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ここ数日は例年通りというか、いや例年以上に東日本大震災関連の番組が多かったように思います。やはり元旦の能登半島地震の影響でしょう。何本か録画しておいたので、ぼちぼち見ます。それにしても地震から13年、新潟県に避難してきた9000人のうちまだ2000人が避難中だそうです。全国では3万人。除染と言っても家のまわりだけですから、原発避難者はまだ安心して帰れません。特に子供のいる家庭は無理でしょう。TBSの報道特集で紹介していましたが、いまだ除染されていない家もあります。最低30年間は無理かと思いますが、除染土の県外搬出問題もあります。廃炉は40年では終わらず、100年はかかるのではないでしょうか。Eテレのあぶくまロマンチック街道は、秀逸な番組でした。あぶくまロマンチック街道〜故郷と原発事故の13年〜初回放送日: 2024年3月9日原発事故の前年、福島県の東部・阿武隈山地を貫く「あぶくまロマンチック街道」を舞台に、写真コンテストが開かれていた。当時集まった写真は130点。震災前この地域にあった、日本の原風景とも言える里山の景観と伝統文化が記録されていた。私たちはこれらの写真を手がかりに、かつての撮影地を1年にわたって取材。原発事故後の13年、地域はどう変わり、人々はどう生きたのか。街道の四季を訪ねるロード・ドキュメンタリー。あぶくまロマンチック街道〜故郷と原発事故の13年〜 - ETV特集 - NHKきれいな景色ですが、山林は除染されていません。かつては遊べた小川も、川底の泥には放射性物質が堆積しています。再開された米作や畜産の様子も放送されていましたが、安全だと言われても残念ながら・・・。米は、当然ながら当地では県産米しか売っていません。こしひかり、こしいぶき、新之助の3種類です。復旧を妨げる原発は罪深いですね。当地から柏崎原発までは80km以上ありますが、30km以内のところは稼働に異議を唱えるべきです。経済的な恩恵もなく、被害を被っても補償は難しく忘れ去られるだけでしょう。
2024.03.12
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【コロンビア・ピクチャーズ100周年!】映画『博士の異常な愛情』1963年公開 鬼才キューブリックが織りなす傑作ブラック・コメディ。〈デジタル好評配信中!ブルーレイ&DVD発売中!〉#TBT (youtube.com)ストーリー:合衆国の戦略空軍基地。リッパー将軍の副官として赴任したマンドレイク英空軍大佐(ピーター・セラーズ)は、突然「R作戦」開始の命令をうけて愕然とした。ソ連攻撃に備えた緊急かつ最高の報復作戦「R」を下令するのだ。基地は完全に封鎖され、厳戒態勢がとられた。また哨戒飛行機の全機も通信回路が遮断され、基地からの指令だけしか受けられない状態になり、50メガトンの水爆を搭載、直ちにソ連内の第1目標に機首を向けた。その直後、大佐は司令官が精神に異常をきし、敵の攻撃もないのに独断でこの処置をとったことを知ったが、手遅れだった。その頃国防省の最高作戦室では、大統領(ピーター・セラーズ)を中心に軍部首脳と政府高官が事態の処理をめぐって激論を交わしていた。議長のタージッドソン将軍(ジョージ・C・スコット)は時間の緊迫を訴え、編隊の呼戻しが不可能な以上、全力をあげソ連に先制攻撃をかける以外道のないことを説いた。しかし、大統領はソ連大使に事態を説明、撃墜を要請した。だが、1発でも水爆が落ちれば全世界は死滅する。解体は不可能なのだ。米国兵器開発局長官ストレンジラブ博士(ピーター・セラーズ)はこの存在を証明した。同じ頃、大統領の命令をうけたガーノ陸軍大佐指揮下の部隊は基地接収のため交戦中だった。やがて基地警備隊は降伏、司令官は自殺、マンドレークは呼返しの暗号を発見した。ミサイル攻撃を受け、通信機に損傷を受けた、キング・コング少佐(スリム・ピケンズ)の機だけは目標に直進していた……地球上のあらゆる場所を核爆発の閃光が彩っていった…。(KINENOTE)『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』( Dr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb)は、1964年の イギリスとアメリカ合衆国の合作による[2]のブラックコメディ映画。冷戦時代のソビエト連邦とアメリカ合衆国の核戦争を風刺している。ピーター・ジョージの『破滅への二時間(英語版)』(1958年)を原作に、スタンリー・キューブリックが監督を務め、ピーター・セラーズ、ジョージ・C・スコット、スターリング・ヘイドン、スリム・ピケンズらが出演する。 1998年にはアメリカン・フィルム・インスティチュートが発表したアメリカ映画のベストランキングで26位(2007年版では39位)、2000年には最も面白いアメリカ映画のリストで3位にランクインしている。1989年、アメリカ議会図書館は、「文化的、歴史的、美学的に重要」であるとして、アメリカ国立フィルム登録簿に保存する最初の25作品の一つに選ばれた[3]。 キューバ危機によって極限状態に達した冷戦の情勢を背景に、偶発的に核戦争が勃発し、人類滅亡に至るさまを描くブラックコメディ。政府や軍の上層部はほぼ全員が俗物ないし異常者として描かれる風刺劇でもある。93分(ウィキ)本当は、4役だったピーター・セラーズ何度観ても面白い作品ですが、この作品での救いは米国の大統領がまともなところでしょうか。それに引きかえ現代は、ウクライナやガザの状況を見るまでもなくおかしな人物がなったりします。ブラックコメディーが、悲劇にないかねないのが現代です。特に印象的だったのは、人類絶滅兵器と抑止力のくだりです。マフリー大統領はサデスキー大使同席の元、ソ連首相にホットラインで爆撃機の件を告げ、もしアメリカ側がB-52の呼び戻しに失敗した際は、それらを撃墜するよう依頼する。しかし、直後にホットラインを代わったサデツキー大使は、ソ連首相から、核攻撃を受けた場合、数十発のコバルト爆弾を自動で爆発させることで半減期が極めて長い放射性降下物を発生させ、地球上の全生物を絶滅させる「皆殺し装置[6](終末兵器の一種)」を実戦配備したことを告げられる。サデツキー大使から皆殺し装置のことを告げられたマフリー大統領は解体できないのかと聞くが、サデツキー大使はもし解体しようとすれば作動してしまうことを告げる。マフリー大統領になぜそれを作ったのかを聞かれ、「反対もあったが、軍拡競争や宇宙開発競争に比べれば一番安く済む」「アメリカも同種のシステムを作っていると聞いた。こちらも持たなければ困る」と言うサデツキー大使の言葉を聞いたマフリー大統領は、ストレンジラヴ博士に本当に皆殺し装置を作っているかどうかを聞く。ストレンジラヴ博士は自分も皆殺し装置の製作を検討したがこれは戦争回避には役立たないと判断したと言いつつ、皆殺し装置の構造を淡々と解説する。しかし、ストレンジラヴ博士にも解けない疑問があり、そこに至ると博士は興奮して「皆殺し兵器はその存在を公表しなければ意味をなさない。それなのにソ連はなぜ公開しなかったのか!」とサデツキー大使に迫る。サデツキー大使は「近日公表する予定だった。首相は人を驚かすのが趣味だ」と説明した。この協議が続いている間にもリッパー准将麾下のB-52は進撃を続けていた。(ウィキ)抑止力論は自民党のお家芸ですが、なぜか核兵器の存在についてはだんまりです。皆殺し兵器については、映画の冒頭で触れられますが、大量の放射性物質を振りまく施設と言えば原発でありさらにひどいのが再処理施設と言われています。100万年に1度の発生確率の事故が3度も起こった日本は、すでに映画を超えているのかもしれません。エドワード・テラー(原爆の父)、フォン・ブラウン(ミサイル開発)、レオ・シラード(コバルト爆弾)、カーチス・ルメイ(戦略爆撃)、ハーマン・カーン(ハドソン研究所)など、この映画で想起される人たちを調べてみるのも一興です。ほかにも切り裂きジャック事件のジャック・ザ・リッパー ⇒ ジャック・D・リッパー准将マルキ・ド・サド ⇒ アレクセイ・デ・サデスキーソ連大使ナチスの優生思想 ⇒ 地下壕での避難民の選別など幻のパイ投げのラストシーンも観てみたいです。本来、映画のエンディングは「最高作戦会議室で出席者がパイ投げする」というシーンになるはずだったが、諸事情でカットされた。ウォーカーによると、このシーンは「あまりにも多くのパイが投げられ、観客は誰が誰なのか判別できないほどだった」という[23]。カットされた理由として、キューブリックは1969年のインタビューで「あまりにも極端で、映画の風刺的内容に合わないため」と語っている[19]。サザーンの息子ナイルは、「パイ投げのシーンではキャスト全員が笑っていたため、映画では使用できませんでした。まるで吹雪のようにパイが投げられ、ある意味では迫り来るミサイルの比喩であり、彼らから古き良き時代を感じるでしょう。これは、キューブリックが言ったように『ホメーロスの厄災』なのです」と語っている[23]。(ウィキ)
2024.03.11
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参加者の3人目は、星座のお話です。星座の英語の発音は、先生がお手本を示してくれました。英語の覚え方もさることながら、日本語もあるのですね。なぜかPiscesが、4人もいました。占いで使われますが、生まれた日付で運勢がみな同じというのはどうでしょうか?最後はクイズです。現在の星座数は88ですが、答えはこちらでご確認ください。88星座一覧表 (study-style.com)4人目のスピーチは、クッキングクラブでした。先週の私のジジイの手料理の話に触発されたのか、男の料理教室のお話です。月2回市内のコミュニティセンターの調理室で開催です。月会費2000円で、和食を中心に中華料理など午前中に3品調理、試食、持ち帰りです。4人一組で16人が教えてもらっているそうです。もう15年も続いてる会で、メンバーの大半は70歳代で、講師も推定75歳とのことです。レシピを持ちながら狭い調理場を老人がうろうろする姿を紹介してくれました。刃物を持っているのですこし危険でもあります。耳の遠い人もいるので、けっこうにぎやかそうです。発表者は現在会長を務め、毎回事故がなく無事終えることを願っているとか。講師がもう高齢なのでやめたいと言っているのが悩みの種で、後任を探しているもののなかなか見つからないそうです。「揚げ物なら、この会の中にエキスパートがいるのでは」とは、私の弁です。
2024.03.11
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参加者の最初のスピーチは、揚げ物の話でした。こちらの記事の英訳です。うちは二人暮らしになってから、家で揚げ物を作ることはなくなりました。食べる量も少ないし、あまり食べたいとは思わなくなりました。三鷹に住んでいた時は、安いてんやなどを利用しましたが、当地はスーパーか総菜屋さんで買っています。天一のようなカウンターで揚げてくれるような高級天ぷら屋さんは、ありません。参加者の3分の1くらいは、我が家と似たような状態でした。発表者は、自宅調理派でアジフライなども作るそうです。油はサラダ油=キャノーラ油で、3回ほど使いまわして廃油リサイクルに回しているそうです。ふたり目は、ビー玉のお話でした。ずいぶん昔からあるようで、シュメール文明では遺跡から泥のビー玉が発見されたそうです。中世になると大理石で作られ、丸くするのに水車が利用されたそうです。ガラスで作られ始めたのは、ドイツで輸出商品でひとつ1万円とも。1903年米国工場生産となり、年10万個の生産です。但し、第一次世界大戦で材料不足となり工場閉鎖。日本では安田ガラスが生産し当時のシェアーは50%。現在は、松野硝子という会社のみが生産しているとのこと。英国や米国ではチャンピオンシップ=品評会が今でも行われていて、名品はひと箱70万円ほどの値がついているそうです。専門誌もあるそうです。知らない話で、みなさんへぇ~という感じで耳を傾けていました。
2024.03.10
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先生からのプリントで、今回は交通渋滞に関する新聞記事です。マニラの交通渋滞を取り上げていますが、世界最悪はロンドンとの落ちが着いています。Tom Tom trafic index も Coldplay も知りませんでした。TomTom Traffic Index – Live traffic statistics and historical dataコールドプレイ(英語: Coldplay)は、イギリス・ロンドン出身ロックバンド[7]。メンバーはユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)の学生寮で出会ったクリス・マーティン(ボーカル)、ジョニー・バックランド(ギター)、ガイ・ベリーマン(ベース)、ウィル・チャンピオン(ドラムス)の4人で構成される。1997年にバンドを結成し、複数回の改名を経て[8]1998年にデビューEP[9]、2000年にデビューアルバム[10]をリリース。これまでリリースしたスタジオ・アルバム9作全てが全英アルバムチャートで1位を獲得している[11]。特徴として、哀愁を帯びた美しいメロディー[12]、繊細で壮麗なサウンド、叙情的で優しい歌声、メッセージ性に富む哲学的な歌詞、音楽性の変化や多彩さ、多幸感溢れるカラフルなライブなどが挙げられる[13]。21世紀のポピュラー音楽を象徴するアーティストの一つとして、世界中の音楽シーンに大きな影響を与えるとともに、多くの音楽家や文化人から称賛を受けている[14]。グラミー賞7回受賞(39回ノミネート)[15][注釈 1]。サザンオールスターズの「東京VICTROY」は、コールドプレイの「Viva La Vida」に影響を受けている[279]。(ウィキ)1. フィリピンへは2度行ったことがありますが、1988年最初に行った時タクシーに乗ってホテルからデパートに行った時途中の空気が悪かったのか、娘がもどしてしまいました。2. オーバーツーリズムに襲われている京都ではないでしょうか。学生の頃は市電が走っていて、庶民の足でした。車優先で市電が廃止され地下鉄もできましたが、小回りがききません。市電+市バス+タクシー、マイカー制限で対応すべきでした。3. 自転車ですが、少数派です。田舎はなんといってもひとり一台の車社会です。4. 先生はハイブリッドカーをほめちぎっていましたが、どうでしょう。環境問題ならやはり電気自動車、太陽光で発電して自宅で蓄電・充電というのが理想でしょう。残念ながら、EVでは日本の自動車メーカーは遅れてしまいました。充電網整備の遅れやエンジン生産放棄に伴う関連企業の雇用問題もあります。
2024.03.10
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ストーリー:妻を殺し、現場で失神した娘を病院に預け逃亡した岸田信彦(西城秀樹)。妻の姉・水沢景子(萬田久子)は事件のショックで記憶をなくした娘の梓(前田亜季)を引き取る。14年後、時効を目前に余命わずかと知った信彦は、生まれ故郷のアルゼンチンへ。そこは母(江波杏子)が父を殺した因縁の地だった。二つの国と世代をまたぐ二つの事件。父と娘は再会できるのか?バンドネオンの哀切な調べに彩られて明かされる、衝撃の真実とは?【放送日時補足】地上波では2007/05/30(水)、TX系「水曜ミステリー9」枠(水曜21:00~23:18)で初放送。【役名(演技者)】水沢景子(萬田久子)、岸田信彦(西城秀樹)、水沢 梓(前田亜季)、水沢良介(渡辺大)、マイケル・ヤン・富田(鶴田忍)、マリア・八田(李麗仙)、後藤刑事(大出俊)、新谷菊枝(江波杏子)、高野敦志(斉藤洋介)、渋井峰雄(中村育二)、松木刑事(武野功雄)、岸田麻子(橘ゆかり)、大沢弁護士(井上純一)、信彦(境大輝)、梓(須田ひかり)、良介(井家良輔)。忘却の調べ~オブリビオン~ - ドラマ詳細データ - ◇テレビドラマデータベース◇ (tvdrama-db.com)BSテレ東の夕方ミステリー枠で観ました。17年ぶりの再放送ですが、最初の放送は見ていません。ただ、原作は刊行時に読んでいますが、・・・。西城秀樹、萬田久子、江波杏子、李麗仙となつかしい役者が出ていました。香港やアルゼンチンが舞台ですが、香港はスタジオぽかったです。それにしても、ふたつの殺人事件の凶器に付いた指紋はどうだったのでしょう。
2024.03.09
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三菱マテリアルら/安比地熱発電所(岩手県八幡平市)が営業運転、鹿島JVらが施工日刊建設工業新聞 ◇発電出力1・49万キロワット三菱マテリアルと三菱ガス化学、電源開発が共同出資する安比地熱(岩手県八幡平市、菅野雄幸社長)は、岩手県八幡平市の国有林内に建設した地熱発電所の営業運転を1日開始した。1万4900キロワットの発電出力で、約3万6000世帯分の電力を賄える規模。鹿島・三菱マテリアルテクノJVが土木建築工事を施工した。2019年8月1日に着工し、4年半をかけて2月29日に完成した。建設費は公表していない。発電した電力は再生可能エネルギー固定価格買取制度(FIT)で全量を東北電力ネットワークに売電する。売電期間は15年を見込む。工事で発電所本館、冷却塔、還元井3坑、生産井4坑、気水分離器などを整備。掘削工事は三菱マテリアルテクノ・エスケイエンジニアリングJV、蒸気設備工事を三菱マテリアルテクノ、発電設備工事は富士電機がそれぞれ担当した。今後安比地熱が運転・維持管理業務を担う。発電所の名称は「安比地熱発電所」。建設地は八幡平市大更18の129の1(敷地面積約18万平方メートル)。標高約1130メートルの高地に位置している。発電方式には、地下に溜まった高温のマグマでフラッシュ(減圧沸騰)した蒸気と熱水の混合物から蒸気だけを取り出し、直接タービンを回して発電する「シングルフラッシュ」方式を採用。地熱発電は風力、太陽光発電と比較し天候や季節に左右されにくく、年間を通じて安定的に発電できるメリットがある。三菱マテリアルと三菱ガス化学、電源開発の3社共同での地熱発電事業は、19年5月に営業運転を開始した山葵沢地熱発電所(秋田県湯沢市)に続き2例目となる。三菱マテリアルら/安比地熱発電所(岩手県八幡平市)が営業運転、鹿島JVらが施工 (msn.com)ポテンシャルはあるのに、国立公園や温泉利権からなかなか建設されてこなかった地熱発電所です。火山国日本の有力な資源ですから積極的に進めてほしいです。山葵沢地熱発電所(秋田県湯沢市)参考:日本は世界第3位の豊富な地熱資源量を持っており、地熱発電のポテンシャルが非常に高い国です。地熱発電は、CO2排出量がほぼゼロで、持続的に発電が可能な再生可能エネルギー(再エネ)であり、天候などの自然条件に左右されず安定的に発電できる「ベースロード電源」でもあります。また、発電に使用した熱水がハウス栽培などに利用できるなど、地域経済へのメリットもあります。にもかかわらず、実際に導入されている発電設備容量は、現在約60万kWにとどまっており、資源量に対する割合からすると、世界的に見ても少ないといえます。その理由のひとつには、地熱が目に見えない地下資源であり、開発にかかるリスクやコストが高いこと、また地熱資源が北海道や東北、九州など火山地帯にかたよって存在しており、適した地域が限られているといった自然的な条件が挙げられます。加えて、地熱を利用することで温泉資源への影響を心配する地元の声があること、また、関連する法令の規制などにより、開発に必要な許認可手続きなどの対応が求められるケースがあるなど、社会的な面での課題もあります。しかし、2050年カーボンニュートラル達成という大きな目標を実現するためには、地熱発電のポテンシャルをもっと生かしていくことが必要です。そこで、2030年には148万kW、つまり現在の2倍以上の導入目標を定め、積極的に導入拡大をはかることが決定されました。もっと知りたい!エネルギー基本計画④ 再生可能エネルギー(4)豊富な資源をもとに開発が加速する地熱発電|スペシャルコンテンツ|資源エネルギー庁 (meti.go.jp)
2024.03.09
