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<昨日のエントリーから続く>きのう、新型コロナについて日本の検査数の少なさが「感染者数隠蔽」疑惑につながっているが、さすがに今は「死者数隠蔽」はないだろう…と書いたとたん、こんな記事が。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200308-00010011-abema-soci死亡した名古屋市の80代男性から新型コロナ すでに公表された感染者と濃厚接触名古屋市は8日、7日に死亡した80代の男性がその後の検査で新型コロナウイルスに感染していたことを明らかにした。名古屋市によると、名古屋市内に住む80代の男性は7日に医療機関に救急搬送され死亡。この男性がすでに公表されている感染者との接触があったことから、新型コロナウイルスの検査を行ったところ陽性反応が出たということだ。男性が新型コロナウイルスにより死亡したかどうかは分かっていない。これは大問題だと思うのだ。まず、「すでに公表されている感染者との接触があったので、検査を行った」ということは、感染者との濃厚接触がなければ検査されず、通常の肺炎として処理されていたことが過去あったであろうことを疑わせる点。また、「新型コロナウィルスにより死亡したかどうかは分かっていない」として、コロナ死にカウントされていない点。死因が公表されていないから断言はできないが、これまでの症例を見ればコロナ死かどうかまったく「分からない」なんてことはないのではないか。緊急搬送され死亡、そして検査という流れを見れば、新型コロナでよくある急激な症状悪化としか思えない。疑わしきは罰せずで、コロナ死に入れなければ、それこそ韓国メディアがはやし立てる「隠蔽」になってしまう。韓国紙は大喜びで報道するだろうし、NYタイムズだのBBCだのも、「名古屋でこんな例があったにもかかららず日本は『新型コロナウイルスにより死亡したかどうかは分からない』として死者数に入れなかった」などと、針小棒大に書き立てるかもしれない。新型コロナでは、特に「死者数」を抑えることが最優先の課題だ。致死率は検査数に比例して低くなる傾向があるし、中国で見るように地域差も大きく、はっきりしない。ただどの国で何人亡くなったかというのは、その国の対策がどのくらいうまくいったかの揺るぎない指標になる。ヨーロッパで感染者の多いイタリアは、「我が国は広く検査を行っている(から感染者が多いのだ)」と、そこをさかんに宣伝している。そういう国からすれば、検査をしないことで感染者数を少なく見せかけ、死亡後に陽性反応が出てもコロナ死を認めない国、日本は、情報操作を常に疑われる中国と大差ないことになる。そもそも一般の欧米人は、中国も日本も同じアジアで区別がつかない人が多い。こういうことがあると、例えデータ上の死者数が少なくすんで、「日本は死者数を抑えた」と胸を張っても、「検査しないで死なせ、別の死因にしてコロナ死を隠したんでしょ」と決めつけられたら、それに対して反論するのがまた大変になる。コロナに関しては、自国民の怒りを他国に転嫁させようとしている国が目立つ。明らかに中国武漢が起源、いや起源は中国ではないかもしれない、などとアメリカや中国はすでに情報戦に入っている。感染者が増え、死者数が増えていけば人々の怒りはどこに向かうか分からない。比較的な冷静な日本国民だって、こういうニュースがあれば疑心暗鬼になる。だからこそ、日本は正確な情報を発信すべき。死後に陽性が確認されて関連がはっきりしないというなら、「死後陽性確認」でも「疑わしい症例」でもいい、別項目を設けて公表すべきだろう。3月11日の追記以下のニュースによると、上のニュースの方とは死亡日が違うので別人のようだが、死後に陽性判定されてコロナ死にカウントされた症例はあるということになる。https://www.nikkei.com/article/DGXMZO56646890Q0A310C2000000/名古屋市は10日、新型コロナウイルス感染者2人の死亡を確認したと発表した。遺族の意向などとして、いずれも年代、性別を明らかにしていない。1人は既に公表済みの感染者で、もう1人は10日に死亡後、遺伝子検査で陽性が判明した。市は10日、このほかに50~90代の男女9人の感染を新たに確認。愛知県も40代の男女3人の感染を確認した。いずれもこれまでに感染確認された人と接触があった。愛知県内の感染確認は計99人(うち3人が死亡)となった。市によると、死亡後の検査で判明した1人は、7日に発熱があり、医療機関に救急搬送され入院。9日に医師から帰国者・接触者相談センターに遺伝子検査について相談があった。。
2020.03.08
<昨日のエントリーから続く>日本の新型コロナ検査について以下のような記事が出た。https://www.cnn.co.jp/world/35150399.html<以下一部引用>(CNN) 新型コロナウイルスの感染拡大が続く日本で、政府の対策や検査のやり方に疑問を投げかける専門家が相次ぎ、実際の症例数は発表よりずっと多いのではないかとの不安が広がっている。道内の感染者数は公式統計では80人台とされているが、北海道大学の西浦博教授は、実際にはその10倍に上る可能性があるとの見方を示す。これに対して厚労省は、検知できていない人がいることは認識しているとした上で、日本国内の症例は合計3000例前後だと思われると述べ、西浦氏の推計に反論した。まず、「実際の症例数が発表よりずっと多い」というのは、日本人全員が思ってることだろう。10倍か、3000例前後かは、分からない。証明しようがないと思う。で、「不安が広がっている」かどうかだが、Mizumizu個人で言えば、この数日間https://gisanddata.maps.arcgis.com/apps/opsdashboard/index.html#/bda7594740fd40299423467b48e9ecf6のサイトで、新型コロナの全世界での感染者数と死者数の推移を見ていると、逆に不安が安心に変わりつつある。日本の対策は、案外正しいのではないか?それは、日本の死者数があまり増えないからだ。韓国のメディアは、日本はコロナ感染者数を「隠蔽している」とさかんに書き立てているが、軽症者を検査しないことで、感染者数を仮に「隠蔽」したとして、じゃあ、死者数はどうか、ということになる。新型コロナでの死者数まで日本は「隠蔽」しているのだろうか?まー、もちろん、その可能性はゼロではないだろう。例えば現場からはもっと数字が上がってきているのに、担当者が公表しないという文字どおり分かりやすい「隠蔽」。でもねー、そんなアホなことをしたら、すぐバレるし、それをやったら日本の国際的な評価はガタ落ち。バカバカしすぎる。では、検査せずに、例えばコロナ肺炎で患者を死なせたとして、それを医療現場が「隠蔽」することは? まー、それだって、初期のころは、医療現場が隠蔽するつもりというのではなく、コロナとは思わずに亡くなったという例も、もしかしたらあったかもしれないが、今現在、それはほとんどないだろう。新型コロナは閉鎖空間でうつりやすい。ということは、院内感染が起こりやすいということだ。武漢ではあれだけ防護していたプロの医療従事者にも感染が広がり、亡くなる人も出た。となれば、日本の医療現場の医師は、当然重症の肺炎患者が発生したら新型コロナを疑うはずで、自分たち医療従事者の健康を守るためにも、亡くなるまで重篤な患者のコロナ検査をしない(できない)というのは考えにくいし、仮にコロナと分からずに患者が亡くなったケースがあったとしたら、その後院内感染が広がるだろうし、それも含めて「隠蔽」することなどほとんど無理だろう。そういう無意味なことに日本の医療現場が、意識的にであろうと無意識的にであろうと、加担するとは思えない。だから、今データとしてあがっている、日本の死者(クルーズ船は除いて)6人という数字は、十分信頼できる。検査態勢の拡大は確かに必要だが、検査を求めて軽症者が病院に行くと、そこで感染を広めるかもしれないし、逆にもらうかもしれない。軽症のうちに効く薬ができるか、見つかるかしたら(例えばシクレソニドが初期の段階で効果を発揮するとか)、検査の意味は非常に大きくなるが、今のように薬がないというなら、検査を求めて密閉空間へ行く、そして待たされるより、これまでの指針どおり、発熱したら外出を控え、家で寝ていて熱の具合を観察したほうがいいかもしれない。実際のところ、軽症者があぶり出されたところで、現実の医療体制を考えれば出来ることは限られており、逆に院内感染を広めることになりかねない。さらに、流行が長期にわたり患者数がもっとずっと増えてしまったら、肝心なところで検査キットがなくなる…ということもありえる。発熱がインフルかもしれない場合はどうだろう? インフルも年間1万人が亡くなる病気ではある。1万人死ぬ、と聞くと恐ろしいが、データを見ると季節性インフルの致死率は0.1%。60代ぐらいからリスクがぐっと高まるが、若年層では逆に致死率はとてもとても低い。だったら、どこに新型コロナ感染者がいるのか分からない今は、それこそテレビで専門家が言ってるように、「インフルなら数日で熱が下がるから」と、様子を見るのがベストなのかもしれない。理想論を掲げても仕方がない。理想と現実・現状のベストというのは、違うものだ。そして、その日本のやり方がうまくいっているからこそ、死者数が増えないのではないだろうか?医師が検査を求めたにもかかわらず拒否された例というのは、医師会が調査したところ7つの県と道で30件だったという。それほど「ものすごい数」の検査拒否というわけではない。http://www.news24.jp/articles/2020/03/04/07604340.html理由は、「まだ重症ではない」「地域の検査能力が足りない」。これから医師の判断が優先されるようになれば、医師側が「コロナか否か」で迷うケースは減るだろうけれども、陽性だと結果が出ても、軽症なら自宅待機で、という方向性は同じだろうと思う。ただ、重症化したときに迅速に動けるということで、検査態勢の拡充の意義は大きい。検査数が少ないことで死者数が増えてるなら猛烈に批判すべきだが、実際にはそうなっていない。ということは、重症者に力点を置く、そしてできる限り救命する、救命できる体制をパンクさせないようにする…という当初の日本の方針は間違っていないということになる。まだまだ結論づけるのには早いが、メディアの(ある種の意図を持った)日本批判、政府批判、専門家批判より、実際のデータのほうが信頼できる。データを見ると、今のところ日本の「封じ込め」対策は、実はかなりうまくいっているのではないか。
2020.03.07
<昨日のエントリーから続く>やっと山口のドラッグストアやスーパーの店頭にトイレットペーパーが売り切れずに夕方まで残るようになった。山積みにされたトイレットペーパーを見ると、きのうまでどこに行っても夕方には売り切れていた、カラの棚の風景は幻だったのかと思うほど。さて、新型コロナについて様々な論説が飛び交っているが、「はて?」と首をかしげたくなる記事が、天下のブルームバーグから出た。https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2020-03-06/Q6R7BQT0AFB501日本語でのタイトルは、「新型コロナ、致死率は季節性インフルエンザの10倍」というもの。分かりやすい棒グラフで他の感染症との致死率の比較が出ており、非常に客観的な分析という感じがする。これがその棒グラフ。今のところ新型コロナでの致死率は3.4%、推定で1%というのは、WHOが発表した数字(全体の致死率は3.8%、武漢5.8%、その他の地域では0.7%)と整合性もある。だからのこの棒グラフはとても客観的で(今のところ)正確だと言えるだろう。このデータからルームバーグ・オピニオンのジャスティン・フォックス氏は、次のように警告している。「推計では、実際の致死率は1%。それでも季節性インフルエンザの10倍だ。17-18年の流行時に米国でインフルエンザで死亡した人は6万1099人。これを10倍してみれば、新型ウイルスの封じ込めがいかに重要かが分かってくる」。一見とても論理的な結論のようだが、ちょっとおかしい。直感的にMizumizuはそう思った。特に赤文字にした部分。その「直感」は、これまで新型コロナ(COVID-19)で、どれくらいの死者が出たか、その実数が頭にあったからだ。中国の数字は信頼できないかもしれないが、一応の目安として、新型コロナで亡くなった人がこれまでのところ(3月5日現在)中国で3042人、中国以外で333人。日本は検査態勢の不十分さが指摘されているのでこれまた正確とは言い切れないかもしれないが、それでも3月6日現在でクルーズ船6人、それ以外で6人。案外「数」としては急激に増えているわけではない。ブルームバーグの記事は17-18年の最悪ともいえるインフルエンザ流行時の米国での死者数を挙げているが、そこまで酷い流行ではない年であっても、日本でも毎年インフルエンザ関連で約1万人が亡くなっている。対して、コロナではまだクルーズ船という特殊環境での死者数を足しても12人だ。あるいは隠れたコロナ死者(たとえば死因は「肺炎」とされたが実際にはコロナだった人)がいるとしても、それなら院内感染が起こり、もっと騒ぎになっているはずだ。「まだ」死者12人。なのに、この数字がこれから年間のインフルエンザ関連の死者数1万人を超えるだろうか? 何も対策しなければあり得るかもしれないが、何もしなくても新型コロナはそもそもがインフルよりは感染力が弱い。毎日毎日、どこどこで感染者が確認されました、と報道するから、すごく感染しやすいような印象になっているが、実際には新型コロナはインフルエンザよりは感染しにくい。https://www.msn.com/ja-jp/news/world/%E6%96%B0%E5%9E%8B%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%8A%E3%80%8C%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%95%E3%83%AB%E3%81%BB%E3%81%A9%E4%BC%9D%E6%9F%93%E5%8A%9B%E9%AB%98%E3%81%8F%E3%81%AA%E3%81%84%E3%80%8D-who%E8%A6%8B%E8%A7%A3/ar-BB10HDy0テドロス氏は、インフルエンザも新型コロナウイルスも、呼吸器系の症状が出て飛沫(ひまつ)感染をする点が共通していると説明。そのうえで重要な違いとして、新型コロナウイルスについて「これまで得たデータからみると、インフルエンザほど効率よく感染はしない」と述べた。また、中国からWHOへ報告があったデータでは、症状のまったく出ない感染者は1%だと指摘した。一方、季節性インフルエンザに比べ、新型コロナウイルスに感染すると「症状が重症化する患者がより多い」とし、新しいウイルスのため免疫を持つ人が少ないと説明した。世界的にみると、死亡率は感染者の3・4%に達するとした。季節性インフルエンザの死亡率は一般的に1%に遠く及ばないとし、新型コロナウイルスの致死率はより高いという。テドロス氏は、こうした状況に加え、新型コロナウイルスの予防接種は開発途上にあるため、隔離などによる封じ込めに全力を注ぐべきだと訴えた。テドロス氏も封じ込めの大切さを訴えている。ブルームバーグのフォックス氏もだ。だが、その理由は違う。フォックス氏の「17-18年の流行時に米国でインフルエンザで死亡した人は6万1099人。これを10倍してみれば」の言い方は、「封じ込めないと60万人死ぬかもしれないから」ということだ。日本なら、1万人インフルエンザで死ぬ→コロナの致死率はインフルの10倍→10万人死ぬぞ!ということになる。「まだ」6人なのに? フォックス氏の結論は、インフルエンザの感染力と新型コロナの感染力が同じなら成り立つが、そもそも感染力が違うのだから、成り立ちようがない。あるデータを出し、その客観性だけで、他のファクターを無視した結論を導き出した悪い例だ。例えば、通称「スペイン風邪(風邪ではなくインフルエンザだが)」の死者数は、新型コロナの比ではない。ウィキによれば1918年から1919年にかけて全世界での死者数は5,000万~1億人。日本では人口5,500万人に対し39万人が死亡。新型コロナは、「まだ」3000人台。最凶のインフルエンザ「スペイン風邪」とは、比較にすらならない。まさに「桁違い」だ。しかも新型コロナの感染力には明らかな地域差があり、武漢のように感染爆発が起こる地域とそうでない地域の差がはっきりしている。いっそのこと、1日にインフルエンザ関連で亡くなっている人が何人、新型コロナで亡くなってる人が何人、と比較して報道されれば、案外新型コロナが一部で言われているほど致命的な流行病でないことが逆にハッキリするかもしれない。
2020.03.06
<昨日のエントリーから続く>北京から入国日本人の隔離措置をくらい、習近平国家主席の訪日が延期になって、ようやく日本政府が中・韓からの入国者全員の隔離措置を決めた。順番が逆だろー、ふつー。遅きに失したとはいえ、やらないよりはやったほうがずっとまし。これで「流入」が止まれば、あとは国内での「流れ」を止め続けることで、これ以上の惨事は避けられるかもしれない。イタリアの感染拡大も酷い。どうしてこんなことになったのか。少し前に、イタリアは中国からの直行便を全面的に拒否したため、そこで大丈夫と安心してしまったことが油断につながり、感染拡大に気づかなかったのだという説をネット上で読んだ。迂回してイタリアに入ってくる中国人もいるわけで、そうした人々全員を隔離すべきだったということだ。だが、迂回して入ってくる中国人をフリーパスにしたことは、イタリアにCOVID-19が入ってしまった理由にはなるかもしれないが、その後の死者数の急激な増加の説明にはならない。そもそもイタリアにウィルスを持ち込んで広めた、その最初の感染源が誰だったのか、分かっていない。感染拡大の引き金になったのが中国人だったのかどうかさえ、はっきりしないのだ。https://news.yahoo.co.jp/byline/puradonatsuki/20200224-00164381/例えば、いま、イタリア北部、Codogno市で38歳の男性Mattia Maestri氏がコロナウィルスに感染し、重体、集中治療を受けている。隣市にあるアメリカの多国籍企業 Unilevernoに勤めていた管理職の男性だ。彼が感染源となり、妊娠8ヶ月の妻、一緒にサッカーをしていた仲間の一人、行きつけのバーの客3人、入院していたCodognoの病院の医師数人、看護婦数人がコロナウィルスに感染した。しかし、Maestri氏は中国への旅行歴はない。1月21日に上海から帰国した友人と会っていたが、検査の結果、その男性は感染していないことがわかった。では、Maesri氏はいったいどのような経路で感染したのであろうか?今のところ謎である。またVenetie市で死亡した78歳の男性の感染経由も不明である。彼は村のバーにサッカーの試合を見に行き感染したと考えられているが、同じバーに通う8人の中国人は感染していない。とにかく、イタリアの感染状態は酷い。今日のニュースでは死者数が100人を超えたという。日本もイタリアから来る人たちの隔離も早く決めなければ、またもザルになってしまう。イランに対してもだ。一部地域からの入国者制限では甘い。https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200305/k10012314271000.htmlイタリア政府は4日、北部を中心に感染が広がる新型コロナウイルスについて感染者の数が新たに587人増えて3089人となり3000人を超えたと発表しました。また死者も28人増え、107人になったとしています。https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200305/k10012314731000.html韓国政府は、5日午前、新型コロナウイルスの感染者が4日だけで438人増え、5766人になったほか、死者は3人増えて、35人になったと発表しました。検査をやりまくっている韓国が感染者数5766人に対して死者が35人。ということは、イタリアの感染者数は3000人どころではないはずだ。まぁ、イタリアにいる人たちだって、今更こんな状態の日本に来たいとは思わないかもしれないが。
2020.03.05
ふアルベール・カミュ ペスト 生存をおびやかす不条理 (NHKテキスト 100分de名著 2018年6月) [ 中条省平 ]2020年3月4日。山口県で初の感染者を確認。新型コロナが不気味な広がりを見せるにつれ、どうしても読みたくなった小説がある。カミュの「ペスト」。同じように思った人が多いらしく、増版が決まったという。https://www.asahi.com/articles/ASN32643TN32UCVL014.htmlフランスの作家、アルベール・カミュ(1913~60年)が1947年に発表した小説「ペスト」の売れ行きが好調だ。文庫を発行する新潮社は2日、1万部の増刷を決めた。伝染病で封鎖された街を舞台にした物語が、新型コロナウイルスの感染拡大と重ね合わせられているようだ。ノーベル賞作家の代表作の一つである「ペスト」は、アルジェリアの都市で高い致死率のペストがはやり、死者が急増。感染拡大を防ぐために街は封鎖され、孤立状態になる。主人公の医師らが、ペストの猛威や人間性を脅かす不条理と闘う姿を描く。同社によると、新潮文庫版は69年に刊行。ロングセラーとして、毎月平均300冊ほど出荷されていた。ところが、中国の武漢市が封鎖された1月下旬ごろから注文が急増。ツイッターで「武漢はまるで『ペスト』のようだ」などの反応があった。2月中旬に4千部を増刷し、さらに1万部の増刷を決めた。同社の広報担当者は「タイミングからみて、新型コロナウイルスの影響としか思えない。全く予想しておらず、ただ驚いている」という。「ペストの脅威と闘う登場人物の姿と、今のコロナウイルスの感染が広がる状況を重ねているのではないか」と話した。(宮田裕介)これはまさに今、日本人が読むべき本だ。キリスト教文化圏では、中世に襲ったペストの惨禍が様々な芸術作品に影響を与えている。ペストをモチーフにした小説が何世紀にもわたって読み継がれているし、「死の舞踏」「死の勝利」といった絵画や彫刻、それに音楽にインスピレーションを与えたのもペスト禍だというのが定説。シチリアのパレルモまで「死の勝利」を見に行ったMizumizuには、ペストという死に至る感染症がヨーロッパ世界に与えた衝撃の強さは、常に意識の中にあった。これは日本の文化にはあまり見られない傾向だ。8世紀に天然痘が流行し、藤原四兄弟が全員死んでしまい、それが長屋王の祟りだとか、そういう解釈で語られたという話はあるが、善人も悪人も、正統なる者もそうでない者も、根こそぎに滅ぼしてしまう感染症の「不条理」そのものに視線を向けた作品はちょっと思い当たらない。あるいはそれは、ある1つの病気によって国そのものが滅んでしまうような、そこまでの災禍に見舞われたことがないからかもしれないが。日本人にとっては、病気に罹るというのは、何かしらの祟り、報いだという感覚が常にどこかにある。その感覚はそもそも不条理だが、今に至ってもその感覚はぬぐえていないように思う。凄惨な病に襲われるのは、人間の罪に対する神の罰だという考えを代表する登場人物もカミュの「ペスト」には出てくる。そして、その彼の辿る運命は… どこまでも「神の僕(しもべ)」として生きようとした人間の姿に、あなたは何を見るのか。罪を犯すほど長く生きてもいない息子を失った父親の言葉や、その後の行動は… ほんの一言に、比べようのないほど深い哀しみが宿っている。それは時代がいつであれ、変わらない親心というものだ。登場人物たちのほんのちょっとした言葉や振る舞いが、普遍的な人間の本質を鋭く突いてくる。ナレーターの役割を果たしている人物の考察も読む者の心をえぐってくる。読むのに忍耐力を必要とするが、それを我慢して読み続ければ、読者ひとりひとりの脳裏に「オラン」という街が鮮やかに構築され、その街の情景は、おそらく生涯消えることはない。カミュの「ペスト」は、これから何十年、何百年たっても(その時サルトルを読む人はほとんどいないだろうが)、例えばギリシア悲劇のように読み継がれるべき不朽の名作。今回のこの騒動が落ち着き、いったんは図書館の倉庫に押し込められても、また同じことが起こるたび、再びその時代の老若男女が手に取るだろう。読者の中に日本人も入っている――それはこの小説を日本に紹介し、時代の流れの中でも完全に忘れ去られ、消し去られることのない一里塚としてきた先人たちがいたからだ。彼らの慧眼にも、Mizumizuは感謝したい。
2020.03.04
