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写真は、麻布台ヒルズから見た東京タワーです。 反対側の窓からは富士山が見えました。 You can enjoy a view of Tokyo's cityscape from Mori JP Tower in Azabudai Hills, surpassing Abeno Harukas. You can see Tokyo Tower right in front of you. To the west you can see Mount Fuji.【Bon appétit !】 The concept of the Azabudai Hills is a "MODERN URBAN VILLAGE"; it aims to be a huge open space at the heart of Tokyo filled with lush greenery that will bring people closer together and build a new community.(https://www.mori.co.jp/en/projects/toranomon_azabudai/)
2024.01.31
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アフガニスタンの首都カーブルからアジアハイウエイを南へカンダハールへ向かって進みます。砂漠の中を走りますが、時々オアシスがありほっとします。バスがオアシスで停まると、子供たちが声を出してバスに寄って来て水を売ります。時々、パシュトゥン人の遊牧民がラクダに乗って移動しています。家財道具一切を積んでいます。駱駝の上には真っ赤な衣装を身に着けた女性が乗っていて、真っ青な空と、砂漠の薄茶色とのコントラストが美しい。テントを張っている遊牧民も見かけます。 カーブルから490km走ってカンダハールに到着です。町はずれにある岩壁上の砦に行きます。ムガール帝国創立者バーブルが作ったとのことです。重要な軍事施設で写真撮影禁止との事。警備中の兵士に、その人の写真を撮って良いか聞くと快い承諾。景色を背景に兵士の写真を撮らせてもらいました。 カンダハールは、パキスタンのペシャーワルと並ぶパシュトゥン人が居住する主要都市です。アフガニスタンの支配部族ドゥッラニ族の本拠であり、パシュトゥン人は、数百年の間、首都カーブルに君臨する王朝をつくってきました。1994年、ターリバーン政権が樹立され、カンダハールに国家元首ムハンマド・オマルが常住しました。カーブルに政府機関はありましたが、カンダハールがアフガニスタン・イスラム首長国の事実上の首都となっていました。 ここは、丘陵の岩壁にギリシア語とアラム語で刻まれたアショーカ王(在位紀元前268〜前232年)の法勅碑文があることでも有名です。 写真は、1977年に撮ったもので、遊牧民のテント、道端の野菜売り、岩壁上の砦の兵士、ホテルの守衛たち、パン屋さんです。【Bon appétit !】 Kandahar is one of the most culturally significant cities of the Pashtuns. Historically Kandahar is considered as an important political area for Afghanistan revelations. Many empires have long fought over the city due to its strategic location along the trade routes of southern, central and western Asia. Despite the capital of Afghanistan being Kabul, where the government administration is based, Kandahar is the seat of power in Afghanistan as the supreme leader and his spiritual advisers are based there. Kandahar has therefore been called the de facto capital of Afghanistan.(https://en.wikipedia.org/wiki/Kandahar)
2024.01.28
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パキスタンのペシャワールからカイバル峠を通ってアフガニスタンにあるパシュトゥン人の街ジャララバードへ向かうことにします。カイバル峠は、アレクサンダー大王やチンギスカンなどが通った峠です。三蔵法師(玄奘)もこの地を訪れています。 ペシャワールをバスで出て1時間もしないうちに荒涼とした景色が現れて来ます。峠へ向かう道の両側は灰褐色に染まっていて木も草もありません。だぶだぶのズボンに裾が膝まであるシャツを着てターバンを巻いたたくさんの男たちが歩いていて、みな武装しています。体に弾帯を巻き付けています。パシュトゥン人です。1893年にイギリスにより策定されたアフガニスタンとパキスタンの国境はありますが関係ありません。パシュトゥン人にとっては、この地域は、自分たちの国、パシュトニスタン国です。 茶褐色の塀で囲まれた土で造られたような建物が所々にくっついています。城砦にも見えます。砲座、銃眼の付いた塔が四隅に立っています。その奥にある四角の楼が全体を統括しているようです。 突然、バスの中に、武装したパシュトゥン人が乗り込んできて、いきなり銃を掲げて演説が始まります。「この辺りは自分たちが統治している治外法権地域だ。パシュトニスタン国の実現のための独立運動をしている。ここを通過するものは通行料を支払うことになっている。」一人一人から通行料を徴収して、彼らはバスを降ります。バスはアフガニスタンとの国境へ向かいます。(「私はパシュトゥン人が好きだ」シリーズは、今回で終了とします。ありがとうございました。)(この記事は1977年当時のことを書いています。)写真は、ペシャワールで見たSL、カイバル峠の景色。【Bon appétit !】 