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東京芸術劇場コンサートホール 14:00〜 3階正面 スメタナ:歌劇「売られた花嫁」 〜3つの舞曲 シマノフスキ:ヴァイオリン協奏曲 第1番 op.35 <独奏アンコール> イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第2番 イ短調 第2楽章「憂鬱」 ドヴォルザーク:交響曲 第6番 ニ長調 op.60 ヴァイオリン:イザベル・ファウスト NHK交響楽団 指揮:熊倉優 N響は今年度は定期演奏会は全て中止にして、改めて個別の演奏会として演奏会を実施しています。更に、NHKホールが改修に入ってしまったので、当面は元々のA定期とC定期は他のホールに振替です。 この公演は金土の公演なので、C定期に相当するのかな?元々NHKホールではE席、つまり自由席があるのですが、ここでは自由席はなし。更に、この公演は緊急事態宣言下ということで、一席空けでの配置、ということで、まぁ、いいかな、と思って行って来ました。東京芸術劇場のコンサートホールは、いつ以来だろう...... この公演に行くことに決めたもう一つの理由は、独奏がイザベル・ファウストだということ。いや、あの、なんで日本にいるの?という。まぁ、1月の東フィルのバッティストーニも入国出来ていたので、早めに来ていたのでしょうね。そうでなくともこの人なかなか良さげなヴァイオリニストですので、これは聞いてみようと思って行ってみました。 シマノフスキのヴァイオリン協奏曲は、正直言ってあまりよく知らない曲です。第1次大戦の頃に書かれた曲なので、時期的にはロマン派からモダニズムに向かう頃の時代の曲となるのでしょうか。まぁ、ストラヴィンスキーは既に火の鳥、ペトルーシュカ、春の祭典と書いてるのではありますけれども。 イザベル・ファウストの演奏は、まぁ、ともあれ、見事でした。アンコールのイザイ共々、それほどよく知っている曲ではないのでなんともではありますが、ある意味当たり前ではあるけれど、思い切りのいい演奏だな、という感が強かったかなと。豊かな響きであり、綺麗な音色であり、明晰なのではあるけれど、まずはプレゼンスがはっきりしている、というような印象かなと。 正直に言うと、もうちょっと見知っている曲で聞けたらよかったかな、と思わなくもないですが、まぁ、それは言っても詮ないことだし。 後半はドヴォルザーク。しかし、6番とはねぇ.... 指揮者の熊倉優は、まだ30前の若手も若手の指揮者です。去年7月のN響復帰公演で初めて登壇した人だそうで、今回もいわば「代役」。まぁ、率直に言うと、恐らくはコロナ禍がなければ、この歳でN響に登壇、というのは流石に難しかったのではないかな、とも思ったり。この方に限らずですが、今回のコロナ禍での良し悪し、と言う意味で、何某か「良し」があったとするならば、こういう意味で若手が思いがけずチャンスを得ることが出来た、という面はあった、と言えるのかも知れません。まぁ、早くに登壇することがいいのか悪いのか、という話はありますけれどもね。 で、ドヴォルザークですが、結論を言ってしまえば、悪くなかったと思います。ただ、まぁ、しかし、6番とはねぇ.....まぁ、人口に膾炙した9番や8番ばかりやるのもどうよ、という話ではあるので、ある意味N響らしいと言えばらしいのですけれども。とはいえ6番ねぇ.....よほど知ってる曲だったのかしら。チェコのローカル楽団と結構やってきたらしいですし。ともあれ、最初のスメタナも、シマノフスキもですが、全般に良かったと思います。よくこなれていたかなと。2日目というのもあったかも知れませんが。
2021年03月28日
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年度末でこれでも忙しいのですが、世情も慌ただしく....... 首都圏は先々週に開花して、この週末まで花が保ったらしく、花見に人が出て来ているようです。 さて、東京・春・音楽祭は、4月予定でまだ残していたら・ボエームの公演の中止を発表。 https://www.tokyo-harusai.com/news_jp/20210303-2/ まぁ、ね、来れなければ成立しないし.....代役も難しかったか.......そのつもりでないと、もう一ヶ月切ってますしね。 一方のラ・フォル・ジュルネは相変わらず音沙汰無しですが、本家ナントの方が、遂に再延期を発表しました。 http://www.follejournee.fr 2月の予定を、4月にやると言っていたのが、フランス国内の感染拡大の影響でしょう、3/19のチケット発売開始を延期していたのですが、今度は5/28〜30でやるそうで。 じゃぁ日本のGWに掛からないから出来ますね!ってことには勿論なりそうもなく....日本自体が未だ基本は入国不可ですからね。 その一方で、新国立劇場や各演奏団体・ホールは、チケットの販売制限を解除し始めました。 https://www.bousai.metro.tokyo.lg.jp/1009757/1009761.html リンクは東京都のサイトですが、要するに、今までは人数の上限としては「5000人か、収容人数の50%」の「いずれか小さい方」を上限としていたのが、「いずれか大きい方」が上限になります。つまり、日本のコンサートホールは皆フルでも5,000人以下、国際フォーラムのホールAがやっと5,000人ちょっとなので、事実上制限なし。更に、収容率では、「大声での歓声、声援がないことが前提」に出来る場合は100%までOK、ということ。つまりぶらぼおおおおおお禁止。Bravo!も禁止だけど。 ふーん............ あんまり、積極的に行く気にはなれないかなぁ....... 別段、3月と4月でそんなに状況が変わってる気もしないんですよね。だから、結構本気で、今までの方が安全なんじゃないかという気はします。