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またまた、山に登ってきました。今回は北アルプスです。ところが、登山期間は実質1日。昨夜松本まで行って1泊、今日の大糸線始発で白馬駅まで行って、日帰りしてきました。この山は、12年まえに職場の同僚と登ろうとしたことがあります。やはり積雪期でしたが、3月半ば頃だったと思います。天気はよかったのですが、時間切れで山頂までたどり着けませんでした。そのとき以来、「いつか登りたい」と思っていました(夏は2008年に五竜岳と結んで登ったことがあります)が、何しろ北アルプスの中でも一番北端、日本海が目の前です。つまり、世界に名だたる豪雪地帯であり、ということは冬場はたいてい天気が悪い、ということになるわけで。純技術的にはそんなに難しい山ではない、というか簡単な山ですが、天気が荒れて視界がなくなると、尾根で道に迷って遭難する人が多いのです。かつて、本多勝一氏が逗子開成高校山岳部の遭難を取り上げた、その遭難現場がここでした。というわけで、天気の見極めが難しいのですが、昨日の予報で今日は日本海側も晴れそうだ、ということだったので、登ってきました。とりあえずiPad miniの写真をご紹介します。フィルム一眼レフの写真は後日公開予定です。予報は大当たり、でした。快晴です。写っているのは五竜岳。八方尾根の向こうに、不帰のキレットが見えます。唐松岳と白馬鑓ヶ岳の間の難所です。目指す唐松岳が見えてきました。左端の山です。簡単な割には、鋭くとがって見えます。この写真では、右側が唐松岳です。山頂に着きました。山頂からの五竜岳の眺めです。ずっと天気がよかったのに、わたしが山頂に付いたとたんに、雲が出て日がかげってしまいました。視界はありましたけど。で、下山にかかると、また晴れた。ちょっとタイミングがよくなかった。登山口を9時に出て、山頂到着が1時だったので、登りに4時間かかったことになります。登山口から山頂まで、標高差は800mくらいなので、ちょっとペースが遅かったです。冬山は夏より登りに時間がかかるものですが、それを割り引いても遅い。登山体力が落ちているかな。山頂の証拠写真です(笑)山頂から、唐松頂上山荘を見下ろす。山荘からはすぐ目の前です。実際、夏に登ったときは、確か小屋から10分か15分でした。でも、冬は時間がかかりました。左側に下っていく稜線が八方尾根です。逆に、頂上山荘から山頂を見上げます。なお、唐松頂上山荘は今の時期は営業していません。同じ辺りから唐松岳を、夏に撮った写真がこちらです。小屋の前から剱岳(右)と立山(左)を撮影。iPad miniのレンズではちゃんと写っていませんが、肉眼では雲の上に富士山もはっきりと視認できました。北アルプス南部の穂高からは富士山を何回か見たけど、更に遠い北部からでも、富士山は見えるんですね。八方尾根をだいぶ下ったところで白馬三山を撮影。左手前が白馬鑓ヶ岳、その右奥が杓子岳、一番右奥が白馬岳。登りはじめからずっと見えていたし、写真も何枚も撮ったけど、日が落ちてきて陰影が濃くなったこの時間帯の写真が、一番きれいかなと思います。リフトの終点が見えてきました。今日は快晴なので、迷う心配も皆無でしたし、風がまったくなかった。なんとも幸運でした。八方尾根は、のぼりでは迷うことはまずないのですが、下りでは、視界がないと右側に枝分かれする二つの尾根、上樺尾根と下樺尾根に迷い込んでそのまま遭難する例が多いようです。前述の逗子開成高校の遭難も、確かそうでした。視界がなかったら、とにかく左寄りに左寄りに下る。右寄りに進むと、遭難して死んじゃう。おっと、日本の政治と同じだ。もっとも、視界の悪いときはそもそも登るべきじゃないですけどね。
2015.02.28
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ガラケー端末でスマホ機能の「ガラホ」は買いか?2月20日、KDDI(au)が初めて発売した「ガラホ」。端末はガラケーだが、中身はスマホという新商品だ。スマホを好まないユーザーにとって、ガラホ発売は朗報になるだろうか?KDDIがガラホを発売して1週間。「まだ販売データを集計中だが、出足はかなり好調」という。ガラケーそのままの端末だが、OSはAndroidで、データ通信速度はスマホと遜色ない。そもそも、なぜガラホが誕生したのだろうか? 背景には、根強いガラケー人気があるようだ。「スマホが便利なのは知っているけれど、使い慣れたガラケーを変えたくない」。続々誕生するスマホの新機種を尻目に、ボロボロに使い込んだガラケーを手放さないユーザーは少なくない。シンプルな操作性に加え、料金の安さも、ガラケーの魅力だ。実際、日本は未だに“ガラケー大国”。総務省の資料によると、日本のスマホ保有率は53.5%。シンガポールの93.1%、韓国の88.7%、英国の80%などと比べて非常に低い。中高年層を中心に、ガラケーのシンプルさを好むユーザーが大勢いる。しかし、ガラケーの機能にユーザーが100%満足しているわけではない。LINEなどのアプリがスムーズに使えなかったり、ウェブが見にくいなどのデメリットがあるからだ。「LINEで孫の写真を送ってほしいけれど、スマホに切り替えるのはちょっと…」。そんなニーズに応えてきたのは、大手キャリアではなく格安スマホだった。大手キャリアに比べて料金は半額以下。これならガラケーを使いつつ、LINEだけを格安スマホで楽しめばいい。今回発売となったKDDIのガラホは、機能の高さはスマホ並みだ。4G LTEに対応、テザリングもできる。端末は見た目も操作性もガラケーそのもの。連続待ち受け時間や通話可能時間はガラケーと同等かそれ以上と、バッテリーも長持ちだ。ガラケーならではのおサイフケータイやワンセグにも対応している。ここまで見ると、ガラホに切り替えたい気持ちが湧いてくるが、料金プランはスマホとほぼ同等なのだ。機能はスマホと同レベルなのだから当然だが、高い料金がネックでスマホに切り替えないガラケーユーザーは躊躇しそうだ。KDDIに続き、NTTドコモもガラホ参入を検討している。今年の夏モデルで発売をする公算が高い。ただし、ドコモはOSにはAndroidを使う可能性が高いが、KDDIのようなスマホ並みの高スペックを追求するわけではなさそうだ。ガラケーとスマホの“いいとこ取り”を目指したガラホだが、KDDIとドコモでは、ずいぶんと違った商品になるのかもしれない。(要旨)---これがガラホだそうです。確かに外見はガラケーにしか見えません。でも、中身はスマホだと。考えたものです。しかし、引用記事でも指摘されていますが、見た目、使い勝手がガラケーで中身はスマホというのはいいけど、料金もスマホだと。そりゃ、ネットの通信量がスマホ並なら、通信料がスマホ並になるのは当然のことです。ガラケーが安いのは、通話ばかりでネット接続などほとんどしないからです。ガラケーの安い通話プランで、パケホーダイなしでネット接続をすると、料金はとんでもない額になることがあります(いわゆるパケ死)。私は経験ありませんけど、私の相棒は、携帯の料金が1万円を超えたことはあります。その程度ならパケ死とまでは言わないかもしれませんが、普段の携帯代からすれば仰天です。すぐパケホーダイに入りました。それに、もうひとつ言えるのは、ガラケーは通話に関してはスマホよりよほど便利ですが、文字入力はそれほど便利なものではない、ということです。私は、相棒とiモードメールをやり取りする際、だいたいは、最初の一文字だけ入れると、後は予測変換で文章が完成してしまいます(毎日ほぼ同じ内容の確認メールばかりなので)。だからiモードメールの入力は簡単なのですが、予測変換が利かないような長文は無理です。あの入力システムで、たとえばこのブログの記事を書こうとは思いません。ガラケーどころか、スマホのフリック入力だって、このブログの文章量は無理ですが。ただし、この「ガラホ」をテザリング親機にして、スマホやタブレットをつなげば、そのあたりは解決できるかもしれませんね。・・・・・・でも、それなら本物のガラケー+格安SIMのスマホまたはタブレットの2台持ちと使用感は変わらず、値段はそちらのほうが安い、ということになってしまいます。というわけで、私もガラケーユーザーの一人(モバイルルータとiPad miniと3台持ち)ではありますが、このガラホの記事を見て、「欲しい」とはまったく思いません。でも、売れ行きは好調だというから、ある程度のニーズはあるんですね。確かに2台持ちは重くてかさばるから、全部1台で済むのは魅力ではあるかもしれません。余談ですが、ガラケーにも、WiFi内蔵、という機種がいくつかありますが、こうなってくると、ガラホとWiFi付きガラケーと、何が違うのかよく分からなくなってきます。LTEに対応するか3Gまでか、OSがAndroidか否か、あたりで区別するんでしょうかね。
2015.02.27
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「(外国記者は)日本について全く無知で、いい加減なこと触れ回る」 朝日「吉田証言」2万人訴訟会見で、なぜか海外メディアとバトル従軍慰安婦が多数強制連行されたとする「吉田証言」に基づく誤報を朝日新聞が30年以上取り消さなかった問題で、「朝日新聞を糺す国民会議」が2月23日、日本外国特派員協会で会見した。同会議は、日本や日本国民の国際的評価を低下させたとして朝日新聞に損害賠償と謝罪広告の掲載を求めて提訴している。この日の会見では、訴訟の意義を「事実関係を司法の場で明らかにする」ことだと説明。さらに、対朝日新聞だけではなく、「日本について全く無知で、いい加減なことを触れ回っている」「朝日新聞と同じようなイデオロギー色に満ちた報道しかしていない」といった外国記者に対する批判も相次ぎ、記者から反発する声が出た。訴訟は、上智大学の渡部昇一名誉教授を原告団長とする約8700人が1月26日、1人あたり1万円の慰謝料と謝罪広告掲載を求めて東京地裁に起こした。現時点で「国民会議」には原告に加わるために必要な「訴訟委任状」が2万3000通以上届いており、2月末~3月初旬にも2次提訴に踏み切る。会見では、登壇者と記者の対立が先鋭化する場面もあった。米国人記者の「朝日新聞の報道は、国際社会で肯定的に受け止めてきたが、皆さんのメッセージは否定的に受け止められている。なぜだと思うか」との質問に対し、登壇者2人は外国メディアの伝え方に問題があるとして、会見に出席している記者を非難した。「ここに来ておられる米国、欧州の記者の方も、日本について全く無知で不勉強。それが一番大きな原因。私たちの責任ではない」(加瀬氏)「日本人は、虐殺や、むやみな殺生、人殺しを嫌う国民。この現実を無視して、日本人が大変危険、もっと言えば安倍総理が危険な存在と、歴史修正主義者、右翼という形で非難しているのが皆さんだと思う。残念だし、怒りすら覚える。本当のことを伝えていただきたい。日本の真実を伝えるのが皆さんの責任であり義務だと思うが、朝日新聞と同じようなイデオロギー色に満ちた報道しかしていない」(水島氏)「日本は歴史を通じて奴隷、奴隷制が全く存在しなかった文化。特に19世紀後半まで奴隷制があった米国から性奴隷とか言われたくない。日本には、宗教抗争、例えばカトリックとプロテスタントが際限なく殺し合うような宗教対立も宗教抗争もなかった。多くの外国のジャーナリストが、日本について全く無知で、いい加減なことを触れ回っているから、日本の評判が悪くなっている。是非みなさん、日本について勉強していただきたい」(加瀬氏)とも主張。これに対してイタリア人記者が声を荒げ、司会者が制止する一幕があった。(要旨)---「朝日新聞を糺すネトウヨ会議」、もとい「朝日新聞を糺す国民会議」が朝日に対して狂ったような裁判を提訴する、という話は聞いていましたが、その裁判の原告になろうという人が23000人以上、という話には暗澹とします。まあ、朝日新聞がいろいろな意味でしくじったことは事実ですけどね。それにしても、この記者会見が、特派員協会側の求めで開かれたのか、朝日新聞を糺す国民会議側の求めで開かれたのかは知りませんが、仮に特派員協会側の求めであったとしても、嫌なら拒否することはいくらでもできたはずですから、朝日新聞を糺す国民会議側も記者会見に積極的に応じた結果と考えて間違いないでしょう。当然のことながら、外国特派員は、読売だの産経だののような安倍万歳の御用メディアばかりではなく、厳しい質問が飛び交うのは当たり前の話。それに対して、こういうバカ丸出しの返事で喧嘩を売っているいる時点で、まるっきりお話になりません。「我々は狂信的右翼であり、かつ安倍政権応援団です」と世界に向かって宣伝しているようなものです。「朝日新聞と同じようなイデオロギー色に満ちた報道しかしていない」との言葉もありますけど、今もっともイデオロギー色に満ちている新聞は産経新聞だし、放送局で言えば、水島総の「チャンネル桜」でしょう。もちろん、イデオロギーの方向性は朝日新聞とは全然違いますけど。他人に対して「無知で不勉強」などと公言する加瀬英明は、「日本は歴史を通じて奴隷、奴隷制が全く存在しなかった」「日本には~宗教対立も宗教抗争もなかった。」などと、それこそ日本の歴史について無知で不勉強であることを露呈しています。日本の歴史に人身売買はなかったのですか?奴婢って何ですか?乱妨取りは?からゆきさんは?公娼は?そして、平安時代のお寺には僧兵っていましたよね。織田信長の、一向一揆に対する皆殺しの制圧、豊臣秀吉のキリシタン弾圧、島原の乱、あれは宗教対立、宗教抗争ではないのですか?明治初期の廃仏毀釈は?「日本人は、虐殺や、むやみな殺生、人殺しを嫌う国民。」だそうです。でも、私が思うに、虐殺やむやみな殺生、人殺しを好む国民など、世界のどこにもいません。どんな集団にも一定の割合で、思考回路がイカレている人は存在するでしょう。そして、異常な環境に置かれれば、異常な思考、異常な行動が増える、という一般原則はあるでしょう。戦争という異常な環境、とりわけ補給の不備、休養の不足など特に過酷な状況の下では、「虐殺やむやみな殺生、人殺し」が増えるのは、残念ながら人類に普遍の現象です。日本人だけが特別に人殺しを好んだ、などということは一切ない代わりに、日本人だけが特別に人殺しを嫌う国民ということもありません。要するに、ネトウヨ脳のファンタジー歴史の中の物語を語っているに過ぎないわけです。そんなものに「無知で不勉強」なのは当たり前です。そんなファンタジー物語を「日本の真実を伝えるのが皆さんの責任であり義務だ」などと言ったって、そんなものに共感できない人間にとっては、ただただ馬鹿馬鹿しい限りです。問題の訴訟は、「日本や日本国民の国際的評価を低下させたとして朝日新聞に損害賠償と謝罪広告の掲載を求め」るものだそうですが、日本や日本国民の国際評価を低下させているのは、明らかに彼ら自身のほうでしょう。しかし、本人たちの主観では、これこそが「『正しい歴史』を世界に向けて発信した」ということになるのでしょう。要するに、自らの自尊心を主観的に満たせるような行動を取れば「誇りある歴史」なるものを取り戻せると思っているわけです。まさしく、愛国者が国を滅ぼす、に典型例の一つです。
