全47件 (47件中 1-47件目)
1
今日から画像アップ要領が変更されたので・・・・東シナ海ガス田の地図について、楽天写真館から投稿テストしてみます。おお 投稿成功やで♪ でもサイズが予想より小さいな~。(大使 まず取扱い説明を読みましょうね)まず、楽天のお知らせを読む必要があるようですね。写真のアップロード機能が新しくなりました。より先日スタッフブログにてお伝え致しましたが、楽天フォトのサービス終了に伴い、楽天ブログの写真のアップロード機能が本日新しくなりました。今後のアップロードにつきましては、【1】楽天ブログの写真アップロード機能から投稿。※楽天フォトの写真アップロードサービス(50MBまで)は、楽天ブログに引継ぎ提供させていただきます。【2】楽天写真館にアップロードした写真(5GBまで)を投稿。【3】楽天レシピに投稿した写真を投稿。とご利用状況に合わせて投稿する写真をそれぞれ選択出来るようになりました。■投稿方法について(ここに投稿要領図)先日お伝えしたように楽天ブログから楽天写真館への写真のインポート機能(取り込み)がリリースしております。楽天写真館をご利用いただくことで最大5GBの容量が無料となりますので、多くの写真を登録されたい方は是非楽天写真館をご活用下さい。<関連リンク>楽天ブログから楽天写真館への写真の取り込みについて楽天写真館x楽天ブログ連携について画像インポート機能について詳しい方法を読んで、インポートする必要があるようです。(ヤレヤレ)<大使が行ったインポート要領>1. 楽天ブログ管理画面で「楽天写真館」をクリック2.「楽天写真館」の管理画面が表れる。3.右上の「他のサイトからインポート」をクリック4.インポートしたいサイトとして「楽天ブログ」を選び、OKをクリック5.画面の旧フォルダにチェックを入れ、「インポート」をクリック6. 準備できれば「OK」をクリック7.写真枚数が多い場合は時間がかかるので、メールで連絡を待つ(最大500枚)8.以下のメールが届き、インポート完了(ヤレヤレ)<楽天写真館 インポート機能ご利用のお客様へ>この度は、楽天写真館をご利用いただきありがとうございました。画像インポート作業が完了しましたのでお知らせします♪♪♪
2012.01.31
コメント(2)
映画「ゴールデンスランバー」を見て以来、井坂幸太郎は気になるのです。群像2011年5月号に井坂幸太郎の「PK」という短編が載っていたので、図書館で借りて・・・・1週間くらいかけて読破しました。複数の話が交錯するややこしい構成になっているので、一気に読むのが辛いわけです。読後感フォームを作ったので、そのフォームに乗せて紹介します。【PK(井坂幸太郎)】井坂幸太郎著、群像2011年5月号、H24.1.31読破<大使寸評>「勇気も伝染すると思う。明るい未来について語ろう」・・・・伊坂さんならではポジティブシンキングですね。3つのお話を行き来しながら、ラストで実を結ぶ構成は伊坂幸太郎ならではの鮮やかさなんでしょう。<でもラストに対する大使苦情>ラストが冒頭のプロットに繋がるという構成は、気が利いているが・・・・この短編が再読を強いるというか、それほどプロットを凝らすと気楽に読めないことでしょうか。伊坂幸太郎 トピックス Twitterなんてのがあります。感想を書くより、フォームを作るのが面白かったりして(えらい すまんこって)ところで、電子書籍hontoで伊坂幸太郎をのぞくと15件ヒットします。・・・・・そろそろ電子書籍とやらを購入してみようかと思う昨今です。
2012.01.31
コメント(0)
「アヴァロンの鍵」というオンラインゲームがあるそうだが、パソコンには触るがファミコンに興味がなかったので、そのゲームはよく知らない。押井守監督がポーランドでオールロケし、出演者全員がポーランド人の実写映画というレア物?の映画だからという、ややオタクっぽい期待でDVDを見たけど・・・・私には、もうひとつでんな。これなら、まだスカイ・クロラのほうがましである。【アヴァロン】押井守監督、H24.1.28観賞<大使寸評>日本人監督、スタッフによるポーランド映画という感がするレアな映画である。オンラインゲームに興味がない者にとっては、魅力が半減するのでは?goo映画アヴァロン最後に現在のポーランドの町並みがフルカラーで出てくるが・・・それまでの灰色がかった暗い町並みは何だったのか、二つのパラレルワールドのうち、どちらが現実なのか?時間まで飛び越えたのか?というSF的な疑問をはさみたくなるが・・・いずれにしても作り話なのでケチをつけるつもりはありません。武器オタクの監督の好みが出ているが・・・・私は監督ほど危うい深みにはまっていないので、これもケチをつけるつもりはありません。映画は総合芸術ともいえるわけで、大使は最近は映画制作のほうに関心が移りつつあるのです(サヨカ)で、この映画で興味あることと言えば、全45日にわたるポーランド撮影ルポとか、裏話ですね。大学図書館に"『アヴァロン』撮影現場記録"という本があるので、大使の手が空けば(いつも暇なんだけど)、借りようかと思っています。アマゾンから、この本を紹介します。Amazon押井守inポーランド―『アヴァロン』撮影現場記録キネマ旬報社 (2001/2月刊) より内容(「MARC」データベースより)日本映画としては画期的な全編海外撮影による押井監督の新作「アヴァロン」の、全45日にわたるポーランド撮影ルポ。押井監督のメッセージや関係者の座談会、ロケハンの裏話等を収録。豊富な現場写真からその製作過程を追う。 ついでに、過って見た「スカイ・クロラ」をいつものフォームで紹介します。【スカイ・クロラ】押井守監督、H22年観賞<大使寸評>第2次大戦末期の日本軍の試作機が、どういう訳か制式機としてヨーロッパのようなパラレルワールドに登場するとは、オタクな監督のこだわりがよく伝わります。goo映画スカイ・クロラ「スカイ・クロラ ~the sky crawler~」ジャパンプレミア舞台挨拶フォトレビュー九州飛行機 J7W1 震電 飛行試験
2012.01.30
コメント(0)
イランをめぐる石油・核問題の最新情報です。・・・・中国の皮算用という言葉に反応する大使である。1/28イラン核問題:中露、米欧「圧力」と一線 イラン・シリアとの対話主張 原油禁輸、中国はメリット皮算用もより今夏に欧州などの禁輸が全面発動されれば、イランとの力関係で立場を強める中国は購入価格を引き下げることができ、原油を安く買い取れるとの見方も出ている。米欧批判を展開しつつ、自国にとってのメリットを皮算用している可能性もある。 同時に中国はイラン以外の産油国との関係強化に努め、経済成長に不可欠な原油の安定確保に努めている。温家宝首相は今月14~19日にサウジアラビア、アラブ首長国連邦(UAE)、カタールを相次いで訪問、不測の事態に備えた。 中国に次ぐ原油輸入国のインドも制裁に反対だ。原油の12%をイランからの輸入に頼り、「イラン産原油なしでは難しい」(マタイ外務次官)。レディ石油天然ガス相は制裁でイラン産原油の価格が下がる可能性があることから「状況は好ましい」と語った。 原発建設支援などを通じてイランと関係が深いロシアの外務省はEUの禁輸措置について「圧力でイランが譲歩に応じることはない」と批判、イランの核問題解決に向けた国際社会の政治・外交的な努力が挫折しかねないとして、イランとの対話を継続する必要性を強調している。アメリカが言いだしっぺでイランに対する経済制裁にはEUつづいて日本も賛同し、先ごろ韓国もしぶしぶ賛同した、残る大国は中国のみという感じであるが・・・・イラン原油への依存度が大きい中国は、アメリカ主導の共同歩調には乗らないようです。中国は歴史的にみても、思想的には世界標準に屈したことがない国である。つまり、中華思想を崩してまで他の規範に合わせたことがない国である。イラン制裁などという些細な事態で、無理をしてまでアメリカ主導に合わすことなどあり得ないだろう。はたして昇竜中国が世界の規範と折り合うことはあるだろうか?史上初めて昇竜時に周辺国との協調を模索し始めたというのが大使の認識であるが・・・・・指導部交代の年を迎えて軍拡を加速する人民解放軍の不透明な冒険が恐い気がするのだ。( 『中国の海洋戦略にどう対処すべきか』 に、その不透明さが表れている)折り合うつもりの無いチキンレースほど恐ろしいものはない。かってアメリカが「悪の枢軸」と呼んだのは、どこだっけ?「悪の枢軸」はブッシュ大統領(子)が、2002年の一般教書演説で、反テロ対策の対象として北朝鮮、イラン、イラクを批判する際に使った総称である。反米の大使としては、気安く「悪の枢軸」というつもりはないのだが・・・強いて言うなら、今ではイラン、パキスタン、北朝鮮、中国あたりか?一方、2008年のチベット暴動以来、周辺少数民族との協調に対して、漢族中心の共産党は何らの見直しを行っていないようですね(中華思想の限界を見るようです)1/27中国・四川省 相次ぐ暴動、僧侶自殺 チベット族 衝突激化より中国四川省に住むチベット族住民と治安当局との衝突が広がっている。米政府系の自由アジア放送(RFA)は、二十三日の春節(旧正月)以降、少なくとも同省内の三つの県で大規模なデモが発生、衝突で計十人近くが死亡した、と伝えた。米政府は「重大な懸念」を表明、二月の習近平国家副主席の訪米では、チベット問題も焦点になりそうだ。 中国国営新華社通信も衝突について報道。二十三日には四川省カンゼ・チベット族自治州炉霍県で、警官隊と衝突し住民一人が死亡。二十四日には同自治州色達県で、警官隊の発砲で住民一人が死亡した、と伝えた。 四川省のチベット族居住地区では昨年三月以降、中国の抑圧に抗議して焼身自殺した僧侶は少なくとも十六人に上る。 RFAによると、同省アバ・チベット族チャン族自治州アバ県では二十三日、焼身自殺や警官隊との衝突で死亡した僧侶や住民を悼む数百人のチベット人による追悼集会が行われたという。 AP通信によると、米国務省のヌランド報道官は二十四日、「(チベット問題への)懸念をあらゆるレベルで常に明確に伝えてきた。(習氏の)訪問でも同じだ」と述べ、習氏が訪米すれば、米側がチベット問題への懸念を伝える方針を明らかにした。少数民族関連ニュースを孔子批判3の中に入れてフォローしています(大使はしつこいのです)
2012.01.30
コメント(0)
相変わらず暇な大使は「徒然草」を、つれづれなるままに読んでいます。100分de名著・徒然草の放送にあわせて殊勝にもテキストを購入したので・・・・つれづれなるままに、そのテキストを開いたりしておるわけでおま♪テキストでは「権威を疑え」というテーマで236段を取り上げています。<原文> 丹波に出雲と云ふ所あり。大社を移して、めでたく造れり。しだの某とかやしる所なれば、秋の比、聖海上人、その他も人数多誘ひて、「いざ給へ、出雲拝みに。かいもちひ召させん」とて具しもて行きたるに、各々拝みて、ゆゝしく信起したり。 御前なる獅子・狛犬、背きて、後さまに立ちたりければ、上人、いみじく感じて、「あなめでたや。この獅子の立ち様、いとめづらし。深き故あらん」と涙ぐみて、「いかに殿原、殊勝の事は御覧じ咎めずや。無下なり」と言へば、各々怪しみて、「まことに他に異なりけり」、「都のつとに語らん」など言ふに、上人、なほゆかしがりて、おとなしく、物知りぬべき顔したる神官を呼びて、「この御社の獅子の立てられ様、定めて習ひある事に侍らん。ちと承らばや」と言はれければ、「その事に候ふ。さがなき童どもの仕りける、奇怪に候う事なり」とて、さし寄りて、据ゑ直して、往にければ、上人の感涙いたづらになりにけり。 権威を疑う兼好法師のへそ曲がり、いや鋭い批判精神が見えますね。なんの事はない・・・・関西に見られる「アホちゃう?」精神ではないかと思いあたるわけでんがな。権威を上回る価値観が「アホちゃう?」と言わせるわけであり・・・今こそ、この関西人の捨てゼリフを役人や審議会委員に投げる必要があると思うわけです。それでは、ドングリ語訳をひとつ・・・・<ドングリ語訳> 丹波に出雲という所があり、出雲大社の神霊を移して、立派に造っている。信太のある人の領地なんですが、その人が秋の頃、聖海上人や他の人々を多く誘って、「さあおいで下さい、出雲の参拝へ。ぼた餅をご馳走しましょう」といって連れ立って行ったところ、各々は参拝して、深く信心を起こしたそうな。 神殿の前にある獅子と狛犬が互いに背をむけて、後向けに立っていたので、上人はやけに感じ入って、「ああ、素晴らしい。この獅子の立ち方は、大変めづらしい、深いわけでもあるだろう」と涙ぐんで、「なんと皆々さま、こんな殊勝な事が目に留まらないなら、話になりませんね」と言うので、皆々不思議がって、「ほんとに他のとは違っているな~、都への土産話にしよう」などと言ふので、上人はなお由来を知りたがって、年配の物知りらしき顔をした神官を呼んで、「この御社の獅子の立てられ方は、きっと謂れのある事でございましょう。ちょっとその謂れを承りたい」とおっしゃった。すると、「(アホちゃう)その事でんがな。いたづら小僧どもがやったことで、けしからん事でおま。」と言って、そばに寄って、据え直して行ってしまったので、上人の感涙も無駄になってしまった。 神官は「アホちゃう?」とまでは言っていないけど、言外に上人の感涙を笑っていることでしょう。原文については、先達ともいえる吾妻さんの『徒然草』現代語訳HPよりコピーさせていただきました。なお、関東で不用意に「アホちゃう?」を吐くと、喧嘩に発展するおそれがあるので関西人は注意しましょうね。つれづれなるままに「徒然草」 つれづれなるままに「徒然草」2
2012.01.29
コメント(2)
朽ちかけたテーマパークがゾクゾクとします。何と言いましょうか、まがい物、偽物の魅力とでも言いましょうか♪ハリボテのテーマパークと言えば、ある意味、映画美術そのものなんでしょうね。【千と千尋の神隠し】宮崎駿監督、2003.1.24観賞<大使寸評>油屋の外観、内装、湯女(ゆな)などのリアリティが凄いですね。印象的なのはカオナシで 影の主人公とも言えるでしょう。ひたむきな千尋がカオナシの魂を解放するのがいいですね。それから 八百万の神様がお湯につかるシーンがでてきますが、これは中部地方(静岡、岐阜、長野)に伝わる霜月祭からヒントを得ているそうです。goo映画千と千尋の神隠し油屋の内部です。ブレードランナーを彷彿させるアングルやで♪油屋のモデルとなった場所をWikipediaより引用します。一度行ってみたいものですね。千と千尋の神隠しより<モデルとなった場所>映画製作前、宮崎駿は台湾の九?と阿妹茶酒館を訪れてスケッチをしている。油屋のデザインは「色々な温泉が入っていて特定のモデルはない」とされる。江戸東京たてもの園の子宝湯、神奈川県秦野市の鶴巻温泉の旅館陣屋、道後温泉本館、四万温泉・積善館の本館、渋温泉金具屋、湯原温泉油屋を参考に描かれている。油屋内部の宴会場は目黒雅叙園を参考に描かれており、釜爺の仕事場にあった薬草箱は江戸東京たてもの園の武居三省堂内部の引出しがモデルになっている。思いたったので「映画美術」テーマのページに追加するものです。
2012.01.29
コメント(2)
この本はあの探偵ナイトスプークの「アホ、バカ分布図」を海外に広げたような、渾身のフィールド・レポートになっているといえば褒めすぎか。 今ではカラオケは海を渡り世界中に普及しているが、カラオケ黎明期にスナックで身銭をきって自意識と格闘していた大使にとっては、隔世の感を禁じ得ないのでおます。 この本は1997年刊なので、その後のカラオケシーンは見えないのだが・・・カラオケはまだまだ進化をとげつつあるようです。・・・ということで、カラオケ大好きの大使が、この本のエッセンスを紹介します。「カラオケ、海を渡る」大竹昭子著、筑摩書房、1997年刊<プロローグ>p12~15 中学高校はキリスト教系の音楽教育に熱心な学校で、クラス対抗の合唱コンクールがあったりと、歌を歌う機会は多かった。中学3年生のときは学園祭でミュージカル版「シンデレラ」の王子様役をやったりした。私は母ほど美声ではないが、声の通りはいいし、内心まんざらでもないと思っている。おいそれとはカラオケに行けないのは、この自意識がだいぶあるように思う。 よくカラオケはストレス解消になるというが、この考えにも抵抗があり、書き手ならばそれを表現のエネルギーに転化すべきではないか、とまあ肩に力が入ったふうなことを考えるのだ。こんなふうにカラオケについてあれこれ言う私は、きっとつっぱりすぎに違いない。 世間は私のこんな思いとは無関係のところで動き、進んでいく。いまや幼児から老人まであらゆる年齢層がカラオケを楽しんでいる時代である。盛り場に渦巻く音の種類を採集して歩いたら、カラオケの声が相当な割合を占めることだろう。とくに勤めている人にとっては、カラオケはアフターファイブに欠かせない場となっており、二次会ではかならずと言っていいほどカラオケに流れるという。(中略) 初期の頃はスナックやバーなどに置かれ、中年のサラリーマン層が酒を飲みながら歌うものだったが、カラオケボックスができてから酒を飲まないローティーンや女性に親しまれ、利用者層が一気に拡大した。 カラオケは初めて、ふつうの生活者が酒抜きで人前で歌うことを可能にした。カラオケに出会わなければ、一生、声を出して歌う歓びを知らずに終わったかもしれない人々を、歌う側に引き込んだのである。歌う人と聴く人の境界はとりのぞかれ、聴き手と歌い手が随時入れ替わる環境が生みだされた。それまで聴かれる一方だった歌は、歌われるものに変った。プロに独占されていた歌がアマチュアにも開放されたのだった。<日本>p215~217 関東の流しが伴奏屋になれなかったのは、自分が歌い手としての自負を持ちすぎていたのだろう。時代の流れが歌う方向に変わっても、おいそれと方向転換をできなかったのである。関西の人間は利に聡く、商売になると分かるとすぐに取り入れる合理性があるといわれるが、流しの形式にもそれが見て取れる。客が歌いたいならば、それに応えようというわけだった。この関西式流しの、歌いやすくアレンジして歌い手を心地よくさせることを、人に代わって機械にwさせたのが、カラオケというメディアだったのである。 井上はバンド仲間6人で会社を起こし、カーステレオを改造し、自分たちで演奏した8トラックのカラオケテープを入れ、機械とセットで店にリースした。1972年のことである。 ここで注目したいのは、ハードにカーステレオが利用されたということだ。カーステレオに使われるのは八つのトラックを持つカートリッジテープで、70年頃まで種類別テープ(8トラック、カセット、オープンリール)生産比の8割から9割を占めるほど生産量が多かった。曲を並列して入れられるので、直列に入っているカセットテープと違って曲の頭出しが簡単でエンドレスに再生できるところがカーステレオに向いていた。このテープの頭出しのしやすさがカラオケソフトにも利用されたのである。 井上たちが作ったソフトは歌いやすいと評判だった。間もなく注文が増え、自分たちの演奏では間に合わず、レコード会社のオーケストラに依頼するようになった。そのとき「演奏者を説得するのにゴッツイ時間がかかった」と笑う。こんなにテンポを落としたら作曲家に失礼、ねばっこくて演奏できない、メロディー部を薄くすると聞こえない、などとさまざまな抗議の声が上がった。 長年行ってきた伴奏演奏と要領がちがうことに、彼らが戸惑ったのも無理ないが、この当惑こそがカラオケ前史との分岐点だったと言えよう。カラオケはここからプロのテリトリーを離れて、アマチュアの領域に踏み出した。万人が歌える歌へと変身したのである。<台湾>p31~32 日本にカラオケボックスが登場したのは1985年、岡山にできたものが最初だと言われている。カラオケ喫茶をやっていた妻が事故で入院し、閉店しているあいだ、歌いたいという常連客のためにうどん屋を経営している夫が、トラックのコンテナを外してカラオケセットを入れ、店のとなりに置いて勝手に歌ってもらうようにしたという。 また、同じ頃、滋賀県の高速道路インターチェンジの自動販売機コーナーにも、同じようなボックス型カラオケ空間があらわれた。このように、機械さえあれば無人で営業できるオートチェンジャーシステムによって日本のカラオケボックスは可能になったのである。同時期にパイオニアもボーリング場の一角で、待ち時間の利用を見込んでボックス状のカラオケをはじめた。 KTVの前身である台湾のMTVは84年に始まっているから、個室型の娯楽空間という発想は日本より先んじていたわけである。それがカラオケのための空間になったのは80年代の終わりで、日本と同じ時期だ。日本のカラオケ関係者が台湾を真似たのかどうかは分からない。元祖探しがテーマではないので、その問いはひとまず置こう。 注目したいのは、どちらも最初から大成功したことである。身内だけでくつろげる、マイクを他人に渡さずに済む空間を、双方とも求めていたということだ。個室という形式をもたなければ、日本でも台湾でもこれほどカラオケがブームになることはなかっただろうから、これは重要なターニングポイントではないだろうか。<韓国>p147~162 韓国のカラオケには、大まかに言って三種類あるという。ひとつは接待用の高級店、ふたつ目は「ノレバン」という日本でいうカラオケボックスのようなところ、もうひとつはふたつの中間にある居酒屋のような店で、ダンランチュージョム(団欒酒店)といい、個室とホールから成る。ノレバンとダンランチュージョムの違いは、前者では酒が出ないが、後者では飲みながら歌える点だ。ノレバンの料金は安く1時間約1万ウォン(1300円)で、利用者はほとんど学生。ダンランチュージョムのほうは料金が高めなので勤め人が多いという。ノレバンのノレは歌、バンは房ですなわち「歌の部屋」の意。チュージョムとは酒店で、ダンランとは団欒のことらしい。(中略) 日本でも1988年、パイオニアがヤング層へのカラオケ拡大をねらってボーリング場ヤゲームセンターに屋内型のカラオケボックスを設置したところ、ボーリングやゲームの人気を逆転させる珍現象が起きたが、同様なことが釜山でも見られたのである。 9月になると釜山大学の周辺に個室式のカラオケ、ノレバンができはじめた。どの店も大変な盛況で順番待ちの列ができ、24時間営業でも客をさばき切れなかった。(中略) このようにレノバンで大流行したのは、国産カラオケの価格がレーザーカラオケに比べて圧倒的に安かったことが大きい。末端価格はおよそ60万ウォン(約7万8千円)。本体だけで10万円以上し、加えてソフトが必要なレーザーカラオケに比べると、はるかに安価だった。千曲入っているレーザーカラオケに換算すれば約五分の一以下の値段である。こうして安い機械を使った破格料金のカラオケ店に、ティーンエイジャーがいちはやく群がったのだった。 日本でもカラオケ層が拡大したのは、ボックスができてティーンエイジャーが行くようになってからである。若者のニーズに見合った場ができたときに、カラオケは夜の娯楽というイメージを脱して地上に躍り出た。 と同時に、密室空間が非行の温床になるのではないかという懸念も生じた。日本ではドアをガラス張りにするのを義務づけるなど、大きな事故が起きる前にカラオケ業者が自主規制したが、韓国でもノレバンが広がるとともにそれを問題視する声が上がり、92年6月にノレバンを規制する法律が定められ、18歳未満の利用の禁止と、酒を出さないことが決められた。こうして、ノレバンは歌うのみの空間となったのである。 <カラオケよ、どこへ行く>p230~238 またアジアに共通した問題として、カラオケと売春という組合せがあるのも印象に残った。カラオケが登場したてのころ、日本でもソープランドにカラオケが置かれたが、湯気で機械が壊れやすく定着しなかったと聞く。アジアでは個室式の風俗営業が認められていることが、カラオケと売春を接近しやすくしているようだ。台湾で見たように、部屋ごとに女性が付き、一緒に歌ったあと交渉が成立すればホテルに行くというパターンが多い。ベトナムにはカラオケラウンジにいるコンパニオンの女性を、番号札で指名して外に連れ出すというスタイルもあった。いずれにせよ、カラオケが売春のための偽装になっており、とくに中国とベトナムでは、それが社会問題化してカラオケの取締りが強化されていた。(中略) また欧米に目を移してみると、アジアとはまた違ったカラオケ・シーンが浮び上がってくる。向こうではみんなで一緒にカラオケを楽しもうとする傾向が強く、だれかがひとりで歌っていても、自分の知っている曲だと口ずさみ、最後には合唱になることが多いという。パイオニアには一時期、欧米でスターファクトリーという個室カラオケをやったが、3年くらいで撤退した。白人には個室にこもって歌うより、集まった人々と共に歌い騒ぐほうが肌に合っているのであろう。(中略) カラオケは意識の奥に埋め込まれた歌う快楽を引き出し、テクノロジーを駆使して美しく虚構化するのに成功した。カラオケの陶酔が機械によって作り出されたフィクションであることに気付かない人はいないが、知っていてもなお夢中になるところに、機械制御の道具の呪術力があるのだ。カラオケが社会環境や時代状況を越えて世界に蔓延したのは、言うならばマシンに夢中になり、虚構に酔う人間の“どうしようもなさ”ゆえだったような気がしてならない。 カラオケはこれからどこへ行くのか、多くの予想を超える事態に接したいまは、おいそれとは答えられなくなっている。ただ明らかなことは、パソコン通信、ケーブルテレビ、衛星チャンネル、光ファイバー、デジタルビデオディスクなど、ニューメディアが出ればかならずカラオケが付いてまわるということ、カラオケ機能の無いメディアはもはや考えられないということである。(中略) ときおりふと、人類が破滅して廃墟となった地球に、ほかの星からだれか訪ねてきたら、何に一番首を傾げるだろうと考えることがある。ビルの中に作られた小部屋や、街の各所にあるデータベースや、家庭の居間にあるマイク付き機械などのカラオケの残骸に、頭を悩ますのではないか。もしそれが歌うための設備だと知ったら、彼らはいったい何を思うだろう。不気味な人たちだと恐れるだろうか。それとも滑稽な連中だと笑うだろうか。この本には、以上に紹介した他に、香港、中国、ベトナム、沖縄のレポートもあるのですが・・・長くなるので割愛しています。興味のある人はこの本を読んでください。
