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長い一日が終わりました。ご心配いただいた皆様、ありがとうございました。娘は無事、第1志望の公立高校に合格しました。ホッとしました。受験生の親として、また受験指導を含めた学習指導のプロとして合格点をもらったような気分です。しかし、全体をみれば厳しい結果もでました。長い一日を追ってみると…朝、5時半に目が開いてしまう。7時に起きれば十分なので何度も寝ようとするが全然眠れないので、諦めて起きてしまうことにする。6時半に起床。まだ朝食の支度はできていないので、髪を洗う。もちろん洗顔、髭剃りも。7時から家族みんなで朝食。日ごろはおしゃべりな娘もさすがに少し緊張している。学校の成績と入試の点数(自己採点)と例年のボーダーラインから考えて娘が不合格になることはないと思うのだが、不安は募るばかり。8時50分に家を出る。私は一度本部に行ってから他の職員たちと娘の受験した高校へ行くことになっている。実は娘が受験した高校は地元ではトップの進学校なので、どの塾も毎年自塾の生徒の結果を確認しに何人かやってくる。チラシやパンフレットを配る塾も多い。私ももう十年以上、この高校に結果を見に来ているが、今年はそこで娘の受験の結果も確認することになるわけだ。9時45分に高校に着く。娘はもう着いていて、構内の合格通知をもらう場所に並んでいるようで姿は見えなかった。生徒と保護者以外は構内には入れないことになっている。今年は私は受験生の保護者なので入ってもいいのだが、中に入れば塾の先生として教え子たちと話をしないわけにはいかないので、例年通り外で待つことに。10時。合格発表始まる。掲示方式ではなく、一人ひとり封筒をもらい、中の合格通知書を確認する方式。合格の手続きの列に並ぶか、それとも一人だけすっと列を離れてまっすぐ帰ろうとするかが合否の分かれ目。ボーダー上か、と思われた生徒が次々と合格手続きの列に並ぶのが見える。しばらくして娘の姿も合格手続きの列の中に発見して一安心。予想以上にいい結果が期待できるかも…、と思ったその時、「先生、不合格でした」の声が。微妙な位置ではあるけど、大丈夫じゃないか、と思っていた生徒が不合格になってしまった。私は合格した生徒たちのスナップ写真を撮る、というのが合格発表日の役割なのだが、しばらくその場を動けず、写真を撮ることもできなかった。受験はいつも厳しい。受験した生徒には全員合格してほしいわけだが、特に合格させたい、と思っている生徒に限って不合格になったりする。それからあとはただ、ただ、受験生と塾関係者の人ごみの中をうろうろするばかり。1時間後には本部に戻った。しばらくは何をする気にもならなかったが、私には合格体験記をまとめた折込チラシの原稿を書く、という大仕事がある。気を取り直して原稿を書き始める。お昼ごろから原稿回収と原稿書きをはじめ、生徒からの原稿がすべて回収できたのが午後8時ごろ。すべての原稿を書き終えたのが9時ごろ。それから校正をしたり、合格実績の掲載の仕方を検討したりして、すべての作業が終わったのが11時を少し回ったころだった。11時半帰宅。長く重苦しい一日が終わった。
2008年02月29日
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チューリップ・コンプリートのことも書きたいし、ほかにもいろいろ書く材料はあるのだろうが、今は高校合格発表のことが気になってほかに気が回らない。娘が受験生であるということもあるし、今年は例年になく難しい試験だったので、今までのボーダーでは合否が読みきれないということもある。とにかくもっと早く発表してくれないものだろうか。私立のように試験の翌日に発表しろとはいは言わないが、せめて3日後ぐらいにならないものか。発表を待つ数日間は受験生(とその親)は気が気でない。生徒も勉強する気にも遊ぶ気にもならないというのが正直なところだろう。それでも今日、娘はお別れ遠足でディズニーランドに行って来た。それなりにエンジョイできたようだ。もう5日も経っているので、あまり点数が取れなかったとしても時間が忘れさせてくれる。それでまた数日後の合格発表で現実に戻されるわけだ。一生を左右しかねない大事なことなので、高校の側も慎重になるのだろうが、8日後とはいくらなんでも長すぎる。