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ストーリー:フィラデルフィアの一流法律会社に務めるアンドリュー・ベケット(トム・ハンクス)は、ある日突然エイズと宣告され、ウィラー社長(ジェイソン・ロバーズ)に解雇される。不当な差別に怒ったベケットは、損害賠償と地位の保全を求めて訴訟を決意。だが、次々と弁護を断わられた彼は、以前敵同士として渡り合ったやり手の弁護士ジョー・ミラー(デンゼル・ワシントン)を訪ねる。ミラーはエイズに対して、抜きがたい恐怖を感じていた。しかし、世間の冷たい視線に対しても毅然と対処し、熱心に資料を漁るべケットの姿に、ミラーの心は動かされる。ミラーは弁護を引き受け、母のサラ(ジョアン・ウッドワード)をはじめ、ベケットの肉親たちは彼に熱い支援を約束する。解雇から7カ月後、〈自由と兄弟愛の街〉フィラデルフィアで注目の裁判が開廷した。ミラーは解雇が明らかな法律違反だと主張したが、対する会社側の主任弁護士ベリンダ(メアリー・スティーンバージェン)は、彼の弁護士としての不適格性を激しく突く。予断を許さぬ裁判の行方と並行して、ベケットの症状は次第に悪化していく。裁判を優先させて本格的治療を先に延ばそうとする彼に、恋人でライフパートナーのミゲール(アントニオ・バンデラス)は苛立つ。ベケットは恋人のため、自分のためにパーティを開く。遂にベケットは裁判中に倒れ、病院に運ばれた。ミラーは原告側の勝訴の報を、ベッドの上のベケットに告げる。数日後、大勢の人々に見守られながらベケットは静かに息を引き取り、ミラーはかけがいのない友の死を実感した。(KINENOTE)『フィラデルフィア』(Philadelphia)は、1993年のアメリカ映画。エイズとゲイにまつわる偏見を法廷で覆してゆく物語である。第66回アカデミー賞では主演男優賞をトム・ハンクスが、ブルース・スプリングスティーンの楽曲「ストリーツ・オブ・フィラデルフィア」が歌曲賞を受賞した。第44回ベルリン国際映画祭銀熊賞(男優賞)受賞。第51回ゴールデングローブ賞 主演男優賞 (ドラマ部門)および歌曲賞受賞。「ストリーツ・オブ・フィラデルフィア」は、アメリカ映画主題歌ベスト100において、68位にランクイン[2]。 作品の舞台がフィラデルフィアなのは、その名がギリシア語で「兄弟愛」を意味することと、アメリカ合衆国の最初の首都だったことに由来する。 フィラデルフィアの風景が何回か流れる中で、シティ・ホールの頭頂にフィラデルフィア市の父、ウィリアム・ペンの像を撮影したシーンがある。ペンはイングランド生まれだがキリスト友会徒(クエーカー)になり、裁判にかけられるという逆境に立たされたが、陪審員は「無罪」の評決を下した。その後ペンは北アメリカに新天地を求め、アメリカ合衆国憲法に大きな影響を与えた。 この映画の出来事は、弁護士のGeoffrey BowersとClarence Cainに起きた実話と類似している。弁護士Bowersは、初期のエイズ差別のケースとして、1987年に最大手のBaker & McKenzie法律事務所を訴えた。また、弁護士Cainは、Hyatt法律事務所で働いていたが、雇用者が彼のエイズ発症に気が付いて解雇され、1990年に同法律事務所を訴え、死亡する直前に勝訴した[3]。 公開後の1994年、Bowersの遺族が同氏の生涯とストーリーが54のシーンで酷似しているとして、トライスター・ピクチャーズをニューヨーク州にて提訴した[4]。訴訟においては、Bowersの遺族や友人は、本映画のプロデューサーのルーディン氏が遺族に聞き込みを行い、口頭でBowers氏の差別訴訟に関する映画を制作する対価を支払う契約を結んでいたと主張していた。ルーディン氏は、本映画を売り込んだことで制作会社から10万ドルを受け取っていた。遺族は、1993年にニューヨーク州人権局から50万ドルを受け取ったとされる。訴訟は和解により終結し、その和解条件は公表されていない[5]。*エンドロールでは最後の方に実際の訴訟にインスパイア―された旨の記述がありました。125分(ウィキ)BSで放送していたので、久しぶりに観ました。やっぱり弁護士役のディンゼル・ワシントンがいいですね。内心ゲイを嫌悪しながら、職業倫理から弁護する姿がいいです。はじめてのゲイパーティーにも笑ってしまいました。マリア・カラスのオペラのシーンは、オペラに疎い私には理解できませんでした。人種が違う、まいったよという感じですね。こんなエピソードもあります。ハリウッドのメジャーとしては、初めて「エイズ」と「ホモセクシャリティー」を全面に出した作品というわけで、一般公開するにあたり、映画会社は大変に気を使ったそうです。この映画の最初に作った宣伝用ポスターには、「エイズ」や「ホモ」にはいっさい触れていません。次に予告編を作るにあたっても、3通り(ホモやエイズに触れていないもの、裁判シーンが全面に出ているもの、主人公がエイズであるということが明らかになるもの)を作り、一部の観衆にテストしたと言われています。その結果3つ目が好評だったため、「エイズ」を全面に出した予告編を作ったそうです。(KINENOTE)今は、エイズもホモもそれほど抵抗がないでしょう。日本でも7人にひとりが、LGBTだそうです。1993年はまだ日本が成長していた時代で、映画でも「東京からの電話です。」なんて言うセリフがあったり、テレビがシャープ製でした。裁判の終わりで、逸失報酬や慰謝料に加えて、懲罰的賠償金が5億円です。日本の裁判にはない制度ですが、政治家や経営者など課してみたい人は沢山います。映画『フィラデルフィア』(1993)予告編 - YouTube
2024.03.08
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昨年参加させていただいた絵手紙の展示もあり、体験コーナーでは講師の先生が教えていました。半年ぶりにお会いできてよかったです。見覚えのあるポリ容器のふたです。ちゃんと名前がついています。多彩な展示と出来栄えに、拍手です。ボランティアや野外活動サークルの紹介展示もありました。山歩きの会ですが、写真に写っているメンバーを見ると私より高齢の方がほとんどのようでした。昨年開催された講習会もすぐ満員となったところからすると、人気が高いようです。
2024.03.08
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潮太鼓のコンサートのあと、館内作品展示を見て回りました。一階はすべて書道の展示でした。愛好者が多いのですね。書かれた文句も教養があればわかるのでしょうが、紫式部の弟同様漢文や漢詩の素養がないので不明です。母は詩吟をやっていたので家にその手の本や資料がたくさん残っていましたが、昨年ほとんど処分いたしました。中国に行きたいというので北京や洛陽、西安をいっしょに旅し、万里の長城で漢詩を吟じていたことを思い出します。2階では、絵画や写真、木彫などが展示されていました。七宝焼きです。こちらは、池坊流。他の流派のものもありましたが、違いが今ひとつわかりません。鑑賞ガイドが置いてありました。続きます。
2024.03.07
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映画『運び屋』特報【HD】2019年3月8日(金)公開 (youtube.com)ストーリー:アール・ストーン(クリント・イーストウッド)は金もなく、孤独に暮らす90歳の男。商売に失敗し、自宅も差し押さえられかけた時、車の運転さえすればいいという仕事を持ちかけられる。それなら簡単と引き受けたものの、それが実はメキシコの麻薬カルテルの“運び屋”だということを、彼は知らなかった……。(KINENOTE)『運び屋』(The Mule)は、2018年のアメリカ合衆国の犯罪映画。監督と主演はクリント・イーストウッドが務めている[7]。 原案は『ニューヨーク・タイムズ』のサム・ドルニックの記事「The Sinaloa Cartel's 90-Year-Old Drug Mule」であり[8]、脚本はニック・シェンクが執筆した[9]。80歳代でシナロア・カルテルの麻薬の運び屋となった第二次世界大戦の退役軍人であるレオ・シャープの実話に基づいている[10]。116分(ウィキ)BSテレ東の2時間枠、伊武雅刀吹替え版で観ました。The Muleは、麻薬の運び屋という意味の俗語。老人の役を老境のイーストウッドが演じた作品で、とてもいい感じでした。どう見ても運び屋に見えないので、カルテルにすれば適任なのでしょう。家族はいるものの愛想をつかされているので、「無敵の人」です。動機はカネなのでしょうが、ドライブ好きもありますね。最後は、GPSで位置を特定されて広大なハイウェイ上で御用です。題名がどうかなと思いましたが、予想外に見ごたえのある作品でした。
2024.03.07
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生涯学習フェスティバルの一環として行われた和太鼓コンサートです。40年ほど活動している団体で、小学生の頃から続けている人もいるそうです。体験コーナーは、ちびっこがずらり。最後は、習った打ち方で演奏です。潮流れ太鼓は、その名の通り打ち手が移動して踊るように演奏です。総勢13名、素晴らしい演奏でした。アンコールは、祭囃子で会場の盛大な手拍子で焼く時間の演奏を締めくくりました。第2部はお楽しみ抽選会です。と言っても、景品はボックスティシュでしたが。マスクは暑かったのか、すぐはずして抽選です。正体は、前館長さんでした。当選確率は15%くらいでしたがハズレて、手にしたエコバッグをいただいて帰りました。
2024.03.06
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ウクライナ戦争開戦2年番組です。今回はパート2で、前回放送後からの変化を追います。「戦火の放送局〜ウクライナ 記者たちの闘い〜」初回放送日: 2022年8月7日母国が戦場となったときジャーナリストたちは「戦争」をどう伝えるのか…。鳴り響く防空警報の下、臨時拠点からの放送・配信を続けるウクライナ公共放送。ロシア軍の侵攻から5ヶ月あまり、長期取材から見えてきたのは、ロシア側が仕掛けるプロパガンダの実態や、ウクライナ政府から課される戒厳令下の報道規制、そして家族や友人たちの命が危険にさらされる中で、何をどう報じていくのか苦悩する職員たちの姿だった。「戦火の放送局〜ウクライナ 記者たちの闘い〜」 - NHKスペシャル - NHK戦火の放送局II〜ウクライナ うつりゆく“正義”初回放送日: 2024年3月2日「私たちは戦火を生きてきた。以前の自分はもういない」(アナスタシヤ・オブラズツォヴァ記者)-ロシア軍の侵攻直後から私たちが取材を続けてきたウクライナ公共放送ススピーリネ。あれから2年、記者たちが置かれた状況は様変わりしていた。ある者は現場に立てなくなり、ある者はペンを折り軍の任務に就いていた。彼らはどんな現実に直面し、何を考えてきたのか。記者たちの葛藤と選択からウクライナの“現在”を見つめる。戦火の放送局II〜ウクライナ うつりゆく“正義” - NHKスペシャル - NHKふたりの元記者と元カメラマンに焦点をあてて番組を構成していましたが、観ていて胸が痛くなりました。そう感じたのは、やはりこの戦争の展望が見えないことです。真実を報じるのが報道の本質なのでしょうが、政府の規制もあってそれはかなわないようです。現場からのつらいニュースで心が病んでしまっているという感じです。最後はMHK記者の質問にも、噛みつく有様です。マイダン革命でそれまでロシア寄りの姿勢だった経営陣を追い出して発足したのに、その後のポロシェンコやゼレンスキーの姿を報じ切れなかったように見えました。腐敗したままの政権、ロシアに変わって米国にすり寄りというか操られたことに、今回の不幸があるように感じます。EU加盟を希望していたようですが、そんなレベルではないでしょう。10倍の国力のロシアとの戦争です。いくら武器援助があるとはいえ長期戦になれば、ウクライナは不利です。国土は荒廃して、どのような形で終結しても復興は困難を極めます。米国は、直接でなくウクライナを代理としてロシアと戦わせて弱体化をねらうのが目的ですから、ウクライナを勝たせることなくなるべく長くロシアと戦わせる意図です。いくら政治経験がない大統領でもそのくらいのことはわかりそうなものですが、米国の意図を承知の上でクリミア奪還なんて言っているのでしょうか。東部のドンバス地方でさえも2014年以来戦っているのに、奪還できず今回のロシア侵攻を招いてしまいました。弱い国、小さい国はそれなりに立ち回るのが小国の知恵なのでしょうが、そう言うものが欠如しているように見えてなりません。やはりロシア寄り、あるいはロシアと共生してもよいという政治家を殺したり、国外に追いやったことでロシアとのパイプ=戦争終結の糸口を失ってしまったのでしょうか。ネオコンに近くウクライナ利権のバイデンでは、戦争終結は難しいでしょう。やはりロシアと交渉して戦争を終結できるのは、トランプしかいないのでしょうか。件の放送局のふたりは、この戦争がどうなるか見えずただ傍観しているように見えました。一般の国民よりも接する情報は多いのに・・・。元記者はシングルマザーで娘とキーウに暮らし、息子はドイツで医学生。夫や息子を戦場に送らなくてもよいようです。先の戦争で負けるとうすうすわかっていたのに、沖縄や東京が無駄な犠牲になった日本。ウクライナも似たような状況なのでしょうか。市民が2万人、兵士が3万人亡くなっても、終わりが見えません。
2024.03.06
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映画『男はつらいよ』(第17作)予告編映像 - YouTubeストーリー:春、4月。東京は葛飾柴叉の帝釈天は、入学祝いの親子連れで賑わっている。“とらや”を営むおいちゃん夫婦は、寅の妹さくらの一人息子・満男の新入学祝いで、大忙し。そんな所へ、久し振りに寅が、旅から帰って来た。ところが、さくらが元気がないので寅が問いただしてみると、満男の入学式の時に、先生が満男が寅の甥であると言ったところ、父兄が大笑いしたというのだ。寅はそれを聞いて怒ったが、おいちゃんたちに、笑った父兄より、笑われる寅が悪い、と決めつけられて大喧嘩の末、家を飛び出した。その夜、寅は場末の酒場でウサンくさい老人と知り合い、意気投合して、とらやに連れて来た。ところが翌朝、この老人はぜいたく三昧で、食事にも色々注文をつけて、おばちゃんを困らせる。そこで寅は老人に注意すると、老人はすっかり旅館だと思っていた、お世話になったお礼に、と一枚の紙にサラサラと絵を描き、これを神田の大雅堂に持っていけば金になる、といって寅に渡した。半信半疑の寅だったが、店の主人に恐る恐るその絵を渡すと、驚いた主人は7万円もの大金を寅に払ったのだ。この老人こそ、日本画壇の第一人者・池ノ内青観だったのだ……。それから数日後、兵庫県・竜野。青観が生まれ故郷の竜野へ市の招待で来た時、偶然、寅と会った。市の役人は、青観と親しく話す寅をすっかり青観の弟子と勘違いして、二人を料亭で大歓迎。美人芸者のぼたんの心ゆく接待にすっかりご機嫌の寅。翌日、用事があると言って出かけた青観の代理で、寅は市の観光課長の案内で、昼は市内見物、夜はぼたんを連れてキャバレーやバーの豪遊に、観光課長も大弱り。その頃、青観は初恋の人を訪ねて帰らぬ遠い青春時代の感傷にひたっていた。やがて、寅はぼたんに別れを告げ、竜野を発った。夏が来て、とらやにぼたんが寅を訪ねて来た。ぼたんは、苦労して貯めた200万円をある男に貸したまま逃げられ、その男が東京にいるのをつきとめたので会いに来たのだった。おいちゃんたちは、いきりたつ寅を押さえて、社長をぼたんに付けて男に会いに行かせた。男は大きな中華料理屋を経営しているのだが、店は女房名儀で一銭もないと払おうとしない。巧みに法律の網をくぐりぬけているのだった。烈火の如く怒った寅だったが、おいちゃんたちに慰められ、ぼたんは「その気持だけでうれしい」と涙を流すのだった。そこで寅は、青観に事情を話して、絵を描いて貰って金にしようとしたのだが「金のために絵を描くことはできない」とはねつけられたため、大憤慨して青観の家を飛び出してしまった。一方、ぼたんは寅の温い思いやりを背に、竜野へ帰って行った。夏も盛りの頃。旅に出ていた寅はぼたんに会いに、ふたたび竜野を訪れた。ところが、ぼたんのところに青観の絵が届けられていたのだ。寅は青観を口汚くののしったことを詫びるために、東京の方角へ向かって手を合わし、感謝の言葉をくり返すのだった。(KINENOTE) 『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』(おとこはつらいよ とらじろうゆうやけこやけ)は、1976年7月24日に公開された日本映画。『男はつらいよ』シリーズの17作目。同時上映は『忍術猿飛佐助』。キネマ旬報BEST10第2位(シリーズ全作品中、最高順位)(ウィキ)あまり寅さんを放送しないNHKBSシネマで観ました。画家池ノ内青観のくだりはよく覚えていましたが、龍野市のシーンは全く忘れていました。撮影から48年、あの昭和の街並みはどうなっているのか気になりました。街のにおいを感じるようななつかしい映像でした。役者さんの方も、太地喜和子、宇野重吉、岡田嘉子、桜井センリ、大滝秀治、佐野浅夫などなつかしい顔を見せてくれました。参考:青観と志乃(岡田嘉子)の会話は、本作のみならず、シリーズの名場面の一つ。若い頃志乃と結ばれる道を選ばなかったことへの後悔を語る青観に対し、志乃は人生に後悔はつきもの、「ああすりゃよかったなあという後悔とどうしてあんなことをしてしまったんだろうという後悔」があると言って、慰める。劇団民藝の重鎮・宇野重吉が、マドンナ以外では極めて異例の「トメ」(出演者最後の1枚クレジット)で迎えられている。宇野と下条正巳は1971年の大量脱退騒動で決裂した仲だが、今回は共演場面もある。和解があったのかどうかは不明だが、今回、同劇団の残留派からは大滝秀治が、脱退派からは佐野浅夫が出演している。その宇野重吉は長男寺尾聡と本作で共演をしている。岡田嘉子がソ連から帰国後、初めて映画、テレビドラマで役を演じたのが本作である。(ウィキ)
2024.03.05
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フィリピン人技能実習生への自己紹介のあと、私のスピーチをさせてもらいました。My wife and I was suffered from back pain.I suffered from a strained back and my wife suffered from a compression fracture.My wife can’t bend over, so I’m solely responsible for the house work, and for the past month I’ve been a full-time housewife,cooking, cleaning, and doing the laundry. I buy side dishes, sushi, and bento boxes.I also buy materials and make them.I made boiled tofu, meat and potatoes, salt-grilled sea- bream, aquapazza, spaghetti, vegetable soup etc. My wife’s injury is healing, but she won’t be able to take off her corset until the end of March.So, I will continue to be a househusband for a while.男性参加者のうちのひとりは月2回料理教室に通っていますが、家では作らないそうです。女性では、自分も骨にひびが入って腕にギブスを付けたが、主人のサポートはなかった話す人もいました。1尾300円の鯛のお値段に驚く人も。主婦目線ですね。
2024.03.05
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NHK総合『名曲アルバム シェルブールの雨傘 ミシェル・ルグラン作曲』3月2日放送 - amassからヌーベルバーグの一翼を担ったジャック・ドゥミが監督を務め、ミシェル・ルグランが印象的な名旋律の数々を作曲したミュージカル映画『シェルブールの雨傘』。NHK総合『名曲アルバム シェルブールの雨傘 ミシェル・ルグラン作曲』は3月2日(土)放送。哀しみと切なる願いをたたえたメロディーを、映画の名シーンのロケ地とともに紹介。■『名曲アルバム シェルブールの雨傘 ミシェル・ルグラン作曲』NHK総合 2024年3月2日(土)午後2:50 ~ 午後2:55 (5分)●楽曲「シェルブールの雨傘」(ソプラノ)幸田 浩子、(バリトン)坂下 忠弘、(管弦楽)東京フィルハーモニー交響楽団、(指揮)阪 哲朗番組ページhttps://www.nhk.jp/p/meikyoku/ts/7886RXJ868/ シェルブールの雨傘 ミシェル・ルグラン作曲 - 名曲アルバム - NHK 名曲アルバム シェルブールの雨傘 ミシェル・ルグラン作曲 - NHKプラス*配信は3月9日までクラッシクが多い名曲アルバムですが、めずらしく映画音楽です。現地の観光案内書ではロケ地めぐりのガイドブックが配布されていて、番組はそれらを紹介しています。映画も見ましたが、銀座博品館劇場で初演されたミュージカル(1983年)も愛方といっしょに観ました。羽賀健二が初々しかったです。お相手は、毬谷友子でした。