Throughout the centuries, Pashtun clans, particularly the Afridis and the Afghan Shinwaris, have regarded the Pass as their own preserve and have levied(徴集する)a toll on travellers for safe conduct. Since this has long been their main source of income, resistance to challenges to the Shinwaris' authority has often been fierce. The area of the Khyber Pass has been connected with a counterfeit(模造の)arms industry that makes various types of weapons known to gun collectors as Khyber Pass copies using local steel and blacksmiths' forges.(https://en.wikipedia.org/wiki/Khyber_Pass)
2024.01.26
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パシュトゥン人が住む村での4泊5日間の滞在はあっという間に過ぎてしまいました。村を去る日、ムバラス・カーンが馬車でマルダンの街まで送ってくれました。美し田園風景の中を40分ほど進んで街に到着です。ありがとうございました。 彼らの歓待は素晴らしく、この間、とても快適に暮らすことができました。日本はおもてなしの国と言われていますが、彼らも、日本人同様、おもてなしの民族であると感じさせられました。聞くところによると、おもてなしは、パシュトゥン人を特徴付ける行動様式だそうです。おもてなしは彼らの伝統の掟となっていて、求めてくる者に対しては、たとえ敵であっても客人として食事と宿所を提供してもてなすことになっているそうです。 アルカイダを立ち上げたサウジアラビア人オサマビンラデンが匿ってくれと言ってくれば、匿ってでももてなすことがパシュトゥン人の掟だったのかもしれません。 部族地帯に入る時には身の安全をこの掟に委ねることが出来る伝統があるとは露知らず訪問したパキスタンの農村でしたが、この掟が個人の安全に役立ったことになり、感謝です。(続く)(この記事は1977年当時のことを書いています。)写真は、馬車、村人、畑、川沿いの子供たち。【Bon appétit !】 Passed on from generation to generation, Pashtunwali guides both individual and communal conduct. Pashtunwali promotes self-respect, independence, justice, hospitality, love, forgiveness, revenge and tolerance toward all (especially to strangers or guests). It is onsidered to be the personal responsibility of every Pashtun to discover and rediscover Pashtunwali's essence and meaning.(https://en.wikipedia.org/wiki/Pashtunwali)
2024.01.25
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今回はトイレの話です。村にはトイレがありません。日本人にはトイレが必用だろうということで、村人たちがトイレを作ってくれました。寝泊まりしている部屋(小屋)から少し離れた畑の脇に幅30cm、長さ60cm、深さ50cm位の穴が掘られていました。穴の上に板を渡しているだけで囲いの無い簡単なものですが、感謝です。周りから丸見えですので、真夜中、人がいない時に利用します。気づくと近くで牛が寝ていました。空は、星の洪水です。 トイレの無い文化があることに驚いたのですが、この旅では、この村だけではありません。都市部の裏道などで、建物から捨てられた排泄物をみかけることが珍しくありません。ましてや、農村では、どこでもトイレです。実際、村の人と出かけると、皆さん適当な所で用を足します。男性も女性もしゃがんで用を足します。だぶだぶのふわっとした上着が下半身を隠しますので、見た感じではただしゃがんでいるだけに見え、何をしているのかはわかりません。 余談ですが、パキスタンでもアフガニスタンでも、トイレにトイレットペーパーがないことに驚くことでしょう。替わりに、水とジョウロやピッチャーの様な物があるだけで、トイレットペーパーの替わりに水を使います。省資源であり、より衛生的に感じました。(続く)(この記事は1977年当時のことを書いています。)写真は、村人たち、ムバラス・カーンの子供たち、畑、羊飼い。【Bon appétit !】 Pakistan is among the top 10 countries globally in terms of worst sanitation. 79 million people in Pakistan do not have access to a proper toilet. According to World Bank. 68% of Pakistanis are using at least basic sanitation services. Recent years, Pakistan has made improvements in access to sanitation, according to UNICEF reports yet 25 million people still practice open defecation(排泄)(https://reliefweb.int/report/pakistan/world-toilet-day-19-november-2022)
2024.01.24
