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アメリカ・ロサンゼルス。 今年も名だたるハリウッドスター達が、アカデミー賞授賞式へと出席する為、会場であるコダック・シアターへとレッドカーペットの上を歩きながらファン達にサインや握手をしながら入ってゆく。その中でまた1人、リムジンから降りて来た若手俳優の登場に、ファン達は一際歓声を上げた。黒い燕尾服に長身を包み、背中まである金髪をポニーテールにしながら、彼はエメラルドの瞳を煌めかせながらファン達に向かって手を振っていた。 彼の名は、聖。幼い頃母親に捨てられ、父方の祖母から虐待を受けた彼だったが、養父母であるオーストリア=ハプスブルク帝国皇帝夫妻から愛情を受けて育ち、単身渡米し、俳優としての人生をスタートさせた。 何の援助もコネも無く、ゴキブリの巣になっているボロアパートの一室で極貧生活を送りながらアルバイトに精を出し、オーディションを何度も受けた。なかなか機会が巡ってこなかった時期に、ひょんなことで応募したある映画のオーディションに合格し、スクリーンデビューを果たした。その映画は、虐待を受けた子ども達の心の傷と再生を描いたもので、聖の迫真の演技は観客を魅了し、彼はアカデミー賞助演男優賞にノミネートされた。 オスカーを取るまでオーストリアには帰らないと誓い、渡米してから1年が過ぎた。どんな結果が出たとしても、オスカーを獲るまでは家族の元へ帰らないつもりだった。夢にまで見た舞台に立てられただけでも、聖には嬉しかった。「ヒジリ。」背後から聞こえが声に聖がゆっくりと振り向くと、そこには養父母の姿があった。「父さん、母さん。」「聖、漸くこの日が来たわね。」瑞姫はそう言って、聖に微笑んだ。「ああ。」 養父母とともにコダック・シアターの中に入ると、授賞式が始まった。授賞式も終盤にさしかかり、今年のアカデミー賞助演男優賞にノミネートされた俳優の顔写真が画面に映り、発表の時を迎えた。『今年のアカデミー賞助演男優賞は、ヒジリ=フランツ!』自分の名を呼ばれたことを知った聖は、驚愕の表情を浮かべながらゆっくりと壇上へと上がった。「おめでとう。」「ありがとう・・これまでわたしを支えてくださった家族やマネージャー、素晴らしい映画を作ってくださったスタッフの皆様に感謝いたします!」聖は涙を流しながら、オスカー像を掲げた。客席には、義理の息子の勇姿を見て涙するルドルフと瑞姫の姿があった。「聖、おめでとう。」「おめでとう、ヒジリ。」「ありがとう、父さん、母さん。」授賞式の様子を、遼太郎と蓉はウィーンで観ていた。「聖、おめでとう。」「やっと夢が叶ったな。」2人の兄達は、画面に映っている聖に向かってワインを高く掲げた。「ヒジリ、これからもお前を応援してるからな。」「ありがとう、父さん。その言葉だけでも嬉しいよ。」授賞式後のパーティーで、聖は1年振りに再会したルドルフと瑞姫と楽しい時間を過ごした。「母さん、身体の方はどう?」「ええ。大丈夫よ。聖、これから忙しくなるでしょうけど、身体には気をつけるのよ。それと、初心を忘れずにね。」「わかったよ。父さん達も、身体に気を付けてね。」聖は養父母を交互に抱き締めた。「聖が立派に成長して良かったわ。亜鷹兄様にも見せたかった・・」「ああ。」ウィーンへと帰る専用機の中、ルドルフと瑞姫は共に手を繋いで眠った。にほんブログ村
Feb 25, 2011
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突然の悲劇に見舞われた瑞姫は、家族の協力の下リハビリに励んだ。 だがそれは、出口の見えない暗いトンネルを永遠と歩き続けなければならないほどの、辛い作業でしかなかった。感覚のない足で立つどころか、誰かの助けがなければ身体を起こす事も出来ない状態の自分に、瑞姫は半ば自暴自棄になった。「あなた、このまま死なせて頂戴。もう良くならないのなら、このままわたしを殺して!」リハビリを終えた夜、瑞姫はそう言って事件以来病室に付き添ってくれているルドルフに向かって叫んだ。「馬鹿な事を言うな、ミズキ! お前はきっと良くなる!」「いつになったら良くなるというの? わたしの足はもう動かないのよ! あなたはそれでも私と共に生きるというの?」「わたしにはお前しかいないんだ! お願いだから、そんな悲しい事を言わないでくれ、頼む・・」ルドルフの悲しみに歪んだ顔を見た瑞姫は、彼と共に泣いた。 寝息を立てている妻の手を握りながら、ルドルフは医師と交わした会話を思い出した。「皇妃様の病状ですが、暫定的ですがリハビリを続ければ病状が回復する可能性があります。それまでは家族が支えてください。」「はい・・」突然の悲劇に見舞われ、生きる気力を失くしつつある瑞姫の姿を見て、事件前の溌剌とした彼女に戻って欲しいとルドルフは心の底から願っていた。(ミズキ、わたしがお前を支えてやるから・・だから、諦めないでくれ。)ルドルフは瑞姫の手を握り締めたまま、いつの間にか眠ってしまった。 翌朝、ルドルフは何かを引っ掻くような音で目を覚ました。「ミズキ?」ベッドに居る筈の瑞姫の姿が無いことに気づいたルドルフは、血相を変えて彼女を探した。瑞姫は病室のドアを何かに取り憑かれたかのように爪を立てて必死にそれを引っ掻いていた。「ここから出して、ここから出してよ~!」悲痛な泣き声とともに瑞姫は爪に血が滲んでいるのにも構わず、ドアを無我夢中で引っ掻いた。「やめろ、ミズキ!」瑞姫を抱き抱えたルドルフは、暴れる彼女を何とかベッドの上に寝かせた。「もうこんな所に居るのは嫌! あなたと子ども達の元に帰りたい!」「ミズキ・・」剥がれかけた爪から血が滲んだ両手で顔を覆うと、瑞姫は癇癪を起こした。「大丈夫だ、ミズキ。わたしが居るから。」 瑞姫の入院生活が長引く事に比例して、ルドルフの疲労も徐々に蓄積されていった。忙しい公務の合間を縫って妻の介護や赤ん坊である麗の育児に追われ、ルドルフの睡眠時間は徐々に減ってゆき、身体はもう限界に達していた。 そんなある夜、とある企業の創立記念パーティーに出席していたルドルフは、突然眩暈に襲われてその場で倒れた。「父さん、大丈夫?」病院で目を覚ましたルドルフは、遼太郎と蓉の姿を見ると、ゆっくりとベッドから起き上がった。「こんな所で寝てられない・・ミズキがわたしを待っている。」「母さんなら大丈夫だよ。父さん、余り寝ていないんだからゆっくり休んでよ。」遼太郎の言葉に従ったルドルフは、ゆっくりと目を閉じて休んだ。「父さんが倒れたって、大丈夫なの?」兄から連絡を受けて病院に駆け付けた蓉がそう言って彼を見た。「過労だって。母さんの介護と麗の育児で疲れが溜まっていたからな。これからは家族で協力していこう。」「うん。」 出口の見えない暗いトンネルを今自分達は歩いているが、いつか出口が見えてくる―遼太郎達は、そう信じながらルドルフと共に瑞姫を支えた。「ミズキ、おはよう。」「おはよう、あなた。今日はとっても気分が良いわ。」瑞姫はそう言って、ルドルフの頬を撫でて彼に微笑んだ。「今日はいい天気だから、散歩しようか。」「ええ。」にほんブログ村
Feb 24, 2011
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セシェンと蓉が翌朝王宮に戻ると、そこには瑞姫と女官達が彼らの帰りを待っていた。「お帰りなさい、蓉、セシェン。あなた達と話したいことがあるの。」「わかったよ、母さん。」瑞姫達と共に彼女の部屋に入った蓉とセシェンは、瑞姫と向かい合わせに座った。「話ってなに?」「アマーリエ王女との縁談だけど、白紙に戻すことにしたわ。」「え・・」蓉は瑞姫の言葉が信じられないといった表情を浮かべながら、彼女を見た。「昨夜お父様と話をしたわ。わたしがお父様に蓉の事を許してやって欲しいと説得したのよ。そしたら、許してくださったわ。」「そう。じゃぁ、父さんは俺とセシェンの事を知っているんだね。」蓉の言葉に、瑞姫は静かに頷いた。「蓉、セシェン。あなた達の人生はあなた達のものよ。結婚は人生の一大事だから、本人同士が納得すべきものであればわたしはいいと思っているの。不幸な結婚をして後悔させたくないからね。」「ありがとう、母さん。」蓉は瑞姫を抱き締めると、彼女はそっと息子の広い背中を撫でた。「2人とも、幸せにね。」「ありがとうございます、皇妃様。」2人が部屋を出ると、蓉とセシェンは手を繋ぎながら廊下を歩いていた。「あら、お兄様。」麗をあやしながら、樹が2人の方へと歩いて来た。「おはようございます、イツキ様。」「おはよう、セシェン。お母様とお父様に認められて良かったわね。」「え、ええ・・」セシェンはそう言って樹から目を逸らした。「蓉お兄様、また後でね。」「ああ。」樹が去った後、セシェンはほっと溜息を吐いた。「どうしたんだ?」「なんだか、イツキ様はわたしの事を快く思っていないようです。」「気の所為だよ、そんな事。それよりも父さんにちゃんと報告・・」蓉がそう言った瞬間、廊下の先で銃声と悲鳴が聞こえた。「何だ、今の音は!?」「父さん、行ってみよう!」銃声を聞きつけた蓉とルドルフ、セシェンが銃声がした方へと駆けつけると、そこには血の海が広がっていた。 銃撃を受けた瑞姫付の女官が数名、胸を撃たれて大理石の床に転がっており、一目で彼らは死んでいると蓉は判った。「ミズキ、何処に居る!?」ルドルフが半狂乱になって瑞姫を探していると、窓際近くに血の海の中で蹲っている彼女の姿を見つけた。「ミズキ、しっかりしろ!」ルドルフが瑞姫を揺さ振ると、彼女は苦しそうに咳き込んだ。「ルドルフ様・・」「死ぬな、死ぬなミズキ!」必死に妻を励ましているルドルフの傍らには、銃弾を浴びて息絶えている樹の姿があった。「樹が・・わたし達の娘が、死んでしまった・・」「大丈夫だ、お前は助かる。助かるから・・」蓉とセシェンは、呆然とその光景を眺める事しか出来なかった。 凶弾に倒れた瑞姫は一命を取り留めたが、脊椎を激しく損傷し車椅子生活を余儀なくされた。「ミズキ、わたしだ、わかるか?」ルドルフが病室で目覚めた瑞姫の手をそっと握ると、彼女はゆっくりと目を開けてルドルフを見た。「あなた、わたしもう歩けないの?」瑞姫の言葉に、ルドルフは力無く頷いた。「イツキの事は、残念だ。」夫の言葉で、瑞姫は全てを悟った。彼女は彼の胸に顔を埋めて嗚咽した。にほんブログ村
Feb 24, 2011
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ベルギーから戻った蓉からメモを受け取った翌日、セシェンは彼が居るマイヤーリンクの狩猟小屋へと向かっていた。そこはかつて、蓉の父・ルドルフが所有していたもので、ルドルフが蓉の成人祝いに狩猟小屋を彼に贈ったのだった。蓉はストレス解消の為、狩猟のシーズンになると1人でマイヤーリンクで毎年過ごしているが、父との衝突が起きて以来、彼はウィーンに戻るなり家族と顔を合わせることもなく、すぐさまマイヤーリンクへと向かった。彼は暖炉に燃える薪をじっと見つめながら、足を組み変えた。ベルギーでアマーリエ王女と一度会ったが、彼女は友人としては良い付き合いが出来ると思ったが、人生の伴侶―妻として共に生きるには無理だ。彼女がもし、自分が同性愛者だと知ったら、父と同じように偏見と侮蔑の籠った真紅の瞳で見るのだろうか。同性愛者と両性具有者といったマイノリティーに属する者達に対する社会的権利が得られるようになった今日でさえ、未だ彼らは偏見と差別の目に晒されている。 カトリック圏が多い欧州に於いて、蓉を含む同性愛者達は白眼視され、時に虐殺の対象となった時代があった。それは今でも変わらない。(セシェン・・)ふと蓉の脳裡に、中東の国から来た異国の少年の姿が浮かんだ。 争乱の絶えぬ祖国から離れ、風習も宗教も知らぬ異国で家族も友人も居ずに宮廷で暮らす彼が最初哀れに思えて、蓉は彼に話しかけると、たちまちセシェンと意気投合し、友人として付き合うようになった。彼と一線を越えたのは昨年の、今日のような吹雪の日だった。 あの衝突が起こる前に、ルドルフとの間でぎくしゃくとしていた蓉は閉塞感に耐えきれず、セシェンを誘ってこの狩猟小屋へと来たのはいいが、寒波の影響で車が動かせず、一夜を共に過ごすことになったのだった。1個のパンを2人で分け合う内に、どちらからともなく互いに唇を塞ぐと、後は流れに任せるようにして肌を重ねた。「ヨウ様、お待たせいたしました。」不意にドアが開き、毛皮のコートを纏ったセシェンが部屋に入って来た。「よく来たね。」「あの、本当にアマーリエ様とご結婚なさるんですか?」「さぁ、解らないな。彼女は友人としては最高だが、妻には出来ない。その意味、判るだろう?」蓉の言葉に、セシェンは頷く事しか出来なかった。 今彼がどんな気持ちでこんな寂しい場所に居るのかが、セシェンには解っていた。意に介さぬ結婚を強いられようとしている蓉の心が、折れる寸前であるということを。「お前は、これからどうするつもり? ウィーンを離れるの?」「いいえ。わたしには帰る場所がもう、ありません。それはリーシャ様がわたしの手を離された時から解っておりました。」「そう。それじゃぁ俺も、君の手を離さないようにするよ。俺達の恋が、悲劇に終わらないように。」「ええ。」セシェンはにっこりと蓉に微笑むと、彼に微笑み返した。「ヨウは何故あんな陰気な所が好きなんだろうな?」ルドルフはそう言って溜息を吐くと、隣に座っている妻を見た。「あなただってあそこが好きでしょう? それよりもアマーリエ王女はどうでしたの?」「彼女は嫁として迎えるには申し分ないよ。ただ、彼女の兄に多少問題がありそうだが。」「そうですか。レオンハルト王子とアマーリエ王女との間には以前良からぬ噂が流れたこともありますし・・急ぐ必要はないんじゃないかしら?」瑞姫がそう言ってルドルフを見ると、彼は少し不機嫌そうな顔をした。「そうだな、あんな無礼者が親戚になるなんて想像するだけでも身の毛がよだつよ。」「あなた、蓉のことが心配なの?」「答える必要はない。」「意地っ張りね、あなたって人は。」瑞姫はそう言うと、ルドルフにしなだれかかった。にほんブログ村
Feb 22, 2011
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アマーリエ王女と蓉は、女官達が用意してくれた紅茶とクッキーを楽しみながらそれぞれ互いの趣味などについて話していた。「ヨウ様は、和楽器をお弾きになられるの?」「ええ。母が嫁入りのときに持ってきた筝を時々触る程度ですが。何でしたら今度お聞かせ致しましょうか?」「まぁ、是非お聞きしたいわ。その時はウィーンにいらしても宜しいかしら?」アマーリエ王女はちらりと蓉の隣に座っているルドルフを見ると、彼はにっこりと微笑んだ。「ええ、勿論構いませんよ。妻にもあなたを紹介したいので、大歓迎です。」「そう・・嬉しいですわ。」アマーリエ王女がそう言って紅茶を一口飲んだ時、部屋に突然蒼い軍服を纏った青年が入って来た。 ヘーゼルの短い髪を靡かせ、翠の瞳を煌めかせながら彼はアマーリエ王女と蓉を見た。「アマーリエ、何処に行ったのかと思ったら、こんな所に居たのか。」「あら、お兄様。ノックをしてくださいな。ヨウ様、こちらは兄のレオンハルトですわ。」「初めまして、ヨウです。」蓉が立ち上がって青年に向かって右手を差し出したが、彼は顔を強張らせたままその手を握ろうとはしなかった。「ふぅん、君がヨウか。噂は聞いているよ。何でも、妻子持ちの男に迫って誑かしたとか? 綺麗な顔をして、やることはやるよね?」あからさまなベルギー王子の嫌味に蓉は動じなかったが、彼の隣座っていたルドルフが荒々しく椅子を引いて立ち上がった。「ベルギー王家の一員ともあろう者が、無礼な口を利くとはな。これだから田舎者は無教養だから困るな。」「田舎者とは失礼な。女性問題が絶えなかったあなたには言われたくはありませんね。」「何だと!?」ルドルフの顔が怒りで赤く染まり、蒼い瞳で射るようにレオンハルトを見ると、彼はそれに怯むことなく睨み返してきた。「お兄様、ノックもせずに入って来て何かわたくしにご用なの? なければ後でお話をお聞きいたしますわ。」険悪な空気を感じ取ったのだろう、アマーリエ王女はそう言ってレオンハルトに退室をさりげなく促すと、彼は舌打ちして部屋から出て行った。「随分と無礼な兄上が居たものですね。あなたとは大違いだ。」レオンハルトの登場により気分を害しているルドルフは、憮然とした顔をしてアマーリエ王女に対して嫌味を言うと、椅子に腰を下ろした。「兄の事はわたくしに免じて許してくださいませ。兄とわたくしは2人きりの兄妹でしたから、急にわたくしの縁談が持ち上がって気に入らないのでしょう。」「まぁ、彼とは親戚にならないのだからいいですが。」「父さん、機嫌直してくれよ。すいません・・」「いえ、こちらの方に非があるのですから、謝るのはわたくしの方ですわ。」アマーリエ王女と蓉は次に会う約束を取り付け、彼は父・ルドルフとともにラーケン宮を後にした。「全く、同じ血を分けた兄妹でありながらあんなに性格が違うとはな。まぁ、アマーリエ王女はハプスブルク家の嫁としては申し分ない。」「父さん・・」ウィーンへと帰る機内で、レオンハルトの事で未だに不機嫌なルドルフを見て、蓉は溜息を吐いた。「ねぇ父さん、アマーリエさんは良い人だけれど、結婚は出来ない。」蓉の言葉に、ルドルフは何も返さなかった。 一方ウィーンでは、セシェンがルドルフと蓉の帰りを待っていた。「また兄様の帰りを待っているの?」背後から肩を叩かれて振り向くと、そこには樹(いつき)が立っていた。「はい。」「あなたって、本当に蓉兄様の事が好きなのね。お父様はあなたの事を嫌っているようだけれど。」「ええ・・」セシェンがそう言った時、ルドルフと蓉が向こうから歩いて来たので、彼は2人に軽く会釈した。蓉はすれ違いざまに、そっとセシェンの手を軽く握ると去っていった。 自室に戻ったセシェンは、そっと蓉から渡されたメモを開いた。“明日の午後2時に、いつもの場所で。”にほんブログ村
Feb 21, 2011
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「蓉とちゃんと向きあってよ、父さん! そうしないとあいつ駄目になっちゃう!」遼太郎の言葉に、ルドルフは全く耳を傾けようとしなかった。「あいつはまだ部屋に引き籠っているのか?」「ああ。それがどうしたの?」「あいつに縁談があってな。近々ベルギーにあいつを連れて行くことになった。」「そんな・・父さん、まだ蓉に結婚なんて早いだろう!」「あいつは結婚したら、男を誑かすことなどしないだろうよ。これはもう決まった事だ。」遼太郎は淡々とした口調で弟の縁談を自分に告げる父の顔が冷たいことに気づき、いくら母や自分達が彼を説得しても蓉の縁談は本人とは関係なしに進んでしまうだろうと思った。「相手は?」「今年16歳になるアマーリエ王女だ。写真を見るか?」ルドルフは縁談の話になると急に上機嫌になり、机の上に置かれている釣書を遼太郎に手渡した。 中を開くと、そこにははにかんだ笑みを浮かべた金髪の姫君が映っていた。宝石のような美しい真紅の双眸からは、柔らかい光が放たれているかのように見えた。「どんな方なの?」「朗らかな性格だそうだ。ヨウはわたしに似ているから、彼女ならあいつを陰に日向に支えてくれることだろう。」「もし、蓉がこの縁談を断ったら?」「それは出来ないと言っただろう? たとえあいつが男を愛しているとしても、わたしは絶対に認めない。リョータロウ、お前も良い年だからそろそろ身を固めないとな。」「そんな・・まだ僕は結婚なんか考えていないよ。」ルドルフの執務室から出て行った遼太郎は、溜息を吐きながら廊下を歩いた。「皇太子様。」遼太郎が背後を振り向くと、そこには薔薇色のドレスを着たセシェンが立っていた。「どうしたの、セシェン?」「あの、ご結婚なさるというのは本当ですか?」「今は結婚しないよ。」「そう・・ですか・・」遼太郎の言葉に、セシェンは安堵の表情を浮かべた。「ヨウ様は、どうされておられますか?」「あいつなら、まだ部屋で休んでいるよ。肋骨が折れていたからね。父さんも酷い事をするよね・・」遼太郎は溜息を吐いてセシェンを見ると、彼は陰鬱な表情を浮かべていた。「ヨウ様は、望まぬ結婚をなさるのでしょうか? そうなさったら、不幸な結果を生んでしまうのに・・」「君は優しいね、セシェン。不幸な結婚をしてしまった事を、父さんはもう忘れてしまっているんだよ。蓉に、自分と同じような目に遭わせようとしていることもね。」ルドルフが蓉に縁談のことを話すと、彼はそれを拒否した。「父さん、俺は誰とも結婚したくない。お願いだからやめて!」「ヨウ、お前の我が儘が通る程、世間は甘くないんだ。」「父さんは最初の結婚が幸せじゃなかったって言ってたじゃないか!」「わたしとシュティファニーとの結婚は失敗に終わった。ヨウ、アマーリエ王女と一度会ってみろ。」「わかったよ・・会うだけだよ、いいね?」数日後、蓉は肋骨の傷が癒えぬまま、ルドルフと共に縁談相手のアマーリエ王女に会いにブリュッセルへと向かった。「アマーリエ様、ヨウ様がお見えになられましたよ。」女官の声で、部屋に入って来た蓉を見ようと、アマーリエ王女は読んでいた本から顔を上げた。最高級のピジョン・ブラッドのような美しい真紅の双眸に、蓉は一瞬にして魅せられた。「初めまして、蓉です。」「アマーリエです。お会いできて嬉しいわ。」そっと蓉がアマーリエの手を握ると、彼女ははにかんだような笑みを浮かべた。にほんブログ村
Feb 19, 2011
