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生贄の内臓と祈祷師↑(2015年1月22日、オエクシ)稲刈りの供え物↑(2013年7月31日、マナツト) 国民のほとんどがキリスト教徒やイスラム教徒で一神教を信仰していますが、生活をしていると、いろいろな場面で、土着宗教と共存していることに気づきます。 土木工事の前には、地鎮祭を行います。祈祷師が生贄となった豚などの内臓を見て、工事の是非を占います。もちろん、当該工事をすべきではないという結果が出ることもあります。また、地鎮祭を行わないで建設をした某国支援のダムが大水で流されたときは、村人たちは当然の結果であると認識していました。 稲刈りの前にも、田の神様にお供え物をしてから稲刈りを行います。収量調査のために少しだけ稲を刈らせてもらう時も、儀式なしでは不吉なことが起こるということで、儀式をしてから稲を刈らせてもらいました。 黒魔術があります。人を殺したり病気にしたりすることができるそうです。村中の人が黒魔術師で構成されている村を取り過ぎたことがありました。また、黒魔術師は街中でも普通に生活しているとも言われています。黒魔術があることから、人々は、人の怒りや恨みを買うようなことはしないようにしています。 白魔術もあり、こちらは、病気、骨折を祈りや手かざしで治します。また、様々な効用を持つ薬を操ります。 一方で、動物を解体して観察することにより人間の病気を言い当てる人がいますが、こちらは占い師と呼ばれています。(続く)【Bon appétit !】 Prior to the Indonesian invasion in 1975 , the Austronesian people of Timor were animist polytheists with practises similar to those seen in Polynesia and Madagascar. A few prominent myths remain, such as the island's conception as an aging crocodile, but today practitioners of indigenous religions constitute a very small minority. Under Indonesia's religion law Timorese had to list one of the approved monotheistic religions and a great majority listed the Catholic religion of Portugal , the Church all so won Timorese over with its campaign to help them get there freedom from Indonesia .(https://en.wikipedia.org/wiki/Religion_in_East_Timor)
2021.01.30
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ラクロ川河口付近↑(2013年8月20日、ディリ)アイスキャンディーを持つ子供↑(2013年8月24日、ディリ) 今日は、日曜日。多くの着飾った人々が街中を歩いています。国民の99%がキリスト教徒(ほとんどがカトリック)のこの国では、日曜日にはほとんど全ての人が教会へ行きます。教会建物の回りは教会に入りきれない人たちであふれかえっています。さながらファッションショーのようです。 イースターやクリスマスなどの時には、例えば農業水産省では職員を集めてミサを行います。牧師に来てもらい、聖書を読み、お祈りをします。私には馴染みがないカトリックの儀式が行われます。お香がたかれますので親近感を覚えます。また、職員による昼夜連続のお祈りが続きます。 キリスト教の主要行事の日は、祭日となりますが、国内には、イスラム教徒も1%近くいますので、イスラムの主要行事の日も祭日となります。祭日は、聖金曜日、聖体祭、聖母被昇天祭、諸聖人の日、死者の日、ラマダン明け祭、無原罪のお宿り等があります。 ポルトガル植民地でしたのでキリスト教徒が99%のいるのだと考えたくなりますが、インドネシア強制併合前の1973年には、キリスト教徒は3割もいなかったそうです。 インドネシア時代に、キリスト教を選ぶ人が増えました。カトリック教会や神学校出身者の組織がインドネシアの人権侵害を国外に訴えたことがその背景にあり、また、独立闘争を支援し続けたことが国民の信頼を得ました。1990年には、9割りの国民がキリスト教徒になりました。 国民のほとんどがキリスト教徒やイスラム教徒で一神教を信仰していますが、生活をしていると、いろいろな場面で、土着宗教と共存していることに気づきます。(続く)【Bon appétit !】 The number of churches has grown from 100 in 1974 to over 800 in 1994, with Church membership having grown considerably under Indonesian rule as Pancasila, Indonesia's state ideology, requires all citizens to believe in one God. East Timorese animist belief systems did not fit with Indonesia's constitutional monotheism, resulting in mass conversions to Christianity. Portuguese clergy(聖職者)were replaced with Indonesian priests and Latin and Portuguese mass was replaced by Indonesian mass. Before the invasion, only 20 percent of East Timorese were Roman Catholics, and by the 1980s, 95 percent were registered as Catholics. With over 90 percent Catholic population, East Timor is currently one of the most densely Catholic countries in the world.(https://en.wikipedia.org/wiki/Religion_in_East_Timor)