2012.01.28
コメント(2)
くだんの大学図書館で、「ミリオンダラー・ベイビー」を観たのです。で・・・いつもの鑑賞フォーマットで書きとめてみます。【ミリオンダラー・ベイビー】クリント・イーストウッド監督、H24.1.27観賞<大使寸評>マッチョだけど弱い者の味方という(桃太郎のような)イーストウッドの基本を押さえた作品です。終わり方が静かすぎるのはやや拍子ぬけという感もあるが、これがいいのかも知れません。goo映画ミリオンダラー・ベイビー押しかけたボクサー志願のマギーの熱意に折れて、ジム経営者のフランキーは入所を許したのです。やがてマギーの素質も開花し、マッチメーキングも功を奏し、タイトルマッチまで漕ぎつく過程はスポ根物語そのもので、観てて力が入るが・・・・百万ドルのファイトマネーのタイトルマッチに勝った代償が大きすぎるわけですね。月並みに言えば天国から地獄ですわ。ゲール語の本を読みふけるフランキーはもしかして祖先はアイリッシュなのかも知れないが、インテリ風で風変わりなトレーナーという設定は、わりと好きな大使である。なお、試合中に観客はゲール語「モ・クシュラ」を叫んでマギーを応援するが、その意味は「おまえは私の親愛なる者、おまえは私の血(My darling, my blood)」という意味だそうです。ネタバレになるが・・・・タイトルマッチで全身麻痺になったマギーは寝たきりの生活になり、やがて死を願うようになるのです。そして・・・フランキーは悩みながらも、マギーの呼吸器を外して安楽死させた後・・・・いずこへともなく、姿を消してしまいます。ここで、無粋な話ではあるがウィキペディアから安楽死のところを引用します。ミリオンダラー・ベイビーよりアメリカにおいて、治療拒否は司法制度において自殺とみなされたことはなく、蘇生不要(DNR)指示に基づいて担当医が治療を中止することは自殺幇助とみなされたことはない。法的に有効な蘇生不要(DNR)指示を医師などが拒否することは違法であり民法や刑法の処罰の対象となりうる。ハリウッドなどでは同様の『生命維持装置を外すか否か』という筋書きを何十年も使ってきた。この筋書きは、個人的な忠義、法律の遵守、宗教的判断の衝突というドラマチックな状態をつくるので多用されている。重態患者に対し、治療を受けいれる義務を負わせるような法律はアメリカには全くなかったにもかかわらず、このモチーフは不滅である。良く知らないが、アメリカのほうが日本の法律よりは患者の尊厳を優先しているようです。いずれにしても・・・・フランキーは、後の人生を賭けてまで罪人になろうともマギーの尊厳を守ったわけで・・・・一切の言い訳をしないで映画は終わるわけです。宗教的で、自己主張が強いアメリカ人が、この終わり方を許容できるだろうか?とも思うが・・・・賛否こもごものようです。
2012.01.28
コメント(2)
「バグダッド・カフェ」は1987年のオリジナル版、1994年の完全版、2008年のニュー・ディレクターズ・カット版と三度公開されたようですね。(知らなかった)それだけ息の長い、観客に愛された映画だったのでしょうね。BGMの『コーリング・ユー』がよかった。「Calling you」 Jevetta Steele 『BAGDAD CAFE』バグダッド・カフェ〔ニュー・ディレクターズ・カット版〕より太めの女性とハンサムな地下鉄運転手の愛の物語を綴った「シュガー・ベイビー」(1984)が、映画ファンの間で話題となっていた名コンビ、パーシー・アドロン監督と女優マリアンネ・ゼーゲブレヒト。その2人が再び組んで、世界中の観客を虜にしたのが「バグダッド・カフェ」(1987)(オリジナル版=91分)である。ゼーゲブレヒトが演じるのは、ひなびた砂漠のモーテル兼カフェにたどり着いた、ドイツ人観光客ジャスミン。このカフェの常連で彼女をモデルに絵を描こうとする画家ルーディには、数々の西部劇や戦争映画で強面を印象づけてきたジャック・パランス。当時の年齢で60代も後半に入った彼が、ここでは人の良さそうな老人を味わい深く演じている。(ジャック・パランス氏は2006年11月、カリフォルニア州の自宅で死去。享年87歳。) そしてこのカフェの怒れる女主人で、ジャスミンと時を過ごすうちに徐々に心をほぐしていくブレンダに、ギアナ出身でイギリス、アメリカで演技を学んだ個性派女優CCH・パウンダー。その作品の後にはTVドラマ「ER」や数々の映画で有名になった彼女も、映画での大役は今作品が最初であった。パーシー・アドロン監督の演出の下、ミュンヘン出身のベルント・ハインルが、カラフルな色彩感覚とアングルの面白さで目を引く撮影を担当。音楽はゴスペルや現代音楽など、さまざまなバックグラウンドを持つボブ・テルソンが世界的な大ヒットとなった名曲『コーリング・ユー』ほか、軽やかで懐かしいムードのBGMで熱い砂漠の景色を潤した。 (なお、意外に知られていないのが、『コーリング・ユー』はこの映画のために作られた楽曲だということである。あまりにもこの曲が有名になったため、既存の曲を映画にあてたものと思われがちだが、歌詞を読めば映画のストーリーそのものになっていることが分かる。)なお、日本で1989年3月に公開されたのは91分のアメリカ・バージョンで、1994年8月に公開された〔完全版〕はアメリカ・バージョンの30シーン以上のパートでカットが長くなっている108分のヨーロッパ・バージョンであった。今回の〔ニュー・ディレクターズ・カット版〕は1994年のヨーロッパ・バージョンをベースに、監督自らが色と構図(トリミング)を調整し直し、2008年のカンヌ国際映画祭で初公開された。そのニュー・ディレクターズ・カット版DVDを大学図書館で見つけたので、折をみて観てみようと思っています。なお、H16年に見た完全版の感想を、いつもの鑑賞フォーマットで再掲します。【バグダッド・カフェ】パーシー・アドロン監督、H16.2.1観賞<大使感想>幸せ王国設立請負人みたいなジャスミン♪図らずも、月曜に見た「ショコラ」と似たような映画だった。ただ違うのは「ショコラ」のヴィアンヌは自分の宿命を感じている美人であるが、ババリア出身のジャスミンの方は旅行中に夫と喧嘩別れして行く先のないおデブちゃんということだろうか。モハベ砂漠のハイウェイ沿いのモーテル兼の ガソリンスタンド兼のバグダッド・カフェはどうしようもない店だった。「ビール?・・・ない!免許がないから」「コ-ヒー?・・・ない!機械が壊れているから」笑わせるじゃないか。不条理劇を見ているようなすべりだしにワクワクする!亭主を追い出したばかりで気の荒むアマンダの前に現われたジャスミンはバッドタイミングだったようだ。ホコリっぽい部屋にとおされて、壁に掛かる絵を見て心引かれるジャスミン・・・・私もこのシーンにチョット引っかかったが、やはりこれは意味のあるプロットだった。逗留期間未定で他に行き先のないジャスミンは、翌日からカフェ入口近くの席にオズオズと座るしかなかった。しかし このモーテルに長逗留する住人には、コックスのようなアーティストがいた。コックス(ジャック・パランス)がいい味出しているんだなあー。アマンダとか、コックスとのかけあいにはとぼけた味があり、アメリカ版人情喜劇との感があるのだ。(この映画はドイツ映画になっているが)ジャスミンが触媒のように作用してバグダッド・カフェは変わってゆく♪彼女自身も潜在していた力を放ち、魅力的な女性へと変化してゆく♪そして彼女が店で手品を始めた頃から、映画は明るくたたみかけてゆくのだ♪一度は滞在許可の関係で店を去るジャスミンだが、最後はハッピーエンドが待っています。(最後は見てのお楽しみに)ハイウェイの夕焼けをバックに流れる「コーリングユー」という歌がまたいいのだ。文明果つる所のような剥き出しの風景に、ハイウェイ沿いの安モーテルの乾いた哀愁に・・・・この透きとおった高いキーの歌がよく合っている♪等身大のアメリカが見える映画だが、ドイツ映画だからこそ、乾いた感覚で描き切れたのかも知れない。(何と言う監督だったかな?良く覚えておかなくちゃー)トラック運転手とかの世界を描く、抹香臭さのない良きアメリカが見える映画であるが・・・・抹香臭い原理主義のブッシュにも見せたい映画でした。(どうしてもバカなブッシュを引用したいのですが、今回のはチョット無理ぽいかな?)幸せ王国シリーズより再掲goo映画バグダッド・カフェ
2012.01.27
コメント(2)
NHKでプロフェショナル「エンジニアの楽園」という番組の再放送があり・・・・エンジニアの端くれとして高揚する大使であった。なによりオフィス環境が素晴らしく、無料で選り取り自由の食堂が魅力的である(さよか)グーグルを出て起業した天才プログラマー及川氏と六本木の高層オフィスが非常に都会的で個性的に見えるのだ(どうも、見た目が気になる大使である)40名ほどを率いるソフト開発企業が、クラウドコンピューティングの開発を進めているのです。ユーザ文書入力の個人設定をクラウド化するというムチャクチャ難しいテーマの多言語化(名称:モズク)にいどんでいる様子が放映されていたが・・・・・中国語を含めて多言語化を図ることは痛みを伴うが、アグレッシブに攻めるべきであると及川氏は考えた。ユーザの手間が一切要らないものでないとダメ!とやり直しを命じた。及川氏の上司(五木さん)の言葉「人の心の痛みが分からないと、人の上に立てない」これはそのとおりで、よくわかるのだが・・・・自分がやる方が早いがあえて他人にやらせる・・・これが大使にはできなかったわけで、大使がリーダーになれなかった最大の理由だと今頃気づくのであった(アホやん)やがて、若手から中国語でやりたいという意見が出始めた。「同じリスクなら世界を変えるリスクを取れ」世界を変えるソフトに挑み続ける及川氏・・・・頑張ってくれ♪クラウド時代の開発の方法論をグーグルの及川卓也氏が講演
2012.01.27
コメント(0)
週刊文春を買い求めたわけではないが・・・・ハシズムを煽るような、その中刷りに驚くのです。(週刊誌が販売第一の中刷りになるのは分かるけど)週間文春最新号中刷りと目次を「雑誌ネット」より引用します。雑誌ネットより<週間文春2012/02/02日号目次>より「次の総選挙で自民も民主もすべて倒す」橋下徹〈400人〉チルドレンに日本が牛耳られる!▼「石原新党」と連携!? 市長兼任大臣もある ▼ハシズム旋風 維新塾に1000人以上が応募 ▼「市長選には出たくなかった」実は成り行きまかせ ▼橋下人気にスリ寄る民主・自民「情けない面々」 おりしも国会中継で、自民党議員が民主党マニフェスト内容等について猛々しく追求しているが・・・・曰く・年金の破綻・消費税増税・公務員改革がいっこうに進まない、天下りの継続・復興財源が地域に回らない・地域主権が進まない・八ツ場ダムを見ても「コンクリートから人へ」がなし崩し・進む産業空洞化・国会定数削減・・・・etc.まったく言うとおりである・・・・しかし、政治主導の難しさを自らの経験から列挙しているだけであり、減点主義の追求なら猿でもできるのだ。だけど、民主党が官僚寄りの答弁で回答するのも情けないのだ!(八ツ場ダム本体着工が妥当etc)現状をどう打開するかであるが、民主vs自民の国会空転にいらだって・・・・ここに、ハシズムが進む余地、ハシズムへの期待が生まれるのだろう。ハシズムになだれ込むのは(いつか来た道で)猿でもできるような気がするのだが。橋下現象は必然を読み返して、再考してみます。
2012.01.26
コメント(0)
くだんの大学図書館で、「パンズ・ラビリンス」を観たのです。で・・・いつもの鑑賞フォーマットで書きとめてみます。【パンズ・ラビリンス】ギレルモ・デル・トロ監督、H24.1.25観賞<大使寸評>パンは羊の角を持つローマ神話の神とのこと。とうとう牧畜の文化を持たなかった日本にとって異質な神とも言える。goo映画パンズ・ラビリンスオフェリアの前に山羊の姿をしたパン(牧神)が現れ、思いもかけぬ言葉を吐く。『あなたは魔法の国のプリンセス、モアナの生まれ変わりに違いない』ちょっと恐いおとぎ話とスペイン内戦が交錯して進行するわけです。スペイン内戦のエピソードが良く出来ていて、この映画が飽きないというか、品位を与えていて・・・・大使としては評価するのです。最後の試練を突破してオフェリアは魔法の国に戻ることになるが・・・・・このラストが、爽やかな印象を与えてくれます。なお、試練の内容はネタバレになるので、ここでは書けません。しかし、ま~さすがに闘牛の国で、政府軍大佐の冷酷さ、血生臭さは相当なもので・・・・牧神の恐さが霞んでしまうのです(笑)一方、牧神はもっと恐いのではないかと身構えていたせいか、案に相違してそれほど恐くはなかったのです。ミノタウルス(牛の神)みたいなのが出るかと思ったけどね。ピカソの描くパンやミノタウルスはちょっとエロくて、ユーモラスで不思議な魅力があるわけですが・・・・・だいたい、牧神てなんや?使役動物を神にすることが、牧畜の文化を持たなかった日本人にはピンとこないのかもしれませんね。八百万の日本であっても牧神に類するものはいないので、日本にとっては異質な神である。もしかして東野のお白様のようなものが出てくるのかと思っていたが・・・・・牧神パンとはね。あまり恐くないのです。日本人監督なら、お白様や鬼をテーマにもっと恐い映画を作ることができるようにも思うのですが。『おしらさま』信仰より青森、岩手の両県に残る“おしらさま”信仰も、馬産と深いつながりがあります。柳田国男著『遠野物語』によって全国的に知られるようになりました。最近では宮崎駿監督のアニメ映画『千と千尋の神隠し』にも登場しています。“おしらさま”は、桑の木で作った男女二体。男の頭部は立てエボシ、あるいは折れエボシをかたどっていますが、もとは馬頭だったと言われています。女はお姫様。「馬姫婚姻譚」がイタコによって語られています。“おしらさま”は、普段は厳重な箱の中に収められ、誰も目にすることができません。年に一度、小正月の1月15日になると、一族の女性が大人から子どもまで集まって“おしらさま”の顔に白粉を塗り、「おせんだく」と言って新しい布を被せるのです。毎年新しい布が被せられていくため、年月を経たおしらさまは何十、何百にも布を重ね着しています。土地によって細部は変化するものの、名馬と姫が主役で、蚕がキーワードとなることは変わりません。“おしらさま”は、「山の神」あるいは「田の神」に対して「家の神」。また人と馬の恋慕譚や蚕の起源から「女の神」ともされています。“おしらさま”の祭文によって広まったことは、馬と養蚕という南部地方の農家における、主婦の副業とのかかわり合いを物語っています。
2012.01.26
コメント(2)
春節が始まりましたね♪中華嫌いの大使であっても、南京町の皆さんに何の恨みもないわけで・・・春節を祝うため、昨日は南京町に出かけたのです。しかし、ま~曇りで寒かったこと。 屋台のチマキ、饅頭がおいしそう・・・でも、もう昼飯を済ましたもんね。 南京町広場でイベントがありました。春節イベントは29日まで続くそうです。今日は一転して青空で・・・・・行く日をまちがえたか?いやいや、今日は錦織のベスト4戦があるので、テレビ観戦だよ。
2012.01.25
コメント(0)
くだんの大学図書館で、「未来世紀ブラジル」を観たのです。で・・・いつもの鑑賞フォーマットで書きとめててみます。【未来世紀ブラジル】テリー・ギリアム監督、H24.1.23観賞<大使寸評>未来は徹底的な管理社会で、金持ちはアンチエイジング(若返り)なのか・・・・誇張されているとは言え、お先真っ暗な未来に暗然とします。goo映画未来世紀ブラジル警護用に鎧すがたのロボットが現れたりして、日本人なら、おお大魔神や!と思うわけですね。町中いたるところでテロによる爆発があり、レストランでは爆発があっても営業はストップしません。そしてアパートの空調ダクトの修理を依頼したら、スパイダーマンのようなモグリの修理屋が銃を持って闖入してくるわけです。上流階級のご婦人方は、明けても暮れてもアンチエイジングに勤しむ様が滑稽でもあり、おぞましいのです。ネタバレになるので、ぼかして書きますが・・・・ラスト近くで、これでクレジットのシーンかと思いきや・・・・それから結構長く続き、ハッピーエンドとバッドエンドのくり返しがあるのです。さて、どう終わるのか?(キーワードはロボトミー)未来は管理されたディストピアということでは、村上龍の「歌うクジラ」を彷彿とします。階層化された未来では、上層階級はアンチエイジングに明け暮れるというところが同じですね。新自由主義を野放しにしておくと、かくもおぞましい社会となるのか・・・・作者はディストピアを描くことで現在に警鐘をあげているわけなので・・・・正しく鑑賞しましょうね。(大使、見方が堅いのでは?)【歌うクジラ】 BOOK ashahi『歌うクジラ』より『歌うクジラ』は人間が不老不死を手に入れた2117年の日本を舞台とし、流刑地「新出島」から来た少年「タナカアキラ」の壮絶な旅を追うことで、「理想的な」管理社会の暗黒部を徹底して描く。2022年、クジラから不老不死の遺伝子が発見される。移民内乱の鎮圧後、日本は「文化経済効率化運動」と、「最適生態」の理念による上・中・下層の棲(す)み分け政策を推進。遺伝子操作による医学的賞罰(功労者は不老不死に、犯罪者は「生命時計(テロメア)」を切断されて死ぬ)や、精神薬による人心統制、性と記憶のコントロールが行われる。アキラは父の託した人類の秘密をある老人に届けにいく。なお、近日中の鑑賞、感想としては以下の予定とします。・パンズラビリンス・ミリオンダラー・ベイビー・許されざる者
2012.01.24
コメント(0)
仙台のブログ友達の日記から心和むお話を紹介します。23日のマックス爺のエッセイ風日記より 大津波に襲われた宮城県最南端の山元町。急いで家族を安全な場所に避難させるため、心ならずも愛犬を置き去りにしたあるご主人。あの分では助からなかったろうと諦めていた10ヶ月後、たまたま別の人と散歩中の愛犬を発見。名前を呼んだら、喜び勇んで元の主人の許に駆け寄ったようだ。その様子を見てこの人が本当の飼い主と、預かっていた犬を渡した由。 あの日、全身が濡れて泥だらけになった犬が近づき、人の傍から離れようとしなかったそうだ。よほどこの犬は怖い思いをしたに違いない。それに海の方から来たのは、家族が津波の犠牲になったからだろう。そう思って犬の世話をし、大事に預かっていたそうだ。10カ月ぶりの劇的な対面の陰には、きっと目に見えない絆があったのだろう。1/19津波に襲われ不明の愛犬 9ヵ月半ぶり、涙の再会 山元より再会したジャキをかわいがる工藤さん菅野さんは「再会の場面で甘えたような犬の鳴き声を初めて聞き、工藤さんが本当の飼い主に間違いないと分かった」と話した。工藤さんは「ジャキは死んだとばかり思っていた。いい人に巡り会えて幸運だった」と感謝している。10ヶ月ぶりに再会した犬と飼い主・・・お互いの嬉しさが伝わってきます。ところで・・・・その山元町には兵庫県派遣の震災ボランティアで行ったのでちょっと土地勘もあります。お疲れさんボランティアでも書いたけど側溝ドロ出しとイチゴ畑のガラ出しをさせてもらいました。撤収前 休憩中40分くらい作業したら休憩です。多分コレくらい休憩しないと・・・もちません。
2012.01.24
コメント(2)
東大の伊藤元重教授が「模索するアジア」と題するインタビューに応じているので、紹介します。国債暴落というオオカミが見えるんだそうです。オオカミが来るのか、来るならいつ来るかということで、経済評論家が百家争鳴の有様であるが・・・まず伊藤教授の説を拝聴しましょう。伊藤元重教授へのインタビュー <模索するアジア>(デジタル朝日ではこの記事が見えないので、1/20朝日から転記しました・・・そのうち朝日からお咎めがあるかも)Q:台湾総統選を皮切りにアジアも政治の季節が幕を開けました。今年のアジア経済をどう読みますか。A:キーワードはステータス・クオ(現状)の維持だと思います。これが崩れると、地域の安定や経済の繁栄に大きなマイナスとなる。馬英九総統の再選も、中国との対決路線ではなく、『ひとつの中国』という認識の中で安定した状況をつくったことが評価されたのでしょう。 北朝鮮も政治体制が混乱すれば、大量の難民が発生したり、軍事衝突に発展したりする。そうなれば韓国経済のサプライチェーンは止まり、タイの洪水の比ではないインパクトがアジアにでます。 経済的に考えれば、朝鮮半島統一はドイツの東西統一よりもはるかに難しい。北朝鮮と東ドイツでは、貧困度や社会の開放度も違う。南北が統一すれば、経済は相当厳しい状況になるでしょう。朝鮮半島にとっても、現状維持がセカンドベスットのシナリオというわけです。Q:中国と韓国が年明け早々に、FTAの締結交渉入りで合意しました。朝鮮半島情勢が、東アジア経済の枠組みに変化をもたらしたのでしょうか。A:欧州連合(EU)に続いて米国ともFTAを結んだ韓国は、国民にFTA疲れみたいなものがでていたので意外でした。一方、中国はTPPの動きが気になる。米国がアジアへの関与を強め、中国が考えていた『ASEAN+3』のような枠組みで、経済連携をゆっくり進める余裕がなくなったのでしょう。Q:2008年のリーマン・ショック後、世界経済は変調をきたしています。先進国から新興国へと、経済の重心が移る動きは続きますか。A:グレートモデレーション(大いなる安定)と呼ばれた、ひとつの時代が終わったんだと思います。1980年代半ばから05、06年ごろまでの20年強の期間のことです。日本はバブル崩壊で蚊帳の外でしたが、米国と欧州の物価は安定し、経済のグローバル化も進んだ。世界経済が20年も安定したというのは、過去200年の歴史でもあまりないんです。 慣れ親しんだ「大いなる安定」は特異な時代だった。それが終わり狂乱物価が発生したり、金融危機や通貨危機、財政危機が起こったりする混乱の時代に突入してしまった。 米国はもはや財政出動で経済を立て直すことは不可能だし、金融を緩和したら魔法のように生き返るわけではない。不動産バブルがはじけた欧州も、域内で需要がつくれないし、日本のように高齢化も進んでいく。では、どこが需要をつくっていくのかというと、新興国なのです。 最大のポイントは、やっぱり中国でしょう。経済の軸足を輸出偏重から内需拡大に移せるか、社会を安定させながら社会保障を整備していけるか、内陸部の貧しい層の生活水準をレベルアップできるかがカギになります。Q:日本は成長するアジアとどう向き合うべきですか。A:キーワードはグラビティー。引力のことですが、経済学には「グラビティーモデル」という考え方があります。近い星ほど引っ張りあうように、距離が近い国ほど貿易額が多い。もうひとつは、二つの国の規模が大きいほど貿易額が大きくなる。日本はこの引力がずっと働かなかった。20年前、中国のGDPは日本の8分の1、韓国は十数分の1。タイ、インドネシアは20分の1以下でしたから。 ところが周辺の国々が大きく成長し、日本の貿易構造に引力の法則が働いてきている。今後、日本の輸出は急速に増え、輸入はもっと増えて貿易収支が赤字になるかもしれない。日本の産業の姿もこれまでと違った。次の大きなステージにいくと思います。