★1812年祖国戦争の長廊下★
ナポレオンに勝利したことは、ロシアにとって、それは物凄く大きなことだったらしい。
広場のアレクサンドルの円柱もそうだし、街中には凱旋門もあるし、この戦いの間もそうだ。
壁にかかる332枚の肖像は1812-1815年に参戦した少将以上の官位のロシア軍人たち。
殆どは実物を前にして書かれたが、その時までに亡くなってしまった軍人は生前の絵姿を元にしたそうだ。
肖像画を書けなかった人物たちは額を空にして30ヶ所ほど残っている。
描かれるはずだった人物の名前と功績は後世に残されるべきたと考えられたからだそうで、ロシア人の考え方と言うのは意外とロマンチックでもあり、人情深いんだなー。
1837年の大火の時には兵士たちにより一番に運び出され、焼失を免れている。
ずらーっと並んだ将軍たちは勿論それなりのお年である為、あらーなんてhandsomeはいないから、うむうむ、そうなのねー程度に説明を聞いていく。
ナポレオンと言えば、真っ先に思い浮かぶその姿は白馬に乗り、ナポレオン帽をかぶり、なんか疾風のごとく現れたような絵だけれど、やっぱりあれは権力者への配慮と言うか、遠慮だと思う。
実際はこんなもんか、もっと・・・
イタリア系だからかヨーロッパ人としてはあまり大きくない167cm
禿げてからの肖像画は必ず帽子をかぶってるものしか許可しなかったそうだけど、その前に、ちょっと太めな上に足が短め・・・
St.Georgeと書いてサンクト ゲオルギーと読む。
次はゲオルギーの間、別名「大玉座の間」
大きな公式儀式の殆どはここで行なわれた。
★正面の玉座★
聖人ゲオルギーがドラゴンを退治するレリーフがある。
この最も大切な「玉座の間」の入り口が軍人の肖像画でうめつくされた廊下であるのは偶然ではなく、彼らの功績を称えるとともに、いつまでも皇帝を守って欲しいと言う願いがこめられているんだそうだ。
この時代は結構暖かい考え方をしてたんだな。
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