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愛方と見ているテレビドラマは、大河ドラマと朝ドラです。ともに現代人が面白おかしく創作したフィクションですが、愛方にはそれが事実かどうかがとても気になるようです。気になるのは自然なことですが、いちいち私に尋ね「正解」を求めてくるのでちょっと煩わしいです。紫式部は、生年も素性も詳しいことは不明なのですが・・・。大河ドラマについては、Eテレで「源氏物語の女君たち」というのをやっているので、ドラマ理解のために一緒に視聴しています。番組に出演している女子大生の反応が興味深いです。光源氏が愛した8人の女君(おんなぎみ)を矢作兼と女性ゲストが深掘り 趣味どきっ!「源氏物語の女君たち」(全8回) |NHK_PR|NHKオンライン朝ドラもあと1か月ですが、期待した米国公演とそれに伴うあのジャニー喜多川は描かれないようです。マネージャーの山下役を演じるのは近藤芳正です。どちらかというと私のイメージでは悪人役ですが、今回は善人役のようですね。今週のマネージャー交代劇もそのように描かれていて、愛方も違和感なく信じ込んでいるようです。タイミングよくというか、ドラマの進行に合わせて「事実」に関する記事が載っていました。笠置シヅ子が信頼した男は大金を使い込んでいた…朝ドラでは美化された絶頂期のマネージャー交代劇の真相 (msn.com)からです。スズ子のモデルとなった笠置シヅ子の史実を様々な資料で読んでいくと、山下のモデルとなったマネージャー・山内義富のとらえにくい人物像が浮かんでくる。山内は、笠置と同じ大阪出身で、海外から来朝した音楽家の世話をしたり、その後コロムビアレコードに勤務したりしてきた経歴があり、笠置シヅ子は自伝『歌う自画像:私のブギウギ傳記』(1948年、北斗出版社)で次のよう記している。「山内さんは癖の多い私を親身になって世話してくれ、単に仕事上のマネージャーにとどまらず、私の人生の参謀になっております。いいえ、もう私の兄さんか叔父さんみたいな関係かもしれません」笠置シヅ子『歌う自画像:私のブギウギ傳記』(1948年、北斗出版社)ドラマでは愛助が療養で帰阪する前、笠置と2人で箱根旅行に行くが、史実では愛助のモデル・吉本エイスケと笠置の箱根旅行にもマネージャーの山内がついて行っていた。また、笠置の妊娠がわかった際には、慎重に事を運ぶよう助言したり、手紙では要領を得ないからと、直接会って相談することを勧めたりもしていた。年の瀬に名古屋に地方興行に行った際には、元日だけは一人でお雑煮を祝うのも寂しいだろうということで「今日だけは僕がエイスケさんの身替りを勤めましょう(原文ママ)」と山内が言い、笠置が「えらい薹(とう)の立ったエイスケさんやな」と笑ったという記述もある。また、エイスケが亡くなったとき、吉本家からの見舞金を納めておいたほうが良いと勧め、「しかし今後、物質的援助は謝絶し、あくまで自立の覚悟で奮発すべきだ。ただ、お見舞金の封筒は吉本家との関係を証明するものだから大事にしまって置いた方がよい(原文ママ)」と進言したのも、山内だった。笠置の自伝への寄稿「歌姫の構図(笠置シヅ子を語る)」の中で、演劇評論家・旗一兵は山内の存在についてこう記している。「山内氏はエイスケ君の信望によって笠置君を預けられた人だがエイスケ君の死によって一層その関係は深められ、今は単なるマネージャーではない。血縁者に近い存在であり、笠置君に対する人生の保護者と忠告者を兼ねている。最初のうちはお互いにぴったりしたものがなかったかも知れないが、住宅事情からここ二、三年間同じ家に住んでいるのも二人の気脈を通じさせ、真ッ裸で取り組んだ歌手対庇護者の人間模様が捨小舟(すておぶね)の母子の生活を温めている」笠置シヅ子『歌う自画像:私のブギウギ傳記』(1948年、北斗出版社)一緒に暮らしていた時期も含め、史実ではドラマ以上に近しい間柄であったことがわかる。しかし、笠置に「兄さんか叔父さんみたいな関係」と信頼されていた山内には、意外な“裏の顔”があった。タナケンのモデル・エノケン(榎本健一)と「エノケン・ロッパ」と並び称されて人気を競った喜劇役者「ロッパ」こと古川ロッパ(古川緑波とも)は、笠置とも親しかったが、『古川ロッパ昭和日記』(1987年に晶文社より復刊)の「昭和二十五年五月十五日(月)」の日記中には、こんな記述が見られる。「そこから、藤田(編集部註:脚本家、劇作家、映画プロデューサーの藤田潤一)と共に、数奇屋茶屋へ行く。今日は、メムバーの皆で飲まうぢゃないかと、約束したので。ところが呆れたのは、山内義富が数奇屋の奥で又やってゐるのだ。彼は、三日目の筈である。彼、笠置のマネージャーをクビになり(二百五十万円、笠置の金をつかひ込みし由)、雀の他何ものもなしの状態らしい」ところで、笠置が羽鳥善一(草彅剛)のモデル・服部良一と4カ月のアメリカ公演に旅立つのが、昭和25年6月。なんと山内は、笠置の渡米直前の大事な時期に笠置の金を使い込んで、マネージャーをクビになったわけだ。250万円という金額は、現在なら5000万円以上に相当すると思われる。これは山内を家族のように思い、信頼していた笠置にとって、相当にショックなことだっただろう。にもかかわらず、当の山内自身は、クビになった直後に少なくとも3日間も茶屋通いをしていた。その後も、ロッパの6月21日の日記にも登場。ロッパの家を早朝に訪れ、7月8、9日の2日間、スポーツセンターでの催しにエノケンと一緒に出てくれと依頼をし、その催しが無事行われたことが7月8日の日記からわかる。つまり、山内は笠置のマネージャーをクビになり、そのことが周囲に知られている中で、笠置が渡米して不在の間に笠置の「女優業」のパートナー・エノケンやその仲間でありライバルのロッパと仕事を普通にしているわけだから、面の皮の厚さはなかなかのものだろう。笠置の苦労を誰よりも間近で見続けて来た山内が、その金を使い込んだことを思うと、よけいにその人間性に疑問がわいてくるところではある。ドラマの中でずっとスズ子を支えると誓った山下が急にマネージャーを辞める展開になったのは、この史実を反映してのことだったのだろう。 視聴者をうまく「だます」せたのは、脚本家冥利に尽きるのではないでしょう。また、描かれなかった事実も興味深いものがあります。参考:シズ子のロスアンゼルス公演の手伝いをしたのが、真言宗僧侶の父親と一緒にアメリカに居住し、高野山米国別院(別名高野山ホール)でステージボーイなど裏方をしていたジャニー喜多川であった。ジャニーはシズ子のステージを見てショービジネスに興味を持ち、ロスアンゼルス公演の後も、姉のメリー喜多川と服部・シズ子一行に同行し通訳を買って出て、この縁で服部とジャニーは交流を深めている[257]。この後、ジャニーは日本に帰国し、GHQや駐日アメリカ合衆国大使館での通訳業務を経て、夢であったショービジネスの実現に着手するが、そのときに頼ったのが服部だった[258]。ヱイ子と旧ジャニーズ事務所によれば、シズ子とジャニーは帰国後の進駐軍興行でも関わることがあって、ジャニーはシズ子のファンとなり、個人的な親交もあったという。その縁もあって、後年に旧ジャニーズ事務所所属タレントが「東京ブギウギ」や「買物ブギー」などのシズ子の持ち歌をステージで披露する機会もあり[259]、KinKi Kidsのデビューアルバム「A album」には、CDデビュー前から歌っていた思い出深い曲として、シズ子の歌手生活晩年の曲である「たよりにしてまっせ」が収録されている[260][261]。
2024.02.29
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「視察先でキャバクラ」告発 小田原市議らが「辞職強要」と被害届朝日新聞社神奈川県小田原市議会の大川裕議長ら市議5人が昨年7月、行政視察先の大阪市でキャバクラに入店し、このことを告発して「議員を辞める」よう求める文書や写真が議会側に届いていたことがわかった。議長らは12月、告発が強要未遂にあたるとして小田原署に被害届を出したという。 議会事務局によると、視察は議会運営委員会の委員8人と大川議長、篠原弘副議長、事務局職員1人の計11人が参加した。7月27日に大阪府八尾市議会、翌28日に岸和田市議会を訪れ、委員会の機能や政策討論会の事情を聴いた。 視察では交通費として計約58万円が支出され、1人に1万5千円の宿泊費も支払われた。視察時間は2日間で計約3時間30分だったという。 一行は27日夜、大阪市内のホテルに宿泊。夕食会の後、大川議長と委員4人がキャバクラに入店した。キャバクラでは「女性数人がソファで接客した」といい、5人は約1時間50分滞在したという。 大川議長は27日の本会議後に取材に応じた。取材に対し、交通費に公費を使った視察だったと認める一方で、夜間の行動については「プライベートと考えた」「不適切ではない」と主張し、反省や謝罪はしなかった。 過去の視察でもキャバクラと同等の店に「何回かは行った」といい、視察先で議員らの夜間の行動を規制することについては「プライベートの時間を縛ることはできない」とした。今後の視察のあり方についても「検討して参りたい」と述べるにとどめた。 また、告発を受けて被害届を出したことについては「議員辞職を強要されていると感じている」と説明したが、捜査を要請した理由などについては「コメントできない」とした。 一方、キャバクラに行かなかった篠原副議長は「今回の事案を受けて、視察のあり方をしっかり見直し、その成果が市政運営に生きるように変えていきたい」と述べた。 今回の問題は神奈川新聞の報道で明らかになった。市議会は「指摘された行政視察中の行動は、決して法に触れるものではありません」「旅費は適正に執行しているものです」とする一方、「市民の皆様に不信を抱かせる報道を招いたことは、真摯(しんし)に受け止めています」などとホームページに掲載した。(村野英一、村上潤治)「視察先でキャバクラ」告発 小田原市議らが「辞職強要」と被害届 (msn.com) 「辞職強要」と被害届にびっくりです。告発者をあぶりだしたかったのでしょうが、警察を使うなんてひどいです。東京新聞や毎日新聞の報道です。視察は27日午後の八尾市が1時間半、28日午前の岸和田市が2時間だった。 初日の日程を終えた視察団は午後8時ごろまでに夕食を済ませたが、大川議長と男性市議4人、職員1人はその後、宿泊する大阪市でキャバクラなど3軒を深夜まではしごした。大川議長はキャバクラに行った経緯について「道端で声を掛けてきた人の紹介で入った」と説明。過去の視察でも同様の行動があったかどうかを問われると、「3回は市議たちと行った」と認めた。被害届の提出を巡っては「辞職を強要されたと感じた」と主張。告発者を特定するための圧力という見方もあるが、「議長としてではなく、一市民として出した」と答えた。行政視察中にキャバクラ 小田原市議会議長ら6人、深夜まで3軒はしご 「不適切ではない」と説明 (msn.com) 大川議長は27日夜、視察メンバー全員と夕食会に参加。その後、議員と職員の5人と一緒に午後8時半~10時半ごろ、大阪・心斎橋の熟女キャバクラ店に滞在した。さらに別のバーに入店し、28日午前0時半ごろにホテルに戻ったという。視察は3時間半だったのに対し、遊興には約4時間を費やした。小田原市議長ら、視察先で熟女キャバクラ 公務超える4時間遊興 (msn.com)心斎橋でポン引きにつかまって熟女キャバクラに連れて行かれたようですね。いくらぼられたのか気になりますが、朝日に比べると生々しいですね。それにしても熟女キャバクラなんてのがあるのですね。ピンサロとは違うのでしょうか?視察時間よりも長く、力が入っていたようです。それにしても、つきあわされた市職員があわれです。参考:市議会の吉野るみ事務局長は、市職員が深夜まで市議に同行したことについて「プライベートは自由。翌日の視察に影響しておらず、問題ない」と語った。(東京新聞) 議会事務局職員も視察中にキャバクラ店で遊興したことについて、吉野るみ議会事務局長は「(職員の行動は)プライベートの時間なので問題はない。今後は自分で判断してほしい。節度のある行動をするようにと伝える」と説明した。(毎日新聞)余談ながら、出張にかこつけて温泉宿に泊りブログアップしていたネット右翼がいたことを思い出しました。こちらもプライベートなのでしょうが、・・・。
2024.02.29
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ストーリー:1880年代のインド・ラホール。英字新聞ノーザン・スターの特派員ルドヤード・キプリング(クリストファー・プラマー) は、深夜のオフィスで独り原稿を書いていた。ふと背後に人の気配を感じ、ふりむくとボロ布をまとった乞食のような男が立っていた。その男はピーチ・カーネハン(マイケル・ケイン)と名のったが、何者なのかしばらくの間、想い出せなかった。そうだ、ピーチだ! しかし、何という変わりようだ。あのハツラツとしたハンサムな青年の面影はどこにもなかった。キプリングのすすめで、ピーチは椅子にかけウィスキーを一杯呑むと、信じられないような物語を語り始めた。--キプリングとピーチが出逢ったのは、ラホール駅でピールがキプリングの懐中時計を失敬したことからだった。その時計にはフリー・メイソンのグランドマスターの紋章が刻まれていた。ピーチは、8日後にマーワー連絡駅を通りかかると、友人の軍曹仲間のダニエル・ドレイボット(ショーン・コネリー)にメッセージを届けてほしいといい残すと、姿を消した。数日後、ドレイボットとピーチはキプリングの前に姿を現わした。2人は驚くべき計画を打ち明けた。カフリスタンにいってそこの王様になろうというのだ。こいつらは気狂いかと、キプリングはあきれかえった。ヒマラヤの奥にあるカフリスタンにはアレキサンダー大王の遠征以来白人が足をふみ入れたことはないのだ。しかし、2人の決心は固く、気狂い行者と召使いに扮して出発した。灼熱の太陽、大雪崩、山賊などと戦いながら奇跡的にカフリスタンのカフィリ族の集落に辿り着いた。集落の中に英語の出来る男ビリー・フィッシュ(サイード・ジャフリー)がいた。彼のおかげで2人は村の賓客として迎えられ、村の男たちに英国式の軍事教練をほどこした。その成果は著しく、村はカフリスタン1の最強の部族となり、次々と他の村を支配下に収めていった。この国には、アレキサンダー大王がいつの日か息子をつかわすと約束したという伝説があり、ドレイボットこそその息子ではないかという噂がまたたく間にひろがった。やがて村人たちを彼を神としてあがめるようになった。そんなある日、シカンダガルの聖なる都から5人の聖者たちが村を訪れ、大司祭が会いたいむねを告げた。大司祭は、ドレイボットが神である証しを示すことを要求し、刃をつきつけた。そのとき、彼の胸にはキプリングのくれたフリー・メイソンの紋章が光っていた。それは、奇しくも寺院の石の祭壇に刻まれた紋章とまったく同じだった。ドレイボットは神となりシカンダガルの王となった。ピーチは総理、ビリーは侍従だ。そして、アレキサンダー大王の遺産である莫大な財宝が与えられた。平穏な日々が続いた。しかしそのうち、ドレイボットはいつか見かけた美しい娘ロクザンヌ(シャキーラ・ケイン)を妻にしたいといい始めた。ピーチは財宝を持って早くこの国を出るべきだと主張したが彼は耳をかそうとしなかった。神が結婚する、しかも平民のむすめをめとる。このニュースは民衆に大きな衝撃を与えた。やがて結婚式の日がきた。盛大な式もすみ、ドレイボットは花嫁にキスをした。おそれおののくロクザンヌは反射的に彼の頬を噛んだ。頬から流れ出る血。それを目撃した聖職者と民衆は、口々に叫んだ。「神じゃない」「インチキだ」。ドレイボット、ピーチ、ビリーは持てるだけの宝物をかかえ、ライフルを射ちながら逃げ出したが、石つぶ、棒が襲い、まずビリーが倒れた。吊橋の上に追われたドレイボットは覚悟した。英国の歌を高らかに歌い、橋とともに深い峡谷に落下していった。英国人として立派に死んでいったのだ。--かろうじて脱出したピーチは、その長い物語を語り終えるとボロ布の中からドレイボットの白骨化した首を取り出した。その頭には純金で出来たカフリスタンの王冠が、かつて王になろうとした男、そして束の間、王であり神であった男の頭上に輝いていた。(KINENOTE)『王になろうとした男』(The Man Who Would Be King)は、1975年公開のアメリカ・イギリス映画。ラドヤード・キップリングの同名小説の映画化作品。ショーン・コネリーとマイケル・ケインが演じる、王になることを夢見た2人の英印軍退役軍人が、アフガニスタン辺境部の国カフィリスタン(英語版)を冒険する物語である。 ジョン・ヒューストンは1950年代から、クラーク・ゲーブルとハンフリー・ボガートを主演に本作の映画化を計画していた[4]。しかし、映画化の権利を取得する前の1957年にボガートが死去し、ゲーブルも1960年に死去してしまう。その後、主演はバート・ランカスターとカーク・ダグラス、リチャード・バートンとピーター・オトゥールにそれぞれ変更された。1970年代に入ると、主演はロバート・レッドフォードとポール・ニューマンが検討されたが、ニューマンは「主演は英国人俳優が演じなければならない」とヒューストンに助言し、ショーン・コネリーとマイケル・ケインを推薦した[5]。 『バラエティ』誌はケインの演技について、「それがジョン・ヒューストンの意図であろうとなかろうと、この冒険とアクションの映画はマイケル・ケインの低い演技力のために大雑把なコメディになっている」と批評している[13]。130分(ウィキ)前半が冗長で少し退屈でした。未開人は野蛮という白人史観の描写にも辟易します。それでも、ショーン・コネリーが祭り上げられて本物の王になろうとするシーンは見ごたえがありました。未開の地に行ってそこの支配者になり富と権力と女を手に入れるというのは、(英国)白人男性の夢なのでしょうか。支配される側の東洋人としては、見るに堪えない物語でもあります。雪山のシーンは実写なのでしょう。アフガニスタンの先の奥地カフリスタンのロケ地は、モロッコとクレジットされていました。
2024.02.28
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少し前(2022年11月)の元外交官の記事です。収束せぬウクライナ「停戦」実現するただ1つの方法 「ロシアを打ち負かせ」の視点では情勢を見誤る | ウクライナ侵攻、危機の本質 | 東洋経済オンライン (toyokeizai.net)からです。停戦は可能だった時期があります。外交による解決には、完全なる勝利も完全なる敗北もありません。通常は「51対49」とか、互いのメンツを立てながら、ぎりぎりの内容を詰めていくわけです。相手を徹底的に打ち破れという「100対0」だと、少なくともどちらかの国家または国民は破滅です。ウクライナ戦争において、最大の停戦の可能性は3月29日のイスタンブールでの和平交渉にありました。詳細は避けますが、その場で示されたウクライナ側の10項目の提案を読んだとき、私は驚きました。ウクライナの中立化・非NATO化が第1項目に盛り込まれたほか、領土については、クリミアは2015年の話し合い、ドンバスについてもそれに近い内容でした。首都キーウでの軍事作戦縮小を表明し、東部への戦線を縮小していたロシアはこの内容を評価し、このままいけば、プーチンとゼレンスキー両大統領が会談する可能性も伝えられていました。ところが、思わぬことが起きました。戦争勃発後、ロシアとウクライナが最も接近した瞬間は、もろくも崩れ去りました。――「思わぬこと」と言いますと?キーウでの軍事作戦縮小を発表し、実際にロシア軍は撤退を始めた直後、ウクライナ軍が戻ってきます。キーウ近郊のブチャにも、ロシア軍撤収の3日後、ウクライナ軍が戻ってきます。そこからロシア軍によるウクライナ市民の虐殺が行われていたという情報が流れ始めました。皆さん、覚えているでしょうか。最初は4月2日、キーウ周辺のプチャという街の市長が、プチャだけで280人の遺体を埋葬したと発表したことが発端です。14歳の女の子、後ろ手に縛られた男性……。多くの遺体が路上に放置されていたというニュースはロイター通信などによって瞬く間に世界へ発信されました。ゼレンスキーは「ジェノサイドだ」と非難。バイデンは「プーチンは戦争犯罪人だ」と述べ、対ロ制裁を追加実施します。これに対し、ロシア外相は「30日にロシア軍がプチャを離れた後、地元市長は3日間テレビに出演していたが、その際にロシア軍の撤収は歓迎しつつも虐殺については一言も発言していない」などと反論しましたが、現段階では正確なことはわかりません。いずれにしろ、この問題が浮上したことで、停戦は一気に遠のきました。東郷和彦(とうごう・かずひこ)/1945年生まれ。1968年に東京大学教養学部を卒業後、外務省入省。条約局長、欧亜局長、駐オランダ大使などを歴任。いわゆる“ロシアン・スクール”の一員として北方領土問題などの対ロ外交に尽くした。2002年に退官後、オランダのライデン大学、アメリカのプリンストン大学などで教鞭を執る。2009年、ライデン大学では博士号。2010~2020年、京都産業大学教授、世界問題研究所長。現在は静岡県立大学グローバル地域センター客員教授。『返還交渉 沖縄・北方領土の「光と影」』(PHP新書)、『ロシアと日本』(東京大学出版会)など著書多数(写真:尾形文繁)日曜日の田原総一朗のクロスファイアーもウクライナ問題を扱っていました。最後に、どうすればよいとの田原の問いに、「専門家」ふたりはまともに答えられませんでした。忘れないように、見守り続けること(廣瀬)だそうです。兵頭 慎治 防衛省防衛研究所 研究幹事廣瀬 陽子 慶應義塾大学 教授即時停戦くらいのことは言うかなと思いましたが、プロパガンダまがいに事を言ってきた人たちでは、無理なようです。一時は盛んに報道されていた米国の「戦争研究所」も、最近は報道されなくなりました。東郷はどうでしょう。――この先、ウクライナ戦争はどう展開していくと見通していますか? どんな終わり方が想定できますか。 ウクライナがクリミアを含む全領土からロシアを追い出すまで戦うと主張する以上、プーチンがこれに応じる可能性はありません。希望的観測を伴って一部で語られているような、プーチン政権の崩壊なども起こらないでしょう。したがって、ウクライナはアメリカの代理としてロシアと戦争を続け、双方に果てしない人的被害が発生し続けるでしょう。命を軽視した戦いが無期限に続くことになります。途中で話したように、目下のウクライナ戦争の停戦は「ロシアもウクライナもどちらも負けてはいない」という形にするしか方法はないと思います。これは戦場における結果の反映でもありますが、同時にそういう「出口戦略」を関係者全員が知恵を絞ることによって生まれるものでもあります。そういう方向性でしかウクライナ戦争は終わらないでしょう。 ――日本政府や日本の国民ができること、すべきことはあるでしょうか。命を重視する戦略にウクライナとロシアの双方が転換し、関係者がこの戦争の出口戦略に向かって共通の知恵を絞るように、関係者すべてに働きかけることです。とくに、バイデン大統領とゼレンスキー大統領に、です。やる気になれば、日本外交はそういう対応を取ることができるはずです。対ロ制裁に追随することだけが対応策ではありません。もう十分過ぎるほど犠牲は払われました。ロシアの侵攻が免責されることはありませんが、とにかく今は、これ以上の犠牲者を出さないよう、日本は最善の努力をすべきだと考えます。収束せぬウクライナ「停戦」実現するただ1つの方法 「ロシアを打ち負かせ」の視点では情勢を見誤る | ウクライナ侵攻、危機の本質 | 東洋経済オンライン (toyokeizai.net)日曜日にNHKが、NHKスペシャル 戦場のジーニャ~ウクライナ 兵士が見た“地獄”~テレビカメラマンだったジーニャ(35)は、不法に占領された領土を取り戻すため前線で戦うことになった。そこは第一次世界大戦さながらの塹壕戦。深さ2メートル、幅1メートルほどの塹壕を掘り、その中に兵士数人で籠城。至近距離でロシア兵と撃ち合った。「これは殺人ではないゲームだ」と生き抜くため何度も自分に言い聞かせ、必死に感情を抑え込んだ。この番組では戦場の実態を伝えるため死体や重傷の兵士の映像が流れます。兵士となったウクライナ市民が撮影した戦争の実態 NHKスペシャル「戦場のジーニャ ~ウクライナ 兵士が見た“地獄”~」|予告動画 |NHK_PR|NHKオンラインを放送していましたが、無残でしたね。空軍の支援のない反攻作戦に落胆するとともに、相も変わらぬ塹壕戦です。ウクライナの視点からでしたが、ロシアも同様でしょう。戦争の犠牲になるのは、いつの世も普通の人たちだと思いました。
