立てはないかと、「誰か昭和を想わざる」を逆引きしてみるんですが・・・こんな難問を解決する手立ては戦争という恐ろしい方法くらいしか見当たらず、回答になりえません。とにかく官僚の小手先で解決できる問題でもなく、グローバリズムに逆らってでもというレベルで哲学的レベルの問題では、あるようです。ネコラジオさんが説く血盟団=反財閥=農村の味方という図式に対比して、血盟団=反勝ち組=フリーターの味方という不謹慎な図式を夢想しないでもないが・・・・如何せん 非情なシステムの独り歩きにより、怒りを削がれた負け組には反旗を翻す力も知恵もないのが実情ではないでしょうか?負け組みにとって、怒りをぶつける先が見えず怒る力も無いというなんと非情な社会になってしまったものだろう。・・・ここは、昨日の日記でも紹介した内田先生の説く哲学なんかが必要とされるのでしょう。ネコラジオさんの3/26ブログでは「血盟団の戦後」を載せていているので、抜粋して紹介します。戦前に血盟団が本拠地にしていた場所には、いま井上日召の銅像が建立されています。満州事変以降の日本の好景気に取り残されたのが農村部で、その疲弊ぶりは都会が戦争特需で潤っていたために尚更みじめで、この都会と農村の落差が血盟団のみならず、五一五などのテロ頻発と、事件犯人らへの世論の圧倒的支持につながります。栄華を誇る財界サイドから見たらテロ犯人でも、疲弊しきった農村部から見たら救国の英雄-。血盟団=国粋主義=わるい、という図式で見るからわけがわからなくなるので、もっと単純に血盟団=反財閥=農村の味方、という別な図式をあてはめれば、井上日召の銅像が建つ理由もわかるかと思います。冬の帝都を血に染むる
2005.03.27
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今 日本は二極化している。つまり 荒っぽく言えば、公務員や正社員という勝ち組と、パートやフリーターの負け組の二極である。個人としては如何ともしがたいが、団塊の世代として、なすすべも無く二極化の進行を座視するしかなかったことを、辛く苦々しく思っているのです。若者に対してこんな夢の持てない仕組みを作った世代としては、せめてなんらかの世直しを模索し、可能な行動をとるべきではないだろうか?と思うのです。世直しといっても、システム、精神とも末期的な日本であり・・・身の回りは欠陥だらけでどこから手をつけていいやらオロオロするけど。せめて・・・親方日の丸、税金泥棒的な特殊法人などの跋扈を許しては世直しの端緒にもつけないという気もします。社畜にとっての最後の共同体的よりどころだった企業も解体するご時世で、自分が生きてゆくのもきつい社会になってしまったが・・・・そんなわけで(どんなわけで?)内田先生が3/21ブログで山田昌弘『希望格差社会』が説く二極化を引用して次のように言っているので紹介します。●リスク社会は「勝つ人間は勝ち続け、負ける人間は負け続ける」というフィードバックを繰り返して短期的に二極に分化する。その結果はどうなるのか。「夢に向かって努力すればその夢は必ず実現するというのは『ウソ』である。全ての人が希望通りの職に就けることはあり得ない。『一生』大学教員になれない博士課程入学者は年に一万人ずつ、『一生』上場企業のホワイトカラーや技術職につけない大学卒業生は、多分、年に数万人ずつ、『一生』中小企業の正社員にさえなれない高校卒業生は、年10万人ずつ増えてゆく。これに呼応して、正社員と結婚するつもりだが、一生結婚できないフリーター女性は、年20万人ずつ発生していくのである。(…)いつかは受かるといって公務員試験を受け続けても、三十歳を過ぎれば年齢制限に引っかかる。どうせ正社員に雇ってくれないからと就職をあきらめ、単純作業のアルバイトをしていた高卒者は、仕事経験や能力が身に付かないまま、歳だけとり続ける。よい結婚相手に巡り会えないからと結婚を先延ばしにしていた女性は、四十過ぎれば見合いの口もかからなくなる。