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「失礼致します。」 瑞姫はそっと襖を開けると、父と新年に集まって来た一族の者達に向かってお辞儀すると、優雅な身のこなしで畳みの縁を踏まずに用意された席へと座った。「そちらの方は、向こうの席へ。」ルドルフが真宮家の女中によって案内された席は、瑞姫から遠い末席だった。「お父様、彼はわたしの恋人です。せめてわたしの隣に・・」「瑞姫、“男女七歳にして席を同じゅうせず”だ。」瑞姫の父親がそう言って険しい顔で彼女を睨むと、彼女は黙って俯いた。「駄目でしょう瑞姫さん、新年早々にお父様を怒らせては。」継母の顕枝(あきえ)が瑞姫をそう嗜めて意地の悪い笑みを浮かべた。「さてと、全員揃ったところだし、食べようか。」瑞姫の父親がそう言うなり箸で黒豆を摘むと、他の者もそれに倣いそれぞれ用意された料理を食べ始めた。箸使いも判らぬままルドルフは箸をフォークのように使って食べていると、顕枝が顔を顰めた。「まぁ嫌だわ、刺し箸だなんて。」「顕枝さん、ルドルフさんは箸使いが判らないんですよ。そんなに重箱の隅をつつくような言い方をなさらなくてもよろしいじゃありませんか。」彼女の嫌味にムカッときたルドルフだったが、すかさず亜鷹が助け船を出してくれた。顕枝はぶすっとした表情を浮かべると、茶を飲んだ。「ルドルフさん、わたしの隣へ。」「さっきはありがとう、助かった。」「いいんだよ。顕枝さんは小父様の前で君に恥をかかせようとしてたんだろう。表向きは瑞姫と君との結婚を許したと言っても、自分の思い通りにならずに苛々しているんだろう。」亜鷹はそう言って笑った。「あの人は何故ミズキを嫌っているんだ? 血が繋がっていなっていないからか?」「それもあるけれど、顕枝さんは瑞姫の父親と再婚する前に色々と揉めてね。それに自分の息子より瑞姫の方が賢いから面白くないのさ。」ルドルフがちらりと瑞姫を見ると、彼女は一族の女性達数人と何かを話していた。口元は笑っているが、目は笑っておらず、すぐに彼女が作り笑いをしているとルドルフは気づいた。「あの人達は?」「ああ、あれは瑞姫の従姉妹に当たる清音(きよね)と真子(まこ)、その2人の向こうにいるのがわたしの妹の優貴(ゆき)だ。どうやら君の事を聞いている。」瑞姫が彼女達に何か言うと、彼女達は目を丸くしながら黄色い声を上げた。「賑やかだな。」「女三人寄ればかしましいと言うだろう?」「ああ、わたしにも姉や妹が居たからな。」ルドルフがそう言った途端、瑞姫の従妹達が彼と亜鷹の方へと駆け寄って来た。「あの、あなたが瑞姫姉様の恋人って本当ですか?」「そうだけど、もしかしてわたしを狙っているの?」そう言うと従姉妹達の中で真っ先に駆け寄って来た亜鷹の妹・優貴はルドルフの問いに答える代りに彼に抱きついた。「わたしのものになってくれる、ルドルフさん?」優貴はルドルフにしなだれかかると、瑞姫に意地の悪い笑みを浮かべた。「済まないね、ユキさん。わたしはもうミズキ以外の女とは寝ないと決めたんでね。他を当たってくれ。」ルドルフはそう言って、優貴を突き飛ばすと瑞姫に抱きついた。「ルドルフ様、人前でそんな事をしては駄目ですよ。」「じゃぁ、2人きりの時ならいいのか?」「もう・・」瑞姫はちらりと呆然としている優貴を見て勝ち誇ったかのような笑みを浮かべた。「優貴ちゃん、振られちゃったねぇ。」「可哀想ぉ~!」わざとらしく清音と真子が顔を見合わせてそう言って笑うと、優貴は部屋から出て行った。にほんブログ村
2011年01月09日
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「瑞姫、何処へ行っていたの? 早くこちらに来なさい。」そう言うと継母は瑞姫を睨んだ。「病院に行ってました。部屋で休ませていただきます。」瑞姫の言葉に、継母の美しい顔が怒りで歪んだ。「少しでも顔を出して頂戴。」継母と口論する気力がない瑞姫は、渋々とダイニングへと入った。そこにはフランス料理のシェフが招待客達に料理を振る舞い、客達はシャンパン片手に談笑していた。「瑞姫さん、お久しぶりだこと。そちらの方は?」ルドルフとともに入って来た彼女を見て、1人の女性がそう言って瑞姫に話しかけてきた。「この方は、わたしの恋人ですわ。」瑞姫はわざと継母に見せつけるかのように、ルドルフと腕を組んだ。「まぁ、素敵な方ね。お似合いのカップルではなくて?」「本当ねぇ。」「お式はいつなの?」婦人会のメンバーに質問攻めにあい、瑞姫は少したじたじとなったが、ルドルフがにっこりと彼女達に笑顔を向けて英語でこう言った。『まだ彼女は学生ですし、彼女の母親が結婚を反対なさっているんですよ。わたしとしてはすぐにでも結婚したいところですけれどね。』「まぁ、そうでしたの。」「顕枝(あきえ)さん、瑞姫さんのご結婚には反対なさっているとか? ルドルフさんは素敵な方なのに・・」メンバーの1人にそう言われて話を振られた瑞姫の継母は、苦虫を噛み潰したような顔をした。「まだこの子には結婚は早すぎますし、この子はまだ世間というものを知りません。」「わたくし、これでも家事全般は出来ますわ。だから安心なさって、お義母様。」「何故なの、瑞姫? 何故その男でないといけないの? 亜鷹さんはどうなさるおつもりなの?」「亜鷹お兄様とはお別れしました。お兄様はわたしとルドルフ様の事を祝福してくださいました。わたしは彼と共に生きていきたいんです。」「あなたは、この家を捨てるつもりなの? 母親と同じ過ちを犯すつもりなの?」「母様は命を賭けてわたしを産んでくれました。その母の命を次代に繋ぐ為にわたしは彼と夫婦になりたいんです。お願いです、お義母様、わたし達の結婚を許してください!」瑞姫はそう叫ぶと、継母の前で土下座した。「瑞姫、お顔を上げなさい。あなたと彼との結婚は許してあげます。」「お義母様・・」「但し、お父様にもちゃんと許可を得るのですよ。これはわたくし一人では決められませんからね。」「ありがとうございます。」瑞姫はそう言うと立ち上がり、ルドルフに抱きついた。「ルドルフ様・・」「やっと一緒になれるな。」継母は客達の手前、瑞姫と自分との結婚を許しただけではないのかとルドルフは思っていた。その証拠に、彼女はああ言ったが目が笑っていないではないか。(何か、ありそうだな・・)嫌な予感を感じながらも、瑞姫の前では作り笑いを浮かべた。 瞬く間に時間は過ぎ、除夜の鐘が108回撞かれた後に新しい年をルドルフは日本で迎えることとなった。「ん・・」「新年明けましておめでとうございます、ルドルフ様。」「おめでとう、ミズキ。」真紅の振袖を着て、漆黒の髪を結い上げた瑞姫は、どこかなめまかしかった。洋館に隣接する武家屋敷に用意された部屋で眠ったルドルフは、瑞姫によって黒紋付羽織と鼠色の袴姿となり、鏡の前に立った。「良く似合ってますよ。」「何だか変な感じだな。」部屋から出て2人は一族が待つ部屋へと向かった。「遅くなりました。」瑞姫が襖の前で正座してそう言うと、中から父の声がした。「入りなさい。」にほんブログ村
2011年01月09日
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産婦人科の待合室でルドルフと口論になり、看護師に連れられた病室でベッドに横たわりながら、瑞姫は何であんな風に取り乱してしまったのだろうと後悔した。「気分はもう落ち着きましたか?」「はい・・」ふと彼女が顔を上げると、看護師がそう言って瑞姫を見た。「すいません、迷惑を掛けてしまって・・」「いえ、いいんですよ。それよりも、余り焦らないでくださいね。子どもは天からの授かり物だと言いますからね。」「ええ。」瑞姫はそう言うと、溜息を吐いた。 ルドルフの子を産みたいと、彼と初めて結ばれた時からそう思い始めた。月のものが遅れた時に一瞬、妊娠していると思い始めていたが、まだその頃ルドルフは既婚者で、娘も居たので、もししているとしても腹の子を産んでもいいのだろうかと悩んでいた矢先の流産だった。妊婦としての自覚を持ち、腹の子を労わってやれば、あの子は無事に産まれてきたのかもしれない―そんな想いを抱えながら瑞姫は生きてきた。ルドルフと激しく愛し合い、彼の陽水が子宮を満たしていく感覚に喜びを感じ、瑞姫は漸く彼との子を産めると思っていた。しかし、そのルドルフから残酷な言葉を聞き、取り乱した瑞姫は死のうと母の墓へと向かった。病院に運ばれ、龍之助から自然妊娠は不可能ではないと知らされた瑞姫は、少し救われた気がした。いつ自分達の元に子どもが出来るのかどうかが判らないが、諦めずに希望を持とうと瑞姫は思っていた。「ミズキ、入るぞ。」病室のドアが開き、ルドルフが入って来ると、瑞姫はまともに彼の顔が見ることができなかった。あんなに激しく取り乱し、一方的に彼を責めてしまった後である。きっとルドルフはこんな自分に愛想を尽かしてしまうのかもしれないと、恐る恐る彼の顔を見ると、彼は済まなそうな表情を浮かべていた。「ミズキ、わたしが軽率だった。許してくれ。」そう言って自分を抱き締めてくれるルドルフの優しさに、瑞姫は涙を流した。「いえ、いいんです。それよりもさっきはあんな風に取り乱してしまってすいません。」「さっきカフェでお前の主治医に説教された。」「そうですか。」その後、瑞姫はルドルフとともに再び産婦人科へと向かい、診察の順番を待っていた。「瑞姫さん、どうぞ。」看護師の指示に従い、振袖の裾を捲り上げた瑞姫は、恥ずかしさ故かなかなか足を開く事が出来なかった。「大丈夫、すぐに終わるからね。」龍之助の言葉によって瑞姫はそっと足を開くと、目を閉じた。「診察の結果だけど、自然妊娠は出来るよ。君の妖力が完全に鎮められ、胎児にとってそれが毒にならなくなった今がベストなのかもしれない。排卵日にセックスしたから、妊娠は確実だと思った方がいいけど、駄目だった時は気を落とさずにね。」「ありがとう、先生。」ルドルフとともに蒼霧病院を出た瑞姫は、晴れ晴れとした表情を浮かべていた。「ルドルフ様、もしわたしが子どもにべったりになったら、焼きますか?」「さぁな。あいつは色々と言っていたが、わたしはそんなに幼くはないさ。」「それはどうでしょうね。男の方って基本的に子どもですから。」「なっ・・お前もそんな事を言うのか!?」和気藹藹とした車内で、亜鷹は溜息を吐きながら2人の会話を聞いていた。「兄様、送ってくださってありがとうございました。」「いいや、礼なんか言われなくてもいい。ルドルフと仲良くしろ。」亜鷹の車を見送り、瑞姫とルドルフが真宮邸へと入ると、何やら家の中が賑やかだった。「お嬢様、お帰りなさいませ。」「どうしたの? 何か賑やかだけれど・・」「それが、奥様がクリスマス=パーティーをお開きになられて、婦人会の方々がお見えになっているんですが・・」「そう。」瑞姫はさっさと2階へと上がろうとした。その時、ダイニングから継母が出て来た。にほんブログ村
2011年01月09日
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ルドルフは、ちらりと和食弁当をガツガツと食べる青年を見た。一体彼は何者なのだろう。瑞姫とはやけに親しいようだし、瑞姫も瑞姫で彼に気を許しているようだ。それに自分の名を知っているということは、只者ではないかもしれない。「どうしたの? お腹空いてないと言った癖に、やっぱり空いてるんじゃないか。」悪戯っぽい笑みを口元に浮かべながら、青年はそう言うとブリの照り焼きを頬張った。「お前は何故、わたしの名を知っている? それにミズキとは一体どのような関係だ?」「僕はこれでも瑞姫さんの主治医だよ。親子2代続けてね。」「親子2代続けて?」「ああ。僕の父である前院長は、瑞姫の母・黒羽根様の主治医だったんだ。黒羽根様のご実家は旧伯爵家の元華族でね、彼女の父君は旅館経営や料亭経営などで成功された方で、1人娘であった黒羽根様には淑女としての嗜みを身につけさせ、何処へ出しても恥ずかしくないように厳しく躾けられたそうだよ。けれど当の本人には奥様の他に何人か愛人が居て、ご家庭を顧みない方だったようだ。」そう言って言葉を切った青年は、茶を飲んだ。「クロハネはミズキを産んだ後に死んだと聞いたが?」「ああ、それは本当だよ。相手は黒羽根様の父君と対立関係にあった真宮家の跡取り息子で、今では現当主様さ。瑞姫さんを身籠り、黒羽根様は家出同然で真宮家に転がりこんできたんだ。相手の男は黒羽根様を愛していたが、瑞姫さんを産んで亡くなったと知るや、瑞姫さんを蔑ろにした挙句、さっさと別の女と再婚してしまったんだ。」「そしてその女は男児を産んだ。ミズキは冷遇されたという訳か・・」瑞姫の複雑な家庭環境を青年から聞いたルドルフは、溜息を吐いた。あんな事を言うのではなかった。慰めのつもりで言った言葉が、瑞姫を傷つけてしまった。「瑞姫さんは君と出逢うまではいつも独りだった。家にも学校にも馴染めず、黒羽根様が遺したピアノを弾きながら、何故自分がこの世に生まれてきたのかを毎日探っていた。そんな彼女が君と出逢い、男女の仲となりその命を紡ぎたいと思っているのは、女としての本能なんだよ。」「そんな彼女の本能を、わたしが否定したと?」「どんなに医療が進歩していても、生命の誕生は未だ謎に満ちていて、妊娠・出産に関してはまだまだ解らないことばかりだ。そういったデリケートな問題は、口先だけの愛情や慰めの言葉なんて何の意味も無いんだよ。皇太子殿下は、どういったお考えをお持ちなのかな?」青年の言葉を聞いたルドルフは、顔を強張らせた。「君はハプスブルク家の後継者として意に介さぬ結婚をし、後継者を作る義務があった。けれども、産まれたのは役立たずの女児。君は義務を果たしたと言わんばかりに正妻に背を向けたんじゃないかい?」「ああ、その通りだ。だがひとつ、お前は間違っているぞ。エルジィは役立たずなんかじゃなかった。あの子はわたしの血をひいた唯一人の娘だ。」「その娘さんはあなたの遺志を継ぎ、後世に名を残した。彼女は一生涯、あなたの面影を追い求めていたんだよ。瑞姫さんとあなたの子どもには、あなたの背中を見て育って欲しいと僕は思うんだ。だから、今回の事は素直に自分の非を認めて瑞姫さんに謝って、充分話し合った方がいいよ。それより、何か頼むものがある?」「いや・・軽く食べられるものが欲しい。」「そう。ここのハンバーガーはかなりいけるよ。」「それでいい。」暫くして、店員がハンバーガーを運んできた。初めて見るハンバーガーをフォークで切り、ルドルフはそっとそれを一口食べた。「美味いな。」「でしょう? あ、自己紹介が遅れたね。僕は蒼霧龍之助。リュウと呼んで。」「性格に似合わず立派な名前だな。」「酷いなぁ。」青年―龍之助は溜息を吐いてポテトを摘んだ。「勝手に食うな。」「いいじゃない、減るもんじゃないし。」「絶対にやらないぞ。」そう言うと、ルドルフはバスケットを龍之助から遠ざけた。素材提供:写真素材 Mocaにほんブログ村
2011年01月09日