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「ねぇ、陛下が昨日ヨウ様を・・」「ええ、知っているわよ! なんでも、ヨウ様が妻子ある男を誑かしたとか・・」「まぁ、本当なの!?」「昨日は大変な騒ぎだったわよ。陛下はゴルフクラブでヨウ様を容赦なく打ち据えられたし、皇妃様が慌てて間に割って入ったものの陛下の怒りが収まらなかったとか。」「それにしてもヨウ様が同性愛者だっただなんて・・そろそろ適齢期なのにどうするのかしら?」「さぁ・・ただ陛下はヨウ様の事をここから追い出すおつもりらしいわよ。」今日もまた、女官達が廊下で噂話に花を咲かせているのを、遼太郎は聞いてしまった。 昨日の出来事は、瞬く間に女官達によって広まってしまい、蓉は自室に引きこもり、ルドルフは蓉への怒りが収まらず彼を皇籍から抜こうとしている。遼太郎は、弟が同性愛者であった事を知っても何も驚きはしなかった。物ごころついた頃から共に今日まで過ごしてきたので、弟の初恋相手が同性だったとしてもそれは当たり前だと思っていた。だが、周囲の者はそうは思わないらしい。「お兄様、こちらにいらしたの?」制服姿の樹がそう言って遼太郎の方へと駆け寄って来た。「樹、学校はどうしたんだ?」「今日は短縮授業だから早く終わったの。蓉兄様は?」「あいつなら部屋で休んでいるよ。暫くそっとしておいてやろう。」「ええ。」樹は少し不服そうな様子だったが、自分の部屋へと向かった。 遼太郎が蓉の部屋へと向かうと、瑞姫が溜息を吐きながら全く手がつけられていない食事が載せられたトレイを見ていた。「母さん、蓉は相変わらずなの?」「ええ。昨夜から何も食べていないのよ。わたしが話しかけても何も答えない。もう、どうしたらいいのか解らないわ・・」瑞姫はそう言って涙を流した。「母さん、部屋で休んで。僕が話してみるよ。」「そう、お願いね。」瑞姫の姿が廊下の角に消えて行くことを確かめた遼太郎は、ゆっくりと蓉の部屋のドアを叩いた。「蓉、いるのか?」「兄さん・・入って。」遼太郎が蓉の寝室には入ると、彼は呻きながらベッドから起き上がった。端正な顔のところどころには、ルドルフから受けた打擲の痕が痛々しく残っていた。「大丈夫、痛くないか?」「うん・・でも脇腹が痛くて堪らなくて・・息を吸うだけでも苦しいんだ。」蓉はそう言って脇腹をパジャマの上から擦って顔を顰めた。「ちょっと見せて。」パジャマの上着を捲ると、脇腹は異様なまでに赤紫色に腫れあがっていた。「肋骨が折れているかもしれないから、病院に行こう。」「そんな・・大したことないって。」「大したことあるって! 早く行かないと手遅れになるよ!」遼太郎が蓉を連れて病院へと向かうと、そこで蓉が肋骨を骨折していることがわかった。「暫く安静してくださいね。」診察室から出た蓉は苦しそうに息を吐いた。「大丈夫か?」「脇腹がまだ痛いよ。」「家に帰って休め。」「ごめん兄さん、迷惑かけて・・」蓉は痛み止めを飲んでベッドに横になって目を閉じた。「父さん、話があるんだけど、いい?」「ヨウは今どうしている?」「寝てるよ。あいつ、肋骨が折れてたから病院に連れて行ったよ。父さん、肋骨が折れるまで殴るようなことを、あいつがしたっていうの?」「お前は何も解っていないんだ。わたしは正しいことをしただけだ!」「体罰が正しいの? 蓉は深く傷ついているんだよ!?」遼太郎はそう言ってルドルフを睨んだ。にほんブログ村
Feb 18, 2011
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「違うよ、父さん。俺とあの人は真剣に愛し合っているんだ。誤解しないで・・」蓉がそう言ってルドルフに近づこうとした時、鈍い衝撃が頬に走った。「お前は、何ということをしてくれたんだ!」ルドルフは汚物を見るかのような目で蓉を睨み付けると、彼の胸倉を掴んだ。「やめて、ルドルフ様、やめてください!」ルドルフの怒声を聞きつけた瑞姫が、慌てて2人の間に割って入った。「離せミズキ、こいつはハプスブルク家の恥だ!」「やめてください、暴力だけは!」瑞姫は自分を振り払おうとするルドルフを必死に抑え、呆然としている蓉を見た。「父さん・・?」いつもルドルフの事を、蓉は心から尊敬していた。自分を心から愛してくれている父の事を。だが、今自分の前に立っているのは、そんな父ではなかった。同性愛者である自分を心底蔑んだ目で自分を見つめている唯の男だった。「お願い、そんな目で見ないでよ・・」蚊の鳴くような声で蓉がそう言うと、ルドルフはそれを聞いて鼻で笑った。「わたしが今、どんな思いでいると思う? 自慢の息子が同性愛者だと知って絶望している父親の気持ちが、お前に解るというのか!?」「そんな・・」ルドルフの言葉を聞き、蓉は目の前が真っ暗になった。もうそれ以上彼の言葉を聞きたくなくて、蓉は堪らず部屋を飛び出した。「ヨウ、待て!」「ルドルフ様、お願いですからあの子をそっとしておいて!」「そっとしておけだと? お前はあいつが道を踏み外すところをわたしが黙って見ていろとでも言うのか!?」怒気を孕んだ蒼い瞳でルドルフが瑞姫を睨み付けると、彼女はルドルフを見た。「そんな事を言っていません。あなたは蓉の話をちっとも聞かず、自分の意見を押し付けてばかり! お願いだからあの子の話を聞いてあげて。あの子を否定するということは、わたしを否定するということと同じなのよ!」妻の必死の訴えにも、ルドルフは耳を貸そうとはしなかった。「これ以上お前の戯言に付き合っていられるか!」ルドルフは瑞姫を乱暴に振り払うと、部屋から出て行った。「待って、あなた!」瑞姫が必死にルドルフの後を追うと、彼は蓉を庭園にある東屋から引き摺りだしているところだった。その片手には、ゴルフクラブが握られていた。「父さん、止めて!」「煩い!」怒りで興奮したルドルフは、ゴルフクラブを振りあげると、それを蓉の顔めがけて思い切り振りおろした。唇が切れ、口の中に鉄錆の味が広がるのを蓉が感じたのも束の間、ルドルフに髪を掴まれ彼は情け容赦なくゴルフクラブで打ち据えられた。「止めて、止めて頂戴! それ以上したら蓉が死んでしまうわ!」瑞姫はそう叫ぶと蓉を包み込むように抱き締めた。「そこを退け、ミズキ! お前も殴られたいのか!?」「いいえ、退きません! 実の息子に何て酷い事を!この子は人様のものを盗んだり、命を奪ったりしていないのに!」「わたしにはわたしのやり方があるんだ、お前は口を出すな!」「やめろよ父さん、やめろったら!」遼太郎がルドルフの背後に回り、ゴルフクラブを彼から奪った。「この親不孝者め、わたしは絶対にお前を許さないからな!」ルドルフは遼太郎に引き摺られながらも、地面に蹲る蓉に向かって悪態を吐いた。「母さん、俺は悪い事なんかしてないのに・・」「解っているわ、蓉。あなたは何も悪くない。それはわたしが一番知っているわ。」自分の胸で嗚咽する息子の髪を、瑞姫は何度も何度も梳いた。「蓉兄様は?」「今落ち着いて眠っているわ。」アイリスはドア越しに寝台に横たわる蓉を見た。「お父様、酷いじゃない! あんなに蓉兄様を殴るだなんて・・」アイリスは涙を堪えながら、蓉の部屋を出た。(父さん、どうして・・)父に殴られたショックと、何よりも父に拒絶された心の痛みに、蓉は涙を流した。にほんブログ村
Feb 16, 2011
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瑞姫が四男・麗を出産して自室で休んでいると、蓉が部屋に入って来た。「母さん、少し話があるんだけど、いい?」「いいわよ。麗はまだ寝ているから。」そう言ってベビーベッドで寝ている麗を起こさぬように、瑞姫はそっとドアを開けて部屋から出て行った。「どうしたの?」「俺、恋人とデートしてたって言ってたろ? その事で・・」彼が何か隠していることを知った瑞姫は、そっと彼の手を取り、人気のないアウグスティーナへと向かった。「ここでお話しなさい。」瑞姫と蓉が信徒席に腰掛けると、蓉はポツリポツリと話しだした。「その恋人は、男なんだ・・」息子の言葉に、瑞姫は瞠目した。 今や自分と同じような両性具有者や同性愛者が稀有ではなくなった時代となったが、少数派である彼らが差別と偏見を受けていることは紛れもない事実であり、蓉が母親にカミングアウトすることへの葛藤が彼女は容易に想像できた。「相手の方は、どんな方なの?」「俺よりも10歳年上なんだ。結婚はしてたけど、奥さんとの間に子どもが出来なかったから離婚したって。彼は子どもを作りたくなかったのに、しつこく子どもを望む奥さんが鬱陶しくなったんだって。」「そう。それであなたは、彼とどうしたいの?」「出来れば一緒に・・ちゃんと“夫婦”として暮らしたいと思っているんだ。でも・・でも俺・・」「不安なのね? お父様達に知れたらって・・」蓉の震える手を、瑞姫はそっと握った。「この事、父さんには言わないで!」「わかったわ。誰にも言わない。さぁ、安心してお休みなさい。」「ありがとう。」蓉はさっと信徒席から立ち上がると、アウグスティーナから出て行った。(あの子が幸せになれるといいけれど・・こればかりは、親が出る幕ではないわね。)昔は小さかったが、今は逞しいものへと変わった息子の背中が見えなくなるまで、瑞姫は彼の背中を見送っていた。 翌朝、視察から戻ったルドルフと遼太郎は、朝食の席に蓉の姿がないことに気づいた。「ミズキ、ヨウはどうした?」「あの子なら部屋で食べると言ってましたわ。それよりも、視察はどうでしたの?」「普通だったよ。それよりもそろそろ蓉に結婚相手を探さなければな。あいつも18だし、いい年頃だ。」「まぁあなた、そんなに急かしてはいけないわ。あなただって、早すぎる結婚をして失敗したではありませんか?」「それもそうだな。」ルドルフはそう言って一口オレンジジュースを飲んだ。 その時、ダイニングにロシェクが入って来た。「陛下、ヨウ様にお会いしたいと言う方が・・」「ヨウに? こんな朝早くに何の用だ?」「それが・・」ロシェクが次の言葉を継ごうとした時、女性が彼の背後から現れるとダイニングに入って来た。「何処に居るの、わたしの夫を寝取った奴は!」女性の突然の登場と、彼女が発した言葉で、ダイニングは瞬時に凍りついた。「あの、息子に何か・・」「ええ。あんたの息子が、わたしの夫を誑かして奪ったのよ! 彼と話がしたいのよ!」「そうですか、少しお待ちくださいな。」瑞姫が蓉を呼ぼうと椅子から立ち上がろうとすると、ルドルフがそれを阻んだ。「ヨウはわたしが呼んでくる。」「ルドルフ様・・」ルドルフが蓉の部屋に入ると、彼はソファに寝転んでいた。「ヨウ、起きろ。」「父さん、どうしたの?」「お前、男を誑かしたっていうのは本当か?」蓉は、ルドルフの言葉を聞いて絶句した。「どうなんだ?」冷たく射るような目で、彼は初めて父親に睨まれた。にほんブログ村
Feb 16, 2011
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2030年1月29日未明。「何でこんな時に、お父様は視察なの?」「仕方ないでしょう、お仕事なのだから。」臨月の腹を抱えた瑞姫は、そう言ってぶぅたれる樹(いつき)を宥めた。ルドルフは遼太郎とともにブタペストで2週間前から視察へと赴いており、蓉と双子の姉達はそれぞれ恋人と旅行へ行って居て留守だ。王宮のダイニングには、瑞姫と樹の2人だけが座っていた。樹は、大きく迫り出し、今にもはち切れんばかりの瑞姫の腹を見て、本当に自分が母の出産を立ち会うのかと、父と口論した日の事を思い出していた。 父に突然部屋に呼び出され、母の出産に立ち会って欲しいと言われた後、樹は必死にそれを拒んだ。「どうしてわたしなの? アイリス姉様達に立ち会って貰えばいいじゃない!」「母様にはお前に、と言っているんだよ。そんなに嫌なのか?」「血を見るのが嫌なの!」以前学校の保健体育の授業で、出産のビデオを観たことがあった。陣痛に苦しみながら呻く産婦の股間から滴り落ちる血の赤さに、樹はショックを受けて気絶してしまった。あんな光景を、目の前で見たら吐いてしまうかもしれない―だから出産には立ち会えないと何度も父に言ったのに、“甘えるな”と彼は一方的に言うばかりだった。「ねぇお母様、わたしどうしても出産に立ち会わなくちゃいけないの?」「いいえ。あなたが嫌なら、立ち会わなくてもいいのよ。」瑞姫はそう言って、樹に微笑んだ。「さてと、もう寝ましょうか?」「ええ・・」瑞姫がゆっくりと椅子から立ち上がろうとした時、彼女は下腹に張りを感じて蹲った。「お母様、どうしたの?」樹が慌てて瑞姫に駆け寄ると、彼女の足元には水たまりが出来ていた。破水したようだ。「樹・・部屋に運んで。」「う、うん・・」瑞姫に肩を貸しながらも、樹は何とか叫びだしたい気持ちを抑えながら彼女を寝室へと連れて行った。すると彼女は、下着を脱いで椅子に座ると息み始めた。「ねぇ、何しているの? お医者様呼ばないと・・」「樹、赤ちゃんはあなたが取り上げて。他のみんなはお湯を沸かして清潔なタオルを用意して頂戴。」陣痛に呻きながらも瑞姫は王宮に入って来たばかりの若い女官達にてきぱきと指示を出していた。「ど、どうすればいいの? 今まで赤ちゃんを取りあげたことなんかないの! 無理よ!」「やってみないと判らないでしょう? こっちに来て。」何が何だか解らぬまま、樹は母の前に跪き、子宮口から時折のぞく胎児の頭を恐る恐る見ていた。それが徐々に下に降りてゆくのを感じた彼女は、慌てて両腕を前に突き出した。「頭が・・出て来たわ!」「そう。」次の瞬間、ズルリと母の胎内から赤ん坊が出て来たので、樹は悲鳴を上げた。赤ん坊は耳を劈くような、大きな声で泣き始めた。そのへそには、10ヶ月間母と子を繋いでいた絆が結ばれていた。「皇妃様、博士がいらっしゃいました!」女官の1人がそう言って、瑞姫の主治医を連れて部屋に入って来た。彼は呆然としている樹が赤ん坊を抱いているのを見て、にっこりと笑った。「元気な男の子です、おめでとうございます。」そう言って主治医は臍の緒をメスで器用に切ると、赤ん坊を瑞姫に抱かせた。その瞬間、樹は滂沱の涙を流していた。生命の誕生は、気持ち悪くなんかない、尊いものなのだと、彼女は初めて知った。頭がぼうっとしていて、吐き気も催さなかった。その代わりに、自分も出産を体験したいとさえ、樹は思い始めるようになったのだった。2030年1月30日、四男・麗(れい)の誕生により、甘えん坊だった末娘・樹は少し成長したかのように瑞姫は見えた。にほんブログ村
Feb 14, 2011
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「俺、アメリカで俳優として活動したいんだ。」聖の言葉を受け、瑞姫はじっと彼を見てこう言った。「・・あなたがいつかそう言うと思っていたわ。」聖がロンドンの演劇学校を首席で卒業した事を瑞姫は知っていたし、その卒業公演を観て彼はいつか必ず広い世界に飛び出すだろうと彼女は予想していた。「この事は、お父様には?」「さっき話したよ。でも黙ってた。」「そう。聖、あなたが本気でそう思っているのなら、死ぬ覚悟で頑張りなさい。どんなに辛くても、周りに甘えても、当たり散らすような事は絶対にしないこと。それが出来る?」真摯な光を宿した義母の瞳を、聖はまっすぐに見つめた。「出来るよ。俺、死ぬ気で頑張る。」「そう・・」瑞姫はそう言うと、椅子からゆっくりと立ち上がって聖を抱き締めた。「聖、あなたがわたし達の元を離れてしまうのは辛いけれど、あなたが選んだ道を歩くというのならわたし達は何も反対しないわ。アメリカで頑張っていらっしゃい。」「ありがとう、母さん。俺、父さんと母さんに育てられて良かったよ。あの時母さん達に引き取られていなかったら、今の俺はなかった。」聖はそう言って涙を流した。「わたしも、あなたを育てて良かった。あの頃のあなたはいつも怯えて、どこか悲しそうな目でわたしとルドルフ様が子ども達と遊ぶ姿を見ていたわね。夜になるといつも泣いていたわ。」「もう昔の話だよ。」「そうね。もうあなたはわたし達が居なくても大丈夫。」聖は瑞姫と抱擁を交わすと、部屋から出て行った。「聖、本当にアメリカに行くのか?」廊下を歩いていると、遼太郎が話しかけて来た。「ああ。向こうでオスカーを取るまで頑張るよ。」「そうか。」遼太郎はそう言うと、聖に微笑んだ。「たまには手紙をくれよ。あと、映画のチケットは無料でくれよな。」「ああ、解ってるよ。」こうしてホーフブルクから、聖はハリウッドへと旅立った。旅立ちの朝、瑞姫とルドルフは笑顔で聖を送りだしたが、彼の姿が見えなくなると瑞姫は嗚咽した。「割り切ろうとしたけれど、駄目みたい・・」「ミズキ、お前はいい母親だよ。あの子がいなくなる毎日なんて、わたしも考えられないよ。」ルドルフはそう言って自分の胸に顔を埋めて泣いている妻の黒髪を何度も優しく梳いた。 聖がアメリカへ発ってから数日が経ち、瑞姫はルドルフとともに健診を受けに産婦人科クリニックを訪れていた。「胎児の発育は順調ですよ。逆子の心配もありませんし。」「そうですか。」クリニックを出た瑞姫は、妊娠7ヶ月を迎えた下腹を擦った。「あと数ヶ月で産まれてくるな。」「ええ。ルドルフ様、樹に出産に立ち会って貰いたいんですけれど・・」「わかった、わたしから話しておこう。」ルドルフは夕食後、樹を部屋に呼び出した。「お話ってなぁに、お父様?」「イツキ、ミズキの出産に立ち会って貰いたいんだが・・」「嫌よ、そんなの! 血とかうんことか出るんでしょう? そんなの見たくなんかない!」ルドルフの言葉を聞いた樹は、激しく頭を振った。「いずれはお前がそういった体験をするんだよ。」「そんな事、したくないもん! 痛いのは嫌!」そう叫ぶなり、樹は部屋から飛び出してしまった。(困ったな・・)末娘の我が儘振りに、ルドルフは思わず溜息を吐いてしまった。にほんブログ村
Feb 14, 2011
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安定期を迎えた瑞姫は、ルドルフとの夜の時間を出来る限り作った。 これまで5人の子を妊娠中の時は、皇太子妃としての務めを果たすことなどで色々と忙しく、2人きりでゆっくりと過ごす時間は皆無だった。だが子ども達は手が掛からぬ年齢に達し、時間的に余裕が持てた今、もう一度新婚時代に戻ろうと瑞姫は思い始め、ルドルフをベッドに誘った。効果はてきめんだった。皇帝としての重責に日々プレッシャーを感じつつも、そつなく公務をこなす彼が、実はとても寂しがりやで甘えん坊だと言うことを、瑞姫は知っていた。幼少期に母親の愛を充分に受けられなかった反動ゆえか、遼太郎が誕生して日々育児に追われている時彼は育児に協力してくれていたが、授乳時には時折恨めしそうに自分達を見ていたことを瑞姫は思い出していた。まるで、今まで両親の愛情を独占していた幼子が、突然下に弟や妹が誕生し、自分が蔑ろにされているのではないかと拗ねているようだった。瑞姫自身、母親の顔を知らず、継母や使用人達に蔑ろにされ、充分な愛情を受けぬままに育ったので、彼が異常なまでに自分に執着し、束縛する理由を理解した。 誰にも渡したくない、自分だけのものにしたい。出逢って恋人同士となり、夫婦となり子の親となってから、ルドルフはいつしか瑞姫を母親として見ていた。男は基本的にマザコンである、とよく言われるが、生まれて初めて接する異性が母親なのだから、それは仕方がない事であるが、ルドルフの場合は違った。彼は生まれてすぐに母親と引き離され、厳格な祖母の元で育てられた為、母親の愛情やスキンシップ、母親の手作り料理を食べたこともなければ年相応の来友達を作ることもなく、ただひたすら皇太子としての義務を幼いころから果たそうと努力してきた。しかしその反面で、自身が病弱であることについて皇帝の子なのかと悪意ある噂に常に傷ついていた。そのまま成人し、ベルギー王女と結婚してエルジィをもうけたが、不幸な結果に終わってしまった。彼は40を過ぎても未だ母親の愛情に飢えている幼子のままなのだ。瑞姫はそんな彼を、母親のように常に愛情を持って接してきたし、それは今も変わらない。(あ、動いた。)胎動を感じた瑞姫は、そっと下腹を擦った。今まで5回も妊娠・出産を経験してきたが、無事産まれてくるまで様々な事があった。今回はこれまでの妊娠とは違うのかもしれない―瑞姫がそう思いながらゆっくりと椅子から立ち上がった時、末娘の樹(いつき)が泣きながら部屋に入って来た。「母様~!」彼女はそう言って瑞姫を見るなり、彼女に抱きついた。「まぁ、どうしたの?」「ユナ姉様に結婚を止めるよう、言ってくださらない?」何を言うのかと思えば、どうやら彼女はユナが結婚する事が気に入らないらしい。「何故そんな事を言うの、樹? お姉様の結婚は止められないわ。」「だって・・わたしより先に結婚するなんて許せない! しかもあんな格好いい人と!」父親譲りの蒼い瞳を涙で潤ませながら、樹はそう叫んで瑞姫を見た。「子どもねぇ、樹は。結婚に順番なんてものはないでしょう? いい加減大人になりなさいな。」「何でよ! 中学生になって急に大人になれって言ったって無理よ! お母様の意地悪!」一方的に樹はそう瑞姫に捲し立てると、ワンピースの裾を翻し、乱暴にドアを閉めて部屋から出て行った。「全く、困った子だこと・・もうすぐお姉さんになるというのに。それにまだ大きい子どもも居るし。」瑞姫はそう言って溜息を吐いた。「母さん、さっき樹が泣きベソ掻いてたぜ。」「放っておきなさい、聖。いつもの癇癪よ。」「ったく、あいつは何時まで経っても餓鬼だよなぁ。」聖は溜息を吐きながらソファに腰を下ろした。「母さん、話があるんだけど、いい?」「いいわよ。」聖は深呼吸した後、瑞姫に次の言葉を告げるべく、翠の双眸で彼女を見た。にほんブログ村
Feb 14, 2011