当の若者は、考えると暗くなるから考えない。若者自身が、不良債権と化すのだ。(…)結婚や子供を作ることなく、高齢を迎える元フリーターの中年男性、女性が100万人規模で存在する社会はどのようなものになるだろうか。」(127-8頁)ここまではっきり書く人はあまりいないが、私は山田さんの暗鬱な未来予測には十分な根拠があると思う。戦後日本はひたすら「中間的なセーフティネット」を破壊してきた。都市化・近代化で、まず農村的な地域共同体と血縁集団が破壊された。しばらくは「親方日の丸」的な企業が終身雇用と年功序列制によって失われたこの共同体を代補した。だが、「社畜化」したサラリーマン男性が家庭より企業に優先的に帰属感を抱いているうちに、最小の血縁集団であった核家族が解体してしまった。ポスト産業社会化とともに、サラリーマンにとっての最後の共同体的よりどころだった企業も解体して、とうとう「中間的共同体」が何もなくなってしまった。まるはだかにされて、正味の個体の生存能力をフル動員して生き延びるしかない、リアル・ファイトの闘技場に私たちは放り出されたのである。文句を言っても始まらない。「そういうのが、いい」とみんなが言ったからそうなったのである。「夫らしく妻らしくなんて役割演技はたくさんだ」「親の介護なんかしたくない」「子どもの面倒なんかみたくない」「隣の家とのつきあいなんて鬱陶しい」「会社の同僚の顔なんか終業後に見たくない」「オレはやりたいようにやる」「あたしの人生なんだからほっといてよ」…ということをみなさんがおっしゃったので、「こういうこと」になったわけである。誰を恨んでも始まらない。山田さんは、あと20年後に確実に不良債権化する「元若者」たち(社会的能力もなく、家族もなく、年金受給資格もなく、保険にも入っていないような中年老年の男女)の生活保護のための財政支出と、自暴自棄になった「元若者」たちの犯罪に対処するための治安コストを考えると、いまのうちに、なんとか手を打った方がいいと提案している。もっともだと思う。けれども、公共政策によって彼らに最低限の生活保障を行っても、彼らの「将来に希望がもてない」という実感をどうにかすることはできない。問題は山田さん自身が言うとおりに、どちらかというと「心理的なもの」だからである。「個人的対処への公共的支援が必要である」と山田さんは書いている。「私は、リスク化や二極化に耐えうる個人を、公共的支援によって作り出せるかどうかが、今後の日本社会の活性化の鍵となると信じている。(…)能力をつけたくても資力のない者には、様々な形での能力開発の機会を、そして、努力したらそれだけ報われることが実感できる仕組みをつくることである。(…)学校システム、職業訓練システムでは、これくらい努力したら卒業、もしくは、資格をとれば、これくらいの仕事に就ける、収入が得られるという保障をつけたメカニズムをつくるべきである。」(241頁)なるほど。もうひとつの提案はもっとシビアだ。「自分の能力に比べて過大な夢をもっているために、職業に就けない人々への対策をとらなければならない。そのため、過大な期待をクールダウンさせる『職業的カウンセリング』をシステム化する必要がある。」(242頁)この「過大な期待を諦めさせる」ということは子どもを社会化するためにたいへん重要なプロセスであると私も思う。●重要なのは「哲学」だと私は思っている。人間の社会的能力は「自分が強者として特権を享受するため」に利己的に開発し利用するものではなく、「異邦人、寡婦、孤児をわが幕屋のうちに招き入れるために」、その成果をひとびとと分かち合うために天から賦与されたものだ。そう考えることのできる人間たちによって、もう一度破壊された「中間的共同体」を再構築すること。「喜び」は分かち合うことによって倍加し、「痛み」は分かち合うことによって癒される。そういう素朴な人間的知見を、もう一度「常識」に再登録すること。それが、迂遠だけれど、私たちが将来に「希望」をつなげることのできるいちばんたしかな道だろうと私は思う。どちらにせよ、この本はいま若者である方たちと「元若者」になりつつある不安定就労者のみなさんに熟読して欲しい。
