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篁先生の質疑応答の続きです。作業所勤めの職員からの質問。「こだわりの多い、入所三年目の二十歳の利用者さん。最近になり、他害が多くなり、休憩時間に冷蔵庫から1リットルのペットボトルを出して飲んでしまう。その時々で向き合うようにしているが、どうしたらいいのか。」入所3年目からは、慣れの時期に入り、単純な作業を退屈に感じるようになったり、目立つ行動が出てくる。「こだわり」とは、彼らにとっては安定剤。一つの解決法なのです。そこで、問題点を見直すことが先決。休憩は、長過ぎていないか。休憩は、本当に必要なのか?自閉症者を弱い人と思い込んではいないか?・・・という感じで、一日の流れを見直すことが大切です。そして、距離感を重んじ、彼らから1メートル以内の位置には入らない。近づき過ぎていないか?又、仕事の量と時間を観察してみる。自閉症者は、仕事に慣れてくると、最初の1~2分、仕事しないでいることがある。ここで「仕事が嫌いなのでは?」という違った解釈をし、仕事量を減らせば益々しなくなる。要は、彼らは、調整をしながら..「終わりの時間」を合わせているのです。自分から時間調整をし始めたら、その時間に見合った仕事を逆に増やしていけばいい。リズムが狂い始めると、自分からリズムを作り出すのが、「こだわり」です。 仕事の量と制度の調整が重要とすることは、家庭内でも、十分有り得ることです。一日のリズムをきちんと整えておきたいですね。 にほんブログ村
2011.04.29
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昨夜、篁先生の質疑応答の集いに行って来ました。場所は、中野のサンプラザの集会室。中野は、しばしの新婚生活を送った土地で、..時折訪れては懐かしく感じています。興味深い質問があったので、小分けにアップします。「成人以上の自閉症の方の飲酒」についてです。はっきり2種類に分かれます。全くダメな人と良く飲む人。また、自閉症の方は、一気飲みする傾向があるので、できたら、幼い頃から、飲み物は一口飲んだら置く…という習慣を作っておく。飲食に関して、適量をなかなか自覚できないので、チビチビ飲めるようにする。熱いお茶等を時々飲むようにすると、できるようになります。お酒独特の匂いに違和感を感じる人は、絶対に飲まないようです。又、お薬を服用している人も、飲めません。原則、アルコールを飲んだら、薬は飲めないからです。娘さんが夕食時に、甘いカクテルを軽く一杯飲むという方も、やはり、薬を飲む時間は避けたり、と気になっているということでした。今は、ノンアルコール飲料もあるけど、裕大も、宴会で出されても手付かずです。でも、お祝い事の乾杯などでは、。。形だけでも、参加させたいなあと思っています。武蔵野市の方の参加が多い集会室には、親御さん、教育現場の方も多く参加され、2時間弱の質疑応答が展開されました。 にほんブログ村
2011.04.27
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篁先生の 「自閉症者の老後」の講演会の最後は… 自分らしく生きること。『淡々と』自閉症者ながらの質素な生活の中で 、邪魔のない、感覚的に一定のリズムを..保てる生活スタイルを認めてあげる。『生き生きと』頭の中には休みがない自閉症者の、..常に何かを求める能動性を大事にしてあげる。『あるがままに』 興味本位で楽しめる生活を保つ。有給が分からなくて、仕事が休めない人でも、休んでもお給料が貰えると分かり、やっと休めるようにはなったが、それはそれは、かなりのストレスを伴う休暇となった。真面目なばかりに、抱え込んでしまうものもある。まさに、あるがままになのです。『しなやかに』 教わった仕事を自分なりに工夫し、教わった通りにはやるが、工夫を加え、かつ精度を落とさない、独学の天才である。こうした自閉症者の特性、淡々と、生き生きと、あるがままに、しなやかに、…を生かしてのびのびと、生き甲斐のある老後が過ごせるよう、見守っていきましょう。 連休前に、先生を囲んでの、「エキストラ会」があります。 この一年の講演会全般の質疑応答の場です。 行けるようでしたら、また様子をアップしていきます。 にほんブログ村
2011.04.23