アルベール・カミュ ペスト (NHK 100分de名著 2018年6月)[本/雑誌] / 中条省平/著<昨日のエントリーから続く>新型コロナ、患者数の多い北海道の知事が外出自粛要請を出し、総理が感染拡大防止に向けて国民の理解と協力を求める会見を開いた、その直後の週末。まだ感染者が出ていない(ことになっている)山口県山口市でも、明らかに普段の週末より車の往来が少なかった。そして、ニュースで聞いたマスクとトイレットペーパーの品不足。昨日もドラッグストアに行ってみたらマスクはもちろん、トイレットペーパーも品切れ。今日、別のドラッグストアに行ったのが、同じだった。特にトイレットペーパーとティッシュの棚がずらーっとカラになっているのは、インパクトがあった。マスクはともかくトイレットペーパーの買い占めに走るってなんだろう? アホですか。店員に聞いてみたら、朝入荷はあったものの、全部買われてしまったということだ。おひとり様1つの制限をかけたにもかかわらず。「毎日入荷するんですか」と聞いたところ、基本入荷はあるが、仕入先で欠品になったらなくなるという、分かりきった答えが。仕入先で品物がなくなったら入荷はない。そりゃ当たり前だが、じゃあ、その可能性がどのくらいなのかが分からない。こうなると、「いざという時にトイレットペーパー買えなかったら困るよね。今のうちに買っておこう」ということになり、ますます買い占める人が多くなる。マスクだって、日本人はやたらマスクをつけて歩くが、ウィルスに対して予防効果はさほどでもない(と言うか、限定的で、ほとんどない)ことは専門家が繰り返しテレビ等で発言している。マスクに関しては人からうつされることを防ぐのではなく、人にうつすことを少しでも抑制するためのもの。とは言え、このご時世、マスクしないで咳でもしたら周囲から白い目で見られてしまうだろうから、しょーがなくつけるが、あれで市中感染のリスクが低くなると思ってる人がいたら(いるのか? そんな人)、それは間違いだ。念のため、端的にマスク効果について説明しているサイトは以下。https://www.jichi.ac.jp/center/sinryoka/kansen/taisaku_04.htmlマスクが最も効果を発揮するのは咳やくしゃみのある人がマスクをつけた場合です。風邪やインフルエンザ患者は1回の咳で約10万個、1回のくしゃみで約200万個のウイルスを放出すると言われています。そこで、患者がマスクをつけることでこれらを含んだしぶきによる周囲の汚染を減少させることができるのです。風邪やインフルエンザに罹らないためにマスクをつけてもその効果は限定的とされています。なぜなら、顔とマスクとの間に隙間がありウイルスを含んだ飛沫の吸入を100%防ぐことはできません。また、ウイルス自体の粒子径は0.1~0.2μmですが、咳やくしゃみではウイルスに水分やほこりが付着し粒子径は5μm以上とやや大きくなるためすぐに短い距離に落下し、空間をただようことはないからです。更に、環境や衣類に付着したウイルスが手によって呼吸器に運ばれ感染する場合もありマスクだけで風邪やインフルエンザのウイルスを確実に遮断することはできません。ただし、風邪やインフルエンザ患者の近くで看病するなど咳やくしゃみのしぶきを直接あびる可能性がある場合には予防効果があると考えられます。中国人からの「市中感染を防ぐためのアドバイス」というのがツイッターに上がっていたが、「帰宅したら靴の底を消毒液で消毒し、コート類は外にほし、手を洗い、髪についてる可能性があるから髪を洗い…」などと書いてあった。無理でしょ、そんなん! 手洗い・うがい・マスクじゃ、はっきりいって全然足りないのだ。しかし、それを言っちゃーおしまいよ、だから誰も言わないだけだ。品薄になったマスクを高値で転売するために買い占めている輩も多い。経産省がオークションサイトなどの運営者にストップをかけたので今後はなくなるだろうが、勘弁してほしい。さてさて、信頼できるんだか、できないんだか、よく分からなくなってきたWHOだが、とりあえず新型コロナに関する調査報告書が出てきた。https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200229/k10012308111000.html主な数字を拾ってみると…呼吸困難などを伴う重症患者は全体の13.8%。呼吸器の不全や敗血症、多臓器不全など命に関わる重篤な症状の患者は6.1%。5万5924人の感染者のうち死亡したのは2114人で、全体の致死率は3.8%。致死率は高齢になるほど高く、80歳を超えた感染者の致死率は21.9%と5人に1人。特に、合併症の患者は致死率が高く、▽循環器の病気がある人は13.2%、▽糖尿病が9.2%、▽高血圧が8.4%、▽慢性の呼吸器の病気が8.0%、▽がんが7.6%。感染拡大が最も深刻な湖北省武漢は、致死率が5.8%なのに対し、その他の地域では、0.7%と大きな差が出ている。致死率は差がありすぎて、はっきりしないが、検査しぶりまくりの日本では数字が大きく出て、検査しまくりの韓国では低く出る。日本でクルーズ船とチャーター機で帰国した人以外の感染者が29日午後7時で227人。クルーズ船を除いて国内感染で死亡した人が5人。致死率約2.2%。韓国では29日午前の時点で、2931人。死者16人。致死率約0.5%。致死率に関しては韓国の数字がWHOの数字と近いから、日本でも検査数が増えれば、感染者数は増えるかわりに、致死率は下がり、韓国やWHOの出した数字に近づいていくのだろうなということは予想できる。どんだけ日本の検査が不十分か分かる数字だ。もっとも総理の会見によれば、検査態勢の拡充に向けて本腰を入れるようだし、これからは急速に改善されるだろう。最初のうちは、あちこちの顔色をうかがってグダグダしていても、いったん明確な目標が決まり、意識が共有されれば案外迅速に対応するのが日本人のよいところだ。
2020.03.01
【中古】【カード最大12倍!3/1限定、要エントリー】銃・病原菌・鉄 上/ ジャレド・ダイアモン<昨日のエントリーから続く>オリンピックを控えて、感染者数を少なく見せたい思惑があるのかないのか知らないが(おそらくは、あるだろう)、日本の「検査しぶり態勢」は本当にひどい。北海道で感染者数が多いのは、検査をちゃんとやってるからだという憶測まで出て、危機感をもって対処している北海道知事の株が上がっている。コロナを疑う患者が検査してもらいたくて問い合わせても、結局たらい回しにされて根負けし、あきらめたという話も聞くが、それ以上に驚いたのが、この記事の医師の質問。https://mainichi.jp/premier/health/articles/20200227/med/00m/100/001000c「肺炎で、呼吸状態が悪化していて、人工呼吸器をつけるような状態の患者なら、やっぱり(新型コロナ)ウイルスを検査した方がいいでしょうか」。2月15日、横浜市で開かれていた日本環境感染学会で、ある医師がこう問いかけました。こんな状態でもコロナ検査がなされていない場合があるってことに驚いた。でもってそれに対して、このウイルスによる患者を治療してきた、大曲貴夫・国立国際医療研究センター国際感染症センター長が答えました。「そう思います。一つの壁は検査のキャパシティーの問題。行政はなかなか簡単には動いてくださらないだろう。悪気があるのでなく制限をかけなければならないからだが、臨床医として(検査実施を)強烈に推すしかない」臨床医が「強烈に推さない」と検査してもらえないってことだ。いや、強烈に推しても、保健所がしぶり、保健所に言わせると行政がしぶり、責任もたらい回しにしている。そして、この新型肺炎のやっかいさ。早期対応の難しさが、臨床医の証言で明らかに。https://www.fnn.jp/posts/00050500HDK/202002272042_goody_HDK初期はかぜと変わらない。ところが数日しても良くならない。そこでX線撮影をすると…両方の肺に、肺炎と思われる影があった。あまり両側の肺炎というのはなくて、例えばすごく免疫が低下しているとか、重症の肝臓や腎臓の病気があって抵抗力がないような方には、両方の肺炎を起こすこともあります。けれど、その方は67歳ですし、その時点でもふつうにお元気で。呼吸苦とかもないですし、まさか影があるという印象では全くなかったですね。そこでそういう影があったので、ふつうの肺炎、ふつうの病気ではないのかなと感じた。自ら罹患した中国の余昌平医師も同様の証言をしている。一般的な肺炎は片側だけ炎症することが多いのですが、新型肺炎は両側が炎症することがほとんど。片側だけ炎症しても、最終的には両側になります。このようなレベルまでくると、非常にひどい病状で、呼吸をするのすら、つらくなってくることでしょう。余医師によると、通常の肺炎の多くは片側の炎症のため、もう一つの肺で呼吸ができる。しかし新型コロナウイルスの場合、その炎症が急激に両側に及ぶため、呼吸困難に陥りやすいのだという。この急激な変化というやっかいさに加え、検査の不確実性。以下、宮坂昌之氏による説明が非常に分かりやすい。https://news.yahoo.co.jp/byline/kimuramasato/20200228-00165104/PCR検査の感度が不十分。陰性だと思ったら実は陽性だった、陽性だと思ったら陰性だったということがかなりあった。陽性と出ればほぼ陽性という確率が高いが、陰性と出た時には本当に陽性ではないという証明にはならないという大きな問題がある。それはなぜかというと喉や痰の中にウイルスが見つからないが、他の体のどこかに隠れている場合が常にあるからだ。ただ、不思議なのは感染細胞の主なものは2型上皮細胞であることが分かっているにもかかわらず、人にうつすという感染性がこのウイルスは非常に高い。だから喉のどこかにはウイルスがいるとは思うのだが。ダイヤモンド・プリンセスでの感染拡大についても、You tubeでいきなり自説を拡散した岩田健太郎氏のようにパニックを誘導するような扇情的な物言いではなく、きちんと説明されている。「あとから考えてみたら濃厚感染が起こり得る密閉空間だった。中国から医療関係者の感染が物凄く多いというニュースが入ってきた。なぜゴーグルや防護服、N95のマスクも着用している彼らが高頻度に感染したのかを考えると、飛沫感染以外の接触感染が起こっていたということだ」「防護服を来たままトイレに行く、ご飯を食べる時にマスクを外す、いろいろな所に触る。防護服を着用していても隙間があって中に入ってしまう。手袋をはめていてもカルテを書く時にカルテが汚れる、ペンが汚れる。訓練を受けていた医療関係者でもあれだけの高率で感染したのはそういうことだ」「そのニュースを見たとたん『ダイヤモンド・プリンセス』もまずいぞと思った。でも隔離を始めてしまったのでどうしようもない。決して政府のやり方を擁護するわけではないが、ベストの解決法はなかったと思う」「唯一あったとすればオーストラリアのやっているようにクリスマス島のような孤島に隔離するしかなかった。しかし日本はそのような設備を持っていなかった」検査の不確実性(時間もかかる)に加えて、感染予防の難しさ。さらには、両肺に起こる急激な変化。どこでどの薬を投与したらいいのか、エビデンスもないだろうし、余昌平医師さえ、「薬より自信」が大事だとか、もはや患者自身が頑張るしかなさそうな物言いだ。http://japanese.cri.cn/20200208/e67a6b33-279a-c883-9376-d3ea24e63874.htmlほとんどの人が軽症で済む一方、基礎疾患のある高齢者には致命的。グダグダの日本の対応が、これからの数週間でどう変わるのか、変わったとしてウィルスの抑え込みができるのか、まだまだ見えないが、とりあえずは外出をできる限り控える。その意味では、総理の休校要請は良い判断だと思うのだが(医師会のアドバイスらしい)、やれ突然で対応が大変だとか、子供が友達に会えなくて寂しがってるとか、かしましい。今はなにを置いても感染拡大を防ぐことなのに、とにかく安倍政権の足さえ引っ張れればオッケーだと考える輩が多すぎる。まさに日本は内紛状態はないか。こういう内紛状態のところに病原菌がやってくるのは、最悪のパターンだ。街ごと封鎖したイタリアに比べれば、まだ日本政府の対策は手ぬるいほうだ。あろうことか中国メディアに上から目線で批判されている。日本は内ゲバをやめて、これからの対策に全力を尽くすべき。政治思想・官民の隔てなく。
2020.02.29
【中古】 銃・病原菌・鉄(下) 一万三〇〇〇年にわたる人類史の謎 草思社文庫/ジャレドダイアモンド【著】,倉骨彰【訳】 【中古】afb<昨日のエントリーから続く>2020年2月26日。春節のインバウンド効果に対する皮算用と習近平訪日への忖度で、日本が中国からの入国を全面的に拒否せずに一部地域に限定したザル規制を続けているうちに、日本でも新型コロナが流行し始め、逆に中国が日本人の入国を規制し始めた。https://news.biglobe.ne.jp/international/0226/ym_200226_2480845062.html(ここから引用)【北京=竹内誠一郎】北京市政府は26日の記者会見で、近隣国で新型コロナウイルスの感染状況が深刻な地域からの渡航者や訪問歴のある人に対し、14日間の隔離措置を義務付ける方針を明らかにした。 隔離の対象国には日本や韓国が含まれるとみられ、専用施設か住民については家でも行う。日韓を対象とした水際対策の強化は、山東省威海市も実施を公表している。全国人民代表大会(国会)の延期を決めた習近平政権は、北京の感染封じ込めを厳命している。 一方、湖北省武漢市は26日、新型コロナウイルスに感染し、昨年12月8日に最初に発病した患者が、流行初期に感染者が集中していた市内の海鮮市場への訪問歴を否定していたことを明らかにした。海鮮市場はウイルスの有力な感染源とみられてきた。(ここまで引用)山東省威海市だけならザルだが、北京で入国後に「隔離」されるとなると、旅行ではまず行けないし、ビジネスでの中国行きも相当にハードルが高くなる。隔離先に閉じ込められると、第二のプリンセス・ダイヤモンドのようになってしまう。中国のシビアな対応を見ると、つくづく日本の初期対応のまずさが浮き彫りになる。ここにきて日本中のビッグイベントが次々自粛となり、日本人自身も旅行を控えるようになっている。しかも、いつまで続くか見通せていない。その経済的な損失ははかりしれない。やはり最初の段階で中国からの入国を全面的にストップして時間を稼ぐべきだったのではないか。そう思っている国民は多いはずだ。さらに、「医療崩壊を防ぐため」「重症者に注力する」などと言いながら、検査をしぶる態度は現場医師の怒りを買っている。https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200226/k10012302341000.html(ここから引用)新型コロナウイルスをめぐり日本医師会は、医師が保健所にウイルス検査を依頼しても、対応を断られるケースが報告されているとして、全国の実態を調査し、政府と連携して改善に取り組む方針を示しました。(引用ここまで)医師サイドが動いているということは、これからは医師の権限での検査が認められてくるだろう(と思いたい)が、しかし、発熱したら自宅で様子見て…という指針は相変わらずだ。インフルも「死に至る病」だということは無視されているし、仮にコロナで重症化してから搬送されても、これまでの症例を見ている限り手遅れになるように思う。中国側からも報告があったが、この新型コロナは悪化すると恐ろしい勢いで悪化してしまう。「アビガン、カレトラ、レムデシビルについて、一部の医療機関で必要な患者に観察研究として使用を開始」(河野太郎氏のツイッターより)だというが、重症化してからでは間に合わないのではないか。ネット上でウラ取りできなかったが、たしか四柳宏氏もそのような指摘をされていたように思う。自宅まで検査に出向く態勢を整えた国もあるようで、それは素晴らしいのだが、結果が出るまで時間がかかるとなると、その間に重篤化してしまうかもしれない。また、疑わしい発熱者が次々出てくると、この態勢もあっという間に崩壊してしまうかもしれない。となると、検査の裾野を広げると同時に、検査結果の迅速化(迅速にできる機械はできたらしいが)も実現しなければならず…いやはや大変だ。またここにきて心配なニュース。大阪で、いったん陰性になった患者が再度陽性となったという。https://www.nikkei.com/article/DGXMZO56100960W0A220C2AC8000/(ここから引用)大阪府は26日、1月に新型コロナウイルスの感染が判明した府内の40代女性バスガイドが退院後の検査でいったん陰性と確認された後、再び陽性と診断されたと発表した。厚生労働省によると、退院後に再び陽性に転じたのは国内初。(ここまで引用)中国でもこの現象が起きているようで、おそらく再感染ではなく、ぶり返しだろうとのことだが、ぶり返したあとに急に重篤化するなどの例があるのかどうか、注視していく必要がありそうだ。とにかく、このコロナウィルスはおかしい。一番上の記事の最後の段落にあるように、このウィルスの出どころは市場ではない可能性がある。「世界的な範囲でいっそうの誤解と混乱を引き起こす事態を避けるため」として、今は削除されてしまったがインドの研究者たちによる初期的な研究結果が以下。https://toyokeizai.net/articles/-/329766?page=4(ここから引用)1月31日、インドのデリー大学とインド理工学院に所属する研究者たちが、bioRxivで「2019新型コロナウイルスの棘突起タンパク質に含まれる独特な挿入配列とエイズウイルスのHIV-1 dp120、Gagタンパク質との間で見られる奇妙な相似性」という研究論文を発表した。簡単に言えば、彼らは新型コロナウイルスとSARSウイルスの棘突起タンパク質の配列を比較し、SARSウイルスと比べると新型コロナウイルスの棘突起タンパク質には4つの新しい挿入配列があることを発見したのだ。その後、彼らはこの4つの挿入配列をデータベース中の配列と比較した結果、4つの挿入配列がともにエイズウイルスのタンパク質配列の中にあることを見つけた。この研究論文によれば、この種の特異な同一性/相似性が自然界の中で偶然に起こる現象とは考えられず、またこの4つの挿入配列は新型コロナウイルスに独特なもので、そのほかのコロナウイルスには存在しない、とされている。(ここまで引用)もちろん中国は猛反発で、全力で否定しているし、たとえ事実であっても絶対に認めないだろう。だから真相はヤブの中だが、人工物、あるいはそこまででなくとも、研究のために捕獲した動物からウィルスが流出した可能性はゼロではないだろう。覇権国家を目指す中国が、核兵器以上の武器になるかもしれない(おそらくは、なるだろう)生物兵器を開発していないはずはなく、今回の世界的なパニックを見ると、生物兵器が過失によって外部に漏れてしまった、あるいは意図的に流出させた場合のインパクトははかりしれない。やがては自ら作り出した生物兵器によって人類が滅びる、あるいは激減するというSF小説のようなシナリオが足元まで来ているのかもしれない。
2020.02.27
【中古】文庫 ≪趣味・雑学≫ 銃・病原菌・鉄 上 / J.ダイアモンド【中古】afb2020年2月25日。日本政府は、入国申請前の14日以内に大邱市と慶尚北道の一部地域に滞在歴のある外国人の入国拒否を発表した。中国山東省威海市は同日から、日本と韓国からの入国者全員を無料で指定のホテルに宿泊させ、14日間経過観察すると発表した。事実上の強制隔離政策だ。だが、いずれにせよ、どちらもザル。大邱にいたかどうかを客観的に事前に日本が把握しておくことなどできないわけで、自己申告しなければ入国できてしまう。中国だって威海市に入らず別ルートで入ってくればいいだけの話。ロシアのように中国からの入国を全面ストップしなければたいした意味はないし、仮に全面ストップしたにしても、他国をうまく経由して入られたらどうしようもない。そもそも、もう感染はヨーロッパにも広がっている。ここにきて患者が急増しているイタリアに対しても、EUは国境封鎖を行わないと発表した。アメリカCDCも、アメリカでの流行はもはや避けられないと発表。https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200226/k10012301611000.html(ここから引用)「これまで中国からの旅行の規制や検疫の強化で感染者を最小限に抑え、時間を稼いできたが、いまや、アメリカで感染が広がるかどうかではなく、いつ広がるかという問題になりつつある」。(ここまで引用)コロナウィルスにはまだまだ分からない点が多くあるとはいえ、80代以上になると死亡率がハネ上がることは数字でも裏付けられている。若い人は(0%ということはあり得ないので例外はあるにせよ)軽微なまま快復することが多い。流行がどれくらい爆発し、どのくらいの人が亡くなるかは見えないが、ピークを迎えたあとは、様々な対策等によって感染症の流行は、少なくともいったんは必ず終息する。それが5月なのか、来年なのかは分からないが。だが、いったんは終息し、あるいは有効な薬が開発されたとしても、またいつかこのウィルスは戻ってくる。他のウィルスと同じように。SARSやMARSの流行に巻き込まれなかった日本人には今回のCOVID-19流行のショックは大きいが、考えてみれば人類史は感染症との闘いの歴史でもある。外出を控えているせいで、このごろ読書が増えてきたMizumizuだが、シャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』は面白かった。特にこの時期に興味深かったのは、病原菌、すなわち感染症がいかに他民族の「征服」に大きな役割を果たしてきたかが詳細に書かれている点だ。例えば、アステカ文明は、数では圧倒的に劣っていたスペインの軍隊によって滅ぼされる。それはスペインが持ち、アステカが持たなかった強力な武器による「文明力」の差だけでは説明できない。スペイン人が入ってきた時に、アステカ王国が内紛状態であったという国内事情に加え、彼らが持ち込んだ天然痘ウィルスが猛威をふるったことが大きい。天然痘ウィルスはネイティブインディアンに対しても壊滅的な被害を与えた。入植してきた白人は、天然痘患者の使った毛布をわざわざプレセントしてネイティブインディアンに病原菌を振りまいた。最終的に武器によって「征服」される前に、この感染症によってネイティブインディアンの人口が激減していたことは、世界史でおそらくは学んだはずだが、これまでの史学(それは征服した者が書いた歴史だ)ではむしろ、感染症のもたらした被害よりも、武器や知識といった文明力の差を誇示する傾向にあったと思う。日本人(和人)がアイヌを征服していく過程でも同じことが起こっている。日本が北海道に本格的に進出したのは、ロシアの南下に危機感を持ったからだが、当時免疫を持たなかったアイヌ人に対し、天然痘、肺結核、梅毒といった病原菌を拡散させ、アイヌの人口を激減させている。今回、武漢で発生した新型コロナウィルスは、実は市場から発生したのではなく、市場からわずか280メートルしか離れていない武漢疾病対策予防管理センターから流出したものだという説がある。https://s.japanese.joins.com/JArticle/262641?sectcode=A00&servcode=A00(引用)中国広東省広州の華南理工大学生物科学と工程学院の肖波涛教授は今月6日にグローバル学術サイト「ResearchGate(リサーチゲート)に論文を発表した。論文は新型コロナがコウモリから中間宿主を経て人に伝染した可能性よりも、湖北省武漢の実験室2カ所から流出した可能性を提起した。肖教授は武漢ウイルス研究所よりも武漢疾病予防管理センターが震源地である可能性が高いとみられると主張した。武漢ウイルス研究所は新型コロナが集中的に検出された華南水産市場から12キロメートル程度離れているのに対し、武漢疾病対策予防管理センターはわずか280メートルの距離にあるためだ。肖教授は実験室からの流出とみている理由について、新型コロナの天然宿主である「キクガシラコウモリ」は武漢から900キロメートル離れた雲南省・浙江省などに棲息していて、食用としては特に使われていない点を挙げた。また、武漢市政府の報告書や武漢市民の証言を総合すると、華南水産市場でこのようなコウモリは扱われていなかったという。反面、武漢疾病予防管理センターは2017年と2019年、実験用に多くのコウモリを捕まえた。2017年には湖北省・浙江省などで約600匹のコウモリを捕まえたが、この中には重症急性呼吸器症候群(SARS)ウイルスを持つキクガシラコウモリも含まれていた。当時、同センターの研究員は、勤務中にコウモリに噛まれたり尿をかけられたりしたと話した。同センターはコウモリの細胞組織を分離させてDNAとRNA配列などの研究を行ったが、ここで出た汚染されたゴミがウイルスの温床になったというのが肖教授の主張だ。(引用ここまで)<続く>
2020.02.26