2005.03.26
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ポイゾンピル(毒薬)という経済用語のおぞましい響きには感覚的に拒否反応を起こしてしまう。詳しくは知らないが株買収比率を下げる為の株増資を意味する?らしい。M&Aの吹き荒れるアメリカから端を発して、愚かにもグローバリズムを追走する我が経済人もそういう奇手をつかうのがかっこいいらしい。(アホか!)武力を後ろ盾に物作りより金融工学を重視するようなアメリカニズム(グローバリズム)が日本にとっていい訳がないと思うのだが。外資を使ったホリエモンの買収騒ぎも米国モデルの改革にかなうものですが・・・今日の朝日の「私の視点」欄で関岡英之さんという作家が米国モデルに警鐘をあげています。米国政府は毎年「年次改革要望書」という内政干渉のような要求を日本政府につきつけているそうで、アメリカの国益に沿うよう微に入り細に入り、米国モデルにかなう改革を要求しているようです。その要求を受けて、アメリカの出先機関のような日本の担当省庁が関連法の改正を唯々諾々と行っているようだが、こうゆう恥ずかしい慣行が国会の審議もそこそこでスルーパスされているのが実態のようです。まったく説明責任もはたさないで、ウラでこそこそと対米追従を続けるお役人とは日本にとって何なんだろう?と思うんですが。そして・・・・かってノトーリアスMITI(悪名高き通産省)としてアメリカに1目置かせた日本官僚の気概とかいうものは・・・・いったいどこに行ってしまったんでしょうね?ところで 楽天イーグルスが初戦で勝ちましたね。ファンになろうかな?!
2005.03.26
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イラン戦サッカーに間に合うように関東一泊出張から帰ってきた。予約切符より早いのぞみに乗ったので、あいた指定席を転々と座りついで・・・新神戸までたどり着き、試合開始時刻にすべり込みセーフ。前半1-0でビハインドだが、まだいける!*****************************************福西の同点ゴールで勝てるぞ!と思ったけど・・・あーあ 負けちゃったよ。これで30日のバーレーン戦がきつくなるなー。
2005.03.25
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お天気良し!ということで山之辺の道あたり行きたいとも思ったが・・・近場の県立美術館に行ってきた。今 ドレスデン国立美術館展をやっていて目玉のフェルメールの絵が見えるので、そんなに悪くはないだろうという消極的動機で出かけたわけです。見た後の感想としては・・・オスマントルコの武具、レンブラントの絵、伊万里焼とかで・・・ザクセンの文化遺産といっても望遠鏡とか製図道具などを除き、外国のものばかりじゃないかという感じでした。これだったらドレスデン空襲とその後の復興の写真展のほうが良かったのでは?と思ったほど(ばちあたり)でした。ところで この美術館には入場無料の図書室があって利用者もまばらで穴場なんですよ。今日はここでエドワードホッパーの絵を堪能できました。エドワードホッパーといえば、都会の孤独な人物や海辺の情景を描くリアリズム絵画と言われているが・・・・フェルメールのように光の画家でもあり、色彩の画家でもあるようです。特に色の使い方は私にとって圧倒的であり、エドワードホッパーを再認識した次第でした。嫌米の私にとってもエドワードホッパーは別で、いいものはいいとしか・・・いえないですね。 やはり好きな画集を見るには図書館がいちばん・・・・ということで穏やかな春の午後をすごしました。チャンチャン!エドワード・ホッパーはどう?