2008年02月27日
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入試翌日の22日。いつもならにぎやかな朝食の場も、だれも一言をしゃべらずに黙々と食べるだけ。娘はとりあえず学校へ。私も普段どおり仕事へ向かった。当然、同僚の先生方からは「娘さん、どうでした?」と訊かれる。私は努めてそれほど気にしていないように「いや~、ダメでした」と答える。この時が、今思えば精神的にはいわゆるどん底状態だったように思う。受験生の親というのは皆、こういう気持ちを多かれ少なかれ経験するのだな、と思うと、子どもの受験を終えた世のお父さんお母さんたちはつくづく偉大だな、と思う。状況が少し変わってくるのはこのあとから。いろいろと聞いてみると、他の生徒たちも結果は思わしくなかった。ということは全体的にボーダーラインが下がる可能性がある、ということだ。家に帰って、学校の友だちがどのくらい点数を取ったかを娘に聞いてみると、やはりほとんどの生徒が予想よりも低い点数しかとれていない、ということだった。最終的に自己採点の結果をまとめて並べてみると、なんのことはない、娘が取れた点数は目標よりも低かったが、何回も行った入試模試の時の判定と同じような結果になっていた。つまり全体的に点数が下がったということだ。結局、娘の合格可能性は模試の時の判定と比べて特に良かったということも悪かったということもなかった。改めて自分の塾で行っている模試の合格可能性の確かさを知った。もちろん、合格発表はまだ先だが、とりあえず、目標だったポジションには留まったように思う。親子ともども、少し落ち着きを取り戻した。受験というのはつくづく難しい、厳しいものだと思う。娘のように、模擬試験で取れていた点数よりも低い点数しか取れなかった生徒もいれば、模試では取ったことのないような高得点をとる生徒もいる。模擬試験はあくまでも模擬試験であって、入試本番ではない。皆が模試の点数どおりの点数を取るのだったら、最後までがんばって勉強して合格しよう、と勉強する気にもならないだろうし、そもそも入試をやる必要がなくなってしまう。とはいえ、自分の子どもだけはなんとか点数が取れるのではないか、と考えてしまうのが親だろう。また、今まで、いろいろな生徒、親を見てきて、「なんで一つ上のレベルの高校を受験しようという気持ちでがんばらないのだろう」と思うことも多々あったが、本番で何点取れるかは神様しかわからないような状況の中では、親としてはより安全な志望校を選択する、という気持ちも理解できるようになった。受験は厳しいものだ、というのはこれまでの経験から知ってはいたが、今回、自分が受験生の親になってみて、改めてその厳しさを知った気がする。
2008年02月22日
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21日の日記だが、これを書いているのは24日だ。とても21日は日記を書いたりする余裕はなかった。しかし、今書いておかないとあの時の気持ちを忘れてしまいそうなので、3日たった今日、書くことにする。娘が第1志望である公立高校の入試を受けに行った日、私は普通どおり仕事に就いていた。午前中はいろいろな雑用をこなし、午後1時からは職員会議だった。例年なら自分が何かの作業をしている間、会議をしている間は試験のことを考えることはないのだが、今年はやはり少し違った。「今数学が終わったところだ」「あっ、今、社会が始まったな」「これでちょうどすべての教科が終わったころだけど出来はどうだったろう」と逐一試験のことが気になった。そして、テレビの解答速報番組の放送が始まり、自己採点が終わったと思われる夜8時半ころに、妻からメールが届いた。そこには「あまり結果が良くなかったみたい。泣いているからやさしくしてね」の文字…。