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ショコラさんからお勧めされたシネマ歌舞伎。やっと見ることが出来た。随分前からその存在は知っていたけれど、今まで積極的に見ようとは思っていなかったのが正直なところ。このところ、映画を見るときにいつも誘うのがTさんなので、今回も彼女を誘った。実は、彼女は障がい者手帳を持っているので、映画や美術館に一緒に行くと割引になる。もちろん割引のためだけではなく、彼女自身が一緒に行くことを喜んでくれるので、「一石二鳥」なのだ。さて、今回の演目は「京鹿子娘五人道成寺/二人椀久」。いやー、予想以上に素晴らしかった。この舞台に登場する俳優たちのインタビューや、楽屋裏の様子などもちりばめられて、それぞれのこの舞台への思いや努力が伝わってくる。このようにして伝統は継承され、この舞台のためにどれほどの人たちが汗を流し、それぞれの立場で精進を重ねているかがヒシヒシと伝わってくる。ショコラさんが教えてくれたように、映像で編集されているからそれぞれの表情もアップで見ることができ、舞台上での俳優たちの阿吽の魂の交流なども感じられる。それに、劇場だと三味線、浄瑠璃、笛や太鼓の人たちの表情などを見ることは少ないのだけれど、これもアップで写されることがあるので、その真剣なまなざしなどにも感動した。これほど多くの人たちが精魂込めて作り上げる舞台だからこそ、歌舞伎に詳しくない人でも感動できるのかもしれない。私が最初に見た時はまだ10代で、歌舞伎なんて見たこともなかったけれど、わけがわからないままにとても感動したのはそのせいかもしれないと思った。それにしても坂東玉三郎ってやっぱりすごい女形なのだろう。インタビューで同じ舞台に立つ勘九郎、七之助、中村虎太郎、中村梅枝それぞれが、玉三郎と同じ舞台に立つ感動や緊張、その中で学ぶ喜びを語っていた。人が人に何かを伝えるということは、こういうことなのだなと思った。伝えたい人がいて教わりたい人がいる。その真剣な交流の中にこそ、本当の学びがあるのだろう。きっと、主役級の人だけではなく大勢のお坊さん役の俳優たちも、それぞれに真剣に学んでいるのだろう。歌舞伎俳優にとっては、この舞台そのものが修行の場であり道場なのだろうな。それにしても、歌舞伎の若手たちは続々と育っている。今後が楽しみである。次は「籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)」が上映されるとか。2月の1週間だけの上映なのだが、大好きだった中村勘三郎が出演しているので、ぜひ見たいと思っている。
2018年01月23日
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昨夜午後10時からの「疾風怒涛の"KABUKI"者、市川海老蔵でござりまする」を見た。私は、劇場で見る機会は少ないのだが、歌舞伎は好きである。最初に見たのは、18歳だったと思う。当時、東京の短大に在学していて寮生活をしていた。その寮で、コンサートやミュージカル、歌舞伎などに、希望者が申し込んで行く機会があった。はじめて歌舞伎座に足を運んだ時の感動や衝撃が、今も心に残っている。はっきりいって、イヤホンガイドなくては内容もまったくわからないのだけれど、とにかく美しかった。どの場面を切り取っても絵になるような美しさ、多分相当に重たい衣装を着ているはずなのに、軽やかに舞い、動き回り、早変わりをしている。そして、初めて見る女形の幻想的な美しさ。その瞬間から、私は歌舞伎が気になるようになっていた。その時にとても印象に残った人は、あの坂東玉三郎だった。彼は私と同じ年の生まれだから、初めて見た時は18歳だったのだな。とにかく、この世のものとは思えないほど美しいと感じてしまったし、何色の衣装だったかは忘れてしまったが、そこだけ光輝いていたような気がする。それから、上京した時には幕見席で歌舞伎を見たりしたりもしたが、回数はさほど多くはない。以後、その都度マイブームの役者はいたのだけれど、今のマイブームは中村兄弟と海老蔵さんである。彼に最初注目したのは、大河ドラマの『武蔵 MUSASHI』だったと思う。(当時は新之助)まだ独身でやんちゃ坊主のように感じていた彼が、その資質や歌舞伎の土台を生かして素晴らしい武蔵を演じていた。かつて玉三郎に感じたような、突き抜けたオーラを放っているような気がした。お父様が白血病で亡くなった時の彼の姿も印象的だった。自分の精神状態を制御して、自分の務めを果たすことのできる力があると、とても頼もしく感じた。しかし、あの大きな後ろ盾であり師匠でもある父を亡くして、そのプレッシャーはいかほどのものかと思っていた。さらに彼には試練が続く。最愛の妻であり、唯一心を許せて弱みを見せられたであろう麻央さんの死である。幼い二人の子の父として、必死に努めている姿が昨夜の番組の中にあった。見る前は、多分私は泣いてしまうかもと思っていたのだが、実は泣くことはなかった。強い感動の場面はいくつかあったのだが、泣きたい思いを耐えながら必死に支えあう家族の姿に、私の涙の壺も制御されてしまったようだ。このように人は試練を乗り越えていけるのだ。家族とはこのようなものなのだ。親が子に伝えるということは、このようなことなのだ。私たち庶民とは違う世界のように感じられてしまう歌舞伎役者の家庭のありようは、とても普遍的なものだと感じていた。歌舞伎が時代を超えて庶民に愛され支持されているのは、このような普遍性の中で紡ぎだされる芸術だからなのだ。そんな思いを強くしたドキュメンタリーであった。これからは、麗禾ちゃんと勸玄君の成長が楽しみである。もちろん、海老蔵のさらなる進化も楽しみなのだが、市川家はどうも短命の歴史があるようなので、それだけが心配である。多分、彼自身もそれを意識しているのではないだろうか。だから、疾風怒涛のように先へ先へと進めるだけ進もうという気持ちではないだろうか。市川家の歴史を塗り替えて、長生きしてほしいと願っている。
2018年01月09日
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昨日は三年ぶりに、ザ・ニュースペーパー札幌公演に行ってきた。今回は、知人三人を誘っての札幌行き。一時からの公演だったので、近くの丸井デパートでランチをする。最近は、特に政治関係の話題満載な日々で、ニュースネタになりそうな人も沢山なので、どんな人が登場するかとランチしながら予想しながらの食事。いやー、笑いました。おなかの筋肉が痙攣を起こしそうになりながら、涙を流して大笑い。久しぶりにバカ笑いをしてしまった。それにしても、こんなに笑いのネタになるような政治ってどうなんでしょう。そういえば、幕が上がる前に「よくわからない話があっても、忖度してお笑いください」だって。やっぱり、今年は忖度にふりまわされ、明け暮れ、そして笑っちゃう年になりそう。もう少しで国会中継が始まるけれど、きっと昨日のネタと被ってしまって笑っちゃうんじゃないかな。そうそう、登場人物は本当に盛りだくさんでしたね。国会関係、東京都知事関係、アメリカ大統領も北朝鮮の金正恩、パンダの赤ちゃんやヒアリ、それからあの高貴なご一家には海の王子も仲間入り。将棋のひふみんや藤井君も出てきましたよ。ですから、メンバーは1人何役もこなすわけで、ハァーすごいすごい、お疲れ様。途中で何の役をやっているのか混乱しないのかな。これらのネタ作りは、やっぱり又兵衛さんが中心になって書いているのかな。どうぞお体を大事にして、いつまでも笑わせてください。次はいつ行けるのかな。
2017年07月24日
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「恵庭事件」と聞いてピンとくる人は、今では少数派だと思う。恵庭事件の肩すかし判決から50年、恵庭事件を扱った映画が製作され、昨日北大の「日本平和学会」の一環として上映されたので、行ってみました。映画上映会会場は講堂ではなくて、視聴覚教室のような場所。私は迷ったら困るので少し早目に行ったので椅子に座れたけれど、130人の定員に最終的には立ち見などでぎっしりだったから、その倍くらいは集まったのではないだろうか。実は私は、自衛隊の駐屯地がある地域に住んでいる。この裁判があった時に私は中学生だったと思うし、判決時には高校生だったはずだが、その当時この裁判のことが学校等で話題になった記憶がない。同級生には野崎兄弟と同じ酪農家もいるし、自衛隊員の子どももいるから、社会科の先生も授業で触れることができなかったのだろう。大人たちはそれぞれの立場で思うことはあっただろうが、少なくても私は親からも聞いたことがないと思う。ということで、恵庭事件については全く知らぬままに大人になった。その後、同じ北海道内での「長沼ナイキ事件」の時には成人していたので、多分その頃恵庭事件についても知ったのではなかろうか。それでも、恵庭事件裁判も長沼ナイキ訴訟の時も、新聞などで気にする程度で詳しくはわからなかった。この映画会ことを新聞で知った時、最近の安倍首相の言動を見て危機感があるので、やはりこの事件や裁判について知っておきたいなという気持ちで会場に向かった。映画は裁判についての再現シーンも多く、野崎兄弟のやむにやまれぬ行為が訴えられ、全国から200名を超える弁護団が結成されたことも、なぜ野崎兄弟が無罪になったのかも知ることができた。映画上映が機器の不具合で遅れたため、最後の野崎さんのお話が尻切れトンボになってしまい、ちょっと残念だった。ところで、この映画は「憲法を武器として 恵庭事件知られざる50年目の真実」です。50年目の真実は何か、私でなくとも気になるところでしょう。その裁判の時の辻三雄裁判長が、娘さんにその裁判のことをお話しになっていたのです。最高裁の方から「憲法判断をしないように」というようなことを。最高裁からのお達しということは、時の政権の関与があったのではないでしょうか。きっと悔しかったことだろうと思うし、納得もできなかったのでしょう。だからこそ娘さんに遺言のように話したと思うし、その娘さん(名前は失念)は「私の使命だと思う」と涙ながらに語ってくれたのでしょう。50年前の事件だけれど、これは間違いなく「今」の問題でもあるでしょう。この映画は、今のようなご時世ではなかなか上映は難しいのかもしれないとも思うが、どうぞ自主上映でもいいから多くの人たちに見てもらいたいと思った。今検索したら、昨日の参加者のブログがあったので、参考までに。映画「憲法を武器として~恵庭事件 知られざる50年目の真実」を見るこれも、関連ブログ苫小牧ロケ最新情報!「恵庭事件~50年目の真実」(仮)フェイスブックもありました。その時の弁護団の一人、内藤功氏(弁護士・元参議院議員)のインタビュー記事もありました。内藤氏は映画にも登場しています。憲法9条をめぐる攻防とこれからの課題(1)
2017年07月03日
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昨日は、友人とサッポロファクトリーで「この世界の片隅に」を観てきた。実は彼女は、もう半年近くも「うつ病」で入院中で、現在もご主人の付き添いがなければ外出も外泊もできない。彼女は広島出身なので、以前に話をした時にこの映画が観たいと言っていたので、Sさん御夫婦と一緒に映画を観て、ランチをしていろいろ話をしてきた。Sさんは私より少し若いのだが、本当に切ない体験を繰り返してきた。辛抱強くやさしい性格で、繊細だが天然なところもある人だ。映画の主人公のすずさんを見ていて、彼女と重なり合うところがあった。映画は期待通りというか、ある意味では期待以上だったかもしれない。自分の住む地域、社会、国の変化にかかわらず、ご飯を食べて洗濯して、家族に気を配ることを続けながら、与えられた環境の中で自分の居場所や役割を大切に紡ぐ生活。どんな過酷な環境や運命の中であっても、人は生きてゆく。生きてゆかなくてはならない。そんなことが、ほのぼのとした画面やエピソードの中から立ち上ってくる。この映画が大ヒットしているということは、どういうことだろうとも思った。映画が始ままる前に、色々な映画の「予告編」があるが、その中にはこれ以上は無理とも感じるような刺激的な映像も多い。ひょっとすると、そんな刺激的・絶望的なものに対しての揺り戻しかもしれないな。映画についての細々とした感想は別にして、Sさん御夫婦と食事をしながらゆっくり話せたことはとてもよかった。彼女も、映画から色々なことを思い出したり、今までのことや入院仲間の話など、色々と話をしてくれた。うつ病というものは再発を繰り返すことが多いのだが、彼女もまた、重症化するきっかけとなった時期になるとフラッシュバックで不安定になる。そんな妻を支えているご主人の心身面のことも、私には気がかりである。何とかもう少し元気になって欲しい。そして、何とか寿命を生ききって欲しい。それが彼女にとっては、生きるよりも苦しい時があったとしても、何とかしのぎながら生きて欲しい。それが私の切なる願いだ。日頃は食欲がわかず、時には食事が喉を通らないというのだが、いつも私や親しい人と会うときには、会話をしながらよく食べることができる。そんなわけで、一緒におしゃべりやランチ、映画や絵画鑑賞などの機会を持ち、月に一度でも楽しい時間をと思っているのだが…。今回は少し入院が長引いていて、体力が随分低下してしまったという。早く春になって、外を散歩できるようになるといいけれど…。蛇足だが、多分大通り・すすきの周辺は雪祭りで混雑しているのだろうが、サッポロファクトリーはガラガラだった。そんなこともあり、映画もランチものびのびゆっくりできました。行きも帰りも、地下鉄やJRは混雑してたけれど。
2017年02月10日
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千歳空港ビルにある「ソラシネマちとせ」で、公開中の「ハドソン川の奇跡 を観てきた。久しぶりに、映画でハラハラ・ドキドキして、深い感動を感じる映画だった。この飛行機事故のニュースはテレビニュースなどで知っていたけれど、その後、この時の機長がこのようなことになっていたとは、想像もしていなかった。それにしても、あの映像は本当にリアルだった。それだけに、その時の機長をはじめとする様々な人たちの気持ちが胸に迫って来る。機長はもとより、副操縦士、キャビンスタッフ、管制官、そして様々な状況の乗客の人たち…。私もその場に居合わせているような息詰まる気持ちになり、公聴会の時も、ほとんど結果は想像できるのに祈るような思いでスクリーンを見つめていた。最後は、深い感動で久々に映画を観て涙が出た。責任感、使命感、思いやり、助け合い、人を支える言葉や笑顔、緊張感を緩めるユーモアのちから、「いやー、映画って、本当にいいものですね」って誰かの言葉が浮かんでくる。クリント・イーストウッド監督の映画は、いつも感動できる。(とは言っても、全部見ているわけではないけど)この映画館を使ったのは初めてなのだが、空港の駐車場が三時間無料になるので、空港周辺の人たちにはおススメですね。はっきりいって会場はガラガラで、10人もいなかったかな。良い映画が来たら利用したいけれど、予告編で見たいものはなかったな…。
2016年10月06日