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謎の青年医師とともにエレベーターに乗り、ルドルフと瑞姫は産婦人科へと向かった。そこには、幸せそうな乳幼児連れの妊婦とその夫が待合室のソファに座りながら談笑していた。マガジンラックをふと見てみると、育児雑誌ばかりで、瑞姫のように不妊に悩む者や流産した者にとっては、何とも居心地が悪かった。「みんな、幸せそうですね。」瑞姫はぽつりとそう呟くと、俯いた。ルドルフはそっと彼女の肩を抱いた。「わたし達もいつか幸せになれるさ。だから、気を落とさないで・・」「どうしてそんな事が言えるんです? ルドルフ様は男だから一生解らないでしょうね、流産した女の気持ちが!」今まで堪えていた想いがルドルフの言葉によって一気に溢れだし、気づけば瑞姫は険しい表情を浮かべながら彼を責めていた。「わたしはそんなつもりで言ったわけじゃ・・」「無神経にも程が過ぎますよ! わたしはあなたの子どもが産めないと知ってから、死のうと思ったんですよ!」「わたしが悪かった。お願いだから気を鎮めてくれ。」「わたしに触らないで!」ルドルフが瑞姫を抱き締めようとすると、彼女はそれを激しく拒絶した。そんな2人の様子を、周囲の者は何事かと見ていた。「いいですよねぇ、幸せな人達は! 誰もわたしの気持ちなんか解ってくれない!」ヒステリックに瑞姫はそう叫ぶと、床に蹲って嗚咽した。「どうしたんだい?」診察室からひょこっと顔を出した青年がそう言って瑞姫とルドルフを見た。「瑞姫さん、ちょっと休もうか。」看護師がそっと瑞姫を病室へと連れて行くのを見送った青年は、くるりとルドルフの方へと向き直った。「ちょっと顔貸してくれないかな?」ルドルフは馴れ馴れしい彼の口調にムカッと来たが、彼の後についていった。「何処へ連れて行くつもりだ?」「別に、男同士で話したいことがあるから、なるべく人目につかない所でね。あんな騒ぎを起こしたばかりだし。」「わたしは何も悪くない。」「彼女はそうは思っていないようだけど?」やがてルドルフ達は病院内のカフェテリアへと入った。 カフェテリアには客が数人しかおらず、空席が目立つというのに、青年は窓際の目立たない席へと向かった。「で、瑞姫さんに何か言ったの?」「わたしは別に、彼女を傷つけようと思ってあんな事を言ったわけでは・・」「だから、彼女に何を言ったのか知りたいんだよ。」「いつかわたし達も幸せになれるから、気を落とすなと・・そしたらミズキが突然ヒステリーを起こして・・」青年は溜息を吐くと、呆れたようにルドルフを見た。「君って奴は無神経だなぁ、変な慰めほど女は傷つくものなんだよ。」青年の言葉にルドルフは拳でテーブルを叩いた。「女の扱いなど、慣れている。」「だからそれが無神経だって言うんじゃないか。恐らく君は数々の女をそうやって泣かせて来たんだろうなぁ。全くイケメンってこれだから嫌だよねぇ~、まぁ僕もそうなんだけどさ。」そう言って豪快に笑う青年に、ルドルフはますます苛々したので、さっさと椅子から立ち上がった。「何処行くの?」「ミズキのところに決まってるだろう。」「今行っても彼女は君に会いたくないと思うよ。ま、暫くそっとしておくことだね。」青年はメニュー表を開いた。「何にする?」「何も要らん。」ぶすっとした顔をしているルドルフを無視して、青年は和食弁当を注文した。「言っとくけど、あげないよ。」「ふん。」素材提供:写真素材 Mocaにほんブログ村
2011年01月09日
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「シリル、お前は死んだ筈では・・」ルドルフはそう言って黒髪の司祭に詰め寄ると、彼はにっこりとルドルフに微笑んだ。「ルドルフ様、またお会いいたしましたね。」黒髪の司祭―シリルは穏やかな笑みを浮かべ、ルドルフに抱かれている瑞姫を見た。「ミズキさんが診察に?」「院長は?」「先生なら診察室でお待ちです。こちらへどうぞ。」シリルの案内でルドルフ達は診察室へと入ると、そこには白衣を纏った30代後半と思しき青年がカルテを見ていた。「先生、ミズキさんがいらっしゃいました。」青年はシリルの言葉を聞くと、カルテから顔を上げた。「ようこそ、蒼霧病院へ。来ると思っていましたよ。さ、そちらのベッドに彼女を寝かせてください。」ルドルフは言われた通りに瑞姫をベッドに寝かせた。「先生、実は・・」「ちょっと失礼。」青年は亜鷹の言葉を遮ると、聴診器で瑞姫の鼓動を聞いた後、脈を一通り測ると、呪を唱えて掌を瑞姫の額に当てた。「何を・・」「診察ですよ。どうやら瑞姫さんの妖力は完全に封じられたようですね。」何が何だか判らぬまま、ルドルフはそっと瑞姫の手を握った。すると、苦しそうに呻きながら瑞姫が目を開けた。「ルドルフ様?」「ミズキ、大丈夫か?」「ええ・・なんとか・・」「瑞姫さん、久しぶりだね。」ルドルフと瑞姫との間に割って入った青年は、そう言って彼女に微笑んだ。「先生、どうしてわたしが此処に?」「君の妖力は封じられたよ。まだ完全に自然妊娠については大丈夫だという保障はできないけれどね。」「そう・・ですか・・」瑞姫はそう言って俯いた。「大丈夫、可能性はゼロだということはないんだからね。焦りは禁物だよ。」どうやら院長と瑞姫は顔見知りらしく、2人が会話している間にルドルフは少し焼き餅を焼きそうになった。「今日はちょっと産婦人科で検査してみるからね。こちらの方は旦那さん?」青年はそう言ってルドルフを見た。「まだ結婚はしてませんけど、恋人です。あの、産婦人科で検査するなんて・・着替えも何も持ってきてないんです。」「いいんだよ。嫌な事は早く済ませたいだろう?」不安がる瑞姫を安心させるように、青年は彼女の手を握った。「わたしも行きます。」瑞姫が青年と仲良くしているのが気に入らなかったルドルフは、2人の間に割り込むと瑞姫の手を引っ張った。「嫉妬深い彼氏さんだね。これじゃぁ子どもが産まれたら赤ちゃん返りしちゃうねぇ。」鳶色の瞳を悪戯っぽく光らせながら青年がそう言ってルドルフを見た。「わたしはそんな事にはならない!」「さぁ、どうかなぁ? 奥さんが子どもにかかりきりになって嫉妬する旦那さんって結構居るんだよ?」「そんなの一部の者だけだろう? わたしは冷静沈着な人間だ、子ども如きに嫉妬する訳なかろう。」「理屈ならなんとでも言えるんだけどねぇ~」飄々としている青年を前にして、ルドルフは徐々に苛立ちが募ってきた。「先生、ルドルフ様をそんなにからかわないでください。診察にはまだ行かないんですか?」瑞姫が慌てて2人の間に割って入った。「ああ、そうだった。じゃ、行こうか?」(なんなんだ、この男は!)瑞姫の手をひき、ルドルフは男に対して苛立ちをますます募らせながら、産婦人科へと向かった。にほんブログ村
2011年01月09日
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「おやめなさい、そんなことをしても何もならないわ。」凛とした声が聞こえ、ルドルフと亜鷹、腐葉が振り向くと、そこには艶やかな金色の毛並みを雪風になびかせた一匹の狐がいた。どこか威厳に満ちていて、それでいて凛とした雰囲気を纏った狐はゆっくりとルドルフの方へと歩いてきた。「あなたが、ルドルフね。」「どうして、わたしの名を? あなたは?」狐は閉じていた目をゆっくりと開いた。その瞳は、亜鷹と同じ紫だった。「黒羽根・・どうして・・? あなたは死んだ筈・・」(黒羽根? 亡くなった瑞姫の母親か?)狐はじっとルドルフを見た。「わたしは、あなたに会いに来たのです。娘の夫であるあなたに。」眩い光が墓地に満ちたかと思うと、狐が居た場所には天女のような美しい女が立っていた。「瑞姫、可愛いわたしの娘よ。」女は腰を屈めると、ルドルフに抱かれている瑞姫の頬を撫でた。「母・・様?」瑞姫は低く呻くと、女を見た。「長い間独りにしてしまってごめんね。辛い思いを色々とさせてごめんね。わたしが、あなたの苦しみを取り去ってあげるわ。」女―黒羽根はそっと瑞姫の手を握り締めた。すると瑞姫の黒髪が白銀へと変わった。「母様、わたしはこれからどうなるの?」「大丈夫よ。」黒羽根は瑞姫の唇を塞ぐと、彼女の髪を梳いた。「これであなたの苦しみは終わるわ。」「待って母様、行かないで・・」「魂はいつもあなたの傍に居るわ。」黒羽根は瑞姫の手を握ると、ルドルフを見た。「瑞姫をお願いね。わたしに出来る事はもうしたわ。」「いや・・母様、まだ行かないで・・」黒羽根は我が子に微笑むと、瑞姫に背を向けて墓地を後にした。やがて彼女の姿は雪によって見えなくなった。「今のは、一体・・」ルドルフは我に返ると、瑞姫が自分を見つめていることに気づいた。髪も瞳も、黒へと戻っている。「ミズキ、どうした?」「母様が、わたしの妖気・・完全に封じてくれた・・」そう言うと瑞姫は目を閉じた。「気を失っているだけだ。」亜鷹はじっと瑞姫を見た。「黒羽根め、余計な事をしてくれたわね。」背後から舌打ちする音がして振り向くと、腐葉が憎しみで籠った目で瑞姫を睨みつけていた。「お前は何故、ミズキを憎む?」「この子は災いを齎す子だ!」腐葉はそう叫ぶと、ルドルフ達の前から消えた。「とにかく、瑞姫を病院に連れて行こう。」「退院したばかりなのにか?」「人間ではなく、妖専門の病院だ。」ルドルフは瑞姫を腕に抱いたまま車の後部座席に乗り込むと、亜鷹は車を発進させた。車が海岸沿いの道を走ってゆき、鬱蒼とした森の中へと入った。その中には白亜の病院らしき建物がぽつねんとたたずんでいた。「ここが、妖専門の病院か?」「ああ。蒼霧病院(あおぎりびょういん)といってな、人では治せる病も治せるのさ。」そう言うと、亜鷹は車から降りた。彼の後に続いてルドルフが病院へと入ると、正面玄関にはキリスト像が掲げられていた。妖の病院に何故キリスト像が―ルドルフが首を傾げていると、奥から法衣を纏った1人の司祭が現れた。「シリル・・」にほんブログ村
2011年01月08日
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舞い散る雪の中を、瑞姫は黙々と歩いていた。草履を履かぬまま来たので、彼女の足は霜焼けで真っ赤になっていた。それでも彼女は歩みを止めることなく、ひたすらある場所へと向かっていた。漸く彼女は、そこに辿り着いた。「母様・・」瑞姫の前には、墓石が立っていた。そこには瑞姫を出産して亡くなった実母・黒羽根が眠っている。「ごめんね母様、全然母様の所に来れなくて。わたしね、やっと好きな人が出来たの。」瑞姫はそう言って、母が眠る墓を撫でた。「わたし、その人の子どもを妊娠したけれど、産めなかったんだ・・まだ初期だったから解らなかったの、妊娠してたこと。流産した後に妊娠したことを知ったのよ。」瑞姫は涙を流しながら亡き母に語りかけた。「もっとわたしが気をつけていれば、母様に初孫の顔を見せられていたのに。わたしがもっと早くに気づけば・・もっとわたしがしっかりと妊婦としての自覚を持っていれば、あの子は死ぬことはなかったのに。」そこで言葉を切り、瑞姫は堪え切れなくなって嗚咽した。「母様、わたしさえ生まれなければ母様はまだ生きていたんでしょう? どうしてわたしを産んだの? どうしてわたしを独りぼっちにしたのよぉ!」どんなに墓に向かって語りかけても、何も返ってこない。「どうしてわたしは生まれたの? 役立たずで両性で半妖のわたしがどうして生きてるの? ねぇ、教えてよ母様・・」墓石に縋りつきながら、瑞姫は雪の中でそっと目を閉じた。「確か、ここだ。」 一方、黒羽根が葬られた墓地へと到着した亜鷹とルドルフは、彼女の墓がある高台へと向かった。「アタカ、どうしてここが解った?」「瑞姫は辛い事があると必ず、黒羽根の墓に行っていた。父親は仕事でほとんど家庭を顧みず、後妻は息子を溺愛し、家の者は半妖であることを理由に彼女を蔑ろにした。今は亡き母親の温もりを、ずっと探していたのだろう。」亜鷹の言葉に、ルドルフは瑞姫と自らの幼少期を重ね合わせていた。実母は生きていたが、ほとんど姉や自分が居るウィーンへと帰ることはなく、各地を放浪していた。母の代わりに傍に居たのは、厳格な祖母だけだった。実母の温もりも知らず、冷たい墓石に向かって語りかける幼い瑞姫の姿を想像すると、胸が締め付けられるかのような苦しみがルドルフを襲った。ずっと探していた、魂の分身を。瑞姫が天から降ってきた時、何か尋常ではないものをルドルフは感じた。初めて肌を重ねた舞踏会の夜、心の底から湧きあがってくる幸福感―あれは漸く魂の分身を見つけたという幸福感から来たものだったのだろうか。 雪が辺りを白く染め、瑞姫がどこに居るのかが判らない。「ミズキ、何処に居る!」白く染まった地面を掻き分けながら瑞姫を探していると、真紅の帯が雪の中から突如として現れた。急いでルドルフが掻き分け、瑞姫を発見した。艶やかな黒髪にかかる雪を払いながら、ルドルフはそっと瑞姫の額に手を当てた。そこは焼けるように熱かった。「アタカ、ミズキを見つけた! 酷い熱だ!」ルドルフは瑞姫を抱きながら亜鷹に呼びかけたが、彼は全く自分達と違う方向を見ている。「どうした?」亜鷹が指し示す方向には、黒い衣を纏った女が立っていた。「母・・上・・」「やっと見つけたわぁ、瑞姫。」そう言って女―瑞姫に倒された筈の亜鷹の母・腐葉(ふえ)がジロリとルドルフと瑞姫を睨みつけた。「お前は、あの時の・・」ルドルフは護身用の銃を取り出し、銃口を腐葉に向け、引き金を引いた。「そんなものでわたしは倒せないわよ、坊や。」腐葉は口端を歪めて笑うと、ルドルフの背後に回り彼の髪を撫でた。「今度こそお前の肝を食ってやるわ。」腐葉の鋭い10本の爪がルドルフの喉笛を掻き切ろうとした時、鈴の音が高らかに墓地に響き渡った。にほんブログ村
2011年01月08日
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ルドルフの言葉に、亜鷹は辛そうな表情を浮かべて静かに頷いた。「瑞姫の身体には半分妖の血が流れている。普通半妖の者は完全体と比べて脆弱で妖力も微弱な者が多いのだが、瑞姫は違った。だがその妖力が強過ぎる余りに瑞姫の母親は産褥で死に、わたし達は彼女の妖力を封じる為にあのアメジストのネックレスを彼女に渡した。」亜鷹の話は俄かに信じがたいものだったが、プラハで妖の女に襲われた際にルドルフは瑞姫が覚醒する瞬間を見た。あの時、自我を半ば失いかけて暴走寸前だった瑞姫の姿は、とても恐ろしいものだった。妖力が全て解放されたらどうなるのか・・あの恐ろしい瑞姫の姿を見ただけに、ルドルフはそんな事を考えたくはなかった。「子どもとミズキの妖力と、どう関係しているんだ?」「お前の子を瑞姫は一度宿したが、流れてしまったことがあるだろう?」「あれはシュティファニーが盛った毒を彼女が口にしてしまっただけだろう?」「毒の事もあるが・・瑞姫の封じられていた妖力は腹の子にとっては猛毒そのもの。猛毒を食らい、その上知らなかったとはいえ瑞姫は毒を飲んでしまった故に子は死んでしまった。残念だが・・」「何か方法があるのだろう? 腹の子とミズキ、両方が助かる方法が?」「ひとつだけあるが、余り勧められない。」「それは?」「人の血肉を喰らい、啜ること―つまりは完全体になることだ。瑞姫が半妖のままで居る限りお前との子は望めぬ。しかし完全体となれば子は産む事は出来るが、お前が知っている瑞姫には二度と戻る事はない。」亜鷹の言葉に、ルドルフは絶句した。瑞姫と出逢ってから1年もの間に彼女と心を通わせ、共に生きることを選んだというのに、子どもが望めぬ残酷な現実を突き付けられた彼は、呆然と立ち尽くしていた。「完全体にならずとも、瑞姫がお前の子を産める方法は他に方法がある。だがその方法は彼女に肉体的・精神的苦痛を齎(もたら)すが・・」(兄様と、何を話しているんだろう?)なかなか戻って来ないルドルフを心配しながらも、瑞姫は学校を休んでいた分のノートを取った。ふと卓上カレンダーを見ると、今日はクリスマス・イヴだ。何か予定があったことを瑞姫は思い出そうとしたが、全く思い出せない。「ミズキ、待ったか?」突然背後からルドルフに抱きすくめられ、瑞姫は悲鳴を上げた。「そんなに驚く事はないだろう?」「す、すいません・・あのルドルフ様、兄様と何を話していたんですか?」瑞姫の言葉を聞いたルドルフの顔から笑顔が消えた。「ミズキ、良く聞いて欲しいんだが、わたし達の間には子どもは望めないことが判ったんだ。アタカが・・」(今何て? 何て言ったの?)ルドルフの言葉を信じたくなかった。「嘘でしょう、子どもが産めないなんて?」「本当だ。」「そんな・・」瑞姫はそう言うと、床に崩れ落ちた。「治療法はいくらでもある。時間はかかるかもしれないが・・いつかはきっと・・」「そんなの嫌!」瑞姫は涙を流してそう叫ぶと、突然ルドルフを突風が襲った。「くっ・・」風が止み、ルドルフが顔を上げるとそこには瑞姫の姿が何処にもなかった。「ミズキ?」突然消えた恋人に、ルドルフは激しく動揺した。「どうした、ルドルフ?」「ミズキが消えた。」「わたしと一緒に来い。恐らく瑞姫はあそこに居る。」急いでコートを羽織ったルドルフは、亜鷹とともに車に乗り込んだ。「あそこって?」「黒羽根―瑞姫の実母の墓だ。」亜鷹が車を出すと、空から雪が降って来た。にほんブログ村