<前日のエントリーから続く>新型コロナウィルスの流行に備え、政府が政策基本方針を発表。だが、内容を見ると「発熱したら自宅で休んでもらう」というのが柱で、特段目新しいものはない。重症者への対応を強化し、不安にかられた人々が医療機関に殺到して医療崩壊を招かないように国民に対してクギをさした感じだ。けどねえ…相変わらず中国、それに感染が爆発的に広がっている韓国からの入国制限は強化されることはないらしい。イスラエルは、すでに入国してしまっている韓国人1300人をイスラエルが費用出すからチャーター機で持って帰って…もとい、乗って帰ってくれとまで言っているというのに。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200224-00080310-chosun-kr自国内での感染を食い止めようと必死になっている一方で、自国以上に感染が広がっている国の人たちは制限しないというのは、どうにも腑に落ちない。経済的な影響を考慮しているのは分かるが、それにしても「ここ1~2週間が瀬戸際」とまで切羽詰まったことを言ってるわりには、入国がザル。この新型肺炎は、感染力が思った以上に強い(場合がある)し、潜伏期間も当初考えられていたより長い(可能性がある)ようだ。それならば、今更感はあるにせよ、やはり入り口は閉めておくべきだと思うのだ。それこそ1~2週間でもよいではないか。「数字がよく分からない(麻生氏)」中国からの入国だけでも短期的に禁止することで、外からの流入を防ぐ。ところが、それを主張している感染症の専門家もいない。不思議だ。それから腑に落ちない、というより不安なのは、検査態勢の貧弱さ。検査態勢をもっと整えよう(さらに拡大しよう)という気はないようだ。もちろん、韓国並みに強化することに意味があるかどうかはよく分からない。そもそも、この病気は検査で陽性になったからといって薬はない。だから、発熱症状が出たら、やみくもに病院に行くのではなく(行ったところでどうにもならない)、自宅で静養して自然治癒を待つ…というのは合理的な指針ではある。だが、様子見ていて、熱が下がらない、となったときの態勢はどうなのだろう?熊本で発症した20代の女性(現在重篤化)は、病院をたらい回しにされたとか。https://www.nishinippon.co.jp/item/n/586755/内容を読むと、その杜撰さに驚くばかりだ。女性は、(以下引用)せきや高熱が続く中、21日の救急搬送まで50代の父親の車で三つの医療機関と自宅を往復し、結果的に父親も2例目の感染者になった。女性が入院したのは発症から5日目。(中略)18日に発熱。市内の医療機関Aを受診してインフルエンザの検査で陰性と確認されたが、原因は分からず、父親の車で帰宅した。19日には体温が39・6度に達し、市内の別の医療機関Bを受診。だが、前日のインフルエンザ検査で陰性だったにもかかわらず、再び同じ検査を受け、再び陰性を確認。この日も父親の車で帰宅した。女性の症状は20日、さらに悪化。せきや高熱、嘔吐(おうと)、下痢の症状があり、深夜になって医療機関Cを受診した。コンピューター断層撮影(CT)検査で肺炎が確認され、医師が保健所に連絡。検体を採取し、ようやく新型コロナウイルスの検査につながった。だが結果は出ず、この日も医師から自宅待機を指示され、父親の車で帰宅した。しかし、考えれみれば、こういう対応になってしまうのは当然かもしれない。だって、新型コロナの検査は簡単にはできないわけだから。ということは、この女性はインフルエンザかもしれない、あるいはコロナかもしれない状態であっても自宅で静養し、重症化するまで動かないほうがよかったということか(本人の体力消耗を考えても、また周囲へ感染を広げてしまうリスクを考えても)。インフルエンザなら数日我慢すれば熱は下がってくるから、それを待つということだ。インフルで死ぬ人が多いということは、とりあえずは棚上げ。インフルで亡くなっても発表されないし、コロナの死者数のうちに入らなければ世間は騒がないからオッケー!で、仮にこの熊本の20代の女性患者のような人が、重症化するまで自宅で静養し続けたとして、医療機関Cへの受診が最初だった場合、そこで必ずコロナの検査してもらえるかどうか分からないし、検査してもらってもすぐに結果が出ないから(接触者でないかぎり、おそらくはまた)自宅待機になり、その間に周囲の人を感染させてしまうかもしれない(実際、家族は感染した)。若者は重症化しにくいはずの新型コロナだが彼女は20代。基礎疾患があったかどうか分からないが看護師という職業を考えると、そんなに健康状態が悪かったとも思えない。重症化した患者の対応に重点を置くといい、検査はなるたけしない方向(医師が検査したいと保健所に申し出たところ、条件がそろっていないという理由で「風邪ということにしておいてくれ」と言われたと医師自身が証言している)。で、重症化して検査してもらえたとしても、すぐに結果は出ないからその間は自宅待機(そして、家族も感染)。日本人にはこうやって自宅待機しろと言う一方、入国した中国人にはやけに親切で「早めの受診を促す」そうだ。https://www.nikkei.com/article/DGXMZO55873560Q0A220C2EE8000/(引用)新型コロナウイルスの感染拡大を受けた取り組みで、日本への渡航が禁止されていないビジネス客や個人の旅行客が主な対象になる。体調が悪化した場合の早めの受診を促し、日本国内での感染拡大を防ぐ。(引用ここまで)自国民は熱が上がって、それがインフルかコロナか分からない状態でも数日自宅で様子をみろと。でもって、熱が下がらなかったら相談して…その後はたらい回しで、重篤化するか軽快するかは、患者の持ってる運次第って流れ。瀬戸際といいながら、こんな態勢…といって、一部の人たちがヒステリックに叫ぶように、「検査してくれ、検査してくれ」の声に応えて、態勢を整え、もっと早い段階で検査ができるようにしたとしても、検査は100%の精度ではないから、偽陰性で安心してしまったり(そして、その後発症)、あるいは陽性になったとしても、その検査結果が出るまでは接触者でないかぎり隔離されるわけでもない。陽性でも薬はなく、結局はその人の持っている「体の強さ」で重症化するか軽傷のままで終わるかが決まる。つまり、検査しようがしまいが、ぶっちゃけ結果はその人の持ってる体力と免疫力次第ということだ。手洗い・うがい・マスク…個人でできることはあるが、手を洗う前に目をこすったりして、目の粘膜から感染することだってありそうだ。手洗い・うがい・マスクが有効なのはその通りだろうが、それをしていれば大丈夫ということでもない。やっぱり、運次第。日本国内で感染爆発が起こるのか、このままなんとか踏みとどまれるのか。それももはや運次第という感じがしてきた。イタリアでは一部の街が事実上の封鎖にまで踏み切って、そこでは人っ子ひとり通りに出ていない。「瀬戸際」の日本は、勧告はあるものの、基本外出は自由だ。これで感染爆発が起こらなかったら、逆に奇跡だと思う。いや、もしかして、そのほうがよいのか? 閉じ込めよう、閉じ込めようとするのではなく、「鬼は外」と唱えながら風通しでもよくしてウィルスが力を失うのをただ待つほうが…?どちらにせよ、数週間後にはある程度の答えが出ているだろう。それまでは、なるたけ人ごみには出かけず、真面目に手洗い・うがいに励むこととしよう。熱が出たら、専門家のアドバイスどおり、窓をあけて扇風機で空気を外に出し、台所洗剤を薄めて消毒しまくってみるか。寒い季節だからといって閉め切った部屋で暖房をするのは危ないらしいから、極地用のシュラフでも買って…いっそ、ベランダにでも寝ようかな。ナンガ NANGA SSDオリジナル オーロラ 1000SPDX レンガ [寝袋 ダウン 限定 防災]
2020.02.25
新型コロナウィルスの流行が止まらない。現在東京と山口の二カ所生活をしているMizumizuだが、2月に東京に戻るつもりが山口へ足止めされている格好だ。東京へ戻るとなると、公共交通機関を利用しないわけにはいかない。密閉空間であの尋常でない密度の人間…移らないと考えるほうがどうかしている。今回の新型コロナウィルス。中国・武漢が悲惨な状況になり、中国政府が都市封鎖にまで踏み切ったというのに、日本政府の対応は鈍かった。Mizumizu個人としては、中国全土からの日本入国をストップしてほしかった。そうすれば、少なくとも「時間稼ぎ」はできたはずで、時間稼ぎをしているうちに態勢をもっと整えることができるし、春になって暖かくなれば、ウィルスの流行スピードも鈍化して、この騒ぎもなんとなく消えていくかもしれない。だが、日本政府はそうはしなかった。中国と長い国境を分かち合っているロシア、まがりなりにも中国と友好国のロシアが、国境封鎖に踏み切ったというのに、また先日はイスラエルが、中国に次ぐ汚染国となった韓国・日本の入国まで拒否したというのに、日本はいまだに中国からの入国禁止範囲を広げる・広げないで議論している状態だ。この鈍い対応の裏に、4月に控えた習近平国家主席の国賓訪日があるのは明らかだろう。そして、普段は何かというと日本を非難・批判ばかりしている中国が、この日本政府の鈍い対応を絶賛し、「感染は一時、友情は永遠」「日中、ともに手をとりあって病疫と闘いましょう」などと持ち上げているのが気分が悪くて仕方がない。気分が悪すぎて、逆に笑ってしまうほど。そんなことを言いながら、中国は毎日のように尖閣諸島海域に入ってくるし、明確な理由も開示せずにスパイ扱いで逮捕した日本人は解放される気配もない。…なんてことを言ったところで中国の反応は分かっている。「日本と中国がどれほど仲良くなっても、国家主権に関して中国が権利を放棄することはない」「たとえどれほどの友情を結んでも、中国は自国の法律を曲げることはない」とか、まーそんなところだろう。日本が中国人の入国を全面的に阻止せず、中国と同じ状況になりつつあるときに、中国が日本を賞賛すればするほど、日本人の反中国感情は高まるだろう。そんなことも分からないのかね、中国共産党って。政府主導のプロパガンダで人民の感情をコントロールできるなんて、前時代的もはなはだしい妄想だ。いまや日本を抜いて中国に続く第二の最悪汚染国になってしまった韓国も、中国と経済的な結びつきが強く、思い切った措置が取れなかったという意味で日本と似ている。習近平の訪韓を実現したいという思惑が裏にあったのも日本と共通だ。中国に忖度した(ことは明らかな)、日本政府の鈍い対応を、安倍総理を強く支持してきた保守層が厳しく批判している。もともと中国に対する警戒感が非常に高い層なので当然と言えば当然の反応だが、このままこの新型ウィルスが日本中に拡散し(それはもう時間の問題だが)、死者が増え続ければ、これまで様々なスキャンダル――それは主に左派系のメディアや文化人が仕掛けてきたものだが――を乗り越えて、憲政史上最長の在任期間を達成した安倍首相がついに退くことになるかもしれない。新型ウィルスの「政治的な」側面はさておき、Mizumizuの疑問は、中国での流行当初から感染症の専門家たちによる、「すぐに中国からの入国を拒否せよ」的な発言がほぼなかったことだ。逆に、インフルエンザウィルス(あるいはその他の疾病)による年間の死者数を挙げて、新型コロナウィルスに対して冷静な対応を求める専門家が多かった。それはコロナウィルスはもともと感染力がそれほど強くないこと、致死率が同じコロナウィルスのSARSやMERSより低いということが論拠だったように思う。コロナウィルスの感染力の弱さについては、根路銘国昭氏のインタビューに詳しい。https://gendai.ismedia.jp/articles/-/70375要点をまとめると1)コロナウイルスは咳や痰で飛び出しても1メートルを超えれば死滅する。感染者の近くで咳や痰を受ければ、小さな粒子となった飛沫(飛沫核と呼ぶ)を受けて感染するおそれはあるが、インフルエンザのように1回の咳で1万個以上のウイルスが死ぬことなく長時間浮遊し続け10メートル以内のほとんどの人を感染させる「空気感染」は起こらない。2)コロナウイルスは「飛沫核感染」しかしないので、感染者がしっかりとマスクをしていれば感染拡大のおそれはとても小さい。これがコロナウイルスというもの。3)呼吸器感染症では、インフルエンザウイルスは横綱級、コロナウイルスは関脇以下程度。4)強い危機宣言をしないWHOに対して、トップの辞任要求の動きが広がっていて、それに乗じた著名人すら出ているが、WHOの認識は正しい。ただし、これは新型コロナウィルス(のトゲに)粘着力があり、それが従来型に比べて感染力が強い理由であろうという研究結果が出される前のものだ。また、新型コロナが飛沫感染だけでなく、(密閉空間などでは)エアロゾル感染を起こすかもしれないという認識も中国の衛生局から示されている。http://www.news24.jp/articles/2020/02/19/10597600.htmlだが、どちらにせよ、「空気感染」のインフルよりは感染力は弱いというのは、いまだに揺るがない事実だろう。もうひとつ、感染症の専門家が繰り返し指摘するのは、致死率の低さだ。http://www.kansensho.or.jp/uploads/files/topics/2019ncov/2019ncov_ippan_200203.pdf致死率についてはまだ確定はできないにせよ、重症となるのは、高齢者、糖尿病などの基礎疾患のある人にほぼ限られているのは確かだろう。日本は老人大国なので、高齢者施設での集団感染が今後増えていくと予想される。80歳以上であろうと10歳以下であろうと、命は命だが、すでに経済活動から退いたシニア層がバタバタ死んでも日本経済にはダメージ少ないし、なんなら医療費を食う年寄りにはこの際、死んでもらったほうが好都合…なんてことを考えている専門家がいるとは思えないが…というか、いたとしても絶対に口に出して言うことはないだろうが、とにかく致死率が低く、健康な若い人は感染しても症状が(それほどびっくりするくらい)軽微だというのが、この流行病のある種「救い」であることは確かだ。これがペストのように、老いも若きも次々罹り、次々死んでいく疾患だったら、この情報時代の世界的なパニックははかり知れないものがある。病原菌による大量死は、それに見舞われた人にとってはこれ以上ない悲劇だが、人類史を見ると、感染症による大量死は常に起こっている。新型コロナは「新型」であるだけにまだ分からない部分も多いが、致命的な死を広範囲にもたらす感染症でないことは確かだ。2019年末から2020年初頭にかけての中国本土でのコロナウィルスによる死者は、増え続けているとはいえ、まだ2月24日の時点で2500人強(ただし、この数字には疑念もある。検査されずに亡くなった人も多いはずで、実際にはこの数字の倍、3倍、いやもっとかもしれない)。それに対してアメリカで猛威をふるうインフルエンザによる死者は1万6000人を超えている。これについて、コロナウィルスが混ざっているのではないかという疑義が出されているが、感染症の専門家が出したデータを見ると、https://news.yahoo.co.jp/byline/kutsunasatoshi/20200222-00163925/昨シーズンのインフルエンザによる死者数は34000人、過去10年で最も死者数の多い2017-2018シーズンは(なんと)61000人。今シーズンのインフルエンザによる入院者数の推移のグラフを見ると、2017-18、2014-15よりは低人数で推移しており、今シーズンの流行だけが突出しているわけでもなく、コロナウィルスが混在していなかったとしても説明できる数字であることは確かだ。新型コロナは新型なので、人々の恐怖心は高く、連日どこで感染が確認された、何人亡くなったと報道されればさらに恐怖心は高まるが、実際には「報道されない」感染症で亡くなっている人はもっと数が多いはずなのだ。WHOはここにきて、新型コロナは「世界の3分の2が罹患する可能性」があるとしている。感染症の専門家も、「罹患する人が増え、免疫ができればおさまっていく」と口をそろえている。https://kadobun.jp/feature/interview/9yhcdzonav40.html(引用)今後ですが、ウイルスにかかった人は体内に免疫ができますから、免疫を持った人が増えれば、感染のスピードは弱まると予想されています(引用ここまで)。考えてみれば、そのとおりなのだが、今回は中国との政治的・経済的な結びつき、それに習近平国家主席の訪日・訪韓というイベントがあったため、対策が手ぬるくなったのだろうという疑惑と結びついて、まっとうな専門家の発言まで、「中国に忖度した御用学者の詭弁」にされている。たとえ初期の段階で日本が中国からの入国を全部拒否していたにせよ、韓国ルート、あるいは別のルートから日本にも入ってきたことは間違いない。ただ、その時期は遅らせることができただろう。時期を遅らせることで、死者の発生も遅らせることができ、暖かくなって感染のスピードが落ちれば、死者数も全体的には抑制できたかもしれない。ただ…今のところ日本国内で亡くなったのは数人だ。この騒ぎの中で数人。ひるがえって全然報道されない季節性インフルエンザでは、https://president.jp/articles/-/330532019年の1~9月の集計で、すでに3000人超。毎日毎日「インフルエンザでどこどこの県で何人亡くなりました」なんて報道がされてパニックになったりはしていないのだ。この数字を見れば、やはり「新型コロナで騒ぎすぎ」は事実かなと思う。そして、致死率のこれほど低い伝染病のために、たとえば2020年1月の段階で、中国全土からの入国をストップする、などのドラスティックな対策を取ったとしたら、それに伴う経済的な損失はどうだっただろう? 命か、経済かと問われれば、命を優先させるのは当然だが、経済が回らなければ、もはや現代人は生きてはいけない。鎖国して一切の病原菌を外部から入れない見返りに、狭い日本国の中ですべての経済を回すなんてことはもうできないのだ。<続く>
2020.02.24
「旅好きが選ぶ! 道の駅ランキング2018」で1位を獲得したという豊北の道の駅。ここは、夏の絶景・角島橋に近いとあって週末は県内だけでなく、九州その他からも観光客がどっとやってくる。角島の海は、晴天の夏、それも午前中が最も美しい。曇ってしまうとあの「ここって本当に日本??」と思うような澄み切ったエメラルドの海の色は見られない。その意味で、天候と時間帯に大きく左右されてしまう「絶景」なのだが、それでも主に自動車のCMでよく使われて有名になったことから、夏の間は観光客がひきもきらない。道の駅 豊北は、その角島を遠くに見るロケーション。海に向かって大きなテラスがしつらえてあり、トビの飛び交う海辺の景色をガラスなしで堪能できる。この景色も人気のうちだと思うのだが、なんといっても週末すごい混みようになるのがわくわく亭というこの道の駅の食事処。見よ! この大行列。ここは、券売機で食券を買って、セルフサービスで運ぶという庶民的な食事処なのだが、券売機がはるか先で見えないほどの行列になる。夏の間、週末に3~4回行ったが、だいたいお昼前にはこの状態だった。それでも料理はどんどん出てくるし、回転は案外速い。メニューは豊富。地元の魚を使ったものがメインだが、カレーやうどんのような軽食もある。こういういろんなものをごっちゃに出す食堂はマズイと決まっているものだが、道の駅豊北は、数少ない例外。絶品…とは言わないが、河豚や烏賊、地元の魚を使った料理は、お値段はとてもお手頃だが、その価格に対しての満足度が高い。逆に「とらふぐの刺身」などの高級食材を使ったものは、その値段のわりにガッカリだった。高級食材は高級店に任せて、ここではもっと庶民的なものを頼んだほうがよい。Mizumizuのイチオシは、ふぐ天丼。見た目は「天丼てんや」と変わらない――なんて言ったら元も子もないが、不思議と飽きない味。何度もリピートしている。日によってネタが変わる「おまかせ鮨」も、なかなか。白身の魚中心で、華やかな江戸前鮨に慣れた目で見ると、地味すぎてしょぼくれた印象だが、逆に白身の魚の味、歯ごたえのバリエーションの豊かさを知ることができる。白身魚が嫌いでないならおススメ。お土産コーナーの魚は日によって違う。一度だけ天ぷら用のキスが売っていたのにあたり、買ってみたらあまりの旨さに衝撃を受けた。さくっとした軽い触感。やわらかいがプリっとした身の味わい。山口市内のスーパーでも、それなりに新鮮なキスは買えるのだが、明らかに一段上だった。「山口の魚って、おいしいじゃん!」としみじみ実感したのは、有名なとらふぐではなく、ありふれたキスだった――というオチ。窓越しに明るい海を見ながら、みんながおいしそうに食べている。平和と豊かさがここにある。
2019.09.02
あわゆき、淡雪、あわ雪、阿わ雪…表記はさまざまあれど、どれも卵白を甘くして寒天で固めたシンプルなお菓子だ。 Mizumizuがこのあわゆきファンであることは過去にも書いている。なんでもある東京だが、なぜかこのお菓子だけは、あまり美味しいものがない。 以前、愛知県の有名店のあわゆきを期待を持って買ってみてガッカリしたことがある。崩れにくいようにとの配慮なのか、少し硬すぎて、口のなかで、それこそ雪のように「しゅわっ」と溶けていく感覚がない。 あわゆきは、泡立てた卵白特有のこの「しゅわっ」感が命。きれいに箱詰めしている売っている有名店のあわゆきは、のきなみこの生っぽい「しゅわっ」が消えている。 不思議とMizumizuが気に入るのは、山口の小さなお菓子屋で、小規模につくっているあわゆきだ。市内では大殿の風月堂。ここは夏だけあわゆきを出すということだが、大切な「しゅわっ」感、そして甘ったるくない爽やかさを備えており、Mizumizuイチオシで気に入っている。ビニールに密封はされているが、商品名はマダムが墨で手書きしている。小規模手作り感があふれている逸品だ。 その大殿の風月堂に並ぶあわゆきをこの夏見つけた。それは意外な場所。 秋穂よりの防府にある「ふれあいステーションDAIDO(大道)」という地元の農家の直売品を売る店だ。 あわゆきにレモンを合わせた爽やかな味。口の中で溶けていくような「しゅわ」感もあり、甘さと酸っぱさのバランスも良い。 最初見た時は、それこそ地元の主婦の手作り品かと思った。 こんなテキトーな包装なので(笑)。値段も220円ととてもお安い。でも、製造者をよくよく見たら三協製菓という防府のお菓子屋さんだった。しかし、この淡雪「レモン」(「瀬戸内レモン」)、三協製菓のホームページにも出てこない。よっぽど力が入っていないんだろうか(苦笑)。 しかし、飽きない味で、Mizumizuはすでに何度もリピートしている。売り切れている(あるいは入荷していない?)こともしばしばで、行っても買えないとガッカリするので、だんだんと、「あればまとめ買い」するようになってきた。 もちろん、しっかり冷やしていただくのが鉄則。室温に置いておくと、卵白の悪いほうの生臭さが出てきてしまう。それだけ泡立てた生の卵白の食感が残っているということでもある。 防府のお菓子屋となると、それこそネット上で評判のお菓子でもないと、わざわざ行く機会もない。だが、道の駅にも似たこういう直売所だと、新鮮な野菜などを買いにきたついでに目についたら買ってみようかという気にもなる。 この大道の直売所はとても人気があり、いつもたくさんの車が停まっている。道の駅もそうだが、こういう直売所が地方の経済を支えているのだと実感する。 次のエントリーでは山口で最も人気のある道の駅をご紹介します。
2019.08.27
かつては廻船業で栄えたという阿知須(山口県山口市)。今はその面影はないが、そのかわり、「きらら 道の駅 あじす」付近は、野鳥観察公園やさまざまなイベントでにぎわうきららドームといった施設との相乗効果もあり、それなりに集客力のあるエリアになっている。ロワゾブルーは、「きらら」施設とは少しだけ離れた場所にあるが、ついでに車で寄るにはぴったりのロケーション。大変な人気店で、週末は狭い店内が人でごったがえしていることもしばしば。ロワゾブルーの周囲だけ、瀟洒な個人宅が立ち並び(数軒)、ここだけ葉山にでも来たような雰囲気。ここはジェラートも有名だが、なんといってもイチオシはカヌレ。平日でも夕方には売り切れていることの多い人気商品――味は絶品だ。カリッとした皮に、半生のようにクリーミーな中身。そのバランスが素晴らしい。カヌレは一時とても流行って、それから定番にしている店も多いが、ロワゾブルーほどの食感の対比をコンスタントに作り出しているカヌレは本当に少ない。たいていのカヌレは皮もしっとりしてしまっていて、対照的な食感が楽しめない。カヌレは日持ちがするので、たいてい6個ほどまとめ買いをするMizumizu。翌日ぐらいまでならそのまま置いておいても楽しめるが、やはり皮が少し湿気ってしまう。そのやわらかめの食感が好きな向きはそのまま食せばよいが、Mizumizuはカリッとした食感を再現したいので、次のステップで冷凍→解凍して食べている。1)アルミホイルで1つずつカヌレを包む2)食べるときはオーブントースターでそのまま10分。アルミホイルをあけて3~5分。3)カヌレを取り出して、しっかり冷ます。3)が特に重要。温かいままで食べるより、いったん冷ましたほうが食感の違いを堪能できる。この方法なら長持ちするし重宝だ。絶品カヌレと有名ジェラートのほかにも、ケーキや焼き菓子も豊富。Mizumizuのお気に入りのケーキはタルトシトロン。そのほかヨーロッパ直輸入だというパンオショコラやスイスショコラもオススメ。すべて窓に向かってしつらえられた店内のカウンターテーブルでいただくことができる。窓の向こうは、小さなフレンチ風の庭。その向こうは道路でその先は草ボーボーの遊休地。それでも遠くに山が霞み、ちょっとしたバカンスの雰囲気も楽しめる。週末は順番待ちだが、平日ならすいていることが多い。ただし、月曜日・火曜日はお休み。阿知須の「ここだけ葉山」のカフェ。宇部空港からもわりに近いので、機会があればぜひ。遠くから来る人は、事前に電話で取り置きをお願いしたほうがよいかもしれない。【送料無料】カヌレ 6個入り(カヌレ ・ド・ボルドー)★1配送先につき2個同時購入でドラ焼き1箱(4個入)プレゼント!