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一部性描写が含まれます。性描写が苦手な方は閲覧をご遠慮ください。 セシェンがルドルフの傍に仕えるようになってから数ヶ月が過ぎ、季節は冬を迎えていたが、セシェンの元にリーシャの手紙は届いていなかった。それでも諦めずに何度かリーシャへ手紙を書いていたセシェンだったが、それらが「宛先不明」の赤いスタンプを押されて返ってくることに対して毎日一喜一憂していた。「どうしたの、セシェン?」いつものようにリーシャへの手紙が赤いスタンプを押されて返ってきたのを見て今日も溜息を吐いていると、瑞姫が部屋に入って来た。「皇妃様、リーシャ様からのお返事が来ないのです。」インペリアルトパーズの瞳を潤ませながら、セシェンは瑞姫を見た。「そう・・リーシャ様は今お忙しい時期だからお返事を書くのが遅れているのかもしれないわ。」「皇妃様、リーシャ様に出した手紙に赤いスタンプが押されて返ってきたんです。」「心配しないで、セシェン。きっと返事が来るわ。」落胆するセシェンの肩を、瑞姫は優しく叩いた。「ええ。」瑞姫がセシェンの部屋を出ると、ルドルフの執務室へと向かった。「ルドルフ様、今よろしいでしょうか?」「ああ、入れ。」「失礼致します。」執務室に入ると、ルドルフは瑞姫の下腹をじっと見た。「もうつわりの方は大丈夫なのか?」「ええ。もう治まりました。お医者様の方から、夜の生活の方も大丈夫だと・・」瑞姫はそう言うと、恥じらいの表情を見せた。「そ、そうか。」「ねぇルドルフ様、今夜辺りいかがです?」瑞姫はそっとルドルフの方へと近寄ると、彼の背中に乳房を押しつけた。「ああ。」「大分、溜まっていらっしゃるでしょう?」 その夜、ルドルフは寝室で瑞姫を待っていた。「お待たせしました。」暫くすると、ガウンを纏った瑞姫が入って来て、ガウンの腰紐を解いた。パサリとガウンが床に落ち、セクシーな黒の下着と、赤いガーターベルトを付けた彼女がゆっくりとシーツの中に入って来た。「今夜は随分と積極的だな?」「ええ。あなただって我慢していたでしょう? 知っているのよ、あなたが自分で処理しているのを。」瑞姫はそう言うと、そっとルドルフのガウンの上から彼のものをそっと撫でた。ルドルフは瑞姫のブラジャーホックを外し、彼女の乳房に顔を埋めた。「あぁ、ルドルフ様!」自分の下で喘ぐ瑞姫の顔が、何処となく嬉しそうにルドルフは見えた。「お前も、自分で処理していたのか?」瑞姫は静かに頷くと、ルドルフの頬をそっと撫でた。「ルドルフ様、あそこ舐めて・・」「わかった。」ルドルフはシーツの中に潜ると、瑞姫のものへと顔を近づけた。そこからは、下着越しにジワリと染みが出来ていた。そっとパンティを膝まで下ろすと、蜜で濡れそぼったものがルドルフを誘った。ルドルフはゆっくりと、そこへと顔を埋めた。瑞姫は甘い声で喘いだ。ビロードの舌で何度も彼女のものを舐める内に、甘い蜜のような味が広がった。ゆっくりとシーツから顔を出すと、瑞姫が火照った顔をして自分を見つめていた。「あなた、来て。」ルドルフは瑞姫の中へとゆっくりと入ってゆくと、彼女の唇を塞いだ。「腹の子どもには影響はないか?」「激しくしなければ大丈夫よ。それに、コンドームは着けているんでしょう?」「ああ。」「なら問題ないわね。さぁ、楽しみましょう、あなた?」瑞姫はそう言うと口端を上げて笑った。「望むところだ。」ルドルフは瑞姫の唇を塞ぎ、舌を互いに絡めた。にほんブログ村
Feb 13, 2011
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「皇妃様、昨夜の舞踏会であなた様の代役をあの少年にやらせたというのは、本当ですの?」 瑞姫の部屋に入るなりそう口火を切ったのは、フランツ=ヨーゼフ帝の頃から女官として王宮に居る、シュトレーゼ子爵夫人だった。「ええ、本当です。ルドルフ様に事前にお伝えしようと思っていたのだけれど、急なものでしたから・・」「仮にも皇妃様とあろうお方が、何処の馬の骨かもわからぬ異国の少年に代役を務めさせるなど、何たることでしょう!」烈火の如く怒り狂うシュトレーゼ夫人を前に、瑞姫は何も言わなかった。「そうですとも! 何故そのような事をなさったのか、わたくし達に解るように説明して下さいませ!」「あなた達、落ち着いて頂戴。わたくしが順を追って解るようにあの子の事を説明しますから。」瑞姫はそう言うと、ドアを開いた。「もう、宜しいでしょうか?」そこには、恐怖で蒼褪めたセシェンが立っていた。「まぁ皇妃様、このような少年とわたくしたちが同席せよとおっしゃるのですか?」「そんな事、嫌ですわ!」セシェンの姿を見るなり、シュトレーゼ夫人ともう1人の貴婦人がそう言って彼をまるで汚物を見るかのような目で見た。「わたくしはそのような事をあなた方に命じた憶えはありませんよ? 尤も、あなた方が宮廷内でセシェンについて悪意ある噂を撒き散らしたらわたくしも考えますけれど。」瑞姫はそう言ってニコリと笑ったが、その目は笑っていなかった。「さぁどうぞ、こちらにお掛けになって。セシェンはわたしの隣に。」瑞姫の言葉に、渋々とシュトレーゼ夫人達は椅子に腰を下ろした。「何処から話せばいいか解らないけれど、セシェンはリーシャ皇太子様から預かった大切な客人です。」「リーシャ様からお預かりしたですって?」「そんな嘘にわたくし達が騙されるとお思いですの?」「まぁ、落ち着きなさいな。」瑞姫がそう言って2人の前に置いたのは、蜜蝋が押された1枚の封筒だった。「飴色の蜜蝋だなんて、珍しいこと。一体どなたからのお手紙ですの?」「リーシャ様からのですわ。」瑞姫はペーパーナイフで封筒を切ると、中からリーシャがルドルフへと宛てた手紙を取り出し、彼女達に見せた。「まさか、そんな・・」「本当に、この子は・・」先程までの強気な態度はどこへやら、リーシャの手紙を読んだシュトレーゼ夫人とその連れの顔は次第に蒼褪めていった。「解っていただけたかしら?」彼らの遣り取りを傍で聞いていたセシェンは、瑞姫が浮かべるアルカイックスマイルに鳥肌が立った。「ではわたくし達はこれで失礼を・・」「ええ・・」シュトレーゼ夫人は瑞姫に頭を下げて彼女の部屋から出ていくと、瑞姫はセシェンに向き直った。「セシェン、あなたはもう二度とここで嫌な目に遭わないわ。安心なさい。」「は、はい・・」瑞姫の手元に、リーシャの手紙があることに気づいたセシャンは、そこにどんな事が書かれているのかが気になった。「リーシャ様の事が、気になる?」「はい・・あの方は今何処で何をしていらっしゃるのか、知りたいのです。ですが・・」「リーシャ様にお手紙をお出しなさい。そうすればきっとリーシャ様もご安心なさることでしょう。」瑞姫はそう言うと、引き出しの中からレターセットを取り出した。「わたしは寝室で休んでいるから、誰か来たらそう伝えて置いて頂戴ね。」「はい、解りました・・」いつも優しい光を湛えている瑞姫の黒真珠の双眸が、少し険しく光ったかのようにセシェンは感じた。 異国の少年は、便箋にリーシャへの想いを静かに綴り始めた。にほんブログ村
Feb 13, 2011
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リーシャが連れて来た少年・セシェンの事について周囲は良からぬ噂を流したが、瑞姫とルドルフはそれらを無視していた。だが当のセシェンは、自分が居たら皇帝夫妻に迷惑を掛けるのではないのかと思い始めていた。リーシャの元へ戻りたかったが、彼の命が狙われている中、敢えて狼の群れの中に身を投げる事はセシェンには出来なかった。“ルドルフ様に可愛がって貰うんだよ。”去り際、リーシャがそう言って自分を見つめた紫紺の瞳は、いつも自分を見つめていた慈愛に満ちた光とは違うものが宿っていた。あれが、今生の別れだと悟っているかのようなものが、彼の瞳に宿っていた。(リーシャ様・・)彼は今、国で何をしているのだろうか。リーシャとは7歳の頃に出逢ってから今日までずっと彼の傍に居たので、彼と離れて暮らすことなど初めてだった。もう二度と、彼と暮らす事は出来ない。リーシャは、セシェンを愛した故に、彼を守りたいが故に自ら今までセシェンを握っていた手を離したのだ。あの時告げた別れの言葉を今も思い出しながら、セシェンは空に浮かぶ月を見ていた。雲の切れ間に垣間見える銀色の月を、彼も見ているのだろうか。(リーシャ様、会いたい・・)セシェンは月を眺めながら、溜息を吐いた。 翌朝、瑞姫の茶会に呼ばれたセシェンは、サロンに入るなり好奇の視線を宮廷人達から浴びた。「セシェン、わたくしの隣に。」「は、はい・・」セシェンがそう言って瑞姫の隣へと行こうとした時、彼女の傍に座っていた貴婦人達が何やらひそひそと囁きを交わしていた。「彼女達の事は余り気にしないで。」瑞姫がそう言って笑うと、貴婦人達はおしゃべりを止めて気まずそうに俯いた。 その夜、セシェンは瑞姫の部屋に呼び出された。「お願いとは何でしょうか、皇妃様?」「今日ルドルフ様主催される舞踏会が開かれるのだけれど、わたしはつわりが酷くてとても出席できないの。その代わりに、あなたが出席してくれないかしら?」「わたしが、皇妃様の代役を?」「ええ、そうよ。あなたのドレスのサイズはわたしと同じだから、多分大丈夫だと思うわ。セシェン、ワルツは出来る?」「リシャール様に教えて頂いたので。」「そう、良かった。」瑞姫はそう言ってセシェンに微笑むと、隣の部屋に控えていた女官達を呼んだ。 皇帝主催の舞踏会には、白い軍服を纏ったルドルフが玉座に座っていたが、その隣にいつも座っている瑞姫の姿はなかった。―皇妃様、どうなされたのかしら?―ご懐妊中だから、お身体の調子が芳しくないのでは?―そうねぇ・・貴婦人達が扇子の陰でそう囁き合っていると、大広間にセシェンが入って来た。腰下まである長い金髪を結いあげ、ダイヤを散りばめた蒼いドレスを纏った彼は、ゆっくりとルドルフの方へと歩いていった。『陛下、皇妃様の代役として参りました。』『ミズキの代わりに、お前が?』『ええ、いけませんか?』セシェンはそう言ってニコリとルドルフに微笑んだ。四方八方から、貴族達の好奇の視線が全身に突き刺さるのを感じながら、ルドルフはゆっくりと椅子から立ち上がると、セシェンの手を取った。そのタイミングを計ったかのように、楽団がシュトラウスのワルツを奏で始めた。―まぁ、なんてこと・・―男妾が、皇妃様の代役だなんて!―許されないことだわ!たった一度のルドルフとセシェンのダンスは、一夜明けて波乱を呼び、翌朝瑞姫の元にお茶会で一緒だった貴婦人達が訪ねて来た。にほんブログ村
Feb 12, 2011
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「何をする、やめろ!」 突然自分の股間に顔を埋めたセシェンに驚き、彼の頭を退かそうとしたが、彼はルドルフのズボンの留め金を外そうとしていた。『お願いです、どうかお情けを・・』『男は抱かないと言っただろう!』ルドルフは邪険にセシェンを突き飛ばすと、彼は涙を流してルドルフに縋りついた。『わたしは、あなたの事をずっとお慕いしておりました。このまま国に戻って迫害されるよりも、あなたの元で・・・』『それくらいにしておきなさい、セシェン。』リーシャはそう言うと、ルドルフを見た。『どういう事です?』『セシェンは古代より神官を司ってきた一族の出身で、かつては隆盛を誇っておりました。しかし今、一族は異端視され、彼の両親をはじめとする親族達は殺されました。いずれは一族の生き残りであるセシェンも殺されることでしょう。』リーシャは啜り泣くセシェンの金髪を梳きながら、慈愛に満ちた紫紺の瞳で彼を見た。『その前に、彼をわたしが保護しろと?』『そういうことです。既に暗殺者の一団がウィーンに潜入したという報せを先程受けました。』『そんなに、彼は命の危険に晒されているのか?』『ええ。』リーシャが嘘を言っているのではないかとルドルフは一瞬訝しがったが、彼の顔は真剣そのものだ。『わかった、彼を保護しよう。リーシャ殿はどうするつもりだ?』『わたしは国に戻ります。陛下、セシェンを宜しく頼みますよ。』リーシャが執務室から出ようとした時、セシェンが彼を抱き締めた。『リーシャ様・・』『ルドルフ様に可愛がって貰うんだよ。』インペリアルトパーズの瞳を潤ませながら、セシェンはリーシャと別れた。執務室の扉が閉まった後、セシェンはゆっくりと立ち上がり、ルドルフを見た。『ルドルフ様、皇妃様にお会いしたいのです。』『ミズキに? 何故だ?』『リーシャ様が、皇妃様はとても嫉妬深い方だと聞きました。殺されない前にわたしの口から事情を話そうと思いまして・・』リーシャがどんなふうにセシェンに瑞姫の事を吹き込んだのかは知らないが、彼の誤解を解かなければならない。『わかった。ミズキに会わせよう。』 ルドルフがセシェンを連れて瑞姫の部屋へと入ると、彼女は丁度女官達とおしゃべりをしていた。「まぁあなた、どうなさったの?」「ミズキ、彼の事で話したい事があるんだ。」「そう。あなた達、お下がりなさい。」「は、はい・・」女官達を下がらせた後、瑞姫は夫の隣に立っているセシェンを見た。『あなた、お名前は?』『セシェンと申します、皇妃様。あの・・決して陛下をあなた様から奪うつもりは・・』セシェンの言葉を聞いた瑞姫はくすくすと笑うと、彼を見た。『大丈夫よ、わたしはあなたを取って食おうだなんて思っていないから。リーシャ様に何を吹き込まれたのかは知らないけれど。』瑞姫はセシェンが何故ルドルフの“贈り物”としてリーシャとともにオーストリアに来た理由を聞くと、セシェンを見てこう言った。『ルドルフ様は少し気難しくて近寄りがたい方でもあるけれど、本当は優しい方よ。』『良かったぁ、怖い方ではなくて。』『あら、そうかしら? ルドルフ様には何を考えているのか解らないとおっしゃられているのよ。ねぇ、ルドルフ様?』『わたしに話を急に振らないでくれないか?』ルドルフが困ったような顔をして2人を見ると、彼らはくすくすと笑った。こうしてセシェンはウィーン宮廷で暮らすこととなったが、突然ルドルフの傍に女と見まがう程の美少年が現れたことにより、口さがない女官達は彼の事を陰でこう言うようになった。“皇帝の男妾”と。にほんブログ村
Feb 11, 2011
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「お父様、お母様、会わせたい方がいるの。」エルジィはユナが縁談相手にあったその日の夜、そう瑞姫とルドルフに話を切りだした。「そうか。明後日でもいいからその人をここに連れて来なさい。」ルドルフはそう言って、娘の幸せそうな顔を見た。 数日後、エルジィは最近職場で知り合った恋人・ペツネックを連れてダイニングへと入った。「あなたが、ペツネックさんね? エルジィからは色々と聞いているわ。」瑞姫がそう言ってペツネックに微笑むと、彼は恥ずかしそうに俯いた。「お姉様、ペツネックさんとご結婚なさるの?」「ええ。すぐにとはいかないけれどね。子ども達も彼によく懐いているし・・」「そう。幸せになってね。」瑞姫はルドルフと顔を見合わせると、嬉しそうに笑った。「エルジィ、本当に僕でいいのかい?」「いいのよ。わたしはあなたと結婚したいの。」「そうか・・」皇族ではないとは言え、エルジィがルドルフの娘であることには変わりはなく、ペツネックはそんな彼女を妻に迎えてもいいのだろうかと不安に思っていた。「今度、両家の食事会を開かないか?」「いいわね、そうしましょう。」ペツネックとエリザベートによって開かれた両家の食事会は、和気藹藹とした雰囲気の中で行われた。ペツネックの両親はエルジィを気に入っており、4人も孫が出来るだなんて今から楽しみだと言うくらい、息子の結婚を心から喜んでいた。エルジィに離婚歴があるということを彼らは知っていたが、息子の幸せそうな顔を見ているとそんな事など気にしない方がいいと彼らは思うようになっていた。「向こうのご両親、良い方でよかったわね。」「ああ。エルジィは本当の幸せを手に入れることができるだろうな。」ルドルフはそう言うと、瑞姫を抱き締めた。「どうしました、急に甘えて?」「ミズキ、7人目がそろそろ欲しくないか?」ルドルフは瑞姫の乳房を揉むと、彼女は彼にしなだれかかった。 数ヵ月後、エルジィはペツネックと再婚した。以前の結婚生活とは違い、ペツネックは家庭的な人間で、エルジィと共に仕事と家事、育児を両立させ、子ども達と休みの日には遊んだりしていた。「エルジィ、本当に良い人と巡り会えたわね。」「ええ、お母様。ペツネックはフランツ達と血が繋がらなくても自分の子どもとして育ててくれているの。わたし、彼と出逢えて良かったわ。」「そう。神様がきっと、頑張っているあなたとペツネックさんを巡り合わせてくださったのね。」瑞姫がそう言って紅茶を飲もうとすると、彼女は吐き気に襲われて慌てて口元を覆った。「お母様、もしかして妊娠したの?」「ええ。お父様がそろそろ7人目が欲しいっておっしゃってね。わたしも子育てが一段落した頃だし、いいかなぁと思ってお父様のお誘いに乗ったのよ。」瑞姫はエルジィに微笑むと、下腹を擦った。「陛下、リシャール様が陛下にお目通り願いたいと・・」「わかった。」ルドルフが執務室で仕事をしていると、セシェンを連れたリシャールが執務室に入って来た。『ルドルフ様、セシェンはお気に召しませんでしたか?』『気に入るも何も、その者と交わる気はない。』『そうですか。それよりもエルジィ様のご再婚、おめでとうございます。』『ありがとう。リシャール、まだ国には戻らないのか?』『ええ。我が国は混乱を極めておりますから。それよりもルドルフ様、セシェンのことでお話がございます。』リシャールはルドルフの耳元で何かを囁いた。『お前は一体、何を考えているんだ?』ルドルフはそう言うと、リシャールを睨みつけた。だが彼は涼しい顔をしてこう言った。『セシェンはあなたの事を密かに慕っておりました。一度だけでもいいのです、彼を抱いてやってください。』その言葉を聞いたセシェンが突然ルドルフの前に跪くと、彼の股間に顔を埋めた。にほんブログ村
Feb 10, 2011
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「ユナ、お前に縁談があるんだが・・」「え、わたしに縁談?」エルジィと子ども達、兄妹達と共に夕食を囲んでいたユナは、突然の父の言葉に瞠目した。「ああ。何でも相手はお前が馬場で走っているところに一目惚れしたらしい。どうだ、一度会ってみないか?」「待って、お父様。わたしはまだ17よ? これから大学進学も控えているし、結婚なんて考えていないし・・何とかお断りできないの?」ユナの言葉に、ルドルフは低く唸って彼女を見た。「先方の母親がどうしてもお前に会いたいと言ってきてな。まぁ、会ってみるだけでいい。お前にその気がないのなら、この縁談は白紙に戻す。」「ありがとう、お父様。それで、相手の方ってどなたなの?」「相手は、アルティヒ子爵家のアーデルベルト様だ。今度の日曜に、彼が所属するポロチームの大会があるそうだ。」「そう。」馬場で少し会っただけなのに自分を気に入るとは、どんな男なのかユナは会いたくなってきた。「ねぇユナ、ちょっといい?」ユナが自室で宿題をしていると、エルジィが部屋に入って来た。「ええ。どうしたの、エルジィ姉様?」「あなたの縁談のことだけれど、結婚相手は慎重に選びなさいね。わたしのようにはなって欲しくないの。」「エルジィ姉様・・」ユナはエルジィの手を握ると、彼女に微笑んだ。「大丈夫、わたしは結婚相手も自分の人生も、自分で決めるわ。だから心配なさらないで。」「そう。ユナ、ここだけの話だけど、最近気になる人が居るのよ。」「気になる人?」「ええ。同じ職場のペツネックさんって方でね、彼と居ると心が安らぐの。」「そう・・今度こそ幸せになってね。」義姉・エルジィの幸せがもうすぐ来る事を予感していたユナは、縁談相手と会う週末を指折り数えて待っていた。「ねぇルドルフ様、本当にユナとアーデルベルト様を会わせても良いのでしょうか?」「会う前から人の事をとやかく言うよりも、会ってから言った方が良い。それよりも最近、エルジィがまた良い人に出逢ったみたいだ。」「そうですか。今度こそ幸せになってくれればいいんですけれど・・」瑞姫はそう言うと、ルドルフにしなだれかかった。「ああ。シングルマザーとして必死に働いて4人の子ども達を育てているエルジィの姿を誇りに思っているが、彼女の感性や価値観に合う人と出逢うことを願っていたんだよ。娘の恋愛に口を出せる程、わたしは立派な人間ではないからね。」「まぁ、ルドルフ様ったら。」あっという間にユナと縁談相手・アーデルベルトと会う週末が来た。彼が出場するポロ大会はウィーン郊外で開かれ、そこには上流階級の令嬢達が将来の結婚相手を見極める為に来ていた。 そこで一際目立っていたのは、母・瑞姫譲りの美しい肢体をロイヤルブルーのワンピースに身を包んだユナの姿だった。その隣には、シックなワンピースを纏った瑞姫が立っていた。「ねぇお母様、アーデルベルト様ってどんな方かしら?」「さぁね。」大会終了後、2人はアーデルベルトと彼の母親と会った。アーデルベルトは金髪紫眼の好青年で、目が合った瞬間、ユナはこの人と絶対に結婚すると思った。「ユナです、初めまして。」「アーデルベルトです。皇女様もポロをなさるんですか?」「そんな堅苦しい呼び方をなさらないで、ただのユナでいいわ。」「そうですか。ではユナ様、これから食事に行きませんか?」「ええ、喜んで。」ユナはそう言ってアーデルベルトに微笑んだ。 2人はカフェでランチを取りながら、互いの趣味や家族の話をした。「じゃぁ、また。」「ええ。」ユナはアーデルベルトにまた会いたいと思うようになった。にほんブログ村
Feb 9, 2011
