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analog純文

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2025.06.14
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『サンショウウオの四十九日』朝比奈秋(新潮社)

 病気の主人公の小説というのは、昔からけっこうあるといえばありますよね。よく考えたら、多分いくつも挙がってくるように思います。
 その病気も、身体のものと精神のもの(一応分けるとして)、がありますね。

 ちょっと、いわゆる「純文学」に、対象を絞ってみますね。エンタメ小説まで、例えば推理小説なんかを含んじゃうと、特殊な病気を持つ主人公や登場人物のストーリーなどは、一気に増えそうな気がします。

 ということで、純文学小説で病気の主人公の話を、身体・精神それぞれ私が思う代表的な作品を、ひとつづつ挙げるとこんな当たりでいかがでしょう。

「檸檬」梶井基次郎・「死の棘」島尾敏雄

 と、挙げたところで、なぜこんな話になっているかの理由めいたものは、何も申し上げていません。
 要は、今回読書報告する小説には、何というか、やはり特異な病気(本文中にはその出生確率を「50万出生に1組」とし、「人口が何十億人もいることを考えれば」「たいしたことではない」と書いていますが)の話になっており、私がこの度特に興味深くスリリングに読んだのは、その病名(文中には「病気のようには思えない」との表現もありますが)が明かされる冒頭から32ページ目までの部分であります。

 この物語の発端の部分は、実に様々な小説的工夫がなされていて、とても面白かったです。そのうちのいくつかの個所を、ざっくり挙げてみますね。

 物語巻頭を数行読むと、地の文中に「私」の語が出てきます。読み手はここで、「私」の一人称文体小説なんだなと思います。
 母親とのやり取りが少しあって、「実家」という舞台設定や、「妹の瞬」、母親のせりふの中に「二人」という語などが出てきます。
 「私」の性別はまだ書かれていませんが、すぐ後に十年前の成人式の振袖カタログの話が出てくるので、姉妹の話だろうと類推できます。

 しかしこのあたり(本文に入って3ページ目)で、最初の変な表現が出てきます。「妹の瞬」が、主人公たちの居住地域の十年前のグルメ雑誌を見ている場面の地の文です。

 無くなった店の写真を観ているうちに瞬はひどく懐かしく感じて、胸に沁みてくる心地のままに、
「あぁ、懐かし」
 実際に声に出してからラックに戻し、かわりに私は隣の振袖のカタログを手に取る。

 どこが変なのかお分かりになりますでしょうか。
 地の文の視点=主観の混乱が見られるんですね。
 地の文は「私」の一人称、つまり私の心理を主観にして自分の動作や見聞きしたことを綴っていく形を取っているはずなのに、声に出した「妹の瞬」の心の中の説明が、直接地の文に書かれています。これは、「私」には分かるはずのない(あるいは類推の)もので、この描写は、基本的に、小説のイロハに反しているでしょう、と。

 ところが、私は最近、そんな小説のイロハなんてどこ吹く風という小説に、連続して二冊出会ってしまって、ちょっと、戸惑っていたのであります。
 それは、どちらも逆の表現、つまり、三人称文体なのに、何の断りもなく(例えば間接話法や直接話法的な描き分けもなく)登場人物の一人称心理が地の文に頻繁に出てくる小説です。(ただ、こちらのほうが、作者がそう書きたい気持ちはわかるような気はしますが。)

 私は読んでいてちょっと気持ちが悪かったのですが、それはいわば「エンタメ系小説」であったので、納得とはいきませんが、流行りの傾向なのかなと思っていました。

 それと同種のものが、純文学系小説にも出てきたか、と。(純文学系小説でも、「実験小説」的なものには、以前から似た試みはあったような気はしますが。)

 ともあれ、そんなことを考えながらさらに読み進めていくと、なんかぼそっとした感じの「私」の父親が登場してきて、父親の兄弟、つまり主人公にとっては叔父の、生まれたころの「病気」の話がだらだらした感じで続いていきます。

 実はこの話が、この小説の核となる一つ目の設定となっているのですが、簡潔にまとめると、赤ん坊だったころの叔父(名前は「勝彦」)の「病気」が、胎内に(多くの読者がここで同じイメージで思ったでありましょう)手塚治虫の『ブラック・ジャック』の「ピノコ」と同様の胎児を宿していることであったというものです。

 そして、手術をして胎内から取り出したという説明の次の行の表現に、読者は思わず「あっ」と(少なくとも私は)驚きます。こうあります。

​ そういった面倒を片付けている間に、勝彦さんから取りだされた父は猛烈な速度で大きくなっていき、数か月で新生児治療室から出ることができたらしい。​

 突然現れた「父」の語に驚くんですね。
 あ、これは、ぼそっと描かれていた主人公の父親の話なんだ。(父親がピノコなんだ……。)
 父親(とその兄弟)は、そんな数奇な出生をしていたのだ、と、読者は(少なくとも私は)俄然興味深く思います。しかし、そのことは、上記に書いた「変」な一人称文体の説明にはなっていません。

 相変わらず、気にしだすとかなり気になる主観の混乱表現はこの後も現れますが、かなり異様な父親の誕生の話がやはり伏線めいたものになって、読み手である我々は、徐々にひょっとしたらと考え始めます。
 私が考えたのは(多分多くの読者も同様だと思いますが)、二重人格主人公ではないかということでありました。

 ……と、いう風に読んでいき、その「謎解き」が示されるのは32ページ目であります。しかし、それをここに書くのはやはり反則かなと思います。

 ただ、本小説は、芥川賞受賞作でもあり、それなりに高く評価されています。その評価は、この「謎解き」の後の展開にこそあるのでしょう。

 例えば本文には、いかにも32ページ目までで作り上げた物語の設定に則った、「意識はすべての臓器から独立している」「意識が融合してしまえばどうなるのか」などの問いかけが描かれていきます。

 しかし、私としては、個人的にこの先に描かれている内容については、申し訳なくも、やや消化不良に思えました。
 大きなテーマに挑もうとする筆者のその心構えは、十分諒とするも。
​​​
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Last updated  2025.07.02 08:22:35
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Comments

シマクマ君 @ Re:思っていたよりも「重く」ない(02/21) 純文さんへ  あたたかいお返事ありがとう…
analog純文 @ Re[1]:思っていたよりも「重く」ない(02/21)  シマクマ君さんへ。  おや、思わぬお方…
シマクマ君 @ Re:思っていたよりも「重く」ない(02/21)  いつも読ませていただいてます。あのせ…
analog純文 @ Re[3]:無理筋仮定を考えてみる(12/28)  七詩さんへ、重ねてのコメントありがと…
七詩 @ Re[2]:無理筋仮定を考えてみる(12/28) analog純文さんへ 私もときどき読書日記を…

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