2015.02.26
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<日本礼賛本>嫌韓・嫌中しのぐ勢い? ブームの理由を探る書店で“嫌韓・嫌中本”をしのぐ勢いで売れているのが「日本はこんなにスゴイ!」と褒めたたえる“日本礼賛本”だ。テレビでも外国人に日本を褒めてもらう番組がいっぱいだ。ブームの「火付け役」の一つは「日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか」(竹田恒泰著、PHP新書)。担当編集者は「当時、正面切って自国を褒める本はほとんどなかった。自国を褒めていいというメッセージが読者に待ち望まれていた」と分析する。出版の3カ月後、東日本大震災が発生。整然と助け合う日本人の姿が世界から称賛を浴びた。「『日本は素晴らしい』と口に出す人が増え、部数は大きく伸びた」。昨年は「嫌韓・嫌中本ブーム」が注目された。「読者も飽きてきた」ところで盛り上がったのが、今回の「日本礼賛本ブーム」だ。ネット上では「ヘイト本ブームと表裏一体」「まるで“愛国ポルノ”」などの批判の声もある。過去にも、日本や日本人をたたえる本が売れた時代はあった。東大名誉教授(文化人類学)の船曳建夫さんは、その手の書籍がブームになる背景には常に「不安」があったと指摘する。「明治維新以来、国が苦境にある時も右肩上がりの時にも、日本人論は日本人がアイデンティティーに不安を抱えた時代に流行し、不安を癒やす『安定剤』の役目を果たしてきました」船曳さんによると、日本人論ブームの第1期は日清・日露戦争の富国強兵期。西洋の先進国と比較し、日本をポジティブに評価しようとした外向きの時代。第2期は29年世界恐慌から開戦ごろまで。「日本は非西洋である」を前提に日本の伝統に価値を求めた内向的な時代。第3期は敗戦から経済復興まで。右肩上がりでも『これでいいのか』という不安を背景に、長く日本人論が読まれた」「今回は第2期に似ている。第2期の不安の相手は西洋だったが、今は中国や韓国。将来に不安を抱え未来に明るさがないため、古来の伝統や西洋人からの評価に価値や癒やしを求め、日本人と自分自身のアイデンティティーを守ろうとしているのでは」と分析する。一方、このブームは出版現場に影を落としているようだ。中堅出版社の編集者は「売れる売れないだけでなくイデオロギー面でも自粛ムードが漂う。安倍政権批判や、中国韓国に好意的な本の企画が『反日』出版社というレッテル貼りを恐れて通らない。ジワジワと自主規制が広がっている」。サブカルチャーをけん引する太田出版前社長で、今は隔月雑誌「社会運動」を編集する高瀬幸途さんは、「批判的な知性こそが90年ごろまでの出版文化の背骨を支えてきた。しかし今は自国に批判的な言説は読者に嫌われる。編集者は広告代理店のようにデータ分析し、手を替え品を替え売れ筋を狙う。結果、肯定的言説の本があふれ、編集者も読者もそこに溺れている」と語る。---私は、日本礼賛本自体は(買ったことはないけど)、そんなに嫌いじゃないです。嫌韓・嫌中本に比べれば、どれだけマシか分かりません。実際問題、日本は治安の面から見れば、かなり暮らしやすい国であることは事実だと私も思います。ただし、もちろん完全無欠の理想郷でもありません。欠点もたくさんある。他国よりずっとよいところがたくさんあるのと同様、他国のほうがよいところもたくさんあります。だいたい、この世に完全無欠の理想郷など、存在するわけもありませんが。というわけで、日本礼賛本がある程度存在すること自体は不思議でもないしおかしくもないとは思いますが、日本はダメだ、日本のここが問題だ、という本もまた、存在するはずだし、存在しなければおかしいのです。「安倍政権批判や、中国韓国に好意的な本の企画が『反日』出版社というレッテル貼りを恐れて通らない。」なんて状況は、異常としか思えません。だいたい、「日本は素晴らしい」「日本は世界一だ」という耳に心地よい言葉だけを読むことに、どんな益があるのか。前述のように、そういう耳に心地よい言葉があっていいとは思います。だけど、そんな言葉だけで世の中が埋め尽くされてしまったら、「欠点を直していこう」という意思すら、人は持たなくなるでしょう。そんなに素晴らしい国なら、直すべき欠点などない、ということになるでしょうから。批判的な視点というのは、人間の進歩のためには絶対に必要なものだと私が思う所以です。要するに、どちらにしてもバランスというものがあるだろう、ということです。ひたすらダメだダメだ、ばかりでも、日本よい国世界一ばかりでも、どうかと思うわけです。それにしても、です。日本のどこがすごいか、と考えてみると、たとえば平和な国であること、犯罪発生率の低さ、識字率の高さ、医療水準の高さ、科学技術水準とか工業水準、公衆道徳の高さ、自然の豊かさ、などなど、いろいろあります。でも、これらの要素を見ていくと、戦後になって実現したと思われるものがかなり多い。大体において、極右陣営は戦前の歴史を高く評価し、戦後の歴史を否定したがるものです。産経新聞なんかもそうです。ところが、日本が世界有数の「素晴らしい国」になったのは、彼らが否定する戦後民主主義体制の下であることもまた、歴然としているのです。
2015.02.25
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冷戦の勝利者は誰かを問いたい 東京基督教大学教授・西岡力戦後70年を迎えて安倍晋三首相が談話を出す準備をしている。自民党内や公明党首脳、野党からは談話の内容について多くの注文や意見が出ている。安倍首相はまず有識者の意見を聞くとして懇談会を組織した。これらの動きは極めて異例だ。(中略)そもそも敗戦70年だけを強調すべきではない。第二次大戦後の世界は実は第三次大戦とも言うべき冷戦があった。そして、日本は自由民主主義陣営の一員として冷戦を戦った。その戦いは国内でも存在した。単独講和か全面講和かの争い、自衛隊違憲論者との戦い、安保条約や日韓国交回復反対運動との戦いなどである。産経新聞も正論路線を採って国内の思想戦を戦った。文化大革命を称賛し続けた朝日新聞は冷戦を戦ったとは言えないだろう。そして自由民主主義陣営は25年前に勝利した。ソ連・東欧は崩壊し、その後、世界は民族対立、テロとの戦いの時代に入った。しかし、アジアでは冷戦は終わっていない。中国は計画経済を捨て市場経済の軍門に下ったが、「人民民主主義」の美名の下で一党独裁を続けている。北朝鮮はいまだに冷戦時代そのもので、人民の苦しみは極限に達している。日本は25年前、冷戦に勝った。米国や欧州連合とともに“戦勝国”となり、中国は半分負けた。70年前、日本と戦って勝ったのは中華民国であって中国共産党ではない。その上、冷戦では中国は負けた側だ。彼らが今になって70年前に米国と一緒に日本と戦って勝った、などと宣伝していることはおかしい。一番近い戦争における勝者は米国と日本で、中国は敗者の側にいた。(以下略)---相変わらず産経があさっての方向を向いた「暴論」いや「正論」を吐いているようです。「そもそも敗戦70年だけを強調すべきではない。」というなら、そこから導き出される結論は「だから戦後70年の首相談話はいらない」となるはずです。その代わりに「冷戦勝利25周年談話を出せ」というなら(賛成はできないけれど)理論的に筋はとおっています。しかし、そんなことは口が裂けても言わない時点で、論理的整合性がまったくありません。そして、第二次大戦による勝者と敗者は、無条件降伏という事実によって明確に判別できるのに対して、戦争以外のことで勝者と敗者を判定するのは、そんなに簡単なことではありません。冷戦も同様です。「戦」と言っても実際に放火を交えたわけではありませんから。その中で、旧ソ連が敗者であったのは事実であろうと思います。しかし、では勝者はいるのか、米国が勝者なのか、日本が勝者なのか、他の西側諸国が勝者なのか、というと、それはかなり怪しいと言わざるを得ないでしょう。そして、中国は冷戦初期にこそソ連側の陣営にいたものの、1960年代の中ソ対立以降冷戦終結までの間は日米寄りの立場であり、冷戦崩壊後も既存の政治体制を守りきった、という点も含めて考えれば、どう考えても冷戦の敗者のはずがない。それ以前の問題として、戦争とか競技スポーツは別にして、それ以外の社会現象に関して、何でもかんでも勝った負けたなどということに意味があるのか、と思います(いや、戦争ですら、勝者がはっきりしない例は少なくない)。そうやって何にでも勝ち負けをつけるなら、わずか4年前に日中のGDPが逆転したと思ったら、あっという間に2倍の差が付いている現状は、明らかに中国が勝ち、日本が負けている、ということになってしまいます。そして、日本は25年前に冷戦に勝った、というなら、それ以降の日本はどうですか?冷戦終結当時、日本はバブルの絶頂でした。その後の25年間はバブル崩壊、リーマンショック、苦難の連続です。勝ち負けで表現するなら、負けっぱなしじゃないんでしょうか。更に言えば、日本は自由民主主義陣営の一員として冷戦を戦った。~産経新聞も正論路線を採って国内の思想戦を戦った。のだそうですが、どう考えたって、欧米諸国と産経新聞の歴史に関しての価値観はまったく違う。産経新聞的な主義主張を、「自分たちと同じ自由民主主義陣営の一員だ」なんて思っている国は、いわゆる西側先進国の中には、日本(自民党政権)以外にないでしょう。要するに、論理性のかけらもない「おれ様基準」を持ち出して「我々の勝ちだ」と叫んでいるだけの、床屋政談レベルのヨタコラム、ということです。ま、いかにも産経新聞らしいレベルの話です。
2015.02.24
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実は、先日私の母親から「連続テレビ小説『マッサン』の挿入歌に、ケーナが使われていて、けっこう話題になっているみたいだよ」という情報提供がありました。へー、吹いているのは誰だろうか、と思って検索してみたところ、「広い川の岸辺」という曲に行き当たりました。訳詞とケーナ演奏は八木倫明さん。お名前は存じ上げています。多分1回か2回、どこかで演奏を聴いたこともあるようなおぼろげな記憶があります(いつ、どこでかは覚えていません)。ただ、話をしたり、一緒に演奏をした経験はありません。と、そのことを紹介するのが今日のテーマというわけではなく、八木倫明さんのブログを拝見していたら、なかなか興味深い記事を発見してしまったのです。昨年、クラシック音楽界をゆるがせた、佐村河内問題(発覚当時、私も記事を書きましたが)についてです。佐村河内氏の影武者、新垣さんは音楽界のシラノ。八木さんは、ケーナ奏者の一方で、1982年〜2004年、日本フィルハーモニー交響楽団で企画制作、広報宣伝を担当していたという経歴の方だけに、この見方には、なるほどと思うところが多々あります。要約すると、佐村河内の影武者だった新垣氏は、自分の本名を出しては、ああいう「分かりやすくて簡単な音楽」は書けなかったのではないか、そんなものを書いたら、作曲の世界では「堕落した」とか「大衆に迎合した音楽」と批判されるから。大河ドラマ『平清盛』の作曲を担当した吉松隆氏は、佐村河内守作曲の交響曲第1番HIROSHIMAを聞いて、絶賛しつつ、こう書いた。「現代音楽という脈絡では(私同様)まったく評価され得ない作風だ」「辛らつな批評家なら『ここはチャイコフスキー』『ここはマーラー』と全編にわたる模倣の痕跡をピックアップすることだろう」・・・・・・・なるほど、と思います。吉松隆氏は、音大の出身ではなく独学で作曲家となった方だそうです。だから、音大の師匠とか、作曲界の重鎮とかに気兼ねする必要もなく、彼らから酷評されながらも作りたい曲(そして多くの聴衆に受け入れられる曲)を作ることができた。でも、音大を出て母校で講師として教鞭を取る新垣氏には、しがらみが多すぎて、そういう曲を公然と発表することができなかった、ということのようです。とすると、新垣氏は本音では難解な現代音楽よりも、佐村河内のゴーストライターとして作ったような曲を作りたかったのかも知れません。高尚も堕落も、難解も平易も、音楽とは人に聞いてもらってナンボのものであるはずです。しかしいわゆる現代音楽が大好きだ、という人に、私はあまり出会ったことがありません。ブログを引用した八木氏は、新垣氏が本名で作曲していた難解な曲は聴いたことがないけれど、おそらく聞いても良さは分からないだろう、ということです。クラシック音楽の業界に身を置いていた人(演奏のプロではなかったにしても)ですらそうなのだから、一般の音楽ファンは推して知るべしです。クラシック音楽のファンでも、「現代音楽は苦手」という人はすごく多い。私も同じです。技術的にはものすごいのかもしれないけれど、そのものすごい技術は、一般聴衆には付いてこられない世界、それでもその世界を極めれば、大ヒット作曲家にはなれないけど、音大の専任講師→教授という道で食っていくことはできる・・・・・・(もちろん、音大の教員になれるのはごくごくごく一部の人でしょうが)そうだとすると、現代音楽というのは聴衆から遊離して、袋小路に入り込んでしまった音楽、ということになりそうですが、どうでしょうね。
