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2016年05月24日
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久しぶりに書いてみました。 そのうちまたちゃんと書いてみたいです。
2011年01月19日
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遅くなってしまいましたが、8/8-10までの間、私の実家のある滋賀県へヨメさんと二人で行ってきました。8月10日: 3日目。まず朝早起きして、5:22の日の出を見てみようかと挑戦しましたが、残念ながらどんよりした曇り空。昨日のうちに延暦寺行っておいてよかったと思いました。 そして朝6時から始まる温泉に入り、気持ちのいい朝風呂体験。外は雨ですが露天風呂もいいもんです。 そして私たちは、旅亭紅葉での宿泊プランで「朝食付き」をとってましたので、指定されたレストランで朝食を摂りました。結構いい感じの朝食でよかったと思います。 朝の用事をてきぱきとこなし、8時半にはチェックアウトしてしまいました。 今日は、まっすぐ横浜に帰るだけです。 私のカーナビは2003年に購入したとき以来データを変えてないので、遠くへ車旅行する際には事前にインターネットでのルートチェックが欠かせません。 今回も大津から横浜まで帰るには「名神→新名神→東名阪→伊勢湾岸→東名」のコースが一番いいとされましたが、私のカーナビには新名神と伊勢湾岸がありません。 旅亭紅葉のあるところから大津ICまでのナビはさすがだと思いましたが、大津ICから横浜までは「ひたすら名神・東名を走れ」との指示が。 当然新しい道を走るので、草津JCTから新名神に分岐して進むと、カーナビ上の自車アイコンが道も何もないところをひたすら走り、到着予定時間も夜中の0:40と無茶苦茶な表示になりました。 新名神を走っているしばらくの間は、まるで異次元空間をワープしているような感じでしたが、現実の車は、出来たばかりの高速道をスイスイと走っており、雨さえ降らなければ本当に気持ちのいい道だろうなと思って走っておりました。 そして三重県に出て、新しい高速ならではのやたら高い高架橋をわたって、亀山JCTから東名阪道に。ここでカーナビに入っている道路に戻り、再びナビが復活しました。到着予定時間もあまり変わりません。 そして四日市JCTから伊勢湾岸道に。いつもは東名を走っていて、伊勢湾岸道から合流する車にうっとうしさを感じていましたが、今度はそのうっとうしい側に回ることに。 伊勢湾岸道は、伊勢湾岸を走るので、河口間近の巨大な揖斐川や木曽川を渡ることができました。 で、長島スパーランドちかくのPAで一旦休憩してコーヒータイム。 ここのPAはスパーランド遊園地近くなのでさぞかし賑やかかと思いきや、ロケーションがあまりよくなく、かなりつまらんPAでした。客が少ないのもよくわかりました。 再び伊勢湾岸道へ、突如と降りだした大雨も木曽川を渡るとすっかり止んでおり、あの大雨は一体どこにと言った感じ。すぐさま目の前には名古屋港を横切る大橋の橋塔がいくつも見え、まるで鶴見つばさ橋とベイブリッジを渡っている感覚になりました。 そしてしばらくするとまたカーナビが迷走を・・・。伊勢湾岸道が出来てない区間に差し掛かりまた、異次元ワープを始めました。 実際は普通の道路を走っているのに、なんだかワープしている感じでとても不思議な気持ちです。 そんな気持ちも束の間、ついに東名豊田JCTにはいり、いつもの東名道に入りました。やはり東名豊田JCT付近は最近のボトルネックのようで、結構渋滞してました。 そしてその渋滞も終わりしばらくして浜名湖SAへ。ここでちょうど昼食時間になったので昼食をたべ、そのままかえってさらに足柄SAで休憩し、なんとか夕方暗くなる前に横浜に帰り着くことが出来ました。 なんとか無事に帰れてよかった良かった。
2010年08月12日
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遅くなってしまいましたが、8/8-10までの間、私の実家のある滋賀県へヨメさんと二人で行ってきました。8月9日: この日は、ヨメさんのリクエストで比叡山延暦寺を観光することになっており、滋賀県の長浜市から大津市まで移動することに。あと、行く途中に琵琶湖大橋を渡ることも入れました。 移動のルートについて宿舎のフロントさんに聞いたところ、「高速道路を使うよりも、琵琶湖の湖岸道路を使った方が近回りだし快適だよ。かかる時間も少ないかも」ということ。ここは地元の方のご意見を信じて、カーナビに頼らずに湖岸道路を使用することにしました。 カーナビをセットすると、やはり高速道路へ回れという指示。でもそれを無視して、ひたすら湖岸道路を進み大津の方へと向かいました。 途中近江八幡あたりで、カーナビもやっと折れて、湖岸道路を直進することを指示。すると今まで表示していた所要時間が大幅に縮まり、最初高速道路へ回れと指示したときの所要時間よりも短い時間で表示されました。 カーナビざまあみろ! と思いましたが、けっこう安い値段で買ったカーナビなのでまあ仕方ないかと思いました。 道路も快適で、下道にもかかわらず信号がとても少ないので、とっても燃費に優しい快適運転。 目の前遠方に琵琶湖大橋が見えたときは、とてもなつかしいものを感じました。 そして琵琶湖大橋を車で渡ることに。今でこそ琵琶湖大橋は有料の自動車専用道路ですが、路肩を見るとなんとちゃんとした歩道があります。もしかしたら、昔は歩いて琵琶湖大橋を渡る人もいたのかもしれません。 そういえば、私の幼少のときの記憶では、両親と一緒に琵琶湖大橋を渡り、何と橋の一番上で停車して、欄干から下を覗き込んだ記憶があります。そのとき橋がグラグラ揺れていて、ちょっと怖かった記憶も残ってます。今思うと、よく橋の上で停車なんかしたよなと思います。 さて橋を渡ると、右側に大観覧車の残骸が・・・。 車に乗っていたので写真撮影できなかったが、「びわこタワー」という遊園地の廃墟に残っている大観覧車でした。 想像してみてください。だだっぴろい草ぼうぼうの荒地の真ん中に、みなとみらいのコスモクロックがサビサビの状態で建っている姿を。これぞ廃墟という感じでした。 で、ここでヨメさんとマクドナルドをみつけてコーヒータイム。 そこからひたすら大津の市街地に向けて車を走らせましたが、湖挟んだ湖西側は道が混んでいて、ちょっとノロノロ運転。 しばらくするとあの雄琴温泉が・・・。当初雄琴温泉のことを何も知らないヨメさんが、あの街並みを見てちょっと驚いてました。琵琶湖のそばに昔の歌舞伎町があるなんて・・・といった感じ。 そして今日の宿の旅亭紅葉に着きました。昔は「ホテル紅葉」とか「紅葉パラダイス」とか名乗っていたが、いまは立派な高級温泉旅館にリニュアルされてました。 何と到着が午前11時。旅館到着にはあまりに早い時間なので、車と大きな荷物を旅館に預かってもらい、私たちは身軽ないでたちで比叡山延暦寺へ行くことにしました。 旅亭紅葉のあるところはJR大津京駅(前は西大津駅)の近く。延暦寺へはケーブルカーでゆっくりと行きたかったので、最寄は大津京駅近くの京阪皇子山駅がいいとの事。勿論ホテルのリムジン(?)ワンボックスカーで送ってもらいました。 皇子山駅から乗った京阪電車は路面電車仕様のサイズだったので、まるで江ノ電のように可愛いボディでした。で、そこから坂本駅まで乗車。坂本は延暦寺の麓にある町です。 京阪坂本駅から、ケーブルカーの坂本駅までは坂道を10分程度上がることに。 昨日までの炎天下だったら地獄の思いをするはずでしたが、このころ台風4号が発生したので天気の様子が変わり、少々涼しい天気でした。よって登り坂もすこし爽やかな登り坂に。 また、石山の街中の石垣がとても美しく、日本の旧市街をあるいてるようないい気分になりました。 そして高校野球で有名な比叡山高校のそばを通って、ケーブルカーの駅へ。 私たちの乗車と同時にケーブルカーも発車となりました。 このケーブルカー、過去にもテレビの旅番組で放送されて、車窓からの景色のよさが好評だったので、今回乗ることにしました。 乗るときは何と進行方向に対して後ろ向き、スキー場のリフトを後ろ向きに乗る景色を想像してください。 発車すると、しばらく森の木立の中をゆっくりと上がっていきましたが、トンネルを一つ二つと抜けるうちに、眼下には琵琶湖のある景色が・・・。今日はちょっと天気悪かったので、もしかしたら霧の中かもと半分諦めてましたが、大変美しい景色を眺めることが出来ました。 そして、ケーブルカーの山頂駅。山頂駅近くには展望台があり、遠く琵琶湖の湖北まで眺めることが出来ました。 こんなときのためにと持ってきた双眼鏡で遠くを眺めてみると・・・ 先ほど通ってきた琵琶湖大橋やびわ湖タワーの廃墟は勿論のこと、遠く彦根プリンスホテルや、長浜市(米原市?)の湖岸にある会員制のホテルや、長浜ロイヤルホテルも見え、遠く伊吹山の石灰岩採掘場まで見えました。 もっと晴れて空気の澄んだ日はいい眺めも見えただろうと思いました。 さて、ケーブルカー山頂駅から延暦寺の入口までは徒歩8分。ゆるい上り坂を歩きます。 古いアスファルト道路ですが、道の端が少し苔むしており、少し風情があります。 また、麓より5度くらいは気温が低く、とても涼しくて快適でした。 そうやってお寺に入り、早速国宝の根本中堂に参拝しました。 延暦寺は私が小学1年生のときにも町内会の親子旅行で行っており、そのときの記憶が突然よみがえりました。 同じ景色を見たことがあると、突然記憶がよみがえることもあるんだと、少々驚きました。 もうお昼なので、延暦寺会館のレストランで昼食をと思いましたが、用意されている料理がランチとしては少々高級だったのであきらめ、境内の別のところにあるそば屋でてんぷらそばを食べました。 そして後は大講堂、阿弥陀堂、東塔を見て回り、そろそろ帰ることに。 帰りも上手い具合にケーブルカーの発車時間に間に合い、すぐに発車してくれました。ケーブルカーの線路の両側は野生の動物がよく出てくるらしく、今回は左側に猪が走っているのを見つけた人がいました。見つけたかった~! 麓の駅に辿り着くと、気温も一気に5度以上上がっており、ちょっと憂鬱になりました。でもそんな中を京阪坂本駅まで歩くことに。 途中ソフトクリームを食べたりしましたが、坂本の街並みに歴史を感じ、それはそれでとても良かったと思いました。 そして京阪電車で皇子山まで戻り、そこから旅亭紅葉まで歩いてみることに。そんなに街並みが美しいものではなかったが、一軒気になるフランス料理のレストランがありました。 もし、旅亭紅葉の中のレストランの料金が高かったら、そこにしてみようかと思いました。 そして旅亭紅葉に戻り、チェックイン。実は泊まった前の日が琵琶湖花火大会だったようで、旅亭野中は大きな行事の翌日の空いた感じになってました。 部屋に入り一息ついて、温泉旅館ならではの1回目の入浴。琵琶湖の景色を眺めながらの露天風呂も最高でした。 そして入浴を終えてヨメさんが出てくるのを待ったのですが、待ち合わせするところもゆったりと畳と座布団と冷茶のサービスがあったり足湯にも入れたりしてゆっくり出来、とても気持ちよかったです。 さて入浴を終えてホテルの夕食を出してくれるところを色々と見て回ってみましたが、どれも高価。おまけに温泉旅館の食事なので、もの凄い大量であることが予想されます。 ということで、さきほどチェックしたフランス料理屋へ行くことにしました。 ここでは料理の量など的をしぼって注文したので、二人で5200円とけっこう安上がりできました。 そしてホテルにもどり、何と夜の20:40からプチ花火大会をやるとのこと。10分前に会場の庭園に出て、なぜかそこにあるビーチタイプのリクライニングチェアに腰掛けて、ほんの少しの花火を見ることが出来ました。 そして2回目の入浴。一日の締めくくりということで、こんどはサウナに挑戦。すこしばててしまいました。 旅亭紅葉も古くからある温泉旅館でしたが、バブル崩壊後どんどん倒産していく老舗温泉旅館を尻目に、見事にリニュアル成功した数少ない温泉旅館ではないかと思いました。
2010年08月12日
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遅くなってしまいましたが、8/8-10までの間、私の実家のある滋賀県へヨメさんと二人で行ってきました。8月8日: この日は朝早く4時に起き、二人でバナナヨーグルトだけ食べてさっと身支度し、昨日のうちに用意しておいた荷物を車に詰め込んで、5時より少し前に横浜を出発。実にスムーズに横浜・町田ICまで辿り着くことができ、気がついたら6時少し前には足柄SAまで到達し、8時少し前には浜名湖SAまで到達してしまいました。 足柄SAでは昨日買っておいたパンを食べたので、浜名湖SAまで空きっ腹で運転することもなく、富士山もよく見えてとても気持ちよいドライブを楽しめました。浜名湖SAでの朝食はレストランでのバイキング。安いだけのことはあったかもしれません。 で、浜名湖SAからのドライブがちょっと渋滞との戦いでした。 まず、音羽蒲郡あたりから豊田JCまでが渋滞。 そして名古屋ICを過ぎた辺りから、小牧JCまでが事故渋滞! そして一宮JCの辺りでもちょっとした渋滞。 浜名湖SAから岐阜県の養老SAまでは、渋滞との戦いになってしまった。 でもまあ、実家は滋賀県の北部なので、関が原ICから降りて滋賀県に入り、1時間ほど走って到着できるところ。何とかお昼過ぎくらいに到着できて良かった。 実家では墓参りなどしたけど、ちょっと実家では泊まれない状況になっており、長浜市市街地にある国民宿舎に宿泊しました。 宿泊した部屋の冷房設定が悪く、入ったときに部屋がサウナになっていたので、管理人さんに何とかしてもらい、安眠できる温度に下げてもらえました。 なんとか無事に睡眠できて良かったです。 大浴場もあって、広い湯船につかることができてよかった。
2010年08月12日
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今月は何と、月の前半に3つもライブ演奏があり、ちょと大変でした。1つめは、7/4の 横浜大桟橋「風鈴」。 風鈴のハウスバンドに入っており、そのコンサートでした。 曲は主にAOR系ばかり。Sax吹きでもついていける曲ばかりなので、なんとか本領を発揮できました。2つめは、7/10の 溝口「かなっくホール」 自分の会社のビッグバンド・ライブでした。 ビッグバンドは、アレンジの特質上回数を重ねた練習が必要。その分、ライブ後の達成感は一番大きかったかもしれない。3つめは、7/11の 横浜大桟橋「風鈴」 こちらはチリコンカンというなまえのジャズバンドで参加。 ジャズの名曲を並べた演奏だったが、ライブハウスの特質上、激しいアレンジになるものを並べた。とくにまだ梅雨明けしてなかった時期にもかかわらず「枯葉」を演奏したのだが、アレンジは古いR&B風にやった。 7月のはじめの休日ベースで3日連続だったので、かなり疲れたが、結構充足感はあったと思う。