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「喧騒の街、静かな海」昨夜、ちょっと気になってこのドラマを見た。何が気になったかというと、出演する寺尾聡やディーン・フジオカで、その内容についてはあまり承知していなかったのが正直なところ。しかし、物語が進むにつれ、自分の知っている人たちのことが次々と脳裏をよぎり、ドラマに入り込むというよりも、余計な思いに頭も心も揺れ続けた時間だった。親の自殺、親の精神的疾患、子どもの様々な生きづらさ、孤独死、親子の関係、不登校、非行、そんな様々な課題を抱える人たちを、なんとか支えたいと思う人々…。それは、私自身が生きる場の周囲に蠢いていることなのだ。ドラマは、どこかに救いがあることがわかっているので、ある意味少し安心して見ていられるが、現実はなかなかうまくいかないことも多い。「あの子は、その後どうなったかなあ」「あの人は、なんとか生きているだろうか…」「彼女の傷が癒される日が来るのだろうか」「彼らが笑顔で再会できる日が来ればいいけど…」「きっとこれからも色々あるだろうけど、何とか自分の人生を生きてね」ハァー、知り合いであったり、一時期は何とかできないかとウロウロしたり、今現在も迷いながらお付き合いをしている人ばかりなのだが、つくづく思うのは、一人の人間の力は本当にささやかで、どんなに力になりたくても無理は禁物だし、人が他人を本当に救えることなんてないということ。それでも、人は些細なことでも自分の力に変えて、自分で自分を生きてゆく力があるということも信じている。生きづらさを抱える大きな要因は、その人が生きる時代と社会環境だ。その意味で、私は社会や政治に無関心でいてはいけないと思っている。
2016年07月19日
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朝ドラ「とと姉ちゃん」が始まり、今回も毎朝が楽しみになりそうだ。このドラマは、「暮らしの手帖」の創業者、大橋鎭子さんをモデルにしているということで、大橋さんが社長だったことをあらためて知った。「暮しの手帖」は若い頃には定期購読していた雑誌なのだが、花森安治氏のことは何となく知っていたが、女性が社長で社員もほとんど女性だったということは、今回初めて知ったような気がする。定期購読していたのは結婚後数年だったと思うのだが、広告が一つもないという潔さがとても好きだった。雑誌からは、明確なポリシーというか信念が伝わっていて、応援したくなる雑誌だったのだが、近年は時々図書館で手にするくらいとなっていた。昨日スーパーで買い物に行ったら、雑誌コーナーで「しずこさん 「暮しの手帖」を創った大橋鎭子」が目にとまり、購入してきた。読むほどに、本当にステキな女性だったのだなと感動する。そして、父親の仕事の関係で幼少期は北海道で育ったことを知り、一気に親近感を抱いてしまった。これからのドラマ展開も楽しみである。特に、花森安治さんをモデルにした人は誰が演じるのか、興味津々。…と、ネットで調べたら唐沢寿明さんが演じるらしい。ちょっとイケメン過ぎるような気がするけど、まあいいか。
2016年04月08日
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昨夜、NHKスペシャル「あの日、僕らは戦場で〜少年兵の告白〜」を観た。このところ、戦後70年ということで、様々な番組が放送されているが、この「護郷隊」についてはこの番組で始めて知った。内容をコピーしておく。あの日、僕らは戦場で~少年兵の告白~ (バラエティ/情報)沖縄・東村の玉那覇有義さんは太平洋戦争中、16歳で兵士として戦うことを命じられた。有義さんは少年ゲリラ部隊”護郷隊”に所属していた。有義さんは子どもでありながら敵と戦ったことに今まで悩まされ続けていたが、戦後70年、はじめてそのことをカメラの前で語った有義さんは、「僕らがやったことを後に残して、若い人たちに知ってほしい」と語った。有義さんの少年時代、そして、護郷隊の姿をアニメーションで伝える。有義さんら沖縄の少年たちは1944年、軍の飛行場造りに動員されていた。軍の兵士に名護国民学校へ来ることを命じられた有義さんはそこで、互いに殴りあうなどの厳しい訓練を受けた。また、死を喜びとする教育を受け続けたことで有義さんたちは死を恐れなくなったという。当時14歳で護郷隊の1人だった東江さんは「戦争は異次元の世界で、人間の尺度が全然当てはまらなかった」と語った。訓練中に、教官に刃を首に向けられた状態で死ぬ覚悟を求められ続けた東江さんは他のことはもう考えられなかったという。なぜ少年たちは兵士になったのか。神風特別攻撃隊を編成するまでに追い詰められた日本。沖縄に迫る連合国に対して、ゲリラ戦を沖縄で付近で実行しようとする日本。研究を行っていた陸軍中野学校、出身の松田誠さんはこの時作戦を作成したという。こうして完成したのが護郷隊だ。兵力不足から17歳以下の少年すらも兵隊に選ばれたのだ。護郷隊に入る14歳以上17歳未満の兵士は志願兵のみで編成される。しかし志願しなかった兵士は死刑にされるという志願という制度とは遠いものであった。1945年4月1日沖縄、18万の兵力でアメリカは上陸を開始。日本軍は3500人で迎撃を開始した。恩納岳で玉那覇に敵の偵察を命令した。偵察にいった玉那覇は、米軍にチョコレートをもらいながら内部を偵察し、隊にもどり報告した。その夜玉那覇さんの隊は、敵地を攻撃に向かい、玉那覇さんは60発の弾を撃って逃げたと話す。当時の村上隊長は、戦場たちの少年たちについて、「運動会でも楽しんでいるように暴れまわっていた」などと語っている。北部全域の制圧を目指していたアメリカ軍は、圧倒的な兵力で村を占領していった。護郷隊はアメリカ軍が占領した村で、ゲリラ戦を行うようになった。故郷が戦場になることで、少年たちは新たな葛藤に直面していく。照屋さんは15歳の時、アメリカ軍を攻撃するために、部隊の道案内を努めていた。護郷隊の攻撃目標は、照屋さんの故郷「真喜屋」だった。アメリカ軍に使われないようにと上官は村を焼き払った。照屋義松さんは戦後に焼け野原となった名護市・真喜屋に戻り家々を再建するための仕事に就いた。妻の絹代さんも護郷隊に家を焼かれた。照屋さんは「沖縄は犠牲だとはっきり言いたい」と話した。番組が入手した極秘資料から、アメリカ軍は上陸直後の4月の段階で護郷隊の存在を把握しており、少年を捕虜にするなどして詳細を分析していたことが明らかになった。当時少年兵と戦ったアメリカ兵の男性は「線上で出くわすものは全て敵だと教えこまれていた」と兵士と区別の付かない少年に恐怖を覚えたという。アメリカ軍の情報部の報告書によると民間人の招集を把握しており、沖縄と同様に少年たちの部隊は日本各地にも存在しているとみられると分析している。日本本土でも少年ゲリラ部隊が作成されていたことが明らかになった。高橋章さんは九州でゲリラ戦を実際に指導していたという。八児雄三郎さんは実際に指導を受けて少年に指導を施したという。1945年5月、沖縄北部がアメリカ軍に制圧されつつある中、護郷隊は追い込まれ、他の日本軍兵士とともに恩納岳でアメリカ軍に包囲された。5月24日、アメリカ軍は恩納岳に砲撃を開始、最後の戦いがはじまった。戦後恩納岳はアメリカ軍の練習場となり一般の立ち入りは禁じられてきた。今でも不発弾がそのままになっているという。当時山頂付近には隊の幹部と少年達300名ほどが潜んでいたという。その最前線にいた元隊員に合うことが出来た。恩納岳ではわかっているだけで36人の少年兵が命を落とした。なにより玉那覇さんを苦しめたのは親友が死んでも何も感じない自分の心だった。心が動かなくなり、命令のままに行動してしまう。妄動という状態だったという。当時15歳だった仲泊さんは、負傷した人を山頂近くの野戦病院に運んでいた。そこで見たのは軍医が撤退できない負傷者を拳銃で射殺している現場だった。当時は戦争だから仕方ないと自分に言い聞かせたという。同郷の高江洲さんがそうなった時も何も出来きず、誰にも言わず1人で抱え込んだという。一方で高江洲さんの弟は今でも兄が死んだ時の状況を知りたいと願っていた。高江洲さんの兄が、どうような最後だったか知りたいということを仲泊さんに伝えいると、遺族に会ってから決めたいと答えた。6月23日沖縄戦の戦没者の追悼をする慰霊の日、護郷隊の慰霊碑を訪れ祈りを捧げた。真実を知った高江洲さんは知ることが出来てよかったと言った。護郷隊の死者はわかっているだけで162人になる。1945年6月23日日本軍の組織的戦闘が終結、沖縄は占領された。しかし語郷隊の戦いは終わっていなかった。陸軍の将校の言葉によると、遊撃戦を展開していたという。正規軍が敗れた後も少年兵にはゲリラ戦が強いられた。同じ6月23日政府は義勇兵役法を成立させた。男性は15歳から、女性は17歳から戦争に参加させることが出来るとう内容だった。全国の子どもを戦場に送ることが国家を上げて進められていった。1945年7月16日、護郷隊は解散した。最も大切な子どもを戦争に利用した日本、少年たちが見たのは戦争が心を変え、命を奪い去るという現実だった。現在でも、紛争のある地域では少年兵が銃を持たされて戦っている。まだ子供であれば洗脳は大人よりも容易だったろうし、何より怖い兵士に睨まれたら反抗などできるはずもない。国というものは、「国を守るため」という大義名分で子供すらも使い捨てにしようとするものなのか。このような事実を、特に少年兵がゲリラ兵士として唯一戦ったのが沖縄であることも私たちは知らなくてはならない。沖縄の私たち以上の年齢の人は、そのことを忘れてはいないだろう。それを考えると、現在の沖縄の置かれている状況が沖縄の人達にとってどのように感じるのか。そのことを、政府関係者はよくよく踏まえたうえで、米軍基地問題を考えて欲しいと願う。
2015年08月12日
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このところ「天皇の料理番」を楽しみに見ている。最近はあまりテレビドラマが面白いと感じることが少なくてあまり見ないのだが、たまたま二週目あたりでそれも途中から見てはまってしまった。「天皇の料理番」は、多分それに似た題名の本を随分昔に読んだ記憶がある。たしか、昭和天皇がお亡くなりになったあたりだと思うのでもう内容は忘れてしまっているが、なんで宮中晩餐会はいつもフランス料理なんだ!? と常々思っていた私には、興味深い内容だったように思う。さてこのドラマ、私は本当によくできていると思う。登場人物それぞれをとても明快にわかりやすく個性的に演出していて、時代背景とか料理の内容等についても、簡潔にドラマを邪魔せずに説明している。だから、内容や言葉につっかかってしまうことがほとんどない。(少なくても私にとっては…)それに、主人公篤蔵役の佐藤健は、なかなかの努力家のようだ。あの包丁さばきは、相当練習をしているなと感心した。もちろん、プロの目から見たらどうかはわからないけれど、素人目には「ウマイ!」と思う。少なくても、主婦歴40年の私は負けそう。昨日は、外交官役で郷ひろみが出ていてびっくりしたが、なかなかいい味出していた。あの時代の外交官は、きっと様々な苦労の中でしたたかに日本を世界にアピールするために頑張っていたんだろうな。多分、本当に日本のために命をかける覚悟で…。現在の外交官の方々もそうであってほしいと思うが、知人から聞いたエピソードなど思い出すと、外交官の中にもピンからキリなんだろうと思う。実際の秋山徳蔵さんの歩みとは少し違うようだが、それでも十分に納得できる内容だと思う。来週も楽しみであるが、ひょっとしてそろそろ最終回!?そうそう、このブログを書こうと思ったのは、ドラマの中で篤蔵が「『恵まれている者は、励まんといけん』と、母が言っとりました」というセリフ。本当に、この世は運のいい人と悪い人、恵まれている人と恵まれない人がいる。恵まれている人は、その分だけ努力したり誰かのために働かなくちゃと思う。私も、できるだけそのように心がけていきたいものだ。大切な言葉だと思ったので、このドラマについて書こうと思った次第。
2015年06月08日
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隣市で「カンタ! ティモール」というドキュメンタリーを、友人と見てきた。東ティモールについては、独立後のPKO活動に自衛隊を派遣することで論議があったことくらいを思い出すだけで、その当時ですら、どのような経過で東ティモールが独立したかとか、その国の歴史などについてはまったく知らなかった。インドネシアからの独立を願って戦い続ける東ティモールに対して、日本がどのように対応してきたのか、この映画を見てやっと「そうだったのか。さもありなん」と思った次第。その歴史は、「インドネシアとの戦いの末に独立を勝ち取った」などと簡単に言える生易しいものではなく、国民の命の三分の一を失うという悲惨なものである。全編を流れるのが東ティモールの青年の作った歌なのだが、みんなで楽しそうに歌っている人々や子どもたちの、笑顔の明るさと美しさと誇らしさ。自分の家族や友や仲間を殺され、拉致されレイプされながらも、「悲しみは消えないけれど恨みはない」という人たちの寛容さには心から驚くばかりだった。人間はこのように残虐になれるものだけれど、それを乗り越えてこのように優しく深い精神性を持つこともできる。本当に色々なことを考えさせられる映画であった。まだまだ書きたい思いはあるけれど、どうも言葉にならないでいる。いつか東ティモールに行ってみたいと思った。[追記]この映画に登場する、「独立の父」と言われるシャナナ・グスマン初代大統領、本当に素敵な方でした。また、この映画には登場していなかったと思うけど、インドネシアに投獄されながら刑務所で抵抗・独立運動のリーダーでもあったグスマンと二人三脚のように、海外にあって東ティモールの状況を訴え、和平交渉のために働いたジョゼ・ラモス=ホルタ氏は、1996年に、「東ティモールにおける紛争の正当で平和的な解決への尽力」を評価され、カルロス・フィリペ・シメネス・ベロ司教とともにノーベル平和賞を受賞している。各地で上映会を開催しているので、お近くに来た時にはぜひご覧ください。ちなみに、私が見た会場のことは、ここには載っていません。
2015年04月17日
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昨日、夫と「風に立つライオン」を見てきました。さだまさしのこの曲は、最初に聴いた時から大好きでした。(20歳後半から彼のファンになり、一時期はファンクラブにも入っていたりして…)そんなこともあって、彼がこの曲で本を書き、さらに映画化されると知ってからは、映画館で見るのを楽しみにしていたのです。うん、良い映画でした。主演の大沢たかおが映画化を熱望して実現したのですね。彼は好きな俳優ということもあるせいか、本当にこの役にピッタリと感じました。久しぶりに心洗われる気持ちがしました。このような日本人が世界各地で頑張っていること、そのことが日本の信頼や評価を高めている。決して武器は持たず使用せず、現地の人達の信頼と感謝という盾に守られる活動をすることが、私の考える積極的平和主義です。どのような所に生きていても人間はいつかは死ぬ。自分の命を本当の意味で顔の見える誰かの為に使うことが出来たなら、それが素晴らしい人生のように思います。それでも、モデルとなった柴田先生がご健在なことを知り、とても嬉しかったのも本音です。 「風に立つライオン」さだまさし/作詞・作曲 1987年突然の手紙には驚いたけど嬉しかった何より君が僕を怨んでいなかったということがこれから此処で過ごす僕の毎日の大切なよりどころになります ありがとう ありがとう ナイロビで迎える三度目の四月が来て今更千鳥ヶ淵で昔君と見た夜桜が恋しくて故郷ではなく東京の桜が恋しいということが自分でもおかしい位です おかしい位です 三年の間あちらこちらを廻りその感動を君と分けたいと思ったことが沢山ありました ビクトリア湖の朝焼け 100万羽のフラミンゴが一斉に翔び発つ時 暗くなる空やキリマンジャロの白い雪 草原の象のシルエット何より僕の患者たちの 瞳の美しさ この偉大な自然の中で病と向かい合えば神様について ヒトについて 考えるものですねやはり僕たちの国は残念だけれど何か大切な処で道を間違えたようですね 去年のクリスマスは国境近くの村で過ごしましたこんな処にもサンタクロースはやって来ます 去年は僕でした闇の中ではじける彼等の祈りと激しいリズム南十字星 満天の星 そして天の川 診療所に集まる人々は病気だけれど少なくとも心は僕より健康なのですよ僕はやはり来てよかったと思っています辛くないと言えば嘘になるけど しあわせです あなたや日本を捨てた訳ではなく僕は「現在」を生きることに思い上がりたくないのです 空を切り裂いて落下する滝のように僕はよどみない生命を生きたいキリマンジャロの白い雪 それを支える紺碧の空僕は風に向かって立つライオンでありたい くれぐれも皆さんによろしく伝えて下さい最后になりましたが あなたの幸福を心から遠くから いつも祈っています おめでとう さよなら