自動車や家電など、これまで日本を支えてきた輸出型の産業は、どんどんアジアに出て行く。 では、日本から輸出するものがなくなるかというと、特殊な部品や素材がものすごく伸びる。スマートフォンが世界で売れれば、日本メーカーのセラミックコンデンサーが必要になるし、ボーイング787が売れれば、日本の炭素繊維が伸びる。もうひとつ可能性があるのは消費財です。中国の観光客銀座のマツモトキヨシで何を買っているのかと見たら、大正漢方胃腸薬だったりする。中国の人が日本の漢方薬を選ぶ時代なんです。 アジアの成長を日本経済にうまく取りこんでいくには、域内の自由化の流れに乗ることが重要です。これまでのFTAは二国間とか少数で結ぶケースが多かったが、最近はひとつにまとまって地域経済化する動きが見えてきた。将棋の方がチェスより高度なゲームかもしれないが、みんながチェスをやっているときはチェスをしなければならない。Q:日本は昨年、31年ぶりに貿易赤字に転落したとみられます。海外とのモノやサービスの取引、投資の状況を示す経常収支が赤字になる時代が来るのでしょうか。A:日本の貿易依存度、つまり、輸出と輸入をあわせた額をGDPで割ると、ドイツは70%程度なのに、日本は30%程度。日本が輸出立国といえるかは微妙です。長いトレンドで見れば、高齢化で家計の貯蓄率が下がり、貿易収支が赤字になっていくことは間違いない。問題は、企業がどう動くか。デフレが続けば企業はお金を使わないけど、積極的に投資するようになると、比較的早い時期に経営赤字になるかもしれません。Q:日本国債のほとんどが国内で消化されています。経常赤字だと海外からお金を借りることになり、大量の国債を買い支えることが難しくなりませんか。国債暴落の不安が現実味をおびてきたそうです。A:野田佳彦首相が消費税増税をやると言っていますから・・・・ただ、国会でもめて、消費増税がうまくいかないということが起こったとき、国債の価格は維持できるだろうか。Q:どう思いますか。A:政府は毎年べらぼうに国債を発行していて、税収より借金が多いという状況が3年続く異常事態です。にもかかわらず、デフレが続いているものだから、家計も企業も貯蓄が非常に大きく、金融機関はほかに使い道がないから国債を買っている。 ではこのデフレがあと5年続くのだろうか、という疑問があります。まず、震災後の復興需要がいっぱいでてきている。一方、電力不足が問題になっているときに、企業が生産能力がどんどん増やすとは思えない。日本経済は需要不足が原因でデフレに陥っていますが、日本全体の需要と供給の差が縮まれば、景気が本格的に回復しなくてもデフレから抜け出すかもしれません。そうなれば、国債を買い支えていた過剰な貯蓄が減っていく。 しかも、欧州の信用不安がいつ日本に飛び火しても不思議ではありません。銀行や生保、郵貯が「みんなで渡れば怖くない」とばかりに国債をもっているけど、こんな状態が一番恐い。「オオカミが来る、オオカミが来る」と10年言っているのに来ないじゃないか、経済学者は反省しろといわれますが、オオカミはもうそこに見えていると思いますがね。Q:「借金が多くても日本はギリシャと違う」という主張の根拠のひとつが経常黒字でした。赤字になると国債はどうなるのでしょう。A:そこまでいけば、ひどい状態になるでしょうね。ただ、そうなる前に国債が暴落するんじゃないか。Q:暴落はどんなときに起きる?A:一つ目は、企業が本格的に企業合併・買収(M&A)や海外投資をやり出し、国債にお金が振り向けられなくなったとき。二つ目は、財政問題に対する悲観論がマーケットに発生したとき。そして三つ目は、復興需要や電力不足をきっかけに日本経済がデフレ的な状況から動き出したときとか、いくつかシナリオがあるんだろうと思います。しかし当面、一番大きいリスクは日本の政治不信だと思いますね。Q:消費増税法案が通らなかったときですかA:マーケットに不安心理が広がると、10年物の長期国債を償還期間が短い3年物に買い替えて、いつでも抜け駆けできるように備えるところが現れるかもしれません。Q:アジア経済はこれから、どんな局面を迎えるのでしょう。A:域内の連携や一体化を模索することになると思います。アジアは次の秩序を求めている。そのために日本はリーダーシップを発揮すべきですが、米国と中国がぶつかれば、何もできない。残念ながら日本は大きな流れを見ながら、自国の利益をしっかり維持していくということだと思います。例えばTPPで米国が難癖をつけてきたら、日中韓FTAを進めるぞと脅かしたりしながらね。(聞き手:山口栄二)教授は米国に日中韓FTAをちらつかし、TPP推進派でないのが、好感を持てますね。しかし、ま~国債に向かっている金が、国際に向かうとあぶないんだそうで、日本丸はいつ沈んでもおかしくない状況のようです。国益無視で各省にしがみつく官僚も、在任中にクビがとぶ覚悟がいるんですけどね。
2012.01.23
コメント(0)
今回のbe「うたの旅人」は、八神純子「みずいろの雨」です♪「みずいろの雨」はいい歌だとは思うけど、八神純子という歌手には何の思い入れも無かった大使である。でも、「うたの旅人」が伝える彼女のエピソードがいいんですね♪朝日デジタルではこの記事は見えないけど、検索方法を変えたら見えたので紹介します。1/21オバちゃんの夢かなえたより八神純子岩手県大槌町のショッピングセンター「シーサイドタウン マスト」。がれきを撤去した何もない町並みが周囲に広がり、近くを流れる小鎚川を逆流したという津波の勢いに言葉をなくします。そんな光景とは裏腹に、影ひとつなく明るい店に昨年12月22日、歌手八神純子さん(54)が招かれました。地元住民が待ちに待った営業再開初日を飾る記念イベントでした。 吹き抜けのセンターコートに集まった買い物客は、ニューミュージックよりは演歌を喜びそうな世代が目立ちました。でも、洋楽志向のシンガー・ソングライターは、まったく動じていませんでした。気さくにあいさつをして、子どもの頃に好きだったザ・ピーナッツや自身がよく出演した歌番組の思い出話などを交えながら、自身のヒット曲「みずいろの雨」や「パープルタウン」を満面の笑みで歌いました。より観客の心をつかんだのは、被災者の気持ちに寄り添おうと歌い始めた中島みゆきさんの「時代」でした。〈今日は倒れた旅人たちも生まれかわって歩き出すよ〉。すすりあげる音があちこちから聞こえてきました。 2日間で計5カ所。大船渡市の児童養護施設でも、陸前高田市の仮設住宅の集会所でも、八神さんは伸びやかな歌声を響かせ続けました。会場に子どもがいれば、夢は信じていれば必ずかなうと伝えた上で、「みずいろの雨」をこう紹介しました。「オバちゃんを有名にしてくれた曲です」 米ロサンゼルスで暮らす八神さんが海を渡り、被災地に入るのはこれが4回目でした。きっかけは、震災から2日後に帰国して出演したラジオ番組で、「求められたらどこへでも歌いにいきます」と宣言したことにさかのぼります。公開したアドレスに届いたメールへ自ら返事を書き、2カ月後には、避難所での炊き出しライブを実現させました。実は最初は「みずいろの雨」は歌いませんでした。〈くずれてしまえ〉〈あとかたもなく流されて行く〉……津波を連想させる歌詞があったからです。でも被災者から逆に「なぜ歌わないの?」と残念がられ、八神さんはヒット曲のありがたみに初めて気づかされたといいます。「ヒット曲は私の名刺のようなものなんですよね」「名古屋の社長令嬢」でもあった彼女は、ただ歌うことが好きな少女だったという。八神さんがヒットを連発し、ベストテン番組の常連だった期間は、実は2年あまり。86年には音楽プロジューサーのアメリカ人と結婚し、翌年渡米し第一線からは遠ざかっていた。震災2日後には、ハワイ経由で日本に着いた。その後は2ヶ月に1度づつ、太平洋を往復してきた。すべて自腹である。「こんなにも日本がいとおしいなんて」自分でも不思議だったそうだ。一方、新譜の発売や全国ツワーなど仕事も増えつつあるがマネジャーは置かず自らスケジュール管理する。be「うたの旅人」の記事はこう結んでいます・・・・「八神純子」は帰ってきた。声だけではなく、身も心も強い女性として。
2012.01.23
コメント(0)
ああいえば、こういう竹中さん以来、経済学者の口から出まかせに辟易している大使である。クルーグマンにしても、たまにいいことを言うが、あの顔がどうも信用できないのである(大使、低次元の評価になります)でも、レアアース問題に関するクルーグマン氏のコメントはクリーンヒットだと思うのです♪中国はゴロツキ国家だ!レアアース問題をめぐり=米経済学者よりレアアースの輸出問題を巡り、世界各国との間で軋轢(あつれき)を抱える中国に対し、 米国の著名経済学者であるポール・クルーグマン氏が「中国のレアアース政策は、中国がゴロツキ国家であることを示している」と主張した。環球時報が伝えた。 クルーグマン氏は、「日本との漁船衝突事故をめぐり、中国は報復措置としてレアアースの対日輸出を停止したが、これは経済戦争を起こすための挑発である」と主張した。 続けてクルーグマン氏は、中国のレアアース政策から、世界は中国以外の国でレアアースを開発する必要があり、中国という経済大国は、その地位にしかるべき責任を担う準備ができていないことが分かったと主張。 さらに、人民元の為替レート問題も指摘したうえで、中国は規則を遵守(じゅんしゅ)しようとしないゴロツキ国家だと批判した。「中国はゴロツキ国家だ!」というような身も蓋もない過激な物言いが、クルーグマン氏の売りであるが・・・・大使のツボにクリーンヒットしたので、左の「テクノナショナリズムに目覚めた2」ページに収めておきます。
2012.01.22
コメント(4)
映画「わたしを離さないで」はまだ、観ていないが・・・・原作者で、バイリンガルのカズオ・イシグロは気になる存在である。小説は読んだが、映画はまだ観ていないので、goo映画をのぞいたのです。【わたしを離さないで】マーク・ロマネク監督<大使寸評>クローン人間も一種のレプリカントであり、「ブレードランナー」フリークの大使にとっても観てみたい映画である。 goo映画わたしを離さないでおっと、クローンという言葉はネタバレそのものになってしまったな~。この小説を読み進めると、なんだかこの連中は普通の人間とは違っていると不審がつのるわけで・・・そのへんがプロットを積み重ねるイシグロさんのうまさなんでしょうね。クローン人間を医療用に利用するという鬼のようなアイデアは、現実には招来しないだろうけど、物語としては面白いのである。レプリカント(人造人間)と言えば「ブレードランナー」の一場面に・・・・レイチェルが埋め込まれた記憶をたどり、涙を流す場面がありました。ここまで良くできたレプリカントとなると、いくらレプリカントであっても哀れである。Rachel's Song - Blade Runner カズオ・イシグロの小説でも、クローン人間が主人公であり・・・・全編にわたってクローン人間たちの自己に対する疑問と諦観が描かれているのです。要するにクローンの哀れさが漂っているわけであるが・・・・・この小説のジャンルは何だろう?イギリスには純文学というジャンルはないだろうし、強いていえばSF小説になるのでしょうね。そういえば、村上龍の「歌うクジラ」にも階層化され、資質が劣化した新人類が登場するが・・・・この新人類もイシグロの描くクローン、リドリースコットが描くレプリカントを彷彿とさせるのです。クローンや異質な新人類が主人公となり自己を語るとは驚愕の視点であり・・・・これはもう、なんでもありのSFの領域というほかありませんね。 思うに・・・・カズオ・イシグロがクローン技術に、村上龍がアンチエイジングに警鐘をあげたわけだが、日系作家のこの類似した発想は、はたして日本的なものなのか?最近の日本人にも拝金主義がはびこり、米英の高額医療を後追いしている事実があるので・・・・拝金への忌避感がアングロサクソンよりやや強い程度なのかも知れないですね。(大使のG2嫌いがまた出たか。でも、目もくらむような格差は、日本人にはなじまないようです)更に、思うに・・・・母語を持てなかったバイリンガルのイシグロさんだから、クローン人間側の視点で書けた小説だったような気がします。
2012.01.22
コメント(0)
1/18北京市を覆う厚いスモッグ、米大使館が「有害」との判断より ひどいスモッグに覆われた北京で18日、大気汚染を測定する独自のシステムを持つ在北京米国大使館が市内の大気を「有害」と判断した。人体に悪影響を及ぼすとされる直径2.5マイクロメートル以下の超微粒子「PM2.5」が403の数値を示したとされる。「健康に悪い」と判断される数値は150。北京のスモッグはひどいそうだが・・・・2010年中国環境白書を見てみると、それなりの対応を取っているようにも見える。日本も酸性雨や年々ひどくなる黄砂の被害も出ていることだし・・・中国の対応について調べてみました(大使の中国共産党を見る目はきついのである)2010年中国環境白書を見てみましょう。7/7中国発:2010年中国環境白書を読むより 2011年6月3日、今年の中国環境白書(「2010年中国環境状況公報」)が発表された。<2010年白書、9のポイント> 白書では冒頭で2010年に講じた各種の措置の成果について、次のように総括している。[1]主要汚染物質排出削減任務は目標を上回って達成 化学的酸素要求量(COD)と二酸化硫黄(SO2)排出量は2005年に比べてそれぞれ12.45%、14.29%低下し、両方とも第11次5カ年計画で定められた削減任務(注:2005年比で10%削減)を上回って達成した。 環境インフラ施設(注:下水処理場、排煙脱硫装置など)の建設は猛烈な勢いで進み(図1、2)、立ち遅れた生産能力(注:古い効率の悪い生産設備)の淘汰は空前の規模で行われ、環境質は継続的に改善された。図1図2[2]~[9]:中略<2010年の環境汚染状況> 同じく白書の冒頭で2010年の環境汚染の状況について次のように総括している。この総括は2009年と全く同じであり変化はみられない。(1)表流水の汚染は依然として比較的深刻な状況にあり、7大水系は全体として軽度の汚染状態であり、湖沼(ダム)の富栄養化問題は突出し、沿岸海域の水質も全体的にみれば軽度の汚染状態にある。(2)都市の大気質は全体的にみれば良好であり、酸性雨の分布地域に変化はない。(3)都市騒音は全体的には比較的良い状況にある。●水質汚染の状況(中略)●大気汚染の状況 都市の大気汚染の状況については二酸化硫黄(SO2)、二酸化窒素(NO2)及び粒子状物質の3項目についてモニタリングが行われている。まず、全国471の県級レベル以上の都市でのモニタリング結果は図6のとおりであり、3級基準(特定工業地区に適用される最も緩い基準)にも達していない都市数は8となっている。 酸性雨の分布状況は図7のとおりである。494の市・県でモニタリングが行われ、249の市・県で酸性雨が出現した(50.4%)。このうち酸性雨の発生頻度が75%以上の市・県は54で11.0%を占めた。●廃棄物・主要汚染物質の排出状況(中略)<第12次5カ年計画期間中の重点対策は?>(中略)<最後に> 白書では2010年の汚染物質排出削減目標は無事達成できたが、新たな5カ年計画の下で環境改善への要求はなお高く2015年目標に向かってさらに高いハードルが待っていることを明らかにした。 前回も紹介したが、中央政府は省エネ・環境保護実施のための2011年度支出として1,591億8,500万元(約2兆円)(前年比10.3%増)を計上している。その具体的な内訳は、省エネ・排出削減資金として945億元、太陽光発電プロジェクト等再生可能エネルギー利用・リサイクル推進に122億元、天然林資源保護プロジェクト推進に140億8,400万元、生態系復元プロジェクト実施・耕地の森林への復元成果の定着に327億元などとなっている。第12次5カ年計画下で中国の環境対策はますます本格的になってきているといえよう。工業化のスピードに環境対策(特に大気汚染)が追いつかない面もあるかもしれないが、白書ではそういう書き方はしませんね。事故があったにしろ短期間で新幹線網を作り上げた国家資本主義は馬鹿にできないし、国がやると決めた時の人的、資金的な選択と集中に関しては、目を見張るものがあるのだ。新自由主義を享受しながら国家資本主義を進める中国であるが・・・・・体制維持という上から目線の理念で環境対策はうまく機能するか?いずれにしても、環境対策が追いつかないと体制維持もままならないだろうから、頑張ってもらうしかないというのが・・・・・大使の冷めた感想である。中国の環境よりGlobal satellite-derived map of PM2.5 averaged over 2001-2006《PM2.5大気汚染マップ(2001-2006年平均)》《硫酸塩エアロゾル(酸性雨のもと)の予想分布》中国発:高度経済成長下の中国環境問題より2011年3月14日、全国人民代表大会(全人代、日本の国会に相当)は第12次5カ年計画(正式名称は「国民経済と社会発展第12次5カ年規画綱要」(計画期間2011~2015年、以下「十二五計画」という))を決定した。<注目すべき2015年目標> 特に注目すべきは次の5つである(いずれも2010年比)。(1)非化石エネルギーが1次エネルギー消費に占める割合11.4%(3.1%増)(2)GDP原単位あたりのエネルギー消費の低下率16%(3)GDP原単位あたりの二酸化炭素排出量の低下率17%(4)主要汚染物質排出総量8~10%削減 化学的酸素要求量・二酸化硫黄8%削減 アンモニア性窒素・窒素酸化物10%削減(5)森林被覆率 21.66%(1.3%増加)、森林蓄積量143億m3(6億m3増加) (1)、(3)及び(4)のアンモニア性窒素・窒素酸化物10%削減の目標は「十一五計画」にはなかったものだ。(1)の目標は、もとは下位の計画に当たる「再生可能エネルギー発展十一五計画」に位置づけられていたものだ。2010年までに再生可能エネルギーの利用総量が一次エネルギーに占める割合を10%程度まで高める(2005年の割合は7.5%)としていたが達成できず、今回は最上位の計画目標に格上げされるとともに拘束性の目標とされた(筆者注:非化石エネルギーには原子力エネルギーも含む)。2020年までに15%程度まで高めるよう努力するという長期目標(2009年9月、胡錦涛主席が国連気候変動サミットで表明)を分解して示した中間目標に相当する。 (3)の目標も前述の「2020年までに2005年比で単位GDP当たりのCO2排出量を40~45%削減する」という目標を分解して示したものだ。 また、(4)の目標ではアンモニア性窒素及び窒素酸化物の2010年比10%削減が追加された。この理由も前述のとおり窒素酸化物による大気汚染に改善が見られないこと、アンモニア性窒素が水質汚染の重要な原因物質になっていることなどだ。
2012.01.21
コメント(0)
中国は2001年のWTO加盟後も国際ルールを守る姿勢に欠け、貿易紛争が絶えない。自国は自由貿易の恩恵によって高い経済成長を続けながら、国際ルールを顧みない独善的対応が国際的にも批判されてきた・・・・・世界はレアアースの輸出制限という露骨な暴挙に驚き、中国リスクをヘッジする覚悟を固めたが・・・・・このところ日本の着実な対抗策が実現しつつあります。ということで、レアアース関連ニュースを集めています。1/19電機各社「脱レアアース部品」加速 代替品でコスト削減、安定調達よりレアアースを使わない「SRモーター」 電機メーカーが、レアアース(希土類)を使わない部品の開発を加速している。 三菱電機と日本電産が電気自動車(EV)やハイブリッド車(HV)の駆動用モーターを開発。HOYAはHDD(ハードディスク駆動装置)に搭載し情報を記録するガラス基板用の研磨剤で、希土類からの置き換えを進める。希土類は95%以上を産出する中国の輸出規制で価格が高騰しており、代替品によってコスト削減と原料の安定調達につなげる。 三菱電機は、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)と共同で、希土類を使わないEVやHVの駆動用モーターを開発した。通常は鉄に希土類のネオジムやジスプロシウムを混ぜた永久磁石で駆動させるのに対し、電磁石の原理を応用して酸化鉄などの周囲にコイルを巻き、電気を流すことで駆動力を得る。 加速時など負荷がかかる場合の効率はやや落ちるが、それ以外では既存製品とほぼ同等の性能を発揮できるという。「酸化鉄は入手が簡単で安く、実用化には大きな意味がある」(三菱電機)としており、今後は量産技術の確立に取り組む。 日本電産も希土類を使わないEVやHV用の「SRモーター」を開発、18日から始まったEV関連の展示会に出展した。2013年から供給を始める。TDKもジスプロシウムを使わないモーター用永久磁石を開発し、年末からIT機器向けに供給を始め、自動車向けの実用化も視野に入れる。 一方、HDD用ガラス基板大手のHOYAは、基板を磨いて平らにする研磨剤で、希土類のセリウムから、宝石などに使う化合物のジルコニアに置き換えている。10年6月から始め、代替率は1年半で7割まで高めた。同社では「セリウムは平らにしやすい半面、高すぎる。安定調達も考えて置き換えを進めている」と話す。 希土類をめぐっては、需要拡大に加え、10年7月に中国が資源保護のため輸出枠を減らしたことで価格が高騰。石油天然ガス・金属鉱物資源機構(JOGMEC)によると、昨夏以降は下落しているが、種類によっては現在も10年夏比で7~8倍と高い水準にある。JOGMECの廣川満哉・金属企画調査部調査課長は「中国以外からの調達と代替品開発は不可欠」と話す。 希土類の代替品開発は“中国リスク”を減らすため、今後も部品開発に拍車がかかりそうだ。(井田通人)1/18レアアース不要のEVモーターが登場より 電気自動車(EV)の最新技術などを紹介する展示会「オートモーティブワールド2012」が18日、東京都江東区の東京ビッグサイトで開幕した。中国がレアアース(希土類)の輸出規制を強化していることから、レアアースを使わないEVなどの駆動用モーターや各種EVに注目が集まった。会期は20日まで。 日本電産が会場で初公開したレアアースを使わない新型モーター「SRモーター」は、通常のモーターと違って駆動軸の周りに永久磁石がなく、その代わりに電磁石を使うことで回転させる。通常のモーターよりもコストが安く、効率も高いという。 これらの最新技術のほか、米テスラモーターズのスポーツEV「テスラロードスタースポーツ」や8輪駆動のEVバスなど、最新のEVも各種展示され、来場者の関心を引いていた。1/18中国のレアアース資源、あと20年で枯渇…商務部官僚が釈明より レアアースの輸出制限について国外から指摘や批判を受けている中国で、商務部の官僚が「現有のレアアース資源は15~20年しかもたず、輸入の必要が出てくるかもしれない」とコメントした。中国網が伝えた。 これは商務部対外貿易司工業品処の晁寧処長が17日に行われた中国国際プラチナ総会で述べたもの。晁氏によると、中国国内のレアアース貯蔵量は1996年から2009年の13年間で37%減少して2700万トンしか残っておらず、現在の生産速度から考えると向こう15~20年で底をついてしまうため、輸入の必要性が生じるという。 晁氏は「中国は世界での唯一のレアアース資源保有国ではないにもかかわらず数十年間に渡って世界で流通する多くのレアアースを供給してきた。その結果、自身の天然資源損失や環境破壊というツケが回ってきた」とコメント、輸出制限が資源保護に起因することを強調した。 記事は、中国への依存から脱却して世界の各地からレアアース資源を求めようとする日本や韓国の動きも合わせて紹介した。12/29中国レアアース輸出、さらに厳格化より 28日付の中国各紙によると、中国商務省はレアアース(希土類)輸出枠で2012年から軽希土類と中重希土類を分類し、別枠で管理する方針を決めた。ハイブリッド車やエアコンのモーターなどの製造に不可欠な中重希土類は、資源分布の多くが中国に集中している。中国には中重希土類の輸出量を規制する狙いがありそうで、日本企業の材料調達が困難になる恐れもある。 来年1~6月のレアアース輸出枠として同省は、環境保護審査に合格した11社に合計1万546トンを割り当てた。このうち中重希土は1451トン。審査継続中の17社に予備枠として1万4358トン(中重希土1753トン含む)を割り当てた。レアアース全体の輸出枠は合計2万4904トンとなる。同省によると、来年通年の輸出枠は3万1130トンと、今年の3万184トンにほぼ並ぶ。