このときの私の気持ちを何と例えればいいのだろう。うしろからいきなり後頭部をガーンと殴られた気持ち、いきなり床が抜けて地面に穴が空いて自分がスーッと落下していく気持ち…。今までの経験の中からこのときの気持ちに近い状況を選べと言われたら、20年前に、弟が交通事故で死んだという電話を受けたときかもしれない。それでも、まあ目標よりも5点くらい足りないだけだったら、なんとか合格ラインには達しているだろう、と思って帰宅した。そして娘に自己採点の結果を聞いたところ、なんと、目標には10点足りなかった。予想していたよりもかなり悪い。一瞬、“不合格”、“併願の私立高校への進学”の文字が頭の中をよぎった。そして、その点数で過去に合格した例がないことはわかっていたので、それはだんだんと一瞬ではなく、客観的で冷徹な事実として私の頭の中を支配していった。娘には「まあ、目標には少し足りなかったけど、なんとかボーダーラインにはひっかかっているんじゃない」と言ったが…。娘が寝室に入ってからは妻と二人で今後のことを話した。私立高校に行くことになったら経済的にかなり負担が増えるので、生活全般を見直さなければならないこと、場合によっては定員に達していなかった公立高校の2次募集を受験させようか、など。そして、なぜ点数が取れなかったのか、結局は実力がなかったのか、そもそも無謀な受験だったのか、といったことまでも。今までの自分の仕事、自分の人生についても考えた。自分が子どもに勉強を教える仕事をしていながら、なぜ自分の子どもに十分な学力をつけることができなかったのか…。直前に、ちょっと勉強方法が違うんじゃないか、と思ったにもかかわらず直前であるがゆえに言い出さずにいたことが失敗の原因だったのだろうか…。どちらかと言えば仕事優先で今までやってきたが、そもそも、もっと子どもの生活全般に関わるべきだったのだろうか…。重苦しい雰囲気で長い1日が終わった。
2008年02月21日
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いよいよ明日になりました。公立高校入学試験。もう10年以上職務上で経験しているはずなのに、さすがに我が子が当時者になってみるとかなり事情が変わってきます。まず、当然といえば当然ですが、何事も主観的に見てしまいます。模試でこれくらいの点が取れていれば本番の入試でもこれくらいは取れる…、という話を我々は常に受験生や受験生の親にします。そして、それはたいてい当たっています。しかし、当事者にはそうして客観的なデータに基づく話はあまり意味がないことがわかりました。あくまでも主観上の話ですが。受験生になってみると、あまり物事をいい方へは考えません。倍率が1倍を少しでも超えていたら、極端な話、定員よりも一人でも多くの受験者がいれば、“自分が(あるいはわが子が)その一人になったらどうしよう”と考えるのが受験生とその親だということがあらためてわかったのです。特に入試本番が近づくとそういう気持ちになります。自分の子どもが英語の力がついていない、あるいは理科の問題が解けない、といった場合、首に縄をつけてでも、やらせてほしい、と思うものだということもわかりました。もちろん、志望校に合格させるのが我々の仕事ですから、普段から特定の生徒を授業日以外に呼び出したり、特別の課題を与えたりすることはありますが、それでも本人が塾に来ない、または課題をやってこない、という場合は“仕方ないな”で済ませてしまうこともあります。実際には首に縄をつけることはできないからですが、やはり親の気持ちとしてはそうではない、ということがわかりました。もっとも、生徒の現状の学力を報告したり、今度はこの日に勉強をしに来てください、という電話を入れたりすると、ほっといてください、という反応をする親もいるから難しい。というわけで、受験生の親になってみないとわからないことがたくさん分かってよかったです。これからの指導に活かせそうです。
2008年02月20日
