全3件 (3件中 1-3件目)
1
『夏の葬列』山川方夫(集英社文庫) 今となってはかなり昔、多分例の全国展開古本チェーン店で『海岸公園』というタイトルの文庫本を買いました。新潮文庫でした。 私に作者についての予備知識など全くありませんでしたが、タイトルが何となく気にいったんですね。海岸公園、って何か、港の見える高台みたいな感じがして、どこかロマンティックな感じがしたのでしょうか。 ただ、その頃私は割とそんな文庫本の買い方をしていました。 新潮文庫の場合は、裏表紙に内容の紹介文があり、それを読めば何となくわかるんですよね。いわゆる純文学系の小説だろうなって。 ところが、実は今に至るまで私は『海岸公園』の文庫本を読んでいません。 でもその間、作者山川方夫についてはちらちらと調べたりしました。 雑誌「三田文学」の戦後の一時代を築いた名編集者で、江藤淳に名作『夏目漱石』を書かせたのは彼である、とか。 その後、自らも小説を書き始めるようになり、何度か芥川賞の候補にもなり、いよいよこれからという時に交通事故で亡くなってしまった作家だと。 しかしいつの間にか、いつか読むはずで買っておいた『海岸公園』の文庫本は、私の書棚のどこかに紛れてしまってそしてン十年、この度また例の古本屋で見つけました。 ただしタイトルは変わっていて『夏の葬列』。集英社文庫。 私は、あ、あの山川方夫だと知って思わず買ってしまいました。 奥付を見ると1991年に第1刷で、私の買った文庫本は2012年の13刷です。 あ、結構コツコツと売れ続けている作家なんだなあ(平均約2年ごとに1刷の増刷というのは、実は私は、それなりに売れているのかほとんど売れていないのか、ちょっと判断しかねるのですが)と、知りました。 で、読んでみました。 6篇のショートショート小説、3篇の短編小説が収録されています。「海岸公園」も約70ページ、この中では最も長い小説として入っていました。 ショートショート小説というのは6ページから13ページくらいのお話です。 でも、申し訳ないながら、私にはショートショート小説の面白みというのが、今一つよくわからないのですね。 例えば芥川龍之介の『蜜柑』は、やはり6ページくらいの長さでしょう。言わずと知れた名作です。 森鴎外の『じいさんばあさん』もそれくらいの長さじゃないでしょうか。やはり名作です。 いえ、そんな大文豪の作品と比べるのはルール違反じゃないかという気はします。そうかもしれません。 それに考えてみれば、芥川の『蜜柑』も鴎外の『じいさんばあさん』も、そもそもショートショート小説とは言いませんわね。(言わないでしょう?) とすると、ショートショート小説という言い方の中に、すでにある種の小説のジャンルを示す属性があるのかもしれませんね。 私はそれに、ちょっと馴染んでいないのかもしれません。 ただ、この山川方夫のショートショートは、全体に、いかにも暗いです。(何もわかっていないながら、ショートショートにこの暗さはいかがなものか、と。) そしてこの暗さは、次の3篇の短編小説にもそのままつながっています。 それと、なんと言いますか、この一冊の文庫本に収められた作品からだけで判断するのは軽率ではないかとも思いますが、ここに収められている作品群は1960年前後に書かれたものです。 今から半世紀くらい前の作品で、そして、えー、まー、ちょっと、古臭い感じがしないかな、と。 (私は、我が家の書棚をひっくり返して、どこかに雲隠れしてしまった新潮文庫を探し出して、せめてもう一冊読んでから感想を述べるべきだったかもしれませんが。) いえ、これは私の読み違いなのかもしれません。(ただ、こういうことって結構あるように思います。つまり明治文学は古臭く感じず、半世紀くらい前の作品に古臭さを感じるという感覚のことです。) 家族の在り方の葛藤とか、十代の男子のシニカルな内面とかが描かれていますが、そしてそれらのテーマは確かに古今東西不変のものでありましょうが、しかしそのテーマを小説として書くというのは、やはり特別な工夫が必要だと思います。 作品世界の背景にある風俗のさばき方のせいでしょうか。 いえそんな、時代の風俗のせいというよりは、何気ない空気のような日常の感覚でありながら、しかし微妙に時の中で違ってきているもの、その違和感を、なにか皮膚のささくれのように感じている気がします。 それは例えてみれば、テレビ番組で、30年~40年くらい前の街行く男女を見た時の感じ。……。 本文庫本の解説に、山川の作品は、梶井基次郎や中島敦のように、マイナーポエットとして今後も長く読み継がれていくのではないかとありましたが、これも、うーん、どうでしょうか。完成度と言ってしまうと、あまりに身も蓋もない気はしますが。 でも、やはり長く読みづがれるかもしれません。 今回の私の一冊だけを取り上げた読書報告としては、申し訳ないながら、なかなかそうは読めませんでしたが。