2019.08.23
この夏は山口で過ごしたMizumizu。田舎は退屈かなと思っていたが、なかなかどうして東京暮らしとは違った楽しみに溢れている。以前は感じた、都会と田舎の「食のレベルの格差」もあまり感じなくなってきた。カフェもそう。東京にも個性的なカフェはあるが、山口だって負けないぐらいある。ここは山口市で指折りの桜の名所、一の坂川。室町時代に当時の支配者・大内氏がこの川を京都の鴨川に見立てて町づくりをしたという。鴨川と呼ぶにはスケールが小さすぎるが、逆にその「小ささ」が箱庭的な雰囲気を醸し、桜の時期には大勢の見物客でにぎわう。桜を見るのにぴったりなカフェが川沿いにいくつかあるので、桜の時期はとんでもない混みようになるが、普段はとても静か。「ラ・セーヌ」もそんなカフェの1つ。モダンでアートフルな空間が特長。大きな窓の向こうの緑を眺めながら一息つくのもよし、奥のテーブル席でさまざまに置かれた雑誌や新聞に目を通すのもよし。ここでMizumizuが頼むのは、抹茶パフェ。だ~い好きな白玉と、抹茶のアイスのコンビネーション。器はガラスではなく萩焼きというのも山口ならでは。上にのったウエハースと下に忍ばせたフレークはありがちだが、ふりかかった苦めの抹茶の粉も、東京のカフェのようにケチケチしておらずたっぷりで、良いアクセントになっている。小豆餡も抹茶アイスと白玉に合う上品な甘さ。たまにはコーヒーゼリーも。特に強い主張はないが、安心して楽しめる良品。水もおいしい。出ようとして、壁にかかったイラストに目をやると、「あれっ!」東京在住で先ごろ歌手デビューした「マスターの彼」のCDジャケットを描いた人の作品だ。作風を見れば一目瞭然。猫が特に生き生きとしていて、この作者が持っているであろう強い「動物愛」が一直線にこちらに届いた。山口、一の坂川、ラ・セーヌ。小さな出逢いのあるアートカフェ。【楽天1位】誕生日プレゼント女性 送料無料 季節の花でおまかせアレンジメント 【楽ギフ_メッセ入力】 誕生日 女性 敬老の日 ギフト 開店 オープン 結婚記念日 お祝い フラワー お見舞い 退職 送別 花 プレゼント 即日発送
2019.08.21
<昨日のエントリーから続く>パパの作りばなし [ 関周 ]関周/パパの作りばなし 【CD】マスターの彼は、ピアノやアコーディオンも弾くが、プロデューサー的な仕事もする。店には彼に伴奏してもらって歌を歌うのを目当てに来る人もいるが、彼がプロデュースしたライブを聴きに来る人も多い。「クイーンエメラルダス」は、彼の店で定期的にライブしている。松本伊代のお姉さんが、実は歌唱力抜群だということを私が知ったのも彼の店だ。だから、てっきり発売されたCDも、「歌手デビュー」といいつつも、彼自身のプロデュース色の強いものだろうと想像していた。だが、まったく違った。3曲通すと、クラシックの室内楽を聴いているような心地よさに浸っている自分に気づく。演奏メンバーは明らかに正統派の手練れだ。電子的に「足した」音は一切しない。1曲目は、ピアノに加えて、バイオリン、ビオラ、チェロ。弦の音の厚みが、ごくごく一般的な、けれどももしかしたら得難く幸せな、親と子の情景を語る歌詞にかぶってくる。これ、作った人たち、タダ者じゃないでしょ。マスター個人の技量だけで勝負してる、知る人「だけ」が知る街角の小さなライブハウスに入ったつもりが、迎えてくれたのは、さっきまで、それぞれ別々の専門のフィールドで演奏してたその道のプロたちだった――という驚きだ。2曲目では、弦に加えて、スキルフルなソプラノサックスの音。3曲目では、一転してピアノとフルートのみ。フルートが人の吐息に聴こえる。それは昔、バッハのフルートソナタを聴いて感じた心地よさに通じる体験だった。音合わせを何度も重ねてスキのないものをつくる…というのが、CD制作をする人たち、ましてや生演奏だけで音を入れる人たちが一様に目指す方向だという先入観が私にはあったのだが、見事に、心地よく、ひっくり返された。つまり、ある種の即興の良さ、のようなもの――が感じ取れるのだ。その「一期一会」感が、なんともイイ。音にのってくる彼のちょっと素人っぽい歌声が、また不思議に新鮮だ。これが、声楽をみっちり学びました…なんていう声だったら、「へーー、うまいねー、ほーー、すごいねー」とひれ伏して、それで終わりかもしれない。これなら自分にも、歌えるかもしれない、歌ってみようかな――そんな、付け入るスキのある歌唱。それでいて、彼が送ってきた人生だとか、音楽が作り出す世界に対する考え方だとか、そして、自分はこの歌を聴いてほしいのだという情熱も、さりげなく伝わってくる。自己満足レベルからプロはだしのレベルまで、彼の店ではいろいろな人が歌を歌うが、そうした幾千の歌を聴くうちに培ってきた「何か」が彼の表現にはあるように思う。作詞は伸我。初めて聞く名前だったが、まるで自分の心の中を覗かれたように、どきりとするフレーズを書く人だ。興味を持ったので、他の作品を探してみたら、「メタセコイアの枯れ葉」に、やはりどきりとさせられた。♪あなたを失ったことより 現在(いま)を変える勇気が少しも残っていない それが悲しいここにも不思議な符号。私の実家のすぐそばには、壮麗なメタセコイアの並木を持つ公園があるのだ。そして、また、あの3曲に戻る。繰り返し聴くうちに、彼の死をきっかけに、私の思考を暗く孤独な終焉へと引きずりこんでいたOld Balck Joeが、過去の歴史的名曲というあるべきポジションに帰っていってくれた。そもそも、彼も、彼も、私も、Old Balck Joeではない。私たちは誰も綿花畑で苛酷な労働など強いられることはなかった。Old Balck Joe――あるいはBalckという言葉を好まずOld Old Joeと歌う人もいるが――の人生は、その哀しみと寂しさは、立場を超えて多くの人の共感を呼ぶとはいえ、それは私の人生ではない。彼も、彼も、私も、音楽にまつわる楽しみを知っている。それはある程度、私たちの親たちが授けてくれたものだ。そして、それは幸運なことだ。彼も、彼も、私も、同じ場所にいたのは高校卒業までだ。そのあとは、それぞれ違う場所で、違う生き方をしてきた。彼にも、彼にも、私にも、それぞれが知らない人と交わることで築き上げた世界がある。生きることでしか描けない円がある。彼と、彼と、私の描く円は、時に近づき、時に交わる。彼が歌手として参加したこのCD。その制作に携わった人たち、彼の「円」の中にいる人たちを、その才能を、私は今回初めて知ることができた。これからも、彼と、彼と、私と、それからまた別の彼や彼女たちの描いた円は、近づいたり、遠ざかったりするだろう。ひとりの彼は、すでにこの世から去ってしまったが、彼の描いた円は、やはり確かにこの世にある。タイムリミットが迫る直前に、彼が彼に会いに行き、実際に会えた瞬間に、彼と彼の円が交わり、そこで他人にはうかがい知れない何かが受け渡されたかもしれない。これが彼と、彼と、私の物語だ。ロンド(輪舞)と呼ぶほど劇的でも特別でもない。だが、この機に語らずにおけるほど、私にとって小さくもない。これからも、あなたと、あなたと、あなたの円が近づき、思いがけず交わったとき、あなたは、あなたとは別の円の中にいる人たちの美しさ、素晴らしさを知るのかもしれない。そのときに、円は縁になる。https://www.amazon.co.jp/%E3%83%91%E3%83%91%E3%81%AE%E4%BD%9C%E3%82%8A%E3%81%B0%E3%81%AA%E3%81%97-%E9%96%A2-%E5%91%A8/dp/B07N1CHJ1T/ref=zg_bs_2129354051_26?_encoding=UTF8&psc=1&refRID=XWZQ7GN08G6F2218W737
2019.02.03
<昨日のエントリーから続く>同級生の死というのは、実際にそれが来てしまうと、想像していた以上の寂寥感をもたらす。ご家族やさらに近しい人々の心情を想えば、「私も悲しんでいます」などとはおこがましくて言えないが、中学という若い時代、人生を四季にたとえるなら、春のただなか、あるいは夏へ向かう、みずみずしく元気な時代のイメージしか、ほぼない人の、それも病死となるとなおさらだ。病魔は、いくら人間が気をつけていてもふいに襲ってくるものだ。それがたまたま「彼」であっただけの話で、「彼」は「私」だったかもしれない。「彼」に訪れた終焉は、思うより早く「私」のそばに来ているのだろう。得体の知れない影のようにひたひたと迫ってくる孤独感は、「もうあの人に会うことも、話すこともできないのだ」という信じがたく、受け入れがたい事実の悲しさ以上に、自らにも迫ってきた死への恐怖なのかもしれない。このところ、私はしばしば山口の実家へ帰る。実家に転がっている古いモノたちは、ふいに忘れた過去の記憶をよみがえらせる。たとえば、古い楽譜。中学の英語の授業の中で、ある歌を歌ったことをふいに思い出した。Gone are the days when my heart was young and gay,Gone are my friends from the cotton fields away,Gone from the earth to a better land I know,I hear their gentle voices calling Old Black Joe.歌詞の書かれた楽譜を机の上に立てながら、皆で歌ったとき、私の隣りの席に座っていたのは、おそらく亡くなった彼だった。I'm coming, I'm coming, for my head is bending low,I hear their gentle voices calling Old Black Joe.彼を含めて、先に逝ってしまった友人たちの顔を思い浮かべながら、この歌を口ずさむ、Joeのように年老いた自分の姿が、ひどく現実味を帯びて目に浮かんだ。この歌を習った頃には、まさか自分がOld Balck Joeになるなんて、思ってもいなかったのに。実家では、亡父の遺した持ち物を、少しずつ整理している。もう父が亡くなって10年以上。いい加減に片付けなければ。「片付ける」とは、すなわち「捨てる」もしくは、「売る」ということだが。父が買った初期のシンセサイザーがあった。中学の頃だ。またも、忘れていた思い出が蘇る。シンセサイザーが家にあると級友に話したら、誰より強い反応を示したのが、亡くなった彼だったのだ。「シンセサイザー、くれよー」などと言ってきた。冗談にしては声が本気すぎた。そもそもシンセサイザーなるものの存在さえ知らない人がほとんどだった時代に、なぜそこまで彼が関心を持つのか、その時は理解できなかった。彼が音楽好きで、自分でシンセサイザーを買って曲まで作っていたのを知ったのは、彼が闘病ブログを書き出してからだ。彼所有のエレキギターの数々にも驚かされた。機能まではブログの写真では分からないが、色やフォルムからして、「コレクション」と呼ぶにふさわしい、美しき現代の撥弦楽器。そこでまた奇妙が符合が起こる。亡父は抱えて演奏するタイプの民族弦楽器を集めていた。インドのシタール、中国琵琶、沖縄の三線、ベトナムのダン・タム、ロシアのバラライカ… すべて現地で購入してきた。父の生前は、壁にかけて飾っていたこともあるこれらの美しい弦楽器は、半ば壊れてしまったものも含めて、今も実家にある。亡くなった彼は、「ギターもね、なんであんなに集めちゃったんだろうと思う」と、私へのメールに書いてきたことがある。病気が悪くなってきた頃で、「かみさんは興味ないから、自分で処分しないと」と、気にしていた。もしがんと共存できたら、古民家を買って改築して住みたいというのが彼の希望だったから、古民家にあの美しいエレキギターが飾られたらさぞやステキじゃないか、と実家に遺った民族弦楽器――撥弦楽器も擦弦楽器もあるが、私から見れば形からしてギターの仲間――のコレクションを思い浮かべながら思ったが、何も言えなかった。私だって自分で買うほどの興味はないが、「遺された」弦楽器は捨てずにいる――そんな話の流れになってしまいそうだったから。彼が亡くなったのは、2018年12月8日。彼がCDデビューしたのが、2019年1月23日。それから、四十九日。その3日後、1月29日は父の命日だ。山口の実家で朝メールを見ると、デビューした彼からメールが入っていた。ダウンロード配信が始まったというお知らせだった。そして、アマゾンのデジタルミュージック、アルバム、キッズ・ファミリー部門で1位を獲得したという。さっそくサイトにアクセスし、聴いてみる。マスターの彼には、なにげに驚かされることが多いが、今回も、だった。<続く>
2019.02.02
彼とは中学時代に山口県でクラスメートだった。彼のお母さんが私の父のお弟子さんだったという、ちょっとした縁もあった。高校も同じだったが、科が違ったのでクラスはずっと別だった。大学は私も彼も東京。私は上野に通い、彼は本郷だったから、地理的には近くで学んでいたはずだが、特段の交流はなかった。卒業後、私が山口の実家でくすぶっていた頃、彼は一流企業に勤め、スイスで活躍していた。彼のお母さんが私の実家にクッキーを届けてくれたときに聞いた話だ。その後のことはほとんど知らずにきた。私は再び東京に戻り、仕事が忙しくなった。新しい仕事上の交友関係も広がり、過去を振り返ることもなくなった…というより避けていた。そんな時代がひと段落した頃から、中学・高校の仲間がときどき集う店ができた。大都会の片隅、グランドピアノが置いてあるこじんまりとした店。マスターの彼も、私と同じ中学、同じ高校の出身。だが、私はマスターの彼とは面識はなかった。マスターの彼の店で開かれる同窓会では、クラスメートだった彼と会うこともあった。マスターの彼は、時折ピアノを弾く。最初に店に行ったときは、ベートーベンの月光の一節を少しだけ。「子どものころ、ちょっとやってたからね」――ちょっとやってただけで月光が弾けるとは到底思えない。背筋を伸ばした姿勢の良さ。そして打鍵の強さ。本格的な基礎訓練を受けた人のものだった。驚いたのは十年ちょっとのち。店に行くと、またほんの少しだけマスターの彼がピアノを弾いてくれたのだが、音が格段に「まろやか」になっていた。熟成された音といってもいい。ピアノを替えたのかと思うぐらい。十年弾いてりゃうまくなるでしょ、などと言うのは簡単だが、それはある程度の年齢を超えてからでは、容易なことではない。音楽に関しては、その現実はさらにシビアだ。楽器を弾くというのは、スポーツに似ていて、技術的なピークはかなり若い頃に来る。その時期をはるかに逸したあとになって、技術を向上させるなど、並大抵のことではない。そして、相変わらずの姿勢の良さ。どうやって腹筋・背筋を鍛えているのだろう――と思ったら、高校時代に打ち込んでいたバスケットの、シュート練習を今もほぼ週一回、公園で一人続けているらしい。そして――クラスメートだった彼が、病気になった。胃がん。手術、抗がん剤。それぞれの治療の先には、常に良いシナリオと悪いシナリオがあるが、彼の場合は、ことごとく悪いほうに流れていった。闘病が続く中、東京にいた彼は、九州に居を移した。その狭間の短い間、偶然、彼は私の家の近くに住んでいて、田舎の親類にもらった里芋が多すぎて、おすそ分けに持って行ったことがある。里芋を玄関先で渡し、階段をおり、停めておいた自転車にまたがって帰り道をこぎ始めた私に、彼がふいに、「また、ゆっくり」と声をかけてくれた。私は振り返って、彼に軽く手をあげて応えた。彼がそんなに律儀に、こちらの帰路を見守ってくれてるとは思っていなかったから、驚いた。「また」はあるだろうか? 正直に言ってしまうと、「ないかもしれない」と思った。彼が九州に引っ越すことは決まっていた。戸口に立つ彼は元気そうだったが、がんというのは、いよいよの末期となるまで、案外元気でいられるものだ。彼はブログで自らの病状について詳しく綴っていて、「転移」「腹膜播種」の文字は、父をがんで失った経験のある私には……彼が九州に行ったあとも、私はマスターの店に行った。東京在住の同窓生たちに会うために。頻繁にではない。だからこそ、行くたびに思うのは、駅からの道、あまりに多くの店がなくなり、新しい店ができていること。一瞬、道を間違えてしまったかと思うほど。それでもしばらく行けば、見慣れた彼の店がある。「ここは何年? 長いよね」――ひとつの店、ひとつの仕事。それをやり続ける困難さを知る人だけが、彼のことを褒める。九州に行った彼の病状がいよいよ差し迫ってきた頃、マスターの彼が、どうやらCDデビューをするらしいという話を知った。マスターの彼はピアノも弾くが、自分で作詞・作曲もする。てっきり、シンガーソングライターとしてデビューするのかと思っていたら、そうではなかった。彼はとっくに、適材適所の才能を自分の周囲に見つけ、関係を築いていたのだ。マスターの彼もブログを書いている。CDデビューに向けて、また日々の仕事でエネルギッシュに動き回っている。病気の彼もブログを書き続けている。東洋的な諦念と、そうしたものに抗うべきとする西洋的な意志の向こうに、どうにもならない終焉が迫ってくる。冬のある日、マスターの彼は、多忙を縫って、そして迷った末、九州の彼を見舞ったという。彼が亡くなったと知らせがきたのは、それから1か月もたたないうちだった。<続く>
2019.02.01
Mizumizuは現在、ペッパーミルはプジョー製、ソルトミルはコール&メイソン製を使っている。ソルトミルのほうはもうずいぶん長く――おそらく15年以上は――同じものを使っている。毎日使うほどではないが、といってほったらかしということもなく、常に食卓の上にあり、切れることなくピンクソルトが入っていて、しばしば使うという感じ。ペッパーミルのほうは、ソルトミルより少し早く、ウサギ形のものを買った(メーカー名は失念)が、数年で壊れてしまい、次におしゃれっぽい小物を売っている店で、1000円ちょっとの安いものを買ったが、それもすぐに胡椒の詰まりがひどくなり使えなくなってしまった。そこで、質に定評のあるプジョー製に替えたら、それ以来ずっとトラブルなく快適に使えている。コール&メイソン製のソルトミルはオーストリアのバートイシュルの岩塩専門店でピンクの岩塩を買ったときに、それ用ということで買ったもの。話が逸れるが、ここで買ったピンク岩塩は、日本でよく売っているヒマラヤのピンク岩塩なんて及びもしないほど美味だった。塩の味の中に不思議な甘みがあり、まろやかな味。記憶の中で美化されている部分もあるとはいえ、その後、あの味を越える塩にはお目にかかれていない。で、ミルに話を戻すと、壊れないのでずっと使い続けていたのだが、先日、ピンク岩塩が切れて、たまたま気まぐれでクリスマス島のクリスタル結晶の塩を買ってみた。何の気なしにソルトミルに入れると…あれ? 削れない。なんだか滑ってしまっているようだ。調べてみると、ソルトミルは厳密には岩塩用と海塩でギア(刃)の作りが違うようだ。それはそうかもしれない。だが、Mizumizu所有のは刃はセラミック。セラミックなら海塩でも大丈夫な気がする。ま、もし海塩が原因で削れないのなら、岩塩にすればいいだけだ。というわけで、いつものピンク岩塩を買って入れてみた。が、結果は同じだった。滑ってしまっているようで、削れない。「ソルトミル 削れない」で検索してみたが、たいした妙案はなかった。塩を全部出して、構造をじっくり見る。バラすことはできないが、中にバネが入っていて、頭部のツマミを閉めるとその圧力で、上下になっている下のほうのギアが移動し、噛み合わされて削るというシンプルなものだ。下のギアの部分を見ると、だいぶ塩がついている。単純に、これで削れなくなっているように見える。だったら、水洗いして、しっかり乾かせばよいだけの話ではないか?バラせないから乾燥させるのがちょい難しいかな、とは思ったが、もし水洗い→乾燥で直らなかったら、それは壊れたということだし、コール&メイソンはギアを交換してくれるという話もあるので、聞いてみてもいい。というワケでお湯を勢いよく流し、そのあと少しお湯につけてセラミックのギア部についた塩を除去してみた。これが洗浄後。こびりついていた塩はきれいに取れた。そして、内部の乾燥には、コレ↓ダイソンのヘアドライヤー! コイツがすんばらしい働きをしてくれた。このドライヤーは、元来のドライヤーとしても、心からおススメできる。あっという間に髪が乾いて、しかもふんわりとボリュームが出る。値段は飛び切りだが、実にGOODなドライヤー。コイツをコール&メイソンのソルトミルの開口部に近づけて、中の水滴を次々と飛ばしていった。ドライヤーだけでほぼ乾いたといえるぐらいになったが、それでも念のため、数日放置して自然乾燥。で、ピンク岩塩を再度入れたら…おー! ちゃんと削れる。新品に戻ったようだ(って、新品時代のことは実はもうよく憶えてないのだが)。これでまた使える。めでたし、めでたし。こんなことなら、もっと早く、というか、もっとマメに水洗いするべきだった。コール&メイソンのセラミック・ギアは、実に秀逸なのだなあ…と改めて感心した。クリスマス島の海塩が削れるかどうかは、実はまだ試していない。大丈夫な気がするが、万が一、せっかく直ったミルなのに、海塩が原因で削れなくなってもイヤなので、海塩用のソルトミルをもっとしっかり調べてから、ピンク岩塩が終わったあとにこのミルに海塩を入れて使うか、あるいは別に海塩用のミルを買って、同時に違う塩を楽しむのもいいかな、とも考えている。もちろん、次に買うのも、定評あるミルメーカーのものにするつもり。
2019.01.26
新宿の伊勢丹デパートの地下食品売り場で、わりと目立ってるFika。ショーケースをのぞくと、いかにも北欧風のクッキーが並んでいる。箱のデザインも北欧風でカワイイ。てっきり北欧のお菓子屋が日本に進出したのかと思いきや、実は北欧をコンセプトにした伊勢丹オリジナルブランドだった。そのせいかのか、デザインはいかにも日本人がイメージする北欧だが、味はきっちり日本人好みになっている。パッケージのデザインもこじゃれているので、お土産にも良さげ。クッキーの種類ごとに写真手前のようなモダンでカラフルなデザインの箱がつく。詰め合わせも用意されていて(上の写真の向こう側の細長い箱)…中身はこんな感じ。左側の馬形クッキーは、封をあけるとふわっとバターの香りが漂うしっとり系。右のパウンドケーキは…シナモンがこれでもかってぐらい効いている、案外に大人の味。こちらの箱詰めクッキーは、ハッロングロットルという名前らしい。へー、何語だ? 知らなかった。この名前自体は知らなかったが、この手のクッキーはよくある。生っぽい生地にジャムを詰めたモノ。こういうクッキーが好きな人には美味しい。逆に嫌いな人には、やっぱり受けないだろうなと思う(まったくもって意外性のない感想だ)。ちなみに、Mizumizuは大好き。生地はバター感ほのかで、甘さも控えめ。口に運ぶとほろほろと崩れる。写真のジャムはアプリコット。このほかにストロベリーもあるが、個人的にはアプリコットジャムが好き。この手のクッキーはよくあるが、その中でも素材の良さが光る。リピート確定。上の写真右は、ストロベリージャムのハッロングロットル。ジャムがあまりに甘くてフツー過ぎた(だから、こちらのリピートは、ないな、多分)。左はシナモンとジンジャーを効かせたハード系のクッキー「ペッパルカーコル」で、ハッロングロットルのようなふにゃっとしたクッキーは苦手、でもスパイスを使った硬めのクッキーは好きという人には受けるだろう。ちなみに、Mizumizuはどっちも好き。ペッパルカーコルは、明らかに大人の味。子供向けかと思いきや、案外に大人向けのクッキーだった。しかも、様々な嗜好に応えられるようにラインナップが幅広い。幅広いから、誰に贈っても、1つは好みのものがありそうだ。その意味でとても無難なお土産だと思う。クッキーは日持ちもするし、見た目も味も高レベル、実家へのお土産にしようかな――と、思ったら、同じようなことを考える人が多いのか、新宿伊勢丹のFika売り場、2018年の年末は凄いことになっていた。見よ! この「中間地点」のプラカード。行列が長すぎて、他の売り場の迷惑になるので、行列をいったん区切っているのだ。「最後尾」はさらに遠い。これじゃ、いつになったら買えるか分からない。もちろん、こんなことになっていたのは年末の帰省シーズンだけ。クリスマスの頃もそれなりに行列だったが、これほどではなかった。いやいや、人気店なのね、Fika。だが、人気店はたいてい、凋落も早い。それこそ毎週末「中間地点」のプラカードが掲げられてた、東京進出当時の堂島ロールも、いまや行列どころか、買い手すらまばらな状況。そのうち東京から撤退するかもしれない。つくづく、ブームというのは続かない。帰省シーズンのFikaの人気も、いつまで続くだろう? とりあえずMizumizuは、混む時期を外して買う、ことに決めた。
2019.01.18
ホレンディッシェ・カカオシュトゥーベのお菓子は、クセになる味のものが多い。一口食べてインパクトがある派手なスイーツとは一線を画す、どこか懐かしい正統派の味。こちら↓のマルガレーテクーヘンも、いろんな意味でドイツっぽさ満開。マルガレーテ=マーガレット、クーヘン=ケーキという、工夫も何にもない、見たまんまのストレートなネーミング。満開のマーガレットの花一輪を、ケーキの上に咲かせたベタすぎるデザイン。かわいいと言えば、かわいいが、小学生の描く絵みたいだ。切り分けてみると…それなりにかわいい。そして型崩れしないのが素人にはありがたい。味はといえば… しっとり・さっくりした、少しだけサバラン寄りのパウンドケーキといったところ。ラズベリーで爽やかさをプラスしたアンズジャムが、そこはかとなく効いている。この「効き目」、最初はそれほど意識されないが、何度も食べるうちに、クセになってきて、「また食べたいなー」という願望を時限爆弾のように、あとから呼び起こす。不思議だ、ホレンディッシェ・カカオシュトゥーベ。花の材料はマジパンだそうで、それだけで食べるより、生地と一緒に味わったほうがいい。花の部分だけだと、あまり美味しくはないのだが、生地の風味にしっとり感をプラスし、アーモンドの風味を加える。ここにあまり主張しすぎないフルーツの甘酸っぱさが忍び込み、なんとも言えない独特な味になる。ふんだんに使われているバニラビーンズの甘やかな香りもいい。単純なようでいて、奥深い味。奇をてらうことのない正統派の、洗練されたドイツ菓子。いいなぁ、ドイツ。フランスやイタリアとは違う美意識とこだわりがお菓子にも息づいている。
2019.01.09
2017年7月の記事(こちら)で紹介したホレンディッシェ・カカオシュトゥーベ。あの当時は、値段設定も高めだし、もしや数年内に撤退してしまうかな…と危惧していたのだが、なんのなんの。店舗を増やし、快進撃を続けている。一番のオススメは何といってもバウムシュピッツ。その他にも様々なラインナップがあり、それぞれにファンがついているようだ。クリスマスの時期に新宿伊勢丹の店舗に行ったら、それなりに混んでいた。「ま~、そんなものかな。クリスマス過ぎればすくでしょう」と思い、年末に銀座三越の店舗を覗いてみたらびっくり!なんとなんと長蛇の列ができているではないか。こんな感じで、店のショーケースに近寄ることもできない混雑ぶり。「最後尾」のプラカードを持った人がお客の整理に当たっていた。これじゃ、買うまでに小一時間はかかりそうだ。こんなに混むことはめったにないので、もちろんこの日は何も買わず。想像するに、年末の帰省にあわせ、ちょっとオシャレなドイツ菓子をお土産に買いたい人が多かったのだろう。確かに、ありそうでなかなかない味だし、日持ちするものも多い。それにしても、こんな行列になるほど人気沸騰(?)してるとは思わなかった。で、明けて1月5日、土曜日。同じく銀座三越店の同店舗を覗くと…コレ↑、年末とほぼ同じ方向から撮ってるのだ。年末は人が多すぎて近づけなかっただけ。1月5日になると、あの行列は夢か幻かってぐらい、ショーケースが遠くからも丸見え。この落差に二度びっくりした。結論:「ホレンディッシェ・カカオシュトゥーベは年末は避けるべし」。バウムシュピッツがイチオシであることは変わりないが、もちろんそれだけではない。こちらは王道のバウムクーヘンのチョコレートがけ、その名も「クラシックバウム」。材料を比べると、バウムシュピッツに使われているアンズのジャムがこちらには入っていない。素材の違いはそれだけのよう。バウムシュピッツにアンズが使われているとはいっても、真ん中に薄いジャムの層がサンドしてあるだけなのだが、Mizumizuはほのかなアンズの風味が漂うバウムシュピッツのほうが好み。逆に、ジャムの風味は邪魔だと思う人にはクラシックバウムのほうが好まれるかもしれない。あとは、チョコレートの量の違い。バウムシュピッツは細かく切ったバウムクーヘンをそれぞれチョコレートでコーティングしているので、チョコ量が多い。このバランスの違いも好き嫌いの分かれ目だろう。もちろん、Mizumizuはチョコレート量が多いバウムシュピッツに軍配。その他のオススメのアイテムについては、また次回のエントリーで。
