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緊急事態宣言が今日までから更に延長になる訳で、あれやこれやと対応が蠢いておりますが、こんな話が。 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210511/k10013023301000.html 言うに事欠いて飛び火させんじゃねーよ、というね..... 政府の指針では、劇場類は収容人数制限を課して再開、博物館の類も基本開場OK、なのですが、東京都は劇場類はOKなのだけれど、博物館・美術館は閉鎖継続ということで、このような仕儀になったということで。とはいえ、腹立ち紛れに国立劇場とか新国立劇場とか口走るんじゃないっつーの....... まぁ、個人的には、感染防止という観点からは閉めるんだろうな、と諦めてたので、開けるという判断にはちょっと驚いたりもしたのではありますが。 ひょっとして、先月の「寄席の反乱」が効いてるんじゃないかなと。実際、人数で考えると、劇場類での人数と美術館・博物館の人数考えると、そう大きく変わる気もしないんですよね。ただ、美術館・博物館って、確かに、公共ベースや財団ベースだったりが少なくなかったりするのだけれど、劇場類は民間ベースが多いんですよね。国立劇場はよく知らないけれど、少なくとも他は基本民間ベース。新国立劇場ですら少なくとも指定事業者による運営ベースですしね。まして、他の各種興行関係は散々打撃を受けてますから、こういう判断になったのかなと。 まぁ、確かにこれでバッティストーニが聞けるとはいうものの、中止なんだったらそれはそれで構わなかったかなとも思わなくもなかったり..... とはいえ、確かに不思議ではあります。オペラシティ行くと、コンサートホールは開いてるのですが、アートギャラリーは閉まっている、ということになる訳です。上野でも、東京文化会館は開いてるけど国立博物館は閉まってる、とか。まぁ、国立西洋美術館は最初から休館中なのですが..... 関係ないけれど、飲食店は相変わらず20時まで、かつ、酒類提供自粛。まぁ、酒はいいんだけど、20時までっていうのは確かに大変だよなぁ、と。デパートは20時までの営業前提で再開だとか、と思ったら、元々やっていた食品関係に加えて一部のフロアを「生活に必要」という解釈で営業拡大することにした、みたいな話らしいですね。 ちょっと皆さん色々持たなくなって来ている感じですかね。なんかあれこれバラバラになっている気が。もうちょっと冷静に、ってのはもう無理なんだろうな。この状況下では厳しくする方が恐らくは正しいんだろうとは思いますけれどね。大臣が「昨日の夜中に要請が来た」とか言ってるけれど、それって単に自分らが仕事出来てないだけの話じゃねーの、ってことですけれどね。大体が自治体に対応丸投げしてるんだから、これを言うなら「都知事、国立の施設は如何致しましょうか」ってお伺いを立てるのが筋だと思いますがね。みっともない。
2021年05月11日
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東京都の緊急事態宣言への対応方針がまとまっていたようです。 https://www.metro.tokyo.lg.jp/tosei/hodohappyo/press/2021/05/08/documents/press0508-05-01.pdf 5/12からはこちらの通りだそうで、劇場等は5000人以下かつ収容人員の50%上限、とか、そんな感じみたいですね。 正式に決まったのが昨日5/7なので昨日の今日なのですが、早くも対応を発表したのが新国立劇場とオーチャードホール。どちらも5/11までの閉鎖を決めていたのですが、どちらも開場するそうです。 https://www.bunkamura.co.jp/topics/4741.html 文化村は営業を再開。但し、オーチャードホール等の貸公演については主催者の対応によるそうで。 ということは、東フィルはどうするの?ということになるのですが、東フィルは今のところ反応無し。まぁそれも道理で、なにしろ現時点(5/8 21時過ぎ)で明確にこうしますと発表しているめぼしいところは文化村と新国立劇場くらい。ざっと見た限りでは、東京文化会館、東京芸術劇場、サントリーホール、オペラシティは未だ5/12以降の対応アナウンス発表はありません。まぁ、そうだろうな。 https://www.nntt.jac.go.jp/release/detail/23_020173.html 結果、今明確に「やるぜ!」と言ってるのは新国立劇場だけ。 ただ、書かれてる内容を読むと、多分、50%以上売れてるんだろうな、ドン・カルロは.... これ、いいのかね?まぁ、所詮「休業要請」ですからね。別にお縄になるわけでなし、構わないっちゃぁ構わないんですが...... こないだのミューザ川崎でのコンサートで、明らかに「喉がいがらっぽいんだよね〜」では済んでなさそうな咳き込み方をしている人が、離れたところにいたようで。いや、知りませんよ、実際どうだったのかは。ただ、クラシックのコンサートは比較的安全....なんて言われてるようですが、個人的には、んなことないんじゃね?と思ってるんですけれどね。クラスターになってない?まぁ、満員電車だってクラスター起きてないことになってますしね。あれも、「起きてない」のか「認知されていない」のか、わかんないでしょ....... 分からないですよ、確かに。でも、何処で感染したか分からない人が一定数いる以上、まぁ、リスクは何処にでもあるんですよ、きっと。まぁ、他のハイリスクと言われるようなものに比べれば比較的安全なのはそうなんでしょうけれども。 今日の東京の感染者数は1121人。徐々に増え続ける態になっておるわけですが........さてねぇ......