2005.03.21
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腰巻きに書かれた・・・「沖縄から米海兵隊が撤退した。それは米国防総省(ペンタゴン)が、たった一人のテロリストに屈服した瞬間だった。テロリストの名は「12」・・・・・」というコピーに魅かれて買った本ですが、連休の暇にあかせて1日かけて読んでしまった。とにかく腰巻きからは“アメリカに一矢報いる”という怨念のようなパッションが感じられて、私の琴線に触れたわけです。福井晴敏といえば、今掛かっている映画「終戦のローレライ」の原作者ということで気になる作者ですが・・・・'98年江戸川乱歩賞受賞作品だから推理とか冒険が売りだろうけど、予想以上に政治的メッセージの強い作品でした。1951年マッカーサーは上院の聴聞会に出席し、「近代文明の尺度で測れば、われわれは45歳で成熟した人間であるのに比べると、日本人は12歳といったところだ」と発言したそうです。Twelve Y.O.の主人公は「自衛隊はアメリカを守る為に存在しているわけで、一個の国防組織として自己完結していない。12歳の先にある成熟を迎えなければ、次の世紀をこの国が生き延びることはできない。」と言う。母を捨てたアメリカ人の父から言われた「善く在るよう努めよ」ということばに取り付かれたテロリスト・・・・ファザーコンプレックスなんでしょうね。このように主人公のテロリストの名を「12」とした裏にはかなり作者のスタンスが現れているようであり、まだ若い(37歳?)作者はかなりのナショナリストのようです。作者を好戦とまでは言わないが、少なくとも反戦、平和オンリーとは一線を隔しているようです。沖縄生まれのふたりの混血児から、ひとりは自衛隊中枢としてもうひとりはテロリストとして、個人的怨念を秘めて復讐劇が繰り広げられます。主人公の混血児は戦後生まれであり沖縄戦の記憶はないが・・・アメリカの為に存在する自衛隊や、安保タダ乗りに安住した子供なみの国防感覚に憤り、米軍の沖縄基地を攻撃します。この憤りはたぶん作者自身の憤りなのかも知れない。イラク戦争の開戦理由が大量破壊兵器の探索破棄にあったわけですが、この作品では大量破壊兵器を米軍が沖縄に隠蔽していて、テロリストがこの化学兵器を作動させることになります。この作品が世に出た3年後に911テロ、5年後にイラク戦争が起きたわけですが、現在から見ても米軍の情報システム、サイバー攻撃、時代などを読む作者の目はそんなに狂ってないことに驚きます。しかし、事実は小説より奇なりというけど、911テロのフレームアップ疑惑とかはこの小説がかすむくらいであり・・・・作者のスタンスとは違うけど、冷戦終結後のアメリカの行状には“ほんとに一矢報いたい”と思う私が怖い?!この小説では一矢報いる先が沖縄の米軍基地となっているが、天木さんのブログによれば外務省条約局あたりを狙うのが現実的のようです。従来から、外務省の条約局は外交政策の全てにわたって最終的な決定権限を握ってきた。その根源は安保条約の運用、解釈を一手に握ってきたからである。条約局長経験者はまた最高裁判所の判事に天下る慣例にもなっている。その条約局の連中がこの程度の浅智恵で、国家の安全保障政策を恣意的に左右するのである。「法の支配」の重みをあまりにも軽視しているではないか。朝日新聞の内部文書のスクープをきっかけに、この際国内の法学者の英知を集めて、米軍再編をめぐる条約論争を徹底的にやってもらいたい。そうすることによって国民監視の下、米軍再編の受け入れの是非を論じてもらいたい
2005.03.20
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連休前の駆け込みの出張業務をのぞみの指定切符に間に合うようギリギリに切り上げ・・・藤沢、蒲田と2泊した関東2泊股旅出張から無事帰還して、ホッとしている。経済活動の密度が濃い、言ってみれば生き馬の目を抜くような関東に出張して、電車で関東人を見るにつけ・・・この生きがたい過酷な地域で健気に生きているなーというふうに思ってしまう田吾作です。利殖とか株とかにとんと疎い田吾作の私にとって・・・このところのホリエモンフィーバーなどで横文字の経済用語の飛び交う経済ニュースには付いていけないのです。賢そうな若者などは このグローバリズム(アメリカンスタンダード)に適応し、それを飛躍のバネにさえするようだが・・・・それが幸せなのか?