2011年01月08日
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「さっきのは、男からか?」「ええ。でも彼とはただのクラスメイトですから、嫉妬しないでくださいね。」そう言うと瑞姫は椅子から立ち上がると、ベッドの端に腰掛けているルドルフの頬に唇を落とした。「し、嫉妬なんかしたりしていないぞ!」「ならどうして、拗ねたような顔をなさっているんですか?」「う、煩いな!」ルドルフは羞恥で顔を赤く染めると、瑞姫にそっぽを向いた。「ルドルフ様はわたしの前ではそんなお顔をなさるんですね。ホーフブルクではいつも気難しいお顔をされていたのに。」瑞姫はそう言うと、ルドルフにしなだれかかった。「お前だと何だか気張らなくて済むからな。それよりも、昨夜はやり過ぎたからから身体の方は大丈夫か?」ルドルフは瑞姫の下腹をそっと撫でながら言うと、彼女は頬を赤らめて俯いた。「ええ。立ったままするなんて初めてだったから、少し膝が筋肉痛になってしまっただけで、後は大丈夫です。それに・・」「それに?」「余りにも気持ち良すぎて、もっとして欲しいとさえ・・」そこまで瑞姫が言うと、ルドルフは悪戯っぽい笑みを浮かべた。「そんなに良かったか? まあわたしも、お前があんなに悦ぶ顔を見たことがなかったよ。」「そ、そんな・・」ルドルフはそっと瑞姫の髪を梳くと、彼女の唇を塞いだ。「ミズキ、この際だから言うが、わたしはお前の元許婚に初めて会った時に、もうお前が他の男に抱かれているのではないかと思ってしまった。だからあんなに酷い事をしてしまって・・」瑞姫の脳裡に、嫉妬に駆られたルドルフが自分を乱暴に抱いた日のことが浮かんだ。「いいんです、もう済んだことですから。それよりもまだ身体が疼いてたまらないんです。」そう言ってルドルフにしなだれかかった瑞姫は、帯紐を解き始めた。「随分と積極的になったな。昔は添い寝することを嫌がっていたのに。」「初めての時、余り痛くなかったからでしょうか。多分、あなたのリードが上手かったから・・」瑞姫の言葉を聞いてルドルフは苦笑し、彼女の髪を梳いた。2人の唇が触れ合おうとした時、ドアが静かに開いた。「相変わらず仲がいいね、2人とも。」涼やかな声が背後から響いて瑞姫が振り向くと、そこにはマイヤーリンクに居る筈の亜鷹が立っていた。「亜鷹兄様、どうしてここに?」「あの後、わたしはマイヤーリンクからこちらに戻ってきてね。きっとお前がルドルフと居ると思って。彼に少し話したいことがあるんだが、いいかな?」「ええ、いいですけれど・・」不安そうな表情を浮かべながら、瑞姫はそう言ってルドルフの手を握った。何か大変な事が起きたのだろうか。「大丈夫、今のところは平和だよ。ただ男同士で話すことがあるからね。」そんな彼女の気持ちが解ったのか、亜鷹は瑞姫に微笑んで彼女を安心させた。「そうですか・・」「すぐ彼を返すよ。」亜鷹はそう言うと、ルドルフを見た。「で、わたしに話とは何だ?」彼に中庭へと連れて来られたルドルフは、不機嫌そうな顔をして亜鷹を見た。「あれから瑞姫には何か異変はないか?」「肩の傷はもう完治したし、何も異変は見当たらない。」「そうか。ではお前はどうだ? マイヤーリンクで瑞姫の血を飲んだだろう?」「確かに飲んだが、別にどうということもない。」ルドルフの言葉に、亜鷹は溜息を吐いた。「瑞姫との子が欲しいか?」「ああ。ミズキもそれを望んでいる。昨夜は激しく彼女と愛し合った。だがミズキは一度、わたしとの子を失っている。それと何か関係があるのか?」「瑞姫が子を宿すことで彼女の内側に封じ込めていた妖力が解放され、完全体として覚醒めた彼女は自我を失ってしまう。」「それは・・子どもを諦めろということか?」にほんブログ村
2011年01月08日
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「お客様に暫く待つように伝えて頂戴。」「かしこまりました。」家政婦が階段を降りる音を聞いた瑞姫は、化粧台の前に座って化粧を始めた。「誰か来たのか?」「ええ。余り会いたくない人が来ているようですけど。」薄化粧を施した瑞姫は、クローゼットを開きその下に置いてある和箪笥の引き出しを開けた。そこには、和紙に包まれた布のようなものが出て来た。「それは?」「振袖です。他に訪問着や普段使いのものも収納してあります。」瑞姫は慣れた手つきでさっと振袖を一つ取り出すと、包んでいた和紙を解いてそれを広げた。それは一面の雪景色に鶴が舞っているという絵柄が描かれている、冬向きのものだった。夜着を脱いだ瑞姫は、素早く振袖を着て帯を締めた。「どうですか?」くるりとルドルフの前で一回転すると、彼はにっこりと笑った。「良く似合っているよ。お前一人だと心細いだろうから、わたしも行こうか。」「いいえ、わたし一人で行きます。」瑞姫はそう言うと、ルドルフの手を握った。 部屋を出て階段を降り、客間に入った瑞姫は、ビロードのソファに座っている制服姿の女子高生を見た。女子高生は瑞姫が入ってきたことを知ると、さっと立ち上がった。「お久しぶりね、真宮さん。」「あなたがわたしの家にくるだなんて、珍しいこと。学校で何かあったのかしら?」そう言って瑞姫は彼女に笑ったが、目は笑っていなかった。「ええ。」女子高生はそう言うと、ソファに置いていた紙袋を手渡した。「これは?」「中身を見れば?」瑞姫が紙袋の中身を見ると、そこには何冊かノートが入っていた。「あなたの勉強が遅れないようにって、わざわざ西田君がわたしに持っていって欲しいって言われてきただけ。」「あらそう。西田君にはお礼を言っておいて頂戴ね。わざわざお遣い御苦労さま。」瑞姫は紙袋を受け取ると、客間から出て行った。「何よ、偉そうに。」女子高生はそう言うと舌打ちし、客間のドアを乱暴に閉めると、瑞姫の後を追った。瑞姫は部屋に戻ろうと階段を上がろうとしていた。だがその時、突然手首を掴まれ彼女はバランスを崩した。驚いて振り向くと、そこには憎悪で顔を歪ませた女子高生がいた。「ちょっとあんた、西田君の事どう思ってるわけ?」「ただのクラスメイトとしか思っていないわ。彼と恋愛したいのならどうぞ。」「何よそれ! 西田君はあんたの事が好きなのに、それを知っている上で言ってるわけ!?」「離して、もうあなたとは話したくない!」瑞姫はヒステリックにそう叫ぶと、騒ぎに気づいたルドルフが彼女達の間に割って入った。「どうした、ミズキ?」「何でもありません。」瑞姫はそう言うと、乱暴に女子高生の手を振り払うと部屋へと戻って行った。「あの子は?」「同じクラスの人です。」それ以上、瑞姫は何も言わず、机に向かってノートを取っていた。 時計が正午を指そうとした頃、机の上の充電器に繋いでいる携帯から軽快な着信音が鳴ったので、瑞姫は素早く携帯を開いた。液晶画面には、“西田”と表示されていた。「もしもし?」『真宮、今何処?』「家だけど?」『近くまで来てるんだけど、会えるかな?』「ごめんなさい、会えないわ。色々と混乱としてて・・」『そう、わかった。』瑞姫が携帯を閉じてルドルフを見ると、彼は怪訝そうな表情を浮かべた。にほんブログ村
2011年01月08日
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一部性描写が含まれます。苦手な方は閲覧なさらないでください。「ミズキ・・」ルドルフは、瑞姫が抱えている孤独が痛いほどに解った。自分もまた、広大な王宮の中で幸せな家族像を演じながらも孤独を感じていたから。「わたしね、ずっと探していたかもしれません。わたしの事を解ってくれる人を。」瑞姫はそう言うと、そっとルドルフに抱きついた。「ミズキ、もうお前は独りじゃない。」ルドルフは愛おしそうに瑞姫の髪を梳いた。「・・そう言ってくれるのは、ルドルフ様だけです。」瑞姫の肩越しに外を見て、突如夜の海が光っていることにルドルフは気づいた。「あれは何だ?」「夜光虫って言って、海に住むプランクトンで、夜に光るんです。時々窓からあの輝きを見ると、何故か心が癒されるんです。自分は独りじゃないんだって。」瑞姫が自分の胸で泣いていることに気づいたルドルフは、そっと彼女の小さな背中を撫でた。「わたしが居るから・・もう独りじゃないから。」「ルドルフ様・・」瑞姫はルドルフから離れると、そっと彼の唇を塞いだ。「愛している、ミズキ。」「わたしもです、ルドルフ様。いつまでもあなたの事を愛すると誓います。だからわたしを離さないでください。」「離すものか。」ルドルフはそっと瑞姫の頬を撫でると、彼女の唇を塞いだ。啄ばむようなキスは次第に唇同士をぶつけ合う激しいものとなり、ルドルフの手が瑞姫のワンピースの中に入り、下着の上から彼は濡れそぼっている部分を弄った。「本当に、いいのか?」「何を今更。」瑞姫はそっと後ろを向くと、夜の海を見た。ルドルフはそっと瑞姫の下着を脱がすと、彼女の中に入った。「ああっ!」ゆっくりと奥まで進めると、瑞姫は声を出さぬよう壁に爪を立てた。「動くぞ。」ルドルフが腰を振り始めると、瑞姫は必死に崩れ落ちまいと足を踏ん張った。激しい摩擦音が部屋に響く中、宝石のように輝く夜の海を見つめながら、瑞姫は涙を流した。壁についていた瑞姫の手に、大きく逞しいルドルフの手が重なった。「ミズキ、わたしはお前から離れない・・」「ルドルフ様っ!」奥にどくどくと彼の欲望が迸り、ゆっくりと瑞姫は喜びを感じた。背中越しにルドルフの体温が伝わる。魂が重なり合い、ひとつになった瞬間、瑞姫はゆっくりと床にくずおれた。「大丈夫か?」「ええ・・」ルドルフはそっと瑞姫から離れると、彼女をベッドに寝かせた。「ルドルフ様、もう終わりですか?」「まだだ。」激しく貪り合う唇。絡め合う素足。そっと手を伸ばせば、逞しく大きい背中から伝わる温もりが瑞姫の孤独を癒した。「もう二度と、離さないで・・」夜の海では、孤独な魂を持つ二人が溶けあうのをまるで祝福しているかのように、青白い光で揺らめいていた。 空が白み始め、恋人達を優しく照らした。「ん・・」「おはよう、ミズキ。」そっと揺り起こされた瑞姫は、隣で寝ていたルドルフの金髪を指先で梳いた。このまま時間が止まればいいのにと思った。だが幸せな時は瞬く間に過ぎ去ってしまう。瑞姫は溜息を就きながら、そっとベッドから離れると夜着を羽織った。「お嬢様、お客様です。」ドアの向こうから、何やら切羽詰まった家政婦の声が聞こえた。にほんブログ村
2011年01月07日
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男児の黒い瞳とルドルフの蒼い瞳がぶつかり合った。「姉様、その人誰なの?」「この人はルドルフ。わたしの恋人よ。」瑞姫はそう言うと、ルドルフから降りて男児の方へと向かった。「姉様、お母様達が呼んでいるよ。」彼はルドルフが気に入らないというように彼から目を逸らすと、そう言って瑞姫を見た。「そう、解ったわ。この人と色々と話したいことがあるから少し遅くなるとお義母様に伝えてね。」「解った。」男児は不満そうな顔をして、ドアを閉めて階段を駆け下りた。「あの子は?」「異母弟の真珠です。継母が産んだ子で、わたしより可愛がられています。でもあの子はわたしが好きみたい。」瑞姫はそう言って溜息を吐くと、ベッドへと戻った。「下に降りるのか?」「ええ。いつまでも降りてこなかったらノックもせずに部屋に平気で入ってくるような人ですから。」瑞姫と継母との間には確執があるようで、彼女は継母のことを話す時に冷淡な表情を浮かべている。 ルドルフと瑞姫が真宮家のダイニングルームへと入ると、既に長方形のテーブルには瑞姫の父親と思しき男性と継母、そして瑞姫の弟・真珠(まじゅ)が座っていた。瑞姫はテーブルの隅に置かれてある椅子を引き、優雅に腰を下ろした。「お嬢様、この方は?」使用人の1人がそう言って困ったようにルドルフを見た。「わたしの隣でいいわ。椅子を用意して頂戴。」「は、はい・・」数分後、瑞姫の隣にルドルフは椅子に腰を下ろし、ダイニングから料理人と思しき男が料理を載せたワゴンを引いて入ってきた。「本日のコースは前菜のサラダ、コーンポタージュスープ、熊野牛のステーキ、デザートは苺のアフロマージュとなっております。」料理人の説明を聞いていた継母は、嬉しそうに笑った。「久しぶりのお肉だわ。」メインのステーキをナイフで切りながら、ルドルフは何かがおかしいことに気づいた。食事という、一家団欒の最中であるというのに、瑞姫を含め誰一人として言葉を発していない。それどころか、互いの目を合わせようとしない。瑞姫と継母、父親との間に冷たい空気が流れていることに気づいたのは、重苦しい沈黙に耐えきれなくなった幼い真珠が言葉を発した時だった。「姉様、その人と結婚するの?」「え・・」突然弟にそう言われて、瑞姫はフォークを床に落としそうになった。「真珠、どうしてそんな事を聞くの?」瑞姫の継母はキッと息子を睨みつけた。「だって、姉様がこの人が恋人だって紹介してくれたんだもん。」「あらそうなの。でも姉様がそんな事言っても、わたしは反対ですからね。」その後、デザートを食べ終え、それぞれの部屋に引き上げるまで一言も発さなかった。「ミズキ、お前の家族の事だが・・」「驚いたでしょう? 家族らしい会話も何もしない食卓って。物ごころついた時からわたしはもう慣れっこでした。」そう言って窓から見える海を眺めながら、瑞姫は深い溜息を吐いた。彼女の背中を見ながら、ルドルフは何故彼女に惹かれたのかがわかった。ミズキも、一見幸せそうな家族の中にありながらも常に深い孤独を抱えていたのだ。同じ魂を持つ者同士は自然に惹かれ合うと何かの本で読んだことがあるが、まさにその通りかもしれない。「ミズキ・・」「わたしはこの家の中で違和感を感じてました。果たしてここに居ていいのかどうかっていつも考えていました。」瑞姫はそう言うと、ゆっくりとルドルフに振り向いた。月光に照らされた彼女の頬は、涙で光っていた。にほんブログ村
2011年01月07日