2010年07月20日
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ヨメさんとオルセー美術館展に行ってきました。 場所は六本木の国立新美術館でした。 はじめは東京ミッドタウンの中にあるものだとばかり思ってたら、全然違い、乃木坂駅のほうでした。でも、家が横浜なので、東横と日比谷線を使って、六本木まで行きました。 これが施設の中の風景 でもって、会場内は撮影禁止だったので、撮影してません。 本場オルセー美術館では、フラッシュさえ焚かなければどこでも撮影OKだったのにな。 おまけに、日本の美術館はこれでもかと言わんばかりに会場内は暗い。 最初は気持ちよく絵画鑑賞してたんですけど、そのうちどうしても眠くなってしまう。 ただ良かったのは、会場エリア内にもまとまった休憩室があり、部屋も明るくて外の景色が見えたことでした。 眠くてボーっとなっていた私の脳みそも一気にリラックスしてくれました。 絵のほうは、オルセー美術館がそのままそっくり、、、、なんて美味しいことはなく、主に後期印象派の絵画がほとんどでした。 もちろん、モネの「睡蓮」シリーズの一つ、ゴッホのアルルでの絵画、ゴーギャンのタヒチ島の娘さんたち、スーラの「グランド・ジャット島・・・」の習作品のほうなど、大変有名な絵画を眺めることも出来ました。 で、お決まりの出口直前のお土産コーナーでは、今回の出品絵画をダイジェストで印刷してあるクリアファイルが売ってあったので、それを買ってしまいました。 ゴッホの、ローヌ川越しに街の夜景・水面に映る街灯・夜空の北斗七星が描かれている絵画をあしらったスカーフがあり、大変素敵だったのですが、ちょっと高かったので買うのは諦めました。 さてランチはと。。。喧騒感バリバリの六本木通り沿いのレストランは出来るだけ避け、美術館周辺の住宅街にまぎれて建っている、小さなフレンチのレストランを偶然見つけ、そこに入りました。 最初入ったときは、予約の方で満席と断られてしまったが、近くを一周回ってもこれと言った店がなかったので、もう一度その店にアプローチしたところ、予約の方がいつまで経っても来ないから、お二人どうぞとのこと。これはラッキーと思って席について、ランチを注文しました。 お店は元は麻布のほうにあった高級レストランだったのですが、最近規模を縮小してここに写ってきたとの事。 ランチと入ってもコースランチでしたが、六本木の界隈で1700円でコースを食べれたのでよかったと思いました。 写真はコースの一部。スープとコーヒーは撮ってません。おまけにパンは無料でお替わり自由だったので、フランスのビストロを思い出してしまいました。 オルセー美術館展も良かったですけど、この住宅街の中の美味しいレストランを発見できたのが、一番の収穫だったかもしれません。
2010年06月19日
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この前、5/9-10を利用して、千葉の志駒と言うところへ行ってきました。 とあることから、そこの名水を汲んでくることになり、朝早くの起床。それも4時。 妻と一緒に5時に家を出て高速を走ったら、何と6時にはもう千葉の君津にいました。 朝食はコンビニ弁当で済ませ、下道をひたすら志駒まで。 何故君津で下道に下りたかというと、自分の車についているカーナビでは、高速館山道が君津までしか延びてなく、そこで降りたまで。 どうも志駒まで行く場合は、その先の富津中央ICが一番いいことが判明した。 カーナビはHDなので地図データupdateしようかなと思ったしだいです。
2010年05月13日
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フランス旅行記12日目(2008年7月11日)のつづきです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー私たちは、YCAT、横浜へ帰るバスを待っている。 もう辺りはすっかり暗くなり、わずかに西の空が明るいのみになっていた。 この12日目は飛行機による東方向への移動のため、一日の長さが日本とフランスの時差分だけ短くなる。 あっけなく夜を迎えてしまったような感じがまだ少し残っている。これがじわっと時差ぼけに発展するのだろうか? そのうちバスがやってきた。 私たちは大荷物をバス横のトランクに入れ、バスに乗り込んだ。 少し順番が後だったので、私と妻はおんなじ座席列に座ることが出来ず、妻の方が私のひとつ前のシートに座ることになった。 やがてバスは乗客で定員一杯となり、定刻になって発車した。成田空港のICから東関東自動車道路、首都高速道路を通ってYCATまで戻る。 バスが動き出して5分もしないうちに、前の席の妻の首が揺れだした。あまりの寝つきの速さに感心してしまった。凄く疲れていたのかもしれない。 そのうち私も眠くなり、次に気がついたときはもう、首都高の大井辺りを走っていた。 目の前には懐かしい東京の風景が広がっていた。 やがてバスは羽田トンネル、つばさ橋、横浜ベイブリッジを通過。右の窓越しにみなとみらいの夜景が飛び込んできた。とってもよく見慣れた光景であったが、とても懐かしく感じた。 そしてバスはみなとみらいIC(うーん、記憶が途切れている)を下り、横浜そごう下のYCATに到着した。 私たちは大荷物を転がして横浜駅のほうに向かった。 家へ帰って軽く何か食べたい。 妻と相談した結果、私がコンコースで荷物番をし、妻が駅地下のスーパーでカップの味噌汁を買ってくることにした。 いつもと同じ横浜駅の光景がとても懐かしく、駅のコンコースの明かりがとても明るかった。 そういえば、パリのメトロやSNCFの駅コンコースは、日本よりはほんの少し暗いかもしれない。 そして妻が戻ってきたので切符を買って、駅の改札に入り、京浜東北線のホームに上がった。 程なく京浜東北線の列車が入ってきて、私たちはそれに乗り込んだ。 何て広い列車の車内。 何て明るい列車の車内。 何て安全な列車内の雰囲気。 とっても安心した雰囲気になってしまった。 ドアのそばに建っている女の子は、バッグの口を背中側に回したままで、堂々と車窓の風景を眺めている。 極端な光景かもしれないが、本当に日本の列車の車内は安全だなと思った。 そして京浜東北線は私達の家の最寄り駅に到着。 私たちは大荷物を転がして、自分たちの家に到着した。 幸い家は燃えてなかった。ガスの元栓閉め、不要な電力の遮断、色々やっておいて良かった。 小さな浴室換気扇を回しっ放しにしてよかった。 家の中がいい感じで乾いていて良かった。 何よりも、私達のフランス旅行が無事に終了して良かった。 明日朝か数日間は時差ぼけに悩まされるかもしれないが、この旅の楽しさのお釣りとしておこう。・・・旅行記全部書き上げるのに一年以上もかかってしまいました。 駄文も多かったのですが、自分自身の整理ともなりました。 また、どこか遠くへ旅行へ行った際には、旅行記をまとめていきたいと思います。 読んでくださいました皆様、どうもありがとうございました。
2010年04月19日
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フランス旅行記12日目(2008年7月11日)のつづきです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー私たちは日本に帰ってきた。 TCとユーロ紙幣の日本円への交換が終わり、妻が日本に置き忘れてきた化粧水一式の探索を行った。 空港の落し物管理所に問い合わせたところ、たしかに6月30日に、出国審査の機内持ち込み荷物検査の出口で化粧水一式の忘れ物があり、一週間預かっていたとの事。 残念ながら私たちは2週間近く旅行していたので、預かり期限を過ぎた後だった。 空港での預かり期限を過ぎた落し物はどこへ行ったかと尋ねたところ、近くの警察署に預けたとの事。そこの電話番号を確認し、電話を掛けることにした。 しかしながら、今回2週間の海外旅行で自分の携帯電話から国際電話をかける予定が全くなかったので、公衆電話を探すことになった。 そこで事態は大変なことに。世の中携帯電話文化になってしまったので、今から15年位前のようには公衆電話が林立していない。探すのに一苦労だった。 やっとの思いで公衆電話を探し出し、教えられた電話番号の警察署の拾得物管理担当部署に電話したところ、今日のところはもう受付時間終了で、土日は受け付けておらず、また月曜日以降に来てください、本人が来て下さい、との事。あまりにも素っ気無い返事だった。 化粧水一式は合計すると3000円くらいする。しかし月曜日以降取りに行くとなると、自宅のある横浜から成田までの往復となる。 何万円もする品物を預かっていただいてるのなら、横浜から往復するのも厭わないが、3000程度なら微妙なところだ。妻に取りに行くかどうかを聞いてみたところ、もう諦めたとの事。今回は化粧水には縁がなかったと割り切ることにしたそうだ。 さて、先ほど買ったYCATへ向かうリムジンバスの発車時間を確認しよう。 一応今までの行動は、リムジンバスの発車時間を意識はしていたので、乗り遅れることはない。しかし、もうそろそろバス乗り場に並んでいたい時間になってきた。 リムジンバスの案内所に乗り場の位置を確認し、そこまで大荷物を転がして歩いた。 バス乗り場ではあまり待っている人がいなかったが、程なく人が増えてきた。 そのうち係員と思われる人が現れ、私たちのバス乗車券を確認し、大荷物にタグを付けてくれた。 あとはバスの到着を待つだけとなった。・・・次回に続きます。フランス旅行記は、時に速く時にゆっくり進める予定です
2010年04月14日
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ここんところ慌しく、なかなか更新が出来ません。フランス旅行記12日目(2008年7月11日)のつづきです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー私たちは無事に入国審査と税関をパスした。 ただもう夕方なので、日本円換金などを早く進めないといけない。 あと、帰りの乗り物を考えなければ。。。もう飛行機の長旅でクタクタなので、鉄道ならNEXを考えていた。でも、いつの時間に乗れるか予想をつけてなかったので、YCATへ行く都合のいいバスを探すことにした。 ちょうど40分くらい後に出発する便で、席が空いていた。早速二人分予約した。 少々値が張るが、バス乗り場から横浜までドアtoドアである。 帰りの乗り物を確保できた私たちは、すぐにトラヴェラーズチェック(TC)およびユーロ紙幣の日本円との交換に走った。 最寄の交換所がもうすぐ閉まるところだったが、何とか間に合った。 交換を行ったところ、金額は忘れてしまったが思ったよりも多く返ってきた。 一瞬得した気持ちになったが、こんなに返ってくるんだったらもう少し何かに使っていればよかったという、ちょっとした後悔の気持ちもあった。 ま、旅行と言うものは、贅沢をし始めると湯水のごとくお金が飛んでいくから、どこかで歯止めが必要だと思っている。 それなりにお金が戻ってきたのもよしと考えるしかないだろう。 次は、日本出発日に成田に置いていった妻の化粧液一式だ。 果たして、今どこでどうしているのだろう。。。。・・・次回に続きます。フランス旅行記は、時に速く時にゆっくり進める予定です
2010年04月13日
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フランス旅行記12日目(2008年7月11日)のつづきです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 私達の乗った飛行機はついに日本に到着した。 おかしい事に、飛行機に乗っていたときは眩しいくらいの昼間だったのが、着陸してゲートまで徐行している途端に赤い夕焼けのようになってしまった。 機内では、フランス語・英語・日本語の順番に機長の挨拶があった。 フランス語と英語は機長自身が話していたようだが、日本語はキャビンアテンダントのお姉さんが話していた。 そして、ついにゲートに停車。ファーストクラス、ビジネスクラスの順番にお客さんが飛行機を降りて行った。そして私たちも飛行機を降りた。 長いフランスへの旅も終わりを告げた感じがした。 あとは、無事に家へ帰りつくための手続きだ。 まずはパスポート審査。とてもスムーズに入国が出来てよかったと思う。 次に荷物受け取り。実は私たちが預けたタイミングは、飛行機出発よりも随分前の時間。妻が言うには、随分早く預けた荷物は出てくるのは遅いと言う。 確かに荷物が出てくるタイミングはとても遅く、ちょっとヤキモキさせられた。 でも、荷物が出てくると安心だ。どうやら破損や紛失が発生している状況はない。よかった。 そして荷物を持って税関検査の列に並んだ。特に税がつくような買い物はしてなかったが、旅行中モンサンミッシェルからお菓子などの土産を郵便小包で送っていた。 どうも最近法律が変わったようで、旅行先の国から日本に向けて、小包などの宅急便で、現地購入したものを送った場合、どうも個人輸入と一括りされるとの。空港で用意されている書類に、内容を記入して申告する必要があった。 フロアにいる係官にお土産を送ったことを伝え、その書類の書き方を教えてもらった。 そして書類を書いて、荷物を見せながら税関職員に手渡した。「あとで何か連絡が来るかもしれないから、書類の控えは取っておいてください。」との事だった。 ちなみに連絡は来なかった。お菓子をちょっと送ったくらいなので問題なかったのだろう。 そうやって、私たちは荷物と共に無事に日本再入国・日本帰国を果たした。・・・次回に続きます。フランス旅行記は、時に速く時にゆっくり進める予定です
2010年04月07日
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フランス旅行記12日目(2008年7月11日)のつづきです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーついに日本上空に戻ってきた。日本海側は雨が降っているようで雲が眩しく、ブラインドを閉めてしまった。 妻の見ている日本映画もエンディングになってきて、いい映画を見たようで満足したようだった。 長い飛行時間を体験すると、新潟に到達してから成田上空に到達するのはあっという間で、いよいよ着陸の態勢になった。 飛行機の中の空気は何となくフランスの空気を残しているが、日本の空気はどんな感じなんだろうか? パリを経った時は10日の23時50分ごろだったが、今はもう夕方5時になろうとしている。天空から見る地上の様子は雲が多く、あまりよく見えなかった。 しかし成田から鹿嶋に向けての上空は雲が切れているようで、下界の様子がよくわかった。 飛行機は一旦海の上に出て、滑走路に向けてターンをした。右旋回をしたので、私のいる左側の窓は空一面になり、反対側右側の窓は海一面になった。 そして私の窓に海が見えるころ、飛行機は水平になり、着陸態勢に入った。 いよいよ日本に帰国となる。 自宅は大丈夫だろうか? ちゃんと換気扇回して家を出たから、カビは生えてないとは思うが、どうだろう? 飛行機はずんずん高度を下げ、つい先ほどまで眼下にあった雲が目の上に上がってきた。 成田は晴れていたようである。 下の道路を見てみると、車が左側を走っている。日本に帰ってきたのだと実感した。 そして、足元に軽い衝撃を感じ、着陸。体が前に引っ張られるGを感じて、飛行機が減速してきた。 ついに日本に到着した。 成田に忘れてきた妻の化粧品はどうなっているだろうか?・・・次回に続きます。フランス旅行記は、時に速く時にゆっくり進める予定です