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黙々と菜種を刈り取る小作人たちを横目に、菜の花畑の後にある小高い岩山に登ります。西に傾きかけた太陽から来る光が、周りの山々の凹凸を際立たせます。赤茶けた山肌と緑の畑の豊かな景色が眼下に広がります。地平線地下にある太陽の光が、2か月後に収穫を待つ小麦の上に輝きます。どこからか虫の鳴き声も聞こえてきます。気温が下がってきて、日本の秋かと錯覚してしまいます。 夕方、家路に帰る子供たちが、後ろから付いてきます。皆、頭に草を載せて運んでいます。自分も、子供から荷物を借りて頭に載せてみます。子供が頭に乗せるには相当堪えるような重さです。彼らは、毎日こうして草を運んでいるようです。 外に椅子やベッドを出して夕涼みしました。子供たちがビー玉で遊んでいます。見ていると、ビー玉をあてたり、ビー玉を投げて地面につくった穴にいれたりしています。時々パシュトゥン語で私をからかいます。何かわかりませんが、こちらも一緒に大笑いします。(続く)(この記事は1977年当時のことを書いています。)写真は、頭に草を載せている子供たち、ビー玉で遊ぶ子供たち、村人たち、畑の景色。【Bon appétit !】 History of Kenchay (marbles)(ビー玉)can be traced back to the ancient Egypt where many clay balls were found in the ancient Egypt’s tombs. Roman literature also indicates about marbles. But it is said that marbles were originated in Harrapion Civilzation. Harrapa is located near Indus river of Pakistan. During the digging near Mohenjo Daro many marbles were discovered.(https://tsgpakistan.com/kanchay-bantay/)
2024.01.23
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モハメッド・アリ(仮名)、モハメッドの弟アヤーズ・アリ(仮名)や一族の人たちと菜の花畑へ散策です。田園の景色に心が癒されます。岩山の荒涼とした景色と木々の緑の対比には美しいものがあります。何十人もの人たちが菜種を刈り取っていました。「servants」と、モハメッドが言います。想像するに、モハメッドの父上のムバラス・カーン(仮名)は、この辺りの大地主の一族のようです。 モハメッドのいう「servants」の意味は、小作人という意味の様です。彼らは、モハメッドの家の土地を借りて農業を営んでいる人たちとのことでした。彼らも全員、ムバラス・カーン同様ガリアラ村に住んでいる人たちです。モハメッドによれば、収穫したもののうち7割が地主である自分の家の取り分、残りの3割が小作人の取り分になるということです。豊作でも凶作でもこの取り分は変わらないということです。(続く)(この記事は1977年当時のことを書いています。)写真は、ムバラス・カーンの子供たち、収穫作業するservantたち【Bon appétit !】 Changes in patterns of land tenure between 1972 and 2000 for NWFP show a dramatic decline in tenancy and a corresponding increase in owner-cultivation. The trends in NWFP: Owner-operated area increased from only 38 percent in 1972 to 76 percent in 2000, while a significant decline was observed in area operated by tenants or owner-tenants.(https://www.ilo.org/wcmsp5/groups/public/---ed_norm/---declaration/documents/publication/wcms_082027.pdf)
2024.01.20
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散歩したり、馬車に乗ったり、長閑な田園風景を楽しみます。頭の上に水がめのようなものを載せて歩く女性たち、ロバにまたがる子供たち、羊をペットにする少女たちがいます。女性が体に巻いている広い布(SADAR)は地域ごとに違いがあるようです。この辺りのSADARは、白地に赤い模様という特色があります。 あちこちで女性が川で選択しています。洗濯物を50cm位の棒で叩いています。大人の女性は私を見かけるとすぐ顔を隠します。その場から離れてどこかへ行ってしまう人もいます。 川には、魚が泳いでいます。腹の赤い熱帯魚の様な魚、直径が30cmもあるような甲羅を持った亀がいます。釣りをしている子供たちがいます。 川沿いに小さな小屋がありました。製粉所です。動力は川の水の流れです。製粉所の中には人が作業していて、全身が白い粉だらけです。髪の毛も顔も真っ白です。(続く)(この記事は1977年当時のことを書いています。)【Bon appétit !】 According to the World Economic Forum’s Global Gender Gap Index 2022, Pakistan is the 2nd worst country in terms of gender parity and women representation in economic participation and opportunity. In addition, women face considerable challenges in terms of health, education, legal empowerment, mobility, access to finance, inclusion in decision making and climate justice, which translates into limited choices for means of livelihoods.(DEVELOPMENT ADVOCATE PAKISTAN VOLUME 9 / ISSUE 4 | DECEMBER 2022 - JANUARY 2023)