2024.02.27
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民主主義対専制主義、これもこの間よく聞かされてきたフレーズです。ウクライナの現代史に詳しい人からすれば、?です。米国と英国の基本政策は、ロシアの弱体化とそれによる経済支配、資源収奪でしょう。なかなか言うことをきかないプーチンを痛めつけたいということでしょう。東欧の旧社会主義国はだいたい落しEU,NATOに取り込んだので、今度の標的はベラルーシとウクライナです。今回のロシアの進攻の引き金になったのは、2014年のマイダン革命でしょう。その本質は、民主革命というよりは、裏で米国が動いたクーデターでした。曲がりなりにも選挙で選ばれた政権が、暴力で倒されたのです。大統領のヤヌコービッチはベラルーシに亡命しましたが、その支持基盤の地域=ドンバスは内戦状態です。プーチンがネオナチと呼ぶ極右の民兵組織アゾフ大隊が最近まで暴力の限りを尽くしました。国連は8年間で15000人が死亡としています。ドイツやフランスの仲介でミンスク合意が成立して停戦・小康状態でしたが、ゼレンスキーが無効を宣言するに至って崩壊です。被害者意識のあるロシアが、身構えるのも当然でしょう。ウクライナ利権のバイデンが何とかしてくれると思っていたのでしょうが、そうはならず代理戦争です。英米から見れば優柔不断だったドイツは、米国・ノルウェーによってノルドストリームを破壊されて、ロシアからのガス供給を断念し戦争支援に大きく舵を切らざるを得ませんでした。開戦から2年、この間この戦争で得をしたのは誰かを考えると、この戦争の本質が見えてくるのではないでしょうか。ロシアは?石油が高止まりしましたがインドや中国に買いたたかれ、ノルドストリームが破壊されて欧州への天然ガス販売は大幅減少です。40~70万人死傷と兵力が大きく損なわれました。占領地は増えても、復興コストの負担が残ります。70兆円と言われる在外資産は凍結されたままで、海外からの新規投資も望めません。戦時経済体制でGDPはプラス転換ですが、ルーブルは徐々に下落です。兵器の半導体も、民生用の欧米日本品を転用です。国力は大きく弱体化しました。ウクライナは、3.1万人も兵士が死に国土が疲弊しています。復興には70兆円を要するとの試算もあります。終わりの見えない戦いに徴兵逃れも出る始末です。腐敗ランクは140位とロシアほどではないにしても、ひどいものです。米国は多額の武器援助を行っていますが、これにより国内の兵器産業は在庫一掃、増産体制です。このへんは、欧州の兵器産業も同じですが規模が違います。原油価格も上がり、天然ガスもロシアに代わって販売です。派兵しないので兵士の戦傷もありません。ただし米国全体ではなく、一部の利権者が大儲けしていると理解すべきでしょう。まさに、対岸の火事ですね。一般国民にとって何もよいことがないウクライナですが、ゼレンスキー政権はなかなか停戦に踏み切る気がないですね。戦時ということで選挙もやらず、人気のある軍司令官を解任です。勝てない戦争を無理に行い、敗北が決定的なのに降伏せず沖縄や首都を犠牲にして国体を守ろうとした天皇を想起させます。日本の敗戦に学んでほしいです。吉田茂のように戦で負けても外交で勝つという手もあります。もう少し続けます。
2024.02.27
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「力(武力侵攻)による現状変更は許さない。」ウクライナ戦争で、政府が再三唱えてきたフレーズです。ロシアの横暴を認めれば、中国が台湾に侵攻し、あるいは尖閣諸島や沖縄を占領すると宣伝してきました。防衛費を増強して、世界3位の軍事費の国を目指すそうです。ウクライナ戦争は、増税メガネの岸田にとっては願ってもない好機でした。でも、それが2年もたつとすっかり色あせてしまいました。特に昨年秋からのイスラエルのガザ侵攻により、そのスローガンの欺瞞性が明らかになりました。イスラエルはガザ侵攻以前にも、武力によるヨルダン川西岸の入植=現状変更を進めてきました。国連決議違反ですから、経済制裁くらい課してもよさそうなものですが黙認です。高い壁を作り反対するものは、容赦なく射殺、拘束です。裁判によらない行政処分で、何年も刑務所に収容です。そこでの女性に対する扱いは、とてもひどいものです。今回の人質事件でのハマスの要求を見ると何千人もとらわれていることがわかります。ウクライナ戦争では病院や学校が攻撃の標的とされましたが、ガザでも同様で国連や赤十字の施設も容赦なしですからイスラエルはロシアよりもひどいです。でも、政府も報道もそのトーンが、ウクライナ戦争でロシアを指弾するのとは違うように感じます。
2024.02.26
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24日でロシアのウクライナ侵攻から2年ですが、それにちなんでマスメディアがいろいろと取り上げていました。今月上旬(2月6日)ですが、朝日新聞に佐藤優が登場です。先日もNHKのクロ現に出ていましたが、メディア露出に方針変更でしょうか。言いにくかった即時停戦 ウクライナ苦戦の現実とのずれ 佐藤優さん [ウクライナ情勢]:朝日新聞デジタル (asahi.com) 約2年前、ロシアがウクライナに侵攻し、日本でもにわかに関心が高まったが、様々な角度から成熟した議論をかわすのは案外難しい。主権を踏みにじられたウクライナへの同情的な声が圧倒的な中、即時停戦の必要性を説く作家で元外交官の佐藤優さんに話を聞いた。――開戦から2年。祖国を守るウクライナに対する支援の機運が最近は変わってきたように感じます。「世論や西側の対応は現実的になってきました。『ウクライナの必勝を確信する』と頑張っていた軍事専門家と称する人たちも、ウクライナの苦戦で、どのラインで戦争を終わらせるべきなのか苦慮している。でも私に言わせると当初から明白な話じゃないかと」――この間、即時停戦を言いにくい雰囲気を感じていましたか。「言いにくいのは確かでした。でも早くやめないと、ウクライナの黒海に面した領域が全部ロシアにとられる可能性がある。米国の軍事支援が先細り、ウクライナは完全に弾切れを起こしています」「今秋の米大統領選でトランプ前大統領が当選するような事態になれば、完全にはしごを外された形になる。ロシアは手加減しないでしょう。だから早く停戦に持っていかないと」――それは可能ですか。「変化が起きるとしたらウクライナの中からでしょう。ゼレンスキー政権である限り無理です。彼は4州だけでなくクリミアまでの解放を勝敗ラインにした。それを達成できないと敗北を認めたことになります」◆欠けていた戦争のリアリティー――日本の報道や世論をどう見ますか。「日本人は、この戦争についての報道を見て語る中で、熱気に包まれてしまった。でも、しょせん他人事だったのだと思います。戦争のリアリティーが欠如していた。ただ、ここから学ばなければならないのは、戦争での憎しみというものが我々にも感染してしまうと、我々の目も曇って、戦争をする心に同化してしまいやすいことです」――ウクライナは勝たなければならないとの意識が現実との乖離(かいり)を生んだと。「そう思います。今は少し冷静になってきた。ウクライナが目標を達成できないことは相当の人がわかってきている。ならば一刻も早くこの戦争をやめるところに行くべきですが、そこはなかなかメディアが踏み込まない。今まで、さんざんあおってきたからです」◆変わったロシアの目標――そもそも、この戦争をどう見ますか。「これは2期に分かれると思います。境目は2022年9月30日にロシアがウクライナ東部ドネツク州など4州の併合を宣言したこと。それまでロシア側は、ウクライナ東部に住むロシア系住民の処遇をめぐる地域紛争との主張でした。他方、西側連合の考え方は民主主義対独裁。その意味で非対称な戦争でした」「ところが4州併合によってロシアの目標があいまいになってしまった。と同時に双方が価値観戦争にしてしまった。終わりなき戦いです、価値観戦争は」「一方で、プーチン大統領は勝敗ラインを明確にしなくなった。実効支配の領域が開戦時より少しでも多ければ、当初目的は達成できたという形でいつでも停戦できるということです。率直に言ってこれは予測していませんでした」――戦争が長期化した背景をどう見ますか。「ロシアの行為は国際法違反で、厳しく非難されるべきです。ただ、ロシアが侵攻を決めたのは、米国の影響力低下で国際秩序が変動しているという要素もあったと思います。米国が直接的に軍事行動を取ると宣言していれば、ロシアは侵攻しなかったと思います」「長期化の背景には、力を付けて言うことを聞かなくなったプーチン政権に対する米国の強いいらだちがあります。核戦争に発展しないよう戦争を管理しつつ、ウクライナへの軍事支援によってロシアを弱体化するのが米国の戦略的目的になっています」「ウクライナの人々のためにもならない戦争です。もし自由と民主主義がそれだけ大切だったら、それは戦争を自分たちでやらないと。自分たちの価値観のために『お前たち戦え』と言って兵器だけ出すのは、モラル的におかしい」◆日本、和平交渉で大きなカード――日本の立ち位置は。「昨年9月の国連演説で外交政策を大きく転換しています。『イデオロギーや価値観で国際社会が分断されていては課題に対応できません』と岸田文雄首相は明言した。世論よりむしろ政府の方が冷静です」「日本外交には大きなカードがあります。日本はこれまで殺傷能力のない装備品しか供与しておらず、日本が提供したお金でロシア人は一人も殺されていない。ロシアとウクライナの和平交渉の段階に入れば、仲介国として機能する重要な要素になると思います」(聞き手 編集委員・副島英樹) ◇<さとう・まさる> 1960年生まれ。作家、元外務省主任分析官。同志社大学客員教授。ソ連・ロシアとの外交の最前線で活躍した。「自壊する帝国」「プーチンの野望」「十五の夏」など著書多数。今回のウクライナ戦争は、ロシアの判断ミスに乗じた米国の代理戦争でしょう。米国は、人を出さずカネだけ出してウクライナに戦争を継続させる。その目的はロシアの弱体化です。だから戦争当初からウクライナが希望するような強力な兵器は送らず、負けない程度の武器を供与です。それは、米国の兵器産業の在庫一掃セールでもありました。戦車の供与はドイツ主導でした。ようやく昨年戦闘機のF16の供与を決定したものの、現在訓練中で実戦投入は秋ごろの見込みだそうです。どう見てもロシアに対しての完全勝利はあり得ないのに、ゼレンスキーがクリミア奪還を言い始めたのにはずいぶん驚きました。こんな調子では、彼の在任中の戦争終結は難しそうです。
2024.02.26
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ビバーチェ、地元の女性サックスフォン演奏グループのコンサートです。前日ジムで知人から誘われたので、愛方と聴きに行ってきました。300人ほど入る会場が手配できなかったので、今回は普段練習場として使っている市民文化会館の第3練習場で開催です。ジムのZumbaのレッスンとかぶりましたがそちらは休み、代わりに午前中VRスタジオのTRIPで汗を流しました。60席の会場は満員でした。メンバーのご家族でしょうか、小さなお子さんも行儀よく演奏を聴いていました。まさにファミリーコンサートです。演奏者との距離も近かったです。プログラムです。第一部では、愛方の好きな愛の挨拶が演奏されました。ソプラノからバリトンサックス、全員で演奏したカンタベリー・コラールは、パイプオルガンを思わせる趣きでした。第2部の初めの3曲はお子様向けの曲ですが、どんぐりころころはジャズティストのアレンジでした。いつもの華やかなドレスではなく、パンツスタイルでした。お楽しみのメドレー曲は、高原列車は今日も行く鉄腕アトムすみれの花咲くころ月光仮面君に幸あれ東京ブギブギの、昭和メドレーでした。アンコールのラデツキー行進曲を聴かせていただいて、帰路につきました。気分は、ウィーンのニューイヤーコンサートでした。
2024.02.25
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株価が最高値を更新しても、無関係な田舎です。年金は上がったけど、地場の賃金は?あの手この手で消費喚起です。購入可能額は1世帯当たりMAX1万円分で3000円のプレミアムが付きます。スーパーの買い物で、安いとちおとめよりもお値段高めの地元の越後姫を買いました。こちらは飲食店向けですが、市内の旅館ホテルでは3000円の割引を継続中です。来月中旬からは、旅行代金割引の北陸割りが新潟県でも始まります。補助金を使うのはよいですが、その効果を検証してほしいです。
2024.02.25
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ラテンジャズダンスの練習曲です。原曲は早すぎるので、最初は思いっきりピッチを落としてスタートです。メインはルパンのパートですが、間奏部分は峰不二子のパートでセクシーな振り付けも用意されています。6回練習して最終までたどり着きました。6回目は天皇誕生日で、なんとインストラクターの誕生日だそうです。天皇よりははるかに若いですから存命中ずっと祝日というわけには行かないでしょうが、祝日というのはいいです。私の誕生日も祝日です。ただし日本ではなくて、某国の王様の誕生日というのが少し残念ですが。ちなみに秋篠宮文人親王は、1965年11月30日生まれ、悠仁親王2006年9月6日生まれです。ちょっと脱線しましたが、踊りの方もYouTubeで何本か上がっていました。【RAB】ルパン三世 OPを踊ってみた【リアルアキバボーイズ】高画質 (youtube.com)『ルパン三世のテーマ』は、大野雄二が作曲した楽曲。モンキー・パンチ原作のアニメ『ルパン三世』の主題曲として1977年に発表された。シリーズの長期化と共に数多くのアレンジがなされており、『ルパン三世』を代表する曲として広く用いられている。 当曲について大野は、ルパン三世が「行動する」「盗む」「喜ぶ場面」と「さびしい場面」の両方にマッチする曲とみなし、「普遍性」と「古臭さ」を考えマカロニ・ウエスタンを意識して作曲したと述べている[1]。また、産経新聞のインタビューでは以下のように語られている。 曲は、イントロを除く最初の旋律から順に作る。「出だしでインパクトを与え、ここで聴き手に曲を覚えさせなきゃいけない」CMソングを手掛けて体得した極意だ。ちなみに「ルパン・ザ・サード」という歌詞を繰り返すのも、商品名を連呼するCMソングの手法。ともかく大事なのは最初の4小節ないしは8小節の旋律。ここをどうするか。「流行を取り入れたらダメだ。テーマ曲は、劇中でさまざまにアレンジして使われる。これに耐えられる骨太の旋律であることが大切」そこで大野が着目したのが、ちょっと前まで大人気だったマカロニウエスタン映画の音楽だ。マカロニウエスタンはイタリア製の西部劇のことだが、エンニオ・モリコーネらイタリアの作曲家が提供した音楽が新鮮だった。大野によれば、その頃、日本の劇中音楽作曲家の間でマカロニウエスタンからの援用が、ひそかにはやっていたという。大野も「ルパン三世のテーマ」の最初の8小節は、「マカロニウエスタンの音楽の典型的な和音進行を使って作った」と明かす[2]。(ウィキ)ルパン三世のテーマ'80 - You & Explosion Band | 大野雄二ベスト・ヒット・ライブ 2022.01.28 at 東京国際フォーラム ホールA (youtube.com)THEME FROM LUPIN THE THIRD’89 (Lupintic Five Version)[MUSIC VIDEO]ルパン三世のテーマ’89 | Full Size ver. (youtube.com)
2024.02.24
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一昨日降った雪はなくなりましたが、今日は寒い朝です。天気予報は曇りでしたが、少しだけですが雪が舞い散る空模様でした。毎日が日曜日の身としては、この3連休もいつもの「平日の金曜日」です。ジムのプログラムも通常通りです。ラテンジャズダンスは、久しぶりの人がひとり参加です。ズンバは先週の倍で、新しい人がふたり参加していました。変ったところでは、運動とは無縁の体形のおじさんたちでサウナが混み合っていました。天皇誕生日にちなんだネット配信でしょう。天皇陛下64歳に 雅子さまと「おそろい」だった「恋の歌」と琵琶湖の思い出天皇陛下は23日、64歳の誕生日を迎えられた。皇后雅子さまとのご結婚生活も30年を過ぎ、人生の半分の歳月をご一緒に過ごしたことになる。思い出されるのが、ご結婚してまもなく訪れた琵琶湖畔のホテル。おふたりで眺めた景色を、お互いを大切に思い合う恋の和歌「相聞歌」として、和歌に詠みこんだのだ。* * *琵琶湖のほとりにたたずむ、彦根プリンスホテル(現・ビワフロント彦根)。8階のスイート・ルームからは、青い湖と対岸の山稜が一望できる。当時皇太子だった天皇陛下と雅子さまは、1993年6月のご成婚からまもなく地方公務で滋賀県を訪れ、このホテルに宿泊。おふたりの部屋から見える琵琶湖は、朝や夕には茜色に染まり、夜には月が湖面を照らした。そして翌94年1月、初めてご夫婦で歌会始の儀に臨んだ。 歌会始に向けて、天皇陛下や皇族方は前年の12月上旬までに、ご相談役の歌人に和歌を提出する。このとき相談役を務めていたのは、国学院大学名誉教授の岡野弘彦さんだった。岡野さんによると、初めての歌会始で雅子さまは10首ほどの原案を示した。そのなかに、岡野さんの目に止まった一首があった。 〈君と見る波しづかなる琵琶の湖(うみ)さやけき月は水面(みのも)おし照る〉 ホテルの部屋から望む、琵琶湖の風景を詠んだ和歌。雅子さまが用いた「おし照る」という言葉に、岡野さんはご結婚の雅子さまとの「お妃教育」でのやり取りを思い出したという。■「英語と仏語の代わりに和歌を」語学が堪能な雅子さまは、英語や仏語の時間の代わりに和歌の講義を長めにと希望し、岡野さんから10時間ほどの講義を受けた。岡野さんの印象に残ったのは、雅子さまの言語感覚の鋭さだった。ある日、岡野さんは、仁徳天皇が詠んだとされる古事記の古い歌謡を解釈していた。 〈おしてるや難波の崎よ出で立ちて我が国見れば淡島(あはしま)おのごろ島檳榔(あぢまさ)の島も見ゆさけつ島見ゆ〉 大和と難波の国境の山の上から遠く海を見渡し、天皇が力ある歌で祝福する内容だった。枕詞の「おしてる(=照る)」は、海上に太陽の光がさんさんと照り、水面を圧して光が輝く情景を表している。雅子さまは岡野さんに、こう尋ねた。「この『おしてる』は、今の和歌に詠み込んで使ってよいものなのでしょうか」岡野さんは、思わぬ質問にハッとした。「お使いいただいて結構ですよ。ただし大変な古語ですから、現代和歌に使ってそこだけ違和感があったら、それは失敗です」こう答え、参考のために「おしてる」を上手に詠んだ和歌を2首、暗誦したという。「よく分かりました」雅子さまはそう答えたものの、岡野さんは内心、本当にお分かりになったのだろうかと感じていたという。しかし、その半年後、岡野さんの不安は喜びへと変わった。歌会始のために雅子さまが詠んだ10首のなかで、雅子さまは、「おしてる」を見事な形で和歌に調和させていたからだ。■陛下と「おそろい」となった恋の歌天皇陛下もこの時の歌会始で、雅子さまと過ごした同じ夜の情景を詠んでいた。 〈我が妻と旅の宿より眺むればさざなみはたつ近江の湖(うみ)に〉 皇室の和歌の御用掛を務めた故・岡井隆さんも、このときのおふたりの和歌について、記者にこう語っていた「天皇家でも、恋人同士で詠み交わされる恋の歌である相聞歌は数多く詠まれてきました。皇族方も皆さんも、気構えずに恋の和歌をどんどん詠んでいただきたい」「お妃教育」が終了した後も、雅子さまの希望で、月に一度ほどの岡野さんの講義は続いた。雅子さまはそのたびに、両手いっぱいに資料の本を抱えてきたという。■愛子さまに受け継がれ陛下と雅子さまが、おふたりで見た琵琶湖の風景を和歌に詠んだ日から、30年あまりの歳月が過ぎた。長女の愛子さまは、大学で日本の古典文学を学び、卒業論文の題材に「中世の和歌」を選んでいる。そして今年の歌会始で愛子さまは、千年の時を経て現代に受け継がれる、和歌に対する感銘を詠みこんだ。 〈幾年(いくとせ)の難き時代を乗り越えて和歌のことばは我に響きぬ〉 ご両親が大切にしてきた、古典への学びの姿勢は、愛子さまにも着実に受け継がれているようだ。(AERA dot.編集部・永井貴子)天皇陛下64歳に 雅子さまと「おそろい」だった「恋の歌」と琵琶湖の思い出 (msn.com) 皇室のよいしょ記事ですが、妃教育の一端が垣間見えて興味深いです。それにしても結婚30年ですか。父親の出世と引き換えに人身御供として嫁いで、いじめられて心のやまいです。浩宮の人格否定発言も出て、何とも悲惨と思ったものです。ひた隠しにした体外受精での妊娠は英国紙に暴かれたり、女児の出産が落胆されたりと散々な目にあったのは皇室ゆえのことでしょう。本来敗戦で退位し共和制に移行すべきでしたが、米国の占領統治の便宜から国民主権と「調和」させる形で存続です。主権者としての一個人からは、そろそろ天皇の大役をなくしてあげたいと思います。今年で64歳、だいぶ太りましたがまだお元気そうでなによりです。70歳で定年退位というのはどうでしょうか。
2024.02.23
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立憲の梅谷守衆院議員、地元で日本酒配布「会合の対価」と違法性否定朝日新聞社 立憲民主党の梅谷守衆院議員(50)=旧新潟6区、当選1回=が地元の新潟県上越市であった複数の会合で日本酒を配っていたことがわかった。公職選挙法は政治家による選挙区内での寄付を禁じている。梅谷氏は20日、配布を認める一方で「会合の対価という認識だった」と述べ、寄付には当たらないとの考えを示した。地元紙などの報道を受け20日、国会内で取材に応じた梅谷氏は「認識不足、軽率だったことを反省している」と繰り返した。「関係者の方々に懸念を抱かせてしまった」として謝罪し、「二度とこのようなことはしない」と語った。地元関係者によると、梅谷氏は1月14日、町内会のどんど焼きの会場を訪れ、町内会長の男性に「これを神様に」と言って、のし付きの日本酒の一升瓶を袋に入った状態で手渡したという。参加費は不要だったという。1月下旬には、町内会長らが集まる総会に顔を見せ、「皆さんで飲んで下さい」と日本酒の一升瓶を差し入れたという。これらのほかにも、以前から日本酒を提供していたとの複数の証言がある。公選法によると、選挙区内での違法な寄付行為に対する法定刑は50万円以下の罰金。有罪が確定すると公民権が停止され、その間は選挙に立候補できなくなる。2021年には、香典や祝儀を地元で渡した菅原一秀・元経済産業相が罰金40万円、公民権停止3年の略式命令を受けた。梅谷氏は国会議員秘書や新潟県議を経て、21年の衆院選で初当選した。(北沢祐生、井上充昌)立憲の梅谷守衆院議員、地元で日本酒配布「会合の対価」と違法性否定 (msn.com)会合の対価?いえ明らかな買収行為でしょう。ローカルニュースでは、無記名ののし紙がかかった日本酒やいただいた町内会の帳簿(梅谷守 日本酒と記入)が放送されていました。明らかに違法行為なのに、もらう方もどうかと思います。県議を2期務めての衆議院議員ですから知らないわけはないでしょう。団扇や香典を配って問題となった自民党の議員もいます。ここは潔く辞任すべきかと思います。参考:梅谷議員は新潟県議選で2回当選した後、衆院に鞍替えし旧新潟6区で2回連続落選。3回目の挑戦となった2021年秋の衆院選、選挙区で自民党候補をわずか130票差でかわし初当選した。「選挙に弱いので梅谷さんが日本酒や祝儀を配っているとのうわさは以前から絶えなかった。浪人時代から当選した後の現在に至るまでそうした振る舞いは変わらず、裏のあだ名は“買収梅ちゃん”。県議になる前の議員秘書時代に結婚した奥さんの父が農林水産相を務めた弁護士の筒井信隆元衆院議員で、筒井さんの後ろ盾があるので警察は手を出せないと高をくくっているとみられてきた。今回の件に地元支援者は『それみたことか』と怒り心頭で『買収梅ちゃん、アウト!』と揶揄する者もいます」(地元情報通)地元メディアは「梅谷議員から日本酒などをもらった」との有権者の証言を、続々と報じており、常習性があったとの見方が広がれば、捜査の手が入るまでもなく批判が高まるのは必至だ。一方、命拾いしたのが自民党だ。安倍派を中心とする裏金疑惑に対する批判や、確定申告のシーズンが到来し、裏金に対する課税問題要求が盛り上がり始めた時期の願ってもいない敵失。特に前回の衆院選で梅谷議員に選挙区で敗れ、比例で復活当選した高鳥修一衆院議員は、安倍派所属で、自身の政治団体が2018年からの5年間で、派閥からのキックバック544万円を収支報告書に記載せず裏金にしていた人物。今月7日に自民党県連の会長を辞任すると表明したばかりだった。“買収の梅ちゃん”こと梅谷守議員(50)、公選法違反疑惑の決定的動画も。一升瓶を有権者に提供して「おめでとうございます‼」裏金・統一教会問題追及の立民に大ブーメラン (msn.com)