2015年03月25日
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坂東三津五郎さん死去 59歳 歌舞伎俳優、日舞の家元産経新聞 2月23日(月)7時55分配信 坂東三津五郎さん死去 59歳…すい臓がん。生前「すい臓がんの恐怖を語る」昨年だったと思うが、札幌で坂東三津五郎が出演する歌舞伎公演があると知り、早速チケットを手に入れた。しかし、彼は体調を崩したということで、楽しみにしていた三津五郎の舞台を見ることができなかった。その時に、勘三郎、團十郎に続いて彼もと、とても心配だったのだが、不安が現実になってしまった。本当に本当に残念である。三津五郎さんは、「歌舞伎は伝統芸能ではなく、伝承芸能」と言っていたというが、彼の芸が若手の歌舞伎役者に伝承され、新しい芸として花開いてゆくのを祈るのみ。でも、きっとあちらの世界では、勘三郎さん團十郎さんに迎えられて、「ボクも来ちゃったよ。」なんて話しているのかもしれない。ひょっとすると、あちらの世界で三人でできる舞台の相談をしていたりして。三人とも苦しい闘病生活から解き放たれて、これからはそれぞれの御子息の守護霊として若手の彼らを導いてくれるのではないか。心からご冥福をお祈りします。(あー、でも、三津五郎さんの舞踊をじっくりと鑑賞したかったなあ)
2015年02月23日
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昨日は、夫と一緒に「バンクーバーの朝日」を見てきた。年末に、この映画のことを知り、「実話もの」が好きな私は気になっていたのだ。戦前に日本国内の「口減らし」というような感じで、ハワイやブラジルなど南米への移民政策がとられていたことは知っていたが、カナダにも沢山移民していたことをあらためて知った。ハッキリ言って、移民政策は「口減らし、棄民政策」だったであろうから、政府は十分な調査もせずに志願者を募りどんどん送り出して、移住した人たちが大変な苦労を強いられたことを知ったのは、私にとっては大河ドラマの「山河燃ゆ」あたりからだったと思う。今調べたら、これが放送されたのは1984年だから、もう30年も前のことだった。いやはや、月日のたつのは早いものだ。それはさておき、それ以来、各国に移民した人たちの「その後」のドラマには関心を持つようになったので、戦時中の状況も何となく想像はできるのだが、バンクーバーでこのような野球チームがあったことは、この映画で初めて知った。この映画の登場人物それぞれに史実に基づくモデルがいるのどうかまだ調べていないが、彼らのその後がさらに気になりだした。ということで、早速図書館に関連図書をリクエスト予約してみた。映画はそれなりに面白かったけれど、試合がいつも同じ球場というのがちょっと違和感。それとも、ホームでの試合では勝つというパターンだったのかな。野球のことはよくわからないのだが、バント&盗塁作戦というのはこのチームが確立したんでしょうか?ともあれ、あの時代に懸命に生きた人たちがいて、苦しい中でも希望や夢を握りしめていたわけで、その日系人たちにとって「バンクーバー朝日」は、文字通り「朝日」という希望の象徴だったのでしょうね。
2015年01月05日
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一昨日、突然「ザ・ニュースペーパー」のチケットが回って来て、昨日妹と二人で見に行くことになった。妹が友人と二人で行く予定だったのだが、お友達のお母様の容態が悪くなったので、私に声がかかった次第。このブログを書こうとして、「ザ・ニュースペーパ」でテーマはなかったかと検索したら、私のブログしかなかった。それで確認したら、2011年6月公演以来だったのだとわかる。うん、ブログを書いていると便利なことがある。さて、今回の公演のオープニングは「高倉健」から。安倍首相の解散記者会見も、高倉健さんの死去報道の前にはかすんじゃったと…。そうそう、最後まで健さんが男気を見せてくれましたね。そんなことを思いながら、当然ながら解散がらみの時事ネタコントの炸裂。いつもながら、「ここまで言ってもいいのかな」と思いながらも、あまりの痛快さに笑って笑って涙を流し…。以前見た時から、多少メンバーが変わっているようだが(ちょっと若返った?)政治家や国民の本音を次から次へと繰り広げてゆくテンポや、笑いをとりながらではあるが、社会を見る鋭い視点を提供する彼らは、本当にすごいといつもながら感動。日々変化する社会の情勢や事件などをタイムリーに取り上げてコントにするには、本当に見えない場所での苦労やメンバーのバトルがあるのだろうなと思う。お年寄りを狙う「〇〇詐欺」のコントは、客席から老夫婦に扮した二人が登場したのだが、おじいさん役の人が通路側に座っていた私の手を取り「一緒に行こう!」と引っ張った。ノリの悪い私は笑いながら手を振りほどいてしまったのだが、もしも一緒に舞台に上がるような人ならどうなったのかな。実は私は、手をひっぱられたと同じくらい、彼の手の冷たさにビックリしたのだ。あれほど大声を出し、滑稽な身振りで人を笑わせている彼は、本当はとても緊張しながら人の反応を見極めながら演じているのだろうと感じたのだ。(それとも、単なる冷え性?)「さる高貴なご一家ネタ」も、いつもながらとてもおかしい。右翼系からそのネタで脅されたこともあるようだが、めげずにひるまず続けているその底には、「高貴なご一家」への温かいまなざしがあり、それが多くの人の共感を得ることになるのだろう。気になったのは、リーダーの渡部又兵衛さんの体調。今回は、ほとんど座ったままの舞台が多かったし、最後の全員そろってのご挨拶は、隣のメンバーが支えていたようにも見えた。(妹は、支えられて出てきたと断言していた。私はそこまで見ていない)糖尿病から、片足切断、週何回かの人工透析という闘病をしながら全国の公演を続けているという。本当に体調管理に気をつけて、まだまだ私達を楽しませていただきたいと思う。
2014年11月23日
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2014年11月17日(月)放送の、「NHKクローズアップ現代」のことを書いておきたい。(書こうと思って失念してた)「“ギャンブル依存症”明らかになる病の実態」を読んでいただければわかるけれど、500万人を超える人がギャンブル依存症の疑いがあるという。【厚生労働省研究班(代表=樋口進・同センター院長)の推計では、ギャンブル依存の疑いがある人は国内に536万人。成人の4・8%に上る。】成人の約5%とは、想像を超える数字である。100人のうち、5人ですよ!私は「カジノの合法化や誘致」には絶対反対の立場なので、クローズアップ現代でよくギャンブル依存症について取り上げてくれたと、ずっと見ていた。(当然、こんな日本でカジノを合法化したら、日本(人)がもっとダメになるという論調になると予想したから)ところが…その内容については、ギャンブル依存症の怖さや、その家族をどれほど破壊するか、そしていったん依存症となったら、どれほど治癒が困難であるかに触れていたので、それまでは良しとしよう。ところが、最後のまとめが腰砕けである。この日のゲストは、北海道立精神保健福祉センター所長の田辺等氏。私は、この人がゲストで出てきたとき、ちょっと「あれっ?」と思った。ギャンブル依存の治療や依存患者やその家族の苦悩と日夜向き合っている医療関係者は、北海道から呼ばなくたって東京周辺にたくさんいるはずなのに…と。そして、その実態をよく知っている専門家なら、「カジノ? 何を考えているんだ」と思うはず。番組の最後に●カジノ解禁についての議論もあるが、何を大事に考えるべき?との質問に彼は次のように答えた。 「社会の中で、ギャンブルの依存症者ができるような仕組みといいますか、そういうギャンブル依存者を作り出すことは非常に簡単なんですね。 でもそれを回復させる仕組み、あるいは回復させることを支援する人を育てるのは、大変なことなんです。 ですから、依存症というリスクがあるということを知って、予防とか教育、そして、依存症者への対策というものを充足させないといけないと思います。」これでは、あまりにも穏やか過ぎるコメントであろう。依存症というリスクが、とても高いのだということを、もっと強調してほしかったと思いつつ、今のNHKはここまでしかできないのだろうとも思った。この程度でのコメントで抑えてくれる精神科医は、彼しかいなかったのかな?日本人だけではないかもしれないが、ギャンブルに限らず依存症になる人はとても多い。依存症は本人だけが治療して治る病気ではない。さらに、様々な犯罪にも関連してくる病でもある。人間に娯楽は必要だ。でも、この日本の現実の中でギャンブルを経済活性化の手段として考えるのは、あまりにも愚かだと思う。依存症を作り出すことで儲けようなんて、あまりにも卑しい発想ではないか。
2014年11月21日
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「約束」 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯昨日、市内で開催された上映会で見ることができた。名張毒ぶどう酒事件について知ったのは、2005年のことだった。確かブログに書いたなと思い調べたら「 名張毒ぶどう酒事件、再審決定に思う」2005年04月06日があった。その後、その再審決定は二度も覆され、2013年11月5日に名古屋高裁へ第8次再審請求を申し立てしている。現在奥西氏は死刑囚最高齢として、ほとんど寝たきり状態だそうである。映画やネットでの情報を見る限り、裁判所が死刑の根拠にしているのは、当時彼が自白したということだけ。当時の裁判で証拠とされたものは、再審請求の過程で明らかになった証拠の間違いや証言の不明確さで、ほとんど証拠にも証言にもなっていないことがあきらかにされている。それなのに、当時「自白をした」ということだけで死刑判決を肯定し続ける裁判官たちの正義とは何なのだろう。裁判官による不正儀が今の司法を牛耳っているとしか思えない。私には、この事件の真相がどうなのかははっきりとはわからない。しかし、この事件は、名張市葛尾という閉ざされた集落という閉鎖的な人間関係と司法(特に裁判所関係)のこれまた閉ざされた社会の力関係や価値観という、どちらにも共通する「ムラ社会」という、日本にありがちな構造の中で発生したものだろうと思う。ムラ社会は、そこに上手に適応したものには住み心地が良いものなのかもしれないが、一度そこからはずれてしまったものには、恐ろしく避けようもない「イジメ構造」と変化する。ここから先は私の完全な想像であるが、最初に奥西氏が自白してしまったのは、自白の強要のせいもあるだろうが、所属するムラ社会の一員としての価値観というか習慣みたいなものに、ついうっかりと乗ってしまったのではないか。強いものにいつまでも逆らっても事態は悪くなるばかりだから、さっさと頭を下げて許してもらうという行動様式といえるだろう。事件の真犯人は、たぶんすでに死亡しているだろう。真相を何となく知っているだろう周囲の人だって、ムラ社会の掟に従って奥西氏を生贄とした人達ばかり。そのムラで生きようとしたなら誰も本当のことは話さないだろう。生きるためには、かつてのおぞましい事件は忘れることに限る。これは、裁判官たちのムラ社会においても同じような構図ではないか。今は、ただ時間が経過して奥西氏の命が尽きるのを、あのムラの人も裁判所ムラの人たちも待ち続けているのだろう。しかし、それが私達の正義や命を守るべき組織の構図だとしたら、本当にやりきれない。救いは、袴田事件のように、再審開始とともに即時釈放という決定がされたこともある。私は、奥西氏はえん罪だと思う。何とか生きている間に、その手錠をはずして青天白日のもとに戻してあげてほしい。
2014年05月25日
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映画「ファルージャ イラク戦争 日本人人質事件...そして」 自己責任批判から10年、28歳の伊藤めぐみ監督の視点 新聞でこの映画の公開の記事を見た。あのイラクでの日本人人質事件から、もう10年が経っているのだ。人質になった3人のうち二人が北海道出身で、事件が発生した時から他人事ではない気持ちで無事を祈りながらニュースを追っていた。しかし、次第に高まる「自己責任論」に対して違和感から怒りを感じ始め、このブログにも思いを綴っている。 (2004年4月の日記)思えばあの頃から、弱い立場の人を「大義」のもとで踏みつけてしまう風潮が始まったように感じている。それも、本当は自分が弱い立場であるのにも関わらず、「長いものに巻かれろ」から一歩進んで、長いもの(力のあるもの)を積極的に支持し迎合する、卑怯な人たちが増えてきているのではないか。いわゆる「ヘイトスピーチ」もそうであるし、ネットでの少数派の意見への執拗な非難もしかりである。あの時、ブログで人質の人達を応援することを書いた私のようなものにも、多少嫌がらせ的な書き込みもあったり、リンクしていた人の中にも「自作自演じゃないか」なんて書いていた人もいた。私は、怒りを抑えながら可能な限り冷静に書こうと心がけていたので、ひどいバッシングのトバッチリまではなかったけれど、「あなたたちは、政府のまわし者ですか?」と言ってやりたいことが何度もあった。政府というものは、弱い立場の国民を守ることが使命だと思っている。最近の風潮は、かつての「国体護持」のように、「国を守らなくては国民なんか守れない」との論法で、そのためには多少の犠牲もやむなしが、政府から始まりなぜか弱い立場の人まで是認してしまっている。あの時の高遠菜穂子さん今井紀明さんは、帰国後のひどいバッシングに一時は落ち込んだけれど、今でもそれぞれの立場で信念を曲げずに頑張っている。私は、彼らの姿に人間の持つ力強さを感じて、希望を抱くことができる。命をかけて勇気を奮い、弱い立場の人達のために頑張ろうとはしないものだけが、無責任な自己責任論を振りかざすのは、今も同じかそれ以上だ。理化学研究所の小保方論文に対するバッシングの根も同じだろう。強いものが自己保身で弱い立場の人に責任を負わせようとする空気を感じて、とても嫌な気持ちが続いている。若いということは未熟なことであり、失敗をするのが当たり前だ。その失敗を糧にさらなる飛躍へと導くのが、先に歩む者の仕事である。若い時には気付かなかったが、年を重ねたらかつての自分の未熟さに赤面し、その時に支えてくれたり導いてくれた人たちの存在に気づくことが多い。でも、それにも気付かず「自分の力と能力でここまできた」と思いあがった人が権威を持つと、本当に怖いことが起きてしまう。今の日本社会が、そんな基本的な謙虚さや、弱い人を盾にするという恥を知らなくなっているとするなら、「美しい日本」なんて言葉を吐くのは人として恥ずかしいばかりだけと思うのは、私だけではないだろうと思いたい。この映画、札幌のシアターキノで公開されている。ぜひ見たいのだけど、日程的に無理なようだ。次の機会を待ちたい。追記:2005年7月の日記で、今井さんがあの事件の後に書いた本について書いていた。 「ぼくがイラクへ行った理由(わけ)」今井紀明/著