2015.02.23
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JR東日本の割引切符に若者からため息、高齢者優遇の背景は?JR東日本がシニア向けに発売した割引切符に若年層からのため息が聞こえています。あまりにもシニアに有利であるというのがその理由ですが、何が背景にあるのでしょうか。話題となっているのは、現在、JR東日本が売り出している「大人の休日倶楽部10周年」を記念した割引切符です。東北・関東エリア限定ですが1万5000円で4日間、新幹線を含めた全線が乗り放題、JRだけでなく三陸鉄道や伊豆急行なども対象になります。この切符は、 50歳以上の人を対象とした「大人の休日倶楽部」の会員のみ購入可能です(ちなみに、大人の休日倶楽部には年額2575円~の年会費が必要です)。このサービス内容が報じられると、シニアに対するあまりの好遇ぶりに、若年層を中心に落胆の声が寄せられました。期間限定とはいえ、1万5000円で乗り放題というのは、確かに破格の条件といってよいでしょう。若者にとっては何とも不愉快な話ですが、公共交通機関の利用者動向という点からすると、このような商品が出てきても何ら不思議ではありません。日本は高齢化が急速に進んでおり、新幹線をはじめ幹線鉄道の利用者は年々、高齢者にシフトしています。利用者の半数が50歳以上で、鉄道会社にしてみれば、彼等が最大の顧客です。購買力の違いも大きいでしょう。新幹線をはじめとする幹線移動の交通機関は運賃が高く、稼ぎの少ない若年層はなかなか乗れない。今の中高年は元気ですので、以前にくらべて旅行への支出が大きい面もあると考えられます。鉄道が典型的な設備産業であることも影響しています。設備産業は、事業の運営コストのうち、設備投資の割合が高いという特徴があります。これらはすべて固定費ですから、どんなに割引をしたとしても、数多くの顧客を乗せた方が鉄道会社にとっては得なのです。最近では、あらゆるビジネスが高齢者をターゲットにしているわけですが、鉄道の場合には、コスト構造などの関係からこうした傾向が顕著になっているものと思われます。(要約)---私自身は、40代なのでこの切符の恩恵はありません。ただ、私の母は会員のようです。引用記事には50歳以上とありますが、男性65歳以上、女性60歳以上だと、3割引になります。50歳以上では、通常の割引率は5%なので、たいしたことはありません。格安チケットショップで切符を買うほうがよほど安くついたりします。母は、それほど頻繁に旅行をする人ではないので、それほどものすごい恩恵を受けている、というわけでもないですが。私はというと、山登りとか家族旅行にはよく行きますが、4日間で15000円以上JRの運賃・料金がかかったというと、一昨年5月に家族で相棒の実家(大阪)と兵庫県の三木に行ったときが最後です。その前年、福島県の川俣に日帰りで行ったときも、一応新幹線の運賃は往復15000円を超えたようです。それ以外の家族旅行や山登りは、行き先が中部地方が多いので、運賃がそんな額にはなりません。また、JRの切符が3割引になったり4日間15000円で乗り放題になっても、その他各種の割引を利用した場合との比較がどうか、高速バスに対してどれだけ安いのかというと、実はそれほど驚くものでもなかったりします。いずれにしても、50歳以上に厚遇、と言っても、みんながそれを本気でうらやましがっているのかというと、かなり疑問の余地があります。ちょっと言ってみただけ、程度の話じゃないですか?少なくとも私は、特段うらやましいとは思わないし、その特典が得られるように早く50歳になりたい、とも思いません。(もはや、50歳というのはそんなに先の話ではありませんが)逆に、若者だけが利用できる特典というのも、世の中にはたくさんあります。飛行機のスカイメイトというのがそれです。搭乗当日空席があれば利用可、割引率最大58%という、金はないけど時間はある人には最適な制度です。対象は12歳以上22歳未満。割引率最大58%ということは、下手をすると12歳未満の子ども運賃より安くなる場合がある、ということです。もっとも、この割引率というのは先の「大人の休日倶楽部」の例と同様、正規運賃に対する割引率なので、その他の各種割引や、団体ツアーでの割引運賃、最近流行のLCC(格安航空)の運賃との比較でどうか、というのはまた別の話になります。必ずしも年齢で区切られているわけではないですが、鉄道の運賃には学割というものがあります。通学定期は通勤定期に対してかなり割安だし、定期以外でも、遠距離の運賃は2割引になります。さらに、鉄道運賃以外でも、たとえぱパソコンのソフトなどにも「アカデミーパック」という学割と同じ性質の割引があります。いずれにしても、人間というのはある程度の年齢以上では、年を取ればとるほど肉体機能は衰えていくものです(私も最近痛感しています)。人生の選択肢もどんどん減っていく。その中で、50歳以上に運賃を優遇する制度があったからと言って(それも、通常は5%引に過ぎない)、特にうらやましがるようなことでもないと私は思います。
2015.02.22
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「虐殺は終戦後、米軍放送で知った」 絞首刑の松井石根大将南京攻略戦で旧日本軍を率いた元司令官の大将、松井石根にとって「南京大虐殺」は寝耳に水だった。戦後、東京裁判で松井はこう証言している。「(大虐殺は)公的な報告を受けたことがなく、終戦後米軍の放送で初めて知った」戦勝国による追及が始まる中で現れた「南京大虐殺説」。その責任者として松井は昭和23年11月12日、戦犯として死刑判決を受け、12月23日に絞首刑に処せられた。70歳だった。「松井大将は清廉潔白だった」元陸軍第36師団歩兵第224連隊の少尉、内貴直次は戦後、松井の元私設秘書、田中正明から幾度となく聞かされた。田中は11年に松井に随行し中国を訪れた。戦後は近現代史の研究者として活動、平成18年に94歳で亡くなるまで虐殺説に反論した。昭和18年夏ごろ、南京に約1カ月間滞在した経験のある内貴自身もこう言う。「南京に入ったのは攻略戦から6年後。街は商店や人であふれ、平和な様子だった。もし、大虐殺があれば、住民の恨みを買い、われわれは平穏に駐留できなかったはずだ」(以下、くだらなすぎて略)---産経の「歴史戦」という連載については、以前にも当ブログで触れたことがあったように記憶しています。いかにも産経らしい、極右的歴史観のオンパレード。歴史観そのものを、中韓と戦うための戦場みたいに捉える考え方にも辟易するばかりです。で、いよいよ話が南京大虐殺をめぐる問題に及んできています。とはいえ、すでに決着の付いている話を何度も持ち出してくる馬鹿馬鹿しさには、あきれ果てます。そもそも、裁判で被告が罪状認否で「私はやっていません」と言ったからといって、それが即事実として認定できるわけがありません。裁判の証拠と歴史的事実の判断資料は違いますけど、裁判で被告が自らを有利に導くために主張した「証言」は、証拠としてはかなり信頼性が低い、というところは共通していると思われます。さまざまな資料を総合して判断する限り、松井大将が自ら率先して「虐殺しろ」と命令したわけではないのは事実です。むしろ、言葉の上では虐殺を戒めるそぶりも見せてはいたようです。その限りにおいて、南京大虐殺の実質的に最も重い責任を負っているかどうかは微妙なところ、とは思います。ただし、松井の作戦指揮が結果として虐殺を招いたことも事実です。南京攻略部隊の最高責任者、という監督責任も考え合わせれば、最も重い責任かどうかはともかく、かなり重い責任があったことは歴然としています。いずれにしても明白なのは、「(大虐殺は)公的な報告を受けたことがなく、終戦後米軍の放送で初めて知った」というのは明らかにウソということです。松井は大虐殺の存在を知っていたことは、いくつかの証言がある。事件当時に松井石根大将の専属副官であった角良晴大尉(後に大佐)は、虐殺された捕虜の死屍累々の上に土をかけただけの道の上を、松井を乗せた車が走ったときの状況を、こう回想しています。(松井)総司令官は明くる日の18日、下関を見に往くと言われたが、道という道はすべて延々2キロ(米千)地上が見えぬほど折り重なった死体の山である。この状態では絶対に案内できぬ。『治安が悪くて責任が持てない』と偽りを申し上げ、参謀長飯沼少将にお願いしたが、3日目、油をかけて焼き、土をかぶせただけであった。4日目、総司令官は、「おれは一人でも行く、車を用意せよ」と言われた。事ここに至っては如何ともしがたいので、私は出来る限り外が見えぬ位置に座り、出掛けた。自動車は無理して土を盛られた屍体の上を走った。総司令官は、モノを言わずにただ泣いておられた。(「私の見た南京事件」奥宮正武 PHP研究所 P48 角良晴氏回顧録からの引用)教誨師花山信勝氏は、東京裁判の判決後に松井と面会した際の松井の話を証言しています。南京事件はお恥ずかしい限りです。・・・・私は日露戦争の時、大尉として従軍したが、その当時の師団長と、今度の師団長などと比べてみると、問題にならんほど悪いですね。日露戦争のときは、シナ人に対してはもちろんだが、ロシア人に対しても俘虜の取り扱い、その他よくいっていた。今度はそうはいかなかった。慰霊祭の直後、私は皆を集めて軍総司令官として泣いて怒った。そのときは朝香宮もおられ、柳川中将も軍司令官だったが、折角、皇威を輝かしたのに、あの兵の暴行によって一挙にそれを落としてしまった。ところが、このあとでみなが笑った。甚だしいのは、ある師団長の如きは「当たり前ですよ」とさえ言った。従って、私だけでもこういう結果になるということは、当時の軍人達に一人でも多く、深い反省を与えるという意味で大変に嬉しい。折角こうなったのだから、このまま往生したいと思っている。(「南京事件-「虐殺」の構造-」秦郁彦 中公新書795 P45-46より)また、引用記事にある松井の元私設秘書、田中正明というのは、松井大将の陣中日誌を書籍化する際に、自説に都合の悪い部分を「加筆、修正、削除」して、つまり改竄して、それを南京大虐殺がなかった証拠だと主張した人物です。「研究者」「論者」として、越えてはならぬ一線を越えており、大学等の研究者なら懲戒免職、まともな文筆家なら絶版、廃業以外なかろうと思うのですが、田中はその後も「南京大虐殺はなかった」派の論者として活動し続け、死後にはこうやって、まるでマトモな研究者であったかのように産経新聞に取り上げてもらえる(産経新聞自体が、マトモな新聞じゃない、か)。右翼の耳に心地よい論を展開さえしてくれれば、どんな改竄屋でもチヤホヤされ続けるわけです。「南京に入ったのは攻略戦から6年後。街は商店や人であふれ、平和な様子だった。もし、大虐殺があれば、住民の恨みを買い、われわれは平穏に駐留できなかったはずだ」ってのもね・・・・・・。6年経ってから街が平和な様子だったことが、虐殺がなかった証拠になるわけがない。東京も、1945年には焼け野原になって、30万人とは言わないが10万人以上が死んでいます。(3月10日だけで約10万人、東京の空襲全体だとどのくらいでしょうか。15万人くらいかな)それでも、6年後の1951年には、東京の街はまずまず「街は商店や人であふれ、平和な様子だった」はずです。確かに、南京周辺だけで30万人が虐殺された、という人数の問題だけで言えば、過大評価である可能性は高いと私も思います。しかし、きわめて多くの人(投降した捕虜と、一般市民の双方)が殺されたことは歴然たる事実です。