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ルドルフは女性に連れられ、病院内にあるカフェで向かい合わせになって座っていた。「あなた、瑞姫とは一体どういうご関係なの?」「それはもう娘さんからお聞きになっていると思われますが?」ルドルフはそう言うと、水を一口飲んだ。「わたくしは血が繋がっていないとはいえ、瑞姫があなたのような方とお付き合いすることには反対ですよ。あの子は真宮家の大切な跡取りなんですからね。」女性は瑞姫を思っているように見えるが、この前の瑞姫と女性の会話を聞いたルドルフは、彼女が瑞姫の事を快く思っていないのだろうと感じた。「ミズキとは何度も身体を重ねた男と女の関係です。何か勘違いなさっておられるようですが、わたしは決してミズキとは遊びで付き合っているんじゃありません。」「まぁ、何て嫌らしいことを平気でおっしゃるの! あなたが良いように瑞姫を言いくるめて騙して、瑞姫の身体を弄んだに違いないわ!」女性はそう言うなり、グラスの水をルドルフにぶちまけた。お返しとばかりにルドルフも女性に向かってグラスの水を掛けた。「瑞姫と別れなさい。そうしないと酷い目に遭うわよ!」「ミズキとは別れるつもりはありません。」その後、黒塗りのリムジンが病院の正面玄関に停まり、真宮邸に着くまで車中は気まずい空気が流れていた。瑞姫の継母は絶えずルドルフを睨み付け、ルドルフも彼女を睨み返しており、そんな様子を瑞姫は何も言わずに見つめていた。 そんな彼らを乗せたリムジンが漸く真宮邸に着いた。真宮邸は高台に建てられ、昔ながらの武家屋敷には、明治時代に建てられた瀟洒な洋館が隣接している大邸宅であり、海を臨める中庭では錦鯉達が数匹、悠々と泳いでいた。「瑞姫様、ご無事で何よりです。」洋館の玄関ホールに瑞姫とルドルフが入ると、使用人達がそう言って一斉に彼女を出迎えた。それもその筈、半年間も失踪していた本家の娘が帰ってきたのだから、彼らが喜ぶのも当然だ。「お義母様、わたしは部屋で休ませていただきます。」そう言うと瑞姫は継母と目を合わせずにさっさと階段を上がっていった。久しぶりに自分の部屋に入ると、瑞姫は溜息を吐いてベッドに寝転がった。生まれてから18年間過ごしてきた家なのに、何故か自分がここに住んでいるという感覚が瑞姫には全くなかった。それよりも、ホーフブルクでルドルフと暮らしていた頃の方が、ホーフブルクの住人だという感覚が常にあった。 何よりも、ホーフブルクでルドルフとともに暮らしてきた時間が長いと感じていたのに、ここに戻って来てからその半分の時間しか経っていないことに瑞姫は驚いた。あの後―シリルに右肩を撃たれ、ルドルフに自分の血を飲ませた後一体何かあったのだろうか?何度思い出そうとしても、思い出せない。「ミズキ、入るぞ?」ノックの音がして、瑞姫はドアを開けた。「ルドルフ様、義母がどうやら失礼な事を言ったようで・・謝ります。」「謝らなくてもいいさ。それよりも傷の具合はどうだ?」「ええ、大丈夫です。あの、どうしてわたしの部屋がわかったんですか?」「お前の後を少しつけたんだ。ミズキ、今ここでしてもいいか?」ルドルフはそう言うと、瑞姫の華奢な腰に手を回した。「ええ。今日は排卵日ですから・・」瑞姫とルドルフは互いの唇を貪り合った。ルドルフはそっと瑞姫のワンピースの中に手を入れ、既に熱く潤っている部分に触れた。瑞姫はルドルフをベッドに突き飛ばすと、彼に馬乗りになった。「今日は積極的だな?」「だって、全然してなかったから・・」瑞姫はワンピースの裾を捲り上げると、ゆっくりと腰を落とそうとした。「姉様!」その時ドアが勢いよく開かれ、1人の男児が中に入って来た。「真珠(まじゅ)・・」瑞姫は慌ててワンピースの裾を下ろし、頬を赤く染めた。「姉様、その人誰?」男児はそう言うと、ちらりとルドルフの方を見た。にほんブログ村
2011年01月07日
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シリルによって右肩を撃たれた瑞姫は治療を受け、一命を取り留めた。瑞姫が病室のベッドの上で目を開けたのは、病院に運び込まれて一週間後のことだった。「ミズキ。」彼女の傍には、ルドルフが手を握っている。「ルドルフ様、いつからここに?」「お前を病院に運んできた頃からだ。後遺症の心配はないと、医者が言っていた。」「そうですか・・良かった。」瑞姫がそう言って安堵の溜息を漏らすと、目の下に隈が出来ているルドルフを見た。「ごめんなさい、あなたに心配をおかけしてしまって・・余り休まれていないのでしょう?」「ああ。お前が心配で心配で堪らなかったよ。わたしが寝ている間にお前が死ぬのではないかとね。」「まぁ。わたしはこの通り大丈夫ですから少し横になって・・」瑞姫がそう言った時、病室の扉が開き、着物姿の女性が病室に入って来た。「瑞姫、その方はどなたなの?」女性はきっとルドルフと瑞姫を交互に睨み付けると、そう彼女に問い詰めた。「お義母様、彼はルドルフさん。わたしの大切な人です。」瑞姫は女性を見た。「まぁ、瑞姫! わたくしが知らない間にこんな年上の男と付き合っているなんて! あなたは真宮の娘だという自覚はないのですか!」「わたしと彼との事は真宮とは関係ありません! それに、わたしはお義母様のお世話にならずとも結婚相手は見つけましたから、どうぞお構いなく!」「何ですって? あなたという子は、いつからそんな生意気な口を利くようになったのです? ああ、やはりあなたは生まれてくるのではなかったわ!」女性は一方的にそう捲し立てると、病室から出て行った。(生まれてこなければ良かったですって? わたしだって、あんな家に生まれてきたくはなかった!)「ミズキ?」瑞姫が病室の扉からルドルフへと視線を移すと、彼は心配そうにルドルフを見た。「ごめんなさい、見苦しいところをお見せしてしまいまして。さっきの人は、わたしの継母です。」「あの綺麗な女性が? ではお前の実母は?」「わたしを産んでくれた母は、わたしと生まれた後に死別しました。」瑞姫の言葉が、全てを物語っていた。「ルドルフ様、これからあなたを色々と面倒な事に巻き込ませてしまうかもしれません。」「何を今更。わたしは、お前とともに生きてゆくことを決めたんだ。どんな事でも受け入れる。」「ありがとうございます・・」ルドルフは瑞姫をそっと抱き締めた。 瑞姫はルドルフに付き添われながら2週間後に退院の日を迎えた。「瑞姫。」病室に瑞姫の継母がやって来て、ルドルフを病室から追い出したのはその日の朝のことだった。「わたくしはあの男との結婚を絶対認めませんよ。あなたにはれっきとした家柄の許婚がいることを忘れないようにね。」「亜鷹兄様とは、別れました。」ワンピースに袖を通しながら、瑞姫はそう言って継母を見た。「なんですって?」「兄様は彼との事を認めて下さいました。」瑞姫はさっさと病室から出て行った。「お待たせいたしました。」ルドルフが俯いていた顔を上げると、そこには淡い水色のワンピースを着た瑞姫が立っていた。「大丈夫か? さっきあの女性と言い争っていたみたいだが?」「亜鷹兄様との事を聞かれたから答えただけです。」そう言うと、瑞姫はさっさと廊下を歩いていった。「あなた、ちょっとわたくしと来て下さらないこと?」ルドルフが瑞姫の後を追おうとした時、女性がそう言ってルドルフの手首を掴んだ。にほんブログ村
2011年01月07日
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暫く瑞姫を抱いて歩いていると、遠くから波の音が聞こえてきた。 ルドルフが俯いていた顔を上げると、遥か前方には松林が見え、その先には海が広がっていた。(一体ここは何処だ?)目の前に広がる新しい世界に驚きながらも、ルドルフは意識を失っている瑞姫を見た。道路があるのなら当然、人くらい通るだろう。ルドルフはそう思い、必死に助けを呼んだ。「誰か来てくれ、人が撃たれているんだ!」だが誰も来ない。やはりここでも自分は無力なままなのか―ルドルフがそう思っていると、前方から変な乗り物がやって来た。(何だ、あれは?)馬車と良く似ているが、御者も馬もおらずにそれは勝手に動いているし、振動もなく道路を滑るように走っている。好奇心を剥き出しにした目でルドルフがそれを見ていると、不意にドアが開いて中から人が出て来た。 変なものに乗っている人間もまた、奇妙な格好をした男で、鼠色のよれよれとした服を着ていた。彼はルドルフと、彼に抱かれている瑞姫を見ると、後ろのドアを開けた。どうやら、乗れということらしい。さっと優雅な動作で瑞姫を抱いたままその乗り物に乗ってドアを閉めると、それは再び道路を滑るように走っていった。 走ってから数分が過ぎただろうか、病院と思しき建物の前にそれは停まり、ルドルフはドアを開けてその中へと入っていこうとした。すると、男がルドルフを見て何かを言ったが、何を言っているのかが解らない。「ありがとう。」そう言って彼が男に頭を下げると、男は歯を見せて笑うとあの乗り物の中に入っていった。これは神の思し召しなのだろうか―ルドルフがそう思いながら病院の正面入り口から中に入ると、白衣の看護師や医師が慌てて彼の方へと駆けより、瑞姫を見た。車輪のついた担架のようなものを持ってきた医師が、瑞姫をそれに乗せようとしたのでルドルフは激しく抵抗した。やっと共に生きることを選んだのに、瑞姫を奪われてなるものか。「ミズキはわたしのものだ、彼女に触れるな!」そう叫ぶと、医師達は困惑した表情を浮かべていたが、その時すっと1人の若い医師がルドルフに英語で話しかけて来た。「彼女を治療するだけですから、心配ありませんよ。」医師の言葉を聞いたルドルフは抵抗を止め、瑞姫はそのまま担架のようなものに乗せられて廊下の向こうへと消えていった。(ミズキ、死ぬな! わたしにはまだ、お前が必要なんだ・・)赤いランプが点滅する部屋の前にある椅子に腰かけ、ルドルフは初めて神に瑞姫を助けてくれるよう祈った。 一方、巷では豪邸と名の通っているとある一軒の家の居間にある電話が鳴り響き、その家の使用人である家政婦が受話器を取った。「はい、真宮でございますが。」『奥様はいらっしゃいませんか?』受話器越しから聞こえて来た男の声が尋常なものではないと感じた家政婦は、女主人を呼んだ。「もしもし、お電話代わりましたわ。」『真宮さんの奥様でいらっしゃいますか? 実は、お宅の娘さんが病院に収容されています。』「病院!? 何処の病院ですの?」手で口元を覆い、そう叫んだ彼女は慌てて電話の傍にあるメモに何かを走り書きすると、それを握り締めた。「奥様、どうかなさったんですか?」「瑞姫が・・あの子が病院に居るってさっき警察から連絡があって・・」「瑞姫お嬢様が!?」「ええ。わたくしはこれからあの子の元に行ってきますから、留守番を頼むわね。」女性はそう家政婦に命じると、着物の袖をひらりと翻しながら居間から出て行った。にほんブログ村
2011年01月06日
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ルドルフは自分に銃を向けているシリルの言葉に耳を疑った。「何故だ? 何故わたしを殺そうとしている?」「お解りになりませんか、ルドルフ様? わたしは密かにあなたをお慕いしておりました。」シリルはそう言うと、自嘲めいた笑みを浮かべた。「いつから?」「あなたとともにウィーンへ行った時からです。わたしはあなた様のお傍にいられて幸せでした。けれども、唯の友人同士という関係では耐えきれなくなってしまいました。この想いを一生封じ込めるつもりでしたよ、ミズキさんがあなた様と出逢われるまでは。」シリルはじろりと瑞姫を睨んだ。「長い間あなた様と共にいたわたしが見向きもされず、ただ木の上から落ちて来たミズキさんがあなた様に愛される姿を見て、わたしの中で何かが崩れ落ちました。その日から、綿密にあなたと心中する計画を立てました。」「そんな、嘘だ・・」初めてシリルの本心を知ったルドルフは、呆然と彼を見た。「ルドルフ様、お命頂戴致します。」シリルが引き金を引こうとした時、彼の頸動脈から鮮血が噴き出し、彼は床に崩れ落ちた。「危ないところだったな。」亜鷹はそう言って血に塗れた刀を振るった。「う・・」ルドルフは瑞姫の呻き声に我に返った。「ミズキ、しっかりしろ!」「ルドルフ様・・」瑞姫は苦しそうに息を吐きながら、そっと自分の指をサーベルで傷つけ、滲みでた血を口に含むとルドルフの唇を塞ぐと、意識を失った。「ん・・」瑞姫の血を飲んだ途端、細胞がひとつひとつ甦って来るような感覚にルドルフは襲われた。「一体、何が?」「瑞姫がお前に血を飲ませた。彼女とともに生きろ。」亜鷹はそう言うと、ルドルフを見た。「勿論だ。」「そうか。では今の世には未練がないと受け取っていいんだな?」「ああ。もうわたしの皇太子としての役目は終わった。これからはミズキとともに新しい人生を生きる。」ルドルフはそう言って自分の腕の中で苦しげに呻く瑞姫を見た。彼女が纏っている真紅の振袖は、右肩の傷から流れ出る血によって暗赤色へと変わりつつあった。「もう行け、後はわたしがやっておく。」「すまないな。」ルドルフは服を着てコートを羽織ると、瑞姫を抱いて凍えた雪原へと飛び出した。漆黒の月がまるで彼を嘲笑うかのように仄かに2人の姿を照らす。(死ぬなよ、ミズキ!)助けを呼んでも、その声は虚しく闇へと消えてゆくだけ。この世の全てを手に入れたつもりでいたが、そんなものは全てまやかしだった。この時ほど、ルドルフは己が無力だということを思い知った。もう自分には地位も権力も、富も何もない。ただの、1人の人間になり下がったのだ。(馬鹿だな、わたしは。地位や権力よりも大切なものが、いつも自分の傍にあったのに。それに気づきもしなかった。)この腕の中の温もりが全てだと。ミズキがいつも、自分の傍に居てくれた。それなのに時々彼女を蔑ろにしてしまった。(神よ、どうかミズキを救ってくれ!)無神論者のルドルフは、カトリック国の皇太子でありながらミサを欠席し、神に一度も祈ったことなどなかった。それなのに今は、皮肉にもこうして神に祈っている。王になる代わりに、ミズキとともに生きると決断を下した時も、ルドルフは神にこう祈った。 どうか、命ある限りミズキとともにいられるようにと。にほんブログ村
2011年01月06日
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1889年1月29日、マイヤーリンク。「皇太子様、わたし今とても幸せよ。」そう言ってマリーは、ルドルフの裸の胸にしなだれかかった。「わたしもだよ、マリー。」ルドルフは偽りの笑みをマリーに浮かべると、サイドテーブルの引き出しから拳銃を取り出し、彼女に向けた。「皇太子様、一緒に天国へ行きましょうね。」「ああ、勿論だとも。」ただし自分が逝くのは天国ではなく地獄だが。ルドルフはそう思いながら引き金に手を掛けた時、突然寝室の扉が乱暴に開け放たれ、数人の男達が乱入してきた。「なに、あなた達誰なの!」男達の姿に驚いたマリーは逃げようとしたが、その前にルドルフが彼女を殺した。「さよならマリー、君との恋人ごっこは楽しかったよ。」物言わぬ骸となったマリーを冷たく見下ろしながら、ルドルフはそう呟くと暗殺者達を見た。「オーストリア=ハンガリー帝国皇太子、ルドルフだな?」蝋燭に照らされた暗殺者は、反乱分子の1人だった。「ああ、そうだ。」「我らの理想の為に、死んで貰う。」カチリと撃鉄が起こされる音がして、ルドルフは静かに目を閉じた。(わたしはこの国の為にやれるだけのことはやった。後はこの命を捧げるだけだ。)もうこの世に思い残すことなどない。ルドルフがそう思った時、聞き慣れた誰かの声が聞こえた。「瑞姫、こっちだ!」シリルと亜鷹、瑞姫はウィーンを出てマイヤーリンクへと着いたのは、まだ夜が明けぬときだった。夏とは違い、冬のマイヤーリンクは一面雪に覆われ、彼らが走る度に雪がざくざくと音を立てる。(どうか、間に合って・・)ルドルフを死なせはしない。「くそ、馬車が・・遅かったか!」亜鷹はそう言って舌打ちした時、闇の中で長い銀髪が煌めいたかと思うと、緋禄がひらりと木の上から華麗に跳躍して瑞姫の前に立ち塞がった。「何処へ行くつもりじゃ、瑞姫?」「そこを退いて、緋禄。」「嫌じゃというたら?」黄金色の双眸を輝かせた緋禄は、そう言うと日本刀で瑞姫に斬りかかった。「わたしは、あなたと遊んでいる暇はないのよ!」瑞姫はそう怒鳴ると、長い銀髪を振り乱しながらサーベルを握り締め、その刃で彼の胸で貫いた。緋禄は大量に喀血し、白い地面が緋に染まった。「ルドルフ様~!」無我夢中に狩猟館へと走った瑞姫は、ルドルフの名を叫びながら彼が居る寝室へと向かった。扉を開けると、そこには数人の暗殺者達がルドルフに向かって今まさに銃口を向けて引き金を引こうとしていた。「彼から離れなさい!」憤怒を宿した黄金色の瞳で暗殺者達を睨み付け、そう叫んだ瑞姫は次々と彼らを斬り伏せた。「ミズキ・・ミズキなのか?」「そうです、瑞姫です。」瑞姫は全身返り血を浴びながら、そう言うとルドルフを抱き締めた。「わたしを迎えに来てくれたのか?」「ええ。一緒にわたしと・・」瑞姫がルドルフに笑みを浮かべた時、彼女の右肩を銃弾が貫いた。「ミズキさん、あなたの思い通りにはさせませんよ。」ルドルフは銃を構え、自分と瑞姫に向けて笑うシリルの姿に驚愕の表情を浮かべた。「シリル、何故・・」「何故って? ここであなたを殺してわたしも死ぬからですよ。」にほんブログ村
