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わ【和】.1 争いごとがなく穏やかにまとまる。「和解・和合・和平/協和・講和・親和・不和・平和・宥和・融和」2 やわらいださま。ゆったりとして角立たない。「和気・和光同塵(わこうどうじん)/温和・穏和・緩和・清和・柔和」3 性質の違うものがいっしょにとけ合う。「混和・中和・調和・飽和」4 声や調子を一つに合わせる。「和韻・和音・和声/唱和」5 二つ以上の数を合わせたもの。「総和」6 日本。日本語。「和歌・和裁・和室・和食・和風・和服/英和・漢和」7 大和(やまと)国。「和州」 「デジタル大辞泉」 「子ども」やめ「子供」 文科省あえて漢字表記 (8月30日熊本日日新聞より) 文部科学省は7月中旬から、省内の公文書で使ってきた「子ども」の表記を「子供」とするよう徹底している。子供の「供」が差別的な印象を与えるとして敬遠してきたが、「差別表現ではない」と判断し、あえて方向転換を図っている。 文科省の文書は、常用漢字を使うのが原則。文化庁国語課によると「子供」は常用漢字だが、1980年後半から省内の公文書で「子ども」「こども」を使うようになったという。法律の条文も、98年から「子ども」を使用。同省総務課は「供が『お供え物』などを連想させ、差別的表現だという意見が、審議会などであったことが要因」と説明する。 これに対し、今年3月の通常国会で、自民党議員から「小学生は『子供』と学んでいる」「(漢字とかなの)交ぜ書きは国語を破壊する」などの指摘があったため、本年度に入って省内で協議した。 この中で、▽「子供」はもともと子の複数形で、単数でも用いられるようになった▽「供」は当て字で「共」を使うこともあったが、「供」が定着した-との見解が示されたことから、「『子供』は差別表現でない」との結論に至ったという。 一方、熊本県は「子ども」を採用しており、課名も「子ども未来課」「子ども家庭福祉課」などと表記している。文書で「子ども」を使っている県教委の教育政策課は「表記を統一した根拠は不明」。同様に「子ども」と表記する熊本市教委は、「これまで文科省が『子ども』を使ってきたので統一した」と言う。 同省総務課は「各教育委員会に『子供』を使うよう呼び掛ける考えはない」との見解。ただ、県教委は「全国の自治体の動向を参考にしたい」と言っており、影響が広がる可能性もある。 県立大文学部の半藤英明教授(日本語学)は「公の立場で『子ども』が多く使われてきたため、漢字表記に差別的な意味合いがあるとの印象を与えてきたのではないか。強制するかどうかは別問題だが、『子供』と漢字で表すことは自然な流れだ」と話している。 自分の中のくくりとしては「漢字は文章表記で 文章の意味合いを正確に伝える為の手段」ですので、正直『子ども』表記を推進したのがまず馬鹿馬鹿しく、次いで、この表記を変にまじめな議論をしなければ直す事も出来ない『事の重要性・優先順位』が狂っている社会に呆れてしまいます。 差別がどうの言うのなら 『馬鹿』や『阿呆』や『禿』『デブ』なんて言葉が普通に存在していることは問題にならないの? 所謂 『悪口』のほうが明確に差別しているわけですが、『ちび黒サンボ』は問題にされてもこうした言葉が糾弾されて消滅するようになっていないのは何故なんでしょう? 単純に『差別だっ!』って叫んで得する人が居るからとしか思えないんですが。 差別であることにして『損害』と『謝罪・賠償』『配慮』って方向性じゃないんですかね。 だいたいにして「(漢字とかなの)交ぜ書きは国語を破壊する」なんて妄言ですよ。 日本でどれだけ漢字表記すればよいのに わざわざ横文字(あえて英語とは言わない)表現してごまかしたり、短縮語表記して訳が分からなくしていると思っているんでしょう。 例えば極端な例としては隠しで取り上げられたこんなの。外来語多すぎて苦痛、岐阜の男性がNHKを提訴!「アスリートとかコンプライアンスとか言われても分からない」 (6月25日) テレビ番組で理解できない外来語が多すぎて精神的苦痛を負ったとして、岐阜県可児市の元公務員で、「日本語を大切にする会」世話人の高橋鵬二さん(71)が25日、NHKに対し141万円の慰謝料を求める訴えを名古屋地裁に起こした。 