2021.01.29
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魚売り↑(2013年8月8日、ディリ)子どもたち↑(2013年8月11日、ディリ) 実は、東ティモールは、資源国なのです。なんと、国家歳入の9割が、石油・天然ガス等の資源収入に依存しています。 産業は全くと言っていいほどありません。GDPの8割は石油部門です。 輸出品も石油・天然ガス以外では、コーヒーがほとんどです。 過去に遡れば、16世紀のポルトガル時代から第2次世界大戦までは、封建領主の割拠支配を温存した間接統治による植民地支配で、開発、投資、教育は行われなかったことは不幸です。この頃は、白檀が輸出されていました。1975年からのインドネシア強制併合時代には、それなりにインフラの整備なども進められ、農業、手工業、建設などの発展がみられましたが、21世紀初頭の独立の時に、ほとんどの基盤は破壊されつくされてしまいました。 独立後は、国民は実業に専心しなくなり、石油・天然ガスからの収入のおこぼれに預かることに精力を傾注する傾向になったといわれています。実際、独立後に起こった内紛の要因は、処遇に対する不満、即ち、利益配分の争いです。 石油資源の存在が、産業の発展を阻害している気がしてなりません。振出しに戻って、教育から始めて、人材を育成し、国づくりを進めることが望ましいのではないかと感じています。(続く)【Bon appétit !】 East Timor is labelled by the International Monetary Fund as the "most oil-dependent economy in the world". The Petroleum Fund pays for nearly all of the government's annual budge. The country's economy is dependent on government spending and, to a lesser extent, assistance from foreign donors. Private sector development has lagged due to human capital shortages, infrastructure weakness, an incomplete legal system, and an inefficient regulatory environment.(https://en.wikipedia.org/wiki/East_Timor)
2021.01.27
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早咲きの梅の花↑↓(2021年1月25日、湯島天神、東京) 女坂を登り、湯島天神の境内に入ると、梅が開花していました。 もう、開花したのかと驚きました。 梅園の方へ行ってみると、まだ蕾の状態で、開花している梅の木はありませんでした。 結局、初めに出会った木だけが開花中でした。 One plum tree out of three hundreds trees is in full bloom at Yushima Tenjin. Other trees may start to bloom in February.【Bon appétit !】 Yushima Tenjin Shrine is Tokyo's most famous shrine of scholars. Yushima Tenjin, like all Tenjin shrines, is therefore visited by students to pray for passing grades in exams and inscribe ema - small wooden plaques - with petitions for exam success and entry to the university of their choice. The plum blossoms of Yushima Tenjin are a spectacle in spring. It has a blossom festival of its own in February, when the 300 trees of 20 different varieties are in full bloom."How beautiful the red plum blossom,I wish to color my cheek with it."(https://www.japanvisitor.com/japan-temples-shrines/yushima-tenjin)
2021.01.26
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浸水で水に浸かった書類等の乾燥↑(2014年12月2日、農業水産省、ディリ)海岸で遊ぶ子供たち↑(2013年8月4日、ディリ) 途上国での生活には慣れっこになっていますので、職場環境の悪さはあまり気にしませんが、東ティモール農業水産省での職場環境は懐かしく思い出されます。 コピー機やプリンターが故障していたり、トナーや用紙がない状態は当たり前で驚きませんが、これが、何週間も続きます。結局、自分が用意して、共有することになりがちです。 農業水産省のインターネットはあるにはありますが、使えないことがほとんどです。使えない理由は、なんと、料金未納によるものです。それに加えて、当時の東ティモールのインターネット環境にも問題があり、海外との通信は、衛星を介して行われていて通信容量が極端に少ないそうです。 停電が起こると、直ぐに室温が高くなり、職場は真っ暗です。