2011年01月06日
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「あなたが、ミズキさんね?」「ええ。あなたが、ミッツィさんですね? どうしてわたしに手紙を?」「それがね・・」ミッツィは昨夜のルドルフの様子を瑞姫に伝えた。「ルドルフ様が、そんな事を?」「ええ。何だかルドルフ様は死に急いでいるように見えたわ。」ルドルフは、マイヤーリンクでマリーと死ぬつもりだ。そして自分の死を、ドイツの陰謀であることを皇帝に知らせ、この国を守ろうとしているのだ。それが、彼に出来る唯一の事だと信じて。(駄目・・そんな事をさせては。)「ありがとう、ミッツィさん。」「皇太子様があなたの事、愛していらっしゃることがわかったわ。あなたはとてもまっすぐで、大きな愛であの方を包み込むことができる。皇太子様を助けてあげて。」「ええ、必ず皇太子様をお助けいたします。」ミッツィと別れた後、瑞姫が視線を感じて振り向くと、そこには亜鷹が立っていた。「亜鷹兄様、教えて、緋禄が何を企んでいるのかを。」「瑞姫、それは無理だ。」「どうして、どうして兄様は知っているのにわたしには教えてくれないの? まだルドルフ様にわたしを取られたことを怒っているの?」「それは・・」亜鷹はそう口ごもると、気まずそうに俯いた。「わたしは、ルドルフ様を守りたいの! 彼には死んで欲しくないの! もう彼無しでは生きていけないの!」「瑞姫・・」「わたしはもう、彼が居ない世界なんて耐えられない! もし彼が死んだらわたしも死ぬ!」涙を流しながら必死に自分に訴える瑞姫の姿を、亜鷹は辛そうな顔で見た。(いつから、この子は強くなったのだろう?)まだつかまり立ちもままならぬ頃から、亜鷹は瑞姫とともに過ごしてきた。幼い瑞姫は泣き虫で、いつも自分の背に隠れていた。それがどうだろう、再会した瑞姫は美しく成長しただけでなく、誰かの命を救おうとこうして自分と向き合っている。何だか瑞姫を変えたルドルフが少し憎たらしく思ったが、2人の間にはもはや誰かが入る隙間が無いのだと亜鷹は解っていた。「わかった。耳を貸せ。」亜鷹はそう言って、瑞姫の耳元に何かを囁いた。 ドイツ大使館で行われているヴィルヘルム2世の誕生パーティーで、プロイセン式の軍服を纏ったルドルフは、マリーとワルツを踊った。公衆の面前で恥をかかされたシュティファニーはパーティーを退席し、ホーフブルクへと戻った。『愚かな小娘じゃ。せいぜい愚かな夢に溺れるがよい。』緋禄はそう言ってほくそ笑みながら、ルドルフと踊っているマリーを見た。だが彼の顔は、新たにパーティーにやって来た1組の男女の姿を見つけて強張った。そこには、夜会服に身を包んだシリルと、漆黒のドレスを纏い、ルドルフからプレゼントされたアメジストとダイヤのネックレスを首に提げた瑞姫が立っていた。「ミズキさん、本当に良いのですか?」「ええ。わたしは何としてでもルドルフ様を・・」瑞姫はそう言うと、マリーと踊っているルドルフの姿を見つけた。「ルドルフ様!」瑞姫の声を聞いたルドルフが、ゆっくりと彼女に振り向いた。「ミズキ、何故ここに?」「わたしは、あなたを・・」瑞姫がルドルフの手を掴もうとした時、マリーが苛々した様子で彼と瑞姫との間に割り込んで来た。「皇太子様、まだ踊り足りないわ。」そう言ったマリーは、にやりと瑞姫に向かって意地の悪い笑みを浮かべた。「ああ、わかった。」ルドルフはそう言うと、ちらりと瑞姫を見て声を出さずに唇だけを動かした。“すまない”と。にほんブログ村
2011年01月06日
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また新しい年が明け、ルドルフと瑞姫はそれぞれの仕事に追われて慌ただしい毎日を送っていた。そんな中、ルドルフがマリーと頻繁に会っているという噂を聞き、瑞姫は心中穏やかではいられなかった。何だか、嫌な予感がするのだ。マリーはヴィルヘルムが指し向けた娘だということは薄々と解っていた。ルドルフは一体どうするつもりなのだろうかと瑞姫がそう思いながらレース編みをしていると、誰かがこちらへと向かってくる気配がした。「ミズキ、いる?」そう言ってドアをノックしてきたのは、フランツ=サルヴァトールと婚約したルドルフの妹・マリア=ヴァレリーだった。「ええ、おりますよ。ヴァレリー様、何か?」「あのね・・お兄様があの子とマイヤーリンクに行くんだそうよ。何だか嫌な予感がするの。」ヴァレリーはそう言うと、深い溜息を吐いた。(ルドルフ様が、あの子とマイヤーリンクに?)皇帝と口論した後、ルドルフは王宮に以前にも増して帰らなくなり、シリルも度々何日か帰らないこともあった。一体2人が何をしているのかは知らないが、ドイツの手先であるマリーをルドルフがマイヤーリンクに連れて行く理由は・・「ヴァレリー様、わたしがルドルフ様の事を必ずお守りいたします。この命に代えても必ず。」「そう。ミズキ、お兄様のこと、頼むわね。」ヴァレリーはそう言うと、そっと瑞姫の手を握った。「フラン様と、お幸せに。」心の中で渦巻く不安を押し隠しながら、瑞姫はそう言ってヴァレリーに微笑んだ。彼女の為にも、ルドルフを守らなければ。「おい、準備は出来ているか?」「ええ。」「これであの皇太子も終わりだな。」大使館職員の言葉を聞いた緋禄は、口端を歪めて笑った。 今夜もルドルフは、王宮には帰らずにミッツィの元へと向かった。「ルドルフ様、あの子が焼きもちを焼くのではなくて?」ミッツィがそう言ってルドルフにしなだれかかると、彼はこんな言葉を彼女に返した。「ミッツィ、わたしと一緒に死んでくれるかい?」「何を、おっしゃっているの?」ミッツィは驚愕の表情を浮かべながらルドルフを見ると、彼は真顔でミッツィを見つめていた。「君となら、死んでもいいと思ったんだ。どうだい?」「い、嫌だわ、そんな冗談をおっしゃるだなんて。」「そう、それが君の答えなんだね・・」ルドルフはそう言うと、ミッツィの前で十字を切った。「さようなら、ミッツィ。君と出逢えて良かった。」「皇太子様?」まるで今生の別れのような言葉を自分に言い、寂しげな笑顔を浮かべるルドルフの様子に、ミッツィは何かがひっかかった。「待って・・」ルドルフが邸から出て馬車に乗り込もうとするのを窓からミッツィは急いで階段を駆け下りて、彼の後を追おうとした。しかし馬車は既に走り出し、ミッツィが追いつけなかった。「皇太子様、あなたは一体何をお考えなの?」ミッツィの声は、漆黒の闇に溶けて消えていった。 一方マリーは、自室で家族に宛てた遺書を書いていた。『お母様、マリーは幸せでした。わたしが居なくてもお泣きにならないで・・』(お母様、これを読んだらお泣きになるかしら?)遺書を書き終えたマリーは、憧れの皇太子と会う日を楽しみにしていた。夜が明け、瑞姫の元に差出人不明の一通の手紙が届いた。“ウィーン市内のカフェでお会いしましょう。 ―ミッツィ―” 瑞姫が指定された場所へと向かうと、外のテラス席に座っていたミッツィがゆっくりと立ち上がり、彼女を見た。にほんブログ村
2011年01月06日
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「ルドルフ様、皇帝陛下がお呼びです。」 侍従にそう言われ、フランツの私室へと呼び出された時点で、ルドルフは父親が何を自分に問い質したいのかが判った。案の定、彼は一枚の封筒を手にして怒りに震えていた。「ルドルフ、お前はシュティファニーとの離婚を許す手紙を法王に出したのか!」「ええ、そうです。」ルドルフがそう言うと、フランツの顔が険しくなった。「まだあの東洋娘と続いているのか? まだお前はあの娘と別れるつもりはないのか!」「ええ。ミズキとは別れません。父上、シュティファニーとの結婚は過ちでした。彼女もきっとそう思っていることでしょう。ですから・・」「もう良い、ルドルフ。お前には失望した! お前はわたしの跡継ぎには相応しくない!」フランツが放った言葉は、ぐさりとルドルフの胸に深く突き刺さった。 物心ついた頃から今日まで、皇太子らしく振る舞い、皇太子としての義務を果たす為だけに生きてきた。それなのに父の言葉は、その全てを―ルドルフ自身を否定したのだ。「父上、それを本気でおっしゃっているんですか?」「ああ、本気だ! お前は以前から新聞に過激な論文を投稿したり、反乱分子と密会していたり、ミッツィとかいう娼婦とは飽き足らずマリーとかいういかがわしい小娘と遊んでいたりして、お前は帝国の後継者としての自覚がない!」「父上・・あなたはわたしのことを、そう思っていらっしゃったのですか・・」今まで尊敬し、彼のような皇帝になりたいと思っていた。いずれは父のような皇帝に、自分もなるのだと思いながら今日まで生きて来たのに。それなのに―「わたしはもう、あなたを尊敬できません、父上。」「ルドルフ・・?」「わたしを殺すなり廃立するなりしてください。ではこれで失礼致します。」フランツはこの時初めてルドルフの様子がおかしいことに気づいたが、もう遅かった。「待ちなさいルドルフ、さっきは言い過ぎた!」慌ててルドルフを追おうとしたフランツだったが、ドアが閉められた音がもう息子との関係を修復できぬほどの深い亀裂が入った音だと彼は感じた。「ルドルフ様、どうなさいましたか?」瑞姫が自室で日記をつけていると、ノックもなしにルドルフが部屋に入って来るなり、瑞姫の手を掴んで彼女の身体を窓枠へと押しつけた。「足を開け。」「何をなさるんですか、おやめ下さい!」「言う通りにしろ!」「お願いです、許してください。月のものが来て今は・・」窓硝子にルドルフの冷たく光る蒼い瞳が映り、瑞姫は恐怖で身を震わせた。「お前までわたしを拒むのか? 父上のようにわたしを否定するのか!」「ルドルフ様・・」「どうして、みんなわたしを否定するんだ! わたしは今までやって来たつもりなのに・・精一杯してきた結果がこれか!」ルドルフの体温から伝わって来る、不安な彼の“気”。「ルドルフ様、わたしはあなたから逃げたりしませんから・・あなたを捨てたりなんかしませんから安心してください。」「ミズキ・・」ふと振り向くと、ルドルフは涙を流していた。「父上から見捨てられた。今までこの国の為に、民の為に必死でやってきたというのに・・どうして・・」「ルドルフ様・・」瑞姫はそっと、ルドルフを抱き締めた。少し手を伸ばし、彼の髪に触れた。「大丈夫です、わたしがずっとお傍におりますから。」(この方をお守りしないと。強くて凛々しいけれども、本当は繊細なこの方をわたしが支えなければ・・)首筋がルドルフの涙で濡れ、押し殺したかのような彼の泣き声が聞こえた。ルドルフと瑞姫が出逢って1年が過ぎようとしていた。にほんブログ村
2011年01月06日
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マイヤーリンクの狩猟館は、広大な王宮と比べると少し小ぢんまりとした印象を瑞姫は受けた。「何だか静かな所ですね。」「そうだろう? 日頃の鬱憤を晴らす場所としてはいい所だ。」ルドルフはそう言うと笑った。そんな彼を見ていると、瑞姫は彼が抱える深い孤独を感じずにはいられない。ルドルフが幼少期に両親から充分な愛情を注がれずに育ったことは、マイヤーリンクを発つ前夜、彼の幼馴染であるシリルから聞いた。ルドルフとシリルの出逢いは、シリルが孤児院に居た頃にエリザベートとともに慰問に来ていたルドルフが湖で足を滑らせて溺れてしまったところを助けたことだという。「その頃からルドルフ様はハプスブルクの皇子としての振る舞いを為されておりました。いつも前を向いて、誰にも弱みを見せずに歩いておりました。」だがその反面、皇帝として多忙な父親と、各地を放浪する皇后から愛情を受けて育つことがなく、ルドルフの傍に居たのは厳格な祖母だけだった。今は亡き皇太后・ゾフィーは実の孫であるルドルフに厳しかったという。愛情を受けずに育った孤独な皇太子の友人となったシリルは、瑞姫と彼が出逢うまでいつも彼の傍に居たという。「これからはミズキさん、あなたがルドルフ様を支えてください。あなたの傍では、いつもルドルフ様は穏やかな笑みを浮かべております。」(これからはわたしが、ルドルフ様を支えてあげなければ・・)瑞姫の脳裡に、亜鷹の言葉が浮かんだ。ルドルフが何者かに殺されてしまうと。(わたしがルドルフ様をお守りしなければ。他の誰でもない、わたしにしかできないことだから・・)「・・ズキ、ミズキ?」はっと瑞姫が我に返ると、そこには怪訝そうな顔をしたルドルフが立っていた。「どうした?」「いえ・・とても素敵な所なので、つい見惚れてしまって。」「お前をここに連れて来たかった。気に入ってくれて良かった。」ルドルフはそう言うと、瑞姫に微笑んだ。「これからどうなさいますか? 遠乗りでも?」「そうだな、いい天気だし。」その日瑞姫とルドルフは、遠乗りをして昼食を緑の芝生の上で取った。いつもの多忙な時間とは違う穏やかな時間の流れに、2人は身を委ねた。「気持ちいいな。」「ええ・・」芝生の上で寝転がりながら、瑞姫とルドルフは互いの顔を見合わせて笑った。「このサンドイッチ、お前が作ったのか?」「ええ、シリル様と一緒に。あとエルジィ様もご一緒に作られましたよ。」瑞姫はそう言うと、エルジィが作ったサンドイッチをバスケットから取り出した。他のサンドイッチと比べると少し具が崩れたものだったが、ルドルフはそれをぺろりと平らげた。「美味いな。」「何だかここは時間が流れる速さがウィーンとは違いますね。ずっとこのままゆっくりと時が流れればいいのに・・」「ああ、そうだな。」マイヤーリンクで楽しい週末を過ごしたルドルフと瑞姫は、ウィーンで元の慌ただしい生活へと戻っていった。「ねぇ皇太子様、あのミズキとかいう女とはまだ続いているの?」久しぶりにマリーと会った夜、ルドルフはそう彼女に聞かれて一瞬答えに窮した。「彼女とは唯の友人だよ。君が考えているような関係ではないよ。」「そ、そう・・」見え透いた嘘を吐いても、ルドルフに夢中なマリーは簡単にそれを信じてしまう。彼女と付き合うのは後少しで終わりだ。今この場でマリーを絞め殺したい衝動に駆られていたルドルフだったが、それをぐっと堪えて彼女に微笑んだ。「皇太子様って、素敵だわ・・」愚かなマリーはルドルフの演技にすっかり騙されて、完全に熱を上げていた。翌日、ルドルフはフランツに呼び出された。にほんブログ村
2011年01月05日