大体が、「食事が危ない」って盛んに言うけれど、詰まるところは確率論だと思うんですよね。確かにマスク外して飯食ってる方が、コンサートホールで黙って座ってるよりは、どちらも感染者がいる場合には飯食ってる方がリスクは高いと思いますよ。でも、コンサートホールに来て、並んで座って一所懸命知り合いとマスク越しにせよ喋くってる方が、一人で黙って黙々と飯食ってるより危ない気がするんですよね......無論、感染者がその中にいれば、という条件ではありますが。 こんな話ばっかりだな。 たまには違う話。 新国の来シーズンの案内が来て、へーほーふーんと眺めていたのですが、なんと開幕のチェネレントラ、姉の一人、クロリンダ役が高橋薫子ではないですか!主役じゃないけどね。昔はセヴィリアでロジーナを歌ってたりした訳で、時代は感じてしまいますが、いやぁ、また新国で聞けるとはねぇ。最後に主役級で歌ったのはいつだったか。ブログでチェックしたら、9年前の藤原の公演で夢遊病の女を歌っていて、まぁ、この時点でちょっと「うーん」な雰囲気ではありましたが、それでも、日本の歌手の中ではまだ数少ない聞きたい歌手なので、これは行かねば。その前、2009年にはやはり藤原でランスへの旅を出して、コリーネを歌ってるくらいですからね。それから随分経ったけれど、どんな歌唱を聞かせてくれるのか、楽しみです。極々個人的な楽しみ、ということにはなりますけれどね。
2021年03月27日
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この週末は緊急事態宣言明け直前というので、逆に収容人数の制限があるうちに行っておこうかと思って、東京・春・音楽祭の公演に行っていました。そっちの話もあるし、まだ書いてないコンサートの話もあるのだけれど、なんかその後のTwitterのとかを見ていると、相変わらず新国ワルキューレは絶賛話が多いので(批判的な事も皆無ではないけれど)、もうちょっと書いておこうと思って。しつこいけどね。 なので、人生難しい事をオペラには求めてないんだ、なんだったら自席で幕の内弁当食べながら見るくらいに気楽にやりたいんだ、というような方は以下お控え下さい。言ったからね。 まぁ、そうは言っても既に前回でほぼほぼ言いたいことは書いてある(←ここ)んですけれどね。 ちょっと書き足しておくと、今回の公演は、20世紀初頭にコーブルク歌劇場で上演される際に作られた、管楽器群を半分に縮小したコーブルク版またはアッバス版と呼ばれるものを使っているそうで、なので、管楽器は幾分抑えられている訳です。確認はしていませんが、恐らくは、弦楽器もそれに応分に合わせて調整していたのではないかと。 つまり、オケに圧倒されるという意味では、歌唱陣にはやや有利であった訳です。更に、これは新国立劇場の公演。つまり、はっきり言って、歌手にはこれも有利な条件だったと言っていいと思います。 いや、そうなんですよ。新国立劇場って、今の歌手はどう思ってるのか知らないけれど、東京文化会館なんかに比べたら、断然声量面では有利なんですよ。NHKホールは別にしても、神奈川県民ホールやなんかとも比べ物にならない。一応オペラをやる劇場で、首都圏でここよりまぁ狭めというのは、新百合ヶ丘の昭和音大のテアトロ・ジーリオ・ショウワと、横須賀芸術劇場くらいじゃないだろうかと。その横須賀も、ホールキャパはともかく、造りとしては客席側の空間は結構ありますからね、意外に。 歌手の負担は、こういう条件下での話だという事をお忘れなきよう。 それで、昔話をするのですがね。 日本で指環を一応仮にもツィクルスとしてやったのは、二期会の公演で、ラインの黄金を1969年に上演して、神々の黄昏は1991年に上演してます。足掛け22年。いやもうそれツィクルスじゃないだろ、という話はあると思います。が、それでも、「日本人がやった指環」はこれが嚆矢なんです。私はギリギリ黄昏に間に合った程度なので、あまり多くを語る立場にはないけれども、正直こっちもそれが良かったのか悪かったのかはまぁ分かりませんでした。ただ、少なくとも、聞こえないということは、主役級ではなかったし、なにより東京文化会館でしたからね。それで、頑張ってやり切った。ともあれ「やったんだ」というのが当時の雰囲気だったのは覚えています。もう30年前の話ですね。当時の舞台もそれほど覚えてはいませんが、一番鮮烈に覚えているのは、2幕で、ハーゲンが婚礼をやるぞというので一族を呼び集める場面。舞台奥の丘の稜線のようなところに、ハーゲンの呼び掛けに応じて、合唱が三々五々姿を表すところ。それはちゃんと舞台になっていたなと今でも思い出すのです。いや、正直言うと、当時も二期会はホントに下手糞で、イタリア物に関しては演目が演目だから最後まで勉強のために聞き続けたとか、流石に飽きて途中で帰ったとか、そんな感じでしたけどね。でも、ドイツ物なら二期会という自負があったからか、指環は力の入れようが違ったのは覚えています。 つまり、出来栄えはともかく、ちゃんとしてたんですよね。その頃はまだ私も二期会一応聞きに行くことはあったのです。行かなくなった経緯はまたの機会に.... 今回のワルキューレのキャストの略歴を見ると、ミヒャエル・クプファー=ラデツキーと藤村実穂子以外は、ものの見事に日本での公演歴しか出て来ないんですよ。留学歴はともかく。一人だけ、バイロイトでワルキューレの一人で出たってのを快挙って書いてるので、或いは、そのくらいのところでないと海外で活躍したことにならないってことなのかも知れませんが、まぁ、実際まともに海外でやってないんじゃないでしょうか。敢えて申しますが、このご時世に、ね。 30年前の出演者がどうだったのかは分かりませんが、当時、バイロイト並なんて言う人はどこにもいなかった。ただ、ともあれ、最後まで上演出来た。それで十分だったと思います。で、今は、それから30年経って進化したのか?という話だと思うのです。30年前よりもよほど楽な条件下で、ですよ。