2021年05月08日
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今これを書いているのは2021年5月7日(金)の23時。 本日、1都2府1県に、5/11までの期限で出されていた緊急事態宣言が、5/31まで延長されました。 あーあー.......... 愛知と福岡にも出したり、蔓延防止策等なんとかかんとかも拡大されたりしてますけれどね。 現時点では、都内のホール等の対応がどうなるかはまだはっきりしていません。政府発表ではイベント関係は5000人以下かつ収容人員の50%まで、ということらしいのですが。 とりあえず12日からはバッティストー二が東フィルを振る予定なのですが、どうなることやら...... やるにしても、50%以下をどう担保するのやら......これは他の公演も同じですけれどね.....
2021年05月07日
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ミューザ川崎シンフォニーホール 13:30〜 ピット席 ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第10番 ト長調 op.96 ブラームス::ヴァイオリン・ソナタ第1番 「雨の歌」 ト長調 op.78 プロコフィエフ:ヴァイオリン・ソナタ第2番 ニ長調 op.94bis <アンコール> パラディス:シシリアーノ ヴァイオリン:辻彩奈 ピアノ:江口玲 ミューザ川崎勝手に三連戦の最終日。ラ・フォル・ジュルネの代わりみたいなもんです。まぁ、こっちは県境超えてないし...... 1997年生まれ、だそうです。結局、三日続けて若手ヴァイオリニストを聞くことになりました。 例によってそれほど期待して来たわけではなく、席も要するに「裏」ですので、アレですが、今日も思いの外良かったと思います。この3日間では結果2勝1敗ってところですね。勝ち負け勝ち。今日は「勝ち」の日でした。 まず、プログラムの妙を挙げていいと思います。全て長調ではあるけれど、古典的で構成感のあるベートーヴェン、似たような感じではあるけれどよりメロディアスなブラームス、休憩を挟んで打って変わってよりモダンなプロコフィエフ、と、バランスの良いプログラム。 辻彩奈の演奏は、まず、明るい。明晰というのとはちょっと違って、音が明るいのだと思います。派手というのではないけれど華がある。なんていうんでしょうね、健康的、というのが近いかな。曖昧なところもなくて、そう、光に満ちているけれど、ハレーションで誤魔化すこともない。ピアノの江口玲も端正でしっかりした演奏をするので、特にベートーヴェンはこの二人によく合っていたと思います。 それは後半のプロコフィエフも同じく。勿論技術的にもしっかりしているので、安心して聞いていられる。この曲は結構何処に行くのか分からないような曲ではあるのだけれど、安定した演奏です。なるほど、と思わせるような。 敢えて申さば、毒がもう少しあってもよかったかなと。これは、腕の立つ人に時々あるのではないかと思うのだけれど、腕が立ちすぎて、こういう曲の場合、危なっかしい、怪しいところ、いわば黒いところがあるのだけれど、そういうところが見通しが効きすぎて、毒が弱くなってしまうんですよね。そういう「毒」がもうちょっとあっていいのかな。特に、今日のプログラムでは、このプロコフィエフはまさにそうした「異形の物」担当の曲なので、もうちょっと暴れてもよかったのかな、と思わなくもないですが、まぁ、全般にはいい演奏だったと思います。 結果、前後半通じて楽しめた演奏会でした。一昨日も「ああ、音楽を聞いたな」という満足感のある演奏でしたが、今日も同じように「いいもの聞いたな」という感じでした。 とりあえずGWはこれでおしまい......まぁ、しょうがないですね。こんなに聞いてしまっていいのか、というくらいのところですし。来年は有楽町に行きたいものです.....