だが関係者によると、中重希土類を別枠管理することで輸出手続きを複雑にするなど、事実上の輸出規制に動く可能性がある。12/22小型家電、輸出規制強化へ…レアメタル国内回収より 携帯電話やデジタルカメラなどレアメタル(希少金属)を含む小型家電製品のリサイクルを巡り、環境省は、レアメタル回収を進めるとともに、海外での不適切な処理を防ぐため、輸出規制を強化する方針を固めた。 来年の通常国会に提出する都市鉱山リサイクル法案(仮称)で、相手国での処理状況を確認することを輸出業者に義務付ける。 新制度では、小型家電を輸出する業者に対し、〈1〉種類や数〈2〉どの施設で処理するのか〈3〉運搬経路――などの提出を求める。規制は税関や警察などと連携して実施し、罰則規定も設ける。 同省によると、小型家電から回収可能とされるレアメタルなどの有用金属は約28万トン(今年度試算)。このうち少なくとも約5万トンは中国などへ輸出されており、金額ベースでは約163億円に上る。 一方、輸出先ではレアメタルを回収する高度な技術がなく、回収しやすい鉄や銅を取り除いた後、そのまま焼却処分されたり、不法投棄されたりして、環境汚染の原因になっている。11/30レアアース使用量50%削減の高性能磁石 三菱商事など3社が新社設立より 三菱商事と大同特殊鋼、米資源会社のモリコープは29日、電気自動車(EV)などに使う高性能磁石「ネオジム焼結磁石」の製造・販売会社を、年内にも岐阜県中津川市に設立すると発表した。総事業費は約100億円で、2013年1月にも操業を開始。レアアース(希土類)の使用量を最大50%削減できる新製法を採用し、レアアースの中国依存からの脱却も図る。 新会社の資本金は42億円。大同が35.5%、三菱商事が34.5%、モリコープが30%を出資する。新工場は中津川市にある大同の工場敷地内に建設し、年間500トンを生産する態勢を早期に整え、エコカー向けの需要急増に対応する。経済産業省もレアアース総合対策補助金などで支援する方針だ。 ネオジム焼結磁石は、従来の磁石を上回る磁力と耐熱性を持つとともに、原料のネオジムやジスプロシウムといったレアアースの使用量が少ない。強力な永久磁石として、エコカーの駆動用モーターやエアコンのコンプレッサー、風力発電機のモーターなどに使われている。 ジスプロシウムはレアアースの中でも希少で、産地が中国に偏在する。新会社は、耐久性を高めるために使うジスプロシウムを大幅に減らせる新製法を導入して、輸出規制を進める中国にレアアースの供給を依存する現状の改善を目指す。 原料のレアアースは、モリコープが米国に保有する鉱山から調達する。製造コストの抑制にもつながる新製法は、ネオジム焼結磁石を発明した工学博士の佐川真人氏からライセンスを取得する。 ネオジム焼結磁石の世界需要は現在、年間5万トン。EVやハイブリッド車(HV)などのエコカーや省エネ家電の普及に伴い、20年後には約6倍の30万トンに拡大すると予想されている。 新会社が生産するネオジム焼結磁石は、欧州の自動車メーカーが13年に発売を予定するエコカー用のモーターに採用される見込み。米国などでも生産を手がけて20年には年産5000トンに拡大し、世界シェア10%の獲得を目指す構えだ。11/24双日、オーストラリア鉱山会社と年間9,000t超のレアアース供給で提携より 双日は11月24日、オーストラリアの鉱山会社であるライナスとレアアースの日本向け供給、ライナスのレアアース拡張プロジェクトに関して、戦略的提携を締結することに基本合意したと発表した。ライナスが手掛けるレアアース開発プロジェクト(豪州西オーストラリア1 件州マウント・ウェルドでの鉱山開発、マレーシアでの分離精錬)は2011年第3四半期より操業を開始する予定。年間1万1,000トンのレアアース1 件の採鉱が見込まれている。今回の提携により、双日を日本における販売代理店とし、同鉱山の操業後10年間にわたりレアアース1 件の年間約9,000トン以上を日本に長期供給する契約の締結に向けた交渉を行う。加えて、日本でのレアアースの最終需要家の開拓を目的した共同マーケティングの実施、ファイナンス組成などについても検討が行われる。同プロジェクトの開発について、石油天然ガス・金属鉱物資源機構への金融支援の要請が行われる予定。・・・とまあ テクノナショナリズムに目覚めた大使はしつこくフォローしております。脱・レアメタルのお勉強(再び)
2012.01.20
コメント(0)
映画「エイリアン1」では、エイリアンの全身像が見えなかったが、それがかえって恐怖心を煽ったように思えた。それと・・・・映画ではチラっと見えたエイリアンの宇宙船の黒っぽいシルエットが不気味でしたね。「人間の感覚とはまったく異質の遺棄された宇宙船のデザイン」と「リドリー・スコットの世界」のなかでポール・M・サモンはそう表現しているが・・・・黒っぽいシルエットで大使も瞬間的にそう感じた。とにかく異星人の作った巨大な構造物が人知を超える存在として・・・恐いのである。そのエイリアン、宇宙船の形はH.R.ギーガーが生み出したのであるが、独特なリアリティが人を惹き付けるのです。いわゆる「恐いもの見たさ」ですね。「エイリアン」と人類の起源を解き明かすSF映画「プロメテウス」予告ムービー公開に宇宙船の映像が出ていました。宇宙船のディテールが鮮明に表れているが、これもまた恐い。ま~、リドリー・スコットとH.R.ギーガーの手になる映像美とでも言うんでしょうか♪リドリー・スコット絡みで怒涛の5回記入となったが・・・大使はしつこいのである。このエントリーも「リドリー・スコットの世界」に収めておきます。なお、宣伝するわけではないが、この映画は6月以降に本邦公開となるようです。
2012.01.20
コメント(0)
暇な大使が、暇にあかせて書き写した「リドリー・スコットの世界」も4回目となり・・・これ以上書くと出版社からクレームがつかないともかぎらないので、これで打ち止めとします。映像派のリドリー・スコットにしても、映画の真髄はやはり脚本だと言っていますが・・・・リドリー・スコットのファンとしては、絵画的センスがあふれる彼の映像が魅力ですね。ともあれ・・・・黄金色の瞳の少年は、地道な努力の末に夢をかなえたようです♪なお、リドリー・スコットについてはリドリー・スコットの世界として左のページにまとめました。「リドリー・スコットの世界」ポール・M・サモン著、扶桑社、2001年刊<黄金色の瞳の少年>p10~13 1977年に世界中に公開された劇場映画第一作の芸術的センスによって、観客の注目を浴びてからずっと、リドリー・スコットの作品はしばしば矛盾した受け止められかたをしてきた。 考察してみよう。《デュエリスト決/闘者》は、男の極端な“名誉”への拘りをつきつめた、美しい映像で構築されたデビュー作だった。ジョセフ・コンラッドの原作のテーマを忠実に追ったことで絶賛され、評論家たちは監督を映像の魔術師ともちあげた。でも、この映画はごく小規模にしか公開されず、収益もほんのわずかだった。 リドリー・スコットのそのあとの二作品は古典となり、のちの多くのSF作品に、視覚的な面と雰囲気作りの面で大きな影響をもたらした。でも公開当時《エイリアン》と《ブレードランナー》の実に革新的な贅肉のない簡潔すぎる物語と、卓越したプロダクション・デザインは、観客と評論家の偏見を呼んでしまったものだ。(中略) でも、スコットに忠実なファンなら、そんな文句はまったく相手にしないだろう。彼は、今度もすぐれた作品を作ってくれるのではないかと、観客の興味を惹きつづけている貴重な監督なのだ。だかあらこそ、“黄金色の瞳”を持つ監督は長いあいだ活躍してこれたのだと見るべきだろう、というのがファンの気持ちである。彼の作品で批判される“スタイルvs物語”の問題点について分析し、さらに、わたしが映像歴史家としての視点から、20年以上にわたるスコット作品を、従来とちがう角度で再検証することも可能なはずだ。そんなわけで本書はまるまる一冊かけて、リドリー・スコット監督の作品を紹介していくものである。いままでの監督人生をかけて、ずっと美の追求にすべてを捧げてきた彼は、全作品にありとあらゆる美術的工夫をこらしつづけてきている人物なのだ。<サウスシールズとRCA>p38~40 徴兵をうける気が変わるきっかけとなったのは、ロンドン王立美術大学(RCA)からの好条件の奨学金がスコットに提示されたせいだった。このロンドンにある一流大学は当時もいまも、イギリスでもっとも有名な美術とデザインに関する大学院施設をもっていた。さらに、スコットも、RCAは活気があってじつに進歩的な大学だという評判を耳にしていた。だから、彼は進学を希望し、58年に入学した。「RCAで三年間にわたる、夢のような日々をすごしたよ」スコットは当時の経験を語った。「第一にグラフィック・デザイナーを専攻した。しかし、RCAがずばぬけて素敵だったのは、ほかの学部の教室をうろついたり授業に参加してもいいと、寛大な措置をとっていたところだ。だから、彫刻を彫ったり、写真を撮ったり、工業デザインの授業をうけたりした。こっちでちょこっと、あっちでちょこっと、という具合にね。RCAは信じられないくらい刺激的で、文句なしの環境だった」 RCAに在学中、幼年期からずっと興味があった絵画の勉強をつづけた。おもしろいことに、監督はいまも絵画をみずから描いているといい、こう説明した。「絵の能力は、映画の製作工程においてとても重要なんだ。二時間にわたる有意義なストーリーについての会議よりも、一枚のスケッチのほうがはるかに役にたつ場合があるからね」「RCAで学生生活にもどった当時、ぼくはグラフィック・デザイン学科の教職免許を持っていたが、自分は教師になるつもりはないと心に決めた。だって、その時点では、テレビはイングランドでもどんどん行き渡っていて、ぼくはメディアのためのセットを作りたいという思いにかられていたからな。だから、RCAの最後の年、もう二科目を追加で取った。ひとつは、セット・デザインだったが、当時は舞台デザインと呼ばれていた。この科目は、ジョージ・ハスラムというとてもおもしろい講師が受け持っていて、彼は舞台とテレビのデザイナーとしてメディアの実務にもついていた。その方面でも良い仕事をしていて、当時のテレビ業界の最前線で活躍していた。ジョージはぼくら学生を劇場やテレビの現場につれていって、戯曲や脚本の読み方の基礎を教えてくれた。 この科目は一日も欠かさず出席した。こういった科目のおかげで、当時のぼくのような人間には、少なくともまだとても謎めいて見えていた、テレビや映画の業界に親しむことができた。現場の技術史向けのものを別にすれば、60年代初頭にはまだ、映画専門のイングリッシュ・スクールはできていなかった。だから、ハリウッドの映画産業で働きたいなら、カルフォルニアに生まれるか、映画会社で働く父親のもとに生まれなければならないように思えたものさ」<未来へ>p349~350 さて、最後の質問が残った。いままでずっと映画製作を楽しんできたように思われるスコットは、「映画の中身はおざなりで、スタイルばかり拘りすぎる」監督だと非難されてきた点について、どう思っているのだろうか? 現代の映画産業のなかでもっとも誇り高きスタイリストは、躊躇せずにこの嫌な質問に即答してくれた。それは、ひろく伝わる彼の映像派としての執念とはうらはらに、意外な言葉だった。 「ぼくが映画を作るときにもっとも重要視している要素は、つねに脚本だ。脚本家の頭のなかにある物語に、希望と不安を感じずにはいられない。 正直な話、映画製作とは撮影現場、衣装、照明、セット、演技、音響といったものがすべて一体化した作業で、すばらしく霊感的、刺激的な体験だ。だからこそ、今までにも言ってきたように、映画を作るというのはとても面白く、ときには夢のような楽しさに満ちたものになる。 もちろん、映画製作はストレスに満ちたものだが、刺激的な作業でもある。もっともうまく段取りを進められれば、そのストレスは人間を活性化させてくれるが、逆に下手をするとストレスで寿命が縮んでしまう。 たとえ短期間であったとしても、スクリーンに上映されることが、完成した映画にとってもっとも重要だ。映画はなんらかの形で、観客を感動させる。面白く、魅力的な内容でなければならないのはもちろん、それにも増して観客をまるで物語のなかにいるかのように作品に没頭させることが重要だ。これがすべてだね。 だからこそ、いつもいちばん気がかりな要素は、やはり脚本だ。映画製作は、つねに物語、いつも物語、すべて物語にかかっている。ほかの要素すべては、それ次第なのだから」
2012.01.19
コメント(0)
「確かシャーリーマクレーンだったと思いますが、アカデミー賞の候補に何度もなって、最後にもらったときに「私がもらって当然だと思う」って言ったそうですが、まあだいたいそういう感じです。4回も落っことされた後ですから、ここらで、断ってやるのが礼儀だと思いますが、私は礼儀を知らないので。」授賞式で、酔っていたとは言え・・・・芥川賞を受賞した田中さんの、高飛車な発言が独特で面白いですね(笑)メディアが「芥川賞の円城・田中さん、職歴・作風が好対照」と伝えているように・・・・私には受賞作品よりも受賞者の経歴のほうが興味深いのです。受賞者の経歴が世相を表しているのでしょう。1/17芥川賞の円城・田中さん、職歴・作風が好対照より第146回芥川賞・直木賞(日本文学振興会主催)の選考会が17日夜、東京・築地の新喜楽で開かれ、芥川賞に、円城塔(とう)さん(39)の「道化師の蝶(ちょう)」(「群像」2011年7月号)、田中慎弥さん(39)の「共喰(ともぐ)い」(「すばる」同10月号)、直木賞に葉室麟(りん)さん(60)の「蜩(ひぐらし)ノ記」(祥伝社)が決まった。 芥川賞は理論物理で東大博士課程を修了した円城さん、高校卒業後、職歴のない田中さんの対照的なダブル受賞となった。 円城さんは札幌市出身。東北大、東大大学院を経た後、任期制の研究者生活に。「次の仕事が見つからず、食べるために」小説を書き始め、3度目の候補で賞に輝いた。 一方、田中さんは山口県下関市生まれ。下関中央工高卒業後、「ほかのことができず」、谷崎潤一郎や三島由紀夫などを読みふけりながら、20歳頃から毎日、あてもなく何かを書き続けた。05年に新人賞を受け、実家で母親と暮らす。今回は5度目の候補だった。 作風も好対照をなす。円城作品は数十の言語を駆使する作家を登場させ、言葉と書く行為を問う実験的小説。題名の「蝶」は、ロシア出身の多言語作家で、蝶の研究者としても知られるナボコフに由来する。 田中作品は、下関と覚しき昭和の末の町が舞台。川や魚の匂いが漂う集落に住む男子高校生を主人公に、暴力的な父親との確執や性への衝動を荒々しく描き出す近代文学的な作風だ。 黒井千次選考委員は「現代的で知的な作品と、いささか古めかしい伝統的な作品という両極のものが芥川賞となった」として、それぞれの作風を評価した。 5度目の直木賞候補で受賞した葉室さんは北九州市生まれ。05年に歴史文学賞を受賞し、作家デビューした。07年に「銀漢(ぎんかん)の賦(ふ)」で松本清張賞を受賞している。受賞作は、切腹する運命にありながら、山中の村で藩史編さんに打ち込む武士の姿を通して、命の尊さを描く時代小説。「これくらいなら、大使でも小説が書ける」と思ったりするが・・・このまえ、伊坂幸太郎の旨さに舌をまいた大使でおます。「ま~、気の利いた会話をたたみかけて小説を紡ぎ出す、伊坂さんのうまさには驚きました。この小説を読むと「暇だから小説でも書いてみるか」という大使の大それた考えは身の程知らずとわかり、撤回することにしました(当然です)」田中慎弥さんのコメントを、ローズさんのブログより引用します。田中さんは石原都知事をけなしたようだが、それで嫌気がさしたのか都知事は芥川賞選考委員を降りるそうです(田中さん あんたは偉い♪) 芥川賞受賞者の田中慎弥さんのコメントが物議をかもしていますが、NHK科学文化さんのブログより、受賞会見をコピーします。 私は個人的に、基本的にこういうタイプは苦手。 以下コピーです。『少年の性と暴力の衝動を描いた「共喰い」で第146回芥川賞の受賞が決まった田中慎弥さん(39)。 昨日の受賞会見では「もらってやる」発言が物議を醸しています。どのような文脈での発言なのか、受賞会見を全文掲載します。司会)田中さんに今の気持ちから一言確かシャーリーマクレーンだったと思いますが、アカデミー賞の候補に何度もなって、最後にもらったときに「私がもらって当然だと思う」って言ったそうですが、まあだいたいそういう感じです。4回も落っことされた後ですから、ここらで、断ってやるのが礼儀だと思いますが、私は礼儀を知らないので。もし断ったと聞いて、気の小さい選考委員が倒れたりなんかしたら都政が混乱しますんで。都知事閣下と東京都民各位のためにもらっといてやる。あの、とっとと終わりましょう。(以下、質疑)Q:東京で書いていない方が受賞しましたがそのことについては?そのことに関しては感想はありません。Q:ほかの受賞された方の作品については。読んでないので分かりません。Q:5回目の候補での受賞となりましたが1回目で受賞するのがそれは一番いいので、5回目というのは間抜けです。終わりましょうよ、もう・・。Q:田中さんは20歳のころから・・・それは、きのうもほかのところでしゃべったので面倒くさいんだけど。いい、いい、終わり。Q:今まで働いたことがないことが話題になっていますが、仕事の見つからない若者に何かメッセージを。それは人によって状況違うので、私が言えることはありません。私は、本を読んで、小説を書いて作家になっただけです。Q:携帯をお持ちでないと聞いていますがどのようにして受賞の連絡を。都内の飲み屋で待っていて、プリペイド式の携帯を編集者が持っていて、それでです。Q:受賞したという連絡はどなたかにしたのでしょうか母です。Q:お母様は何と言ったかよかったねおめでとうと言うだけ。Q:受賞が決まったという連絡があったときには何と答えたんですかいや、ちょうだいしますと言うだけです。Q:今後の作家活動に気持ちの変化は。気持ちの変化はない。私は意欲はありません。Q:さしつかえなければどんな気持ちの変化がいや、だから気持ちは変わっていません。Q:下関という生まれ育った町へのイメージを。非常に渇いた町です。Q伝えることが・・・???それは今まで通りだと思います。Q:私がとって当然だという発言あったがその思いは。思いはなくて、当然だから当然。Q:石原都知事に言いたいことがあるのかおじいちゃん新党を作ろうとしているんでしょう。だから新党結成にいそしんでいただければと思います。Q:地元・下関では恩師の方から喜びの声もあがっていますが。それはうそですね。私は教師に嫌われてましたから。本当のうそです。Q:田中さん、きょうは不機嫌に見えるんですが。だからとにかくもうやめましょうよ。円城さんがものすごく丁寧に答えてらっしゃったんで自分はそういう風には出来ないから不機嫌にやっているだけです。Q:お酒を飲まれていますか。ワイン2杯くらい。Q:機嫌が悪いのはなぜだからこれがっ。司会)機嫌が悪いと言うことなので、あと1、2問にしましょうか。Q:人前で話すのが嫌い?こういう場が好きな人間いないでしょう。政治家じゃないんですから。司会)そしたら最後の質問にしましょうか。Q:でも、講演をなさったりはしているが。それはギャラが出るんで。☆森雅裕さん、元気にしてるかな~? 比べるとこの人は強そうだけど、ほんとに強いのかな~?
2012.01.19
コメント(0)
美大を出て、CM制作、美術監督を経て、映画を作り始めたリドリー・スコットは、映画作りを全て一人でやりかねない拘りがあったようですね。映画はやはり、脚本と、それを映像化する監督の強い拘りから生まれるものだろう。リドリー・スコットは《ブレードランナー》の風景にはフェルメールとエドワード・ホッパーを見本に構想したそうだが、明らかに美術的素養があるわけで・・・・・その拘りの映画美術に大使は惚れ込んだのである。「リドリー・スコットの世界」ポール・M・サモン著、扶桑社、2001年刊<聖書の獣>p127~131 政治風刺画家として名をはせ、すでに《スターウォーズ》の“酒場場面”の異星生物たちの造形も手がけていた映画デザイナーのロン・コップもまた、《エイリアン》がめざすコミックブック的方向づけに意欲を燃やしていた。スコットがやってくる前から、コップはオバノンに雇われてデザインにたずさわっていたが、その後もイギリス人監督はアメリカ人アーティストを起用しつづけると決断。《エイリアン》の地球人宇宙船とその内装、さらに作品のなかで描写される地球人文化にまつわるすべてのもののデザインを、彼に依頼した。 しかし、人間用宇宙服や衣類について、スコットは、はじめて感銘をうけた「メタル・ユーラン」に作品が掲載されていたフランス人アーティスト、メビウスのデザインにすべきだと強固に主張。さらに、製作立上げ段階での美術工房の要員として、かってスコットの大量のコマーシャル映像制作に協力していたRSA出身のマイクル・セイモアを任命。イギリス人のセイモアは、作品のプロダクション・デザイナーとしてスコットとともに、コッブやメビウスのデザインを一体感のあるものにすりあわせた。 以上のメンバーがそろいながらも、スコットのもとにはデザイン上の未解決の問題が残っていた。題名になっている“エイリアン”自体と、さらに成体になるまでに三段階にわたって変化しつづける姿を、誰に創造してもらえばいいのだろう?「“怪物”が登場する映画のもっとも厄介な点は、いまいましいそれをどんな姿にするかの判断がつけにくいことだ。スタート段階から《エイリアン》の怪物をどうするか決めるのは、とても大変だとわかっていたよ。ぼくがほかの映画で観てきた“怪物たち”は、みな、なんともみすぼらしい代物ばかりだったからな。その結果、従来のSF怪物映画とはひと味ちがう、ぼくらならではの怪物を造形してくれる人物を探さなければならなかった。そして、H・R・ギーガーがやってきた。彼はスイスの卓越した画家で彫刻家。さらに超現実主義者であり、じつに高い技術を持っていた。なのに、なぜかグロテスクなイメージにこだわっていた。ギーガーは、彼がみずから“バイオメカニックス(生体機械)”と命名した、有機生命体と機械装置とを融合させた注目すべきスタイルの考案者だった。 ともかく、ある日ダン・オバノンがぼくにギーガーの画集『ネクロノミコン』をくれたので、そのページに目をとおしはじめて、あやうく机からころげ落ちそうになった。画集には、恐ろしくて、じつにユニークな生物が、独特の筆づかいで描かれていたからだ。それを目にするなり、『やったぞ、これで決まりだ!これこそ、われわれの怪物だ』と叫んだ。それですべては決まった。生まれてこのかた、あんな経験はほかにない」 スコットが参照したのは『ネクロノミコン4』という絵だった。これには、幻想的な手法で頭蓋骨が引き伸ばされた半分人間、半分爬虫類状の生物が描かれている。長くのびたパンのような頭蓋骨は、まるで巨大な灰色のペニスそっくりだ。類似は偶然によるものではなく、以前からギーガーはしばしば、自分の作品に性的イメージを投影していたのである。この陰茎の象徴化と巨大化が意味していたものを、リドリー・スコットは《エイリアン》全体の美的な基調に巧妙な手法で取りこんでおり、圧巻である。 たとえば、小型の甲殻類/蜘蛛もどきのには、二個の特大の睾丸としか呼びようのない肺がそなわっている。また、宇宙飛行士たちが遺棄された異星の宇宙船に入る時にくぐる巨大な卵型の門は、4m50cmの女性器のようではないか。《エイリアン》の性的象徴を投影する手法は、造形だけでなく暗喩や隠喩のかたちでも作品全体に凝らされている。フェイスハガーが攻撃的な態度で獲物の口をレイプし宿主に子を“受精させる”場面から、体内で急速に成長したあげく、牙を密生させた長く硬直した一物となり、いかにも男根そっくりの頭を宿主の胸からつきだし、最後には文字通り相手を貫通して殺してしまうところなどが、その性的イメージにあたる。 以上のような経緯により、スコットはデザインに熱中。H・R・ギーガーはブランディワインに雇われ、怪物の成体だけでなく、卵、の具体化も請け負った。さらに、惑星表面や異界の光景と、人間の感覚とはまったく異質の遺棄された宇宙船のデザインも、彼に依頼された。結局、ギーガーはこの映画のために何ヶ月もの時間をさき、のちに撮影現場で、屈強なイギリス人スタントマンのエディ・パウエルと、身長2m50cmのナイジェリア人画学生ホラジ・バデジョの二人がそれをまとって、映画の驚異的な生物を演じることになある。実寸大の怪物の成体着ぐるみを造型するために、シェパートン・スタジオ内にある、特別防音スタジオでの実作業にも参加したという。「ときどきスタッフは、製作仲間を恐がらせるために、ギーガーが実物大の怪物の彫刻に本物の人間の骸骨を塗りこめているぞ、と話しあっていたよ」とスコットは述懐する。「でも、彼らは間違っていたのだ。ギーガーは、自分の作品の現実味を高めるために、怪物だけでなく映画に使われたさまざまな品々に、本物の人骨や動物の骨を塗りこんでいたのだよ。ギーガーの作品には、彼の病んだ幻想にもとずく現実を越えたリアリティがあると知ったとき、いちばんぞっとした。このリアリズムこそが、ギーガーの作品を力強く、ただの幻想だけに終わらない芸術に昇華させているのだ」この本を紹介していたら切りがないので、いったんこれで切り上げることにします。「エイリアン」と人類の起源を解き明かすSF映画「プロメテウス」予告ムービー公開とのこと、楽しみですね。