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それは、突然の事だった。 ルドルフと瑞姫は皇帝主催の舞踏会に出席しており、そこには結婚適齢期を迎えた長男・遼太郎、次男・蓉、長女・アイリス、次女・ユナ、三男・聖も出席していた。 三兄弟は長身の体躯をそれぞれ夜会服に包み、貴族の令嬢達の熱い視線を受けていた。双子の姉妹達は胸元に深い襟刳りが入った紺碧のドレスと深緑のドレスをそれぞれ纏い、凛とした自分達の美しさを引き立てていた。ホストである皇帝ルドルフは夜会服に身を包み、その隣に立っている皇妃瑞姫は黒髪が引き立つ真珠色のドレスを纏い、胸元には夫から贈られたアメジストのネックレスを飾っていた。「お父様、お母様。お久しぶりです。」貴族達と談笑していたルドルフ達の元に、父親譲りの美貌を受け継ぎ、目が醒めるかのような蒼いドレスを纏ったエルジィだった。「エルジィ、久しぶりね。旦那さんとは上手くやっていて?」瑞姫の問いに、エルジィは静かに首を横に振ると、父親と彼女に向かってこう言った。「お父様、お母様、わたし、オットーと離婚して新しい人生を歩みます。」エルジィの言葉に、先ほどまで楽しそうに話していた貴族達がピタリとおしゃべりを止め、大広間は水を打ったかのように静まり返った。「エルジィ、本気なの? まだ子ども達は小さいんでしょう?」「ええ。でもわたし、あの人とはもう夫婦ではいられないわ。もう限界なの。」舞踏会の後、エルジィの口から夫の浮気と夫婦関係が最早修復不可能な状態に陥ってしまったことを聞いた瑞姫とルドルフは、溜息を吐いた。「あの人、子ども達の父親としての自覚と、夫としての責任を持ったのかと思ったら、元婚約者と浮気した挙句、娼婦と遊んでいたなんてねぇ。男っていうのは、全く身勝手な生き物だと思わない、あなた?」瑞姫がそう言ってルドルフに話を振ると、彼はバツが悪そうな顔をした。「あなたも昔はプラハ一の娼館を貸し切って盛大なパーティーをお開きになったとか、ウィーンで愛の狩人となったとか、色々とお噂は聞いたわ。まぁ今となっては笑い話で済むお話しだけどね。」「あ、ああ・・」瑞姫はにっこりと笑うと、エルジィの方へと向き直った。「エルジィ、あなたがそう決めたのなら、何も言わないわ。でも一つだけ言う事を聞いて頂戴。子ども達を絶対手放しては駄目。夫婦の仲は切れても、親子の絆は永遠よ。」「はい、お母様。」そんな女同士の遣り取りを、ルドルフは静かに見ていた。 そうこうして、エルジィはオットーと、彼と夫婦の財産分与のことや、子ども達の親権について話し合った結果、醜い争いを起こさずに円満離婚した。子ども達の親権はエルジィが全て持ち、シングルマザーとなった彼女は両親と義理の兄妹達に支えて貰いながら、4人の子ども達を育てた。「じゃぁルドルフ、お母様お仕事に行ってくるわね。」エルジィはそう言ってスーツケースを引いて家から出ようとすると、三男のルドルフが彼女のスーツの裾を引っ張った。「おかあさま、いっちゃやだ。」「駄目よ、ルドルフ。お母様困っているでしょう?」なかなかエルジィから離れようとしないルドルフにユナが駆けより、彼を宥めようとしたが、小さなルドルフは母親に纏わり着いて離れようとしなかった。「いやだぁ。」「もう、ルドルフ・・」エルジィが困惑気味に息子を見ていた時、父親が彼を突然抱き上げた。「どうした、ルドルフ? お母様がいなくなって寂しいのか?」「おじぃさま、いっしょにあそんで。」「解ったよ。じゃぁその代わりに、お母様をお仕事に行かせておやり。お母様はね、お前達を育てる為に働いているんだよ。」「うん・・」エルジィは父親に頭を下げると、空港へと向かった。「皇妃様、陛下とルドルフ様がお見えです。」「わかったわ。」瑞姫が自室を出ると、小さなルドルフが彼女の姿を見つけ駆け寄って来た。「みずきさま!」「どうしてわたしは“おじぃさま”で、おばぁさまは名前で呼ぶんだい?」「だって女の方にはおなまえで呼んだ方がいいって、おかあさまがいってたから。」にほんブログ村
Feb 8, 2011
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オットーは、義父が声を張り上げ、放たれた言葉の鋭さに身を竦めた。『悩みがあったら何でも言ってくれよ? 初めての育児で何かと君も大変だろうし。』まだエルジィがフランツを産んで数日しか経っていなかった頃、オットーがそう言って彼女に話すと、彼女は笑顔を浮かべてこう言った。『大丈夫よ、わたし一人でも。』その言葉を、オットーは信じた。だから自分は家族の為に必死で働いた。家に帰らず、職場に泊まり込む日が何日か続いたが、エルジィが家の事を上手くやってくれているだろうと、オットーは勝手にそう思い込んでいた。だが、現実はそうではなかった。「エルジィは、1人でも大丈夫だと言っていたので・・だからわたしは彼女を信用して・・」「それはお前に心配かけまいとエルジィがそう言っただけだ。オットー、お前は子どもの父親として余りにも責任がなさすぎる。家族の為に寝る間を惜しんでバリバリ仕事をする事が当たり前だと思っているだろう? 家の事をエルジィに任せきりにして、フランツの育児に参加してこなかっただろう、違うか?」ルドルフの言葉に、オットーは静かに頷いた。「エルジィは初めての育児に戸惑いながらも、他人の手を借りまいと心を砕いてきたが、もうそれも限界だ。暫くあいつは実家に戻るから、明日からフランツの世話はお前がしろ、いいな?」「え・・あの、ちょっと待って下さいよ、お義父さん。仕事が今忙しいんです。赤ん坊を連れて出勤する訳には・・」「お前は仕事と家庭、どちらが大切だ? その辺の事を良く考えるんだな。」ルドルフは不快そうに伝票をオットーの前に叩きつけると、カフェから出て行った。「ルドルフ様、お帰りなさい。」「ただいま。」王宮へと戻ったルドルフは、何処か不機嫌だった。「どうしました?」「オットーに会ってきたが、あいつはまるで父親としての自覚や責任というものが全くないな。余りに腹が立ったんで、暫くフランツの世話はお前が見ろと言ってやったよ。」「そうですか。ルドルフ様だって子ども達が小さかった頃、色々とわたしに泣きついてきましたよ?」「そうだったかな。まぁ、あいつには父親としての役目を自覚して貰わないとな。」ルドルフはそう言ってにやりと笑った。 数日後、オットーはフランツを社内の託児所に預けて仕事を始めたが、預けてから数分もしないうちに内線電話が鳴った。「はい。」『オットーさん、すぐ来て下さい!』切迫した保育士の声を聞くなり、オットーは託児所へと駆けていった。彼が着くと、そこには泣きじゃくるフランツを抱いている保育士が困惑した顔をしてオットーを見た。「おむつが濡れていますから、おむつ替えをして貰えませんか?」「え・・あの、わたしがしないといけないんですか?」オットーの言葉に、その場に居た保育士達が呆れたような顔をして彼を見た。「あなた、お父さんでしょ?」「でも、おむつ替えしたことがないんですよ。いつも妻がしてたので。」オットーの言葉を聞いて、保育士達は一様に溜息を吐いた。「あなた、お父さんでしょう? おむつ替えくらい出来ないと駄目ですよ。」「そうですよ、仕事ばかりして家の事を奥さんに押し付けてばかりじゃ、離婚されますよ。」保育士達から散々非難されながら、オットーはフランツのおむつ替えを何とか終えた。ただ息子のおむつを替えただけなのに、彼は全身が汗で濡れていた。それから彼は1人でフランツの育児と仕事を何とか両立させたが、この時初めてオットーはいかにエルジィに家の事を押しつけて来たのかを思い知らされ、父親としての役目も果たしていないと実感した。 この件以来、オットーは妻との壊れかけた夫婦関係を修復し、エルジィはその後次男・カール、三男・ルドルフ、長女・シュティファニーと、4人の子を出産した。これで娘夫婦の仲は大丈夫だと思い一安心したルドルフ達だったが、事態は思わぬ展開に暗転することとなる。にほんブログ村
Feb 8, 2011
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「エルジィ、居るの?」 日本大使館でのパーティーが終わると、瑞姫とルドルフはタクシーでエルジィの自宅へと向かい、ドアノッカーを叩いたが、中から返事がない。「エルジィ?」瑞姫がそっとドアノブを回すと、ドアが不気味な音を立てながら開いた。ざわりと、背中に悪寒が走った。電気をつけて、彼女はエルジィの姿を探した。「エルジィ、居たら返事して!」「わたしは2階を探してみる。」ルドルフがそう言って階段を上がろうとした時、奥で赤ん坊の泣き声がした。「行ってみよう。」2人がキッチンへと向かうと、そこにはエルジィが包丁を握り締めてフランツにそれを振り下ろそうとしているところだった。「エルジィ、やめなさい!」「嫌よ、放して! わたしはこの子と死ぬの!」「馬鹿な事はやめなさい、そんな事をしては駄目!」「放してったら!」エルジィが瑞姫と揉み合っているうちにルドルフが彼女からフランツを奪い、エルジィが振り下ろした刃先は瑞姫の左肩を切り裂いた。「ミズキ、大丈夫か?」「大丈夫です。フランツは?」「この子は大丈夫だ。エルジィ、どうしてこんな事をしたんだ?」ルドルフに睨まれ、エルジィは包丁を床に落とすと、その場で泣き崩れた。「お母様、もうわたしこの子を育てられない! お願いだからこの子を実家に連れて帰って!」「エルジィ・・」この時瑞姫は、エルジィの様子が尋常でないことに気づいた。 数分後、エルジィは数ヶ月間溜まっていた思いを2人に吐き出した。フランツの夜泣きが激しく、充分に睡眠が取れない事、よく熱を出して夜中に病院に毎日のように駆け込む事、彼に母乳を与えたいのになかなか飲んでくれない事・・初めての育児をしながら抱えていた彼女の不安を聞いた瑞姫は、そっとエルジィの背中を撫でた。「わたし、このままじゃあの子を殺してしまう。怖いのよ・・」「そう・・エルジィ、明日にでも一緒に心療内科に行きましょう。」 翌朝、瑞姫はエルジィを連れて心療内科クリニックへと向かった。彼女は医師から、産後うつ病だと診断された。「大丈夫ですよ、薬を飲めば治りますからね。」「はい・・」娘と妻がクリニックへと向かっている間、ルドルフは娘の夫の職場を訪ねた。受付でルドルフが用件を伝えると、彼は暫く社内のカフェでオットーを待つことになった。何杯目のコーヒーのお代わりをしたのかルドルフが解らなくなってきた頃、漸くオットーが彼に向かって手を振りながら椅子を慌てて引くと腰を下ろした。「どうしましたか、お義父さん?」「オットー、お前エルジィが今どんな状態なのか知っているのか?」昨夜の娘の苦しんだ顔が脳裡に浮かび、ルドルフは目の前へらへらと笑っている男を睨みつけると、彼は急に笑うのを止めた。「どうしたん・・ですか?」「どうしたもこうしたもない。昨夜エルジィがフランツと無理心中を図ろうとした。未遂に終わったがな。オットー、エルジィがあんな風になるまで、お前は何処で何をしていた?」ルドルフに睨みつけられ、オットーは亀のように首を竦めて彼から視線を逸らした。「お義父さん、わたしは仕事が最近忙しくて、家の事は全てエルジィに任せていました。エルジィを1人きりにさせるのも不安だと思って母を手伝いにやらせようとしたら、彼女が嫌がったので・・」「あの姑が家に押しかけてくるだけでも嫌がる子だ、1日同じ空気を吸うと思ったら断るに決まっているだろう? オットー、仕事が忙しいのは判るが、フランツはお前の息子だぞ? どんなに仕事が忙しくてもエルジィに連絡を入れてフランツの様子を聞いたり、彼女の愚痴を聞いたりしなかったのか!」仕事ばかりで家庭を顧みない娘の夫に対して、ルドルフは次第に苛立ちが募って来て、思わず声を張り上げた。にほんブログ村
Feb 8, 2011
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フランツの泣き声がして、エルジィは何度か寝返りを打った後ベッドから降りた。彼が寝ている子ども部屋に入ると、フランツは激しく顔を歪ませながら泣いていた。「どうしたの?」エルジィがそっとフランツを抱き上げると、彼の額は焼けるように熱かった。(どうしよう、どうすればいいの!)フランツを抱きながら寝室へと戻った彼女は、サイドテーブルに置いてあった育児本のページを捲った。こんな時に限ってオットーは出張でアメリカへと行っているので、家にはエルジィ1人だけだ。自分の腕の中で泣き叫ぶフランツが手足をバタつかせながら必死に助けを求めている。(この子を守れるのは、わたししかいない!)エルジィはガウンの上にコートを羽織った姿のまま、ハンドバッグを掴みその中から車のキーを取り出すと、家の前に停めてある車のロックを解除した。泣いているフランツをあやしながら、エルジィは後部座席にあるチャイルドシートに彼を寝かせると、運転席へと向かい車のエンジンを掛けた。夜間外来の病院へと着いたのは、30分後のことだった。フランツは医師から抗生物質の点滴を打たれ、大事には至らなかった。「先生、本当に良くなったんでしょうか? また熱が出たりしたら・・」「大丈夫ですよ、お母さん。子どもはよく熱を出しますから。それよりも最近睡眠を充分とれていますか?」医師の質問に、エルジィは首を横に振った。「この子が産まれてから、初めての育児でへとへとになってしまって・・夫は仕事で忙しく、毎日深夜に帰宅します。この子を妊娠中に実家に頼っていましたが、ちゃんと育てる為にも実家に甘えてはいけないと思って、帰ってません。」エルジィはフランツを産んでからの数ヶ月間、今まで胸に秘めてきた思いを医師へと吐きだした。医師は彼女の話を聞いた後、ゆっくりと頷いてこう言った。「家事も育児も完璧にこなそうとする余り、産後うつに陥ってしまうお母さん達を、わたしは多く見てきました。1日中息子さんの世話に追われて息つく暇もない、悩みを吐き出す相手も居ない。余りストレスを溜めこまないようにする為には、お子さんを連れて外出したり、ご実家に頼ってはいかがでしょう?」「はい・・」病院から帰宅したエルジィは、眠っているフランツを起こさないようにそっと彼の身体をベビーベッドに寝かせた。30分前まで泣いていた彼は、すやすやと寝息を立てていた。その寝顔を見ながら、エルジィの脳裡に瑞姫の顔が浮かんだ。血が繋がらなくても、彼女はいつもエルジィと、ルドルフとの間に産んだ実子とを分け隔てなく育て、沢山の愛情を注いできた。エルジィと瑞姫との間には最初から壁のようなものはなかった。それは瑞姫がエルジィを守り、愛してきたからだった。(わたしは、お母様みたいにこの子を愛せるかしら?)我が子に惜しみない愛情を注ぐ事が、自分にもできるのだろうか?家事と育児を完璧にこなそうと思えば思うほど、育児本の書かれた通りにしようとすればするほど、全てが空回りしていく。どうして思い通りにならないのか。目の前で泣き喚く我が子の泣き声に苛々して、何度彼に怒鳴ったことだろうか。このままではいけないと思いながらも、エルジィは瑞姫のようにはなれないと何度も自分を責める日々を送った。 ウィーンの日本大使館では、日墺国交樹立160周年記念パーティーが行われ、そこには皇帝夫妻の姿があった。「これからも貴国と我が国との交流が続きますよう。」「ええ。」韓紅色の着物を着た瑞姫は、にっこりと笑ってシャンパンを一口飲んだ。その時、バッグの中に入れていた携帯が鳴り響いた。「もしもし?」『お母様・・わたしもう、駄目かもしれない・・』通話口越しに、エルジィのか細い声が聞こえたかと思うと、通話が突然途切れた。「エルジィ、エルジィ!?」「ミズキ、どうした?」ルドルフがそう言って妻の肩を叩くと、彼女は蒼褪めた顔をして自分を見た。にほんブログ村
Feb 7, 2011
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「エルジィ、久しぶりね!」シュティファニーはそう言うと、エルジィの方へと駆け寄った。「あなた、全然顔見せに来てくれないから、こっちから会いに来ちゃったわ。まぁ、可愛い赤ちゃんね。」シュティファニーの視線が、エルジィが抱いているフランツへと移った。「今更何しに来たの? 帰って。」「何しにって、母親が娘に会うのに理由が要るのかしら? ねぇ、この子を抱かせてくれる?」「出て行って。あなたの顔なんて見たくない。」エルジィはそう言うと、シュティファニーから息子を守るように彼の小さな身体を抱き締めた。「エルジィ、どうしてそんなにわたしを嫌うの? わたしはあなたに酷い事をした?」「出て行ってって言ってるでしょう!」エルジィの怒鳴り声に、フランツが目を開けて泣きだした。「シュティファニーさん、お話があります。どうぞこちらへ。」瑞姫はシュティファニーの腕を掴んで病室から出て廊下を歩いた。「ちょっと、何するのよ! わたしはあんたじゃなくてエルジィに会いに来たのよ。」シュティファニーからどんなに耳元から喚かれようと、瑞姫はそれを無視した。「そこへお座りになって。」瑞姫は病院内のカフェテリアの窓際の席へと向かうと、シュティファニーと向かい合わせに座った。「話って何よ?」「シュティファニーさん、何故今更になってエルジィに会いに来たのです? あなたと彼女はもう家族ではないでしょう?」「何を言うの、エルジィはわたしが腹を痛めて産んだ、唯一の子どもなの! それを横から掠め盗るようにしてあの子を奪ったのは、あなたじゃない!」シュティファニーはそう言って水が入ったグラスをテーブルに叩きつけた。「シュティファニーさん、それは違います。エルジィはいつもあなたとルドルフ様との間で板挟みになって苦しんできました。あなたとルドルフ様が離婚なさった後、エルジィはわたしの事を母と認めてくださいました。それは何故だか、わかりますか?」「何よ、あんたとわたしとでは、どう違うというの? 大体、あなたとエルジィとは血が繋がっていないじゃない!」「血が繋がっていてもいなくても、母親が子を想い、子が母を想う気持ちは変わりません。エルジィはわたしの事を心から信頼してくれました。あの子の為にわたしはいつも自分を犠牲にしても構わないと思ってました。それが母親というものです。あなたは、一度でもそんな事を思いましたか?」「思ってるわよ! でもあの子はわたしに心を開いてくれなかった!」「あなたは、エルジィの為エルジィの為と言いながら、自分の事ばかり考えていなかったからじゃありませんか? だからあの時エルジィを無理矢理連れ帰ろうとした、違いますか?」「違うわ、わたしはただあの子の為に・・」「もういいです。これ以上あなたの言い訳は聞きたくありません。」瑞姫はそう言って椅子から立ち上がると、冷たい目でシュティファニーを睨んだ。「あなたはただ自分が可愛いだけ。母親としての役目を放棄したあなたがエルジィに拒絶される理由を良く考えて下さい。」瑞姫はそう言うとシュティファニーの方を一度も振り返らずに、カフェテリアから出て行った。 エルジィの病室へと戻ると、そこには彼女の夫と姑の姿があった。「皇妃様、お久しぶりです。」ゾフィーはそう言うと、瑞姫に向かって頭を下げた。「オットーさん、可愛いでしょう?」「え、ええ・・」オットーはフランツを抱きながら、妻を見た。「エルジィ、これからはフランツと3人で暮らそう。」「ええ、あなた。」そんな息子と嫁の姿を、ゾフィーは苦虫を噛み潰したかのような顔をしていた。彼女は本当に、初孫の誕生を喜んでいるのだろうか―瑞姫は、一抹の不安を感じていた。にほんブログ村
Feb 6, 2011
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「お、お話って何でしょうか?」エリジィの姑・ゾフィーはそう言って険しい表情を浮かべている瑞姫を見た。「エルジィの事なのですけれど、余りあの子に嫌味を言ったりしないでいただけるかしら?」「そ、そんな事は・・エリザベートさんは大袈裟なんですよ、つわりごときで騒いで・・」「あなたにとってエルジィは憎い嫁のようですわね、ゾフィーさん? だからエルジィの都合も考えずに家に押しかけては嫌味ばかり言うのでしょう?」瑞姫はそう言うと、ゾフィーの傍らに座っているエルジィの夫を見た。「さっきからあなた、黙っているけれど、オットーさんは今のお話を聞いてどうお思いになっていらっしゃるのかしら?」「わたしはエルジィと産まれてくる子を守りたいです。けれど、仕事が忙しいから・・」「そんなのは理由になりませんよ。自分の母親の所為で妊娠中の妻が倒れたというのに、あなたは驚きもしないのね。」瑞姫の冷たい視線にオットーは耐えきれずに彼女から目を逸らした。「ゾフィーさん、エルジィは出産までこちらで預かります。こんな大切な時期に、あなたがしょっちゅう訪ねて来てはエルジィが可哀想だわ。」「待って下さい皇妃様! 今の言い方を聞いていると、まるでわたしがエリザベートさんを苛めているようじゃありませんか!」「あら、それは事実でしょう?」瑞姫がそう言うと、ゾフィーは急に黙り込んだ。「ゾフィーさん、そういうことですから宜しくお願いしますね。」彼女はゾフィーの病室から出て行った。 瑞姫がエルジィの病室に戻ると、彼女は読んでいた本から顔を上げた。「お母様、何処に行っていたの?」「ちょっとね。エルジィ、起き上がって大丈夫なの?」「ええ。ねぇお母様、わたしこれからどうしたらいいのかしら? 何だか解らないの・・」「大丈夫よ、エルジィ。わたしが守ってあげるわ。」 数週間後エルジィは退院し、彼女は出産まで実家へと戻りそこで過ごすことになった。「エルジィ、お母様がわたしを守るからね。」「ありがとう、お母様。」ゾフィーは息子に付き添われて退院したが、以前のようにエルジィの元を訪れる事はしなかった。「オットー、あなたこれからどうするの? エリザベートさんが実家に帰るって言った時、どうして反対しなかったの?」「僕が仕事中にエルジィがまた倒れたらどう責任取ればいいんだ?」「あなたが家を留守にしている間、わたしがエリザベートさんの世話をすればいいだけじゃないの!」「母さんが来るのをエルジィが嫌がったから、彼女は実家に戻ったんじゃないか!」「エリザベートさんは甘え過ぎなのよ。全く、あなたは結婚してからエリザベートさんの言いなりね!」ゾフィーが憤然とした表情を浮かべながらそう叫ぶと、リビングから出て行った。「これからどうすればいいんだ・・」オットーは両手で頭を抱えながら、溜息を吐いた。 クリスマス休暇を迎え、ウィーンの街のところどころにクリスマスマーケットが開かれ、賑やかな音楽が街中に流れていた。エルジィは大きく迫り出した下腹部を撫でながら、プレゼントの箱にかけられたリボンを解いた。小さな箱には、真珠のピアスが入っていた。「ありがとう、お母様。」「赤ちゃんに会えるのはもうすぐね。」「ええ。」3週間後、エルジィは元気な男の子を出産した。「可愛いわね、エルジィにそっくり。」「あら、そうかしら?」エルジィはそう言うと、息子の顔を見て笑った。「名前はもう決めてあるの?」「ええ。フランツよ。」エルジィが息子に微笑んだ時、病室の扉が突然開き、シュティファニーが入って来た。にほんブログ村
Feb 6, 2011