当時は文化会館でのゲネプロなんて何回出来たのかと思うし、今調べたらそもそも3回公演で内一回は神奈川県民ホール。もっと条件厳しいですよ。それで、東京文化会館では土日で連日公演。ダブルキャストですけどね。 いや、現状がどうであるかはまぁしょうがないですよ。でも、評価をするなら、そういうことも考えて他と比較しろ、とは思うのです。 あと、とにかく、「劇」として観てないな、というのをものすごく感じてしまうのですね。で、実は、劇として見る目がないということは、特に指環みたいなものの場合は、オペラとしてきちんと理解できているのか、という話になると思うんです。 元々私は本来そういうのどうでもいい筈の人なんですよ。誰が何と言おうが、グルベローヴァが出て来て歌えば御託は全て吹っ飛ぶじゃねーか、という人なのでね。ただ、もう、グルベローヴァはいない(と言うのがまぁ正しいのでしょう)し、その後を追える人もいないし、そもそもオペラというものがそういう意味では変質しているとも言える。だから、仕方なく、というのも変ですが、そういうものだとして、では舞台としてのオペラとしてはどうなんだ?という視点にかなり寄ってはいる訳です。私がワーグナーについて云々するのもおかしな話、というのは、そういうことです。ワーグナーは、特に指環は、そういう意味で劇としての性格が非常に強い。 それで、ブリュンヒルデの話なのですが、前にも書いた通り、ブリュンヒルデはこのオペラの中でもっとも劇的緊張を孕んだ役なのです。細かいことはどうでもいい、もうこの歌唱は圧倒的じゃないか、というような話なら、それでもいいかも知れません。でも、実際、そんな歌唱じゃないですよ。悪くはないとしたとしても。でも、それはいい。ただ、それならば、聞くところによる往年のフラグスタートとかニルソンみたいなものではないならば、丁寧に舞台として成立させなきゃいけない。でないと、説得力が無いんです。 ぼそっと「大根」って書いたのは、まぁ、酷い言い方ではありますが、でも、実際そうなんですよ。この役に求められるところからすれば。これが他のワルキューレの一人だったら、まぁ、どうでもいいですよ。ついでに言えば、同じ理由により、藤村実穂子のフリッカもどうでもいいんです。そりゃちゃんと歌ってはいるんでしょうけれど、そもそもドラマが薄いんだもの。それでも、結局ヴォータンに勝って、半ば勝ち誇りながらブリュンヒルデに「お父様の指示を確認してご覧なさい」みたいな事を言うのには、もっと嫌な女丸出しでやってもいいと思いますけれどね。昔、あれはやっぱり新国立劇場の、いわゆる「トーキョー・リング」だったか、相当高慢ちきな感じで言い捨てて出て行った舞台があって、あれはなかなかだったな。 で、ブリュンヒルデ。 端的に言えば、「ブリュンヒルデはいつ決心したのか」という問題なんですよ。元々ヴォータンの指示に従って動く存在であったブリュンヒルデが、いつ、どのようにして、ヴォータンの指示に背く事を決心したのか、そして、いつ、どのようにして、ジークフリートの花嫁として生きていく事を決心したのか。 一応書かれてはいる訳です。前者で言えば2幕2場のジークフリートとの対話を通じて。後者は、最後にはそういうことになってはいる。でも、では、いつ、どこで、どうして、なのか?それを表現するのが、芝居というものです。別に明示せよというわけではないし、それが見えなければダメだ、とまでは言わない。でも、それが自分の中になければ、当然そんな芝居は出来ないし、今の(これは日本人に限らず世界的傾向だけれど)歌唱で圧倒する、ということがもう無理と言ってもいいような時代の公演に於いて、あくまでオペラを、それもワルキューレのようなオペラをやろうとするならば、役柄としてそういうことは入っていないとダメだと思うんですね。 でも、それがダメだからといって、全否定するものではない。ただ、それはお世辞にも世界レベルで比較出来るような話じゃないよ、そんな田舎芝居をバイロイトと遜色ないなんて言い出すのは井の中の蛙、夜郎自大というものだよ、と思うのです。 そしてくどいようだけれど、そこそこの金さえ出せば海外になぞ幾らでも行ける時代に、ですよ。いや、そんなに気楽に行けるもんじゃないんだ。まぁ、そうかも知れません。でも、そうだとしても、手の届く範囲の世界だけで絶賛するのはおかしいと思うし、今、日本の演奏家がそのレベルで自分たちは凄いと思っているのだとすれば、やっぱりそんな勘違いはさせちゃいけないと思うのです。 まぁ、仕方ないのかも知れないですけれどね。 今回、いろいろ見ている中で、ずっと昔にネットで盛んにやっていたのと同じかと思しき人が、なんともぬるい事を書いているのを読んで、ちょっと何だかなぁと思ったりしています。自分が進化しているとかなんて思わないし、終始一貫して首尾一貫しているとも言えないけれども、それでもそれなりに聞き続けて何某か考え続けているから、こんな与太話くらいは相変わらず書き続けていられるのかなと思ったり。それが幸せなのかどうかというのはまた別の問題、か。
2021年03月22日
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まぁ、もーえーっちゅーに、という感じではありますが....... https://www.tokyo-harusai.com/news_jp/20210303-2/ 東京・春・音楽祭の公演が4件更に中止だそうです。ゲルハーエルのリサイタルとか。 緊急事態宣言はこの週末一杯で終わりだそうです。引き続きなんかやるのかも知れないけれど、一部報道では、今の「5000人か定員の50%の少ない方」が「多い方」に上限が変わるとか。それならほぼ通常運行ですがね。 一方で、入国制限は解除にはならないようで、プロ野球やJリーグの外国人選手は、「プロスポーツの公益性に鑑みて」特別に認めるんだとか。5月のバッティストーニとか、来られるんですかねぇ....いや、それ以前に、4月後半に予定のムーティは入れるのか。 そして、ともあれ、例によってなんの情報もないLFJ.........