これが日常頻繁に起こります。すぐに回復するといいのですが、多くの場合、何時間もそのままです。停電の理由は、電力会社の都合によるものですが、このほかに、倒木による電線の切断や電気料金滞納による停電がありました。 電気が来ないと、職場の水が出なくなります。水は、地下水を汲み上げています。ポンプを使用しますので、停電になり、タンクの水が無くなると、水が出なくなります。 大雨が降った次の朝、出勤して先ず行うことは、浸水した水で汚れた職場の床の清掃です。書類などもびしょ濡れになってしまいます。帰宅時に書類などは床に置かずできるだけ机の上にあげておくようにしていますが、濡らしてしまう時もあります。濡れた書類や水を含んだソファーなどは外に出して日に干します。 ごく稀ですが、天井にある照明器具の落下、電気ブレーカの爆発、パソコンコードの破裂、同僚のパソコンから出た煙によるボヤ騒ぎを経験しました。天井の照明器具が落ちてきて、私の使用中のノートパソコンの上に落ちたときは、パソコンの傷だけで済み、頭上に落ちないでよかったと思いました。 一番困るのは、政治的な動き等により国政が機能不全にしばしば陥ることです。農業水産大臣も政治案件に忙しくなり、省内の業務が停止します。これが、半年も1年も続きます。私がいた時も、断続的に1年近く業務が止まっていました。もちろん、個人的にはこの時間は有効に使うのですが、組織としての業務は止まります。 他の国でもよくありますが、面会の約束が簡単にキャンセルされること、会議開始時間になっても参加者が集まらないことは普通であり、今日が休日か否かはっきりしないこともあります。(続く)【Bon appétit !】 Asia's youngest democracy has been beset(付きまとう、悩ます)by political instability in recent years, hampering(妨げる)efforts to reduce poverty, stamp out(根絶する)corruption and develop its rich oil and gas resources. The energy sector accounted for about 60 percent of gross domestic product in 2014 and contributed more than 90 percent of government revenue.(https://asia.nikkei.com/Politics/East-Timor-PM-resigns-after-government-coalition-collapses)
2021.01.25
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海で遊ぶ子供たち↑(2013年8月6日、ディリ)タクシーを待つ↑(2013年8月5日、ディリ) 世界飢餓指数(Global Hunger Index (GHI))というアイルランドの援助機関が出している指数があります。東ティモールは飢餓指数ワースト3の常連国となっています。 ワースト3と聞いて、東ティモールは飢餓による死者がたくさんいると思われるでしょうが、実際には、飢餓は全くありません。 この飢餓指数は、飢餓による死亡率と勘違いする人が多いかと思いますが、(1)摂取カロリー、(2)幼児の体重、(3)幼児の身長、(4)幼児の死亡率を基にした指数です。 東ティモールには、大人でも小柄な人が多くいます。細い手足をしている人も多く見かけます。確かに、身長や体重は、世界標準以下の人が多いと思います。乳幼児の死亡率は、10年ほど前は1割位と言われていましたが2018年現在で4.6%となっています。これらのことから、東ティモールはワースト3の常連国になっているのでしょう。(続く)【Bon appétit !】 The Global Hunger Index (GHI) is a tool for comprehensively measuring and tracking hunger at global, regional, and national levels. GHI scores are based on the values of four component indicators: undernourishment (share of the population with insufficient caloric intake), child wasting (share of children under age five who have low weight for their height, reflecting acute undernutrition), child stunting (share of children under age five who have low height for their age, reflecting chronic undernutrition), and child mortality (mortality rate of children under age five, partly reflecting the fatal mix of inadequate nutrition and unhealthy environments).(https://www.globalhungerindex.org/ranking.html)
2021.01.24