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いよいよ講演会も終盤です。『余暇』について、です。経験を年とともに繰り広げる。徐々に一人でできるようになる。そして、少しずつ一人で行動できるようになる。外出の際の乗り物の席のこだわりや、自閉症者の特に目立つ行動も、一台バスを乗り過ごす余裕を持たせるようにさせ、並んで順番を待つルールを身につけさせていく。こういう取り組みを保護者が心がけていると、今度は、不意に困った事態になっても、周りの人々に不愉快な思いをさせないような見守りをしてくれるバスの運転手さんも出てきます。年相応の、大人としての、時間の使い方を培うようにさせていく。現在は、カラオケの受付や精算も付き添いのヘルパーさんに任せっきりですが、今後は、少しずつ自分で受付してみたり、精算に直接関わってみるような試みも、事業所にお願いしてみようかと思っています。何事も、無理なく、一歩ずつ…ですね。 にほんブログ村
2011.04.21
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…篁先生の講演会の続きです。「自閉症者に、どういう仕事を提供できるか?」遊んでいて良い訳ではない。常に教わり方の姿勢を大事にする。自ら好奇心を持って、学んでいく人になって欲しい。細かいことでは、指先の手入れです。血を出さないよう、手を舐めないよう、作業によっては、汚して商品の価値が無くなってしまう物もあります。手は、お仕事をする為の大切な道具という意識を持たせることが大切です。そして、常に、衛生面でも、きれいに保つことが何より重要です。長男も幼い頃からピアノを弾いているので、爪切りは慣れてはいても、つい、舐めたり汚してしまうことがあるようで、作業所では、手袋も装置することがあるようです。主婦でも、指先の衛生面を保つのは、苦労しています。特に、夏場は食中毒の意味でも、気をつけていきたいと思います。何もせずに、フリーターのように暮らす若者が増えてきていますが、障害があっても、皆さん一生懸命働いています。五体満足な我が身をどう生かすか?就職難の時代だからこそ、自分から進んで、まずはボランティアからでも、始める意識が大事でしょうね。次男には、今後、厳しく伝えていこうと思っています。 にほんブログ村
2011.04.19
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講演会の途中でも、篁先生はいろいろな症例・事例を加えて、会場内には、思わずどよめきが、ため息が。。と内容の濃い講演会でした。順番が前後してしまいますが、最後には、質疑応答があり、やはり、震災時の話も上がりました。しかし、自閉症児と言えども 性格も反応も十人十色。その後の生活は、何も無かったかのように元通りに過ごす人。ずっと、余震が気になってしまい、一人で恐怖と戦う人、それぞれです。中には、死について、気になって仕方なくなり、「僕は、何歳まで生きますか?」と絶え間なく、母親に聞いてくるお子さんがいました。ずっとはぐらかしていたけど、ある日、あんまりしつこく聞くので、「百歳まで生きます。」と言ったそうです。すると、息子さん、急に顔色が明るくなり、「キンさん、ギンさん?」…とイメージがぴったりしたようです。そこで、先生は不思議に思い、「なぜ、百歳とおっしゃったのですか?」とその母親に聞いたようです。すると、「どうせ、親は先に逝きます。 70才では、私も直です。でも、百歳なら親の死とも関連なく、受けとめてくれると思ったのです。」でも、ここまで、知的レベルが高い方もいるんですね。我が子は、まだまだ自他の年齢や年齢差には無頓着です。でも、いつかどこかで、年齢が一致した日には、やはり、あれこれ悩み出したりもするのかも、しれませんねぇ。 にほんブログ村
2011.04.17
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「自閉症者の豊かな老後の為に…」…へと講演会は流れていきました。できるだけ家族と長く、地域の中で長く、暮らせることが望ましい。「この子を残しては死ねない。」。。と皆さん、口を揃えて言うけれど、生活する力を与え、できることを増やしてあげる。一つ一つできるようになることが、学びへと繋がります。ケアホーム暮らしの36才の男性。洗濯の際、生乾きのまま、タンスに仕舞ってしまい、気がついたら、衣類がカビだらけだった。干し方を根本から見直し、干せる場所(軒下、室内等)と、洗濯物を取り込む曜日を一日おきにと決める。そして、援助の限度を見据えて、世話を焼きすぎないこと。こんな話もあります。大学病院に勤めるお母さん、コツコツと我が子に生活力を与え、「この子に看取って貰うつもりです。」 。。。と。ハッと気付かされる、感動的なお話でした。なかなか難しいけど、 最後の目標を最初から決めるのではなく、少しずつ、丁寧に教えていくことで、家事全般、アイロン掛けまでも、こなせるようになるもの。教えられたことは、きちんと身につけていく、自閉症者の特徴に見合った一つの生きる力なのだと、実感した次第です。 海洋天堂を日本で観たい にほんブログ村