難しいものです。 付記・あの『海岸公園』の新潮文庫はどうなっただろうと、わたくしその後気になりまして、意を決してホコリまみれになりながら書棚をひっり返してみましたら、出てきました。 驚いたのは、新潮文庫『海岸公園』に収録されている短編小説は6篇で、そのうち「海岸公園」以外は集英社文庫版と全く異なった短編小説だったことです。 さらに、裏表紙の裏に同作家の新潮文庫作品が書いてあって、もう一冊『愛のごとく』という文庫本が出ていたことを知りました。 なるほど、確かにこの度読んだ集英社文庫の解説にも、『山川方夫全集』全5巻という記載がありましたが。 (しかし全集全5巻というのは、もちろん1巻のページ数にもよりますが、梶井基次郎や中島敦の全集より多いではありませんか。こちらは共に筑摩出版で全3巻ですのに。) よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 本ブログ 読書日記
2020.11.28
コメント(0)
『谷崎潤一郎 性慾と文学』千葉俊二(集英社新書) 以前より何度か本ブログで書きましたが、私は、大学は文学部というところに大昔通っていました。そこで、まー、何年か何となく通っていたら卒業せよと言われて、卒業したんですね。その時の卒論のテーマが、谷崎潤一郎でした。 なぜ谷崎だったのか、今となっては忘却の彼方の出来事ですし、谷崎を選んだことでその後の私の人生が大きく変化したわけでもなかったので、はっきりどうでもいいような話ではあります。でも、今回の読書報告のように、谷崎作品や、谷崎がらみの本を読むと、やはり何となくあの頃を思い出し、そして、谷崎文学とは何だったのだろうとぼんやり考えてしまいます。 本書には、何種類か、谷崎文学とは何かをまとめた表現が出てきます。 たとえばこれは、有名な、伊藤整が書いた文です。かつて谷崎と言えば「思想のない作家」と言われていた頃に発表されました。 肉体の条件において倫理的であることは、如何にすれば可能であるか、また如何に不可能であるか。これが谷崎潤一郎という作家の本来の思想の問題であった。 ふむ。「肉体の条件において」というのが何だかよくわかりません。また、「倫理的」という語が本当に谷崎文学を表す言葉としてふさわしいのかについて、これはもっとよくわからない気がします。(まー短い引用ですから。) もちろん、本書の作者自身による、谷崎文学とは何かの短いまとめも、いろんなところに書かれてあります。例えばこんな感じ。 文壇デビュー期の『刺青』、『麒麟』以降の谷崎の作品は、すべてが「性慾の解放」の文学だったといっていい。 (略)以後の谷崎には、その「堕落」と、社会的に「悪」と認定される行為とを、芸術的にどのように救済するかということが大きな問題となる。 若いころの谷崎作品の最大の特色は、みずから制御しきれない欲望に振りまわされる身体をもった人間の悲喜劇を描くところにあったといえる。 こんな感じなのですが、基本のトーンは、伊藤整の切り口と同じですね。 まー、谷崎文学とは何かというような大上段からの問いに対しては、こんなまとめでいいのかなとも思います。(あまり大きい問いかけは、答えの方も少しスカスカにならざるを得ないところがあるように思います。) しかし実際に谷崎の小説を読んでみると、それも、天才的な文章表現を読む快さを一応脇に置いておくと(そんなことしてまで読む意味はあるのかとは思いますが)、後に残っているものは、例えば『刺青』なら「傷害罪、監禁罪、麻酔剤の取り扱いにおいて薬機法違反、ストーカー規制法違反、東京都の淫行条例違反」(本文の表現)となります。(……うーん。もちろんここまでは言いすぎですがねー。) 身も蓋もないいい方ですが、「早い話が、日本の男子の恋愛は何処迄もあの卑しい「スケベイ」と云ふ言葉に尽きる。」(谷崎作『恋愛と色情』の削除された草稿部分より) しかしそんな「スケベイ」なことを書いていた谷崎自身が、やはり大いなる苦闘をしていたことも事実であるようで、例えば私は、本書を読んで初めて知ったたくさんのことの中で、下記の事実に衝撃を受けました。 雨宮傭蔵『偲ぶ草 ジャーナリスト六十年』には、木下杢太郎から聞いた話として「谷崎がカストラチオン(去勢)をやってくれといってきかず、皆で止めて漸く思いとどまらした」ということが記されている。 そしてこのように作者はコメントしています。 谷崎は霊肉一致の境地を希求しながら、それがたやすく得られないところから恋愛と色情とをそれぞれに分けて考える傾向があった。が、その矛盾が露呈して、身と心がバラバラになることに堪えられず、にっちもさっちも行かなくなったとき、自己の身を滅ぼしても観念の世界において理想の女性を愛しつづけたいという願望があったようだ。 なるほど。そういわれれば、去勢願望は『春琴抄』の佐助の自らの眼を潰す行為と同一の地平にあるような気がしますね。 ともあれ、そんな谷崎論が書かれてあります。 「性慾」というものの本当に難儀な姿が、文学的才能も偉大なら「性慾」も「歪」に偉大であった作家について考察されています。 もちろん面白くはありましたが、例えば谷崎の『鍵』を読んで、読後感が爽やかとは言い難いように、本書の考察された内容も、人間の存在の本質を暗示するかのように、何といいますか、やはり重苦しいものがあると感じました。 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 本ブログ 読書日記
