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2017.05.28
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カテゴリ: 昭和~・評論家

『ペルソナ――三島由紀夫伝』猪瀬直樹(文春文庫)

 ……えーーっと、この著者の御職業はいったい何ですかね。
 「物書き」でいらっしゃることは間違いないとして、天皇について書いていたり(『ミカドの肖像』『天皇の影法師』あたりですかね。内容については、今となってはどちらがどちらかほとんど記憶にないのですが、少なくともどちらかはとてもスリリングで面白かったように覚えています。)、本書の三島由紀夫とか、太宰治と井伏鱒二について(太宰・井伏については『ピカレスク』ですね。これは、太宰の部分はあまり覚えていませんが、井伏の部分はとてもとても面白かったです。)、あと、読んでいないのですが、菊池寛とか川端康成について書かれた本もあるようです。

 で、この方の御職業は何だろうかと考えるのですが、文芸評論家という括りには入らない感じですよね。
 ふと思いついたのは、沢木耕太郎と近いんじゃないかという事で、確かあの方も『テロルの決算』(これもなかなかの名著ですねー)とかの一方で、檀一雄のことを書いた『檀』(この作品はあまり印象に残っていません。タイトルがすごいといえばすごいですね。)などをご執筆で、なるほど似てますよね。

 そして沢木耕太郎の場合はわたくし、「ノンフィクション作家」という、まー、レッテルを自分の中では貼っておりますので、この猪瀬直樹氏もそうであろうと、まず理解します。

 「まず理解」なんて奥歯に物の挟まったような書き方をしたのは、例の件のせいですね。
 あの、2013年に東京都知事を辞職した際の一連の出来事。

 ひょっとしたら少し失礼な言い方になるのかと逡巡しますが、わたくし西日本に住んでいるもので、この方の東京都知事としての実績についてはほとんど理解しておらず(それは住んでいる地域のせいではなく、単に私が政治音痴であるためでありましょうが)、だからあの時テレビで再三放映されていた鞄を使ったパフォーマンスのことしか知らず、上記にも触れているように、それまで私はこの方の著作を何冊か読みそれなりに感心をしていたのに、この方はいつの間に「鞄芸人」になっていたのだとあきれました。そして失礼ながら、こんなことわざがふっと浮かんだんですね。

「九仞の功を一簣に虧く」

 このことわざは、わたくし以前より知っていました。でも実際の処どんな状況下で使うものかよく知らなかったのですが、私はこのことわざが浮かんだ時、思わず「うーん」と唸りましたねぇ。なるほどこのことわざは、この一連のパフォーマンスのためにあったようなものだったんだ、と。

 とまぁ、そんな思いがあったので、初心に戻って(?)この方の職業名探しを冒頭に書きましたが、本作は筆者が九仞の功を虧く以前の著書で、むしろ上記に触れた『ピカレスク』のように面白かったです。

 三島由紀夫の自死についてはすでに半世紀になんなんとする過去のことでありながら、今でも五月雨式に書籍が出ています。本書は1995年「週刊ポスト」に連載された作品なので、三島事件から四半世紀という区切りの良さもあって書かれたのかもしれません。
 450ページもある本書ですが、実際のところ最終的には、あの事件の謎を追うという内容になっています。

 そんな本書のオリジナリティは、三島由紀夫の父親、そしてその父親(三島の祖父)に大きく注目したところにあると思います。
 以前より三島の母親並びに祖母については様々な伝記的指摘があって、三島文学への影響関係が説かれていました。しかし父方の家系と三島文学の関係を説くというのは、なるほど新たな視点であると思います。

 そしてそこから何が読み取れるのかというと、晩年の三島が再三述べていた日本の「戦後民主主義社会」への「嫌悪感」が一種の欺瞞であるという理解です。
 説かれてみれば当たり前なのですが、「戦後の民主主義社会」とは厳密にいえば「戦前から連綿とつながっているレッテルだけを張り替えた官僚社会」であるということで、三島ははっきり、これをこそ嫌っていると宣言すべきであった、と。

 しかしそんな宣言が彼にとって矛盾に満ちているのは、三島の家系が、短期間ではありながら彼自身が大蔵省官僚であったことも含めると、三代にわたっての官僚家系(それもはっきり言うと充分な出世ができなかった官僚家系)であったことから明らかです。

 そしてもう一点の本書のオリジナリティは(これは厳密にいえば本書のみの指摘ではなさそうですが)、三島由紀夫が「誤診」によって徴兵を免れたということ、そしてその時、まさに三島の家族は本人を含む全員が驚喜したという事実であります。

 自らの直近の死を前提に作品を綴っていた者が思わず命拾いをしたものの、その際の「死からの逃走」の記憶が、彼にとってその後長期間にわたる自己破壊衝動を伴う「後ろめたさ」の源泉であったろうことは十分理解できます。
 また三島の天皇理解についても、天皇も自分と同様の後ろめたさを抱いているべきだという視点から生まれたものだと説きます。なるほど『英霊の声』に見られる天皇観はまさにそのように読み解けます。

 最後に、本書にも少し触れられていますが、三島由紀夫が太宰治に会いに行った時の有名なエピソードがありますね。
 三島は何人かの友人と太宰に会いに行くのですが、その場で「私はあなたの文学が嫌いです」と言ったといいます。それを受けて太宰は「嫌いだというけれどもこうして会いに来ているのだから…」と返したと。

 三島は他にも太宰文学への嫌悪を何度か書いていますが、本書を読んで私が思ったのは、結局のところ三島の自死は「自殺衝動」のあるなしというところにかなりの原因が読み取れるようで(突き詰めるほどに彼の自死に政治イデオロギー的なものがなくなっていきます)、だとすればそれは、間違いなく太宰治の「自殺マニア」と同根のものでありましょう。
 つまり三島は太宰に対し、同病相嫌った、ということですかね。……。


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Last updated  2017.05.28 13:06:01
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Comments

シマクマ君 @ Re:思っていたよりも「重く」ない(02/21) 純文さんへ  あたたかいお返事ありがとう…
analog純文 @ Re[1]:思っていたよりも「重く」ない(02/21)  シマクマ君さんへ。  おや、思わぬお方…
シマクマ君 @ Re:思っていたよりも「重く」ない(02/21)  いつも読ませていただいてます。あのせ…
analog純文 @ Re[3]:無理筋仮定を考えてみる(12/28)  七詩さんへ、重ねてのコメントありがと…
七詩 @ Re[2]:無理筋仮定を考えてみる(12/28) analog純文さんへ 私もときどき読書日記を…

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