2011.04.16
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大津波はたくさんの人々から、さよならさえ言う間もなく...家族、友達をさらっていった。生き残った人々はこの現実に、どのように向かい合えばいいのか?私たちができることは苦悩を抱える人に寄り添い、支えることだろう。岩手県の生んだ歌人、石川啄木が心に響く歌を残している。『頬につたふ 涙ぬぐわず 一握りの砂を示しし人を忘れず』握りしめた手から落ちる砂は、限りある時間を示している。歌に詠まれたのは、残された命を精一杯生きようとする気高き人の姿だろうか?その人が被災地に向かって、「泣きながらでも生きて」と叫んでいるような気がする。東北の人たちが礼儀正しく、苦しさの中でも微笑みをたたえていられるのは、雪深い冬を生き、過去に津波や貧しさを体験し、日常で耐えることや譲ることを知っている人たちだからだろう。苦しみに耐えてきた人たち、耐えることができる人は美しい。今回の事態から何を学ぶか。一人一人が考えることだ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー3月11日の14時46分から30分間に起こった出来事です。今年の3月11日、岩手県立高田高校一年の菅野千裕さんは、同じ水泳部員で仲良しの三宮真美さんと、1年5組の教室で、いつものように昼食を一緒に食べた。午後から部活だった。「練習きついよねー」 「いやだよねー」。 けらけら笑いながら、室内プールに向かった。着替えて、シャワーを浴びていた時だった。下から突き上げられ、激しく横に揺れた。プールサイドに走り、先輩たちと合流した。 揺れが収まり、濡れた水着の上に制服を着た。部員9人が車三台に分かれて、指定避難場所の市民会館に向かった。「大丈夫だよ」。 揺れの大きさにショックを受けて泣き続けていた千裕さんは、真美さんに何度も励まされた。「津波が来るから、2階に上がって!」 市の職員が声を上げた。 今度は「ここも危ないから3階へ行って!」 と指示された。「千裕ちゃん、また、学校で会えるから。 大丈夫だから。」 と言う真美さんと手を握り、階段を上がった。 3階に着いた瞬間、一気に頭から波にのみ込まれた。自分の左手と真美さんの右手。 つないでいた手が、波にもまれているうちに離れた。2回ぐらいに大きく体の方向が変わり、どこかの壁にぶつかった。水の中で背中が床についたのが分かった。 体の上に何か大きなものが乗っているのか、もがいても起き上がれない。死ぬかも。 手足をばたつかせると、ふっと体が浮いた。頭が天井についた。隙間はわずか20センチほど。頭を上げて必死に息をした。自分たちがいたのは、3階の端にある「倉庫」と書かれた部屋だった。そこにいた11人とほかの小部屋にいた1人の計12人だけが、生きていた。階段や廊下はがれきで埋まっていて、身動きが取れない。足元には、遺体が折り重なっていた。「あっ」 と声を上げる人、小さく息をのむ人。 仕方なく、みなで肩を寄せ合って遺体の上に座った。もう涙も出なかった。びしょびしょに濡れた体に寒風が容赦なく吹き付けた。窓はすべて破れ、雪も降り込んでくる。靴が脱げた素足の足は象のようにむくんで感覚が全くない。右手を制服のポケットに入れると、飴が一つあった。3階に駆け上がる直前、真美さんが冗談っぽく「何かあった時に食べて」 とくれたものだった。11人いた水泳部員は、当日練習を休んだ男女の2人、奇跡的に助かった千裕さんとマネジャーの計4人だけとなった。(4月11日の朝日新聞より抜粋) 心の扉 にほんブログ村
2011.04.15
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篁先生の講演会の続きです。自閉症の人達、彼らは「記憶」を辿って生きている人達です。記憶が良いということは、ボケないのではないか?ボケたら苦しむのか…?それとも思い出せない分、楽になるのか?分からないのです。 記憶を無くした時、家族がずっと周りにいればいいが、途中から関わる人達には、彼らの歴史を知る由はない。遺言状を残すようだが、メモ書きでもいいので、彼らの情報を形にして残しておくことをお勧めします。逆にこだわりをどんどん克服していけばいかなる人と関わっても、 我慢したり、融通が利くようになるのかもしれませんね。ただ、誰にでもある、生まれながらに持った 心地好さを求める気持ちは人一倍なので、万が一の時の為の明記は、必要ということでしょう。にほんブログ村