訴状などによると、高橋さんはNHKと受信契約を結び、番組を視聴しているが、必要がない場合でも外来語が乱用されていると主張。例として「リスク」「ケア」「トラブル」「コンシェルジュ」などを挙げ、「外国語の乱用に不快感を抱く者に不必要な精神的苦痛を与える」として、民法709条の不法行為に当たるとしている。 高橋さんは「若い世代は分かるかもしれないが、年配者は、アスリートとかコンプライアンスとか言われても分からない。質問状を出したが回答がないので、やむなく提訴に踏み切った」と説明した。 言葉としては専門性や認知度で『なんとなくそういう意味』で通っているものが少なくなく、提訴までは行き過ぎとしても理解できる部分も有ります。 短縮後としては例えば ATM :現金自動預け払い機の通称(Automated Teller Machine) 等は略称のほうが認知度が高く、意味も理解しやすくなっています。が略称がかぶっていたりするケースや当て字的なケースもあり、「文章を明確にする為の多岐表現」という目的が果たされているのか疑問なことがあります。 WWF :世界自然保護基金(World Wide Fund for Nature) :アメリカのプロレス団体WWE(World Wrestling Entertainment)の旧称(World Wrestling Federation) 今更「(漢字とかなの)交ぜ書きは国語を破壊する」といったところで「既に破壊されとるやん」というのが現実。 そしてマスコミさんや言葉を職業にする方々が考えなければいけない部分では? 前書きが悪いんじゃなくて、意味合いを伝える意思が欠落しているほうが問題なんですから、破壊の原因を取り違えているわけですよ。 それにね・・・ 日本語の表現方法はそれこそ 平仮名、カタカナ、漢字、アルファベット(和製英語なども含む)まで多岐にわたるわけです。 言葉は生き物であり道具ですから それ自体に『正しさ』を求めすぎても機能しない。 インテリぶって無理やり語彙を増やす(実際『国語』でも同じ表現の重複はマイナスされる)よりも相手に伝わる表現を模索する必要のほうが高い。それは比ゆ表現であったり、図説であったり、間の取り方であったり、ジェスチャーで有ったりもするわけですよ。 コミュニケーションの道具としての必要性を考えれば必然では無いですか? 『言葉狩り』なんて表現もアレですが、「なんとなく存在する共有意識」のほうがたちが悪い。 「話せば分かる」 意味合いをぼやかす為の言葉にそんな力はありません。 なんて空々しい言葉になってしまったんでしょうね。
Aug 31, 2013
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子供の夏休み終了を前に眼鏡やら上履きやらの買出しに。 ついでに随分久しぶりにゲームセンターに寄ってみましたよ。 ストリートファイター2の時代をゲームセンター通いした層からすると随分寂れたものです。 JR三鷹駅の南側には5箇所ほどゲームセンターがあったんですが、ついに最後の一件がやめちゃいました。 一軒はおもちゃ屋との併設でしたが商業ビルにしてカラオケ等が入っています。 一軒は開発でタワーマンションに。 一軒はマンション一階で営業していたものの次々店が変わって・・。 一軒はスーパーの2階で営業していましたが100円ショップに。 最後の一軒は今更コンビニに。 基本的に経営基盤がそれほど強くなく 大型筐体の導入が当たり前になっている(余計に収益性が悪化)業界では生き残りは難しいんでしょうね。 今日行ったのは吉祥寺。 クレーンゲームなんかが主力なんですが キャラクター商法(一般小売)とも連動するこのゲーム・・・。 くまもん。 ふなっしー。 ワンピ。 ディズニー各種。 JOJO。 食品サンプル。 etc. 特に緩きゃら推しが強すぎ。 フィギュア関係は萌系含めて レベル上げすぎて痛い。アイデア商品の方向に振らないと後続きませんよ。 そして客層が・・・。 