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『歳月』司馬遼太郎(講談社文庫) 明治初期の、肥前出身の司法卿・江藤新平の生涯を描いた司馬遼太郎の小説であります。講談社文庫で、本文はちょうど700ページ、一冊です。 この長さというのは、司馬作品としては、どのように評価できるものなんでしょうね。 例えば『竜馬がゆく』と『坂の上の雲』は文庫8巻、『翔ぶが如く』は文庫10巻。『空海の風景』が上下2冊で、この小説がこの『歳月』に近いかもしれませんね。(『空海の風景』は、私が司馬小説の中で一番好きな作品です。) 一方で、この『歳月』という小説は、司馬作品の中でどの程度人気があるのでしょうか。 私は手元に『司馬遼太郎読本』という文庫本を持っているのですが、その中に、ビジネスマンによる司馬作品人気アンケート集計というのが載っています。 それに寄りますと、ベスト3は1位から順に『竜馬がゆく』『翔ぶが如く』『国盗り物語』となっていて、まー、順当なところでしょうかね。 で、『歳月』はどのあたりにあるのかと表を見ていったんですが、視線がだんだん下がっていって、35位までで表は終わっているのですが、なんとその中に『歳月』は、入ってないんですね。 ……うーん、さすがに私も、ちょっと唖然としました。 そういえば、この度私が本書を手に取った経緯を思い出しても、そこに積極的なチョイスはまるでありませんでした。 始めは『峠』という小説を読もうとしたのですが、現在は文庫で3冊になっていて、ちょっと長いかなあ、どうしようかなあ、と考えつつ、家の本棚を何となく見ていたら本書があるのに気がついて、きっと昔に100円くらいで買ったのだろう、まぁこれでいいかと、読み始めたのでありました。 「歴史小説」において、読者がどの作品を選ぶかの一番のポイントは、やはりなんと言っても主人公の魅力ではないでしょうか。 上記の司馬作品人気ベスト3で言えば、坂本竜馬、西郷隆盛、織田信長等々のヒーロー達の魅力ですね。(でも本当は、例えば、坂本竜馬の魅力は、『竜馬がゆく』で司馬遼太郎がそう書いたからだという説があって、つまり魅力の原因と結果が実はひっくり返っていることについて、きっとそういうことだろうなとも思います。) で、本書のヒーローは、言うまでもなくかなり「地味」な江藤新平であります。 この人物に、そんな隠れた魅力があるのでしょうか。また、魅力があるように司馬遼太郎は書いているのでしょうか、 といえば、作品の前半から中盤にかけては、……うーん、かなり厳しいとしか言えない気がしますねー。 「刑名家=法家」「むきだしの鋭さ」「稀有な頭脳」「抜き身」「峻烈」「生来の鬱懐」「能力のない者に対しては酷薄なほどの態度」「人物に鋭気がありすぎ、このため精神がつねに中庸を欠いて」など、その天才的な資質に、到底人間味が感じられそうもない評価が随所に散らばっています。 もちろん、その才能は間違いなく明治の黎明期において国家に必要不可欠なものであったという押さえ方はなされていますが、しかし、物語の読者である我々にとってそんな才能は、余り魅力的でないことも確かでありますしー。 実際の話、私は読んでいて途中まで、この話はちゃんとまとまって終えることができるのだろうかという不安を少し持ちました。 しかし、もちろんそれは杞憂に過ぎず、終盤、筆者がストーリーの全面に大きく持ち出してきたのは大久保利通という人格でありました。この大久保の強烈な個性が、見事に、江藤新平の生涯に悲劇性を添えて、作品を終わらせてしまいました。 そんな大久保の個性とは、どのようなものなのでしょうか。 われわれはここに、学校で習った日本史の教科書記述からは想像できないような、「明治の元勲」などという言葉からは理解できないような、大久保利通の人間像を見ることになります。 まず、大久保が作品前面に出てき始めるあたりにこんな表現があります。 日本史上、家康と大久保ほど、その実力や業績のわりには好かれない人物もいない。かれらは周到すぎるためにその印象に爽快さがなく、爽快感がなければひとびとは詩情を感じないのかもしれない。 また、大久保が、ほぼ江藤新平を「惨殺」した後の部分にはこんな表現があります。 「忍人」であると、晩年の大久保はとくに西郷の一派からいわれた。忍人とは、公的な目的のためにどういう非情残忍なことでもできる人物という意味である。 そして筆者は、このようにもまとめています。 「権詐機巧」ということにかけては大久保は同質同類の才質をもち、しかもその点において江藤よりはるかに巨大なタレントであった。 筆者は終盤、大久保の「非情残忍」さを、本当に怪物のように描いています。 ちょっと穿った見方をすれば、魅力のない主人公を、終盤もっと魅力のない人物を登場させることで、相対的に主人公の魅力をにじみ出させる(?)という、……うーん、逆説的な高等テクニックでありますなー。 いやそこまでひねくれて読むのではなくて、ここの部分は、大久保に寄り添って読めば一種の「ピカレスク=悪漢」小説になり、江藤に寄り添って読めば「挫折の悲劇」といったものになると、素直に読み進められるのかもしれません。 そうすれば、この作品終盤は、見事にはらはらと、そしてぐいぐいと引っ張っていきエンディングを迎えるという、司馬作品の魅力の粋のような展開となっています。 でも、やはり私はここにも、少し違和感を持ってしまうんですね。 それは、なんと言いますか、「青臭く」いえば、「政治と人格の乖離をいかにすべきか」とでも言うようなものであります。 清廉潔白に政治を行いそして失敗するのと、非情残忍さを振り切って国力を強めるのと、どちらが結果的に国民の利益になるのか、それは多分、改めて考えるまでもないことでしょう。政治的人間とはそういったものを言うのでしょう。 頭でそう理解しても、私は、江藤と大久保という登場人物に最後まで違和感を持ち、そしてそれがきっと私一人のものでないことは、上述の司馬作品人気アンケートからも推し量られる、というこの度の読書でありました。 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 本ブログ 読書日記