2010年04月05日
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フランス旅行記12日目(2008年7月11日)のつづきです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー私たちは帰りの飛行機の中にいる。しばらく眠っていたようだ。 飛行機の中の睡眠は、とかく浅い。 帰りのエールフランス機も、後ろのほうに軽食のサービスカウンターがあり、そこまで取りに行くことになっている。 10年前のKLM機は、キャビンアテンダントがお菓子やドリンクを持ってきてくれたが、今は自分で取りに行く。 ちょっとサービス悪いかなとは思ったが、歩いたりすることによって、エコノミークラス症候群にかかってしまう心配は少ない。 大体2時間おきに軽食カウンターへ行き、ジュースを飲んだりサンドイッチをかじったりした。 そのうち飛行機がハバロフスクの上空を飛んだ。気がつけば結構寝ていたのかもしれない。もう東シベリア地域だ。 隣では妻がもう起きていて、機内映画を見ている。 行きの飛行機も同じだったが、今ではエコノミークラスの席でも各席に小さな液晶ディスプレイがあり、映画やゲームを楽しむことが出来る。 映画はなかなか楽しい日本映画だった。ここから日本までの間はこの映画で楽しませてもらった。 気がつけば飛行機は日本海上空を飛んでいた。・・・次回に続きます。フランス旅行記は、時に速く時にゆっくり進める予定です
2010年03月30日
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今日からフランス旅行記12日目(2008年7月11日)です。とは言うもの、もう帰りの飛行機の中です。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー私たちは左側の機窓からパリの夜景を見つめ、しばし見とれていた。 見とれているうちに現地時間で真夜中を過ぎた。 そして、飛行機は右に旋回。パリの夜景が遥か下のほうに消えていった。 パリとはしばしのお別れになる。 出張でよく行かれる方はもう何とも思わないのかもしれないが、次はいついけるかわからない私としては寂しい限りだ。 11日間もフランス旅行すると、現地ではさすがに少々日本が恋しくなったが、こうして飛行機でパリに別れを告げると、ちょっと寂しい。 程なく機内の照明が点いた。このまま睡眠と言うわけではなかった。 深夜発の飛行機も、朝発の飛行機も、午後発の飛行機も、もれなく離陸直後と着陸直前に機内食を配ると言うわけだ。 深夜でデブの元にしかならないのと、夕食食べた身としては、、、でもすでに食後4時間程度経過しているか。やっぱり食べよう。 窓から下を見ると、街の明かりが星団のように見えた。 機内食を食べながらも、飛行機の窓の下の夜景が気がかりである。 大きな街の上を通ると、空に向けてのサーチライトに照らされる。ヨーロッパと言えど、夜の明るい街は少なくはないようだ。 そして、機内食を食べながらもアムステルダムの上を通過するのは見逃さなかった。 さすがオランダの首都である。 夜景なので建物そのものを見極めることはとても困難であるが、あの辺りが駅なのだろう、あの辺りに教会の塔があるのでは、などなど興味が尽きない。 それでも飛行機による上空通過はあっという間である。 もういいかと思って窓から正面のほうを見て驚いた。 時刻はフランス時間でまだ午前2:00にもなっていないのに、もう北東の空が明るくなっている。オランダの地上ではまだ漆黒の闇かもしれないが、上空1万1mではもう北東の空が明るいのだ。この辺りの上空10000mは日照時間的には北欧とそう変わらないのかも知れない。 やがて、機内食も食べ終わり、食器等を片付けられると、チーフに当たる機内アテンダントさんから「外が眩しくなりますから、窓を閉めてください」と指示された。たしかにこれから眠るにはかなり眩しい感じだ。 窓をしめ、しばらく眠ることとする。フランスでの思い出を胸に秘め。。。・・・次回に続きます。フランス旅行記は、時に速く時にゆっくり進める予定です
2010年03月29日
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フランス旅行記11日目(2008年7月10日)の続きです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー私たちは日本に向かう飛行機の中にいる。飛行機がCDG空港の滑走路に向けてゆっくりと進みだしたところだ。 どんどんとパリが離れていくような感じがして少し寂しさを覚えた。 私たちが登場したホールFから滑走路まではかなりの距離があるようで、ずっと自動車並のスピードで飛行機は走っていた。 機内ではいつもの通りの、非常口案内・酸素ボンベの使い方などの放送が行われており、機内持ち込み荷物の格納が上手く行っているかどうかのチェックが入っていた。 そのうちなんと室内の照明が落とされてしまった。 深夜発の便は離陸したらいきなり睡眠時間なのだろうか? 飛行機はどんどんと滑走路に向けて進んでいき、やがて滑走路手前に到着すると、一旦順番待ちの状態に入った。 そしてついに私達の飛行機が離陸を開始した。 室内が真っ暗の中、機体がどんどん加速していく。私たちはシートに体を押し付けられた感じになる。 そして次の瞬間、お尻が前に出て、頭が後ろに下がった感じがし、飛行機が離陸した。 もしかしてと思い、左の窓から外を覗いてみると、車窓の遠くのほうからジワリジワリとオレンジ色の光の塊が見えてきた。 その光の塊は、まるで粉砂糖をまぶしたように、飛行機の左側一面を覆っているような感じに見えた。 そして、突然機長からの機内放送が・・・「当機は定刻よりXX分遅れて、パリ・シャルル・ド・ゴール空港を離陸いたしました。 当機の左側の窓より、パリの夜景をしばしご覧になってください。」 そう、このために離陸時に機内の照明を落としたのだ。 そして機体はほんの少し左に傾き、左の窓一面にパリの夜景を見ることが出来た。 機内は真っ暗、機体がほんの少し左に傾いている、おかげで機体の右側の席の人たちもパリの夜景を見ることが出来たのではないかと思う。 さすが! エールフランス航空! 最後の最後に粋なことをしてくれると思う。 次にフランスに来たときも、帰りの飛行機は深夜発にしようと強く思った。 あと、羽田から深夜の国際便が出るようになったら、迷わず深夜便で行くことにしよう。 飛行機は左にパリの夜景を見せながら、グングンと高度を上げていった。・・・次回に続きます。フランス旅行記は、時に速く時にゆっくり進める予定です
2010年03月24日
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フランス旅行記11日目(2008年7月10日)の続きです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー私たちは今、CDG空港のホールFにて、日本へ帰る飛行機AF278便の搭乗開始アナウンスを待っている。 とっくに日もどっぷりと暮れているが、飛行機の離発着は相変わらず頻繁である。 やはりフランス第一番の国際空港なので、飛行機の数も多いのだろう。 私達の乗る飛行機は日本へ帰る飛行機なので、回りにいる人々のうち、日本人の割合もかなり多い。以前モンサンミッシェルへ行ったときや、バトーパリジャンに乗ったときくらいに日本人の割合が多い。 でもツアー旅行の集団はいなさそうだ。ツアー旅行の場合は添乗員の労働時間の問題があるのかもしれない。大体午後の早い時間出発の飛行機にツアー旅行客が多いのではないだろうか? 私も以前ツアーでスイスへ行ったとき、日本へ向けての飛行機は午後3時発だった。 今回の飛行機は23時35分発。 やがて搭乗時間の22時40分になった。しかしまだ搭乗開始のアナウンスがない。予定されるF52ゲートにも、空港係員が誰も出てこない。日本だとたちまち後続の飛行機に影響が及ぶので、こんなことはありえない。深夜便と言うことと、ここはフランスということが効いてきているのかもしれない。 そのまま23時くらいになり、やっと搭乗手続き開始となった。 まずはファーストクラス、つづいてビジネスクラス。そしてやっとエコノミークラスの搭乗開始となった。 回りにいたティーンエイジャー軍団(フランス人)や、社員研修軍団(日本人)も乗り込んでいった。もしかしたら私たちの方が早く乗り込んでいたかもしれない。 私達の予約した席は、エコノミークラスの前のほう、非常口に面した席の一つ後ろの席。実はフランスに来る便に乗ったときと同じ席だ。自宅PCでインターネットを使って予約でき、その際に座席表を見ながら予約できるので、このようなことが出来た。 幸いこの席には窓があり、外の景色が見える。 私の席は進行方向左側の窓際だ。この飛行機が西向きに離陸すると、私の窓からパリの夜景がバッチリ見える算段である。本当にこのようになるのだろうか。 やがて乗客が全員搭乗したことが確認されると、飛行機がゆっくり進みだした。 予定時間より20分近く遅れている。大丈夫かなとも思った。・・・次回に続きます。フランス旅行記は、時に速く時にゆっくり進める予定です
2010年03月23日
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フランス旅行記11日目(2008年7月10日)の続きです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー私たちはCDG空港のレストランで、フランス旅行最後のディナーを終えた。 会計はまだユーロ札が手元に残っていたので、お札で支払った。 そしてレストランを出た。もう外はそろそろ薄暗くなってきていた。薄暗くても時間は何と9時半。フランスの地は夜が来るのが遅い。 九時半なので、搭乗手続きが始まる前に出国手続きを済ませておきたい。 私たちは出国ゲートへ行こうとした。通路が仕切りられているところで空港係員が航空券のチェックをしていたので、見せてあげた。 出国審査官に嫌な思いをさせられる前に、優しい係員が見てあげようと言う配慮なのかもしれない。 係員は私たちが日本へ帰る客だとわかると、「どもありがとう、さよなら」と、日本語で挨拶してくれた。拙い日本語ではあったが、エールフランスのサービスなんだろうと思った。ほんの少し心が温まったかもしれない。 そして私たちは、まずパスポートチェックを受けた。特に何の問題もなく、パスポートチェックを受けることが出来た。 つづいて機内持ち込み荷物&金属探知チェック。係官の手元のアクリルケースには、カッターナイフのほかにハサミも入っていた。切れる工具はもれなく没収と言った感じである。大丈夫なものは鍵くらいだろう。 当然、パリで買ったドライバーも没収されていただろう。事前にスーツケースのほうに移しておいて良かった。 妻もニースで買ったオリーブオイルを、スーツケースの方に移しておいてよかったと思っていただろう。 ただ、私の方は荷物チェックの係官に、風呂敷に包んでいた固形物について質問を受けてしまった。これは妻がニースで買ったマルセイユ石鹸だったので、「これはマルセイユ石鹸です」と、英語で回答した。係官も英語だったのでよかったよかった。 たしかに固形物は少々不審かもしれない。これは仕方ない。 あと私は腰に金属入りのコルセットを巻いていたので、それを外して、金属探知ゲートを通過した。前にも述べたかもしれないが、以前このコルセットをつけたままで函館空港の金属探知ゲートを通過した際、ゲートが感知してしまい。ちょっと通過に時間がかかってしまった経緯がある。それ以来私は、色んなところの金属探知ゲートを通過する際には必ず、このコルセットを外して通過することにしている。 私たちは無事に荷物審査も通過した。今回は成田のときのように荷物を置き去りにしないようにしよう。そうだ、成田に置き去りにした妻の化粧品一式。どのようになっているか、成田に到着した際に問い合わせてみよう。 私たちは余った時間で空港の免税店をちょっと歩いてみた。 どこにでもあるような、酒と宝石と高級衣料品の店ばかりである。 ただ、私はモンサンミッシェルで、モンサンミッシェルの絵の入ったエチケットのあるカルバドスを買いあぐね、今頃になって買いたくなってしまっていた。 免税店の酒屋に入り、ちょっと内部を覗いてみたがカルバドスの在り処がわからないので、店員に片言のフランス語で「カルバドスはありますか?」と聞くと、カルバドスのあるところに私たちを案内してくれた。 たしかに色んなカルバドスがあり、ほとんどがノルマンディ産だった。 しかしモンサンミッシェルのエチケットの入ったカルバドスがなかった。残念。ちょっと買うのを諦めた。 帰り際、店主に「カルバドスは買わないの?」と聞かれ、今回は買わないと応えると、ちょっと残念そうな顔つきをした。 カルバドスと言うより、モンサンミッシェルの絵柄の入った酒が欲しかっただけだったので、今回はいいとしよう。 さて、搭乗までの時間はまだ30分以上ある。ベンチに座っていよう。 通路に不要コインの寄付を求める募金箱があった。 確かに、日本に戻るとコインの換金は出来ない。妻はもうコインは1ユーロもなかったので、残りを寄付にまわした。 私の方はコーヒーを2杯買うくらいのコインがあったので、コーヒーを売っている店を探した。カフェで飲むには足らないコインだったが、ちょうどいい具合に自動販売機があり、2杯買う程度コインもあった。早速2杯買って、妻のところにもって行き、一緒にベンチに座ってコーヒーを飲んだ。 そして余ったお金 1/2ユーロを募金箱に入れた。 あとは飛行機の搭乗を待つだけになった。 いつもはホテルのベッドで眠りこけている時間帯なので、とても眠い。眠いが我慢だ。 ここは空港の出国ゲートの先、フランスとは言えどフランスではないところだ。近場の治安の悪い地区の不穏な輩は来ていないが、最後まで油断はしないことにしよう。 まわりには多くのティーンエイジのフランスの女の子たちがいる。よく聞くと「シブヤ、、、アキバ、、、」と話している。東京へ遊びに行くのだろう。 近くのベンチには日本の企業研修っぽい一団もいた。若い新入社員の研修にパリへ行くなんてどこの企業だろうか? 搭乗時間が待ち遠しいが、今日までの11日間の日々が走馬灯のように私の脳裏を駆け回っていた。 フランスはパリもいいが、地方都市も本当に楽しかった。リヨンとマントンにはもう一回行ってみたいものだ。。。。 搭乗開始までのまったりとした時間が、搭乗待ちロビーの中を包んでいた。・・・次回に続きます。フランス旅行記は、時に速く時にゆっくり進める予定です