夏休み最後だから小・中学生っぽい子供はそれなりにいるんですが、おばあちゃんの割合が・・・。それもメダルゲームとかギャンブル系のところで慣れた感じで・・・。 以前からタイトーなんかが高齢者の獲得をプレスリリースしてはいましたが・・・。 子供、若者、老人と店内で生息エリアがガッツリ分かれていて坪当たりの売上げ押し下げているんではないかと・・・。 小規模出店できないとジリ貧じゃないですか。この業界。 私の小中学生の頃ってゲームセンターは不良のたまり場的なイメージがまだ社会にあって、その後オタク層の社交場的に変わって女子高生なんかまで範囲が広がっていったものです。 で、プリクラやクレーンゲーム主体で高校生カップルがいちゃいちゃするのも良いと私は思ってます。 人が入らないより 黒以外のイメージ(根暗、悪質ってこと)でなければピンクだろうがオレンジだろうが明るいイメージで人が集まれるってのは店単体の商売上も、地域としての商売上もプラスなんですよ。 ところが全体の音はうるさいのに 人の声が殆どしないお店って盛り上がりますかね? 冒頭の商業ビルに化けたゲームセンターは店先でおばちゃんがやっすい揚げ物作ってうってました。 がきんちょ共がゲームで負ければ悔しくて騒いでいましたよ。 クリアーすれば歓声が上がりましたよ。 仲間内でくることが出来るお店だったりしたんです。 「どこでも出来る!」ではなく「ここにくりゃ誰か居る」だった。 なんかそうした諸々が「他のお客に迷惑」だとか「人件費が・・・」だとか理由がついて無くなっちゃった。 無人(店員が)のお店で、ネットワーク上では繋がってはいても、その場では孤独で・・・。 大型筐体のゲームは上級者の自惚れ発表会で・・・。 店の真ん中に駄菓子屋でも開けば子供が来やすく、親が行かせやすくなりますかね・・・。 ゲームセンターってそんなに画面とまじめになって遊ぶところでしたっけ? 何かおかしいゾ。 100円握り締めていきたくなるゲームセンターっておかしいのか?
Aug 30, 2013
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自宅謹慎に近い状態に有る私。 最近『要らない人の末路』的な夢を良く見るようになって少々精神的に落ち込んでいたりもします。 そんな状態ですが、リハビリを兼ねて街歩きにGo!しました。 本日阿波踊りがあることを知らずに駅前に行き、改めて自分の矛盾『人を集めることで利益を出そうとするくせに人間(特に群)嫌い』がもろに出てしまいました。 基本的に『祭り』・・・特に地域の特性を打ち出したものは地域振興にとって・・・というより地域に根付かせる為にかなり効果が高い。 ところがある程度イベント化して 『子供参加』『タイトル』といったものが無いと人が集まらず、主催者の代替わりなどで途絶えるケースを度々目にしてきています。やっぱりサラリーマンばかりの社会って無理があるんですよ。 この阿波踊りも本来は東京でもないし、東京でも高円寺はかなり前からやっていますがそれよりもだいぶ後の発進。 だけど『子供参加』『タイトル』で無理やり根付かせてしまったもの。 で、「人を集める」って点に執着しちゃうとデメリットも出てくるわけで・・・クラブ化に歯止め、「海の家」相次ぎ規制強化 神奈川・湘南海岸 (8月17日産経新聞より) 海水浴客でにぎわう湘南海岸の「海の家」の一部が大音量の音楽を流し、ダンスを行うなど「クラブ化」したり、治安悪化が懸念されている問題で、海の家の経営者で作る団体や自治体などが相次いで規制強化に乗り出している。このままでは「海水浴場離れ」に拍車がかかりかねず、「家族で楽しめるビーチに戻す」(平井竜一逗子市長)のが目的だ。 湘南の海水浴場ではここ数年、クラブ化した海の家が乱立。住宅街にまで騒音が響き、酒に酔った若者が乱闘を繰り広げるケースも相次ぐなど、治安が急速に悪化していた。これを受け、藤沢市は1月、海水浴場組合に対して健全化を要請。「音楽の全面禁止」や「店員の入れ墨の露出を控える」といった自主規制ルールが打ち出されていた。 治安改善に向け、前進したかに見えた湘南海岸だが、実際は深刻さを増している。