私自身は、10万人±5万人程度と考えていますが、別に研究者ではないので自説に絶対の自信があるわけでもありません。しかし少なくとも東日本大震災の犠牲者(約2万人)をはるかに超える数だったことは、残念ながら歴然としています。産経の連載も、注意して読むと、いかにも「虐殺なんかまったく(または、ほとんど)ありませんでした」と受け取れる証言を並べながら、「虐殺なんてまったくありませんでした」と断言することは巧妙に避けています。さすがに、いくら産経といえども「虐殺はまったくありませんでした」とまではいえないのでしょう。だから、やたらと30万人30万人と「30万人はウソだ」という数の問題にしたいわけです。もちろん、本音では「まったくなかった」と言いたいのでしょうが。いずれにしても、いくら「虐殺はなかった」という証言を集めたところで、それは、その証言者の見聞した範囲内で虐殺がなかったことを証明するだけです。証言者の見聞の範囲外にも虐殺が存在しなかったことを証明するものではありません。日本側にも、虐殺を目撃した、あるいは自らも関与したという証言や日誌類の記録は山ほどあるのです。----南京事件に興味をお持ちの皆様に、改めて南京事件を取り上げた映画をご紹介します。映画「ジョン・ラーべ 」「南京!南京!」上映会日時 3月14日(土)「南京!南京!」昼12時開場 12時30分上映開始(終了後シンポジウムあり)「ジョン・ラーべ」午後5時開場 5時30分上映開始(映画のみ)料金 「南京!南京!」1800円(シンポジウム込み)/「ジョン・ラーべ」1500円(映画のみ)会場 江東区亀戸文化センター(カメリアホール) 総武線・東武亀戸線 亀戸駅下車徒歩2分チケットは前売り券のみ販売で、上映日前に完売した場合は当日券の販売はないそうです。シンポジウム ヤン・ヨンヒ(映画監督) 岩上安身(IWJ代表) 永田喜嗣氏(ジョン・ラーベ研究家・大阪府立大学)詳細は「ジョン・ラーべ」公式サイト公式ツイッターアカウントを参照してください。「南京!南京!」の国内上映は、2011年以来4年ぶりです。
2015.02.20
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朝雲寸言※コラムが更新されたため、リンク切れになっています。過激派組織「イスラム国」による日本人人質事件は残念な結果となった。悔しい気持ちはわかるが、自衛隊が人質を救出できるようにすべきとの国会質問は現実味に欠けている。人質救出は極めて困難な作戦だ。米軍は昨年、イスラム国に拘束されている二人のジャーナリストを救出するため、精鋭の特殊部隊「デルタフォース」を送り込んだが、居場所を突き止められずに失敗した。作戦に際し、米軍はイスラム国の通信を傍受し、ハッキングもしていたに違いない。さらに地元の協力者を確保し、方言を含めて中東の言語を自在に操れる工作員も潜入させていたはずだ。もちろん人質を救出するためであれば、米軍の武力行使に制限はない。それでも失敗した。国会質問を聞いていると、陸上自衛隊の能力を強化し、現行法を改正すれば、人質救出作戦は可能であるかのような内容だ。国民に誤解を与える無責任な質問と言っていい。これまで国会で審議してきた「邦人救出」は、海外で発生した災害や紛争の際に、現地政府の合意を得たうえで、在外邦人を自衛隊が駆け付けて避難させるという内容だ。今回のような人質事件での救出とは全く異なる。政府は、二つの救出の違いを説明し、海外における邦人保護には自ずと限界があることを伝えなければならない。私たちは、日本旅券の表紙の裏に記され、外務大臣の印が押された言葉の意味を、いま一度考えてみる必要がある。(2015年2月12日付『朝雲』より)ーーー自衛隊が海外で人質救助作戦できるようにすべきである、という議論については、当ブログでちょっと前に取り上げたことがあります。自衛隊を出せば解決するわけではない(訂正・追記あり)人質救助作戦というのは、自国内で行う場合だって、決して簡単なことではありません。ましてそれを国外で行うことは、実質的にほぼ不可能であり、世界最強の米軍でさえ、対イスラム国の人質救出作戦にはことごとく失敗しています。そんなことは右翼のおとぎ話にすぎないのです。と、いうはなしを書いたら、何と、自衛隊の事実上の機関紙である「朝雲」が、どう趣旨のことを書いていました。しかも、それをホームページ上にドンと掲載しています。文章上では、「無責任な質問」を批判していますが、この質問に対して安倍は同意を示して、人質救出作戦のための法改正のに意欲を示しているので、実質的には安倍首相を批判しているのです。「朝雲」は、読者の大半が自衛隊関係者であり、その主張は自衛隊内部の意見を代弁したものになっています。自衛隊だから右翼、ということはないですが、少なくとも左翼であったためしなどなく、自民党の安保政策に逆らうような内容であったためしはないはずです。その自衛隊の御用新聞が、安倍の政策に公然と意を唱えている。別に、朝雲新聞が左になったわけではなく、自衛隊関係者が引いてしまうくらい、安倍政権の主張が右に傾いている、ということでしょう。要するに、このような軍事的冒険主義に対する不安と不満が、自衛隊関係者の中にも相当程度広がっている、ということでしょう。そりゃそうです。成功の望みもない救出作戦というバクチの掛金は自衛隊員の命なのですから。命令した首相は、政治生命は失うかもしれないけれど、本物の命を失うわけではないのです。
2015.02.19
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「18歳から選挙権」成立へ 来夏参院選にも適用 与野党、来週再提出自民、民主、公明、維新などの与野党は17日、選挙権年齢を「20歳以上」から「18歳以上」に引き下げる公選法改正案を来週にも衆院に再提出する方針を固めた。今国会で成立する見通しだ。早ければ平成28年夏の参院選から適用され、その際は約240万人の未成年者が有権者に加わる。選挙権年齢の変更は「25歳以上」から「20歳以上」に引き下げられた昭和20年以来となる。安倍晋三首相は17日の参院本会議で、選挙権年齢の引き下げをにらみ、「あらゆる機会を通じて主権者教育を進めていく」と述べ、高校生や大学生向けの啓発活動に取り組む考えを示した。また、「若い世代の投票率向上に向けて重要なことは国や社会の問題を自分の問題として考え、行動していく主権者を育てることだ」と強調した。公選法改正案には、未成年者が買収など連座制が適用される重大な違反に関わり選挙の公正確保に支障を及ぼした際、原則として検察官送致(逆送)とする要件が盛り込まれている。未成年者の犯罪は少年法が原則、保護処分とするよう定めており、選挙違反を犯した成人に科せられる処罰と不均衡が生じる可能性が高かったからだ。選挙権年齢の引き下げは、昨年6月に改正国民投票法が成立・施行されたことを受けた措置。憲法改正の是非を決める国民投票の投票年齢は国民投票法施行から4年後に「18歳以上」へ自動的に引き下げられることが決定している。このため、与野党は国民投票年齢との整合性を重視し、選挙権年齢引き下げの議論に着手。改正案を昨年11月19日に衆院に共同提出したが、直後の衆院解散で廃案となった。与野党は今月6日にプロジェクトチームを再開し、再提出する方針を確認していた。ーーーこの法改正は、憲法改正の国民投票年齢が18歳以上とされたことの整合性を図るために行われるようです。私は、憲法改正に反対ですから、こういう不純な動機による法改正に対してはちょっと割り切れないものを感じます。が、それでも、投票年齢を18歳に引き下げることに限っては、賛成です。引用記事には触れられていないですが、別記事によれば、社民党と共産党はこの改正案に反対しているようです。私は、普段はもっぱらこのいずれかの党に票を投じているのですが、この件だけに限定すると、反対という方針に賛同はできないなと思います。世界の趨勢を見ても、投票年齢は18歳以上が大勢です。また、18歳になると高校を卒業します。そこで社会人になる人、大学に行く人など進路は様々に分かれますが、20歳が人生の岐路になる人は、短大か2年制の専門学校に進む人だけで、高卒で働く人と4年制の大学に行く人にとっては、実はそれほど大きな人生の節目ではありません。社会人にもなっていないのに選挙権なんて早すぎる、という意見もあるでしょうが、大学に行っていれば、20歳でも社会人にはなっていません。私自身、初めての投票は大学4年の時でした。強いて言うと、児童関係の諸手当の支給要件と同様、18歳を過ぎた最初の4月1日以降(つまり、高校卒業後ということ)とすれば、なおいいかな、とは思います。あとは、まさかとは思いますが、用済みになった途端に、つまり憲法改正の国民投票の後、再び20歳に戻すような裏切り行為さえなければ、というところです。いくら何でもそこまでひどいことはやらないでしょうが。それにしても、従来選挙権年齢の引き下げは、どちらかというと左派が主張し、保守派が反対する構図だったように思います。それが、今は保守派が積極推進しようという時代。それは、自民党にとって、若い世代に選挙権を拡大することは自分たちにとって有利と判断している、少なくとも不利ではないと判断している、ということでしょう。それだけ、若者が保守化していると見ているわけです。実際には、若者は政治的主義主張に対する興味を失っているということは私もひしひしと感じますが(それはそれで、ある種の保守化ではあるかもしれませんが)、右寄りになっているわけではないように思いますけれど。
2015.02.18
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「残業代ゼロ」法案提出へ 厚労省、来春の実施目指す厚生労働省の労働政策審議会は13日、長時間働いても残業代などが払われない新しい働き方を創設する報告書をまとめた。労働組合などからは「『残業代ゼロ』になり、働き過ぎの歯止めがなくなる」と批判の声があがるが、厚労省は今通常国会に労働基準法改正案を提出し、2016年4月の実施をめざす。新しい働き方は「高度プロフェッショナル制度」と呼ばれ、導入のねらいについて、報告書では「時間でなく、成果で評価される働き方を希望する労働者のニーズに応える」とした。高度な専門知識や技術、経験を持つ労働者を対象にし、為替ディーラーやアナリスト、コンサルタントなどを想定する。年収の条件としては、「1075万円以上」と省令に明記する。何時間働いても残業代や深夜、休日手当が支払われなくなる。企業で導入する場合は本人の同意を条件とし、年104日以上の休日取得など働き過ぎを防ぐ仕組みの導入も求める。報告書には、労使で事前に決めた労働時間に応じ賃金を支払い、追加の残業代が出ない「裁量労働制」の対象を、営業職の一部に広げることも盛り込まれた。---第一次安倍政権のとき、散々批判されて立ち消えになったホワイトカラーエグゼンプションが、衣を変えて再び出てきました。ホワイトカラー・エグゼンプションのときは、年収400万円以上が対象という無茶苦茶な話でしたが、そこは1075万円以上に引き上げられたので、対象者は大幅に減りそうです。が、しかし、問題は二つあります。第一に、その金額は省令に明記ということです。法律に書かれるわけではないので、国会の議決を経なくても改正ができてしまいます。だから、最初は高所得層のみを対象にしているように見せて、後々年収条件をどんどん引き下げることが簡単にできるようになっています。第二に、これとは別に裁量労働制の対象を広げるのだというのです。裁量労働制の拡大の方は、年収の条件がありません。裁量労働制も、実労働時間に関わらず、一定時間勤務したものとみなして賃金を支払う、という性質上残業代が出なくなる点はホワイトカラー・エグゼンプションとほぼ同質です。(みなし労働時間が残業込みで、定額の残業代が支払われている例もあるでしょうが、実労働時間がみなし労働時間を越えても追加の残業代が出ない点では同じです)年収1000万円もある人の大半は管理職でしょうから、今の時点でもすでに残業手当が支払われている人は少ないでしょう。従って、ホワイトカラー・エグゼンプションの対象になる人は、今はまだごくわずかだと思います(将来、年収条件がどんどん引き下げられて対象者がどんどん増えていくんだろうけど)。しかし、裁量労働制の拡大による影響を受ける人は、年収条件がないだけに、非常に多いのではないでしょうか。裁量労働制が新たに拡大されるのは(1)法人顧客の事業の運営に関する事項についての企画立案調査分析と一体的に行う商品やサービス内容に係る課題解決型提案営業の業務(2)事業の運営に関する事項の実施の管理と、その実施状況の検証結果に基づく事業の運営に関する事項の企画立案調査分析を一体的に行う業務だそうです。何度読み返しても意味が頭に入ってきませんが、要するに営業職とか企画立案を行う業務も対象とする、ということのようです。ところで、この裁量労働制ですが、時間配分を働く人それぞれの裁量に任せるから「裁量」労働制のはずなのに、その実態は出退勤がどの程度本人に任されているかを尋ねたところ、専門型で働く人の42.5%、企画型では49.0%の人が「一律の出退勤時刻がある」と回答。「出退勤の時刻は自由だが、出勤の必要はある」(専門型37.4%、企画型34.9%)などを上回った。というのです。その挙句に、裁量労働制なのに遅刻を理由に賃金カットされた例すらあるそうです。「裁量労働制」と言いつつ裁量ではない、偽装裁量労働とでも言うべき例が、全体の半分近くを占めているのです。時間管理をしているのに「裁量労働制」という建前をとる理由は、そうすれば残業代なし(あるいは定額の残業代のみ)で済むから、であることは明らかです。そんな目的に裁量労働制が悪用されている例が半分近く、という時点で、制度として破綻していることは明らかです。それなのに、その裁量労働制を更に拡大というのです。残業代ゼロ法案の推進者が表向き言っているのは、「残業代が出なくなれば、みんな残業しないで仕事を早く終わらせるようになるから労働時間が減るだろう」ということです。でも、裁量労働制の現状を見れば、そうはならないことは明らかなのです。実質的にはこの法案は労働時間の短縮にはさほど結びつかないまま、残業代の圧縮には確実に結びつくことになります。そりゃ、経営者側にとっては、人件費を少しでも減らせれば万々歳でしょうが、働く人間の側にとっては冗談ではない話です。