2024.02.23
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20年間で1.95倍も拡大したドイツの経済成長の背景です。シュレーダー改革の引き金になったのは、ドイツ統一による労働力の過剰ですね。労働市場の自由化は反発もありましたが、政治のリーダーシップですね。次のメルケルはEUのリーダーとなって、市場拡大です。単一通貨ユーロの導入で、ドイツはその経済力の割に通貨安だったことが輸出にとても有利に働きました。自動車に代表されるように有力な輸出商品もあります。加えて中小企業もEUのマーケットを利用して生産を拡大したのですね。近隣諸国が友好国のドイツに比べると、日本はそうと言えない状況です。ロシアでさえウクライナ戦争までは、天然ガスの輸入で深く結びついた友好的な関係でした。メルケルに見られるように政治力の差も大きいです。日本に求められていることとしてふたつあげています。労働力のスムーズな移動は重要ですが、職業教育が不十分で、労働者の使い捨てにつながるのではないかと懸念されています。正社員を辞めたら非正規というのでは、今の会社にしがみつく人が多くスムーズな移動は難しいでしょう。労働側は経営側の人切りの口実と見る向きもあります。出向という手はありますが、政策のバックアップが必要かと思います。これまでの円高では中小企業の輸出は難しかったでしょうが、150円くらいなら勝算のある企業も増えることでしょう。但し、中小企業は体力が乏しいので、為替の安定性と継続性が問題ですね。番組では、物価・金利上昇は当たり前で、それに伴う賃上げを前提とした経営をと述べていました。経済の好循環?論理的な帰結として、生産性の低い企業を倒産に追い込む覚悟も必要かと思いますが、それについて触れることはなかったです。さいわい?雇用保険の資金は潤沢ですから、給付水準を上げることも一法だと思います。いずれにしても、日銀がいつまで異常な金融政策を続けるのかに注目したいと思います。2四半期マイナス成長と日本経済の傷は深いので、まだしばらくは続けざるを得ないのではと思います。年金生活者にとっては、インフレ拡大のリスクですね。
2024.02.22
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NHK7時のニュースに物足りなさを感じていたら、時論・公論で取り上げていました。「ドイツはよくて日本はダメ 意味せず」と言い切ってよいのかは疑問です。この20年間でドイツは1.9倍の成長に対して、日本は1.1倍、停滞した23年間でした。ドイツの青年が物価も上がったと言っていましたが、上のグラフに物価上昇率をプロットしたグラフです。ここ2,3年は急ですが、ドイツはそれまで2%前後の健全なインフレでした。経済規模も拡大して、それにつれて賃金も上昇です。一方日本は、アベノミクスで日銀がじゃぶじゃぶに金融を緩和しても物価は上がらず、経済は停滞、実質賃金は目減りです。ひと言でいえば、デフレスパイラルということですが、この間働く人の4割が非正規で結婚も出産もできない人増えて少子化です。番組では、物価上昇、賃上げ、生産性向上の関係を、こんな風に図示していました。金融緩和が本来市場から撤退させられるべき企業を生き延びさせたことも、生産性向上のブレーキになりました。今や、日本の生産性はG7で最下位どころか、OECDでも38か国中30位です。赤字でも会社は潰れない。新入社員の頃、よく聞かされた言葉です。イタリア17位、カナダが18位です。続きます。
2024.02.22
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ストーリー:1941年、第二次世界大戦下、ドイツ軍はベラルーシを占拠。ナチス親衛隊と地元警察はユダヤ人狩りを始める。8月。両親を殺されたユダヤ人兄弟、トゥヴィア(ダニエル・クレイグ)、ズス(リーヴ・シュレイバー)、アザエル(ジェイミー・ベル)は子供の頃から遊んでいたリピクザンスカの森に逃げ込んでいた。そこへ、3人と同じように逃げ惑うユダヤ人が次々と合流する。トゥヴィアは食料と武器を入手するため、父の親友だったコシュチュクを訪ねると、そこにも数人のユダヤ人が身を隠していた。トゥヴィアは、コシュチュクに頼まれ、他のユダヤ人たちも森の中へと案内する。10月。数十人となったユダヤ人の共同体は森の中に家を建て、やがて彼らは“ビエルスキ・パルチザン(武装組織)”と名乗り、銃で武装し始める。だがドイツ軍への攻撃を行なっていたある日、銃撃戦で2人の犠牲者を出し、アザエルも行方不明に。森の中で、仲間の喪失や空腹、不安を抱え、同胞の間でもいざこざが起き始めていたとき、トゥヴィアは皆でこの森で暮らすことを提案。生き残ることが復讐だという彼の意見に仲間たちも賛同するのだった。そんな中、トゥヴィアがコスチュクの家に食料をもらいに行くと、2人のユダヤ人女性と共にアザエルがかくまわれており、コスチュクが納屋の先に吊るされ殺されていた。1942年。ソ連軍キャンプは敵の攻撃から逃れるため、撤退を始める。それを拒むズスだったが、ソ連軍は受け入れず、森を後にする。まもなくして森の中に爆弾が打ち込まれた。逃げ惑う人々。アザエルら数人が残り、銃を手に時間を稼ぐ。その間、トゥヴィアが仲間たちを誘導、森の奥へと進んでいった。ロープやベルトで全員をひとつ繋ぎにして、大きな沼をようやく渡りきると、そこにはドイツ軍が待ち受けていた。激しい銃撃戦が繰り広げられ、トゥヴィアたちは劣勢を強いられていく……。(KINENOTE)『ディファイアンス』(Defiance「果敢な抵抗」の意味)は、2008年のアメリカ合衆国の伝記映画。監督はエドワード・ズウィック、出演はダニエル・クレイグとリーヴ・シュレイバーなど。 第二次世界大戦時のナチス・ドイツ占領下でのポーランド(現在のベラルーシ西部)におけるビエルスキ兄弟のユダヤ人救出を描いたネハマ・テク(英語版)の小説『ディファイアンス ヒトラーと闘った3兄弟』(武田ランダムハウスジャパン、2009年)を、エドワード・ズウィックが映画化。 基本的には実話に基づいているが、一部に映画的結末を描くための脚色があり、特にエンディングの戦車との戦闘シーンについては原作者も当初は戸惑いを覚えたことを告白している。また、ビエルスキ兄弟が率いたユダヤ人組織に対する歴史的評価もポーランド内では分かれており、同じポーランド人から略奪することで生き延びた山賊集団ととらえる向きもある。キャッチ・コピーは『人間として、生きるための[抵抗]だった』。第81回アカデミー賞作曲賞ノミネート。 · 映画ではトゥヴィアのすぐ下の弟はズシュになっているが実際はアザエルの方がズシュより年上である。映画ではアザエルの年齢がかなり若く設定されている。o トゥヴィア・ビエルスキ(英語版) (1906 - 1987)o アザエル・ビエルスキ(英語版) (1908 - 1945)o ズシュ・ビエルスキ(英語版) (1912 - 1995)o アーロン・ビエルスキ(英語版) (1927 - ) · ジャレッド・クシュナー - 祖父母がビエルスキ・パルチザンのグループに属していた。 ジャレッド・コーリー・クシュナー(Jared Corey Kushner、1981年1月10日 - )は、アメリカ合衆国の実業家。ドナルド・トランプの娘イヴァンカの夫でトランプの娘婿。トランプ大統領の下で、大統領上級顧問を務めた。不動産開発企業クシュナー・カンパニーズ、『ニューヨーク・オブザーバー』紙の元オーナー。(ウィキ)ユダヤ人パルチザンの実話です。007のダニエル・クレイブ主演ということで観てみました。ヒーローものというよりは、困難な状況を逃げ回る様子が淡々と描かれています。ポーランドやベラルーシの森を逃げ惑う姿が、現代のガザ地区の様子とダブりました。ドイツ軍の空爆もあります。主人公は農村部に住むユダヤ人で下層の荒くれ者、都市に住んでいた裕福でインテリのユダヤ人とのギャップを感じさせます。ソ連軍からも十分な保護を得られず、差別される事件も起きます。とにかく生き延びることが目的で、3年間を森で過ごします。病院や学校を作り、コミュニティは終戦時には1200人に膨れ上がります。映画では、そのうちの1年間の様子で、人数は1~200人くらいでしょうか。「アザエル(3弟)はソ連軍に入隊し6か月後に戦死。ハイアとの間の子に会えなかった。ズシュ(次弟)NYへ移住し運送業を。トゥヴィア(長兄)後に米国へ。30年間ズシュと共に働いた。リルカと仲睦まじく暮らした。彼らに救われた人々の子孫は数万人に及んでいる」と最後に、クレジットされます。シンドラーのリストと違って、ユダヤ人自らが戦って命をつないだ、これまで語られることがなかった物語でした。
2024.02.21
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ドイツに抜かれた日本ですが、ニュースではその要因を次のように説明していました。なぜドイツに抜かれたのか?要因の1つは、為替相場と物価上昇率の影響です。 日本では1990年代のバブル経済の崩壊以降、長年にわたって低成長やデフレが続いてきたことも今回の逆転の背景にあると指摘されています。賃金が十分に上がらず個人消費が伸び悩んだほか、企業も国内への投資に慎重な姿勢を強めました。「輸出大国」を支えた製造業では、貿易摩擦や円高の影響で海外向けの製品を現地生産にシフトする動きも進みました。日本の名目GDPのうち、「設備投資」の伸び率は、1988年にはプラス16.5%でしたが、去年はプラス4.6%にとどまっています。 どれだけ効率的に製品やサービスを生み出すかを示す生産性の低迷も続いています。日本生産性本部のまとめでは、日本の1時間あたりの労働生産性は、おととし2022年、OECD=経済協力開発機構の加盟国、38か国中30位。比較可能な1970年以降で最も低い順位となり、11位だったドイツに差をつけられています。とりわけサービス業は、製造業に比べてデジタル化や省人化が十分に進んでいないと指摘されています。14位はフィンランド、15位はオーストラリア*OECD38か国中30位、ポーランドやポルトガルよりも下位です。 このニュースを見ていた愛方ものんびりしたポルトガルに劣るというのにびっくりです。 円安がきいているとはいえ、ひどいです。 経営側は、従来から生産性が上がらなければ賃上げは無理と言っていましたから、長期にわたって順位が下落しているようでは、 大幅な賃上げは難しいでしょう。また、政府が打ち出してきた成長戦略や構造改革もなかなか実を結ばず、国の経済の実力を表すとも言われる「潜在成長率」も伸び悩みました。OECDによりますと、2022年の各国の潜在成長率は、▼アメリカが1.9%、▼ドイツの0.8%に対し、▼日本は0.6%にとどまっています。IMFが去年10月に公表した試算では、日本の名目GDPは再来年・2026年には、人口14億人のインドに抜かれて世界5位となる見通しとなっています。日本では、今後、さらなる人口減少も予想される中、成長率の引き上げに向けて投資の拡大や生産性の向上にどう取り組んでいくのかが急務となっています。潜在成長率が0.6%ですか、1980年代は3%だったと思います。少子化や女性の労働参加は、健全な社会制度維持のための必須条件でしょう。防衛力増強よりも優先する課題ではないでしょうか。2060年には人口が今の半分の6000万人になるとの予想が出ています。財源問題を含めて、保険制度で徴収なんて言わないでちゃんと論議すべきかと思います。それにしても、7時のニュースという番組の性格もあるのでしょうが、ドイツとの比較は物足りなく感じました。「スーパーでの値段は高い、経済成長かもしれないが生活は厳しい」というベルリンでのドイツ人のコメントは?です。岸田首相へのご機嫌取りのつもりでしょうか。そういえば、ドイツの失業率を問題にしていたネット右翼もいました。失業率とりわけ若者の失業率の高さは北欧でも見られる現象ですが、日本と違っていてよい仕事、自分に向いた仕事を探していることに起因しているようです。そのための職業教育の体制も進んでいます。ドイツの成長をもう少し理論的に解説してほしいと感じました。参考:ビックマック指数 日本: 44位 450円 3.12ドルユーロ圏: 5位 827円 5.82ドル 世界のビッグマック価格ランキング - 世界経済のネタ帳 (ecodb.net)
2024.02.21
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行きつけのスーパーで牛肉が売っていたので、肉じゃがです。他の大型スーパーではいつも輸入、国産、更にA5ランクの新発田牛が売っていますが、ここは週に1回国産牛の切り落としが並びます。100g300円くらいです。200gのパックなので、うちのようなひとり用にはちょうどよいです。じゃがいも4個、人参1本、玉ねぎ2個、しらたき、それに余っていたごぼう半本です。クックパッドを参考に、醤油、みりん、砂糖、お酒、各大さじ4,和風だし大さじ1,水400cc+アルファ(材料が浸る程度まで)肉を炒めた後、アルミ箔で落し蓋を作ってあとは煮て、蒸らすだけです。湯豆腐の残り汁=昆布だし?で、鮭雑炊を作りました。ほかにトマト、焼き鳥レバー、本麒麟1缶。肉がNGの愛方は、肉抜きの肉じゃがとイカ焼きです。
2024.02.20
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日本のGDP4位転落は昨年来予想されていた事なので目新しいニュースではありませんが、NHKが看板の7時のニュースで詳しく取り上げていました。日本の去年1年間の名目GDP ドイツに抜かれ世界4位に後退 | NHK | GDPからです。内閣府によりますと、日本の去年1年間の名目GDPは、平均為替レートでドルに換算すると4兆2106億ドルでした。一方、ドイツの去年1年間のGDPは、4兆4561億ドルと日本を上回りました。日本の経済規模は、1968年にGNP=国民総生産で当時の西ドイツを上回って、アメリカに次いで世界2位となりました。その後、2010年にGDPで中国に抜かれ、世界3位が続いていましたが、去年、人口がほぼ3分の2のドイツ に逆転され、4位となりました。日本では1990年代にバブル経済が崩壊して以降、長年にわたって低成長やデフレが続き、個人消費や企業の投資が抑えられてきました。また、円安ドル高の影響で、日本のGDPをドルに換算すると目減りすることや日本に比べて物価上昇率が高いドイツは名目のGDPの伸びがより高くなることも影響しました。*2455億ドル 5.5%の差をつけられました。 為替の影響や物価上昇率によるものと片づけられない深刻な問題があります。また、プラス成長と見られていた4Qがマイナス成長です。2期マイナス=リセッションですね。去年10月から12月までのGDP=国内総生産は、前の3か月と比べた実質の伸び率が年率換算でマイナス0.4%と2期連続でマイナスとなりました。物価高の影響で食料品などの購入が減ったほか、サービス業も振るいませんでした。 伸び率がマイナスとなった主な要因は「個人消費」で、前の3か月と比べてマイナス0.2%でした。物価高の影響で食料品の購入が減ったほか、冬物の衣料の販売も落ち込みました。外食や旅行など、サービス消費も減少しました。また、企業の「設備投資」がマイナス0.1%。「住宅投資」もマイナス1.0%でした。 一方、「輸出」は前の3か月と比べて2.6%のプラスでした。統計上「輸出」に含まれる外国人旅行者による国内での消費、いわゆるインバウンド需要が増えたほか、多額の特許料が海外から支払われたことも輸出の伸びを押し上げました。*輸出が好調でも、内需が振るわずマイナス成長ということですね。 輸出企業は儲かっているのに、賃金は上がらず物価高に自己防衛といったところでしょうか。 設備投資がマイナスというのは、先行きが不安です。 起業マインドも盛り上がらずということなのでしょう。日経平均株価がバブル期に近づいたと言っても、個人消費は盛り上がらずです。なんといっても実質賃金がマイナスでは、一般国民にとってはとても好景気とは言えませんね。参考:合わせて、去年1年間のGDPも公表され、実質の伸び率はプラス1.9%と3年連続でプラスとなりました。また、物価の上昇を加味した名目はプラス5.7%と、1991年のプラス6.5%以来の高い水準となりました。
2024.02.20
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元・エリート公務員・正彦(青柳翔)と元・ゲーム会社社員・誠(大東駿介)は、ある日突然職を失った。 やけっぱちで始めたのは、「宗教」という名の「ビジネス」だった。 適当につけた教団名「聖泉真法会(せいせんしんぽうかい)」のホームページを立ち上げ、正彦は「教祖」となる。全てを失う前に二人で開発しようとしていた、宗教がモチーフの壮大なゲーム「グゲ王国の秘法」がお手本だ。 チベットの密教など様々な宗教を継ぎはぎにした教えを基に、身の上相談から始めると、思いのほか人々が訪ねてくる。 儀式の作法や、ワインボトルを石膏で固めたハリボテ本尊の用意など、その場しのぎでなんとか切り抜けていた。*それらしいご本尊が完成です。しかし、ある企業の社長がパトロンとなった事から、「聖泉真法会」は飛躍的に成長する。 教団施設の提供、多額の献金……信者の数は気付けば5000人を超えていた。 正彦は、当初の目的である「金儲け」に成功する。 だが、素人である自分を心の底から信じる信者達の存在や、教団が大きくなっていくことに戸惑いを感じていた。 そんな中、信者達が独自の解釈で「教義」を発展させ、教団は思いもよらない災難に巻き込まれていく……。 【原作】 篠田節子『仮想儀礼』 【脚本】 港岳彦 江頭美智留 【音楽】 岩代太郎 【宗教考証】 釈徹宗 【ナレーション】 津田健次郎 【出演】 青柳翔 大東駿介 / 石野真子 美波 河井青葉 松井玲奈 川島鈴遥 奥野瑛太 齋藤潤 宮地真史 * 峯村リエ / 尾美としのり 目黒祐樹 石橋蓮司 ほか 【制作統括】 髙城朝子(テレビマンユニオン) 勝田夏子(NHK) 【演出】 岸善幸 石井永二(テレビマンユニオン) 森義隆仮想儀礼 - NHK昨年からNHKBSで放送された10回シリーズのドラマです。第5回だけ大雪でBSがうまく受信できず録画できませんでしたが、このほど喜劇タッチの作りでお気楽に見れましたが、ところどころ創価学会やオウム真理教、統一教会を連想させるシーンがあって興味深かったです。宗教=精神の安定を売るサービス業と割り切って始めるふたりですが、それではすみません。暴力事件や殺人事件、インチキ宗教コンサルタント、巨大教団によるM&A・・・とイベント満載で次はどうなるかが楽しみな展開でした。社長が宗教にはまって、会社が振り回されるというのもあるあるです。私が知っている社長も、狐憑きだとか巫女のお告げなんかに凝っていました。新年は鹿島神宮でお祓いというのが、恒例行事でした。地上波でも放送してほしいですが、ちょっと厳しいかもしれません。与党筋が気になりますね。
2024.02.19
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盛山大臣の「旧教会関係者のほうから盛んに揺さぶりをかけてきている」との発言の通り、TBSの報道特集がこの問題に関して統一教会側を取材し放送していました。統一教会側からは、あれだけ支援して当選させてやったのに、記憶にない、解散請求ですから怒り心頭でしょう。男性によると、教団が、盛山大臣に近づいたのは、2005年の初出馬から。憲法改正に賛成していることが、その理由だったという。3年前の選挙には、関連団体が主催する決起集会まで開かれていた。司会は男性が務め、約70人が参加したという。横断幕には「主催:世界平和の連合」の文字。(会場は、神戸市勤労会館)その場で盛山大臣は、「憲法改正」や「家庭教育」、「LGBT問題を慎重に扱う」など、教団側の政策に賛同を求める「推薦確認書」にサイン。世界平和連合から推薦状を受け取ったという。この集会をめぐって、盛山大臣の答弁は迷走した。盛山大臣(6日)「はっきりした記憶はごさいませんが」「覚えておりません」だが翌日には…盛山大臣(7日)「写真を見て、こういうことがあったのかなというふうに、薄々思い出してきた。十分に内容をよく読むことなく、サインをしたのかもしれません」旧統一教会関連団体の現役幹部「ぱっと見たら分かるわけです。そんなに文章もたくさんないから。それを『したかどうかわからない』という話に今なっていて。『今さら何言ってんの』という話なんです」 文科大臣に接近してきた旧統一教会 関連団体の現役幹部が新証言、ハグめぐり盛山大臣に猛反論【報道特集】 (msn.com)A4サイズ一枚の推薦確認書も映し出されていました。大切な証文ですから、統一教会側はちゃんと保管していますね。推薦確認書:「憲法を改正し、安全保障体制を強化すること」「家庭教育支援法と青少年健全育成基本法の国会での制定に取り組むこと」「LGBT問題、同性婚合法化などに関しては慎重に扱うこと」「『日韓トンネル』の実現を推進すること」「国内外の共産主義勢力、文化共産主義勢力などの攻勢を阻止すること」自民党の政策に合致している?国会で、岸田首相にただしてほしいです。 番組では、2400人を擁する世界平和教授アカデミーが1980年代から、教科書攻撃を初めて教育をゆがめてきたたことや最終的には、統一教会を国教にして天皇を帰依させることを目標にしていることなどが、報じられていました。反共だけでなく反天皇制でもあるのですね。昨年の教祖の「岸田を教育しろ」発言は、記憶に新しいです。自民党は、再度アンケートを実施して本当に関係を断ち切ったのか再点検を行うべきでしょう。PS:旧統一教会“宣戦布告”岸田派を狙い撃ち…友好メディアで「ツケは高く付く」と不気味な脅し (msn.com)
2024.02.19