藤沢市の海水浴場の「クラブ化禁止」を受け、隣接する鎌倉市にクラブ客が一気に押し寄せたからだ。海岸周辺で飲食店を経営する男性は「明らかに悪い客が増えた」と実情を語る。 ( 以 下 略 ) これは海水浴のケースですが、三鷹阿波踊りごときでも『楽しんでいる側・参加している側』と『周辺住民や駅帰りのリーマン』の溝はそれなりにあったりもします。結構悲惨に思えるのが開催地と続きの通りに面しながら阿波踊りが前を通らない箇所の商店他。ガラガラです、なのに参加者や物見客の自転車などを店舗の前にずらりと並べられたり・・・。一応店舗前に出店をしているのですが桜もいない状況ではなかなか客は寄り付きません。実際私などが寄って行った時には自転車を止める客などが後ろに並ぶのですから需要がないわけではないのですがねぇ。 若干フォローしておけば基本的に三鷹での参加者はマナーがよろしいと思います。 事前に周辺のコミュニティセンターや商工会館に場所を借りて(ある程度占拠しているので迷惑との見方も当然ある)いるため現地での混乱も少なく、子供の手前なのでしょうか、特に子供参加者を抱えるチームは礼儀正しかったりもします。 むしろしょうも無いのはオッサンチーム。 4時台には飲んだくれてコンビニにおかわり買いに行きやがる・・・。 ただ、本質的な目的の無い『祭り』では無い『イベント』で、尚且つ近隣でも既にやっているものなのでマンネリ化や代替物への移行等今後課題として必然的に上がるのでしょうね。 ※ リオのカーニバルの目的 カトリックのイースター( キリストの復活祭 )の前の40日間の禁欲期間とされているため、 その前の数日間を開放的に楽しもうというのがカーニバルの由来です。 阿波踊りの目的 精霊踊りや念仏踊りが原形であるといわれるが、起源は明らかになっていない。 そして私は集まる物見客の質が結構気になりました。 「昔に比べて~」なんていう気はありません。昔だって酷かった。 だけど酷いのが子供から大人にシフトしているのが気になります。 子供が立ち入り制限されたところに行ったり、アレ買ってコレ買ってやるのは勿論 泣き喚いたりするのは当たり前のこと。織り込み済みのことは問題視しませんよ。 通路で子供を泣かせて障害になっているのに、わざわざそこで怒り出す保護者とか、人ごみに自転車を押して入っていく(周辺で案内あるのに)中高生とか・・・。 それに主催者が絡んでのことかもしれませんが ディズニーパレードであったようなレジャーシートでの場所取りもかなり酷い。 大きい無人のレジャーシートにガムテープで苗字が・・・。これはディズニーランドであっても撤去されるでしょうに。 これで通路が半減してえらく通行が妨げられているんですが・・・。 本部も大きく取っているんですが お年寄りの観客(かなり多い)向けに敬老席でも作れば場所取りもかなり軽減されるのに。 一日だけのことだから我慢する人も多いでしょうが、興味の無い人にとっては迷惑でしかない。 楽しむ為には余計なことを考えたくない(=余計なことを考えていては楽しめない)という理屈も分かりますが、自分たちルールの確立と我侭の許容が増えれば『村化』が進みますよ。【 蛇足的結論・本音 】 文中の【自分たちルールの確立】は私がディズニーリゾートのエゲツナイ(褒め言葉)商売を尊敬しながらも、ディズニーリゾートを毛嫌いする原因だったりします。場所取りもちょっと検索すると『1時間ならマナー違反じゃない』とか一杯出てきます。 あそこ、初めてで夢とチケットだけ持って行ってもそんなに楽しめないんですよ。 楽しむテクニックと 変に確立された客側の俺様ルールがあって。 こうやって楽しむんだ!とか先の場所取りだとかファストパスだとか、それこそ入場制限(実際にコレにかかって入れなかったこともあります)だったりとか(日付指定なら入れたりする)。 どう楽しむかはそこで触れた人間が感じるもので、「これこれこうやったから、ね、楽しいでしょ?」ってのは気持ち悪いんですよ。 一見さんお断りなんてしていない! そう参加者や主催者は言うでしょう。 こうしたイベントの一見さんって誰なのか? それを分かっていないんですよ。 