2012.01.18
コメント(0)
美大を出て、CM制作、美術監督を経て、映画を作り始めたリドリー・スコットは、映画作りを全て一人でやりかねない拘りがあったようですね。映画はやはり、脚本と、それを映像化する監督の強い拘りから生まれるものだろう。リドリー・スコットは《ブレードランナー》の風景にはフェルメールとエドワード・ホッパーを見本に構想したそうだが、明らかに美術的素養があるわけで・・・・・その拘りの映画美術に大使は惚れ込んだのである。「リドリー・スコットの世界」ポール・M・サモン著、扶桑社、2001年刊<ヘビィ・メタル・メトロポリス>p149~169 とはいうものの《エイリアン》のあとでSF映画を撮る気はまったくなかった―「なによりも出来の良い物語であること。また、同じような作業のくり返しは大嫌いなので、新しいジャンルに誘ってくれそうな、製作可能な企画を率先して探していた」という―でも、彼の興味を惹いた次の脚本も、やはりSF映画だった。題名は《デンジャラス・デイズ》。未来の大都市を舞台に、この世に飽きあきしていた刑事リック・デッカードが、凶悪なアンドロイドたちを追跡して抹殺するという味気ない仕事を負わされる物語だった。アンドロイドは人間を完璧に模倣した擬似人間で、寿命はごく短く設定されていた。 偏執的なSFの名手フィリップ・K・ディックの長編小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』が《デンジャラス・デイズ》の原作だった。脚色は、元MGM専属俳優でテレビ・タレントでもあるハンプトン・ファンチャーが担当。「じつのところ、ハンプトンの脚本の出来栄えはなかなかのものでね、物語に描かれていた『人間とはなにか』という道徳的テーマに興味を感じた」とスコットは述懐する。「もっとも奇抜なのは、この世界ではおおぴらに殺人が認めれているという設定だった。さらに、合成生物として誕生し人類よりも優秀なアンドロイドの、どこが人間とちがうのかという主張も。また、脚本の持つ映像的な要素にも魅了された。《デンジャラス・デイズ》は、ノワール映画とSF調警察ドラマの異種交配からなりたっていたが、さらにもっと多くのものが混ぜあわせられるように思った。ぼくが呼ぶところの“接ぎ木”をほどこせる可能性が、この物語にはあったんだ。細部まで凝った建築物によって、想像上の世界をまるまる映像化できるのではないかとね」 皮肉にも、一年前にまだ題名が《アンドロイド》だった時点で、すでに監督は一度、同じこの台本を見送っていた。彼は《デューン砂の惑星》企画と契約をむすんでいて、さらに《エイリアン》のあとですぐにまたSF映画を撮るのはいやだと言って、そのときは拒否したのだった。しかし、スコットの仲間だったアイヴァー・パウウェルは《アンドロイド》の脚本を読んで興奮、ファンチャーの脚本を実行可能な企画の棚に残しつづけていたのである。題名が変更された《アンドロイド》はふたたび高名なプロデューサー、《ディア・ハンター》《コンボイ》のマイケル・ディリーにより、内容はそのままの《デンジャラス・デイズ》として、スコットにふたたび提示され、監督はこれを読み返して「斬新なデザインを画面に描ける可能性のある、なみはずれた脚本だ」と宣言。SFはやりたくないという、以前の方針を転換した。 1980年2月21日、スコットは―いまいちど題名が《ブレードランナー》と変更されたこの企画の―監督契約を結んだ。ところが、まだスタートしたばかりの企画だというのに、製作プロダクションはヨブの苦難のような不幸の集中砲火を浴びはじめていた。 最初、《ブレードランナー》は、ドライブイン・シアター用のクズ映画と、ロジャー・コーマン監督の古典映画の管理会社として知られながら解散したばかりの、アメリカン・インターナショナル・ピクチャーズ社の残骸を吸収し、再建して誕生した中規模のフィルムウェイズ社による、そこそこの予算1300万ドルを投じた作品として準備されていた。ところが1980年12月、新作が連続して大コケしたあげく苦境に立たされたフィルムウェイズ社は、当初予定していた撮影開始のほんの1ヶ月前だというのに、製作予定を白紙にもどしてしまったのだ。 かってテレビドラマ《わんぱくフリッパー》の主人公を演じていたブライアン・ケリーとともにこの作品の製作総指揮を担っていた、本来の脚本家ハンプトン・ファンチャーも、スコットと意見がこじれ、新たに《許されざる者》の脚本家デヴィッド・ピープルズが改稿のためにやってくる。原作者フィリップ・K・ディックが公の場で、不愉快そうな口調で『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の脚色について文句をつけたからだ。「わたしはファンチャーの書いた二通りの脚本に目を通したが、どちらも製作会社フィルムウェイズ社の手垢にまみれたひどいものだった。感傷的で、最初から最後までぎごちない内容だったよ」と。 スコットとプロダクションは最初の大雨にさらされたわけだが、1980年の末に《ブレードランナー》の予算約2800万ドルを、アメリカのテレビ/映画製作プロダクションのタンデム・プロダクションズの三社との契約によって、ようやく調達した。 撮影スケジュールは、1981年の3月9日から約16週間と予定しなおされ、バーバンクにあるワーナー・スタジオの野外撮影用地でほとんどを撮ることになった。 スコットはこの空間をめいっぱい使い、2019年の人口が密集したロサンジェルスの風景を構築するつもりだった。想像上の街はひっきりなしに降り続ける酸性雨にけぶり、作り物とは思えない密集した町並みがひろがる世界。フリッツ・ラング監督の《メトロポリス》―《ブレードランナー》の最終的な印象はこの映画に影響されていっる。と監督は1981年当時に教えてくれた―(に登場した、天までそびえ眩暈をさそうゴシック調の高層建築や、似た雰囲気の薄暗い眺望に埋めつくされた世界になるはずだった。さらに監督は、2019年のロサンジェルスはアジア人に占められているという、社会学的な未来予測を作品につけ加えようとした)―1981年当時、この設定は論理的に正しかった。世界経済における日本のうなぎのぼりの急成長と、ほかのアジア系人種のアメリカへの流入があったためだ。しかし、時代の変遷とともに、いまやラテン系人種の人口がアジア系を押しのけてトップに立ってしまっている。 これまでスコットは、《デュエリスト/決闘者》ではジョルジュ・ド・ラトゥール、《エイリアン》ではH・R・ギーガーとロン・コッブを美術面で起用してきた。彼はふたたび、完璧で文句のつけようがない魅力的な21世紀のロサンジェルスを構築するためのインスピレーションを与えてくれる者はいないかと、古今東西の芸術家ったちを検索しはじめた。 最初に見つけたのは、またしても、映像的刺激に満ちていたヘヴィ・メタルだった。さらに、まったく異質なオランダ人芸術家フェルメールと、20世紀中期の芸術家エドワード・ホッパーを《ブレードランナー》の一連の映像の見本に選んだ。プロダクション全体にとってもっと重要なきっかけは、「未来の技術をよく考察している」アーティスト、シド・ミードのまるで写真のように精密なイラストを集めた画集『センチネル』を、スコットが見つけた時にやってきた。 ミードは、フォード・モーターやフィリップ・エレクトロニクスの商業広告アーティストとしてデビュー。なかでも乗用車や、輸送業全域にわたるさまざまな車両のデザインを得意としていた。「実現可能な、先進的なデザインを描いているのです」と『メイキング・オブ・ブレードランナー』の中でミードは語り、さらに「そして、思い浮かべたものを疵ひとつない具体的な映像にしあげることもできる・・・・言いかえれば、わたしは独自の箱庭世界と、そこを走る車両を想像し、未来環境のなかに具体的に機能する形で実現させようとしているのですよ」とも言っていた。(中略) 監督は考えぬいたあげく、ギリシャ生まれのシンセサイザー音楽作曲家バンゲリス(《炎のランナー》)に映画音楽を依頼した。スコットは語る。「音楽は、ぼくの映画におけるもっとも重要な要素のひとつだといつも思っている。なんとも不思議な話に聞こえるかもしれないが、音楽は映像的な要素をもつメディアなのだ。ぼくはメロディに触発され、じつに多くの映像を夢想してきた。だからこそ、適切な音楽を文句の無い映画に加えてやれば、作品の出来は飛躍的にあがる。さらに時として映画音楽は、監督がつけ加えられずにいた要素をおぎなってくれる。または、さらにひとつ上の次元に、監督を引き上げてくれると表現してもいいだろう。バンゲリスが《ブレードランナー》に書いた音楽は、まさにこれにあたった」(中略) ハリウッドの大手映画会社の内部の複雑な縦割り構造のなかで企画が二転三転するたびに、さらに刺激を増しながら。たぶんこの物語には疵があるし、(時おり)いいかげんでケチをつけられてもしかたのない部分も垣間見えるだろう。でも、スコットの想像力の王冠にはめこまれた実に輝かしい宝石のひとつなのは確かだ。これは、怯むことのない想像力と、その強烈なイメージにもとづく洗練されたアプローチが、現代SF映画のスタイルを一変させた。映画界における画期的事件だと見てまちがいないだろう。 以上のように、1982年後半、リドリー・スコットは監督キャリアのなかで最も過酷な製作体験を、苦しみながらくぐり抜けた。ある意味、大ヒットによって利益をあげ、周囲から賞賛と祝福の嵐をうけた《エイリアン》は、商業的に大損害をもたらした《ブレードランナー》に比べると、薄ぼけた幽霊のようにも見える。
2012.01.18
コメント(0)
美大を出て、CM制作、美術監督を経て、映画を作り始めたリドリー・スコットは、映画作りを全て一人でやりかねない拘りがあったようですね。映画はやはり、脚本と、それを映像化する監督の強い拘りから生まれるものだろう。リドリー・スコットは《ブレードランナー》の風景にはフェルメールとエドワード・ホッパーを見本に構想したそうだが、明らかに美術的素養があるわけで・・・・・その拘りの映画美術に大使は惚れ込んだのである。「リドリー・スコットの世界」という本からリドリー・スコットの拘りを紹介します。なお、「ブレードランナー」については、追って紹介とします。「リドリー・スコットの世界」ポール・M・サモン著、扶桑社、2001年刊<女ふたりにサンダーバード・コンバーチブル>p222~252《テルマ&ルイーズ》の脚本家カリー・クオーリは、テキサス州サンアントニオに生まれた。パードゥ大学で演技戯曲学科を専攻したのち、ロサンジェルスに転居、ここで正式の演技指導をうけた。やがてロサンジェルスで人気上昇中のMTV制作工房だったプロパガンダ・フィルムズ社に入社。ロック・ビデオを制作したのち、脚本家に転向した。 クオーリはある夜、家の外に停めていた車の中で《テルマ&ルイーズ》の原案を思いついた。まったく違う生き方を夢見ていた女が、些細なことがきっかけで、今までのつまらない暮らしを投げだすことになるってアイデアはどうかしら?レイプされたのがきっかけで、主人公の女は相手を殺してしまうという冒頭の設定を思いついた彼女は、それを二人組の女が活躍するシリアスかつコミカルなロードムービーにふくらませた。(中略) 全体的にはコメディにもっとも比重が置かれているように見えるものの、部分的には寓話で、またロードムービーでもあり、さらに社会批判ドラマや女コンビの道中ものの要素もある《テルマ&ルイーズ》。その悪党ものドラマとしての外見は、狙っていた内容のつけたしのようなものにすぎない。コミカルな逃亡劇の皮をはげば、実は女性は生まれながらに弱い立場にあって泣き寝入りするしかないのだという、一連の社会批判をまとめた作品だったことが見えてくるだろう。(中略) ミミ・ポークが問題の脚本をスコットにまわすと、彼はそれが自分の求めていた要素をすべて満たしている作品だと納得した。「カリー・クオーリの脚本は、実によく作りこまれていた。構成は文句なしで、物語も良くできていた。ドラマティックで、ユーモアがあって、テーマには少し不思議なセンスがきかせてあった。また、《テルマ&ルイーズ》は現実をとらえた作品でもあった。現実を浮びあがらせている作品は、あまりないからね」 さらにつけ加えてスコットは言う。「男性と女性の人間関係をきわだたせる、カリーの筆さばきがとても気に入ったんだ。この物語は、観賞後も覚えていたいかどうかは別にして、スクリーンを観る客に、自分たちの現実社会がどういうものかを再認識させるだろう。男というものの内面にある要素を8人の男性キャラクターに分割して具体的に描きだし、また、時おり主人公二人がごく普通の女にもどって馬鹿を見るあたりも、なかなかのものだ。男性の要素のほとんどは本人に問題がある。じつに不愉快なものだった。だからといって、ぼくは《テルマ&ルイーズ》をアンチ男性的な、または男性たたきを意図した物語と思っちゃいなかった。だって、そんな作品ではないからね。ぼくはこれを、大勢の女性が耐え忍ばなければいけない社会の現実を、正直に語ってみせた貴重な脚本だと考えたんだ」 意外にも、スコットは脚本に強く惹かれたものの、最初のうちは自分でメガホンを取るつもりはなかったという。(中略) 当初、《テルマ&ルイーズ》のエンディングはもう少し長かったが、あとになって監督は劇場公開版から一部削除した。「最初に決めたエンディングも十分に効果的だった。でも、やがて《テルマ&ルイーズ》の感情的な余韻が、あのラストでは損なわれるような気がしてきた。自由をつかんだまま崖から飛び出していく主人公たちの高潔さが、あとの映像で鈍らされていたんだ。渓谷の底に転落した車が具体的に映ると、やはり逃亡は無理で主人公たちは死んだのか、現実とはこんなもんだなと思って、観客はげんなりしてしまう。だから、オリジナルの結末の一部を削除し、スローモーションで車が空中へ飛び上がっていくところで終わらせた。製作当初からずっと、カリーの脚本の結末には不安を感じていたんだ。ぼくの思いつきではなかったが、とても良くできていると思う。いつも、もっと良くできないかと物語の改良を考えていたからね。だれも、他のオチを思いつかなかったし。ともかく、映画の逃げ場のない現実味はとても良かった。あとで試写会を開いたとき、観客から『何をしてもかまわないが、あのラストだけは変えないでほしい!あれは、ハリウッド調のオチの裏返しだけじゃなくて、じつに適切なエンディングなのだから』という感想をたくさんもらったよ」(中略) 製作プロダクションに近い筋からの情報によると、《テルマ&ルイーズ》はリドリー・スコットの映画製作の方法論を一変させた作品だという。たとえば、監督はこの映画ではじめて、すべての場面を2台のカメラで同時撮影していた。「同一場面で、多彩なアングルの映像を得られるだけでなく、俳優たちの自由で独創性のある演技をそのまま生かす効果もあって、この技術を取り入れたんだ。あれからずっと、複数のカメラを使っている」と彼は説明した。 ここで筆者の個人的意見も述べておこう。いままでリドリー・スコットは、撮影中に他人行儀で不愉快な態度をとると頻繁に批判されてきた。思うにこの非難は、スコットのイギリス人ならではの内気な態度や、撮影現場で緊張感を最大限度まで高め、プロ意識のすべてを発揮しようとしたことが、周囲の誤解を生んだためではないだろうか。「リドリーは、この企画のあいだ、とてもリラックスしていました」と、《テルマ&ルイーズ》の某スタッフも語る。「たぶん、あの女優たちに囲まれていたあおかげでしょう。ほんとのところは、よくわかりませんがね。ただ、《テルマ&ルイーズ》を製作したおかげで、監督のかぶっている殻が少し薄くなったように思います」「いまになって」監督自身が感想を語った。「この映画全体を考えなおしてみると、作品のもっとも根源的なものをつかむのに成功したのだろうな。だからって、僕が得意がると思うかい?僕らはただ、愉快な映画を一本作っただけさ。評価などは二の次だよ。コメディ映画をとても楽しんで作れただけで、そのとき、自分はこういうものもうまく撮れるのだなと気づいたわけだ」
2012.01.17
コメント(0)
村上隆さんがインタビューで「3.11で社会変化、芸術家も動くとき」と説いているので、紹介します。村上隆さんへのインタビュー <世界でトップを取る>(デジタル朝日ではこの記事が見えないので、1/17朝日から転記しました・・・そのうち朝日からお咎めがあるかも)Q:2月のカタールでの個展に向け、東日本大震災後の日本をテーマに、全長100mの「五百羅漢図」を製作中だそうですね。A:日本の歴史を見ても、地震や飢饉、天災が多発したときには、人々が救いを求めて宗教が勃興したり、新たな文化・芸術が生まれたりしてきました。五百羅漢への信仰もそうした苦難のたびに広まり、供養や癒しとして絵や像がつくられてきた。そうやって先人が危機に際して処してきたことを学んで、自分も五百羅漢図を描いてみようと思い立ちました。いわば温故知新です。 縦3m、横1mのキャンバスに描いて、それを100枚つなげて作品にします。約100人のスタッフに指示をだしながら制作しています。カタール政府が日本との国交樹立40周年の記念イベントとして首都ドーハで僕の大規模な個展を2月9日から開催してくれるので、そこに展示します。観光立国を目指すカタールには、世界中から人が集まる。3.11のメモリアルな作品として、一人でも多くの人に見てほしい。Q:今、日本のアニメやマンガは「クール・ジャパン」として海外で評判です。村上さんは、その旗手とも見られているようですね。A:「クール・ジャパン」なんて外国では誰も言ってません。うそ、流言です。日本人が自尊心を満たすために勝手にでっち上げているだけで、広告会社の公的資金の受け皿としてのキャッチコピーに過ぎない。外国人には背景や文脈のわかりづらい日本のマンガやアニメが少しずつ海外で理解され始めてはいますが、ごく一部のマニアにとどまり、到底ビジネスのレベルに達しておらず、特筆すべきことは何もない。僕は村上隆という一人の芸術家として海外で注目されているのであって、クール・ジャパンとは何の関係もない。Q:では、村上さんの、何が評価されていると思うのですか。A:日本の美術を解析して、世界の人々が「これは日本の美だな」と理解できるように、かみ砕いて作品を作っていることだと思います。僕は、戦後日本に勃興したアニメやオタク文化と、江戸期の伝統的絵画を同じレベルで考えて結びつけ、それを西洋美術史の文脈にマッチするように構築し直して作品化するということを戦略的に細やかにやってきました。それが僕のオリジナリティーです。Q:それでも、日本政府は「クール・ジャパン」のアニメや玩具、ファッションなどを売り出そうとしています。A:それは、広告会社など一部の人間の金儲けになるだけ。アーティストには還元されませんし、税金の無駄遣いです。今やアニメやゲームなどの業界は、他国にシェアを奪われて、統合合併が相次ぎ、惨憺たる状態。クリエーターの報酬もきわめて低いうえ、作業を海外に下請けに出すから、人材も育たない。地盤沈下まっただ中です。Q:そうした中で、日本の文化を世界に発信するには、何が必要なんでしょう。A:著作権の整備です。日本のコンテンツが海外で売れても、利益はわずかなのが現状です。映像化権などさまざまな権利も海外に取得されてしまい、日本側の収益につながらない。そんな状態で、クール・ジャパンなどと浮かれていていいものか。もっとアーティストに利益が還元されるように、著作権をはじめとする法制度の整備が急務です。それなのに、日本国政府はビジネスの現状も知らず、国際的な著作権の動向に関してはアメリカに主導権を握られてしまい、右往左往して何も有効な手が打てない。Q:欧米のほうが、芸術活動をする環境としては、日本より優れている、とA:そうは言いませんが、欧米は、美術館の学芸員らの人材が豊富で、作品をきちんと評価し、価値付けできるメソッドがある。審美眼を備えて信頼するに足るアート市場もある。意地悪なジャーナリズムもよく勉強していて対抗しがいもある。一方、日本は美術館はたくさんあるだけ。ジャーナリズムは印象批評に偏っており、マーケットを蔑視している。オークション会社にしても、贋作をカタログに載せていたりする。 日本の場合、教育に目を向けても、美術大学は無根拠な自由ばかりを尊重して、学生に何らの方向性も示さない。芸術には鍛錬や修業が必要なのに、その指導もできない。少子化や国立大学の法人化で、学生がお客さんになってしまい、教師は学生に迎合している。お陰で、あいさつさえまともにできず、独りよがりの稚拙な作品しかつくれない学生ばかりが世に送り出される。先鋭的なものは何も生まれてこない。だから、世界に出て行って通用する芸術家が日本にはほとんどいないんです。Q:それでも、日本で独自に発展を遂げたものもあるでしょう。たとえばマンガやアニメとか。A:第2次世界大戦でアメリカに原爆を投下され敗戦した日本は、国家としての主体性を持たないまま、アメリカ依存のもとで、平和な日常を送ることができた。そんな状況の中から生まれてきたのがサブカルチャーやオタク文化なんです。あだ花のような文化です。 あだ花を大輪に育てるには仕組みが必要なのに、そこへの興味も無いし、労力も惜しむ。僕は世界でどうやってトップを取るかに集中しています。日本人はゴルフでもテニスでも世界一を取れない。なぜか。国内でそこそこ楽してやっていけるから安心しちゃっている。地方自治体が街おこしにアートを利用するから、アーティストも結構楽にやっていけるので、海外に目が向かないし、無根拠にもの作りを推奨しすぎる。ぬるい。Q:その一方で、震災被災者を支援するチャリティーオークションを開いたり、原発を止めるよう呼びかけたりもしていますねA:3.11を経て、以前のように楽して生きられない状況になった。主体性を持って、社会を変えていかなければならない。一芸術家としても行動を起こすべきだと考えます。 原発事故による放射能汚染で、日本の国土の中に、人が立ち入ることができない土地が出現してしまった。政府はそこに自衛隊などを行かせて、被爆させながら徐染と称して政治的にアピールする。放射能汚染はいまだに各地に広がり続けています。それなのに野田首相は原発事故の収束を宣言し、安全だと言い張る。それはうそです。危険性はわかっているはずなのに、政府はうそを言い、メディアはそのまま報道する。僕はアーティストですから、しがらみもなく、国際社会で言い続けます。そういう活動家になる。Q:活動家、ですか。A:僕には宮崎駿さんら何人かの尊敬する芸術家がいて、その遺伝子を受け継いでいるつもりです。彼らは自分の作品が世間に認められたくて仕事をしているんじゃなない。本当に世の中を変えたくてやっているんですよ。ただ絵を描いたり、彫刻を作ったりするだけですけど、そうした活動を通して人々を目覚めさせるのが、僕ら芸術家の仕事なんです。 でも、普通に考えれば、芸術ごときで世の中は変わらない。芸術なんて、この現代社会の中では無能、無意味です。だけど、やり続けるしかない。僕らがもだえ苦しみながら活動している姿を見て、鼓舞され、勇気づけられる人たちが絶対にいるはずだからです。<取材を終えて> 「思いの丈を全身全霊で作品に表現している」。五百羅漢図に取り組む村上さんは、倉庫を改造した巨大なアトリエ狭しと駆け回っていた。政府の震災対応や日本のアート状況に対し、憤りも口にした。怒りをエネルギーにするかのようにブルドーザーのごとく前へ前へと進む。熱く、圧力さえ感じさせる生き方に圧倒された。(聞き手:池田洋一郎)政府や役人が絡んでくると、業界を育てるよりは、業界におんぶする傾向が強いけど・・・・美術界にいきる村上さんも、その傾向を強く批判しています。(省益、利権でうごく習性は絶ち難いようですね)それから未整備の著作権、美大の教育、学生の質、箱物美術館、アート市場等に対して、当り散らしのように批判しています。(概ね、お説ごもっともですね)たまたま、村上隆Twitterを見つけたので、さきほどリツィートしたところです。(リツィートはTwitterランキング投票みたいなものかな?)