2024.03.04
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2月の2回目(最終回)は、ゲストが3人参加です。当日先生から例会にフィリピン人のTraineeを連れてゆきたいとの連絡がありました。学生かと思っていたら、技能実習生=technical intern trainee でした。市内藤塚浜にある某大手ハム会社の関連工場でチキンの加工をするとのことです。1か月前に来日して1か月ほど千葉で日本語などの研修を受けて、先週工場に来たそうです。6人ワングループで3年でローテンションして、常時30人ほどの勤務体制のようです。今回はそのうち3名が参加です。みんな20歳前後に見えましたが、実年齢は、26,28,28歳でした。男性二人、女性ひとりです。既婚で子どもがふたりという方もいました。出身は、全員マニラの郊外です。作業マニュアルや指示はすべて日本語ですが、彼らは英語が話せるので日本人スタッフとは少し意思疎通ができるようです。この点は英語ができないベトナム人よりはよいと、先生が話していました。ただ、工場ではWi-Fiが使えないので、わからない言葉はアパートに帰って勉強していると話していました。私から見れば寒い雪のシーズンでの来県ですが、彼らにとっては初めての雪で興味深いと言っていました。おすすめの料理や名所、イベントなども尋ねられました。柿を食べてみたいと言っていたのが印象的でした。富士山を見たいとも言っていましたが、当地からは無理ですね。逆に、フィリピンのおすすめ料理は、アドボです。チキンアドボ | 【公式】フィリピン政府観光省 (philippinetravel.jp)買い物は会社がバスを用意しているようですが、車社会の田舎なのに車のない生活は不便だろうと思いました。これからだんだん暖かくなるので過ごしやすくなるかと思いますが、体に気をつけて過ごしてもらいたいと思います。まあ、バックはそれなりの大企業なので、どこかの零細企業と違ってたった一人しか引き受けず酷使するようなこともないでしょう。残念なのは、円安で給料は目減りですね。技能実習制度は、現代の奴隷制と指摘されています。最大の問題は、渡航費が自己負担で大半が借金を背負って来日してくることでしょう。数十万円借金できるくらいですから極貧ではない者の、見ず知らずの日本企業で働くのですからリスクは大きいです。仲介の監理団体もあやしく事業者とつるんでいて、労働法違反の状態が改善されません。本来は渡航に際して支度金を支払うべきでしょうが、そうはなっていません。この点を彼らに聞いてみたかったですが、会の性格上差し控えました。3年間健康で働けて借金を返して、故郷に仕送りができて、日本に良いイメージをもって帰国されることを望まざるをえません。なお当地にはカトリック教会があって、ミサに通うフィリピン人もいるようで心の支えになっているようです。
2024.03.04
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ひな祭りなのに雪の日曜日です。昨日はパラパラとした雪でしたが今日は湿った積もりそうな雪で、朝起きたら10cmくらい積もっていました。愛方は腰椎骨折が治癒してきたと思ったら、今度は偏頭痛。昨夜はヘルペスができて痛みで眠れなかったというので、皮膚科に出かけて行きました。日曜日の午前中もやっているようで空いていて、1時間弱で帰ってきました。見立ては単純ヘルペスで、薬をもらって1週間後に再診と医者通いが続きます。さて、日曜日のお楽しみは大河ドラマですが、こんな記事が載っていました。本郷奏多、大河ドラマ『光る君へ』奇行の花山天皇を体現…その名字が語る、全国に広がるルーツさて、この本郷奏多という名前は「奏多(かなた)」も含めて本名とのこと。名字の「本郷」は全国ランキングでは1000位付近というかなりメジャーな名字で、沖縄以外に広く分布している。特定の地域に集中している場合はそこにルーツがあるが、全国に広く分布している名字は一般的な言葉や風景がルーツとなっていることが多い。「本郷」は後者で、「本郷」とは普通の言葉だった。そもそも「郷」とは、古代の令制における地方行政区画の最下位の単位のことである。古くは「里(さと)」といったが、奈良時代初めに「郷」に改められた。当時は家50戸を1つの「郷」の目安にしたという。今でいう大字(おおあざ)、または農村部での1つの集落という感じだろう。 さて、その地が発展して「郷」の人口が増えると、1つの「郷」を分割して新しい「郷」ができる。このとき、元からある「郷」のことを「本郷」といった。最も有名な「本郷」は東大があることで知られる文京区の本郷だろう。ここは古くは湯島の中心となる集落で、湯島本郷と言われていた。それが次第に短縮されて「本郷」だけになったという。こうした場所は各地にあり、全国にたくさんの「本郷」という地名が存在した。そして、この各地の本郷に住んでいた人達が名乗ったのが「本郷」という名字である。従って「本郷」さんは全国に広く分布している。その中でも最も「本郷」が多いのが宮城県で、本郷奏多も宮城県の出身である。花山天皇はかざんてんのう、本郷奏多はそうたと読むのですね。奇行ぶりがよく演じられていると思います。こういう天皇はを見ると、悪いウワサの秋篠宮はまだましなのではと思ってしまいますね。紫式部を演じる吉高由里子は何を演じても同じとの批判もあるようですが、私はファンです。唯一平安顔の黒木華もいいですね。巷では、直秀役の毎熊克哉が人気のようです。参考:花山天皇(かざんてんのう、かさんてんのう[注釈 1]、旧字体:花󠄁山天皇、968年11月29日〈安和元年10月26日〉- 1008年3月17日〈寛弘5年2月8日〉)は、日本の第65代天皇(在位:984年9月24日〈永観2年8月27日〉- 986年8月1日〈寛和2年6月23日〉)。諱は師貞(もろさだ)。冷泉天皇の第一皇子。母は、摂政太政大臣藤原伊尹の娘・女御懐子。三条天皇の異母兄。花山源氏(神祇伯を世襲した伯王家、のち断絶)の祖。花山院(かさんいん)や花山法皇とも呼ばれる。父親の冷泉天皇も数々の逸話が残る人物であるが、花山天皇は当世から「内劣りの外めでた」などと評され、乱心の振る舞いを記した説話は『大鏡』『古事談』に多い。天皇に即位する前、高御座に美しい女官を引き入れ、○行為に及んだという話が伝わる。出家後も好色の趣味を止めることなく女性と関係を持ち、上記の「長徳の変」と呼ばれる逸話も出家後の話である。また、同時期に母娘の双方を妾とし、同時期に双方に男子を成している。その2人の子を世の人は「母腹宮」(おやばらのみや)[注釈 2]、「女腹宮」(むすめばらのみや)[注釈 3]と呼んだ。ただしこれらの逸話は、皇統を伝えられなかった冷泉系の天皇に対して故意に作られたものである可能性が高い[3]。その一方で、絵画・建築・和歌など多岐にわたる芸術的才能に恵まれ、ユニークな発想に基づく創造はたびたび人々の意表を突いた。特に和歌においては在位中に内裏で歌合を開催し、『拾遺和歌集』を親撰し、『拾遺抄』を増補したともいわれる。(ウィキ)
2024.03.03
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映像の世紀バタフライエフェクト興味のあるものだけ見ていますが、今週のCIA 世界を変えた秘密工作はなかなかよかったです。アメリカ大統領直轄の情報機関「CIA」は、戦後のアメリカ外交を陰で支えてきた。世界の民主化支援という大義の下、極秘に他国へ工作員を派遣、秘密工作を仕掛けてきた。戦後まもないイランでは、巧みな世論操作で政権を転覆させ、莫大な石油利権をアメリカにもたらした。冷戦の時代、ソ連の衛星国ハンガリーでは、ラジオを使って反体制運動をあおった。南米チリでは、社会主義政権を親米政権に転換させたクーデターに関与した。CIA 世界を変えた秘密工作 - 映像の世紀バタフライエフェクト - NHKCIAの前身である謀略機関OSS(Office of Strategic Services)時代から暗躍したアレン・ウオルシュ・ダレス(第5代CIA長官)を取り上げていました。イランではモサデグ政権を倒して国有化された石油利権を強奪したこと、ハンガリーでは大規模な動乱、イタリアでもマフィアを買収して選挙に介入です。チリでは民主的な選挙で選ばれた社会主義政権を倒し、軍事独裁政権を支援しました。いずれも歴史の審判がなされているとはいえ、NHKには珍しいくらいはっきりと物を言った作りで正直驚きました。視聴者の半分くらいは、ウクライナ戦争につながるクーデター マイダン革命(2014年)を誰が仕掛けたのか理解したのではないでしょうか。情報開示を待たなくとも今は国務次官のヌーランドの名前が出て、明らかです。CIAはその悪行が知れ渡ってしまったので、今は第2のCIAと呼ばれているNED(National Endowment for Democracy全米民主主義基金)がその一部を担っていると言われています。是非、そちらの方も報じてほしいですね。参考:NHKがCIA秘密工作番組報道 「第二のCIA」NEDにも焦点を!(遠藤誉) - エキスパート - Yahoo!ニュース ウクライナ戦争は2013年末から2014年初頭にかけて、NEDが起こしたマイダン革命によって親露政権を転覆させ、親米政権を強引に樹立させたことが遠因になっているのは、今では知らない人はいないだろう。 そのためにプーチン大統領はクリミア半島を併合した。 しかしNHKは「クリミア半島」は「ロシアが一方的に併合したクリミア半島」という形で、接頭語「ロシアが一方的に併合した」を付けた名称でないと、「クリミア半島」という言葉を口にしてはならないという規則でもあるかのように、NEDの正当性(=他国の選挙に干渉して親米的でない政府を転覆させ、戦争ビジネスで儲ける正当性)を日本全国民に刷り込んでいく。そこには「アメリカ・ネオコンの許可なくして、真実を語ってはならない」という規制があるようで、怖い。 (但し、プーチンがウクライナ侵攻をしたのは許せないということは大前提だ。) PS:田中角栄を美化するような回は、ひどかったです。
2024.03.03
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参加者のひとり目のスピーチは、1月下旬に行った蔵王スキー旅行のお話です。急行バスで山形市に行って、山形県郷土館の文翔館を訪れたり、郷土料理をいただいたそうです。パンフレットを見せていただきましたが、なかなか立派な建物ですね。新潟市にも県政記念館という似たような建物があります。山形市へは何度か出張しましたが、お城の跡を見たくらいです。肝心のスキーの方は、霧と風で天気が悪かったそうです。樹氷=Snow Monsterも今ひとつだったようです。スキーなどはホテルの提携店で半額でレンタルでき、リフトもシニア割りで6500円⇒5700円。ケーキをいただいたカフェは、外人さんが多く国際的な雰囲気で驚いたそうです。ここにも残念だったのはお昼を食べた韓国料理店で、4人の韓国人スタッフの対応が悪く、注文した同じ料理(ビビンバ)が40分の時間差でサーブされるなどバッド&テリブルだったそうです。それでも久しぶりのコロナ明けの旅で、観光と温泉を楽しめたと話していました。ふたり目のスピーチは、絵馬についてでした。最近は、プライバシー保護の観点からシートで目隠しをするというのが流行っているそうです。絵馬同様シートも売っているそうです。私は初詣でお願いするのはいつも家内安全だけで、絵馬を奉納したことはありません。参加者に尋ねたら、2、3名の方が奉納したことがあるとのことでした。もちろん、シートなしの絵馬です。参考:かつて、神々は騎乗した姿で現れるとされ、神輿の登場以前は神座の移動には馬が必須と考えられた。常陸国風土記によれば、崇神天皇の代より神事の際に馬を献上する風習が始まったとされる。奈良時代の『続日本紀』には、神の乗り物としての馬、神馬(しんめ、じんめ)を奉納したと記される。一方、馬を奉納できない者は次第に木や紙、土で作った馬の像で代用するようになり、奈良時代からは板に描いた馬の絵が見られるようになった[1]。一例として、奈良市の日笠フシンダ遺跡から天平10年(738年)と記された木簡と共に絵馬が出土している[2]。 絵馬の奉納は個人的な動機による神仏への願掛けであり、かつては人に見られない時間帯を選んで行われた。また、今日のように絵馬に実名を記すことはなく、「寅歳女」のように生まれた干支と性別のみを記した[1]。(ウィキ)atheist 無宗教、無神論者 altar 仏壇、祭壇
2024.03.02
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1月の3回目の例会を腰痛で休み、2月は前半先生の都合でお休みだったので、久しぶりの英会話です。先生から配られたプリントです。節分に関する記事ですが、鬼石町のことも渡辺綱のことも知りませんでした。茨木童子との戦いの逸話から、鬼は『渡辺』姓の人間を渡辺綱の子孫だと思い瞬く間に逃走してしまうとされており、ここから節分においては渡辺の苗字を名乗る人は豆まきの必要がないと言われている。(ウィキ)1.は、季節の行事でしょう。但し、当地はまだ雪のシーズンなので東京のように豆まきをするお寺はありません。我が家では、大豆ではなく殻付きの落花生をまいていました。2は、やっぱりお花見ですね。昔は、成田空港に日本の行事を紹介する英語のパンフレットが置かれていました。
2024.03.02
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2月末日の株価は、39166.19円でした。34年ぶりの高値更新に証券マンが、興奮していました。くす玉もしょぼかったです。ブログではしゃいでいたこの前週NHKのクロ現が、株高特集をやっていました。7つの株高要因をピックアップです。円安と日本企業の好業績は裏表ですね。外人から見れば、円安で為替リスクがなく日本株はお買い得ということでしょう。日銀の緩和継続も円安株高に寄与しましたが、これからはどうでしょう。ため込んだETFはどうなるのでしょう。金利上昇に耐えられない企業も出てくるでしょう。新NISAの9割は、日本株ではなくてグロカンで運用です。日本の若者は日本株に期待薄で、冷静ですね。今年に入ってからの急な上昇は、中国からの資金シフトがその要因でしょう。外人の買い越しは、10兆円以上だそうです。不動産と国内株がダメなので、彼らは金も買っています。金相場の推移です。最安値からの倍率は、株が5.5倍ですが、金は9倍です。最高値更新ですが、今の株価水準はどうでしょう。PERが16.26倍ですから、適正水準とみてよいのでないでしょうか。ちなみにNYダウは、20倍です。最高値のバブル期は65倍でしたから、やはり異常な高さでしたね。長続きしなかったわけです。ふたりの識者の見方も紹介です。今と昔の時価総額上位株の対比です。日本企業の見事な敗戦です。これでは、株価更新も喜べないですね。極めつけは、こちらのグラフです。トップのNYダウは、なんと14.03倍です。英国病と言われていたイギリスでさえ、3.18倍です。株屋の熊谷のコメントより、学者の伊丹の設備投資と配当の逆転の指摘が気になりました。外人株主を意識した増配に対して、技術開発や新規事業で後れを取って設備投資=将来の利益の芽が育っていないということなのでしょう。番組では触れられませんでしたが、賃金水準が低くて世界中から優秀な人材が集まらないというのも心配です。米国企業との大きな差ですね。
2024.03.01
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愛方と見ているテレビドラマは、大河ドラマと朝ドラです。ともに現代人が面白おかしく創作したフィクションですが、愛方にはそれが事実かどうかがとても気になるようです。気になるのは自然なことですが、いちいち私に尋ね「正解」を求めてくるのでちょっと煩わしいです。紫式部は、生年も素性も詳しいことは不明なのですが・・・。大河ドラマについては、Eテレで「源氏物語の女君たち」というのをやっているので、ドラマ理解のために一緒に視聴しています。番組に出演している女子大生の反応が興味深いです。光源氏が愛した8人の女君(おんなぎみ)を矢作兼と女性ゲストが深掘り 趣味どきっ!「源氏物語の女君たち」(全8回) |NHK_PR|NHKオンライン朝ドラもあと1か月ですが、期待した米国公演とそれに伴うあのジャニー喜多川は描かれないようです。マネージャーの山下役を演じるのは近藤芳正です。どちらかというと私のイメージでは悪人役ですが、今回は善人役のようですね。今週のマネージャー交代劇もそのように描かれていて、愛方も違和感なく信じ込んでいるようです。タイミングよくというか、ドラマの進行に合わせて「事実」に関する記事が載っていました。笠置シヅ子が信頼した男は大金を使い込んでいた…朝ドラでは美化された絶頂期のマネージャー交代劇の真相 (msn.com)からです。スズ子のモデルとなった笠置シヅ子の史実を様々な資料で読んでいくと、山下のモデルとなったマネージャー・山内義富のとらえにくい人物像が浮かんでくる。山内は、笠置と同じ大阪出身で、海外から来朝した音楽家の世話をしたり、その後コロムビアレコードに勤務したりしてきた経歴があり、笠置シヅ子は自伝『歌う自画像:私のブギウギ傳記』(1948年、北斗出版社)で次のよう記している。「山内さんは癖の多い私を親身になって世話してくれ、単に仕事上のマネージャーにとどまらず、私の人生の参謀になっております。いいえ、もう私の兄さんか叔父さんみたいな関係かもしれません」笠置シヅ子『歌う自画像:私のブギウギ傳記』(1948年、北斗出版社)ドラマでは愛助が療養で帰阪する前、笠置と2人で箱根旅行に行くが、史実では愛助のモデル・吉本エイスケと笠置の箱根旅行にもマネージャーの山内がついて行っていた。また、笠置の妊娠がわかった際には、慎重に事を運ぶよう助言したり、手紙では要領を得ないからと、直接会って相談することを勧めたりもしていた。年の瀬に名古屋に地方興行に行った際には、元日だけは一人でお雑煮を祝うのも寂しいだろうということで「今日だけは僕がエイスケさんの身替りを勤めましょう(原文ママ)」と山内が言い、笠置が「えらい薹(とう)の立ったエイスケさんやな」と笑ったという記述もある。また、エイスケが亡くなったとき、吉本家からの見舞金を納めておいたほうが良いと勧め、「しかし今後、物質的援助は謝絶し、あくまで自立の覚悟で奮発すべきだ。ただ、お見舞金の封筒は吉本家との関係を証明するものだから大事にしまって置いた方がよい(原文ママ)」と進言したのも、山内だった。笠置の自伝への寄稿「歌姫の構図(笠置シヅ子を語る)」の中で、演劇評論家・旗一兵は山内の存在についてこう記している。「山内氏はエイスケ君の信望によって笠置君を預けられた人だがエイスケ君の死によって一層その関係は深められ、今は単なるマネージャーではない。血縁者に近い存在であり、笠置君に対する人生の保護者と忠告者を兼ねている。最初のうちはお互いにぴったりしたものがなかったかも知れないが、住宅事情からここ二、三年間同じ家に住んでいるのも二人の気脈を通じさせ、真ッ裸で取り組んだ歌手対庇護者の人間模様が捨小舟(すておぶね)の母子の生活を温めている」笠置シヅ子『歌う自画像:私のブギウギ傳記』(1948年、北斗出版社)一緒に暮らしていた時期も含め、史実ではドラマ以上に近しい間柄であったことがわかる。しかし、笠置に「兄さんか叔父さんみたいな関係」と信頼されていた山内には、意外な“裏の顔”があった。タナケンのモデル・エノケン(榎本健一)と「エノケン・ロッパ」と並び称されて人気を競った喜劇役者「ロッパ」こと古川ロッパ(古川緑波とも)は、笠置とも親しかったが、『古川ロッパ昭和日記』(1987年に晶文社より復刊)の「昭和二十五年五月十五日(月)」の日記中には、こんな記述が見られる。「そこから、藤田(編集部註:脚本家、劇作家、映画プロデューサーの藤田潤一)と共に、数奇屋茶屋へ行く。今日は、メムバーの皆で飲まうぢゃないかと、約束したので。ところが呆れたのは、山内義富が数奇屋の奥で又やってゐるのだ。彼は、三日目の筈である。彼、笠置のマネージャーをクビになり(二百五十万円、笠置の金をつかひ込みし由)、雀の他何ものもなしの状態らしい」ところで、笠置が羽鳥善一(草彅剛)のモデル・服部良一と4カ月のアメリカ公演に旅立つのが、昭和25年6月。なんと山内は、笠置の渡米直前の大事な時期に笠置の金を使い込んで、マネージャーをクビになったわけだ。250万円という金額は、現在なら5000万円以上に相当すると思われる。これは山内を家族のように思い、信頼していた笠置にとって、相当にショックなことだっただろう。にもかかわらず、当の山内自身は、クビになった直後に少なくとも3日間も茶屋通いをしていた。その後も、ロッパの6月21日の日記にも登場。ロッパの家を早朝に訪れ、7月8、9日の2日間、スポーツセンターでの催しにエノケンと一緒に出てくれと依頼をし、その催しが無事行われたことが7月8日の日記からわかる。つまり、山内は笠置のマネージャーをクビになり、そのことが周囲に知られている中で、笠置が渡米して不在の間に笠置の「女優業」のパートナー・エノケンやその仲間でありライバルのロッパと仕事を普通にしているわけだから、面の皮の厚さはなかなかのものだろう。笠置の苦労を誰よりも間近で見続けて来た山内が、その金を使い込んだことを思うと、よけいにその人間性に疑問がわいてくるところではある。ドラマの中でずっとスズ子を支えると誓った山下が急にマネージャーを辞める展開になったのは、この史実を反映してのことだったのだろう。 視聴者をうまく「だます」せたのは、脚本家冥利に尽きるのではないでしょう。また、描かれなかった事実も興味深いものがあります。参考:シズ子のロスアンゼルス公演の手伝いをしたのが、真言宗僧侶の父親と一緒にアメリカに居住し、高野山米国別院(別名高野山ホール)でステージボーイなど裏方をしていたジャニー喜多川であった。ジャニーはシズ子のステージを見てショービジネスに興味を持ち、ロスアンゼルス公演の後も、姉のメリー喜多川と服部・シズ子一行に同行し通訳を買って出て、この縁で服部とジャニーは交流を深めている[257]。この後、ジャニーは日本に帰国し、GHQや駐日アメリカ合衆国大使館での通訳業務を経て、夢であったショービジネスの実現に着手するが、そのときに頼ったのが服部だった[258]。ヱイ子と旧ジャニーズ事務所によれば、シズ子とジャニーは帰国後の進駐軍興行でも関わることがあって、ジャニーはシズ子のファンとなり、個人的な親交もあったという。その縁もあって、後年に旧ジャニーズ事務所所属タレントが「東京ブギウギ」や「買物ブギー」などのシズ子の持ち歌をステージで披露する機会もあり[259]、KinKi Kidsのデビューアルバム「A album」には、CDデビュー前から歌っていた思い出深い曲として、シズ子の歌手生活晩年の曲である「たよりにしてまっせ」が収録されている[260][261]。