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蒸気機関車↑(1975年7月23日、フロリダ州、アメリカ) ウイズコロナが大切です。これまで、新型ウイルス対策と経済活動の継続の両立に向けて工夫を凝らす努力をしてきたはずですが、とうとう、再び経済活動を止める動きが出て来て、思考停止の状態になってしまったことを悲しく思います。新型ウイルス感染を減らす対策が行われていないので、こうなることは想定していましたが、残念です。 昨年10月にハーバード大学、オックスフォード大学、スタンフォード大学の感染症疫学の教授たちが提言した「グレートバリントン宣言」が興味深いので、この場で、宣言文から抜粋して紹介させていいただきます。(全文はhttps://gbdeclaration.org/)『現行のロックダウン政策は、短期的および長期的公衆衛生に破滅的影響を与える。その結果として、子供の予防接種率の低下、心疾患アウトカムの悪化、がん検診の減少、および精神衛生の悪化などがあり、以後何年にもわたり超過死亡率が上昇し、労働者階級や社会の若者たちが最も重い負担を負うことになる。学生たちを学校に行かせないのは重大な不正義である。これらの政策を実施し続ければ、修復不能な損害となり、貧しい人々が不平等に被害を受ける。 集団免疫を獲得するまでの間、死亡率と社会的損害を最小限にすることを目標にすべきだ。 集団免疫を獲得する利点と欠点のバランスをとる最も思慮深い方法としては、死亡リスクが低い人々には普段の生活を許し、自然感染を通してウイルスに対する免疫を獲得するようにし、一方リスクが最も高い人々は保護するのがよい。私たちは、これを「集中的保護(Focused Protection)」と呼ぶ。 ウイルスに対する弱者ではない人々は即急に普段の生活に戻るべきである。手洗いや風邪をひいたときの自宅待機などの簡易的な衛生対策を社会全体で行うことで、集団免疫閾値を下げることがでる。学校や大学は開校して対面授業をすべきである。スポーツなどの課外活動も再開すべきである。若くてリスクが低い大人は自宅からでなく通常通り働くべきである。レストランやその他の商売も開けるべきである。美術、音楽、スポーツなどの文化活動も再開すべきである。リスクが高い人々も希望すればこれらの活動に参加してもよいが、社会全体としては、集団免疫を獲得することによりウイルスに対する弱者を保護するのがよい。』【Bon appétit !】 Those who are not vulnerable should immediately be allowed to resume life as normal. Simple hygiene measures, such as hand washing and staying home when sick should be practiced by everyone to reduce the herd immunity threshold. Schools and universities should be open for in-person teaching. Extracurricular activities, such as sports, should be resumed. Young low-risk adults should work normally, rather than from home. Restaurants and other businesses should open. Arts, music, sport and other cultural activities should resume. People who are more at risk may participate if they wish, while society as a whole enjoys the protection conferred upon the vulnerable by those who have built up herd immunity.(https://gbdeclaration.org/)(参考:これまでの主張)9.全体主義の足音が聞こえる(210106)8.新型コロナウイルスは印象操作されている(201219)7.withコロナを目指す(200812) 6.自粛する必要がない新型コロナウイルス対策を目指すべき(200515)5.新型コロナウイルス自粛解除の考え方(200508)4.新型コロナウイルス感染者がゼロでも外出規制は解除できない(200503)
2021.01.23
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道端の野菜売り↑(2013年8月3日、ディリ)玉子売りの少年ら↑(2013年8月5日、ディリ) 「東ティモールは、内戦があったと聞いていますが、治安は、もう大丈夫なのですか?」と聞かれることが良くあります。 私が東ティモールに滞在していた2013年から2015年は、「国連東ティモール統合ミッション(UNMIT)」が撤収した直後であったことから、比較的落ち着いた時期でした。日常の生活上、不安は感じられず、一人歩きをしても特段の危険はありませんでした。しかしながら、当時も現在も、人通りがなくなる夜の徒歩による外出は自粛する方が賢明だと思います。 実際、軍や警察がバックの政治的背景を持つ武装グループによる抗争が散発していました。石を投げたりナイフや弓矢による抗争により死傷者も発生していました。私が滞在していたホテルの近くで銃による発砲があり、多くの人が石を手にして集まっていたこともありました。また、アメリカ大使館近くで手榴弾が投げ込まれたこともありました。 また、外国人を狙った強盗殺人事件や、失業や経済の停滞に不満を有する若者グループ間での抗争も散発していました。 現在まで、治安が顕著に悪化した兆候はありません。しかしながら、政党支持グループ間の対立により、国政がしばしば機能不全に陥っていますし、また、独立時に国境を越えてインドネシア側に潜伏した独立反対派の民兵の動きも不安定要素となっていますので、警戒が必要です。(続く)【Bon appétit !】 There are occasional incidents of fighting between groups in various districts around Timor-Leste, often but not always related to martial arts groups. These incidents often involve stone throwing and occasionally machetes(なた)and knives. Most happen at night. Foreigners haven’t been targeted, but leave the area immediately if you’re aware of fighting.(https://www.gov.uk/foreign-travel-advice/timor-leste/safety-and-security)