2015.02.17
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総選挙「我々は負けた」 民主・枝野幹事長枝野幸男・民主党幹事長野党第1党として(昨年の)総選挙に臨んだ立場としては、(小選挙区)制度の問題に責任転嫁してはいけない。我々は負けた。我々も3分の1よりちょっとでも多い票をとれば、過半数の議席をとれる、そういう選挙制度だ。選挙制度にベストはないが、相対的にはかつての中選挙区制度よりはましだと思っている。あえて申し上げると、我々自身がすべての選挙区に独自候補を立てることができなかったということは、今回の大きな反省であり教訓だ。野党第1党として、しっかりと政権の選択肢をすべての国民の皆さんに示すべきだった。次の選挙で全部立てられるとは言わないが、少なくともその気概でやらないといけない。(岡山市の集会で)---民主党が負けたのは事実であり、いかなる選挙制度であってもそれは動きません。ただし、そのことと選挙制度の是非は、また別の問題です。1/3の票を取れば過半数の議席を制してしまう、そういう制度でよいと枝野が思っているのでしょうか。確かに選挙制度にベストはなく、かつての中選挙区制がベストとは私も思わないのですが、少なくとも比較の問題として、今の選挙制度と中選挙区制ならば、中選挙区制のほうがまだマシと私は思います。一番よいのは完全比例代表制ですけどね。今回と前回の選挙でこそ民主党は負けたけど、政権をとった2009年の選挙では、小選挙区では5割に満たない得票率で7割以上の議席を得ています。結局のところ、勝ったときは民主党も小選挙区制のおかげで得をしたから、この選挙制度のほうが都合がよい、ということなのでしょうか。2/3の票が議席数に反映しない、つまり民意が政治に反映しないことの不合理については、二の次三の次なのでしょう。過去に何回か書いたことがありますが、私は、小選挙区制という選挙制度は最悪のものだと考えています。日本の政治が急激におかしくなったのは小選挙区制になって以降のことだし、二世議員とろくでもない議員が急増したのも小選挙区制になって以降のことです。この選挙制度にどっぷり浸かって、その恩恵で政権をとろうという政党にロクな党はない、と私は思います。だから、自民党も民主党もロクな党ではない。恥ずかしながら、昨年の総選挙では、いろいろ考えた末に、小選挙区だけ民主党に票を投じてしまったのですが、こういう報道に接すると、民主党に票を捨てた(あえてそう書きます、私が入れた候補は落選したし)ことに、後悔の念を抱いてしまいます。
2015.02.16
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憲法改正「遅くとも再来年春の実現へ全力」自民・船田氏自民党の船田元憲法改正推進本部長は14日、宇都宮市内で開かれた自身の会合であいさつし、憲法改正について「早ければ来年秋、遅くても再来年の春には実現すべく全力を尽くしていきたい」と述べた。また、最初に取り組む改正項目の候補に環境権、緊急事態条項、財政規律条項の創設を挙げ、改正項目の選定について安倍晋三首相(自民党総裁)から一任を受けたと紹介した。船田氏は、4日の首相との会談に関し「9条の問題もあるが、環境権や緊急事態条項、財政規律の問題から解決していくのがいいのではないかと私は思い、首相に話したところ、『お前に任せる』ということだった」と語った。このほか「来年の参院選後に(改正の)発議をすることが妥当ではないかということで一致した」とも述べた。(中略)自民党憲法改正草案について護憲派が「立憲主義に反する」などと批判していることには「あくまで党の考え方を並べた。最後まで突っ走るということではない」と強調。与野党で憲法改正原案について話し合う中で折り合う余地はあるとの考えを示した。(以下略)---過去何回か憲法をめぐる問題は当ブログで取り上げたとこはありますが、改めて、私は日本国憲法を変えることには断固として反対です。引用記事によると、船田元憲法改正推進本部長は「9条の問題もあるが、環境権や緊急事態条項、財政規律の問題から解決していくのがいい」と言っているそうです。私は、逆に9条の問題もあるけれど、緊急事態条項というのも、非常に危険だと思っています。ただし、そもそも、自民党が憲法を変えたがっている、もっとも本筋の部分は第9条であることは明らかです。それにもかかわらず、9条については黙っておいて、他の、より敷居の低そうな条項から手を付けるフリをしていく、というのは、やり方として正々堂々としていない。今回の発言の中には出てきていませんが、96条だけを先に変える(憲法改正発議を両院の2/3以上の議決から1/2以上に引き下げる)という話も、一時期盛んに出ていました。要するに、憲法を変えやすい制度だけ作っておいて、後からそれ以外の部分も好きなように変えてしまえ、ということです。言ってみれば白紙委任状を取り付けてしまえ、というのにも近い話で、まったく冗談ではないのです。戦後の日本は、これまで戦争による死者を、ほとんど出していません。韓国・中国との間には、戦前戦中の侵略に起因した複雑な感情は残っていますが、戦後になって日本が他国から、新たに恨みを買うようなことは、起こっていません。その結果、日本(あるいは日本人、日本企業)が外国の過激組織から標的として狙われたことは、かなり少ないと言えます。もちろん皆無ではありませんが、人口や経済力との対比で考えれば、米国やロシアなどより、よほど少ないでしょう。その理由は、言うまでもなく日本が太平洋戦争以降、戦争に参加したことがないからです。そして、日本が戦争に参加することを押し留めてきた大きな要因が、憲法第9条だったことは明らかです。よく、「敵が攻めてきたら憲法9条でどうするのだ」などという言い方をする人がいますが、憲法第9条の下でも、個別的自衛権は否定されていません。どこかの国が日本国内に攻め込んできた場合に撃退することは、憲法第9条の下でも認められている。それにも関わらず、安倍政権がこれまでの憲法解釈を変更して集団的自衛権行使を合憲化しようとしたり、憲法第9条を変えようとするのはなぜなのか。日本国外で軍事行動に参加しやすくするためとしか思えません。憲法第9条を変えて、日本が国外での戦争に参加(ほとんどの場合は米国の起こす戦争への参加)することは、日本が相手国の人々から新たな恨みを買うこと、ひいてはテロの標的になることにもつながります。そのような道を日本が選択して、いったいどんなメリットがあるのか、私には理解できません。おりしも、安倍応援団である産経新聞の2月8日付「産経抄」のすさまじい内容が話題になっています。~ヨルダンでは、「なぜ2人も殺された日本がともに戦わないのか」という声が高まっているという。日本には憲法の制約があって云々、と説明してもまず理解されぬだろう。憎しみの連鎖を断たねばならぬ、というご高説は一見もっともらしい。後藤健二さん自身も数年前、「憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域。-そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった」とつぶやいている。だからといって処刑直前も彼はそんな心境だった、とどうしていえようか。~仇をとってやらねばならぬ、というのは人間として当たり前の話である。第一、「日本にとっての悪夢の始まりだ」と脅すならず者集団を放っておけば、第二、第三の後藤さんが明日にも出てこよう。日本国憲法には、「平和を愛する諸国民の公正と信義」を信頼して、わが国の「安全と生存を保持しようと決意した」とある。「イスラム国」のみならず、平和を愛していない諸国民がいかに多いことか。この一点だけでも現行憲法の世界観が、薄っぺらく、自主独立の精神から遠く離れていることがよくわかる。護憲信者のみなさんは、テロリストに「憲法を読んでね」とでも言うのだろうか。命の危険にさらされた日本人を救えないような憲法なんて、もういらない。まあ、例によって例のごとく、産経新聞お得意の牽強付会な論旨です。後藤さんが死の直前に何を考えていたかは、誰にも分かりません。もちろん、産経新聞にも分かるはずがないのに「処刑直前も彼はそんな心境だった、とどうしていえようか。」などと決め付ける手前勝手な理屈。そもそも、現在の法制度において敵討ちなどというものは認められていません。前述のとおり、戦争放棄の規定がない諸外国民(特に米国人やイスラエル人)の方が、日本人よりよほど命の危険にさらされる機会が多いし、世界最強の軍隊を擁する米国だって自国民の救出にはことごとく失敗しています。それらの細かい点はともかくとして、安倍の太鼓持ちである産経新聞が、憲法を変えて日本も外国で戦争をしたいという願望を赤裸々に綴ったのが、このコラムでしょう。安倍とその取り巻きにとっての憲法改正の意味は、そこにある。そのことを自ら明らかにしてくれたという意味では、実に分かりやすいコラムです。彼らが望むような日本になってしまったら、それこそ日本は世界の過激組織からテロの標的とされて、第二、第三の後藤さんが続出することになるでしょう。そんな事態を避けるためにも、憲法を変えることには断固として反対です。
2015.02.15
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曽野綾子さん「移民を受け入れ、人種で分けて居住させるべき」産経新聞で主張2月11日付の産経新聞コラムで、作家の曽野綾子さんが、日本の労働人口が減少している問題について触れ、移民を受け入れた上で、人種で分けて居住させるべきだ、と主張した。「近隣国の若い女性たちに来てもらえばいい」と今後需要の増える介護について移民を受け入れる一方、「移民としての法的身分は厳重に守るように制度を作らねばならない」とした上で、もう20〜30年も前に南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった。(産経新聞 2015/02/11付 7面)と住居の隔離とも取られかねない主張を展開している。さらに、南アフリカでアパルトヘイト(人種隔離政策)の撤廃後、白人専用だったマンションに黒人家族が一族を呼び寄せたため、水が足りなくなり共同生活が破綻し、白人が逃げ出したという例を出し、「人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる。しかし居住だけは別にした方がいい」と締めくくっている。---問題の記事は、紙の紙面のみに掲載されているらしく、産経新聞のホームページには出ていません。なので、私はこんな素ん晴らしい記事が出ていた、という話に、恥ずかしながら騒ぎが起こるまで気が付いていませんでした。なお、検索するとコラムの全文を読むことは可能です。正直なところを言えば、どうせあの産経新聞とあの曽野綾子の組み合わせなんだから、記事の内容は最初から予想がつき、かつ予想を裏切らない内容だな、というのが感想です。驚きも意外さもない、クズ新聞とクズ作家の組み合わせからはクズ記事しか生まれないという法則を再確認しただけの話です。私自身は、移民の受け入れ問題に関しては、積極的に移民を拡大すべきではないけれど、日本に多くの外国人が流入している現状は動かしようがないし、その前提の上で今後のことを考えていくしかない、と考えています。まあ、消極的現状追認というところでしょうか。だけど、こんな、「居住区だけは別」などという公然たる差別をしてまで移民受け入れを拡大などすべきではありません。あえて南アフリカの例を引いて、引用記事のようなことを書いているのは、「アパルトヘイト時代のほうがよかった」と言っているのと同じです。これを差別主義と呼ばずして何と呼ぶのか。ちなみに、「白人専用だったマンションに黒人家族が一族を呼び寄せたため、水が足りなくなり共同生活が破綻し、白人が逃げ出したという例」は、元々の記事によれば「白人やアジア人なら常識として夫婦と子ども二人くらいが住むはずの区画に20~30人が住みだした」ことが原因だそうです。そもそも、曽野綾子が思っている「夫婦と子ども二人くらいが住む」という「常識」は、子どもが2人しかいない家族での常識であることは言うまでもありません。