2019.01.08
2019年全日本フィギュアの目玉は、なんといっても高橋大輔選手の復帰だろう。彼が現役復帰したことで、普段なら静かな地方大会までが、集結した大ちゃんファンの熱気に包まれていた。引退して何年も経っているというのに、この集客力には目を見張るものがある。今回の高橋選手の全日本での演技、一言で言えば、「いや~、いいもの見せてもらいました」。同時に現役の選手に欠けているもの、今のルールの偏りも改めて認識した気がする。ショートの「シェルタリングスカイ」は、高橋選手の代表作の1つになるであろう傑出した出来。シンプルだが官能的な旋律が、高橋選手のパフォーマンスによって、より情感を持ってこちらに迫ってきた。彼の動きを見ていると、いかに今の選手たちが上半身棒立ちで、腕だけグルグル動かしているだけかということがよく分かる。高橋選手は腰から上半身を大きく動かし、さらに首から上ではまったく違う方向のモーションを加えたりする。それだけ言えばダンサーのテクニックなのかもしれないが、高橋大輔はやはり一義的にはフィギュアスケーター。それも一流中の一流のスケーターだ。深いエッジを使いながら、時に伸び伸びと時に細やかに滑りつつ、上半身の複雑で華麗な動作を有機的にまとめている。音楽がその動きを引き立てるが、高橋選手の動きがまた音楽を引き立てる。その相乗効果が観客の心を奪う。ショートの流麗なステップシーケンスに入る前の、両手を天に向かって大きく広げる一瞬の仕草が、フリーのコレオシーケンス冒頭のスタイリッシュな動きが、脳裏に焼き付いて離れない。こんな選手は、やはりどこにもいない。現行のルールは、ジャンプとスピンに重点が置かれている。いかに難しい入り方をし、いかに回り切り、いかに素早く次のモーションに入るかでGOEが付けられるジャンプ。一定のポジションをキープしながら規定数をしっかり回り切ることを重視するスピン。これらは、客観的に採点をする、その判断基準としては優れていると思うが、回転に重きを置くということは、選手としてのピークが早くなることでもある。「20歳すぎると、ジャンプやスピンの技術が落ちてしまう」とは、町田樹氏の言葉だが、まさにその通り。シングル選手のピークは明らかに以前より早くなった。女子などは、ジュニアからシニアに上がった、その1年目が技術的には一番安定しているといった様相になり、その「少女潮流」はとどまることをしらない。ロシアの女子が、現状を最も端的に示している。ザギトワが完璧な演技で五輪女王に輝いてから、まだ1年も経っていない。それなのに、国内大会で表彰台に立てなかった。そのたった1年前、無敵の強さを誇っていたメドヴェージェワ選手は、ジャンプの失敗やスピンのレベルの取りこぼしを繰り返している。今年のロシアの国内選手権で台のりしたのは、幼い体形の少女たち。より多く回転するジャンプ、より速く正確に回るスピン。こうしたフィギュアスケートのスポーツ面を重視すれば、女子の場合は特に、体も軽く、恐怖心もあまりないローティーンが強くなる。それはそれで客観的な採点を旨とするスポーツ競技としては、十分に「アリ」な話だろう。だが、それでは、フィギュアスケートの将来は? この競技の持っていた芸術的な側面はどうなるのだろう? 15歳でピークを迎え、20歳でもう引退する競技に、ファンは身体表現が生み出す芸術性を見出しうるだろうか? フィギュアスケートを見る楽しみの1つは、選手の成長を見守るという点にある。去年より滑りに味が出てきた。去年より表現に深みが増した――ソチの女王だったソトニコワ選手も、団体金の貢献したリプニツカヤ選手も、そういった「成長」のもたらす感動を観客と分かち合う前に、心身の問題で第一線から消えていった。今のままのルールが続けば、平昌の女王も、北京の女王もおそらく同じ運命だ。数年後には、人々は次々に出てくる優れた若い選手を見るうち、いつの間にか表舞台から姿を消した、前の五輪の女王の名前さえ思い出せなくなる。高橋大輔のパフォーマンスは、こうした現在の潮流に警鐘を鳴らすものだった。宇野昌磨選手は現役トップ選手の中では、最も表現力の優れた選手だ。それでも、高橋大輔選手の圧巻の情感表現の前ではかすんでしまった。高難度ジャンプと難しいポジションでのスピンは素晴らしかったが、芸術性では、やはり高橋選手の右に出る者はいない。高橋選手のフリーのコレオシーケンス(レベルは一定)のGEOで「5」が並んだことで、本田武史氏は、「3回転ジャンプ1つ分」になった説明した。それだけ得難い評価を得たということなのだが、逆に言えば、コレオシーケンスでここまで評価されても、たったそれだけの点にしかならない。だったら、点を伸ばすためには、4回転ジャンプの練習をひたすらしたほうがいい。これでは、より高く・遠くへ跳び、速く回れる選手は出ても、ステップやスケーティングをもって生み出す情感表現で人々の心をわしづかみにするトップ選手は育ってこない。ダンス表現は体全体を使うから、体力も当然使う。今のルールは、「やらなくてはいけない条件」が細かく規定されているので、それをクリアするために選手たちは体力を使い果たしている。当然、プラスアルファの身体表現まで回らないから、「表現力」はカッコいい一瞬のポーズや表情に頼りがちになる。高橋選手が今回見せてくれた、深いエッジを使った華麗なスケーティングと、体全体で表現するエモーション、その芸術性。彼は過去の選手ではない。フィギュアスケートの可能性、「今の延長」とは違う未来を見せてくれる選手だ。
2018.12.28
今年のフィギュアスケートのフリーは見ごたえ十分だった。優勝候補の選手たちは皆素晴らしいパフォーマンスをやってのけ、最後まで誰が勝つのか分からなかった。キチガイみたいに厳しい回転不足の判定もなく、点数の出方も分かりやすい。演技構成点は紀平選手のSS(スケートの技術)をもう少し出しておいたほうがよかったように思うが、宮原75.09、坂本73.25、紀平72.06という上位3人に対する採点は、宮原選手の細部まで行き届いた成熟した表現力を最も高く評価し、坂本選手の勢いとしなやかさの向上を認め、紀平選手はややジャンプにばかり意識がいっていたところを辛く見られたと解釈できる、個人的には点差も含めて妥当で良い採点だったと思う。総合4位の三原選手69.77点、5位の樋口選手66.22点と、メダル圏内の3人と露骨に70点ラインで線引きがあるのはいただけないが、このごろの演技構成点は技術点の出方によって露骨に上がったり下がったりするので、三原選手や樋口選手が上位3人と明確に実力差ができたという話ではないと思う。また、来季の頑張りで評価は変わってくるだろう。紀平選手はショートでトリプルアクセル失敗と、3+3が3+2になってしまったという2つのジャンプの大失敗が尾を引いてしまった。トリプルアクセル自体はコケたとはいえ、認定してもらっているので基礎点は入っている。問題は次のジャンプ。これを3+3にできなかったのが、なんといっても痛かった。坂本選手は、すべてのジャンプを高次元の質でまとめてみせた。3+3の大きさやスピード、流れの素晴らしさは、テレビでも何度もリピートされているので繰り返さないが、あまり取り上げられていないが凄い、と思うジャンプが単独のループだ。あの難しい入り方でジャンプに入り、しかも跳ぶ直前の構えが非常に短い。滑りながらの回転動作がそのまま空中での回転に移動するようなマジカルなジャンプで、ジャンプそのものに飛距離も高さもある。ループは、たいていの選手は、跳ぶ前に一瞬流れが止まるし、構えてしまって姿勢が前傾になる人が多い。坂本選手のループは、あまりにスムーズで美しい。GOEで「5」もあるが、当然だと思う。この加点の付くジャンプを後半に入れて、ショートでは5.39点の基礎点に対し7.35点、フリーでは7.14点という点を叩き出している。単独ループとしては破格の得点と言っていいだろう。ショートに基礎点の高いルッツを入れずに高得点を出すのは、連続ジャンプの素晴らしさと同時に、ループの凄さもあるというのは強調しておきたい。逆に世界女王を睨んだ時、不安になるのがルッツのエッジ。坂本選手はフリーに1回しかルッツを入れないが、エッジ違反判定はほぼお決まり状態。問題は「!」でとどまってくれるか、「E」になってしまうか。今回の全日本フリーのルッツはアテンション「!」判定で、スロー再生がなかったが、録画を何度かリピートしてみると、どうもインに入ってしまっている――つまりE判定になってしまっても文句は言えない踏み切りだった。過去の坂本選手のルッツに対する判定を見ると平昌五輪 E判定 GOEは-2~0で、-1が多い。得点は基礎点4.62に対し4.02スケートアメリカ !判定 GOEは-2~0で、0が多い。得点は基礎点5.9に対し5.65ヘルシンキ E判定 GOEは-2~0で、-1が多い。得点は基礎点4.43に対し3.99ファイナル 認定 GOEは1~4で3が多い。得点は基礎点5.9に対し7.59全日本 !判定 GOEは-2~2で0が多い。得点は5.9に対し6.07と一貫しないが、ファイナルで認定されたのは、まぁ、判定するカメラの位置のせい――もっと率直に言えば見逃しだろうと思う。認定されれば加点が多く付く質のジャンプだが、逆にE判定をくらうと、相当に減点がきつい。!判定なら全日本のように無理やり加点ジャンプにすることもできるが、それは好意的な採点で、通常は減点ジャンプになってしまうと考えるべきだろう。Eか!かによって、得られる得点は、4点から6点ぐらいの幅がある。それでも、エッジを気にしてしまって失敗すると元も子もない――全日本フリーでの宮原選手のフリップ失敗は、「!」判定にならないよう気にしてしまったことが背景にあるように思う――から、これまでのように思い切って跳ぶしかない。E判定でも、失敗さえしなければ4点ぐらいは入る。!判定なら5.5点ぐらい(全日本の6.07はオマケしすぎ)。ルッツのエッジが不安でも、坂本選手には凄い加点の付くループがある。今回の優勝は、多分に紀平選手のショートの2つの大きな失敗に助けられたという側面はあるが、試合では、何が起こるか分からないのだ。ロシアの国内選手権でも、ショートで完璧な演技を見せたザギトワ選手がフリーで大崩れした。聞けば飛行機で移動する予定が、悪天候のため寝台車での移動を余儀なくされたという。今回の優勝を自信に、坂本選手にはワールドでも素晴らしいパフォーマンスをしてほしいと願う。幸い次のワールドの舞台は日本。だいたいオリンピックの翌年は、世界大会でもジャッジは日本人選手に好意的だ(そこで期待をもたせ、衆目を集めたあと、あーら不思議、五輪前になるとなぜか点が出なくなる)。だが、そんな「大人の事情」には関係なく、一度でもワールドで金メダルを取れば、その後の人生が変わる。紀平選手だけではなく坂本選手にとっても、そしてもちろん、宮原選手にもチャンスはある。頑張って欲しい。
2018.12.24
本田真凜選手のスター性については、Mizumizuは早くから注目していた。五輪前にはスポンサーもどっさりついて、お膳立てもバッチリ。あとは本人の「成長」を待つばかりだったのが、五輪シーズンに失速し、代表に選ばれなかったのは周知のとおり。飛躍を期して渡米したが、今シーズンも今のところ鳴かず飛ばすの状態だ。ところが、ネット上に出てくる記事には、それなりの活躍をしている坂本選手や三原選手を無視して、「本田真凜 復活へ…見えた変化『嫌い』なスピンで最高評価」だとか「紀平梨花に本田真凜は追いつくことができるのか」などといった提灯持ちライターの的外れな持ち上げが目につく。スピンに関しては、宮原選手だって、三原選手だって、坂本選手だって、最高評価のレベル4をずらりと並べている。取りこぼしはわずかだ。わざわざ記事にするほど突出したことではない。対・紀平選手に関しては、上記の記事を執筆した折山淑美氏によれば、今の本田選手は新しい環境に慣れていないだけで、練習環境に慣れ、嫌いな練習に我慢して取り組めば、紀平選手と十分競うことができるという結論だが、成績がのびない理由の筆頭に挙げられるジャンプの回転不足は、特に体の成長と体形変化が絡んでくる時期の女子は、環境の慣れや練習だけでは克服できない場合が多いのだ。そもそも、これほど成績がぱっとしない本田選手を引き合いに出すのなら、宮原選手だって、三原選手だって、坂本選手だって、十分に紀平選手に追いつける可能性はあるし、今はそちらの可能性のが高いだろう。今はライターの記事に一般人のコメントがつけられるものも多いから、それにも着目しているが、本田真凜選手に関しては、ライターの的外れぶりを指摘するきついコメントが多い。それだけならともかく、本田選手のすべてを頭から否定するような感情的な「悪口」も。明らかに、ライターの持ち上げが本田真凜の「アンチ」を増やしている。今季の本田真凜選手の演技をいくつか見たが、やはりスター性は十分な逸材だと思う。お金をかけた華やかな衣装が実に似合う。演技の入るときの自信にあふれた顔つきは、「演じることが好き」「見てもらうことが好き」な彼女の性格をよく示しており、演技中の楽しそうな表情は、見るものを幸せな気分にさせる。スケーティングにも天性の音楽性が溢れている。フィギュアスケートの観客は、テレビ中継で客席を見ると分かるが、年齢層の高い女性が主だ。チケット代が高いということもあるだろうが、もう少し若い人たちの観戦を増やしたい。本田真凜のアイドル性は、若い男性にファン層を広げてくれるのではないかと期待したい。だが、成績が伴わなければ、いくら華があっても高いチケット代を出してまで見たいというファンは増えない。本田選手の今の問題は、なんといってもジャンプにある。女子選手の多くを苦しめる回転不足問題だ。プロトコルを見ると、本田選手の回転不足の多さがいやでも目につく。特に、3回転+3回転に関しては絶望的だ。いや、それどころか3回転+2回転の連続ジャンプさえあやうい。今のところなんとか光明を見て取れるのは2A+3Tだけで、もっと言ってしまうと、単独の3回転にさえ不安がある。アメリカ大会はアクシデントがあったようだが、それにしても…ショート3Lo+3T<3F<フリー3Lz+3T<< 3F< (!)3S<1A+3T<3F<+2T+2T<(!)フランス大会ショート3Lo<+3T<フリー(3ルッツ/3フリップ+3回転は回避)3Lo<2F+2T<+2Lo<このとき回転不足やエッジ違反などの減点がなかった連続ジャンプは3F+2T2A+3T言葉を失ってしまうほど深刻な状態だ。ジュニアのころには跳べたけれど、シニアになって体が成長したら跳べなくなる典型のパターンで、これをこれからまた体形が変化する時期に立て直していくのは本当に難しい。特にバカげているのは、ショートで3ループに3回転をつけているところ。3ルッツ/3フリップからの3回転連続が跳べなくなっているからだろう、というのは容易に想像できるが、ループというのは、これまでのジャッジの傾向から見ても、回転不足が取られやすく非常に危険なジャンプだ。今季のルール改正で、回転不足の範囲が少しだけだが広がり、さらに厳しく取られる条件がそろっている。事実、男子でも、羽生選手やチェン選手など、これまで回転不足をあまり取られなかった選手のジャンプでも、少し足りないまま軸が傾いたまま降りてしまったジャンプにはアンダーローテーション(<)がついている。ザギトワ選手のループの3+3も同様、ロシア大会で回転不足を取られている。本田選手の3Lo+3Tは、ショートでは認定ゼロ。単独のループさえアンダーローテーション判定されている。フリップからの連続ジャンプも3連続になると認定ゼロ。3F<+2T+2T<2F+2T<+2Lo<これでは、わざわざ3回跳んで、減点してくださいと言ってるようなものだ。最後の2回転ジャンプなどつけても大した点にはならない。世界トップを競い合う状態なら2回転ジャンプ1つの点でも重要になってくるが、「ファイナルに出られるかどうか」の線上にいる選手には、3連続を「跳んで見せる」ことより、まずは2連続ジャンプのセカンド2回転であっても確実に回り切ることが大事だろう。今はショートから3回転+3回転を跳ばないと優勝争いには絡めない。だが、本田選手の今の状態は、とても3+3レベルではない。ならば、一見きれいに見えて、ほぼ確実に回転が足りていない3ループ+3トゥループなどやめて、ショートでは3フリップ+2トゥループにレベルを落とし、まずは確実に回り切るところをジャッジに見せなくてはダメだ。このまま続けて、どこかの試合で甘い判定があったとしても、確率からしたら、「跳べていない」状態であることは明らか。そして、フリーでは2A+3Tを「活用」する。3連続はあぶないので、とりあえずは確実に2連続のみに。全日本では、いったんそれで認定具合を見てはどうだろう。Mizumizuがアルトゥニアンコーチを一貫して評価しないのは、彼の「回転不足判定軽視」の姿勢があまりにあからさまだから。最も印象に残っているのは、リッポン選手がどこからどうみてもダウングレード判定の、4回転ルッツを「降りた」ときのアルトゥニアンコーチのはしゃぎぶりだ。解説は当時、本田武史氏で、「完全に反対向きに降りてしまっている。ダウングレードでしょう」と残念そうに言っていたが、リッポンとアルトゥニアンはキス&クライで手に手を取り合って喜んでいた。旧採点時代なら、コケずに高難度のジャンプを降りれば快挙だっただろうし、明らかにダウングレード判定されるほどの回転不足でもコケなかったのはある意味たいしたものだが、現行の回転不足を重く減点するルールになって、すでに長年たっていた。それなのに、誰が見ても大幅な回転不足の4ルッツを「降りた」からといって、選手と一緒にはしゃいで見せるというのは一体どういうことなのか。女子のワグナー選手に関しても、Mizumizuは、ルッツのエッジと3+3の回転不足判定のブレ――すなわち、アメリカの国内大会ではひどく甘く判定され、そのままワールドに来ると、突然判定が厳しくなること――への疑問を呈してきた。ワグナー選手は素晴らしい選手だが、エッジと3+3には、どうにもスッキリしない部分があるのは、テレビで観戦していても感じていた。アルトゥニアンは、「ジャッジは時々(回転不足を)見る。時々見ない」といった発言をしていて、確かに現実はその通りなのだが、「時々見ない」ことを期待して高難度ジャンプを組み入れたら、どこかで破綻するのは明らかだ。その点、ミーシンコーチは回転不足を非常に重く見て選手を指導している。トゥクタミシェワ選手が3ルッツ+3トゥループを跳べるにもかかわらず(しかも、決まればかなりの加点が期待できる)、ショートでは3トゥループ+3トゥループできているのはそういうことだ。ミーシン門下の選手は、ジャンプが非常にクリーンだ。本田真凜選手に今必要なのは、いったんジャンプの難度を落とすことだろう。確実に跳べるジャンプ構成でクリーンに滑ってこそ、世界のトップに返り咲く道がひらける。
2018.12.17
2018年グランプリファイナル、女子シングルフリーの視聴率は22.6%だったらしい。生放送ではなく、すでに浅田真央以来の快挙とテレビニュースでさかんに宣伝されていたことも、この高視聴率に一役買っただろう。やはり自国の選手が強ければ、皆「じゃあ、見てみようか」となる。羽生選手の欠場で視聴率ガタ落ちを心配した関係者は、胸をなでおろしたに違いない。しかし、ファイナルのリンクの壁を見ていて、Mizumizuは一種の失望を感じた。並んでいるスポンサー名は日本企業だらけ。在日系が純粋な日本企業といえるかどうかという視点はあるだろうが、とりあえず日本国に本社をおく日本企業以外は、フランスの化粧品メ―カーの名前が2つばかり見えるだけだ。https://skatecanada.ca/2018-isu-grand-prix-of-figure-skating-final/ここにスポンサー名があるが、ISUのオフィシャルパートナーは、アコム、バンダイ、キヤノン、シチズン、ジャパネット、木下グループ、コーセー、マルハン、Guinot(ギノー)、Mary Cohr(マリーコール)。日本企業をスポンサーに引き込んだ関係者の努力には敬意を払うし、多くの日本企業がフィギュアスケートをサポートしてくれるのはありがたい話だが、あまりにも他国企業のサポートがないではないか。この事実が、日本以外でのフィギュアスケート人気の凋落を物語っているように思う。今回だって、紀平選手が活躍し、結果として勝ったから視聴率がのびたが、優勝がロシア女子だったら、22.6%なんて数字には届かなかっただろうし、視聴率が悪ければ、スポンサーも次第に離れていく。フィギュアスケートの華、女子シングルで日本女子選手がファイナルに3人も入ったのは、確かに素晴らしいが、他はロシアだけ。北米もロシア以外のヨーロッパもゼロというのは、それだけこれらの国々で、人々がフィギュアに興味を示さなくなっていることの証しのように思う。そりゃ、そうだろう。こんなあからさまな採点を何年も続けていれば、ファンは離れていく。日本には浅田選手引退後、羽生結弦という不世出のスターがいたから人気は保たれたが、女子のほうには世界トップを自力で狙えるような選手はいなかった。このファイナルで、シニアに上がったばかりの紀平選手が素晴らしい演技をしても、やや微妙だった連続ジャンプで回転不足を取られたり(よくある話だ)、GOEで思ったほど加点がつかなかったり(よくある話だ)、演技構成点が思ったほどののびず(よくある話だ)、「やはり、まだ子供っぽいですねぇ」「ザギトワ選手は若いけれど、大人の雰囲気があります」などと後付けのつじつま合わせを聞くハメになっていたら、人々はテレビの試合を見なかっただろうし、優勝を受けてのメディアの熱狂もなかった。紀平選手は、確かに素晴らしい才能があり、素晴らしい演技をしたが、それだけで点は出ないことは、この競技を見ているファンならもうとっくに知っている。「流れ」が紀平選手に来た、という言い方が一番穏当だろうが、うまいこと段取り通りにいった、という穿った見方もできる。紀平選手には、このまま流れにのっていってほしいし、連盟もそれをサポートしてほしい。だが、それとは別に、日本企業以外にほとんど公式スポンサーが付かない競技って何だろう、と思わずにはいられない。紀平選手が出たことで、日本での視聴率はひとまず安泰だろう。紀平VSザギトワでメディアが過剰なまでに煽り、視聴率アゲに走ることは目に見えているし、自国に強い選手がいれば、人々の注目も集まる。だが、この先は? 明らかにスター選手頼みのフィギュアスケート人気は、いつまで続くのだろう?メディアは今、「すでに浅田真央をしのぐ紀平」などと、盛り上げるのに必死だが、日本女子シングル史上最高の人気を誇った浅田真央をいちいち引き合いに出し、「彼女よりスゴイ」などというストーリーにもっていって衆目を集めようとするのは明らかに逆効果で、かえって紀平選手の「アンチ」を増やすだけだ。個人がそれぞれ自由に意見を発信できるネット社会の今、個人はマスメディアの思うようには動かない。
2018.12.15
今回のファイナルで3位に食い込んだトゥクタミシェワ選手の復活には脱帽するしかない。フリップ、ルッツともクリーンにエッジの使い分けができ、ジャンプも高さのある素晴らしい質。この選手がオリンピックに出場経験がないというのは、本当に信じられない。ロシア女子の層の厚さに加えて、4年に一度の最高の舞台に、ただでさえ選手生命の短い女子がタイミングを合わせる難しさを改めて思う。ショートでトリプルアクセルを入れることのできるトゥクタミシェワ選手。だが、3+3回転がトゥループ+トゥループというのは、どうしても今の世界トップの女子の中では見劣りする。ショートでトゥループ+トゥループを跳んで勝てたのはソチまでだ。今世界一を目指すなら、ショートに3ルッツ(もしくは3フリップ)からの3回転連続が欲しい。ファイナルのフリーでは、トゥクタミシェワ選手は3ルッツ+3トゥループを見事に決めて高い加点を得ている。グランプリシリーズでは失敗もあったから、決められる確率からいうと3トゥループ+3トゥループのほうが高いのだろうということが察せられる。事実、ファイナルのフリーの3ルッツ+3トゥループ、最後に片足にのってから跳び上がるまでがやや長い。慎重に跳びにいっているなという印象。単独の3ルッツだと、あっという間に跳んでしまう。高さのあるジャンプの質といい、エッジの明確さといい、思わず、「う~ん、素晴らしい」と唸ってしまう。紀平選手のファイナルのフリーの3ルッツ+3トゥループは、最後に片足にのってから跳び上がるまでが非常に速く、加点がつくのもうなずけるジャンプだ。ただ、セカンドの3トゥループの回転が少しだけ不安といえば不安。グランプリシリーズで回転不足を取られたこともあったように思う。今回のトゥクタミシェワ選手のグランプリシリーズでの目標は、復活の足掛かりをつかむことだったと思うから、ショートは従来どおり、3トゥループ+3トゥループで確実にいったのだろうけれども、世界トップを目指せるということがはっきりした以上、やはりショートには3ルッツ+3トゥループを入れて欲しい。実際、ファイナルのプロトコルを見ると、フリーで決めた3ルッツ+3トゥループには、高い加点もついており、決めれば3トゥループ+3トゥループより点数が稼げることは実証済みだ。ワールドで是非、トゥクタミシェワ選手の3ルッツ+3トゥループを見たいと思う。そうなれば、闘いはますます面白くなる。…と思ったら、肺炎で入院というニュースが飛び込んできた。ロシアの国内大会を間近に控えたこの時期に。残念、あまりに残念としか・・・・・・
2018.12.13