2012.01.17
コメント(0)
「麦の穂をゆらす風」を、昨日のスタイルで紹介します。【麦の穂をゆらす風】ケン・ローチ監督、H23.12.26観賞<大使寸評>アイルランドの悲哀や、思想を貫くとはどういうことか考えさせられます。goo映画麦の穂をゆらす風よりしかし講和条約は依然としてイギリスに都合のいいものだった。アイルランドの中で条約に賛成する者と反対する者に分かれて対立が始まった。それはやがてアイルランド人同志が戦う内戦へと向かってしまう。条約に賛成する兄・テディは政府軍へ、完全な自由を求めて条約に反対する弟・デミアンは再びゲリラ活動へ。アイルランドには行ったことはないが、妖精の住む国であり・・・・ジョン・ウェインやケネディ家のルーツでもある貧乏な国というイメージがあるのです。でもアイルランドの近代史は過酷であり、この映画では共和国誕生時の内部対立など描かれていて、重いものがあります。死を賭けて、思想を貫くとはどういうことか?政治や暴力を嫌っていた弟はロンドンで医学を学ぶ夢をもっていたが・・・・レジスタントに加入後には、次第に思想性を深めていくのです。銃殺の前に兄が説得するが・・・・それを妥協としてしか捉えられない思想というものについて考えさせられるのです。思想を嫌った司馬遼太郎についてもつい思いおこすが・・・・思想についてケン・ローチ監督はどう思っているんでしょうね。それはそうと、ケルトの旋律がいいですね・・・・それと、アイリッシュパブで飲むギネスがたまりません♪wikipediaアイルランド共和軍より 1970年代から1990年代にかけての一般に「北アイルランド紛争」と呼ばれる事態において最重要視される勢力である。IRA暫定派は、1971年に導入された治安当局による一斉拘留(インターンメント)や1972年1月30日にデリー(ロンドンデリー)で発生した「血の日曜日事件」など、「イギリスによるアイルランドへの暴力的抑圧」を背景に人員と規模を拡大させ、プロテスタント系武装組織や北アイルランドに駐留する英軍や北アイルランド警察(警察のほとんどがプロテスタントであった)にゲリラ攻撃を加えた。リアルIRA
2012.01.16
コメント(2)
大学図書館に視聴覚ブースがあり、そこで新旧名画が見られることがわかったので・・・・立て続けに4作見たのです。これで、レンタルビデオ屋で借りる必要はなくなったわけだ。レンタルビデオ屋に置いてない名作が、ここには置いてあるので・・・・まるで宝島を見つけたようなもんやで♪もう1作「麦の穂をゆらす風」も見たのだが・・・これは後ほど紹介します。【空気人形】 是枝裕和監督、H24.1.7観賞<大使寸評>スキャンダラスな題材を詩情溢れる映画にしたのは、監督、キャストの力なんでしょうね。板尾創路さんはお笑い芸人とばかり思っていたけど、いけてるやん♪goo映画空気人形映画『空気人形』是枝裕和監督独占インタビュー【トンマッコルへようこそ】パク・クァンヒョン監督、H24.1.10観賞<大使寸評>童話風でもあり、リアルな民族内対立も描いているが・・・・やっぱり、民族としてはアメリカに抗うことになるのか。goo映画で、宮崎駿の影響があると言っていた。 goo映画トンマッコルへようこそ【僕の村は戦場だった】アンドレイ・タルコフスキー監督、H24.1.12観賞観賞 <大使寸評>久々に白黒映像を見たが、その映像は「羅生門」を彷彿とさせる。 戦死者写真の中にイワンの写真を見つける最終シーンには、「禁じられた遊び」のような 悲しい余韻が残る。goo映画僕の村は戦場だったオショーネシーの僕の村は戦場だった【ダーウィンの悪魔】 フーベルト・ザウパー監督、H24.1.14観賞 <大使寸評>長編ドキュメンタリーを久々に見た。ナイルパーチの肉をジャンボ輸送機アントノフでピストン輸送している現実が、新自由主義なんだろう。「ナイロビの蜂」と「ロード・オブ・ウォー」が連想されるドキュメンタリー映画であった。「鳩の目日記」のダーウィンの悪夢
2012.01.15
コメント(2)
13日深夜にNHKスペシャル「日本復興のために」の再放送を見たのだが・・・・(今回は居眠りせずに最後まで見たのです)1/9日本復興のためにより新しい年を迎える東日本大震災の被災地。しかし、復興は遅々として進んでいない。高台移転など、住民の住居の整備。地場産業を中心にした産業復興と雇用の問題。そして、それらに必要な資金のきめ細かい分配の実現・・・。政府はようやく3次補正予算を決めたが、課題山積のまま被災地の苦悩は続いている。なぜ復興は進まないのか。そこには、日本が近代国家を作り上げてきた歴史の中で、大きな課題となってきた「中央と地方」のカネ、情報、人材、などのやりとりという根源的問題が存在している。どうすれば復興は進むのか。被災地に関わる識者たちが、被災地の現状を見つめ、それぞれの歴史研究や自らの体験などを交えながら、検証・提言していく。復興補助金は5省40事業にわたって給付されるが、いわゆる紐付き補助金である。「国交省から計画書を明日出せと・・・」宮古市の財務担当者への電話取次ぎの生々しいシーンが映っている。宮古市は被災直後に10億円援助を打ち出した。最終的には震災復興費600億の74%を補助金で賄う計画になっているようです。このあと、補助金のからくりなどの説明があったのだが・・・申請により補助金支給対象になったとしても、補助金は計画事業終了後に支給されるので・・・・計画事業は借金で施行する必要があるんですね。気仙沼市の地場産業の場合はサプライチェーン型企業の救済を優先し、零細な水産業の場合はグループ申請のみ補助対象になるそうです。おりしも岩手・大槌町漁協が経営破綻10億円の債務超過とのニュースにあるように、復旧もままならない水産業には冷たい仕打ちである。東松島市の高台移転は5年ほどかかるそうだが・・・・旧自宅の国の評価額が未定であれば高台買取費の算段も未定ということになるようです。老夫婦は自宅の仮修理に着手したが、生きている間に住む家を確保することを選んだのかも。吉浜地区では明治の高台移転で、昭和8年の津波では人的被害を最小限にとどめた。迅速な財政的手当てが、明治にはできていて、今できないということは・・・・煩雑な行政が邪魔をしているわけで、行政は退化したと言われかねない有様である。昭和10年の東北振興事業では防災より工業化を優先(特に電源開発)することに変ってゆき・・・東北振電が小水力を統合していったようです。また、岩手県の三好某?が昭和6年の論文で自治体裁量の交付金を提唱し・・・・昭和15年に交付金が制度化されたそうです。震災復興のどさくさに紛れるように八ツ場ダムの本体着工を画策する国交省であるが・・・・国交省に復興財源をわたしてはダメ!被災地に回る金が滞り、地方整備局とかの焼け太りが進むだけである。平成の関東軍と称される国交省に財源を渡したら・・・・目を離すと血も涙もない紐付き補助金になりかねないのです。八ツ場ダム調査業務など、天下り法人が52%受注・・・・これを焼け太りという。
2012.01.14
コメント(0)
楽天ブログのリニューアルがあったようですね。予告にあったとおり、12日のお昼頃にブックマーク機能とメール機能がなくなったのです。でもね、リニューアルに備えて準備バッチリだったので、ほぼ被害なしでのりきったのです♪古いブックマークは、サイド自由欄に緊急避難していたので、ほぼ健在です。コメント機能とフリーページ機能は残っているし、さしあたって不満はないのです。これから、ぼちぼちと古いブックマークを整理して再出発だぜ!2/9に旧プロフィール機能が無くなるということで・・・・ついでに、プロフィールの変更とブログ連携を設定しました。プロフィール画像は、とりあえずレオナール・フジタの猫にしておこう♪楽天プロフィールの使い方(楽しみ方)よりポイントとしては、大きく3つです1.画像や基本情報をちゃんと入力する!2.自分と趣味が合いそうだな、興味が近いな、この人おもしろそうだな、という人を積極的にフォローする!フォローしてみよう!と思っても誰をフォローすればいいのか分からない、という方も多いと思います。そんなときはまず、「楽天プロフィールスタッフ」「楽天ブログスタッフ」をフォローしてみてくださいそして、プロフィールスタッフ、ブログスタッフのフォロワーの方々を見てみてください!楽プロを上手に使っていただいている方やたくさん情報発信をしている方を発見することができます。また、画面右上の「ユーザを検索」の検索ボックスからも探すことができます。たとえば猫好きの方は「猫」といれて検索してみてください。ママ友達を探したい方は「ママ」といれて検索してみてください。それぞれ、猫好きの方やママさんユーザーを見つけることができますあとはフォローボタンをポチっと押しましょう。その人のつぶやきに「はじめまして。フォローしました。よろしくお願いします!」などのコメントを残すのも距離が近づく良いきっかけになります。3.4つのコミュニケーション機能(つぶやき、コメント、ナイス、シェア)を使って自分を発信!「SNSは難しそう」「よく分からない」と思っている方も多いかもしれません。でも楽天プロフィールはかんたんです。気ままにつぶやいたり、いいなーと思うつぶやきやコメントには「ナイス!」をしたり、コメントで友達や他のユーザーさんと会話を楽しんだり、これはみんなに伝えたい、ということはシェアボタンをおしてシェアしたり、と、気ままに自分を発信でき、コミュニケーションをとることができます。楽天プロフィールに自分のブログ新着記事一覧を表示させよう 日記更新情報が、楽天プロフィールのつぶやきフィードに自動反映出来ます。自動投稿設定にすると、投稿毎の選択が不要になります(何のこっちゃ?)ブロガー同士のコミュニケーションについては、「楽天プロフィール」との連携をはじめとして、mixi や Twitter 、 Facebook など外部サービスとによる広がりが活発になっている現状を踏まえ、楽天ブログ内だけで機能する両機能はその役割を終えたと考えているそうです(サヨカ)次の問題はブログ写真の引越しであるが、1月下旬よりコピー機能を提供とのことです。容量アップ有料サービスについては、1月末日で新規受付終了となっているので要注意です。(大使は契約済みですが)楽天ブログの写真アップロード機能の変更について より<アルバムサービスは楽天写真館に引き継ぎ、ブログ投稿も可能に>今後、アルバムサービスを利用する場合は、楽天写真館のサービスをご利用いただけるようになります。そのために、1月下旬より、これまで楽天フォトにアップロードしたJPEG画像を楽天写真館にコピーする機能を提供します。ただしGIF形式・PING形式の画像や動画ファイルはコピーすることはできません。GIF形式・PING形式の画像については楽天ブログのフォトアップロード機能をお使いください。<楽天フォトの画像容量アップ(有料)サービスについて>無料で利用できる50MBの容量を20GBまで増やす有料サービスについては、1月末日で新規の受付を終了し、3月末で終了いたします。ついでに、Twitterなるものに登録して・・・・現在フォロー中Twitterが6件あるが、慣れないせいかなんかなじめないのである。
2012.01.13
コメント(4)
関川夏生さんといえば、韓国フリークの大使が『ソウルの練習問題』を読んで以来、気になる作家である。出だしはノンフィクション作家であったが、今では最強の文芸評論家とも言えるのではないだろうか。『坂の上の雲』ブームであるが、司馬遼太郎はこの作品以降の近代史について作品を出すことを断念した。その理由にまで、思いを馳せることが肝心なんですけどね。ということで・・・・司馬遼太郎賞を受賞した関川さんの(最強の)司馬遼太郎評の一部を紹介します。「司馬遼太郎の『かたち』」関川夏生著、文芸春秋、2000年刊<日本は必ずしもアジアでなくともよい>p13~17 第一回の「この国のかたち」では、日本の思想=イデオロギーのありかたについて平明に、しかし含蓄深く論じ、以下のごとくしるして稿は閉じられていた。<ともかくも日本の場合、たとえばヨーロッパや中近東、インド、あるいは中国のように、ひとびとのすべてが思想化されてしまったというような歴史をついにもたなかった。これを幸運といえるのではあるまいか。そのくせ思想へのあこがれがある><要するに、歴世、輸入の第一品目は書物であり続けた。思想とは本来、血肉になって社会化さるべきものである。日本にあってはそれは好まれない。そのくせに思想書を読むのが大好きなのである。こういう奇妙な―得手勝手な―民族が、もしこの島々以外にも地球上に存在するようなら、ぜひ訪ねて行って、その在りようを知りたい> 第二回の原稿は「朱子学の作用」と題され、やはり通常の締切よりも十日ほど早く、翌二月の十日前後に届けられた。そこでは、正義の体系、すなわち<正義を一点設けて、それを論理づけ、ひとびとに実行を強いる体系>朱子学が日本にしみとうらなかったのは幸いであったと書き、こんなふうに続けた。<日本史が、中国や朝鮮の歴史とまったく似ない歴史をたどり始めるのは、鎌倉幕府という、素朴なリアリズムをよりどころにする“百姓”の政権が誕生してからである。私どもはこれを誇りにしたい。 かれらは、京の公家・社寺とはちがい、土着の倫理をもっていた。「名こそ惜しけれ」 はずかしいことをするな、という坂東武者の精神は、その後の日本の非貴族階級につよい影響をあたえ、いまも一部のすがすがしい日本人の中で生きている> 連載第一回で司馬遼太郎は「この国のかたち」を執筆する態度をしめした。そうして第二回には、彼の好きな言葉、嫌いな言葉がくっきりとしるされた。 嫌いなのは、「正義」であった。好きなのは「リアリズム」であった。また、あえて大衆・民衆・人民といった漢字語を用いず、「ひとびと」としるした。これも司馬遼太郎の好みである。文中の百姓は「ひゃくせい」とむしろ中国風に読んでもよいだろう。「ひゃくしょう」は農民を意味するが、「ひゃくせい」は貴族でないもろもろの人々、また実務に従う市井の人々を広く示すからである。 そして、鎌倉武士のモラルであり心意気であった「名こそ惜しけれ」は、すでに1960年代からその死に至るまでの長い期間、司馬遼太郎がしばしば口にした、こうありたい、こうあるべき、人の心の持ちようを端的に示した言葉であった。またその言葉を軸とした人生は、司馬遼太郎がもっとも愛着する形容「すがすがしさ」を人にもたらすのである。 すなわち、「この国のかたち」という連載の主題はもはや姿を表したと読みとれるから、最初の手紙にあった<十回ほど>が気になっていた提尭は、ここに至って心をようやく開いた。 三回目の原稿は「“雑貨屋”の帝国主義」と題されていた。そこにはこんな一文があった。<夢だったのかどうかは、わからない。ともかくも山を登り続けていて、不意に浅茅ケ原に出てしまった><そこに、巨大な青みどろの不定形なモノが横たわって>いた。<その粘膜質にぬめったモノだけは、色がある。ただし、ときに褐色になったり、黒い斑点を帯びたり、黒色になったりもする。割れてささくれた爪もそなえている。両目が金色に光り、口中に牙もある。牙は、折れている。形はたえず変化し、とらえようがない。わずかに、息づいているが、言えそうなことは、みずからの力ではもはや人里には出られそうにないということである。 君はなにかね、と聞いてみると、驚いたことにその異胎は、声を発した。「日本の近代だ」というのである> それは「統帥権」の独立に形を与えたモノであった。司馬遼太郎は、この「異胎」を「鬼胎」とも呼んだ。辞書にはないが、いかにもうがった造語であった。 「鬼胎」は1905年に誕生した。「鬼胎」をはらんだのは明治憲法そのものであったが、その積極的な助産婦は「群衆」であった。「平和の値段が安すぎる」として日露講和反対の国民大会を日比谷公園で開こうとし、戦争継続を強く叫んで暴徒化した「普通の人々」であった。そして新聞、ことに東京朝日新聞は講和を弱腰外交とはげしく非難し、群衆を煽り立てた。新聞は間もなく冷静になって講和をひそかに追認するに至ったが、群衆の感情は日本社会に伏流して、永く維持された。 司馬遼太郎は書いた。<私は、この大会と暴動こそ、むこう40年間の魔の季節への出発点ではなかったかと考えている。この大群衆の熱気が多量に―たとえば参謀本部に―蓄電されて、以後の国家的妄動のエネルギーになったように思えてならない>「国民作家」と呼ばれた彼は、「ひとびと」を哀惜し尊重したが、「大衆」や「庶民」や「人民」を必ずしも信頼しなかった。「国民」にも警戒心をゆるめなかった。「群衆」に至っては眉をひそめるばかりだった。<新聞記者としての戦後体験>p115~119 はるか後年、アメリカ生まれの日本語作家・リービ英雄との対談で司馬遼太郎は「軍隊が私の新宿でした」と発言した。それはリービ英雄の、新宿という街が自分にとって日本を学ぶ学校だったという発言に対応したもので、軍隊が歴史と思想を客観視する糸口を見出した原郷であったという意味かと思われる。「思想」と「正義」への警戒感は先にあげたベトナム見聞の結実『人間の集団について』に、色濃くあらわれている。<政治的正義という煌々たる電灯が頭にともると、激烈に群れる。群れつつ群れ、走りに走る。どの頭にも一個ずつ正義という電灯をともしているが、一人では決して走らない。群れるための手段として正義が必要なのである><70%の普通人にとって、頭に電灯のついた人々の集団ほどのろわしいものはない> 司馬遼太郎の「思想嫌い」あるいは思想にからめとられることへの強い抵抗感は新聞記者としての戦後体験にも根ざしている。 復員した司馬遼太郎は1946(昭和21)年京都の新日本新聞社に入社し、京大担当となって京大記者クラブに籍を置いた。しかし彼は人文系の研究室には近づこうとはせず、理科系の研究室に入りびたった。おそらく戦前および戦中の体験がそうさせたのだろうが、そのため後年司馬遼太郎のよき理解者となる桑原武夫を知るのははるか後のことになった。 新日本新聞社が潰れて1948年、司馬遼太郎は産経新聞社に入社、引き続いて京大と、それから宗教を守備範囲とした。このとき宗教担当となったことは司馬遼太郎を鍛え、「宗論をさせたら誰にも負けない」という自信をつけさせ、後年『空海の風景』を書かせる原動力となったが、当時は戦後学生運動の最盛期であった。京大学内んいいると、まるで明日にも革命が起きるような気分になり、骨がらみのリアリストの司馬遼太郎でさえあやうく信じかけるほどであった。しかしひとたび校門を出れば、そこには平穏な町並みと人々の日常が淡々と続いているばかりで、学内の「思想の高まり」が嘘のように見えた。司馬遼太郎は、嘘だ、と確信した。 1952年、司馬遼太郎は産経新聞大阪本社地方部配属となり、翌53年には文化部に移った。美術と文学をカバーする立場になったわけだが、事件を追いかけて走りまわるのが新聞記者の本筋と考えていた司馬遼太郎は大いに不満だった。しかし司馬遼太郎は不満を隠して勉強した。それはまず美術理論を学ぶことであった。 この頃の経験を基礎に置いて1988年に中央公論社から出版した『微光のなかの宇宙―私の美術観―』という目立たぬ本に注目したのは、国立民族学博物館教授・松原正毅であった。「二十代のおわりから三十代の前半まで、絵を見て感想を書くことが仕事であった」と書き出されてこの本は、「司馬さんの創作論と創作家論をなまな情感を伴ったかたちで示しためずらしい作品といえる」と松原正毅は指摘する。 では司馬遼太郎自身はどう語っているのか。<絵を見るというより、正確には、本を買いこんできて絵画理論を頭につめこむことを自分に強いた。まことに滑稽なことであったが、この時期ほどその種の読書に熱中したことはない。とくに繰りかえしセザンヌの理論やその後の造形理論を読み、実際の絵画の中で確かめ、その確かめたことを、制作した人に問いただしたりした。この四年ほどのあいだ、一度も絵を見て楽しんだこともなければ、感動したこともない。 まことに愚かなこの四年間は、セザンヌとその後の理論どもに取り憑かれることによってもたらされたと自分では思っている。このことは、マルクスの理論にこだわりすぎて、実証性を失い、かんじんの事象すら、ひらたく見ることができなくなってしまった過去の学者たちに似ていて、我ながら悔いが多い> この時期、彼は文化部記者として文学をも担当した。<右の期間、文学雑誌もいわば仕事としてたんねんに読んでいたつもりだったが、捕虜の身から開放されたような気がして、同時に怠るようになった><自分自身を締め道具でしめあげているような時期が終わるのと、小説を書き始めるのと同じ日だと言いたいほどに重なっていた。もはや私自身を拘束するのは自身以外になくて、文壇などは考えなかった。まして文学上の様式や流派、系譜、徒党性には、知的には関心を持ちつつも、そこから自由だった。自由を持続するには自分なりの理論めかしいものと、素朴な元気のようなものが必要だったが、右の四年間の息苦しさのおかげで、ざっとしたものをごく自然に持つことができた>関川夏生さんの経歴をウィキペディアで見てみると・・・・高一のとき家出して自転車で新潟から西宮まで行ったらしいけど、知的な人生の幕開けだったようですね。結婚生活には恵まれていないようですが、無聊を晴らすための多彩な交遊関係が、それを補って余りあるようです。関川夏生より関川 夏央(せきかわ なつお、本名は早川哲夫、1949年11月25日 - )は、日本の小説家、ノンフィクション作家、評論家で、かつては漫画原作者であった。母親は大学の英文科の出身で、教育熱心であり、小学生時代から英語を教えられたが、必要性を感じず、挫折。また、父親は高校の国語教師で柔道をやっており、柔道を教え込まれた。新潟大学付属中学に進学し、宣教師の教師から英語を学ぶ。また、高校1年の時には、アルバイトでためた金で家出し、自転車で西宮まで行った。24歳から25歳にかけて結婚していたこともあるが、離婚。同世代の山口文憲、呉智英と親しく、共に中年独身を称している。3人とも独身である。コミック原作者であった事で漫画評論を多く行っており、手塚治虫文化賞選考委員(第1回から第9回まで)を務めた。2010年現在、小林秀雄賞、司馬遼太郎賞などの選考委員を務めている。
2012.01.12
コメント(2)
「日本は原子力なしでやっていけるのか」・・・大手新聞では、まず見られないヘッドラインであり、まずみられない設問ですね。ネットメディアの過激な設問に引かれたが・・・そうそうたるパネリストによる、「エネルギーの未来:新たな時代の到来か?」という真面目な議論でした。1/12日本は原子力なしでやっていけるのかよりエコノミスト・カンファレンス『ジャパン・サミット2011』リポート、第2回の今日は、「エネルギーの未来:新たな時代の到来か?」をテーマに行われた議論をお届けする。 パネリストは、元経済産業省経済産業事務官の古賀茂明氏、環境エネルギー政策研究所所長の飯田哲也氏、東京大学社会科学研究所博士研究員のポール・スカリス氏、司会はエコノミスト誌東京特派員のケネス・クキエ氏。<日本の電力需要は原発なしでもまかなえる!?>司会:原子力発電なしで、日本は十分なエネルギーを確保できるのでしょうか。スカリス:最近発表された供給予備率を見て、ちょっと驚きました。電力需要全体に対する供給余力を示す数字なのですが、東電は今6%、原発の発電量が多い関西電力はマイナス5%、東北電力も九州電力もちょっとマイナスです。 ほかはだいたい5~15%くらいのプラスなのですが、専門家によると20%以上じゃないと安心できないと言います。ほかの国と比べると相当危ないところに来ているんですね。 日本の供給予備率は1980年代から下がってきていました。これには地方レベルの政治問題が絡んでいます。発電所を建設する際には単に環境問題だけでなく、その土地への補償をどうするかという問題があり、そこをクリアできないために建設が認められていないケースが非常に多いのです。 そんな現状からすると、原発なしでエネルギーを自給するのは難しいでしょう。全国にある54基のうち、現在28基が止められていますが、今年の夏までにはこれらを稼働させざるをえない。飯田:私たちの研究所が出した結論から言えば、原発なしでも十分まかなえます。これは各電力会社が持つ個々の発電所ベースで分析した結果です。 現在、止まっている原発は28基ではなく45基です。つまり9基しか動いていない。しかしこの9基を止めたとしても、この冬も夏になってもまったく問題ありません。なのに問題があるかのように言うのは、私に言わせれば都合のよい健忘症です。事実を無視した議論が多すぎる。 なぜ政府の分析でも電力が足りないということになるのか。それはデマンドサイドマネジメントという発想がないからです。今年の夏、東京電力管内の消費電力量は、ピーク時も平均も去年より20%下がりました。気温が下がったわけじゃありません。需要者が電力消費を抑えた結果です。 分散型電源の電力を取引できるマーケットを整備、活用するなど、政府はもっと上手にピークマネジメントを行う必要があります。この分野の政策にはきわめて問題が多いのですが、それでもどうにかなっている。つまり電力は十分足りているんです。7月からFiT法(再生可能エネルギー全量買取法)の運用が始まるが・・・・経産省、エネ庁そして民主党の電力族は(利権におぼれることなく)、分散型電源の電力を取引できるマーケットを整備、活用するなど、きっちりマネジメントしてほしいものです。
2012.01.12
コメント(0)
昨日は補助金がゆがめる震災復興を書いたが・・・・・もし、官僚たちが邪魔をしなければ、日本がオーストリア化する日も近いかと思う大使である。そこのところを「風吹けば桶屋」式に説明しよう。内橋さんも説くエネルギー自給圏であるが、全国52市町村のエネルギー自給に関する調査結果を見てみましょう。「100%エネルギー永続地帯」市区町村は、2010年3月段階で52市町村あることがわかったそうで、その味噌はバイオマス熱利用と林業部門のエネルギー需要を集計対象に加えることであり・・・・これはエネルギー自給も射程距離に入ったようなものである♪(まだ早いで)1/4全国52市町村が再生可能エネで自給可能との調査報告より全国市区町村のうち、域内の民生・農林水産用エネルギー需要を上回る量の再生可能エネルギーを生み出している「100%エネルギー永続地帯」市区町村は、2010年3月段階で52市町村あることがわかった。千葉大学倉阪研究室とNPO法人環境エネルギー政策研究所が、日本国内の市区町村別の再生可能エネルギーの供給実態などを把握する「永続地帯」研究について、最新結果(2010年3月現在)を「永続地帯2011年版報告書」として取りまとめ、発表した。今回の「永続地帯」研究のこの確報版では、バイオマス熱利用と林業部門のエネルギー需要を集計対象に加えた結果、全国52市町村が「100%エネルギー永続地帯」となった。また、2009年11月に太陽光発電にかかる余剰電力の固定価格買取制度を導入したことにより、2009年度に太陽光発電が36%増加したが、一方で、再生可能エネルギー供給量全体(バイオマス熱利用除く)の増加率は4.2%にとどまった。増加傾向にない再生可能エネルギー種(小水力、地熱、太陽熱)が、日本の再生可能エネルギー供給の63%を占めていた。また、「100%エネルギー永続地帯」市区町村に関して食糧自給率の試算を行ったところ、そのうち28の市町村が、食糧自給率でも100%を超える結果となった。これらの市町村は、住み続けるために必要なエネルギーと食糧を地域で生み出すことができる市町村であり、「永続地帯」市町村ということができる。永続地帯市町村は、北海道(5)、青森県(3)、岩手県(3)、宮城県(1)、秋田県(1)、福島県(3)、群馬県(2)、富山県(1)、長野県(2)、熊本県(4)、大分県(1)、鹿児島県(2)となっている。()内は市区町村の数。エネルギー安全保障の観点からも、化石燃料と原子力を減らして、自給可能エネルギーに変えることが世の要請なんだが、それを阻むものは何か?これはもうエネ庁の尻を叩いて、原子力村から再生可能エネルギー村に住み替えるしかないと思うのだが・・・電力会社の抵抗もあるだろうし、一朝一夕にできることではないだろう。問題は、再生可能エネルギーから発電した電力の買取である。今年7月からFiT法(再生可能エネルギー全量買取法)が始まり、エネ庁、電力連合の暗躍が予想されるが・・・・政治家がどれだけ利権*を排した判断を下すか見物である。都会では太陽光パネル発電、田舎ではバイオマスや小水力による再生可能エネルギー発電を行えば・・・日本の電力は自給できるのではないか?再生可能エネルギーなら田舎の雇用創出にもつながるし・・・・おお 里山資本主義の夜明けは近いではないか(まだ早いで)再生可能エネルギーのうち、バイオマスは今のところ太陽光、風力、小水力に比べて影が薄いが・・・過疎化に備えて、生活の質を変える点では、木質バイオマスが最も劇的な選択肢だと大使は思うのである。そして、オーストリアの地方都市がバイオマスでエネルギーを自給しているそうだが・・・オーストリアにできて、森林資源に恵まれた日本でできないわけがないと大使は思うのです。*:送電線の託送料(高圧で4.89円/KWh)がネックか? でも疑問を呈したが、エネ庁、電力、民主党電力族の利権はその託送料に隠されているはずである!(大使、何を根拠に)バイオマスって有効?3
