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昨日は、勤務する事業所の一周年の日だった。とはいっても、来賓なども呼ばずにささやかに職員と利用者の人たちだけで近くのホテルでの食事会であった。それぞれに、短いスピーチをしてもらったのだが、それを聞きながら、この一年の色々な出来事が頭をよぎる。全てのことが現在進行形での試行錯誤状態だから、まだしんみりと感慨にふけるという感じではないけれど、とにかくみんな(職員と利用者)と大波小波を乗り切ってきたという思いはある。一年間完全皆勤という人もいれば、途中で二度も入退院を繰り返した人もいる。今現在も調子が悪くて、どうしても来れなかった人もいる。事業所に通うことで少しずつ自信をつけ、現在は就労にこぎつけた人、相変わらず、周囲とのトラブルを繰り返す人など本当に個性的な面々だ。「いつまでもここにいる気はないけど、できるだけ早く本当の仕事に就きたいけど、今はここが楽しいのでもうしばらくいたいと思います」「ココに来るまでの十年間は、家にいるしかなかった。 ここに来て、自分で得たお金の価値というものが本当にわかった」「ココに来て、薬の量も減ったし、自分でも強くなったと思う」「ほかでは色々と排除されたりするけど、ここではみんなに許されて癒されて助かってます」と言ったのは、アスペルガー障害で周囲とのトラブルになりやすい青年。そんな言葉を聞くと、やっぱりグッとくるのは私だけではないだろう。そういえば、「私はここで骨を埋めます」という人もいたっけ。一般就労では相当に苦しい辛い経験があったようで、今は就職する気はないようだ。彼女が安心して骨を埋められるように、社長には会社が潰れないように頑張ってもらわなくちゃね。このままみんなのこれからを見て行きたい気持ちもないわけではないけれど、私は私なりに自分の身の丈に合った役割を、別のところで果たしたいと思っている。その後の会食中に、「○○さん、トイレで吐いてる」とのことで、別の職員が様子を聞くと・・。彼はこの数日、食事をあまり取れなかったと聞いていたので、「急にたくさん食べたせいか??」と思いきや何と「食べては吐く」の常習者だったことが判明。事業所のトイレは男女兼用の一箇所なので、今まで誰も気付かなかったということらしい。聞けば、そのことは主治医にも話していないとのこと。昨日の一番の収穫は、そのことがわかったことかもしれないな。とはいえ、私達が治療するわけではないが、その事実を職員にも隠し続けることはなくなり、悩みを共有することができるようになったのが良かったということである。
2008年05月15日
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今日は少し時間があるので、4月23日の日記でちょっと触れた恩師のことを書こうと思う。実は、先生が亡くなられた年に、先生への追悼の気持ちで地域の文芸誌に投稿したエッセイがあるので、それを転載する。(私が文芸誌に投稿したのは、後にも先にもこの一回だけである)このエッセイを書いてから、すでに20年が経っていることに今気付き、驚いている。そして、先生が亡くなられた年齢に着々と近づいている自分にも気付く。「こぶしの季節に」出会いがあれば、別れがある。一人の人間が生まれ、生き、死んでゆくことは誰もが通る道程であり何の不思議もないけれど、この気の遠くなるような時の流れの中で、一人の人と出会うということは、何と不思議な偶然であろう。こぶしの花の咲く季節に、私は一人の恩師とのお別れをしなければならなかった。先生との最後の別れに向かう車の中で、夕暮れの林の中に白いこぶしの花が浮かぶように咲いているのを見ながら、初めてその花を知った季節から流れた年月を数えていた。もう30年も経っていることに驚くと同時に、胸の締め付けられるような懐かしさと、先生と二度と語ることのできぬ寂しさを感じていた。