ほんの数十年前までは、日本だって子どもが5人も10人もいる家は珍しくなかったし、ヨーロッパだってそういう時代はありました。子どもの数が減り、1世帯の世帯員の数が減ってきたのは、簡単に言えば経済的に豊かになった結果です。南アフリカで黒人世帯の世帯員が多いとすれば、それは人種とか民族の問題ではなく、単に黒人の所得水準が白人より低いことが原因です。そうなったのは、白人が支配階層として黒人を抑圧していたからであり、つまり白人自身が、黒人に対してそういう生活風習を強いてきた結果だといっても過言ではないでしょう。ちなみに、アパルトヘイトが撤廃された1991年当時、南アフリカの合計特殊出生率は3.53でしたが、2012年には2.41まで下がっています。だから、1世帯あたりの世帯員の数も、20年30年前よりは減ってきているんじゃないかと思います。(数字はこちらのサイトから引用)日本においても、私の知る範囲内でいうと、来日外国人も短期の不法滞在者はともかく、永住者や長期滞在者になると、家族構成はどんどん日本人化するようです。日本より合計特殊出生率がずっと高い国からやってきた人であっても、日本に住むと出生率はどんどん下がる。ところで、フランスにおいて、イスラム圏出身の移民だけが集まって住む地域の現状について、少し前に紹介したことがあります。あまりに根の深い問題これなど、まさしく曽野綾子が望みを実現したようなものですが、その結果はどうでしょうか。このような差別と貧困の蔓延が、イスラム過激派に人々がなびく温床になり、ひいてはシャルリー・エブド事件のようなテロを生み出しているといっても過言ではないように思われます。曽野綾子が言っていることは、これと同じ状況を日本でも作り出せといっているのに等しい。住むところだけ分けて、差別や貧困を一部の地域に押し込んでみたところで、人間は自由に移動できるのですから、問題の発生を一部の地域だけに押し込むことなんかできるわけがありません。「人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる。しかし居住だけは別にした方がいい」という結論に至っては、失笑するしかありません。居住を一緒にできない(「一緒」といっても、同居という意味ではなく、近隣住民になるという意味なのに)のだとしたら、どうして事業や研究や運動が一緒にやれるのか。たとえば一緒に仕事をするとなったら、その接する時間は近隣住民同士よりはるかに長くなります。その他、引用記事には言及されていませんが、原文には、介護の仕事について、「高齢者の面倒を見るのに、ある程度の日本語ができなければならないとか、衛生上の知識がなければならないということはまったくない」などということが書かれています。これもまた、唖然とする話。言葉が通じなくて、どうやって対人援助をやるのか、少なくとも「業」として賃金を得て行う仕事なのに、衛生上の知識なしで介護とかどうしてそういう理屈が成り立つのか。結局のところ、極右オヤジ(曽野綾子は女性ではあるが、発想の本質がとてもオヤジ的に感じます)の床屋政談をそのまま活字にしました、というレベルに過ぎないわけです。保守論壇とかいうのは、こういうレベルで金が取れるんだから、オイシイ世界だなあ。
2015.02.14
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2月11日、大和市での演奏の音源をYouTubeにアップしました。昨日の記事に書いたように、動画はあまり上手く撮れていないため、音源に山の写真を貼り付けた、いつものパターンの動画(静止画映像だけど)です。何度も演奏していても、最初の曲というのは緊張するもので、今回も1曲目の「La Mariposa」で私のケナーチョ(低音ケーナ)の指がもつれてるし・・・・・・。あまり、間違えることのない曲なのに。そして・・・・・・、いや、終わってしまった演奏を悔やんでもはじまりません。大筋ではいい演奏ができた、ということで、細かいところは気にしない(笑)それにしても、今回も演奏前後に記念写真を撮るのを忘れてしまいました。そういう写真があったほうがよい、と思うのですが、いつもそのときになると忘れてしまうのです。そして、共演したペルー民族舞踊「キント・スーヨ」の踊り(こちらは動画です)も一部アップしました。また、5月頃にも演奏を頼まれてしまいましたが、現状では予定が立てられない状態です。立てられる状態になったら、是非演奏したいところですが。
2015.02.13
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以前にも告知したように、神奈川県大和市・高座渋谷の渋谷学習センターで演奏してきました。会場は200人入るホールだったのですが、なんと定員オーバーになってしまい、50人くらいに帰ってもらったそうです。主催者は大変だった模様。私のグループの演奏も、まずまずの出来だったと思います。演奏は我々エストレージャ・アンディーナの他に、「ルミ・マユ・オルコ」と「森の風人」、それに踊りの「キントスーヨ」全部で4グループが出ました。自分自身の演奏の録音は、まだ整理ができていませんが、とりあえず、他のグループの演奏と踊りの写真から。自分自身の演奏は、明日以降に、改めてアップします。動画は撮影したものの、客席大混雑のため、舞台袖から撮影したら、一番端のメンバー以外は写っていないのです(涙)どうしようかな。録音は、ちゃんと撮れています。ルミ・マユ・オルコ5人編成(と、盲導犬が1頭)のグループです。キント・スーヨ在日ペルー人を中心とする踊りのグループ。NHKに出演したこともあるそうです。前後2回に分けて出演したうちの1回目です。ワイノというリズムの踊り。仮面をつけた踊り。森の風人本当は5人編成ですが、今日は何とギター奏者が仕事の都合で欠場でしたが、がんばって演奏していました。キント・スーヨ2回目のステージ一人だけ、日本人が加わっていると思ったら、知り合いでした。終了後、場所を移して打ち上げ。ところが、その打ち上げ会場が厚木基地への着陸コースの真下。今空母が来ているみたいで、米海軍のFA18戦闘攻撃機が轟音を立てて低空を飛んでいました。騒音規制など何もない軍用機、その中でも特に「うるさい」と言われるFA18、実地で音を聞いて、確かにこりゃうるさいと思いました。飛んできたのが演奏の終わった後で助かりました。
2015.02.12
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「イスラム国」空爆加速へ…「地球上から一掃」ヨルダンの国営ペトラ通信などによると、同国空軍のマンスール・ジュブル司令官は8日の記者会見で、イスラム過激派組織「イスラム国」に対する5日から3日間の空爆で、補給基地や武器庫、潜伏先など重要目標計56か所を破壊したと発表した。8日には、アラブ首長国連邦の戦闘機編隊もヨルダンの軍基地に到着、同基地からイスラム国への空爆に出撃する模様だ。ジュブル司令官は「イスラム国を地球上から一掃する」と述べ、空爆を加速させる決意を強調した。一方、イスラム国対策を担当するアレン米大統領特使は8日、訪問先のアンマンでペトラ通信に「イラク軍主体の地上軍がまもなく大規模な反撃に出る」と明らかにした。ーーー記事をよく見ると、どこにも独自取材はありません。ヨルダンの国営通信社が、同国の空軍司令官がこう記者会見で発言した、というニュースを報じました、というだけの話。その記者会見の内容が正しいかどうか、検証のしようもありません。「イスラム国を地球上から一掃したい」という意思と決意はわかるし、願望で言えば、私だってイスラム国なんて消滅すべきだと思うけど、ニュースとは、願望を記事にするものでは、本来ないはずです。現実問題として、重要目標56カ所を爆撃したのは事実として、それがどの程度効果をあげたのかは、判然としません。空中からの偵察でしか戦果を確認できないのだから、当然の話です。そして、空爆だけイスラム国が壊滅できるものなら、とっくの昔にイスラム国など消えてなくなっています。空爆に効果がないとは言いませんが、米軍が散々空爆して倒せないものを、ヨルダン空軍の爆撃で倒せるわけがない。その程度のことは、ちょっと考えれば分かる話です。結局は、戦時中の日本の大本営発表と同じです。しかし、日本のマスコミは、その程度の検証もできない。しょうがないですよね、シリアに特派員がいないんだから。いや、朝日は送ったけど、読売や産経、それに日本政府の反発をくらった。現地に行こうとしたカメラマンは、パスポートを取り上げられた。戦地で取材なんかするな、そんなものは大本営発表を鵜呑みにしておけばよい、ということでしょう。確かに、危険が伴う話ですから、誰も、そんな場所を取材せよ、なんて強いることはできません。だけど、あえて危険を冒してでも取材しようという奇特な他者まで、こうやって潰す政府と、それを後押しする御用マスコミ。言論機関としての自殺行為としか思えません。
2015.02.11
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旅券返納、今後も継続=「移動の自由」で論議も―外務省外務省は、過激組織「イスラム国」による日本人人質事件を踏まえ、同組織が支配する地域への渡航自粛を引き続き求めていく方針だ。応じない場合は、シリア渡航を計画していたフリーカメラマンと同様、パスポートの返納で断念させる考え。邦人保護を優先したものだが、憲法が保障する「移動の自由」との関係で今後、論議を呼びそうだ。「報道の自由は最大限尊重されるべきだが、邦人の安全確保も政府の役割であり、慎重に検討した」。菅義偉官房長官は9日の記者会見で、新潟市在住の男性フリーカメラマンに対し、旅券返納に踏み切った理由をこう説明した。旅券法19条は名義人の生命、身体、財産の保護のため、旅券返納を命じることができると規定。外務省は返還命令に応じない人には、旅券を失効させるなどして、シリア渡航を阻止する構えだ。ただ、憲法22条は「移動の自由」を保障しており、フリーカメラマンも取材に「言論、渡航の自由がある」と反発している。今回の措置をめぐっては野党から「ジャーナリストに適用する場合は慎重さが必要」(山下芳生共産党書記局長)との声が上がっている。---旅券法に「名義人の生命、身体、財産の保護のため、旅券返納を命じることができる」なんて規定があることを、私は知りませんでした。本人が国外でテロに関与するんじゃないか、つまり、ありていに言えば犯罪の加害者になるのでは、という疑いでの旅券返納は、今までに例があったように記憶していますが、被害者になる危険での返納命令というのは例がないようです。そりゃ、こういうやり方をすれば、日本人が国外で危険に巻き込まれることを阻止はできるでしょうが、やり方として適切とは思えません。少し前に、朝日新聞の記者がシリアに入った、ということも騒がれていました。騒ぐようなことではないと私は思います。紛争がある、危険がある。そうです、だからこそ取材する意義があるわけでしょう。それに、そもそも朝日の記者にしても、今回のこのカメラマンにしても、シリアには入国しても、イスラム国の支配地域までは行っていない(行く予定はない)わけです。昔を思えば、ベトナム戦争では多くのジャーナリストが、戦場の取材に行っていました。私の尊敬する本多勝一もその一人でした。本多氏は命を落とすことはなかったものの、命を落としたジャーナリストも少なからずいました。沢田教一と一ノ瀬泰造が著名です。比較的近年でも、イラクで橋田信介と小川功太郎、シリアでは山本美香が命を落としています。彼らは、無謀だったのかもしれない、命知らずだったのかもしれない。でも、使命感は人それぞれで、日本という国の中にそういうことに命を燃やす人がいてもいいし、そういう人が必要でもあると私は思うのです。彼らに対しても、旅券返納命令を出して、戦地の取材を禁止しておけばよかった、ということでしょうか。そうやって、世界の紛争地から日本人の取材者が誰もいなくなることが、日本にとってよいことであるとは、私には思えないんですけどね。安倍は国際貢献ということをやたらといいたがるのですが、世界の紛争地域に、それを取材する日本人がいる、というのも、ひとつの重要な国際貢献だと私は思います。そういうのは、きっとあまり「勇ましく」ないし、特に政府の公式見解に反するような報道をされるのは邪魔だから、歓迎したくないんでしょうけど。このカメラマンがシリアに渡航する予定、というのは、事前にマスコミに対してその計画を話したことで外務省の知るところとなったようですが、現実問題として、返納命令という手段で渡航を阻止しても、次にシリア渡航を志す人は、黙って行くでしょうね。「ヨルダンを取材します」とか「トルコを取材します」と言って実際にはシリアに入ったとしても、事前には分からないでしょうから。
2015.02.10