自分たちが楽しむ為に 他の人を犠牲にして良いって話にはならない。 これが『地域の祭り』と『イベント』の間を大きく分けているんです。 そしていまや参加者・主催者は『イベント』しか志向しないし見ていない。 いや、見てはいるんだけど手も目も届かない。足りない。できない。 普段の自分たちの居場所じゃないから祭りの後は荒れてても気にもしない物見客に翻弄される。 イベント化すれば規模が大きくなって問題はやたら大きく膨れ上がる悪循環。 『公共性』・・・これが守られる範囲をもう少し考えたほうがいいんじゃないですかね? で、サイレンとマジョリティー(大多数の適正マナー客等)はそろそろ口に出して言うべきなんですよ。『王様は裸だ!』って。 大多数の適正マナー客や興味の無い、それでいてデメリットを負っている周辺住民は自分たちが楽しんでいる為に迷惑している部分は黙っていれば『ないこと』になるのを知るべきなんです。 子供引き連れた親が馬鹿やっているのをほうっておけば、その子も馬鹿になりません? 馬鹿なルールが定着すれば一見さんは関心→無関心→迷惑と成長しますよ。 もう随分前に神戸で花火を見る為に歩道橋に詰め掛けて事故が起こりましたよね。 我先に、自分たちさえ良ければ・・・そんな気持ちが無かったとは思えないんですが。 楽しむだけの人たちは それがつぶれればイナゴの如く次に行きます。では参加者や主催者はそれまで育てたイベントをどう思うんでしょうね? 良識の存在しない楽しみなんてやらないほうがましだと思っちゃうんですよ・・・ハァ。 こういう裸の王様は正論なようで詐欺の一貫だよなぁと思ったりする。 これは完全に違う。逸話関係ないじゃん。
Aug 17, 2013
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更新をサボっていた(体調が優れなかった)期間も世間はしっかり動いている。 本当に自分が世間から取り残されているように感じる。まぁ、気を取り直して更新。 いくつか備忘のため記しておくと 緊急地震速報を初めて体験したが、甲子園では『教育』を謳う人たちが観客や関係者もこぞってガン無視した。 後日高野連は今後の対応を発表したが 根本的に有事に適応できない、する気の無い姿勢が現れたものだ。 マック赤坂、又吉イエスという泡沫候補の雄が選挙引退を宣言。 勿論問題もあるのだが、既にお二人とも『主張ある泡沫』として広く認識されている(逆に言えば既存政党やぽっと出の候補に強い主張を感じない)お二人が比較対象としての価値を今後発揮できない(逆に言えばやはり当選は無い)のは残念に思う。 東京・・・それも住居近辺で連日の雷雨。 スマホアプリの『Yahoo!天気災害』の雨雲ズームレーダーでそれなりに雨雲の動きは追えるのだが、8/12はまったく当てにならなかった。 近所にも落雷したらしいが、最大一時間90ミリとも言われるレベルになると既存の住環境ですら脆弱に思える。 避雷針って周辺であったっけ?とおもってちょっと検索。4. 避雷設備設置基準(建築基準法) 避雷設備の設置は下記のように建築基準法施行令に定められています。 (設置)第129条の14法第33条の規定による避雷設備は、建物の高さ20メートルをこえる部分を電撃から保護するように設けなければならない。(構造)第129条の15前条の避雷設備は、建設大臣が指定する日本工業規格に定める構造としなければならない。*上記の「法第33条の規定による避雷設備は。。。。。。」とは下記の通りです。(避雷設備)建築基準法第33条高さ20メートルを超える建築物には、有効に避雷設備を設けなければならない。ただし、周囲の状況によって安全上支障がない場合においては、この限りではない。 近隣は低層住宅指定地区。一番近いのが公営住宅ってレベルですから今回のように集中的・局所的に落ちていると設置してあってもあまり意味は無いのかもしれませんが・・・。 世間的には小さな話題でしょうが、この間(というより備忘しておこうと思ったきっかけ)一番自分に大きかったニュースがコレ。 