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旧統一教会側に「もてあそばれている」接点報道相次ぐ盛山文科相世界平和統一家庭連合(旧統一教会)側から選挙応援を受けていたことを指摘する報道が相次ぐ盛山正仁文部科学相は、16日の記者会見で「私の立場からすると、(旧統一教会側から)もてあそばれている」などと述べた。盛山氏は昨年10月、文科相として教団への解散命令を請求している。これに関連して、「(教団側が)揺さぶりをかけてきているということも十分考えられるのではないか」とも語った。2021年衆院選での教団側による選挙支援に関して、盛山氏は「当時は旧統一教会がここまで悪質な行為をしているということは一般的に理解されていなかった。私も理解していなかった」と釈明。今後の選挙で悪質な団体を見分ける具体的な方策を問われ「妙案は浮かばない」とした。盛山氏をめぐっては、同年衆院選で、教団の友好団体から推薦状を受け取ったとされる問題が浮上している。友好団体は同年10月に盛山氏の国政報告会を開催。同会の式次第には推薦状の授与が明示され、盛山氏が出席していたことを、朝日新聞が写真入りで報じている。一方、盛山氏はこれまで国会で、国政報告会への出席を「うすうす思い出してきた」と答弁している。事実上の「政策協定」にあたる推薦確認書への署名は当初「サインしたかも知れない」としていたが、8日以降は「記憶にない」を連発している。16日の会見で盛山氏は「これだけ盛山を応援して、けしからんというお気持ちになられるのかも知れませんが、実質選挙戦の最中にあちらこちらに行ってた時期でもあり、誠に失礼といえば失礼なんですが、失念していた」と述べた。また、接点を示す報道が相次いでいることに関連して、「旧教会関係者のほうから盛んに揺さぶりをかけてきている、わたくしの立場からするともてあそばれている。言い方はよくないかも知れませんがそんな風に感じている」と語った。旧統一教会側に「もてあそばれている」接点報道相次ぐ盛山文科相 (msn.com)記憶にないを連発している大臣に、「記憶にございません!」を作った三谷幸喜もがっかりしていることでしょう。記憶が戻ったり、なくなったりとまだらボケ状態の大臣ですが、今度は「もてあそばれてる」とまるで被害者面です。教育を所管する大臣ですから、この答弁にはあきれてしまいます。議員にとって財産とも言うべき推薦状をすべて捨ててしまったので、わからないというのも変です。仮に紙を捨ててしまっても、次回の選挙に備えてデータは残しているはずです。この点では、スシローも信じられないという顔をしていました。灘高⇒東大⇒運輸省というキャリアですが、上手な嘘はつけないようです。
2024.02.18
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冷凍の塩紅鮭が売っていたので、フライパンでフォイル焼?です。50cmくらいの半身のものが、1300円でした。とりあえずこんなものかとふたり分に4分の1ほど切ってみましたが、厚みもあってけっこうな大きさです。多すぎて上手くラッピングできずに、追いラップです。空焚き防止で水を入れましたが、これも予定時間まで持たず追い水です。結果は?キャベツを下に敷いて、玉ねぎと人参の輪切り、その上に鮭、しめじとエリンギピーマンです。塩鮭なので下にオリーブオイルを塗って胡椒と白ワインです。愛方がバターNGなので、乗せませんでした。過日、ゆでた小さなイカが売っていたので、夕食はスパゲッティーです。イカの他に具材は、冷凍あさり、ほたて、ズッキーニ、玉ねぎ、ピーマン、しめじ、トマトで、ベースは追いがつおつゆです。にんにく、しょうが、唐辛子も入れています。私は、粉チーズをトッピングです。片づけ(と言っても食器洗い機に入れるだけですが)があるので、ワインはグラス2杯だけです。食後は、愛方は白玉ぜんざいとほうじ茶、私はコーヒーとミックスナッツです。今日は、寒そうなので湯豆腐かな、・・・。
2024.02.18
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汚染水漏洩、原因は弁の閉め忘れ 「作業早く終えたいと…」東電説明 東京電力福島第一原発の汚染水の浄化装置から汚染水が漏れた原因は、作業した関連企業の従業員の思い込みによるヒューマンエラーだった――。東電が15日に記者会見して公表した。作業ミスがあっても漏出が起きないように、建屋自体の構造工事に取りかかるという。事態を重くみた東電の小早川智明社長はこの日、福島第一原発を訪れ、関連企業の社員を集めて「基本動作の徹底、現場・現物を徹底、疑問に思ったら声をあげて確認し、いったん立ち止まる」ことを求めたという。東電によると、配管の洗浄作業に伴い、7日午前8時33分から42分間、濾過(ろか)フィルターなどにつながる弁が開いていたことで漏出が起きた。2020年4月以降、これまで14回実施された洗浄作業では、弁はすべて閉じた状態で関連企業の従業員が洗浄を始めていた。通常は浄化装置を停止した後、すぐに洗浄作業を始めることが多かったが、今回はスケジュール調整で、洗浄作業を始めるまでに2日間あった。このため、内部に水素がたまらないように、運転部門の担当者が弁を開けていた。関連会社の作業員は、これまでと同じように弁が閉められていると思い込み、見落としてしまったという。高線量下の作業だったため、早く作業を終えたいという意識も弁が開いた状態であることを気づけなかった原因だったと東電はみている。社内では通常、作業手順書を運転部門の担当者が作るが、福島第一原発では例外的に、運転員の被曝(ひばく)線量を抑えるために保全部門の担当者が担っていた。運転部門が弁を開けたことを保全部門が認識していなかったという。保全部門で作成された作業手順書も、弁の状態について「『閉』を確認する」との表記になっていたため、現場の作業員が気づきにくい要因だったとみている。表記を「(当該弁を)『開』から『閉』に操作する」とすべきだったとしている。漏出が見つかった時間帯に大気中の放射性物質の濃度を測るダストモニターの値が一時的にごくわずかに上昇していたが、原発の敷地境界モニタリングポストなどの値に有意な変動がないことから、東電は「現時点で外部への影響は確認されていない」としている。第一原発では昨年10月に、作業員が高濃度の汚染廃液を浴びる問題が起きていたことから、東電の担当者は「再発防止の取り組みを徹底したい」と話している。(岡本進) 東京電力福島第一原発で汚染水の浄化装置から汚染水が漏れ出た問題で、内堀雅雄知事は15日の定例会見で、「あってはならないこと」と述べ、原因の究明と再発防止の徹底を求めた。汚染水漏れは今月7日に発生。昨年10月には、ALPS(多核種除去設備)の配管洗浄で作業員の身体汚染も起きている。内堀知事は、県として身体汚染で東電に安全管理体制の構築を求めているさなかに、再び県民に不安を与えるトラブルが起きたと言及し、「県民から厳しい目が向けられている」として当事者として東電の意識改革の必要性にも触れた。今後、廃炉安全監視協議会などを通じて東電の取り組みを確認していくとも述べた。 ■汚染水漏出を受けた東京電力の対策・高濃度の液体放射性物質を扱う作業では、同社の運転部門に手順書作成など作業前管理を一元化する・水処理に関して設計・保全を一元管理する「水処理センター」を設置する・設備操作をする協力企業の作業員全員に研修を実施し、作業現場では協力企業の事業所長自らがパトロールして監督する・ヒューマンエラーが起きても放射性物質の屋外漏出が起きないよう、今回の建屋内の構造を改造する汚染水漏洩、原因は弁の閉め忘れ 「作業早く終えたいと…」東電説明 (msn.com)東電の汚染水漏れ事故に関して、朝日新聞のローカル版が詳しい記事を載せていました。社長が現地に赴いたことは評価できますが、「基本動作の徹底、現場・現物を徹底、疑問に思ったら声をあげて確認し、いったん立ち止まる」との訓示は従業員の耳にはどう響いたのでしょうか。現場を実際に担う下請けは蚊帳の外でしょう。柏崎原発でも同様で、原発防御の取り組みは下請け企業までなかなか徹底されませんでした。東電を信頼しきっているような、型通りのコメントの内堀知事は、東電に何度も裏切られているにもかかわらず従うしかない桜井柏崎市長の様子とダブって見えます。ヒューマンエラーが起こってから建屋内の構造を改造するというのは、順番が違うでしょう。汚染水漏れは今回が初めてではないはずです。マスメディアで騒がれなければやらないという体質は、変わっていないように思います。原発運転企業としての適格性を、再度審査してもらいたいです。
2024.02.17
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ハフポストにオリバー・ストーン監督のインタビューが載っていました。制作の動機や日本への警告が興味深かったです。日本は「同盟国」ではなく「人質を取られた国」:映画『スノーデン』オリバー・ストーン監督インタビュー | ハフポスト NEWS (huffingtonpost.jp) ――なぜいまスノーデンを映画にしたのか。僕は自分が生きている時代に関心がある。その意味で、1930年代から2013年までのアメリカ現代史について『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史』(2012年)というドキュメンタリー番組を制作したが、この2013年という時期はまさにオバマ政権が社会の監視体制を強めていた頃で、その番組の第10章は「監視社会」というテーマだった。そしてその年の6月に突如、スノーデンがあの告発を行った。私自身もショックを受け、勇気ある行為に喝采も送ったが、まだその時点で映画化するつもりはなかった。それが翌年1月、ロシアに亡命しているスノーデンのロシア人弁護士から連絡を受け、本人に会ってくれと言われた。その後2年間にわたって都合9回本人とモスクワで話をするうち、彼の視点から映画にすべきだと考えるようになった。 彼と話していて感じたのは、とにかく非常に正直に誠実に、何があったのか、何が起きているのかを伝えたいということを大切にしていること。僕はその態度に接して、彼の話にとても説得力を感じた。言ってみれば、彼の言葉、態度こそが、僕らにこの映画を作らせたのだと思っている。その意味では、この作品は僕のものではなく、スノーデンの映画だ。まあ、キャラクターとしても、従来のいわゆるオリバー・ストーン映画の主役のキャラではないからね。彼自身も、自分は1日中部屋の中に籠っている猫のようなタイプだからと言っていたけどね。――スノーデンはNSA在職中の2009年、在日米軍の横田基地で勤務していた。映画では、日本の通信網を支配し、送電網やダム、交通機関などインフラ施設をコントロールする『スリーパー・プログラム』を仕掛けていたという本人の告白場面がある。日本列島の南から順に街全体の灯が消えていき、すべて真っ暗になる映像に、『日本が同盟国でなくなる日が来たら、"消灯"』というスノーデンの台詞......。これはどこまで真実なのか。僕は、彼が語ったことはすべて真実だと考えている。NSAは当初、すべてを監視したいと日本政府に申し入れたが、日本政府は拒絶したという。しかしそれでもかまわず盗聴・監視し、民間の様々なネットワークにプログラムを仕込んでいた、と彼は語っていた。 ただ、原子力発電施設に関しては彼の口からは何も聞いていないが、僕自身は、恐らく別のやり方で何かをしているのだと思っている。また彼は、メキシコ、ブラジル、ベルギー、オーストリア、ドイツ、そしてイギリスも含んでいたと思うが、同じようなプログラムをすでに仕掛けているとも言っていた。これはもはやサイバー戦争だ。2007、8年ごろ、アメリカがイランの核施設を破壊するためにシステムに侵入し、コンピューター・ウイルスを仕込んだものの、途中で制御不能になり、施設の機能は一部停止させたが、ウイルスが世界中に拡散されてしまった事実が2010年に発覚した。現実にそうしたサイバー戦争は始まっており、そのすべてをアメリカがリードしている。その事実に僕らはもっと目を向けるべきで、スノーデンはそこに気づかせてくれた。日本を含めアメリカの同盟国と言われる国々は、僕は現実には同盟国ではなく「アメリカに人質を取られた国」だと思っている。日本ももし同盟関係から離れることになると、スノーデンが語ったような「脅し」を受ける事態になるのだという、極めてセンシティブな状況、問題であるということを日本の皆さんにもよく考えてほしい。――監督自身は、スノーデンの告発以前、NSAという組織についてどの程度の認識があったのか。詳しい知識はなかったが、2005年、あるジャーナリストが『ニューヨーク・タイムズ』にNSAによる監視体制についての記事を書いていた。当時のブッシュ大統領は、言葉も口汚い感じだったが悪い奴だったから(笑)、国民を監視することだってやるだろうな、という印象を受けた程度だった。それから8年後にスノーデンの告発が出たわけだが、その時初めて、具体的な証拠が大量に提示された。だから、2005年当時からうすうす知っていたことが初めて事実として突き付けられた感じで、驚きというよりもショックを受けた。むしろ驚いたのは、2013年当時のオバマ大統領が、スノーデンの告発に対して「大したことではない」と言ったこと。結局、オバマは単なる飾り物で弱い男でしかなかった。ブッシュ時代のそうした悪しき状況を何も変えなかった。透明性もまったくなく改革も何も行われなかった。――映画を作るうえで参考にした資料はあるか。1960年代から実際にNSAに勤務していたジェイムズ・バムフォードが書いた『パズル・パレス―超スパイ機関NSAの全貌』(1986年)や『すべては傍受されている―米国国家安全保障局の正体』(2003年)などの本は、NSAの活動実態を知るうえで非常に参考になった。また、内部告発サイト『ウィキリークス』創設者ジュリアン・アサンジの功績も忘れてはならない。2010年、イラクで情報分析官として米陸軍に勤務していたチェルシー・マニングという軍人(後に不名誉除隊)が大量の機密情報をウィキリークスに流出させた内部告発事件があった。告発には2007年に米軍ヘリがイラク・バグダッドで複数の民間人を射殺する映像や、グアンタナモ収容所の収監者らに対する虐待の報告書なども含まれ、国際的に衝撃を与えた。こうした勇気ある行為を支えたのがアサンジで、スノーデンの告発も大きく助けられている。日本は第2次世界大戦以後、とにもかくにもアメリカに従順で、アメリカのメディアのことを信用しがちである。これはアジア全体にも言えることだが、ヨーロッパはそうではない。そういう意味で、僕は日本にはまだ主権がないのだという印象を持っている。実は今回の映画は、単にスノーデンの物語ではなく、世界の現状はこうなっているのだということを切り取って皆さんにお見せしている作品だと思っている。 だから、日本にももっとアメリカに対して疑問を感じてほしい。僕が『プラトーン』や『7月4日に生まれて』を撮っていた1980年代末くらいまでは、ああいう作品で米政府側はアメリカの強さを肯定的に描いてくれたと勝手に思っていたようだ。僕自身は、むしろそうではない面を描いていたのだがね。ところが、1991年の『JFK』から完全に反応が変わった。実際、たとえばそれまで閉鎖されていたハリウッドのCIA支部が突如、活動を再開させた。恐らく、映画の持つ力に彼らも気づいたのだと思う。僕の周りのプロデューサーたちにも、簡単に言ってしまえばもっとアメリカ万歳というような映画を作るべきだと政府筋が言ってくるようになった。 確かにその後、いわゆるアメリカを肯定するような映画、たとえば『ブラックホーク・ダウン』『プライベート・ライアン』『パール・ハーバー』『アルゴ』といったような作品が推奨され、金銭面も含めて軍や政府の大きな協力のもとに作られていった。つまり、CIAやNSAのような諜報機関などによる右傾化がどんどん進められていった。そして、愚かな若い映画製作者らがその罠にはまり、自分たちの国の歴史も知らないままそういう作品を作り続けていった。だからこそ、僕は『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史』という作品を作ったのだ。日本は「同盟国」ではなく「人質を取られた国」、日本にはまだ主権がないもし、今もスリーパー・プログラムが有効なら、まさに人質に取られた国ですね。米軍基地は、特に首都圏のそれは諜報機関の最前線でありサイバー攻撃の拠点でもあるのですね。映画のハワイの地下基地の様子も驚きでした。スノーデンは正直で誠実、出世に興味がないゆえに、これはおかしいと感じたのでしょう。自分のプログラムがほかの目的に転用され、NSAの監視行為が安全保障のためだけでないことも気づいてやむにやまれず行動に出たというのがよく描かれていました。米国が中国のファーウェイを締め出そうとしているのも、支配できないIT企業の存在を認めないということからなのでしょう。
2024.02.17
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オリバー・ストーン監督最新作/映画『スノーデン』予告編 - YouTubeSnowden | Official Trailer [HD] | Open Road Films - YouTubeストーリー:香港の高級ホテル。ドキュメンタリー作家のローラ・ポイトラス、ガーディアン紙の記者グレン・グリーンウォルドのいる一室に、一人の青年がやってくる。彼の名はエドワード・スノーデン。アメリカ国家安全保障局(NSA)職員であるスノーデンは機密資料を提供し、アメリカ政府が秘密裏に構築した国際的な監視プログラムの存在を告発した。国を愛するごく平凡な若者だった彼は、CIAやNSAで勤務するうちに、その恐るべき実態に直面。テロリスト、民間企業、さらには個人までも対象にアメリカ国内のみならず全世界のメールや携帯電話での通話を監視する体制に危機感を募らせ、キャリアも幸せな生活も捨ててまでリークを決意する。(KINENOTE)『スノーデン』(Snowden)は、オリバー・ストーン監督、キーラン・フィッツジェラルド及びストーン脚本による2016年のアメリカ合衆国の伝記・ポリティカル・スリラー映画(英語版)。ルーク・ハーディング(英語版)のノンフィクション本『スノーデンファイル 地球上で最も追われている男の真実(英語版)』及びアナトリー・クチェレナ(英語版)の本『Time of the Octopus』が原作となっている。撮影は2015年2月16日よりドイツのミュンヘンなどで行われた。(ウィキ)134分映画製作プロジェクトに参加する米国企業が現れず、またスタジオの協力も得られずに資金調達が困難となった[6]。その後、イギリスとドイツからの資金調達が決まり、撮影はドイツで行われることとなった[6][7]。 「アメリカ人に関する話なのにアメリカでこの映画に出資できないというのは実に奇妙だ。あからさまに国家主義的でない題材に対し、このことがどのような影響を与えるかを考えれば、これは非常に憂慮すべき事態だ。彼らは我々に表現の自由があると言う。しかし、思想は金によって操られ、コントロールされているし、メディアも同様だ。この国はその点で非常に縛りが厳しく、あるレベルにおいては批判が許されない。既に亡くなった市民活動家についての映画は作れるが、現在の人物についてはそれが容易ではない」—オリバー・ストーン監督[6]。 主要撮影は2015年2月16日にドイツのミュンヘンで始まった[26]。4月半ばにはワシントンD.C.での撮影が行われた[27]。4月15日から18日にかけてはハワイ州で撮影が行われた。映画に使われた家はスノーデンが実際に住んでいたのと同じ通りのものである。4月末にはザ・ミラ ・ホンコン(英語版)での撮影が始まり、さらに続いて土瓜湾の古いビルでも行われた[28]。撮影は5月末まで続いた[22]。NSAの干渉を恐れたストーンは米国外での撮影を決めていた[6]。ストーンは「我々はここで危険に晒されているような気がした。我々にはNSAが何をするのかわからなかったので、ミュンヘンで終わらせた。そしてそれは美しい経験だった」と語った[6]。ウィキからですが、映画製作に関しては米国企業は二の足を踏んだようですね。撮影も監視されていたことでしょう。NSAの監視プログラムを暴露する香港のホテルでの様子が現在(2013年)で、それにカットバックされる形で2004年の軍隊やCIA入所、NSAでの活動の様子が映されるという形式で映画は進行します。定期的なポリグラフ検査や、スノーデンの私生活、妻のSNS、メールの監視などが描かれています。上司に、「安心しろ妻の不倫はない」なんて言われては、背筋が凍ります。NSAは海外の活動監視が主目的なのに、米国内の情報収集量が3億とずば抜けて多いことが暴露されます。もちろん、違法です。監視目的は、米国の安全保障というよりは、政治権力とそれに結び付いた一部の資本家の利益のためだと疑い始めます。監視ブログラム以外にもハッカー対策やサイバー攻撃プログラムの開発もやっていました。同盟国首脳の盗聴やメール監視は暴露されて問題になりましたが、日本に関しても日本駐在中に電力網をシャットダウンするサイバー攻撃プログラムを構築したというくだりが刺激的です。米国は日本のインフラを人質を取っており、歯向かえば容赦しないということですね。Introduction - 映画『スノーデン』公式サイト|7月5日 Blu-ray&DVD発売決定! (snowden-movie.jp)からです。 「日本が同盟国でなくなった瞬間、仕込んであるマルウェアを発動させて、すべてのインフラを麻痺させることができる」。映画館で最初からずっと想像を絶する監視体制・スパイ体制の秘密に寒気がしていた中で、横田基地の回想シーンに移り、DELLコンピューターがスパイの下請けをしている事実や、見慣れた日本列島があっというまに真っ暗闇になっていくシーンを見て、どれだけ日本が米国に支配されているのかを体で感じることができた。恐ろしい。それがこの映画をみた感想だ。決して抵抗できない体の大きないじめっ子にいじめられる恐怖や、暴力組織の面前に立たされた時の絶望感はだれでも味わったことはあるだろう。アメリカはその暴力組織が大きくなったものだ。中国がマフィア国家だの言われているが、どの国も成り立ちはほぼ変わらないということだ。 参考:エドワード・ジョセフ・スノーデン(英語: Edward Joseph Snowden、ロシア語: Эдвард Джозеф Сноуден、1983年6月21日 - )は、アメリカ国家安全保障局(NSA)および中央情報局(CIA)の元局員である。NSAで請負仕事をしていたアメリカ合衆国のコンサルタント会社「ブーズ・アレン・ハミルトン」のシステム分析官として、アメリカ合衆国連邦政府による情報収集活動に関わった[6]。2013年6月に、中華人民共和国香港特別行政区で複数の新聞社(ガーディアン、ワシントン・ポストおよびサウスチャイナ・モーニング・ポスト)の取材やインタビューを受け、それまで陰謀論やフィクションで語られてきたNSAによる国際的監視網(PRISM)の実在を告発したことで知られる[7][注釈 1]。2013年6月22日、米司法当局により香港政府に臨時逮捕と引き渡しの要請が出され[9]、エクアドルなど第三国への亡命を検討しているとされていたが、同年8月1日にロシア移民局から期限付きの(=更新が必要な)滞在許可証が発給されてロシアに滞在するようになった[10]。その後、2022年9月26日に、ロシアのプーチン大統領が、スノーデンにロシア国籍を付与する大統領令に署名した。2014年1月、ノルウェーのボード・ソールエル(英語版)元環境大臣からノーベル平和賞候補に推薦された[11]。(米国)アメリカ連邦捜査局(FBI)のモラー長官は、NSAの情報収集について、何ら違法性はないとの認識を示し、スノーデンの逮捕に向けて全力で捜査していると表明した[117]。2013年6月22日、アメリカ合衆国司法省は香港政府に逮捕を要請した[9][118]。2013年7月に発表されたアメリカのキニピアック大学(英語版)の世論調査ではスノーデンを内部告発者だと考える有権者が55%に上り、裏切り者だと考える有権者は34%に留まった[119]。また、ワシントンポストとABCニュースが実施した世論調査によると、アメリカの30歳以上の大人の57%は「スノーデン氏の罪を問うべきだ」としているが、これは30代以下の若者では35%であり、56%の若者は、スノーデンがNSAの文書を公開したことについて「正しいことをした」と答えている[120]。オバマは各国駐米大使館への盗聴に対して、一般論として「諜報機関を持つ国ならどの国でもやっていることだ」として、同盟国の大使館に対する諜報活動を否定しなかったが[71]、情報収集活動の見直しを指示したという[121][注釈 6]。2013年10月にはクラッパー国家情報長官らがNSAによるドイツのメルケル首相ら35人の外国首脳に対する長年に亘る盗聴を認めた[121][122]。一部はすでに中止されたが、一部は有益な情報をもたらしているとして継続されているという。また、盗聴の対象はNSAが独自に決定しており、オバマの承認は得ていなかったとしている。NSAは数多くの盗聴を行っているため、全ての活動について大統領に報告することは現実的ではないという[121]。 (日本) 菅義偉内閣官房長官は「米国内の問題なので、米国内で処理されることだ」「日米間の外交においては、しっかりと秘密は守られるべきだ」とのみ述べた[131]。2015年(平成27年)7月31日には、内部告発サイト「ウィキリークス」がNSA(アメリカ国家安全保障局)が少なくとも2006年ごろから日本の内閣・日本銀行・財務省などの幹部の盗聴を試みていたとして、アメリカ合衆国連邦政府の関連文書を公開されているが[132]、菅義偉内閣官房長官[133] と安倍晋三内閣総理大臣[134] は「事実であれば極めて遺憾」と述べるのみで、抗議には至らなかった[135]。(ドイツ)ドイツ政府報道官は大使館の盗聴に対して「全く容認できない」とする苦言を呈し、アンゲラ・メルケル首相は、バラク・オバマ大統領に抗議した[69]。2014年6月27日、ドイツ内務省(ドイツ語版)はベライゾン・コミュニケーションズとの契約破棄を発表するとともに、高度な防諜対策を施した通信インフラストラクチャーが必要であるとの認識を表明した[124]。 また同年7月には、本件に関するドイツ連邦議会の対応状況をアメリカ合衆国に売っていた連邦情報局とドイツ連邦軍の職員がスパイ容疑で逮捕され、駐ドイツ連邦アメリカ合衆国大使館の情報部門責任者が、ドイツ連邦からペルソナ・ノン・グラータを受けている[125]。 (ウィキ)