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この年は「無限軌道」「日本」をリリース。私は中学2年生。「サボテンの花」を自宅にあったエレクーンとギターで演奏して、2台のラジカセでダビングして多重録音をした。使う機材は変わったがやっていることは今と変わらない。おそらく一般の人たちは「サボテンの花」を聴いて“財津和夫も歌を歌うんだ”と思ったと思う。これはベスト30歌謡曲で歌っているのを聴いた記憶があるので、たぶん10位くらいには入ったんだと思う。しかし、「無限軌道」で好きだったのはなんといっても「もしも僕が」。抜群のポップスセンスを発揮した曲だと思う。「ある昼下がり」も大好きだった曲(もちろん今も)。これはギターを2回重ねて歌って多重録音した。「無限軌道」は「おいらの旅」「一人がいいさ」などの結構ハードなロック色の強い曲が入っているにもかかわらず、全体のイメージが暗いのが不思議。ジャケットのせいかもしれない。この年、ミュージックライフの人気投票でグループ部門1位、アルバム部門で「TAKE OFF」が1位をとった。私はこの号のミュージックライフを持っていたが、なくしてしまった。つくづく残念なことをした。
2008年02月17日
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1974年は一番チューリップが売れていた年だろう。いわゆるマスメディアへの露出度という点で。しょっちゅうテレビやラジオに出ていたし、レコードもシングル、アルバムともに売れていた。ここに掲載されている写真も見たことのあるものが多いし、エピソードもほとんどどこかで耳にしたことのあるものだ。私は中学1年生。コンサートに行くことはできなかったが、アルバムは買った。「TAKE OFF」「ぼくがつくった愛のうた」と、想像以上にすばらしい曲が次々に出てくるので完全にノックアウトされた、という感じでチューリップに浸かっていった時期だ。音楽のことはまだよくわからなかったので、何がどうすごいのか理解できなかったが、とにかく音楽の勢い、パワーに圧倒された。ラジオでは「一本の傘」をよく聴いた。スタジオライブなどでは「青春の影」よりも「一本の傘」の方を好んで演奏したようだ。p34にキンクスの「サニー・アフタヌーン」にインスパイアされた曲、と書いてあるが、あれはインスパイアというより、まかり間違えば盗作?と言われかねないほど似ている。「組曲」の中のスネアのエコーは私は気に入っていたが、クリス・トーマスがミキサーをいじっていったというのははじめて知った。それにしても同じ年に2枚のオリジナルアルバムを作りリリースするというのは今ではまったく想像できない快挙(暴挙?)だ。2枚とも間違いなくクオリティが高いし。いったい今のミュージシャンは何をしているんだろうか。今のほうが当時よりも安く、いい音で録音できると思うのだが。「サボテンの花」も74年末にレコーディングしている。まさにチューリップ満開の年だった。
2008年02月15日
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中学3年生には夏ごろからあっという間に入試の日になるよ、といい続けてきたが、本当に入試の直前になってしまった。今年は自分の娘も受験するからか、特に早かったような気がする。来週の木曜日、21日に神奈川県の公立高校の後期入試が行われる。既に前期で合格している生徒が全体の約4割ぐらいいて、私立の入試もほとんど終了しているので、学校などは少し雰囲気がゆるい部分もあるが、ウチの塾生は後期に本命の高校を受験する生徒が多いのでまだまだ緊張の日々が続く。とはいえ、あと1週間。今から急激に得点力をアップすることは難しいので、生徒に何をさせるべきか。
2008年02月14日
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さっき(午後9時半ごろ)新聞を読んでいて気づいたのですが、今日の午後6時のTOKYO-FMの番組欄に「平原綾香チューリップの名曲をカバー」書いてありました。一体何を歌ったのでしょうか。どなたか聴いた方はいますか?