という視点は持たないのかもしれない。そんな哲学談義にかかわる暇もないのが実態かもしれないが、懸命に走る方向が不幸の方向へゆるくカーブしているのでは?と疑うことも必要ではないかと思うのです。ということで過酷な関東の荒波をサーフィンしているようなヒラカワさんのブログを引用します。問題は、新旧のビジネスの綱引きでもなければ、自由な競争原理の解放でもない。欲望の暴走が、経済の発展のバネになるという前提の上に考案したシステムが、暴走を始めているということではないのか。この暴走を止める装置は、システムの中には存在していない。じゃあ、どうするのか。世の中には、LBOだとか、ストラクチャード・ファイナンスなんていう金で金を洗うドッグファイトの手法ばかりを熱心に考えている奴らが、跋扈している。俺もそれに近いところにいたので、ある程度の土地勘があるから言うのだ。かつては、素人の近づくことの無かった相場や、投機の世界が、堀江のようなトリックスターとそのとりまきの出現によって、堅気の世界に浸透し始めたということである。おー! ホリエモンをトリックスターとまで酷評するか。こんな潔い評価を下す関東の企業人もいることに、日本もまだ捨てたもんではないという気がする・・・・・と最近チョット弱気で、ぼやくことの多い私です。ITの進化により、メディアは好むと好まざるにかかわらずホリエモンの想い描く形態に変わっていくだろう。そして・・・ホリエモンへの評価は社会観、人生観に対するリトマス紙のような有様を呈してきて興味深いが、問題はやはりメディア買収だと思うので、週間金曜日から筑紫哲也さんの弁を紹介します。テレビにジャーナリズムの部分は不要だと考えているホリエモンと「面白くなければテレビではない」を標榜してきたフジテレビは見た目ほど、その経営哲学に差があるわけではない。 同局の人気バラエティ番組にレギュラー出演していた堀江氏も、そのことを感得していたにちがいない。両者ともに、ジャーナリズムにとって最大のつとめは権力を監視し、その姿を「知る権利」を持つ人々に伝えることだという意識は稀薄なのだ。いや、彼らだけではあるまい。この騒ぎですっかり影に隠れてしまったNHKはどうなのか。さらには他のマスメディアは……。既成マスメディアについて増殖し続ける不信感が、ライブドアをますます“月光仮面”に仕立てている。
2005.03.18
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法務省人権擁護局という組織があり、人権擁護委員という聞きなれない民間人がいるらしいが・・・・近くでそういう人を知らないし、いったいどういう人達なんだろう?刑務所で使用する拘束具とか、入管での外国人に対する冷たい仕打ちなどから、私は日本国では人権がさほど守られてはいないように感じている。そして 最近取りざたされている(2002年にいちど廃案になっていた)人権擁護法というものも、人権意識の希薄な官僚や政治家が思いつくものだからかなり眉唾ものではないかと疑っている。楽天の七詩さんのブログを覗くと人権侵害局といういいかたもされているので、なにやら法案は一般市民にとって有難くないもののようだから調べてみようと思う。個人情報保護法というものが、政治家スキャンダル保護法のように使われるおそれがあるらしいし、人権擁護法では人権擁護委員の判断により差別として恣意的に弾圧できるようになる恐れがあるらしい。気になるのはこういうブログの発言までチェックされるのではないか?ということです。物言えば唇寒し・・・という世は恐ろしい!人権擁護局HPに名古屋刑務所の人権問題についておふれが書いてあったが、新聞沙汰になったあとに書いたって 遅いんだよ!金曜アンテナの人権擁護法案サルでも分かる?人権擁護法案
2005.03.13