2014年04月06日
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午後から映画「ハンナ・アーレント」を見て、夕食を早めに取ってから道新ホールでの「桂米團治独演会」で笑い初め。上京した時にはできるだけ寄席に行ったりして、落語は好きなのだけど、まだ「独演会」というものには行ったことがなかった。さらに関西の落語家の噺をちゃんと聞いたこともなかったような気がする。今回は、新聞やネットでこの独演会を知り、「桂米團治」にも興味があったし、出し物の「地獄八景亡者戯」が聴きたかったのである。北海道ではあまり落語に接する機会がないせいか、夫と妹を誘っても「落語ねえ…」とあまり気が乗らない様子。聴いたら絶対に面白いはずとは思っても、無理強いして万一外れだったら申し訳ないし、そんな時にはとっておきの「持つべき友」を誘ってみた。私だって、できれば観劇や落語などは一緒に笑ったり感想を言い合える人が一緒の方がいいですから。(一人で上京した時などは、一人で行きますけど)彼女は勿論、「行く行く~」と快諾してくれて、一緒に楽しむことができたのである。やっぱり、「持つべきものは友」ですね。さてその独演会は、期待以上に楽しかった!最初の若手の桂團治郎の『子ほめ』もとても歯切れがよい話しぶりで、大いに盛り上がり、次の米團治の『掛け取り』も、お腹をよじって笑わせてもらった。話の中は駄洒落が満載なのだが、米團治はクラシックに明るいらしくて、次から次へと作曲家や音符の名称をもじったり、歌やオペラのさわりをうなり語り(?)したりのてんこ盛り。きっとこの話には「元」があって、それぞれの噺家が自分の得意分野で変化させるのだろうけれど、実に面白かった。でも、音楽の多少の知識がなければ何をもじっているのかわからないかも。そして、一番の期待の「地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)」は、一時間近くの大ネタだそうで、私は寄席落語しか聴いたことがないのでとても楽しみだった。これもまた、期待以上に面白かった。内容は、サバで当たって死んだ男の冥土への道中話だが、米團治はマクラで「これから冥土ツアーにご案内」と言っていた。これは、時事ネタと駄洒落やギャグてんこ盛りで、次から次へと決して飽きさせない。その上に、顔の表情や動作も大仰なので、噺家も体力勝負だと思うけど、私たちも笑いや拍手で体力勝負である。終了後には米朝&米團治関連の手ぬぐいや色紙などがあたる抽選もあり、最後まで期待したけど賞品は貰えませんでした。そこまでの大当たりを期待しては、欲張りというものですものね。それにしても米團治、すっかりファンになりました。米朝の長男として育ち、色々プレッシャーもあるであろう中を、しっかり自分の芸を磨いてきたんだなと、その精進にも拍手です。本当に楽しい時間をありがとうございました。
2014年01月09日
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友人と、以前から見たいと思っていた「ハンナ・アーレント」を札幌のシアターキノで鑑賞。椅子席を出すほど、満員であった。ハンナ・アーレントの名前は知らなかったのだが、新聞の映画紹介欄で「ハイデガーの弟子で彼と一時不倫関係にあった」というような記事を読み、ハッと思いだしたことがある。まだ慶應通信で勉強中に、講師派遣学習会でハイデガーについての話を聞いた時、彼が大戦中にナチスに協力して戦後批判を浴びたことや、教え子と関係を持ったというようなエピソードを聞いたような気がしたのだ。実は、その時の学習会は帯広で開催されて、私はハイデガーのことを少しは知りたいと泊まりがけで参加したのだが、心に響かなかったのか私の理解能力がなかったせいか、ほとんど覚えていないし、そのエピソードを聞いただけでも、深く考える哲学者もまた、平凡な人間なんだなという印象を抱いたので、その後ハイデガーをもっと知りたいとも思わなかったのである。そしてこの印象は、この映画でもまた強化されたわけである。ハンナ・アーレントは第2次世界大戦中にナチスの強制収容所から脱出し、アメリカへ亡命したドイツ系ユダヤ人である。彼女がナチス戦犯アドルフ・アイヒマンの裁判を傍聴して書いた記事は、ユダヤ人社会はもとより全米から激しい批判を浴び、大切な友人すらも去ってゆくような苦しみの中でも、毅然としてアイヒマンの個人攻撃ではなく、彼を通して人間の持つ「悪の凡庸さ」を主張し続けた。アイヒマン裁判の実際の映像を使っているので、彼が発する「悪の凡庸さ」がリアルに伝わってくる。映像のアイヒマンを見ていると、何人かの面影が脳裏に浮かんだ。言われたことは忠実に正確に行うけれど、自分がやっていることの意味を考えることを意識的に放棄しているようなあの人・この人…。言われたことを正確にやることが職務遂行の基本と信じている人。このようなタイプの人は、実は今まで私が仕事などで出会った人の中には少なからずいる。それは、私の住む町の地域性にもよると思うが、根っこは善良で真面目な人たちなのだ。集団の中で出る杭になることを注意深く避け、自分が責任をとることをできる限り避けようとするタイプの人たちである。そしてそれは、たぶん多くの日本人に共通する傾向ではないかと思うし、この私もその範疇にあることを自覚せざるを得ない。そのようなタイプの人間が、自分達の社会の責任を取ってくれる強いリーダーを求め、抑え込んでいる自我のストレス発散を、弱い立場の人たちや、出過ぎた杭に向けることが多いのだ。毅然として「悪の凡庸さ」を主張し、バッシングの嵐にも決して節を曲げようとしなかったハンナ。このような人がいたのだということに、私はとても感動したし、人間に対しての希望をつなぐこともできるような気がした。映画の中で、古いユダヤの友人から「君はイスラエルや同胞をを愛していないのか?」と問われ、「一つの民族を愛したことはない。私が愛するのは友人だけ」と答えるシーンがある。それでもそのユダヤの友人は彼女に背を向けるのだが、ドイツ社会で生まれ育ち、そのドイツから迫害を受け、アメリカに亡命し、その中で自分の生活や思索を深めてきた彼女の言葉には、強い説得力があると思う。現在の日本の状況、そして紛争の絶えない世界の現況を救えるのは、彼女の信念にキーワードがあるように思う。私達が何かをできるのは、身近な家族・友人・地域社会にしかない。そして、その中で自分が感じていることを発信してゆくしかない。身近な人たちが自分を非難することがあっても、本当に自分を信じて支えてくれる人が一人以上いたなら、きっと耐えられる。そんなことを、この映画で感じていた。
2014年01月09日
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市川団十郎さんが死去 歌舞伎十八番や豪快な荒事芸継承朝日新聞デジタル 2月4日(月)0時40分配信 昨年12月の中村勘三郎死去のショックに続き、今朝は団十郎が亡くなったというニュース。 歌舞伎の神様も、歌舞伎座の建て替えとともに、看板役者まで変えなくてもいいのに。 でも、人の命は運命なので、この運命を若手役者達はしっかりと受け止めて、 新しい歌舞伎の時代を創造してほしいと祈るのみ。 先ほど、息子の海老蔵のインタビューを見たけれど、 悲しみに耐えながらしっかりと冷静に話す姿に、 父親の遺志を引き継いでゆくのだという決意が感じられ、 きっとこのことが彼を一回り成長させるのだろうと思った。 それでも、やっぱり惜しかったな…。
2013年02月04日
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勘九郎ら無念のコメント「癌晴って…」2012年12月5日勘九郎、涙の口上「父は無念だと思う」仁左衛門ら居並ぶ俳優も客席も涙デイリースポーツ 12月5日(水)
2012年12月05日
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日頃頑張っている息子たちや孫たちへのプレゼントも兼ねて、木下サーカスに七人で行ってきた。(息子一家四人、次男、私の妹、私たち夫婦)まあ、一番行ってみたかったのは私なのかもしれないけれど…。本格的なサーカスを見たことがあったのかどうか、記憶は定かではない。札幌を拠点とした今はなき「キグレサーカス」を、一度くらいは見たような気がするのだけど、息子たちに聞いても「見たような気はするけど…」とはっきりしない。ということは、本格的なものではなくて、お祭りイベント程度のものしか見てなかったのかもしれない。そんなわけで、世界三大サーカスの一つと言われる木下サーカス、七月中に前売り券(自由席)を購入して、みんなの都合を合わせてこの日となった次第。二日前にサーカス事務所に「自由席に確実に入れるのは何時ころですか?」と問い合わせたら、なんと「三時間くらい前なら大丈夫でしょうが、その日によってはわからない」とのこと。これは予想以上で、七人が三時間前に集まるのは無理なので私たち夫婦がとりあえずチケットを持って三時間前から並ぶことにした。着いてみると、開演(一時)の三時間前の10時だというのに、すでに長蛇の列。もしかして遅かったかと不安になったが、並んですぐにチケットや人数確認があり、予定の一回目には入れるということで、ほっと一安心。このような時に携帯電話は本当に便利で、他のメンバーたちに状況を知らせ、入場前には昼食を済ませて私たちと合流するように知らせる。曇り空で涼しかったので、持参の単行本を見ながら時間をつぶす。並んでいる人たちの中には、当然子供連れも多く、中には赤ちゃんも。当たり前だが飽きてくるし、泣く子も増えてくる。子連れで三時間待ちはきついけれど、状況によってはやむをえないことだろう。私たちの少し後に並んだ人たちは、すでに一回目は入れないので二回目の回数券をもらっている人たちもいることを思えば、一回目で見ることができることでよしとすべきなのだろう。さて、開演一時間くらい前になると、今度は駐車場がとても混んできた様子。夫は「一時間前には来るように厳命した方が良かったな」と落ち着かない。携帯で連絡を取ると、やはり駐車場までが渋滞とのこと。まあ、チケットはあるのだから、最悪一人が入場して座席を確保し、一人は残りの家族が来るのを待とうと話していた。残り五人は無事に入場前に着いたのだが、仕事の都合で別に来ることになった息子二人が、入場が始ってもまだ来ない。やはり駐車場に入れなくて遅くなったようだが、何とか開演前にはみんなで自由席の最上段に陣取ることができた。指定席の方が見やすいことがわかってはいたが、なんたって7人なので、年金生活者としてはそれ以上の贅沢は諦めた。さて、いよいよ開演。うーん、想像以上に楽しめたし感動した。詳しいことは「木下サーカス」のホームページを参考にしてほしいが、どれもこれも、歓声と拍手の連続技。中でも、「猛獣ショー」のライオンたちには驚いた。本物のライオンたちが、あれほどおとなしく調教師の言うことを聞くなんて、信じられない思いで見ていた。「まるで猫みたいだね」と隣の孫と話しながら、そういえばライオンは猫科だったなと思い出した。動物たちはその他にも、キリンやシマウマ、大きな象さんたちも出演。この豪華な登場人(動)物たちのことを思うと、入場料は決して高くはないなと納得。そして、指定席を奮発しても良かったと、ちょっと残念にも思った。やはり、近くや正面から見た方が迫力も感動も倍増だったかもしれない。それでも、私も含め、みんな十分に楽しむことができたのは間違いはない。感動の二時間はあっというまに終わって、外に出ると次の入場を待つ長蛇の列。そして、「本日は満席ですので、申し訳ございませんが明日以降のご来場をお願いします」のアナウンスが。会期中に、いったいどのくらいの人が来場するのだろう。今月初めに15万人を超えたという報道があったが、あのサーカスを見た人は、見ていない人に感動を伝えるだろうから、どんどん増えているのだろう。サーカス団の皆さんたちは、本当に忙しい毎日のことだろう。公演終了後、最後の空中ブランコの演技者の人たちが、次のステージ作りのために、みんなでネットなどを片づけているのを見ながら会場を後にした。次の開演まで時間があまりないので、きっと裏方も出演者も総出で働いているのだろう。練習や本番中に怪我だってするだろうし、体調が悪くなる時もあるだろう。みなさん、本当に体に気をつけて、多くの人たちを楽しませてくださいね。
2012年08月17日
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昨夜、たまたまBSテレビで「沢田研二LIVE2011~2012 ツアー・ファイナル 日本武道館」を見た。 それも、たまたま沢田研二がステージを走り回っている場面私は、彼らとほぼ同世代なので、彼らの全盛期が青春時代だったのだが、残念ながらさほど興味が無くて、ジュリーやサリー、ピーなど、それぞれのお気に入りのメンバーについて熱く話している友人達を、横目で見ているような立場だった。だから、彼らについてはあまり詳しくはない。それでも、時々は沢田研二や岸部一徳などはドラマなどで顔を見ていたし、岸部シローは借金だの自己破産だなどのニュースを見ていたくらい。何しろ画面を見てビックリ仰天したのは、沢田研二の体型。以前、何かのドラマで見た時も、ずいぶん太めになったなと思ったが、今回はそれ以上になっていた。今回の番組は、武道館コンサートまでのドキュメンタリー番組のようなもので、解散から一切メンバーとの連絡も絶っていたという瞳みのるが、沢田研二の歌を通しての呼び掛けにこたえて、今回のツアーに参加したということを知り、ついつい最後まで見てしまった。知っている曲もあり、聞いたことがあるなという程度の曲も、初めて聞くような曲もあったが、彼らの姿やその時々の表情を見ていると、なんだかジーンとすることが多かった。40年を経て、みんな色々あったんだろうな。それぞれに、一所懸命生きてきたのだろうな。彼らと同じような世代のファンの人たちも、ジュリーにキャーキャー熱狂してきた時代から、様々な経験をして今彼らの姿に涙ぐんでいる。王子様のように見えたジュリーが、あの体型になったのを見て、ファンの人たちはどんな感じなのかな。ジュリーも自分達と同じ世代なのだと、いっそう親近感を抱いたのだろうか。蛇足だけれど、みんな一所懸命生きてはきたのだろうけれど、あんまり物事の本質を考えず、目先のことにとらわれることに終始した結果、現在の様々な問題を生みだすことになった世代でもあるんだよなあ。人間には必ず老いの時代が来る。それでも、その時その時を輝くことはできる。若い頃は見えなかったものも、年を経て見えてくることもある。年をとらなくては決して味わえない感動も喜びもある。そして、若い頃に苦労を共にした、あるいは愛憎の体験を共有したものだけが味わえる、深い友情としてのつながりもある。そんなことが、次々と心に湧いてくる時間であった。