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気まずい空気の中ヴィルヘルムとの茶会が終わり、瑞姫はほうっと溜息を吐いた。ふとルドルフを見ると、彼は険しい表情を浮かべて何かを考えていた。「ルドルフ様?」瑞姫がルドルフの肩を叩こうとした時、彼がゆっくりと瑞姫の方を振り向いた。「ミズキ、ヴィルヘルムには用心した方がいい。あいつは何かを企んでいる。」「ええ、わかりました。」その夜、瑞姫はまたルドルフに抱かれた。彼との子を流産してからもう2ヶ月以上が過ぎており、その間にも月のものが周期通りに来ていた。だが瑞姫はまたあのような悲しい体験をするのではないかと、彼に抱かれる度にそう思っていた。「ルドルフ様、お話があるのですが。」「なんだ?」「月のものはちゃんと来ているのですけれど・・」瑞姫はそう言って恥ずかしげに俯いた。その様子を見たルドルフは、彼女が何を言いたいのかが解った。「無責任な行動は慎んだ方がいいな。わたしだってお前を傷つけたくはない。」「ルドルフ様・・」今ではなくとも、いつか彼との間に子を産みたいと瑞姫は心からそう思った。一生日陰の身となっても、彼の傍に居られるのならそれでいいと思った。「ミズキ、今週末マイヤーリンクに向かう。お前も来るか?」「ええ。」ルドルフが新しい狩猟館を購入したことを瑞姫は知っていた。彼曰く、狩猟には格好の場所だというが、瑞姫は未だその地を訪れたことはなかった。「これから楽しみですね・・」翌朝、瑞姫は自分の部屋で日記を書いていると、ドアが誰かにノックされた。「どなた?」ドアを開けると、そこにはヴィルヘルムが立っていた。「な、なんですか?」「別に何も用はねぇよ。それよりもお前に会いたいって奴が居てな。」「わたしに・・会いたい方?」ヴィルヘルムが後ろに下がり、銀髪の少年が瑞姫の前に立った。「久しぶりじゃなぁ、瑞姫よ。」「あなたは・・緋禄?」瑞姫が少年の名を呼ぶと、彼は腕を伸ばし、瑞姫の首を絞めた。「気安くわしの名を呼ぶな、汚らわしい半妖が!」「どうしてあなたがここに? もしかしてルドルフ様を・・」瑞姫の言葉に、少年は口端を歪めて笑った。「お前が自由を満喫していられるのも今のうちじゃ。この方がこの国を支配する世となれば、そなたは籠の鳥じゃ。」「あなた達は何を企んでいるの? 一体何を・・」「それはお前には知らなくても良いことじゃ。あの皇子様に惚れておる馬鹿な小娘を少し使うだけよ。」緋禄はそう言うと、瑞姫の首から手を離した。「お前、あいつと知り合いなのか?」「ええ。わたしは昔も今も彼女の事が嫌いですが。何せ彼女はわたしの大切な兄を傷つけたのですから・・」静かな怒りを湛えた黄金色の瞳を光らせながら、緋禄はそう呟くと、ヴィルヘルムは笑った。「そうか。ではお前と俺の利害は完全に一致するということだな?」「そうでしょうね。」緋禄は口端を歪めて笑った。「あの娘はどうするのですか? 男爵令嬢とは名ばかりで皇太子に言い寄る姿が何かと鼻につきますが。」「まだあの娘には利用価値がある。切り捨てる時は切り捨てるだけだ。」「そうですか。」(亜鷹兄者、待っていてくれ・・兄者の恨み、この緋禄が晴らしてみせまする!) ヴィルヘルムがベルリンへと戻った数日後、ルドルフと瑞姫は馬車でマイヤーリンクへと向かった。どこまでも広がる緑の草原に、瑞姫は目を輝かせた。悲劇の舞台となる事を知らずに。にほんブログ村
2011年01月05日
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ドイツ帝国の新皇帝・ヴィルヘルム2世がウィーン宮廷に来て、俄かに不穏な空気が流れ始めた。オーストリアとドイツは同盟国ではあったが、それは表面上のものだけで、オーストリアの広大な領地を虎視眈々と狙うドイツを警戒していた。―ねぇ、あの方って・・―ドイツの・・―嫌だわ、あんな田舎者が大きな顔をしてホーフブルクを歩いているだなんて・・ヴィルヘルム2世と彼の侍従達が廊下を歩いていると、女官達はそう囁きを交わしながら一斉に眉を顰めた。瑞姫は余り彼らとは目を合わせぬようにしながら、エルジィの部屋へと向かっていた。後少しで彼らの傍を通り過ぎようとしていた時、突然瑞姫は誰かに手首を掴まれた。「お前、今朝の女だな。」瑞姫が振り向くと、そこには獰猛な光を宿したヴィルヘルムが、彼女を見つめていた。「名は?」「ミズキと申します、陛下。急いでおりますので失礼を。」瑞姫はそう言ってヴィルヘルムの手を振りほどこうとすると、彼は手を緩めるどころかますます瑞姫の手首を掴んで離さない。「あの、お離しくださいませ。エルジィ様を待たせております故・・」「ミズキ、俺の茶会に来い。お前と色々と話がしたい。」「お断り致します。」瑞姫はヴィルヘルムに背を向けて歩こうとすると、彼は乱暴に自分の方へと彼女を引き寄せた。「ルドルフの女なんだろう? 余りあいつを困らせるような事をすべきではないと思うがな?」耳元でヴィルヘルムはそう囁くと、口元を歪めて笑った。「何をしている?」丁度ルドルフが通りかかり、瑞姫を抱いているヴィルヘルムを睨みつけた。「ヴィルヘルム陛下、その手を離してくださいませんか?」ヴィルヘルムは舌打ちし、瑞姫をルドルフの方へと突き飛ばした。「そうだ、ルドルフ様もわたしのお茶会に是非いらっしゃいませんか?」ルドルフとヴィルヘルムとの間で、小さな火花が散った。「ええ、是非伺わせていただきます。少しお聞きしたいこともありますので。」そう言ってにっこりと笑うルドルフだったが、目は笑っていなかった。「ではこちらへ。」ヴィルヘルムによって案内されたのは、王宮内の数ある部屋のひとつだった。そこには3脚の椅子だけがテーブルに置かれ、テーブルには3つのカップが置いてあった。部屋に入った瞬間から冷え冷えとした空気を感じた瑞姫は、思わず身を震わせた。「大丈夫か?」「ええ。」ルドルフが瑞姫を気遣う様子を見ていたヴィルヘルムは、何かを企んでいるかのような表情を浮かべた。暫くすると、女官達が淹れたての紅茶が入ったポッドと、焼き立てのアップルパイを載せたワゴンを持って部屋に入って来た。瑞姫は早くこの部屋から出て行きたいと思いながらも、アップルパイを一口大にフォークで切って食べた。甘酸っぱい林檎の味が口全体に広がったが、険悪な空気が流れている部屋の中では、美味しく感じられなかった。「あの、他の皆さんは? お茶会と聞いてもっと多くの方がお集まりになられるかと思いましたけれど・・」「いいえ、わたし達3人だけですよ。ルドルフ様には同年代として、皇族の先輩として色々とお話を伺いたいと前々から思っておりましたから。」「ほぉ、そうですか。」ルドルフはそう言って紅茶を一口飲んで笑ったが、目は笑っていない。険悪な空気の中、瑞姫はアップルパイをもう一口食べた。美味しい筈のパイは、何故か砂の味しかしなかった。画像は空に咲く花様からお借りいたしました。にほんブログ村
2011年01月05日
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「亜鷹・・兄様。」瑞姫は、かつての許婚の名を呼び、彼を見つめた。いつも袴姿の亜鷹は、今夜に限って漆黒のスーツを纏い、長い金髪を背中で一括りにして纏めていた。「兄様、どうしてそのような格好を?」「一族の方で動きがあった。緋禄は知っているな?」「緋禄?」その名を聞いた途端、瑞姫の脳裡にある光景が浮かんだ。何時の頃か解らないが、亜鷹といる時にいつも自分に敵意の眼差しを向けて来た銀髪の少年の姿を。「彼が、どうしたんですか?」「瑞姫、お前の力を欲している連中がお前を狙っている。」「それは一体、どういう意味で・・」亜鷹の視線が、瑞姫からルドルフへと移った。「彼は何者かの手にかかって死ぬだろう。その裏には、緋禄達が居る。」亜鷹はそう言うと、瑞姫に背を向けた。「待って兄様、どうして緋禄はルドルフ様を殺さなくてはいけないの? ねぇ、どうして・・」瑞姫が寝台から降りて亜鷹を追おうとすると、もう彼の姿はそこにはなかった。「兄様、わたしに何を伝えようとしているの?」瑞姫は微かな不安に襲われ、その夜は一睡も出来ずにいた。「どうしたの、お姉ちゃん? 眠いの?」エルジィはそう言ってちらりと欠伸をする瑞姫を見た。「ああ、すいませんエルジィ様。昨夜は少し忙しくて・・」瑞姫は椅子から立ち上がった拍子に楽譜を落としてしまった。彼女が身を屈め、それを拾おうとした時、エルジィは彼女の白い首筋に残る紅い痕に気づいた。「ねぇ、それ虫に刺されたの?」「え?」エルジィに首筋を指され、瑞姫は我に返った。「ええ。」まさかキスマークをエルジィに見られてしまうだなんてと思いながら、瑞姫は冷静に振る舞って彼女に微笑んだ。「お父様とは、仲直りしたの?」エルジィは蒼い瞳で瑞姫を見ながらそう尋ねてきた。その瞳は、ルドルフと同じものだった。「ええ。」「良かったぁ。わたしね、お父様も好きだけれどお姉ちゃんも大好き! だってお父様はお姉ちゃんと居るとお優しいんだもの。それに、お母様とは違ってお姉ちゃんは優しいし。」「エルジィ様はお母様のことをどう想われているのですか?」「わからない・・でも、お父様の事を悪く言うお母様は好きじゃない。お父様の事が大好きなのに・・」エルジィの瞳から大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちた。両親の不和を、この幼い皇女は感じ取り、やがて大好きな父親が自分の前から居なくなってしまうのではないかという不安に駆られている。「エルジィ様・・」瑞姫は、涙を流している皇女をそっと抱き締めた。彼女にどう慰みの言葉をかけたらいいのかわからないが、かけたとしてもそれは何の意味も為さない。「お姉ちゃん、お父様を守ってくれる?」「ええ、お守り致しますよ。」(わたしが、ルドルフ様をお守りしなければ・・)エルジィの部屋を出た瑞姫は、向こうから歩いて来るルドルフの姿を見つけた。彼は白い軍服を纏い、左肩には黒い喪章を付けていた。その背後には、猛々しい空気を纏った青年が立っていた。瑞姫はそっとルドルフに会釈すると、彼はそっと瑞姫の手を握った。「今夜、部屋に来い。」ぼそりと甘い声で囁かれ、瑞姫は恥ずかしげに俯いた。その様子を見ていた青年がちらりと瑞姫を見た。猛禽類のような目を持った彼は、興味深げに瑞姫を見ると、廊下の角へと消えて行った。彼がドイツ帝国の新皇帝・ヴィルヘルム2世だということを瑞姫が知ったのは、その夜のことだった。にほんブログ村
2011年01月05日
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一部性描写が含まれます。性描写が苦手な方は閲覧をご遠慮ください。「そんな、誕生日プレゼントだなんて・・どうして判ったんですか?」「お前が着けていたアメジストのネックレスを見てな。アメジストは2月の誕生石だから、2月生まれだと思って。開けてみろ。」ルドルフはそう言って瑞姫に箱を手渡した。それは、ズシリと重かった。なんだろうと思いながら箱の蓋を開けると、そこにはアメジストの耳飾りとダイヤモンドのネックレスが入っていた。眩い光を放つそれらは、一見して高価なものだと判る。「こんな高価なもの、頂けません。」蓋を閉じて宝石をルドルフに返そうとすると、彼はそれを瑞姫に押し付けた。「お前にはいつも着飾って欲しいんだ。わたしの隣でいつまでも。」「え・・」今の言葉は、プロポーズだろうか。「でも、ルドルフ様には奥様が・・」「時間がかかるかもしれないが、法王に手紙を出す。」それはつまり、シュティファニーと離婚するということだ。英国のように国王が王妃との離婚の為にカトリックを棄教し、英国国教会という新しい宗教を作ることは、オーストリアに出来ない。なぜならば、オーストリアならびにハプスブルク家はローマ=カトリックとともに帝国の歴史を紡いできたからだ。その帝国の代表者であるルドルフが、カトリック国の王女であるシュティファニーを捨て、異教徒であり、貴族でもない自分を妻にしようとしている。そんな真似を、ルドルフにさせてはいけない。「ルドルフ様、はやまってはなりません。わたしは今あなた様のお傍に居るだけで充分です。ですから、シュティファニー様と離婚なさるだなんておっしゃらないでください。」「言っただろう、シュティファニーとの結婚は義務だと。もうこれ以上幸せな家族ごっこをするのはうんざりなんだ!」ルドルフはそう叫ぶと、苛立ちをぶつけるように寝室の壁を殴った。空気が振動した音に瑞姫はビクリと身を震わせた。「ルドルフ様・・」今夜のルドルフは、どこか違う。何か焦っているような、怯えているような感じがする。「着けてみろ。」瑞姫はダイヤモンドのネックレスを首に提げると、ルドルフは満足そうな笑みを浮かべた。「今度はお前が上になれ。」「え・・」今までルドルフとはいつも同じ体位でしていたので、彼にそう言われて瑞姫はどうすればいいのかわからなかった。ルドルフは瑞姫の手首を掴むと無理矢理瑞姫を立ち上がらせ、唖然としている瑞姫の下に寝そべった。「ゆっくりと腰を落とせ。」「はい・・」何度も身体を重ねたと言うのに、いつもとは違う体位ですると解った瑞姫は、その恥ずかしさで頬を赤らめながら、ゆっくりと腰を落とした。「あぁ!」自分の中にルドルフを受け入れた瑞姫は悲鳴を上げ、彼から降りようとしたが、腰をがっちりと掴まれて身動きが取れない。「どうした、動いてみろ。」蒼い瞳に射抜かれるように見られ、瑞姫は躊躇いがちに腰を動かした。最初は緩慢だったその動きは次第に激しさを増していった。腰下までの艶やかな黒髪を振り乱し、必死に声を堪えようとしているミズキの姿はとても淫らで、昼の凛々しい顔とは全く違う。彼女が動く度に、胸元でダイヤのネックレスが揺れながら眩い光を放つ。「お前はわたしのものだ・・わたしから逃げようなんて許さないからな。」「逃げません・・逃げませんから、もう・・」ルドルフは瑞姫の腰に爪を立てると、彼女は甲高い悲鳴を上げて絶頂に達した。自分の胸に倒れ込んで来た彼女の髪を撫でると、耳元で寝息が聞こえて来た。どうやら体力が限界に尽きてしまったらしい。彼女の細い背中を抱き締めながら、ルドルフは眠りに就いた。夜啼鶯の啼き声が、艶やかな夜の静寂を破った。「ん・・」喉の渇きを覚えて瑞姫が目を開けると、誰かが自分の手を握っていた。「久しいね、瑞姫。」にほんブログ村
2011年01月05日