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ライブドアのホリエモンが時の人となっているが、M&Aが身近に感じられるということで、メディアが騒ぐのだろうか?この騒動にはマネーゲームとメディア買収の二つの側面があり、私はメディア買収が問題だと思うが、どうもマネーゲームの面でかしましいようだ。日本では企業は“株主のものというより従業員のもの”と言う意識が強いし、私はそれが悪いとは思っていない。企業は株主のものというアメリカンスタンダードの功罪を考えてみるに、果たしてそれがスタンダードたり得るか?と疑問に思うのです。今回のマネーゲームが外資によるメディア買収の契機となるとしたら問題であり、政治家が騒ぐのもわかるような気がするが・・・先行するアメリカではメディアがコングロマリットに組込まれていて、報道への介入が懸念されているようだが、これなんぞは真似てもらいたくない悪例です。ホリエモンとしてはマネーゲームは単に手段であり目標は“メディアITファイナンシャルグループ”にあるようだが・・・・まー ホリエモンは娯楽系メディアを目指すだろうし、ホリエモンメディアは報道系を含まないだろうから情報操作の危惧は少ないかもしれない。外人記者クラブや若者の間ではホリエモンに好感を持つ人が多いようだが、新旧世代の感覚の違いととらえるのは、ちょっと違うのでは?と思うのだが。まだ買収が終わったわけでもないし、仮に買収されたとしてもホリエモンの感性に率いられるメディアなど見る気は起きないですね。おっと 好悪の印象に任せて言い過ぎたかな?しかしホリエモンの良さはわからないなー。ホリエモンに違和感を感じるのは世代とは関係ないと思うが、私は古い人間なんだろうか?ライブドアのアメリカ流買収劇
2005.03.12
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60年前の今夜に東京大空襲があった。東京大空襲では数時間で10万人という多くの人たちが降り注ぐ焼夷弾の犠牲になったと言われる。原爆は一瞬の引き金で殺傷したが、東京大空襲では持続する冷酷さを持って執拗に市民を殺傷したわけである。戦争責任とは関係無く、爆撃を受けた側の民族としてパトリオティックに怒りを覚える。戦争だったからしかたがなかったとするのは、どう考えてもおかしい。先ず この怒りからスタートしよう。ということで、 無差別爆撃の起源を引張り出してみます。朝日の10日の社説が故井上有一氏の「ああ横川国民学校」から東京大空襲の凄惨な光景について紹介していた。「白骨死体如火葬場生焼女人全裸腹裂胎児露出 悲惨極此」また10日の読売が東京大空襲は戦争犯罪だったと述べている。
2005.03.09
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大阪市が有識者会議解散へ 改革人事、外部登用で対立 ! 大阪市は5日までに、有識者でつくる関淳一市長の諮問機関「大阪市都市経営諮問会議」(座長・本間正明大阪大大学院教授)を解散する方針を固めた。改革に向けた外部からの人材登用をめぐり、市側と諮問会議が対立したことが理由。市は既に市政改革本部の設置を決めており、組織を一元化し抜本的な改革を断行するとしている。 改革本部長には当初、大平光代助役が予定されていたが関市長自らが就任する見通し。関市長が複数の市議会与党幹部に明らかにした。 ・・・・(と5日の共同通信が報じています。) 1月には労使合意抜きに福利厚生費の大幅カット(年間180億円)を発表し、これで大阪が変わるかも?と期待したが・・・・大阪市都市経営諮問会議の出した抜本的な改革案などを無視して、市長が一方的に諮問会議解散を決定したようです。政策決定に邪魔になると委員会など無視、解散させるのが、中央でも地方でもとられる官僚の手法なんだろうか?これでは改革を期待した大阪のおばちゃんまでも怒るのではないか?だいたい抜本的な改革などというものは、内部からはできないので外部の力でやるものということが世の常識なんですね。本間座長の提言では中央官僚や大学教授などを外部から改革担当として登用する内容だったらしいが、これに市側が反発したようです。市の閉鎖性や労使の癒着構造にメスを入れようとした諮問会議に対する市側のおびえと反発があったとも5日の朝日が報じています。大阪のおばちゃんは元気なのに、大阪市の労使双方がイモい(こんな言葉はあったかな?)のは何故だろう。大阪市HPから大阪市都市経営諮問会議を紹介します。*********************************************************************7日の朝日朝刊によれば、6日夜市長が朝日新聞の取材に応じ、諮問会議の解散撤回と述べたそうだ。おいおい!どうなっているんだ。市幹部は市民からの批判が殺到するからではないかと話しているそうです。
2005.03.05