2021年05月04日
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ミューザ川崎シンフォニーホール 14:00〜 3階右側 チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.35 交響曲第4番 ヘ短調 op.36 ヴァイオリン:木嶋真優 東京交響楽団 指揮:大植英次 このブログは元々はラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンのブログとして始めたのに、それだと普段書くことないしな、ということで、常々行くコンサートのことも書くようになったものです。(ちなみに録音ものの話を書くブログは更にその前からあって、今も場所を移して残ってます。年1回書くかどうかだけれど。)とうとうラ・フォル・ジュルネが開催されずに2年経ってしまったので、本当に書くことが普段のコンサートだけになってしまったわけです。いや、その普段のコンサートだって減ってるわけですが。ただ、実の所、そんな経緯なので、真面目に書いてるというわけでもないんですよね。書かないままのコンサートは沢山あるし、一時期は面倒だからと殆ど書かずにいたし。まぁ、Twitterで呟いてるから、記録としては一応それがあるしな、ってところだったのですが。 ともあれそういう感じなので、コンサートに行きました、その日の内にかきます、というように決めているわけではなく、気が向いたら書くわけです。先月の話を書くなんてのはザラで、一応順序は気にするけれど、別に前後してもかまやしないと。 で、そんな書き方してると、聞いた時の印象と後から感じる印象とでは変わったりもするわけです。中には「もう忘れた」なんてこともないではない。細かいことを忘れるケースもあれば、そもそもあれどんなだっけ?みたいなこともあり。そんなパターンは、大抵短いですが、まぁ、短いからといって必ずしもそうとも限らない。いや、なんて書きゃいんだよあれは、みたいなこともあるし。時間が経ってからだと「あれ?」ってなってるけど、聞いたその時はよかったよかったと思って帰って来てたりすることも少なくないし。 そういうのをあれこれ考え始めるとキリがないんですが、私は別に評論書いてお金もらってる訳ではないので、まぁいいや、と思っています。書く気になったかどうか、いつ書く気になったか、も含めての評価だろうな、という。そう。書く気になるならないも含めてコンサート評だよな、と思うので。ただ、いつ書くか、というのは、順序も含めてその時々で影響が出たりするものではあります。 私がラ・フォル・ジュルネが好きである理由は幾らでも挙げられるのだけれども、理由の一つに、実は、「短期間に怒涛のようにいろんな演奏を聞ける」というのが間違いなくあります。実は、最近毎夏行っていたザルツブルク音楽祭も、そういう意味ではダブルヘッダートリプルヘッダーが普通に出来るので、短期間に集中して聞くことが出来るのですけども。で、そうなると、どうしても評価に影響は出ます。つまり、さっきこういうのを聞いた後でこれを聞くと評価が微妙に影響される、ということがあるのですね。逆に、さっき聞いてこれはよかったと思ったけれど、その後でこれ聞いちゃうとなぁ...というのもあったり。まぁ、私は基本LFJに関しては少なくともその最中はネガティヴなことは書かないというようにしているのではありますが、率直に言うと、そういうのはあります。 なんでこんな話を長々と書いているかというと、今日の公演、恐らくは普通にそれだけ聞いて帰って来たら、「うん、まぁ、いいんじゃないでしょうか。」で終わってたかも知れないと思うので。 でも、私は、昨日も聞いて、今日のこれを聞いているわけです。同じミューザ川崎で、東京交響楽団を。その結果どうだったか。いや、それを抜きにしても.....とは思うんですけれどね。 今日もミューザ川崎は定常運行。この公演は本来は1月に行われる筈だった川崎定期の延期公演という位置付け。1月は緊急事態宣言下で中止にして、この日に延期と。なのでプログラムは1月のものがそのままで、日付とコンマス変更の修正のお知らせが。 正直言うと、LFJが無いらしいぞ、と分かったところでこのチケットを買ったのでした。