2012年03月24日
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昨日は、友人と三人で「ザ・ニュースペーパー」札幌公演に行ってきました。この、社会風刺コントグループの公演を見るのは、多分三回目。今回は、前列から四列目というものすごい前の席で、楽しみなような怖いような……。過去二回は満席だったように記憶するけれど、今回は札幌公演の最終回ということでなのか、震災の影響があるのかないのか、後方には若干の空席もあったような…。さて、その内容であるが、最初はもちろん政治ネタ。しかし、このところの政界のドタバタである。昨日は、管総理が八月に退陣するらしいことを表明したとのことで、急遽ネタの書き換えがあったらしい。「あと一日遅ければ、札幌公演も無事に終わったのに…」との、セリフを噛んだ誰かさんのぼやきは本音であろう。実は、私は最初の政局ネタはあまり笑えなかった。このような風刺コントは、「さもありなん」「ひょっとするとそうかもね」というような、よくぞそこを突っ込んでくれたという意外性があってこそ笑いになると思う。しかし、今の政治家達の言動は、私たち庶民がすでに呆れたり腹立てたり、結果的にすでに馬鹿にしたりしているから、何となく二番煎じのように感じられてしまったのだ。というより、意外性が無くて「多分こうだろう」という想定内のコントになってしまう。みんながみんなそう感じてはいないだろうし、会場は笑いの渦ではあったから、別に文句を言っているわけではなく、政局そのものがドタバタ芝居じみている状況や、原発事故の現状では、笑いにするにはあまりにシビアなことが多くて、風刺コント集団としてはやりにくいだろうなと、同情した次第。しかし、そこはやはりプロ集団である。そんな皮肉屋の私も、次第にその世界にはまりこみ、涙を流し、おなかを押さえながら笑わせて貰いました。しかし、あまりに前列過ぎたため、途中から眼鏡ははずして楽しみました。やはり、さる高貴なご家族の大奥様なんて、はっきり見えたらはっきり言って怖いです。思う存分笑った二時間、私達の免疫力は確実に上がり、多分何年かは寿命が延びたことでしょう。
2011年06月06日
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実は、この3カ月で何本か映画を観ている。誘われて行ったのが多いが、なかなか見ごたえのあるものだったので、記録として残しておこう。「英国王のスピーチ」現在のエリザベス女王の父君、ジョージ6世の実話に基づく映画。兄のウィンザー公とシンプソン夫人との「王冠を賭けた恋」については何となく知っていたが、その陰に弟君のこのような苦悩があったとは全く知らなかった。幼い頃からの育った環境や虚弱な体質や性格、奔放な兄との関係なども絡みあって吃音となったのであろう。その状態で国王としてスピーチをしなければならなくなったプレッシャーはいかばかりであったかと、想像するだけでも胸が痛む。しかし、愛する妻や娘たちに励まされ、苦労を乗り越えてきた忍耐強さと痛みを知る優しさや誠実さは、苦難のイギリスを支える力となったことは、救われるような気もする。それにしても、ご苦労の多い人生だった。しかし、多くの国民はその姿に励まされたのだろうとも思う。映画を見ながら、ウィンザー公とチャールズ皇太子を重ね合わせたり、ウィリアム王子が父親ではなく曾祖父に似ていればいいなと思ったり、長い間体調がすぐれない雅子妃殿下のことや、不登校傾向のあった愛子様のことを思い、そのことが、同じような悩みを抱える人々にとって大きな励ましになることも思い、何とか乗り越えていただきたいと思ったり…。色々な意味で、とても考えさせられる映画であった。「ザ・ライト」エクソシストの真実これも事実をもとにした映画ということで観たのだが…。うーん、キリスト教では現在もエクソシストという職業があり、「悪魔払い」をしているとは知らなかった。映画自体は面白かったし、エクソシストを演じたアンソニー・ホプキンスの演技は「この役はこの人でなければ」と思わせるものだったが、やはり私の頭の中は「これって、何?」という?マークが次々に点灯していた。私達普通の日本人は、あまり悪魔とは縁がないし、強いて言えば「狐憑き」や霊に取り憑かれるというような感じだろうか。やはり「悪魔」は、キリスト教世界に存在するということなのだろう。日本でもカトリックの人たちは多いと思うので、その人たちの中には悪魔に取り付かれる人もいるのかな?映画の中で「カエル」が象徴的に登場するので、「なんで蛙?」と思い帰宅して調べてみた。この悪魔「バアル」は、もともとは悪魔ではなく、嵐と慈雨の神、豊穣神であったようだ。それが忌み嫌われる悪魔になっていったのは、やはり人間のなせる業のようで…。なんだかバアルが気の毒になってきてしまった。ともあれ、現在ではバアルは蛙や猫の姿で現れるようだ。私はもちろん、悪魔は信じてはいないので、やはり悪魔に取り付かれた状態はやがては精神医学的に説明可能なことではないかと思っている。「塔の上のラプンツェル」連休中に孫達と一緒に観た映画。典型的なお姫様物語というか、これぞディズニー映画というか。私にとって楽しかったのは、「3D映画」の初体験ということであろうか。キャラクターで今も印象に残っているのは、白馬のマキシマス。考えてみれば、孫達と同じ映画を映画館で観たのも初体験だった。「ブラック・スワン」これは、全く予備知識なしで観に行った。「バレリーナの話だよ」という友人の話で、バレリーナが葛藤の中で成長する物語らしいと想像しつつ映画館へ。ところが、美しいバレーの話しというよりは、ホラー映画だったはっきりいって、私はホラーものは苦手である。それでも、これはサイコホラーととでもいうのか、心理的・神経症的なものが生み出す妄想が映像化されているので、いわゆるホラーではなかったのかも。そして、それゆえに私には様々な感情や考えが渦巻く映画だった。母と子の関係、母親の過去が我が子にどのように影響するのか。その中での子どものとしての感情や、親の支配への反抗や自立への葛藤、コンプレックス・妬み・尊敬と愛憎などなど、もう人間の持つ業がこれでもかという感じで次々と描かれる。まさに、悪魔は人間の心の中にありとでもいおうか。ひょっとすると、あのような世界に生きている人たちは、程度の差こそあれこれに似たような心理状況を日々体験しているのだろうか。私は、特別な才能がなくて幸いだったと思ったりして…。
2011年05月21日
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大地の詩(うた)~留岡幸助物語~隣の市での映画会で、この映画を観た。北海道家庭学校の創設者留岡幸助の名前は知っていたが、どのような人がどのような経緯で家庭学校を遠軽に作ったのかは、ほとんど知らなかったので、この映画会があると知って、ぜひ見たいと思ったのだ。監督の山田火砂子さんの作品は福祉関係のものが多く、いつも気になりながら近くの映画館ではなかなか公開されないことが多くて、実はこの作品が初鑑賞。映画の出来栄えのことはよくわからないが、色々と「目から鱗」の事実があって、それが興味深かった。北海道の道路や炭鉱が囚人によって開拓されていたことはよく知っていたが、その当時の監獄の教誨師がほとんどキリスト教徒であったことや、留岡幸助が空知集治監の教誨師となり、その時に出会った囚人達の生育歴を知るにつけ、生育時の家庭環境の及ぼす影響に思い至り、少年感化の必要性を痛感し、家庭学校を作るにいたった経緯。なるほどと思いつつ、彼が痛感していた問題は、まさに現代の問題であることを思うと、何とも複雑な気持ちになった。パンフレットに書いてあった、留岡幸助の言葉を転記しておく。 【留岡幸助語録】「 学校に行ったからと言って英雄豪傑ができるわけではありません。君子になるか盗賊になるかは、家庭の空気の陶冶(とうや)によるのです。それなのに今の家庭は下宿屋に過ぎません。」「教えんとするものは、自ら教えられなければならぬ。」「教育上一番大切なのは、家庭である。次に大切なのは学校と社会である。人の子を教育する最も適当な場所は、地球上どこか?オックスフォードかハーバードかエールかベルリンか?人間を良くする基本は家庭にある。」「教養のある慈母が、子供の教育者としては一番。無教養なる慈母でも、学校の先生より上なり。」「我が国の教育は情味がたらぬ、情味がたらぬということは、色々な悪結果を生む。学校さえやれば子供は良くなると思っている親。学校が2分で家庭が8分なのだ。」
2011年02月28日
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昨夜のNHKスペシャル「働く世代の孤立を防げ」を半分くらい見た。途中から見て、藤森克彦さん (みずほ情報総研)のプレゼンの後の討論を見ていたのだが、なんだか議論が微妙にかみ合わずにずれていて、それを司会の三宅アナウンサーが必死に調整したり(多分)番組本来の筋というかシナリオ的なものに戻そうとして頑張っている姿が私には印象的だった。私はこの「無縁社会シリーズ」を全部見ていたわけではないが、この番組作りの問題意識は理解できる。NHKのこの番組のHPでは、「無縁社会」の定義を「家族、ふるさと、そして会社とのつながりが急速に切れている社会」としている。昨夜の番組を見ながらつくづく感じていたのが、「地縁、血縁、会社の家族を巻き込んだ組織縁」を断ち切ろうとしてきたのは、私たち世代なんだなという忸怩たる思いだった。私自身、そのようなものに蜘蛛の巣にからめとられそうな感覚を嫌悪してきた。しかし、その中であがいても断ち切れず、その網の巣が自分自身を助けてくれるものであるということを年を経ると共に感じてきて、「縁は大切にしなくちゃな」という気持ちで現在は生きている。そして思う。一人の人間の価値観は、育った環境にある種洗脳され、その価値観を自ら受け入れるか、反発としてのあがきの中で自らつかみ取ってゆくしかないのだと。現在の若者たちは、私たちが植え付けられた価値観と、それへの反発や抵抗の中で作ってきた仕組みの中で育っている。インターネットを新しい縁だと主張する若者は、直接的な縁のわずらわしさをうんざりしてきた私たちの感じ方や希望を体現している。どの時代にも辛い人たちはいたと思う。見捨てられていた人も多くいた。多分、行き倒れになったり、浮浪者として一生を終えた人たちも、現代人が想像するより沢山いたのではないかと思う。しかし、以前は本当の意味でそのような人たちは見捨てられていた。多少の知的障害でも、施設に強制収容されたり、病気によって言われなき差別に苦しみつつ、名前も変え、戸籍から抹消され、無念のうちに死んでいった人たちだって多かったはずだ。精神の疾患に罹ると「キチガイ」とレッテルを貼られ、一生を病院か座敷牢状態の人も多かったはずだ。私は、このようなことがテレビのメインテーマとなることは、まだまだ日本は捨てたもんじゃないという面もあると思っている。確かに、現代の働く世代に苦しむ人たちは多い。だから、それを何とか支える知恵や仕組みを考える必要はあるし、「助けて」と声も出せない人たちを支えてこそのセーフティネットだ。そして、それを実現していくのは、問題意識を持った私たち一人一人なのだ。今の社会を作ってきた私たち世代が、若者たちを「甘え」だの「教育が悪い」だの言うこと自体が問題(無責任)だ。言いたい気持ちは理解できるが、そこをぐっと我慢して若者たちに受け入れられる言葉を駆使して共に闘うのが、ある意味で成長期の時代をうまく乗ってこれた人たちの責任ではないだろうか。まあ、若者たちは年寄りに反発しながら成長するものだから、あえて反発心を買うことも必要なのかもしれないけれど。昨日の番組に出ていた年配の人たちは、どんな立場なんだろうな。私が途中で番組のチャンネルを変えたのは、同世代の人の言葉にゲンナリしたからだったのだが・・。
2011年02月13日
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昨日、友人と「レオニー」を観てきた。札幌市にある「モエレ沼公園」の設計者である「イサム・ノグチ」の母親の物語。イサム・ノグチについては、大まかには知っていたが、母の物語についてはこの映画で初めて知ることばかりだった。現在の価値観で見たらイサムの父親の野口米次郎はダメな男になるかもしれないが、当時の日本社会ということを考えると、さもありなんという気がする。しかし、自立心旺盛なレオニーからしたら、カルチャーショックを含めて信じられない、許せないという気持ちになるのも理解できる。全体に、「うーん、なるほどなあ。そうだったのか。苦労したねー母も子も」という感じだったのだが、どう理解したらよいのかという点がいくつかあった。映画が終わってから、ランチをしながら友達とも少しそんな話をした。まず、イサム(勇)の名前を、米次郎と会うまでつけていなかったこと。あれだけ主体性を持つ女性が、なぜ愛する我が子に自分で名前をつけなかったのか。やはり、自分たちを残して日本に去ってしまった米次郎を信じたいという思い、一緒に我が子の名前をつけたいという思いが強かったのだろうか。次に、日本に来てショックを受けたのは理解できるが、日本で子どもを育てると決意したのなら、なぜ日本語を学ぼうとしなかったのか。自分たちを裏切った米次郎の国の言葉など、覚えるものかという意地か?あれだけ聡明で知的な女性も、そのあたりは感情に支配されていたのだろうか。最後に、妹アイリスの父親の名を明かさなかったこと。アイリスの「私の父親は誰なの?」という叫ぶような問いにも、その名を明かさなかったレオニーの事情は何なのか。明かさないということは、「明かせない」ということでもあるから、明かすことのできない状況(たとえばレイプのような)で妊娠したのか。でも、アイリスに言った「頭の良い人よ。必要な時にそばにいてくれた」という言葉を信じるなら、そうではないだろう。だとすれば、あの人かなと思うが、それならばなぜ言わなかったか。それは、アイリスのことを思ってというより、相手の男性への配慮なのか。あるいは、一度「言わない」と決めた自分を守るというプライドなのか。近年は、妊娠・出産は複雑になってきた。様々な事情で望まれない生を受けた子どもも多いし、望まれてはいたけれど、不妊治療の一環として「非配偶者との人工授精」も多いようだ。最近はDNA研究が進んでいるから、「私の生物学的父(母)親は誰?」と叫ぶ子どもだっていっぱいいるだろう。その痛切な叫びにどのように答えるのか。「誰が父(母)親でもいいでしょう。私が親です」と子どもを説得できるのか。アイリスは、自分のアイデンティティをどのように確立させていったのだろうか。それでも、彼女はダンサーとして成功したようなことをネットで確認して、少しホッとしている。イサム・ノグチも「自分の母国はどこだ」ということで悩み、苦労したようだ。第二次世界大戦では、自ら日本人の収容所に入ったが、日本社会では「スパイ呼ばわり」されたようだ。でも、二つの祖国を苦悩しながら行きつ戻りつして、最後にあのモエレ沼公園を作ってくれたことには、北海道民として心から感謝するばかりだ。一年に何度かは孫たちと足を運ぶが、本当に素晴らしい公園である。あの公園を遊び場として育った子どもたちが、本当の意味でのグローバルな視野を持つ、創造性豊かで心豊かな子どもたちに育ってほしい。