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このような案内が来ましたので、ご紹介します。映画「ジョン・ラーべ 」「南京!南京!」上映会日時 3月14日(土)「南京!南京!」昼12時開場 12時30分上映開始(終了後シンポジウムあり)「ジョン・ラーべ」午後5時開場 5時30分上映開始(映画のみ)料金 「南京!南京!」1800円(シンポジウム込み)/「ジョン・ラーべ」1500円(映画のみ)会場 江東区亀戸文化センター(カメリアホール) 総武線・東武亀戸線 亀戸駅下車徒歩2分チケットは前売り券のみ販売で、上映日前に完売した場合は当日券の販売はないそうです。シンポジウム ヤン・ヨンヒ(映画監督) 岩上安身(IWJ代表) 永田喜嗣氏(ジョン・ラーベ研究家・大阪府立大学)詳細は「ジョン・ラーべ」公式サイト公式ツイッターアカウントを参照してください。「南京!南京!」の国内上映は、2011年以来4年ぶりです。
2015.02.09
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北陸新幹線の車窓を堪能 金沢―長野間で一般向け試乗会北陸新幹線の金沢―長野間が3月14日に開業するのを前に、JR西日本と東日本が7日、一般向けの試乗会を実施した。倍率約77倍の抽選で選ばれた1233人が新型車両「W7系」の乗り心地や車窓の風景を楽しんだ。試乗車は金沢駅午前10時10分発と長野駅午前10時42分発の計2本。片道1時間7分の路線をそれぞれ往復した。---北陸新幹線用の新型車両はE7系とW7系といいます。車両の所属がJR東日本か西日本かで名前が違いますが、車両自体は同じものです。で、北陸新幹線はまだ開業していませんが、そこで使用される新型車のうち、JR東日本所属のE7系は、すでに営業運転に使われています。もちろん、現時点では長野までの運転ですが。実は、去年の3月からすでに運行されていたのですが、私はそのことを知らなくて、先日長野県の上田まで行った際の帰路にE7系が来たので、びっくり仰天してしまったのでした。なぜ上田まで行ったかというと、もちろん山登りなのですが、ひどい悪天候になってしまい、登山口からろくに進めないままあえなく撤退、お見せできるような写真もなかったため、特に記事は書いていませんでした。登ろうとしたのは菅平高原の四阿山です。昨年夏に一度登った山なのですが、冬は初めてでした。そういえば、昨年夏の時点でも、E7系はすでに営業運転に使われていたはずですが、そのときは遭遇しませんでした。で、乗ってみて印象深かったことが2つありました。車内の写真です。土曜日だったのですが、悪天候のせいかガラガラでした。それはともかく、これは普通車の自由席なのですが、シートピッチが広いのです。あまりに広々しているので、私は一瞬不安に襲われてしまいました。つまり、間違えてグリーン車に乗ってしまったんじゃないか、という(笑)。でも、席はちゃんと2列+3列の普通車(グリーン車には乗ったことがないのですが、新幹線のグリーン車は2列+2列の4列だ、という知識はある)だし、自由席車両なので、普通車で間違いありませんでした。いやあ、北陸新幹線は、普通車でもこんなに広々としているんだ、これはいいなあと思いました。そしてもうひとつ、何と各座席にコンセントがある。おお、と思いましたが、実はこれもすでに新幹線では普通車にコンセントを装備した車両の前例はあるんですね。東海道新幹線ではN700系以降、東北新幹線はE5系で、すでにコンセントは装備されている。ただし、全席ではなく窓側席と最前連・最後列だけ(つまり、全座席の4割強)なので、全席にコンセントを装備したのは、やはり北陸新幹線が初めてだそうです。今回、iPad miniもモバイルルータも、前夜に充電したばかりだったので車内で充電はしませんでしたけど、いざというときにはありがたいです。この列車が来たのは予想外だったので、上田で乗車するときは写真を撮り損ねてしまいました。なので、下車するときに車体の写真を撮りました。ピカピカの新車、と言いたいところですが、すでに昨年3月から営業運転をしていて、しかも吹雪の中を走っているので、それなりに汚れはあります。でも、かなり新しい部類だと思いますけど。今後は、モバイル機器を自宅で充電し損ねても、新幹線の中で充電できる、ということが分かりました。何事につけ、便利になったものです。
2015.02.08
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ガラケー復調! 出荷台数が2008年以降初めて前年を上回る - MM総研調査MM総研は3日、2014年の国内携帯電話の出荷台数の調査結果を発表した。フィーチャーフォンの出荷台数は1,058万台で前年比5.7%増、2008年以降初めて前年を上回った。スマートフォン出荷台数は2,770万台で、2,925万台出荷した2013年から5.3%減少、3,024万台出荷した2012年から2年連続減少となった。一方フィーチャーフォンの出荷台数は、1,001万台を出荷した2013年から5.7%の増の1,058万台だった。スマートフォンが年間100万台規模で出荷され始めた2008年以降、前年を上回るのは初めて。フィーチャーフォンの出荷台数復調の要因についてMM総研は、「フィーチャーフォンユーザーにとって、スマートフォンの月額料金が高い」、「同ユーザー層にとって必要な機能がフィーチャーフォンで揃っている」、「スマートフォンに買い替えたユーザーが再びフィーチャーフォンを購入するケースが一定確率で存在する」の3点が考えられると分析している。フィーチャーフォンとスマートフォンを含めた総出荷台数は、3,926万台だった2013年から2.5%減の3,828万台だった。過去最高の4375万台を出荷した2012年から2年連続減少。メーカー別出荷台数は、Appleが前年比29.3%増の1,648万台を出荷して1位。総出荷台数に占めるシェアは10.6ポイント増の43.1%、スマートフォンのシェアは15.9ポイント増の59.5%。2014年は、主要3キャリアが初めて通年でiPhoneを発売したことなどを挙げている。OS別ではAppleのiOSがAndroidを抜いて1位になった。Androidは前年比32.3%減の1,117万台。なお、2014年12月にKDDI(au)より発売されたFirefox OS搭載のスマートフォンは5万台、OS別シェア0.2%。MM総研は2015年度の携帯電話市場の注目ポイントとして「5月より制度が変更するSIMロック解除」、「固定+モバイルのセット割引」を挙げている。---なるほどね。スマホの出荷数が減って、ガラケーの出荷数が増えているそうです。そもそも、国内でスマホとガラケーの契約数が逆転したのは、まだ昨年9月のことです。(新規の出荷台数はとっくに逆転していましたが、過去からの累積である総契約回線数は、まだまだガラケーも多いのです。そうは言っても出荷台数はスマホがガラケーの2.5倍ですし、両者の出荷台数が再び逆転する日は、多分来ないだろうとは思います。でも、ガラケーもなかなかしぶとい。そうそう簡単に消滅しそうにはありません。かくいう私も、ガラケーを使っています。ただし、ガラケーのみではなくタブレット(iPad mini)との併用ですが。通話と携帯メールのやり取りのみガラケーを使い、その他の外出先でのネット接続は、すべてタブレットです。ガラケー派と言っても、私のようにガラケー+タブレット、という人も、かなりの程度いるだろうと思われます。ガラケーの何がいいかって、とにかく電池が保つことです。一度充電すれば10日間から、うまくすると2週間保つ。そして、料金も安い。私の場合、留守電機能も含めて月1600円くらいで収まっています。それだけ使用頻度が少ない、ということですけどね。6年以上使っていますが、その間にバッテリーは交換しているので、まだまだ使えます。とは言え、次にバッテリーがへたる頃には、さすがにもう、交換バッテリーはないかもしれません。でも、その時もまず間違いなく、ガラケーは生き残っているでしょう。そして、タブレットはスマホより画面が大きいし、キーボードが打ちやすい。これは、例えばこのブログのように長文を打つときは、かなり重要な問題です。今日のこの記事も、半分は自宅のパソコンで打ちましたが、途中からはタブレットです。以前の記事に、パソコンの方がタブレットより使いやすいと書いたことがありますが、スマホに比べればタブレットの方が使いやすいことも確かです。iPad miniの方は、さすがに充電が10日も保つことはありません。それだけ、携帯より使用頻度が高い、ということです。もうじき使用2年になりますが、新品の時よりバッテリーの保ちが1時間くらい短くなったような気がします。それでも、一度の充電で9時間以上は持ってます。普段の使い方だと、一度の充電で5日から一週間くらいは使っています。写真をアップロードすると、急激にバッテリーを消耗するようで、山登りとか旅行だと、そんなに保たないことが多いですが。二台持ちだと、充電が面倒という意見もありますが、このくらいの充電頻度だと、それが面倒と思ったことはありません。むしろ、逆にタブレットと携帯の両方が同時にバッテリー切れになる確率は低いので、万が一の事態に対応が取りやすい。それでも、充電用ケーブルと、携帯とモバイルルータについては予備のバッテリーを持ち歩いています(携帯は、交換した古いバッテリー)。震災のときは、携帯のバッテリーが切れかかっていたため、家族に連絡を取るのに苦労しましたから。(iPad miniは、自分でバッテリー交換できないので、予備のバッテリーも残念ながらありません)ところで、iPad miniの接続に使っているモバイルルータですが、新しいものを購入しましたただ、諸事情により今月下旬までは古いモバイルルータを継続使用するので、新しいモバイルルータの報告は来月くらいになるでしょう。。今度はiPadから遠隔操作で起動、スリープできるタイプ。しかも、バッテリーの持続時間が大幅に伸びています。これは便利そう。
2015.02.07
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生活保護をめぐるさまざまな問題が議論になっていますが、実際のところ、批判する人の中には、制度の仕組みや運用についても知識を欠いて、えてしてイメージだけで語っている例が少なくないようです。知り合いの、福祉事務所関係者が、生活保護を正面から取り上げた漫画を紹介してくれました。健康で文化的な最低限度の生活現在、2巻まで刊行されています。相当多くのケースワーカーから(あるいは、受給者からも?)綿密な取材を行っているようです。知人に言わせると、ケースワーカーの仕事をそのまんま漫画にしただけ。何の誇張も不自然さも、違和感もないとのこと。エピソードとしても、福祉事務所で非常によくありがちな、ケースワーカーなら誰でも体験したことのある出来事が取り上げているようです。逆に言うと、読んでいて先の展開が予想できてしまう、というところもあるようですが。「この仕事って、何の脚色もせずに漫画にしただけで話題を集められるようなものだったんだ!」と思ったとか。
2015.02.06
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後藤さんの行動「使命感あっても蛮勇」 自民・高村氏自民党の高村正彦副総裁は4日、記者団に対し、過激派組織「イスラム国」がフリージャーナリスト後藤健二さんを殺害したとされる人質事件について「後藤さんが3度にわたる日本政府の警告にもかかわらずテロリスト支配地域に入ったことは、どんなに使命感があったとしても、蛮勇というべきものであった」と語った。高村氏は「亡くなった方をむち打つために言っているわけではなく、後藤さんの後に続く人たちが細心の注意を払って、蛮勇にならない行動をしていただきたいと願うからだ」と発言の趣旨を説明。その上で「後藤さんは『自己責任だ』と述べておられるが、個人で責任をとり得ないこともあり得ることは肝に銘じていただきたい」と指摘した。ーーー政治家が公の場で蛮勇と言ってしまうのはどうなのか、という思いを禁じ得ません。一般論で言って、無謀な行動といえばそうであるこちは確かだろうと、私も思いますよ。もし私だったら、行かないでしょうし、私の親族だったら、止めようとしただろうと思います。でも、そういう無謀に見える行動が、世の中を変えるということは確かにあるのです。現実問題として、イスラム国の支配地域で何が起きているのか、どんな人権侵害が起こっているのか、それはジャーナリストなり援助団体なりが現地に入っているからです。外部から誰も入っていかなければ、そこで何が起きているのか、外部の人間には全くわからない。イスラム国のやっていることがなんと酷い、と我々が言えるのも、危険を冒して現地で活動する人々のおかげ、という側面もあるわけです。私の尊敬するジャーナリストの本多勝一氏は、冒険について、必ずある程度の命の危険を伴うもので、安全な冒険なんてものはあり得ないと看破しています。無謀な冒険と、成功した冒険の差は、えてして紙一重なのです。ヨットで単独太平洋横断に初めて成功した堀江謙一郎は、当初日本のマスコミからは「密出国」ということで激しい非難を浴びます(当時は海外旅行自由化前で、ヨットで太平洋横断、というのではパスポートの発給が受けられなかった)。ところが、米国ではこの快挙が絶賛されたため、日本のマスコミは途中で評価を変えざるを得なくなった。世の中には、生き方についての二つの方向性があるように思います。できるだけリスクを避けて安全に生きる方向と、リスクを厭わず冒険的に生きる方向と。リスクというのは、必ずしも生命を失うリスクだけとは限りませんが。