2012.01.11
コメント(2)
居眠りから目覚めるとNHKスペシャルが放映されていた。1/9日本復興のためにより新しい年を迎える東日本大震災の被災地。しかし、復興は遅々として進んでいない。高台移転など、住民の住居の整備。地場産業を中心にした産業復興と雇用の問題。そして、それらに必要な資金のきめ細かい分配の実現・・・。政府はようやく3次補正予算を決めたが、課題山積のまま被災地の苦悩は続いている。なぜ復興は進まないのか。そこには、日本が近代国家を作り上げてきた歴史の中で、大きな課題となってきた「中央と地方」のカネ、情報、人材、などのやりとりという根源的問題が存在している。どうすれば復興は進むのか。被災地に関わる識者たちが、被災地の現状を見つめ、それぞれの歴史研究や自らの体験などを交えながら、検証・提言していく。地方交付金の生い立ちとか、京浜工業地帯に送電する小規模電力とか・・・・戦中から戦後にかけて、国策に殉じてきた東北地方の歴史を経て、東日本大震災では更に追い討ちをかけるような冷たい仕打ちの実態がレポートされていました。すなわち、いつまでたっても被災地に金が回らない現状に対して、どうすれば復興は進むのか?という渾身のレポートになっていました。(NHKに拍手)宮古市の水産業の立上げには漁期が絡むので、県や国の支援が待てないので市の借金で復興をすすめているようだが・・・・補助金をもらうには、各省に膨大な資料を出す必要があり間にあわないというか、できないので申請を諦めた市もあるそうです。これって東電の補償金申請書式が膨大で申請をあきらめた人がいたが・・・その地方自治体版のようなお話である。東日本大震災では補助金ではなく交付金で救済すべきであるが、復興財源を各省に与えたら省益第一(特に国交省)が染みついた官僚が、紐付き補助金にしてしまう。ああ 国交省に復興財源を渡したらダメ!復興より焼け太りを狙うような、血も涙もない紐付き補助金である。(交付金を持って駆けつけんかい!) 国難のような災害時には、待ったなしの政治主導が求められるが、如何せん60年もの野党暮らしでは、民主党には官僚操縦スキルが備わっていないのだ。(角栄さんのスキルは凄かったけど)いきおい官僚主導の行政が災害復旧にあたることになるが、官僚とは整合性とかなんとか言って、緊急時の動きが不得意な連中である。窮状に対して、とことんスピード感がないのである。経験の無い民主党政府が官僚におんぶしていては、アホな官僚が旧弊行政システムから脱することができないので、いつまでたっても被災地に金が回らないということになるようです。**************************************************************************************それから・・・・東北の小規模電力(水力?)を集めて東京まで送電線を延ばした東電の前身には、国と共に発展した親方日の丸企業のメカニズムを見るような気がしたのです。これはこれで、光と影の産業史として見所があったが、半分寝ていたので詳しいところは見逃してしまった(笑)バブル絶頂期まではアラが見えずに機能した10電力であったが、右肩下がりの現在は、役人と癒着して起業を阻む壁として立ちはだかっているのです。なでしこ沢がFIFA最優秀選手!佐々木監督は最優秀監督にとのこと・・・・素晴らしい♪、これで怒りの矛をおろすことにしよう。
2012.01.10
コメント(0)
このところの冬枯れで、裏山も寂しいかぎりであるが・・・・季節外れではあるが(大外れですんまへん)、大使の好きなアジサイについて「花の男シーボルト」より紹介します。梅雨のうっとうしさの中で、しつらえた舞台装置のようにそこだけが明るい ガクアジサイ「花の男シーボルト」大場秀章著、文春新書、2001年刊第五部 シーボルトが導入した日本の植物<アジサイと日本>p132~135 新緑の季節も過ぎると急にうっとうしさを増し、雨模様の日が多くなる。森も人家のまわりの木立でも花咲く植物の数はぐっと少なくなってくる。こうして長い梅雨へと突入していく。梅雨のうっとうしさの中で、ひととき心のやすらぎを与えてくれるのがアジサイだろう。手まりのような巨大な花序を枝先につけたアジサイの一群は、まるで梅雨の最中にしつらえた舞台装置のようにそこだけが明るい。日本に比べたら少雨のヨーロッパの環境で育ったシーボルトにとって梅雨は苦痛であったろう。そんな中で、シーボルトがアジサイに心動かされたことは想像に難くない。 いまではシーボルトのおかげですっかり洋花となり、ハイドランジェアと名を変えて四季の花になったアジサイは、もともと日本特産の梅雨の花だった。シーボルトといえばアジサイを連想する、といった人がいる。シーボルトはアジサイに、Hydrangea Otaksa(ヒドランゲア・オタクサ)という学名を提唱した。シーボルトはオタクサの名の由来には触れなかったが、それは妻の滝の愛称、オタキさんに因むと考えられている。(中略) シーボルトはアジサイを中国原産と考えていたが、これは明らかな誤りである。彼は日本人が観賞目的で栽培する植物の多くが中国や朝鮮からもたらされてと考えていた。実際にウメやレンギョウのように、中国を原産とする園芸植物も多かったが、日本に自生する植物も観賞の目的で栽培されていたのである。 それはさておき、アジサイとその仲間を含んだアジサイ属の多様さはシーボルトの目をとらえた。『フロラ・ヤポニカ』第一巻で、シーボルトとツッカリーニは12もの図版を割り振って、アジサイ属のほぼ全種である12種について詳述した。他の植物では新種の記載には大変慎重であるシーボルトとツッカリーニは、アジサイ属ではわずかな相違点によって種を区別している。ツッカリーニと共同というよりもシーボルトの主張をツッカリーニが認めて別種にすることに同意したのであろう。それにしてもシーボルトは詳細にガクアジサイを観察している。 そればかりではなく、シーボルトが唯一単独で書いた植物分類学上の論文が、1829年に王立レオポルド・カロリンガー・アカデミーの機関紙のレオポルディーナに掲載された『日本産アジサイ属植物分類提案』であった。この論文は、後のシーボルトの植物学研究が当代一流の植物分類学者ツッカリーニとの共同研究として行われているため、シーボルト個人の植物学者としての資質や知力を知るうえで興味深いものがある。<アジサイとガクアジサイ>p136~137 ガクアジサイ 日本にはアジサイ属植物としてノリウツギ、タマアジサイ、ヤハズアジサイ、ガクアジサイ、ヤマアジサイ、トカラアジサイ、ヤエヤマアジサイ、リュウキュウコンテリギ、コガクウツギ、ガクウツギ、コアジサイの11種がある。 このうち、園芸植物として利用されるのはガクアジサイなど数種に過ぎない。アジサイ属の植物は花は小さいが、枝先に多数が密生してつく。花はでたらめに枝上に着くのではなく、配列には一定の規則性があり、いくつかの型に類型化される。これを花序と呼んでいる。 コアジサイを除くアジサイ属の全種は、その花序の周辺につく花が、花序を飾る額のように大きく変形している。ガクアジサイその典型で、その花序の周辺を飾る変形した花は文字通り、周辺花ともいうが、ふつうは装飾花と呼ばれる。装飾花は、花のガク片が花弁化し、しかも巨大化したものである。だから装飾花をよく観察すると、その花弁状のガク片のつけ根には本来の花弁やオシベ、メシベがつくられ、園芸家はそれを「目」と呼んでいる。いつもではないが、装飾花にも熟した果実がなり、ちゃんと種子がつくられる。 アジサイ属の花序では、ガクアジサイのように装飾花に取り囲まれたかたちが本来の姿だが、花序中の花のほとんどがすべてが装飾花のほとんどすべてが装飾花に変じてしまうこともある。ガクアジサイのこうした変形によって生まれたのがアジサイなのだ。ヤマアジサイにもこうした変形を遂げた変わりものがあり、ヒメアジサイ、マイコアジサイと呼ばれる。ミナヅキ、テマリアジサイはそれぞれ、ノリウツギ、タマアジサイのアジサイ型の変形である。 シーボルトはアジサイがガクアジサイの変異株であるとは理解しなかった。オタクサの名の由来を考えてみるとき、シーボルトのアジサイへの思いの強さが伝わってくる。覚え書きには、セイヨウアジサイから何としても日本のアジサイを区別しておきたかったシーボルトの執念のようなものさえ感じられる。他にもアジサイ(お奨め)でアジサイを集めています。
2012.01.09
コメント(0)
内橋克人さんがインタビューで「『貧困の装置化』に対抗して食料、介護、エネルギーの自給圏を志向すべき」と説いているので、紹介します。内橋さんは橋下さんの「ハシズム現象」を批判しているが、大使はこの点に関しては、もう少し様子を見ようと思っています。内橋克人さんへのインタビュー <貧困の多数派 歯止め>(デジタル朝日ではこの記事が見えないので、1/8朝日から転記しました・・・そのうち朝日からお咎めがあるかも)Q:現代日本の問題点はどこにありますか。A:日本社会でも新たな階層が生まれてきている。国民皆年金など基礎的な社会保障からさえも排除された人たちが多数派となる「貧困マジョリティ-」だ。グローバル化やマネー資本主義が進み、非正規雇用が増えて中間層が崩壊する社会の到来は、危険な時代への予兆ではないか。Q:貧困マジョリティ-の特徴とは。A:米国はじめ国内外の最強の秩序形成者に抵抗する力もなく、生活に追われて政治的な難題に真正面から対峙するゆとりもない。同時に、精神のバランスを維持するために「うっぷん晴らし政治」を渇望する。政治の混乱を面白がり、自虐的に、極めて反射的に、表面的に評価して、選挙権を行使する。大阪市の「ハシズム現象」も貧困マジョリティ-の心情的瞬発力に支えられている面が大きい。「地方公務員は特別待遇を受けている」とバッシングし、閉塞状況下の要求不満に応えていくやり方だ。Q:政治に対する閉塞感が国民の方向性を誤らせるということですか。A:「政治のリーダーシップ不足」と言われるが、民主政治を基盤とする国でのヒーロー待望論ほど異常なものはない。日本古来の「頂点同調主義」に加え、意義を唱える者を排除する「熱狂的等質化現象」が一体となる。「うっぷん晴らし政治」の渇望を満たそうとすれば、1930年代の政治が繰り返される。グローバリズムが生み出した「貧困ファシズム」の培地となりかねない。Q:政治課題は山積しています。A:いまの政党政治は一挙に崩れる可能性がある。今年は多くの国で政権交代が起き、政治的に極めて流動化する。グローバル化の流れは変わらず、貧困マジョリティ-を生み出す「貧困の装置化」が進んでいる。消費税増税によって、零細企業や地方経済を支えてきた地場産業は、価格転嫁できずにコスト引き下げを迫られる。所得税なら稼いだ人がたくさん納めるが、日本型消費税は「貧困の装置化」の手段になる。Q:日本の政治は何を目指せばいいですか。A:私は新たな基幹産業として「FEC自給圏」を提唱してきた。FはFoods(食料)。日本の穀物自給率は世界で124番目だが、食糧自給は国の自立条件で新たな産業も形成する。EはEnergy(エネルギー)。再生可能エネルギーとしてデンマークでは風力発電、太陽熱発電を推進し、エネルギー自給率が今では200%近い。日本は国策として原発に集中し、ほかの選択肢を排除した。CはCare(介護)。市場に任せるのではなく、社会による介護自給圏を形成すれば北欧諸国のように強力な産業になる。 「うっぷん晴らし政治」ではなく、世界のモデルに目を向け、食料、介護、エネルギーの自給圏を志向すべきだ。地味でもいいから、グローバル化の中で、それに対抗できる「新たな経済」を作ることが本当の政治の役割りだと思う。(聞き手:園田耕司)京大の佐伯教授は独裁を生み出すものが民主主義であり橋下現象は必然であると説いています。このところ、マニフェストの看板を下ろし続けている民主党の体たらくがあり・・・・つい橋下さんに期待したくなるのだが、内橋さんがこうまで批判すると迷ってしまいます。
2012.01.08
コメント(2)
まろ0301さんがアメリカの金融政策を批判しているので、無断でまるまる引用します。書かれた内容については、おっとり刀で経済を勉強中の私にとっては初めて知ることが多いのです。特に、投機を規制する「グラススティーガル法」といういい法律があったようですね。ただ・・・・昔のアメリカ人は、いい法律を作っていたが、悪名高いFRBがそれを無効とし、今ではウォール街デモが起きるほどの酷い世にしてしまったのです。伝統的に揺り戻しの振幅が大きい米国ではあるが・・・オバマのような小者では、あまり期待できないのかも?1/6「自由」は規制を必要とするより アメリカ大統領としては唯一四選を果たしたフランクリン・ローズヴェルトは、1941 年1 月6 日、一般教書演説の中で、米国は、米国民だけでなく万人の権利である普遍的な自由を守るのだ、と述べ、最後に、米国が確保し、すべての個人に広めたいと願う「人類の普遍的な4 つの自由」を語っている。第1は、世界のあらゆる場所での言論と表現の自由である。第2は、世界のあらゆる場所での、個人がそれぞれの方法で神を礼拝する自由である。第3は、欠乏からの自由である。それは、世界的な観点で言えば、あらゆる国に、その住民のための健全で平和時の生活を保証するような経済的合意を意味する。第4は、世界のいかなる場所でも、恐怖からの自由である。それは世界的な観点で言えば、いかなる隣国に対しても、物理的な侵略行為を犯すことがないような形で、世界中の軍備を削減することを意味する。そして以下のようにも述べている。 そのような(独裁者たちが作り上げようとしている)新秩序に対して、われわれはもっと偉大な概念で対抗する。それは道義をわきまえた秩序である。優れた社会は、世界支配の企てにも海外での革命にも、等しく恐れることなく対峙することができる。 「道義をわきまえた秩序」とは何か?ローズヴェルトといえば、「ニューディール政策」という事になるのだが、あの政策の根本は、資本主義に規制を加えて秩序あるものとするということであった。それまでの「常識」であった自由放任政策の大転換であったと言える。その背後に、「計画経済」によって好調に経済成長を続けていたソ連の存在があったことは確かである。 資本主義経済に対して規制を加えることは資本主義それ自体の生き残りのためにも必要な措置であったと言えるのではないか。 その一つが1933年に制定された「グラススティーガル法」である。この法律は、1929年の世界大恐慌の原因を探る過程から生み出され、投機の規制を行うことを主な目的としていた。 しかし、「のど元過ぎれば熱さを忘れる」ということわざ通りのことが起きる。1980年にはFRBによって無効とされ、銀行持ち株会社が他の金融機関を所有することを禁止した条項も1999年に廃止された。 この過程で、「新しい金融商品」が最新の金融工学を駆使して創り上げられ、販売され、そして崩壊した。これが2008年に始まる世界金融危機の一因となったと指摘するのは間違っているだろうか? サブプライムローンというシロモノについての解説を聞いた時には開いた口がふさがらなかった。結局これはババヌキ(トランプの・・・ですよ)ではないか、ということである。住宅価格が上がり続けるというあり得ない想定のもとに作り上げられたシロモノを金融のプロを自認する人たちが買い続けた。なんとか売り抜けられると思って。もうここまでいくと完全な博打であるにもかかわらず、多くの人がそれに群がり、その被害は、堅実に生活している人たちの生活にも多大の影響を及ぼすという事になった。 何が「自己責任」か?投機に失敗して自分自身がすってんてんになるのが「自己責任」ではないのか?他人様の生活に多大の迷惑を及ぼし、各国の経済に破滅的な影響を与えておいて何が「自己責任」だ!! 資本主義は、自由放任に規制を加えて「修正資本主義」の道をたどったために生き残れたことを忘れてはならない。 グラススティーガル法の再制定を提案する動きがあるという。FRBの元議長のポール・ヴォルカー、ジョン・マケイン、マリア・カントウェルなどがその中心である。 ただ、あれほどの金融危機を経てなお「自由競争」「自由放任」「小さな政府」に固執する勢力がかなりの数存在するアメリカの現状を見ると、そのようなアメリカ人にとって「自由」というのはもはや狂信の水準にまで至っているとしか思えない。FRBの元議長のポール・ヴォルカーがグラススティーガル法の再制定を提案するだって・・・・罪滅ぼしかもしれないけど、白々しいぜ。
2012.01.07
コメント(0)
日本、韓国、インドネシア、フィリピン、インド、豪州などがネットワークを作り、米国とともに中国に関与するいわゆる中国包囲網を形勢し、中国に猛省を促すような白石さんのオピニオンを拝聴しましょうね。(これぐらいの多数意見でないと、奢る中華は聞く耳を持たないだろう)しかし、白石さんは、中国には、「だましだまし」対処していくしかないとおっしゃっています。白石隆さんへのインタビュー(これもデジタル朝日が見えないので、1/5朝日から転記しました) <東アジアは壊れるか>中国を巻き込んだ国際ルール作り 日本も積極参加を。「だましだまし」で不安定化を封じるプロの芸が必要。Q:北朝鮮の指導者交代が東アジアにもたらす影響をどう見ますかA:まず理解しておくべきなのは、東アジアは、構造的に安全保障上の緊張を抱えているということです。その中で、北朝鮮の指導者交代がどういう意味を持つのかという問題の立て方をする必要がある。Q:構造的に緊張を抱えているというのは、どういうことでしょうA:例えば欧州では、安全保障上仕組みであるNATOが冷戦後、東に拡大し、その中で政治経済の協力、統合の枠組みとしてEUがまた東に拡大した。安全保障の枠組みの方が大きいので緊張は生じません。 ところが東アジアでは、貿易の枠組みが安全保障の枠組みより大きい。米国中心の安全保障の仕組みを前提として安全保障政策を組み立てている国と、この仕組みに入っておらず、政治体制も違う中国やベトナムのような国がある。東アジアの経済統合が進んだ結果、その両方が同じ経済・貿易の仕組みに入っている。そのため中国が経済的に台頭し軍備を増強すると、どうしても安全保障の面で緊張が出てきてしまう。Q:東アジアでも緊張を生じなくすることはできないのですか。A:中国が米国中心の枠組みに入れば別ですが、今の体制が続くかぎり、それはありえない。我々は緊張と一緒に生きていくしかない。大事なのは、この緊張関係をどううまくマネージしていくかです。 中国は、2011年秋の尖閣諸島沖の漁船衝突事件で、東シナ海における領土紛争の問題をレアアース輸出という経済の問題と結びつけ、日本だけでなく米国やEUも非常に警戒した。安全保障の問題と経済の問題をリンクさせたからです。こういうことは避けなければいけない。Q:マネージするのはやはり米国の役割なのでしょうかA:米国だけではなく、東アジアのすべての国がやっていかなくてはいけません。昨年11月、オバマ米大統領は豪州議会で行った演説で「米国は太平洋国家として、この地域でより大きく長期的な役割を果たすとの計画的、戦略的な決定をした」とアジア関与を確認しました。これまで東アジアの安全保障の仕組みは、米国をハブとして、そこから日米、日韓とスポークが延びる、扇のような形になっていた。オバマ政権はこのスポークどうしを繋げてネットワーク型に変えていこうとしている。日本、韓国、インドネシア、フィリピン、インド、豪州などがネットワークを作り、米国とともに中国に関与していくべきです。Q:北朝鮮にもネットワーク型で関与していくのですか。A:北朝鮮には、6カ国協議の枠組みで対処していくしかない。日本、米国、韓国が、ロシア、中国と緊密にコミュニケーションをとって、お互い疑心暗鬼にならないようにするしかありません。金正恩氏はまだ若く、経験も少ない。権力者は、国内を掌握する力が弱くなると、外に対して攻撃的な態度をとりやすくなります。さらに、きわめて脆弱な支持基盤の上に立つ指導者が核を持っているという事態は、歴史上いまの北朝鮮が初めてです。一つ間違えると東アジアの安全保障を非常に不安定にする危険性があります。 安全保障について考えるときは、常に最悪の事態を考えておく必要がある。北朝鮮崩壊です。周辺の国々が何もしなければ韓国が吸収合併すると思いますが、そんなに単純ではない。中国にとって、米国の同盟国である韓国と国境を接するようになることは大きな安全保障環境の変化であり、それを避けるために介入することも十分ありうる。米国にとっても、北朝鮮崩壊後、なぜ朝鮮半島に米軍を維持しなくてはいけないか、国内政治上の問題になるでしょう。そいうったことすべてが日本の安全保障政策に響いてくる。Q:中国は北朝鮮についてどう考えているのでしょう。A:北朝鮮が11年3月まで続いたタン・シュエ時代のミャンマーのようになるのが一番都合がいいでしょう。経済的には中国に依存し、政治的にもそれなりに安定している。外に対して挑発はしない。そういう緩衝国になるのが中国としては望ましい。Q:北朝鮮の問題以外に、東アジア地域が大きく不安定化するリスクがあるとすれば何でしょうかA:中国経済が危機的状況になった場合でしょう。欧州経済がさらに悪化すると、おそらく中国にも影響が出てくる。中国政府はリーマン・ショック以降、かなり無理をして景気刺激をやった。そのひずみが国有銀行の不良債権、地方自治体の不良資産というかたちで積み上がっている。外貨準備が多いので、欧州のような危機にはならないだろうし、中国政府には対応能力があると思いますが、経済の調整はあるタイミングで起こるでしょう。それが政治にリンクすると、要注意です。Q:どこに注意すべきですか。A:経済が悪くなると、政治はナスティーに、つまり「たちが悪く」なりがちです。それがどう出るか。対外的に大国主義的な態度として出たり、国内的に少数民族や外国人への排外主義として出てくるかもしれない。特に今年は指導部交代の年なので、中国の指導部は外に対してあまり弱腰にはなれないでしょう。Q:いま東アジアでは、TPPの交渉が進んでいます。A:(省略、新聞を見てください)Q:TPPの参加については、日本でも議論が分かれています。A:(省略、新聞を見てください)Q:貿易はともかく、安全保障の面で中国を巻き込んだルール作りというのは難しそうです。A:これまで中国は、南シナ海においては法的拘束力のない「行動宣言」で十分だと言ってきました。しかし最近では、拘束力のある「行動規範」を作るための議論を始めてもよいというところまで譲歩してきた。東アジアサミットなどでずいぶん批判されたからです。1,2年でできるとは思いませんが、1世代かければできるかもしれない。Q:日本は長期的に、東アジアの地域システムの中でどういう役割りを果たしていくべきでしょうか。A:最も警戒すべきは、地域システムがラディカルに変ることです。それを避けるには、米軍と自衛隊の相互運用性を高めるなど、日米同盟を深化させなくてはならない。東アジアにおける米国中心の安全保障システムは歴史的には縮小している。南ベトナムが消滅し、フィリピンのスービック海軍基地とクラーク空軍基地もなくなった。その分、機軸としての日米同盟はますます重要になった。日米同盟がなくなれば、この地域はあっという間に不安定化してしまう。 これは中国封じ込めではもちろんない。中国に関与していく。経済関係をもっと密にし、安全保障でもコミュニケーションをよくして、疑心暗鬼や不測の事態が起こらないようにする。また、米国の同盟国の韓国や豪州、パートナー国のフィリピン、インドネシア、インドとの連携も深めていくべきです。Q:それで東アジアは安定するのでしょうか。A:この地域には緊張がある。これは封じ込められない。だから、だましだまし対処していくしかない。この「だましだまし」が重要です。政治というのは半分が科学で、半分が芸、アートです。「だましだまし」という芸を国際的にうまくやっていけるプロの政治家が日本にももっと出てほしい。(聞き手:尾沢智史)白石さんのやや右より?の姿勢は、全面的に賛同できかねるが・・・・そのまま紹介します。アジア太平洋地域に秩序の「進化」を求めるより<TPP協定交渉参加をめぐる民主党内の対立>11月11日、野田佳彦首相は「TPP(環太平洋経済連携協定)交渉参加に向けて関係国との協議に入る」と述べ、TPP協定交渉プロセスに参加する方針を表明した。首相はまた、翌12日からハワイで開催されたアジア太平洋経済協力(APEC)首脳会議で、オバマ大統領はじめTPPの関係各国首脳に対し、この方針を表明した。民主党中心の政権が成立して2年2カ月、これまでの首相、特に菅直人首相が消費税増税、TPP協定交渉参加についても、震災復興、福島第一原子力発電所の事故を受けたエネルギー政策についても、政権維持を最優先に自ら責任を取る形で何の意思決定も行わなかったことからすれば、野田首相が総理就任2カ月余で復興増税、TPP協定交渉参加の懸案について意思決定を行ったのは大いに結構なことである。政府はこれからも武器輸出等三原則の見直し、消費税増税、社会保障改革等、国論を二分する懸案に次々と直面する。首相の仕事はそうした懸案について自ら決定し、実行することである。これまでの首尾は上々である。首相にはぜひこれからもリーダーシップを発揮してもらいたい。それが震災以来、地に落ちた政府と国会に対する国民の信頼を回復する途でもある。危機感に駆られた大使は、ただいま中国包囲網ニュース をフォローしております。
2012.01.06
コメント(0)
元旦にマラソンレースへの復帰を宣言してしまった手前もあるが・・・3/18宿毛マラソンのエントリー期限(6日)が迫っているが、練習期間が足りないしちょっと悩んでいたのです。でも、ランネットのエントリー画面で、エイヤ!とクリックしたのです。目標は完走なんだけど、目標タイムを書く欄があったので一応5時間としています。さ~ 問題は3/18までの練習である。練習計画案を以下にみつくろってみたが、ちょっと足りないかも?<練習計画案>1月 130K 10×5、15×4、20×12月 145K 10×4、15×5、30×13/17まで 80K 10×3、15×2、20×1宿毛花へんろマラソンよりスペシャルゲスト<申込から大会参加までの流れ>1/6(金) 申込締切 大会パンフレット付属の郵便振替用紙からの申込及びインターネット3月初旬 参加案内送付 大会の2~3週間前に案内を送付します 3/18(日) 大会開催当日受付(6:30~8:00) 受付会場/宿毛市総合運動公園市民体育館 <12月7日現在の申込状況は以下のとおりです> フルマラソン : 796名 10 km : 187名 合 計 : 983名次は日程的に4/22志摩ロードパーティ(ハーフ)なんかいいかも?なお、昨年は自粛でながれた宿毛マラソンに対する思い入れなどはトレーニング日誌2に述べております。
2012.01.05
コメント(2)
今日からNHKで「100分de名著・徒然草」が始まるので、事前にそのHPを覗いてみたのです。(楽天仲間からの事前連絡で放送予定を知ったのですが)徒然草は古いエッセイという認識であったが、放送概要を見てみると意外にも処世訓、人生哲学としてもいい線行っている感じです。大使としては、ドングリ語訳徒然草として茶化してやろうと思っていたけど・・・・もうチョット真面目に取り組むべきではないかと思い直しているのです。それでは・・・・第1回講義のレポートは番組終了後に開陳する予定です。100分de名著・徒然草より〇第1回 心地よい人づきあいとは(2012年1月4日) 兼好は、たとえ仲のいい間柄でも、時には改まった態度を示すのが良いと記した。人間関係では、お互い気を遣わなくなった時に落とし穴がある。なれ合いになったら距離をおき、疎遠になったら距離をせばめる。そうすることによって、新鮮な関係と保つと、トラブルも減るとした。人間の弱さを熟知した兼好流の気配り術を学ぶ。 〇第2回 上達の極意(2012年1月11日) 兼好は、上達したいと願う時には、形だけでも良いから達人のまねをすることから始め、人前に出ることを恥じるなと説いた。そして、心から大事だと思っていることは、タイミングと関係なく、今すぐとりかかれと述べている。人生は一瞬一瞬の積み重ねであり、同じ事は2度と起きない。毎日に緊張感を持って生きることが、自分を高めることになると兼好は説いた。 〇第3回 世間を見抜け(2012年1月18日) 世の中、いわゆる「世間」というものは、うっかりしていると、あらぬ噂を立てられたり、笑いものにされたり、食い物にされたりする恐ろしいものである。そんな世間にふりまわされて嫌な思いをしないためには、どうしたらよいのだろうか。兼好は、自省を怠らず、自分自身を様々な方角から見つめ直すことを勧めた。世間という“魔物”に対峙する心構えを解く。〇第4回 人生を楽しむために(2012年1月25日) 最終回では、大学で日本中世文学を学び、徒然草のファンである嵐山光三郎さんを招く。兼好は、成功や失敗といった固定概念を嫌った。そして完全なものでなく、不完全なものを愛した。嵐山さんは、こうした柔軟で優しい視線があったからこそ、平凡な日常を前向きに楽しむ余裕が生まれ、世の中の真実を見つめる力を養うことができたと考えている。兼好の姿から、人生の前向きな楽しみ方について考える。 <第1回講義のレポート>ゲスト講師の荻野文子さんが・・・・いい感じですね(大使 どこを見ているやら)第87段に友人にしてはいけない7種類の人というのがあって、その中に金持ちと健康な人が挙げられているが、一筋縄ではいかない兼好さんが見えるようです。生涯にわたり職業を転々と変え、どれもが成功しなかったわけで・・・・萩野さんが「何者にもなり得なかった人」と言っていました。ふんふん、なんか器用貧乏な人だったようで・・・大使に似てなくもないのです。更に萩野さんが言うには「自分が弱いので、弱者がよく見えて、優しくもあった」そうで・・・・時を隔ててはいるが、お友達になれそうな人である。つれづれなるままに「徒然草」 つれづれなるままに「徒然草」2