安藤・浅田時代が過ぎ、ロシアにやられっぱなしだった女子シングル。長らく待たれた「世界女王の器」を備えた日本人女子選手がついに現れ、その才能が思った以上に早く開花してくれた。2018年グランプリファイナルを制した紀平梨花選手だ。 エッジにイチャモンがついたり、回転不足が非常に多かったり、日本女子を苦しめるマイナスの要素を、「いまのところ」ほぼ持たない紀平選手。トリプルアクセルのことばかり注目されるが、Mizumizuが繰り返し主張してきたように、現在、女子シングル選手の女王の条件は、この難しい大技が跳べるかどうかにあるのではない。ルッツにエッジの不安がなく、連続ジャンプのセカンドにつける3回転が不足なく降りられるかどうかなのだ。 苦手なジャンプがないというのも大事になってくる。難しいルッツは得意だが、ループが不得意だとか、ルッツのエッジは大丈夫だが、フリップに中立グセがあるとかいったマイナス要素があると、現行ルールでは、たとえ大技があっても必ずしも得点はのびてこない。 今回のファイナルで表彰台に立った女子選手3人は、エッジの問題がなく、質の高いジャンプをまんべんなく跳べる優等生ばかり。スポーツとして非常に分かりやすく、解説しやすい結果となった。 まずはショート。紀平選手とザギトワ選手のジャンプ構成を見ると、3回転に関しては3ルッツ、3フリップ、セカンドには3トゥループ(紀平)、3ループ(ザギトワ)とザギトワ選手の難度がやや勝っている。だが、それはトゥループとループの基礎点の違いだけだから、差はわずか。ただ、アクセルジャンプの基礎点の差は大きい。トリプルアクセルが8点なのに対し、ダブルアクセルはわずか3.3点。いくらGOEで加点がついても、紀平選手が3Aで失敗してくれなければ、ザギトワ選手は追いつけない。 あとは演技構成点だが、このファイナルが始まる前に、佐野氏がテレビで、「紀平さんの演技構成点は上がりますから!」と、バラしてしまった!(大爆笑) このお膳立て…もとい、流れの中で、紀平選手はすべてのジャンプをきれいに決める。今回、紀平選手はトリプルアクセルを3回跳んで2回成功させた。ショートで決めたのは大きく、演技構成点の差は佐野氏の予告…じゃない、見事な予想通り、わずか0.68点に留まったこともあって、2人の点差は、アクセルジャンプの基礎点の差がほぼそのまま反映されたものになった。フリーで紀平選手は3Aを2度跳んだが、最初のジャンプで失敗している。それも、あからさまにダウングレード判定(<<)だと分かる、回転不足のまま降りてしまったから、このジャンプは2Aの失敗と同じ点で、得点は1.67点と、ないに等しい。だが、そのあとが素晴らしい。次に3Aを跳ぶなら、連続ジャンプにしなければならない。それをキチンと連続ジャンプにした。予定された3トゥループではなかったが、紀平選手は3ルッツにも3フリップにも3トゥループをつけることができるという強みがある。実際、3ルッツに3トゥループをつけて、ちゃんと回り切った。エッジにも疑問符はつかなかった。宮原選手が――先のグランプリシリーズで、普段は問題のないルッツに「!」がついたせいもあるのだろう――今回ルッツの調子を崩してしまい、さらに時々イチャモンをつけられるフリップに「!」をつけられてしまった(テレビで見てもwrong edgeではないが、中立で、ちゃんと内側にのっているかどうか疑問だった)のと対照的だ。曲の選択・振付も抜群によかった。ショートでは柔らかで清楚な雰囲気。紀平選手ののびやかなスケーティングが光っていた。フリーでは、「地球の創生」という大自然をテーマにした壮大な表現。日本女子が陥りがちな「かわいらしさ」か「大人っぽさか」といった短絡的な二者選択を絡ませない斬新な振付だった。宮原選手のような、緻密で繊細、洗練された腕の動きこそないが、ポーズを決める所作には目を惹く魅力がある。久々に日本女子シングルに現れた、世界女王にふさわしい「ルール上の欠点のない逸材」。ワールド制覇も1度は間違いない―それが今年か来年以降かはともかく。ロシアのジュニア女子のような選手層の厚さを持たない日本にとって紀平選手は貴重だ。次の五輪までは長く、果たして北京で今のようなジャンプが跳べるのかという不安はどうしてもつきまとう。クリケットクラブに送り込み、心身ともに健康でいられるよう万全のサポート体制を作るのが肝要だろう。間違ってもアルトゥニアンにつけてはいけない。
2018.12.10
夏の夜空を代表する星座、さそり座。さそり座の魅力は、その優美で壮大なSの曲線。火星と競う者という意味をもつ、赤いさそりの心臓「アンタレス」。だが、高く昇らないため、「夏といえばさそり座」と有名なわりに、見るのが難しい。南の空が開けていて暗くなくてはダメだ。それに、例えばさそりを恐れるオリオンの星座のように、誰にでもすぐ形が見分けられるわけでもない。http://www2.nhk.or.jp/school/movie/clip.cgi?das_id=D0005300438_00000↑この動画は、さそり座の動き方が非常によく分かるが、こういう予備知識が頭にないと、星座そのものを見分けることも難しい。つまり、時間が早いとさそり座は直立した姿勢で、S字のカーブは先が切れてしまっていてよく見えない。時間が遅くなると次第に昇ってくるのだが、壮大な夜空に描かれる曲線がきわめて美しく見える時間帯は案外短く、その時間帯を逃すと、次第に星座は横倒しとなり、S字というよりむしろ変形ひしゃくのようになってしまう。優美でダイナミック、赤いアンタレスを輝かせる夏の女王星座は、「さそり」という、その強い印象の名とは裏腹に、美しく見えるための条件が厳しく、さらにその時間も1日のうち僅かなのだ。Mizumizuは子供のころ、実家のある山口で見ていた気がする。だが、その記憶は不確かで、しかも見えたのはS字の一部だけだった。東京の家からは冬のオリオン座なら見えるが、夏のさそり座は望むべくもない。一度、優美で壮大なS字の全貌を見てみたいと思いつつ、その夢はかなわずにきた。くじゅうにあるザ ガンジー ホテルは、その気難しいさそり座の姿を見るには絶好のロケーションにある。すなわち、南に向かって開かれた高原の、わりあい高い位置にあり、かつ人家はほとんどないので、夜になると空は非常に暗い。https://www.the-guernsey.com/宿泊したのは、ツインルーム。このホテルは以前別の名前だった気がする。ザ ガンジー ホテルになって改装のであろう部屋は、バスルームへの段座が極端だったり、ちぐはぐなところもあったが、その分、変に広い…と言ったら失礼だが、本当に変に空間があった。エキストラベッドを入れても充分な広さが確保されていて、そこに2人で泊ったので、ゆったりとくつろぐことができた。3人の旅行で1人は和室に泊ったのだが、こちらはやや狭い印象。1人は洋室にしようか迷って、結局和室にしたのだが、あれなら洋室を選んだほうがよかったかもしれない。部屋は高級感はないが、こざっぱりとしたモダンなつくり。温泉もあって、これがなかなかだった。近くの赤川温泉ほどの「すんごい泉質」ではないが、緑がかった濁り湯で、内湯とくぬぎ林に向かって開かれた露天の2つがある。広さはさほどではないが、そもそも客室数が多いホテルではないし、平日だったので混むこともなく、ゆっくり温泉を堪能できた。ガンジーというホテルの名は、ガンジー牧場がこのホテルの経営母体だから。夕食にはステーキが出たが、さすがの味。魚料理もつくフルコースのプランだった(というか、それしか選べなかった)のだが、魚料理はヤマメをイタリアンっぽくアレンジしたもの。工夫があって美味しかったが、好き嫌いが分かれるかもしれない。基本Mizumizuは魚より肉が好きなので、フルコースではなくてメインは肉だけのコースだったほうがよかった。Mizumizu母のほうは、ひねりのある魚料理が気に入ったよう。まぁ、このあたりは個人的な嗜好の話だ。朝食は、ガンジー牧場で作っているというパンが出たのだが、これが微妙にハズレたのが残念。エッグベネディクトも個人的には「残念」レベル。値段と考えあわせると、部屋大満足、夕食かなり満足、温泉かなり満足、朝食やや残念――というカンジ。しかし、関東の温泉ホテルを考えると安く、料理も温泉も質が上であることは間違いない。ホント、九州はすごいよ。残念といえば、残念の極みだったのが、ホテルのテラス。鳩が上に居ついてしまい、フンだらけで使えない状態だった。掃除が追い付いておらず、テラスは閉鎖。その向こうに芝生があり、おしゃれなテーブルとイスを置いて(ただしパラソルもなくてむき出しだった)、そこでアフタヌーンティーを出すということだったが、予約しなくて正解。夏の午後はもろに日差しがきて暑いし、虫も多いし、視線のすぐ先にテラスの鳩のフンがある――こりゃダメだ。だが、それらすべてを忘れさせてくれたのが、部屋の大きな窓から見た夜空だった。たまたま雲も少ない晴れた日だったことも幸いしたが、なんと、窓のちょうど中央に、さそり座が優美で壮大な、そのS字の全貌を現したのだ。ガラスの向こういっぱいに、さそり座が広がっている! 窓枠は額縁さながら。あつらえたようだった。さそりをつけ狙う、射手の姿も見えたように思った。ただ、射手座についてはあまり知識がないので、違ったかもしれない。さそりの尾の近くに、十字に近い星の並びが見え、それがちょうど射手座に見えたのだが、確たる自信はない。ちょっと位置が近すぎる気もした。窓のガラスが邪魔に思え、何度かホテルの外に出て、ナマさそり座を見に行くMizumizu。真っ暗な夜に、何度も出入りするのでホテルのフロントはやや怪訝顔。ただ、ホテルの外だと、建物が邪魔で案外見えなかった。ホテルの窓枠を額縁に、あたかもさそり座のために切り取ったかのような夜空のほうが、絵画的に美しかった。少し眠って、未明に目を覚ますと、ちょうど同じ部屋に泊ったMizumizu母も起きていて、「さそり座はもうどっかに行っちゃったよ」。言いえて妙だ――横倒しになって額縁の外に移動したであろうさそりは、赤く目立つはずの心臓も、もはや夜の霧に隠れて見えない。変形ひしゃくになっているハズの尾を捜してみたが、昇ってきた他の星々にまぎれて消えてしまった。夏の夜の女王、さそり座。長らく焦がれていた彼女との出逢いは、あまりに強烈で、あまりに短かった。#ザ ガンジー ホテル ザ ガンジー ホテルの北にはくじゅう連山南の窓の向こうはくぬぎ林。久住高原を隔てて、阿蘇五岳を望む。夏の夜、この景色すべてが暗闇に消えた後、さそり座が空を支配する。
2018.11.27
中指の腱鞘炎、先のエントリーを見たら9月の半ば。そのときは、「順調に回復」と書いていたが、案外その後、良くなったり、戻ったりを繰り返した。通院でのリハビリは週2~3回を10月アタマまで。そのあとも20日ぐらい漢方を続け、あとは様子見。様子見段階に入ると、もう自分でのストレッチは面倒で省略しはじめていた。「喉元過ぎれば…」の典型である。11月に入っても、手をグーパーすると中指が微妙にうまく曲がらない状態が続いたが、それも徐々に気にならなくなってきた。8月23日に「ピキーン」がきて、今日が11月23日。やっと「完治」かな、という状態にまで戻った、と思う。右手首の状態はもう長いことイマイチなままだが、とりあえず中指腱鞘炎は完治かな、と。中指は腱鞘炎としては軽度だと理学療法士からも言われたが、結局違和感なく日常の作業ができるまで3か月もかかったじゃん。ヤレヤレ案外、長かった。というわけで、ほったらかしだったブログを再開します。フィギュアネタを待っている人が多いのは承知なのだが、とりあえずは書くつもりでほったらかしだった、「素晴らしき、くじゅう」から。しかし、今度は左手の中指の第一関節と第二関節の間に痛みを感じるんですが(-_-;)。
2018.11.23
ドケルバンの時にひどい目にあった腱鞘炎。今回の中指はひどくしたくないと早めに評判の良い整形外科に。結果は、「良好」。有名スポーツ選手も通ってくるという、元読売巨人軍のチームドクターだった整形外科医が経営するクリニックなのだが、理学療法士が非常に優秀。1か月のリハビリ計画をたて、週2~3回来てくれというので、まじめに週3回通っている。リハビリルームは、いつも物凄い患者数。理学療法士も多数いて、フル回転。高齢者も多いが、スポーツ選手らしい若者もまた非常に多い。超音波をあてたあと(もしくはあてる前に)理学療法士による施術があり、これが非常にキク。さらに症状に合わせたストレッチ指導があり、これを自宅で実践。氷水を使ったアイシングだけが、ちょい面倒で(20分冷やすというのがね)、ときどきサボるが、ストレッチはきっちり言われたとおりにやっている。そしたら、わずかな期間で手首の可動域も広がり、状態も上向いてきた。今は朝、指の少しのこわばり、もしくは多少のピキッが数回…で、日中はあまり気にならないぐらいになっている。だが、ここが肝心と良くなったからといって通院をやめてしまわないように、とりあえず1か月はしっかり行くつもり。整形外科医に漢方のことを聞いたら、「ぼくは漢方を知らない医者なんです」と、潔い。なので、漢方に詳しいかかりつけ医に相談して。2種漢方薬を処方してもらった。かなり万全の態勢。「ステロイド注射は腱が弱くなるので、注射うつなら手術してしまったほうがいい」というのが、ここのドクターの見解。でもねー、手術もそのあと案外大変だから、このまま予防できればそれにこしたことはない。もう「ほっといて治る」年齢ではないという、経験からくる自覚もある。自分の体のケアにやたらお金がかかる。仕方ないことかな。
2018.09.13
2018年8月23日朝――目覚めたとき、右手中指の「異変」に気づいた。中指だけ、変に折れ曲がったまま硬直している。動かそうとしても、にわかにはできず。意識を集中させたら、ピキーンと指がはねた。ばね指、キターーー前回、手首の腱鞘炎を、自然治癒を目指そうと初期段階で放置して、ひどい目にあったので、今回ははやめに評判がよいという整形外科へ。診断は腱鞘炎。理学療法士にストレッチの方法など教えてもらい、週に1-2回、1か月のリハビリでこれ以上悪くしないうちの治癒を目指すことに。というわけで、ブログはぼちぼち。ペースダウンします。経皮鎮痛消炎剤をまじめに塗り、ストレッチ、アイシングもまめにやるつもり。
2018.08.24
本州の人間が、「九州の山」と言われてまっさきに思い浮かべるのは阿蘇山だろう。阿蘇山の壮大さは、今更言うまでもない。やまなみハイウェイをドライブして初めて阿蘇に行ったときは、ここが本当に日本だろうかと、圧倒された。阿蘇を目指した、いわば「九州観光ビギナー」のときには、くじゅう連山は真打ち・阿蘇の「前座」ぐらいの位置づけだったが、ひととおり阿蘇山周辺をめぐってみると、前座だと思っていたくじゅう連山・久住高原の魅力にすっかりハマってしまった。阿蘇は壮大だが、壮大すぎる。外輪山の急な坂道を越え、世界一有数の広大なカルデラを走り、中央火口群に登る。あまりに広すぎて、個々の山の「高さ」がつかみにくいのだ。実際に、阿蘇山はさほど高くはない。最高峰でも1600メートル足らず。対して、くじゅう連山は、ぐっと眼前に迫る1700メートル級の山並みの「高さ」が非常に分かりやすい。長者原に出ると、手の届く近さにそびえる三俣山(1745メートル)、硫黄山(1580メートル)、星生山(1762メートル)。その特徴的な姿も魅力だが、湿原からいきなり山がそびえているような「近さ」がいい。そして、くじゅう連山の麓には、個性豊かな温泉がそこここに沸いている。凄い、本当に凄い。こんな自然の恵みに満ちた場所が、他にあるだろうか。この夏は、7月と8月(お盆)の2回もくじゅうに足を運んだMizumizu。「くじゅう」という地名、「久住」なのか「九重」なのか、ずっと混乱していた。何となくイメージで、高原が「久住高原」、山が「九重連山」、町が「九重(ここのえ)町」と「久住(くじゅう)町」だと思っていたが、ウィキで調べたら、「阿蘇国立公園」にこの地域の名称を加えて改名する際には、「九重」と「久住」のどちらかにするかで長らく論争が続いたが、「阿蘇くじゅう国立公園」とすることで決着した。ということらしい。久住高原のどこかで買った山岳鳥観図(KUJU RENZAN地図)を見ると、「くじゅう連山」という表記になっていた。そして久住山の文字の見える山はあるが、九重山という表記の山はない。しかし、九重山は久住山 中岳だと書いてる人もいる。「???」。もう一度ウィキに頼ると、火山群や周辺地域全体を指す場合に「九重山」や「九重連山」を用い、その主峰である単独の山を指す場合に「久住山」を用いるのが一般的である。そして、九重連山の最高峰が中岳だとか。なるほど、なんとなく分かってきた。火山群全体が「九重山」なら、その最高峰である中岳を九重山(の頂上)としてもおかしくはない。さらに調べて見ると、くじゅう連山の最高峰・中岳(1791メートル)は九州本土の最高峰でもあるらしい。阿蘇山、中央火口丘の最高峰である高岳(1592メートル)より、200メートルも高い。阿蘇の高岳の「高さ」は、くじゅう連山ではカクンと低く見える硫黄山と大差がないのだ。最高峰が「中」岳というのは変な感じだが、九重連山の主峰とされる久住山が1787メートル、中岳との差はたった4メートル。正確な測量ができない時代には、久住山のほうが主峰で中岳は久住山の「中の岳」だと人々が思っても不思議はない。山岳鳥観図でも、「九重連山」と表記してもよかったのかもしれないが、阿蘇くじゅう国立公園の表記にならって、連山については平仮名表記を採用したのだろう。同じ発音で表記が2つあり、1つの表記で2つの読みがあるというのが、逆に九州という土地の歴史の長さを物語っているように思う。昔は、ここには、小さな「くに」がたくさんあったのだ。で、この夏、くじゅうのどこへ行ったのかについては、次からのエントリーで、詳しく。
2018.08.16
のっけから、すごいドアップになってしまったが、これは有馬温泉の旅館、銀水荘 兆楽のオリジナルのお菓子、丹波の黒豆の寒天寄せ。有馬温泉土産として、定番すぎて平凡化している炭酸せんべいに変わって推したい。黒豆好き、寒天寄せ大好きのMizumizuなので、この手のお菓子なら気に入るのは当然なのだが、普段、お菓子に関しては、あまり好みが合わないMizumizu連れ合い、Mizumizu母の家族3人が絶賛。なので、お土産にしても好まれる率は高いかと。銀水荘 兆楽は、結論から言うと、素晴らしい宿だった。少し温泉街からは離れているが、いつでも送迎してくれるし、お目当ての温泉は、金泉、銀泉の両方を持っているし、部屋食の食事も、満足のいくものだった。素材の組み合わせが、個性的だが美味しく調和していた。寒天寄せが割合多く出て、そのあたりも不思議とMizumizuの好みに合っている。ここの料理人の方とは、味の嗜好がかなり似ているな、そんな印象だった。やはり、和食はどう考えても関東より関西のがレベルが高い。今回も改めてそう思ったのだった。しかし…温泉旅館というのは、とてつもなくコストがかかる商売だ。温泉の管理も大変だし、料理の質も大事だし、清掃もとんでもなく手間がかかる。中心地から離れていたら送迎もあったほうがいい。今どきならWifiも必要だろう。それでいてあまり宿泊費が高いと人は来ない。銀水荘 兆楽は、すべて揃っていて、それでいて値段も高くはなかった(平日のせいもあるだろうが)。平日とはいえ、それなりにお客さんもいて、といって混んでいるという感じでもなく、泊まるほうとしたら、ちょうどよかった。良質の温泉に入り、美味しい料理を上げ膳据え膳でいただき、のんびりくつろぐ。目的はそれで、他にはない。そんな旅にぴったりの宿。銀水荘 兆楽――リピートしたい温泉宿の1つになった。
2018.07.28
有馬温泉には、長いこと縁がなかった。近くの神戸には何度か観光で行ったことがあるのだが。だが、音に聞く天下の名湯。今回は東京ー山口県のロングドライブの中継地として有馬温泉の温泉旅館を選んでみた。赤みを帯びた泥っぽい濁り湯を金泉、透明な湯を銀泉と有馬温泉では呼んでいて、今回はあくまで温泉重視で、金泉・銀泉の両方を自家源泉として持っている「銀水荘 兆楽」を宿に選んだ。結論として正解だった。温泉三昧で過ごすつもりなら、最適の宿。温泉街からは少し距離があるが、随時送迎をしてもらえる。宿については次のエントリーに譲るとして、有馬温泉の温泉街についての印象を少し。一言で言えば…すんごくこじんまりしてる!さっと見るだけなら30分もあれば回れてしまう。もっと率直に言えば…つまんない!メインの通りの目立つ場所につぶれた店があるのも痛いし、午後5時ですでに閉めてしまっている店もある。お土産屋はさすがに開いているが、炭酸せんべいと山椒ばっかり。炭酸せんべいはあまりにありふれている。有馬温泉に来たことのないMizumizuでさえ、何度もお土産にいただき、すでに飽きている。おまけに使われているのは炭酸でもなく、温泉と何も関係ない重曹だし。山椒はうなぎのかば焼きには使うが、別の食べ方をしようと思ったこともなく、花山椒の佃煮と言われても、そもそも佃煮が個人的にあまり好きではないので、あえてチャレンジしようとも思わない。竹細工の店もあるが、嵩張るものが多く、旅行者には不向き。モダンに改装しておしゃれっぽく頑張ってる店もあるのだが、おしゃれな店ならやっぱり神戸で入りたい。有名な有馬温泉ということで、日帰りで神戸から来たらしい外国人が結構いたのだが、ここはやはり温泉旅館に泊まってナンボのところだと、温泉街を歩いてつくづく思った。しかし、温泉街の宿に泊まっても、これじゃ夜のそぞろ歩きの楽しみは、ほぼないだろう。ひたすら温泉に浸かるのみ? せっかく情緒のある坂や小径のある街なのに。古い温泉街のありがちな雰囲気から、脱却しようとしてうまく脱却しきれないまま、それでも人は来るので何とかやっているが、全体的な「寂れ」を隠せない、そんな感じ。まちづくりを再考しなければ、ますます寂れそうだ。日本三古湯の1つで、実際に浸かってみたらホントに良い温泉だった。これほどの「財産」をもちながら、温泉街がコレじゃ、もったいなさすぎる。もっとオンリーワンのモノを売る店が増えなければ、人々は素通りするだけだ。例えば埼玉県の川越などは、「小江戸」と呼ばれる狭いエリアに、週末には観光客が押し寄せる。食べ歩きの店は長蛇の列になっているところも多い。川越には、行ってみて、その賑わいに驚いた。有馬には、来てみて、逆の意味で驚いた。人々を引き寄せるまちづくり、川越にできて有馬にできないわけがないと思うのだが。とはいえ、有馬温泉という稀有な温泉を持つ町には、やはりオンリーワンの風景も。温泉街でもっとも印象的だった場所。流れ出てくる「金泉」で、神社の石段が赤茶に染まっていた。こうした凄いモノがあるのだから、温泉街の店がもうちょっと魅力があれば…と残念で仕方なかった。
2018.06.19
東京都内の自宅から有馬温泉まで、久しぶりのロング・ドライブ。早朝に出て、新東名を走った。新東名は実に気持ちのイイ道。サービスエリアも充実していて、どこも新しく、トイレも清潔で、お土産コーナーも充実している。やたらとサービスエリアに寄り、各地のお土産を買いこむMizumizu。スイーツ派には、静岡エリアでの「いちこのミルフィーユ like you」がオススメ。駿河湾沼津サービスエリアに寄ると必ず買うお土産品。576 層もあるというミルフィーユが、1枚1枚が薄いせいか、全体として適度に柔らかくて食べやすい。静岡産の紅ほっぺを53%使用したというクリームは、この手のお菓子にしては珍しく、人工的な香料感が少ない。値段もお手頃。いちごのミルフィーユ10個入り【いちご】【ミルフィーユ】【like You】駿河湾沼津サービスエリアは、眺めも抜群。茶畑と市街地の向こうに駿河湾と伊豆半島。上の写真で島のように写っているのが、伊豆半島の一部だ。新東名を走ると、日本の道路も、ただ点と点を結ぶためのものではなくなってきたな、と思う。サービスエリアはちょっとしたエンターテインメントゾーンだし、クルマからの眺めにも、それなりに気を使っている。走ることそのものが楽しい道。高速道路でも、そうなることが可能なのだ。新東名はその先駆的な一例。
2018.06.16
ロブションと並ぶくらい東京での「チェーン展開」が東京で目立つ、ポール・ボキューズ。高級フレンチのファミレス化に一役買ってしまっている感はあるが、新国立美術館(六本木)の、宇宙的とも言える空間デザインの「ブラッスリー ポール・ボキューズ ミュゼ」は、一度は行く価値がある。新国立美術館は、故黒川紀章の建築だが、久々に行ったら、優美な曲線を描くガラスのエクステリアや、壮大な抜きぬけの内部空間、目を奪う逆円錐形の、カフェ・レストランを支えるコンクリート構造の重量感など、「すげーな、おい」と改めて感動を覚えた。ここの3階にあるのが、ブラッスリー ポール・ボキューズ ミュゼ。半角スペースと中黒の使い方が実にめんどくさい正式名の表記だ。リヨン郊外で50年以上3つ星を守っている料理界の天才、ポール・ボキューズ。その名を冠しつつも、円形の広々としたフロアにテーブルを、これでもかとぎっちり並べて高級感を台無しにするセンスとか、良く訓練されていて落ち度はどこにもないが、みーんな同じで、いっそもうロボットに給仕させたら? と思うようなサービスとか、「お値打ちコース」には、それなりに高級感のある素材を織り交ぜつつも、それはあくまでちょこっとでメインの魚素材なんかやっぱりスズキになっちゃうありきたりぶりとか、そこここに漂う「レストランひらまつ」ぶりが、どうもリピートしたい気持ちを萎えさせる。…と、思う人が多いのかどうか、日曜日のディナーというのに、お客は数えるほど。本当に、両手の指で数えたら余るぐらいの人しか来ていなかった。ご近所の西荻の個人経営の人気レストランのほうが、よっぽど人が入って、賑わっている。やっぱり日本人は雰囲気よりなにより、「味」にウルサイ民族だな、とつくづく思う。ぎちぎちに並べられたがゆえに、虚しさ倍増の空席を横目に見つつ、予約していたおかげか、曲線を描く外壁の窓に一番近い良い席に案内される。夕暮れと呼ぶには少しだけ早い東京の景色がパノラマ的に広がって見える。都会的な高層ビルだけでなく、木々の緑も目に入り、空気の澄んだ天気の良い日だったせいもあって、素晴らしい眺めだった。今回予約したのは「ルーヴル美術館展特別ディナーコース」。前菜はフォアグラのソテーとリゾット。フォアグラのソースはモリーユ茸を使ったものだとか。この高級キノコの風味は実は、あんまりよく分からなかったが、モリーユっぽい食感が多少入り、甘辛く、日本人の口に合う濃い目の味付けになっていた。リゾットとフォアグラ―のソテーの組み合わせは大好きなので、大いに気に入る。魚料理は、ブラックオリーブの衣をまとわせたスズキのポワレで、にんにくのクロケットが上にのり、トマトのセッシュの酸味とオレンジの風味をきかせたというブールブランソースの爽やかさが、良い出来だった。ブールブランソースはフレンチの醍醐味、と思うぐらい個人的には好きで、それぞれのシェフの作る味わいの違いをいつも心から楽しんでいる。けど、結局魚はスズキだし。火入れ具合も特筆することもなく。日本のフレンチでコースを選ぶと、魚はスズキばっかりで、もう飽きてしまった。ワインは重めの白を合わせた。肉料理は牛ほほ肉の赤ワイン煮。じゃがいものピューレにムーレット(ポーチドエッグ)までついて、お上品な見た目とは裏腹にボリュームがあった。まぁ、普通に美味しかったですよ、ハイ。しかし、牛ほほ肉のワイン煮も、よくあるメニューですでに飽きている。そのうえ、赤ワインのチョイスを失敗。シラー種を使った重めのものを選んだつもりだったが、味がない。昔の、シラー種=安くてまずいワイン、のイメージだったころのシロモノという感じ。単に個人的な嗜好だが、Mizumizu的にはハズレでがっかり。デザートはジュレをのせた桃のコンポート。バニラアイスとアーモンドのチュイル。バニラのそばにはフランボワーズのソースが薄くのばしてるのだが、ほとんど見えない。日本人はフランボワーズを好まない人も多いので、好きでない人は食べないで済むような配慮なのか? と思うぐらい少なかった。最後にティーバッグ感ありありの紅茶をいただいて、会計を済ませ、エレベータで1階へ。大都会のど真ん中の六本木とは思えないぐらいガランとして人がいない。しかし、夜の灯りの点った新国立美術館は、中から外を見ても、外から振り返って建物を見ても、実に壮麗で、凛と美しかった。半角スペースと中黒の使い分けが実にめんどくさいブラッスリー ポール・ボキューズ ミュゼ。メニューを見るとアラカルトにフォアグラのソテーとリゾットもある。アラカルトだと3000円ぐらいだが、中途半端なお値打ちコースにするより、アラカルト一皿をゆっくり堪能するぐらいが、今のMizumizuには合っているのかもしれない。この得難い空間デザインを味わいに、またぜひとも家族で来たいもの。ランチだと美術館に来た人で混みそうだが、美術館が閉館したあとがこんなにすいているなら、東京の穴場と言っていいのでは?