2021年03月19日
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新国立劇場 16:30〜 4階左手 ジークムント:第一幕 村上敏明 第二幕 秋谷直之 フンディング:長谷川顕 ジークリンデ:小林厚子 ヴォータン:ミヒャエル・クプファー=ラデツキー ブリュンヒルデ:池田香織 フリッカ:藤村実穂子 東京交響楽団 指揮:大野和士 演出:ゲッツ・フリードリヒ 結局行って来ましたよ.....あれだけ書いたしね.......予定はしてたし、これで行かないのもなんだろうなと思ってね........ で。 前評判が何故だか大絶賛らしいので、久々に本気出して観て来ました。普段本気出してないのかって?そりゃそうですよ。こっちは楽しみで聞きに行ってるんだから。毎々本気出して観てたら疲れちゃうでしょ? では、どうだったか? まず、さらりと普段並みの感覚で言うと、こんな感じでしょうね。 ほぼほぼいつもの新国立劇場の定常運行、って感じですかね。色々あるけど。ただ、やっぱりジークムントは、特に第1幕がヘロヘロで、そもそも第1幕と2幕で別の人でやるのは問題。なので、やっぱりやるべきじゃなかったんじゃないか。 以上。 まぁ、実際こんな感じだと思いますよ。あんまりわぁわぁ言わなければ。 で。本気出して観て来たので、というか率直に言うと、あんまり色々大絶賛のようなので、本気でちょっと色々言ってみようかと。一応断っておくと、3/17の話で、正直かなり悪い席で観ていたというのはあります。あくまで個人の感想です。 ではどうだったか? 演出自体は「ゲッツ・リング」の2度目ということになります。前回は2016年。ブログでは書いてないですが、観てますね、私。但し、ゲッツ・フリードリヒ自身は2000年に亡くなってますので、この演出はフィンランドで出した舞台を持って来たもの。なので、この演出が果たして演出家自身の意向をどこまで体現しているかはちょっと分からない部分はあると思います。 で、まず、問題のジークムントですが、第1幕の村上敏明は、はっきり言って保ちませんでした。最初から若干声が足りない感じだったけれど、後半はヘロヘロ。はっきりひっくり返ったりしてましたし。音楽的芸術的に云々という話ですが、はっきり言ってその観点ではこれじゃお話にならないです。 第2幕の秋谷直之は、そこへいくとまだ声は出ていたと思います。一応最後まで声出してました。はい。あれは歌ってたと言っていいのか.....元々第2幕のジークムントはあまり歌ってないけれど、それにしても、もうちょっと丁寧に歌おうよ。声は大きいけれど大きけりゃいいってもんじゃない。なにより、そもそもそれなら最初から、つまり1幕からやりゃいいじゃん。その時点でやっぱり失格なんですよ。 で、大抵の人は、やっぱり気にしないんですかね。でもやっぱり観ていて違和感は否めません。第一に、声質が全然違う。で、第二に、そもそも見た目が違う。細かい話ですけど、たとえば、髭。村上敏明は髭を伸ばしてるのに、秋谷直之は伸ばしてない。そんなこと?と思うかも知れないけれど、どうしてもダブルでやりたいのなら、せめてそうしたところは合わせないと。それで気にならないというのは、やっぱり、芝居に興味ないんじゃないですかね..... 他のキャストはどうだったか。 まず、ジークリンデとヴォータン。一応及第点をあげられるとすると、この二人くらいかと。この両名は、一応歌になっていたと思います。ジークリンデはちょっと叫んでる感じでしたけれどね。ただ、声的には一番出ていて、しかもそれがただ叫ぶのではなくて、一応歌になっているような感じではあったかなと。ヴォータンの方は、そこそこ歌えてはいるので、まぁ一応安心して聞いてはいられます。ただ、特に第3幕、舞台後方に入って歌うと、全然聞こえてこないのは、まぁ、むしろ演出の問題というべきなのか。 ブリュンヒルデの池田香織は、ちょっとね...... なんか知らんけど、この人、二期会のスターなんですって?だから言うわけじゃないけれど、声はそれなりに出てるとは思うけれど......オペラになってないというか...........まぁ、大根? 芝居としてのオペラとして考えると、ブリュンヒルデは実は難しい役なんですよ。ヴォータンは、そもそも苦悩するヴォータン、というのが2幕のフリッカとのやり取り以降はデフォルトなんですよね。だから、実はそれほど複雑ではない。ところが、ブリュンヒルデは、ヴォータンの代理人的な立場でありながら、ヴォータンの葛藤を受けてジークムントと対峙し、遂にはヴォータンの指示に背いて我が道を行かんとする。その意味では、このオペラの中で最もドラマを内在しているのがブリュンヒルデなんですね。それが、残念ながら、芝居として出来ていない。正直言うと、あまりに不用意だと思います。これは、演出、正確には再演演出の問題ではあるのだけれど、それにしても、そういうブリュンヒルデの葛藤というか成長というか、が、ブリュンヒルデ自体からは殆ど伝わって来なかったと思います。そういう表現が見受けられない。 もう一つの問題は、これとも関連するのだけれど、全体に不用意なんですね。ブリュンヒルデというのはそういう役柄なので、付けられてる音楽もそこそこ複雑で、かつ、結構出ずっぱりなので、演技だけでなくて音楽的にも取り取りの綾を表現することが求められる筈なのだけれど、観ていてどうにも..... そこが率直に言ってヴォータンやジークリンデとの違い。ヴォータンは、それがやはり出来ている。葛藤がそれなりに見える。ジークリンデは、ある意味、そうした綾がそれほど多くないので、まぁ、ね。藤村実穂子のフリッカは、そういう意味では、まぁ、それほどの役ではないのでね。ただ、全般に、やはり芝居としてはどうにも、という感じではありました。 率直に言うと、演出自体、あまりいい出来とは言えない気はします。名演出家の舞台、と言うことになっているし、あまり考えずに見る分にはいいと思うけれど、本気で観ると、特にヴォータンとブリュンヒルデの各々の葛藤が、はっきり言って弱い。だから、ドラマが際立って来ない。 