2024.01.19
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ある日、映画俳優の家にお邪魔しました。少し離れているので、白馬の馬車で行きます。緑の中、田舎道を進みます。途中高校がありました。何もない村に高校があるとは驚きです。教育熱心なのかもしれません。モハメッド(仮名)のお兄さんが日本に留学してきたのも、お父上のムバラス・カーン(仮名)が教育の大切さを知っていたのも、ここが教育に熱心な地域ということがあったのかもしれません。 暫く馬車で進んでいくと映画俳優の家です。家には自動小銃を置くための台座を備えています。家には、恰幅の良い似た顔の美男子兄弟3人がいます。そのうちの一人が映画俳優です。いつもファンの女性たちにキャーキャー言われているそうです。お茶とビスケットをご馳走になり、近くを散歩します。さすがにこの村まではファンの女性たちは来ていません。(続く)(この記事は1977年当時のことを書いています。)写真は、村の高校、映画俳優と一緒に集合写真、水辺で食器を洗う女性たち、モハメッド、アヤーズ。【Bon appétit !】 During the early 1970s, Pakistan was the world's fourth-largest producer of feature films(長編映画). However, between 1977 and 2007, the film industry of Pakistan went into decline due to martial laws, strengthening of censorship laws, and an overall lack of quality.(https://en.wikipedia.org/wiki/Cinema_of_Pakistan)
2024.01.17
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ある時、村人が、次のような質問をしてきました。「日本人は仏教徒と聞いているが、もう一つ宗教を持っているのではないか?」、「第2次大戦中、日本の飛行機が敵に体当たりしたのは、その宗教を信仰しているからではないか?」。 戦時中パキスタンは英国が植民地支配しているインドだったので、パキスタン人はイギリス軍として、日本と戦っています。このガリヤラ村にも、日本軍と戦ったという人が何人もいます。捕虜になった人もいます。 村人が、紙幣のようなものを持ってきました。The Japanese Government、Ten Rupeesのほかに大日本帝国政府という日本の文字も書かれていて、ビルマのバゴダが描かれています。彼らが言うには、日本軍が発行した紙幣だと言います。後で調べると、これは、ビルマで使われていた軍票でした。おそらくこの持ち主は、日本と英領ビルマが戦った時にイギリス軍に徴兵されてビルマに派遣されたのだろうと思います。 村人が、日本軍の捕虜になった時に覚えた日本語を披露してくれました。「ばかやろう」「だめだな」「くそったれ」。パキスタン西北辺境州の村でこのような日本語を聞くとは驚きです。(続く)(この記事は1977年当時のことを書いています。)写真は、軍票、村人たち、畑、羊【Bon appétit !】 The Japanese government-issued rupee in Burma was a Japanese invasion money issued by the Japanese Military Authority, as a replacement for local currency during the Japanese occupation of Burma in the Second World War. Like most Japanese colonial currency from this period, a letter code was used on the notes. The first or top letter “B” indicates the note was printed and issued for Burma. The second letter or letters indicate the block (or printing batch) of the note,(https://en.wikipedia.org/wiki/Japanese_government_issued_rupee_in_Burma)
2024.01.16
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村に、グル・イスラムという聖職者がいます。村人はイスラム教を信仰していて、グル・イスラムは神道でいえば神主さんに当たる人です。夜皆が集まった時に、宗教の話に議論が及びました。私は特定の宗教を信仰はしていませんでしたが、丁度、持参していたお守りが、中に般若心経が書かれたちいさな経本が入っているものだったので、それを見せ、これは仏教のお経であること、日本人は神社やお寺でお祈りをして、とても信心深いことを伝えました。グル・イスラムは漢字だらけの般若心経の経本を見て、とても感心していました。そして、祈りの時間には、村のモスクでのお祈りに誘ってくれました。 私はイスラム教徒ではないので、モスクでは日本の神様にお祈りする様にとのグル・イスラムの言葉でした。モスクに入る前には、体を清めます。日本では手水舎で手と口を洗いますが、ここでは、何人もの人が横長の水場にしゃがんで、あたま、顔、手、足を水で洗います。歯を洗う人もいます。シャワー室もあります。おそらく完全な禊をしたい人の為にあるのだと思います。村の一角にある塀で囲まれた場所が、モスクです。青空の下、芝生の上で、メッカの方を向いてお祈りします。三々五々村人が集まり、個々人がかってにお祈りをします。額に地面に擦る様にお辞儀をしたり、立ったりしたりを繰り返します。自分は後ろの方で手を合わせてお祈りしました。子供たちもモスクに来ていますが、祈りに専念するというより、こちらをチラチラとみています。。