雪どけの季節が過ぎ、ぬかるみの中からその時を待っていたかのように、一斉に草花が芽生える頃であった。私はその時、小学校二年生。子ども達の元気一杯の声が、学校の近くの林に響いていた。背の高い先生の周りを駆け回りながら、子ども達は競うように、足元に揺れる草花の名前を先生に問うていた。小鳥のさえずりにふと上を見上げると、まだ殺風景な林の中に、そこだけポッと灯りがついているように、白い花が咲いている。「先生、あれ、何の花?」「あれかい? あれはねえ、こぶしの花だよ」背の高い先生は、ゆったりと歌うように答えてくれた。(あれは、こぶしという花? 大きな花だもの、先生の握りこぶしくらいあるから、こぶしって言うのかなあ・・)ぼんやりとそんなことを思いながら、私はその白い花を見上げていた。その情景が、なぜか私の脳裏に強く焼きついている。特にどうということもない情景であり、子どもの心に何がそんなに印象的だったのか少し不思議な気がするのだが、それ以来、こぶしの花を見るたびに、その先生のことを思い出すようになった。先生は音楽が得意で、アコーディオンを弾きながら色々な歌を教えてくれた。また、詩や作文をよく書かされたものだ。これは嫌がっている友達もいたようだが、私が書くことが好きになったのは、間違いなくこの先生のおかげだと思っている。また、カメラをいつも持ち歩き、子ども達のスナップ写真を撮ってご自分で現像し、みんなに渡して下さった。思えば、何枚も写真をいただいたように思うが、あれは全部先生からのプレゼントだったのだろう。おとなしくて消極的で、友達と遊んだりすることの苦手な私の楽しみは、本を読むことであった。一年の時の担任は、何とか友達の輪の中に私を入れようとして、私はそれが怖かったり苦痛だったりして、よく泣きべそをかいて先生を困らせたものだ。しかし、二年で担任になったこの先生は、本ばかり読んでいるような私に、先生の持っている本を貸してくれたりしてくれた。先生が貸してくれたのがとても嬉しくて、私は次々とむさぼるように本を読んだ。家庭でも「本ばかり読んでいないで、外で遊びなさい」「手伝いなさい」などと言われることの多かった私にとっては、本を大いばりで読めることが嬉しかったのだろうとも思う。その嬉しさや喜びが、少しずつ私を明るくし、クラスの友達の輪の中にも少しずつ入っていけるようになったが、今思えば、先生がさりげなく私の背中を後押ししてくださっていたのではないだろうか。先生に担任していただいたのは2~3年生の2年間だが、担任ではなくなってからも、廊下や図書室で出会う時には、優しい笑顔で声をかけてくださったりする時、私の心の中には暖かい風がフッと入り込むような気がした。五年生の時だったと思う。私が図書室で本を選んでいた時、先生が一冊の写真集を手渡して下さった。「これ見てごらん。こんなことがあったんだよ。この子達は、君くらいの年だろうね」それは、広島や長崎の原爆の記録写真であった。先生が指差しているのは、原爆で傷ついた幼い兄弟の写真である。額に怪我をして血を流している弟を背負った少年の、不安と怒りの混じった眼差しがそこにあった。ほかにも、私が生まれて初めて目にするショッキングな写真が一杯で、私は息を呑んでそれらを見つめていた。その時心の中に湧き上がってきた、言いようのない恐怖や怒りや驚きは、その後の私が戦争に繋がるものに対して素朴な嫌悪感を持つ原点になっていると思う。数年前、まだ小学6年と4年の息子も連れた家族旅行で、広島で8月6日に開かれる平和祈念式に参加したのも、その時から持ち続けていた強い願いの現われだった。戦争を知らずに育った私に、戦争の悲惨さと平和の大切さを教えてくれたのは、あの夕暮れの図書室で先生が手渡してくれた、一冊の写真集であったと思う。先生と再会したのは、中学生の頃以来、20年を経ていた。その二年ほど前に偶然に先生の住所を知り、懐かしさから手紙を書いたところ、すぐにお返事をいただいた。見覚えのある懐かしい先生の文字を見た時の嬉しさは、何と表現したらよいのかわからない。