2011年01月20日
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私は、シャンティ国際ボランティア会を通して、カンボジアとアフガニスタンの子どもたちに絵本を送るボランティア活動をしているのですが、それまで続けていたカンボジア向けだけではなく、アフガニスタンの子どもたちに対しても何か支援したいと思うきっかけとなったのは、長倉洋海さんの写真展でした。3月5日まで、札幌のキャノンギャラリーで写真展が開催されています。お近くに住む方は、ぜひ足を運んでみてください。私も、明日か明後日には行ってみるつもりです。キヤノンギャラリー札幌 新装オープン記念写真展 「シルクロード-人間の貌」 【期間】2010年3月1日(月)~3月5日(金)【開館時間】9:00~17:30【場所】キヤノンギャラリー札幌 札幌市中央区北3条西4-1-1 日本生命札幌ビル1F
2010年03月03日
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インビクタス-負けざる者たち早く観たいと思っていた映画だったが、やっと観ることができた。私は映画も実話ものに弱いのだが、この物語が実話だということに、それだけでも感動する。それに、私はラグビーについては全くわからないのだが、単純にスポーツの物語として観る人でも、十分に楽しめるのではないか。モーガン・フリーマンを見たら、これからはマンデラに見えてきそうだ。クリント・イーストウッド監督作品を、少しまとめて観たいと思ったし、マンデラの自伝も読んでみたいと思う。何度でも観たい映画の一つになりそうだ。
2010年02月14日
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日曜日に、友人と一緒に「沈まぬ太陽」を観た。私は、この本を読んではいない。しかし、色々と話題になっているし、御巣鷹山の日航の墜落事故のことにからめての映画のように思っていたので、観たいと思っていた。急に行くことに決まったので、事前にあまり予習(?)もせずに出かけた。座席指定だというので混んでいるのかと思ったが、もう話題のピークは過ぎていたのか、まあガラガラに近い状態で、周りを気にせずゆっくりと見ることができた。色々と思うことはあったけれどまずこの映画はどのくらいフィクションなのだろうと思いつつ見ていた。明らかにその設定は今墜落寸前状態の航空会社で、これがフィクションだとしたら、その会社が怒るのも無理ないだろうと思ったし、もし、事実に基づいて多少の脚色程度なら、まったくひどい話だし、よく映画化ができたなあと思った。まあ、そんなことは観終わってからの感想といえるだろう。それでも、組合活動の懲罰人事ということはどの会社でもありそうで、組織の中で働く人間にとっては、その要因や程度の差こそあれ、いつも直面し続ける問題のように思う。そんな中で、どこで妥協し、どこまで自分の信念を貫けるか、あるいは、自分の中の「プライド」がどこにあるのかで、それぞれの行動が変わってくるのだろう。確かに大作ではあり、それぞれの俳優の演技もなかなかだったし、ある意味でとてもわかりやすいというか、ストレートな映画だと思う。政治や官僚、そしてマスコミとの癒着など、きっと現在進行形の問題もあるのだろう。人間って、どこまでずるくて醜いものなんだろう、そして、何があれば醜さや欲望に溺れぬ強さを持てるのだろうと思う。恩地の生き方や、その行動に巻き込まれつつも理解し支える家族の姿に、そのわかれ道選択要因の一つを感じるが、他の人たち、特に三浦友和が演じる行天などが、なぜあのように変わっていったのかが、私には観ている間はよく理解できなかった。しかし、映画の後に友人と話した時にその疑問を話すと、彼女は「恩地への劣等感じゃないかなあ」と答えてくれた。なるほどと、それなりに私も腑に落ちた。あの組合活動の勝利の時、あと一歩踏み込めない自分の弱さを感じた時以来、それが恩地に対する彼のコンプレックスとなり、その後(会社側の嘘ではあったのだが)、「帰国後の昇進を約束した恩地」に失望もし、そんな彼を超えること、それは彼よりも出世をすることと決めたのかもしれない。一度決めて歩きだした彼は、それが危ない道だとわかっていても、立ち止まったり考えなおしたりはできなくなってしまった。そんな彼を理解し、愛し、滅私奉公的に支える愛人の姿は、私にはやりきれなかった。私には、そんな愛し方など考えることもできないので、男女の愛はわからんなーと思うばかり。少なくても、私は女性があのように利用されることには怒りを覚えるし、ずるずるとその沼におぼれているように見える女性にも腹が立つ。まあ、どちらかというと恩地の妻の方に共感はするけれど、私は彼女のような支え方はしないだろうとも思う。欲をいえば、もう少し行天の家族のことなど知りたかった。あの役回りは、恩地の生き方の対照としてのみで、その背負っているものなどがあまり見えず、ちょっと哀れで気の毒なままのような気がする。彼は、その後どうなったんだろう。帰ってから、インターネットにどの程度モデルがいるのだろうと調べてみた。すると、確かに海外をたらいまわしにされた小倉寛太郎氏がいた。しかし、その他はモデルになるような役割の人はいても、ほとんどがフィクションのようだ。御巣鷹山の事故のことは、今書いていてあまり印象に残っていないことに気付く。しかし、多分あの事故は、当時の航空会社の体質は大きな要因だったのだろうし、現在の日航の状況も、その延長線上にあるのではないか。ちょっと気になったので、現在の日本航空の組合はどうなっているのか調べてみたら…。日本航空の組合問題提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ひぇー、驚いた、「地上職や整備職、パイロットや客室乗務員などの職種別に、会社側1組合、反会社側7組合の合計8もの労働組合がある。」のだそうだ。どこの航空会社もこんな感じなのだろうか。という感じで、三日目でも書き出すと色々考えが浮かんでくるっていうことは、私にとっては意味のある映画だったということだろう。
2009年12月02日
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昨日は、友人三人と「ザ・ニュースペーパー」の公演を見てきた。彼らの公演を見るのは、昨年に続き二度目。思いっきり笑わせてもらった。9人の男性メンバーが、時事ネタ(得意は政治ネタのようだが)を風刺と笑い満載のコントにして物まねで演じる。オープニングは、マイケル・ジャクソンのスリラーから。そのマイケルがかつらを取ると、アメリカのオバマ大統領に変身してまず笑いをとり、その後はもちろん、鳩山首相から始まり管・岡田・小沢などの民主党の面々や福島瑞穂、渡部恒三、そして当然ながら麻生、小泉なども次々に登場する。残念ながら舞台からは一番遠い座席で顔がクリアーに見えなかったのだが、それだけに全体の雰囲気には妙なリアリティがあり、本当に「その人」がそう言っているような気分になってしまう。話題になっている「八ツ場ダム」も、立松和平の現地リポートで写真のスライドショーも交えての紹介は、共に視察していた前原誠司氏(もちろん、ニュースペーパーメンバー)の姿も取り混ぜて、現地の様子がとてもよくわかって勉強にもなりました。北朝鮮のキム王国の王様と三人の息子たちのことも、「さもありなん」という感じがして、笑いながらも怖かったですねえ。そうそう、「さる高貴なご一家」も、時代が時代なら「非国民でお縄に」なりそうなもの。このようなコントができる日本は、なんだかんだ言ってもいい国だ。最後に、足の長ーいダルピッシュが登場して、「今日は武田さんが頑張ってくれると思うので、明日はがんばりまーす」と喝采を受けていたのだが、公演終了後三人で食事とおしゃべりをして帰宅したら、ファイターズは負けていて、残念。今日の公演では、日本ハムのネタはどんなふうになっているのでしょう。そうそう、松井秀樹についても、ちゃんと替え歌と映像で登場してました。毎日、ホットで新鮮なニュースをネタにしてコントにするのが売りとはいえ、毎日毎日が、ネタ作りと稽古に明け暮れているのでしょう。本当に、どの世界でもプロ集団はすごいです。
2009年11月08日
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三夜連続の NHKスペシャル「永田町・権力の興亡」を興味深く見た。第一回目の、「1993~1995“政権交代” 誕生と崩壊の舞台裏」は、うっかりしていて後半しか見ていなかったので、小沢一郎が自民党を離脱して政権交代を目指すことになった一番のきっかけが何だったのか、ちょっとわからないままなのが気になる。でも、その後の彼らの証言などを見ていると、「国民が政権選択が可能な勢力作り」が、小沢一郎の究極の目的だったようだ。その政治手法は、現在でも私がイメージする「自民党の手法そのもの」に見える。でも、ずっと見ていると、小沢一郎には「このような国にしたい」というような理念はあまりなさそうだが、「二大政党で政権交代可能な国にしたい」という思いは、終始一貫ぶれずに貫いているようで、好き嫌いはともかくとして、これはこれで大したものだと思う。何度も登場した野中広務は、「自民党を軸とした政権を守ることが、国の安定の根本」と信じ、それこそ、なりふり構わずという感じで時の首相を守り、自民党の分裂を回避するために頑張ったようだ。(しかしそのあとには、多分むなしさが渦巻いたであろう)多くの政治家たちが、当時のことを回想したり証言しているのを見るのは、ゲンナリすることも多かったが、面白かった。「こんな人ことで首相になったり追い落とされたりするんだなあ」とか、「権力維持や奪還のためには、『国民のため』なんて言葉は方便なんだな」とか、今までもそのように感じてはいたが、あらためて証明された感じ。それにしても、この番組は政権交代があったからこそ放映されたのだろうと思うと、小沢一郎の執念のおかげかも。しかし、この番組が今一つインパクトがないのは、小泉純一郎の証言がなかったこと。あの「小泉劇場」は何だったのか、やはりきちんと検証すべきだろう。「自民党をぶっ壊す」と言った彼に、熱狂した国民は何を彼に託したのか。そしてそれは、多くの国民の期待にこたえる面があったのかなかったのか。今回の民主党の勝利は、「小泉劇場」とは質が違うのかどうかを考えるためにも、そのあたりが知りたいと思う。一人の国民として、民主党がどのような政策を実行していくのか、しっかりと見なくてはならないだろう。そのためには、番組の最後に高村薫さんが言っていたように、私たちが判断できるように、ちゃんとわかりやすく説明をしてもらわなくてはならない。それが、小沢一郎氏が言っていた「自立した個人」としての判断の前提だからだ。何年か後に、またNHKスペシャルで、鳩山氏の「国民とともに」とか「国民のために」という言葉が、むなしく響かないようにと祈る。
2009年11月04日
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以前から気になっていたこの映画、妹と鑑賞。「私の中のあなた」臓器移植、遺伝子操作、生と死、ドナーと患者、親の愛とエゴ、家族の愛、愛と秘密、などなど、様々な問題提起がされる映画。これだけの難しいテーマを、二時間のドラマで感動的に表現できるって、これは映画ならではのような気がした。色々な思いを書くと長くなるのでやめておくが、一つだけ思ったことを書いておこう。これは、絶対に日本が舞台ではできない映画だろう。そして、この映画で問題提起されることは、現代もであるが、さらに遺伝子治療や臓器移植が一般的な医療となるこれからの社会では、いよいよシビアな問題として私たちの前に起きうることだろう。その時、私たちは何を考え、何を信じ、どのように選択してゆくのだろう。少なくても、この映画のようなところに本人と家族がむかってゆくことは、とても難しいことのように思う。
2009年10月10日
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日本海軍 400時間の証言 第三回 「戦犯裁判 第二の戦争」昨夜の放送を見ていて、つくづく思ったこと。「この人たちは、日本社会において、いわゆる『仕事ができる人たち』だったんだなー」。自分の与えられた役割や仕事に対し、精一杯の努力をする。知的能力も高く、状況判断力にも優れ、深慮遠謀だってできる。ただ、その「遠謀」は自らが所属する組織の範囲ということであり、見えない多くの国民や、国の将来まで視野を広げたものではなかったということで・・。そして、それは今の日本での「仕事人間」とちっとも変わらない。しかし、少なくてもこの人たちには「やましき沈黙」という言葉でもわかるように、仕事をしていた時に封印していた良心や人としてのモラルが単に「仕方なかったんだ、それが最善だったのだ」と開き直ったままではなく、「やましさ」として沈澱していたからこそ、このような反省会を続けることになりそれがこのように公開されることにつながった。そのことに、少しだけ光を感じるし、それを生かす道があるのだと思う。この番組、実は家族の中で私だけが見続けていた。息子からは「やっぱり、お母さんてちょっと変わってるよね」とまで言われてしまった。私としては、番組で光はちょっと見たような気がしたが、そんなことを言われてしまうと、また暗澹たる思いになってしまう皮肉。問題は、いつも自分の中に、そして自分のごく近くにあるわけだ。
2009年08月12日
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9日から三夜連続で放送されている「日本海軍400時間の証言」を、興味深く見ている。日本軍の中枢部に属していた人たちが、このような反省会を11年にわたり開き続け、それをテープに記録していたことに、まず驚いた。その内容については、おおむね「さもありなん」「やっぱりね」ということも多いし、聞いていて腹立たしいことも多々あるが、少なくてもこのテープが公開されたことの意味は大きいのではないか。この反省会を呼び掛けたのは、誰だったのだろう。この番組を見て多くの人が感じるであろうやりきれなさや怒りを私たち一人一人が自分の胸に手をあてて考えることが大切だと思う。特に、重要な決定をする立場にある人たちは、「自分の問題」として考えてくれることを願う。いや、考えるだけではなく、同じような間違いを起こさぬように勇気を持って正しいと思うことを行動してほしいと願う。今の日本の政界や官僚組織に、当時の海軍中枢部のような雰囲気はないのだろうか。雰囲気や意図的な情報に流され、それに易々と飲み込まれている状況はないのだろうか。今も昔も、日本人の気質はあまり変わっていないように感じるのは、私だけではないだろう。まず第一番に、この番組を制作したNHKは、間違っても大本営発表ばかりやっていた当時の轍は踏まないようにしてほしいものだ。海軍関係者はこのような反省会をしていたことはわかったが、陸軍はそのようなことはしていないのだろうか。今夜の「第三回 戦犯裁判 第二の戦争」も楽しみである。
2009年08月11日