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瑞姫がラリッシュ伯爵夫人の言葉に何も返せないでいると、彼女は勝ち誇ったような笑みを浮かべてこう続けた。「あなたにだけは教えてさしあげるけれど、あの子と皇太子様を会わせたのはわたくしなの。」「あなたが・・?」瑞姫は驚愕の表情を浮かべながらラリッシュ伯爵夫人を見た。「どうして、そんな事を・・」「あのベルギーから来た田舎娘に身の程を知らせてやる為よ。皇太子様にはもっと相応しい相手があなた以外に居るとね。」彼女の鋭い眼差しから、瑞姫は逃れたいと思った。「あなたの時代はもう終わったの。エルジィ様のお気に入りだからって余り良い気にならないことね。」ラリッシュ伯爵夫人の言葉に瑞姫はただ打ちのめされ、暫く瑞姫は廊下に蹲って泣いた。(自惚れていたんだ・・)ルドルフと初めて結ばれた舞踏会の夜から、いつの間にか瑞姫の中でルドルフを独占したいという気持ちが湧きあがって来た。それと同時に、ルドルフが愛しているのは自分だけだと思い込んでしまったのだ。彼が自分以外の、同年代の愛人を作った今となっては、馬鹿だと思えてきた。ルドルフには星の数ほど女が居るし、自分もまたその1人なのだともっと早くに気づけばよかった。永遠の愛なんて、存在しないのだ。(馬鹿なわたし・・独りで勝手に舞いあがって、浮かれて・・)瑞姫はゆっくりと立ち上がると、前を向いて廊下を歩き始めた。人前では決して泣かない。泣くのは独りの時だけだ。早くエルジィの元に行かなければ。脳裡にあの愛らしい笑顔が浮かぶと、ラリッシュ伯爵夫人に傷つけられた心が少し癒された。「お待たせしてしまい、申し訳ありません。」そう言って瑞姫がエルジィの部屋に入ると、部屋の主はピアノの前に座っていた。「お姉ちゃん、エルジィ少しピアノが上手くなったよ。」エルジィは蒼い瞳―ルドルフに似た瞳でそう言うと瑞姫を見つめながら笑った。「そう、それは良かったですね。」マリーへの嫉妬、醜い己の本性をひた隠しながら、瑞姫はエルジィに笑顔を浮かべた。(わたしは綺麗じゃない・・醜い・・) その夜、ルドルフから呼び出され、瑞姫は久しぶりにスイス宮へと向かった。彼の部屋にはマリーが居るのだろうか。彼女はあの勝ち誇ったような笑みでルドルフにしなだれかかり、彼に愛されているのは自分だとアピールしてくるのだろうか。そんな事を思いながらも、瑞姫はルドルフの部屋の前でノックをした。中から人が動く気配がして、ガチャリと鍵が内側から開けられた音がして、ルドルフが瑞姫の前に現れた。「入れ。」「はい・・」部屋の中に入ると、そこにはマリーの姿はなかった。「あの、あの子は?」「マリーか? あんな小娘、わたしの趣味ではない。それにわたしはあんな野心家は嫌いだ。」ルドルフはそう言うと、瑞姫をそっと抱き締めた。「ミズキ、もう大丈夫か?」「ええ・・」ルドルフの言葉が何を意味するのかを知り、瑞姫は少し頬を赤く染めた。寝室に入ると2人は縺れ合うようにベッドに倒れ込み、久しぶりに愛し合った。何度も上りつめ、果てた後、瑞姫は熱で潤んだ黒い瞳でルドルフを見上げた。「ミズキ、わたしにはお前しかいない・・」「他の女人達にも、そんなお言葉を?」「馬鹿を言うな。」ルドルフはそう言うとさっと素肌にガウンを羽織ると、机の引き出しから長方形の箱を取り出した。「それは?」「誕生日プレゼントだ、随分遅くなってしまったが。」にほんブログ村
2011年01月05日
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1888年4月12日、フロイデナウ競馬場。「皇太子様はどちらに?」「皇太子様は、フロイデナウ競馬場へと向かわれました。」「そう・・」ルドルフには女性の噂が絶えない。競馬場と聞き、彼は女性と会うのだと知った瑞姫は、嫉妬で胸が少し痛んだ。男の浮気は甲斐性だと言うが、ルドルフの事を心から愛しているが故に、自分だけを見てほしいと思ってしまう。誰と会うのだろうか。居ても経っても居られずに、瑞姫はフロイデナウ競馬場へと向かった。 一方フロイデナウ競馬場にある観客席よりもパドックが一際見渡せるロイヤル=ボックスでは、ルドルフがレースを鑑賞していた。だがルドルフにとってレースは余り関心がなく、あるのはこれから来るある人物だった。その人物はまだ来ない。(何かあったのか?)苛々しながらレースを見ていると、突然誰かが自分の手を握る感触がした。瑞姫かと思って振り向くと、そこには黒髪の少女が立っていた。「初めまして、ルドルフ皇太子様。」そう言って嫣然とした笑みを自分に向ける少女に、ルドルフは不快な表情を浮かべそうになったが、それを堪えて彼女に愛想笑いを浮かべた。「君は?」「マリー=フォン=ベッツェラですわ。あなたと出会えて嬉しいですわ。」「マリーか。可愛い名だね。」「まぁ、お世辞が上手いんですのね。」黒髪の少女―マリーはそう言うと、憧れの皇太子に自分の中で可愛いと思う笑顔を浮かべた。その様子を、陰からあの少年達が見ていた。『馬鹿な小娘よのう。』緋禄はそう呟くと、笑った。 フロイデナウ競馬場に着いた瑞姫は、ルドルフがいるロイヤル=ボックスへと向かった。様々な階級の者達が、目の前で繰り広げられる白熱したレースに熱狂していた。その人ごみの中を掻き分けながら、瑞姫は漸くルドルフの姿を見つけた。彼はロイヤル=ボックスで誰かと話をしていた。「ルド・・」ルドルフの元へと駆け寄ろうとした時、彼が話していた相手が瑞姫に見えた。それは、ルドルフとワルツを踊った舞踏会に居たあの少女だった。(そんな・・どうして・・?)少女が何かを言うと、ルドルフは笑顔を浮かべた。それを見た瑞姫は、嫉妬で胸がチリチリと痛んだ。自分の前でだけ見せる笑顔を、あの少女にルドルフは見せている。瑞姫の視線に気づいたのか、少女がゆっくりと彼を見た。彼女は意地の悪い笑みを浮かべ、わざとよろける振りをしてルドルフにしなだれかかった。やめて、と叫びたかったが、声が出ない。「どうした?」「すいません・・急に気分が悪くなってしまって。」マリーの見え透いた嘘をルドルフはすぐに見破ったが、彼女が誰かの指示で自分に会いに来たのかを知る為にわざと彼女の髪を撫でた。「大丈夫か?」「ええ。皇太子様、またお会いできますか?」「君が望むのならいつでも。」(ルドルフ様・・どうして・・)ルドルフが少女の目的を探っている裏で、彼の事を誤解した瑞姫は失意の中フロイデナウ競馬場から去った。 ルドルフの新しい愛人が17歳の男爵令嬢・マリー=ベッツェラであるということは、瞬く間にウィーンに広がった。その日の昼、瑞姫が廊下を歩いていると、ラリッシュ伯爵夫人と鉢合わせした。「ねぇあなた、いつまでここに居るおつもりなのかしら? もう皇太子様はあなたには興味はないのよ?」ラリッシュ伯爵夫人はそう言うと、意地の悪い笑みを浮かべた。にほんブログ村
2011年01月03日
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謎の足音は、ルドルフが酒屋を出てからずっと聞こえてくる。 すぐに立ち止まり、尾行者の正体を暴きたいところだが、闇に包まれた路地では危険すぎる。ルドルフは溜息を吐くと、数メートル先に街灯を見つけ、そこへ早足で向かうと、さっとコートから拳銃を取り出した。「何者だ!」街灯の仄かな光が、尾行者の姿を照らし出した。尾行者は2人いた。どちらも銀髪紫眼で、纏っているのは日本のキモノだ。「すぐに気づかれてしまったなぁ、兄者。」左に居た少年がそう言って溜息を吐くと、右に立っていたもう1人の少年が舌打ちした。「煩いぞ、緋禄(ひろく)。」「わたしの質問に答えろ。答えなければ、お前達を撃つ。」ルドルフの言葉を聞き、少年達は笑った。「何が可笑しい?」「随分と威勢のいい皇子様じゃのう。」少年の1人が笑みを浮かべながらそう言うとルドルフに近づいた。「瑞姫を渡せば、そなたの命は助けてやる。」「ミズキとお前達とは何が関係あるんだ?」「瑞姫はわしら一族の媛(ひめ)じゃ。半妖で両性でありながら、わしらは瑞姫の絶大な妖力を欲しておる。瑞姫は一族の男と契る義務がある。」少年の話は俄かに信じがたいものであったが、ルドルフの脳裡にプラハでの出来事が浮かんだ。白銀の髪をなびかせ、黄金色の双眸で自分を見つめる瑞姫の姿が。「ミズキはお前達のことなど忘れた。だから彼女は渡さぬ。」「そうか。後悔するぞ、皇子様よ。」「緋禄、その位にしておけ。」不快な表情を浮かべながらもう1人の少年がそう言うと、少年は彼の方へと戻った。「また会おうぞ、皇子様よ。」2人は煙のように掻き消えた。ルドルフは溜息を吐くと、再び歩き始めた。 少年達が向かった先は、ドイツ帝国大使館だった。「只今戻りました。」「皇太子の様子はどうだったか?」「誰かと会っているようでした。」少年達から報告を受けた大使の顔が険しくなった。「それは誰か判るか?」「さぁ・・」左に立っていた少年―緋禄がそう言って首を傾げると、大使が彼の頬を強く打ち、緋禄は大理石の床に倒れ込んだ。「この役立たずが!」『おのれ、よくも・・』左に立っていた少年が鯉口を切ろうとした時、緋禄は慌ててその手を押さえた。『止めてくれ兄者。わしが悪いんじゃ。』『あやつらに従えというのか!?』『仕方なかろう。』少年は美しい顔を歪めると、鯉口から手を離した。「申し訳ございませぬ。」「もういい、行け!」大使館の奥にある部屋へと入ると、少年は腹立だしげにドアを蹴った。『兄者、短気は損気じゃ。あやつらはわしらの事を侮り、手駒として使おうとしている。じゃがのう、手駒として使っているのはわしらの方じゃ。』大使に打たれた頬を擦りながら、緋禄がそう呟くと少年は笑った。『そうだったな。』『最後に勝つのはわしらじゃ、兄者。』 翌日少年達は、ウィーンの街を歩きながら“彼女”の姿を目で追っていた。『兄者、あの女か?』『そうだ。』(今何か誰かに見られていたような・・気の所為ね。)マリー・ベッツェラは首を傾げながら歩き始めた。「マリー、あなたにお手紙よ。」母親から受け取った手紙には、こう書かれていた。“フロイデナウ競馬場にて、あなたの憧れの方と出会えます。”にほんブログ村
2011年01月03日
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「で、話とは何だ?」ルドルフは司祭館にあるシリルの私室に入るなり、部屋の主を見た。「近頃彼らの間で不穏な動きがあります。」シリルの言葉を聞いたルドルフの美しい金色の眦が上がった。「そうか・・」最近ウィーンでは反ハプスブルクへの動きが高まりつつあり、その中でもある組織が帝国政府に対しての抗議文書をばら撒いたり、集会を開いたりしていた。 その中の何人かとルドルフは密かに連絡を取り合っているが、彼らには自分の正体を隠している。皇太子が反帝国組織の後押しをしていると知れたら、今まで計画してきた事が全て無に帰してしまう。「ルドルフ様、本当に・・本当になさるおつもりなのですか?」「何をだ?」「わたしが何も知らないと思っていらっしゃるんですか?」シリルはそう言うと、ルドルフを見た。その琥珀色の双眸に見つめられると、ルドルフは何故か嘘を吐けなくなる。昔から―幼い頃に出会った時から、彼の真っ直ぐな瞳を見つめられると金縛りに遭ったかのように動けなくなってしまうのだ。「わたしは為すべき事を為す。シリル、あいつらに妙な動きがあったら知らせてくれ。」「わかりました。」シリルの部屋を出た後、ルドルフはちらりと中庭の方を見た。そこには、エルジィと遊ぶ瑞姫の姿があった。「エルジィ様、余り走っては危ないですよ。」「わかってるわよ。」そう言った途端、エルジィは派手に転んで強かに顔を打った。「まぁまぁ、お怪我はありませんか?」レースのハンカチを素早く出した瑞姫は、小さい皇女の額についた泥をそれで優しく拭った。その姿は、まるで実の母娘のようだった。微笑ましい光景をルドルフは暫く見つめると、険しい表情を浮かべながら私室へと戻りコートを羽織った後、密かに王宮を抜けだした。帽子を目深に被れば、誰も皇太子だとは気づく者は居ない。ヨーロッパ随一の美貌を持つ母・エリザベートに似た己の美貌は、相手に顔を覚えられてしまうというデメリットに気づき、彼らと接触する際は少し離れた席に座ることにしている。「ここか・・」王宮から少し離れたウィーン下町の片隅にひっそりとたたずむ一軒の酒屋を見ながら、ルドルフはその中に入った。ドアベルが鳴り、労働者の男達がちらちらと黒貂を衿元にふんだんに使ったコートを纏ったルドルフを見た。この店の客層は低所得者が多く、貴族の客が来るのはざらだ。もっと地味なコートにするんだったとルドルフはそう思いながら溜息を吐いた時、賑やかな笑い声とともに数人の男達が店の中に入って来た。(来たか・・)ルドルフは店主に彼らの分のワインを注文した。 中庭でエルジィと遊んだ後、彼女を世話係の女官に任せて瑞姫は自室へと向かった。茜色に染まってゆくウィーンの街並みを窓から眺めていた時、背後から強烈な視線を感じて瑞姫が振り向くと、そこには誰も居なかった。(気の所為かな。)瑞姫は部屋に入ると、夜着に着替えて浴室へと入った。湯船には温かい湯が使用人によって溜められていた。瑞姫が身体と髪を洗っていると、また視線を感じた。「そこに誰かいるの?」女官が控えているのかと思い、湯船から上がって外を見たが、誰もいなかった。何だか薄気味が悪いなと思いながら、瑞姫は寝室に入った。その時少し違和感を感じたが、さっさと寝台に横たわって眠りに就いた。「ではまた例の場所に。」「わかった。」ルドルフが酒屋を出て夜の路地を歩くと、微かに靴音が聞こえたような気がした。尾けられているな―ルドルフはコートの内側に隠した護身用の拳銃を確かめた。それはズシリと重く、冷たい感触がした。Photo by Abundant Shineにほんブログ村
2011年01月03日
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ルドルフと瑞姫がデーメルを出てホーフブルクへと戻ると、ルドルフの娘、エルジィの部屋からピアノの音色が聞こえて来た。「ピアノのレッスン中だな。」「エルジィ様がお弾きになられているんですか?」「ああ。わたしも幼い頃休む暇も無くピアノのレッスンやヘブライ語、ラテン語の授業を受けていたな。」「そんな、まだエルジィ様は4歳になられたばかりですのに・・余り詰め込み過ぎては身体を壊してしまいます。」「お前の言いたい事は判るが、ハプスブルク家として生まれた以上、休む事は許されないんだ。王族というものは、常に国民の手本にならなければ。」瑞姫はルドルフの言葉を聞きながら、溜息を吐いた。王族というだけで普通の子どものように年相応に遊んだり、野原を駆けまわったりすることなく、王宮と言う名の牢獄に幽閉されて一生を過ごすなんて、悪夢のようだ。「あ、お父様。」瑞姫がそっとエルジィのレッスンをドアから垣間見ていると、エルジィがルドルフの姿に気づいてピアノを弾くのを止め、ルドルフの方へと駆け寄った。「エルジィ、少し上達したね。」「お父様に聞かせたくて、いっしょうけんめい練習したの。」「そうかい、それは嬉しいなぁ。」ルドルフの腕に抱かれたエルジィは、天使のような笑顔を浮かべた。「黒髪のお姉ちゃんも一緒なの?」父親譲りのエルジィの蒼い瞳が、ゆっくりとルドルフから瑞姫へと視線を移した。「お久しぶりです、エルジィ様。お元気そうで何よりです。」瑞姫はそう言うと、優雅に礼をした。「お姉ちゃん、ピアノ弾いて。わたし、お姉ちゃんのピアノが聞きたいの。」「エルジィ、お姉ちゃんはやっと怪我が治ったばかりなんだよ。我が儘を言ってはいけないよ。」「え~、でもわたし聞きたいだもの。」頬を膨らませ、拗ねるエルジィの姿が愛らしくて、瑞姫は思わず笑みが零れた。「解りました。1曲だけなら。」「やったぁ!」エルジィは瑞姫の手を掴むと、ピアノの方へと向かった。部屋の中央に鎮座する漆黒のピアノの前に腰を下ろした瑞姫は、ゆっくりと両手を黒白の鍵盤に滑らせ、脳裡に浮かんだ曲を弾き始めた。この物哀しい曲が大好きで、いつも時間がある時は弾いていた。この曲を弾く時は、あの女達の誹りを受けた事を忘れてしまうから。誰も観客がいなくても、構わなかった。ピアノだけが、唯一の自分の居場所だったから。瑞姫が演奏を終えると、辺りがシンと静まった。「あの・・」何か粗相をしてしまったのではないかと瑞姫が思い始めていた時、ルドルフが彼に微笑んだ。「ショパンの難曲を華麗に弾きこなせるとは、大したものだな。」「いえ・・昔弾いていた事を思い出しただけです。」「それにしてもお前の演奏は素晴らしかった。」ルドルフはそう言うと、瑞姫の頬にキスした。「お父様、エルジィもお姉ちゃんみたいに弾いてみたい。」「お前にはまだ無理だよ、エルジィ。お姉ちゃんみたいに上手く弾けるようになれるにはもっと沢山練習しないとね。」「ええ~!」父の言葉を聞き、嫌そうな声を上げたエルジィに、瑞姫は優しく微笑んだ。「大丈夫、エルジィ様ならきっと上手くお弾きになられますよ。」「じゃぁ、お姉ちゃんが教えてくれる?」「少しの間だけなら。」「お父様、いいでしょう?」「仕方無いね。ミズキ、済まないな。」「いいえ。」ルドルフがエルジィの部屋から出て行くと、そこからは娘の笑い声とピアノの音色が聞こえた。「ルドルフ様。」ルドルフが廊下を歩いていると、シリルがそう言って彼を呼び留めた。「シリル、どうした?」「少しお話がありまして。今宜しいでしょうか?」photo by Abundant Shineにほんブログ村