2024.02.29
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「視察先でキャバクラ」告発 小田原市議らが「辞職強要」と被害届朝日新聞社神奈川県小田原市議会の大川裕議長ら市議5人が昨年7月、行政視察先の大阪市でキャバクラに入店し、このことを告発して「議員を辞める」よう求める文書や写真が議会側に届いていたことがわかった。議長らは12月、告発が強要未遂にあたるとして小田原署に被害届を出したという。 議会事務局によると、視察は議会運営委員会の委員8人と大川議長、篠原弘副議長、事務局職員1人の計11人が参加した。7月27日に大阪府八尾市議会、翌28日に岸和田市議会を訪れ、委員会の機能や政策討論会の事情を聴いた。 視察では交通費として計約58万円が支出され、1人に1万5千円の宿泊費も支払われた。視察時間は2日間で計約3時間30分だったという。 一行は27日夜、大阪市内のホテルに宿泊。夕食会の後、大川議長と委員4人がキャバクラに入店した。キャバクラでは「女性数人がソファで接客した」といい、5人は約1時間50分滞在したという。 大川議長は27日の本会議後に取材に応じた。取材に対し、交通費に公費を使った視察だったと認める一方で、夜間の行動については「プライベートと考えた」「不適切ではない」と主張し、反省や謝罪はしなかった。 過去の視察でもキャバクラと同等の店に「何回かは行った」といい、視察先で議員らの夜間の行動を規制することについては「プライベートの時間を縛ることはできない」とした。今後の視察のあり方についても「検討して参りたい」と述べるにとどめた。 また、告発を受けて被害届を出したことについては「議員辞職を強要されていると感じている」と説明したが、捜査を要請した理由などについては「コメントできない」とした。 一方、キャバクラに行かなかった篠原副議長は「今回の事案を受けて、視察のあり方をしっかり見直し、その成果が市政運営に生きるように変えていきたい」と述べた。 今回の問題は神奈川新聞の報道で明らかになった。市議会は「指摘された行政視察中の行動は、決して法に触れるものではありません」「旅費は適正に執行しているものです」とする一方、「市民の皆様に不信を抱かせる報道を招いたことは、真摯(しんし)に受け止めています」などとホームページに掲載した。(村野英一、村上潤治)「視察先でキャバクラ」告発 小田原市議らが「辞職強要」と被害届 (msn.com) 「辞職強要」と被害届にびっくりです。告発者をあぶりだしたかったのでしょうが、警察を使うなんてひどいです。東京新聞や毎日新聞の報道です。視察は27日午後の八尾市が1時間半、28日午前の岸和田市が2時間だった。 初日の日程を終えた視察団は午後8時ごろまでに夕食を済ませたが、大川議長と男性市議4人、職員1人はその後、宿泊する大阪市でキャバクラなど3軒を深夜まではしごした。大川議長はキャバクラに行った経緯について「道端で声を掛けてきた人の紹介で入った」と説明。過去の視察でも同様の行動があったかどうかを問われると、「3回は市議たちと行った」と認めた。被害届の提出を巡っては「辞職を強要されたと感じた」と主張。告発者を特定するための圧力という見方もあるが、「議長としてではなく、一市民として出した」と答えた。行政視察中にキャバクラ 小田原市議会議長ら6人、深夜まで3軒はしご 「不適切ではない」と説明 (msn.com) 大川議長は27日夜、視察メンバー全員と夕食会に参加。その後、議員と職員の5人と一緒に午後8時半~10時半ごろ、大阪・心斎橋の熟女キャバクラ店に滞在した。さらに別のバーに入店し、28日午前0時半ごろにホテルに戻ったという。視察は3時間半だったのに対し、遊興には約4時間を費やした。小田原市議長ら、視察先で熟女キャバクラ 公務超える4時間遊興 (msn.com)心斎橋でポン引きにつかまって熟女キャバクラに連れて行かれたようですね。いくらぼられたのか気になりますが、朝日に比べると生々しいですね。それにしても熟女キャバクラなんてのがあるのですね。ピンサロとは違うのでしょうか?視察時間よりも長く、力が入っていたようです。それにしても、つきあわされた市職員があわれです。参考:市議会の吉野るみ事務局長は、市職員が深夜まで市議に同行したことについて「プライベートは自由。翌日の視察に影響しておらず、問題ない」と語った。(東京新聞) 議会事務局職員も視察中にキャバクラ店で遊興したことについて、吉野るみ議会事務局長は「(職員の行動は)プライベートの時間なので問題はない。今後は自分で判断してほしい。節度のある行動をするようにと伝える」と説明した。(毎日新聞)余談ながら、出張にかこつけて温泉宿に泊りブログアップしていたネット右翼がいたことを思い出しました。こちらもプライベートなのでしょうが、・・・。
2024.02.29
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ストーリー:1880年代のインド・ラホール。英字新聞ノーザン・スターの特派員ルドヤード・キプリング(クリストファー・プラマー) は、深夜のオフィスで独り原稿を書いていた。ふと背後に人の気配を感じ、ふりむくとボロ布をまとった乞食のような男が立っていた。その男はピーチ・カーネハン(マイケル・ケイン)と名のったが、何者なのかしばらくの間、想い出せなかった。そうだ、ピーチだ! しかし、何という変わりようだ。あのハツラツとしたハンサムな青年の面影はどこにもなかった。キプリングのすすめで、ピーチは椅子にかけウィスキーを一杯呑むと、信じられないような物語を語り始めた。--キプリングとピーチが出逢ったのは、ラホール駅でピールがキプリングの懐中時計を失敬したことからだった。その時計にはフリー・メイソンのグランドマスターの紋章が刻まれていた。ピーチは、8日後にマーワー連絡駅を通りかかると、友人の軍曹仲間のダニエル・ドレイボット(ショーン・コネリー)にメッセージを届けてほしいといい残すと、姿を消した。数日後、ドレイボットとピーチはキプリングの前に姿を現わした。2人は驚くべき計画を打ち明けた。カフリスタンにいってそこの王様になろうというのだ。こいつらは気狂いかと、キプリングはあきれかえった。ヒマラヤの奥にあるカフリスタンにはアレキサンダー大王の遠征以来白人が足をふみ入れたことはないのだ。しかし、2人の決心は固く、気狂い行者と召使いに扮して出発した。灼熱の太陽、大雪崩、山賊などと戦いながら奇跡的にカフリスタンのカフィリ族の集落に辿り着いた。集落の中に英語の出来る男ビリー・フィッシュ(サイード・ジャフリー)がいた。彼のおかげで2人は村の賓客として迎えられ、村の男たちに英国式の軍事教練をほどこした。その成果は著しく、村はカフリスタン1の最強の部族となり、次々と他の村を支配下に収めていった。この国には、アレキサンダー大王がいつの日か息子をつかわすと約束したという伝説があり、ドレイボットこそその息子ではないかという噂がまたたく間にひろがった。やがて村人たちを彼を神としてあがめるようになった。そんなある日、シカンダガルの聖なる都から5人の聖者たちが村を訪れ、大司祭が会いたいむねを告げた。大司祭は、ドレイボットが神である証しを示すことを要求し、刃をつきつけた。そのとき、彼の胸にはキプリングのくれたフリー・メイソンの紋章が光っていた。それは、奇しくも寺院の石の祭壇に刻まれた紋章とまったく同じだった。ドレイボットは神となりシカンダガルの王となった。ピーチは総理、ビリーは侍従だ。そして、アレキサンダー大王の遺産である莫大な財宝が与えられた。平穏な日々が続いた。しかしそのうち、ドレイボットはいつか見かけた美しい娘ロクザンヌ(シャキーラ・ケイン)を妻にしたいといい始めた。ピーチは財宝を持って早くこの国を出るべきだと主張したが彼は耳をかそうとしなかった。神が結婚する、しかも平民のむすめをめとる。このニュースは民衆に大きな衝撃を与えた。やがて結婚式の日がきた。盛大な式もすみ、ドレイボットは花嫁にキスをした。おそれおののくロクザンヌは反射的に彼の頬を噛んだ。頬から流れ出る血。それを目撃した聖職者と民衆は、口々に叫んだ。「神じゃない」「インチキだ」。ドレイボット、ピーチ、ビリーは持てるだけの宝物をかかえ、ライフルを射ちながら逃げ出したが、石つぶ、棒が襲い、まずビリーが倒れた。吊橋の上に追われたドレイボットは覚悟した。英国の歌を高らかに歌い、橋とともに深い峡谷に落下していった。英国人として立派に死んでいったのだ。--かろうじて脱出したピーチは、その長い物語を語り終えるとボロ布の中からドレイボットの白骨化した首を取り出した。その頭には純金で出来たカフリスタンの王冠が、かつて王になろうとした男、そして束の間、王であり神であった男の頭上に輝いていた。(KINENOTE)『王になろうとした男』(The Man Who Would Be King)は、1975年公開のアメリカ・イギリス映画。ラドヤード・キップリングの同名小説の映画化作品。ショーン・コネリーとマイケル・ケインが演じる、王になることを夢見た2人の英印軍退役軍人が、アフガニスタン辺境部の国カフィリスタン(英語版)を冒険する物語である。 ジョン・ヒューストンは1950年代から、クラーク・ゲーブルとハンフリー・ボガートを主演に本作の映画化を計画していた[4]。しかし、映画化の権利を取得する前の1957年にボガートが死去し、ゲーブルも1960年に死去してしまう。その後、主演はバート・ランカスターとカーク・ダグラス、リチャード・バートンとピーター・オトゥールにそれぞれ変更された。1970年代に入ると、主演はロバート・レッドフォードとポール・ニューマンが検討されたが、ニューマンは「主演は英国人俳優が演じなければならない」とヒューストンに助言し、ショーン・コネリーとマイケル・ケインを推薦した[5]。 『バラエティ』誌はケインの演技について、「それがジョン・ヒューストンの意図であろうとなかろうと、この冒険とアクションの映画はマイケル・ケインの低い演技力のために大雑把なコメディになっている」と批評している[13]。130分(ウィキ)前半が冗長で少し退屈でした。未開人は野蛮という白人史観の描写にも辟易します。それでも、ショーン・コネリーが祭り上げられて本物の王になろうとするシーンは見ごたえがありました。未開の地に行ってそこの支配者になり富と権力と女を手に入れるというのは、(英国)白人男性の夢なのでしょうか。支配される側の東洋人としては、見るに堪えない物語でもあります。雪山のシーンは実写なのでしょう。アフガニスタンの先の奥地カフリスタンのロケ地は、モロッコとクレジットされていました。
2024.02.28
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少し前(2022年11月)の元外交官の記事です。収束せぬウクライナ「停戦」実現するただ1つの方法 「ロシアを打ち負かせ」の視点では情勢を見誤る | ウクライナ侵攻、危機の本質 | 東洋経済オンライン (toyokeizai.net)からです。停戦は可能だった時期があります。外交による解決には、完全なる勝利も完全なる敗北もありません。通常は「51対49」とか、互いのメンツを立てながら、ぎりぎりの内容を詰めていくわけです。相手を徹底的に打ち破れという「100対0」だと、少なくともどちらかの国家または国民は破滅です。ウクライナ戦争において、最大の停戦の可能性は3月29日のイスタンブールでの和平交渉にありました。詳細は避けますが、その場で示されたウクライナ側の10項目の提案を読んだとき、私は驚きました。ウクライナの中立化・非NATO化が第1項目に盛り込まれたほか、領土については、クリミアは2015年の話し合い、ドンバスについてもそれに近い内容でした。首都キーウでの軍事作戦縮小を表明し、東部への戦線を縮小していたロシアはこの内容を評価し、このままいけば、プーチンとゼレンスキー両大統領が会談する可能性も伝えられていました。ところが、思わぬことが起きました。戦争勃発後、ロシアとウクライナが最も接近した瞬間は、もろくも崩れ去りました。――「思わぬこと」と言いますと?キーウでの軍事作戦縮小を発表し、実際にロシア軍は撤退を始めた直後、ウクライナ軍が戻ってきます。キーウ近郊のブチャにも、ロシア軍撤収の3日後、ウクライナ軍が戻ってきます。そこからロシア軍によるウクライナ市民の虐殺が行われていたという情報が流れ始めました。皆さん、覚えているでしょうか。最初は4月2日、キーウ周辺のプチャという街の市長が、プチャだけで280人の遺体を埋葬したと発表したことが発端です。14歳の女の子、後ろ手に縛られた男性……。多くの遺体が路上に放置されていたというニュースはロイター通信などによって瞬く間に世界へ発信されました。ゼレンスキーは「ジェノサイドだ」と非難。バイデンは「プーチンは戦争犯罪人だ」と述べ、対ロ制裁を追加実施します。これに対し、ロシア外相は「30日にロシア軍がプチャを離れた後、地元市長は3日間テレビに出演していたが、その際にロシア軍の撤収は歓迎しつつも虐殺については一言も発言していない」などと反論しましたが、現段階では正確なことはわかりません。いずれにしろ、この問題が浮上したことで、停戦は一気に遠のきました。東郷和彦(とうごう・かずひこ)/1945年生まれ。1968年に東京大学教養学部を卒業後、外務省入省。条約局長、欧亜局長、駐オランダ大使などを歴任。いわゆる“ロシアン・スクール”の一員として北方領土問題などの対ロ外交に尽くした。2002年に退官後、オランダのライデン大学、アメリカのプリンストン大学などで教鞭を執る。2009年、ライデン大学では博士号。2010~2020年、京都産業大学教授、世界問題研究所長。現在は静岡県立大学グローバル地域センター客員教授。『返還交渉 沖縄・北方領土の「光と影」』(PHP新書)、『ロシアと日本』(東京大学出版会)など著書多数(写真:尾形文繁)日曜日の田原総一朗のクロスファイアーもウクライナ問題を扱っていました。最後に、どうすればよいとの田原の問いに、「専門家」ふたりはまともに答えられませんでした。忘れないように、見守り続けること(廣瀬)だそうです。兵頭 慎治 防衛省防衛研究所 研究幹事廣瀬 陽子 慶應義塾大学 教授即時停戦くらいのことは言うかなと思いましたが、プロパガンダまがいに事を言ってきた人たちでは、無理なようです。一時は盛んに報道されていた米国の「戦争研究所」も、最近は報道されなくなりました。東郷はどうでしょう。――この先、ウクライナ戦争はどう展開していくと見通していますか? どんな終わり方が想定できますか。 ウクライナがクリミアを含む全領土からロシアを追い出すまで戦うと主張する以上、プーチンがこれに応じる可能性はありません。希望的観測を伴って一部で語られているような、プーチン政権の崩壊なども起こらないでしょう。したがって、ウクライナはアメリカの代理としてロシアと戦争を続け、双方に果てしない人的被害が発生し続けるでしょう。命を軽視した戦いが無期限に続くことになります。途中で話したように、目下のウクライナ戦争の停戦は「ロシアもウクライナもどちらも負けてはいない」という形にするしか方法はないと思います。これは戦場における結果の反映でもありますが、同時にそういう「出口戦略」を関係者全員が知恵を絞ることによって生まれるものでもあります。そういう方向性でしかウクライナ戦争は終わらないでしょう。 ――日本政府や日本の国民ができること、すべきことはあるでしょうか。命を重視する戦略にウクライナとロシアの双方が転換し、関係者がこの戦争の出口戦略に向かって共通の知恵を絞るように、関係者すべてに働きかけることです。とくに、バイデン大統領とゼレンスキー大統領に、です。やる気になれば、日本外交はそういう対応を取ることができるはずです。対ロ制裁に追随することだけが対応策ではありません。もう十分過ぎるほど犠牲は払われました。ロシアの侵攻が免責されることはありませんが、とにかく今は、これ以上の犠牲者を出さないよう、日本は最善の努力をすべきだと考えます。収束せぬウクライナ「停戦」実現するただ1つの方法 「ロシアを打ち負かせ」の視点では情勢を見誤る | ウクライナ侵攻、危機の本質 | 東洋経済オンライン (toyokeizai.net)日曜日にNHKが、NHKスペシャル 戦場のジーニャ~ウクライナ 兵士が見た“地獄”~テレビカメラマンだったジーニャ(35)は、不法に占領された領土を取り戻すため前線で戦うことになった。そこは第一次世界大戦さながらの塹壕戦。深さ2メートル、幅1メートルほどの塹壕を掘り、その中に兵士数人で籠城。至近距離でロシア兵と撃ち合った。「これは殺人ではないゲームだ」と生き抜くため何度も自分に言い聞かせ、必死に感情を抑え込んだ。この番組では戦場の実態を伝えるため死体や重傷の兵士の映像が流れます。兵士となったウクライナ市民が撮影した戦争の実態 NHKスペシャル「戦場のジーニャ ~ウクライナ 兵士が見た“地獄”~」|予告動画 |NHK_PR|NHKオンラインを放送していましたが、無残でしたね。空軍の支援のない反攻作戦に落胆するとともに、相も変わらぬ塹壕戦です。ウクライナの視点からでしたが、ロシアも同様でしょう。戦争の犠牲になるのは、いつの世も普通の人たちだと思いました。
2024.02.27