2020.11.15
コメント(0)
『恋する原発』高橋源一郎(講談社) まず冒頭に、献辞のような形で2ページ、各2行ずつで、こうあります。 すべての死者に捧げる……という言い方はあまりに安易すぎる。 (「インターネット上の名言集」より) 不謹慎すぎます。関係者の処罰を望みます。 ――投書 続いて、「前書き」あるいは「緒言」のような形でこうあります。 いうまでもないことだが、これは、完全なフィクションである。もし、一部分であれ、現実に似ているとしても、それは偶然に過ぎない。そもそも、ここに書かれていることが、ほんの僅かでも、現実に起こりうると思ったとしたら、そりゃ、あんたの頭がおかしいからだ。 こんな狂った世界があるわけないじゃないすか。すぐに、精神科に行け! いま、すぐ! それが、おれにできる、唯一のアドヴァイスだ。じゃあ、後で。 実際にはさらにこの3ページの文は、字のフォントや大きさが、細かく異なっているのですが、それは省略いたします。とにかく、これだけのページを使ってから本文が始まります。ざっくり、その話の主人公を紹介しますと、中年のアダルトヴィデオの監督であります。 その主人公が、東日本大震災のチャリティーのAVを作るというのが、簡単なストーリーです。 今から作ろうとするAVのアイデアや、AV現場の様々な人物のエピソードなどが絡んできて、まず一本の線を作っています。そこに現れるエピソードは、ウンコの話てあったり、老人の性の話であったり、そしてダッチ・ワイフの話であったりします。 筆者はかつて、やはりAV現場の話を小説にしていましたし、作中の一挿話としてもAV監督の話を書いていました。(田山花袋がAV監督をしている話なんかがありましたね。) だからというわけでもないでしょうが、ぐいぐいと引っ張って読者の琴線に触れるようなところに落としていく話は、こちらの「本線」にあります。(また、この手の話は実際コミカルにリリカルに描いていくと、「やがて悲しい」感覚に身につまされるように導かれて行きます。) しかし、もう一本の「本線」がこの小説にはあって、その中心に位置するのは、まず原発事故によって表面化した我が国の原発政策であります。 その他にも、第二次世界大戦における日本軍兵士たちの苛烈な境遇であったり、ヒロシマ原爆の話、そして天皇並びに「ヤスクニ」神社の話、といった事柄に対する激しい告発が描かれています。 これは本書に限ったことではありませんが、以前よりそして現在に至るまで、筆者は文学の立場から、社会変革のための警告や告発を持続的に発信しています。 本書においても、そんなストレートな表現があります。例えばこれ。 文学というものは、これまでもずっと、気の遠くなるような長いあいだ、それを読む人びと、彼らが属している共同体の「倫理」を語ってきた。その共同体が危機に陥るとき、それはもっとも甚だしかった。 実は私は、本書を読んでかなり感心したことがあるのですが、本書の初出が2011年11月号の「群像」であると記されていたことでした。 2011年3月11日に大地震・津波が起こり、原発事故が起こり、特に原発事故の部分については、11月と言えば事故そのものがまだリアルタイムで持続している最中ではありませんか。 そんな時に(なるほど、そう知ってしまえばかなり「荒っぽい」感じのする展開もあるとしても)、これだけの作品はそうざらに書けるものではありません。 何より、筆者の書くことへの強烈な意志力を感じさせます。 冒頭で、私はこの本の「献辞」「緒言」を挙げました。 本書のストーリーは、殆ど荒唐無稽のようなセックスにまつわる滑稽で恐ろしくも悲しいエピソードが続きます。(この部分の面白さについても上述しました。) そんなこんなの思いつく限りの工夫を凝らして韜晦し、そして初めて、大声で原発を巡る我が国の様々な政治的状況を告発する筆者の姿には、私は、純粋に素朴に頭が垂れる思いがしました。 独立した文学作品としては、あるいは色々と「傷」のある小説かも知れませんが、私は、感動したといって間違いはありません。 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 本ブログ 読書日記
2020.11.01
コメント(0)
全3件 (3件中 1-3件目)
1