2024.02.16
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汚染水5.5トン漏えい 現場のコンクリート撤去開始 周辺の「350倍」の放射線量 福島第一原発福島第一原発で汚染水が漏れた問題で、東京電力は15日、汚染水が流れたコンクリートの撤去作業を始めました。7日、福島第一原発の汚染水を浄化する装置の排気口から、放射性物質を含む汚染水5.5トンが漏洩しました。漏れた汚染水の大半は地面に染み込んだとみられ、コンクリートの下の土壌からは、周辺のおよそ350倍にあたる毎時7ミリシーベルトの放射線量が確認されています。東電は汚染水が流れた範囲を特定し、15日から、汚染されたコンクリートの撤去を始めたということです。16日には、コンクリートの下にある土壌も撤去する予定です。東電は「現時点で環境への影響はない」と、説明しています。汚染水5.5トン漏えい 現場のコンクリート撤去開始 周辺の「350倍」の放射線量 福島第一原発 (msn.com)毎時7ミリシーベルトの放射線量、やっぱり高いですね。核物質除去前の水はやっぱり汚染水ですね。それにしても、漏水の原因や対策はどうなっているのでしょう。PS:福島第1原発の汚染水漏えい 原因は作業員の手動弁閉め忘れ (msn.com)東京電力は15日、福島第1原発の汚染水から放射性物質を除去する装置が入る建屋で汚染水が漏えいした事故について原因を発表した。主な原因は、本来は作業中に閉めておくべきだった手動弁を閉め忘れたことだとした。漏えいした汚染水については、当初の推計の約5・5トンから約1・5トンに、放射性物質の総量を約220億ベクレルから約66億ベクレルにそれぞれ下方修正した。東電によると、7日午前8時半ごろ、汚染水が通る装置の配管の線量を下げるため、洗浄水を流す作業を開始。同53分ごろ、作業員が地上から5メートルにある排気口から建屋外に水が漏えいしているのを見つけた。汚染水は約40分間にわたって建屋外に漏れ続けたとみられる。東電は、15日までに鉄板の水を拭き取ったり、周辺土壌の回収などを続けたりしている。 現場では、下請け企業の作業員2人がペアになって手順書に基づいて手動弁が閉じているかを確認するはずだった。実際は、手順書と弁の番号を照合するだけで、弁の状態を適切に確認していなかった。作業を担当した下請け企業は、2020年度から十数回程度、同じ作業をこなしていた。これまでは弁が閉まっていたが、今回は装置の運転停止後に発生する水素を外に逃がすために弁は開いていた。作業員が確認していた手順書は、東電が作っている。だが、今回は装置の運転部門と保全部門の間の情報共有が不十分で、実際の弁の状況と異なる手順書を作っていた。東電の松尾桂介・福島第1廃炉推進カンパニー広報担当は「事案を重く受け止め、再発防止対策に取り組む」と陳謝した。廃炉作業が続く第1原発では1日4000人以上が働いているが、人為的ミスによるトラブルが頻発している。松尾氏は「人間はミスをするので、完全にヒューマンエラーをなくすことは難しい。仮にエラーが起こったとしても、大きなトラブルにつながらない設備面の対策も必要だ」と話した。【肥沼直寛】
2024.02.16
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映画では、トランボがカーク・ダグラスからスパルタカスの脚本を依頼されている際に、黒塗りの車でやってくる押し出しのよい紳士が登場します。強面で威圧的な態度、反共派の人間かと思ったら、これが映画監督のオットー・プレミンジャーでした。名前は聞いていましたが、本人として映像化されたのを見るのは初めてです。英語もくせがありました。用件は、栄光への脱出の脚本手直し依頼です。今スパルタカスをやっていると答えると、連中はクリスマス休暇、その間にやればよいと強引です。もし、気に入らない脚本なら本名をクレジットすると脅す下りには笑ってしまいました。アメリカにおけるイスラエル支持の世論形成にも多くの影響を与えた。(ウィキ)とありますから映画の力は小さくないですね。『栄光への脱出』(Exodus)は、1960年のアメリカ映画である。ユナイテッド・アーティスツ配給。監督はウィーン出身のユダヤ人、オットー・プレミンジャー、音楽はやはりウィーン出身のユダヤ系作曲家アーネスト・ゴールド、脚本はダルトン・トランボ、撮影はサム・リーヴィット。 オットー・プレミンジャー(Otto Preminger, 1905年12月5日 - 1986年4月23日)は、オーストリア=ハンガリー帝国生まれの映画監督、映画プロデューサーである。1950年代 - 1960年代のハリウッドで活躍した。彼はユダヤ人であったが、オーストリア訛りがあり、しかも悪役に向いた人相の持ち主であったため、皮肉なことに自分があれほど嫌ったナチの人物役を何度も舞台で演じることになった(後に同郷のビリー・ワイルダー監督の『第十七捕虜収容所』でも捕虜収容所所長の冷酷なドイツ軍人に扮し、はまり役というべき敵役ぶりを見せた。ワイルダーはこれを面白がり、プレミンジャー本人は閉口しながら演じたという)。しかし、この舞台での活躍が認められて、1940年代に映画界に戻り、映画製作に携わるようになった。(ウィキ)トランボは取材する記者たちに、ハリウッドの「ブラックリスト」に名前が上がっている脚本家たちが偽名で仕事をしているという事実を提示するなど、「ブラックリスト」を無効化するための活動を続けた。1959年にはテレビのインタビューで、自分が「ロバート・リッチ」であると認め、同年には「ロバート・リッチ・プロダクション」の設立を発表した。また、同年には『スパルタカス』の脚本をリライトする契約をサム・ジャクソン名義で行ったが、降板させられたアンソニー・マン監督がトランボの脚本であることを広めてしまった。トランボが同時期に手がけた『栄光への脱出』の監督のオットー・プレミンジャーはトランボが脚本を書いたと公表し、『スパルタカス』もトランボの名前がクレジットされることになった。『栄光への脱出』『スパルタカス』は興行的に大成功を収め、その後、他のハリウッド・テンのメンバーも実名で仕事できる機会が増えていった。 1976年9月10日、ハリウッドの自宅で心臓発作により死去。70歳[4](ウィキ)晴れて実名がクレジットされたトランボの作品です。劇場で観たパピヨンが思い出深いです。· ガン・ファイター The Last Sunset(1961年)· 脱獄 Lonely Are the Brave(1962年)· いそしぎ The Sandpiper(1965年)· ハワイ Hawaii(1965年)· フィクサー The Fixer(1968年)· ホースメン The Horsemen(1971年)· パピヨン Papillon(1973年)カメオ出演も· ダラスの熱い日 Executive Action(1973年)ジョニーは戦場へ行った Johnny Got His Gun(1971年)監督 兼原作・脚本、カメオ出演も本稿は、これでおしまいです。
2024.02.15
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モンゴメリー・バス・ボイコット運動が幕を開けた1955年。完成した『黒い牡牛』の脚本をドルトン・トランボがキングブラザーズに提出すると社長のモーリスは自社での製作を決定する。「ロバート・リッチ」名義でクレジットされたこの映画は第29回アカデミー賞で原案賞を受賞してしまい、やがてトランボが執筆したという噂が立つ。さらに第30回で『戦場にかける橋』が脚色賞、第31回で『手錠のまゝの脱獄』が脚本賞を獲得し、3年連続でブラックリスト入りした脚本家がオスカー受賞者となるとトランボはこれを好機とみてテレビに出演し、自分がロバート・リッチであることを認める。トランボの発表を赤狩りへの挑戦であると受け取ったアーノルド・ギビーは彼への攻撃を開始し、またアメリカの理想を守るための映画同盟のジョン・ウェインやヘッダ・ホッパーは会員たちに共産主義者の徹底した排除を呼びかける。先鋭化した赤狩りとの闘いを決意したトランボのもとへプロデューサーのエドワード・ルイスから新たな仕事が舞い込む。紀元前1世紀にローマ帝国を相手に反乱を起こした奴隷を描く小説を原作とするカーク・ダグラス主演・製作総指揮の映画『スパルタカス』の脚本執筆をトランボは「サム・ジャクソン」名義で引き受ける。ウィキ 『赤狩り THE RED RAT IN HOLLYWOOD』から赤狩り THE RED RAT IN HOLLYWOOD - Wikipediaいくら偽名と言っても、徐々に正体判明です。なんせアカデミー賞を2度も取ってしまうのですから、注目の的です。マッカーシーは1954年に失脚し、57年に亡くなったものの、下院非米活動委員会(House Committee on Un-American Activities、HUAC)は、名前を変えながら1975年まで存続しました。映画の後半は、名誉回復の戦いが描かれます。ジョン・ウェインやヘッダー・ホッパーの嫌がらせは執拗ですね。B級映画会社社長が、圧力をかけに来た男に対してアカでも何でも、面白ければよいと怒鳴り散らして追い返すシーンは痛快でした。まさに米国の活動屋の心意気といったところでしょう。『スパルタカス』(Spartacus)は、1960年のアメリカ映画。ハワード・ファストが執筆したスパルタクスの反乱をテーマにした小説を、カーク・ダグラスが自らの製作総指揮・主演で映画化した歴史スペクタクル映画。2017年、アメリカ議会図書館によって「文化的、歴史的、美学的に重要」とみなされ、アメリカ国立フィルム登録簿に保存された。かつて赤狩りで追放歴のあるダルトン・トランボ(ハリウッド・テンの一人)が13年ぶりに実名で脚本を担当したことから、公開当時は右派や軍人を中心に非難や上映反対運動が起こった[要出典]。これに対し、ジョン・F・ケネディ大統領(当時)が事前通知なしで劇場を訪れて同作品を観賞し、好意的な感想を述べたことで、大ヒットにつながった[4]。キューブリックはあくまで監督として「雇われた」だけだと言い張り、死ぬまでこの映画を自分の作品とは認めず、「あの映画には失望した」とまで言っていた。[要出典]これは製作者カーク・ダグラスが大物俳優であったことにより、キューブリックの思惑どおりになかなかことが進まなかったことが理由とされている。ただし近年までの本作品の評価は一般的、批評家的にも高評価であり、キューブリック本人の自作否定と反して監督本人のキャリアを汚すものではない。もっとも、史実のスパルタカスを考えると、彼がローマ軍の捕虜となる筋書きには批判もある。[要出典](ウィキ)
2024.02.14
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愛方が腰を痛めて3週間。3万円近くするお高い医療用コルセットをつけて養療中です。*申請すれば、2~3か月後に7割?相当が補てんされるそうです。圧迫骨折もいちおう骨折なので1か月くらいはかかるのではと思っていますが、若くないので治りは遅いでしょう。医者からは牛乳を飲めと言われていますがもともと飲めないので、ヨーグルトやカルシウムせんべい、クッキーなどを食べています。サプリメントも飲んでいますね。それでもいまだ前かがみの姿勢は御法度です。基本、家でごろごろの生活です。というわけで、重いものはは厳禁。洗濯や夕食の準備と片づけはすっかり私の「お仕事」です。今日は、作るのが面倒だったのでスーパーですしを買って、湯豆腐で一杯です。和風のスパゲッティーに、スーパーで買ったかにかまサラダです。ワインは、いただき物でエノテカの少し高めのものです。久しぶりに手ごろな鯛が売っていました。10尾前後並んでいました。それにしても300円は安いです。塩焼きでは能がない?しワインも残っているので、いちばん大きなフライパンでアクアパッツァにしてみました。まずは、にんにくとオリーブオイルで片面づつ焼いた後、冷凍のあさりとほたて、白ワインを投入です。エリンギと野菜、そして水=アクアを入れて数分煮ておしまいです。洋風煮魚ですね。食べ終わった後、出汁がたっぷり出たので卵を加えてリゾットにしました。とてもおいしかったです。銀座のあるお店でも、+300円でリゾットにしてくれるサービスがありましたが、いつもお腹いっぱいでお願いしたことはありませんでした。トライすべきでしたね。悔やまれ?ます。
2024.02.13
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「黒い牡牛」とともに、トランボが追放中に書いてアカデミー賞をもらった作品は、「ローマの休日」(53年)です。映画では、脚本を書き上げた後に題名を直されるエピソードが映されていました。監督のウィリアム・ワイラーは、トランボらハリウッド・テンを助けるべく、ハンフリー・ボガードなどと「第一修正条項委員会」を結成し抗議活動を行ったが、実らなかったことに落胆していた。「ローマの休日」をオール・ロケし、セット撮影も、編集もイタリアのチネチッタ・スタジオで行ったのは、赤狩りの魔の手から逃れるためだった。それは自分の右腕として長年働いてくれたレスター・ゴーニッグが、密告によりブラックリストに入り、ハリウッドを追放されたことで、彼を守る目的もあった。このいつまでも眺めていたいほど愛おしい、オードリー・ヘプバーンの名作の裏に、硬派なワイラーがいたのだ。アン王女もグレゴリー・ペックの新聞記者も、お互い嘘をついている。だが、二人ともお互いを裏切らなかった。真実を誰にも明かさなかった。この映画が内包している本当の意味は、作り手たちがこの時、内に秘めていた思いだったのである。赤狩り/マッカーシズム・イン・ハリウッド 〜アメリカ暗黒史の映画ファン的考察〜|nobu.hk / 踊る大香港 (note.com)ワイラーが即興でシナリオに付け加えた一発撮影のシーンと言われています。グレゴリー・ペックの手首を隠すシーンは、彼のアドリブとも。名作も作り手の背景を知ると、味わい深いです。参考:ウィリアム・ワイラー(William Wyler, 1902年7月1日 - 1981年7月27日)は、アメリカ合衆国を代表する映画監督の一人。ハリウッド黄金期に活躍し、アカデミー監督賞を3回受賞し、数多くの名優を見出した。ドイツ帝国のミュールハウゼン(現・フランス東部オー=ラン県ミュルーズ)出身。両親ともにユダヤ人です。1950年前後にハリウッドを吹き荒れた赤狩り(マッカーシズム)に最後まで抵抗している。裁判官に「あなたは共産主義を支持しているか、もしくは関係があるか」と問われた際に、「その言葉をそのままあなたに返そう。『あなたは共産主義を支持しているか、もしくは関係があるか』あなたが答える義務がないのなら、私が答えるのを拒否してもいいはずだ」と抗議したと言われている[要出典]。(ウィキ) 修正第1条委員会(Committee for the First Amendment)は、1947年9月に下院非米活動委員会(HUAC)の公聴会でハリウッド・テンを支持する俳優らによって結成された活動団体である。脚本家のフィリップ・ダン、女優のマーナ・ロイ、映画監督のジョン・ヒューストンとウィリアム・ワイラーによって設立された。その他の会員にはルシル・ボール、ハンフリー・ボガート、ローレン・バコール[1]、ジュールス・バック(英語版)、ジョゼフ・コットン、ドロシー・ダンドリッジ、ベティ・デイヴィス、オリヴィア・デ・ハヴィランド、メルヴィン・ダグラス、ヘンリー・フォンダ、ジョン・ガーフィールド[1]、ジュディ・ガーランド、アイラ・ガーシュウィン[1]、ジューン・ハヴォック(英語版)、スターリング・ヘイドン、ポール・ヘンリード、キャサリン・ヘプバーン、レナ・ホーン、マーシャ・ハント[1]、ダニー・ケイ[1]、ジーン・ケリー[1]、イヴリン・キース、バート・ランカスター、グルーチョ・マルクス、バージェス・メレディス、ヴィンセント・ミネリ、エドワード・G・ロビンソン、ロバート・ライアン、フランク・シナトラ、ケイ・トンプソン(英語版)、ビリー・ワイルダー、ジェーン・ワイアットが含まれた[1]。ボガート、ガーフィールド、ロビンソンは後に自分たちは「騙されて」ハリウッド・テンを支持したとする記事を発表した(ガーフィールドとロビンソンは後にブラックリストに載った)。『フォトプレイ(英語版)』誌の1948年3月号にはボガートの「私は共産主義者ではない」("I'm No Communist")という記事が掲載された[6]。この記事の中でボガートは自身と他の委員会員はハリウッド・テンの中に実際に共産主義者がいたことに気付いていなかったと主張している。当時最高のハリウッドスターの1人だったボガートは自分のキャリアを守るために売ったものとみなされ、多くのリベラル派や仲間たちから攻撃された[5]。(ウィキ)
2024.02.13
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私が、ドルトン・トランボの名前を初めて聞いたのは、彼が監督した「ジョニーは戦場に行った」(1971年)です。リバイバル上映された「西部戦線異状なし」とともに、反戦映画として大きな反響でした。ストーリー:第1次大戦にアメリカが参戦し、中西部コロラド州の青年ジョー・ボナム(ティモシー・ボトムズ)は、ヨーロッパの戦場へと出征していった。鼓膜を引き裂くような不快音をたてて落下してくる砲弾が炸裂し、大地がわれる。--ジョーはいま、<姓名不詳重傷兵第407号>として、前線の手術室に横たわっている。延髄と性器だけが助かり、心臓は動いていた。軍医長テイラリー(エドワード・フランツ)は「もう死者と同じように何も感じない、意識もない男を生かしておくのは、彼から我々が学ぶためだ」と説明した。こうして<407号>と呼ばれるようになったジョーは陸軍病院に運ばれた。出征する前夜のことを、ジョーの意識はかけめぐる--カリーン(キャシー・フィールズ)は小さくて可愛らしい娘だった。彼女の父親の許しがあって、ジョーとカリーンは残り少ない時間を寝室で過ごす。そして出征の朝。駅には愛国歌が流れ、ごったがえしていた。涙を流すカリーンを抱きしめ、ジョーは軍用列車に乗った。--ジョーはあの時、泥水のたまった穴の底で、砲弾にやられたのだ。軍医長の命令で<407号>は人目につかない場所に移されることになり、倉庫に運び込まれた。かゆかった。腕のつけ根あたりがかゆい。ところが何もないのだ。両手も、両足もないらしい。切らないでくれと頼んだのに。こんな姿で生かしておく医者なんて人間じゃない。--ジョーは少年時代を思い出していた。父(ジェイソン・ロバーズ)は貧しかったが特別な釣竿を作るのが好きで、いつも手を動かしていた。そんな平和な家庭にも不幸な出来事が起こった。ジョーが働くようになって間もなく父が死んだのだ。母(マーシャ・ハント)は気丈に耐えていたが、幼い妹たちは床にうずくまっていた。--顔をおおっているマスクを変える時、あらゆる神経を総動員してジョーはさぐってみた。舌がなかった。アゴがなかった。眼も、口も、鼻もなかった。額の下までえぐられているのだ。ある日、ジョーは何かが額にさわるのを感じた。そうだ、これは太陽だ。あのなつかしい暖かさ、そのにおい。ジョーは、野原で真っ裸で陽の光を浴びていたあの日のことを思いだした。--ジョーは悪夢のような戦場での体験を思いおこしていた。その夜、塹壕の中で悪臭を放つドイツ兵の死体を埋めていた。その最中に、あの長い砲弾のうなりがのしかかり、強烈な白熱が眼前にとび散り、それきり暗黒の世界にしずみこんでしまった。--<407号>は新しいベッドに移し変えられた。看護婦(ダイアン・ヴァーシ)も変わった。その看護婦はジョーのために涙を流し、小瓶に赤いバラを1輪、いけてくれた。やがて雪が降り、看護婦は<407号>の胸に指で文字を書き始めた。M・E・R・Y。メリー、…そうか、今日はクリスマスなのか…ぼくもいうよ看護婦さん。メリー・クリスマス!--クリスマスの夜ジョーの勤め先のパン工場は熱気にあふれていた。皆はダンスを楽しんだ。父はジョーにいった。何もいえないなら電報をうて、モールスだ。頭を使うんだ。--その日、<407号>が頭を枕にたたきつけているのを見た看護婦は軍医を呼んだ。数日して、テイラリーと神父が倉庫を訪れた。頭を枕にうちつける<407号>を見た将校は「SOSのモールス信号です。」といった。将校は<407号>の額にモールス信号を送った。「君は何を望むのか…」「外にでたい。人々にぼくを見せてくれ、できないなら殺してくれ」上官は愕然とした。そして一切の他言を禁じた。それに対し神父がなじった。「こんな蛮行を信仰でかばいたくない。諸君の職業が彼を生んだのだ!」一同が去ったあと、1人残った看護婦は、殺してくれと訴えつづける<407号>の肺に空気を送り込む管を閉じた。しかし、戻ってきた上官がこれを止め、看護婦を追いだしてしまった。倉庫の窓は閉ざされ、黒いカーテンが全てをかくした。暗闇にジョーだけが残された。…ぼくはこれ以上このままでいたくない。SOS、助けてくれ、SOS…その声なき叫びはいつまでもひびいている。(KINENOTE)『ジョニーは戦場へ行った』(Johnny Got His Gun) は、ダルトン・トランボが1939年に発表した反戦小説である。本作は第二次世界大戦勃発の1939年に発表されたが、反戦的な内容が「反政府文学」と判断され、戦争の激化した1945年、ついに絶版(事実上の発禁処分)となる。戦後になって復刊されたものの、朝鮮戦争時には再び絶版とされ、休戦後に復刊されるなど、戦争のたびに絶版と復刊を繰り返す。ベトナム戦争最中の1971年、トランボ自身の脚本・監督により映画化された。カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリ、国際映画評論家連盟賞、国際エヴァンジェリ映画委員会賞を受賞。112分(ウィキ)「独裁者」や「殺人狂時代」を作ったチャップリンは共産主義者ではなかったですが、戦争を批判したり平和を主張したことで、右翼のやり玉に挙げられ最後は米国から追放されました。チャップリンは共産主義者であることを否定し、代わりに自分を「平和主義者」と呼んだが[267][268][269]、イデオロギーを抑圧する政府のやり方は自由権を侵害していて容認できないと主張した[270]。チャップリンはこの問題について沈黙を拒否し、共産党員の裁判と下院非米活動委員会の活動に公然と抗議した[271]。チャップリンの活動はマスコミで広く報道され、冷戦の恐れが高まるにつれて、チャップリンがアメリカ市民権を取らなかったことにも疑問が投げかけられ、国外追放を求める声も上がった[236][270][272][273]。例えば、1947年6月に非米活動委員会の委員であるジョーン・E・ランキン(英語版)議員は、「チャップリンがハリウッドにいること自体が、アメリカの体制には有害なのです…今すぐ彼を国外追放処分にして追放すべきであります」と発言した[270]。同年9月、チャップリンは非米活動委員会から召喚状を受け取ったが、証言するために出頭されることはなかった[244][274][275](チャップリンが放浪紳士の扮装で出廷する、と声明を出すと出頭は沙汰止みとなった[276])。(ウィキ)とにかくアカのレッテルをはって、進歩的な人や自由主義者を片っ端から弾圧した時代ですから、「ジョニーは戦場に行った」なんていう反戦小説を書いたトランボはかっこうの標的だったのでしょう。この映画を劇場で観たころ、テレビの月曜ロードショーで「黒い牡牛」(1956年)が放送されて、解説の荻昌弘がトランプがハリウッド追放中に偽名(ロバート・リッチ)で書いた脚本と述べていたのをよく覚えています。