2011年01月03日
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瑞姫がルドルフの子を流産してから1週間が経ち、バレンタインデーで世間は賑わっていた。それは宮廷に居る貴族達や女官達も例外ではなく、彼女達はこぞって高級菓子店のチョコレートを買い漁っては、意中の相手にそれをプレゼントしていた。そんな彼女達を、瑞姫は一線を画して何処か醒めた目で見ていた。瑞姫には誰かの為にチョコレートを作ったり、贈ったりする気はなかった。流産してから、自分だけが楽しんだりしてはいけないと瑞姫は思い始め、亡くした子への自責の念に苛まれていた。(わたし一人だけが楽しい思い出を作ってはいけない・・それは全て、あの子の為に・・)まだ本調子ではないものの、医師からはもう身体を動かしたり入浴してもいいという許可が出たので、床上げした瑞姫は身支度してアウグスティーナへと向かった。荘厳な祭壇が、ステンドグラスの光を受けて美しく輝き、瑞姫はその前に跪いて静かに祈りを捧げた。(わたしはこのまま、ここに居ていいのでしょうか?)祈りながら何度も祭壇を見たが、結局答えは出せず仕舞いだった。瑞姫が祭壇から背を向けて歩き出し、アウグスティーナから出ようとした時、ふと告解室が目に入った。「あなたの罪をお話しなさい。」狭い空間に瑞姫が入ると、そこにはあの黒髪の司祭、シリルが居た。「わたしは快楽に溺れた挙句、子を失ってしまいました。彼に愛されている間、わたしは幸せでした。彼の傍に居るだけで心の底から幸せな気持ちが溢れ出ましたが・・子を失った今は、もうそんな気持ちが湧きません。いつもあの子の事だけを・・この世に産まれずに亡くなってしまった子の事だけを考えしまうのです・・」瑞姫は涙を流しながらそう言葉を切ると、右手で下腹部を擦った。「よく話してくださいましたね。主はあなたの苦しみを解ってくださいます。あなたの子は天使となり神の御園で暮らしていることでしょう。その子はきっと、あなたの笑顔を望んでいる筈です。」シリルの琥珀色の瞳と、瑞姫の涙に潤んだ黒い瞳がぶつかった。「主は乗り越えられる試練しか与えません。あなたは今茨の道を歩んでいる。茨によってあなたの足と心は傷つき、血を流しているのかもしれませんが、その道には必ず終わりがあります。それを決めるのは、主ではなくあなた自身なのです。」「ありがとう・・ございます・・」シリルはにっこりと瑞姫に微笑んだ。 告解室を出た瑞姫は、聞きなれた靴音が近づいて来るのを感じて入口の方を見ると、そこには金モールの釦を煌めかせた漆黒の軍服を纏ったルドルフが立っていた。「ルドルフ様・・」「もう、身体の方は大丈夫なのか?」ルドルフはそう言うと、そっと瑞姫の髪を梳いた。「ええ・・あの、心配をおかけして申し訳ありませんでした。」「謝る事はない。それよりも、今日が何の日か知っているか?」ルドルフの言葉に、瑞姫は静かに頷いた。「この格好では行きにくい所だから、少し部屋で待っていてくれ。」「はい・・」ルドルフの部屋に入った瑞姫は、彼が着替えを終えるのを待った。「待たせたな。」軍服姿のルドルフは凛々しいが、私服姿の彼はそれ以上に優雅な雰囲気を纏っていた。「あの、どちらへ?」「着けば判る。」ウィーンの街を歩きながら、ルドルフはそう言って瑞姫に微笑んだ。その笑顔を見た瑞姫は、死んだ子の事を忘れずに前へ進もうと決意した。とあるカフェに着いた2人は、店員によって二階席へと通された。「ここは?」「デーメルだ。この店のザッハトルテをお前に食べさせたくてな。」暫くすると、店員がザッハトルテとコーヒーを持ってきた。「美味しいですね・・」「ああ。」2人の間に、穏やかな時間が流れた。photo by MOMENTにほんブログ村
2011年01月02日
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火照った素足を絡め合い、熱に溺れる。「ミズキ。」名を呼ぶと、花が綻ぶような笑みを自分に向けてくれる。艶やかな黒髪をそっと梳くと、それはさらさらと音を立ててするりと指の間から抜けてゆく。白い首筋から腹にかけて散る薔薇色の刻印。もっとその身体を貪る為に唇を塞ぐと、柔らかなその感触に興奮してそれを貪った。「皇太子様?」そっと唇を離すと、そこには瑞姫が熱を孕んだ瞳でルドルフを見つめていた。目の前に居るのは愛しい瑞姫なのに、何処かおかしい。ふと目を擦ると、そこには瑞姫ではなく、ミッツィがベッドに横たわっていた。「どうなさったの?」「いや、何でもない・・」ルドルフはそう言って行為を再開しようとしたが、先ほどまで感じていた熱がすっかり冷めきっていることに気づいた。「やっぱり、何かおありになったのね。」ミッツィはゆっくりとベッドから起き上がると、そっとルドルフの頬に触れた。「君には何もかもお見通しだな。」ルドルフは溜息を吐くと、ミッツィを見た。彼女を愛人として囲うようになったのはいつだったのか忘れてしまった。だが聡明でありながら美しく、それでいてそれを鼻にかけないミッツィには未だ魅せられている。そんな素敵な彼女でも、瑞姫の代わりにはなれない。「だって最近の皇太子様は黒髪の少女に夢中だと聞きましたもの。あなたがわたくしと居ることをその子が知ったら、焼きもちを焼くのではなくて?」ミッツィの言葉に、ルドルフの蒼い瞳が一瞬翳ったが、再び元の澄みきった火光を宿しながら彼は苦笑した。「そうかな・・彼女はあんまり嫉妬深い性格ではなくてね。年の割には落ち着いているよ。」「そう。でもそれは、余り人に弱みを見せたがらないんじゃなくて? あなたと同じように。」「ミッツィ、わたしは彼女の事を心から愛しているんだ。それなのに彼女を傷つけてばかりだ。彼女がわたしの子を流産しても、何も出来なかった・・」「余程愛していらっしゃるのね、彼女を。」わたくしよりも、という言葉を呑みこんで、ミッツィはルドルフを見た。「ああ。君は他の女の話をしているのに、嫉妬しないのかい?」「嫉妬なんて・・ヒステリーな女性はお嫌でしょう? それに、あなたがわたくし以外の方とどのようにお付き合いしているのか知りたいわ。」「・・君は本当に、頭が良い。」ルドルフは苦笑すると、ワインを飲んだ。「彼女と出逢ったのは昨年の冬頃だったかな。警官が彼女を追っていてね、猫のように木の上に隠れていた彼女は警官に発砲されてバランスを崩し、わたしの腕の中に落ちてきたんだよ。」「まぁ、ロマンチックな出逢いだこと。もっと聞かせて頂戴。」「そうかい・・」ルドルフは朝までミッツィに瑞姫との関係を話した。ミッツィは何も言わず、嬉しそうに瑞姫の事を話すルドルフの横顔を見ていた。(わたくしの前では、こんなに穏やかな笑顔を浮かべたことがない・・)いつも眉間に皺を寄せ、何処か気難しそうな顔をしているルドルフは、瑞姫のことを話している時だけは、穏やかな笑顔を浮かべている。それほど彼にとって、瑞姫の存在が大きなものなのだろう。(どうして、皇太子様はわたくしの所に来たのかしら?)「その方の所には戻らなくてもいいの?」「わたしはまだ、彼女をどう慰めたらいいのか判らないんだ・・ここでは沢山彼女に掛ける言葉が思い浮かぶのに、いざ本人を前にすると何も言えない・・」「皇太子様・・」ミッツィはそっと、ルドルフの逞しい肩に顔を預けた。「ミッツィ、わたしはどうすればいいのかな。いくら考えても判らないんだよ・・」「何も考えなくていいんじゃなくて? 余り考え過ぎると駄目になってしまうわよ?」その時初めてミッツィはルドルフの笑顔を見た。自分だけに向けられる笑顔を。にほんブログ村
2011年01月02日
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―お前の所為で黒羽根は死んだんだ!女達の1人が、恐ろしい形相をしながら瑞姫を睨み付けながら言った。―お前さえ産まれてこなければ、あの子は死なずに済んだのに!女達の向こうには、母の仏壇と遺影があった。―人殺し!(わたしが母様を殺したの? わたしが産まれなければ、母様は・・)―お前はこの家に災いを呼ぶ子だ!悪夢にうなされながら瑞姫が目を開けると、そこには白い天井が広がっていた。下腹部に焼けるような痛みを感じて、瑞姫は先程医師から処置を施されたことを知った。「あなたはまだ若いし、まだ妊娠の可能性があります。余り気を落とさないでください。」「はい・・」医師の言葉に、瑞姫は力無く頷いた。何故こうなる前に、気づかなかったのだろうか。月のものが遅れている時点で医者にかかっていれば、こんなことにはならなかったのだ。妊娠していると判れば、もっと気をつけていたのに。今更後悔しても遅いのに、瑞姫は自らを責め続けていた。「ミズキ、入るわよ?」ノックの音がしたかと思うと、ドアの向こうで聞きなれた声がした。「どうぞ、お入りください。」ドアが開き、ルドルフの妹、マリア=ヴァレリーが部屋に入って来た。ヴァレリーはそっと瑞姫の手を握った。「お兄様から聞いたわ。赤ちゃん、残念だったわね。」「ええ。申し訳ありません、わたしがもっと気をつけていれば・・」そう言って俯く瑞姫の肩に、ヴァレリーはそっと触れた。「あなたの所為じゃないわ。それよりもこれからどうするの?」「わかりません、自分でも・・このまま、ルドルフ様のお傍に居る方が良いのか・・」「すぐに答えは出せないわよね・・でもミズキ、お兄様はあなたの事を愛しているの。それだけは忘れないであげて。」ヴァレリーが部屋から出て行った後、晴れていた空が急に曇り始め、やがて雨粒が窓を叩き始めた。(ごめんね、産んであげられなくて・・)ほんの数時間前には子宮に宿っていた新しい命に向かって瑞姫は気が済むまで詫び続けた。 雨は夜になっても病む気配はなく、土砂降りになった。ウィーンの街を皇太子の紋章が刻まれた馬車が走り、それは一軒の邸の前で停まった。「今夜は朝まで待たなくていい。」「ですが・・」皇太子専属の御者・ブラートフィッシュはそう言って邸の前に立つ主の顔を見た。彼は何処か寂しげな顔をしていた。「こんな酷い雨の中に済まなかったな。家に帰ったら身体を温めるといい。」「は、はい・・」馬車が次第にウィーンの街中へと消えてゆくを見送ったルドルフは、ゆっくりと邸の正面の扉にあるノッカーを叩いた。「どなた?」扉が開き、中から夜着を纏った黒髪の美女が出て来てルドルフを見た。「久しぶりだね、ミッツィ。」ルドルフはそう言って美女を抱き締めた。「どうしたの皇太子様、最近ご無沙汰かと思ったら・・何かあったのかしら?」「ああ、ちょっとね。ミッツィ、今夜はわたしを慰めてくれるかい?」「勿論よ。」美女―ミッツィ=ガスパルはそう言うと、にっこりとルドルフに笑うと彼の手を握り邸の中へと入った。雨は、未だに降り続けている。「ねぇお母様、わたし皇太子様にどうしてもお会いしたいの!」「マリー、あなたにはもっと相応しい方がいるわ。皇太子様の事はお諦めなさいな。」「お母様だって皇太子様の事を追い掛けていたじゃないの? わたしがお母様の代わりに彼を落としてみせるわ。見ていて、お母様。」マリーはそう言うと、屈託のない笑みを母親に浮かべた。にほんブログ村
2011年01月02日
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ルドルフが皇太子妃の部屋に入った時、瑞姫が下腹部を押さえながら床に蹲っていた。 瑞姫の傍には紅茶のカップが転がっており、中の液体が上等なペルシャ絨毯に染みを作っていた。「一体何があった?」蒼い瞳で皇太子妃を睨み付けると、彼女は恐怖に顔を引きつらせた。「わ、わたしは何も・・」先程まで床に蹲る瑞姫を見下ろしながら勝ち誇ったかのような笑みを浮かべていた皇太子妃は、夫が冷たい瞳で自分を睨んでいることに気づき、彼から目を逸らした。その瞬間、ルドルフは彼女が瑞姫に何をしたのかを悟った。「お前、お前という奴は・・」獣の唸り声のような低い声でそう言うと、ルドルフは妻の頬を平手で打った。彼女は悲鳴を上げ、ルドルフから逃げようとしたが、ルドルフは彼女の髪を掴み何度も彼女を激しく打擲した。皇太子妃の悲鳴を聞きつけ、侍従達が慌てて部屋に入り、ルドルフと彼女との間に割って入った。「殿下、おやめください! お気を確かに!」老齢のロシェクと侍従達が数人かがりで漸くルドルフを皇太子妃から引き離した。その時彼の手には、皇太子妃から毟り取った彼女の髪が一房握られており、その持ち主は恐怖で泣き崩れていた。「もう一度ミズキに何かしてみろ。これで済むと思うな。」ルドルフはそう言うと妻に背を向け、床に蹲っている瑞姫をそっと抱き上げた。その時彼は、瑞姫が纏っているアイボリーのドレスが血に染まっていることに気づいた。「誰か、医者を!」(あなた、わたくしよりもその娘の方が大事なのですか? ベルギー王女であり、妻であるわたくしよりも?)「皇太子妃様・・」 瑞姫を医者に診せると、彼は妊娠7週目に入っていたが、腹の子は流れてしまった。ルドルフが部屋に入ると、医師から説明を受けた瑞姫は、彼から目を逸らした。「これから子宮内の残留物を取り除く処置を行いますので、申し訳ないのですが殿下・・」「処置?」瑞姫は不安そうな顔をして医師を見つめると、彼は笑顔を浮かべるとそっと瑞姫の手を握った。「大丈夫ですよ、麻酔を打ちますから。」「そうですか・・」瑞姫は安堵の表情を浮かべると、そっと夜着の袖を捲った。「後は、頼む。」突然の不幸に襲われ、嘆き悲しむ暇も無く呆然としている瑞姫を部屋に残して、ルドルフは静かに扉を閉じた。「ルドルフ様。」ふとルドルフが顔を上げると、そこには黒髪の司祭が立っていた。「シリル、どうした?」「申し訳ありません、わたしがミズキさんに救護院の手伝いをさせてしまったから・・」「お前の所為ではない、シリル。わたしがミズキを粗末に扱ったから、天上におわする神が新しい命を連れていったのだ。」「そのようなことは・・」シリルは自分の前で寂しげな笑みを浮かべているルドルフを抱きしめたい衝動に駆られた。「わたしはミズキを愛しているのに、傷つけてばかりだな・・」「ルドルフ様・・」去りゆくルドルフの背中を見送りながら、シリルは幼い頃の彼の面影を見た。広い王宮の中で、孤独という名の熱に独りで耐えていた彼の姿を。「お父様、どうしたの?」ルドルフが我に返ると、自分を心配そうに見つめる娘の姿があった。「どうして、悲しい顔をしているの? あの黒髪のお姉ちゃんは何処に居るの?」「エルジィ・・」ルドルフはそっと、娘を抱き締めた。この世に産まれてくることができなかった、新しい命の分まで。にほんブログ村
2011年01月01日
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皆様、新年明けましておめでとうございます。今年も不定期ながら小説の更新をがんばろうと思いますので、なにとぞ宜しくお願い致します。2011.1.1 千菊丸
2011年01月01日
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