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「ねぇ、宿題終わった?」遼太郎が英文学のレポートを書き終えた時、蓉がノックとともに部屋に入って来た。「うん。お前は?」「フランス文学と英文学のレポートは終わった。『高慢と偏見』なんて二度と読みたくないなぁ、もう。」蓉はそう言って唸りながら、隣の誰も居ないベッドを見た。「あいつはまだ帰ってきてないの?」「ああ。何でも友達ん家でパーティーするってさ。試験が近いっていうのに、呑気だよね。」「いいんじゃないか? 僕だって余りあいつと同じ部屋には居たくないね。」遼太郎はノートパソコンを閉じながら、蓉を見た。「ねぇ兄さん、さっきネットサーフィンしてたら、こんなもの見つけたんだけど・・」そう言って蓉が携帯を取り出し、とある人生相談サイトに寄せられた投稿を彼に見せた。そこには何かと自宅に押し掛けて来ては自分に嫌味ばかり言う姑に困っている、という女性の投稿だった。「これ、読んでみたんだけどさ・・もしかして、エルジィ姉さんがこれ投稿したんじゃないかって思うんだ。」「何でそう思うの?」「だってさぁ、結婚式の時にあちら側のお母さんに会ったじゃない。披露宴の時自分の息子が結婚するっていうのに、あの人終始仏頂面だったよね? まるで姉さんが気に入らないように。」「そうかもな・・」遼太郎は義理の姉が今どうしているのかが気になった。 その頃エルジィは、パソコンの前に座って画面を見つめていた。あれから姑は毎日のようにやって来ては、自分に嫌味ばかり言って帰る。何処かに吐きださなければ、心が壊れそうだった。レスを見てみると、エルジィを励ますコメントが多かった。ネットで悩みを吐きだして、エルジィは少し気が楽になった。レスを打とうと彼女がキーボードに指を滑らせた時、傍らに置いていた携帯が鳴った。「あなた、どうしたの?」『済まないがエルジィ、母さんが倒れたから病院に行ってくれないか?』「え、今から?」ふと液晶の下に映っている時計を見ると、夜の10時を回ったところだった。「あなたは行けないの?」『それが急に残業が入ってね。妊娠中の君には悪いと思うけど・・』「わかったわ。」エルジィは溜息を吐くと、身支度をして病院へと向かった。「悪いわねエリザベートさん、夜中に来て貰って。」ベッドの上で上半身を起こしながら、ゾフィーはそう言って妊娠中の嫁を気遣う素振りも見せずにエルジィを見た。「お義母様、お身体のお加減はどうですか?」「大丈夫よ。それよりもあなたはどうなの?」「わたしは大丈夫です。ではこれで失礼します。」エルジィは病室を出て廊下を歩くと、突然眩暈に襲われて床に蹲った。「エルジィ、エルジィ!」ゆっくりとエルジィが目を開けると、そこは病院のベッドの上だった。「お母様?」傍らに立っている両親を見て、エルジィは何が起こったのかが解らなかった。「わたし、どうしてこんな所に?」「心労で倒れたのよ。赤ちゃんは大丈夫だって。ストレスは一番お腹の赤ちゃんに悪いから、暫く休んだ方がいってお医者様がおっしゃったわ。後はわたし達に任せて。」「ごめんなさい、お母様。」エルジィが済まなそうに言うと、瑞姫はそっと彼女の手を握った。「娘を守るのは、母親の役目として当然のことでしょう?」瑞姫はそう言ってエルジィに微笑むと、病室から出て行った。彼女はその足で、彼女の姑であるゾフィーの元へと向かった。「あら、皇妃様。わざわざお見舞いに来ていただいて・・」「あなたに、お話があるの。」にほんブログ村
Feb 6, 2011
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「じゃぁエルジィ、また来るわね。」「お母様、ありがとう。」エルジィはそう言って瑞姫を抱き締めた。彼女達を乗せたタクシーが見えなくなるまで、エルジィは窓から手を振った。少し気分が良くなった彼女は急に腹が減ったので、何か作ろうとキッチンへと向かった。その時、玄関のベルが鳴った。(こんな時間に、誰かしら?)「はい、どなた?」エルジィがそう言ってドアを開けると、そこには姑・ゾフィーが立っていた。「エリザベートさん、近くに寄ったから来ちゃったわ。いいかしら?」「は、はい・・」本当はこんな時間に何の連絡もなく来る姑に不快感を露わにしそうだったが、エルジィはそれをぐっと堪えてゾフィーに笑顔を浮かべた。「エリザベートさん、まだ性別は判らないのかしら?」「ええ。それよりもお義母様、そのお荷物は?」キッチンのシンクに立っていたエルジィは、ちらりとキッチンテーブルを占領している紙袋を見た。「ああ、これ? オットーからあなたの妊娠を聞いたから、初孫の為に色々と百貨店で買ってきちゃったのよ。」ゾフィーはそう言うと、紙袋の中から服が入っている長方形の箱を取り出し、包装紙を破いた、「性別がまだ判らないから、水色にしておいたわ。」「ありがとうございます。」「エリザベートさん、あなたは何も心配しなくてもいいのよ。赤ちゃんの面倒は全てわたしが見ますからね。あと、実家には余り連絡を入れないようにね。」「え・・」姑の言葉に、虚を突かれたようにエルジィはそう言って彼女を見た。「赤ちゃんを育てるのはあなたとオットーなのよ? 自分達の子どもは自分達だけで育てないと。周りに甘えていたら変な子に育ってしまうわ。」そう言ってゾフィーは笑ったが、目元は全く笑っていなかった。「お義母様、今つわりが辛くて、家事も出来ない状態なんです。」「そんなのはあなたが実家に甘えている証拠じゃないの。いいことエリザベートさん、つわりなんていうのは母親になる為に乗り越える試練なのよ。誰もが通る道なの。そんな事でわざわざ実家に頼っていたら駄目。わたしだってオットーを妊娠してた時つわりが辛かったけど、実家には頼らずに一人で必死に耐えたわよ。それなのにあなたは・・」ゾフィーが帰った後、エルジィは溜息を吐いてソファに横たわった。彼女とは挙式前に会って以来、反りが合わない。自分達夫婦とは別居しているが、彼女はたまにこうやって家に押しかけてきてはとりとめの話を一方的にした後でさっさと帰ってしまう。つわりが辛いだけで実家に頼るなという、姑の言葉がエルジィはその日一日中胸に突き刺さった。これから赤ん坊が産まれたら、傲慢な彼女が家に入り浸るようになるのだろうか。そう考えるだけでも吐き気がする。(あの人とは、二度と顔も見たくない!)「ねぇ、あれからエルジィ姉様から連絡があった?」アイリスは英文学のレポートを書きながら、隣で『高慢と偏見』を読んでいるユナを見た。「全然。それよりも恋愛小説でレポート書く必要あるの?」「さぁね。」アイリスはキーボードを叩く手を止めた。「リョータロウ兄様ならきっとこんなの課題に出て来ないと思うわね、きっと。」「そうかしら? 英文学を取ってなければだけど。ああ、漸く終わったわ。」アイリスはキーボードの上に両手を置くと、再びそれを叩き始め、レポートを書き終え、そのデータをUSBメモリに保存した。「何書いたの?」「それは秘密。レポート頑張ってね。」アイリスはノートパソコンをショルダーバッグの中に仕舞ってそのストラップを掴むと、妹に手を振りながら図書館から出て行った。「あと何ページで終わるのかしら、これ。」ユナは眉間を揉むと、溜息を吐いてしおりを挟んだ部分から『高慢と偏見』を読み始めた。にほんブログ村
Feb 6, 2011
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エルジィは朝起きるなり、吐き気に襲われトイレへと駆けこんだ。 妊娠9週目がつわりのピークだと医師から言われたが、7週目の今でさえもこんなに辛いのだから、この先どうなるのだろうかと彼女は便器から顔を上げて溜息を吐いた。「エリザベート、どうしたんだ?」トイレのドアがノックされ、オットーがドアの隙間から顔を覗かせた。「何でもないわ、あなた。いつものつわりよ。」「そう。余り辛いのなら、今日は1日中ベッドで横になった方が良いよ。」「ありがとう、あなた。」オットーはエルジィの妊娠を喜び、仕事が一段落したら健診にも付き添いたいと言ってくれるほどだった。トイレを出たエルジィは何とかキッチンに立って朝食を作ろうとしたが、つわりが酷くて冷蔵庫からトマトを取り出す時にそのにおいを嗅いだだけでもえづいてしまう程だった。(お母様に、連絡しようかしら・・)つわりが辛ければ気軽に連絡してくれ、と瑞姫は言っていたが、皇妃として多忙な彼女を自分の我が儘で呼んではいけないと、エルジィは思っていた。「ミズキ、エルジィの様子を見に行ってくれないか? あの子にとっては初めての妊娠だから、戸惑うことも多いだろうし、それにつわりが辛い時期だと思うし・・」朝食の席でルドルフがそう言って瑞姫を見ると、彼女は静かに夫の言葉に頷いた。「そうですね、あなた。オットーさんはお仕事で忙しいし、最近暑くなってきましたから、エルジィの事が心配だわ。」「わたしもだ。今週末辺りにあいつの所に行ってみるか。」 ルドルフと瑞姫が忙しい公務の合間を縫い、エルジィの自宅を週末に訪ねると、彼女は覚束ない足取りで玄関へと向かい、両親と会った。「エルジィ、大丈夫か? 少し顔色が悪いぞ?」「お父様、わざわざいらしてくださったのに、おもてなしできなくてごめんなさい。」キッチンに入ったエルジィは、両親にコーヒーを淹れようとしたが、コーヒー豆の匂いを嗅いだ途端、トイレへと駆けこんだ。「エルジィ、そんなに辛いの?」「ええ。食べ物の匂いを嗅いだだけで吐いてしまうの。こんな調子でお腹の赤ちゃんが育つのか、心配で心配で堪らないの。」エルジィはそう言ってまだ目立たない下腹を擦った。「エルジィ、大丈夫よ。わたしも遼太郎達を妊娠した時、つわりが酷かった事があったわ。特に遼太郎の時は、お父様と事情があって離ればなれになっていたから、精神的なストレスが影響していつも吐いてばかりいたのよ。辛い時はわたし達に頼ってもいいのよ。」「ありがとう、お母様。お忙しいのに・・」「何を言うんだ、エルジィ。家族であるわたし達にいつでも頼ってくれていいんだぞ?」ルドルフはエルジィを抱き締めながら言うと、彼女は自分の胸に顔を埋めて泣いた。彼は何時までも、娘の髪を優しく梳いていた。「エルジィ、少し落ち着いたみたい。やっぱり1人で心細かったんでしょうね。」寝室のドアを静かに閉じながら、瑞姫はそう言ってソファに座っているルドルフを見た。「孫が産まれるのは嬉しい事だが、エルジィにとっては初めての育児になるわけだし、わたし達が助けないとな。」「そうですね。わたし達が遼太郎達を育てた時に兄様や龍之助さん、お義母様から助けて貰ったように、わたし達がエルジィを助けないといけませんね。祖父母の役目ですものね。」「祖父母の役目、か・・その言葉を口にすると実感が湧くな。ちょっと寂しいが。」 その日はオットーの帰りが深夜になるというので、瑞姫とルドルフはエルジィの事もあり彼女の家に泊まる事にした。『お姉様、そんなに悪いの?』「悪いって言う訳じゃないけれど、妊娠中は色々とあるのよ。解ってあげてね。」『ええ、解ったわ。』アイリスとの通話を終え、携帯のフラップを閉じた瑞姫は、寝室のドアを少し開いてベッドで眠るエルジィを見た。 たとえ血が繋がっていなくても、彼女とやがて産まれてくる孫の命を守ると瑞姫は心に誓った。にほんブログ村
Feb 5, 2011
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ルドルフの戴冠式から2週間後、ホーフブルクにある瑞姫のサロンにおいてお茶会が開かれ、そこには政府高官である貴族の妻や娘達などが出席し、エルジィやアイリス達も顔を出していた。「エルジィ姉様、お久しぶりね。」「ええ。アイリス、ユナ、元気にしていた?」結婚式から2ヶ月が経ち、エルジィはそう言って義理の妹達に微笑んだ。「エルジィ、忙しい中ようこそ。今日のお茶会を楽しんでね。」瑞姫はそう言うと、エルジィを抱き締めた。 アイリス達はちらりと壁際に立っているアベカシス男爵夫人とその娘・シャルロッテを見ながらくすくすと笑った。「あの人達、何だか居心地悪そうねぇ。」「それはそうじゃなくて? お母様にあんな口を利いたことを後悔しているのでしょうよ、きっと。」ウィーンの宮廷貴族達もちらちらと男爵夫人母娘を見たが、彼女達に話かけるようなことはしなかった。「あら、アベカシス男爵夫人、いらしてくださったのねぇ。」瑞姫が今気づいたというような口調でそう言ってアベカシス男爵夫人を見ると、彼女は怒りで顔を赤く染めた。「皇妃様・・」「あなたのお茶会のお誘いを断ってしまって、御免なさい。戴冠式が近かったものですから、あなたのお誘いに乗る暇がありませんでしたの。許して下さる?」にこにこと笑いながらそう詫びる瑞姫に、男爵夫人は何も言えずにいた。相手は一国の皇妃で、王宮の実力者でもある。エルジィの結婚式の時とは違い、ここで瑞姫に歯向かえば自分達母娘の将来は閉ざされたも同然なのだ。「え、ええ・・」「シャルロッテさん、とおっしゃったわね?」瑞姫はちらりと母親の隣に立っているシャルロッテを見た。「わたくし、あなたの事を良く知らないのだけれど、余り人に意地悪をしては自分に返ってきますからね。」「で、では、これで失礼致します!」娘と共にアベカシス男爵夫人は大急ぎで部屋から出て行った。「あらあら、あんなに慌てて。みっともないこと。」「本当にねぇ。」それまで沈黙を通していた貴婦人達がくすくすと笑いながら紅茶を飲んだ。「お母様は怖い方ね。笑顔で厳しい事をおっしゃるのだから。」「そうしないと社交界では生き残れないわよ、エルジィ。新婚生活は順調なの?」「ええ。オットーはわたしの事を心から愛してくれています。」エルジィがそう言って紅茶を飲もうとした時、彼女は突然口元を覆って吐き気を堪えた。「エルジィ、あなたもしかして・・」「お母様・・」義理の母娘の視線が合い、瑞姫はエルジィの身に起きた異変に気づいた。 お茶会から数日後、瑞姫はエルジィとともに産婦人科で診察の順番を待っていた。「お母様、わたし何だか怖い・・」「大丈夫よ、エルジィ。お母様がついていますからね。」エルジィの震える手を、瑞姫はそっと握った。診察が終わり、医師からエルジィは妊娠を告げられた。「おめでとう、エルジィ。これからは体調管理に気をつけてね。つわりが辛い時はわたしに連絡なさい。」「ありがとう、お母様。」その夜、夕食の席で瑞姫は家族全員にエルジィの妊娠を告げた。「お姉様が妊娠なさったの?」「じゃぁわたし達おばさんじゃないの。10代でおばさんだなんて、嫌だわ。」「あら、わたしはまだ30代でお祖母様と呼ばれるのよ? それに比べてあなた達の方がマシだわ。」瑞姫はそう言うと、隣に座っているルドルフを見た。彼は娘の妊娠を知り、驚きと困惑、そして喜びが綯い交ぜになったような顔をしていた。「エルジィが母親になるなんて・・あんなに愛らしかったエルジィが・・」「あと3回、そういう気持ちにならなければならないんですよ?」瑞姫はルドルフに微笑むと、彼は溜息を吐いた。にほんブログ村
Feb 5, 2011
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一部性描写を含みます。性描写が苦手な方は閲覧をご遠慮ください。 瑞姫は夫の部屋の床ですすり泣く少年の方へと駆け寄ると、彼はじっと彼女を見た。『奥様でいらっしゃいますか?』『ええ、そうだけど? あなたは?』『わたしはセシェンと申します。ルドルフ陛下に本日よりお仕えすることになっております。』セシェンの言葉を聞いた瑞姫の眦が少し上がったのを、ルドルフは見た。「あなた、一体これはどういう事ですの? わたくしにも解るように説明して下さいな。」慇懃無礼な口調で瑞姫がルドルフにこうやって尋ねる時は、彼女が怒っている証拠だ。「あの子は、リーシャ様がわたしに貢物として贈ったんだ。わたしは彼を受け取る気はない。」「あら、そうですの? てっきりあなたは殿方の方にも興味がおありなのだと誤解してしまいましたわ。」瑞姫はそう言って笑ったが、目は全く笑っていなかった。それもその筈、夫の部屋に見目麗しい異国の少年が居るのだから、彼女に誤解するなと言っても無理である。「ミズキ、信じてくれ。お前の部屋に行くから・・」「申し訳ないけれど、月のものが始まってしまったの。当分セックスはお預け。」瑞姫は自分を抱き締めようとしたルドルフの腕からするりと抜け出した。「そのセシェンとかいう子と楽しんでくださいな。」「ミズキ、違うと言っているだろう?」「もう聞きたくありませんわ!」瑞姫はルドルフに背を向けると、部屋から出て行った。どうやら彼女を怒らせてしまったらしい。自分にはそのつもりはないのに、彼女は異国から貢物として贈られた少年と自分が疚しい関係にあると思っているらしい。『奥様、お怒りのようですね。』『誰の所為だと思っているのですか? それにわたしは身の回りのことは自分でできます。』ルドルフの言葉を聞いたセシェンは暫く泣いていたが、再びルドルフに取り縋った。『どうか、どうかわたくしを捨てないでくださいませ!』(何だ、こいつは・・)セシェンをどうするかルドルフは迷いながらも、早く瑞姫との誤解を解かなければと少し焦り始めていた。「ミズキ、入るぞ?」何とかセシェンを振り切り、瑞姫の部屋のドアをノックしたルドルフだったが、中から返事がなかった。彼が寝室に入ると、ドレッサーの前で髪を梳かしている彼女の姿があった。「ミズキ、さっきの事を怒っているのか?」ルドルフがそう言いながら瑞姫に抱きつくと、彼女は悲鳴を上げた。「こんな事をしても無駄ですわ。わたくしはまだ怒っているのですから。」瑞姫はルドルフを睨みつけながらも、キャミソールの中へと入る彼の手を止めようとはしなかった。「そう言いながらも、嫌がってるようには見えないが?」「嫌な人。」瑞姫が振り向くと、ルドルフは彼女の唇を塞いだ。縺れ合うようにして寝台へと倒れ込み、ルドルフが我武者羅に瑞姫の乳首を赤ん坊のように吸うと、彼女は甘い喘ぎを漏らした。「待って、これを。」ルドルフの手が瑞姫の秘所を弄っていると、彼女はサイドテーブルの中からコンドームを取り出した。「仕方無いな・・」ルドルフが瑞姫の中に入ると、そこはいつも以上に濡れていた。互いに絶頂に達した後、瑞姫は荒い呼吸を繰り返しながらルドルフの隣へと倒れ込んだ。「こういうのも、燃えるな。」「もう、あなたったら。」瑞姫は苦笑すると、ルドルフの唇を塞いだ。「今夜は口で慰めてあげますから。」そう言うと彼女は、ゆっくりとルドルフの下腹部に顔を埋めた。にほんブログ村
Feb 5, 2011
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『どうやら奥様は、わたしとあなたの仲を誤解しておられるようだ。』リーシャの言葉に、ルドルフはムッとした顔をした。『それがあなたとはどのような関係があるというのですか? ミズキは気立ての良い女でね、わたしの浮気相手が乗り込んで来た時には、笑顔で紅茶を出したほどですよ。』ルドルフはそう言うと、リーシャの紫紺の瞳を見つめた。一体この男は何が言いたいのだろうか。まるで瑞姫とルドルフを巻き込んで恋愛ゲームを楽しもうとしているのなら、甚だ迷惑な男だ。『わたしならそんなことはせず、あなたの前でその浮気相手とやらを殺します。』『美しいお顔に似合わず物騒な事をおっしゃる。フェルディナンドも不運な男だ。もっとも、彼の人となりを知っているわたしとしては、彼に同情できないがね。』ルドルフが遠回しにフェルディナンドの死を知っているということをリーシャににおわすと、彼は平然とした様子でルドルフに笑みを浮かべた。『もう彼の事はご存知でしたか。まぁ雑談はここまでにしておいて、そろそろ本題に入ろうとしましょうか。』本題に入る、という言葉に、今まで彼はフェルディナンドの死を知ったルドルフがどのように反応するのかを観察していたのかと、ルドルフは気づいた。(抜け目のない男だ・・)権謀術数に長け、外国語を巧みに操り、常に互いの利害が一致するかどうかを考える―王となるには、それなりのものがないと誰でもなれる訳ではない事を、ルドルフとリーシャは心得ていた。『実は新皇帝となられたあなたに、わたしからささやかな贈り物をしようと思いまして。』リーシャはそう言うと、両手を鳴らした。 するとどこからともなく、煌びやかな衣装を纏った娘達が部屋に入って来た。『彼女達は我が国の舞踏学校を卒業した一流のダンサー達でね。祝の舞をあなただけにお見せしたいと思いまして。』リーシャの言葉に、舞姫達はしなを作り、ルドルフを見た。『ほう、これは嬉しい贈り物ですね。ですがわたしは妻以外の女性を抱かないのでね。残念ですが、彼女達にはお引き取り願いましょうか?』ルドルフの言葉に、舞姫達は落胆の色を隠さず、憮然と部屋から出て行った。だが1人だけ、部屋に残りルドルフを見つめる娘が居た。他の娘達とは違い、彼女だけはアバヤに身を包み、ヴェール越しに見えるインペリアルトパーズの瞳でルドルフを見ていた。『その娘は?』『彼女が、わたしからあなたへの贈り物ですよ。といっても、彼と言った方が正しいでしょうが。』リーシャは娘に手招きすると、彼女はゆっくりとリーシャの傍らに立った。リーシャは彼女にアラビア語で何か命じると、彼女はゆっくりと黒いヴェールを優雅な手つきで取った。その拍子にふわりと、腰下まである長い金髪が波打った。『彼は?』『セシェンと申します、ルドルフ陛下。』娘―いや、セシェンと名乗った少年は、そう言うとルドルフの足元に恭しく跪いた。『セシェンにはあなたの小姓として身の回りの世話をして貰うことになっています。』『秘書官なら、生憎何人かおりますが・・』『いえいえ、セシェンは夜でもあなたのお世話をなさいますよ。例えば、奥様が妊娠中でおられる時も、彼はあなたを満足させることができるでしょう。』『わたしは、男と寝る趣味はありません。リーシャ様、どうぞこの小姓とやらとともにお帰り下さい。』ルドルフが憤然とした口調でリーシャにそっぽを向くと、彼の足元に跪いていたセシェンが突然立ち上がり、彼に抱きついた。『どうか、どうかわたくしを見捨てないでくださいませ! わたくしには帰る場所がございません!』「ええい、離せ!」苛立ったルドルフは自分に纏わりつくセシェンに苛立ちを憶え、彼の華奢な身体を蹴り飛ばした。「まぁ、一体何事ですの、あなた? さっき大きな音がいたしましたわよ?」瑞姫がそう言って夫の部屋に入ると、床には金色の長い髪を揺らしながらすすり泣く少年の姿があった。にほんブログ村
Feb 5, 2011