不用意というのは、オケも同じで、まずもって例によって金管がヘロヘロ。よくしくじってるし。ただ、その辺の失敗はある意味お約束なので、問題は、オーケストラ、だけでなく演奏者全般に、「何故ここでこうなのか?」ということについての詰めが、やはり甘い。ジークムントがそもそもそれ以前レベルでダメだということなので、高みを求めても仕方ないのだけれど、音をなぞるので精一杯、という感じの演奏が少なくなかった。でも、やっぱりそれじゃダメなんですよ。特にワーグナーは。 私がワーグナーについて語るのもおかしな話だけれど、ワーグナーが、特に指環が大変だ、というのは、長いとか、声量・音量が求められるとかあるけれど、本当は、演奏者に集中力が求められるからだと思うんですね。それも、全編に渡って途切れずに集中力が求められる。言ってしまえばどんな音楽でもそれはそうなんですよ。ただ、特に指環の場合、ライトモチーフという趣向も相まって、極端に気の抜けない音楽になってると思うんですね。特にオケの場合は尚更。その辺がやはり不用意なんですよ。だから、「どうしてそこでそういう音になるのか」という意味で時々意味なく音を出してるところがあったり、ですね。 外すのは、まぁ、ホルンとか、そういうものだから、というのはある程度あるんですよ。でも、音に意味がないのは、やっぱりダメ。 他のキャストは、まぁ、どうでもいいや。ワルキューレは、相当ずっこけましたけどね。 他人が何をどう評価しようと構わないんですけれどね。ただ、この公演絶賛している人が少なくないので、やはりこれは一言言っておきたい。 自分が、極々個人的な体験として、その音楽が素晴らしいと思う、ということは、それはそれでいいことだと思うんです。でも、それを自分以外の誰かに向けて発信するならば、そしてそれが「私は個人的に良かった」ではなくて、客観的にいい演奏だったと言いたいのならば、何故そうなのか、どうしてそうなのか、基準と評価を明示すべきだし、それが個人的でなくてある程度普遍性、いや普遍と言わずとも客観性があると言いたいならば、それがわかるように示すべきだと思います。私は、私個人の感じ方ではあるけれど、この公演では、やはり一定のレベル以上で求められるであろう音楽的な説得力とか、表現といったものが不十分で、なにより二人一役にすることでオペラの舞台としての具現化に於いて、最低限の約束事を破っているだろう、と思うので、低評価なのですけれどね。 要するに何が言いたいかというと、安直に「バイロイトに匹敵する」とか言うんじゃない、ってことですね。 なんでこんなこと言うかというと、要は、こんな風にして甘やかして来た結果が、今回の二人一役に見られるような話だと思うからです。そこまでしてこのレベルか、という意味で、相当失望してます。本気だからね。やるべきじゃない。それでも強行した割には、雑なんですよ。出来が。これだったらやっぱりやるべきじゃなかったと私は思いますし、それでも決行されたこの公演を美談みたいなものにしちゃダメだと思うのです。 まぁ、結局この公演は「素晴らしかった」ものになるんでしょうけれどね.........
2021年03月18日
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新国立劇場 14:00〜 4階右手 アルマヴィーヴァ伯爵:ヴィート・プリアンテ 伯爵夫人:大隅智佳子 フィガロ:ダリオ・ソラーリ スザンナ:臼木あい ケルビーノ:脇園 彩 マルチェッリーナ:竹本節子 バルトロ:妻屋秀和 バジリオ:青地英幸 ドン・クルツィオ:糸賀修平 アントーニオ:大久保光哉 バルバリーナ:吉原圭子 新国立劇場合唱団 東京交響楽団 指揮:沼尻竜典 演出:アンドレアス・ホモキ もう一ヶ月以上前で、旧聞に属します。正直、書こう書こうと思いつつここまで引っ張ったのは、途中で帰っちゃったから。休憩で帰っちゃったんですよ。ちょっと後の予定がありましてね。いや、最後まで見ても良かったんだけど、まぁ、もういいかな、と思って...... 演奏は、正直言って、良くも悪くも平凡でした。突出した歌手がいる訳で無し、これは聞きものだ!というのがあった訳で無し。後半凄く良かった人がいたかも知れないけれど、それは聞いてないので分かりません。オケも、別にどうということはない感じ。 つまり、足止めされるほどの魅力のあるものでは、まぁ、なかったのは事実です。多分、それほど悪い訳ではないんですよ。こんなん聞き続けるくらいなら帰った方がマシ、という訳ではなかったと思います。ただ、まぁ、帰っちゃったんです。それだけ。 あとは、分かってて行った方が悪いんだけれど、演出かなぁ。 ホモキの、もう十何年目かの演出をまだ使ってるんですよね。段ボール演出。元々感心しない演出だと思っているのだけれど、調べたら、2013年にはとっくに飽きてました。飽きてるというか、まぁ、元々嫌いな演出だから飽きるも何もあったもんじゃないんですが。ただ、いい加減手垢も付いてますしね。それ以上に、正直、こっちも、毎回毎回ツッコムのにも疲れました。でも、それ以上に、この演出で、いいにせよ悪いにせよ、何かが起こる気がもうしないんですよね。 敢えて評価するならば、ホモキの演出はかなり露骨にアルマヴィーヴァの粗暴さというか、嗜虐性というか、を押し出している演出ではあるので、その意味では今この時期に上演されるのにはちょっと思うことなどあったりもしないではないです。森元首相/前オリンピック実行委員会長だかの問題があった直後ですしね。でも、それを含めても、「だからどうなの?」という感はあります。露骨ではあるけれど、それが何かに昇華されているとは言い難い演出ではあるんですよね。ホモキの語るところの意図は分からなくはないんだけれど、流石にちょっともう飽きたな、と。 今もそうですが、緊急事態宣言下でわざわざこれ見るほどのことがあるのか、と考えた時、「もういいんじゃね?」と思って出て来てしまったというのが本音。「そんななら最初から来なきゃいいのに」ですって?ええ、多分その通りです。反論出来ません。でも、まぁ、見てみないと分からないしね.....