2021.01.22
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オランダがポルトガル領内に築いた要塞↑(2013年8月18日、マウバラ、リキシャ県)ポルトガルの修道士上陸地点↑(2015年1月22日、オエクシ県) 第2次世界大戦からインドネシア併合時代を経て今日に至るまでの大まかなこれまでの歩みに関しては既に書いてきましたので、今度は、時代を16世紀に戻します。 東に向かって進出してきたポルトガルは、1515年にティモール島を植民地支配するためにカトリック修道士が上陸しました。 その後、オランダとの間に、ティモール島の争奪戦が起こり、19世紀になって、ティモール島の西半分をオランダに譲渡し、東半分はポルトガル領地とすることで決着がつきました。初めにポルトガル人が上陸した地点は西側にありますが、飛び地として東ティモールの一部となっています。ポルトガルは、東ティモールのインフラ、保健、教育等の整備をすることはせず、白檀やコーヒーの搾取で経済基盤を支えました。(続く)【Bon appétit !】 Before European colonialism, Timor was included in Indonesian/Malaysian, Chinese, and Indian trading networks, and in the 14th century was an exporter of aromatic sandalwood(白檀), slaves, honey, and wax. It was the relative abundance of sandalwood on Timor that attracted European explorers to the island in the early 16th century. At around that time, European explorers reported that the island had a number of small chiefdoms(酋長の支配する地域).(https://en.wikipedia.org/wiki/East_Timor)
2021.01.21
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道端の野菜売り↑(2013年8月3日、ディリ)地元の食堂での料理↑(2013年8月3日、ディリ) 1975年フレティリンによる東ティモールの独立宣言直後に、インドネシア軍は東ティモール全土を制圧し、翌年、インドネシアの27番目の州として強制併合しました。国連の反対決議にかかわらず、西側の有力諸国は反共の立場から併合を事実上黙認しました。スハルト政権は抵抗勢力を弾圧し、1980年代までに命を失った東ティモール人は20万人にのぼると言われています。これらは、世界に知られずに行われていましたが、1991年のサンタクルス大量殺戮事件により世界に知られることになりました。スハルト政権崩壊後の1999年国際連合東ティモール・ミッション(UNAMET)が派遣され独立に関する住民投票が行われ独立が事実上決定しましたが、インドネシア治安当局はインドネシア併合維持派の民兵を使って破壊と虐殺を行いました。すぐに、オーストラリアを主力とする多国籍軍(東ティモール国際軍、INTERFET)が派遣され、国際連合東ティモール暫定行政機構(UNTAET)が2002年の独立まで東ティモールを率いることとなりました。(続く)【Bon appétit !】 Indonesia's occupation of East Timor was marked by violence and brutality. The East Timorese guerrilla force fought a campaign against the Indonesian forces from 1975 to 1998. The 1991 Dili Massacre was a turning point for the independence cause and an East Timor solidarity movement grew in Portugal, the Philippines, Australia, and other Western countries. Following the resignation of Indonesian President Suharto, an UN-sponsored agreement between Indonesia and Portugal allowed for an UN-supervised popular referendum in August 1999.A clear vote for independence was met with a punitive campaign of violence by East Timorese pro-integration militia supported by elements of the Indonesian military.(https://en.wikipedia.org/wiki/East_Timor)
2021.01.18