大人の中にも同様に見る者がいます。コーランを皆で歌う頃になると、全員が横一列に整列し、礼拝に集中し始めます。コーランの美しい旋律が響きます。村の人々は日に5回お祈りしているようでした。【Bon appétit !】 Salah also known as namâz, is worship performed by Muslims. Facing the qibla (the direction of the Kaaba), Muslims pray first standing and later kneeling or sitting on the ground, reciting prescribed prayers and phrases from the Quran as they bow and prostrate(ひれ伏す)themselves in between.(https://en.wikipedia.org/wiki/Salah)
2024.01.14
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アショカ王の岩への道中、牛が同じ処をグルグル回っている光景を見かけました。よく見ると、牛は目隠しをしていて、牛の背中には棒がくくり付けられています。モハメッドに聞くと、ペルシャ井戸と呼ぶ井戸だということです。牛が井戸のまわりを回り、その力で壺がついた水車が回り、地下にある水を地上に汲み上げています。水に乏しいこの地域では、地下のカナート(地下に掘られている水路)から、こうやって灌漑用の水を汲み上げています。グル・イスラム(仮名)が、村のモスク(寺院)では、牛を使ってではなくポンプを使って水を汲み上げている旨自慢そうに話してくれます。(続く)(この記事は1977年当時のことを書いています。)写真は、ペルシャ井戸、近所の風景などです。【Bon appétit !】 A Persian well is a type of water well found in the Middle East, often used in conjunction with a qanat. These wells feature an ox-driven pump where the ox walks in circles around a central drive shaft which turns a wheel that raises water via a chain of buckets from the qanat or a well. In some cases, water flows fast enough that a subterranean(地下の)waterwheel may harness enough power to raise the buckets of water to the surface level.(https://en.wikipedia.org/wiki/Persian_well)
2024.01.13
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岩に刻まれたアショカ王の岩(アショカ王碑文)があるということで、サブズ・アリ(仮名)の弟モハメッド・アリ(仮名)や聖職者のグル・イスラム(仮名)たちと一緒に見に行くことにしました。村から少し離れた場所にありますので、ムバラス・カーン家が所有するタンガ(馬車)を使います。白馬です。アショカ王は、紀元前3世紀にインドからアフガニスタンにかけての地域を治めた王です。地域を治め仏教を普及させるために、詔勅(=法勅)、仏法の教えを岩に刻んだそうです。ここの岩に書いてある文章は、ガンダーラ語で書かれているそうで、文字はカローシュティー文字が使われているということです。(他の地域では、他の言語や文字が使われていて、例えば、アフガニスタンのカンダハルのアショカ碑文はでは、ギリシア語とアラム語の二言語で記されているそうです。)この辺りからアフガニスタン東北部にかけてはガンダーラとよばれた仏教故地で、このような仏教遺跡の宝庫と言われています。(続く。この記事は1977年の体験をもとに書いています。)写真は、馬車、アショカ王の岩などです。【Bon appétit !】 Three languages were used: Ashokan Prakrit, Greek (the language of the neighbouring Greco-Bactrian kingdom and the Greek communities in Ashoka's realm) and Aramaic (the official language of the former Achaemenid(アケメネス朝) Empire). The Prakrit displayed local variations, from early Gandhari in the northwest, to Old Ardhamagadhi in the east, where it was the "chancery language" of the court. The language level of the Prakrit inscriptions tends to be rather informal or colloquial.(https://en.wikipedia.org/wiki/Edicts_of_Ashoka)
2024.01.12