2021年03月15日
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残念ながら、東京・春・音楽祭のメイン公演というべき「パルジファル」が中止になることがアナウンスされました。 https://www.tokyo-harusai.com/news_jp/20210303-2/ https://www.tokyo-harusai.com/news_jp/20210303-1/ ←こちらは日程変更。ゲルバーの延期が中止 パルジファルの他に、ブルーノ=レオナルド・ゲルバーの来日がキャンセルに。 ....まぁ、正直言って、驚きはないですよね..... 散々書いていた通り、スケジュール的に日程上来日組はほぼ不可というのは読めていたので、まぁ、このタイミングだと中止、というのは不思議はないですね。 敢えて申さば、代替公演も何もやらないのかな?というのはちょっと勿体ない気はしますが、或いは現状に鑑みて、不確定要素が大き過ぎる、と判断したのか。まぁ、3週間で指揮者なり代役立てて、というのは大変ですからね。 もっとも、まだ東京・春・音楽祭には、モーツァルトのレクイエム、ボエーム、マクベスの公演予定が残っていますし、日本人演奏家による小規模公演は予定が残っていますから、全滅ではないですね。マクベスはムーティ指揮の予定は変わらないですし。とはいうものの、緊急事態宣言が3/21まで続く中で、その一ヶ月後に出来るものか、という話ではありますが..... そして、くどいようですが、ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンは、影も形もありませぬ..... どうも、連休の最後に布施明がホールA使う予定が入ったらしいので、これはもうないんだろうなぁ、と読んではいるのですけれどね ......
2021年03月13日
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東日本大震災から10年....ってな話は食傷気味でらっしゃるとは思いますが、自分の中ではやはりこれかなぁと思って、掘り起こしてリンクを貼っておきます。 https://plaza.rakuten.co.jp/verdi/diary/201103200000/ この記事の前後に色々書いてますが、それはそれとして、当時のことで記憶に残っているのはやはりこれ。 少し、書いてないことを覚えている内に書いておくと、この当時、正直言うと都心に出かけるというのは「ちょっと正気の沙汰では無い」という感じだったと思います。既に原発が事故を起こしていて大変だ、という話になっていたし、そもそも都内の交通網はまだ十全な状況ではなかった筈。この公演は3/13の日曜日で、サントリーホールだったのですが、確か地下鉄で行けなくて、新橋に出て、タクシーに乗った覚えがあります。元々新橋は日曜日は人出は少ないけれど、この時は尚のこと少なかった筈。 今だと車で行ってしまうところ、車で行かなかったのは、3/11当日の大渋滞の状況が念頭にあって、まともに動ける状態ではなかったから。3/11は準幹線道路やそこへの接続道路含めてほぼ全面的に大渋滞で、どうしようもなかったのを覚えています。夜23時過ぎにそれでも辿り着いて、当時都心に出ていた父は都心から結局半分歩いて半分はバスや電車で、7時間くらいかけて帰って来たとか。その後、夜中に、友人が刎田で足止めされていると聞いて、救援に向かって、結局朝になって帰って来たのを覚えてます。 だから車では出なかったけれど(結局ガソリン供給も厳しくて、あまり乗りたくなかったのも覚えてます。震災当日には帰りにまずとにかく給油したし。)、電車も全然通常運行ではなかったよなぁ。 チェコ・フィルは昔から何度も聞いているし、この後でも聞いているけれど、やはりこの時のことは忘れ難いです。特に後半の「新世界より」。というかほぼそれしか覚えてないな。まぁ、チェコ・フィルの話はまたいずれ。色々忘れ難いですけれどね、前世紀に聞いたビエロフラーヴェクのドヴォルザークとか、NHK音楽祭で聞いた第九とか、ブロムシュテットで聞いたブラームスとか......
2021年03月11日
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先日も書きましたが、新国立劇場で今月予定しているワルキューレ、ジークムント役に第1幕、第2幕で違う歌手を代役に充てて公演するそうです。 https://www.nntt.jac.go.jp/opera/news/detail/6_019622.html で、前回書いてからあちこち見てたのですが、今時はTwitterくらいでしか何か書いてる人はいないのですね。で、そのTwitterの内容も(まぁそもそも140字で大した事書けるものでもないのだけれども)見ていてなんだかなぁ、としか思えないので、ちょっと改めて書いておこうと思ったのでした。 いや、基本的には、前回ちょっと書いてほぼ言いたいことは書いたつもりなんですが、そもそも、なんでこれがダメなのか(いや、ダメなんですよ)ちゃんと述べてる人がいないんですよね..... まず、擁護する様な形で、「海外でも似た様な事してるのみたことある」とか、「ヘロヘロの歌を聞かされるよりはこの方がいい」といった意見があるのですが、率直に言って私は寡聞にしてそのようなことをしているのを見かけたことは全くありません。当日調子が悪くなって、途中から代役を、みたいなことはあるかも知れないけれど。 そして、「ヘロヘロの歌を聞かされるよりは」というのは、そもそもオペラというものを根本的に誤解しているからだ、としか言いようがない気がします。 そもそも。「椿姫」で、第1幕、堕2幕、第3幕で、ヴィオレッタに求められる性格が異なると言われているのは周知のことと思いますが、では、ヴィオレッタを3人揃えて、各幕でのベストを求めました、という公演があるか?ない。バイロイトで、大役だからと言って、幕毎に「ベストの歌手」を揃えてやるか?やらない。端的には、これが答えです。 いや、そうすると、どうしてそうなの?って話になりますよね。そして、それが重要なのか?という。 多分こういうことだと思うのですが。 オペラというのは、「演劇」だから、だと思うんですね。本来は。つまり、「ワルキューレ」というオペラにおいて、ジークムント役を歌うテノールは、なんだかよくわからないけれど決められたタイミングで舞台に出て来て決まってる音で歌って引っ込む、というものではないんですね。