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民主主義対専制主義、これもこの間よく聞かされてきたフレーズです。ウクライナの現代史に詳しい人からすれば、?です。米国と英国の基本政策は、ロシアの弱体化とそれによる経済支配、資源収奪でしょう。なかなか言うことをきかないプーチンを痛めつけたいということでしょう。東欧の旧社会主義国はだいたい落しEU,NATOに取り込んだので、今度の標的はベラルーシとウクライナです。今回のロシアの進攻の引き金になったのは、2014年のマイダン革命でしょう。その本質は、民主革命というよりは、裏で米国が動いたクーデターでした。曲がりなりにも選挙で選ばれた政権が、暴力で倒されたのです。大統領のヤヌコービッチはベラルーシに亡命しましたが、その支持基盤の地域=ドンバスは内戦状態です。プーチンがネオナチと呼ぶ極右の民兵組織アゾフ大隊が最近まで暴力の限りを尽くしました。国連は8年間で15000人が死亡としています。ドイツやフランスの仲介でミンスク合意が成立して停戦・小康状態でしたが、ゼレンスキーが無効を宣言するに至って崩壊です。被害者意識のあるロシアが、身構えるのも当然でしょう。ウクライナ利権のバイデンが何とかしてくれると思っていたのでしょうが、そうはならず代理戦争です。英米から見れば優柔不断だったドイツは、米国・ノルウェーによってノルドストリームを破壊されて、ロシアからのガス供給を断念し戦争支援に大きく舵を切らざるを得ませんでした。開戦から2年、この間この戦争で得をしたのは誰かを考えると、この戦争の本質が見えてくるのではないでしょうか。ロシアは?石油が高止まりしましたがインドや中国に買いたたかれ、ノルドストリームが破壊されて欧州への天然ガス販売は大幅減少です。40~70万人死傷と兵力が大きく損なわれました。占領地は増えても、復興コストの負担が残ります。70兆円と言われる在外資産は凍結されたままで、海外からの新規投資も望めません。戦時経済体制でGDPはプラス転換ですが、ルーブルは徐々に下落です。兵器の半導体も、民生用の欧米日本品を転用です。国力は大きく弱体化しました。ウクライナは、3.1万人も兵士が死に国土が疲弊しています。復興には70兆円を要するとの試算もあります。終わりの見えない戦いに徴兵逃れも出る始末です。腐敗ランクは140位とロシアほどではないにしても、ひどいものです。米国は多額の武器援助を行っていますが、これにより国内の兵器産業は在庫一掃、増産体制です。このへんは、欧州の兵器産業も同じですが規模が違います。原油価格も上がり、天然ガスもロシアに代わって販売です。派兵しないので兵士の戦傷もありません。ただし米国全体ではなく、一部の利権者が大儲けしていると理解すべきでしょう。まさに、対岸の火事ですね。一般国民にとって何もよいことがないウクライナですが、ゼレンスキー政権はなかなか停戦に踏み切る気がないですね。戦時ということで選挙もやらず、人気のある軍司令官を解任です。勝てない戦争を無理に行い、敗北が決定的なのに降伏せず沖縄や首都を犠牲にして国体を守ろうとした天皇を想起させます。日本の敗戦に学んでほしいです。吉田茂のように戦で負けても外交で勝つという手もあります。もう少し続けます。
2024.02.27
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「力(武力侵攻)による現状変更は許さない。」ウクライナ戦争で、政府が再三唱えてきたフレーズです。ロシアの横暴を認めれば、中国が台湾に侵攻し、あるいは尖閣諸島や沖縄を占領すると宣伝してきました。防衛費を増強して、世界3位の軍事費の国を目指すそうです。ウクライナ戦争は、増税メガネの岸田にとっては願ってもない好機でした。でも、それが2年もたつとすっかり色あせてしまいました。特に昨年秋からのイスラエルのガザ侵攻により、そのスローガンの欺瞞性が明らかになりました。イスラエルはガザ侵攻以前にも、武力によるヨルダン川西岸の入植=現状変更を進めてきました。国連決議違反ですから、経済制裁くらい課してもよさそうなものですが黙認です。高い壁を作り反対するものは、容赦なく射殺、拘束です。裁判によらない行政処分で、何年も刑務所に収容です。そこでの女性に対する扱いは、とてもひどいものです。今回の人質事件でのハマスの要求を見ると何千人もとらわれていることがわかります。ウクライナ戦争では病院や学校が攻撃の標的とされましたが、ガザでも同様で国連や赤十字の施設も容赦なしですからイスラエルはロシアよりもひどいです。でも、政府も報道もそのトーンが、ウクライナ戦争でロシアを指弾するのとは違うように感じます。
2024.02.26
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24日でロシアのウクライナ侵攻から2年ですが、それにちなんでマスメディアがいろいろと取り上げていました。今月上旬(2月6日)ですが、朝日新聞に佐藤優が登場です。先日もNHKのクロ現に出ていましたが、メディア露出に方針変更でしょうか。言いにくかった即時停戦 ウクライナ苦戦の現実とのずれ 佐藤優さん [ウクライナ情勢]:朝日新聞デジタル (asahi.com) 約2年前、ロシアがウクライナに侵攻し、日本でもにわかに関心が高まったが、様々な角度から成熟した議論をかわすのは案外難しい。主権を踏みにじられたウクライナへの同情的な声が圧倒的な中、即時停戦の必要性を説く作家で元外交官の佐藤優さんに話を聞いた。――開戦から2年。祖国を守るウクライナに対する支援の機運が最近は変わってきたように感じます。「世論や西側の対応は現実的になってきました。『ウクライナの必勝を確信する』と頑張っていた軍事専門家と称する人たちも、ウクライナの苦戦で、どのラインで戦争を終わらせるべきなのか苦慮している。でも私に言わせると当初から明白な話じゃないかと」――この間、即時停戦を言いにくい雰囲気を感じていましたか。「言いにくいのは確かでした。でも早くやめないと、ウクライナの黒海に面した領域が全部ロシアにとられる可能性がある。米国の軍事支援が先細り、ウクライナは完全に弾切れを起こしています」「今秋の米大統領選でトランプ前大統領が当選するような事態になれば、完全にはしごを外された形になる。ロシアは手加減しないでしょう。だから早く停戦に持っていかないと」――それは可能ですか。「変化が起きるとしたらウクライナの中からでしょう。ゼレンスキー政権である限り無理です。彼は4州だけでなくクリミアまでの解放を勝敗ラインにした。それを達成できないと敗北を認めたことになります」◆欠けていた戦争のリアリティー――日本の報道や世論をどう見ますか。「日本人は、この戦争についての報道を見て語る中で、熱気に包まれてしまった。でも、しょせん他人事だったのだと思います。戦争のリアリティーが欠如していた。ただ、ここから学ばなければならないのは、戦争での憎しみというものが我々にも感染してしまうと、我々の目も曇って、戦争をする心に同化してしまいやすいことです」――ウクライナは勝たなければならないとの意識が現実との乖離(かいり)を生んだと。「そう思います。今は少し冷静になってきた。ウクライナが目標を達成できないことは相当の人がわかってきている。ならば一刻も早くこの戦争をやめるところに行くべきですが、そこはなかなかメディアが踏み込まない。今まで、さんざんあおってきたからです」◆変わったロシアの目標――そもそも、この戦争をどう見ますか。「これは2期に分かれると思います。境目は2022年9月30日にロシアがウクライナ東部ドネツク州など4州の併合を宣言したこと。それまでロシア側は、ウクライナ東部に住むロシア系住民の処遇をめぐる地域紛争との主張でした。他方、西側連合の考え方は民主主義対独裁。その意味で非対称な戦争でした」「ところが4州併合によってロシアの目標があいまいになってしまった。と同時に双方が価値観戦争にしてしまった。終わりなき戦いです、価値観戦争は」「一方で、プーチン大統領は勝敗ラインを明確にしなくなった。実効支配の領域が開戦時より少しでも多ければ、当初目的は達成できたという形でいつでも停戦できるということです。率直に言ってこれは予測していませんでした」――戦争が長期化した背景をどう見ますか。「ロシアの行為は国際法違反で、厳しく非難されるべきです。ただ、ロシアが侵攻を決めたのは、米国の影響力低下で国際秩序が変動しているという要素もあったと思います。米国が直接的に軍事行動を取ると宣言していれば、ロシアは侵攻しなかったと思います」「長期化の背景には、力を付けて言うことを聞かなくなったプーチン政権に対する米国の強いいらだちがあります。核戦争に発展しないよう戦争を管理しつつ、ウクライナへの軍事支援によってロシアを弱体化するのが米国の戦略的目的になっています」「ウクライナの人々のためにもならない戦争です。もし自由と民主主義がそれだけ大切だったら、それは戦争を自分たちでやらないと。自分たちの価値観のために『お前たち戦え』と言って兵器だけ出すのは、モラル的におかしい」◆日本、和平交渉で大きなカード――日本の立ち位置は。「昨年9月の国連演説で外交政策を大きく転換しています。『イデオロギーや価値観で国際社会が分断されていては課題に対応できません』と岸田文雄首相は明言した。世論よりむしろ政府の方が冷静です」「日本外交には大きなカードがあります。日本はこれまで殺傷能力のない装備品しか供与しておらず、日本が提供したお金でロシア人は一人も殺されていない。ロシアとウクライナの和平交渉の段階に入れば、仲介国として機能する重要な要素になると思います」(聞き手 編集委員・副島英樹) ◇<さとう・まさる> 1960年生まれ。作家、元外務省主任分析官。同志社大学客員教授。ソ連・ロシアとの外交の最前線で活躍した。「自壊する帝国」「プーチンの野望」「十五の夏」など著書多数。今回のウクライナ戦争は、ロシアの判断ミスに乗じた米国の代理戦争でしょう。米国は、人を出さずカネだけ出してウクライナに戦争を継続させる。その目的はロシアの弱体化です。だから戦争当初からウクライナが希望するような強力な兵器は送らず、負けない程度の武器を供与です。それは、米国の兵器産業の在庫一掃セールでもありました。戦車の供与はドイツ主導でした。ようやく昨年戦闘機のF16の供与を決定したものの、現在訓練中で実戦投入は秋ごろの見込みだそうです。どう見てもロシアに対しての完全勝利はあり得ないのに、ゼレンスキーがクリミア奪還を言い始めたのにはずいぶん驚きました。こんな調子では、彼の在任中の戦争終結は難しそうです。
2024.02.26
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ビバーチェ、地元の女性サックスフォン演奏グループのコンサートです。前日ジムで知人から誘われたので、愛方と聴きに行ってきました。300人ほど入る会場が手配できなかったので、今回は普段練習場として使っている市民文化会館の第3練習場で開催です。ジムのZumbaのレッスンとかぶりましたがそちらは休み、代わりに午前中VRスタジオのTRIPで汗を流しました。60席の会場は満員でした。メンバーのご家族でしょうか、小さなお子さんも行儀よく演奏を聴いていました。まさにファミリーコンサートです。演奏者との距離も近かったです。プログラムです。第一部では、愛方の好きな愛の挨拶が演奏されました。ソプラノからバリトンサックス、全員で演奏したカンタベリー・コラールは、パイプオルガンを思わせる趣きでした。第2部の初めの3曲はお子様向けの曲ですが、どんぐりころころはジャズティストのアレンジでした。いつもの華やかなドレスではなく、パンツスタイルでした。お楽しみのメドレー曲は、高原列車は今日も行く鉄腕アトムすみれの花咲くころ月光仮面君に幸あれ東京ブギブギの、昭和メドレーでした。アンコールのラデツキー行進曲を聴かせていただいて、帰路につきました。気分は、ウィーンのニューイヤーコンサートでした。
2024.02.25
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株価が最高値を更新しても、無関係な田舎です。年金は上がったけど、地場の賃金は?あの手この手で消費喚起です。購入可能額は1世帯当たりMAX1万円分で3000円のプレミアムが付きます。スーパーの買い物で、安いとちおとめよりもお値段高めの地元の越後姫を買いました。こちらは飲食店向けですが、市内の旅館ホテルでは3000円の割引を継続中です。来月中旬からは、旅行代金割引の北陸割りが新潟県でも始まります。補助金を使うのはよいですが、その効果を検証してほしいです。
2024.02.25
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ラテンジャズダンスの練習曲です。原曲は早すぎるので、最初は思いっきりピッチを落としてスタートです。メインはルパンのパートですが、間奏部分は峰不二子のパートでセクシーな振り付けも用意されています。6回練習して最終までたどり着きました。6回目は天皇誕生日で、なんとインストラクターの誕生日だそうです。天皇よりははるかに若いですから存命中ずっと祝日というわけには行かないでしょうが、祝日というのはいいです。私の誕生日も祝日です。ただし日本ではなくて、某国の王様の誕生日というのが少し残念ですが。ちなみに秋篠宮文人親王は、1965年11月30日生まれ、悠仁親王2006年9月6日生まれです。ちょっと脱線しましたが、踊りの方もYouTubeで何本か上がっていました。【RAB】ルパン三世 OPを踊ってみた【リアルアキバボーイズ】高画質 (youtube.com)『ルパン三世のテーマ』は、大野雄二が作曲した楽曲。モンキー・パンチ原作のアニメ『ルパン三世』の主題曲として1977年に発表された。シリーズの長期化と共に数多くのアレンジがなされており、『ルパン三世』を代表する曲として広く用いられている。 当曲について大野は、ルパン三世が「行動する」「盗む」「喜ぶ場面」と「さびしい場面」の両方にマッチする曲とみなし、「普遍性」と「古臭さ」を考えマカロニ・ウエスタンを意識して作曲したと述べている[1]。また、産経新聞のインタビューでは以下のように語られている。 曲は、イントロを除く最初の旋律から順に作る。「出だしでインパクトを与え、ここで聴き手に曲を覚えさせなきゃいけない」CMソングを手掛けて体得した極意だ。ちなみに「ルパン・ザ・サード」という歌詞を繰り返すのも、商品名を連呼するCMソングの手法。ともかく大事なのは最初の4小節ないしは8小節の旋律。ここをどうするか。「流行を取り入れたらダメだ。テーマ曲は、劇中でさまざまにアレンジして使われる。これに耐えられる骨太の旋律であることが大切」そこで大野が着目したのが、ちょっと前まで大人気だったマカロニウエスタン映画の音楽だ。マカロニウエスタンはイタリア製の西部劇のことだが、エンニオ・モリコーネらイタリアの作曲家が提供した音楽が新鮮だった。大野によれば、その頃、日本の劇中音楽作曲家の間でマカロニウエスタンからの援用が、ひそかにはやっていたという。大野も「ルパン三世のテーマ」の最初の8小節は、「マカロニウエスタンの音楽の典型的な和音進行を使って作った」と明かす[2]。(ウィキ)ルパン三世のテーマ'80 - You & Explosion Band | 大野雄二ベスト・ヒット・ライブ 2022.01.28 at 東京国際フォーラム ホールA (youtube.com)THEME FROM LUPIN THE THIRD’89 (Lupintic Five Version)[MUSIC VIDEO]ルパン三世のテーマ’89 | Full Size ver. (youtube.com)
2024.02.24
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一昨日降った雪はなくなりましたが、今日は寒い朝です。天気予報は曇りでしたが、少しだけですが雪が舞い散る空模様でした。毎日が日曜日の身としては、この3連休もいつもの「平日の金曜日」です。ジムのプログラムも通常通りです。ラテンジャズダンスは、久しぶりの人がひとり参加です。ズンバは先週の倍で、新しい人がふたり参加していました。変ったところでは、運動とは無縁の体形のおじさんたちでサウナが混み合っていました。天皇誕生日にちなんだネット配信でしょう。天皇陛下64歳に 雅子さまと「おそろい」だった「恋の歌」と琵琶湖の思い出天皇陛下は23日、64歳の誕生日を迎えられた。皇后雅子さまとのご結婚生活も30年を過ぎ、人生の半分の歳月をご一緒に過ごしたことになる。思い出されるのが、ご結婚してまもなく訪れた琵琶湖畔のホテル。おふたりで眺めた景色を、お互いを大切に思い合う恋の和歌「相聞歌」として、和歌に詠みこんだのだ。* * *琵琶湖のほとりにたたずむ、彦根プリンスホテル(現・ビワフロント彦根)。8階のスイート・ルームからは、青い湖と対岸の山稜が一望できる。当時皇太子だった天皇陛下と雅子さまは、1993年6月のご成婚からまもなく地方公務で滋賀県を訪れ、このホテルに宿泊。おふたりの部屋から見える琵琶湖は、朝や夕には茜色に染まり、夜には月が湖面を照らした。そして翌94年1月、初めてご夫婦で歌会始の儀に臨んだ。 歌会始に向けて、天皇陛下や皇族方は前年の12月上旬までに、ご相談役の歌人に和歌を提出する。このとき相談役を務めていたのは、国学院大学名誉教授の岡野弘彦さんだった。岡野さんによると、初めての歌会始で雅子さまは10首ほどの原案を示した。そのなかに、岡野さんの目に止まった一首があった。 〈君と見る波しづかなる琵琶の湖(うみ)さやけき月は水面(みのも)おし照る〉 ホテルの部屋から望む、琵琶湖の風景を詠んだ和歌。雅子さまが用いた「おし照る」という言葉に、岡野さんはご結婚の雅子さまとの「お妃教育」でのやり取りを思い出したという。■「英語と仏語の代わりに和歌を」語学が堪能な雅子さまは、英語や仏語の時間の代わりに和歌の講義を長めにと希望し、岡野さんから10時間ほどの講義を受けた。岡野さんの印象に残ったのは、雅子さまの言語感覚の鋭さだった。ある日、岡野さんは、仁徳天皇が詠んだとされる古事記の古い歌謡を解釈していた。 〈おしてるや難波の崎よ出で立ちて我が国見れば淡島(あはしま)おのごろ島檳榔(あぢまさ)の島も見ゆさけつ島見ゆ〉 大和と難波の国境の山の上から遠く海を見渡し、天皇が力ある歌で祝福する内容だった。枕詞の「おしてる(=照る)」は、海上に太陽の光がさんさんと照り、水面を圧して光が輝く情景を表している。雅子さまは岡野さんに、こう尋ねた。「この『おしてる』は、今の和歌に詠み込んで使ってよいものなのでしょうか」岡野さんは、思わぬ質問にハッとした。「お使いいただいて結構ですよ。ただし大変な古語ですから、現代和歌に使ってそこだけ違和感があったら、それは失敗です」こう答え、参考のために「おしてる」を上手に詠んだ和歌を2首、暗誦したという。「よく分かりました」雅子さまはそう答えたものの、岡野さんは内心、本当にお分かりになったのだろうかと感じていたという。しかし、その半年後、岡野さんの不安は喜びへと変わった。歌会始のために雅子さまが詠んだ10首のなかで、雅子さまは、「おしてる」を見事な形で和歌に調和させていたからだ。■陛下と「おそろい」となった恋の歌天皇陛下もこの時の歌会始で、雅子さまと過ごした同じ夜の情景を詠んでいた。 〈我が妻と旅の宿より眺むればさざなみはたつ近江の湖(うみ)に〉 皇室の和歌の御用掛を務めた故・岡井隆さんも、このときのおふたりの和歌について、記者にこう語っていた「天皇家でも、恋人同士で詠み交わされる恋の歌である相聞歌は数多く詠まれてきました。皇族方も皆さんも、気構えずに恋の和歌をどんどん詠んでいただきたい」「お妃教育」が終了した後も、雅子さまの希望で、月に一度ほどの岡野さんの講義は続いた。雅子さまはそのたびに、両手いっぱいに資料の本を抱えてきたという。■愛子さまに受け継がれ陛下と雅子さまが、おふたりで見た琵琶湖の風景を和歌に詠んだ日から、30年あまりの歳月が過ぎた。長女の愛子さまは、大学で日本の古典文学を学び、卒業論文の題材に「中世の和歌」を選んでいる。そして今年の歌会始で愛子さまは、千年の時を経て現代に受け継がれる、和歌に対する感銘を詠みこんだ。 〈幾年(いくとせ)の難き時代を乗り越えて和歌のことばは我に響きぬ〉 ご両親が大切にしてきた、古典への学びの姿勢は、愛子さまにも着実に受け継がれているようだ。(AERA dot.編集部・永井貴子)天皇陛下64歳に 雅子さまと「おそろい」だった「恋の歌」と琵琶湖の思い出 (msn.com) 皇室のよいしょ記事ですが、妃教育の一端が垣間見えて興味深いです。それにしても結婚30年ですか。父親の出世と引き換えに人身御供として嫁いで、いじめられて心のやまいです。浩宮の人格否定発言も出て、何とも悲惨と思ったものです。ひた隠しにした体外受精での妊娠は英国紙に暴かれたり、女児の出産が落胆されたりと散々な目にあったのは皇室ゆえのことでしょう。本来敗戦で退位し共和制に移行すべきでしたが、米国の占領統治の便宜から国民主権と「調和」させる形で存続です。主権者としての一個人からは、そろそろ天皇の大役をなくしてあげたいと思います。今年で64歳、だいぶ太りましたがまだお元気そうでなによりです。70歳で定年退位というのはどうでしょうか。
2024.02.23