どちらが良いとか悪いとか、そういう問題ではありません。みんながみんな、安全な方向だけを目指す生き方でも、みんながみんな冒険的な生き方でも、社会はうまくいかないように思います。私自身は、冒険的な生き方(必ずしも命を危険にさらす、という意味ではないですが)に対する憧れのようなものが、少なくとも20代前半まではありました。現実にはそういう生き方を選択してはいませんし、結婚して子どもが出来て、とだんだんがんじがらめになって(笑)、もはやそういう生きたかを選択しようもない状況になっていますけど。世の中の少なからぬ人、特に男性にはそういう生き方への憧れは、多かれ少なかれあるんじゃないかと思います。命を落とす、という最悪の結果に至ってしまったことは残念な限りですが、冒険をいとわず、やりたいことを貫き通した(それができた)後藤さんの生き方へのうらやましさ(あくまでも、生き方が「うらやましい」のであって、悲惨な死が「うらやましい」わけではないので念のため)というものも、若干はあります。報じられているところによれば、後藤さんの奥さんはJICAの職員だとか。精神的にはともかく、経済的な面では、後藤さんが命を落として、経済的に家族が立ち往生する状況ではないのでしょう。真偽のほどは知りませんが、保険料が1日10万円の誘拐保険にも加入していた、という話もある。事実とすれば、危険性に対応した対策は講じた上でシリアに入国したようです。まあ、それでも蛮勇といえば蛮勇かもしれませんが、そういう意味では、すべての冒険は蛮勇です。高村氏は「亡くなった方をむち打つために言っているわけではなく」と言っていますが(本心からそう思っているかどうかは怪しいものですが)それが事実だとしても、鞭打つつもりでなくても結果的に鞭打つ言い方になっているのではないかと思います。それは、高村氏自身が言う「『自己責任だ』と述べておられるが、個人で責任をとり得ないこともあり得る」という状況と同じことです。※まったく余談ながら、湯川氏に関してはかなり無謀な側面が多かったと思いますが、「武器を持って戦っていたんだから殺されて当然」みたいな言い方はどうかと思います。湯川氏は「紛争当事国に属するその他の民兵隊及び義勇隊の構成員(組織的抵抗運動団体の構成員を含む。)」に含まれるはずで、これを殺害することは捕虜の待遇に関わるジュネーブ条約に反する行為です。もちろん、ヨルダンの戦闘機パイロットの殺害も同様です。つまり、イスラム国は戦争犯罪を行う集団、ということです。
2015.02.05
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後藤健二さんが極めて無念な結果に終わったのに続き、同じくイスラム国に拘束されていたヨルダン空軍の戦闘機パイロットが焼き殺される映像が公開されたとか。イスラム国側が、このパイロットについては生存している証拠を何一つ示していなかったので、「もう殺されているのでは」という疑いをもつ向きは少なくなかったものの、すでに1ヶ月も前に殺されていたとは思いませんでした。ということは、後藤さんは果たしていつ殺害されたのか。やはり最初の脅迫ビデオより前に殺されていた、という可能性はないのでしょうか。いずれにしても、日本政府がどこまでイスラム国と交渉したかは疑わしいものの、対するイスラム国側もまた、人質を生きて帰すための交渉をするつもりなんか、はなからなかったのでは、と考えざるを得ません。何とも卑劣で凶悪な組織であり、この蛮行は実に許しがたいものがあります。が、しかし、その卑劣で凶悪なイスラム国が、なぜこんなに勢力を拡大しているのか、という点が問題です。ただ単に卑劣で凶悪なだけの組織が、こんなに勢力を拡大できるわけがないのです。よく言われるのは、非常に資金力のある組織だということ。アラブ諸国の超大金持ちの中にイスラム国のシンパが少なからずいて、彼らから巨額の援助を受けているらしい。それに今回のような誘拐ビジネス、支配地域内での「税金」の徴収、やはり支配地域内の油田からの原油販売収入などなどにより、今は1日に3億円以上の収入を得ているようです。ただし、一介のテロ組織と考えればものすごい収入ですが、「国家」を自称していますから、国家の歳入として考えると、1日3億円(年間1000億円)は、そう多いものではありません。イラクの国家予算はおおむね800~1000億ドル(9~11兆円)程度だから、イスラム国の100倍です。それでもイスラム国が勢力を拡大しているのは、結局イスラム国はひどいが、政府(あるいはその他の勢力)はもっとひどい状態であるということの裏返しなのでしょう。フセイン政権はスンニ派出身で、敵対的なシーア派とクルド人に対しては容赦ない弾圧を繰り広げたものの、フセインに忠誠を示すシーア派やクルド人まで弾圧したわけではなく、一般市民のレベルでは両派はごく普通に交流していたようです。ところが、イラク戦争でフセインが倒されると、新しい政権はシーア派が中心となってスンニ派が弾圧されるようになります。その結果、スンニ派にとっては、イスラム国がどんなに酷くても、今のイラク政府よりは(あるいは、諸勢力が血みどろの抗争を続ける内戦状態よりは)まだマシな存在に見えるようになってしまった、ということなのでしょう。また、フセイン政権時代の行政関係者や政治家、軍人などが数多くイスラム国に参加しているといわれます。一方、イラク政府のほうは、旧フセイン政権関係者を排除した結果、行政の素人ばかりが政府を動かしているので、むしろイスラム国のほうが行政のノウハウを持っている人間が多いことが想像できます。政治腐敗も、おそらくイラク政府では酷い状態になっているのだろうと思われます。軍事関係の予算が、高級軍人によって中抜きされ、人件費だけが計上される幽霊兵士も少なからずいる、という話も報じられています。その結果、政府軍とイスラム国が戦火を交えて、政府軍が敗退する戦場も多いようです。イスラム国自体は、そのうちに倒されるか内部分裂で崩壊するかもしれません。でも、その後には結局別の、類似した勢力が伸びてくるだけでしょう。いたちごっこです。結局、諸悪の根源は、ブッシュがイラク戦争をやらかしてフセイン政権を倒してしまったことです。もちろん、フセイン政権は凶悪な独裁政権でした。しかし、それでもここまで酷くはなかった。こんな事態を招いた原因は、米国(ブッシュ政権)にあることは明らかです。
2015.02.04
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イスラム国に拘束されていた後藤さんについて、殺害されたと報じられています。正式な確認がされたかどうかは知りませんが、映像が公開されており、まず間違いないようです。非常に残念な結果となりました。このような蛮行を行ったイスラム国が許し難いのは当然として、日本政府が救出のためにどのような努力を払ったのかについては、検証の必要があるだろうと思います。また、後藤氏の勇気ある行動に敬意を表するとともに、ご冥福を祈りたいと思います。昨日は、本当はこの件についての田母神のブログを批判する記事を予定していたのですが、公開のタイミングを逸してしまいました。それはともかく・・・・・・。邦人の安全守るのは政府の責任、自衛隊の邦人救出に意欲=安倍首相2月2日、安倍晋三首相は参議院予算委員会で、過激派組織「イスラム国」とみられるグループに日本人2人が殺害された事件について、「国民の命、安全を守るのは政府の責任。その最高責任者は私」と述べた。その上で、自衛隊による在外邦人の救出を可能にする議論を進めていく考えを改めて示した。安倍首相は、人質解放に向け、ヨルダンをはじめとした関係各国と緊密に連携したことを強調。「詳細はつまびらかにできない」とする一方、「最大限の協力をもらう確約を得た」と語った。その上で、「結果として2人の日本人の命が奪われたのは無念だ、痛恨の極み」と語った。1月下旬に事件が発生して以降、自衛隊による在外邦人の救出に意欲を示してた安倍首相は、この日も同様の意向を表明。「邦人が危険な状況に陥ったときに、受け入れ国の了承の(ある)なかで、救出も可能にする議論をこれから行いたい」と語った。(以下略)ーーーこういう痛ましい事件が起こった時、どうしても「勇ましい」方向の解決策に持っていかないと気が済まない人なんだね、この人は。確かに、国民の生命と安全を守るのは政府の責任で、その最高責任者が内閣総理大臣である、というのは事実です。しかし、その、国民の生命と安全を守る手段は、必ずしも軍事行動とは限らないはずです。いや、むしろ話し合いによる解決より武力による解決を志向することは、より大きな災厄を招く可能性を増大させることになります。今回の件について、日本政府がどういう解決策を志向し、どういう交渉を行ったのか、そもそもイスラム国側と交渉があったのか、この辺りのところはまったく明らかではありません。ただ、殺された後藤さん自身も、平和の大事さ、戦争の悲惨さを強く訴えていた人だったとのことで、自分を救出するために自衛隊が武力行使することを望んだとは考えにくいのです。本人の意思はとりあえず脇に置くとしても、確実にいえることは、交渉(または取引)によって釈放させる以外に選択肢がなかった、ということです。今回の事例で、武力による解決などということは、ありえないのです。イスラム国に拘束されている外国人は他にも大勢います。しかし、それらの人質を武力で救出する作戦を実行に成功した国は、これまでのところ存在しません※。世界最大最強の軍を擁する米国ですら、やっていない。そんなことは不可能だからです。※訂正です、田岡俊次の「自衛隊による海外人質救出が到底不可能な理由」によると、米国はイスラム国に拘束された自国民の救出作戦を、何度か試みています。ただし、すべて失敗に終わっている。従って、実行した国がないは誤りで、成功した国がないというのが正しいようです。冒頭でちょっと触れた田母神のブログには日本は、ダッカ事件でハイジャック犯の要求に屈して服役中の日本赤軍のメンバーを釈放してしまった、それに引き換え旧西ドイツはハイジャック犯の要求に屈せず、武力で制圧して人質を解放した、ドイツはすごい、だからドイツはテロリストに狙われない、毅然とし旗対応をすべきだ。という趣旨の意見が述べられています。武力解決大好きな右翼系の人から、よく出てくるタイプの主張です。北朝鮮の拉致被害者の武力救出、なんてことも主張する人がいますが、それと同根でしょうか。しかし、そのドイツもイスラム国に対しては、人質を取られた際に身代金を払って解放させたようです。ちょっと調べると、それ以外にも、人質に取られたドイツ人に対して身代金を払った(と思われる)例は結構ある。特殊部隊の奇襲による人質奪還を実現するためには何重もの高いハードルがあります。そのハードルがクリアできることなど、滅多にないのです。最も重要なのは相手国政府の承認です。他国の領土で特殊部隊が作戦行動を行うのですから、相手国の承認がなければ侵略です。純軍事的に見ても、相手国の協力、せめて行動の自由の保障がなければ、そんな作戦が成功するはずもありません。相手国政府が、該当地域を実効支配しているか否かも問題です。政府の実効支配が及んでいなければ、政府の承認も空手形と同じですから。当然、人質を取っている集団が、その国の政府、あるいは実効支配している勢力にとっても犯罪者集団と見られていなければ、行動の承認も協力も得られるわけがありません。そして、人質がどこに身柄を拘束されているか、どこの建物のどこの部屋まで、ある程度正確に分かっている必要があります。相手が「特殊部隊が突入してきた」と悟ってから、人質に危害を加えられるまで、よくても数分、下手をすれば数秒の時間の猶予しかないので、人質の居場所に向かって瞬時になだれ込まなくてはならないからです。ドイツがソマリアのモガディシュ空港でハイジャック機に特殊部隊を突入させた例は、これらの条件がすべてクリアされた、きわめて特異な事例なのです。一方、イスラム国の人質の例は、それらの条件がことごとく、一つもクリアできていない。それで武力救出なんて、まったく不可能なのです。そして、世界中の人質事件のほとんどは、今回の件と同様に、武力救出の条件はクリアできません。だから、そのような作戦が実行されることも滅多にありません。追記:相手国政府が敵対的にもかかわらず救出作戦に成功した数少ない例が、イスラエルがウガンダのエンデベ空港で行ったハイジャック機への突入作戦です。ただし、このときは、コメント欄でBill McCrearyさんが指摘しているように、空港ターミナルがイスラエル企業の設計だったため内部構造等が事前に正確に分かっていた、人質の居場所も事前に正確に分かっていた、という条件がありました。(ただし、人質のうち1人だけ体調を崩して病院に搬送されていたことをイスラエルは把握しておらず、結局この一人が取り残されて後にウガンダ政府に殺された)かつて、米国は駐イラン大使館が占拠されて大使館員が人質に取られた際、これらの条件がクリアされていないのに特殊部隊を動員して救出作戦を行ったことがありますが、結果は大失敗でした。以前、空想的平和主義なんて言葉で右翼が平和主義を非難することがありましたが、できもしない自衛隊による武力救出を叫ぶのは、空想的軍国主義でしかないでしょう。
2015.02.02
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