「ジークムント」という、「ワルキューレ」という劇の中での役柄を演じる、その延長線上に、歌う、ということがあるのです。 たとえばヴィオレッタの例を考える時、確かにヴィオレッタはその各幕での性格の違い故に、難役になっています。でも、だからといって、別々の人に各幕毎に演じさせるのは、劇としておかしい。それでは劇として成立しない。でも、何故? それは、その劇の中で、ヴィオレッタならヴィオレッタ、ジークムントならジークムントという役柄は、一つの人格として認識されているからです。同じ人格を演じるのに人が替わるというのはあり得ない。少なくとも、具体的に舞台という物理的に眼前にある現実で、さっきと違う人ですが同じ人格です、というのはあり得ない。(なにしろ我々は映画のPart1とPart2で演じる人が違うだけで違和感を感じるのですから。それどころか実質無料で見ているTVのドラマですら!)これはもう演劇として当然なんですね。それはただの約束事では済まない。 というのも、同じ人格なのに別の人が演じる、というのは、その舞台上で展開している世界を破壊することに通じるからです。無論、それを逆手に取るやり方もあるし、子供時代と大人時代、というようなことはあり得るけれど、そうでなければ、劇世界を破壊する。だから御法度なんですね。 第一幕で敵に追われ、追い詰められながら、永く生き別れていた妹に巡り合い、しかも男女の関係に陥ってしまうジークムントと、第二幕で敵から逃れながら一時の休息を取る、そこに現れるブリュンヒルデに対し荒々しく神々が決めようという運命に抗うと激するジークムントは、同じ人格なんですね。あくまで。だからそこにドラマがある。それを別の人にやらせよう、というのは、演劇としてのオペラを否定するに等しいと思うのです。 日本では、割と、この「演劇としての側面」が実は理解されていない気がします。軽んじられている、ではなくて、そもそも、理解出来ていないんじゃないか、という。「現代演出で観るくらいなら演奏会形式の方がいい」というのは昔から聞かされることですが、あれは、演劇としての演出の出来を論じているのじゃなくて、「そんなん観るの嫌だ」という方が強いんだと思います。「演奏会形式の方が集中出来る」なんてこと言う人もいましたし。じゃぁ録音聞いとけ、って思いますけれどね。DVDとかも曲者で、ああいうの観慣れると、「舞台だとどうなっているのか」という想像力が働かない人が出て来たりしますし。 だから「この方がイキのいい歌が聞ける」なんて与太を言う人も出て来るんでしょうけれど。でも、それは決定的に違うのですよ。ガラコンサートじゃないんです。 それと、これも前に書いたけれど、実際問題として、情けないですよ。通して歌える代役が立てられないというのは。 まず、経緯はいろいろあるのだとは思います。ただ、問題は、ジークムント役ならばいわゆるカヴァーがアンダースタディとしていた筈です。何故彼(いや、誰だか知らんけど......男だよね?だから「彼」でいいよね?トランスジェンダーだったらごめんなさいね....)がやらないのか。その為の「カヴァー」でしょう?つまり、カヴァーが機能していないんです。これがもう組織として問題。 で、代役を立てるとして、通しで歌える人が出てこない、というのはどうしようもなく情けない。というのも、そもそもジークムントは、第1幕は出ずっぱりですが、第2幕は後半しか出て来ないですからね。楽な役ではないけれど、第1幕終わって休憩挟んで第2幕の後半まで、1時間くらいは休憩出来ます。なんなら休憩伸ばせばいいし。それでも分けなきゃいけないというのはどういうことか。いや、いいですよ、第2幕ヘロヘロでも。それでも、オペラがオペラである以上、そこは守るのが意地だろうと。いやなんだったらPA入れたっていいですよ。よくないけれど。確かにPA 入れるとか情けないったらありゃしないし、オペラのオペラたる所以を崩すことにもなりかねない。でも、それでも、オペラが演劇であることを根底から崩すような真似に比べれば、多分、まだマシ。ダメだけど。 そして、この判断を下した大野和士以下首脳陣の罪は重いです。「音楽的には最善」?いや、そもそももうこれはオペラであることを否定しているのだから、その時点でアウトでしょう。彼らにはオペラとはなんであるかが分かってないと言われても仕方ないのではないか。そのくらい間違った判断だと思います。 今からでも遅くない。中止にすべきです。万全とは言わない。オペラとして最低限の矜持を保つことが出来るだけの公演を行うに足る環境で無いのならば、思い切って取りやめてしかるべきだと思います。「コロナだから仕方ない」という言葉を使うならば、「コロナだから底の抜けたもはやオペラ本来の意味すら失った公演になっても仕方ない」ではなくて、「コロナだからオペラとして最低限のレベルを保つことが出来ないので中止にしても仕方ない」と言うべきです。 私、チケット持ってますけれどね。行かないか、って言われると、今悩んでます。やめとこうと思いつつ、一方で、そこまでして何をどうするのか見極めてやる、という気もあるし。払い戻しは出来ないことになっているけれど、体調不良だったら仕方ないので申し出て下さい、払い戻します、が今の新国のポリシーなので、実質払い戻し出来ちゃいますしね。だから、それが理由では無いです。 そして、お客の方は、もう絶望的だと思います。要するに、皆、オペラを演劇だと、お芝居だと、物語のあるものだと、お話しだと思ってない人ばかりだってことですもの。「これでいいんだ」って言う人どころか「ダメだ」って言う人ですら、この辺のことが分かってない人ばっかりなんだと思います。 正直言うと、私も若い頃はそこまではっきり意識していなかったとは思います。結構「意味は分からなくても楽しめるんだ。音楽が大事なんだ」って思ってましたからね。でも、やっぱり、ちょっと実演で観ていれば、この辺のことは分かって来ますもの。幾らろくすっぽ舞台の見えない席ばっかりでも、見ていればわかるものですよ。その頃に比べれば、今は、生の舞台だって余程沢山接せられるようになったし、映像記録へのアクセスだって格段に容易になった。でも、全然観られていないんですよ、多分。舞台は見てるけれど、それがなんであるか理解してないんじゃないでしょうか。 或いは、今日本で見られる舞台が、そんなこと考えも及ばないようなものばかりになってしまっているのか。そういうことかも知れません。 まぁ、そんな地獄みたいな状況下で、やれ演出が、とか、誰それが、みたいな話に興じてるつもりになってるのは、みっともないからおよしなさい、と思ってしまうのではあります。 多分、オペラに限った話じゃないんだろうな、とも思いますけれどね.....