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農業水産省↑(2013年8月3日、ディリ)首都ディリの海↑(2013年8月2日、ディリ) 国連平和維持活動終了直後の東ティモールで私が感じた当時の行政府機関の印象を、農業水産省を例として少し述べてみたいと思います。(なお、以下に述べることは、農業水産省に関して感じたことで、政府機関ごとの状況はそれぞれ異なっています。) 農業政策の基本となる法律的枠組みがありませんので、国として、東ティモールの農業をどのように位置づけ、何を理想として政策を展開していけばいいのか明確ではありません。 現実的には、政策の方向は、海外から来ているドナー国(支援国)が、それぞれの方向性を決めてプロジェクトを行い、農業省がそれに乗っています。ドナー国ごとに考え方が異なりますので、政策の方向性に一貫性はなく、例えば、米を自給できるよう米の生産基盤を強化すべきと考えるドナー国がある一方で、米の生産基盤に投資する必要はなく外国から米を輸入するようにした方が望ましいと考えるドナー国もあります。また、ドナー国が行っているプロジェクトを実現していくことが使命だと思っている幹部職員が多くいますので、それぞれのドナー国が提示してきた内容に則って施策が行われています。多くの場合、プロジェクト期間だけの一過性で終わります。 そもそも、農業水産省が何を行う組織であるのか、省内組織のどの部署が何をすべきなのか明確なものはありません。 農業水産省が、昨年はどのよう施策を行ったのか国民は知りません。あるいは、今年重点的に行うとしている施策が何なのか国民は知りません。 省内に組織的に政策を作成し、予算編成をする体制はありません。政策のための予算もありません。 まだまだ、当時感じたことはたくさんあります。一言でいえば、発展余地が満載の組織でした。この時から7年以上経過しましたので、現在の状況は異なります。(続く)【Bon appétit !】 The Ministry of Agriculture and Fisheries is the government department responsible for the development of the rural sector in Timor-Leste. Approximately 75 percent of the population live in rural areas; the majority of which derive their livelihoods from agriculture. Despite the importance of the sector, and significant investments made by successive governments, the sector’s performance has been mixed and productivity levels remain low. The ministry therefore works to develop a sustainable, competitive and prosperous agricultural sector that can reduce poverty, ensure food and nutrition security, and promote employment and economic growth in the agricultural sector.(https://www.worldfishcenter.org/partner/ministry-agriculture-and-fisheries-timor-leste)
2021.01.16
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民族衣装の子供たち↑(2015年1月22日、オエクシ)グスマン首相と子供たち↑(2015年1月23日、オエクシ) 2002年の独立した東ティモールですが、2006年から内戦状態となりました。内戦処理のための一連の国連平和維持活動(PKO)が終了した2012年の翌年から、私は、東ティモールに滞在しました。当時は、国内の治安が回復した穏やかな時期ということができます。 当時は、独立運動の最高指導者であり初代大統領であったシャナナ・グスマンが首相として国を治めていました。シャナナ・グスマン以外の政治勢力としては、東ティモール独立革命戦線(フレテリン)書記長で初代首相のマリ・アルカテリが野に下っており、また、ノーベル平和賞受賞者の前大統領ジョセ・ラモス・ホルタがいました。これら3人のレジスタンス第1世代(ポルトガル語世代)が勢力を有し、3名のトライアングル構造でお互いにライバルの関係になっていました。 2014年から2015年にかけて勢力バランスが崩れ、2007年に野党に下った最大政治勢力のフレテリンが復帰するという政治劇が展開しました。 2013年11月にグスマン首相が辞任発言をして国民を驚かしました。いつ辞任するのかと国民が見守る中、2014年半ばに、辞任発言を撤回する発言がありました。やっと、政治が動き始めると思った矢先、2015年2月に、内閣総辞職が行われ、グスマン首相も辞職しました。すぐに新内閣が発足し、ふたを開けてみると、野党のフレテリンが連立に加わり、新首相に、フレテリンのルイ・マリア・デ・アラウジョが就任して、1年以上にわたった政治空白期間の幕が閉じました。野党が突然政権を譲り受け首相となったことから、皆驚きました。(続く)【Bon appétit !】 The head of state of East Timor is the President of the Republic, who is elected by popular vote for a five-year term. Although the President's executive powers are somewhat limited, he or she does have the power to appoint the Prime Minister and veto(拒否権)government legislation. Following elections, the President usually appoints the leader of the majority party or coalition as Prime Minister of East Timor and the cabinet on the proposal of the latter. As head of government, the Prime Minister presides over the cabinet.(https://en.wikipedia.org/wiki/East_Timor)
2021.01.14