2020.09.20
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『羅生門・鼻・芋粥・偸盗』芥川龍之介(岩波文庫) とうとう4回目になってしまいました。何が何でも今回はまとめねばなりません。がんばります。 前回の林先生の最初の問いかけは、「なぜ下人は羅生門の下にいたのか」ということでした。 この度、一緒に他の人の論文を読んでいたら、たまたま書いてあったのですが、「羅生門」の舞台である平安時代後期に、京都で、最下層の人々が集まっていた地域は二か所あったということです。 四条加茂河原と五条の橋の下の難民群 しかし下人はそれらの場所に行っていないんですね。その代わり、死体がごろごろ転がっている羅生門に、吸い込まれるように近づいていきます。 そして夜になり、一晩眠れそうな場所について考えたとき「上なら、人がいたにしても、どうせ死人ばかりである」と考えて羅生門の階段に足を掛けます。 この場面について、我々は何となく見落としていたように思いますが、下人のこの感情は確かにかなり異常であります。 しかし芥川は、この死体の中で一緒に眠りたいという異常心理を、異常を異常と意識しない死に傾斜した男の精神状態を、この後何も追求せず語っていません。 作品中の時間を少し巻き戻します。 羅生門の二階に上がる前に下人が考えていたのは、四、五日前に職を失い、明日の暮らしをどうすればいいかということですが、ここの語り手の説明が実に回りくどく、また行きついたところが釈然としません。 さらに下人はこう考えます。 どうにもならないことをどうにかするためには手段を選んでいる時間はなく、残された選択肢は盗人になる以外はないとはわかっている。しかし、それを積極的に肯定できない、と。 ここの本文の描写はこうなっています。 下人は、手段を選ばないということを肯定しながらも、この「すれば」の片をつけるために、当然、その後に来るべき「盗人になるよりほかにしかたがない」ということを、積極的に肯定するだけの、勇気が出ずにいたのである。 林先生は、この部分を作品の前半のクライマックスであると捕え、そして乾坤一擲の指摘をします。 「勇気」ということばに、何かおさまりの悪さが感じられる うーん、これも、言われれば大いに納得する指摘でありますねー。 そしてこう畳みかけてきます。 本来、下人の性格に認められる「死に傾斜した気分」は、彼の行動不可能性と無縁のものではないはずだが、楼に上って後、老婆とのやり取りの中で突然「善」「悪」のモラルの問題が前面に出てきたせいで見失われてしまった、と。 しかし上記に引用した「積極的に肯定」できない距離とは、実は読者の感覚でいえばほとんどわずか一歩にすぎないものではないでしょうか。(言われてみれば大いに納得できるこの「違和感」は、実に重要であります。) にもかかわらず、下人の実感に密着する形で芥川は、それを無限大に近いものとして語っていきます。 この後半の展開こそが、すわりが悪いにもかかわらず書かれた「勇気」の理由です。 この伏線の許に、後半の下人の心理がただ一歩の距離を越えるという展開の焦点として、語り手は「勇気」の言葉を最大限に利用しています。 しかし上述したように、下人の気分が「死への傾斜=生の意欲の喪失」の反映であるならば、「勇気」の言葉による「行為」への跳躍など、問題の性急な単純化にすぎません。つまり後半の展開は、前半の逡巡をなぞったように見せて、しかしそこには奥行きも幅の広がりも新たに提示するものはありませんでした。 これは結局のところ、芥川が、下人の性格にかかわる問題の本質を把握していないということであります。 あるいは執筆当時の個人的感覚の要求(=自己解放の叫び)に、本来の彼が温めていた(であろう)テーマがねじ曲げられた結果であったともいえましょう。 ……という論文でありました。 読み終えて私は、今まで「羅生門」の作品的欠陥について書かれた文章を読んだことがなかったことに気づきました。 しかしそもそも、「羅生門」は23歳の大学生が書いた小説ですからねぇ。 そんな意味でも、今回のわたくしの「羅生門」を巡る小さな「学習」は、とても面白かったです。 なるほど、対象作品を絞りこんで、そしてそれについて深く調べるという読書は、普通なら見落とすような細かな表現の「凄さ」がわかって、なかなか面白いものであります。 あ、最後にもう一つ。 これも有名な「羅生門」の結語の改稿(※)について、林先生は、「自己解放」のテーマを抑え「死への傾斜」の方へ揺り戻しをしたものだと指摘しています。 さらにこの改稿は、大正4年に発表された本作が、大正6年5月雑誌「白樺」に発表された志賀直哉の「城の崎にて」(これこそ理屈で処理できない、気分としての死への傾斜を最も鋭く描いた小説)に影響を受けた結果(改稿された「羅生門」は、大正6年5月刊行の第一小説集『羅生門』収録)ではないかと、……うーん、時期的にはかなりぎりぎり微妙なところですが、これもなかなかスリリングな指摘でありました。 ※初出時の作品の末尾の一文を、芥川がその後改稿したという「問題」。 ◎(大正4年・「新思潮」初出稿) 「下人は、既に、雨を冒して、京都の町へ、強盗を働きに急いでいた。」 ◎(大正6年・第一小説集『羅生門』収録稿) 「下人の行方は、誰も知らない。」 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 本ブログ 読書日記
2020.09.06
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