2010年03月22日
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フランス旅行記11日目(2008年7月10日)の続きです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー私たちはCDG空港内のレストランで食事を摂っている。 ワインはテーブルワインとは言え、香りがよく味もふくよかだった。 料理はまあまあと言った感じだろう。 今回の料理で、予想に反してとても美味しく、びっくりしたのは、マントンで昼食を摂ったときの「魚のスープ」だった。 南仏と言えばブイヤベースだが、ブイヤベースは仕込みやコストがかさむ料理なので、安く上げたいときは単純な「魚のスープ」でも十分美味しいと思う。 あと、ニースで食べたチュニジア料理のクスクスや、リヨンで食べた料理、特にサラダ・リヨネーズのベーコンやサラダ菜の味わいが最高だった。 前評判どおりの味わいだったのは、モンサンミッシェルのホテル「ラ・メール・プラール」のオムレツだろう。 ただ、日本人旅行者が注意しなければならないのは、そのオムレツが日本で食べるオムレツとは微妙に嗜好が違うことだ。 日本のオムレツは本当に鶏卵だけという味わいだが、モンサンミッシェルのオムレツは多少主食嗜好があるため、卵のほかに小麦粉が混じっているようである。 卵だけの味わいを期待すると、ちょっと期待はずれになるかもしれない。 でも、あのよくシェークしたあとにあるメレンゲ泡は本当にふわふわだった。 ちょっと注意点は、金額がちょっと高いかなと言ったところだ。 食前にシャンパンはどうですかと「まるで無料のように」尋ねてくるが、これがまた高い。気をつけなければならない。 あと、気をつけるべきは、パリの料理だろう。 もちろん美味しいところは美味しいだろうが、地方のレストランと同じ価格帯で同じような味わいの料理を頂くことは困難だろう。 パリは美味しい料理はとても高く、地方のレストランの価値観でどう価格帯の料理に接すると、相当残念な思いをする。 もしかしたら安くて美味しいレストランもあるかもしれないが、決して表には出てこないだろうし、自分たちでパリ中を大探しするしかないだろう。 CDG空港での食事の時間は、まあまあの料理と共にしずしずと過ぎていった。・・・次回に続きます。フランス旅行記は、時に速く時にゆっくり進める予定です
2010年03月17日
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フランス旅行記11日目(2008年7月10日)の続きです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー私たちはCDG空港で、ちょうどエールフランスのカウンターに大荷物を預けたところだ。 ちょうどトイレしたくなったので、再び待ち合わせ場所を決めてトイレに行った。 すぐ近くのトイレが清掃中だったので遠くのトイレになってしまった。 トイレへ行く途中、どこかよその国の人でかなりのお金持ちの人が付き人を従えて歩いているのも見れば、先日書いたように、カモの旅行者を物色している怪しい人も見かけたりした。 空港は大勢の人が利用するが、今日は平日の晩刻。ちょっと少なめなので、へんな人がやたら目立つ。目立つだけに私のような旅行者も気をつけることが出来るのかもしれない。 少し遠くにあったトイレで用を足し、再び妻と待ち合わせした場所に戻り、改めてレストランに入った。 ちょうどお手ごろな価格で料理を用意してる感じの店だった。 空港のレストランなので、当たり外れが激しいかもしれないが、それは覚悟の上だ。 レストランに入ると、ギャルソンに席を案内された。 大分フランスのレストランや大衆食堂にも慣れてきた。とはいっても高級なレストランには結局行かなかったので、くだけた感じのビストロやブラッスリーやカフェぐらいしか入れない。 席に座ってメニューを見た。さすが空港のレストラン、サラダ・ニソワーズもあれば、バスク風の料理もあったり、北フランス風の料理もあったりした。 ギャルソンを呼んで料理を注文した。たしか、バスク風の料理とサラダ・ニソワーズは注文した記憶がある。あと、ワインはプロヴァンスワインの赤を注文した。もちろんテーブルワイン・クラスのものだ。 しばらくするとそのワインがやってきた。プロヴァンスのワインはかなりロゼに近い色合いだった。しかし、味はバッチリ赤だった。・・・次回に続きます。フランス旅行記は、時に速く時にゆっくり進める予定です
2010年03月16日
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ちょっと家の中がバタバタしていて、今日まで書けませんでした。フランス旅行記11日目(2008年7月10日)の続きです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー私たちは、日本へ帰る飛行機に乗るために、CDG空港の第2ターミナル・ホールFに到着した。 大荷物を転がし、出発フロアのある上の階までエスカレータに乗った。相変わらず古い感じのエスカレータである。 私達の乗る飛行機は、エールフランスAF278便。出発は23:35。深夜発便である。 空港に着いたのは(もう遠い記憶になってしまったが)午後7時くらい。万が一を気にして余裕を持って空港に来たが、ちょっと余裕ありすぎか? いや、そうでもなかったようである。 私たちは、まず手持ちの航空券でチェックインをしなければならない。 すぐに大荷物を転がしながら、エールフランスのブースへ行った。 現在(2008年夏時点)、エールフランスは自動チェックインできる機械があり、そこに機械を通し、予約手続きをした人が登録したクレジットカードを磁気通しすればいいようになっている。 画面の説明がフランス語なので、言語選択で英語にして操作を始めた。 私たち二人の航空券の認識はしてくれたが、肝心の私のクレジットカードの認識のところでどうしても操作が上手く行かないようだった。 そういえば同じようなトラブルが、前日の夕方ルーブル美術館からの帰りのメトロに乗る前、自動券売機でカルネを買ったときにも起きた。あのときは近くに怪しい物売りも来ていたからちょっといやだった。 今回も上手く行かないが、幸い今回はエールフランスのフロア職員が助けに来てくれ、上手く操作してくれた。 どうも私が、画面の説明の解釈をちょっと間違えていたようだった。さいわい、職員さんの操作によって私のカードを上手く認識してくれる事が出来たので、チェックインは終了。 飛行機に搭乗する時間は22:40と表示されている。この時間までに晩飯食って出国しなければならない。 ちょっと余裕持ちすぎた空港到着に見えたが、ビジネス出張などでいつも来ているわけではないので、余裕持ちすぎでも十分ありがたい時間だった。 大荷物がじゃまなので、どこかコインロッカーがないかとも思ったが、CDG空港は何年か前の爆破テロ以来、どうも空港にはコインロッカーを置いてないようだ。 ただ、幸いなことに、時間早めで大荷物預かりをやってくれることがわかった。 私たちはすぐに預けようとしたが、ちょっと待った。 もしかしたら手荷物のほうに、機内に持ち込んではいけない荷物が混ざっているかもしれない。荷物をちょっと移動させなければならない。 ちょっと恥ずかしいけど、私たちは近くのベンチのところで荷物の入れ替えを行おうとした。 まず、妻が自分の大荷物の中を改めようとし、自分もスーツケースの中をあけようとした。 と、そのとき周りに不穏な空気がした。 私達のいるベンチの端のほうに、犬を膝の上においてこちらをじっと見ている、一見紳士風の怪しい中年男がいた。 多分何らかのタイミングで、犬を私たちの方に走らせ、私たちがパニックになっているときに大事なものを分捕っていこうと言う魂胆だったのだろう。 私は咄嗟にスーツケースを開けようとした手を止め、一瞬その男に軽く会釈をして、周りを厳しい感じで見張ることにした。 どうも、その中年男。すぐに私が気づいたと悟ったようで、割と早く、いかにも自然に席を離れていった。 すぐに妻の荷物改めが終わったので、今度は妻に周りを見張ってもらって、私がスーツケースの中を改めた。 結果として、日本で食事に使う予定の南仏土産のオリーブオイルと、パリでスーツケース修理に買ったドライバーを大荷物の中に入れることにした。 100ml以上ある液体はご法度だし、ドライバーは凶器にもなるからおそらく駄目だろう。 エールフランスのカウンターに預ける前に気がついてよかったと思った。 そして、私たちはそれぞれの大荷物を、エールフランスのカウンターに預けた。 荷物をカウンターに預けると、重量検査をしてX線に通し、全く問題ないとわかったので、荷物引換券を渡してくれた。 これでしばらく身軽になった。 ふと上を見上げると、大きな電光掲示板があり、沢山の飛行機の発着予定が表示されていた。 近場ではニース、ミラノ、バルセロナ、ロンドンから、遠くはモスクワ、ニューヨーク、ソウル、東京など、実に色んなところから飛行機が着ていることがわかった。 でも、こんなに沢山の国からの離発着がある国際空港ながら、何だか空港内のセキュリティがちょっと甘いかと思った。 日本であれば、鉄道で成田空港駅に降りると、まずパスポートと航空券の呈示をしないと空港内に入れさせてもらえなかったが、CDG空港ではそんな手続きが一切不要だった。 だからCDG空港のロビー内には、パリの大きな駅のように・まるでドヤ街から来たホームレスのような人・人を迎えるとも見送るとも無いような感じの人・いかにもゲームセンターから出てきたような若者づれが歩いている。もしかしたら、空港内が一番気を使わなければならないところなのかもしれない。 そういう意味では早めに大荷物をカウンターに預けてよかったと思う。 私たちはすぐにめいめいでトイレへ行ってから、夕食を撮ることにした。 どこかいい感じのレストランがないだろうか。 空港内の地図を見てみると、ホールFの端っこのほうにレストランがある。ここがいい感じだったらそこで夕食を食べることにしよう。・・・次回に続きます。フランス旅行記は、時に速く時にゆっくり進める予定です
2010年03月15日
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フランス旅行記11日目(2008年7月10日)の続きです。今日は少ないです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー私たちはエールフランス・リムジンバスに乗って、CDG空港に向かっている。 今走っている道路の両脇はあまり治安のよくない地域だと聞く。 しかし両脇の防音フェンスが余りに高く、しかも透明ではないので、その治安の悪い地域を垣間見ることが出来ない。 たまにフェンスの向こうににょきっと、ちょっと古びた感じの高層マンションが見える。 そうこうしているうちに高いフェンスで囲まれたところを過ぎると、周りは一気に麦畑に変貌する。TGVでパリを離れたときと同様、フランスはやっぱり農業国なんだと確信する一瞬である。 農地の真ん中を貫く高速道路でひたすら北上する。 高速道路にRER-B線の線路が並行するようになると、もう空港も間近だ。 やがてバスはインターチェンジに入ってゆっくりと弧を描く。 眼前には十日程度前に見たことがある建物だ。 いよいよ、私たちは日本に帰るためのCDG空港に到着した。 ただ、私たちが降りるところは一番最後の停留所だ。途中一箇所バスが停まって、お客さんがある程度降りた。 すこしガラガラになったバスで、最後のバス停留所に到着した。 バスから降りる場所は、最初にここでバスに乗った場所と同じ。ほんの少しだが懐かしい感じもする。 バスから降りると、運転手が横のトランクを開けてくれたので、中から大荷物を取り出した。荷物は安全に過不足なく残っていることを確認した。 私たちは大荷物を持って、エールフランスのカウンターがある、第2ターミナル・ホールFへと向かった。ここのバス停留所からは目と鼻の先だ。・・・次回に続きます。フランス旅行記は、時に速く時にゆっくり進める予定です
2010年03月10日
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フランス旅行記11日目(2008年7月10日)の続きです。今日は少ないです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー私たちはエールフランス・リムジンバスに乗って、CDG空港に向かっている。 CDG空港に直接繋がる高速道路に入った。 このあたりは郊外住宅地ということもあり、パリの中心部にあるような古くて荘厳な建物は少なく、一気にどこにでもあるような建物ばかりになっている。 高速道路でグングン東へ向かうと、やがて左手に大きなスタジアムが見えてきた。サン・ドニのサッカースタジアム、1998年のフランス・ワールドカップでメインの競技場となったところである。さすがに巨大なスタジアムだ。でも冷静に考えると、新横浜の日産スタジアムくらいのサイズかなと思ったりもする。 妻は私の横の席でウトウトとし始めた。長いたびの疲れが出てきているのであろう。 また私も妻も、髪がここの土地の水に合わず、すっかりバリバリになってしまった。ブラシを通すとバリバリ音を立てるような感じである。 バスの沿線、時折高いフェンスの上に高いマンションが見え隠れする。 日本だと、超高層マンションは至って高級マンションが多いのだが、パリの北東部郊外にある超高層マンションは至って造りが低廉で、低賃金労働者用アパートらしい。 そう思うと、どこかしら安っぽい感じもしなくもない。 今回の旅では、ここの下を歩くことはなかった。 でも、事前情報ではあまりに治安が悪いらしい。2005年のフランス大暴動も、ここから始まったと聞いている。 あまり危険には近づかないほうがいいようだ。特に観光旅行なんかでは。。。・・・次回に続きます。フランス旅行記は、時に速く時にゆっくり進める予定です
2010年03月09日