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昨日はレディース・デイだったので、妹を誘い、「愛を読む人」を観てきた。新聞などでこの映画を知り、ドイツのナチス時代の話ということや主人公のハンナが「秘密を持っていた」ということが気になり、観ようと思った映画。詳しく映画の内容を調べもせず、単純にナチスと秘密をくっつけて想像していたのは私の早とちりに近いものであった。しかし、想像とは若干違っていたが、それ以上に色々なことを考えさせられ、なんだかせつない映画であった。この映画をこれから観ようと考えている人は、先入観持たずに見てほしいと思うので、これから先は観た人だけと感想を共有したいものです。15歳の少年マイケルが出会い、初めての関係を持ち愛した年上の女性ハンナ。彼女は少年に本の朗読を頼み、そのことを通して一層二人の恋は燃え上る。毎日をまじめに、かつ孤独に暮らしていたハンナにとって、彼との時間は色々な意味で、どんなにも満たされたものだったろう。それなのに、職場での昇進と事務仕事への異動を知らされた日、彼女は突然に姿を消してしまう。事前に、彼女が「文盲」であったということは知っていたので、(なのに、うかつな私はそれが彼女の「最大の秘密」とまで思っていなかった)彼女の読書への憧れや、それを易々と読むことのできる少年への尊敬や憧れ、その彼からの憧れのまなざしを受ける快感、実像の自分の姿を見られることへの恐怖など、すでに切ない思いでスクリーンを見つめていた。そして、法科の学生となった彼が法廷で出会った彼女の姿。なぜ、彼女が他の被告たちの不当な証言を受け入れて罪を背負うことなったのか。これも、彼女の演技力のせいなのか、私には突き刺さるように理解できるような気がした。多分天涯孤独であった彼女が、「文盲」という圧倒的に不利な条件を背負いつつ、人としての誇りというか、プライドにしがみつくようにして、毅然と自分の人生を生き、そのためには愛する人とも別れることを選んだ彼女なのだから。それは、強烈なコンプレックスがいかに手を伸ばせば届く幸せの邪魔になるかと同時に、人にはそれをバネにして生きることも可能だということを考えさせられた。彼女のために一度は証言をしようかと迷ったマイケルは、結局彼女に会うことも、証言もしなかった。それは、彼女が守ろうとしていることを尊重したいという、彼女への愛情であったとも思う。そして、誰よりもマイケルにはそのことを知られたくないという彼女の気持ちを、理解していたのだろう。時が流れ、結婚し、子どもが生まれ、やがて離婚という経験をしたマイケルは、彼女のために朗読のテープを送り始める。少年から中年になるまでの年月の中で、マイケルの中で彼女との思い出やその存在は、どのようなものだったのか。人生の始まりでの人との出会い、特に異性や初めての愛の体験は、その人の一生に少なくはない影響を与え続ける。彼が、結婚した相手とちゃんと向き合えず、夫婦としての愛情の歴史を紡ぐことに躓いた要因の一つには、ハンナとの愛の時間と、彼女に一方的に去られた心の傷があったであろう。ちゃんとした終止符を自分で打てなかったことは、心の整理もできにくく、ずっと思いを引きずったままになってしまうことも多いだろう。彼からの朗読テープを聞き続け、やがて彼女は自分の力で文字を学び始める。なぜ、それ以前に文字を学べなかったかというのは外野の言い分。彼女がどのような育ち方をしたのか全く分からないが、刑務所に入ることになるまでの彼女は、ただ自分の現状のままで生きることに必死だったはずだ。文字を読めないことの意味だって、それほどはっきりとわからなかっただろうし、それまでも読むことなしに生きてきた彼女の矜持は、「読めなくても生きている私」「生き抜ける私」というものだっただろう。それがどれほど不利でも苦しいことでも、そのままの私で人生を戦ってきたのだから。そんな彼女が、マイケルとつながりたい一心で文字を独学し、読むことにより自分が正しいと思って行動した別の意味も知ることになり、やがて深い罪の意識も持つようになる。そしてまた、彼女が毅然と生きることを支えていた過剰なプライド(それは強いコンプレックスの裏返し)も、そのコンプレックスがなくなった分だけ弱まり、多分、自然で素直な彼女になっていったのではないか。それが、刑務所を訪ねたときに担当官が言っていた「以前の彼女はきちんとしていたのに、今は・・」という言葉が示唆したように、自分自身にまとっていた身を守る鎧(服装や身だしなみなど)を脱ぎつつある彼女の姿に思えた。彼女の命をつないでいたのは、多分「マイケルとの再会」だっただろう。それがかなえられた時に彼女の選ぶ道は、一つしかなかった。切ないけれど、・・でも彼女は彼女の持てる力一杯生き切ったのだろうと思いたい。ナチスのことについては、きっとあのような裁判が行われたのだろうと思った。「では、あなたならどうしましたか?」と問われた裁判官が、言葉に窮したことが、このような裁判の限界を示している。しかし、やはり法律でのけじめというものが必要だし、そのことを通して、戦争犯罪というものを人々は学ばなくてはならない。今現在も、世界では理不尽な圧制や迫害などがあちこちで起きている。その渦の中に生きる名もない人々は、その現実の中でなんとか生き抜くことを努力するしかない。そして、「私ならどうするか」と考え、数ある選択肢の中から自分で道を選ぶには、やはり情報を得る能力が必要だし、そのためには「識字」が最低限の力のように思う。蛇足だが、私の母方の祖父は、明治の初めに父親と一緒に少年の頃に渡道した。学校などはもちろんない土地での開拓者となったわけで、生涯文字はちゃんと読めなかったらしい。その祖父と結婚した祖母も同様で、二人とも多分頭の良い人だったのだろうと思うが、「文字が読めなくて情けない。おまえたちは勉強しなさい」というのが娘たち(母たち)への口癖だったと聞いたことがある。文字も計算もちゃんと学んだことがない祖父だったが、町に農作物を売りに行った時には、だまされないようにと自分なりの工夫での暗算や暗記力を駆使したという。「文盲」とは日本においては過去のことになりつつあるが、今でも様々な事情で、学ぶ機会を逸している人だっている。そんなことにも思いを馳せて、様々な点から考えさせられる映画であった。原作の「朗読者」も、近いうちに読みたいと思う。
2009年07月10日
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待ちかねていた「劔岳 点の記」を、レディースデイを利用して観た。一年ほど前に、新田次郎の原作を読んだ後にこの映画を撮影中と知って完成をとても楽しみにしていた。妹を誘って行ったのだが、関心がないものは目に入らないという私同様のDNAを持つ妹は、新田次郎の「劔岳」はもとより、この映画についても知らなかったのには驚いた。あんなに宣伝しているのに、知らなかった?!これは、私よりひどいかもしれない。ともあれ、「絶対にいいと思うから、観に行こうよ」と付き合わせた。200日にわたる本物の山での撮影となれば、映画としての出来栄えの良しあしにかかわらず、山岳風景の映像は絶対に素晴らしいと確信していたから。いやー、想像以上に素晴らしかった。私は昨年この原作を読んだのだが、2008年08月01日「劔岳 点の記」新田次郎/著その時の感動以上のものを味わうことができた。俳優さんたちの演技は、実際に過酷な撮影現場でならではのリアリティーで、それぞれの役になりきっていた。そして、あの神々しいまでの劔岳やその周辺の山々の美しさ。この日の夜は、布団に入っても山の映像や様々なシーンが頭の中でグルグル回り、とうとう睡眠時間二時間になってしまった。映画を観てこんな状態になったのは初体験かもしれない。あの時代に、このような仕事を成し遂げた人たちもすごいが、この時代に、このような映画を作った人たちもまたすごい。人間って、すごいな。自然ってすごいな。そうだ、人間だって自然の一部なんだから、同じように凄いはずさ。そんなことを思わせてくれる映画だった。このブログを書くために、「劔岳 点の記」のサイトを見て、もう一度感動している。木村大作監督、ありがとう。俳優さん達はじめ、スタッフのみなさん、協力した山岳ガイドをはじめとした皆さん、本当にありがとうございました。そして、山に足跡を刻むように丹念なこの作品を書いてくださった亡き新田次郎さん、その功績は偉大です。こんなにすべてに感謝したい気持になった映画、久しぶりです。
2009年06月27日
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COMANDANTE(コマンダンテ)チェ・ゲバラの映画を観てから、キューバ革命、ゲバラ、カストロのことをもっと知りたくなり、このDVDを楽天レンタルで借りてみた。(近くのDVDレンタル店を何軒か探したのだが見つからなかったので)オリバー・ストーン監督のカストロへのインタビューを編集した映画で、詳しい説明もなく、淡々とインタビューが続く。事前に何冊かの関連書を読んでいたので何とか理解できたが、予備知識がなければ過去の映像などを見てもよくわからないかもしれない。長年にわたる隣国アメリカ(およびその同盟国)の経済封鎖が続く中で、社会主義国としてキューバを率いてきたフィデル・カストロ。私自身、チェ・ゲバラの映画を観るまでは「独裁者」のイメージが強かったし、権力を長年持ち続けている人間に対する強い偏見があったことも事実。しかし、この映画の中のカストロは、自分の国と国民を愛し、自分の信念をしっかりと相手に伝えて説得しようとする、強固な意志を持つ人間のように感じた。「あなたは独裁者ではないのですか?」というような質問に対し、「私は自分自身の独裁者であり、国民の奴隷だ」という言葉が印象的だった。彼を取り巻く人々の笑顔や親愛感は、日本における天皇に対するものと少し似ているような気さえした。キューバは医療や教育に力を入れていて、義務教育と医療費は無料とは知っていたが、何と大学の医学部の留学生(何とアメリカからの留学生も!)も学費無料とはビックリ。経済的には厳しい状況の中でこれを維持するのは大変なことだろうと思うし、どこかにしわ寄せがあってもおかしくはないだろう。それでも、この人が私利私欲に走らず、自分自身をも厳しく律しているからこそ、何とかこの体制を維持できたのだろうと思うと、長期政権もやむを得なかったのかもしれないと思う。長期に権力を持ちながら、本当に初心を忘れずにいるとするなら、それだけですごい人だと思う。アメリカで上映禁止となったのもわかるような気がするが、それで「自由と民主主義」を正義とする国だと思うと、とても皮肉な感じがする。
2009年04月12日
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昨日はレディースデイだったので、妹と「チェンジリング」を観に行った。あらすじなどはネットや「予告編」などで見ていたので、大体のことはわかっていたのだが、これが実際にあったことと思いながら見ると、怒りで脳髄が沸騰しそうになることもしばしば。このようなことが、完全に過去の話であるのなら良いのだが、似たようなことがまだまだ世界のあちこちで起きているのではないかと思うと、やりきれない。人間って、本当に身勝手で、醜くて、愚かな動物だと思う。と同時に、「愛」がいかに人を強くするか、弱い人間であっても、人の理解と応援でどれほど強くなれるかなども感じ、やりきれなさと、でも捨てたものではないという気持ちが交錯した。日本にもこの母親のような人がたくさんいるのだ。「希望」がなくては、人は頑張れないものなのかもしれない。希望が現実となりますように。
2009年03月20日
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「チェ28歳の革命」を先週見た。一緒に行く予定たった友人と都合が合わなかったので妹と行ったのだが、その友人も見たというメールが届いたので、その返事に書いたメールを、感想として再掲しておく。(前略)チェ・ゲバラについては、私も名前と「革命家」ということくらいの知識だったのですが、このような人がいたのだということに感動はしました。自分の国のためでも、自分の名誉や立身出世のためでもなく、ただ抑圧されている人たちのために戦うことができる「愛」って凄過ぎますよね。でも、彼のあの「かっこよさ」に惹かれ、その言動とキューバ革命の成功に高揚し、世界の若者達(特に日本)の「革命ごっこ」が煽られたのではないかなと思うと、ちょっと複雑です。パレスチナや北朝鮮に渡った「連合赤軍」の若者達も、ゲバラを気取っていたのかもしれないと思ってしまいました。そこまで行かなくたって、私たちの若い頃の学生運動にだって随分影響を与えたんじゃないかと思うと・・。せっかくゲバラを気取るならば、彼のような信念を貫き通してほしかった・・。だから私は、この映画が今の時代の人たちにどのように共感されるのだろうと思います。私が感動したというか考えさせられたのは、彼が「自分を必要とする人たちのために共に戦おう(生きよう)」という姿勢を貫いていたこと。今の日本では、「自分のため」あるいは「自分の家族など狭い範囲の大切な人のため」に生きることが最優先されているし、そうでなければ「自分のやりたいこと、生きがい」がなくてはダメなように考えられる傾向がある。そうではなくて、「自分が役立つ場所、必要とされる場所」で精一杯役割を果たすということの価値を、もう一度見直したほうがいいんじゃないかと思いました。まあ、今の社会は過剰に「企業や国のため」に便利に役立つ人ばかり求めているから、上記のように考えようと思っても難しくなっていますけど。いずれにせよ「○○か、死か」という考え方は、今の私には受け入れがたいけれど、あの時代の革命は、そうでなくては達成できなかったのかもしれません。あと、映画を見た後「そういえば、カストロさんは生きていたっけ?」と思いました。まだ亡くなってはいないようですね。彼は長く政権を取りすぎたと思うけど、でもさすがゲバラが共感し同士となった人だけあって、信念を貫いて生きてきたんだろうなと想像します。彼をとりあげた映画もあるみたいなので、観てみたいですね。(後略)友へのメールをブログにするなんて、ルール違反でしょうか。ごめんね、Iさん。
2009年02月02日
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昨夜は、恵庭市民会館で、「葉っぱのフレディ ーいのちの旅ー」を観てきた。開催中の北海道洞爺湖サミットと連動したもので、「ジュニア・8・サミット」に参加している各国の若者達も観劇に来ていた。出演の子供たちが、キラキラと輝いていた。その子供たちの姿が、「いのち」の輝きと尊さを私達にストレートに伝えてくれているようだった。サミットでの首脳たちの話し合いは、まあ日本らしく「玉虫色」になるのだろうけれどジュニア・8・サミットの若者達は、もっと率直な話し合いができたのだろう。あいにくこの数日は、あまりパッとしない天気が続いているが、今の北海道は、木々も花々も一番鮮やかで美しい季節。この自然を大切にすることが、私たち自身を大切にすることなのだと、北海道に来てくださった全ての人たちに感じてもらいたい。それにしても、出演の子供たちは可愛かった。
2008年07月09日
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見た後で、一緒に行った夫と妹の三人で顔を見合わせて無言だった。結局、何を言いたい映画なのか、ストンと胸に落ちないのだ。それにしても、あの演技で凛子ちゃんに賞を期待するには無理があったと思うな。色々な??が続き、疲れた映画だった。【追記】事前に映画情報を調べず、「話題作だから」と急に見に行ったため、期待した分だけガッカリしたというのが正直なところ。それぞれの俳優達は、それぞれ素晴らしい演技をしていたとは思うが、ストーリー展開が私(達)にはすんなりとついて行けないところがあり、色々なエピソードの必然性を感じることが出来なかったといえる。工夫を凝らした映画作品だとは思うのだが、感動や感情を共有できにくい映画だった。菊地凛子の演技も体当たりだったとは思うが、それ以上だったのだろうか。