2024.02.12
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ストーリー:卓越したドライビングテクニックを武器に輸送車強奪事件を繰り返したドミニク(ヴィン・ディーゼル)は指名手配を受け、LAを離れていた。南米ドミニカでも恋人レティ(ミシェル・ロドリゲス)や仲間とともに、タンクローリー襲撃を成功させる。しかし、当局の捜査の手がすぐ近くに迫っていた。レティを巻き込むことを心配したドミニクは、彼女の前から姿を消す。次に彼が現れたのはLA。妹ミア(ジョーダナ・ブリュースター)から衝撃的な事実を耳にしたドミニクは身の危険を知りつつ、ある人物への復讐を誓い、この街に戻ってきたのだ。その頃、ドミニクのライバルで元警察官、今やFBIの捜査官となったブライアン(ポール・ウォーカー)は、凶悪な麻薬組織を追っていた。捜査の過程でニトロ搭載の改造車に行き当たった彼は、その所有者を追って偶然ドミニクと再会。ドミニクの復讐の相手も、同じ改造車に乗っていたのだ。8年ぶりの再会。狙う相手が同じと知った2人だが、FBIに任せろというブライアンに、ドミニクはこの手で復讐する、と言い放つ。手に入れた情報をもとに、麻薬王ブラガが仕切るストリートレースに、愛車ダッジ・チャージャーで出場するドミニク。その目の前に、スカイラインGT-Rで現れるブライアン。このレースは、メキシコからの麻薬の“運び屋”を選ぶレースでもあったのだ。壮絶なデッドヒートを演じるドミニクとブライアン。ブラガの腹心カンポス(ジョン・オーティス)は、それを見て2人を雇う。彼らに与えられた仕事は、メキシコ国境を越える隠しトンネルを走り抜け、国境警備隊に見つからずにヘロインを運び込むこと。冷酷なフェニックス(ラズ・アロンソ)の先導で任務は成功するが、そこに予期せぬ罠が。生き残るために手を組むことになったドミニクとブライアン。姿を見せないブラガの行方は?そして、真の敵の正体は?事件は意外な真実へと突き進んでいく……。(KINENOTE)『ワイルド・スピード MAX』(ワイルド・スピード マックス、原題: Fast & Furious)は、2009年公開のアメリカ合衆国の映画。ワイルド・スピードシリーズ第4作で、ストリートレースを題材にしたカーアクション映画。今作のおもな舞台はロサンゼルス、メキシコ、ドミニカ共和国。1作目の主演コンビであるポール・ウォーカーとヴィン・ディーゼルが復帰。前作までと比較するとレースや車を中心とした演出はやや抑えられており、カーチェイスアクションとしての演出が色濃くなっている。· スカイラインGT-R BNR34が登場するアクションシーンの撮影には、RB25DET型を搭載する「25GT-t」をベースとして製作したレプリカ車両が使われた。これは実際のGT-Rがアメリカ国内において8万ドルもするためである[4]。· 上記の通りアクションシーンの撮影にはレプリカを使用したが、グリーンスクリーン等の固定撮影用には撮影車両と同一の外装を装着した本物のGT-Rを用意し、撮影していた[4]。· シリーズ共通だが、俳優のドライブシーンの多くがグリーンスクリーンでの合成撮影である。ハリウッドでは、俳優に各種制約があるため、アクションシーンの撮影は全てスタントマンが行う[4]。 本シリーズ作品にそれぞれ与えられている「ワイルド・スピード(通称・ワイスピ)」およびそれに続くサブタイトルは、いずれも原題の直訳に基づいていない日本オリジナルの邦題である(原題「Fast & Furious」は、「熱気に満ちた、勢いよく、熱狂的な」[3]といった意味の慣用句)。これに関しては、米メディアのThe Hollywood Reporterが「爽やかで、わかりやすく、アーケードのレースゲームのようなタイトル」と評し絶賛する内容の記事を掲載しており[4]、他にも様々なメディアにおいて好意的に評価されている[5][6]。『ファイヤーブースト』で監督を務めたルイ・レテリエはインタビューにて「僕が好きなタイトルは日本版です。(中略)他にも『Sky Mission』とかがあって、“うんうん、言いたいことわかる”って感じ」と語っている[7](ウィキ)シリーズ4作目で、このシリーズの作品は初めてです。カーチェイスやレースがウリの映画なのでしょう。ドラマとしては、黒幕をぼかしたもののわかりやすい展開で、物足りなかったです。この回では亡くなったことになっているドミニクの恋人レティも実は死んでいないそうですので、ストーリーは付けたしご都合主義のようです。国境越えのトンネルというのは、面白いアイディアと思いました。ワイルド・スピードは、邦題だったのでね。
2024.02.12
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1月からZumbaのクラスが、ひとつ増えて週3回になりました。下旬は腰を痛めたので、お休みしましたが徐々に復帰です。One Last Time(2015年)は、そのうちのひとつのクールダウンの曲です。新体操をやっていたという細身のインストラクターは、流れるような振りで気持ちよく体を動かせてくれます。それほど激しく動かなくとも、けっこう汗が出ます。休んでいた筋トレもそろそろやろうと思っています。
2024.02.11
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ジョン・ウェイン(John Wayne, 1907年5月26日 - 1979年6月11日)自他ともに認める愛国主義者である彼は、リベラル思考の観客からは典型的タカ派俳優として非難の対象ともなり、特にベトナム戦争が泥沼化した一時期には人気を落としたが、それに対抗するように製作・監督・主演兼任で映画『グリーン・ベレー』を完成させ、ベトナムで特殊作戦に従事するアメリカ兵を描いた。ジョン・ウェインは多くの戦争映画に出演し「アメリカの英雄」として賞賛されたが、現実には兵役には就かなかった。1940年に徴兵が復活し、1945年に第二次世界大戦が終了するまでウェインはハリウッドに残って21作の映画に出演した。1941年の真珠湾攻撃当時、彼は34歳で徴兵の該当年齢であったが、家族依存の理由で3-Aに分類され[要校閲]徴兵猶予を申請し受理された。これには国中の興味が集まり、後に2-Aに変更された[要校閲]。映画でも赤狩りの対象となった人たちが、沖縄戦や各地の戦争経験を語り、ジョン・ウェインに君は戦争中何をしていたのかと問うシーンがあります。「アメリカの英雄」の真の姿が、描かれていました。日本で「愛国」を説く人たちは、どうでしょう。昭和の時代には国士と言われた人が、CIAの手先だったという事件もありました。「人生は、愛と友情と裏切りだ」というのはフィルムノワールの某監督の言葉ですが、この作品でも赤狩りで仲間を裏切る人物が描かれます。その一人が、ゴッホの絵を売って裁判を支援したエドワード・G・ロビンソンです。エドワード・G・ロビンソン(Edward G. Robinson, 1893年12月12日 - 1973年1月26日)は、アメリカ合衆国の俳優。ハリウッドで性格俳優として活躍、50年の俳優生活で101本の映画に出演した。ルーマニア・ブカレストで、ユダヤ系の両親の間に生まれた[1]。1903年に家族と共にニューヨークへ移住。ニューヨーク市立大学シティカレッジで学んだ後、American Academy of Dramatic Artsで演技を学ぶ。1915年にブロードウェイ・デビューを果たし、舞台俳優として精力的に活動する。また並行して映画にも出ていたが、ほとんどが小さな役であった。 1940年代後期以降の赤狩りの時期に、共産主義者と疑われてブラックリストに載せられてしまい[2]、映画から離れざるを得なくなってしまう。私生活では絵画コレクターでもあったが、この時期には、当時の妻との離婚による慰謝料捻出のため、長年収集してきたコレクションを300万ドル余り(当時)で手放している。その間はブロードウェイに出演し、1950年代後半から再び映画に出始めるようになった。(ウィキ)秘密の聴聞会で集会参加者を明かしたことが、明らかにされていました。脚本家は偽名で仕事ができるが、役者の自分は顔が出るのでそれができない。ブラックリストに載れば、仕事がなくなるというのが、彼の言い訳でした。反共派からは、彼に仕事を回すようにとの指示です。監督も偽名というわけにはいかないでしょう。この作品では出てきませんが、寝返った監督で思い起こすのは、波止場(1954年)やエデンの東(1955年)の監督のエリア・カザンです。エリア・カザン(Elia Kazan [ˈiːljə kəˈzæn]、本名: Elias Kazanjoglou、1909年9月7日 - 2003年9月28日)は、トルコ生まれのギリシャ系アメリカ人(英語版)の俳優、演出家、映画監督。 1952年、アメリカ下院非米活動委員会によって、元共産党員であるカザンも共産主義者の嫌疑がかけられた。カザンはこれを否定するために司法取引し、共産主義思想の疑いのある者として友人の劇作家・演出家・映画監督・俳優ら11人の名前を同委員会に表した。その中には劇作家・脚本家のリリアン・ヘルマン、小説家のダシール・ハメットなどの名もあった。以降もカザンは、演劇界・映画界において精力的に活動を続けることができ、名作と呼ばれる作品の誕生に数多く関わっていくが、この告発行為は、後のカザンの経歴およびその作風に暗い影を落とすこととなった。同年には監督した『革命児サパタ』が公開。主演はマーロン・ブランド。カザンはこの映画のなかに、共産主義に対する批判のメッセージを込めたと言われている。 1998年、長年の映画界に対する功労に対してアカデミー賞「名誉賞」を与えられたが[1]、赤狩り時代の行動を批判する一部の映画人からはブーイングを浴びた(賞のプレゼンターはマーティン・スコセッシとロバート・デ・ニーロ)。リチャード・ドレイファスは事前に授与反対の声明を出し、ニック・ノルティ、エド・ハリス、イアン・マッケランらは受賞の瞬間も硬い表情で腕組みして座ったまま、無言の抗議を行なった。スティーヴン・スピルバーグ、ジム・キャリーらは拍手はしたが、起立しなかった。起立して拍手したのはウォーレン・ビーティやヘレン・ハント、メリル・ストリープらだった。通常は名誉賞が授けられる人物には、全員でのスタンディングオベーションが慣例のため、会場内は異様な空気に包まれた。また、会場の外では授与支持派と反対派の双方がデモを行なった。反対派のデモ隊の中には、かつて赤狩りで追放歴のある脚本家のエイブラハム・ポロンスキーもいた。
2024.02.11
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ストーリー:ダルトン・トランボは、その才能によりハリウッドの俊英の1人に数えられるようになっている脚本家である。しかし、彼はアメリカ共産党員として積極的に活動していることから、コラムニストのヘッダ・ホッパーや俳優のジョン・ウェインなどのエンターテイメント業界における強硬な反ソ連の人物から軽蔑されている。トランボは、ハリウッド映画における共産主義のプロパガンダに関して下院非米活動委員会(HUAC)で証言するよう召喚された10人の脚本家のうちの1人となった。彼らは質問に直接答えることを拒否し、下級審で議会侮辱罪で有罪判決を受けたとしても、最高裁で多数派を占めるリベラルな判事たちがそれを覆すことを確信している。トランボたちの行動を支持するトランボの友人で俳優のエドワード・G・ロビンソンは、彼らの弁護士費用調達のために、ヴィンセント・ファン・ゴッホの1887年の絵画『ペール・タンギーの肖像』を売却する。しかし、リベラル派とされるワイリー・ラトリッジ判事とフランク・マーフィー判事の予期せぬ死去により、トランボの上訴する計画は叶わぬこととなった。1950年、トランボはケンタッキー州アシュランドの連邦矯正施設で11か月間服役する。「ハリウッド・ブラックリスト」の対象が拡大し、より多くの共産主義者や共産主義シンパが業界から排除される中、トランボとその仲間たちは、自分の仕事を守るために彼らとの繋がりを否認するロビンソンとプロデューサーのバディ・ロスによって見捨てられる。トランボは刑務所から釈放されたが、依然としてブラックリストに載っており、彼の経済状況と家庭生活はますます逼迫していく。彼は友人のイアン・マクレラン・ハンターに『ローマの休日』の脚本を渡し、ハンターが脚本の名義と報酬の一部を得るという手段をとる(最終的にはハンターがアカデミー原案賞を受賞する)。のどかな湖畔の家を売り、都会の家に引っ越した彼は、低予算のキング・ブラザーズ・プロダクションでペンネームを使った上で脚本家として働き、ブラックリストに載っている仲間の作家たちにB級映画の脚本執筆の仕事を回してやる。彼は妻のクレオと10代の子供たちに仕事を手伝わせ、家庭内不和が大きくなる。トランボがペンネームで原作を書いたキング・ブラザーズの映画『黒い牡牛』がアカデミー賞を受賞したが、トランボはそれが自分によるものだとは言えない。ブラックリストに載っている友人のアーレン・ハードは貧窮の中、癌で亡くなる。一方、キング・ブラザーズを脅してトランボを解雇させようとするヘッダ・ホッパーの同調者らの試みは完全な失敗に終わる。業界ではトランボがゴーストライターとして脚本を沢山書いてきているという疑惑が浮上するが、彼はそれを肯定しないように注意を払う。1960 年、俳優のカーク・ダグラスが彼の大作映画『スパルタカス』の脚本を書くよう彼に依頼し、オットー・プレミンジャー監督は彼に『栄光への脱出』の脚本を依頼する。ホッパーはダグラスを脅してトランボを降板させようとしたが、ダグラスとプレミンジャーの2人はトランボが脚本を書いたと公表する。1961年の初めまでにブラックリストの効力は、米国新大統領ジョン・F・ケネディが『スパルタカス』を称賛するほどまでに下落し、トランボたちは自分たちの名前で仕事を再開出来るようになった。10年後、ハリウッドからの正当な賞賛を漸く勝ち得たトランボは、ブラックリストが如何に彼らを、即ち、自分たちの主張を守って仕事を失った人たち、また、仕事を守るために自分たちの主張を曲げた人たちを犠牲にしたかについて語った。(ウィキ)本作は批評家から好意的な評価を受けている。映画批評集積サイトのRotten Tomatoesには178件のレビューがあり、批評家支持率は73%、平均点は10点満点で6.7点となっている。サイト側による批評家の見解の要約は「『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』はトランボの作品には劣るかも知れない。しかし、そうであったとしても、素晴らしい出来映えであり、俳優陣の演技も見事である。それはダルトン・トランボという傑出した脚本家への賛辞としては十分以上のものである。」となっている[19]。第90回キネマ旬報ベスト・テンの外国映画ベスト・テンでは、第4位となる[21]。(ウィキ)家族のきずなを描いたとてもよい映画ですが、ハリウッドの赤狩りの歴史がわかるとても興味深い作品です。それらしい似た俳優が実在のスターを演じていますが、知らないことも描かれていて面白かったです。エディと呼ばれていたのは、エドワード・G・ロビンソンで、印象派などの高価な絵をコレクションしていたのですね。ゴッホ以外にもルノアールやモネの絵などもありました。その部屋でたばこを吸うなというセリフのが、おかしかったです。民主党支持者の彼の寝返りは、痛かったです。ヘレン・ミレン演じるコラムニストのヘッダ・ホッパーは憎々し気な人物ですが、知りませんでした。ヘッダ・ホッパー(Hedda Hopper、1885年5月2日 - 1966年2月1日)ブロードウェイのコーラスガールや舞台女優を経て、31歳で映画デビューし100本以上の映画に出演したが、どれも端役ばかりだった。50歳でゴシップ・コラムニストに転身すると脚光を浴び、先に活躍していたルエラ・パーソンズとともにハリウッドに大きな影響力を持った。特にアメリカの理想を守るための映画同盟には創設時から関係し、赤狩りが映画界に及んだ際にはリベラル派をはじめ同性愛者や自由奔放な者まで含めて左翼と糾弾、ブラック・リストの作成に深く関わった。後年赤狩りで追われた映画人が復帰した際もその攻撃を続け、カーク・ダグラスが脚本にダルトン・トランポを(偽名を用いて)起用した『スパルタカス』を制作した際には、共産主義者が書いた共産主義賛美の映画と強く非難している。彼女がMGMの支配者メイヤーをユダヤ人だとばらすと脅すシーンは、こわかったですね。他にも敵役の反共側では、ジョン・ウェイン、監督のサム・ウッド、MGMのメイヤーなどが登場します。サム・ウッド(Sam Wood , 1883年7月10日 - 1949年9月22日)保守思想から右翼政治団体「アメリカの理想を守るための映画同盟」(MPA)を結成し、その会長を務めた。このMPAは結成時に、自由なアメリカ的な暮らしを破壊的な手段で侵害して変えようとする共産主義やファシズム、同志的信念の高まりに対する断固たる戦いを表明した[5]。ウォルト・ディズニー、クラーク・ゲーブル、ゲイリー・クーパー、ロナルド・レーガン、バーバラ・スタンウィック、ジョン・ウェインも創設メンバーに含まれていた[6]。1947年に下院非米活動委員会で証言し、ハリウッド内の「左」寄り勢力を激しく批判している[2]。かつてウッドに協力して『オペラは踊る』と『マルクス一番乗り』に出演したグルーチョ・マルクス(マルクス兄弟の三男)はウッドを「ファシスト」と呼び[2]、彼のアフリカ系アメリカ人に対する人種差別的な発言に激怒した[7]。 ルイス・バート・メイヤー(Louis Burt Mayer、1884年7月12日 - 1957年10月29日) メトロ・ゴールドウィン・メイヤーを退社したメイヤーは、映画ビジネスから手を引き隠退生活に入ることになった。晩年のメイヤーは石油産業や不動産に投資することで、自らの資産を更に増加させた[4]。投資業の傍ら、メイヤーは以前にも増して精力的に政治活動に関わるようになった[注 6]。メイヤーは上院議員ジョセフ・マッカーシーの赤狩りに積極的に協力、1952年の共和党全国大会では中道路線を主張する大統領候補のドワイト・D・アイゼンハワーを「穏当すぎる」として非難した[2]。続きます。
2024.02.10
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東京が大雪の日は、こちらも少し雪が降りました。朝起きたら10cmくらい積もっていました。その後は雨でしたから翌日には雪が消えて、スニーカーでもOKです。朝一番10時からの「はじめてエアロ+マットストレッチ」のクラスは、毎回10人弱の参加者です。初心者向けの回転の少ないやさしい15分のステップが2回、その後20分のマットストレッチというのが、レッスン内容です。この日の音楽は、キャッツのメモリーから始まるミュージカルナンバーでした。エアロビクス用なのでハイテンポです。NYで観たことがありますが、セリフが多くて難しく知っている曲もこのメモリーくらいで暗い場面が多く、正直言ってあまり楽しめませんでした。この日は、老年の男性が初参加です。70歳後半とお見受けしました。インストラクターからは迷ったら足踏みだけでよいとアドバイスされていましたが、それでも左右が逆になったり遅れたりと散々でした。加齢よりも、そもそも音楽に合わせて体を動かすことが苦手な世代なのでしょう。これに懲りずに来週も参加してほしいです。美人のインストラクターにひかれてという不純な動機?でもOKです。
2024.02.10
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ストーリー:豊かな自然に恵まれた海の町で、両親と兄と暮らす高校生ルビー(エミリア・ジョーンズ)は、家族の中で一人だけ耳が聞こえる。ルビーは幼いころから、陽気で優しい家族のために通訳となり、家業の漁業も毎日欠かさず手伝っていた。新学期、ルビーは秘かに憧れるクラスメイトのマイルズ(フェルディア・ウォルシュ=ピーロ)と同じ合唱クラブに入部する。顧問の先生から歌の才能を見出されたルビーは、都会の名門音楽大学の受験を強く勧められる。しかし、ルビーの歌声を聴くことができず、娘の才能を信じられない両親は、家業の方が大事だと大反対する。ルビーは悩んだ末、夢よりも家族の助けを続けることを選ぶが、父は思いがけない方法で娘の才能に気づき、意外な決断をする……。(KINENOTE)『Coda コーダ あいのうた』は、2021年のアメリカ合衆国・フランス・カナダのカミング・オブ・エイジ(英語版)・コメディドラマ映画。主人公は家族の中で自分だけが聴覚のある女子高生で、漁業の仕事を手伝いながら歌手になるという夢を持つ。監督・脚本はシアン・ヘダー。聴覚障害者の両親をもつ子供(コーダ)である10代の少女を描いており、主人公である彼女をエミリア・ジョーンズ、聴覚障害者の両親をマーリー・マトリンとトロイ・コッツァー、聴覚障害者の兄をダニエル・デュラント(英語版)が演じた。他にエウヘニオ・デルベス(英語版)とフェルディア・ウォルシュ=ピーロが出演している。2014年のフランス語映画『エール!(フランス語版)』の英語リメイクであるこの映画はアメリカ、フランス、カナダの共同製作であり、アメリカ合衆国マサチューセッツ州グロスターでロケーション撮影が行われた。ワールド・プレミアは2021年1月にサンダンス映画祭で行われた。(ウィキ)アカデミー作品、脚色、助演男優の3賞受賞作品です。英会話サークルでCODA(Children of Deaf Adultsの略で、親がろう者であるひとのこと)のことが話題となったので、観たかった作品です。フランス映画の英語リメイクとは知りませんでした。米国東部の漁業の町が舞台というのが、いいです。石切り場跡の池に飛び込むシーンは、雄大なアメリカを感じさせます。合唱発表会で無音となるシーンでは、はっとなります。一瞬自分も耳が聞こえない人になったような感覚です。上手いと思いました。ラストのオーディションで手話を交えて歌うシーンは、予想通りと思っていても感動します。ありますが全体を通して障がい者が生き生きと描かれているのが、ちょっと下品ではありますがいいです。青春の光と影は、中学生の頃映画を観て初めて買ったレコードです。50年以上も前ですね。この映画で聴けるとは思いませんでした。ジュディ・コリンズ Judy Collins/青春の光と影 Both Sides Now (1969年) (youtube.com)青春の光と影 Both Sides Now ジョニ・ミッチェル 詞曲 天使の髪が幾重にも流れ アイスクリームのお城が浮かんでる 羽毛でできた峡谷があちこちに 雲はそんな風に見えていた だけど今にしてみると 雲は 太陽を遮り 雨や雪を降らせてくる たくさんあった やるべき事も 雲に 行く手を阻まれたりした “雲の上と雲の下” 私はその両側を見てきた それは雲の幻影を 思い浮かべたに過ぎない 私は雲が何かなんて 解っちゃいない 全く何も 涙と おそれと 誇りを感じながら 「愛してる」と叫ぶこと 夢と構想 そしてサーカスに酔いしれる聴衆 人生は そうあるもの思っていた だけど古い友だちは 妙な態度をとって 首をかしげて「お前は変わった」と私に言う 何かを失い 何かを得る 私はただ毎日をそう生きているだけ “人生の勝者と敗者” 私はその両者を見てきた それは人生の幻影を 思い浮かべたに過ぎない 私は人生が何かなんて 解っちゃいない 全く何も “人生の浮き沈み” 私はその両面を見てきた それは人生の幻影を 思い浮かべたに過ぎない 私は人生が何かなんて 解っちゃいない 全く何も...