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フランス旅行記11日目(2008年7月10日)の続きです。今日は少ないです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 私たちはエールフランス・リムジンバスに乗って、CDG空港に向かっている。 ラ・デファンス手前を右折し、セーヌ川沿いをずっと北東に向かっている。 時たま、私達の走る道路の上を鉄道線路が横切っている。RERだったり、SNCFの線路だったりもする。電車と遭遇したかったが、遭遇した記憶がない ここはパリ郊外ということもあり、川の向こう側に建ってあるものも、人が住むアパルトマンが中心である。 対岸にある沢山のアパルトマン、パリ市街地にあるアパルトマンと違い、日本でもごく普通に見ることが出来るようなマンションの形をしている。 この辺はどうなんだろうか? 高速に入ると、スラムっぽい地帯の低所得者用マンションがチラリと見えることもあるが、このあたり、パリの北西郊外はそれほどひどい状況でもないのだろうか。 いろいろ想像はしてみるが、想像よりも大変なのが、現実の渋滞だろう。 夕刻と言うこともあり、道路はかなり込んでいる。 フランスは右側通行なので、複数車線の道路だと、左折車線が日本で言う右折車線のように大いに混むこともある。 ちょうど今走っている道路も、パリの外郭を周回している。厳密には周回してないので、東京で言うと環八道路みたいな感じだ。 だから、渋滞もひどいところはひどいが、パリ中心部のように全く動かない渋滞は起きてない感じである。 バスの運転手も土地勘になれた人のようで、いいポイントで渋滞を上手く交わして車線変更しているようである。どこの土地でもリムジンバスの運転手は、渋滞を交わして運転するのが上手だ。 もしかしたら成田や羽田へ行くリムジンバスの運転手のように、センターからの無線指示で、往復の道路を変えているのかもしれない。 そんなことを思い巡らしているうちに、バスは「環八道路」のような道路からはずれ、CDG空港に向かう高速道路に乗り込んだ。 この旅が始まったときに乗り込んだ箇所とは、違うところを走っているようである。・・・次回に続きます。フランス旅行記は、時に速く時にゆっくり進める予定です
2010年03月08日
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フランス旅行記11日目(2008年7月10日)の続きです。今日は少ないです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 私たちはCDG空港へ向かうバスの中にいる。 それにしても車の数が多い。よく考えてみたら、夕刻だ。みんな仕事を終えて家に帰る時間だ。いやまて、夕刻の集金か。やっぱり帰宅する車だろう。 それに今私達のバスが走っている方向は、パリの中心部から外へ出て行く方向、すなわちより車の多い方向だ。 道路では強引な割り込み・車線変更もあし、その都度激しいクラクションが鳴りまくっている。エールフランス・バス運転手も負けてはいない。 日本だと企業イメージを損なうかなんかで、きっと一歩譲った運転をするのかもしれないが、フランスではそうでもないらしい。強引に行くときはガンガンに行くようである。 そしていよいよ、バスがラ・デファンスの街の中(しかし車道は地下を走る)に入ろうとするとき、バスはすぐ手前で右折をしてしまった。 バスはラ・デファンスに入らず、ここからセーヌ川の川沿いを走るようである。 ちなみにセーヌ川は、エッフェル塔の近くでは北東から南西に向かって流れている。 しかし、私たちが今そばを走っているセーヌ川は、北東に向かって流れている。 そう、セーヌ川はパリ市のすぐ外側で、もの凄い蛇行を繰り返してるのだった。 ・・・次回に続きます。フランス旅行記は、時に速く時にゆっくり進める予定です
2010年03月05日
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フランス旅行記11日目(2008年7月10日)の続きです。今日は少ないです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 私たちはCDG空港へ向かうバスの中にいる。 改めて、私たちは今、パリ郊外のラ・デファンスにある新凱旋門に向かって走っている。 新凱旋門(グランダルシュ)は、ミッテラン政権下の1982年に設計され、1990年に完成した建物との事。 ただ、他の凱旋門のように、戦勝記念で建った建物ではないので、新凱旋門という呼び名はふさわしくないかもしれない。 ちなみに、この新凱旋門、高さが112mもある超巨大建物であるが、単なるモニュメントではなく、超高層ビルになっており、オフィスや展望台が普通に入っているらしい。 また今度フランスに訪れる機会があれば、ここの展望台からパリを一望するのもいいかも知れない。エッフェル塔や、サクレクール寺院など見えるのかなと思ったりする。 このグランダルシュのあるラ・デファンスというところはパリの衛星都市であり、東京近郊で言うならば吉祥寺と言うよりは国立と言った位置にあるのだが、まるで西新宿のように高層ビルが林立している。というのも、パリ中心部は「パリの景観を守る法律」の厳しい規定のために、高層ビルを建てることが出来ず、殆どがパリ市内でも端っこの地域や衛星都市に集中している。 これは、モンマルトルの丘からパリを一望したときにも体感した。 ラ・デファンスのような衛星都市には、パリの法律のように厳しい決まりがないらしい。ということで、他の要因も絡んで、ラ・デファンスは西新宿のようになったと言う。 ちなみにパリがこの法律を作った要因は、モンパルナス・タワーを建てたときに「パリの都市景観が損なわれた」と、非常に大きな問題になったからだそうだ。 このようにパリは厳しい法律を作ったのだが、ラ・デファンスまで干渉することが出来ない。 ラ・デファンスの高層ビル群は、パリの中心部から凱旋門を眺めると、しっかり凱旋門の後ろから覆いかぶさるように建っており、パリにとっては・凱旋門の景観を損なっている建造物群になってしまっている。・・・次回に続きます。フランス旅行記は、時に速く時にゆっくり進める予定です
2010年03月04日
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オリンピックは終わりましたが、相変わらずバタバタしております。フランス旅行記11日目(2008年7月10日)の続きです。今日は少ないです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 私たちはCDG空港へ戻るべく、CDGエトワール広場にあるエールフランス・リムジンバス乗り場に辿り着いた。 CDG(シャルル・ド・ゴール)広場にはすでにバスが停まっていたが、すぐには走りださない。従ってバスにも入れない。 仕方がないので、バス乗り場のそばまで来て、しばらく凱旋門を眺めたりしてボーっとしていた。 そのうちどこからともなく、飛行機に乗るための客がポツリポツリと集まり始め、バスに乗り始める時間となった。 相変わらず一人14ユーロは高いが、ほぼドアtoドアで空港までいけるのと、バスの中で泥棒沙汰・暴力沙汰でも起きない限り、バスのドライバーが事故でも起こさない限りとても安心なプランだ。 一番安いのはRER-B線だが、治安の悪い地域をドキドキしながら通らなければならない。しかも大荷物を持っているので、襲われたらひとたまりもない。 バスに乗ると、やがて出発時間となり、私たちは空港へと進みだした。 バスは凱旋門を周回するロータリーを四分の一周回って、グラン・ダルメ通りを郊外に向かって走り出した。 バスの真後ろに凱旋門。いよいよ、さようならパリ、と言う感じだ。 残念ながら、こみ上げてくるものよりも、やれやれといった感じの方が強い。さすがに11日も旅行していると、疲れてくる。 バスは続いてポルト・マイヨール駅そばの、コンコルド・ラファイエット・ホテル前に到着。ここでも空港に行くお客さんを乗せた。 バスは7割くらいの乗車率になった。 いよいよバスは空港にむけて走り出した。ホテルのビルは、パリに似つかわしくない高層ビルだ。しかも、避雷針がとても長い。 バスは、すぐそばを走るパリ外環道路を走るかと思いきや、そのまま郊外に向かって走り出した。どうやら帰りは行きとは別の道を使うようだ。 バスの背中には凱旋門が、いよいよ小さくなり出した。 それに対し、進行方向には、ラ・デファンスの新凱旋門が、どうぞーっと言う感じで建っていた。・・・次回に続きます。フランス旅行記は、時に速く時にゆっくり進める予定です
2010年03月03日
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フランス旅行記11日目(2008年7月10日)の続きです。今日は少ないです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 私たちは3日間泊まり続けたマルモテルから大荷物を引き取り、再びグラン・ダルメ通りを凱旋門に向かって上り始めた。 この道を大荷物を転がして反対方向に下りていったのは3日前、今のように大荷物を持って坂を上っていったのは、大分前、そう、モンサンミッシェルへ行った日だ。 坂を降りた日はまだしも、同じ道を通っていった日のことは、随分懐かしい思い出になってしまった。 パリの街をこうやって改めて見てみて思うことは、街の色合いは本当に至って地味なんだなということだ。 石造りの家々の色合いもそうだし、道の車道も石畳。街中がグレーに染まっている。 冬空の下は本当に地味な色合いなのかもと思う。 そうなると、街々の看板の色や人々が着ている服の色がますます映えてくるのかもしれない。 そこが、パリをおしゃれな街にしているのだろうか? 事の真相はいまひとつよくわからない。 私たちはそんなことを思いつつも、ゆっくりと歩を進め、やがて凱旋門のあるシャルル・ド・ゴール広場に辿り着いた。 思えば何度もここへは足を運んだような気がする。・・・次回に続きます。フランス旅行記は、時に速く時にゆっくり進める予定です
2010年03月01日
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ここんとこオリンピックみてまして。。。あまり上手く書けてません。フランス旅行記11日目(2008年7月10日)の続きです。今日は少ないです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー私たちは、マレ地区の端っこのこじんまりとしたカフェで、ふりでアル・グレイをすすっている。 今日もかなり歩いた。この旅行で予定していたところは大体見尽くした感じがある。 いや、予定を立てればきりがなく、たとえばパリではまだまだ見るべきものはある。 しかしそれをやっていては、時間がいくらあっても足らず、また体力もそんなに持たない。 ふたりでアル・グレイをすすっていると、先ほどからカウンターのほうでガヤガヤ議論しているおじさんたちの様子が気になる。 けたたましいフランス語なので、何を言っているのか本当にわからない。 しかし、迫真の議論をやっているのは、その声の大きさや調子からよくわかる。 ときたまテーブルを素手でどんどん叩いてるようだ。 店のオヤジのほうも、聞き役でありながら、適当に突っ込みを入れたりして、さらに議論を盛り上げてるよう泣きがする。 これがフランスの、ある一つの大人たちの風景かもしれない。 たしかに、フランスは理論的な哲学も盛んな国である。フランス語の文法もしっかり学べば、とても理論的に成り立っているのがわかるのかもしれない。 そうやってして、カフェで体を休めている時間も過ぎて行き、もうそろそろマルモテルに戻る時間になった。 マルモテルに帰ったら、今朝から預けてある大荷物を引き取って、エールフランスのリムジンバスに乗ってCDG空港へ行き、日本に帰る飛行機に乗る。 今回の旅行も思い残すところはない。いや、まだ行きたい所もないわけではないが、もう体も疲れてきているし、髪の毛もフランスの水のせいでガビガビだ。 そろそろ日本に戻って、一旦日本の空気を吸い、また機会を作ってフランスの地に戻ることにしよう。 そう思いを決め、カフェのオヤジにお代を支払い、メトロM1線サンポール駅まで歩いた。今回の旅では、本当にマレ地区によく通ったかもしれない。東京だと、とりあえず渋谷と言った感じの界隈かもしれない。マレ地区は至って賑やかで、老若男女がよく集う。 マレ地区の中心部へ行くといたるところにカフェがあるのに、同じパリ市内でも別のところへ行くと、カフェらしき建物が一切ない。 マレ地区へ行くと凄く古い建物と新しい建物が上手く調合しており、それなりにとてもおしゃれな雰囲気があるが、モンマルトルの北側の商店街は、まるで日本の田舎の商店街のように思えてがさつに感じる。そんな記憶しか残ってない感じだ。 パリは東京より狭いが、地域によって雰囲気ががらりと変わるので、とても面白かった。 そうして私たちはサンポール駅に入った。 駅の入口付近の小さな広場にはなぜかメリーゴーランドがある。パリはこのように、日本ではあまりありえなさそうな場所に、メリーゴーランドがあったりするから面白い。 サンポール駅で、二人最後のメトロ切符を買い、改札をくぐってプラットホームへ行き、電車を待った。 いつもホテルからの乗り降りに使用していたCDGエトワール駅はわりと駅の構造が複雑なのかもしれない。他の駅は至って単純に乗れるところが多い。 それとも他のターミナル駅をあまり知らないだけかも。確かに乗換えだけに使用した、モンパルナス・ビアンヴニュ駅や、シャトレ駅、Gard de Lyon駅は複雑だったような気がする。 私たちは到着した電車に乗り、マルモテル一番最寄のアルジャンティーヌ駅まで行った。 気がつけばこのM1線も結構乗ったような気がする。M1線はドアが自動で開くので楽な路線だ。でも、最後の最後までスリには気をつけなければ、緊張の糸を切るわけには行かない。 そうやって私たちはアルジャンティーヌ駅まで戻り、マルモテルまで戻った。 何日も宿泊したホテルだ。それも今日でお別れ。 フロントのお姉さんに断って、ロビーの奥でキープしている私達の大荷物を引き取った。 今回は私が事前に購入した、チェーンと錠前が大変役に立った。これはこれからも使い続けていきたい。 私たちはフロントのお姉さんに「じゃあまた」と声を掛け、マルモテルを後にした。・・・次回に続きます。フランス旅行記は、時に速く時にゆっくり進める予定です
2010年02月26日