2021年03月07日
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これを書いているのは3/3の夜。今日の夕方、3/7までとされていた東京・神奈川・千葉・埼玉を対象とする緊急事態宣言の延長が検討されていると報じられております。2週間目処とかいう話なので、2週間だと3/21まで、今年の春分の日は3/20なので、お彼岸まで続けるということになります。まぁ、まだ本当に伸ばすのかどうかはわかりませんが。 こうなると、海外からの来日は厳しい状況がまだ続くのだと思います。流石にこの状況下で受け入れることはないでしょうね。 そんな中、東京・春・音楽祭について新しく発表がありました。ブルーノ=レオナルド・ゲルバーの公演などが延期。更に、オリ・ムストネンやデジュ・ラーンキらの公演が中止に。 https://www.tokyo-harusai.com/news_jp/20210303-1/ https://www.tokyo-harusai.com/news_jp/20210303-2/ まぁ、仕方ないのでしょうね。むしろ、此の期に及んでもメインの大ホール公演の予定を堅持していることの方が驚きと言っていいかも知れません。とはいえ、3/21まで入国出来ないとなると、難しいだろうなぁ....... そして、相変わらず何の情報も出て来ないLFJ........ そんな中、なんとも間の悪いことに、新国立劇場から手紙が届きました。月曜日付けで、曰く、3/7に緊急事態宣言が解除されたら、今まで収容人数50%で売り止めていた3月公演のチケットを追加販売します、だそうです.......... まぁ、追加販売は中止でしょうね........... 同じ封筒にもう一つ。こちらはサイトでも告知されていますが、今月の「ワルキューレ」のジークムント役が決まったとのアナウンスが。 https://www.nntt.jac.go.jp/opera/news/detail/6_019622.html 海外からの来日組の予定だったジークムントを、第1幕と第2幕で別の歌手に歌わせるそうです。 ..........これがね、日本の実力ですよ............ 急な話、と言えば、急な話なのでしょう。だからそうそう代役は立てられない、といえばそうなのでしょう。 ただ、ジークムントを歌い切れる歌手がいない、というのが実態ということです。準備がいる?ああ、そうでしょうよ。別途二期会で公演やってるから?ああ、そうでしょうよ。 でも、言わせてもらえば、ただの歌手の協同組合といおうか互助会に成り下がった二期会(というのが私の評価)ですが、足掛け22年かけて指環を全曲演奏やり切った時、そんなだらしないことは言わなかったわけですよ。新国立劇場なんかより互助会仲間内公演の方が大事なのかも知れないけれど、それにしても通しで歌える歌手がいないというのはどういうことか。 もう10年以上前だと思いますが、新国立劇場で、何処ぞの関係者と思しきが「日本のオペラは凄く進んだ」とかなんとか言ってるのを聞かされたことがありますが、まぁ、はっきり言って、退化してると言うべきです。情けないったらありゃしない。ジークムント通しで歌える歌手が出せないってのは恥というものですよ。 まぁ、そんなもんだろ、とは思っているから、今更ですけれどね。正直言うと、日本で今まともに聞きたいと思わせる歌手は、少なくとも今舞台に乗っている人ではいませんのでね...........とはいえ、なんとも情けない話だということはそろそろ皆気付けよ、あんなしょぼいの甘やかしてちゃダメだろ、あんな互助会連中だったら俺の方が下手すりゃ歌上手いぞ、くらいには思いますけれどね.........ま、暗譜出来る分向こうの勝ちかな............
2021年03月03日
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東京国際フォーラム ホールA 12:00〜 1階左側 映画「銀河鉄道999」 ヴォーカル:タケカワユキヒデ、小此木麻里 東京フィルハーモニー交響楽団 指揮:栗田博文 .....いや、まぁ、アレなんですよ。私丁度ギリ封切り当時に見てますもんでね...... 銀河鉄道999はいちいち説明しませんです。まぁ、懐かしいし今から見るといろいろいろいろ無茶な話ですが、そもそも松本零士自体がいろいろいろいろ無茶な人ですからね.... 何はともあれラストシーンからのゴダイゴの主題歌はそりゃぁ盛り上がるってものであります。それを生オケで、本人歌唱で聞くわけですからね。そもそもホールAの舞台にオケが乗って、その向こうに設えた大画面で見るわけです。これは最近ではなかなか見られないですからね。DVDは出ているとはいえ。 2/6ですので緊急事態宣言真っ只中。元々もう一人行くので2枚買ってあったのですが、直前になってチケット引き取ってみたら、1席空けの配置で、収容人員50%に制限、ということだったので、まぁこれなら大丈夫だろうと。それでなくともホールAは座席がゆったりしてますから、この種の公演としてはかなり余裕のある感じですね。 席は前の方とはいえ左側で、そうするとこの種の公演ではPAが入るので、PA の音が勝ってしまってちょっと難ありと言えば難ありでしたが、まぁ映画ではありますので、これはこれで。 内容は、要するに999見に行って来たということなので。それは面白かったですよ。この種のシネマ・コンサートを見たのは初めて.....と思ったのですが、そういえば、何年か前に、仕事でブエノスアイレスにいた時、テアトロ・コロンに行ってみたら、なんかやるというので入ってみたら、2001年宇宙への旅をオケ付きでやる、というのがあって、最初の半分だけ見てきたというのがありましたっけ。あれは今から思い返すと全部見といても良かったなぁ。意外と面白いものです。うん。でも、作品によりますよね。好きな作品でないと、というのもあるけれど、音楽的に面白くないとね。 ホールAは思い返せば一昨年のLFJ以来でしたが、ちょっと懐かしかったですね。状況的に、多分、今年のLFJはかなり難しいでしょうから、久々に入れて良かったなぁと。
2021年03月01日
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