2018.06.04
まがい物ではないチョコレートは好きだが、白砂糖の甘さが苦手なMizumizu連れ合いのために考案した、自家製チョコレートブラウニー。ローストくるみをタップリ入れて、スクエアにカット。甘くない生クリームを添えていただく。このチョコレートブラウニー、白砂糖のかわりにてんさい糖を使い、その他の材料は、ほぼ近所の「TOMIZ(富澤商店)」で調達している。使うチョコレートはカカオ分70%の製菓用。一度カカオ70%の板チョコを使って作ったら、完全に板チョコ感満載で美味しくなかった。以来、板チョコは使わず必ず製菓用のチョコレートを買うようにしている。富澤で買うのは、だいたい以下の2つ。チョコレートのコクで言えば、断然左のヴァローナ フェーブ グアナラに軍配。長く余韻が舌に残る。ただし、値段は高め。リオアリバは、一瞬の苦味とフルーティな爽やかさが特徴。製菓用のチョコレートは成城石井や紀ノ国屋などで購入することもある。それぞれに個性があって楽しめる。だいたいカカオ分が70%かそれに近いチョコレートを選んでいるが、だいぶ作り慣れてきたので、今度はカカオマス(100%カカオ)を買って、自分でブレントしてみようかとも考えているところ。さらにビターになると期待もある。カカオマス「だけ」で作ろうとしたこともあるが、粉がうまく混ざらず失敗した。小麦粉は最初、富澤の「ドルチェ」という商品名の、国産小麦100%の薄力粉を使っていたが、「エクリチュール」というフランス産の小麦の薄力粉にしてみたら、Mizumizu的にはこちらのほうが気に入った。「振るって入れてしまうんだから、薄力粉なんてどれでも変わらないのでは?」とも思ったが、案外食感が違うのだ。「ドルチェ」のほうが、しっとりとキメ細かな感じになる。「エクリチュール」のほうが小麦粉のホロホロした主張が強い。無塩バターは、今のところスーパーで適当に買ったものを使用。今後はカルピスバターやエシレバターなど使って作ってみてもいいかな、と思っているが、コストがね…で、道具。チョコレートブラウニー作りを簡単にする、「三種の神器」がMizumizuにはある。まずは、大き目の耐熱容器。ご覧のように、広さは23センチ弱、高さは12センチ弱だ。コレ、電子レンジでのお米料理用に、大昔買ったのだが、長らく無用の長物と化していた。だが、チョコレートブラウニー作りには大活躍。パスタ鍋の上に置いてチョコの湯煎に使ったあと、材料を全部この中にぶち込んで混ぜれば、周りに粉が飛び散ったりすることもなく、素早く簡単にできる。三種の神器、その2は、これまた大昔にドイツで買った6本脚の泡だて器。多分、買ったときは、すっきりしたデザイン性に惹かれたのだろうと思う。ただ、「泡立て」器としては実に役立たず。脚の数が少ないから、スカスカで、こんなので泡立てようとしたら日が暮れてしまう。いつの間にか、米とぎとして使うだけになっていたが、チョコレートブラウニー作りには重宝する。材料が、実にうまく、さっくりと混ざってくれる。三種の神器、その3は裏こし器。右に写ってる紅茶こしもちょっと使うのだが、基本は左の裏ごし器で小麦粉とココアパウダーを振るい入れるのに使ったあとは、ブラウニーを焼く「型」としても使っている。以前は円い底が取り外せるケーキ用の型を持っていたが、汚れてきたので捨ててしまったのだ。新たに買うほどケーキを作らないので、この裏ごし器にクッキングペーパーを敷いて代用してみたら、問題なく焼けた。ただ、形は(当然)真ん円にならない。と、お道具紹介が終わったところで、レシピ。材料1)薄力粉10gとカカオパウダー40gを合わせておく2)製菓用カカオ70%チョコレート150g3)アーモンドパウダー 50g4)無塩バター 100g5)てんさい糖 90g(これはかなり控えめ。甘さのインパクトが欲しいなら120g位まで増量可能)6)卵2個7)ローストくるみ(富澤で入手可能)60g8)生クリーム(お好みで添えるため)作り方パスタ鍋に水を張って沸騰させ…沸騰したら火を止めて、耐熱容器を上にのせ…チョコレートを投入。すぐに溶けだして…数十分置けばこんな感じに。チョコレートを湯煎している間に、てんさい糖をボールに入れておき、バターを適当な容器に入れて電子レンジで1分弱あたため…こんな感じになったら、ボールのてんさい糖と合わせて…バターが完全に溶けて、てんさい糖としっかり混ざるまで、混ぜる(ここで6本脚泡だて器が活躍)。次に卵を1個ずつ投入して混ぜる。2個一緒に入れずに、1つずつ混ぜるのがポイント。混ざったら、耐熱容器(湯煎チョコレートの入った)に投入して、よく混ぜる。次に、(耐熱容器の材料の中に)アーモンドパウダーを投入してよく混ぜる。それから、(耐熱容器の材料の中に)小麦粉+ココアパウダーを裏ごし器で振るいながら入れる(最後に残った粉を紅茶こしに移して振るうとアッという間)。入れたら、全体を混ぜ合わせる。少し粉っぽさが残る程度でOK。ローストくるみを粗く刻み、耐熱容器の材料の中に投入して、さっくり混ぜる。これで生地ができたので、型に流し込む。Mizumizuは裏ごし器を洗って拭いて、型として代用。クッキングペーパーを敷いて…材料を流し込み、表面をならして、型ごと台にトントン落として空気を抜く(まぁ、あまり抜けないが、気にしない)。↑これを160度に熱したオーブンに入れて、40分焼く。焼きあがったら、型はそのままで外に出して、冷やす。できたてが美味しい…というものでもないのが、チョコレートブラウニー。特に焼きたてだと、割れやすいので注意。完全に冷えたら、ラップをかけて…冷蔵庫で一晩冷やしてから、いただく。1日目は、かなりホロホロ感が強く、2日目、3日目と置くほどにしっかりと生地が締まって、チョコレート感が強くなる。保存はずっと、ラップして冷蔵庫で。Mizumizuは3日目ぐらいの状態が好きだ。
2018.05.30
休日ともなれば行列の絶えないピエール・マルコリーニ銀座。パフェが目玉商品だが、さすがに何度も通ううちに、別メニューを試すようになった。そんな中、スイーツは全体としてあまり好きではないが、チョコレートには贅沢な嗜好の持ち主のMizumizu連れ合いが、ことのほか気に入ったのが、こちら。甘くない生クリームが添えられている。味は濃厚、そして厚みのある分、しっとりとさっくりの食感の違いも楽しめる。生チョコを食べているようでもあり、ホロホロ感の残るケーキを食べているようでもある。その「混在感」が魅力。まさに「チョコレート」「ガトー」だ。カカオに並々ならぬこだわりを持つピエール・マルコリーニならではの逸品だ。実はコレ、お持ち帰り用にホールのものも売られている。さっそく、生クリームを砂糖なしで泡立てて…たっぷり添えていただく。一口目は大いに感動。だが、さすがにホールとなると、濃厚すぎて2人には量が多い。賞味期限も長いものではないから、最後はMizumizu、Mizumizu連れ合いで譲り合いになった。甘みもかなり強いので、インパクトはあるが、その分、飽きが早かったということだ。ならば、自家製でもうちょっと甘みをおさえたチョコレートブラウニーを作ってみようと思い、実行してみたら、これがMizumizu連れ合いにはことのほか好評だった。それについては、また次のエントリーで。
2018.05.24
山口県山口市矢原にあるパスタ&ピザハウス アキラ。実家に近いこともあって家族でよく行く、お馴染みの店。いつ行ってもお客さんでにぎわっている地元の人気店。駐車場も十分あるので、地元民にはその点もありがたいところ。この店の人気の秘密は、おそらくパスタのメニューの豊富さにある。生パスタこそないが、種類が非常に多く、誰が行ってもお気に入りの一品が見つかる店。ピザもあるが、たいていのお客はパスタを頼んでいる。Mizumizu母は、もっぱらここの「たらこ&イカ」を頼んでいる。水っぽいところが好みだそう。Mizumizuは逆に、(たらこ&イカは元来好きではあるが)ここのは水っぽすぎて好みではないが、お気に入りが別にある。それは、カルボナーラ厚切りベーコンが、表面こんがりで塩気が強く、Mizumizu好みのアクセントになっている。全体的に濃厚なので、カルボナーラは重くて…という向きにはお奨めできないが、カルボナーラ好きなら満足できるクオリティ。東京でも、ここまでやみつきになるカルボナーラを出してくれる店はなかなかない。しばらく行かないと、「そろそろまた、アキラのカルボナーラが食べたいな」と思う。家族で行って、それぞれが好きなものを注文して、気軽に食べる。そんな店。山口でもネットで有名になると、お客は旅行者が多くなる傾向があるが、この店はあくまで地元民のための店だ。昔からあり、いつもそれなりにお客が入ってる。地味だが、良店の証拠だ。実際、近くの繁華街、湯田温泉あたりでは、いつの間にか無くなってしまう飲食店も多い。ここは家族経営なので、顔なじみになると女主人が気さくに話しかけてくれる。最近はもっぱら、「ばね指」だとか「腱鞘炎」の話だが(苦笑)。個人で長く料理を作り、盛り付け、サーブする仕事をしていると、やはり指や手首、それに腰にも負担がかかってくるということだろう。ストレッチなどもして、体調キープには気を使っているとか。商売を続けていくということは、本当に大変だなぁと聞いていて思う。一時期人気が出ても、それを続けていくのは並大抵のことではない。アキラはその点、安定した人気をずっと長く保っているのが素晴らしい。家族で行くと、パスタのほかに、「気まぐれサラダ」を頼んで、皆で取り分けて食べることが多い。それから、たまにデザートも。こちらがMizumizu+Mizumizu連れ合いのお気に入り、チョコレートブラウニー。もちろんコーヒーとマリアージュ。チョコレートブラウニーというと、個人的にはクルミが入っているイメージ。ここのは入っていないので、どちらかというとややかためのガトーショコラという感じ。珈琲もアメリカン寄りだが、きちんと淹れた、それなりの味。ただ薄っぽい味だったり、煮詰めたような味がしたりする珈琲を出すカフェも多い中、パスタがメインの店だということを勘案すれば、十分に及第点以上の評価はできるだろう。ふつーにパスタを外で食べたい気分になったら、ふらっと寄ってみて損はない。
2018.05.19
手数料無料を武器にメルカリを追撃する…ハズだったラクマ(旧フリル)だが、2018年6月から手数料が3.5%と有料化することが発表された。メルカリの10%よりは安いが、専用の送料が高い、楽天銀行で売り上げ1万以上でないと振込手数料がMUSTなど、細かい部分で出品者にとってはメルカリより使い勝手が悪いラクマ。アプリのダウンロード数も増えて、メルカリと並び立つ存在になるのかな…と思ったとたんに、コレ。やはり手数料無料では、ビジネスとしてやっていけなかったということだろうか。だが、ラクマを(やや)応援したかった立場から言うと、もうちょっと我慢してユーザーを増やしてからにしてほしかったと思う。これじゃ、ヤフオクに対抗しようとして、結局はひっそり消えていった楽天オークションの二の舞になりそうだ。
2018.05.16
先のエントリーで、「フリル」より「メルカリ」のほうが早く売れたので、フリルを使わなくなった…というエピソードを書いたが、「新ラクマ」になって何がどれほどどう変わったか知りたくて、新ラクマに出品をしてみた。メルカリに出しているのと同じモノで、クリックポストで送ることのできるモノを、販売手数料がない分だけメルカリより値段を下げて出したところ…メルカリでは、「ちょい高め」だったせいで、「いいね!」はつくが全く売れずに何か月も残っていたものが、数日で新ラクマで売れたのだ。値段を下げたといっても、数百円なのだが(苦笑)。ちなみに、この場合の「いいね!」とは、購入検討者がつけるブックマークのような役割を果たす。新ラクマでは「購入申請」という機能があるので、出品者はそれを選択しておけば、買いたいと言ってきた人の評価を事前に見ることができ、また、この機能で実際の決済までワンステップおくことで、その他のフリーマーケットに同じモノを出品していても、万が一の「同時購入・決済」を避けることができる。今回、この「購入申請」を利用したが役立つ機能だと思った。中には札付きのクレーマー(実際には転売目的。難癖をつけて値段を下げさせたいのだ)の購入者もいるから、あまり「悪い」の評価が多い購入希望者で不安を覚えるなら、取引を拒否することもできる。これはメルカリにはない機能だ。新ラクマでの次の問題は、売上金の振込手数料。通常は金額にかかわらず210円の振込手数料がかかるのだが、2017年12月以降、楽天銀行あてに振り込み、かつ1万円以上なら振込手数料がタダということになった。メルカリは1万以上なら、どこに振り込んでも振込手数料はタダなのだが、売上金を「貯めておける期間」がこれまでの1年から3か月に短縮されてしまった。つまり3か月内に売上金が1万に満たない場合は、210円の振込手数料を払って振り込んでもらうか、あるいはメルカリ内での購入に充てられる売上金をポイントに交換して(この手数料はタダ)、何かを買うしかない。このポイントなら使用できる期間は1年。新ラクマの場合は、売上金を「貯めておける期間」が1年とメルカリより長く、断然有利だ。売上金を新ラクマ内の購入に充てる場合でも、ポイントに変換するなどの面倒なワンステップはなく、売上金をそのまま購入に充てることができる。いつの間にか、新ラクマのほうが出品者にとって良くなってるじゃないですか!ただ、最後に残った問題がある。それは、送料。メルカリも新ラクマも、日本郵便とヤマト運輸を使った「メルカリ便」「ラクマパック」という、送料が通常より少し安くなるサービス(これを使えるのはスマホのみ)を設定しているのだが、同じサイズならメルカリ便のが安い。小口の場合…ヤマトの宅急便コンパクトだと、メルカリのほうが、150円安い。60サイズの宅急便なら、200円安い(メルカリ600円、ラクマ800円)。厚みのあるワレモノだとこういったサービスを利用したほうが安心なのだが、たとえばカップ&ソーサー1つとか、小さな物品の売買だと、150円、200円という差は案外大きい。つまり… 1000円ちょっとで売るような厚みのあるワレモノを、ラクマで売ったら、送料だけで800円もかかるから、まったく売る意味はなくなってしまう。といって送料分値段を上げれば、買い手のほうが遠慮する。メルカリだったら、販売手数料10%といっても、1000円なら100円。その分送料が安くなれば、まあ「捨てるのももったいないし、使ってくれる人がいるなら」という考えで売る価値はある…かもしれない。どちらにしろ、数百円の話ではあるが(笑)。もう少し高めに売れるものなら、新ラクマで売ったほうが良さそうだ。しかし、新ラクマで楽天銀行に振り込んでもらっても、楽天銀行の口座に10万以上残高があって、かつ「ハッピープログラム」とかいう、ユーザーにとってはクリックする手間やそのあと送られてくるであろうウザい勧誘メールを考えると、全然ハッピーでもなんでもないプログラムにエントリーしないと、ATMで現金を引き出すときに手数料がかかるのだ。楽天銀行に10万以上おいておいて、ハッピープログラムにエントリーすれば、やっと月に1回だけ出金手数料がタダになる。わずかな残高しか持たない人に対する出金手数料は、216円~270円。https://www.rakuten-bank.co.jp/charge/atm.htmlつまり、新ラクマは販売手数料ゼロとはいっても、そのあとに「楽天銀行振込で、かつ売上金1万円以上でないと」かかってくる振込手数料(210円)があり、1万以上売上金を貯めて楽天銀行に振り込んでもらっても、口座10万以上残高がないと、出金手数料(216円~270円)が待ち受けているということ。わずかなようだが、200円というのは、メルカリでは2000円のものを売った時にかかる販売手数料。現実にはこまごましたものを売る人が多いから、それなら売りやすいメルカリで売って、1万貯めるなり、210円の振込手数料は割り切って現金化するなり、売上金をポイントに変えて別のモノを買うなりしたほうがいいと考える人も多いかもしれない。だが、今回のMizumizuのようにメルカリから引っ越しを始めているユーザーも増えているようだ。新ラクマで、「販売手数料無料」のキラキラ文句の裏で待ち受けている、こまごま手数料をすり抜けるには、楽天銀行に口座をもち、キャッシュカードを作り、楽天銀行に10万いれておく、ということだろうか。楽天市場のユーザーにとってはそれほど面倒ではないと思うが、楽天市場ユーザーでなければ、わざわざ新ラクマのこまごま手数料のすり抜けのために、楽天銀行に口座まで持つのは面倒だろう。新ラクマのアプリダウンロードと登録ならメルカリと同じなので簡単だから、当面は、少し高めに売れそうなものをメルカリだけでなく新ラクマでも出品してみる、というメルカリ&「購入申請」を活用した新ラクマの併用なら、お奨めできるかな、と思う。購入希望者も、欲しいものがあったらメルカリだけでなく、新ラクマで検索してみるといい。まだ品数はメルカリのほうが圧倒的だが、旧フリルの時代よりは出品数は増えている。案外、同じものがメルカリより安く出ているかもしれない。
2018.05.09
購入者としてのメルカリユーザーは、買う前に出品者の「評価」をチェックする。品物を買った人が、受け取った時に「受取評価」をする仕組みで、これで出品者の姿勢がかなり分かる。メルカリは基本、受取評価は「良い」にマークが入っていて、わざわざ「普通」や「悪い」の評価にはしにくいようになっている。「良い」の数を見て多ければ信頼のおける出品者だと思うし、「普通」や「悪い」の評価でも、どこがどう「普通」なのか「悪い」のか、買い手のコメントを読めば、それが妥当な評価なのか、ある種の悪意を持った評価なのかも分かる。「悪い」の評価は、大雑把に言うと2つの原因に大きく分けられる。1つは、梱包のずさんさ。もう1つは品物の(出品側の)過大評価。「目立った傷や汚れなし」と言いながら、受け取ったら案外汚れていたとか、「新品」と言いながら、明らかに古いものだったり。買い手としてのMizumizuは、当然「悪い」の評価が多い出品者は避ける。そのせいか、買い手の立場で、これまでに大きなトラブルはない。強いて言えば、写真ほど現物は良くはなかった、という程度のことだが、これは通販でモノを買う場合は、ありがちなことなので、文句をつけるほどのことではない。逆に、あまりに丁寧に梱包しすぎていて、「ここまでやらんでも…」と思うことのほうが多い。品物も、過大な期待をしていないせいか、値段から考えれば満足いくものがほとんど。みな、律儀だなぁと思う。それはそのまま一般的な日本人の民度の高さを反映しているかもしれない。ただ、いろいろな出品者に対する評価とそのコメントを見ていると、確かにずさんな出品者や詐欺まがいの出品者もいるようでは、ある。「品物が割れていた。もっとしっかり梱包してほしい」とか、「(ブランドの)正規品と言われたが、違った」とか。最近、報道で聞くことが多い、「盗品をメルカリで売りさばいていた」という話も、「あるだろうな」とは思う。不用品を売る場合は、自分が過去に買ったものなら、原価はゼロではない。時間が経てば劣化するからさらに価値は下がる。だから、自分で買ったものを処分するのは、あくまで「処分」であって儲からないが、盗んだものなら、ピカピカの新品だ。安く売っても、原価がタダだから、丸儲け。本来なら事務局がもっと目を光らせるべきなのだろうが、基本的にメルカリは「個人の自由に丸投げ」体質で、こうした反社会的行為に対しても感度が低いようだ。メルカリという自由度の高い巨大マーケットの出現が、万引きを助長する側面は、確かにあるだろうと思う。だが、あくまで普通に使っているユーザーとしての感想を言えば、ちゃんとしてる人が多いな、ということだ。購入すれば律儀にお礼コメント、メッセージを書けば律儀な返信、受け取ってみれば律儀な梱包。「悪い」評価をもらわないように、みなそれなりに気を使っている感じだ。ネットオークションもそうだが、あまり自分が詳しくないモノには手を出さないほうがいい。その原則を守って買っている限りは便利なマーケットだ。「民度が低すぎる」「盗品があふれている」といった過剰にネガティブな決めつけ意見は、利益が絡む――つまり、メルカリの成長で迷惑をこうむる業者が絡む、キャンペーンかもしれない。もちろん、個人の率直な意見かもしれないが、ネット上での他人の意見は、常に話半分で聞いたほうがいい。別にメルカリ利用を勧める気はないが、それほど信用のおけない人ばかりではない、ということだ。そうでなければ7000万人もダウンロードしないだろう。売り手への信頼感が醸成されなければCtoCマーケットは成り立たないし、大きくもならない。むしろメルカリの成長は、一般の日本人の民度の「高さ」に支えられている、というのがMizumizuの意見だ。
2018.05.04
メルカリのテレビCMで印象的な、「売れたものの半数以上は24時間以内に売れている」「言い値で売れる」。舌を巻くほど、実にうまい宣伝文句だ。まず「24時間以内に売れている」のインパクト。聞いてる方は、「出品したら、半数以上は24時間に売れる」と勘違いしやすい。だが、メルカリはあくまで「売れたものの半数以上」と言ってるだけ。実際には多くの品が売れずに残っているのだ。「言い値で売れる」と聞けば、「言い値で売れるから儲かる」というふうに連想しやすい。だが、実際には「言い値で出品できる」というだけで、おのずと相場というものはあり、総じてメルカリの相場は安い。言い値で出品したが、まったく売れずに仕方なく値段を下げて買い手がついたり、あるいは言い値で出品したところ、「お値引きできますか?」とコメントで値下げを求められ、結局売るために値段を下げているという品も多い。実際にメルカリで販売してみた経験から言うと、「売れたものの半数以上は24時間以内に売れている」「言い値で売れる」のキャッチコピーの裏にある実態は、「売れるものはすぐ売れるが、売れないものはまったく売れない」「言い値は、高値ではなく、むしろ自発的な安値でなければダメ」ということだ。もっと端的に結論を言えば、「メルカリでは、メルカリで売れ筋の品を安値で出せば、売れる」。つまり、売れるモノは決まっており、それが安ければ売れるが、高ければ売れない、ということなのだ。安くするとどうなるか? これは単純なビジネスの方程式だ。安く売れば儲からない。薄利なら多売にしなければならないが、いち個人が多売なんて、できない。だから、決して儲からない。メルカリで儲けた、みたいなネット上の記事や手記は真に受けないほうがいい。「売れる」と「儲かる」は違うのだ。メルカリでの売れ筋は、ネットにいろいろ情報があるから、すぐ分かる。代表的なものは、買ってから年数の経ってない電化製品。あとは安く設定した有名ブランド物。逆に売れないものは、おそらくは多くの人が売れたらいいな、と思っている古い服。もとがいくら高くても古い服は、まず売れない。Mizumizuの場合も、中古の電化製品は、過去に同じ品がいくらぐらいで売れているのかメルカリの中で検索し、それより少し安い値段設定にしたら、確かにすぐ売れた。ハッキリは覚えていないが、確かに24時間以内だったかもしれない。買い手のほうは、「検索条件を保存」すれば、その条件に合致したモノが出品されれば連絡が来るようになっている。日頃から「こういうモノが欲しい」と張ってる人は相場感もあるから、値段を見てお手頃だと思えば、すぐに買ってくれる。だが、ちょっと高め(ほんの数百円でも)に値段設定すると、ガタンと売れない。もしくは、「お値引き可能ですか?」のコメントが入る。このお値引きおねだりコメントが「うざい」と言って、メルカリでの取引が面倒になり、辞めてしまう人も多いようだ。あるいは、買う前にあれこれ細かいことを質問してきて、あげく「検討します」と言って、いなくなる人も多い。こうしたやりとりは、売り手にとっては非常に面倒だ。手数料や売り手負担の送料を除けば、手元に残るお金は数百円、なんていう取引だったら、なおさらだろう。しばらくメルカリを続けていると、なんとなく、この手の面倒な質問を避ける方法が分かってきた。どんな質問が来るか、だんだん分かってくるから、最初から説明文に質問されそうなことをすべて書いておくのだ。買い手側の立場に立って、知りたい内容を網羅しておく。お値引きおねだりコメントを避けるのは簡単。「お値引き不可」と書いておけばいいだけだ。つまり、「この値段で売れないなら、もう売らない」と割り切ること。買い手は、発送する側の梱包作業のわずらわしさなんてのは、あくまで他人のやることなので、口先以外では、たいして配慮もしない。欲しいモノを、できれば少しでも安く手に入れたいというのがホンネだ。その希望に沿っていたら、結局、作業に見合わない金額しか入ってこないことになり、それなら、もういっそ捨てるか、近所のリサイクルショップに持って行ったほうが簡単だ、ということになる。実際、ユーザーの声で、「メルカリに儲けさせるために、一所懸命、写真を撮ったり、アピール文を書いたり、梱包したり、発送したり――作業のわりに私の儲けは少なくて、バカバカしくなりました」というのがあった。だいたい、これがメルカリ販売を始めた人間の行きつく結論だと思う。メルカリ側からしたら、辞める人間が多くても、それ以上に始める人間が多ければそれでいいのだ。売り手の儲けが少なくても、メルカリ側には確実に手数料が入るから、それがたとえ少額の取引でも日本中でやってくれれば、その分儲かるから、「アプリのダウンロード数 〇〇!」「1日の出店数 ◆◆◆!」「総販売額 □□円!」と、自分たちにとって都合のよい数字だけを出してくる。例えば、1日当たりの総出品数に対する売上数のパーセンテージなんてのは、出さない。出てくるのは「売れたものの半数以上は24時間以内に売れている」というキラキラ文句だけ。Mizumizuは、基本「自分ではもう使わない(使わなくてもいい)けれども、状態の良いモノ」を出すようにしている。ちょっと質的にイマイチだと思ったら、必ず説明文にそれを書いておく。すると、やはり少し難あり商品には買い手はつかず、ずっと残っている。「売ってもいいけど、手元に置いておいてもいい」と思ったら、少しメルカリ内の相場より高く出す。すると、売れ筋のモノなら、買い手がブックマーク的につける「いいね!」はつくのだが、やはり売れない。みんなよく知っているな、と思う。買い手の立場になれば、誰だって相場を調べたり(ネットなら簡単だ)、状態を吟味したりする。ところが、売り手の側になると、不思議とそれを忘れてしまう人が多い。「売れる」のは、「儲かる」のとは違う。この当たり前のことを、メルカリでモノを売ってみると再確認できる。頂き物なら安めに出しても、原価ゼロだから、確かにリサイクルショップに持っていくよりはいいかもしれない。道義的な後ろめたさを感じないならば、だが。だが、自分で買ったものなら、もとの原価をはるかに下回る値段で手ばなすより、やはり愛着を持って自分で使ったほうがいい。これが、CtoCの売り手の立場で得た、Mizumizuの結論だ。
2018.05.01