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月曜日火曜日はちょっとかけませんでした。。。オリンピックみてまして。。。フランス旅行記11日目(2008年7月10日)の続きです。今日は少ないです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 私たちは、ヴィラ・サンポールからマレ地区の方に北上したところにあるカフェで、体を落ち着かせた。 店内は、多分常連だろうと思うオジサンが、店のオヤッサンとさかんに議論を繰り返していた。そう聞こえるような会話だった。 私たちは、椅子に座ったままでいた。妻がかなり疲れているので、ちょっと休ませてあげたい。 メニューを見た。ソフトドリンクを飲みたい。今はコーヒーではなくて紅茶にしたい。 でも、メニューには「テ」としか書いていない。 しかし、ここはパリのカフェだ。まさか市販の安いリプトンのティーパックしかない、ということはないだろう。 ちょうどそこに店のオヤッサンがやってきた。 私は出来る限りのフランス語で、「この店のお茶に、アル・グレイはありますか?」と聞いてみたところ、「アル・グレイ。あるよ」という答えが返ってきた。よかった。通じた。私も妻もアル・グレイを飲むことにした。 ここへきて特に強く感じたのだが、パリの人々は、ちゃんと目をみて話せば、つたないフランス語でも一生懸命答えてくれるという事だ。 これは旅行者にとってはうれしいことだと思う。 下手をすると、東京の人々の方がまともには応えてくれないのではないだろうか? そうやってして、二人でゆっくりとこのカフェでの時間を過ごすことにした。 ほどなく、二人分のアル・グレイが、大きなポットに注がれたままでやってきた。 ・・・次回に続きます。フランス旅行記は、時に速く時にゆっくり進める予定です
2010年02月24日
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フランス旅行記11日目(2008年7月10日)の続きです。今日は少ないです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 私たちはヴィラ・サンポールのアンティーク雑貨屋さんを後にした。 いまひとつ雑貨が可愛くなく、なんだか中古品を山積みさせてるだけと言う感じが否めなかった。これだったら、日本のアンティーク雑貨屋さんのほうがよっぽどいいかと思った。 でも、他へ行けばパリのアンティーク雑貨屋もいいものがあるだろう。 それとも、パリの場合は、ちょっと小じゃれた雑貨屋よりも蚤の市のようなところへ行ったほうが、パリの雑貨屋の醍醐味を感じれるのかもしれない。 今回は、日程的に蚤の市を見に行くことができなかった。また機会あってパリを訪れることがあれば、こんどは見に行ってみたい。 さて、いい加減にカフェをみつけて休みたい。リヴォリ通りへ進んでいけば何らかのカフェがあるだろう。 それにしても今日はここぞというときにカフェがない。本当にない。いつもならどこもかしこもカフェだらけという印象があった。どこもかしこもカフェがあるのは、リヴォリ通りより北側のマレ地区だけだろうか? ううん。 リヴォリ通りに向かって北上していると、あらあら、マレ地区のモノプリだ。 確か旅行2日目に、、、そうそう、ここヴィラ・サンポールのアンティーク雑貨屋へ行ったら、店が休日だったので、がっかりして帰る途中にモノプリに入ったんだった。 ニースからパリに戻ってから今日に至るまで、「確かマレ地区にもモノプリがあった筈なのに、一体何処にあるんだろう?」と悩んでいたのであった。見つかってよかった。 だが、今日はモノプリが休みだった。残念だ。 そしてさらに北上し、もうそろそろリヴォリ通りを横断するのかなというくらいに、こじんまりしたいい雰囲気のカフェを見つけることが出来た。 妻もここが良いというので、ここで休むことにした。 店員さんが「テラスにしますか? サロンにしますか?」と聞いてきた。気持ちのいい日ならテラスでもいいが、今日もパリの夏の暑くて強い日差しにバテ気味だったので、サロンに引っ込むことにした。・・・次回に続きます。フランス旅行記は、時に速く時にゆっくり進める予定です
2010年02月19日
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フランス旅行記11日目(2008年7月10日)の続きです。今日は少ないです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 私たちは、M7線ポン・マリー駅を降りて、セーヌ川の川べりをヴィラ・サンポールに向かって歩いている。 川沿いの古書露店が並んでいる以外は、取り立てて何もないような感じのところだ。一つ奥の大通りであるリヴォリ通りの賑わいとは、雲泥の差のような感じである。 そうこうしているうちに、私たちはヴィラ・サンポールに辿り着いた。 ヴィラ・サンポールは、古いアパルトマンを改装した感じの、ちょっとしたショッピングモールである。 古い建物だけに、通りに面しているところは無味乾燥な外装でも、中庭があり、そこがちょっとしたいい空間になっていた。 ヴィラ・サンポールには、いい感じのインテリアショップがあったりして、通りから眺めるのもいい感じだった。 妻はその中のアンティーク雑貨屋さんに興味があったらしく、旅行前に日本でインターネット記事を印刷してきた。 そして、その店を見つけて中に入った。 ちょっと残念な感じだった。アンティーク商品が色々あったのにはあったのだが、無造作に積み上げただけで、どれも可愛くない感じの陳列だった。アンティーク品と言うよりは中古品という感じで、残念な感じ。店員もやはり無愛想。 私たちは、残念な気持ちを持ちながら、その店を後にした。 カフェを見つけて休みたい。・・・次回に続きます。フランス旅行記は、時に速く時にゆっくり進める予定です
2010年02月18日
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フランス旅行記11日目(2008年7月10日)の続きです。今日は少ないです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 私たちは進化大陳列館の最寄り駅である、サンシェ・ドバントン駅からM7線に乗ろうとしている。 程なくサンポール方向に戻る電車がやってきた。 メトロに乗るのも割りと慣れてきた。でもこの日本の電車にはない緊張感がいいと思う。この絶妙な車両の狭さ。ロンドンの地下鉄はもっと狭いと妻は言う。 メトロに乗って降りる駅は5駅先のポン・マリー駅だ。先ほどの長旅と比べると、すぐに終わる旅である。 わりと早めにポン・マリー駅について、すぐに外に出た。 ヴィラ・サンポールもいいが、カフェがあるならまずはそこで休みたいと妻は言う。 しかし何と、このポン・マリー駅の周辺も殆どカフェがなかった。 先ほどのプラス・モンジュ駅もしかりだが、そこら中にカフェがある駅もあれば、まったくカフェのない駅もある。ううん、手ごわい。 しかしこのポン・マリー駅。セーヌ川のそばにある。ポン・マリー駅からヴィラ・サンポールまで向かう道筋は、セーヌ川の景色を楽しむことが出来た。 あとこの周辺は、古本の露店が出ている。 ここを通った当初は、大して気にも留めてなかったが、旅行を終えていろいろフランスの書物を読んでいるうち、この古書露店街にはなかなかプレミアものの古書もあることもわかった。 うううん、昔の本の装丁だけでも見る価値はあったかな。・・・次回に続きます。フランス旅行記は、時に速く時にゆっくり進める予定です
2010年02月17日
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フランス旅行記11日目(2008年7月0日)の続きです。今日は少ないです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー私たちは進化大陳列館の中にいる。 暑い夏の日差しの中、この建物の中だけはとても涼しい。 動物の剥製の大行進は至って壮観だ。何といっても大行進。上の階から見下ろすのが一番迫力あるかもしれない。ここまで写真を撮りまくると、いい加減飽きてきた。 妻はすでに疲れて飽きており、ベンチに座っていた。 私たちは程なくここ進化大陳列館を後にした。 最終日も昼を過ぎ、もう行くところもない。あったとしてももう十分かと言う気分にもなってきた。しかし、ホテルに戻って大荷物を引き取って、エールフランスのリムジンバスに乗っていくには、まだ早すぎる。 妻が、ヴィラ・サンポールのアンティーク雑貨屋にまだ行ってないと言った。 サンポールのカフェで一休みするのもいいから、そこへ行こうと言うことになった。 私たちは進化大陳列館を後にし、M7線のサンシェ・ドバントン駅に向かって歩いた。 先ほど二人でランチした、ファストフード店のようなカフェを過ぎ去って、駅の入口まで辿り着くと、なんとそこには何件もカフェがあったではないか! 私たちはプラス・モンジュ駅で降りた為、一つとなりの駅にこんなに何件もカフェがあるなんて思いもよらなかったのだ。 私たちはちょっと悔しい思いをしてM7線サンシェ・ドバントン駅の入口階段を下り、切符を買った。もうカルネもなくなっていたのだ。二人分を買って改札をくぐり、ホームに向かった。 サン・ポールに戻るので、先ほど降りたホームの反対側のホームに行けばよい。・・・次回に続きます。フランス旅行記は、時に速く時にゆっくり進める予定です
2010年02月16日
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フランス旅行記11日目(2008年7月0日)の続きです。今日は少ないです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー私たちは進化大陳列館の中で、動物たちの剥製の行進に遭遇している。剥製はどれもこれも生々しく、まるで生きているようであった。アフリカゾウなどはもの凄い大迫力で迫っていたが、そのそばに子供のゾウがいたことで少し複雑な気持ちになってしまった。 何も子供まで殺さなくても・・・と。他にキリンの子供もいたので、何だか切なくなってしまった。他にも剥製がいっぱいけっこうフランス人はアフリカへ行っては、沢山動物を殺したのかなと、ちょっと神妙な気持ちになってしまった。・・・次回に続きます。フランス旅行記は、時に速く時にゆっくり進める予定です
2010年02月15日
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フランス旅行記11日目(2008年7月10日)の続きです。今日は少ないです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー私たちは学生街のファストフード店のようなところでササッと昼食をとってから、再び植物園のある公園へ戻っていった。 この一帯は植物園だけではなく、動物園もあり自然史博物館もある。 色々あるが、今日も何分日差しの強い一日なので、植物園と動物園は行かない。自然史博物館には元々興味がなかったから行かない。 これから行く場所は、進化大陳列館だ。 この進化大陳列館は、旅行のガイドブックで知ったもの。 あのおびただしい動物たちの剥製の行進、写真で見てどんな迫力があるものかと思ってみていた。 面白くてもつまらなくても、一回は見に行っていいものだろうと思う。 折角のフランス旅行なので、一度は行ってみよう。 そう思って行くことにした。 入口で入場料を払い、中に入ろうとした。 ところが、係員の人が引き算が上手くできない。 確か7ユーロだったが、12ユーロを渡したところ、随分頭を抱えているようだった。 5ユーロのコインがほしかっただけだが、3ユーロと渡した2ユーロを返そうとした。「ノン、5ユーロコインがほしいんです」と言って主張したら、何とか5ユーロをくれた。 フランス、パリはきちんと主張すれば相手もわかってくれる。そこはしっかりしているお国柄だと思う。 入口のゲートは、メトロのゲートのようにターンスタイルになっている。 さあ、ゲートを通って、中の展示物を見よう!・・・次回に続きます。フランス旅行記は、時に速く時にゆっくり進める予定です
2010年02月11日
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フランス旅行記11日目(2008年7月10日)の続きです。今日は少ないです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 私たちは植物園のある公園の手前にあるモスクにいる。 モスクとは言っても、モスクの中にあるカフェである。 本当は、ここでチャイなるものを楽しんでみたかった。 しかし、座れた席は日向の席。 すわってすぐに冷たい水など出てくれば、ちゃんと注文していたかもしれない。 しかし、店が繁盛していたせいもあり、残念ながらいつまでたっても注文も取りに来ない。 ということで、5分くらい我慢して我慢の限界が来た。 幸い何の注文もとってないので、そのままササッと店を後にしてしまった。 もう少し、太陽の光がやさしい季節にモスクの店に入っていれば、十分楽しめたかもしれない。 とにかく、とにかくパリの日差しは強い! 私たちは、公園入口からサンシエ・ドバントンというメトロ駅に向かって伸びている道に店がないか探し回ることにした。 幸い100m程度歩いたところに、今風の学生街の喫茶店風のカフェがあった。 カフェと言うより、ファストフード店のテイストが強い店だった。 何もないよりはよっぽどいい。何よりこの店には屋根がある。 店の中には学生風の若者が何人かいた。 確かにこの界隈は大学が多い地域である。 どうりで、先ほどまでいたモンマルトル界隈の雑然とした雰囲気がないわけだ。 日本で言うと御茶ノ水の、外堀の外側の雰囲気だろうか? もっと別の雰囲気かもしれない。 どちらかというと大学そのものが建っている地域の雰囲気で、日本の学生たちが夜な夜な大騒ぎするような場所の雰囲気ではない。 私たちはその店でサンドイッチを注文し、ササッと食べた。 味わいもササッと食べられる程度の味わいだったと思う。飲み物は暑い中歩き続けたので、私も妻もフルーツジュースを注文した。 腹ごしらえを済ませ、涼も得られたので、元気が回復した私たちは、再び進化大陳列館に向かって歩き出した。
2010年02月10日
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フランス旅行記11日目(2008年7月10日)の続きです。今日は少ないです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 長いM7線の乗車で打とうと気味だった私たちは、セーヌ川の真下を潜るくらいで目を覚まし始め、なんとか目的地プラス・モンジュ駅に到達した。 プラス・モンジュ駅の改札ゲートを出て階段を上がり、地上に出てみた。 出てびっくり。何とカフェらしきものが全く見当たらない、地味な地域だった。 この地域で私たちが行こうとしているところは、動物園や植物園のある公園の一角にある、「進化大陳列館」の中身を見に行く予定なのだ。 進化大陳列館はいいが、まさかここまで何もない地域に出るとは思ってもみなかった。 今はとにかく、進化大陳列館に行くのみ。この付近にカフェがなくても、会場の中にはきっとカフェがあるはずだ。 そう思って意気込んで行ってみたものの、進化大陳列館の中や近くにカフェのようなものがなく、うーんと困っていた。 外は暑く、空気が乾燥し、公園の土埃が飛び、フランス旅行の間にすっかりバリバリな手触りになった私達の髪の毛を、一層やばい状態にさせてくれる。 早くどこかで休まなければ、もう昼飯どきなのに。まさかここで昼食難民・カフェ難民になってしまうなんて。 そうだ、進化大陳列館の門の外に、イスラム教のモスクがあり、そこの中にはカフェがあるはずだ。 私たちは早速そこまで戻ることにした。 パリでモスクはここ一箇所しかないと聞く。そんな状態だから、9.11.テロのときはこのモスク周辺も厳戒態勢が敷かれていたようである。 これはそのモスクの、ミナレットという尖塔にあたる部分だ。毎朝や決まった時間にはここで礼拝が行われたり、コーランの解説が行われたりしているのだろう。 そう思いつつ私はモスクのなかのカフェを探した。どうやら、モスクの中庭がカフェのようだ。 私たちは意気込んで中庭のカフェに入ってみた。 しかし、そこは客も多く、私達の座る場所は・・・・あったはいいが、木陰じゃないところ。 私たちはボーイさんに案内され、目的の席についた。やはりここも直射日光が一杯そうだ。