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毎夜やってくる村人たちは、討論好きです。すぐに議論が白熱します。当時、パキスタン人民党(PPP)の創立者ズルフィカル・アリ・ブットが首相で、反対派がパキスタン国民同盟を結成する等政情が不安定な時でした。(参考:ズルフィカルの娘は2007年に暗殺されたベナジル・ブット首相です。)村人たちは、いつもラジオを聴きます。よく聴く番組はBBC放送です。彼らによれば、BBCはパキスタン政府の都合の悪いことも放送してくれるのだそうです。ラジオを囲んで、放送内容に賛同する喚き声を出したり、パキスタン政府を批判する雄叫びをあげたりで賑やかです。 当時、カラチで暴動が起こっていました。少し前に行われた選挙のやり直しを求めて、デモやストライキが行われているようです。それに対し、ブット大統領は選挙に不正はないということで再選挙を拒否しています。村人たちもラジオと一緒になって議論しています。「ブット支持者が多いのでブットは強気に出ている」、「一選挙区一名定員の小選挙区制が問題」、「ブットのイスラム的社会主義政策反対」等さまざまな意見が交わされます。夜遅くなるにつれ村人たちは三々五々それぞれの家に帰っていきます。(続く)(この記事は1977年の体験をもとに書いています。) 写真は、カラチで見た選挙ポスター、カラチの投票所、村の道端の靴屋さん、村の人たち。【Bon appétit !】 Despite winning the 1977 parliamentary elections, Bhutto faced allegations of widespread vote rigging(不正操作), sparking violence across the country. On 5 July 1977, Bhutto was deposed(退位させる)in a military coup by army chief Muhammad Zia-ul-Haq.(https://en.wikipedia.org/wiki/Zulfikar_Ali_Bhutto)
2024.01.10
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村での食事は、朝、昼、夕の毎日、留学生として日本に滞在中のサブズ・アリ(仮名)の弟モハメッド・アリ(仮名)が離れの部屋まで運んで来てくれます。食事を誰が作っているのかはわかりません。家には、ムバラス・カーン(仮名)の奥さんや娘さんがいるはずでが、一度も見かけることはありませんでした。家で見かけた唯一の女性はお手伝いさんで、おそらく彼女が食事を作っているのだろうと想像します。朝食は、茹で卵、チャパティ、紅茶。紅茶は砂糖がたくさん入ったミルクティーでとても美味しく感じます。昼食と夕食は、スープ、ご飯、チャパティが基本で、時々ミルクティーとバナナが出てきます。 食事のあとは昼寝をしたり、外に椅子やベッドを出して夕涼みします。昼寝をする時だけがプライバシーが保たれる唯一の時間ですが、なんとなく常時誰かが覗いているようです。少しでも起きようものなら、直ぐに村人の誰かが部屋に入って来て、話が始まります。プライベートな時間は見出せません。(続く。この記事は1977年の体験をもとに書いています。)写真は、モハメッド、家で見かけた唯一の女性、村の人を撮ったものです。、【Bon appétit !】 Pakistani government decided to retaliate(仕返しをする)against the Afghan government's Pashtunistan policy by supporting Non-Pashtun opponents of the Afghan government including future Mujaheddin leaders like Gulbuddin Hekmatyar and Ahmad Shah Massoud. This operation was remarkably successful, and by 1977 the Afghan government of Daoud Khan was willing to settle all outstanding issues in exchange for a lifting of the ban on the National Awami Party and a commitment towards provincial autonomy for Pashtuns, which was already guaranteed by Pakistan's Constitution, but stripped by the Bhutto government when the One Unit scheme was introduced.(https://en.wikipedia.org/wiki/Pashtunistan)
2024.01.09
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村の人々はパキスタン北西辺境州に住むほかの人々と同様パシュトゥン人です。パシュトゥン人は、国境の両側、パキスタンの北西辺境州、アフガニスタンの東部、南部を中心に全域に住んでいます。パキスタン人はウルドゥ語、アフガニスタン人はダリ語(=ペルシャ語)が共通語ですが、パシュトゥン人はパシュトゥ語を話します。 パシュトゥン人は、英国の統治時代から中央政府の統治に対する反発が強く、独立心が旺盛です。パキスタンがインドから独立してからも、彼らは、単に支配者が英国インド政府からパキスタン政府に変わっただけとの見方をしています。彼らは、アフガニスタンを含めた民族としての自立性を主張しています。パキスタンにもアフガニスタンにも属さないパシュトニスタン国を作ることが、彼らの目標です。 毎日、夜になると、村の人たちが小屋にやってきます。部屋に入って来る度に、アッサラームアレイコムの挨拶がどこそことなくささやかれます。部屋には30人以上の人がいます。彼らはみな体に弾帯を巻いています。手にはライフル銃を持っています。気心知れた人ばかりの村でライフル銃を使うことがあるのでしょうか?彼らの答えは「ある。」です。村の外部の者から身を護るためだそうです。が、村内の人でも敵になることがあるとの話になお驚きます。 実際、近所を散歩していると、門の上に、機関銃を置くための台座が設置されている家を見かけます。彼らはとても独立心が旺盛です。(この記事は1977年の体験をもとに書いています)(続く)【Bon appétit !】 The native or indigenous people of Pashtunistan are the Pashtuns (also known as Pakhtuns, Pathans and historically as ethnic Afghans), an Iranic ethnic group. They are the largest ethnic group in Afghanistan and the second largest in Pakistan. The Pashtuns are concentrated mainly in the south and east of Afghanistan but also exist in northern and western parts of the country as a minority group. In Pakistan they are concentrated in the west and north-west, inhabiting mainly Khyber Pakhtunkhwa and northern Balochistan.(https://en.wikipedia.org/wiki/Pashtunistan)