2024.02.09
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福島第一原発、汚染水含む水5・5トンが漏れる…敷地外への放射能漏れは確認されず東京電力は7日、福島第一原子力発電所の建屋外に汚染水が混ざった水が漏れたと発表した。漏れた量は推計5・5トンで、ガンマ線を出す放射性物質の量は220億ベクレル。海への流出や外部への放射能漏れは確認されていないという。東電によると、漏れたのは、1~3号機で発生し、浄化処理前の汚染水を一時貯蔵する施設の建屋外。同日午前8時53分頃、作業員が建屋壁にある排気用配管から水が漏れ、地面に敷いていた鉄板上に広がっているのを見つけた。鉄板の隙間から土壌に染みこんだ可能性もある。建屋では同8時半頃から、配管につながる装置の洗浄作業が行われており、汚染水と洗浄水が混ざった水が漏れたとみられる。水漏れは午前9時16分頃に止まった。東電は今後、土壌を回収するとともに、漏れた原因を調べる。福島第一原発、汚染水含む水5・5トンが漏れる…敷地外への放射能漏れは確認されず (msn.com) 8日のNHK7時のニュースでも「閉まっているはずの弁が16個中10個開いていた。」と報じていました。なぜ開いていたかは、不明です。作業手順やその確認はどうなっていたのでしょう。5.5トンと言えばバスタブ5杯程度ですが、本当?もっと多いのではと思ってしまいます。敷地外に流出していない、汚染された土壌を回収の、2点で何となく安全をアピールしているようですが、汚染土はどうするのでしょう。現時点では量も不明です。先日は、作業中に作業員が汚染水をかぶったなんて言う事故もあり、トラブルが続いているという印象です。PS:福島第1原発の廃液漏れは人為的なミスか 閉めるべき手動の弁10ヵ所が全開 東京電力が会見「理由は不明」 (msn.com)
2024.02.09
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昨年「尺には尺を」と同時期に公演されたシェイクスピアのダークコメディです。ストーリー:第1幕近頃父を亡くしてロシリオン伯爵の地位を継いだばかりのバートラムが家臣のペーローレスとともにフランス国王のもとへ伺候することになり、手柄を立てようと意気軒昂にパリへ出立する。バートラムの母であるロシリオン伯爵夫人に拾われた美しい孤児のヘレナはバートラムにひそかな想いを寄せていたが、身分の違いからそれを告げることができずにいた。おりしもフランス国王が深刻な病気に悩まされていたことからヘレナは優れた医師であった父から受け継いだ秘伝の処方箋で国王を治療し、見返りにバートラムとの結婚を許してもらおうとの目論見を立てる。この計画に感づいた執事の注進を受けてロシリオン伯爵夫人はヘレナに問い質し自分の息子に対するヘレナの強い愛情を確かめ、分不相応な望みを抱いたことに恐縮するヘレナに許しを与えたばかりか必要な費用や人手も出すなどの取り計らいを申し出る。第2幕知人たちがフローレンスの戦役へ赴くのを横目に、若いからという理由で出陣を許されないバートラムが気落ちしている。ヘレナがパリへ到着し、「成功したら私の選んだ男性を国王の力で私の夫にしてほしい、その代わり失敗したら報酬は死を」という条件で国王の治療にあたることとなる。治療はみごとに成功し国王は約束通り宮廷にいた若い男たちを呼び集めてヘレナに選ばせ、ヘレナはバートラムをと指名する。バートラムは貧乏医者の娘と結婚など考えられないと断固拒否したが、主君の顔を潰すのかと国王に叱責されてしぶしぶ承諾する。やむをえず結婚はしたもののどうしてもヘレナとの初夜の床をともにする気になれないバートラムは用事があるから先に帰宅しろとヘレナにいいつけて国王にも無断でその日のうちにペーローレスを連れてパリを離れ、フローレンスへ出陣する。第3幕ヘレナから首尾良くことが運んだという知らせを受けて喜んでいたロシリオン伯爵夫人の元へ、バートラムからの手紙が届く。絶対にヘレナとベッドを共にすることなどできないので自分は逃げると述べたその手紙を読んで、伯爵夫人は義憤に駆られる。ヘレナもそこへやってきて、「もしも私の指輪を手に入れて、私の子供を産んでみせればお前を私の妻と認めよう」との無理難題を記したバートラムからの手紙を伯爵夫人に差し出す。手紙を届けた貴族からバートラムの近況を聞き、息子がこのような不実な人間になったのはペーローレスの悪影響に違いないと確信する。落胆しきったヘレナは、自分さえいなくなればバートラムは危険な戦場から戻ってこられるだろうからと言い残して巡礼の旅に出る。ヘレナは旅先で知り合ったキャピレット未亡人の家に泊めてもらうこととなり当地でバートラムが大きな戦功を上げたこと、未亡人の娘ダイアナがバートラムから言い寄られていることなどを知る。そのころ、バートラムの手紙を伯爵夫人に届けたフランス貴族がペーローレスは口先だけの男でありバートラムが信頼するに値しない人間だと忠告し訝るバートラムに証拠を見せようと策を立てる。一方、ヘレナはダイアナとキャピレット未亡人に協力を願い出てこちらもベッド・トリックの作戦を練る。第4幕軍太鼓を敵に奪われるという失策を嘲弄されたペーローレスは一人で取り返しに行ってみせると出まかせをいい、引き下がれなくなってしまう。自分で服を切り裂いたり傷をつけるなどしてごまかそうかと考えているペーローレスに貴族たちが襲い掛かって目隠しをする。でたらめな外国語を話して敵に捕まったと思い込ませながら、貴族たちはペーローレスをバートラムの前へ引きずり出す。拷問にかけられるまでもなく軍事機密をまくし立てバートラムを無能呼ばわりするペーローレスの姿を見てバートラムもその正体を知り、陣中から追放する。同じ夜、バートラムに呼び出されたダイアナはヘレナの授けた作戦通りに本当に自分を愛してくれるのならばバートラムの指輪がほしい、その代わりに今夜の二人の逢瀬の記念に自分の指輪(実はヘレナの物である)をバートラムにプレゼントするという条件を出す。ダイアナと寝るためならば仕方ないと考えたバートラムはこれを承諾し、ダイアナ(とバートラムは思い込んでいるが実はヘレナ)と一夜を共にする。第5幕戦役も終わり、バートラムも戻ってきたロシリオンではヘレナはすでに死んだものと思われていた。過ぎたことは仕方ないと諦めた国王や伯爵夫人は、バートラムの申し出たラフューの娘との結婚に許しを出す。誓いの印として指輪を渡すよう国王が言い渡しバートラムは自分の指から指輪を外してラフューの娘に渡すが、これを見た国王はその指輪は自分がヘレナに治療の謝礼の一部として贈ったものだがなぜバートラムが持っているのかと詰問する。そこへダイアナが現われ、バートラムの指輪を示しながら自分との結婚の約束を踏みにじったバートラムを非難する。バートラムへの怒りを再燃させながら、それ以上にヘレナの指輪をダイアナが持っていることにはなおさら納得のゆかない国王にキャピレット未亡人が「指輪の本当の持ち主を紹介する」といってバートラムの子供を身ごもったヘレナを連れてくる。ヘレナはバートラムが以前書き送った手紙を示しここに書いてある通りにしましたと告げ、バートラムは負けを認めて「ヘレナをいつまでも、いつまでも愛します」と国王の前に誓う。国王は「終わりよければ全てよし」と場を締めくくる。 作:ウィリアム・シェクスピア演出:鵜山 仁翻訳:小田島雄志出演:岡本健一 浦井健治 中嶋朋子 ソニン 立川三貴 吉村 直 木下浩之 那須佐代子 勝部演之 小長谷勝彦 下総源太朗 藤木久美子 川辺邦弘 亀田佳明 永田江里 内藤裕志 須藤瑞己 福士永大 宮津侑生NHKBSのプレミアムステージで観ました。約3時間のノンストップ放送です。シェイクスピア劇独特のせりふ回しが耳になじむまで1時間弱といったところです。前半がまだるっこいですが、後半のベッドトリックを目論むあたりから盛り上がります。終わりよければすべてよしかは、解釈がわかれるところですね。懐妊して夫婦となったもののその後うまく行くかは、大いに疑問のラストです。なかなか上演されることがない芝居を観ることができて、ラッキーでした。問題作を2本も観れて、すべてよしです。参考:あくまでヘレナが主人公であるため「純情なヒロインが想いを寄せる男性と結ばれる」というハッピーエンドの物語であると見ることもできるが、まったく別の見方もできることがこの作品の解釈を難しくしている。つまり中世の貴族が貧しい医者の娘との結婚を嫌がるのはむしろ当然であり、『ロミオとジュリエット』のように当人たちが愛し合っていても周りが反対するのならともかく国王や伯爵夫人、老貴族など分別ある人々がヘレナを支持するほうが不自然だからである[2]。バートラムの視点に立てばはっきり嫌いだと告げている女につけまわされ、皆の前で恥を掻かされたうえに陰謀によって既成事実を作られて無理やり結婚させられるというバッドエンドになるのである。それまで描かれてきたバートラムの性格を考えても、その後2人が幸せに暮らしたという保証が作品からは得られない。批評家のあいだでもバートラムに同情的な者(サミュエル・テイラー・コールリッジなど)と批判的な者(サミュエル・ジョンソンなど)に分かれる。また荒唐無稽なストーリーと、登場人物たちの現実的で時にシニカルな性格描写の分裂も明らかである。シェイクスピアの初期の喜劇作品にはありえないこうした矛盾がこの作品には目立つので、単純に喜劇として分類しがたい作品として「問題劇」というカテゴリが案出された。(ウィキ)
2024.02.08
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去年の実質賃金 前年比2.5%減 給与増も物価上昇に追いつかず 去年1年間の働く人1人当たりの実質賃金は前の年と比べて2.5%減少しました。現金給与の総額は増えたものの物価上昇に追いつかず、実質賃金は2年連続でマイナスとなりました。厚生労働省は従業員5人以上の事業所3万あまりを対象に「毎月勤労統計調査」を行っていて、6日、去年1年分の速報値を公表しました。それによりますと、基本給や残業代、ボーナスなどを合わせた働く人1人当たりの現金給与の総額は月の平均で32万9859円となり、前の年に比べて1.2%増え、3年連続でプラスになりました。内訳では、フルタイムが43万6849円、パートタイムが10万4570円で、いずれも統計を取り始めた平成5年以降最も高くなりました。しかし、物価の上昇率が3.8%と42年ぶりの高い水準となり、物価変動を反映した実質賃金は前の年に比べ2.5%減少しました。実質賃金が前の年を下回るのは2年連続です。去年12月分の速報値も公表され、現金給与の総額は前の年の同じ月と比べて1%増え、過去最長となる24か月連続のプラスになりました。しかし、実質賃金は1.9%減少し、21か月連続のマイナスとなっています。去年の実質賃金 前年比2.5%減 給与増も物価上昇に追いつかず | NHK | 物価高騰 2年連続マイナスでは、サラリーマン世帯は苦しいですね。アベ政治もひどかったですが、岸田が政権に就いたこの2年間は、特にひどいですね。自助のスガ、経済(オンチ)x3のキシダが続いて、一般国民はトリプルパンチでしょう。GDPもとうとうドイツに抜かれ4位に転落するようです。あるアベさんネット右翼はこのことが相当悔しかったのか、株価や失業率などをあげて自分を慰めていました。中国のGDPも以前はインチキだと言っていたものですが、これだけ開いてくるとだんまりです。でも、ドイツの人口は8400万人で、ひとり当たりのGDPは49,843ドル(20位)、日本は33,845ドル(30位)。2022年のデータですから、とっくに抜かれています。昔は半分くらいだった韓国にも並ばれています。世界の一人当たりの名目GDP(USドル)ランキング - 世界経済のネタ帳 (ecodb.net)余談ながら、ガザでジェノサイドをやっているイスラエルは、なんと54,336ドル(14位)です。そんな国が米国から多額の武器援助を受けています。連載1回:アメリカとイスラエルの「特別な関係」:巨額の軍事援助で結びつくアメリカとイスラエル(中岡望) - エキスパート - Yahoo!ニュース
2024.02.08
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ストーリー:史上最悪の黒い魔法使いグリンデルバルド(マッツ・ミケルセン)が魔法界の支配権を握ろうとしていることを知ったダンブルドア(ジュード・ロウ)は、シャイでおっちょこちょいな魔法動物学者ニュート・スキャマンダー(エディ・レッドメイン)をはじめとした魔法使いの仲間たちやマグル(非魔法族)とチームを結成し、グリンデルバルドに立ち向かう。(KINENOTE)『ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密』は、2022年のイギリス・アメリカ合衆国のファンタジー映画。J・K・ローリングの原作から、デヴィッド・イェーツが監督、ローリングとスティーヴ・クローヴスが脚本を務める。『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』(2018年)の続編であり、「ファンタスティック・ビースト」シリーズの3作目で、「魔法ワールド」フランチャイズでは11作目となる。(ウィキ)第1作目を見たことがありますが、魔法動物のキャラを使った子供向けの作品でした。今回は、権力争いで動物は抑え気味、それなりに楽しめました。ただ、あれがキリンと言われると、違和感を覚えました。いっしょに見ていた愛方は、途中で離脱です。ハリーポッターも苦手です。中華人民共和国(中国)でも2022年4月に公開されたが、同性愛に関する6秒の台詞を削除した上で上映されていることが同月報じられた。ワーナー・ブラザーズは「たとえマイナーな編集はあっても、中国の観客にもこれを体験する機会を持ってもらうことが大切だ」とのコメントを発表している[25][26]。(ウィキ)かの国では、ゲイは御法度なのでしょうか?ちょっと意外でした。タイトルも変更?
2024.02.07
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ラーメン支出額、山形市が連覇 総務省調査、新潟市は2位都道府県庁所在地と政令指定都市を対象にした総務省の2023年家計調査が6日、発表され、ラーメン支出額で山形市が前年に続き全国1位となった。官民一体で消費拡大に取り組んだ。21年1位のライバル新潟市もPR活動を繰り広げたが2位となり、涙をのんだ。3位仙台市、4位宇都宮市、5位富山市と続いた。調査では、2人以上世帯当たりの外食費としての支出額を比べた。トップは山形市の1万7593円で、記録が残る2000年以降、最高額を記録した。新潟市1万5224円となった。山形市役所には、ラーメン店店主や佐藤孝弘市長が集まって歓喜の瞬間を待った。結果が出ると歓声が上がり、握手してたたえ合った。結果を受け山形市は、市のラーメンを表す「山ラー」の商標登録が完了したと発表した。市は21年に新潟に敗れたのをきっかけに、店主らが協議会を発足。昨年12月に「山形市ラーメンの日」を制定するなど広報活動を進め、市も予算を付けて後押しした。協議会会長でラーメン店主の鈴木敏彦さんは「いい結果が出てうれしい」と話した。(2024年02月06日 12時01分 更新)ラーメン支出額、山形市が連覇 総務省調査、新潟市は2位:山陽新聞デジタル|さんデジ (sanyonews.jp) 新潟のローカルTV局の報道です。総務省は2月6日午前、去年1年間の家計調査の結果を発表しました。前回の発表でラーメンの年間支出額が全国2位だった新潟市、今回も2位となりました。午前8時半。総務省が家計調査の結果を発表しました。それによりますと、2023年の1世帯当たりのラーメンの支出額は新潟市が1万5,224円。対して前回の1位、山形市は1万7,593円と、2,369円差で新潟市が2位となりました。新潟市はおととし、山形を抜いて全国1位となりましたが、去年2位となっていました。新潟5大ラーメンに代表されるラーメン文化を持つ新潟。各地域に個性豊かなラーメンがある山形。2023年の支出額日本一はどちらになるのか、関心を集めていました。【総務省 家計調査】※ラーメン(中華そば)にかける1世帯当たり年間の支出金額1位 山形市 17,593円2位 新潟市 15,224円3位 仙台市 13,074円総務省の家計調査は全国約9千世帯を対象に毎月行われ、毎年2月に都道府県庁所在市別の「1世帯(2人以上)あたりの年間支出額」が発表されています。【家計調査】2023年のラーメン支出額 新潟市は全国2位に (msn.com)「新潟市の首位奪還ならず!」ラーメンにかける外食費 日本一は今年も官民挙げた山形市に - 記事詳細|Infoseekニュース全国ニュースでも報じていました。餃子同様首位争いというのが話題となるのでしょう。1杯800円としてトップの山形市で22杯、すべてふたり世帯と仮定しても月1杯にもならない金額です。山形市24万人、381km平米、新潟市77万人、726km平米と、人口は1:3です。ラーメンをよく食べるのは独身男性というイメージですが、そうだとするとこの調査の対象外です。美味しいかどうかは別問題と報じていましたが、ラーメンは好みがあるのでそう思います。唐辛子をたっぷり入れた鬼ラーメンなんて食べる気にもなりません。魚介類から取った香り豊かなしょうゆベースのラーメンがいいです。私が食べたいと思うのは、吉祥寺のホープ軒と新大阪駅のふかひれラーメンです。当地和龍のあんかけラーメンも、この時期体があったまっていいです。新潟は、小麦粉ではなくてお米をという冷ややかな声もあります。
2024.02.07
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先にラテンジャズダンスの Best Of Me をブログアップしましたが、YouTubeで検索すると、BTSの曲ばかりです。もしかして、The Best Of Me かと思い、検索して出てきたのが、こちらです。オリビア・ニュートンジョンなんて懐かしいです。1983年の曲です。オリビア・ニュートン=ジョン(Dame Olivia Newton-John[注釈 1]AC DBE、1948年9月26日 - 2022年8月8日)は、オーストラリア出身のイギリス人ポピュラー歌手。1970年代から1980年代半ばにかけて多くのヒット曲を放ち、高い人気を博した。以後はレコーディングやコンサートの会社運営、自社ブランドのオーナーなど実業家としても活躍。乳がんを患ってからはがん治療の啓発活動家としても広く知られた[2]。そうした活動が認められ、オーストラリア勲章(英語版)、大英帝国勲章を受章し、日本でも旭日小綬章が授与されている[3]。公称身長は、167.5 cm(5フィート6インチ)。代表曲に「愛の告白」「そよ風の誘惑」「愛のデュエット」「マジック」「フィジカル」「ハート・アタック」「運命のいたずら」、日本では「ジョリーン」「カントリー・ロード」などが有名。イングランド・ケンブリッジ生まれ。母方の祖父はアインシュタインとも親しかったドイツ出身のユダヤ系でノーベル賞受賞物理学者マックス・ボルン (Max Born)、ウェールズ人の父親はケンブリッジ大学のドイツ語教授であった。母方の曾祖母の父は法学者のルドルフ・フォン・イェーリングである。5歳の時に父がオーストラリアの大学に移り、家族とともに移住。14歳の頃から学友とバンドを組んで、バーなどで歌い始めた。1965年、出演したオーディション番組で優勝。その懸賞で英国に戻り、1966年にデビューした。(ウィキ)こんなエピソードもあります。1978(昭和53)年には長崎県で養殖の網を破るなどしたイルカを漁師が補殺したことに反応し、日本公演を拒否する声明を発表。同年4月の公演は延期になり、世界的な議論を巻き起こしたこともあった。だが、日本のファンクラブの嘆願などにより同年10月、来日公演は実現。ニュートン・ジョンさんは日本で記者会見し、「イルカが漁場に近づかない方法を考えてほしい」と公演の収入の一部を日本のイルカ研究の施設に寄付するなどした。その後も来日公演は頻繁に行い、当時の関係者は「ザ・ベンチャーズのように、津々浦々まで公演して回ったこともあった」と振り返る。親日家だったのだ。2015(平成27)年には、東日本大震災の被災地である福島で「Pray For Fukushima」と題した追悼公演も行った。国連の環境親善大使や、乳がんを患った経験からがんの啓発活動に取り組むなど、社会活動にも熱心だった。イルカ捕殺に抗議し公演拒否も…それでも日本を愛した「永遠の妖精」オリビア・ニュートン・ジョンさん - 産経ニュース (sankei.com) PS:
2024.02.06
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皇室関係のブログが続きます。紀子さまの寵愛を受けた最側近が交代 眞子さん結婚・悠仁さまコピペ論文・佳子さま一人暮らし…後手に回っていたトラブル対応、新布陣で信頼回復へNEWSポストセブン 「やっと交代が決まったと安堵しています。彼は、2016年秋に宮家の最側近になり、2019年5月の御代がわりで『皇嗣職大夫』となりました。現在に至るまでのおよそ7年間で、ご一家に対する国民の信頼は失墜の一途をたどっています。新たな“布陣”で信頼回復につとめるしかありません」(宮内庁関係者)1月30日、宮内庁の皇嗣職を束ねるトップで、秋篠宮家の事務・広報全般を担う皇嗣職大夫を務める加地隆治氏(71才)が退任し、後任の吉田尚正氏(63才)の就任が発表された。「吉田氏は元警視総監で、一般企業の顧問や社外取締役を経験後、2022年7月から秋篠宮家の相談役である御用掛を務めてきました。元警視総監が御用掛に就任するのは異例で、当初から、吉田氏は皇嗣職大夫の後任とみられていました。加地氏は穏やかな人柄ですが、ご夫妻の“イエスマン”に終始していたのが玉に瑕で、問題発生時の対応には疑問が残りました。実務能力の高い吉田氏には、情報を適切にコントロールする役割が期待されています」(皇室記者)加地氏の前職は、秋篠宮家を筆頭に、宮家全体を統括する宮務主管だった。「その頃にはすでに、眞子さんは小室圭さんと交際していたことになります。秋篠宮さまのご意向とは別に、そのときに水面下で小室さんが抱える金銭トラブルを把握していれば、3年以上の結婚延期という異例の事態は避けられた。眞子さんの病気を公表した際に加地氏は涙を流していましたが、そもそもリスクヘッジを怠らなければ彼女が体調を崩すこともなかったのでは」(前出・宮内庁関係者)2021年10月、逆風のなかで眞子さんは結婚を果たす。その4か月後に浮上したのは、悠仁さまの“コピペ論文”だった。「文学賞に入賞された悠仁さまの作文の一部が、あるガイドブックの文章に酷似しており問題になりました。宮内庁は指摘に対し『ご指摘に感謝します』とし、修正した作文を主催者側に送付。募集要項には、訂正は受けつけないという旨が記載されていたのですが……」(前出・皇室記者)眞子さん、悠仁さまに続いて、佳子さまにも騒動が起きた。御代がわりに際して秋篠宮ご一家は、仮住まいの「旧御仮寓所」(現在は「分室」)から「秋篠宮邸」に引っ越しをされるはずだったが、2023年2月、佳子さまが旧御仮寓所に残られ、ひとり暮らしをされていることが判明したのだ。「当初、宮内庁は“2022年度内に引っ越しをされる”としていましたが、昨年6月の皇嗣職大夫会見では、一転して『2019年に改修工事が始まった秋篠宮邸には、経費削減のために、もともと佳子さまと眞子さんの私室は用意されないことになっていた』と説明。最初から決まっていたのなら、昨年2月の時点で説明ができたはず。“隠蔽”したような印象は拭えません」(前出・皇室記者)もちろん、加地氏には一存で対応を決める権限はなく、すべての発言には秋篠宮ご夫妻の了解がある。「実は、あるときから、加地氏の会見内容は、ご夫妻に一字一句チェックされるようになったそうです。求める水準のおしなべて高い紀子さまから時に厳しく叱責されることもあったそうですが、加地氏は退職の意思を周囲にこぼしながらも、耐え忍んできた。紀子さまはそんな加地氏の忍耐力を買っておられ、寵愛されてきたといいます。ただ、その結果、ここまで秋篠宮家が傾かれたのは想定外であり、痛恨だったかもしれません」(前出・宮内庁関係者)加地氏は御用掛として、当面、秋篠宮家にお仕えし続けるという。※女性セブン2024年2月15日号紀子さまの寵愛を受けた最側近が交代 眞子さん結婚・悠仁さまコピペ論文・佳子さま一人暮らし…後手に回っていたトラブル対応、新布陣で信頼回復へ (msn.com)ふたりの経歴です。皇嗣職大夫に吉田尚正氏 秋篠宮家側近、加地氏退任|あなたの静岡新聞 (at-s.com)加地氏は、兵庫県出身で京大卒。宮内庁総務課長、皇宮警察本部長などを経て、16年から宮務主管を務めた。天皇代替わりに伴い、19年5月から皇嗣職大夫となった。[皇室点描]側近が記者会見で見せた涙 : 読売新聞 (yomiuri.co.jp)吉田氏は、広島県出身で東大卒。1983年警察庁に入庁後、宮崎、福岡両県警本部長、警察庁刑事局長などを経て2017年9月から警視総監を務めた。18年9月に退官し、トヨタ自動車顧問。22年7月から御用掛として秋篠宮家を支えてきた。ウィキでは、広島県出身。灘高校時代(1978年8月)に『クイズグランプリ』の高校生大会に出場。宮崎県警本部長時代は宮崎県官製談合事件の捜査を、警視庁刑事部長時代はオウム特別手配犯の高橋克也逮捕やパソコン遠隔操作事件及び黒子のバスケ脅迫事件の捜査を指揮した。福岡県警本部長時代には指定暴力団工藤会の壊滅作戦として野村悟脱税事件や元警部銃撃事件の捜査を指揮した[2]。 2022年7月中旬宮内庁御用掛に着任した。着任にあたっては山積する皇嗣家の諸問題に対処するために他の社外取締役などを全て辞して、専任で就任している[注釈 1][3]。加地さんのイエスマン、無能ぶりをたたいて吉田さんに期待する記事ですが、吉田さんも2022年から常勤でかかわってきたのですから、そのあたりはどうなのでしょう。情報を管理して、秋篠宮家のイメージアップに貢献できるとよいですが、なんとも難しそうですね。暴力団壊滅作戦とは真逆?それとも批判的なメディア・ジャーナリストの壊滅作戦でしょうか。次女の結婚問題、長男の進学と前途多難?です。余談ながら、外務省の伊原君が昨年式部官長なっています。宮内庁には、警察官僚だけでなく外務省出身のポストもあるのですね。宮内庁式部官長に伊原純一氏 - 日本経済新聞 (nikkei.com)