2011.04.14
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実際、先生のお知り合いの成人になった自閉症の方が、下着を汚すようになったようです。不安になって病院で診察、検査の結果、大腸ガンの末期でした。よっぽど痛かっただろうに、兄弟、回りの者、誰もが、本人の痛がる素振り、様相を見たことは無かったという。便の色によっても、内臓の異常を知ることができる。普段から、便の色を観察し、異常を知る手立てを作る。我慢強さ、頑固なところに、思わぬ落とし穴があるものです。また、健康を害した後の検査はなんとか受診させられても・・定期的な人間ドックの胃のバリウム検査は、。。どう考えても無理な状況です。一緒に検査台に乗って、指示に従う練習をする訓練でもしないと、ですね。自閉症者は、こうして、あれこれと健康管理の上で、難題を抱えています。便の異常 にほんブログ村
2011.04.12
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先日の、篁先生の講演会の続きです。 「痛み」について、です。 自閉症者は、痛みを訴えない。痛そうな顔をしない。耐える力がある。 これには、自分で「痛み」という感覚をブロックする働きがあるようです。しかし、痛みに鈍感なのではなく、自傷行為の後に、 患部をそっと触れると、びっくりした反応を示します。その時に、「痛いでしょう?」と『痛み』を確認させてあげる。痛みをどう表現できるようにさせるか。生活の中で、どこかでタイミング良く、教えてあげる。裕大も、我慢強いので、痛みを訴えてきません。 なので、病、怪我には日々アンテナを張っています。ただ、自傷行為よりは、他害の方が多いので、なかなか難しい課題です。しかし、訴えられるようになると本人も楽になり、薬や手当てを求めてくるようになるようです。私の職場には、出勤時に、「今日の健康状態」を記入する欄があります。 そんなチェックリストを作って、本人に自分の健康状態を確認させることも。。いいかなぁ、とも思っています。加齢と共に、体力は自ずと衰えていくという自覚も、確認できる要素になります。自分の健康は自分で自覚して、..維持させる工夫が大切だと実感しました。 にほんブログ村
2011.04.12
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篁先生の講演会 自閉症の人のライフステージによる支援の最終話「老後にむけて」実際に地域に、周りに老人の自閉症の人はいないはずです。昭和30年~40年に思春期を迎えた自閉症の人々は、医学的にも、教育的にも絶対需要とされた時代であり、成長過程で対応の悪さに荒れて現在、50才以上の自閉症の人々は、不幸にも精神分裂症とされ、精神病院に処置入院されている方がほとんどである。当時は親でさえ、自閉症の我が子を絶対需要という傾向があり、 「水洗トイレの水を飲みたいと子どもが欲しがるから飲ませた」という症例に、さすがに先生は反感を持ち、自閉症の人々にどう教育を提供できるかをずっと模索されてこられた。誤った自閉症の捉え方、それも世代によって差があるのは不幸なことです。育て方が悪いという誹謗中傷。テレビが自閉症を作るという何の根拠もない伝説。このせいで、当時の自閉症の人を抱える家庭では、テレビを押し入れに隠していた時代です。また、情緒障害は自閉症者にはいないのに、そのように枠付けされて、教育目標をあてがわれたのも全く理に合っていない。敢えて自閉症を枠付けをするなら、「小児神経症」です。また、支援の在り方に一貫性がなく、担任が変わる度に方向性が変わる。家庭の中で、丁寧に育てることが大切です。先生の周りにいる自閉症の方でも、一番高齢でも40代。これからのその方の老後の生き方の支援を重ねながら、見守っていきたいとおっしゃっていました。そして、逆に周りに高齢の自閉症者のいる環境にいる方は、 どんな暮らしをされているのか教えて欲しいと。大変な時代でしたね。今だから、自閉症という障害もだいぶ社会に浸透し、理解をされつつありますが、人目を避けて、生活されていた、 そして今でもされている世代の自閉症の人。どんなに辛く、苦しい人生だったかと、 同じ自閉症の子を持つ母としては、辛い講演会の始まりでした。 海洋天堂を日本で観たい にほんブログ村
2011.04.10
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