2024.01.08
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富士山のシルエットが美しかったので、さいたま市の荒川土手から写真を撮りました。日が沈んだ後は、富士山のふもとに靄がかかったようになり、山水画の様でした。 Pictures of Mt.Fuji and setting sun. from Saitama City.【Bon appétit !】 In English, the mountain is known as Mount Fuji. Some sources refer to it as "Fuji-san", "Fujiyama" or, redundantly, "Mt. Fujiyama". Japanese speakers refer to the mountain as "Fuji-san". This "san" is not the honorific suffix used with people's names, such as Watanabe-san, but the Sino-Japanese reading of the character yama (山, "mountain") used in Sino-Japanese compounds. (https://en.wikipedia.org/wiki/Mount_Fuji)
2024.01.07
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パキスタン北西辺境州マルダン県ガリアラ村に入ると、道の両側が土壁になっていて、壁に囲まれた迷路のような路地を進みます。所々に、土壁をくり抜いたお店があります。果物屋、靴屋、雑貨屋など。 歩いている女性はチャドリをかぶっています。チャドリは、頭から全身をすっぽり覆うゆるやかな外衣で、足首まで隠れています。ほとんどの女性は、私の姿を見ると門の中に隠れながらも、こちらをのぞき見しています。 日本に留学しているサブズ・アリ(仮名)の実家に無事到着します。父上は、ムバラス・カーン(仮名)という名前です。離れに小屋があり、そこで寝泊まりすることになりました。この小屋は、ゲストハウスとして使われているようでした。 早速休息しようと思っていると、直ぐにたくさんの村人がやってきます。握手をしたり、両手で固く私の手を握りしめます。抱き合って挨拶して来る人もいます。(続く) 写真は、路地の両側は土の壁、雑貨屋の前に立つ3人、ムバラス・カーン(仮名)、村の人々。【Bon appétit !】 Around 1800 BCE, the area around Mardan was part of the homeland of the Gandhara grave culture. Rock edicts of the ancient Indian King Ashoka in the nearby Shahbaz Garhi, written in the right-to-left Kharosthi script, date from the Mauryan period (mid-200s BCE) and represent the earliest irrefutable evidence of writing in South Asia.(https://en.wikipedia.org/wiki/Mardan)
2024.01.06
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パキスタン北西辺境州マルダン県都マルダンから目的の地ガリアラ村へはバスに乗って行きました。乗り込んで出発を待っていると、貫禄のあるおじさんが車内に入ってきて、どこに行くのか聞いてきます。日本人が行くことはないような地域へ行くバスに乗っているので、これは大事件とばかり、確認に来たようです。行先を告げ、バスに間違いないことが確認でき、彼も安心したようです。 乗車率120%位の混雑です。どこに行ってもバスは混んでいます。市内のバスはたくさんの人が外にぶらさがっています。田舎のバスは、たくさんの人が屋根に上っています。だんだん畑が増えてきます。ロバに乗っている少年や山羊を連れている少女、腰を振ってゆったりと歩く駱駝などが見えます。 バスを降り、ガリアラ村へ向かいます。小川では子供たちが水遊びしています。皆、驚いたようにこちらを見ています。ガリアラと聞くと、指で指すので、その方向に歩いていきます。30分ほど歩くと英語の通じる大人に出会います。その人の言いつけで、その場にいた子供が私をサブズ・アリ(仮名)の実家まで連れて行ってくれます。途中大人の人が加わり、我々と一緒になります。都市部での様に、何十人という人が周りに集まってくることはありません。見たところ、村は落ち着いて清潔な感じ、貧困も混乱もないように見えます。(続く)【Bon appétit !】 There are an estimated 350–400 Pashtun tribes and clans with a variety of origin theories. The total population of the Pashtun people worldwide is estimated to be around 49 million, although this figure is disputed due to the lack of an official census in Afghanistan since 1979. They are the second-largest ethnic group in Pakistan and one of the largest ethnic groups in Afghanistan, constituting around 18.24 percent of the total Pakistani population and around 35-42 percent of the total Afghan population.(https://en.wikipedia.org/wiki/Pashtuns)