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立憲の梅谷守衆院議員、地元で日本酒配布「会合の対価」と違法性否定朝日新聞社 立憲民主党の梅谷守衆院議員(50)=旧新潟6区、当選1回=が地元の新潟県上越市であった複数の会合で日本酒を配っていたことがわかった。公職選挙法は政治家による選挙区内での寄付を禁じている。梅谷氏は20日、配布を認める一方で「会合の対価という認識だった」と述べ、寄付には当たらないとの考えを示した。地元紙などの報道を受け20日、国会内で取材に応じた梅谷氏は「認識不足、軽率だったことを反省している」と繰り返した。「関係者の方々に懸念を抱かせてしまった」として謝罪し、「二度とこのようなことはしない」と語った。地元関係者によると、梅谷氏は1月14日、町内会のどんど焼きの会場を訪れ、町内会長の男性に「これを神様に」と言って、のし付きの日本酒の一升瓶を袋に入った状態で手渡したという。参加費は不要だったという。1月下旬には、町内会長らが集まる総会に顔を見せ、「皆さんで飲んで下さい」と日本酒の一升瓶を差し入れたという。これらのほかにも、以前から日本酒を提供していたとの複数の証言がある。公選法によると、選挙区内での違法な寄付行為に対する法定刑は50万円以下の罰金。有罪が確定すると公民権が停止され、その間は選挙に立候補できなくなる。2021年には、香典や祝儀を地元で渡した菅原一秀・元経済産業相が罰金40万円、公民権停止3年の略式命令を受けた。梅谷氏は国会議員秘書や新潟県議を経て、21年の衆院選で初当選した。(北沢祐生、井上充昌)立憲の梅谷守衆院議員、地元で日本酒配布「会合の対価」と違法性否定 (msn.com)会合の対価?いえ明らかな買収行為でしょう。ローカルニュースでは、無記名ののし紙がかかった日本酒やいただいた町内会の帳簿(梅谷守 日本酒と記入)が放送されていました。明らかに違法行為なのに、もらう方もどうかと思います。県議を2期務めての衆議院議員ですから知らないわけはないでしょう。団扇や香典を配って問題となった自民党の議員もいます。ここは潔く辞任すべきかと思います。参考:梅谷議員は新潟県議選で2回当選した後、衆院に鞍替えし旧新潟6区で2回連続落選。3回目の挑戦となった2021年秋の衆院選、選挙区で自民党候補をわずか130票差でかわし初当選した。「選挙に弱いので梅谷さんが日本酒や祝儀を配っているとのうわさは以前から絶えなかった。浪人時代から当選した後の現在に至るまでそうした振る舞いは変わらず、裏のあだ名は“買収梅ちゃん”。県議になる前の議員秘書時代に結婚した奥さんの父が農林水産相を務めた弁護士の筒井信隆元衆院議員で、筒井さんの後ろ盾があるので警察は手を出せないと高をくくっているとみられてきた。今回の件に地元支援者は『それみたことか』と怒り心頭で『買収梅ちゃん、アウト!』と揶揄する者もいます」(地元情報通)地元メディアは「梅谷議員から日本酒などをもらった」との有権者の証言を、続々と報じており、常習性があったとの見方が広がれば、捜査の手が入るまでもなく批判が高まるのは必至だ。一方、命拾いしたのが自民党だ。安倍派を中心とする裏金疑惑に対する批判や、確定申告のシーズンが到来し、裏金に対する課税問題要求が盛り上がり始めた時期の願ってもいない敵失。特に前回の衆院選で梅谷議員に選挙区で敗れ、比例で復活当選した高鳥修一衆院議員は、安倍派所属で、自身の政治団体が2018年からの5年間で、派閥からのキックバック544万円を収支報告書に記載せず裏金にしていた人物。今月7日に自民党県連の会長を辞任すると表明したばかりだった。“買収の梅ちゃん”こと梅谷守議員(50)、公選法違反疑惑の決定的動画も。一升瓶を有権者に提供して「おめでとうございます‼」裏金・統一教会問題追及の立民に大ブーメラン (msn.com)
2024.02.23
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20年間で1.95倍も拡大したドイツの経済成長の背景です。シュレーダー改革の引き金になったのは、ドイツ統一による労働力の過剰ですね。労働市場の自由化は反発もありましたが、政治のリーダーシップですね。次のメルケルはEUのリーダーとなって、市場拡大です。単一通貨ユーロの導入で、ドイツはその経済力の割に通貨安だったことが輸出にとても有利に働きました。自動車に代表されるように有力な輸出商品もあります。加えて中小企業もEUのマーケットを利用して生産を拡大したのですね。近隣諸国が友好国のドイツに比べると、日本はそうと言えない状況です。ロシアでさえウクライナ戦争までは、天然ガスの輸入で深く結びついた友好的な関係でした。メルケルに見られるように政治力の差も大きいです。日本に求められていることとしてふたつあげています。労働力のスムーズな移動は重要ですが、職業教育が不十分で、労働者の使い捨てにつながるのではないかと懸念されています。正社員を辞めたら非正規というのでは、今の会社にしがみつく人が多くスムーズな移動は難しいでしょう。労働側は経営側の人切りの口実と見る向きもあります。出向という手はありますが、政策のバックアップが必要かと思います。これまでの円高では中小企業の輸出は難しかったでしょうが、150円くらいなら勝算のある企業も増えることでしょう。但し、中小企業は体力が乏しいので、為替の安定性と継続性が問題ですね。番組では、物価・金利上昇は当たり前で、それに伴う賃上げを前提とした経営をと述べていました。経済の好循環?論理的な帰結として、生産性の低い企業を倒産に追い込む覚悟も必要かと思いますが、それについて触れることはなかったです。さいわい?雇用保険の資金は潤沢ですから、給付水準を上げることも一法だと思います。いずれにしても、日銀がいつまで異常な金融政策を続けるのかに注目したいと思います。2四半期マイナス成長と日本経済の傷は深いので、まだしばらくは続けざるを得ないのではと思います。年金生活者にとっては、インフレ拡大のリスクですね。
2024.02.22
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NHK7時のニュースに物足りなさを感じていたら、時論・公論で取り上げていました。「ドイツはよくて日本はダメ 意味せず」と言い切ってよいのかは疑問です。この20年間でドイツは1.9倍の成長に対して、日本は1.1倍、停滞した23年間でした。ドイツの青年が物価も上がったと言っていましたが、上のグラフに物価上昇率をプロットしたグラフです。ここ2,3年は急ですが、ドイツはそれまで2%前後の健全なインフレでした。経済規模も拡大して、それにつれて賃金も上昇です。一方日本は、アベノミクスで日銀がじゃぶじゃぶに金融を緩和しても物価は上がらず、経済は停滞、実質賃金は目減りです。ひと言でいえば、デフレスパイラルということですが、この間働く人の4割が非正規で結婚も出産もできない人増えて少子化です。番組では、物価上昇、賃上げ、生産性向上の関係を、こんな風に図示していました。金融緩和が本来市場から撤退させられるべき企業を生き延びさせたことも、生産性向上のブレーキになりました。今や、日本の生産性はG7で最下位どころか、OECDでも38か国中30位です。赤字でも会社は潰れない。新入社員の頃、よく聞かされた言葉です。イタリア17位、カナダが18位です。続きます。
2024.02.22
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ストーリー:1941年、第二次世界大戦下、ドイツ軍はベラルーシを占拠。ナチス親衛隊と地元警察はユダヤ人狩りを始める。8月。両親を殺されたユダヤ人兄弟、トゥヴィア(ダニエル・クレイグ)、ズス(リーヴ・シュレイバー)、アザエル(ジェイミー・ベル)は子供の頃から遊んでいたリピクザンスカの森に逃げ込んでいた。そこへ、3人と同じように逃げ惑うユダヤ人が次々と合流する。トゥヴィアは食料と武器を入手するため、父の親友だったコシュチュクを訪ねると、そこにも数人のユダヤ人が身を隠していた。トゥヴィアは、コシュチュクに頼まれ、他のユダヤ人たちも森の中へと案内する。10月。数十人となったユダヤ人の共同体は森の中に家を建て、やがて彼らは“ビエルスキ・パルチザン(武装組織)”と名乗り、銃で武装し始める。だがドイツ軍への攻撃を行なっていたある日、銃撃戦で2人の犠牲者を出し、アザエルも行方不明に。森の中で、仲間の喪失や空腹、不安を抱え、同胞の間でもいざこざが起き始めていたとき、トゥヴィアは皆でこの森で暮らすことを提案。生き残ることが復讐だという彼の意見に仲間たちも賛同するのだった。そんな中、トゥヴィアがコスチュクの家に食料をもらいに行くと、2人のユダヤ人女性と共にアザエルがかくまわれており、コスチュクが納屋の先に吊るされ殺されていた。1942年。ソ連軍キャンプは敵の攻撃から逃れるため、撤退を始める。それを拒むズスだったが、ソ連軍は受け入れず、森を後にする。まもなくして森の中に爆弾が打ち込まれた。逃げ惑う人々。アザエルら数人が残り、銃を手に時間を稼ぐ。その間、トゥヴィアが仲間たちを誘導、森の奥へと進んでいった。ロープやベルトで全員をひとつ繋ぎにして、大きな沼をようやく渡りきると、そこにはドイツ軍が待ち受けていた。激しい銃撃戦が繰り広げられ、トゥヴィアたちは劣勢を強いられていく……。(KINENOTE)『ディファイアンス』(Defiance「果敢な抵抗」の意味)は、2008年のアメリカ合衆国の伝記映画。監督はエドワード・ズウィック、出演はダニエル・クレイグとリーヴ・シュレイバーなど。 第二次世界大戦時のナチス・ドイツ占領下でのポーランド(現在のベラルーシ西部)におけるビエルスキ兄弟のユダヤ人救出を描いたネハマ・テク(英語版)の小説『ディファイアンス ヒトラーと闘った3兄弟』(武田ランダムハウスジャパン、2009年)を、エドワード・ズウィックが映画化。 基本的には実話に基づいているが、一部に映画的結末を描くための脚色があり、特にエンディングの戦車との戦闘シーンについては原作者も当初は戸惑いを覚えたことを告白している。また、ビエルスキ兄弟が率いたユダヤ人組織に対する歴史的評価もポーランド内では分かれており、同じポーランド人から略奪することで生き延びた山賊集団ととらえる向きもある。キャッチ・コピーは『人間として、生きるための[抵抗]だった』。第81回アカデミー賞作曲賞ノミネート。 · 映画ではトゥヴィアのすぐ下の弟はズシュになっているが実際はアザエルの方がズシュより年上である。映画ではアザエルの年齢がかなり若く設定されている。o トゥヴィア・ビエルスキ(英語版) (1906 - 1987)o アザエル・ビエルスキ(英語版) (1908 - 1945)o ズシュ・ビエルスキ(英語版) (1912 - 1995)o アーロン・ビエルスキ(英語版) (1927 - ) · ジャレッド・クシュナー - 祖父母がビエルスキ・パルチザンのグループに属していた。 ジャレッド・コーリー・クシュナー(Jared Corey Kushner、1981年1月10日 - )は、アメリカ合衆国の実業家。ドナルド・トランプの娘イヴァンカの夫でトランプの娘婿。トランプ大統領の下で、大統領上級顧問を務めた。不動産開発企業クシュナー・カンパニーズ、『ニューヨーク・オブザーバー』紙の元オーナー。(ウィキ)ユダヤ人パルチザンの実話です。007のダニエル・クレイブ主演ということで観てみました。ヒーローものというよりは、困難な状況を逃げ回る様子が淡々と描かれています。ポーランドやベラルーシの森を逃げ惑う姿が、現代のガザ地区の様子とダブりました。ドイツ軍の空爆もあります。主人公は農村部に住むユダヤ人で下層の荒くれ者、都市に住んでいた裕福でインテリのユダヤ人とのギャップを感じさせます。ソ連軍からも十分な保護を得られず、差別される事件も起きます。とにかく生き延びることが目的で、3年間を森で過ごします。病院や学校を作り、コミュニティは終戦時には1200人に膨れ上がります。映画では、そのうちの1年間の様子で、人数は1~200人くらいでしょうか。「アザエル(3弟)はソ連軍に入隊し6か月後に戦死。ハイアとの間の子に会えなかった。ズシュ(次弟)NYへ移住し運送業を。トゥヴィア(長兄)後に米国へ。30年間ズシュと共に働いた。リルカと仲睦まじく暮らした。彼らに救われた人々の子孫は数万人に及んでいる」と最後に、クレジットされます。シンドラーのリストと違って、ユダヤ人自らが戦って命をつないだ、これまで語られることがなかった物語でした。
2024.02.21
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ドイツに抜かれた日本ですが、ニュースではその要因を次のように説明していました。なぜドイツに抜かれたのか?要因の1つは、為替相場と物価上昇率の影響です。 日本では1990年代のバブル経済の崩壊以降、長年にわたって低成長やデフレが続いてきたことも今回の逆転の背景にあると指摘されています。賃金が十分に上がらず個人消費が伸び悩んだほか、企業も国内への投資に慎重な姿勢を強めました。「輸出大国」を支えた製造業では、貿易摩擦や円高の影響で海外向けの製品を現地生産にシフトする動きも進みました。日本の名目GDPのうち、「設備投資」の伸び率は、1988年にはプラス16.5%でしたが、去年はプラス4.6%にとどまっています。 どれだけ効率的に製品やサービスを生み出すかを示す生産性の低迷も続いています。日本生産性本部のまとめでは、日本の1時間あたりの労働生産性は、おととし2022年、OECD=経済協力開発機構の加盟国、38か国中30位。比較可能な1970年以降で最も低い順位となり、11位だったドイツに差をつけられています。とりわけサービス業は、製造業に比べてデジタル化や省人化が十分に進んでいないと指摘されています。14位はフィンランド、15位はオーストラリア*OECD38か国中30位、ポーランドやポルトガルよりも下位です。 このニュースを見ていた愛方ものんびりしたポルトガルに劣るというのにびっくりです。 円安がきいているとはいえ、ひどいです。 経営側は、従来から生産性が上がらなければ賃上げは無理と言っていましたから、長期にわたって順位が下落しているようでは、 大幅な賃上げは難しいでしょう。また、政府が打ち出してきた成長戦略や構造改革もなかなか実を結ばず、国の経済の実力を表すとも言われる「潜在成長率」も伸び悩みました。OECDによりますと、2022年の各国の潜在成長率は、▼アメリカが1.9%、▼ドイツの0.8%に対し、▼日本は0.6%にとどまっています。IMFが去年10月に公表した試算では、日本の名目GDPは再来年・2026年には、人口14億人のインドに抜かれて世界5位となる見通しとなっています。日本では、今後、さらなる人口減少も予想される中、成長率の引き上げに向けて投資の拡大や生産性の向上にどう取り組んでいくのかが急務となっています。潜在成長率が0.6%ですか、1980年代は3%だったと思います。少子化や女性の労働参加は、健全な社会制度維持のための必須条件でしょう。防衛力増強よりも優先する課題ではないでしょうか。2060年には人口が今の半分の6000万人になるとの予想が出ています。財源問題を含めて、保険制度で徴収なんて言わないでちゃんと論議すべきかと思います。それにしても、7時のニュースという番組の性格もあるのでしょうが、ドイツとの比較は物足りなく感じました。「スーパーでの値段は高い、経済成長かもしれないが生活は厳しい」というベルリンでのドイツ人のコメントは?です。岸田首相へのご機嫌取りのつもりでしょうか。そういえば、ドイツの失業率を問題にしていたネット右翼もいました。失業率とりわけ若者の失業率の高さは北欧でも見られる現象ですが、日本と違っていてよい仕事、自分に向いた仕事を探していることに起因しているようです。そのための職業教育の体制も進んでいます。ドイツの成長をもう少し理論的に解説してほしいと感じました。参考:ビックマック指数 日本: 44位 450円 3.12ドルユーロ圏: 5位 827円 5.82ドル 世界のビッグマック価格ランキング - 世界経済のネタ帳 (ecodb.net)
2024.02.21
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行きつけのスーパーで牛肉が売っていたので、肉じゃがです。他の大型スーパーではいつも輸入、国産、更にA5ランクの新発田牛が売っていますが、ここは週に1回国産牛の切り落としが並びます。100g300円くらいです。200gのパックなので、うちのようなひとり用にはちょうどよいです。じゃがいも4個、人参1本、玉ねぎ2個、しらたき、それに余っていたごぼう半本です。クックパッドを参考に、醤油、みりん、砂糖、お酒、各大さじ4,和風だし大さじ1,水400cc+アルファ(材料が浸る程度まで)肉を炒めた後、アルミ箔で落し蓋を作ってあとは煮て、蒸らすだけです。湯豆腐の残り汁=昆布だし?で、鮭雑炊を作りました。ほかにトマト、焼き鳥レバー、本麒麟1缶。肉がNGの愛方は、肉抜きの肉じゃがとイカ焼きです。
2024.02.20
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日本のGDP4位転落は昨年来予想されていた事なので目新しいニュースではありませんが、NHKが看板の7時のニュースで詳しく取り上げていました。日本の去年1年間の名目GDP ドイツに抜かれ世界4位に後退 | NHK | GDPからです。内閣府によりますと、日本の去年1年間の名目GDPは、平均為替レートでドルに換算すると4兆2106億ドルでした。一方、ドイツの去年1年間のGDPは、4兆4561億ドルと日本を上回りました。日本の経済規模は、1968年にGNP=国民総生産で当時の西ドイツを上回って、アメリカに次いで世界2位となりました。その後、2010年にGDPで中国に抜かれ、世界3位が続いていましたが、去年、人口がほぼ3分の2のドイツ に逆転され、4位となりました。日本では1990年代にバブル経済が崩壊して以降、長年にわたって低成長やデフレが続き、個人消費や企業の投資が抑えられてきました。また、円安ドル高の影響で、日本のGDPをドルに換算すると目減りすることや日本に比べて物価上昇率が高いドイツは名目のGDPの伸びがより高くなることも影響しました。*2455億ドル 5.5%の差をつけられました。 為替の影響や物価上昇率によるものと片づけられない深刻な問題があります。また、プラス成長と見られていた4Qがマイナス成長です。2期マイナス=リセッションですね。去年10月から12月までのGDP=国内総生産は、前の3か月と比べた実質の伸び率が年率換算でマイナス0.4%と2期連続でマイナスとなりました。物価高の影響で食料品などの購入が減ったほか、サービス業も振るいませんでした。 伸び率がマイナスとなった主な要因は「個人消費」で、前の3か月と比べてマイナス0.2%でした。物価高の影響で食料品の購入が減ったほか、冬物の衣料の販売も落ち込みました。外食や旅行など、サービス消費も減少しました。また、企業の「設備投資」がマイナス0.1%。「住宅投資」もマイナス1.0%でした。 一方、「輸出」は前の3か月と比べて2.6%のプラスでした。統計上「輸出」に含まれる外国人旅行者による国内での消費、いわゆるインバウンド需要が増えたほか、多額の特許料が海外から支払われたことも輸出の伸びを押し上げました。*輸出が好調でも、内需が振るわずマイナス成長ということですね。 輸出企業は儲かっているのに、賃金は上がらず物価高に自己防衛といったところでしょうか。 設備投資がマイナスというのは、先行きが不安です。 起業マインドも盛り上がらずということなのでしょう。日経平均株価がバブル期に近づいたと言っても、個人消費は盛り上がらずです。なんといっても実質賃金がマイナスでは、一般国民にとってはとても好景気とは言えませんね。参考:合わせて、去年1年間のGDPも公表され、実質の伸び率はプラス1.9%と3年連続でプラスとなりました。また、物価の上昇を加味した名目はプラス5.7%と、1991年のプラス6.5%以来の高い水準となりました。
2024.02.20