東京が緊急事態宣言再発、という話も追っかけて出て来たし。元々GWはそんなに公演は多くないし、その中で選んだら結局ミューザ川崎ばっかりになっちゃったんですけれどね。 今日は定期演奏会の繰延公演ということで、そこそこのお客の入り。とはいえ正面席は空席も目立ち、まぁ、いいとこ6割くらいなんでしょうかね。 で、どうだったかというと......正直言うと、ふーん、という感じでした。率直に言うと、昨日に比べてなんでこんななの?がっかり。といったところ。悪くないけどね、と言ってもいいかも知れないけれど。勿論、昨日に比べると聞いてる場所は決して良くはないのですが、それにしてもこれはちょっと。 多分、これ、今日来てたお客の多くの感想とは違うんだと思うんですよ。でも、まぁ、合わせる訳にもいかないので。少なくとも私は暫く東響は聞かなくてもいいかな、という感じ。 何がいけないのか。 まず、今日はチャイコフスキー・プロ。ヴァイオリン協奏曲と交響曲の4番。それはいいと思います。勿論こちらもそれと分かって聞きに行くのだし。ただ、まぁ、そもそもこの辺のチャイコフスキーの曲は、後期ロマン派で国民楽派というやつなので、どうしても演奏的には派手になります。つまり、日本のオケのお家芸、「力み返ったフォルティッシモ」が炸裂するというわけです。特に交響曲の4番は。そして今日の東響はその期待(してないんだけどさ)を裏切らない力み返りっぷり。 いや、ここまではしょうがないと言えばしょうがない。そもそもそういう演奏を要求している曲とも言えますのでね。ただ、昨日はそういう演奏ではなかった。それを私は知っている。今日の編成は、全容は見ていませんが、交響曲の方で1stと2ndのヴァイオリンは14-12-...だったと思います。協奏曲の方は12-10-... ということは、昨日の「リンツ」と大差無い。精々1プルトづつ増やしてるだけ。いや、これくらいで標準的と言っていいと思いますよ。でも、その結果出てくる音がどうなのかというとね...... 問題は、管楽器。これがよくない。下手くそ、というのはまぁそうなんです。でも、ちょっとそれでは済まないな、という。 たとえば、交響曲の第2楽章、オーボエだったかな?木管のソロで始まりますね。これが、なんというか、とても不用意に入って来ちゃうんですね。それは第4楽章でもそう。こっちは金管の爆発だけれど、こちらは、とにかく爆発させてるだけ。 率直にいうと、音楽的じゃないんです。決してやってる方はそういうつもりじゃないんでしょう。でも、聞く側からすると、突然「ドン!」と持って来られる感じなんですね。いや冒頭なんだからそういうもんだろう、と?そういうこととはちょっと違うんですよね。これは協奏曲の方でもそうなのだけれど、音楽的に脈絡が感じられないんですよね。後にどういう音楽が続くのか、他のパートが何をやっているのか、聞いてる感じがしない。 引き合いに出すと申し訳ないけれど、昨日のモーツァルトではそんなことはなかったんですよね。音楽が違う。編成が違う。それはそうです。だけれども、ねぇ。率直に言うと、音楽として、勝手な聞き手の感想として言うと、昨日は1時間強、通常のフルサイズのコンサートに満たないのを聞いて、若干食い足りない感じはありつつも、「ああ、音楽を聞いたな」という感じがあったのですね。今日のコンサートを聞きながら、そうか、昨日のあれはそうだったな、と改めて想いを強くしたのです。そして、今日のコンサートが終わって思ったのは、今日は感じなかった「ああ、音楽を聞いたな」という感じが、確かに昨日はあったのだな、と。その一点だけ、いや、そもそも聞く側にとってコンサートってその一点が全てだよね、と。全然違う音楽だし、環境も違うし、好みも勿論あるし、でも、やっぱり、そういうことを超えたところでの充実感の有る無しが決定的に違う。 無論、そこには、指揮者の責任がある訳ですが、そもそもの問題として、何したいのかよく分からない指揮だったなぁと。要するに、細部をどう表現するか、というのが甘いんですね。だから、音は出ているけれど、結局何をさせたいんだ?という演奏になっている。元々最後はどんちゃん騒ぎで終わる曲ですよ、確かに。でも、そういうデリカシーのない曲だからこそ、デリカシーを持って演奏していかないと、本当にただのどんちゃん騒ぎになってしまう。 