2024.01.05
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パシュトゥン人は、アフガニスタンのタリバンの出身母体として多くの人にその悪名が知られるようになりました。またパキスタンで暗殺されたアルカイダの指導者オサマビンラディンを匿ったと言われていて、悪い印象を有している人もいるかと思います。私は、少しだけパシュトゥン人とかかわりがありましたので、これから何回かに分けて、私の経験を書いてみたいと思います。 私は、1977年、まだ学生の頃、パキスタンのカラチに降り立ち、2カ月ほどかけて陸路を西へ、ギリシャまで旅しました。その途中、日本に留学しているパキスタン人サブズ・アリ(仮名)の実家を訪問しました。彼の実家は、パキスタン北西辺境州マルダン県ガリアラ村で、4泊5日間お世話になりました。彼らとの交流を通じて彼らのことがとても好きになりました。そのときのことから書き始めたいと思います。(続く)【Bon appétit !】 Pashtuns are a nomadic, pastoral, Eastern Iranic ethnic group primarily residing in northwestern Pakistan and southern and eastern Afghanistan. They historically were also referred to as Afghans until the 1970s, after the term's meaning had become a demonym for members of all ethnic groups in Afghanistan.(https://en.wikipedia.org/wiki/Pashtuns)
2024.01.04
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写真は、真岡鉄道を走っているC1266等を撮ったものです。先月撮った写真だけでなく以前に撮った写真も載せています。 この機関車は、1933年に日立製作所で製造されたもので、満90歳です。 Photos show C12 type steam locomotive of Moka Railway Line. C1266 was manufactured in 1933 at Hitachi, Ltd.【Bon appétit !】 Japan is famous for its trains, and the Moka Railway is no exception. This historical steam railway is a great way to experience the bygone days of Japan while taking in sweeping views of Ibaraki and Tochigi's countryside. The railway spans 42 kilometers from Shimodate in Ibaraki Prefecture to Motegi in the neighboring Tochigi Prefecture. Passengers can enjoy a panoramic view aboard the steam locomotive.(https://visit.ibarakiguide.jp/en/sightseeing/22336/)
2024.01.03
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カピバラはお風呂が好きなのでしょうか? 写真は、冬至の一週間ほど前の寒い日に柚子湯に浸かって気持ちよさそうにしているカピバラ家族の様子です。(at伊豆シャボテン動物公園) Capybara family members were relaxing with soaking in a hot spring with yuzu citrus, Izu Saboten Zoo.【Bon appétit !】 In the winter of 1982, when the zookeeper was cleaning the capybara exhibit with hot water, they noticed the capybaras relaxing with their feet and butts in the puddles of hot water and accidentally discovered their love for baths.(https://izushaboten.com/kapiroten-en/)
2024.01.02
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ご訪問いただきありがとうございます。 皆様と一緒に新しい年を迎えることができ嬉しく思います。 今年もいろいろな活動をしていきたいと思っています。 人と人を結びつける「おむすびの家」構想の一環として、地元に住んでいる様々な人たちと共に交流を充実させていきたいと思っています。 また、毎週行っている日本ルーツに関する勉強会を充実させ、日本がリーダーシップを発揮し世界に貢献する使命を持った神の国であることを再確認していきたいと考えています。 そのほか、海外留学生との交流、ピアノの練習、自転車、街歩き、家族や友人との食事や旅行、情報発信も楽しんでいきたいと思っています。 皆様のご健康と幸せとともに、日本の安寧と世界の平和をお祈り申し上げます。
2024.01.01
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