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元・エリート公務員・正彦(青柳翔)と元・ゲーム会社社員・誠(大東駿介)は、ある日突然職を失った。 やけっぱちで始めたのは、「宗教」という名の「ビジネス」だった。 適当につけた教団名「聖泉真法会(せいせんしんぽうかい)」のホームページを立ち上げ、正彦は「教祖」となる。全てを失う前に二人で開発しようとしていた、宗教がモチーフの壮大なゲーム「グゲ王国の秘法」がお手本だ。 チベットの密教など様々な宗教を継ぎはぎにした教えを基に、身の上相談から始めると、思いのほか人々が訪ねてくる。 儀式の作法や、ワインボトルを石膏で固めたハリボテ本尊の用意など、その場しのぎでなんとか切り抜けていた。*それらしいご本尊が完成です。しかし、ある企業の社長がパトロンとなった事から、「聖泉真法会」は飛躍的に成長する。 教団施設の提供、多額の献金……信者の数は気付けば5000人を超えていた。 正彦は、当初の目的である「金儲け」に成功する。 だが、素人である自分を心の底から信じる信者達の存在や、教団が大きくなっていくことに戸惑いを感じていた。 そんな中、信者達が独自の解釈で「教義」を発展させ、教団は思いもよらない災難に巻き込まれていく……。 【原作】 篠田節子『仮想儀礼』 【脚本】 港岳彦 江頭美智留 【音楽】 岩代太郎 【宗教考証】 釈徹宗 【ナレーション】 津田健次郎 【出演】 青柳翔 大東駿介 / 石野真子 美波 河井青葉 松井玲奈 川島鈴遥 奥野瑛太 齋藤潤 宮地真史 * 峯村リエ / 尾美としのり 目黒祐樹 石橋蓮司 ほか 【制作統括】 髙城朝子(テレビマンユニオン) 勝田夏子(NHK) 【演出】 岸善幸 石井永二(テレビマンユニオン) 森義隆仮想儀礼 - NHK昨年からNHKBSで放送された10回シリーズのドラマです。第5回だけ大雪でBSがうまく受信できず録画できませんでしたが、このほど喜劇タッチの作りでお気楽に見れましたが、ところどころ創価学会やオウム真理教、統一教会を連想させるシーンがあって興味深かったです。宗教=精神の安定を売るサービス業と割り切って始めるふたりですが、それではすみません。暴力事件や殺人事件、インチキ宗教コンサルタント、巨大教団によるM&A・・・とイベント満載で次はどうなるかが楽しみな展開でした。社長が宗教にはまって、会社が振り回されるというのもあるあるです。私が知っている社長も、狐憑きだとか巫女のお告げなんかに凝っていました。新年は鹿島神宮でお祓いというのが、恒例行事でした。地上波でも放送してほしいですが、ちょっと厳しいかもしれません。与党筋が気になりますね。
2024.02.19
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盛山大臣の「旧教会関係者のほうから盛んに揺さぶりをかけてきている」との発言の通り、TBSの報道特集がこの問題に関して統一教会側を取材し放送していました。統一教会側からは、あれだけ支援して当選させてやったのに、記憶にない、解散請求ですから怒り心頭でしょう。男性によると、教団が、盛山大臣に近づいたのは、2005年の初出馬から。憲法改正に賛成していることが、その理由だったという。3年前の選挙には、関連団体が主催する決起集会まで開かれていた。司会は男性が務め、約70人が参加したという。横断幕には「主催:世界平和の連合」の文字。(会場は、神戸市勤労会館)その場で盛山大臣は、「憲法改正」や「家庭教育」、「LGBT問題を慎重に扱う」など、教団側の政策に賛同を求める「推薦確認書」にサイン。世界平和連合から推薦状を受け取ったという。この集会をめぐって、盛山大臣の答弁は迷走した。盛山大臣(6日)「はっきりした記憶はごさいませんが」「覚えておりません」だが翌日には…盛山大臣(7日)「写真を見て、こういうことがあったのかなというふうに、薄々思い出してきた。十分に内容をよく読むことなく、サインをしたのかもしれません」旧統一教会関連団体の現役幹部「ぱっと見たら分かるわけです。そんなに文章もたくさんないから。それを『したかどうかわからない』という話に今なっていて。『今さら何言ってんの』という話なんです」 文科大臣に接近してきた旧統一教会 関連団体の現役幹部が新証言、ハグめぐり盛山大臣に猛反論【報道特集】 (msn.com)A4サイズ一枚の推薦確認書も映し出されていました。大切な証文ですから、統一教会側はちゃんと保管していますね。推薦確認書:「憲法を改正し、安全保障体制を強化すること」「家庭教育支援法と青少年健全育成基本法の国会での制定に取り組むこと」「LGBT問題、同性婚合法化などに関しては慎重に扱うこと」「『日韓トンネル』の実現を推進すること」「国内外の共産主義勢力、文化共産主義勢力などの攻勢を阻止すること」自民党の政策に合致している?国会で、岸田首相にただしてほしいです。 番組では、2400人を擁する世界平和教授アカデミーが1980年代から、教科書攻撃を初めて教育をゆがめてきたたことや最終的には、統一教会を国教にして天皇を帰依させることを目標にしていることなどが、報じられていました。反共だけでなく反天皇制でもあるのですね。昨年の教祖の「岸田を教育しろ」発言は、記憶に新しいです。自民党は、再度アンケートを実施して本当に関係を断ち切ったのか再点検を行うべきでしょう。PS:旧統一教会“宣戦布告”岸田派を狙い撃ち…友好メディアで「ツケは高く付く」と不気味な脅し (msn.com)
2024.02.19
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旧統一教会側に「もてあそばれている」接点報道相次ぐ盛山文科相世界平和統一家庭連合(旧統一教会)側から選挙応援を受けていたことを指摘する報道が相次ぐ盛山正仁文部科学相は、16日の記者会見で「私の立場からすると、(旧統一教会側から)もてあそばれている」などと述べた。盛山氏は昨年10月、文科相として教団への解散命令を請求している。これに関連して、「(教団側が)揺さぶりをかけてきているということも十分考えられるのではないか」とも語った。2021年衆院選での教団側による選挙支援に関して、盛山氏は「当時は旧統一教会がここまで悪質な行為をしているということは一般的に理解されていなかった。私も理解していなかった」と釈明。今後の選挙で悪質な団体を見分ける具体的な方策を問われ「妙案は浮かばない」とした。盛山氏をめぐっては、同年衆院選で、教団の友好団体から推薦状を受け取ったとされる問題が浮上している。友好団体は同年10月に盛山氏の国政報告会を開催。同会の式次第には推薦状の授与が明示され、盛山氏が出席していたことを、朝日新聞が写真入りで報じている。一方、盛山氏はこれまで国会で、国政報告会への出席を「うすうす思い出してきた」と答弁している。事実上の「政策協定」にあたる推薦確認書への署名は当初「サインしたかも知れない」としていたが、8日以降は「記憶にない」を連発している。16日の会見で盛山氏は「これだけ盛山を応援して、けしからんというお気持ちになられるのかも知れませんが、実質選挙戦の最中にあちらこちらに行ってた時期でもあり、誠に失礼といえば失礼なんですが、失念していた」と述べた。また、接点を示す報道が相次いでいることに関連して、「旧教会関係者のほうから盛んに揺さぶりをかけてきている、わたくしの立場からするともてあそばれている。言い方はよくないかも知れませんがそんな風に感じている」と語った。旧統一教会側に「もてあそばれている」接点報道相次ぐ盛山文科相 (msn.com)記憶にないを連発している大臣に、「記憶にございません!」を作った三谷幸喜もがっかりしていることでしょう。記憶が戻ったり、なくなったりとまだらボケ状態の大臣ですが、今度は「もてあそばれてる」とまるで被害者面です。教育を所管する大臣ですから、この答弁にはあきれてしまいます。議員にとって財産とも言うべき推薦状をすべて捨ててしまったので、わからないというのも変です。仮に紙を捨ててしまっても、次回の選挙に備えてデータは残しているはずです。この点では、スシローも信じられないという顔をしていました。灘高⇒東大⇒運輸省というキャリアですが、上手な嘘はつけないようです。
2024.02.18
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冷凍の塩紅鮭が売っていたので、フライパンでフォイル焼?です。50cmくらいの半身のものが、1300円でした。とりあえずこんなものかとふたり分に4分の1ほど切ってみましたが、厚みもあってけっこうな大きさです。多すぎて上手くラッピングできずに、追いラップです。空焚き防止で水を入れましたが、これも予定時間まで持たず追い水です。結果は?キャベツを下に敷いて、玉ねぎと人参の輪切り、その上に鮭、しめじとエリンギピーマンです。塩鮭なので下にオリーブオイルを塗って胡椒と白ワインです。愛方がバターNGなので、乗せませんでした。過日、ゆでた小さなイカが売っていたので、夕食はスパゲッティーです。イカの他に具材は、冷凍あさり、ほたて、ズッキーニ、玉ねぎ、ピーマン、しめじ、トマトで、ベースは追いがつおつゆです。にんにく、しょうが、唐辛子も入れています。私は、粉チーズをトッピングです。片づけ(と言っても食器洗い機に入れるだけですが)があるので、ワインはグラス2杯だけです。食後は、愛方は白玉ぜんざいとほうじ茶、私はコーヒーとミックスナッツです。今日は、寒そうなので湯豆腐かな、・・・。
2024.02.18
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汚染水漏洩、原因は弁の閉め忘れ 「作業早く終えたいと…」東電説明 東京電力福島第一原発の汚染水の浄化装置から汚染水が漏れた原因は、作業した関連企業の従業員の思い込みによるヒューマンエラーだった――。東電が15日に記者会見して公表した。作業ミスがあっても漏出が起きないように、建屋自体の構造工事に取りかかるという。事態を重くみた東電の小早川智明社長はこの日、福島第一原発を訪れ、関連企業の社員を集めて「基本動作の徹底、現場・現物を徹底、疑問に思ったら声をあげて確認し、いったん立ち止まる」ことを求めたという。東電によると、配管の洗浄作業に伴い、7日午前8時33分から42分間、濾過(ろか)フィルターなどにつながる弁が開いていたことで漏出が起きた。2020年4月以降、これまで14回実施された洗浄作業では、弁はすべて閉じた状態で関連企業の従業員が洗浄を始めていた。通常は浄化装置を停止した後、すぐに洗浄作業を始めることが多かったが、今回はスケジュール調整で、洗浄作業を始めるまでに2日間あった。このため、内部に水素がたまらないように、運転部門の担当者が弁を開けていた。関連会社の作業員は、これまでと同じように弁が閉められていると思い込み、見落としてしまったという。高線量下の作業だったため、早く作業を終えたいという意識も弁が開いた状態であることを気づけなかった原因だったと東電はみている。社内では通常、作業手順書を運転部門の担当者が作るが、福島第一原発では例外的に、運転員の被曝(ひばく)線量を抑えるために保全部門の担当者が担っていた。運転部門が弁を開けたことを保全部門が認識していなかったという。保全部門で作成された作業手順書も、弁の状態について「『閉』を確認する」との表記になっていたため、現場の作業員が気づきにくい要因だったとみている。表記を「(当該弁を)『開』から『閉』に操作する」とすべきだったとしている。漏出が見つかった時間帯に大気中の放射性物質の濃度を測るダストモニターの値が一時的にごくわずかに上昇していたが、原発の敷地境界モニタリングポストなどの値に有意な変動がないことから、東電は「現時点で外部への影響は確認されていない」としている。第一原発では昨年10月に、作業員が高濃度の汚染廃液を浴びる問題が起きていたことから、東電の担当者は「再発防止の取り組みを徹底したい」と話している。(岡本進) 東京電力福島第一原発で汚染水の浄化装置から汚染水が漏れ出た問題で、内堀雅雄知事は15日の定例会見で、「あってはならないこと」と述べ、原因の究明と再発防止の徹底を求めた。汚染水漏れは今月7日に発生。昨年10月には、ALPS(多核種除去設備)の配管洗浄で作業員の身体汚染も起きている。内堀知事は、県として身体汚染で東電に安全管理体制の構築を求めているさなかに、再び県民に不安を与えるトラブルが起きたと言及し、「県民から厳しい目が向けられている」として当事者として東電の意識改革の必要性にも触れた。今後、廃炉安全監視協議会などを通じて東電の取り組みを確認していくとも述べた。 ■汚染水漏出を受けた東京電力の対策・高濃度の液体放射性物質を扱う作業では、同社の運転部門に手順書作成など作業前管理を一元化する・水処理に関して設計・保全を一元管理する「水処理センター」を設置する・設備操作をする協力企業の作業員全員に研修を実施し、作業現場では協力企業の事業所長自らがパトロールして監督する・ヒューマンエラーが起きても放射性物質の屋外漏出が起きないよう、今回の建屋内の構造を改造する汚染水漏洩、原因は弁の閉め忘れ 「作業早く終えたいと…」東電説明 (msn.com)東電の汚染水漏れ事故に関して、朝日新聞のローカル版が詳しい記事を載せていました。社長が現地に赴いたことは評価できますが、「基本動作の徹底、現場・現物を徹底、疑問に思ったら声をあげて確認し、いったん立ち止まる」との訓示は従業員の耳にはどう響いたのでしょうか。現場を実際に担う下請けは蚊帳の外でしょう。柏崎原発でも同様で、原発防御の取り組みは下請け企業までなかなか徹底されませんでした。東電を信頼しきっているような、型通りのコメントの内堀知事は、東電に何度も裏切られているにもかかわらず従うしかない桜井柏崎市長の様子とダブって見えます。ヒューマンエラーが起こってから建屋内の構造を改造するというのは、順番が違うでしょう。汚染水漏れは今回が初めてではないはずです。マスメディアで騒がれなければやらないという体質は、変わっていないように思います。原発運転企業としての適格性を、再度審査してもらいたいです。
2024.02.17
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ハフポストにオリバー・ストーン監督のインタビューが載っていました。制作の動機や日本への警告が興味深かったです。日本は「同盟国」ではなく「人質を取られた国」:映画『スノーデン』オリバー・ストーン監督インタビュー | ハフポスト NEWS (huffingtonpost.jp) ――なぜいまスノーデンを映画にしたのか。僕は自分が生きている時代に関心がある。その意味で、1930年代から2013年までのアメリカ現代史について『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史』(2012年)というドキュメンタリー番組を制作したが、この2013年という時期はまさにオバマ政権が社会の監視体制を強めていた頃で、その番組の第10章は「監視社会」というテーマだった。そしてその年の6月に突如、スノーデンがあの告発を行った。私自身もショックを受け、勇気ある行為に喝采も送ったが、まだその時点で映画化するつもりはなかった。それが翌年1月、ロシアに亡命しているスノーデンのロシア人弁護士から連絡を受け、本人に会ってくれと言われた。その後2年間にわたって都合9回本人とモスクワで話をするうち、彼の視点から映画にすべきだと考えるようになった。 彼と話していて感じたのは、とにかく非常に正直に誠実に、何があったのか、何が起きているのかを伝えたいということを大切にしていること。僕はその態度に接して、彼の話にとても説得力を感じた。言ってみれば、彼の言葉、態度こそが、僕らにこの映画を作らせたのだと思っている。その意味では、この作品は僕のものではなく、スノーデンの映画だ。まあ、キャラクターとしても、従来のいわゆるオリバー・ストーン映画の主役のキャラではないからね。彼自身も、自分は1日中部屋の中に籠っている猫のようなタイプだからと言っていたけどね。――スノーデンはNSA在職中の2009年、在日米軍の横田基地で勤務していた。映画では、日本の通信網を支配し、送電網やダム、交通機関などインフラ施設をコントロールする『スリーパー・プログラム』を仕掛けていたという本人の告白場面がある。日本列島の南から順に街全体の灯が消えていき、すべて真っ暗になる映像に、『日本が同盟国でなくなる日が来たら、"消灯"』というスノーデンの台詞......。これはどこまで真実なのか。僕は、彼が語ったことはすべて真実だと考えている。NSAは当初、すべてを監視したいと日本政府に申し入れたが、日本政府は拒絶したという。しかしそれでもかまわず盗聴・監視し、民間の様々なネットワークにプログラムを仕込んでいた、と彼は語っていた。 ただ、原子力発電施設に関しては彼の口からは何も聞いていないが、僕自身は、恐らく別のやり方で何かをしているのだと思っている。また彼は、メキシコ、ブラジル、ベルギー、オーストリア、ドイツ、そしてイギリスも含んでいたと思うが、同じようなプログラムをすでに仕掛けているとも言っていた。これはもはやサイバー戦争だ。2007、8年ごろ、アメリカがイランの核施設を破壊するためにシステムに侵入し、コンピューター・ウイルスを仕込んだものの、途中で制御不能になり、施設の機能は一部停止させたが、ウイルスが世界中に拡散されてしまった事実が2010年に発覚した。現実にそうしたサイバー戦争は始まっており、そのすべてをアメリカがリードしている。その事実に僕らはもっと目を向けるべきで、スノーデンはそこに気づかせてくれた。日本を含めアメリカの同盟国と言われる国々は、僕は現実には同盟国ではなく「アメリカに人質を取られた国」だと思っている。日本ももし同盟関係から離れることになると、スノーデンが語ったような「脅し」を受ける事態になるのだという、極めてセンシティブな状況、問題であるということを日本の皆さんにもよく考えてほしい。――監督自身は、スノーデンの告発以前、NSAという組織についてどの程度の認識があったのか。詳しい知識はなかったが、2005年、あるジャーナリストが『ニューヨーク・タイムズ』にNSAによる監視体制についての記事を書いていた。当時のブッシュ大統領は、言葉も口汚い感じだったが悪い奴だったから(笑)、国民を監視することだってやるだろうな、という印象を受けた程度だった。それから8年後にスノーデンの告発が出たわけだが、その時初めて、具体的な証拠が大量に提示された。だから、2005年当時からうすうす知っていたことが初めて事実として突き付けられた感じで、驚きというよりもショックを受けた。むしろ驚いたのは、2013年当時のオバマ大統領が、スノーデンの告発に対して「大したことではない」と言ったこと。結局、オバマは単なる飾り物で弱い男でしかなかった。ブッシュ時代のそうした悪しき状況を何も変えなかった。透明性もまったくなく改革も何も行われなかった。――映画を作るうえで参考にした資料はあるか。1960年代から実際にNSAに勤務していたジェイムズ・バムフォードが書いた『パズル・パレス―超スパイ機関NSAの全貌』(1986年)や『すべては傍受されている―米国国家安全保障局の正体』(2003年)などの本は、NSAの活動実態を知るうえで非常に参考になった。また、内部告発サイト『ウィキリークス』創設者ジュリアン・アサンジの功績も忘れてはならない。2010年、イラクで情報分析官として米陸軍に勤務していたチェルシー・マニングという軍人(後に不名誉除隊)が大量の機密情報をウィキリークスに流出させた内部告発事件があった。告発には2007年に米軍ヘリがイラク・バグダッドで複数の民間人を射殺する映像や、グアンタナモ収容所の収監者らに対する虐待の報告書なども含まれ、国際的に衝撃を与えた。こうした勇気ある行為を支えたのがアサンジで、スノーデンの告発も大きく助けられている。日本は第2次世界大戦以後、とにもかくにもアメリカに従順で、アメリカのメディアのことを信用しがちである。これはアジア全体にも言えることだが、ヨーロッパはそうではない。そういう意味で、僕は日本にはまだ主権がないのだという印象を持っている。実は今回の映画は、単にスノーデンの物語ではなく、世界の現状はこうなっているのだということを切り取って皆さんにお見せしている作品だと思っている。 だから、日本にももっとアメリカに対して疑問を感じてほしい。僕が『プラトーン』や『7月4日に生まれて』を撮っていた1980年代末くらいまでは、ああいう作品で米政府側はアメリカの強さを肯定的に描いてくれたと勝手に思っていたようだ。僕自身は、むしろそうではない面を描いていたのだがね。ところが、1991年の『JFK』から完全に反応が変わった。実際、たとえばそれまで閉鎖されていたハリウッドのCIA支部が突如、活動を再開させた。恐らく、映画の持つ力に彼らも気づいたのだと思う。僕の周りのプロデューサーたちにも、簡単に言ってしまえばもっとアメリカ万歳というような映画を作るべきだと政府筋が言ってくるようになった。 確かにその後、いわゆるアメリカを肯定するような映画、たとえば『ブラックホーク・ダウン』『プライベート・ライアン』『パール・ハーバー』『アルゴ』といったような作品が推奨され、金銭面も含めて軍や政府の大きな協力のもとに作られていった。つまり、CIAやNSAのような諜報機関などによる右傾化がどんどん進められていった。そして、愚かな若い映画製作者らがその罠にはまり、自分たちの国の歴史も知らないままそういう作品を作り続けていった。だからこそ、僕は『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史』という作品を作ったのだ。日本は「同盟国」ではなく「人質を取られた国」、日本にはまだ主権がないもし、今もスリーパー・プログラムが有効なら、まさに人質に取られた国ですね。米軍基地は、特に首都圏のそれは諜報機関の最前線でありサイバー攻撃の拠点でもあるのですね。映画のハワイの地下基地の様子も驚きでした。スノーデンは正直で誠実、出世に興味がないゆえに、これはおかしいと感じたのでしょう。自分のプログラムがほかの目的に転用され、NSAの監視行為が安全保障のためだけでないことも気づいてやむにやまれず行動に出たというのがよく描かれていました。米国が中国のファーウェイを締め出そうとしているのも、支配できないIT企業の存在を認めないということからなのでしょう。