2007年04月29日
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久しぶりに友人と映画を見ることになった。今朝になってそのようなことになったので、「クイーン」についても事前に情報を得ることは全くせず、ただ「エリザベス女王」の映画なんだろうという程度。思いがけずよい映画であった。それぞれの俳優さんは「そっくりさん大会じゃ?」と思うほどでもあった。ダイアナ妃が亡くなってからの一週間の、エリザベス女王をはじめとする王室ファミリーと、就任したばかりのブレア首相の「この事態にどう対処すべきか」という緊迫感のあるやりとりが、なかなか圧巻だった。女王としての立場と、一人の人間としての感情、様々な思いを胸に収めて凛として胸を張る姿に、人としての強さや品位を感じた。実際のエリザベス女王も、このような人なのだろうか。もっと書きたいのであるが、どうもうまく言葉がつながらない。それにしても、イギリスの王室というのは、警備もつかずに自分で自動車を運転できるような、広大な自分の土地を持っているんですね。日本の皇室とは、歴史も文化的背景も違うけれど、色々と重ね合わせながら考えさせられることが多かった。それにしても、現代人にとって「王室、皇室」って、どんな役割を持つのだろうか。
2007年04月26日
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3月10日、午後5時からの「さだまさしアコースティク・コンサート」に行ってきた。彼のコンサートは4年ぶりくらい。実は、11日の札幌のコンサートに行こうと思い、チケット発売日に電話をしたのだが、電話がつながった時にはすでに札幌会場は「完売」とのこと。悔しいので、「苫小牧市民会館」でのコンサートに行くことにしたのだ。妹と二人で苫小牧市民会館に着いたのは開場5分前。寒い中、もうズラーッと人が並んでいる。(全席座席指定なので並ぶ必要もないのだが、駐車場のことが心配だったので少し早く着いた)並んでいる人たちを見て、妹と顔を見合わせた。「一段と観客年齢が高齢化してるね・・」開演してからまた驚いたのが、さださんが「生のさだまさしを初めて聞く人、拍手してください」との問いに、盛大な拍手が起きたこと。そうか・・、苫小牧は4年ぶりと言っていたから、初めてコンサートに来る人も多いのだろう。そのせいか、曲目は「関白宣言、秋桜、無縁坂、精霊流し」など、「これこそ、さだまさし」というような曲のオン・パレード。「さだまさし初心者向けコンサート」というような感じだった。私は、さだまさしの曲も好きだけれど、彼のトークも大好き。今回も、そのトークは落語家を凌駕するのではないかと思うほど。いつも、元気と勇気をもらえるような気がして大好きなのだけど、今回は「うーん、まっさんも年をとったか・・」と感じることも多かった。それは、トークの内容である。「今の日本の子ども達は壊れている。 日本の未来のために、お母さん、頑張れ! お母さんの力は偉大なのだ」なんて言われてもねえ・・。以前の彼は、もう少しやんわりと、母親の役割の大切さを語っていたような気がするのだが。言いたいことはわかるし、そのことを否定まではしないけど、お母さんの頑張りに日本の未来を託されたって、と、笑いながら彼のトークに反発を感じたりしている私でもあった。「60年でこの国は壊れたのなら、60年かけて(百年って言ってたかも)立て直そう」って、あまりにも日本の現状認識が甘くない?それにねえ、この観客の年齢層を見てごらんよ。現役のお母さんではなく、「おばあちゃん、おじいちゃん世代」がほとんど。頑張れって言うのなら、「こんな国にしてしまった俺達の責任を、これから一緒に老骨に鞭打って果たそうよ」と言ってほしかった。まあ、さださんは十分に頑張っているとは思うけど。そんなことを別としたら、やっぱり楽しいコンサートでした。「アコースティクコンサート」って言うだけに、ステージも楽器もシンプルで、私にはその方が心地よかった。マリンバの宅間さんの姿も、派手なステージではあまり目立たないのだけれど、今回はじっくりと見つめることができたし。(彼の息子二人もマリンバ奏者になっているとか。親子のマリンバコンサート、聴いてみたい)それにしても、5時から8時までの3時間、休憩無しでぶっ通しのコンサート。さだまさしの体力には脱帽です。だけどねえ、ファンが年々高齢化しているのだから、トイレ休憩は考えた方が良いですよ。この年になると、トイレが近くなる人だって多いはず。まさしのコンサートは、どこかの宇宙飛行士のように「おむつ着用のこと」なんて、こればかりは笑えないですからね。
2007年03月11日
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「中村勘三郎襲名公演、家族が支えた664日全記録」歌舞伎関係のドキュメンタリーを見ると、たいてい感動する。だから、今回の放映もとても楽しみにしていたし、DVD予約までしてその時間を待った。いやー、予想以上に感動した。このようなたゆまない精進と、挑戦と、歌舞伎を支える人たちの陰の努力で、歌舞伎は受け継がれてきたのだ。そして、幼い頃から鍛え上げてきた技量というものは、もう感動としか言いようがない。兄・勘太郎の怪我を、二役で演じきった七之助。まだリハビリも完全ではないというのに、以前から決まっていた興行だから演じないわけにはいかないと、特製のサポーターをつけながら、そのハンディを微塵も感じさせない勘太郎の踊りの素晴らしさ。もう、ただただ感動と拍手しかない。でも、くれぐれも無理をしないで、長く演じ続けることを大切にして欲しい。そして、「いまどきの高校生」を歌舞伎の世界に引き込みあれほどの「感動や面白さ」を見事に伝えた勘三郎の挑戦や実力。間違いなくあの子達は、歌舞伎ファンになることだろう。彼らと同じ時代に生きていることが、なぜか誇りにさえ思えてしまった。決して主役にはなれない「内弟子」として、中村屋をずっと支え続けてきた役者・中村源左衛門さんについては、このテレビで初めて知った。世襲というか、門閥がシステムの基本の歌舞伎の世界では、どれほど力があろうと、どれほど歌舞伎を愛していようと、脇役や黒子としての役割に徹しなければならない人たちがいる。これも伝統といえばそれまでなのだが、その中で幹部までになった中村源左衛門さんの努力は、周囲にいる人たち全てが知っていたということなのだろう。もう少し舞台に立たせてあげたかったという思いは、あの片岡仁左衛門の口上となり、それを聞く勘太郎と七之助の涙となり、源左衛門の写真を胸に舞台に上がった勘三郎の姿であった。本当に良いものを見せていただいた。中村屋のこれからが、ますます楽しみである。
2007年03月10日
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金曜日に、友人と「それでも僕はやってない」を見た。周防監督がかなり綿密に取材をし、何度もこの種の裁判を傍聴した作品というし、テレビで、誰かは覚えていないけれど、法曹関係者の人が、「これは、司法を目指す人にも是非見て欲しい」と言うのを聞き、どうしても見たいと思ったのだ。私は、まだ裁判を傍聴した経験はない。ましてや、容疑者として取り調べられたこともない。十数年前に、ある事件で事情聴取をされたことはあるが、私に容疑があつたわけではないようで、実に形式的な事情聴取という印象を抱いた覚えがある。だから、この映画で「痴漢容疑」で捕まったときに、被疑者が留置所や裁判でどのような目に遭うのかをリアルに知り、とても怖くなった。それにしても、痴漢で起訴されたら、99.9%の有罪率とは驚いた。現行犯の場合は、多分ほとんどが間違いないのだろうと思っていたが、このような場合もありえないことではないと思う。色々なことを考えさせられること満載の映画。「もし、自分がその立場になったなら」「もし、夫や息子がそのような容疑をかけられたら」「もし、自分がその時に目撃をしていたなら」「もし、自分が弁護士なら、裁判官なら・・」と、あらゆる立場の人が自分のこととして考えて見て欲しい。先日、冤罪で服役した男性のニュースがあった。現実に、日本では「冤罪」がある。無実の人が罪を押し付けられて罰せられることが、間違いなくあるのだ。映画の中で、最初の裁判官が、「裁判の役割は、無実の人を有罪にしないこと」というようなことを言っていたが、最近の、特に高裁や最高裁は、「疑わしきは被告人の利益に」という原作が揺らいでいると感じている。この映画は、特に裁判官に「初心を確認する」という意味で見て欲しい。しかし、多分、そのような立場の人ほど見ないのだろうとも思うけど・・。
2007年02月03日
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「プロフェッショナル仕事の流儀」は、好きな番組の一つ。昨夜は、漫画家・浦沢直樹だったので、これは絶対に見ようと思っていた。隣の部屋では夫の職場仲間の宴会が続いていたが、もうかなり酔っ払っていて勝手に盛り上がっていたので、私は居間でこの番組を見ていた。(しかし、当然ながら「氷!」とか、「トイレ・・」とか言う人が出入りし、全部をしっかり見ることもできなかったが・・)浦沢直樹を知ったのは、スクーリングで上京中に次男の部屋で、「MONSTER」を読んでからだと思う。ん? 「MASTERキートン」だったかもしれない。「キートン」の方は「面白い」と思っただけだったが、「MONSTER」では、「この漫画は何だ?!」と思った。この漫画で、浦沢直樹の名前をはっきりと意識するようになり、「20世紀少年」はとても関心を持ちながら、続きを楽しみにしている。人間の持つ善と悪を抉り出すような作品は、漫画の域を超えていると感じていた。といっても、私は他の漫画はほとんど読むことがないので、従来の私の漫画のイメージと比較してのものだ。私が自ら「読んでみよう」と強く思うのは、手塚治虫と浦沢直樹かもしれない。昨日のテレビを見ていて、浦沢氏が手塚治虫を目標にしているようなことを言っていたので、「なるほど」ととても納得するものがあった。そして、もう一つ納得したこと。彼の漫画は浦沢氏だけがストーリーを考えているのではなく、原作者やアイディアを出し合う人がいるということは次男から聞いていたのだが、昨日の放送で、編集者の長崎尚志氏とのディスカッションの様子を見て、「これだから人をうならせる作品になるのだろう」と思った。手塚治虫などは一人で全てを書く天才的、超能力的な人だったのではないかと思うが、少なくても浦沢氏は、他者との共同作業の中でよい仕事ができるタイプ。そんな彼の手から、あれほどの人の心の暗部を抉り出す作品が生まれることに、私はとても感動した。彼は、自分自身はもとより、自分と関わりをもつ人たち全てを真剣に直視しそこから見えるものを作品に描いているのだろうと。だから、彼の作品の中の登場人物は、「彼」であり彼の「ともだち」であり、そのような土壌から芽生える「社会現象」としっかりとつながっているのだろうと。彼の漫画は、怖いけれど「これが人間だ」と思わせるものがある。彼のこれからの作品も楽しみにしたいと思う。彼が老人になった時に書く作品が、今からとても楽しみである。そのためには、ずっと書き続けられるように、体を大切にしてほしいものだ。
2007年01月19日
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今までも何度かこの番組はあったと思うけれど、最初から最後まで見たのは今回が初めてである。「江原啓之スペシャル 天国からの手紙~亡き家族からのメッセージ~」いやはや、江原さんって凄い人だ。彼の霊能力が本物かどうかは私にはわからないが、彼のスピルチュアル・カウンセラーとしての力量は天下一品だと思う。愛する家族を理不尽にもぎ取られてしまった家族の心を癒し、風前の灯火であった「生きる意欲」を取り戻させる様子を見ながら、絶望的な喪失感と苦しみの地獄に沈みかけた人に対して、このような役割を果たせる人がもっともっといて欲しいと思う。以下、公式サイトからのコピー。今回のテーマは 『想像力』。それは現代人に、いま一番必要なこと。最近は想像力の欠如が原因で、同じような事件が起きています。自分自身が同じ立場になる可能性があるということに気付いて欲しいですね。」 と語る江原。今回も、彼の伝えるメッセージを通して、目には見えない“命とは?”そして、“家族のきずなの大切さ” を深く静かに問いかけてゆく。★江原啓之コメント (収録後の取材より)今の時代だからこそ、癒し、グリーフケア (亡くなった人を見送った側の癒し) が必要だと思っています。この一年で起こった事件というのは、本当に “目に見えないことへの敬い” をなくした結果のものばかり。でも、目に見えることがすべてではない。だから 「誰かが見てなければいいや」 ではなくて、ちゃんと自分自身が心の軌道修正をしながら正しく生きるということを家族のみんなで見て、感じていただきたいですね。 最近は、「ただかわいそうだから泣く」 とか 「泣ける映画」 などという、風潮がありますよね。でも涙というものは、決められて流すものではなくて、自らの心からあふれていくもの。そこも 「想像力」 に値するところだと思うのですが、「対岸の火事」 とか、「自分には関係のない人」 だと想うと、「気の毒に」 とか 「かわいそうに」 という傲慢さの涙が出てくるんです。でも、そうじゃない。これは自分の事として受け止めるべきことであって、どの家におきてもおかしくない出来事なんです。スタジオで話し合ったのと同じように、皆さんのお家でも 「自分だったら…」 や 「お互いをどう想っているだろう」 ということを、話し合っていただきたいと思います。番組の最後の方で、江原さんが言っていた言葉も心に残った。(正確ではないだろうけれど、意味合いとして)「魂にとっては、言葉も思いも行為も同じなのです。今は、「あんな奴死んでしまえ」とか、「殺してしまえ」などという言葉が、ネットなどでも生活の中でも飛び交っています。でも、それは魂にとっては殺すという行為と同じなのです。だから、そのようなことを簡単に思ったり言ったりしてはいけません」私も、まったくその通りだと思う。この言葉を聞きながら私が思っていたのは「死刑執行」と「名張毒ぶどう酒事件」のことだった。「人を殺してはいけない」ということは、人間にとって普遍的価値と考える私は、「いかなる理由があろうと人を殺してはならない=死刑にも反対」という立場だ。戦争であれ死刑であれ、「理由があったら人殺しも可」という風潮に傾くことは、とても怖いことのように感じている。だから、江原さんの言葉が深く心に染みる気がした。ただ、「心で思ってもいけない」というのは、ちょっと無理があろう。自然に沸いてくる憎しみを、理性と感性、想像力などで何とか抑制し、言葉や行為につながらないように努力することが、とても大切と思うのだ。それが「憎しみの連鎖」を断ち切る唯一の方法だと思う。
2006年12月27日
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