それか何度か手紙のやりとりがあった。私からの走り書きのような手紙を、「教師としての何よりの宝物です」と書いて下さった。「あなたは、小学校の担任だった私を覚えていてくれましたが、子どもによっては虫の好かない担任だったのかもしれません。今までに担任した三百人の子どもの心の中に、私がどんな形で入り込んでいるのか、または消えてしまっているのか知る由もありませんが、今はここに住む人たちの心の中に何かを残したい、そんな気持ちで仕事をしています」と、定年までの二年間を充実させたいとの思いが、どの手紙にも表れていた。(当時の先生は、農村地域の校長であった)そんな最後の手紙から半年ほどたって、あれほど仕事に意欲を燃やしていらっしゃった先生が、ご病気で入院中との奥様からの便りがあった。びっくりして入院先の病院に伺ったのが、20年ぶりの、そして最後の再会であった。先生がどんな病状なのかもわからず、何をお見舞いにしようかと迷い、幼い頃先生に色々な花の名前を教えていただいたことを思い出し、ささやかな花束を買い求めた。先生に本を貸していただいたことを懐かしみながら、ベッドで楽しんでいただけるようにと、数冊の本を手にして病院に向かった。先生はすぐに私をわかって下さるだろうか、病気はお悪いのだろうかと胸をドキドキさせながら病室に入ると、頭に白いものは目立つけれど、あの優しいまなざしはちっとも変わらない先生の姿があった。先生とお話したのは30分足らずであったと思う。顔色や声の調子であまり状態の良くないことを察し、心のどこかの(これが最後になるのでは)との思いを打ち消しながら、昔の思い出話や、私の知っているクラスメートの近況などをお話した。先生は何度も、「よく来てくれたね」とおっしゃり、本当に嬉しそうにお話をしてくださったことが、つい昨日のことのように思い出される。その時以来、もう一度お見舞いに行かなければ、お手紙を書かなければと思いつつ、忙しさの中で時間が流れていった。そして今年の4月、先生からの正式な退職の挨拶状が届き、そのはがきで転院されたことを知った私は、数日後久しぶりに手紙を書いた。その手紙をポストに入れた日に、先生がこの世から旅立っていられるなんて、どうして想像できたであろう。私の手紙を読まれることなく、こぶしの咲く季節に、先生は去っていかれた。もう一日早く手紙を書かなかったことを、もう一度お見舞いに行かなかったことを悔いる思いで一杯であるが、きっと先生は許して下さっているだろうとも思う。のんびり屋で、いつも一歩人より遅くて、人に迷惑をかけたり自分自身が悩んでいるのを、微笑みながら見ていて下さるような気がする。先生ともうお会いできないのは本当に寂しいけれど、私の心の中の先生はいつでも生きて励まして下さっているし、そのまなざしを生きていらっしゃる時以上に感じている。先生が私の担任になったのは偶然以外の何ものでもないが、この巡り会いが私の人間形成に大きく関与していることを考えると、人間の世界の不思議さを思う。人は互いに関わり合い、影響しあい、支えあって生きている。私もそんな人間の一人として生きてゆきたいと思う。先生が伝えてくださった有形無形のものを大切にしながら、私なりに歩んでいくことが、先生への感謝の表現であり、先生に喜んでいただけることだと思う。N先生、本当にありがとうございました。どうぞ安らかにお休みください。(1988年/記)
2008年05月10日
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【5月3日】またまた息子の畑の開墾&測量作業。体が少し慣れてきたとはいえ、斜面の畑を登ったり降りたりは、やはりキツイ。それでも、次の日に予定通りの作業(苗植え)を出来る状態になったので、ノルマは果たしたという安堵感で作業終了。その後、温泉で筋肉をほぐしてから息子の家で夕食をとり、孫達を連れて自宅に戻る。【4日】この日は、息子夫婦は仲間たちに助っ人を頼み、苗植え作業第一弾。ということで、幼い孫達の子守が私の役目。