2024.02.17
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オリバー・ストーン監督最新作/映画『スノーデン』予告編 - YouTubeSnowden | Official Trailer [HD] | Open Road Films - YouTubeストーリー:香港の高級ホテル。ドキュメンタリー作家のローラ・ポイトラス、ガーディアン紙の記者グレン・グリーンウォルドのいる一室に、一人の青年がやってくる。彼の名はエドワード・スノーデン。アメリカ国家安全保障局(NSA)職員であるスノーデンは機密資料を提供し、アメリカ政府が秘密裏に構築した国際的な監視プログラムの存在を告発した。国を愛するごく平凡な若者だった彼は、CIAやNSAで勤務するうちに、その恐るべき実態に直面。テロリスト、民間企業、さらには個人までも対象にアメリカ国内のみならず全世界のメールや携帯電話での通話を監視する体制に危機感を募らせ、キャリアも幸せな生活も捨ててまでリークを決意する。(KINENOTE)『スノーデン』(Snowden)は、オリバー・ストーン監督、キーラン・フィッツジェラルド及びストーン脚本による2016年のアメリカ合衆国の伝記・ポリティカル・スリラー映画(英語版)。ルーク・ハーディング(英語版)のノンフィクション本『スノーデンファイル 地球上で最も追われている男の真実(英語版)』及びアナトリー・クチェレナ(英語版)の本『Time of the Octopus』が原作となっている。撮影は2015年2月16日よりドイツのミュンヘンなどで行われた。(ウィキ)134分映画製作プロジェクトに参加する米国企業が現れず、またスタジオの協力も得られずに資金調達が困難となった[6]。その後、イギリスとドイツからの資金調達が決まり、撮影はドイツで行われることとなった[6][7]。 「アメリカ人に関する話なのにアメリカでこの映画に出資できないというのは実に奇妙だ。あからさまに国家主義的でない題材に対し、このことがどのような影響を与えるかを考えれば、これは非常に憂慮すべき事態だ。彼らは我々に表現の自由があると言う。しかし、思想は金によって操られ、コントロールされているし、メディアも同様だ。この国はその点で非常に縛りが厳しく、あるレベルにおいては批判が許されない。既に亡くなった市民活動家についての映画は作れるが、現在の人物についてはそれが容易ではない」—オリバー・ストーン監督[6]。 主要撮影は2015年2月16日にドイツのミュンヘンで始まった[26]。4月半ばにはワシントンD.C.での撮影が行われた[27]。4月15日から18日にかけてはハワイ州で撮影が行われた。映画に使われた家はスノーデンが実際に住んでいたのと同じ通りのものである。4月末にはザ・ミラ ・ホンコン(英語版)での撮影が始まり、さらに続いて土瓜湾の古いビルでも行われた[28]。撮影は5月末まで続いた[22]。NSAの干渉を恐れたストーンは米国外での撮影を決めていた[6]。ストーンは「我々はここで危険に晒されているような気がした。我々にはNSAが何をするのかわからなかったので、ミュンヘンで終わらせた。そしてそれは美しい経験だった」と語った[6]。ウィキからですが、映画製作に関しては米国企業は二の足を踏んだようですね。撮影も監視されていたことでしょう。NSAの監視プログラムを暴露する香港のホテルでの様子が現在(2013年)で、それにカットバックされる形で2004年の軍隊やCIA入所、NSAでの活動の様子が映されるという形式で映画は進行します。定期的なポリグラフ検査や、スノーデンの私生活、妻のSNS、メールの監視などが描かれています。上司に、「安心しろ妻の不倫はない」なんて言われては、背筋が凍ります。NSAは海外の活動監視が主目的なのに、米国内の情報収集量が3億とずば抜けて多いことが暴露されます。もちろん、違法です。監視目的は、米国の安全保障というよりは、政治権力とそれに結び付いた一部の資本家の利益のためだと疑い始めます。監視ブログラム以外にもハッカー対策やサイバー攻撃プログラムの開発もやっていました。同盟国首脳の盗聴やメール監視は暴露されて問題になりましたが、日本に関しても日本駐在中に電力網をシャットダウンするサイバー攻撃プログラムを構築したというくだりが刺激的です。米国は日本のインフラを人質を取っており、歯向かえば容赦しないということですね。Introduction - 映画『スノーデン』公式サイト|7月5日 Blu-ray&DVD発売決定! (snowden-movie.jp)からです。 「日本が同盟国でなくなった瞬間、仕込んであるマルウェアを発動させて、すべてのインフラを麻痺させることができる」。映画館で最初からずっと想像を絶する監視体制・スパイ体制の秘密に寒気がしていた中で、横田基地の回想シーンに移り、DELLコンピューターがスパイの下請けをしている事実や、見慣れた日本列島があっというまに真っ暗闇になっていくシーンを見て、どれだけ日本が米国に支配されているのかを体で感じることができた。恐ろしい。それがこの映画をみた感想だ。決して抵抗できない体の大きないじめっ子にいじめられる恐怖や、暴力組織の面前に立たされた時の絶望感はだれでも味わったことはあるだろう。アメリカはその暴力組織が大きくなったものだ。中国がマフィア国家だの言われているが、どの国も成り立ちはほぼ変わらないということだ。 参考:エドワード・ジョセフ・スノーデン(英語: Edward Joseph Snowden、ロシア語: Эдвард Джозеф Сноуден、1983年6月21日 - )は、アメリカ国家安全保障局(NSA)および中央情報局(CIA)の元局員である。NSAで請負仕事をしていたアメリカ合衆国のコンサルタント会社「ブーズ・アレン・ハミルトン」のシステム分析官として、アメリカ合衆国連邦政府による情報収集活動に関わった[6]。2013年6月に、中華人民共和国香港特別行政区で複数の新聞社(ガーディアン、ワシントン・ポストおよびサウスチャイナ・モーニング・ポスト)の取材やインタビューを受け、それまで陰謀論やフィクションで語られてきたNSAによる国際的監視網(PRISM)の実在を告発したことで知られる[7][注釈 1]。2013年6月22日、米司法当局により香港政府に臨時逮捕と引き渡しの要請が出され[9]、エクアドルなど第三国への亡命を検討しているとされていたが、同年8月1日にロシア移民局から期限付きの(=更新が必要な)滞在許可証が発給されてロシアに滞在するようになった[10]。その後、2022年9月26日に、ロシアのプーチン大統領が、スノーデンにロシア国籍を付与する大統領令に署名した。2014年1月、ノルウェーのボード・ソールエル(英語版)元環境大臣からノーベル平和賞候補に推薦された[11]。(米国)アメリカ連邦捜査局(FBI)のモラー長官は、NSAの情報収集について、何ら違法性はないとの認識を示し、スノーデンの逮捕に向けて全力で捜査していると表明した[117]。2013年6月22日、アメリカ合衆国司法省は香港政府に逮捕を要請した[9][118]。2013年7月に発表されたアメリカのキニピアック大学(英語版)の世論調査ではスノーデンを内部告発者だと考える有権者が55%に上り、裏切り者だと考える有権者は34%に留まった[119]。また、ワシントンポストとABCニュースが実施した世論調査によると、アメリカの30歳以上の大人の57%は「スノーデン氏の罪を問うべきだ」としているが、これは30代以下の若者では35%であり、56%の若者は、スノーデンがNSAの文書を公開したことについて「正しいことをした」と答えている[120]。オバマは各国駐米大使館への盗聴に対して、一般論として「諜報機関を持つ国ならどの国でもやっていることだ」として、同盟国の大使館に対する諜報活動を否定しなかったが[71]、情報収集活動の見直しを指示したという[121][注釈 6]。2013年10月にはクラッパー国家情報長官らがNSAによるドイツのメルケル首相ら35人の外国首脳に対する長年に亘る盗聴を認めた[121][122]。一部はすでに中止されたが、一部は有益な情報をもたらしているとして継続されているという。また、盗聴の対象はNSAが独自に決定しており、オバマの承認は得ていなかったとしている。NSAは数多くの盗聴を行っているため、全ての活動について大統領に報告することは現実的ではないという[121]。 (日本) 菅義偉内閣官房長官は「米国内の問題なので、米国内で処理されることだ」「日米間の外交においては、しっかりと秘密は守られるべきだ」とのみ述べた[131]。2015年(平成27年)7月31日には、内部告発サイト「ウィキリークス」がNSA(アメリカ国家安全保障局)が少なくとも2006年ごろから日本の内閣・日本銀行・財務省などの幹部の盗聴を試みていたとして、アメリカ合衆国連邦政府の関連文書を公開されているが[132]、菅義偉内閣官房長官[133] と安倍晋三内閣総理大臣[134] は「事実であれば極めて遺憾」と述べるのみで、抗議には至らなかった[135]。(ドイツ)ドイツ政府報道官は大使館の盗聴に対して「全く容認できない」とする苦言を呈し、アンゲラ・メルケル首相は、バラク・オバマ大統領に抗議した[69]。2014年6月27日、ドイツ内務省(ドイツ語版)はベライゾン・コミュニケーションズとの契約破棄を発表するとともに、高度な防諜対策を施した通信インフラストラクチャーが必要であるとの認識を表明した[124]。 また同年7月には、本件に関するドイツ連邦議会の対応状況をアメリカ合衆国に売っていた連邦情報局とドイツ連邦軍の職員がスパイ容疑で逮捕され、駐ドイツ連邦アメリカ合衆国大使館の情報部門責任者が、ドイツ連邦からペルソナ・ノン・グラータを受けている[125]。 (ウィキ)
2024.02.16
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汚染水5.5トン漏えい 現場のコンクリート撤去開始 周辺の「350倍」の放射線量 福島第一原発福島第一原発で汚染水が漏れた問題で、東京電力は15日、汚染水が流れたコンクリートの撤去作業を始めました。7日、福島第一原発の汚染水を浄化する装置の排気口から、放射性物質を含む汚染水5.5トンが漏洩しました。漏れた汚染水の大半は地面に染み込んだとみられ、コンクリートの下の土壌からは、周辺のおよそ350倍にあたる毎時7ミリシーベルトの放射線量が確認されています。東電は汚染水が流れた範囲を特定し、15日から、汚染されたコンクリートの撤去を始めたということです。16日には、コンクリートの下にある土壌も撤去する予定です。東電は「現時点で環境への影響はない」と、説明しています。汚染水5.5トン漏えい 現場のコンクリート撤去開始 周辺の「350倍」の放射線量 福島第一原発 (msn.com)毎時7ミリシーベルトの放射線量、やっぱり高いですね。核物質除去前の水はやっぱり汚染水ですね。それにしても、漏水の原因や対策はどうなっているのでしょう。PS:福島第1原発の汚染水漏えい 原因は作業員の手動弁閉め忘れ (msn.com)東京電力は15日、福島第1原発の汚染水から放射性物質を除去する装置が入る建屋で汚染水が漏えいした事故について原因を発表した。主な原因は、本来は作業中に閉めておくべきだった手動弁を閉め忘れたことだとした。漏えいした汚染水については、当初の推計の約5・5トンから約1・5トンに、放射性物質の総量を約220億ベクレルから約66億ベクレルにそれぞれ下方修正した。東電によると、7日午前8時半ごろ、汚染水が通る装置の配管の線量を下げるため、洗浄水を流す作業を開始。同53分ごろ、作業員が地上から5メートルにある排気口から建屋外に水が漏えいしているのを見つけた。汚染水は約40分間にわたって建屋外に漏れ続けたとみられる。東電は、15日までに鉄板の水を拭き取ったり、周辺土壌の回収などを続けたりしている。 現場では、下請け企業の作業員2人がペアになって手順書に基づいて手動弁が閉じているかを確認するはずだった。実際は、手順書と弁の番号を照合するだけで、弁の状態を適切に確認していなかった。作業を担当した下請け企業は、2020年度から十数回程度、同じ作業をこなしていた。これまでは弁が閉まっていたが、今回は装置の運転停止後に発生する水素を外に逃がすために弁は開いていた。作業員が確認していた手順書は、東電が作っている。だが、今回は装置の運転部門と保全部門の間の情報共有が不十分で、実際の弁の状況と異なる手順書を作っていた。東電の松尾桂介・福島第1廃炉推進カンパニー広報担当は「事案を重く受け止め、再発防止対策に取り組む」と陳謝した。廃炉作業が続く第1原発では1日4000人以上が働いているが、人為的ミスによるトラブルが頻発している。松尾氏は「人間はミスをするので、完全にヒューマンエラーをなくすことは難しい。仮にエラーが起こったとしても、大きなトラブルにつながらない設備面の対策も必要だ」と話した。【肥沼直寛】
2024.02.16
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映画では、トランボがカーク・ダグラスからスパルタカスの脚本を依頼されている際に、黒塗りの車でやってくる押し出しのよい紳士が登場します。強面で威圧的な態度、反共派の人間かと思ったら、これが映画監督のオットー・プレミンジャーでした。名前は聞いていましたが、本人として映像化されたのを見るのは初めてです。英語もくせがありました。用件は、栄光への脱出の脚本手直し依頼です。今スパルタカスをやっていると答えると、連中はクリスマス休暇、その間にやればよいと強引です。もし、気に入らない脚本なら本名をクレジットすると脅す下りには笑ってしまいました。アメリカにおけるイスラエル支持の世論形成にも多くの影響を与えた。(ウィキ)とありますから映画の力は小さくないですね。『栄光への脱出』(Exodus)は、1960年のアメリカ映画である。ユナイテッド・アーティスツ配給。監督はウィーン出身のユダヤ人、オットー・プレミンジャー、音楽はやはりウィーン出身のユダヤ系作曲家アーネスト・ゴールド、脚本はダルトン・トランボ、撮影はサム・リーヴィット。 オットー・プレミンジャー(Otto Preminger, 1905年12月5日 - 1986年4月23日)は、オーストリア=ハンガリー帝国生まれの映画監督、映画プロデューサーである。1950年代 - 1960年代のハリウッドで活躍した。彼はユダヤ人であったが、オーストリア訛りがあり、しかも悪役に向いた人相の持ち主であったため、皮肉なことに自分があれほど嫌ったナチの人物役を何度も舞台で演じることになった(後に同郷のビリー・ワイルダー監督の『第十七捕虜収容所』でも捕虜収容所所長の冷酷なドイツ軍人に扮し、はまり役というべき敵役ぶりを見せた。ワイルダーはこれを面白がり、プレミンジャー本人は閉口しながら演じたという)。しかし、この舞台での活躍が認められて、1940年代に映画界に戻り、映画製作に携わるようになった。(ウィキ)トランボは取材する記者たちに、ハリウッドの「ブラックリスト」に名前が上がっている脚本家たちが偽名で仕事をしているという事実を提示するなど、「ブラックリスト」を無効化するための活動を続けた。1959年にはテレビのインタビューで、自分が「ロバート・リッチ」であると認め、同年には「ロバート・リッチ・プロダクション」の設立を発表した。また、同年には『スパルタカス』の脚本をリライトする契約をサム・ジャクソン名義で行ったが、降板させられたアンソニー・マン監督がトランボの脚本であることを広めてしまった。トランボが同時期に手がけた『栄光への脱出』の監督のオットー・プレミンジャーはトランボが脚本を書いたと公表し、『スパルタカス』もトランボの名前がクレジットされることになった。『栄光への脱出』『スパルタカス』は興行的に大成功を収め、その後、他のハリウッド・テンのメンバーも実名で仕事できる機会が増えていった。 1976年9月10日、ハリウッドの自宅で心臓発作により死去。70歳[4](ウィキ)晴れて実名がクレジットされたトランボの作品です。劇場で観たパピヨンが思い出深いです。· ガン・ファイター The Last Sunset(1961年)· 脱獄 Lonely Are the Brave(1962年)· いそしぎ The Sandpiper(1965年)· ハワイ Hawaii(1965年)· フィクサー The Fixer(1968年)· ホースメン The Horsemen(1971年)· パピヨン Papillon(1973年)カメオ出演も· ダラスの熱い日 Executive Action(1973年)ジョニーは戦場へ行った Johnny Got His Gun(1971年)監督 兼原作・脚本、カメオ出演も本稿は、これでおしまいです。
2024.02.15
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モンゴメリー・バス・ボイコット運動が幕を開けた1955年。完成した『黒い牡牛』の脚本をドルトン・トランボがキングブラザーズに提出すると社長のモーリスは自社での製作を決定する。「ロバート・リッチ」名義でクレジットされたこの映画は第29回アカデミー賞で原案賞を受賞してしまい、やがてトランボが執筆したという噂が立つ。さらに第30回で『戦場にかける橋』が脚色賞、第31回で『手錠のまゝの脱獄』が脚本賞を獲得し、3年連続でブラックリスト入りした脚本家がオスカー受賞者となるとトランボはこれを好機とみてテレビに出演し、自分がロバート・リッチであることを認める。トランボの発表を赤狩りへの挑戦であると受け取ったアーノルド・ギビーは彼への攻撃を開始し、またアメリカの理想を守るための映画同盟のジョン・ウェインやヘッダ・ホッパーは会員たちに共産主義者の徹底した排除を呼びかける。先鋭化した赤狩りとの闘いを決意したトランボのもとへプロデューサーのエドワード・ルイスから新たな仕事が舞い込む。紀元前1世紀にローマ帝国を相手に反乱を起こした奴隷を描く小説を原作とするカーク・ダグラス主演・製作総指揮の映画『スパルタカス』の脚本執筆をトランボは「サム・ジャクソン」名義で引き受ける。ウィキ 『赤狩り THE RED RAT IN HOLLYWOOD』から赤狩り THE RED RAT IN HOLLYWOOD - Wikipediaいくら偽名と言っても、徐々に正体判明です。なんせアカデミー賞を2度も取ってしまうのですから、注目の的です。マッカーシーは1954年に失脚し、57年に亡くなったものの、下院非米活動委員会(House Committee on Un-American Activities、HUAC)は、名前を変えながら1975年まで存続しました。映画の後半は、名誉回復の戦いが描かれます。ジョン・ウェインやヘッダー・ホッパーの嫌がらせは執拗ですね。B級映画会社社長が、圧力をかけに来た男に対してアカでも何でも、面白ければよいと怒鳴り散らして追い返すシーンは痛快でした。まさに米国の活動屋の心意気といったところでしょう。『スパルタカス』(Spartacus)は、1960年のアメリカ映画。ハワード・ファストが執筆したスパルタクスの反乱をテーマにした小説を、カーク・ダグラスが自らの製作総指揮・主演で映画化した歴史スペクタクル映画。2017年、アメリカ議会図書館によって「文化的、歴史的、美学的に重要」とみなされ、アメリカ国立フィルム登録簿に保存された。かつて赤狩りで追放歴のあるダルトン・トランボ(ハリウッド・テンの一人)が13年ぶりに実名で脚本を担当したことから、公開当時は右派や軍人を中心に非難や上映反対運動が起こった[要出典]。これに対し、ジョン・F・ケネディ大統領(当時)が事前通知なしで劇場を訪れて同作品を観賞し、好意的な感想を述べたことで、大ヒットにつながった[4]。キューブリックはあくまで監督として「雇われた」だけだと言い張り、死ぬまでこの映画を自分の作品とは認めず、「あの映画には失望した」とまで言っていた。[要出典]これは製作者カーク・ダグラスが大物俳優であったことにより、キューブリックの思惑どおりになかなかことが進まなかったことが理由とされている。ただし近年までの本作品の評価は一般的、批評家的にも高評価であり、キューブリック本人の自作否定と反して監督本人のキャリアを汚すものではない。もっとも、史実のスパルタカスを考えると、彼がローマ軍の捕虜となる筋書きには批判もある。[要出典](ウィキ)
2024.02.14
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