2008年02月10日
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この年の2月にファンクラブができるわけだが、このときの発会式に参加した50人の人たちはいったい今はどうしているのだろう。今、本当にすごいと思うのはこの時にチューリップのファンになった人たちだ。もし、このブログを読んでくれている人たちの中に「心の旅」が売れる以前からチューリップのファンだった、という人がいたら、是非教えてください。閑話休題。「ミュージック・ジャック チューリップのすべて」は私も持っている。チューリップのファンになりたてのころ、本屋でたまたま見つけて買った。73年の5月に出たものだが、私が買ったのは当然「心の旅」が売れた後だから、たぶん9月か10月だったと思う。たまたま売れ残っていたのだろう。といったように初期のころのステージの様子、プライベートな生活などの写真が掲載された結構貴重な雑誌だと思う。このころは他のミュージシャンとのジョイントをよくやっていたようだが、のちに「がむがむ」になる「あかてん」というグループともやっている。もちろん、まだ宮城伸一郎はいない。宮城伸一郎が参加するのは1975年。私がはじめて“動いている”チューリップを見たのは「ベスト30歌謡曲」で1位となって歌っているチューリップだった。この年の8月22日に1位になっているようなので、私が見たのは夏休み中の番組だったのかもしれない。このころのチューリップはよくテレビに出ていた。「ベスト30歌謡曲」のほかは「ゴールデン歌謡速報」、「ぎんざNOW」、などでよく見た。だれが見ても姫野達也を中心としたバンドだった。ラジオでもよくライブの様子を放送していて、気がつくとカセットに録音していたのだが、それはおこづかいが足りなくてレコードを買えなかったからであり、のちにレコードを買い揃えるようになってからすべて消してしまった。今思えばバカなことをしてしまったと思う。
2008年02月06日
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「THE TULIP COMPLETE」が手に入った。この本にどのように対峙していくか。ちょっと大げさだけど、今、私はそんな気分なのです。予想外に本が立派だったことがその理由です。装丁もさることながら、中身もまさにコンプリートというのにふさわしいものになっています。おそらく、このブログに目を通してくれているコアなチューリップファンの方でもはじめて知るようなことが多く載っているのではないかと思います。写真も豊富で、たいていは見たことのあるものですが、やはり“こんな写真もあったんだ”と思うようなものも結構あります。厚さからしても、なんとなくざっと読んで、ざっと感想を述べるだけでは済まない雰囲気になっています。で、単純な方法ですが、最初のページから年を追って読みながら、その内容に自分の経験、知識を加味しながらコメントしていくことにしました。まずは1972年です。私はこの時小学5年生です。まだチューリップの存在は知りませんでした。ピアノを習っていたりして音楽はある程度好きでしたが、郷ひろみや西城秀樹、天地真理なんかをたまにテレビで見る程度しか音楽には触れてませんでした。16時間かけたという「魔法の黄色い靴」のレコーディング風景などは写真とともにいろいろな雑誌などにも紹介されているので特に新しい発見はありませんでしたが、シンコーミュージックのやることがなぜか“和式”というキャプションは面白いですね。映画「戦争を知らない子どもたち」は私も存在だけは知っていて、見てみたいと思っていたのですが、数年前にBSで放送されたことがあり、やっと見ることができました。学生運動をテーマにしたもので、当時の学生の様子や世相がよくわかる面白い映画でした。チューリップは最後の方の場面で結構映っています。ストーリーとは全く関係なく、ただ演奏シーンが流れるだけですが、立ち位置の関係か安部さんが映っている場面がちょっと多かったと思います。閑古鳥が鳴いていたという青山タワーホールでの初のワンマンライブはどんなステージだったのでしょうかねえ。「もう笑わなくちゃ」のライブバージョンなどは是非聴いてみたい。ビートルズナンバーではここでも「Lady Madonna」をやっていますね。その後のライブでもやっているし、レコーディングもしているし、テレビ番組の「ニューミュージックスペシャル」ではチャーと一緒に演奏したりしているし、おそらく一番演奏しているビートルズナンバーだと思います。
2008年02月03日
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「THE TULIP COMPLETE」…。いつこんなのを作ったんだろう?と思うぐらい完璧な、まさにコンプリートな本ですね。装丁も立派だし。「ボクチンの友だち」とはどんな曲なんでしょうか。覆面バンドなんてはじめて聞きました。是非、是非、聴きたいですね。チューリップのことはたいてい知っていると思っていたのですが、知らないことが結構あっておもしろいです。まだ全部読んでませんがじっくり読みます。CDもすごいですね。ステージ丸ごと収録というのはおもしろいです。財津さんの弾くエレキギターの音をかなりはっきりと聴くことができるのは珍しいですね。はじめてライブバージョンを耳にする「もしも僕が」など興味深いです。しかし、どうしたことかベースの音がかなりおかしいのです。私のCDだけでしょうか。皆さんのはどうですか。まともにベースの音が聞こえるのは数曲しかありません。音が小さい上にシールドが接触不良を起こしているような変な雑音も入ります。歌詞カードに書いてあった「一部ノイズの入っている箇所がある」というのがこれでしょうか。
2008年02月01日
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