夫は連休中唯一のゴルフの日なので、私とサブばあちゃんである妹と、滝野すずらん公園に向かう。天気も良く、どんどん人が増えてくるので、動きの早い孫達についてゆくのは大変。でも、元気一杯の子どもの姿は、見ているだけで楽しい。開園の9時から午後2時半まで、よくも遊びに遊んだり!!毎度ながら、子どもの果てしないエネルギーに脱帽。夕食後に息子夫婦が孫を迎えに来た時は、孫二人ともさすがに睡魔に襲われた状態だったようで、車に乗って五分もしないうちに爆睡したという。ハッキリ言って、私もかなり疲れました。【5日】小雨混じりの天気だったが、この日は夫と(私の代わりに)妹が、またまた第二の畑の整地・測量作業へ。私は、本当におかげさまで、旧知の友人と午後から会う事になっていた。実は、現在仕事をしている事業所で、その友人が働いてくれないかとひそかにかなり期待していることもあり、何年ぶりかの再会は、事業所で現在の仕事仲間と三人で会う事になっていたのだ。彼女との出会いは、私が以前の職場で、まだ大学生だった彼女を「職場実習」受け入れたことがきっかけ。その後福祉系の大学を卒業し、社会福祉士、やがて精神保健福祉士の資格を取り、着実にキャリアを積んできた人で、現在は道南の精神科クリニックでPSWをしている。ご主人の転勤でまたこちらに転居する予定と聞き、良い人材はいないものかと考えていた私は、「これこそ天の助け!!」とばかりに、彼女に「話だけでも聞いてほしい」と声をかけた。しかし、色々話してみると、現在のようなお給料はとてもとても用意できないし、彼女の資格を持ってしてなら、どのような職場も選べると思うと、とても申し訳なくて「うちに来てほしい」とずうずうしく頼めないのが現実。それでも、私の希望は希望なのだから、「心の隅にでも置いといて」と頼む。実は、私が通信で大学の勉強をしようと思うきっかけになったのは、彼女との出会いである。詳しくは今日は書かないが、彼女を通して「大学での学び」をしてみたいと具体的に考えたのだ。そういえば、パソコンで個人がHPを作れると知ったのも、彼女の話を聞いたからだった。それまでの私はワープロがやっとで、パソコンもインターネットにもあまり興味がなかった。考えてみれば、私より二十歳近く年下だけど、彼女は私の先導役を果たしてくれていたような気もする。そんな彼女なのであるが、彼女は私のことをいつまでも「あの実習の時には、よく私を受け入れてくださったと思う」と、いつも感謝してくれるのだ。私自身、当時はとても多忙だったし、実習生の指導など十分にはできないと二の足を踏んでいたが、これも色々な縁のめぐり合わせで彼女を受け入れ、結果としては指導したのかされたのか・・。まさに、「教えることは学ぶこと」を実感した出会いだった。その縁が、二十年近くもこのように繋がっていると思うと、やっぱり「人の世のめぐり合わせの不思議さ」を感じずにはいられない。今の職場に来てくれるかどうかは別として、また次の縁となり、未来の道に繋がっているとは予感できる。ということで、この日は久しぶりに昔の思い出話も含めて、とても楽しい時間を持つことができた。【6日】連休最終日。この日は、やっと自分の家の庭の手入れ。花壇を起こし、庭木が茂る前に伸びて邪魔になりそうな枝を落とし、市内の【花苗農家】に行って花の苗などを買ってくる。それをプランターなどに植え込んだら一日が終了。本当の花壇は、実家の母が育てている苗を実家の花壇に植え込んだ後、その残り物の苗をベースに不足分を買って作る予定。まあ、よく働いた連休でした。で、本日は在宅ワーク。来週中に行政に提出しなくてはならない書類を作らなくてはならない。昨日は勤務日だったのだが、事業所では利用者の話を聞いたり電話対応などなどで、なかなか事務仕事ができないのだ。その前に、この【備忘録】を書いたわけである。さあ、今日も頑張るぞ!!
2008年05月08日
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