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日本軍による防空壕↑(2014年10月5日、バウカウ県)日本軍による地下壕入口↑(2014年1月1日、ハリララン裏山、ディリ) 2次世界大戦の時に、日本は、ポルトガルの植民地であった東ティモールに侵攻しています。1942年から終戦まで日本軍は駐屯しました。 第2次世界大戦では、日本は、ポルトガルと戦争はしていませんので、本来であれば、日本は東ティモールに侵攻するはずはありませんでしたが、オーストラリアとオランダが東ティモールに侵攻し、日本の南進を阻止しようとしていました。そのために、日本軍は予定外ではあるものの東ティモールに侵攻して、この地を占領しました。 当時、島内に道路はほとんどありませんでしたので、日本軍が道路を開設しています。これらの道路は現在も主要道路として使われています。また、日本軍の地下壕や建物も所々に残っています。 当時は、日本軍を好意的に受け入れた人が多かったようですが、戦後、ポルトガルの植民地に戻ってからは、日本軍に協力した人々は処罰を受けたと聞いています。 また、私の知人によれば、彼のお祖父さんは日本軍の世話をした人で、村の人が日本軍の指示で金塊を湖のどこかに隠したそうです。私もその湖に行ってみました。その金塊はまだそのままになっているだろうということでした(真偽不明です)。(続く)【Bon appétit !】 During World War II, first the Allies(連合国)and later the Japanese occupied Dili, and the mountainous interior of the colony became the scene of a guerrilla campaign, known as the Battle of Timor. The Japanese eventually drove the last of the Australian and Allied forces out. However, Portuguese control was reinstated after the Japanese surrender at the end of World War II.(https://en.wikipedia.org/wiki/East_Timor)
2021.01.12
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収穫して来たばかりのコーヒーチェリー↑(2014年7月21日、ライラコ、エルメラ県)月例の国旗掲揚式↑(2013年8月5日、農業水産省、ディリ) 東ティモールと日本にどんな関係があるのでしょうか? 日本が東ティモールから輸入しているもののほとんどは珈琲です。このほかに、豪州経由ではありますが、日本が輸入する天然ガスのうちの3-4%は、東ティモール産のものです。 2002年の東ティモール独立初期や、その後の国連平和維持活動(PKO)の時には、自衛隊や警官を派遣していますので、記憶にある方も多いかと思います。 経済協力支援では、日本は、豪州、米国と並んで主要支援国の一つです。 1975年にポルトガルから独立を宣言した東ティモールに対して、スハルト政権のインドネシアが武力介入して東ティモールをインドネシアに強制併合した事件があり、この時、日本が国連の場で東ティモールを支持せず、インドネシアの行動を支持しています。 第2次世界大戦の時に、日本は、東ティモールに侵攻しています。(続く)【Bon appétit !】 The Revolutionary Front for an Independent East Timor (Fretilin) unilaterally declared independence on 28 November 1975. Fearing a communist state within the Indonesian archipelago, the Indonesian military launched an invasion of East Timor in December 1975. Indonesia declared East Timor its 27th province on 17 July 1976. The UN Security Council opposed the invasion and the territory's nominal status in the UN remained as "non-self-governing territory under Portuguese administration".(https://en.wikipedia.org/wiki/East_Timor)
2021.01.11
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村の子供たち↑(2013年12月28日、リキシャ)町会ごとに作るクリスマスの飾り↑(2014年12月26日、ディリ) 東ティモールってどんな国?とよく聞かれます。 無味乾燥的に言えば、次のような国です。 東ティモールの意味は、「日出づる処」 面積は長野県ほどの大きさ 人口は130万人位 国民の99%はキリスト教 公用語は、テトゥン語及びポルトガル語 産業は特になく、自給的農業 国家財政を支えてるものは、石油、天然ガス これだけでは、どんな国かは全く伝わりませんので、私が、東ティモールに滞在していた時に見聞きしたことを思い出しながら、このブログで綴っていきたいと思います。(続く)【Bon appétit !】 "Timor" is derived from timur, the word for "east" in Malay(マレー語), which became recorded as Timor in Portuguese, thus resulting in the tautological toponym(地名) meaning "East East": In Portuguese Timor-Leste (Leste being the word for "east"); in Tetum Timór Lorosa'e (Lorosa'e being the word for "east" (literally "rising sun")).(https://en.wikipedia.org/wiki/East_Timor)
2021.01.09