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「砂の器」という映画で初めてハンセン病というものの重さを感じた人が多いと思うけど、私もそのひとりです。ハンセン病国立療養所という存在が、国立というだけに胡散臭いものだと思っていましたが・・・・らい特効薬ができても強制隔離方針が変わらなかったのは、国とかシシテムの持つ負の資質つまり「旧幣解消に対する怠慢」が如実に表れた代表例だと思うのです。ハンセン病の対応についての犯罪的怠慢に比べれば水俣訴訟、諫早湾の水門問題もかすんでしまうほどです。らい予防法が廃止されて、強制隔離の被害者もやっと観光旅行ができるまで改善されているが、その人達も高齢化が進みやがては忘れ去られる存在かも知れない。しかし政策転換の遅れは国家が犯した罪であり、遅れたとはいえ、厳正に賠償される必要があるでしょうね。(2001年5月11日 熊本地裁の国賠訴訟判決は原告の全面勝訴でしたが、国は控訴しようとしました。国や国会に対して、原告、弁護士、国民などの働きかけが実を結び、5月23日小泉首相は控訴断念を発表したそうです。・・・3/6追記)全国13の国立療養所でハンセン病回復者が生活しているが、高齢化で入所者も減ることでしょう。その際に国立療養所の行く末がどうなるのか気になるところです。たぶん国立療養所は削減されて、療養所職員は自然減を待つということになるのでしょうが・・・・らい予防法廃止の遅れの裏には、国立療養所という組織の存続が絡んでいたのではないかと私は思うのです。理由はどうあれ、一旦作った組織を削減、配転させることは日本のお役人にとっては辛いことであり、組織の存続は他者の痛みより優先させる命題だったのではないでしょうか。それと かっての厚生省記者クラブは閉鎖性が強かったので、犯罪的怠慢が表沙汰にならなかったそうだが、今の厚労省記者クラブは少しはオープンになったのだろうか?不況下の昨今、民間ではリストラや配転で苦境に対応しているが、国家公務員の場合、リストラは法的にありえないし、配転といえば限りなくゼロに近いのではないだろうか?小泉さんのお題目でもある「小さな政府」もなにやらいびつな郵政民営化で落とし所を求めているようだが、国家公務員の抜本的なリストラ、配転というものは果たして可能だろうか?おっと また話がそれて小泉さんまでたどりついてしまった。国家賠償の推移について知って!ハンセン病国賠訴訟より引用します。●現在でも全国13の国立療養所を中心に約4,700人のハンセン病回復者が生活しています。入所者は、ハンセン病自体は治癒していますが、過酷な処遇による後遺症を抱えています。1996年、「らい予防法」は廃止されたものの、国は、ハンセン病元患者さん達に対してとってきた誤った政策について何らの反省も示しておりません。●1956(昭和31)年、我が国も参加した「らい患者の救済と社会復帰のための国際会議」において、ハンセン病関し、全ての差別的諸立法の撤廃、在宅医療の推進、早期治療の必要、社会復帰援助等をうたったローマ宣言が採択されました。また、東京で開催された第7回国際らい学会議では、強制隔離政策を採用している国はその政策を全面的に破棄するよう推奨されました。 このような国際会議の動向を踏まえ、当時アメリカ政府の統治下にあった沖縄(琉球政府)では、1961(昭和36)年「ハンセン氏病予防法」を公布し、翌年から在宅外来治療を開始しました(この施策は本土復帰後も続きました)。 それでもなお、我が国は、強制隔離政策を定めたらい予防法を、1996年3月まで廃止しなかったのです。我が国の政府が、一旦政策決定したことについては容易に変更しないこと、感染症患者の人権に対する配慮が乏しかったこと等がその理由に挙げられると思います。いずれにせよ、このような長期間の放置は犯罪的といわなければなりません。 ハンセン病国賠訴訟の詳細は古賀法律事務所HPで見られます。日本らい学会の弁明と謝罪も紹介します。厚生労働省の白書に行政体制の整備が載っていて、国立療養所の今後がうかがえる内容になっているが、内容は前向きというにはほど遠いように思います。厚生労働省HPでハンセン病に関する情報ページとして政府の見解が出ています。
2005.03.04
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