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それは、戴冠式から半年前まで遡る。 ルドルフの失脚を狙い、マリーという名の小娘を使って偽のスキャンダルをでっち上げた末に、その責任を取らされたフランツ=フェルディナンドは妻・ゾフィーとともにウィーンを離れ、熱砂の王国・アリーシャ王国の王都・マハメルンから少し離れたヌッメリアという町で暮らし始めた。子宝を授かり、フェルディナンドは新しい人生を歩み始めた。だが、その人生に突如として暗雲が立ち込めた。ゾフィーが市場で買い物した時、精算時に店員と揉め、彼女は店員に対して侮辱的な言葉を吐いたのである。怒った店員が宗教警察に通報し、ゾフィーの身柄は拘束され、彼女は過酷な取り調べを受けた。妻が逮捕されたと知り、フェルディナンドは警察署へと駆け込んで彼女を解放するように叫んだが、余所者である彼の言い分など警官達は全く聞く耳を持たなかった。痺れを切らしたフェルディナンドは警官数人を殴り、更に取調室でゾフィーを尋問していた警官をも殴って妻を連れだした。一連の彼の行動を見てみると、罪に問われるのは当然だが、罰金刑や懲役刑だけで済む話であるが、何故彼らは命を奪われなくてはならなかったのか。 ゾフィーが市場で起こした騒動前から秘密警察が彼らをマークし、彼らが自分達と敵対するキリスト教徒である事、外国人である事を知っていた。アリーシャ王国の国民の大半はイスラム教徒で、1947年に英国から独立するまでは、かの国の植民地であった。白人からの迫害や差別の歴史が色濃く残るこの国で、同じ白人であるフェルディナンド夫妻が騒ぎを起こしたということは、国民が悪感情を抱くのはさほど時間がかからなかった。フェルディナンドはヌッメリアの実力者に自分達の命を助けてくれるよう懇願したが叶わず、彼は妻と3人の子ども達とともにマハメリアの中心部にて処刑台の露と消えたのである。「そうか・・何処かで碌な死に方をしないだろうと思っていたが、まさか異国の地で処刑されるとはな。」ルドルフはそう言うと、溜息を吐いた。「あの、リーシャ様のことなんですけど・・」「リーシャ様がどうかしたのか?」「いえ・・先程彼とお話したんですけれど、何だかわたしの事を良く思ってないようで・・」瑞姫はルドルフに、リーシャが自分の事を快く思っていない事を話した。「そうか。そういえばお前には言わなかったが、お前が英国で療養している時にリーシャ様から迫られたことがあった。」「リーシャ様から?」「ああ。キスされそうになって必死に抵抗したが、あれが本気なのか、それともふざけていたのかわからなかったな。」「そうですか。ルドルフ様って殿方にもモテるのですね。」瑞姫は冷たい目でルドルフを見ながら言った。「そんな目で見るんじゃない。わたしはお前しか見ていないさ。」「そうだったらいいんですけれど。」ルドルフと瑞姫がキスをしていると、誰がドアをノックしていた。「誰だ?」「陛下、リーシャ様が陛下と2人きりでお話したいことがあるそうで・・」「そうか。」ルドルフが瑞姫を見ると、彼女は不満そうな顔をしていた。「ね、言ったでしょう? あの人はわたしの事が嫌いなんですよ。」「考え過ぎだ。ミズキ、済まないが・・」「わかりました、出て行けばいいんですね?」瑞姫は憤然とした様子で部屋から出て行った。彼女は少しリーシャと自分の関係を誤解している―ルドルフがそう思いながら眉間を揉んでいると、従者を連れたリーシャが部屋に入って来た。『ルドルフ様、先ほど奥様が何やらお怒りになられながらわたしとすれ違いましたが・・』『私生活の事は余り人には話したくはないのでね。リーシャ様、お話とはなんだろうか?』ルドルフはそう言ってリーシャを見ると、彼は口端を歪めて笑ってみせた。にほんブログ村
Feb 5, 2011
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◇第三部◇ 2029年5月21日 ウィーン・シュテファン寺院。 この日、新皇帝の誕生を見届ける為に、欧州各国の王室や中東の王族などが出席し、ルドルフと瑞姫の到着を待っていた。「お父様とお母様、まだかしら?」「大丈夫、もうすぐ着くわよ。」新皇帝と皇妃を到着を待つ人々の中に、正装姿の彼らの子ども達が立っていた。そこには、2ヶ月前に結婚したエルジィも居た。「あ、来たわ。」扉がゆっくりと開き、軍服を纏ったルドルフと、女官達に長い裳裾を持って貰いながら宝石が散りばめられたドレスを纏った瑞姫が、ゆっくりと祭壇の方へと向かった。祭壇には、白地に金糸の豪華な刺繍が施された法衣を纏ったシュテファン寺院司教・シリルが立っていた。その傍らには、ハプスブルク帝国の皇帝が代々その位を神から授けられる為だけに作られた帝冠を持った司祭が立っていた。「ルドルフよ、汝神と契約を交わし、この帝国を治める王となるか?」シリルの言葉に、ルドルフは静かに頷き、彼の前に跪いた。シリルは、そっと司祭から帝冠を受け取ると、それをルドルフの頭に載せた。癖のある彼の金髪で、宝石を散りばめ、贅を尽くした帝冠がステンドグラスの光を反射し、美しく輝いた。「汝を、帝国の治める王と認める。」シリルの言葉を聞き、ルドルフは生まれてきてから47年間必死に堪えてきた涙が一気に溢れだすのを感じた。 その瞬間を―皇帝となった夫の姿を傍らで見ながら、瑞姫も涙を流していた。彼の涙の意味が痛いほどに解るからだ。こうして、オーストリア=ハプスブルク帝国皇帝・ルドルフが誕生した。ルドルフがゆっくりと祭壇から離れると、瑞姫が祭壇の方へと向かった。 シリルは右隣に立つ司祭に目配せすると、彼は真珠とダイヤモンドで散りばめられたティアラを彼から受け取った。瑞姫は跪き、シリルは彼女の頭にティアラを載せた。 ハプスブルク帝国の新皇帝夫妻は、ウィーン市民のみならず、全世界の人々から祝福を受けた。晩餐の席で、ルドルフ達は主賓達から祝福の言葉を受け、彼らと笑顔で接した。「ルドルフ陛下、本日はとても喜ばしい日です。どうかあなた方に神のご加護がありますように。」ヴァチカンの枢機卿は、そう言って笑顔で皇帝夫妻を見た。「ありがとうございます。」一段落した後、瑞姫は人気のないバルコニーへと出て溜息を吐いた。『皇妃様。』突然英語で話しかけられ、瑞姫がゆっくりと振り向くと、そこにはラシャール王国皇太子・リーシャが立っていた。リーシャは、白地に金糸の刺繍が施された民族衣装を纏っていた。『リーシャ様、本日はお忙しい中お越しいただき、ありがとうございます。』瑞姫が頭を下げると、彼は紫紺の瞳を細めた。『ルドルフ様とは相変わらず仲睦まじいご様子で、お子様達も健やかなご成長をなさっておられるようで・・』『ええ。』何だろう、リーシャの言葉の端々に棘が含まれているように瑞姫は感じた。それに口元に笑みを浮かべているが、目は全く笑っていない。『何か、わたくしにお話がおありなのかしら?』『実は・・』リーシャが継いだ次の言葉を聞き、瑞姫の顔が強張った。『それは、本当ですの?』『ええ。』瑞姫はドレスの裾を摘むと、ルドルフの方へと向かった。「ルドルフ様、少しお話が・・」「わかった。」ルドルフはそう言うと、瑞姫の肩を抱いて大広間から出て行った。「あの、先ほどリーシャ様から聞いたのですが・・フェルディナンド夫妻が、マハメルン郊外で処刑されたそうです。」「フェルディナンドが?」ルドルフは瑞姫の言葉を聞き、激しく狼狽した。Image by Little Eden にほんブログ村
Feb 4, 2011
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「あなた、少しお話しできますか?」瑞姫がそう言ってルドルフの執務室のドアをノックすると、中から夫の声がした。「どうした、ミズキ? もしかして妊娠したのか?」「まぁ、あなた、そんな事はありませんわ。」瑞姫は侍従達や秘書官の前で臆面もなくそう言うルドルフの顔を軽く睨むと、バッグの中から一通の招待状を取り出した。「これは?」「あなた、エルジィの結婚式でわたしに絡んで来たご婦人のことを憶えていて?」「ああ。あのブルネットの下品な女か? 彼女がどうかしたのか?」「それがね、あの女―アベカシス男爵夫人ですけれど、明後日お茶会があるから是非わたくし達に来てほしいと、ハンナにこれを渡したそうよ。」「乗り気がしないな。お前が未来の皇后と知って、急にごまをすろうと企んでいるのかな。」「そうでしょうねぇ。それに、アイリスとユナが通っている学校に彼女の娘が転校してきたでしょう? その事でもどうやらお話しがあるみたい。」瑞姫は溜息を吐きながら、自分に突っかかってきた女からの誘いを受けようかどうか、迷っていた。「ミズキ、断ったらどうだ? その代わり茶会はうちで開けばいい。そうすれば角が立たないだろう。」「そうね。アイリスとユナにも出て貰いましょう。彼女とその娘のお話しをわたし一人で聞くのも何だか嫌ですし。」瑞姫はそう言うと、ルドルフの頬にキスをした。「あなた、わたしはこれからお仕事に・・」夫から離れようとする彼女の腰に手を回し、ルドルフは彼女の胸に顔を埋めた。「まぁ、いけませんわ。そんな事をなさって。」「ミズキ、わたしはお前の事を離したくないんだ。」「駄目よ、皆さんが見ていらっしゃる前では。」「わかった。茶会の事はわたしに任せておけ。」 瑞姫が執務室から出て行くと、傍に居た侍従が溜息を漏らした。「どうした、羨ましいか?」「いいえ。」「戴冠式の日取りは決まったか?」「はい。早ければ来月の21日には。」「そうか。いよいよか・・」ルドルフはそう言うと、卓上カレンダーを見た。 彼の父であり、オーストリア=ハプスブルク帝国前皇帝・フランツ=カール=ヨーゼフの死から早3年が過ぎ、ルドルフは漸く皇帝の椅子と、その位に就く事となった。 当初はルドルフが皇帝となる事に反対していた重臣達だったが、彼がフランツの嫡子であり、直系の男子であること、妻・瑞姫との間に後継者となる息子2人が居る事や、ルドルフと瑞姫の改革によってオーストリアの経済状況が安定していることなどにおいて、彼以外の人間が皇帝になる事は有り得ないと彼らは次第に思うようになり、最早誰もルドルフが皇帝になる事に反対する者はいなかった。「ルドルフ様、シュテファンからシリル司教様がお見えです。」「わかった、通せ。」「失礼致します。」侍従とともに執務室に入って来たシリルは、質素な法衣の裾で衣擦れの音を立てながらルドルフの前に立った。「シリル、戴冠式の日取りが決まった。来月の21日だそうだ。」「解りました。いよいよですね、ルドルフ様。」「ああ。」戴冠式において、皇帝に冠を授ける聖職者はヴァチカンから派遣された枢機卿やそれに次ぐ者でしか許されないが、ルドルフは旧知の間柄であり、シュテファンの司教であるシリルにその役目を頼んだ。「準備は滞りなく進んでいるか?」「ええ、順調です。今から待ち遠しいですね。」「そうだな。」「あなたとお会いしてから20年以上もの月日が経ちましたが、この日が来る事をずっと待っておりました。」シリルは感慨深げにそう言うと、頬に少し目立ち始めた皺を指先で触った。「互いに年を取ったものだな。とはいえ、まだまだこれからだ。」「そうですね。」にほんブログ村
Feb 4, 2011
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エルジィの挙式から数日後、アイリスと椰娜(ユナ)は仲良く高校の門をくぐった。「アイリス様、ユナ様、おはようございます。」2人が教室に入ると、後ろの席に座っていた女子生徒達がそう言って彼女達に頭を下げた。「おはよう。ねぇ、今日ここに転校生が来るって噂だけど、誰なのかしら?」「女には間違いないわね。ここは女子校だもの。」アイリスとユナは、取り留めのない話を友人達をしながら、転校生が来るのを待った。やがて担任の教師が1人の少女とともに教室に入って来た。「今日から皆さんとお勉強することになった、シャルロッテさんです。」「初めまして、シャルロッテです。宜しくお願い致します。」少女はセミロングのブルネットの髪を揺らすと、クラスメイト達に挨拶をした。「ねぇお姉様、あの子誰かに似ていない?」「気の所為じゃない? この世の中、他人に似てる人なんていくらでも居るわよ。」アイリスはそう言いながらも、エルジィの結婚式で見かけたあの嫌な女の顔を思い出していた。 昼休み、彼女達がカフェテリアでサンドイッチを頬張っていると、トレイを持ったシャルロッテがアイリスとユナの前に立った。「そこに座りたいんだけど、いいかしら?」「あらあなた、目が悪いの? わたし達が座っているでしょう?」ユナがそう言ってシャルロッテを見ると、彼女はユナを睨み返してきた。「あなた達がどいたらいいでしょう?」「まぁ、生意気ね。ユナ様に向かってそんな口を利くだなんて。」ユナの友人が加勢に入り、シャルロッテを睨んだ。「シャルロッテさん、とおっしゃったかしら? あなたこの学校に転校してきたのに、もう敵を作りたいのかしら?」「もういいわ。」シャルロッテは不快そうに鼻を鳴らすと、隅の方へと歩いて行った。「おかしな子ね。」「気にしないでいいわよ。向こうはどうやらわたし達と仲良くなりたくないみたい。」アイリスはそう言って友人達とのおしゃべりに戻ったが、もやもやとした気持ちは晴れないままだった。 同じ頃、遼太郎達が通うギムナジウムにも転校生がやって来た。「なぁ兄さん、昔兄さんのクラスにいたシュンって奴、憶えてる?」「隼? ああ、あの子? 何だか窃盗事件で捕まって学校退学になって日本に戻ったって聞いたな。」「もしかしてあいつ、此処に来るんじゃないかなぁ?」「まさか。」遼太郎がそう言って笑った時、ざわついていたカフェテリアが急に静かになった。「どうしたんだろう?」ちらりと遼太郎達が入口の方を見ると、そこには日本人の少年が入ってくるところだった。少年の顔は、紛れもなく遼太郎のクラスメイトだった隼だった。(何でこんなところに、彼が?)「どうしたの、兄さん?」「何でもない。」さっと遼太郎は蓉へと向き直り、何事も無かったかのように残り少ないランチタイムを楽しんだ。「じゃあね、兄さん。」「うん。」蓉とは部屋が違うので、遼太郎は学生寮の階段の前で彼と別れると、自分の部屋へと向かった。 部屋の前には、沢山の荷物が置かれていた。(新しく誰かが入るのかな?)遼太郎が首を傾げながら部屋に入ると、そこにはシーツを剥がされたベッドの端に隼が腰掛けていた。「久しぶりだね、遼太郎。」「まさか君と同室なんてな。もうとっくに縁が切れたと思ったのに。」遼太郎は溜息を吐くと、自分のベッドに寝転がった。(c)写真素材10minutes+にほんブログ村
Feb 4, 2011
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「あらぁ、誰かと思えば、こんな所にまで男漁りにきたのかしら?」「嫌ぁねぇ。」アイリスとユナは声を揃えてそう言って女を見ると、彼女は怒りで顔を赤く染めた。「ふん、わたしには男がいつも寄って来るの。乳臭いあんた達とは違ってね。」女は得意げにそう言うと、セットされたブルネットの髪を掻きあげた。「へぇ、随分と余裕綽綽だこと。その内誰にも相手されないわよ、おばさん!」ユナはアイリスとともにトイレから出て行き、披露宴会場へと向かった。「遅かったわね。」「ちょっと嫌な女に会っちゃってね。」慌てて2人がテーブルに着くと、瑞姫が呆れたような顔をして彼女達を見た。「嫌な女って、ホテルの入り口で見かけたブルネットの女か?」聖はそう言って双子の姉妹を見た。「うん。なんか自分はまだまだいけるってこと言ってたわ。」「バツさんなのにまだそんな事言ってんのかよ? ま、姉さんの披露宴はぶち壊しにしないで貰いてぇもんだな。」「ヒジリ、そんな事言うものじゃないわよ。」瑞姫が聖を諌めると、彼はニヤニヤと笑って彼女に謝った。 やがて新郎新婦が会場に入ってきて、賑やかに披露宴が行われた。招待客達は新婦であるエルジィの華やかな美しさにも魅了されたが、それよりも新婦の両親であるルドルフと瑞姫の美しさにも魅了されていた。この日の為に黒の留袖を纏い、艶やかな黒髪を纏めた瑞姫の美しさは、会場にいる女性客たちの誰よりも勝っていた。「キモノ姿のお袋は綺麗だなぁ。」「そりゃそうよ。でもお父様も素敵よね。」「何言ってるのよ、エルジィお姉様が一番綺麗よ。だって主役なんだから。」アイリスとユナ、聖がそう言い合っていると、ブルネットの女が会場に遅れて入って来た。「今まで何してたんだろうな、あの女?」「さぁ、知らないわよ。」アイリスはちらりとブルネットの女を見ると、彼女は瑞姫に向かって何か言っていた。彼女の美しい顔は醜く歪んでいたが、対する瑞姫は終始穏やかな表情を浮かべていた。「母さん、あの女に何を言われたの?」披露宴が終わった後、アイリス達はそう言ってエレベーターへと乗ろうとした瑞姫を呼び留めた。「あの人、“娘をちゃんと躾けろ、それでも母親か”って一方的に捲し立ててきてね。わたしはただ一言、“娘達はあなたのように、他人に唾をかけて怒鳴り散らすような人間には育てておりませんので、ご安心くださいな”と言っただけよ。そしたら彼女、さっさと会場から出て行ったわ。」「お袋、やるねぇ。そうこなくっちゃ。」聖はそう言って口笛を吹いた。「お母様、素敵!」「わたしは何もしていないわ。ああいう人にはちゃんと言わないとね。それにしてもあの人、何処へ行ったのかしら?」「さぁな。多分バーで男でも漁ってるんじゃねぇの?」「じゃぁわたし達は先に休んでいるから、あなた達は色々と楽しんで来たら?」瑞姫はそう言って子ども達に微笑むと、エレベーターに乗り込んだ。「あの女も、お母様にかかれば何も出来ないわね。」「そりゃそうさ。お袋とあの女では格が違うんだから。なぁ、これからどうする?」「そうねぇ、部屋でポーカーでもする?」アイリス達がエレベーターに乗り込むと、あのブルネットの女が男と何か言い争っている姿を見かけた。「また修羅場かな?」「さぁ、知らないわ。勝手にやっとけってかんじよ。」 同じ頃、ルドルフと瑞姫は部屋でコーヒーを飲みながら、エルジィの結婚を2人きりで祝っていた。「何だかまだ寂しいな。」「もう、それで何回目ですか、そう言うの?」瑞姫は苦笑しながらも、夫を見た。「ミズキ、今夜のお前はとても綺麗だ。」「ありがとう。」ルドルフは瑞姫を抱き締めると、彼女の唇を塞いだ。にほんブログ村
Feb 4, 2011
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10年後―オーストリア・ウィーン。「エルジィお姉様、結婚おめでとう!」「ありがとう、みんな。」ルドルフと前妻・シュティファニーとの娘・エリザベートことエルジィは純白の花嫁衣装に身を包みながら、家族から祝福の言葉を受けて照れ臭そうに笑った。「エルジィ、結婚おめでとう。何だかお前の花嫁姿を見ているのに、まだ信じられないよ。」「ありがとう、お父様。」ルドルフはエルジィの頬にキスをした。「この姿を、一番お祖父様に見せたかったのだけれど・・」エルジィはそう言うと、3年前に86歳で亡くなった祖父・フランツ=カール=ヨーゼフのことを想った。彼は臨終の床でルドルフから孫娘の結婚を知らされると、嬉しそうに笑いながら逝った。「父上はきっと天国でお前の花嫁姿を見ていらっしゃるよ。エルジィ、幸せにおなり。」「ええ。」ルドルフとエルジィは互いに顔を見合わせながら、笑った。「エルジィ、結婚おめでとう。」「ありがとう、お母様。」瑞姫は美しく成長したエルジィの姿を嬉しそうに見た。血が繋がってはいないが、2人は実の母娘同然だった。「今までわたしを育ててくれてありがとう。わたし、お母様のようになれるように、頑張るわね。」「エルジィ、あなたはあなたのやり方で幸せになってね。たまには帰っていらっしゃいね。」「ええ。」「エルジィ様、お時間です。」エルジィは人生の伴侶と共に、新しい人生への一歩を歩んだ。「あの子が嫁いだという実感が、まだ湧かないなぁ・・」挙式が終わった後、ルドルフはそう言って溜息を吐くと、胸元のタイを緩めた。「やっぱり寂しいですか?」「当然だ。だがこれからこんな思いをあと3回もしないといけないと思うと、気が滅入るよ。」「いいじゃないですか、また家族が増えると思えば。」「そうだな、何事もプラス思考でいかないとな。」「そうですよ。」披露宴会場に入ると、アイリスと椰娜(ユナ)がエルジィと談笑していた。2人はそれぞれ、デザイナーは同じだが、違うデザインの煌びやかなドレスを着ていた。「お姉様、寂しくなるわね。」「2人とも、大袈裟ね。少ししか離れていない所に住むんだから、週末には会えるでしょう?」「だってぇ~」「寂しいものは寂しいんですもの~!」アイリスとユナはそう言って、わんわんと泣き始めた。「アイリス、ユナ、泣いてはお化粧が崩れるわよ。」瑞姫が呆れたように2人を見ると、彼女達は慌てて化粧直しの為にトイレへと駆けこんだ。「いつまで経っても甘えん坊ね、あの子達は。」「仕方無いわよ、お母様。あの子達にとって、わたしは大好きなお姉様だったんだもの。」 トイレへと向かったアイリスとユナは、化粧直しをしながら雑談していた。「ねぇ、この間遼太郎兄様に彼女が出来たみたいよ。」「ええ、本当なの?」「友達が見たって。」「もう戻らないと、披露宴が始まっちゃうわ。」「そうね。」2人がトイレから出ようとした時、身体の線を強調したドレスを纏った女が入って来た。「あら、誰かと思えば。」女はそう言うと馬鹿にしたかのような笑みを浮かべて2人を見た。にほんブログ村
Feb 4, 2011