その割に弄るんですよね。これも交響曲の第4楽章だけれど、これはロンド形式なので各部が繰り返しやってくる、その移行するところではっきりフェルマータを入れて間を空けるのです。まぁ、それはいい。いいのだけれど、はっきり言って空け過ぎなので、音楽が切れてしまうんですよね。何故そうしたいのか。はっきり言って意図が分からない。いや、理屈はいくらでもあるのでしょう。けれど、これだけデリカシーのない、と言って分かりにくければ、意を尽くした跡が感じられない演奏をしておきながら、そこにどういう理屈が意味を持つ余地があるんだと。 私はあまり大植英次って聞いたことないと思うのですが、正直言ってこの人聞かなくてもいいかなと。なんか、日本人指揮者でこの辺の年代の人達って、人気はあるけれど皆いけてないんですよね。大植英次に大友直人、佐渡裕、広上淳一、大野和士、まぁ、大野和士とか、おまけして広上淳一あたりはまだ若干はマシかなとは思うけれども、まぁ同じようなもの。皆人気はあってケレン味はあるけれど、本来脂の乗ってるところなんでしょうが、正直聞いていてなるほどと思ったことがあまりない。どうしてなんでしょうね。日本のオケの定期演奏会には盛んに出て来るからそこそこ聞くのだけれど、なんか芯のないフラついた演奏が多いなぁと。その一方でプログラミングとしては後期ロマン派とか国民楽派とか大好きで、派手にやらかすのが多いんですよね。 そんなのばっかり聞いて育ってる聞き手が多いから、皆そういうのがいいんだって思ってしまうんでしょうか。でも、これって、確かに海老も帆立も入ってるけど、古い油で揚げたべちゃっとした衣ダボダボの天ぷらで、しかも味付けにこだわってるとか言いながら、この天つゆ化学調味料メインですよね、みたいな。昨日のモーツァルトは、極上のカラッと揚がった野菜天ぷらでしたかね。衣はあるんだかないんだか分からないくらい。それをシンプルに食塩で頂く、的な。あー、これじゃ好みの問題かもなぁ....ま、絶対違うと思いますけれどね。 昨日も書いたのだけれど、このコロナ禍で若手の指揮者に、国内に限った話にせよチャンスが結構与えられた結果、色々変わって来るのではないかなと期待しています。名高くはあるけれど、出て来る音楽がいまいち美味しくない人達よりは、そういう人を今後ももっと登用していって欲しいと思います。まぁ、今日聞いて、東響とか当面いいかな、と思ってしまったので、あまり聞かないかも知れないけれど。 最後になりましたが、協奏曲の独奏の木嶋真優。まぁ、いいんじゃないでしょうかね......これは昨日とはちょっと比べられないし。ただ、これは比較して、というのではないですが、オケとも相俟って、進むに連れてちょっと実の感じにくい演奏になっていた気はします。最初は割といいかなと思ったんですけれどね。
2021年05月03日
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ミューザ川崎シンフォニーホール 11:00〜 2階正面 モーツァルト:交響曲第32番 ト長調 K.318 ヴァイオリン協奏曲第3番 ト長調 K.216 交響曲第36番 ハ長調 K.425 「リンツ」 ヴァイオリン:山根一仁 東京交響楽団 指揮:太田弦 今年はラ・フォル・ジュルネが開催されないので、またしてもGWはやることがありません。都内の公演は軒並み中止ですし。ただ、首都圏で言うと他の各県は緊急事態宣言下ではないので、公演中止とは限りません。中には日フィルが来週の横浜公演を中止したりしていますが、まぁ、一応、やめろとは言われていない感じ。 で、LFJはないんだろうな、どうせやってもこの日は関係なかろうし、と思っていたので、買ってあったのですね。それでも例によって通路脇ですが..... モーツァルト・マチネ。なんかタイトルが謎なんですよね。いや、何がと言って、これ、主催はミューザ川崎なんですよね。実質的には東京交響楽団の公演なのですが、主催は楽団じゃないという態で。確か一時期は「東京交響楽団」ではなかったんじゃないかな?「〜アンサンブル」みたいな名称だったような気がするのですが、どうだったっけ。 年4回公演なので12年目になるのか。もうちょっと前からやってた気もしますが。