楽天ブログを続けていることからもお察しいただけると思うが、Mizumizuは楽天ユーザーだ。だが、このごろめっきり楽天で買い物をする回数が減っている。昔、楽天をよく利用していたころに書いた楽天のメリットは、「ポイントの使い勝手の良さ」だった。そのメリットが時間とともに薄れてきたのが、楽天で買い物をしなくなった最大の理由だ。他社も楽天に負けないくらい「使い勝手の良い」ポイント制度を作ってきている。それと、楽天で買うのがさほど「安くない」ことも大きい。値段だけだったらたいていアマゾンで買う方が安い。店舗販売もさすがに、ネット通販の価格付けを学んできているから、以前のような価格差がなくなってきた。ネット上にモールを作り、ポイントで顧客を囲い込み、成長してきた「BtoCにおける楽天モデル」はここにきて、かなり行き詰っている感がある。そして時代はCtoCという新たな潮流ができている。楽天のCtoC戦略の柱になるアプリが「ラクマ」だろう。「販売手数料無料」を大々的にアピールし、先行するメルカリを追撃する…ハズだったが、現実には、あまりうまくいっているとは思えない。Mizumizuも一年弱前からCtoCに足を踏み入れた。始めようかと思ったきっかけは、買って1年もたたないうちに不要になってしまった電化製品を処分する必要に迫られたからだ。リサイクルショップに持っていっても二束三文だし、「もしかして、そのうちにまた使うかな」といったんはロフトに上げたものの、こういうことをすると、ロフトにおきっぱなしのまま、何年も経ってしまい、結局は捨てるハメになるのが、ほぼ見えている。「いつかは…」と思ってしまいこんだものの、そのいつかが全然訪れずに不用品が溜まっていく一方。だったら、「買って1年もたたない」うちに、少しでも高く売ったほうがいい。そう割り切ってダウンロードしたアプリが「メルカリ」と「フリル(現在はラクマに統合)」だった。フリルは当時から販売手数料なし、メルカリは販売手数料10%。結果は…メルカリのほうが早く売れたのだ。そこでもう1つ出してみた。同じくメルカリとフリルに。結果は…また同じだった。メルカリのほうが早く売れた。昨今テレビCMでさかんに「売れたものの半分以上は24時間以内に売れている」と宣伝しているメルカリだが、そこまで早くは売れなかった。で、少しずつ、Mizumizuにとってはもう不要だが、まだ十分使えるものをヒマヒマに出すようになった。メルカリだけに。なせフリルに出すのをやめたのか? まぁ、単純な話、2か所に同じものを出品するのが面倒だったからだ。出品の手間そのものは同じことをするだけなので、それほど面倒ではないが、一方で売れたらすぐに一方を販売停止にしないといけないし、売れたほうの発送の準備などもある。そういう手間まで考えると面倒だし、メルカリのほうが早く売れると分かってるから、フリルに出さなくなったという単純な話だ。で、メルカリで出品し始めると、メルカリ独自の送料の設定なども分かってくるし、メルカリのほうが出品数が圧倒的なので、CtoC市場でのモノの「相場」も調べやすい。、送料の設定は微妙に違い、フリルもメルカリも大差ないといえば大差ないのだが、安いモノを売った場合はメルカリのほうが若干送料は安く済む(今のラクマの設定している送料は、知らない)。1年弱の時間が流れて、フリルはラクマに統合され、今は売上申請までの期間や1万以下の場合の手数料などを考えても、出品する側にとってはメルカリと比べて、むしろ有利に思えるから、メルカリをやめてラクマに引っ越そうかな、と思わないでもない。思わないでもないのだが、やらない理由は?これまた単純な話、出品数(つまりユーザー)の少なさだ。出品数が少ないから、欲しいと思ったものも、あまりない。たとえばだが、「シーアイランドコットン」の「バスタオル」が欲しいと思って(だいたいタオル類は、いただきものを安く出品している人が多いので、高品質なタオルは、買い手にとってはねらい目商品の1つだ)、検索してみる。メルカリだと何点かヒットしてくる。ラクマだとゼロ。つまり、メルカリは人が多いから、さらに人が集まり、ラクマは人が少ないから、人が集まりにくい、というだけの差。「だけの」だが、この差が案外大きく、なかなか埋まらない。いったんメルカリに慣れたら、「販売手数料10%」の違いだけだと、なかなかラクマに引っ越そうとは思わないのだ。もともと何万もするようなものは、よっぽど、例えば20万のブランド品を2万で出すとか、そのくらい買い手に有利でなければ売れないのだ。ラクマは高額商品を出してもらいたいのだろうが、CtoCをやるようなマメなユーザー(買い手とのやりとり、梱包などは、ハッキリいってかなり面倒だ)は、もともとちょこちょこしたモノでも、売れればいいな、ぐらいの庶民が多いし、使うほうも個人売買であまり高額なものは買いたくないから、数百円とか数千円レベルの取引が多いのだ。ラクマ側は「メルカリより有利にしてやってるぜ」と思っているかもしれない。「販売手数料ゼロ」は思い切った戦略だと思っているかもしれない。だが、売り手にとっては「早く売れるほうがいい」し、買い手にとっては「たくさん選択肢があるほうがいい」。メルカリを本気で「追撃」するつもりなら、もっと思い切ったやり方で人を集めなければダメだ。ラクマの使い方を見ても、結構細かい決まりが多く(たとえば売上金を使っての購入に制限があるなど)、読んでると面倒でやる気がなえてしまう。いったん人が集まって囲い込みができれば、多少システムの、ユーザーにとっての「改悪」があっても、人は逃げない。メルカリを使ってはいるが、メルカリに満足しているかというと、実はMizumizuはそうでもない。ユーザー同士の自由な取引に任せっぱなしで、メルカリ事務局に問い合わせをしても返事がなかなか来ないとか、厚さが5センチ以上あるようなワレモノをメルカリ便で送ろうと思っても、実は1000円以上の値付けでないとダメで、それはこっそりQAの分かりにくいところに書いてあり、知らないまま売ってしまうと、最後の土壇場、発送の段階にならないと気付かないとか、不親切な落とし穴も多い。企業体として見ても、送料にまで買い手任せで手数料10%を取り(送料を買い手持ちにしたら売れ行きがガタンと落ちるので、買い手が売値に含めて出品せざるを得なくなる)、面倒な梱包も、「(買い手からの評価が落ちるので)丁寧に梱包しましょう」などと売り手を「教育」し、自分たちは、やれアメリカ進出だの、上場するのしないのと、大風呂敷を広げている株式会社メルカリよりも、これまでの実績とユーザーとしての経験から楽天株式会社のほうが、まだ信頼できる。ラクマの販売手数料0円は魅力的だし、もっと人が集まればメルカリから引っ越したいな、と思っている潜在的なユーザーは多いはず。思ってはいても、Mizumizuのように、検索してヒットしてくる数に少なさに、「こりゃ引っ越しても売れないな、ダメだ」と様子見しているユーザーも。楽天にはもうちょっと踏ん張って、頑張ってほしいところ。
2018.04.21
しばらく山口県の実家に帰省していた。その折に起こった事件(?)。まずMizumizu母が夜道で転倒して、顔面流血・膝強打の憂き目に遭う。しばらくはケガのケアに気を取られていたのだが、ふと、その時に着ていたトクコ・プルミエヴォルのワンピースをクリーニングに出していないことに気づいた。Mizumizu母によると、「だいぶ血が出た」らしい。衣類についた血は自分でふき取ったとのことで、地色が黒のワンピースは、確かにぱっと見には血がついているようには見えないが、こういうシミは後から目立ってくるものだ。しかも、このトクコ・プルミエヴォルは大胆な花柄モチーフの、カラフルな刺繍がふんだんに施された非常に手の込んだもので、当然お値段もそれなりのものだった。どこにクリーニングに出そう? まずは、Mizumizu母がよく行くスーパーの横にあるチェーン店のクリーニング店に持って行った。シミの話をすると、シミ抜きは範囲によって値段が違うと言われ、黒地なので範囲を特定するのも難しく、いかにも取りつぎだけの事務的な対応に不安を覚えた。そこで、Mizumizu母の友人が「他の安いクリーニング店では取れないシミも取ってくれる良いクリーニング店」と紹介してくれた、家族経営の小さなクリーニング店に持って行った。その店は、桜並木のきれいな川沿いにあり、古い木造家屋。いかにも昔からやってる個人のクリーニング店で、おばあさんが受付してくれた。シミについても、「ここらへんに血がついてしまって」と説明すると、慣れた風情で快く引き受けてくれる。ちょうど別のお客さんが入ってきて、チラと見るとディオールのタグのついた洋服を預けている。やはり、高級な洋服を持ってくる人が多いんだな、と安心してお任せした。のだが…のだが!出来上がり予定日の翌日に取りに行き、自宅でビニール袋を取って気づいた。「変な臭いがする!」なんというか、生乾きの雑巾というか、カビ臭というか、はたまた浮浪者臭というか? とにかく、恐るべきいや~な臭いだ。さっそく電話すると、受付してくれたおばあさんが出て、「はぁ? うち、そんなこと言われたことないんですが!」と、打って変わった不機嫌な口調。そのあからさまに敵対的な口調に、やや怪しいものを感じる。だって、長年商売やってて、まったく、全然、誰からもその手のクレームをつけられたことがない、なんてあり得るだろうか? Mizumizu自身も、1回だけだが、この手の個人クリーニング店にスカートを出して、この手のいやーな臭いがついて戻ってきたことがある。ともかく、「そんなこと言われたことない」と言われても、変な臭いがついてしまったのは事実だ。なので、さっそく店に持っていくことにした。店に着くとおばあさんはいなくて、その娘とおぼしき女性がいた。クレームは承知していたようで、ワンピースに顔をくっつけ、さかんに嗅いで、しれっと言った言葉が、「私には臭わない」。誰が嗅いだって分かる悪臭を、臭わないと主張する根性も、たいがいだ。「うちでは誰が嗅いでも臭いと言いますが」と、こっちも主張。そうすると、変に脇の下のあたりを嗅ぎまわり、「これ… 体臭?」と言い出した。そして、「体臭はドライクリーニングでは落ちませんから」ときた。確かに体臭のようにも感じるが、Mizumizu母は、ただでさえ体臭の少ない体質なのだ。自分たちでくっつけてきたくせに、まるで最初からこちらの体臭がついていた服だと言わんばかり。脇の下をさかんに嗅いでるが、実際に臭いのは服全体。「体臭のような臭いを取るには、いったん水に落として洗わないといけない」などと説明し始める。水に落とすとカラフルな刺繍の色落ちも心配だし、そもそも服のタグに、「ドライクリーニングは水分を極力避け、できるだけ短時間でお願いします」とわざわざ注意書きが書いてあるほど繊細なつくりのワンピースなのだ。「どうしても気になるなら、ファブリーズをかけて、風通しのよいところにおいておくといいですよ」などとも言い出す。いやしくもプロのクリーニング屋がファブリーズを奨めてるところで、「ダメだ、こりゃ」と見切りをつけた。この状態の服にファブリーズなんてかけたら、もっとマズいことになる。「ファブリーズ的な消臭剤を使ってクリーニングする店もあるけど、うちではやってない」と、あくまで対応する気はゼロ。消臭剤を十把一絡げに「ファブリーズ的」とか言っちゃってる時点で、もう、ね。こちらが、「ついてた血はきれいに落としていただいたと思うんですけれども」と言うと、「だいぶついてましたよね」などと、分かったようなことを言う。つまりアナタ、クリーニング作業にかかわったということか? なら、この異臭の原因だって心当たりがあるんじゃないんですか? 乾燥時に失敗したか、イヤな臭いの他の服と一緒にしていたか、何か原因があるはずだ。だが、この上っ面な口調のおねーちゃんが、素直にミスを認めたり、原因を予想したりはしないだろう。対応していたおばあさんも出てこないし、家族経営の小さな店にこれ以上クレームして、代金(1860円、シミ抜き代があるとはいえ、わりと高めだ)を返してもらうのもお互いに気分が悪いだけだし、といって再クリーニングしても、「ドライクリーニングで、臭いは落ちません」と豪語してる店で良い結果にならないのは目に見えている。引き下がると見たとたん、「すいませんねぇ。気分の悪い思いをさせて」などと謝り始めるおねーちゃん。これが日本人だ。許してもらえると見るや、やたら謝り始める。すいませんと言うなら、何か対応すべきでしょうが。逆に、あくまで自分が悪くないと信じているのなら、謝罪する必要はない。家に持って帰って、しばらく吊るして様子を見たが、数日たっても悪臭が抜けていく気配はない。山口の地元で良いクリーニング店はないかと、ネットでさがしたり、Mizumizu母が友人に聞いたりしたが、対応できそうな店は見つからなかった。以前、Mizumizuが個人経営の店で臭くされたスカートは、別のドライクリーニング店にふつーに出したら、ふつーに臭いは取れたのだが、あのスカートと今回のMizumizu母の服は、モノが違う。別のふつーのドライクリーニング店にふつーに出して、悪い結果になったら、さらに面倒だ。なので、遠隔地でもいいから、ネットで最高級クリーニングを謳う店を見つけることにする。福井の「コンシェルジュ・テラマエ」がヒットしてきた。1着1着、それぞれの状態に合わせたクリーニングを行うそうで、クリーニング剤も豊富に揃えているよう。ホームページにもお金をかけており、実績もあるようだ。さっそく、フリーダイヤルにかけて、これこれで…と事情を話すと、「消臭クリーニングも対応可能です」というので、宅急便で送り、洗ってもらうことにした。服が先方についたころに、電話すると、「今現物が手元にありますが」という担当者と話すことができ、「確かにイヤな臭いがしますね」「いったんやってみて、またご連絡します」とのこと。臭いをくっつけてきたクリーニング店で、ファブリーズを奨められたと話したら、さすがに呆れていた(笑)。何日か経過して、「臭いは取れました」という電話連絡が入る。発送の手配をしてもらい、到着したワンピースをチェックした。すっかり臭いは取れている!良かった。もちろん、お値段は山口のクリーニング店なんて、くらべものにならないほど高い。安い服なら買える値段だが、そのぐらい出してもきれいにするべき服というのもある。しかし…あの家族経営の店も長くないだろう。あのミスにあの対応では先が見えている。おそらく「確かな腕前」で地元マダムの支持を受けて長年商売を続けてきたのだろうけれど、二代目…か三代目か分からないが、娘がアレじゃこれまで培ってきた信用も台無しだ。山口では安さを売りにするクリーニングチェーン店ばかりが目についた。職人の店は、職人自身の腕が衰えたら終わり。その時に昔のプライドを振り回したら、ますます凋落は早くなる。地域の職人はいなくなり、「確かな腕前」の店はネットでさがす。そして、段違いに高いプライスを払って、満足を買うことになるのだろう。二極化というのは、こういうところにも現れてきている。
2018.04.02
前回のエントリーで書いたNexus 5X(LG社)再起動ループ。マックラな画面からgoogleが一瞬立ち上がろうとし、すぐに切れて同じ動作を繰り返す現象。Y! Mobileの店舗に持って行って、LG社へ修理の見積もりをお願いした件。その後どうなったか?結論から言うと…やはり事実上のリコールだった模様。なぜなら、メーカー側が基板故障を認めて、無料で新しい基板に交換して戻ってきたからだ。保険には入っていなかったから、2年弱での故障なら当然修理代がかかると思っていた。しかし、「Nexus 5X 再起動ループ」で検索するとこの故障に見舞われた人の体験談がやたらとヒットしてくる。つまり頻発しているのだ。買って2年で基板故障って… ないよなあ。次はLG社のスマホは避けよう、と思っていたところに無料での修理。よっぽどこの故障の事例が多かったんだろう。お気の毒なのは、修理代を払ったユーザーだ。Nexus 5Xを使っていて、同じ目に遭ってしまった方! おそらくこれからも頻発するハズなので、このブログに行きついた人は、無料で修理してもらいましょうね。万が一修理代がかかると言われたら、このブログを見せて、1年11か月で基板故障して、保険に入ってなかったユーザーが無料で修理してもらった事例がありますよ、と粘ろう!戻ってきたスマホは、ちゃんと使えている。ただ、LINEだけが、登録したメールアドレスとパスワードが分からなくなり、「これだろう」と思ったメールアドレスをいくつか入れて、「パスワードを忘れた方」のためのルート。つまりLINEからメールで新しいパスワードを教えてもらい、再設定するルートをたどろうとしたのだが、入れたメールアドレスにはLINEから返事が1つも来なかった。一体どのメールアドレスを使ったのだろう? Mizumizuは法人を所有していて独自のドメインを持っている。それを最近変えて古いドメインは抹消したのだが、もしかしてそのドメインを使ったメールアドレスで登録していたのかもしれない。結局LINEは復活させることができず、消えて(消して)しまった。まぁ、最近LINEも使っていないからいいか。というわけ。「基板のはんだ付けが、甘かったんですかねえ。振ったらなんか音がしてたし」と店舗のおにーちゃん。案外そんなところかもしれない。こうして、「文鎮」化したスマホが復活して、便利と言えば便利だが、スマホに振り回される日々が戻ったといえば、そう。
2018.03.10
MizumizuはスマホをLG社のNexus 5Xを使っている。2年前の3月末に買ったので、1年11か月使ったことになる3月1日の夜。急に画面がマックラになり、googleマークが現れては消える、いわゆる「再起動ループ」が発生した。端末横のボタンで再起動させて普通は直る…かと思いきや、直らない。仕方ないのでネットで情報をさがす。と、いっぱい出てきた、同じ症状で悩んだ人が。Nexus 5Xは高機能をうたった機種だった。そのせいかどうなのか、この手の分野に詳しい人が使っているようで、書いてる説明もとても分かりやすい。リカバリーモードでファクトリーリセットができるかどうかが肝のようで、https://iyhlab.info/?p=176さっそく試すが、リカバリーモードが進んでくれない。そういう状況になって困った人もいるようで、ちゃんと情報があった。https://fuji88udon.com/nexus5x-trouble/↑この人のやったことをそのまま辿り、同じくダメだという結論に達した。https://fuji88udon.com/nexus5x-trouble-battery/↑ここまでやってる…すごい! これはさすがにマネできない(しかも、マネたところで失敗する)。なので、もうこれは修理だと翌日(つまり今日)、契約してるキャリアのY! mobileショップに出かける。この店、いついっても30分以上待つ。なので、今日は開店11時の5分前から並んだ。「並んだ」というのは、つまりすでに先に並んでる人がいたからだ。並んだおかげで5分待ちで店が開いたらすぐスタッフに対応してもらえる。いろいろ話す。「直前にシステムのアップデートしましたか?」「しました」「アップデートすると重くなっちゃうんで、固まることあるんですよね」「でも、それなら何とか復旧できると思うんですけど、今回は全然ダメで」スタッフの男性もネットで調べたり、simを抜いてみたり、「初期化は… あ、できない」など、まぁ、ネットでMizumizuが辿ったのと同じルートをたどり、「重くなったからって話じゃないですね、これは。もしかして、基板がやられたかも」と推測。基板やられたってさー、最近はろくすっぽ外出せずに仕事、仕事、仕事だから、ほとんど持ち歩いてさえいないし、別に落としたとか乱暴に扱った覚えもない。なのに、1年11か月で基板がイっちゃったんですか? 繊細すぎるぞ! 美人薄命ならぬ高機能短命ですか?ショップの隣りの席では、ポケットWifiが3月1日から急に使えなくなったと、おじさんが怒ってる。そっちは通信の問題なのか、ポケットWifi本体の問題なのか知らないが、急にこういうことになると、本当に困るので、気持ちはよく分かった。Mizumizuのほうは、いったん修理の前に見積もりを取ってもらうことになり、代替機ももらった。代替機ではsimはそのまま使えたから、やはり本体の問題。修理見積をもらってから、修理するか機種変更してしまうか考えることにしたが、家に戻ってから、以下の記事を見つけた。http://breakthrough1020.hateblo.jp/entry/2017/03/13/234825まったく同じだ…この人は格安スマホを使っていたから、LG社に診断依頼して、それだけでお金を取られてる。Mizumizuは一応Y! mobileのほうで見積もりまでは無料。でも、修理代が新しい機種代と同じぐらいするのは、どうやら見えてきた。ハーッ! めんどくさい。対応してくれた若いスタッフの男性は、「だいたいスマホは2年ぐらいで機種変するから…」と言うが、内心(あーたの年代の2年は今のアタシには2か月だよ!)と思う。←これは実感を伴う本音ね、ちなみに。馬鹿高い修理代を払った上記の「IT系会社員」の方も、次はLG社は避けようとのこと。これまた同感、同感。1年11か月で基板がイっちゃうなんて、いくら高性能で使いやすくても意味ないよ。あーあ…追記:こういう記事も見つけた。https://sumahoinfo.com/nexus-5x-with-bootloop-issue-get-full-refund-fro-lg-google-nexus-recallどうなることやら? LGの返事待ちだ。
2018.03.02
平昌五輪の女子シングルの女王は、個人的にはメドヴェージェワ選手だと思っていることはすでに書いたし、今のその考えに変わりはない。同じことやってるだけなのに、五輪が近づくにつれ演技・構成点がどんどん爆上げされていく選手がいるのは、バンクーバー五輪に端を発する「流れ」なので、それについてはもう今さら触れないが、けがをする前は「敵なしの絶対女王」だったメドヴェージェワ選手のジャンプの技術に対して、実はかねてからMizumizuにはどうしても気になる点が2つあった。まず1つはルッツのエッジ。シニアに上がってきた当時からメドヴェージェワ選手のルッツのエッジは非常に疑わしく見えた。にもかかわらず、判定は一貫して彼女に甘かった。明らかなwrong edgeとまでは言えないかもしれないが、といって明確にしっかりアウトサイトにのっているとも言いきれない。ちなみに五輪前のヨーロッパ選手権では!(アテンション)がついたが、減点はなく、やや加点が抑制されたかな、ぐらいの採点。もう1つは連続ジャンプの「間のび」。これはソチでのロシア代表シングル女子にも見られたが、最初のジャンプを終えて次のジャンプにいくまで、ひざを曲げ、腕を振るようにしてかなり「構え」てから跳ぶ。簡単に言うとポンポーンと跳ぶ感じがないのだ。後者については今のルールでは、他の高品質要素があれば減点の対象にならないようで、その傾向はソチから一貫しているから別にメドヴェージェワ選手だけに甘いという話ではないが、前者のルッツはどうにもスッキリしない。もしメドヴェージェワ選手がルッツが得意なら、ショートにも入れるはずだし、フリーにも2度入れるだろう。アクセルジャンプについで基礎点の高いジャンプなのだから。ザギトワ選手はショートに1回、フリーに2回ルッツを入れ、さらにフリップもフリーに2回入れている。で、オリンピックのフリー。メドヴェージェワ選手のルッツのエッジはどうか…と目を光らせるつもりでもちろん録画もしたのだが、OH! NO! カメラが彼女のルッツのときに突然上方に切り替わり、よく見えなかった!しかし、その視点からだと、やはり若干インサイド気味に見えたのだ。画面では黄色の「審査(レビュー)」の印がついた。回転不足はないジャンプだから、当然これはエッジの判定のためのレビューだ。が、やはりというか、ルッツに!もEも入らず、そのまま加点ジャンプとなった。だから、メドヴェージェワ選手の平昌五輪でのルッツは、あまり信頼がおけるとはいえない技術審判団にとってはちゃんとしたルッツだったのだろう。五輪技術審判団に認められるルッツ(しかも加点も2以上でモリモリ)が跳べるんだったら、なんでショートに入れないのだ? なんでフリーで2回跳ばないのだ? ひるがえってザギトワ選手は、ルッツをショート1回、フリーに2回入れて、Mizumizuの記憶では、シニアに入ってエッジに疑問符がついたことはない。フリーにはルッツの次に基礎点の高いフリップも2度入れている。これは、マジで「最強」のジャンプ構成だ。後半に入れる凄さと、反面後半がジャンプばかりになるバランスの悪さばかりが言われているが、ザギトワ選手の「エッジに不安がない」強さはもっとクローズアップされていい。これまでずっと続いてきた五輪女王の条件。それは2回目につける3回転を回転不足なく回れること、そして3ルッツをエッジの不安なく跳べることだとMizumizuは書いた。そして、今回もなぜか、そうなったのだ。これは単なる偶然かもしれない。たとえば五輪が去年開催だったら、メドヴェージェワ選手に対抗できる選手はいなかった。ルッツが1回でも、手をあげて跳べるとか、映画の物語の主人公になりきれる表現力だとかがクローズアップされて、彼女のルッツのエッジが微妙であることは、忘れ去られたかもしれない。だが、1点、2点を争うガチンコ勝負になったとき、モノを言ってくるのは欠点のない技術力。今回女王になったザギトワ選手に揺るぎないルッツがあったことは、メディアで誰も指摘しないからこそ、Mizumizuが書いておきたい。男子シングルにもやはり、隠された王者の条件があったと思う。それはトリプルアクセルの強さ。4回転が勝負を決めると言われ、実際にそう見えるが、羽生選手は2つ目の4回転トゥループを連続ジャンプにできなかった。単独ジャンプが2回になると基礎点が削られるから、これは見た目以上に大きな失点になる。ところが、その直後に3A+1Lo+3Sを決めてしまう。これができたからこそ、66年ぶりの快挙もあった。エキシビションで回転を遅らせたアクセルジャンプを見せ、そのあとすぐ3回転アクセルを見せていたが、あれぞ羽生選手の真骨頂だ。五輪王者にふさわしい資質を備えながらシングル個人の金メダルのなかったランビエール選手やパトリック・チャン選手と羽生選手の違いを1つ挙げるとすれば、やはりMizumizuにとってはこのトリプルアクセルの技術力の差になる。メディアでは、後半にジャンプをかためることの是非や男子の4回転の話ばかりになっている。時代は流れ、技術は進み、3回転ルッツやトリプルアクセルが女王や王者を決めた時代は過去のものになるかもしれない。だが、今は少なくとも、やはりこの原則は生きている。
2018.02.25
平昌五輪フィギュアスケート女子シングルが終わった。Mizumizuが指摘したソチ後にますます女子シングルで強まった、「少女潮流」を象徴するような女王が誕生した。年齢的にも、ギリギリで出場が認められた15歳。絶対女王と目されていたメドヴェージェワが故障すると、すぐさまその座を脅かす存在として台頭してきた、勢いも実力もある選手。男子シングルで日本人選手がワンツーを取ったとき、「これでロシアのワンツーも決まったな」と薄々感じた人も多かったと思う。ザギトワは素晴らしい選手だが、表現面では、例えばバレエ風のポーズなどは、決めが不十分なまま次のモーションへいってしまう「粗さ」がある。技術的にはジャンプが決まれば凄いが、失敗すると見事に転倒になってしまうこともあり、ここまで急激に評価を伸ばすとは、正直思っていなかった。シーズン初めのロンバルディアトロフィーではフリーの演技・構成点が67.52点(技術点では79.65)で、日本の樋口選手のほうが高い評価だったのだ。ところがところが、オリンピックの演技・構成点は75.03点(技術点は81.62点)。技術点は高いが、演技・構成点はまだまだの若手… だったはずが、ワンシーズンでこんなにも盛られ…いや高評価になった。どーにでもなる演技・構成点の正体が、ますます明らかになった感がある。とはいえ、スポーツ競技としてみると、団体戦の時のような意味不明の厳しい回転不足判定もなく、1位・2位を争う選手に対する演技・構成点での露骨な点差付けもなく、金メダルを争う選手たちに対しては、非常に公平だったと思う。というか、ジャッジにとってもどっちでもよかったのだろう。点差もわずかでどちらが勝ってもおかしくない。個人的にはメドヴェージェワの演技のほうが女王にふさわしいと思ったが、若いザギトワの勢いが勝った。これもオリンピックではよくある話だ。そして、ロシアの「女王製造システム」の凄さ。バンクーバー後にソチに向けて始まった女子シングル選手の強化が、ここにきてゆるぎないものになった感がある。この4年の間に、何人のロシア人女王が入れ替わっただろう。彼女たちはまるで女王製造マシンのベルトコンベヤーにのって出てくるかのよう。ルールを完全に攻略し、どうやったら高い得点が得られるか、緻密な計算のもとに徹底的に強化された、精密機械のような選手たちだ。次々にシステムから運ばれて出てくる選手で、平昌のタイミングにぴったり合ったのが、たまたまザギトワ選手だった…という印象。これはロシアのバレリーナ育成プログラムに、ある程度似ているかもしれない。才能のある選手を徹底的に選別し、厳しいトレーニングで完璧に育て上げる。フィギュアスケートでは、ジャンプがカギで、ロシアの女子選手はジャンプのピークが非常に早い(若い)という欠点がある。だが、表現力の面でも早熟で、若いころから大人顔負けの演技をする。手足が細く長いから非常に見栄えもする。ザギトワ選手はすぐ跳べなくなるだろう。ソチで輝いたロシア人女子選手、その後女王の座についたロシア人選手があっという間にいなくなったように。ジャンプ重視の採点を続ければ、高難度ジャンプを跳ぶ若い選手は出てくるだろうが、女子の選手生命はますます短くなってしまう。今でさえ、あまりにも短いのに。スポーツとしての側面を追求すれば、当然そうなる。だが、これからは?男子シングルで中国人の演技審判が露骨な身びいきをしたとかで、ジャッジのボロもだいぶあからさまになってきた。今回だって、回転不足の取り方が団体戦と個人戦でまるで違う。そろそろまたガラガラポンにする時かもしれない。しかし、試合そのものは素晴らしく、メダルの3人はみな驚異的なパフォーマンスだった。日本人選手もソチのときのような「自分史上ワースト」な出来ではなく、2人とも出色の出来だった。それだけでも大きな収穫だ。女子でコストナー選手がメダル争いに絡んだというも素晴らしい。しかも、ルッツを跳んでガチンコ勝負に来た!!フィギュアスケートは終わったが、羽生選手が66年ぶりの連覇という偉業を達成し、ロシアも女子ワンツーで強さを見せつけ、パトリック・チャンもついに団体戦で金メダルを手にした。長く苦難の時を過ごしたアメリカの長洲未来選手も団体戦でメダル。報われなかった選手も多いが、報われた選手も多かった。その意味では団体戦の意義も大きかったなと思う。
2018.02.23
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