2010年02月09日
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フランス旅行記11日目(2008年7月10日)の続きです。今日は少ないです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 私たちはM2線に乗り、モンマルトルの麓のアンヴェールからナシオン駅のほうに向かって移動した。 M2線に乗り始めたら、すぐにM7線に乗り換えなければならない。乗り換える駅は、3つ先のスタリングラード駅。 パリのメトロの駅は、このスタリングラード駅のように、一見フランスにいるのかどこか他国にいるのかわからなくなるような駅名の駅がある。 他にもローム(ローマ?)駅、アルジャンティーヌ(アルゼンチン?)駅、ピレネー駅がある。沢山あるかと思ったら、合計5つしかないことになる。これくらい覚えれば何とかなるか。 3つ目の駅なんてすぐである。私たちはスタリングラード駅に着くと、何とか慣れてきた手つきで扉を開け、M7線のホームへと急いだ。 スタリングラード駅は、M2線数少ない地上の駅だ。M6線は何駅も何駅も地上の駅が続くが、M2線で地上に出るのは数少ない。 よって私たちはM7線の駅へ行くべく、階段をひたすら下りる。乗り換え者には、再びカルネを使ってしまうようなことのないよう、通路は独立しているようである。 そしてM7線のホームへ辿り着いた。もう昨日のようなことはこりごりなので、電車が来ていても飛び乗るようなことはしない。普通に急いで、乗れるのなら乗り、乗れないのなら乗らないを貫いていった。このお陰で、妻は怪我をすることなく、今日も私と共に生きている。 M7線に乗ると、次に降りるところはプラス・モンジュ駅。M7線でもセーヌ川左岸の方なので、何駅も先だ。地下鉄路線マップを見ると16駅も先だ。 これじゃ今何駅目を過ぎてるかをずっと気をつけて調べるなんて、なかなか大変な話だ。 ただこの路線はパリの中心部も走る。ショセ・ダンファン・ラファイエット、オペラ、シャトレ。 駅の名前を聞いて、地上ではどんな感じなのか思いを馳せるのも楽しい。 そうやってM7線に乗っているうちに、何と妻は眠り始めた。椅子に座っていることをいい事に、眠り始めた。 深く居眠りしてしまうと、有り金全部すられそうなので、私まで眠ってはいけない。私は出来るだけ起き続ける様にしたけど、どうやら少しだけ居眠りしてしまったらしい。でも、荷物は無事だったので、何やらいい気持ちだった。
2010年02月08日
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フランス旅行記11日目(2008年7月10日)の続きです。今日は少ないです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 私たちはアンヴェール駅まで降りてきた。 お昼も近くなってきたこともあり、アンヴェール駅の周りも結構賑やかになってきた。 でもこの雰囲気、パリの下町だなと思った。今までよく通ってたマレ地区はちょっと気取った地区だったのかもしれない。何となくがやがやとした雰囲気。 たしかにアンヴェール駅のあるロシュアール大通りからムーランルージュの方に向かうと、そこは大変な風俗街だから、アンヴェールのあたりもがやがやしてるのだろう。 そうそう、群集の多少さはさておき、新宿のアルタの辺りから歌舞伎町へ抜ける道筋の雰囲気がここにはあるかもしれない。 メトロM2線アンヴェール駅の入口に着いた。 入口のデコレーションはどうやらギマールの作品のように見える。 しっかり写真を撮りたいのだが、この街の雰囲気、写真撮影にうつつを抜かすと、財布をすられたりひったくりに遭いそうだ。 だから一回シャッター切って上手く映ってないのを確認したけど、もういいやと思って、この入口から私たちは駅のほうに入っていった。 実は私たちはこれからメトロの長旅をして、一気にセーヌ川左岸のほうに行こうとしている。 行き先駅はすでに決めた。M7線のプラス・モンジュという駅である。 この駅までだと、乗り換えは1回で済むという事がわかった。 何回かメトロに乗って確信したことは一つ。乗り換え回数は少ないに越したことはない。 メトロの駅は、駅によっては一つの線のホームから別の線のホームに乗り換えるのに相当歩かされることがある。 私達の今回の旅行でも、モンパルナス・ビアンヴニュ駅での乗り換え、シャトレ駅での乗り換え、どれもかなり歩かされた。 つくづく、乗り換え回数は少ないほうがいいと思ったのであった。 さて、私たちは駅に入ると、昨日買ったカルネを1枚ずつ持って改札口に入り、M2線ナシオン方面行きのホームへと向かった。 今朝来た方向のCDGエトワール方面は、逆方向となる。 私たちはホームに立ち、しばらく待っていると、程なくM2線の電車がやってきた。 この待たされる雰囲気が殆どないのが、メトロのいいところだろう。日本の山手線も同じであるが。。。・・・次回に続きます。フランス旅行記は、時に速く時にゆっくり進める予定です
2010年02月05日
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フランス旅行記11日目(2008年7月10日)の続きです。今日は少ないです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 私たちはモンマルトランを降りて、再び歩き出した。このパリの俯瞰を眺めているのもいいけど、折角の最終日なのでもっと他のところへ行きたいと言う欲が出てしまった。 モンマルトルの丘へ登るときはケーブルカーを使って登ったが、降りるときは階段を使って降りることにした。 辺りは来たときとは違って、結構な観光客の数になってきた。 どうもやはりこれは、モンマルトルが世界的に有名なパリの観光地だと言うだけではなさそうである。やはり数年前に公開された映画「アメリ」の影響もあるのかもしれない。 ただ私はこのときアメリの名前は知っていたがは見てなかった。 階段を下りていくと麓まで降り切るまでに公園がある。そこで再びサクレクール寺院のほうを振り返った。特に石になってしまうようなことはなかった。 後ろの景色は、今までいたサクレクール寺院の手前の広場が、人口の崖となって眼前にそびえており、サクレクール寺院そのものはドームの上半分だけ覗かせてるといった状態だった。 少し前までの私たち同様に、パリの俯瞰を眺めている人たち。 ちょうどそこの真下で湧き水が出るようになっており、そこをバックに写真を撮っている人たち。 観光の楽しみ方は様々である。 私たちはちょっと水のみ一休みしてから、再び階段を下りた。サクレクール寺院を含むモンマルトルの公園の入口まで降りると、そこには先ほどモンマルトランで通りかかったときと同様、物売りがうようよといた。 エッフェル塔しかり、ミサンガしかり・・・・。でも、どこかの国の子供たちのように、勝手に寄ってきて腕にミサンガをつけてお金をねだられるようなことはなかった。 しかし、そこでも私たちは「ニーハオ!」と声を掛けられてしまった。やはり最近は随分中国人旅行者が増えたようである。 さらに私たちは地下鉄入口のある大通りまで歩いた。沿道はガイドブックに書いてあったとおり、沢山の布地屋さんがあったが、妻に言わせるとどれもいまひとつに見えたらしい。 大体が北アフリカ風の布地だった。もうこの辺りまで来ると、北アフリカ移民も多いのだろう。 北アフリカの民族衣装に興味があるのなら、この辺りの布地屋さんで買い物をするのもいいのかもしれない。 そう思いながら、私たちは先ほど降りたM2線の駅、アンヴェールまで歩いた。・・・次回に続きます。フランス旅行記は、時に速く時にゆっくり進める予定です
2010年02月04日
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フランス旅行記11日目(2008年7月10日)の続きです。今日は少ないです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 私たちはモンマルトランに乗ってクシュアール大通りに出てきた。 ここは、一頃の新宿歌舞伎町のようなところである。通りの端から端までアダルト系の店で占められた感じがする。 まだ午前中の範囲なので、売春婦らしきお姉ちゃんは殆ど見かけなかった。 クシュアール大通りはフランス語での表記にBd. がつく。Bd. がつくと言うことは、その昔この通りは城壁だったらしく、この通りからセーヌ川寄りが「昔からのパリ市」で、モンマルトルがその昔「モンマルトル村」だったように、この通りの外側は昔からのパリ市ではなかったようだ。 それにしてもこれでもかと言わんばかりのアダルトショップのオンパレードである。 心なしか、店の前で店を背にして立っている人たち(店の人たち)の風貌が、どことなく強面揃いと言った感じがしたのは私だけだろうか? そうやってロシュアール大通りからクリシー大通りに抜け(名前が変わっただけ)、ピガールからブランシュへ抜けたところで、進行方向右前方に、突如赤い風車が目に入った。 そして、その赤い風車の建物は、私達の目の前にその全貌を現したのだった。 これがあの、世界に名だたる「ムーラン・ルージュ」である。 ミュージカルや映画でも同名のタイトルがあり、このムーランルージュを舞台にしていると言う。 今回の旅行に行く前、音楽関係の先輩で外国の歓楽街に行くのが好きな方から「パリへ行ったら、絶対にムーランルージュに行きなさい」と言われた。 確かに午前中にムーランルージュの前を通らせていただきました。 夜のムーランルージュは、きっと煌びやかで豪華なんだろうけど、今回の私達の旅行ではちょっとコンセプトが違うので、外から眺めさせていただくだけにした。 それから私達の記憶はちょっと飛び飛びになってしまっている。 気がついたらモンマルトランで普通にモンマルトルまで帰ってきたのだが、どこをどうやって通って行ったのか殆ど覚えていない。 かといって、運転手さんに睡眠導入剤飲まされてどうにかされてしまったわけでもない。 そういえば、うっすら「モンマルトル墓地」の真ん中を通って行ったような気がする。。。 いずれにせよ、束の間のモンマルトランによるモンマルトラン界隈、北側斜面の界隈、南側の怪しい歓楽街などを見て回り、無事にモンマルトラン乗り場に辿り着いた。 私たちは下車して、次なる目的地に向けてウロウロと歩き出した。・・・次回に続きます。フランス旅行記は、時に速く時にゆっくり進める予定です
2010年02月03日
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フランス旅行記11日目(2008年7月10日)の続きです。今日は少ないです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 私たちはモンマルトランに乗って、モンマルトルの丘の麓を伝って、北側から南側に移ってきた。 例の「無賃乗車」の若者は勝手に姿を消した。きっと前が詰まってモンマルトランも停まってしまったので、移動をするのに用を成さないからである。 前の方が対面交差できるか出来ないかで詰まっているようだ。 道路で対面交差で困る場合、その場所が街中の一般道路なら、乗客は時間の問題以外は何の問題もないかと思う。 しかし問題は峠道だ。10年ほど前にツアー旅行でスイスへ行ったとき、フルカ峠をバスで上がっていたとき、上から下りてきたキャンピングカーと私達の乗っている観光バスが道一杯一杯になり、下手をすると私たち観光バスのほうの路肩が崩れて、私たちはバス共々谷底へ落ちてしまうかもしれないと言う恐怖体験をした。 今回は街の中で、しかも側溝はしっかり蓋がしてある。何の心配もすることはないだろう。 サクレクール寺院に上がる階段の前に来た。 私たちが最初にここを訪れたときは、まだ午前中も早い時間だったので静かそのものだったが、今となっては観光客も増える時間帯となり、エッフェル塔売りやミサンガ売りがウヨウヨと立っていた。 彼らは決してモンマルトラン乗車中の私たちにまで売り込もうとはしなかった。けれでも、彼らの存在はそれなりにうっとうしかった。 さて、モンマルトランは更に坂を下り、ロシュアール大通り、クリシー大通りに出てきた。ここはいわゆる、パリの風俗街みたいなところである。・・・次回に続きます。フランス旅行記は、時に速く時にゆっくり進める予定です
2010年02月02日