2012.01.04
コメント(2)
映画「ゴールデンスランバー」が面白かったので、伊坂幸太郎「砂漠」を図書館で借りたのです。冒頭では・・・新入生でマージャン仲間を作るために、東西南北にちなむ名前の仲間を集めるところがふざけているが・・・・・それが、娯楽小説の真骨頂なのかも知れないですね。自前のイデオロギーに忠実な西嶋が、マージャンでは負け続けても平和(ピンフ)であがることを目指すが・・・・特異なキャラクターである(あんたは偉い!)ま~、気の利いた会話をたたみかけて小説を紡ぎ出す、伊坂さんのうまさには驚きますね。この小説を読むと「暇だから小説でも書いてみるか」という大使の大それた考えは身の程知らずとわかり、撤回することにしました(当然です)冗談はさておき、この小説は映画「ゴールデンスランバー」とよく似た雰囲気が出ているけど・・・・・それは、仙台にこだわる伊坂ワールドとして当然でもあるが、映画「ゴールデンスランバー」を作った中村義洋監督の手腕によるところが大きいのかも知れませんね。ネットから、関連情報を集めてみました。砂漠より「砂漠」伊坂幸太郎著、実業之日本社伊坂幸太郎 1年半ぶりの書き下ろし!!麻雀、合コン、バイトetc……普通のキャンパスライフを送りながら、「その気になれば俺たちだって、何かできるんじゃないか」と考え、もがく5人の学生たち。社会という「砂漠」に巣立つ前の「オアシス」で、あっという間に過ぎゆく日々を送る若者群像を活写。日本全国の伊坂ファン待望、1年半ぶりの書き下ろし長編青春小説!「ゴールデンスランバー」新潮社より 冴えわたる伏線、印象深い会話、時間を操る構成力……すべての要素が最強の、伊坂小説の集大成!!仙台での凱旋パレード中、突如爆発が起こり、新首相が死亡した。同じ頃、元宅配ドライバーの青柳は、旧友に「大きな謀略に巻き込まれているから逃げろ」と促される。折しも現れた警官は、あっさりと拳銃を発砲した。どうやら、首相暗殺犯の濡れ衣を着せられているようだ。この巨大な陰謀から、果たして逃げ切ることはできるのか? 「ゴールデンスランバー」シネマトゥデイよりチェック:人気作家・伊坂幸太郎の同名ベストセラー小説を、『アヒルと鴨のコインロッカー』『フィッシュストーリー』に続き中村義洋監督が映画化したサスペンス。巨大な陰謀に巻き込まれ、首相暗殺の濡れ衣を着せられた宅配ドライバーの決死の逃避行をスリリングに描く。主演は、中村監督の『ジェネラル・ルージュの凱旋』でも共演している堺雅人と竹内結子。そのほか吉岡秀隆、劇団ひとり、香川照之、柄本明といった実力派キャストが顔をそろえる。「砂漠」著者インタビュー 伊坂幸太郎さん伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』伊坂幸太郎 特集
2012.01.04
コメント(4)
年末年始のスマホの通信障害が予想されていたけど、バッチリ当てましたね。こいつは春から縁起は・・・・良くないではないか。よく知らないけど、ドコモのspモードが調子よくないようですね。1/3ドコモの障害 20万人に影響「NTTドコモ」のスマートフォン向けのインターネット接続サービスで、1日夜、メールの送受信の障害が断続的に起きたトラブルで、メールが送信できず、エラーメッセージも表示されなかった人が20万4000人に上ったことが分かりました。このトラブルは、NTTドコモのスマートフォン向けのインターネット接続サービス「spモード」で、1日夜から2日の未明にかけて、メールの送受信の障害が断続的に起きたものです。スマートフォンなどでメールを送ることができなかった場合、端末の画面に送信できていないことを示すエラーメッセージが表示されます。しかし、会社側によりますと、今回のトラブルでは、メールが送信できず、エラーメッセージも表示されなかった人がおよそ20万4000人に上ったことが分かりました。「NTTドコモ」では、利用者の情報などを管理するサーバーの不具合が原因とみて、調査するとともに、コールセンターで利用者からの問い合わせに応じることにしています。NTTドコモの「spモード」では、12月にメールアドレスが勝手に別の人のものと置き換わるなどのトラブルが起きて、およそ1万9000人が影響を受けたばかりでした。12/27時点で、通信障害を予想していたITProさん、あんたは偉い!もっともITProの記事は専門的過ぎて、よくわからないのだが。大使、ごちゃごちゃ言わずに、スマホを買うのか、買わないのか・・・早く決めましょうね。(ハイ)12/27スマホ本格普及後で初の年末年始、はたしてネットワークは大丈夫か? より この記事を2012年1月1日以降に読む方は、もしかしたら年末年始に「ネットワークにつながらなかった」「メールが遅れてきた」「電話がつながりにくかった」――等々を既に経験したかもしれない。 もちろん、従来の携帯電話でも同じようなことは起こったが、携帯電話事業者などの関係者にとって、この年末年始はこれまでとは少し様相が異なる。スマートフォンが爆発的に普及して初めて迎える年末年始だからだ。スマートフォンは従来の携帯電話よりも格段に多くのトラフィックを消費する。これが年末年始の通信網にどの程度のインパクトを与えるのか。特にトラフィックが集中する大みそかから元旦を迎えるに当たり、万端の準備をして臨んでいるとはいえ、関係者は戦々恐々としている。 スマートフォンの普及によってトラフィックが爆発的に増えることを事前に予測し、各携帯電話事業者は手を打ち続けている。(1)直近でできることとしては既存設備の増強やトラフィックの分散、(2)長期的視野で見ると新たな周波数帯の確保やこれまで以上に電波の利用効率の高い通信方式の導入、などが挙げられるだろう。2011年のニュースから振り返ってみよう。 <無線LANに注目、スマホのトラフィックをオフロード> スマートフォンには必ずといっていいほど無線LANによる通信機能が備わっている。この無線LANをスマートフォンのデータ通信トラフィックの“逃がし先”にする「無線LANオフロード」に各携帯電話事業者が積極的に取り組み始めたのが2011年だ。さらに携帯電話事業者だけでなく、公衆無線LANをこれまで提供してきた固定系通信事業者や、無線LAN機器を製造・販売するメーカーもこの動きに注目。提携や事業譲渡、スマートフォンへの積極対応などの動きが見られた。 ・無線LANオフロード急ぐ携帯電話事業者 ・KDDIがライブドアと譲渡契約、2300カ所の公衆無線LANスポット獲得 ・Wi-Fiオフロードにまい進する通信事業者 ・東京メトロ全線で無線LAN、ソフトバンクモバイルが11月から ・NTT東の公衆無線LANがスマホで利用可能に ・バッファロー、簡単無線LAN設定「AOSS」がiPhoneに対応 ・「スマホ向けにマルチネットワーク化が急務」---KDDIの牧執行役員 ・NTTドコモ、セブン&アイグループ店舗で公衆無線LANサービスを提供 <LTEを積極推進、周波数利用効率の向上でトラフィック対策> 無線LANだけでなく、携帯電話網のデータ通信方式そのものを強化する動きも続いている。その一つがLTE(Long Term Evolution)の導入だ。LTEは現在NTTドコモやソフトバンクモバイル、イー・アクセスが提供しているHSPA(High Speed Packet Access)と比較した場合、3倍近くの周波数利用効率向上が実現できる。特にNTTドコモは「Xi」(クロッシィ)の名称で2010年末よりLTEサービスを展開。対応スマートフォンも積極投入している。 ・ドコモが冬春モデル24機種、Xi対応機などスマホが14機種占める ・ドコモ、Xiを100Mbpsへ高速化――東名阪以外で2012年度から ・あらゆる帯域でLTE化を加速するNTTドコモ、100Mbps超LTEも 一方、KDDIやソフトバンクモバイルはLTEの展開も計画しつつ、各社の関連会社が提供している2.5GHz帯を使うWiMAX(KDDIの関連会社であるUQコミュニケーションズが提供)やAXGP(ソフトバンクグループのWireless City Planningが提供)の活用も視野に入れている。既にKDDIはWiMAX対応のスマートフォンを販売中だ。ソフトバンクモバイルはAXGPのスマートフォン展開は未定だが、それに先立ちHSPAを高速化したHSPA+による高速データ通信サービス「ULTRA SPEED」対応スマートフォンを投入している。 ・KDDIが2011年秋冬モデル、WiMAX/3Gのデュアル端末を大量投入 ・KDDIはWiMAX、LTE、EV-DO Advancedをフル活用、LTEも急発進へ ・ソフトバンクがHSPA+対応Androidスマホなど発表 ・900MHz帯確保で課題解消を狙うソフトバンク、AXGPを使った秘策も トラフィック増に対処する抜本的解決策の一つは、パケットの通る“道幅”を広くすること、つまり、これまでより広い周波数帯を確保することだ。そこで注目を集めているのが700M/900MHz帯だ(総務省などでは700/900MHz帯と表記)。 そもそも700M/900MHz帯は、FPUやラジオマイク、MCA、RFIDシステムが使用していた(使用している)周波数帯。携帯電話によるデータ通信の高速・大容量化を踏まえ、既存利用者の移行費用を携帯電話事業者が負担することなどを前提に携帯電話用途に割り当てられる周波数帯だ。その過程で電波オークションの話題も出てきた。 まずは先行して2012年2月にも、900MHz帯の上り下り各15MHz幅が1社に割り当てられる予定だ。この周波数割り当てについては1月6日から掲載予定の新年スペシャルで別途紹介するので、ぜひそちらを参考にしていただきたい。 <直前にもトラブル、バックエンド側の設備増強も課題に> トラフィック増に対処するために様々な取り組みをしている携帯電話事業者だが、その過程ではトラブルが発生することもある。象徴的なのが2011年12月20日、通信設備の障害をきっかけにしたNTTドコモのスマートフォン向けサービスであるspモードの不具合だ。 同社の説明によるとその原因は次のようなものだ。スマートフォンはFTTHやADSLを利用したインターネットへの常時接続環境と同じように、インターネットに常時接続している状態になっている。12月20日のトラブルは2~3分の間の回線全断により、一部エリアのAndroid搭載スマートフォンの常時接続が解除。回線が回復後、それらが一斉に再接続要求を出したことによって「ユーザー管理サーバー」が高負荷状態になったのが原因だという。 ただ、その結果として引き起こされた他人のメールアドレスが設定され得るというトラブルは、プロトコルそのものに起因するところもあり、今後同社ではユーザー管理サーバーのチューニングによる処理能力増強だけでなく、スマートフォンへのIPアドレス払い出し時のプロトコルの改善を実施するとしている。 ・ドコモのspモードで不具合、他人のメールアドレスが設定される恐れ ・ドコモのspモード障害、伝送路断をきっかけにユーザー管理サーバーが処理能力オーバー ・[続報]spモード障害、なぜ処理能力オーバーで「メールアドレスの置き換え」が起きたのか ・ドコモのspモード、一時停止中だったサービスを再開へ NTTドコモは2011年8月16日にもspモードに関連するトラブルを発生させている。スマートフォン急増に対しては無線区間のトラフィック増対策だけでなく、そのバックエンドのサービス側のサーバーやネットワークにも継続した十分な対策が必要なことを物語っている。 ・ドコモのspモード、障害の原因は中継ルーターの故障 <気になる料金、パケット定額の行方は> 2012年は携帯電話事業者の料金施策にも要注目である。携帯電話事業者にとって、今後トラブルを発生させないためにも設備増強などの投資は不可欠。また新周波数帯を割り当てられたとしても、その周波数を活用するためには当然ながら多大な設備投資をしなければならない。 海外ではスマートフォンによるトラフィック急増に対して、一部ユーザー側に負担を強いるような料金体系の見直しなども実施されている。日本でも料金体系の見直しは避けられないかもしれない。単にパケット定額料金だけでなく、それらと組み合わされる音声に関する料金などを含め、トータルでユーザーにメリットがある料金体系を打ち出すことが、スマートフォンのさらなる普及に向けて重要になってくるだろう。 ・AT&T、スマホの上位ヘビーユーザーのデータ通信速度を制限へ ・スマホのトラフィック爆発に悩む携帯事業者、自らが原因で苦しむ構図に違和感 ・24時間通話定額など、ドコモがXiスマホ向けに新料金 ・どうなる?携帯のパケット定額制、Xiへの移行急ぐドコモを競合も注視
2012.01.03
コメント(2)
食っちゃ寝から目覚めると、NHKスペシャル「めざせ!ニッポン復活」が放映されていた。藻谷浩介さん(地域エコノミスト)や奥山清行さん(デザイナー)が出演していて刺激的な内容である。とにかくペレットを燃料にした家庭用ペレットストーブが凄い・・・・間伐材利用による林業の再生がほの見えるではないか♪電力の地産地消の先行例としてオーストリアのギュッシング市のレポートがあり、日本では岡山県真庭市のチップ発電、ペレット発電が紹介されていた。既に韓国にもペレットを輸出しているそうで、大使の認識はかなり遅れていたようです。わが故郷高知県が遅れた地域として紹介されていた。高知県は森林に囲まれていながら、エネルギー負担が全国で最も遅れているとか・・・貧乏な高知県が大規模電力から電気を買って、輸出産業やお役所のために働いていたら・・・・ますます貧乏になるんだそうです。 要は、分かち合いの時代にあって、構造的には地産地消のバブルレス・エコノミーを目指せということであるが・・・・国交省、エネ庁などが旧弊構造にすがって生き残りを図るようでは、いわゆる「スピード感のない」改革となり、無駄の上塗りに堕する恐れがあるのです。また、地方のユニークな魅力が付加価値(売り)になる時代にあって、補助金による誘導とか許認可権というハードルにより、官僚が希望の芽をつむ事例が多いのです。(大使、かなり見方が歪んできてるで)だけど・・・高知県の尾崎知事と先行メーカ(銘建工業?)が握手をするシーンなどを見て・・・・おお 里山資本主義の夜明けは近いのではと思った次第です。経済成長は必要ない!という驚きの提言があったが、頭でっかちの官僚や政治家には理解できるだろうか?【希望の芽】・日本の里山をオーストリア化(コジェネで燃焼効率90%)する・岡山県真庭市モデル・シュレッダーゴミからエタノール・職人技の発掘(燕市の技術で高級食器)・カーボンファイバーの素材感・ホンダ・エアクラフト・カンパニー、現場力(ブルーカラー)の復権・買い手のニーズに応える技術力・東北の水耕栽培に日本IBMが協力NHKスペシャル「めざせ!ニッポン復活」1/1放送より平成に入り20年以上も混迷から抜け出せない日本経済。さらに、この1年は大震災と原発事故による「ニッポン」ブランドの失墜、超円高による輸出産業の苦境、多額の負債で財政出動がままならない国…といった逆風が吹き荒れ、閉塞感はかつてないレベルに達している。私たちはいったいどこに活路を見いだせばいいのか?番組は、この難題に真っ向から挑む。キーワードは『常識への挑戦』。「円高で仕事がなくなる」というのが常識。しかし、円高を成長のチャンスに変える逆転の発想があった!「日本はアジア勢に市場を奪われる」という常識。しかし、他の追随を許さないニッポンを再建するアイディアが登場!「日本の未来は経済成長にかかっている」という常識には、経済成長は必要ないという驚きの提言が!2012年元日、世界の荒波の中で日本が力強く生き抜いてゆく方策を提示する。11/11おすすめ番組NHK広島フェイス「里山に眠る“エネルギー”」よりNHK広島放送局のフェイスという番組で、「里山に眠る“エネルギー”」という番組が放送されたことを御存知でしょうか。広島県庄原市と岡山県真庭市における里山暮らしに注目した番組です広島県庄原市には、電気やガスに頼らず雑木を利用した「エコストーブ」で3度の食事を作る住人がいます。また、岡山の真庭市で木くずや間伐材を加工したペレットによるバイオマス発電で地域再生を図る動きがあります東日本大震災以降、エネルギー地産地消に関心をもつ人が増えているそうです。そうした人にも示唆を与えてくれるますし、里山が宝の山であることを改めて教えてくれます。ぜひ一度ご覧ください。NHK広島フェース「里山に眠る“エネルギー”」「里山に眠る“エネルギー”」9/10放送より森林資源の豊富な中国地方では、かつて燃料の主力だった木の価値に改めて目を向ける動きが広がっています。広島県庄原市で、電気やガスに頼らず、雑木を利用した「エコストーブ」で3度の食事を作る人。木くずや間伐材を加工したペレットによるバイオマス発電で地域再生を図る岡山県真庭市。“エネルギー地産地消”の現場には、便利さばかりを求める発想から脱却し、本当の意味で豊かな生活を実践する人たちがいます。中山間地が日本を救う“宝の山”になれるのか、その可能性を探ります。出演:藻谷浩介(地域エコノミスト)ほか銘建工業バイオマスって有効?3 「植物工場」の好機吉里吉里国 復活の薪
2012.01.02
コメント(2)
日本にも住んだことのあるカレ・ラースン氏が「ウォール街を占拠せよ」という呼びかけを発したが・・・・日本の潜在能力を高く評価するラースン氏にとってはしょぼんとして見える日本が、私にはなさけない気がするのです。元旦の朝日からラースン氏へのインタビューを紹介します。(デジタル朝日では記事が見えないので、新聞から転記するしかないのです) <カオスの深淵「ウォール街占拠の仕掛け人」> より ニューヨークから各地へ広がった反格差社会運動「ウォール街を占拠せよ」。米国中心の経済システムのゆがみを世界に印象づけ、各国の若者たちが共鳴の声を上げた。指導者はいない。組織もない。「正体のつかみにくい運動」と言われたが、仕掛け人はいる。カナダの雑誌発行人カレ・ラースン氏(69)だ。「成長一辺倒の米国型の経済モデルが行き詰まり、格差が目に余るようになったから、占拠運動が広い支持を得た」と話し、第2弾の運動を構想している。―あなたの提唱した「米ウォール街占拠」に共鳴して、新年を公園や大学構内で迎えた若者もいます。ところが肝心のウォール街では警察に解散させられ、冬を越せなかった。落胆していますか。A:とんでもない。私にとっては大成功です。最盛期には世界1千ヶ所を若者が占拠しました。これほど広範な共感を得られて落胆するわけがない。 もともと私は越冬せよと訴えるつもりもなかった。発行している雑誌『アドバスターズ』と自社サイトで「ウォール街を占拠せよ。9月17日決行、テント持参のこと」と呼びかけただけ。多くの人々がモヤモヤと感じていた不公平感に私の呼びかけが火をつけ、燃え広がったのだと受け止めています。(中略)―キャッチコピーの「私たちは99%だ」はだれが考え出したのですか。A:ニューヨーク在住のある大学教員が考案しました。ウォール街占拠の立ち上げに加わった男性です。1%の大金持ちが富を独占していることを鋭く突いた言葉で、世界中の人々の格差感を端的に表現してくれました。社会運動史に残る名作だと思います。―今後、占拠運動はどこへ。A:春になったらまた新しい仕掛けをしていきます。まず「ロビン・フッド税」の実現が目標です。お金を右から左へ動かすだけの投機的な国際取引に対する課税で、それには、投機的な取引の本山である米国を巻き込まないと効き目がありません。欧州には賛成するリーダーが多い。かたくなに反対しているのは米国と英国。12年は米国は大統領選の年なので、米国の世論を揺さぶれば実現できるかもしれません。(中略)―発行している『アドバスターズ』はどんな雑誌ですか。A:商業広告を退治しようと呼びかける隔月刊誌です。毎号約9万部発行でしたが、占拠が話題になって12万部に増えました。創刊したのは20年以上前、米国流の広告が世の中をおかしくしていると訴えるためでした。―なぜ広告を敵視するのですか。A:敵視はしていません。消費者をおかしくする商業広告と闘うために、反広告という名の、これまた広告を作ってきたのが私ですから。おかしいと訴えてきたのは、テレビに広告を流す権利が営利企業に独占されてしまっていることです。かって、30秒ほどのドキュメンタリー風の意見広告をオンエアしようと、各国のテレビ局と交渉しました。日本ではTBSを訪ねて「ノーバイ・デイ(無買日)」の趣旨を説明したが、広告放映を断られました。カナダでは森林破壊の実態を伝える広告をCBCに拒まれた。公共の電波が企業に握られている実態を悟りました。広告に対抗するには広告しかない。(中略)―母国エストニアはどんな国でしたか。A:独立は1991年。私が生まれた時は旧ソ連の支配下にありました。デモなど打てば逮捕される国でした。両親とともに難民としてドイツへ逃れたのですが、意見を封殺するものへの反発は幼少期に覚えたと思います。―日本に住まれたと聞きました。A:60年代半ばから10年近く東京におりました。豪州の大学を終えて、23歳で欧州へ向かう船旅の途中、日本が気に入ってしまいました。三重県四日市港で下船すると、小学生が僕を見て「ガイジンだ」と叫ぶ。泊まっていた安宿へ友達を連れて見に来るほど。「これほど外界と隔絶した国があるのか」と驚きました。一方で経済発展はすさまじい。通産省がぐいぐい産業界を引っ張って、輸出力を高めていく。学生運動にも力がみなぎっていた。国全体がダイナミックで、その異世界ぶりが面白くて住み着きました。北海道・登別出身の妻とも出会いましたし。―日本ではどんな仕事を。A:最初は東京で市場調査の会社を起こしました。その後はドキュメンタリー制作に転じました。テーマは、日本企業の急成長の秘訣とか、女性が職場や家庭で低い位置に置かれている問題とか。交番のお巡りさんとヤクザの親分に取材して、治安の裏表を描いたこともあります。子供の塾通いも撮りました。驚きの連続でしたね。―日本でもウォール街に呼応したデモがあったが、小規模でした。大人も若者も元気がないと言われます。A:いまの日本はしょぼんとして見えるが、元来ものすごく創造性豊かな国だと思います。米国主導の経済モデルに取って代わるものを打ち出せるとしたら、おそらく日本しかない。経済成長が永遠に続くと思い込んできた米国中心のシステムはもうダメになった。米国の衰退は誰の目にも明らか。欧州債務危機を見てもわかるとおり、G8とかG20とか世界の主要国がやっているのはしょせん対症療法です。―新経済モデルの構築を日本に期待するのはなぜですか。A:成長一辺倒モデルの限界を世界で最も早く体感した国だからです。高度成長をへて、バブル崩壊と20年の停滞。日本の困難を欧州や米国は遅れて経験しているのです。いま求められているのは壮大な構想力。経済成長が止まった後にどう経済を持続させられるか。解を日本が見つけてくれたら、若者が公園を占拠する必要はもうなくなります。<取材を終えて> ラースン氏の雑誌社は、築100年の古民家の地下室でした。地元カナダでも無名の雑誌ですが、「ウォール街を占拠せよ」というキャッチコピー1本で五大陸の若者を引きつけ、デモに駆り立てました。よく練られた言葉が、時を得ると、世界の潮流すら変えてしまう。近年これほどの動員力を持った言葉をほかに知りません。商業広告を退治しようと呼びかける隔月刊誌『アドバスターズ』を発行するなど・・・・それから、ロビン・フッド税実現を目指すなど、経済の本質がわかっているんでしょうね。それにしても、ラディカルな人である。ウィキペディアウォール街を占拠せよより<発端> 2011年7月、カナダの雑誌アドバスターズの創始者カレ・ラースンが金融機関や政界に対して抗議の意志を表明するために、金融界の象徴といえるウォール街での行進やニューヨーク証券取引所前での座り込みなどを行い、ウォール街を数ヶ月占拠するというデモ活動を呼びかけ、2万人を目標として賛同者を募り始める。告知のためウェブサイトを開設し、TwitterやSNSサイトなどを通じて活動内容が広められていった。ラースン自身は、当初は保守派によるティーパーティー運動に対抗する意図があったと述べている。同年8月にはハッキング活動で有名なアノニマスがこれに賛同し、デモ活動へ参加するよう呼びかけた。 ラースンはこの活動がアメリカだけでなく、チュニジアから始まった抗議活動が北アフリカに広まったアラブの春と同様、世界中で起こるべきであり、また2011年8月に起こったイギリス暴動とは違う、平和的な抗議活動にするべきという考えだとされる。国際連帯税をはばむものとは?
2012.01.02
コメント(0)
あけまして、おめでとうございます。昨年は正月早々に手術があり、リハビリに努めた大変な年であったが・・・・最近は体重は減ったままではあるが、ほぼ普通の食事に耐えられる身になったのです。(いわゆる痩せの大食いに近い状態でおま)調子の良さから、秋口には和歌山県、宮城県への災害復旧ボランティアにまで繰り出したのですが・・・これが、最近の体調過信につながっているような気がしないでもないのです。家族からは、年金生活の金蔓として長生きが求められているので、無茶なことはできないはずではあるが・・・・マラソンレースへの復帰を目論んでおります。 神戸マラソン手術からマラソン復帰への遍歴として腑抜けの闘病記を鋭意、書き留めております。(ご笑覧あれ)ということで・・・今年もよろしくお願いします。ところで、楽天ブログが12日からリニューアルされて、ツイッターとの連携など改良するようですが、内田先生がツイッターとブログの違いについて次のように述べています。先生は、ブログの効用を再認識したようですね。12/29ツイッターとブログの違いについてより ブログ上で他の方の著書から引用するときに、発行年や頁数まで明記する人はあまりいないが、こういう書誌情報は「あとになって」調べようとすると、たいへんに時間がかかるものである。ほんとに。それにそうしておくと、ブログが「ノート代わり」に使える。ブログには検索機能がついているので、キーワードを打ち込むと、そのトピックについて私が書いたことがずらずらと出てくる。その中に必要なデータのかなりの部分が含まれている。Twitterはこういう使い方はできない(引用の書誌情報なんか書いていたら、140字分のスペースがすぐに埋まってしまう)。だから、どんなナイスなアイディアが浮かんでも、論文の一章分くらいの素材をTwitter上に残しておいて、あとでそのままコピペして使うという芸当はできない。 Twitterには「つぶやき」を、ブログには「演説」を、というふうになんとなく使い分けをしてきたが、二年ほどやってわかったことは、Twitterに書き付けたアイディアもそのあとブログにまとめておかないと、再利用がむずかしいということである。Twitterは多くの場合携帯で打ち込んでいるが、これはアイディアの尻尾をつかまえることはできるが、それを展開することができない。指が思考に追いつかないからである。だから、Twitterは水平方向に「ずれて」ゆくのには向いているが、縦穴を掘ることには向いていない。さきほど、45分コースを走ってきたが、おととしの記録とほぼ同じであり・・・・記録的には、ほぼ復活しています♪<H22>1/02 13'20" 24'45" 38'48" 46'07"(晴)1/04 12'59" 24'03" 38'10" 44'59"(晴)<H24>1/01 12'33" 24'04" 38'38" 45'59"(快晴)
2012.01.01
コメント(8)
全47件 (47件中 1-47件目)
1