震災の時にミューザが壊れて他のあちこちで公演をやっていたりしたので、そうするとあれは2年目の時ということになるのかな? 元は、ユベール・スダーンが音楽監督に就任した時に、ザルツブルク音楽祭でモーツァルテウムでやっているマチネ公演を真似て創設したシリーズだったので、もっと前からあるイメージなんですが。本家はあそこの音楽院の教員メインのアンサンブルなので、同じ日にウィーン・フィルの公演と被ると、取れたらどっち行こうかと悩むくらいのものではあるのですが(まぁ実際には両方取れたらいいけど、ウィーン取れなかったからこっちでいいか、的な)、流石にその域にまでは..... 閑話休題。 この日の公演が「オール・モーツァルト・プログラム」と銘打たれているのは、必ずしもオール・モーツァルトとは限らないからなのでしょう。32番は実質序曲としての「シンフォニア」に近い性格なのでは、という規模の曲なので、序曲+協奏曲+交響曲、といったところかと。休憩なし1時間強の公演。この「モーツァルト・マチネ」シリーズは大体こういう形式なのですが、今の時期にはこの休憩なしのスタイルはかえっていいのかも知れません。 3階というか4階というか、と、後ろから両脇の席は一切使わず、2階後段だか3階だかは人が殆どいない感じですが、1階と2階は空席こそ若干あるものの普通のコンサートの入りという感じ。その辺は8割くらいの入りでしょうか。全体では定員の半分も入ってないでしょうが、500人ってこともないよね、といったところかと。このシリーズとしては平常運行に近いと思います。 演奏それ自体は、まぁまぁいいんじゃないでしょうか、という感じ。こっちも朝からでそんなに頭働いてないのではありますが、悪く言うなら特筆すべき瞠目するような何かが起きた、という演奏ではなかったのでしょう。そりゃぁそうです。日々無味乾燥な演奏ばかりという気はないけれど、さりとて日々新鮮で驚きに満ち満ちたエキサイティングな演奏が繰り広げられている、というものではありませんからね。それはLFJとかでも同じなんだけど....ま、それは置いておいて。 但し、特筆していいかと思うのは、この演奏会では全般に日本のオケによくある悪癖、力み返ったフォルテフォルティッシモの類がなかったこと。これは音楽としていい傾向だと思います。大体が、ミューザ川崎は基本的に風呂場系とはいえ2千人級の大ホールなので、そんなところでモーツァルトをやるならば、ピリオドがーノンビブラートがーみたいなことよりも、まず、ちゃんとして音楽として聞けなければいけない。正確には数えてないですが、確か弦五部は「リンツ」で12-12-10-8-6だったと思います。確かコントラバスは6本だったと思うのだけど、勘違いで4本だったとして12-10-8-6-4。これはこのホールであれば古典派としては普通の編成でしょう。編成に余裕を持たせて、力まずに普通に演奏させる。やりゃ出来るじゃん。格別ノンヴィヴラートを狙ってる感じではなかったですし、ナチュラルにレガートも掛かる、普通の演奏。 そういう意味ではいい演奏だったと思います。 指揮者の太田弦、私は確かこの間新日で聞いたと思うのだけれど、アプローチとしては悪くないと思います。この人まだ20代半ばですが、そう言っちゃぁ失礼だけれど、こんな状況下でなければなかなか活躍する機会は得られなかったかも知れないよね、という意味では、この状況下での数少ないポジティヴな面なのかも知れません。実際、日本は来日組指揮者のウェイトが大きいので、日本の指揮者が日本で指揮するチャンスがなかなか得られないというのはあると思います。いずれこの環境はまた変わると思うけれど(流石に向こう5年10年この状況が続くってことはないでしょう?)、それまでに存在感を高めて、地歩を固めて欲しいと思います。そのくらいの実力はあると思うし、少なくともこういう人が出て来れば、後に続く人もやりやすくなると思うので。 ヴァイオリンの山根一仁、この人もやはりまだ20代半ばの若い人。私は今までに聞いたことあったのか、あまり記憶はないのですが、演奏はまずまずよかったかと思います。線の細そうな人ですが、演奏は芯が通っていて、モーツァルトにはよく合っていた演奏だったかと。
2021年05月02日
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