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フランス旅行記11日目(2008年7月10日)の続きです。今日は少ないです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー私たちはモンマルトランというなまえの、いわゆるプチトランに乗って、モンマルトルの丘から北側斜面を降りている。 モンマルトルのブドウ畑を横目に見て、やはりモンマルトルは昔々はモンマルトル村と言われていただけのことはあるのかなと思ったりもした。 モンマルトルやモンマルトルの北側は下町情緒があふれて、夜はちょっと危険な感じがあるかもしれないとガイドブックには書いてあったが、昼間、特に午前中のモンマルトルなら、安心して散策も出来るかもしれないなと思ったりもした。 プチトランはサンヴァンサン墓地という、少々小ぶりの墓地のそばを通って坂を駆け下り、坂の下のコランクール通りに入った。 ここの通りの印象は、おしゃれなパリの通りと言うよりは、日本の地方都市にでもありそうなアーケード通りと言う感じがした。パリにもこんな素朴な通りがあるんだといった感じだった。 モンマルトランはモンマルトルの丘の下の街の広い通りをしばらく走ると、やがて狭い路地に入り、今度はサクレクール寺院の正面下の通りまで進んだ。 私たちが乗った場所は、モンマルトランの一番後ろの車両。よく考えたら一番後ろの車両だ。今考えると、運転手の居場所から一番遠い場所にある。見通しのいいクネクネ道だと、逆に一番視界に入りやすいかもしれないが、見通しが悪い路地やまっすぐな道だと、普通に視界に入りにくい場所だ。 だから、このモンマルトルの南側に辿り着くまでに、変な事も起きた。 突然、一人の若者がお金も払わずに勝手に飛び乗ってきたのだ。 ナイフを持って突然脅してきたら、これは大変だと思ったが、明るい昼前の街中なので、少し人も増えてきた。財布や荷物回りさえしっかりと防御していれば、盗難に遭う心配もないだろう。 その、私達の後ろ、モンマルトランの一番後ろの席に座った若者は、すぐに本を読み始めていた。どうやらこの近くに住んでるような学生さんのようだ。私たちから何か物を盗ってやろうかというような目つきは少しもない。少なくともこっちがしっかり防御していれば、何の恐れもないような感じである。 そもそもモンマルトランは観光乗り物なので、とってもゆっくりとしたスピードで走る。もしかしたら地元で生活している人のどれくらいかは、この若者のように、モンマルトランの席を失敬してすわって移動しているのもかも知れない。 モンマルトランがサクレクール寺院の南側の賑やかなところに差し掛かり、前から来る車とすれ違うのに路上駐車の車が邪魔になり、道が渋滞するところに来た。 いつの間にかその若者は勝手にモンマルトランを降りて、一人街中に消えて行った。・・・次回に続きます。フランス旅行記は、時に速く時にゆっくり進める予定です
2010年02月01日
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フランス旅行記11日目(2008年7月10日)の続きです。今日は少ないです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 私たちはプチトランに乗り込んだ。料金は前払いで、一人6ユーロ。 これで、テルトル広場の周りをうろついている悪徳絵師たちともおさらばだ。 悪口をいうのもなんだけど、悪徳絵師の中には、これじゃ一般観光客も怖くて近寄れないだろうと言わんばかりに、朝っぱらから酔いつぶれた感じでうろついてる、テンガロンハットの親父もいた。本当に大丈夫かな~。 やがて発車時刻となり、プチトランは発車した。悪徳絵師を振り返ることなく、プチトランは発車した。 さしもの悪徳絵師も、プチトランの乗客にまで勧誘するやつはいない。 このプチトランは「るるぶ」によるとモンマルトランといわれる方のようで、ムーランルージュ前から発車するプチトランとは微妙に別のルートを通るようである。真下からみるサクレクール寺院である。こんなアングル、モンサンミッシェルでも撮ったけど、実際に現地まで行かないと撮影できない画である。 ちなみにサクレクール寺院の後ろのほうはこんな感じになっている。後ろからの写真は滅多に見ないので、なかなか貴重な一枚だと思う。 ほどなくモンマルトランはサクレクール寺院を離れて坂を降り始め、最初の角を左折した。 モンマルトルの街中の様子である。写真の階段の向こう側にテルトル広場があるようである。このようにモンマルトルは坂が急なので、写真のように通路が完全に階段になっているところもある。 さらにモンマルトランは前に進み、左側にざわざわと緑の生垣のような畑のような、なんだろうと言う感じのものが見えてきた。 モンマルトルのブドウ畑である。パリの街中にも畑、しかもブドウ畑があるのだ。 東京の街中にも畑、練馬大根を栽培している畑があるように、パリの街中にも畑はある。しかもこのブドウ畑のブドウからは、ワインをちゃんと生産しているらしい。 大した量の生産はないだろうから、この地域のお祭りのときにのめるくらいかも知れないなと思った。・・・次回に続きます。フランス旅行記は、時に速く時にゆっくり進める予定です
2010年01月29日
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ちょっとトラブル事があり、一日空いてしまいました。。。フランス旅行記11日目(2008年7月10日)の続きです。今日は少ないです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 私たちはプチトランを今か今かと待ち続けてた。 予定の10時になってもすぐには来なかった。でもわりと早めには来たと思う。 何故今か今かと思ったかと言うと、、、、プチトランを待ち続けた場所のすぐ近くにテアトル広場があり、少し距離が開いていたが、悪徳画家たちが盛んに似顔絵描くぞと客引きをしていて、それを見ているのが少々うっとうしかったのである。 最初は興味本位の物見遊山のつもりで見ていたが、だんだんいやになってきた。 モンマルトルは、サクレクール寺院の中はもう見せてもらったし、外からみるパリの景観も楽しませてもらった。 モンマルトルの丘の北側斜面の中を歩くのもいいが、少々疲れ気味かもしれない。 あと、どうもモンマルトルの丘までの街の雰囲気が、昨日までのパリ、よく歩いたマレ地区の雰囲気と違い、ちょっとこわい喧騒感がある。 モンマルトルはプチトランに乗ったら、もう後にしようかと、妻に話した。妻もそれでいいと言う。 そうこうしているうちに、モンマルトルのプチトランがやってきたので、待ってましたと言わんばかりに乗った。 勿論、運賃は前払いだ。 ボケボケ写真でごめんなさい。・・・次回に続きます。フランス旅行記は、時に速く時にゆっくり進める予定です
2010年01月28日
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フランス旅行記11日目(2008年7月10日)の続きです。今日は少ないです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー私たちは、サクレクール寺院の外にある有料トイレが開くのを待っている。 そのうちトイレのほうでカタカタと鍵を内側から開けている音が聞こえ、やがてトイレの扉が開いた。 トイレの中にはトイレ番といえるような管理人さんがいた。太っちょの黒人女性だった。 女子トイレは有料なので、妻はコイン1枚(金額忘れた)を受付の前におき、用を足しに行った。私もトイレだったが、どうも男子小用のトイレは無料だったので、ラッキーという感じで用を足した。 しかしトイレで思ったが、フランスもアメリカほどではないけど、人種差別の文化が残っているんだなと思った。 私が見てきた限り、ホテルのメイドさん、庭園掃除の職員、トイレの職員などは大抵が黒人さんが担当しているように思えた。 勿論、SNCFの切符売り窓口職員のような場所でも黒人の係員はいたが、そんなのはごく稀で、大抵の働きにくい場所での労働は、黒人さんの方が多かった。 そう思いつつ私たちはトイレを離れ、サクレクール寺院の前を通って、再びプチトラン乗り場に向かった。 今度はじっくり待つことにしよう。 サクレクール寺院の前を横切るときに、寺院正面上にある像を撮影した。あとで調べたところ、この像は、民衆に祝福を与えるイエス・キリストの像だとの事。 そして私たちは、プチトラン乗り場に到着し、プチトランが到着するのを今か今かと待ち続けることにした。・・・次回に続きます。フランス旅行記は、時に速く時にゆっくり進める予定です
2010年01月26日
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フランス旅行記11日目(2008年7月10日)の続きです。今日は少ないです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 私たちはモンマルトルのアンフォマシオン(観光案内所)を出ると、まずはプチトラン乗り場を探しに行った。 乗り場は、サクレクール寺院からパリ中心部を望む方向に向かって、右前方のほうにあった。まだお客さんも少なく、プチトラン自身、影も形もなかった。きっとプチトラン自身はどこか別のところの倉庫にいて、きっと起きて朝食をとっているところなのだろう。 そのプチトラン乗り場からパリ市街を見下ろすと、モンマルトルの民家の向こうに、何とエッフェル塔を望むことが出来た。 こうしてみるエッフェル塔は、さすがに高い。きっと建った当時は、もっと浮き上がった存在だっただろう。まったく場違いな建物だと、猛烈に批判された文化人の方々もいらっしゃったとか。 さて、ここで二人はトイレに入りたくなった。トイレに入りたいが、トイレが見つからない。 トイレマークを探してみると、なんとプチトラン乗り場ちかくの階段を何段か下りて、左を見るとトイレそのものがあった。しかし、このトイレはうっそうとした木立にあり、古くて汚いようだ。私一人用を足すなら、なんとでもしたとは思うが、妻もトイレをしたいたいとのこと。 もうちょっと、安全面に配慮した清潔なトイレを探したいところだ。 ガイドブックで探してみよう。うーんトイレ、トイレ。 あった、こことはサクレクール寺院の、正門前の反対側にあることがわかった。 私たちは二人でそちらへ進むことにした。何とトイレも開場時間があり、その時間まで開いてない。しかも女子と大便は有料と書いてある。仕方ないから、時間が来るまでの少しの間、パリの市街地を眺めていることにした。 トイレのある場所から見るサクレクール寺院もなかなかのものである・・・次回に続きます。フランス旅行記は、時に速く時にゆっくり進める予定です
2010年01月25日
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フランス旅行記11日目(2008年7月10日)の続きです。今日は少ないです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー サクレクール寺院の見学を終え、再び外に出た私たちは、パリ市街のパノラマを眺めつつ、別のものを探し始めた。 プチトラン乗り場である。やはりただ単に見て回るだけでは、どこにプチトラン乗り場があるかさっぱりわからない。 取り敢えず私たちはアンフォマシオン(観光案内所)を探すことにした。 手元のガイドブックを広げると、あったあった、テアトル広場に面したところらしい。 テアトル広場はちょっと問題だ。少し気を引き締めて通りかかりたい。沢山の新米画家が絵を描いて即売もしているようだが、その中にはいい加減な似顔絵を描いて超高額を荒稼ぎする悪徳画家もいるので、注意が必要である。 実際、テアトル広場に入ってアンフォマシオンを探そうとすると、直ぐに一人二人が「ウイー、ウイー」と声を掛けてきた。何言おうとしているかサッパリわからないが、日本の歓楽街の客引き同様、一旦振り向くとぼったくりバーまで引きずり込まれると思い込むようにして、ひたすら「ノン、ノン」と言って、無視して通り過ぎた。まだ観光客の少ない時間だったので、多少私たちが目立ちすぎたから寄ってきたのかもしれない。 ただ、目立つのは悪徳画家のほうも同じで、やたら積極的に客引きすると、周囲でまじめに書いている画家が迷惑だし、ひょっとしたらインフォメーションから警察に通報されるかもしれない。 私たちは悪徳画家を振り切り、アンフォマシオンをみつけたのでまっすぐそこへ向かった。 テアトル広場の様子もよくわかった。 テアトル広場は巨大なオベリスクが建つような広場ではなく、とてもこじんまりとした広場だ。広場の真ん中にはカフェのテラスが沢山置いてあり、そこを取り囲むように様々な画家が思い思いの絵を描いている。 上手いのか下手なのかわからない。 私たちはアンフォマシオンに入って情報を聞こうとしたが、一組先客がいたのでしばらく待つことにした。待つのにも慣れてきた。フランス人は何分議論好き(あれをいえば、これを言う)文化が強い。だから日本の感覚で待つと凄く時間がかかる感じがする。 外の様子を見ている。 相変わらず、悪徳画家はかってに客引きを活発に行っている。迷惑だ。 やがて私達の順番が来た。「モンマルトルにプチトランがあると伺ってますが、どこが発着所ですか?」ときくと 「階段からサクレクール寺を見て、左手前にあるわよ」とのこと。「メルシ・ボク」と言って、パンフレットも貸してくれた。発車は10:00からとの事。 まだ時間はたっぷりある。早くテアトル広場を離れ、発着場を確認してから、ちょっと他の景色も堪能してみよう。・・・次回に続きます。フランス旅行記は、時に速く時にゆっくり進める予定です
2010年01月22日
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フランス旅行記11日目(2008年7月10日)の続きです。今日は少ないです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 早速私たちは、サクレクール寺院の中を見学することにした。敬虔な気持ちを持って。 しかし私がある事をしたままにしておいたので、入ってくるなり、入口付近にいた牧師さんに注意されてしまった。 そう、帽子を被ったまま入ったのだった。 旅行2日目のノートルダム大聖堂のときは、パリの日差しの強さを半分舐めてかかっていたので、偶々帽子を被ってなかっただけだったのだろう。 旅行も11日目となり、パリの日差しの強さを身を持って体験してしまった私にとって、帽子は外せないものになっていた。だから、神聖な場所に帽子を被ったまま入ってしまったのだ。 敬虔な気持ちで入ったとは言え、初歩的なミスを犯してしまったので反省。 妻はどうだろう。。。あれ? 入る直前にしっかり帽子は取っていたらしい! 私たちは改めて敬虔な気持ちに切り替えて、サクレクール寺院の中を見学した。 寺院の中は勿論電灯がなく、すべてステンドグラスからの採光とロウソクの灯のみ。 ノートルダム大聖堂を見学したときは中央の祭壇付近でミサのようなものが行われていたが、今日は行われてなかった(と、記憶に残っている)。 この寺院の中の写真は、入口で牧師さんに怒られたこと、暗い中をフラッシュ焚かずに撮影して上手く行ったためしがなかったことが作用し、写真を撮る行為を全く行わなかったようである。 よって、残念ながら寺院の中の様子を思い出させる画像がない。 今、サクレクール寺院の中を思い出せと言われて思い出せることは、・見学順路が右回りだった というくらいだろうか? ちなみにノートルダム大聖堂は左回りだった。日本の寺社仏閣で回廊になっているところは大抵右回りだ。高野山奥の院も右回りだった。 ノートルダム大聖堂の見学順路の方が特別なのだろうか? 私たちは、寺院の中を見学してすぐに外に出た。 やはり元々が仏教徒なので、信徒ほどの敬虔な気持ちにはなれないのかも知れない。寺院の中が涼しかったという感覚しか残さず、寺院を後にした。 再び眼前に、パリのパノラマが広がった。・・・次回に続きます。フランス旅行記は、時に速く時にゆっくり進める予定です
2010年01月21日
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