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マンゴー売りの子供たち↑(2015年1月11日、リキシャ県)村の人たち↑(2014年6月22日、リキシャ県) 国連平和維持活動(PKO)ミッションである国連東ティモール統合ミッション(UNMIT)は、国連安保理により2006年に設立され、2012年12月31日に終了しました。その翌年の2013年、私は東ティモールに行き、2015年まで生活していました。帰国してから既に5年10ヶ月が過ぎました。現在の視点から、当時のことを回想して、このブログに時々書いていきたいと思います。 今日はその第1回目です。 今でも懐かしく思い出されるのは、東ティモールの人々の底抜けに明るい笑顔です。皆さん、写真に撮られることが好きで、カメラを向けると思い切り笑顔になります。また、家族・親類の絆はとても強く、普段はおとなしいのですが、一方で、暴力的な性格を有している人も多く、ちょっとしたことで暴力を振るうことがあるようです。道端では、男たちが、カードゲームをやったり、賭け事をしています。闘鶏も盛んです。何か事を起こすときは、事前の備えはほとんど行わずに、事が起きてから対応し、結果として何となくうまく処理することを旨としているように感じます。(続く)【Bon appétit !】 East Timo or Timor-Leste is an island country in Southeast Asia. It comprises the eastern half of the island of Timor and Oecusse, an exclave(飛び地)on the northwestern side of the island surrounded by Indonesian West Timor. Australia is the country's southern neighbour, separated by the Timor Sea. The country's size is about 15,007 km2.(https://en.wikipedia.org/wiki/East_Timor)
2021.01.08
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北京空港↑(1977年5月2日、北京)最近きな臭い。 個人の自由や権利を奪おうとする動きが感じられます。 Webサイトの運営会社が記事を削除する事例が、増えてきた気がします。 私が訪問していた複数のWebサイトからも、Yoshinori氏の記事や、Mare氏の記事が削除され始めました。どちらもアメリカ大統領選挙における不正を内容としています。 Webサイトの運営会社からすれば、世界の秩序を乱す行為ということで削除しているのだと思いますが、個人の権利や利益、社会集団の自律性や自由な活動が侵され始めているようで、不気味です。 新型コロナウイルスにおいても、私たちは、強い力の下での安定と導きを、いとも簡単に求めています。世界の指導者たちも、なんとなく、この不安感を利用して、権限を集中させているように感じます。人々も、安心をもたらしてくれる「力」を期待し、それを妨害する反対者を排除しようとしています。 以下の3つのサイトは、何とも気になっています。もう少し学んでみたいと思います。1.「Great Reset Initiative」(https://www.weforum.org/great-reset/):世界をリセットして、新たな世界秩序を創ります。2.「To build back better, we must reinvent capitalism」 (https://www.weforum.org/agenda/2020/07/to-build-back-better-we-must-reinvent-capitalism-heres-how/):資本主義を作り直します。3.「The event201」(https://www.centerforhealthsecurity.org/event201/scenario.html):2019年に書かれたパンデミックのシナリオです。【Bon appétit !】 The scenario ends at the 18-month point, with 65 million deaths. The pandemic is beginning to slow due to the decreasing number of susceptible people(感染可能者数). The pandemic will continue at some rate until there is an effective vaccine or until 80-90 % of the global population has been exposed. From that point on, it is likely to be an endemic(限られた、特有の)childhood disease.(https://www.centerforhealthsecurity.org/event201/scenario.html)(参考:これまでの主張)8.新型コロナウイルスは印象操作されている(201219)7.withコロナを目指す(200812) 6.自粛する必要がない新型コロナウイルス対策を目指すべき(200515)5.新型コロナウイルス自粛解除の考え方(200508)4.新型コロナウイルス感染者がゼロでも外出規制は解除できない(200503)
2021.01.06
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↑(二見浦、三重県)新しい年が来ました。希望の年になることでしょう。いつも、このブログを訪問していただきありがとうございます。本年も、このブログの中で、時間の旅と空間の旅を楽しんでいきたいと思います。いろいろな時代の事象や考え方、様々な地域で起こっていることを皆さんと一緒に経験していきたいと思います。未来を展望していきたいと思います。本年も引き続き、是非ご一緒して下さい。GKen
2021.01.01
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