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「どうした、ミズキ?」瑞姫が真珠のメールを見ていると、ルドルフが執務室に入って来た。「ルドルフ様、真珠からこんなメールが?」瑞姫は椅子から立ち上がり、ルドルフに真珠のメールを見せた。「やっぱりな・・」ルドルフはそう言うと低く唸った。「ルドルフ様、兄様がどうして死んだのか知っているんですか?」「ああ。アタカが死んだ時、これがわたしの元に届いたんだ。」ルドルフはポケットの中からUSBメモリを取り出した。「それは?」「何かの裏帳簿らしくてな。どうやらアタカはこの裏帳簿に関する調べ物をしていて殺されたらしい。」「そうですか・・」ルドルフがUSBメモリをノートパソコンに挿し込み、裏帳簿のファイルを開いた。「このファイル、シリルさんと前に見たことがあります。これは汚職の証拠品でしょうね。」「ああ。だから真夜中にシリルの家に強盗がやって来たんだろう。」己の保身の為だけに、聡一郎は殺し屋を雇って亜鷹を事故死に見せかけて殺した。「これには裏帳簿の他に、ソウイチロウが雇った殺し屋のリストがある。わざわざ強盗を雇ってシリルとともにこれを始末しようとした理由が判るな。」「ええ・・」瑞姫はそう言うと、USBメモリ内の全ファイルをインターネット上のあるサイトに流した。今まで聡一郎がひた隠しにしてきた悪事がインターネット上で明らかとなり、彼は囚人となって残りの半生を牢獄で過ごすことになった。「これで、兄様は喜んでくださるでしょうか?」聡一郎逮捕を報じたニュース番組を見ながら、瑞姫はそう言ってルドルフを見た。「ああ。アタカは妻と息子を遺して殺された。ソウイチロウはこれで大人しくしてくれるといいがな。」ルドルフがそう言った時、執務室のドアが勢いよく開いて聖が彼に抱きついて来た。「パパ、遊んで~!」「駄目よ、聖。お父様はわたし達と遊ぶんだもん!」「抜け駆けなんてずるいわよ!」バタバタとアイリスと椰娜(ユナ)が部屋に入って来るなり、ルドルフの足にしがみついている聖を引き離そうとした。「こらこら、喧嘩は止めなさい。3人で一緒に遊ぼうか。」「やったぁ~!」3人は歓声を上げると、ルドルフの手を引っ張った。「早く早く~!」「はいはい、わかったよ。」子ども達に手を引っ張られながらも笑顔を浮かべながら、ルドルフは彼らとともに部屋から出て行った。(良かった、聖があんなに明るくなって。)数ヶ月前、手のつけられないモンスターだった聖が、今では少しやんちゃだが子ども本来の明るさを取り戻している。(兄様、聖はわたしとルドルフ様が大切に育てますから、安心してくださいね。)心の中で今は亡き亜鷹にそう瑞姫が語りかけた時、耳元で突然彼の声がした。―ありがとう、瑞姫・・(今のは、気の所為かしら?)瑞姫はそう思いながら、中庭で遊ぶルドルフ達を見た。 一方、東京では準が隼の病室を訪ねていた。「準叔父さん、来てくれたの。」隼は荒い呼吸をしながら、準を見た。「いよいよ明日だな、隼。」「うん。ねぇ叔父さん、もし僕が死んだら・・」「そんな縁起の悪い事言うんじゃない。必ずお前の病気は治るから。」「そうだね、僕はあの人の分まで生きないとね・・たとえ、僕の周りが荒涼な世界だとしても・・」「隼・・」準は堪らず、隼の小さな身体を抱き締めた。翌日、隼は移植手術の為に渡米した。にほんブログ村
Feb 4, 2011
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聖の全身に広がる虐待の痕跡に、瑞姫は絶句した。あの時亜鷹の母親の元から引き取らなかったから、彼は死んでいたのかもしれない。瑞姫は聖の身体を洗うと、彼は急に大人しくなった。「聖、お身体拭くからね。」「うん・・」「どうしたの、何処か痛いの?」「違う。あの婆、いつも俺を風呂に入れる時頭を押さえつけるんだ。でもあんた、そうしないから・・」「わたしはそんな事しないわ。はい、これあなたの新しい服。それを着て、ごはんを食べましょうね。」「やだ、この服がいい。」聖は瑞姫が用意した服を払い除けると、薄汚れて穴だらけになったトレーナーを頭から被った。「どうして?」「これ、かあさんが買ってくれたんだもん。」「そう・・」浴室からダイニングから移動するまでの間、聖は瑞姫のワンピースの裾にしがみついて離れなかった。「さ、お腹空いたでしょう? 沢山食べなさい。」瑞姫がそう言った途端、聖は近くの椅子に飛び乗ると、パンやステーキを掴み、口に押し込み、スープ皿には頭を突っ込んで大きな音を立てて飲んだ。その姿はまるで、飢えた野良犬のようだった。「まぁ、何て汚い食べ方なのかしら!」後ろに控えていた女官が思わずそう叫ぶと顔を顰めた。「うるせぇ!」聖はスープ皿から顔を上げると、それを女官達に向かって投げつけた。「ヒジリ、そんな事をしては駄目だよ。」ルドルフがやんわりと聖に注意して彼を押さえつけようとした時、彼は思いっ切りルドルフの手の甲に噛みついた。「痛ぅ・・」ルドルフが手を緩めると、聖はダイニングから勢いよく逃げ出した。「ルドルフ様、大丈夫ですか?」夕食の後、瑞姫はルドルフの怪我の手当てをしていた。聖に噛まれた箇所は、血で赤く滲み、小さな歯型がくっきりと残っていた。「跡が残るほど強く噛まれるなんて、初めてだな。」ルドルフは瑞姫に包帯を巻かれながら、溜息を吐いた。「許してあげてください、あの子のことを。あの子は今まで酷い目に遭ってきたんです。あの子の全身に虐待の痕がありました。きっとわたしがあの時あの子を引き取らなければ、あの子は死んでいた筈です。」「悲しいモンスターだな、あの子は。自分が傷つけられる前に、他人を傷つける以外己の身を守る術を知らないなんて・・」「聖を、探しに行ってきます。」ダイニングを飛び出した聖は、遼太郎の愛犬・ルナと遼太郎の部屋で寝ていた。「こいつ、いつの間にか部屋に入ってきて、暫く泣いてた。」「そう。遼太郎、この子は少し乱暴かもしれないけれど、我慢してくれる? この子は今まで誰からも守られなかったの。」「わかったよ。僕丁度弟が欲しかったところなんだ。」遼太郎はそう言って笑った。 瑞姫に引き取られてから数日が経ち、聖は泣き叫んだり理由もなく暴力を振るったりしていたが、その度にルドルフや瑞姫が彼に手を上げる代わりにぎゅっと彼を抱き締めたので、やがて彼は徐々に落ち着いてきた。「ヒジリは最近落ち着いたな。数週間前ここにやって来た時はどうなるかと思ったが。」「あなたが支えてくれたからですよ。いつも感謝してます。」瑞姫はそう言ってルドルフに微笑んだ。「ありがとう。」翌日、瑞姫の元に真珠から一通のメールが届いた。そこには、信じられない事が書かれてあった。“亜鷹兄さんは、早瀬さんに殺された。”メールを読み終えた後、瑞姫はその場から暫く動く事が出来なかった。にほんブログ村
Feb 2, 2011
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「聖、待ちなさい!」男児が飛び出してきた部屋の中から、亜鷹の母親が髪を振り乱しながら木刀片手に出て来た。「聖、あたしの財布からお金を盗んだだろう? さっさと返しなさい!」「盗んでない、盗んでないもん!」男児はそう言ってルドルフの後ろに隠れた。「嘘吐け、あんたがあたしの財布から万札を抜き取ったのをこの目で見たんだからね! さっさと返さないと痛い目に遭うよ、いいのかい!」木刀を振りまわしながら、亜鷹の母親は男児を見た。「小母様、お久しぶりです。」瑞姫が亜鷹の母親に挨拶すると、彼女は慌てて木刀を下ろした。「あら、瑞姫さん。見苦しいところを見せちゃってごめんなさい。その子がいけないことをしたらお仕置きをしようと思ってね。」「一体何があったんです?」「この子はいつもあたしの目を盗んであたしの金をくすねるから、いつもこれでお仕置きをしているんだよ。」亜鷹の母親は逃げようとする男児の首根っこを掴むと、彼が握っていた拳を無理矢理開かせた。「やっぱりあたしの金をくすねようとしたね! この泥棒め!」彼女はそう叫ぶと、男児の耳を抓った。「いやだ~、かあさんに会いにいくんだ~、離してよ~」「お前の母さんはもういないんだよ。さぁ納屋に行きな、今日は飯抜きだからね!」男児は泣き叫びながら抵抗したが、亜鷹の母親は彼の腕が折れそうになるほどぐいぐいと引っ張った。「小母様、そんな事をなさらないで。怯えているじゃありませんか。それに言い聞かせるだけでも良いのでは・・」「言っても判らないなら、身体で教え込んだ方がいいんだよ!」「やだ、やぁ~!」男児は泣きじゃくりながら、何とか老女の手から逃れようと必死にもがいていた。「もう止してください、小母様。ぼく、お名前は?」「ひじりです。」瑞姫は亜鷹に似た翠色の瞳が涙で潤んでいることと、薄手のトレーナーから覗く彼の腕に赤黒い痣があることに気づいた。「小母様、突然ですけれど、聖君をわたし達の方に預からせて貰えないでしょうか?」「あんた達がこの子を育ててくれるっていうのかい? あたしはもうこの子にお手上げさ。聖、命拾いしたね!」吐き捨てるように亜鷹の母親は男児―聖に向かってそう言うと、太った身体を揺さ振って家の中へと入って行った。「地獄でくたばっちまえ、鬼婆!」「聖君、もうあなたをいじめる人はいないわ。これからはおばちゃんと一緒だからね。」僅か5歳の子どもがこんな乱暴な言葉を吐くまで、彼は実の祖母から虐待を受けていたに違いない―聖が今まで置かれていた境遇を思うと、瑞姫は涙が出て来た。瑞姫に抱きしめられた聖は暫く暴れていたが、その叫び声が少し大人しくなり、最後は泣き声に変わった。「大丈夫、大丈夫だからね。」瑞姫とルドルフが亜鷹の遺児・聖をオーストリアへと連れて帰った。「皇太子妃様、その子は?」突然瑞姫がみずぼらしい身なりをした子どもを連れて日本から帰ってきたのを見て、女官達は奇異の目で彼を見た。「この子をお風呂に入れてあげて頂戴。」「か、かしこまりました。さぁ、おいで。」女官の1人がそう言って瑞姫から聖を離そうとするが、彼は瑞姫の服にしがみついて離れようとしない。「わたしがこの子をお風呂に入れるわ。」瑞姫は聖を浴室へと連れて行き、彼の服を脱がせようとしたが、聖は突然暴れ始めた。「大丈夫、身体を洗うだけだからね。」瑞姫は聖に優しく声をかけ、彼に服を脱がせて裸にした途端、彼女は絶句した。聖の小さな身体には、無数の痣と、煙草の火を押し付けられたような火傷痕があった。にほんブログ村
Feb 2, 2011
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瑞姫は9年振りに、自分が生まれ育った町へと帰って来た。「姉様、お帰りなさい!」 実家で自分達を出迎えてくれた異母弟・真珠(まじゅ)は、背が伸びて立派な少年となっていた。「真珠、ただいま。随分と大きくなったわね。」「いつも姉様の事、お母様が心配してたよ。」「そう・・」ルドルフと結婚するまでは何かと瑞姫は継母の顕枝(あきえ)と距離を置いていたが、異国で慣れぬ生活をしている義理の娘を彼女なりに案じているらしい。「真珠、これから母様と亜鷹兄様のお墓参りに行くわ。」「そう。路面が凍結しているから僕も行くよ。」瑞姫達は墓地へと向かった。「ねぇねぇ、お母様はここで育ったの?」「そうだよ。」「いい所だね。」遼太郎達は初めて来る母の故郷にはしゃぎながら、墓地へと向かった。「ここ、誰のお墓?」「お母様とお父様がお世話になった人のお墓だよ。」ルドルフはそう言って亜鷹の墓に線香を上げ、合掌した。(アタカ、今までわたし達を支えてくれてありがとう。わたし達の幸せを天国から見守ってくれ。)ルドルフの脳裡に、亜鷹の笑顔が浮かんだ。「ねえ、あっちのは誰のお墓?」遼太郎はそう言って、高台にぽつんと建っている黒羽根の墓を指した。「あれはね、お前達のお祖母様のお墓だよ。」「そうなんだ。お母様を産んだ後に亡くなったって本当なの?」「本当だよ。お母様もお前達を命懸けで産んだんだよ。だから今生きていることに感謝しないといけないよ。」ルドルフはそう言って子ども達を見た。「うん。」 それから瑞姫達は黒羽根の墓参りをし、墓地を後にした。「瑞姫さん、お帰りなさい。外は寒かっただろうから、お鍋にしましたよ。」実家に帰ると、顕枝が笑顔で瑞姫達を迎えた。「わぁ何これぇ~!」「変なの~!」ダイニングテーブルに置かれた土鍋を興味深げに遼太郎達が見ていると、顕枝がくすりとその姿を見て笑った。「可愛い子達ね。瑞姫さん、慣れない土地での子育ては大変だったでしょう?」「いいえ。ルドルフ様が助けてくださいましたから。」「そう、旦那様の協力がないと5人も育てられないわよね。」その日の夕食は家族で鍋を楽しく囲んだ。「ねぇ瑞姫さん、亜鷹さんのお母様とお会いになった?」「いいえ。兄様のお母様とお会いしたのは、兄様の告別式の時だけで・・」「そう。あのね、ここだけのお話しなんだけどね、あの人亜鷹さんの子どもを育てているのよ。」継母の言葉に、瑞姫とルドルフは目を丸くした。「亜鷹兄様に、子どもが居たんですか?」「ええ。告別式の後にわたしも知って驚いたのよ。お相手の女性はOLだったんだけど、亜鷹さんとはお仕事関係で知り合ったんですって。いずれ結婚するつもりでいたけれど、亜鷹さんがあんな事になってしまったでしょう。その人は子どもを産んだのはいいんだけれど、赤ん坊を置いて家を出て行ってしまったのよ。」「その子は今いくつですか?」「そうねぇ、もう5歳くらいになるかしら。聖くんって言ってね、大人しい子なんだけど、亜鷹さんのお母様が厳しい人だから、ちょっとね・・」顕枝はそう言って言葉を濁すと、口を噤んだ。「それにしても兄様に子どもが居たなんて、初耳だったわ。」「ああ。だがアキエさんは何か話したくない事があるらしいな。」「今度、兄様のお母様にお会いしてみましょうか? 聖っていう子も気になるし。」翌朝、オーストリアへと帰る前に瑞姫とルドルフは亜鷹の母の元を訪れたが、チャイムを押しても誰も出ない。「こんな早い時間に迷惑だったかしら?」「ああ。」 彼らがリムジンへと乗り込もうとした時、不意に玄関の戸が開いて1人の男児が飛び出してきた。にほんブログ村
Feb 2, 2011
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2019年1月。「日本へ、わたくし達が?」「ああ、そうだ。今年は日墺国交樹立150周年という記念すべき年だ。わたしが行きたいところだが、どうも身体が言う事を聞いてくれんのでな。お前達に半ば押し付けるような形になってしまったが・・」「いいえ、お義父様。ルドルフ様と子ども達とともに日本へ参ります。向こうにはわたくしの両親がおりますが、長い間会っておりませんし・・」「そうか、済まないな、ミズキ。」「いいえ。アイリス達の事でお義父様には感謝してもしきれません。」和やかな雰囲気で朝食が終わると、瑞姫はルドルフ達に日本へ行く事を話した。「そうか、日本に行く事になったか。そういえばお前がこの家に嫁いで来てから一度も里帰りしていなかったからな。」ルドルフはそう言って瑞姫を見た。「ええ。日本に行ったら母様と亜鷹兄様のお墓参りにも行きたいので、丁度良かったです。」こうして瑞姫達は日本へと向かう事となった。「お母様、日本ってどんなところ?」「とてもいい所よ。きっと気に入るわ。」ハプスブルク帝国専用機がウィーン国際空港から離陸し、一路成田へと向かっている最中、初めて海外旅行する子ども達は興奮し、まだ見ぬ母の故郷へと思いを馳せていた。「やっと寝たな。」「ええ。みんな元気かしら?」「元気にしているさ。」ルドルフも今回の日本行きについて、瑞姫の親族と久しぶりに顔を合わせるのを楽しみにしていた。それと同時に、厄介な男と会わなければならないことで少し気が滅入りそうになっていた。(ソウイチロウは恐らくあのままだろうな・・)さんざん瑞姫と自分を苦しめていた聡一郎の憎い顔が脳裡に浮かび、ルドルフは吐き気を催しそうになった。昨年秋に学校で起きた窃盗事件で彼の嫁が投身自殺し、日本へと帰国してから彼との関わりを一切断ち切ったとルドルフは思っているが、向こうはそうではないかもしれない。「どうしました?」「いや、何でもない。ミズキ、あれからソウイチロウから連絡はないか?」「いいえ。小父様は小父様で色々とお忙しい方ですから。あんな事があって、わたし達を構う暇もなくなったんじゃないかしら?」その口調こそは穏やかなものだったが、発した言葉には少し棘が含まれていた。「まぁ、彼の事は考えないようにしよう。お前にとっては久しぶりに里帰りすることになるんだし、子ども達にとっては初めての海外だ。」「ええ。」やがて彼らを乗せた専用機は数十時間のフライトを終え、無事に成田空港へと着陸した。専用機から降りた彼らに、一斉にカメラのフラッシュが炸裂した。ルドルフと瑞姫はにこやかにマスコミに向かって手を振りながら、優雅にタラップを降りていった。「皇太子様~!」「皇太子妃様~!」空港の着陸ゲートへと彼らが入ると、そこには大勢のファンが悲鳴を上げて彼らを迎えた。「瑞姫様、お帰りなさい!」ファン達の声援に思わず頬が弛みそうになりながらも、瑞姫はにこやかに夫と子ども達とともにリムジンへと乗り込んだ。「到着してこれ程の大騒ぎとは・・これじゃぁ、墓参りに行けるかどうか心配だな。」「そうですね・・」 ハプスブルク家へと嫁いだ日本人女性の帰郷は、たちまち日本中を沸かせた。瑞姫は行く先々で人々から歓迎を受け、夫と子ども達とともに大いに日本での滞在を楽しんだ。そして瑞姫達が漸く瑞姫の故郷へと迎えたのは、オーストリアへと帰る前日の事だった。にほんブログ村
Feb 2, 2011
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「父上・・」「お前は、今までわたしを騙していたのか?」フランツはそう言うと、ルドルフに詰め寄った。「お義父様、わたくしとルドルフ様を騙してなどおりません!」「ではフェルディナンドの話は? アイリスとユナはお前とミズキの子どもではないのは事実なのだろう?」「父上、あなたはわたし達を信じてくださらないのですか?」ルドルフはフランツの顔に浮かんだ表情を見て、彼が自分の事を信じてくれないことに気づいた。「では、娘達のDNA検査をしましょう。それでわたし達があなたを騙していたのかが判るでしょう?」「そうしてくれ。これ以上噂に振り回されたくない。」フランツはそう言うと、大広間から出て行った。「というわけだ、フェルディナンド。済まないが、お前とその娘をパーティーに招待した憶えがないので、出て行って貰おうか?」フェルディナンドはマリーを連れて、憤然とした様子で大広間から出て行った。「ルドルフ様、わたしは・・」「アイリスとユナと血が繋がっていなくても、わたしはあの子達の父親には変わりない。わたしはどんな事があってもお前と子ども達の手を離さないと誓ったんだ。」「ルドルフ様・・」ルドルフとアイリスとユナのDNA検査の結果が届いた。結果は、彼女達とルドルフが実の親子でないと証明された。「そうか、やはりあの子達とルドルフは血が繋がっていなかったか。」DNA結果を聞いたフランツは、そう言うと溜息を吐いた。「陛下、どう致しますか? 皇太子妃様が外の男との間に作った娘達を皇族として育てていたことをマスコミに知れたら・・」「これ以上隠す訳にはいかぬだろう。それに、あの子達はわたしの孫娘だ。たとえ血が繋がっていなくてもな。」 瑞姫はフランツが自分とアイリス達を引き離すかもしれないという不安にお陥り、眠れない夜が続いた。「皇太子妃様、陛下がお呼びです。」瑞姫は覚束ない足取りでベッドから起き上がると、身支度をして謁見の間へと向かった。「陛下、お話とはなんでしょうか?」「ミズキ、アイリス達のことだが・・あの子達は今まで通りお前達の子としてホーフブルクで育てろ。」「ありがとうございます、陛下!」涙を流しながらフランツに頭を下げる嫁の姿を、彼は愛おしそうに見つめていた。目論見が外れたフェルディナンドは舌打ちすると、瑞姫を睨みつけた。(陛下を誑かして王宮に居座る気か、この雌狐が!)「お母様!」皇帝との謁見が終わると、瑞姫の元にアイリスとユナが駆け寄って来た。「アイリス、ユナ・・」瑞姫は彼女達を抱き締め、涙を流した。(もうこの子達を離さない・・離したくない!)「お母様、どうして泣いているの?」「何でもないのよ。」アイリスとユナは訳が判らず、互いの顔を見合わせていた。「フェルディナンド、話がある。」「何でしょうか、陛下?」「今回の騒動、お前が関わっていると報告があった。」「そんなことはしておりません、陛下。わたしは・・」「言い訳はいい。その責任を取る形で皇籍から離脱して貰う。ゾフィーとかいう女と何処へなりとも行けばいい。」フランツはそう言うと、必死に懇願するフェルディナンドにそっぽを向いた。(くそ、何でわたしがこんな目に!)フェルディナンドの中で、皇太子夫妻への憎しみが日に日に募っていった。 新年を迎える前にフェルディナンドの皇籍離脱が正式に発表され、彼はゾフィーとともに人知れずオーストリアから離れた。ルドルフの愛人と自称していたマリーの消息は蓉の誕生パーティーの夜以来途絶えていた。口封じの為に誰かに殺されたという噂が流れたが、やがてそれも途絶え、人々の記憶からマリーは消えていった。にほんブログ村
Feb 2, 2011
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ホーフブルクではルドルフと瑞姫の第2皇子・蓉の誕生パーティーが盛大に行われた。「お父様、ありがとう!」約束通りにトイプードルの子犬をプレゼントされた蓉はそう言うと、ルドルフに抱きついた。「動物の命を預かるのは簡単なことじゃないから、ちゃんと責任を持って育てるんだよ。」「うん、わかった!」蓉は子犬を抱きながら、遼太郎の元へと向かった。「あの子達はいつも元気で、怪我でもしないかとはらはらしているんですよ。」瑞姫はそう言うと、ルドルフにしなだれかかった。「いいじゃないか、男の子は少しやんちゃでも許される。まぁ、わたしがあの子達の年の頃には、やけに落ち着いた生意気な子どもだったけれどね。」ルドルフは目を細めながら息子達を見た。「ルドルフ様、あの事はどうなさるおつもりですか?」「ちゃんとあちら側とは決着を着けるつもりだ。すまないなミズキ、お前に辛い思いをさせてしまって。」少し痩せた妻の腰に、ルドルフは手を回した。「いいんです。わたしにとって子ども達の笑顔が一番の特効薬になりましたから。」そう言ってルドルフに浮かべる瑞姫の笑顔に、嘘は一切なかった。 ルドルフの愛人と自称する少女・マリーの存在によって一時期瑞姫とルドルフの夫婦仲が危うい状態になったが、ルドルフが彼女との関係を否定し、あのゴシップブログの突然の閉鎖に伴い、彼らは次第にマリーの存在を忘れようとしていた。「あの子は、一体何がしたかったんでしょう?」「さぁな。愉快犯だったかもしれないな。」ルドルフと瑞姫が仲良く笑いあっていた時、廊下の方から突然怒鳴り声が聞こえた。「離してよ、離しなさいったら!」警備員に取り押さえながら怒鳴っている少女は、紛れもなくあのマリーだった。彼女の姿を見た瞬間、瑞姫の胸がざわついた。(どうして彼女がここに・・?)「そこで何をしている?」「フェ・・フェルディナンド様、こちらの娘が勝手に・・」「この女性はわたしの連れだ。彼女を離せ。」フェルディナンドがそう言うと、警備兵達は慌ててマリーを離した。「皇太子様、お会いしたかったわ!」ルドルフへと駆け寄ろうとするマリーを、彼は不快な表情を隠しもせずに彼女を見た。「フェルディナンド、なんのつもりだ。このような娘を中に入れるとは。」「言ったでしょう、彼女はわたしの連れだと。それに皆様にお伝えしたいことがあるのですよ。」フェルディナンドはそう言うと、不敵な笑みを浮かべた。 やがて大広間に設置されたスクリーンに、映像が浮かびあがってきた。そこには仲良く遼太郎と蓉と遊ぶ双子の姉妹・アイリスとユナの姿が映った。「ルドルフ様、大したものですね、あなたは。父親が違う娘達を育てるなんて、わたしには到底できないことです。」―今、なんて・・―アイリス様とユナ様が、ルドルフ様のお子様ではない・・フェルディナンドの爆弾発言に、客達は動揺を隠せなかった。「それに、仕方がなかったとはいえ夫以外の男性と不貞を犯した妻と離婚もしないとは、あなたはとても懐の深い男だ。」「何が・・言いたい?」「この事を陛下に知られたくなかったら、わたしに帝位を譲っていただけないでしょうか?」「お前のような卑劣な男が王になるだと? そうなったらこの国は崩壊する。」ルドルフがそう言ってフェルディナンドを睨みつけていると、フランツが部屋に入って来た。「ルドルフ、今の話は本当なのか?」「父上・・」ルドルフとフェルディナンドが同時にフランツの方へと振り向くと、そこには怒りと驚愕が入り混じった表情を浮かべている皇帝の姿があった。にほんブログ村