2024.02.06
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「皇室が東大を目指して悪いんですか?」。憤然と話すのは宮内庁OB。秋篠宮家の長男・悠仁さまが東大進学を視野に入れていることへの批判に怒っているのだ。悠仁さまは一昨年春、超進学校の筑波大付属高校(筑付高)に入学。東大がにわかに現実味を帯びてきた。だが、こうした動きは賛否両論を呼んだ。筑付高入学が一般入試ではなく、特別なルートを使ってのものだったからだ。「想像以上に世間の反発が強く、庁内では秋篠宮家が東大を断念したという見方が出ていた」と宮内庁担当記者は振り返る。ところが、秋篠宮家の動きはさらにその上をいく。昨年11月、悠仁さまは以前から研究を続けていたトンボに関する論文を発表。再び、東大進学が浮上したのである。 国立科学博物館の学術出版物に掲載されたもので、タイトルは「赤坂御用地のトンボ相」。お茶の水女子大付属小に入る前年の2012年から10年以上にわたって、悠仁さまは秋篠宮邸周辺に生息するトンボの調査に取り組んだという。論文は3人の連名で発表され、筆頭研究者は「秋篠宮悠仁」となっている。「同博物館のホームページでも見ることができますが、25ページにも及ぶその論文は素人目にもかなりレベルが高いことがわかる」(担当記者)悠仁さまが同論文をこの時期に発表したことについては、「東大の推薦入学(学校推薦型選抜)への布石」(同)と見る向きが多い。16年度から導入された同制度は、まず高校の推薦を受けるところから始まる。東大に書類を提出し、そこでふるいにかけられ、面接試験、大学入学共通テストを経て、それらの総合評価によって合否が決められる。中でも重要なのが提出書類。高校時代の研究、実績、活動など、自身のアピールポイントを挙げていく。「ある分野で突出したものを持っている学生を求めている」と話すのは制度の策定に関わった東大教授。悠仁さまが東大への推薦入学を目指す場合、トンボの論文が提出されるのは間違いない。たまたまこの論文を目にしたという教授は「専門外なので軽はずみなことはいえないが、高校生とは思えない水準」と感想を述べる。 ■第一人者との「共同執筆」の是非その一方で、「手助けする人がいるのは公平なのか」(予備校チューター)という声が少なくないのも事実。論文の共同執筆者の一人である国立科学博物館の清拓哉研究員はトンボ研究の第一人者だ。「悠仁さまは、ずいぶん前から清氏の指導を受けてきた。それだけ熱心にトンボの研究に取り組んできたわけで、決して評価を下げるものではない。論文も他の2人のアドバイスを参考にしながら、悠仁さまが中心になって書き上げたと聞いている」(前出の宮内庁OB)東大推薦入試の出願期限は11月初旬。もし東大を選んだ場合、さまざまな議論が巻き起こるのは必至。わずか10カ月足らずの間に、秋篠宮家は大きな決断をしなければならない。(田中幾太郎/ジャーナリスト)悠仁さま“トンボの論文”で東大推薦入学に動き出す…「手助けする人がいるのは公平か」の指摘 (msn.com)入学試験で大切なのは、公正さとか公平性でしょう。これは、一般入試でも推薦入試でも変わらないはずです。3人連名の論文というのもどうでしょう。プロとの連名で、素人の高校生が筆頭研究者というのも疑問です。大学入試は家柄や身分、出自に関係なく一定の学力があれば、誰でも合格できる試験です。特に国立大学は、公平性が重視されます。小さい時からそれなりのサポートがついているのですから、ここは堂々と一般入試で勝負してほしいですね。そもそも彼は東大に入って何がしたいのでしょう。東大をめざす多くの若者は立身出世でしょうが、皇位継承者である彼にはそれはないでしょう。研究者をめざすというのであれば、東大と言えどもオールマイティではないことは誰もがよく知るところです。その道の一流の研究者がいるところを目指すべきでしょう。参考:ビオトープ作りに励む悠仁さま、秋篠宮さまと大会に出席、懇談も(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース
2024.02.05
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ラテンジャズダンスクラスの単発レッスン曲です。前のSNOW WHITEが中途半端に続いたので、気分転換に単発レッスンです。本当は新曲をやりたかったのでしょうが、副業が忙しいと言っていたので振付が間に合わなかったのかもしれません。深読み?まあ、週が変わってから変えた方がよいという判断でしょう。SNOW WHITE最終日と思っていたご婦人からは、落胆の表情が。せっかく振りを覚えて、今日は思いっきり踊ろと思っていたのでしょう。知らない歌手、知らない曲です。ダニエル・パウター(Daniel Powter、本名 Daniel Richard Powter 1971年2月25日 - )は、カナダ ブリティッシュコロンビア州出身のミュージシャン。2005年にファーストシングル「Bad Day」が全世界で大ヒット。主にピアノの弾き語りスタイルで帽子がトレードマーク。そのスタイルからピアノマンと呼ばれている。2006年8月にサマーソニックに出演、同年11月の単独公演が東京国際フォーラム・ホールAなどで開催された。(ウィキ)Best Of Meは、2009年のリリースです。"「ベスト・オブ・ミー」は、カナダのレコーディング・アーティスト、ダニエル・パウターの3枚目のスタジオ・アルバム『アンダー・ザ・レーダー』(2008年)に収録されている曲です。2008年9月24日にアルバムからのセカンドシングルとしてCDシングルとデジタルダウンロードでリリースされた。この曲は2009年2月15日から3月1日までの3週間、スイスでチャートインした。この曲は、ダニエル・パウターとカラ・ディオガーディによって書かれました。リンダ・ペリーがプロデュースしました。シングルのプロモーションのためにミュージックビデオが制作されました。ダイアン・マーテルが監督を務めたこのビデオでは、パウターが映画館のスクリーンの前でピアノを弾きながら、背後の背景が絶えず変化している様子が映し出されています。(英語版ウィキ)参考:ダニエル・パウターのBest of me歌詞と和訳!ドラマ・アンナチュラルの挿入歌! | kirakira-plus
2024.02.05
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原発立地の町長が姿勢一転「安全性アピールは難しい」と再稼働に慎重発言 震度7の石川・志賀 稲岡健太郎氏能登半島地震で震度7を観測し、大きな被害が出た石川県志賀(しか)町の稲岡健太郎町長(46)が、本紙の取材に応じた。町内に立地する北陸電力志賀原発について、2007年と23年に能登地方で地震が頻発した状況を引き合いに「北陸電力は再稼働を目指すとのことだが、首長として以前のように安全性をアピールすることは難しい」と語った。重大事故を想定し、住民の避難経路を抜本的に見直す必要性を強調した。(染谷明良)◆「再稼働の道筋が見えてこない」昨年末、前町長が逮捕された贈収賄事件に伴う町長選で初当選。その約1週間後、未曽有の震災が起きた。町長選では「化石燃料に頼り、電気代も高騰している現状では、すぐにでも原発を再稼働すべきだ」と主張したが、一転、慎重な姿勢に態度を変えた。原発の耐震性については「敷地外の活断層を巡る専門家の意見や原子力規制委員会の判断を待つ」としたが、「安全対策の強化や審査の長期化などを考えると再稼働の道筋が見えてこない」と指摘した。◆これまでの避難訓練「現実的でなく、訓練のための訓練だった」年に1度実施の県と北陸電による避難訓練にも言及。想定されている避難経路が今回の地震で壊れ、寸断したことを受け「海にも空にも逃げられない。現実的でなく、訓練のための訓練だった。抜本的に見直す必要がある」と語った。町内に16カ所ある放射線防護施設については「1カ所に40〜50人を収容し、1週間以内に救助隊が来る想定で、備蓄があると認識している」と説明。だが「万が一の場合、全町民を受け入れる容量はない。施設を何倍も増設する必要がある」と、町防災計画の見直しを検討する考えを示した。防災服で取材に応じ「地震直後、原発事故が頭をよぎった。その後、北陸電の説明を聞き、稼働停止の現状を踏まえ、事故はないと分かった」と振り返った。その上で「むしろあの揺れをよく耐えたな、というのが率直な思い」と続けた。 志賀原発 1、2号機とも2011年から運転停止中。北陸電力は2号機の再稼働を目指している。23年3月、再稼働の前提となる新規制基準の適合審査会合で原子力規制委員会は「『敷地内に活断層はない』との北陸電の主張は妥当」と判断。敷地周辺断層による地震の最大震度や津波の想定について審査が続く。今回の地震では、壊れた変圧器から2万リットル以上の油が漏れ、想定していた周辺の避難経路が寸断された。原発立地の町長が姿勢一転「安全性アピールは難しい」と再稼働に慎重発言 震度7の石川・志賀 稲岡健太郎氏 (msn.com)町民の安全第一です。屋内退避も避難もできないなら、原発の再稼働はやるべきではないでしょう。被災した福島に学んでほしいです。志賀町を双葉町にしてはいけません。原発に明るい未来はなく、やがて核のゴミ捨て場となることでしょう。未曾有の災害で遅ればせながら学んだ首長もいますが、再稼働を求める請願が提出されたこちらはどうでしょう。柏崎刈羽原発の再稼働を求める請願、新潟柏崎市議会は3月下旬に結論出す見通し 特別委員会で審査へ | 新潟日報デジタルプラス (niigata-nippo.co.jp)請願国や県、市町村に対し、その職務に関する要望や意見を述べることができる制度。同様の制度である「陳情」とは異なり、憲法で国民の権利として定められており、提出するには議員の紹介が必要。全国の原発立地地域では、地元の議会が原発の再稼働を求める請願を採択したことで、再稼働に向けた手続きが進んだ例がある。
2024.02.04
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1月からZumbaのクラスがひとつ増えて、週3回です。金、土、月と続いているのがちょっとしんどいですが、いちおう全部のクラスに出ようと思っていました。しかし、下旬に腰を痛めて3週間ほどお休みしました。少し回復してきたので、本日から復帰です。インストラクターは新体操出身のすらっとした方で、エアロビクスに近い踊りで腰を使うことが少ない振りが多いです。レッスン前に入浴して、ストレッチで体をほぐして参加しました。腰を少し気にしながら、45分間楽しませてもらいました。体が温まっていたので、発汗も少し大目でした。終了後も、ストレッチ、入浴、マッサージでケアーです。来週はZumba全クラス参加の予定です。
2024.02.04
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ストーリー:アメリカからイギリスへ空輸中のスペース・シャトル“ムーンレイカー”が、アラスカ上空で突如何者かにハイジャックされた。捜査を委任された英国情報部は、007ジェームズ・ボンド(ロジャー・ムーア)を任務に当てた。早速、上司M(バーナード・リー)から事件の背後に浮かぶ謎の大物について聞かされ、彼は現地に飛んだ。その人物とは、独自の力で米国西部に宇宙センターを築き、NASA(米航空宇宙局)に協力して“ムーンレイカー”を開発、製造してきた謎の科学者ドラックス(ミシェル・ロンダール)だ。出迎えの女秘書コリンヌ(コリンヌ・クレリー)の操縦するヘリで降り立ったボンドの前に、不気味なカリスマ的ムードのドラックスが姿を現わした。センター内を案内されたボンドは、そこでNASAの協力員として研究に従事する女性科学者ホリー(ロイス・チャイルズ)と会った。その夜、ボンドは色仕掛けでコリンヌに迫り、ドラックスの書斎に侵入し、事件のカギとみられるマイクロ・フィルム撮影に成功した。しかし、手をかしたコリンヌは翌日猛犬のエジキにされた。フィルムに写っていたガラス店をたよりにベニスに飛んだボンドは、そこでドラックスの指命を受けた殺し屋たちに襲われ、猛烈なカー・チェイスを展開する。敵を倒すと、昼間目をつけておいたガラス店奥の秘密ラボに潜り、そこで貴重と思われる薬品のサンプルを手にした彼は、ドラックスの部下チャン(トシロー・スガ)の攻撃をかわし、同じくベニスに来ていたホリーの宿泊先へと押しかけた。ボンドは、そこで彼女がCIAのスパイであることを見破った。翌日、ロンドンから急行したMらの立ち合いのもとで、秘密ラボの現場検証が行なわれるが、それはドラックスらの陰謀により、跡形もなくなっていた。残る手がかりは、ガラス店にあったリオからの貨物便だ。現地に向かったボンドは、ドラックス産業系列の輸出入会社C&Wの慌しい動きを監視するが、その頃彼と同じ行動をホリーもとっていた。互いに牽制しながらも行動を共にしていた2人は、シュガーロー山をケーブルで下山している途中、チャンの亡き後に雇われたジョーズ(リチャード・キール)に襲われ、ホリーが敵に捕えられてしまう。リオの情報部出先に出頭したボンドは、Mから謎の毒ガスが、アマゾン上流で採れる黒蘭から抽出した特殊神経ガスであることを知らされた。秘境に向かったボンドを、またもやジョーズが襲った。危機を脱したボンドの前に、一人の美女が現われ、彼を巨大な古代遺跡群に案内した。その地下にあるとてつもなく広がる宇宙基地こそ、敵の牙城だった。彼らは動植物を除いて地球人類を抹殺し、選ばれた新人類による帝国を築こうとしていた。ボンドとホリーを閉じこめ毒ガスカプセルを積んだムーンレイカーがドラックスと新人類を乗せて飛び立った。そして辛くも脱出に成功したボンドとホリーも6号機を奪い、宇宙へ飛び立った。巨大な宇宙ステーションにドッキングした2人は、スキを見てステーションの位置をNASAに知らせた。しかし、それに気がついたドラックスはすかさず地球へ向けて毒ガス・カプセルを投下した。再び捕われの身になった2人は、ドラックスの新人類計画の盲点を衝いてドラックスとジョーズの引き離しに成功。その時、ボンドら救出のために駆けつけたコマンド部隊がドラックスの配下たちと戦闘を展開した。ボンドはドラックスを追いつめ、彼を宇宙の永遠の塵に変えてしまう。そして爆発寸前のステーションから無傷のムーンレイカーにホリーともども乗り移り、投下された毒ガスの追跡を開始した。そして、すべてを壊滅させ、人類絶滅の危機から救うのだった。(KINENOTE)『007/ムーンレイカー』(原題: Moonraker)は、ルイス・ギルバート監督の1979年のスパイ/アクション映画。「ジェームズ・ボンド」シリーズの第11作目。イアン・フレミングの同名の小説を原作とする。『スター・ウォーズ』(1977年)の成功がもたらした世界的なSF映画ブームの中で製作され、「遂にボンドが宇宙へ進出した作品」として注目された。そのため、ボンドの数多い冒険の中でも最も荒唐無稽なものとなった。また、物語の舞台もカリフォルニア、ベニス、リオ、アマゾン、宇宙とめまぐるしく変わり、全編通して非常にスピーディーな展開となっている。本作は1979年の映画の世界興行成績において、2億1030万ドルとシリーズ最高額を更新し[9]、『ダイヤモンドは永遠に』以来4作、8年ぶりに第1位[10][11]に返り咲いた。日本では1980年度の外国映画の配給収入で、『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』に次ぐ第2位[12][13]全体配給収入は4位。(ウィキ)宇宙に飛び出した007、ぶっ飛んだストーリーでどうかと思いましたが、結構楽しめました。カリフォルニアと言っても、舞台はベルサイユ宮殿のような豪邸、アマゾンのシーンではイグアスの滝や中米の遺跡が登場です。この映画ですごいと思ったのは、冒頭のこのシーンです。どうやって撮ったの?と思ってしまいます。オープニングクレジット前のボンドがパラシュート無しで飛行機から突き落とされ、敵のパラシュートを奪い、ジョーズから逃げるシーンはCGはおろかVFXすら使用しておらず、全て実写で撮影。パラシュート降下にかけては世界一とされる名人を収集した製作チームは、どうやってパラシュートを隠すか、35ミリカメラをヘルメットの上に取り付けてパラシュートが開いたときにカメラマンが怪我をしないためにどうするかという二つの問題を解決した。ウィルソンとジョン・グレンはカリフォルニアに飛び、超軽量チタニウムカメラの本体と実験段階のプラスチック製パナビジョン・レンズで撮影。完成したシーンはシリーズ屈指の完成度を誇る名シーンの一つとして高く評価された。(ウィキ)ベネチアのゴンドラが、ホバークラフトに変身というのは、笑ってしまいました。こういうお遊びはいいですね。観ていて残念だったのは、ひとり目の殺し屋チャンです。黄色い帯の着物姿、日本人なのに名前はチャン、防具をつけて真剣ではなくて竹刀で襲うといった具合で何ともへんてこなキャラクターです。菅敏郎という役者だそうです。参考:ムーンレイカー (moonrakers) とは、イギリスのウィルトシャー州の人、または馬鹿者・阿呆者を表す英語の古典的隠語である。ムーン (moon) は「月」、レイク (rake) は「熊手」を意味し、直訳すると「ムーンレイカー」とは「熊手を使って月を集める人」となる。元になった伝承:ある満月が煌々と照る晩、ある村の外れを密輸品業者たちが夜道を急いでいた。彼らは高価な品物を樽の中に隠し、これをロバに積んで運んでいた。しかし、ある池のほとりでロバが急停止し、その拍子に樽が外れて池に落ちてしまった。男達は辺りにあった熊手で何とかこの樽を岸まで引き寄せようと悪戦苦闘するが、運悪くその最中、村の税務署の役人がそこを通りかかった。男たちは池の中から何かをすくい上げようとしているようだが、暗がりの中で池の中に見えるのは水面に映った満月だけ。役人が不審に思って事情を尋ねると、男の1人が「そこにでっけえチーズが浮いてますでしょう、あれをなんとか取れないもんかと思いやしてねえ」と機転を利かせた。すると、役人は大笑いしてその場を立ち去った。役人は馬鹿なムーンレイカー達の笑い話をことあるごとに友人達に話して回った。しかし、本当に最後に笑ったのは密輸業者達だった。(ウィキ)荒唐無稽なストーリーでお金を稼いで最後に笑ったのは、制作者のアルバート・R・ブロッコリということになるでしょうか。*アルバート・R・ブロッコリの伯父であるパスクァーレ・デ・チッコは、食用野菜として世界的に広く食されているブロッコリをリトアニアからアメリカへ持ち込み広めた人物である。
2024.02.03
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能登半島地震で家屋倒壊や道路寸断が発生し、原子力災害対策指針が定める屋内退避や避難は困難として、国際環境NGOなどは31日、指針を策定した原子力規制委員会などに対し、全国の原発を動かさないよう求める要請書を提出した。要請書では、震源に近い北陸電力志賀原発(石川県志賀町)周辺で避難時の使用を想定していた道路が寸断されるなどした状況を踏まえ、「指針が機能しない以上、原発を動かすべきではない」と求めた。国際環境NGO「FoE Japan」と「原子力規制を監視する市民の会」が呼びかけ、全国の1373人と163団体が賛同。東京・参院議員会館で、反原発の市民団体に所属する金沢市の中垣たか子さん(73)と松江市の芦原康江さん(71)が「避難計画は実効性がない」と訴え、規制委事務局と内閣府の職員に手渡した。オンラインで参加した被災地の住民からは「自然災害と原子力災害への対応を両立させることは不可能だ」との指摘や、「稼働している原発を止めて検証してほしい」との声が上がった。規制委の山中伸介委員長はこの日の記者会見で「今回の地震を踏まえた指針の見直しは必要ない」と従来の見解を繰り返した。(渡辺聖子) 実効性を欠いた原子力災害対策指針…市民団体が原発停止を要請 規制委の山中委員長は「指針見直し必要ない」 (msn.com)能登の地震の惨状を目の当たりにしての当然の要請ですが、規制委員会の山中委員長は聞く耳を持たないようです。メンバー全員が、当該原発の避難計画に従って避難してみたらどうでしょう。避難訓練に毎年参加している志賀町の住民が、今度の地震を受けてこれまでは原発を動かした方がよいと考えていたが、やめた方がよいとテレビで話していました。今回の地震で動いた断層は、想定の90kmを大きく超える150kmです。両端はまだひずみが解消されておらず、再び地震を誘発する可能性があるそうです。佐渡沖と志賀原発付近です。放射能で汚染されたら、最低300年は危険です。やはり、志賀原発と柏崎刈羽原発は廃炉にすべきかと思います。
2024.02.03
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