Feb 2, 2011
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ノートパソコンの画面上に表示されているのは、悪意に満ちたゴシップブログの記事だった。そこにはルドルフと瑞姫の写真、そしてルドルフの愛人とされる17歳の少女の顔写真と彼女のインタビューが載っていた。「このブログの管理人は誰だ? 直ちにこのブログを閉鎖させろ!」怒気を孕んだルドルフの声に暫し侍従達は固まったが、慌てて彼らは部屋から出て行った。(わたしに相手にして貰えないと逆恨みして、こんな舐めた真似をするなんて・・)満面の笑顔を浮かべる少女を、ルドルフは画面越しに睨みつけた。 ウィーンに居る瑞姫も、ブログの存在を知り暫く椅子から立ち上がる事が出来なかった。「皇太子妃様、大丈夫ですか?」「え、ええ・・」記事の内容は悪意に満ちた、俄かに信じ難いものだった。廊下から末娘・樹(いつき)の泣き声がしたかと思うと、乳母が樹を抱いて執務室に入って来た。「皇太子妃様、イツキ様が泣き止まなくて・・」乳母から樹を受け取った瑞姫は、彼女をあやし始め、まだ彼女に母乳を与えていないことに気づいた。「授乳ケープを取って来て頂戴、ハンナ。」数分後、授乳を終えた瑞姫は、樹の背中を叩くと、彼女は小さなげっぷをした。「イツキ様は皇太子妃様に抱かれるとすぐに泣き止みますね。やはり母親の肌の温もりが一番いいのかしら?」ハンナはそう言うと、溜息を吐きながら瑞姫の腕の中で眠る樹を見た。「ハンナ、あなたは良くやってくれているわ。遼太郎をもし1人で育てていたらわたしは精神的に追い詰められておかしな行動を取ったでしょうね。でもあなたが居たから、母親として自信がついたのよ。あなたには感謝してもしきれないくらいよ。」瑞姫はハンナに微笑むと、彼女は照れ臭そうに笑った。「皇太子妃様、このブログの事など気にしない方が宜しいですわ。このマリーとかいう女は、世間から注目されたいだけなんですから。」「そうね・・」瑞姫は樹を抱いたまま椅子から立ち上がろうとした時、彼女は眩暈に襲われて床に蹲った。「皇太子妃様、お気づきになりましたか?」彼女は何時の間にかベッドに寝かされ、その傍には数人の女官が心配そうに自分を見つめていた。「わたし、どうしたのかしら?」「急にお倒れになったんですよ。間もなくお医者様がいらっしゃいます。」「そう・・」瑞姫はそう言ってゆっくりとベッドから起き上がると、夜着の袖を捲って赤い発疹を掻いた。「皇太子妃様、それは?」「一昨日から急にできたの。最近公務で何かと忙しかったから・・」医師の診断により、赤い発疹は心因性のものであると判った。「暫く公務を休まれて、お子様達と過ごす時間を大切にしてください。」「はい、わかりました。」医師が寝室から出た後、瑞姫は溜息を吐いた。(早くルドルフ様にお会いしたい・・)夫の留守中にあんなスキャンダル記事が世界中に配信されるなんて、思ってもみなかったことだった。早く夫の顔を見て安心したい―瑞姫はゆっくりと目を閉じると、ベッドに横になった。「ハンナ、お母様はご病気なの?」ルナと遊んでいた遼太郎は、そう言って部屋に入って来た乳母に尋ねた。「ええ。お母様は今大変な時期なのですよ。リョータロウ様達の助けが必要ですから、お母様を支えてやってくださいね。」「そう・・お母様と父上、離婚するのかな?」「まさか、そんな事はありませんよ。皇太子様は皇太子妃様の事を愛しておられますもの。」ハンナはそう言って遼太郎に微笑んだ。にほんブログ村
Feb 2, 2011
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ルドルフと少女は、近くのカフェへと向かった。「で、お話って何かしら?」「わたし、あなたのご主人と・・皇太子様とお付き合いしているの。」少女がそう言った時、店員が2人のテーブルの方へと歩いてきた。「ご注文は?」「シュヴァイツァーを2つ。」店員が奥へと戻って行くのを確認すると、少女は瑞姫の方へと向き直った。「あなた、お名前は?」「マリーよ。わたし、皇太子様の昔からのファンなの。だから皇太子様があなたと結婚した時は、酷く落ち込んでしまって、食事が喉を通らない日が何日か続いたわ。」瑞姫は少女の話を静かに聞いていた。一体彼女は何が言いたいのだろうか。「それで、あなたはわたくしに何かお願いごとをしに来たのかしら?」「ええ。単刀直入に言うわね、皇太子様と、別れてくださらない?」「それは無理よ。わたくしはあの人とは絶対別れないわ。向こうだってそう思っている筈・・」「これを見て、そんな事が言えるかしらね?」少女は勝ち誇ったかのような笑みを浮かべると、バッグから1枚の写真を取り出した。そこには、粗い画像の中に豆粒ようなものが映っており、瑞姫はそれが何であるか解った。「わたし、皇太子様の子を妊娠したの。この子には両親揃った環境で育って貰いたいのよ。」「まぁ、本当にこれ、あなたのものかしら?」瑞姫はそう言って、少女に写真を突き返した。「もう5分経ったわ。コーヒー代はあなたがお払いになってね。御機嫌よう。」瑞姫はさっとカフェを出ると、会合先のホテルへと向かった。 会合が終わり、瑞姫は帰る道すがら少女の話を思い出していた。―わたし、皇太子様の子を妊娠しているの。ルドルフと女性との噂が絶えないのは結婚前から知っていたし、誰からも相手にされない男よりも良いと瑞姫はそう割り切り、結婚生活を送ってきた。だが、今回は違う。相手は年端もゆかない少女で、しかもルドルフの子を妊娠している。(どうすればいいの・・?)「お母様、どうしたの?」ふと我に返ると、アイリスが怪訝そうな顔をして瑞姫を見ていた。「何でもないわ、アイリス。ピアノのお稽古中だったわね?」「うん。お母様が弾く番よ。」「ごめんね。」瑞姫は少女との会話を打ち切るように、ピアノを弾き始めた。ルドルフは数日前にプラハへ視察に行っているので留守で、瑞姫は寝室で溜息を吐きながら写真立てを見た。そこには、結婚式の写真が映っていた。(ルドルフ様とは、離婚した方がいいのかしら?)瑞姫は写真立てを握り締めながら、目を閉じた。 同じ頃、プラハ城の自室でルドルフは物思いに耽っていた。彼の前には、一通の手紙がテーブルの上に置かれてあった。“わたし、あなたの子を妊娠しました。責任は取ってくださいね?”乱雑な字で走り書きされた、たった一行の文字が今、ルドルフを悩ませていた。これまで妊娠を口実に近寄って来る女達は沢山いたが、この手紙の送り主ほど執拗な女は居なかった。こんな大事な時期に、突然現れて脅迫しに来るとは、何か裏があるに違いない。(誰かが彼女を操っている。)明日、瑞姫と話し合おう―ルドルフは手紙を引き裂くと、それをゴミ箱へと放った。「ルドルフ様、ルドルフ様!」翌朝、侍従の声でルドルフはベッドから起き上がり、寝室を出た。「どうした?」「あの、サイトに・・あんなものが・・」「解るように説明しろ。」ルドルフが苛立ち混じりの溜息を吐くと、侍従は彼の耳元でとんでもないことを囁いた。にほんブログ村
Feb 2, 2011
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クリスマスシーズンになり、皇太子夫妻はとシュタイナー伯爵夫人からパーティーに招待された。「どうですか?」「良く似合っているよ。」ルドルフはそう言うと、艶やかな黒のドレスを纏い、アメジストのネックレスを付けた妻を見た。5人も子を産んだというのに、ウェストのラインは妊娠前と殆ど変っていないのは、ルドルフとともに妊娠中の体重管理や産後のダイエットに励んだからだろう。「イツキは?」「あの子なら寝ていますよ。2ヶ月前はあやしても全然泣き止まなくて困っていたのに、最近はそれもなくなって・・」「そうか。お前は良くやってくれているよ、ミズキ。育児と公務を両立させるのは大変だろうに、愚痴ひとつ零さない。」「それはあなたが協力してくださるからでしょう? 頼りにしてますよ、わたしの旦那様。」瑞姫はそう言うと、自らの腕をルドルフの腕に絡ませた。「それじゃぁ、行こうか。」「ええ。」 シュタイナー伯爵家のパーティーは、経済界の名士などが集まり、盛況だった。「皇太子様、皇太子妃様、お忙しい中わざわざおいでくださり、ありがとうございます。」このパーティーのホステスであるシュタイナー夫人は瑞姫とルドルフの姿を見つけると、さっと彼らの方へと駆け寄ってそう言うと2人に向かって頭を下げた。「いいえ、こちらこそ招待してくださってありがとう。」「今夜はいつにも増してお美しいこと。」「まぁ、ありがとう。」シュタイナー夫人と取り留めのない話をしながら、ルドルフと瑞姫はシャンパンやピアノとヴァイオリンの生演奏を楽しんだ。そんな中、遠巻きに2人を見ているフェルディナンドとシャルルの姿があった。「本当ですか、その話は?」フェルディナンドはシャンパンを飲むと、シャルルの端正な顔を見た。「ええ。確かですよ。これでわたしは、あの男を陥れる材料をあなたに提供しましたか?」「ええ。」フェルディナンドはにっこりとシャルルに微笑むと、ちらりと皇太子夫妻の方を見た。ルドルフと瑞姫は、これから起ころうとしている事も知らずに、楽しそうに笑っている。(わたしは、どんな手を使ってでもあなたを皇太子の座から引きずりおろしてやる。)フェルディナンドはさっと伯爵邸から出て行った。「お気を付けてお帰り下さいね、皇太子様、皇太子妃様。」伯爵夫妻はそう言ってルドルフと瑞姫が乗ったリムジンが見えなくなるまで手を振った。「今夜は楽しかったですね。」「ああ。それにしても、パーティーの間中わたしはお前に他の男に奪われまいかと心配ばかりしていたよ。」「もう、ルドルフ様ったら。嫉妬深いですね。」「何を言う、そういうお前だって嫉妬深いだろう? あの記事を読んで妬いたんじゃないか?」「まさか。わたしはあんな事で落ち込む女ではありませんよ。」瑞姫はにっこりとルドルフに微笑むと、彼にしなだれかかった。「お前は、強い女だな。」ルドルフは瑞姫の艶やかな黒髪を梳いた。「女は可愛いだけじゃ、駄目なんですよ。」 翌日、瑞姫が慈善活動団体の会合へと徒歩で向かっていると、突然彼女の前に1人の少女が現れた。「あなたが皇太子妃様?」少女はじろりと蒼い瞳で瑞姫を睨むと、口を開いた。「あなたと少し、お話ししたいことがあるの。」「急いでるから、後にしてくださらない?」「今でないと、嫌なの。」「そう・・じゃぁ5分だけ。」にほんブログ村
Feb 2, 2011
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「どなた?」「フェルディナンドです。皇太子妃様に少しお話しが・・」「お入りなさい。」「失礼致します。」部屋に入って来たフェルディナンドは、パソコンのキーボードを叩いている瑞姫を見た。「先ほど、陛下から後継者の発表がありました。陛下は皇太子様を後継者として近々発表するそうです。」「そうですか。フェルディナンドさん、お話しって何かしら?」瑞姫はそう言うと、漸く顔を上げた。「実は、こんなものが売店に売られておりました。」フェルディナンドは週刊誌の記事を瑞姫に見せると、彼女の美しい眦が上がった。「皇太子妃様からみて、ルドルフ様は次期皇帝に相応しいと思われますか?」「フェルディナンドさん、わたくしはいつも夫を・・ルドルフ様を心から信じております。わたくしはこんな馬鹿馬鹿しい記事など信じません。お話は、それだけかしら?」「ええ。では失礼致します。」ルドルフが駄目なら瑞姫を揺さぶろうとしたが、それも失敗に終わった。何の後ろ盾もない東洋娘の癖に、ルドルフとの間に男児を2人産んでから瑞姫は良い気になっている。そろそろ彼女に身の程を思い知らせなくてはならない―フェルディナンドは口元に暗い笑みを湛えながら、瑞姫の部屋を出た。(何なのかしら、あの人・・)瑞姫はノートパソコンのキーボードを叩きながら、フェルディナンドが何を考えているのかが判らなかった。ルドルフと結婚して皇室の一員となってから、自分を歓迎してくれるフランツやヴァレリー達とは違い、フェルディナンドはいつも冷淡だった。何か彼に気に入らないことをしたのだろうか。(余り気にしない方が良いわね。) 同じ頃、ルドルフは遼太郎と蓉を連れて瑞姫のクリスマスプレゼントを買いに行っていた。「お父様、今年はお母様に何を贈るの?」「どうしようかな。お前達は何を贈ったらお母様が喜ぶと思う?」「真心かなぁ?」「それを贈るのは難しいね。」「別にいいじゃない、クリスマスじゃなくてもお父様はお母様に真心を贈っているんだから。」息子達の言葉に苦笑しながら、ルドルフは彼らの手を繋いでケルントナー通りを歩いていた。すると背後から強烈な視線を感じてルドルフが振り向くと、そこには1人の男が立っていた。「お久しぶりですね、皇太子様。」そう言うと男は、優雅な仕草でゆっくりと被っていた帽子を取った。「お前は・・」目の前に立つ男の顔を、忘れる筈がない。妻を凌辱した憎い男の顔を。「お子様達とお買い物ですか。相変わらず幸せそうでいいですね。」男―シャルルはそう言うと、チラリと遼太郎と蓉を見た。「わたしの前に現れるとは、余程の阿呆だな、お前は。」「ええ。わたしは阿呆な男ですよ。」シャルルは靴音を響かせながらルドルフの傍を通り過ぎると、彼の耳元にこう囁いた。「わたしの娘達は、元気にしていますか?」ルドルフはシャルルが去った方向を振り向いたが、そこに彼の姿はなかった。「父上、どうしたの?」ふと息子達を見ると、彼らは少し怯えていた。「何でもないよ。さてと、クリスマスマーケットに行こうか。」シャルルとの思いがけぬ再会に動揺したルドルフであったが、気を取り直して息子達と買い物を楽しんだ。にほんブログ村
Feb 1, 2011
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オーストリア=ハプスブルク帝国皇妃・エリザベート暗殺から3ヶ月が過ぎたある日の事、皇帝フランツ=カール=ヨーゼフは閣議室にルドルフを含む重臣達を集めた。「今日こうして皆に集まって貰ったのは、言うまでも無い。わたしの跡を誰が継ぐかを、今話しあいたいと思ってな。」皇帝の言葉に、重臣達はどよめいた。「陛下、何も話し合わずとも、次期皇帝はルドルフ様において他に誰もおりません。」「そうですとも。国と民を何よりも思い、尽力をなさっているルドルフ様以外に、王の器に相応しい方がいらっしゃいますか?」重臣の言葉にフランツは耳を傾けながらも、眉間を揉んだ。「実はだな、フェルディナンドが昨夜、わたしの元を訪ねて来たんだよ。」「フェルディナンド殿が、ですか?」重臣達は一斉に末席に座っているフランツ=フェルディナンドを見た。彼は不遜な表情を浮かべながら彼らを睨むと、ゆっくりと椅子から立ち上がった。「陛下、わたしはあなたの跡を継ぐのに相応しい男です。どうか、この国を任せてくださいませんか。」「フェルディナンド、何処にそう言える根拠があるのだ?」ルドルフはフェルディナンドを射るように見ながら、ピシャリとそう言うと、彼はじっとルドルフを睨み返してきた。「ルドルフ様、わたしはあなたが皇太子妃様とこの国の福祉を変革したことは存じておりますし、あなたほどの器なら次期皇帝に相応しいと感じております。ですが・・」フェルディナンドはそう言葉を切ると、1冊の週刊誌の記事を机の上に広げた。そこには、数人の高級娼婦と戯れるルドルフの写真が載っていた。「ルドルフ様は何かと女性との噂が絶えない方です。こういう人間が帝国に居ると後々問題が起きるのでは?」「そんな心配をしてくれなくても、わたしはあなたのようにどこぞの伯爵令嬢に入れ上げるなどという真似はしないのでね。安心してくれ給え。」ルドルフの厭味ったらしい慇懃無礼な口調に、フェルディナントは一瞬ムッとしつつも、平静を失っていなかった。「何をおっしゃる、ルドルフ様。あなただって貴族でもない東洋娘と結婚したではありませんか?」「あなたと同じにしては困るね、フェルディナンド。父上、こんな者の戯言などお聞き流しください。」ルドルフはこれ以上フェルディナンドと話しても無駄、というようにさっと椅子に座ると、思案顔のフランツを見た。「わたしはもう若くないし、安心してこの国を任せられるのはルドルフ以外に居ない。近々、正式にマスコミに向けて発表する予定だ。話は以上だ。」フランツの言葉に、フェルディナンドを除く重臣達が力強く頷いた。この時、彼の後継者が誰であるか皆は解っていた。「ルドルフ様。」閣議室をルドルフが出ると、瑞姫が彼の方へと駆け寄って来た。アイボリーのワンピースにパールのネックレスというシックな格好からして、慈善活動から帰って来たのだろう。「ミズキ、大事な話がある。今いいか?」「今から書類を纏めなければいけないんですけれど・・夜でもいいでしょうか?」「ああ。」「失礼します。」自分に頭を下げ、靴音を響かせて廊下を歩く瑞姫の背中をフェルディナンドはじっと見ながら、先ほどの皇帝の言葉を思い出した。彼は、自分の息子であるルドルフに帝位を継がせようとしている。普段反目していながらも、いざ自分に万が一のことが起きて国を任せられる人間は息子以外誰でもない、ということか。どう足掻いても、自分に皇帝の座はまわってこない。(ふん、まぁいい。それならばこちらにも考えがある。)不快そうに鼻を膨らませながら、フェルディナンドは廊下を歩き始めた。 執務室に入った瑞姫は、机の前に座るとノートパソコンの電源を入れた。結っていた髪を解いて軽く頭を振ると、王宮に着くまでに感じていた偏頭痛が少しマシになったような感じがした。首の後ろを彼女が擦っていると、誰かがドアをノックした。にほんブログ村
Feb 1, 2011
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2018年9月10日。 瞬く間にまた1年が過ぎてゆき、ルドルフと瑞姫達はいつもどおり毎日を過ごしていた。「ねぇ、お祖母様はどうしてウィーンにいつもいらっしゃらないの?」昼食の席で、遼太郎はそう両親に尋ねると、彼らは眉をひそめた。「お祖母様は旅が好きなんだ。」「ふぅん、そうなの。」ルドルフの母・エリザベートは、放浪の旅に出るとウィーンを戻らないことが常であり、その事は彼女の夫や子ども達ももう慣れっこになっていた。だが、遼太郎達はたまに帰って来ては数時間でウィーンを発ってしまうエリザベートの行動が理解できぬようだった。「リョータロウはお祖母様の事をどう思っているんだい?」「う~ん、わからないな。綺麗な人、ってだけ。父上は?」「わたしもわからないね、あの人のことは。」そう言ったルドルフの横顔が、どこか寂しいものに見えた。「陛下、陛下大変です!」「どうした、そんなに慌てて。」フランツはダイニングに入って来た侍従を怪訝そうに見た。「皇妃様が・・ジュネーヴで暴漢に刺されました!」「何だと!?」侍従の言葉に、ダイニングは水を打ったかのように静まり返った。「そんな・・皇妃様が・・」突然の報せに、瑞姫達はただ驚くばかりだった。 この日、スイス・ジュネーヴのレマン湖畔で、ハプスブルク帝国皇妃・エリザベートは無政府主義者・ルイジ=ルキーニによって刺殺された。エリザベートの突然の訃報は、瞬く間に世界中に広まった。その報せには、遠くアメリカに居たシャルルの耳にも届いた。(エリザベート様が・・亡くなった・・)シャルルの脳裡に、欧州一の美女と謳われた女の顔が浮かぶと同時に、過去に恋焦がれた皇太子妃の顔も浮かんだ。(ミズキ様は今、どうされているのだろうか・・?)「ミズキ、大丈夫か?」「ええ。でも何だかまだ信じられなくて・・皇妃様が、暗殺されただなんて・・」黒のワンピースに身を包んだ瑞姫は、そう言って礼服姿に喪章を付けた夫を見た。「もう行こう、葬儀が始まる。」「ええ・・」衝撃的な皇妃暗殺の訃報から数日が経ち、エリザベートの葬儀が厳粛にアウグスティーナ教会によって執り行われた。「ミズキ、あの人はわたしの事を愛していたのだろうか?」葬儀の夜、ルドルフはそうぽつりと呟くと、溜息を吐いた。「わたしはあの人から、一度も抱き締められたりされた事がなかった。」「我が子を愛していない母親なんて、この世にはいませんよ。それよりも皇妃様のご冥福をともに祈りましょう。」「ああ、そうだな・・」エリザベート暗殺により、その夫である皇帝・フランツ=カール=ヨーゼフは精神的に参ってしまい、床に臥せることが多くなってしまった。「陛下はもう長くはもたないでしょうね。」「皇后さまのことを愛していらっしゃったから、その皇后さまがお亡くなりになったのだから、ねぇ・・」「そうすると、次期皇帝はルドルフ様かしら?」「ルドルフ様ならいい皇帝になられると思うわ。何せミズキ様という良妻に恵まれていらっしゃるんだから。」「そうよねぇ・・」女官達の話を偶然立ち聞きしてしまった遼太郎と蓉は、こっそりとその場から離れた。「これからどうなるんだろうね?」「さぁ・・」祖母の死からまだひと月も経っていないが、遼太郎達はまだその実感が湧かなかった。彼らにとってエリザベートの存在はルドルフ同様、薄いものだったからである。にほんブログ村
Feb 1, 2011
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