漫画家が自殺か=「無敵看板娘」の佐渡川さん―茨城 ( 8月13日時事通信より) 13日午前5時ごろ、茨城県利根町中谷の利根親水公園で、男性が首をつっているのを通行人が見つけ110番した。県警取手署員が駆け付けたところ、男性は既に死亡しており、漫画家の佐渡川準(本名・川人睦)さん(34)=東京都小金井市=と確認された。同署は自殺とみて調べている。 同署によると、佐渡川さんは木の枝に掛けた麻のロープに首を巻き付けており、着衣に乱れはなく、外傷もなかったという。自家用車が公園内の駐車場に止まっており、遺書は見つかっていない。 佐渡川さんは利根町出身。昨年末から週刊少年チャンピオンで「あまねあたためる」を連載中だった。代表作は「ハンザスカイ」「無敵看板娘」など。無敵看板娘は2006年にテレビアニメ化もされた。 自分は所謂『いい年をして漫画を読む大人』なのですが、いい加減作者よりも年上であることのほうが多くなっています。 当然感情移入も難しくなりつつあるわけで、作品とは別筋を追っちゃったりもします。 この作者の代表作といえばギャグマンが分類されているコレなんですが・・・ 無敵看板娘 あんまり”類似性”を感じないところに好感を持っていたりします。チャンピオンを読んでも 当時それほど楽しんでもいなかったというレベルなんです。 この作者でむしろ引き込まれて読んでいたのはこっち。 ハンザスカイ 簡単に書くと『不良の更正モノ』あたりになるんでしょう。 相変わらず極端なキャラの攻撃性表現が”らしい”んですが、それ以上に迷いとか ふっきりとかの感情の動きが読みやすく 好きな作品の一つです。惜しむらくは終わりがなぁ・・・ってところですが。 近年漫画、アニメ、ゲームといった分野の訃報もニュースなどで取り上げられる傾向がありますがこの分野の訃報は急死や自殺が目立っています。おじゃる丸の作者も自殺でしたね。 ところが一般的な目で見るとこの分野の仕事って『自分の好きなことを仕事にしている』と見られるもの。 それがほぼ同世代で急死・自殺というのを目にすると「夢を売る仕事、好きなことを仕事に・・・ってなんなのだろう?」 と思わずにはいられません。 好きなことだけに拘りや没頭が自分を蝕んだのだろうか? 好きなことが好きでなくなる瞬間に絶望したのだろうか? 没頭によって世界が小さく、思いをはせることが出来なくなったのか? いろいろ考えさせられます。 私はコレまでも書いているように『死の選択は悪いことではない』という意識の持ち主ですので、「もうあの作者の新しい作品は読めないのか・・・」という残念な思いはありますがご本人には冥福を祈り、コレまでの作品を世に送り出してくれたことに感謝する気持ちしか有りません。 しかし、訃報を離れて『仕事ってなんなのだろうね。』とか『自己実現・自己表現ってなんなのだろうね。』と思わずにはいられない。 私はたいした人間では有りませんが、『何も無い』という自他のつぶやきは常に否定し、拒絶して生きています。 なしえた人にはわからないだろうけど、そんな人間を支える言葉もネット上には落ちていたりします。 氏が落ちこぼれかは存じえませんが、氏が自分の世界に満足が有ったと願ってこのコピペを最期に。手塚治虫『人間関係が希薄な人は漫画は描けない。漫画とは読者との会話だからだ』 宮崎駿『ロクに人生経験も無いオタクを雇うつもりはない。火を表現するには火に触れないと駄目だ』 庵野秀明『アニメ・漫画に依存するのは止めて外に出て欲しい。あれはただの絵だ』 富野由悠季『オタクは日常会話が出来ない。アニメ作るならアニメ見るな』 藤子・F・不二雄『よく「漫画家になりたいなら漫画以外の遊びや恋愛に興じろ」だとか 「人並の人生経験に乏しい人は物書きには向いていない」だとか言われますが、 私の持っている漫画観は全く逆です。人はゼロからストーリーを作ろうとする時に「思い出の冷蔵庫」を開けてしまう。 自分が人生で経験して、「冷蔵保存」しているものを漫画として消化しようとするのです。 それを由(よし)とする人もいますが、私はそれを創造行為の終着駅だと考えています。 家の冷蔵庫を開けてご覧なさい。ロブスターがありますか?多種多様なハーブ類がありますか? 近所のスーパーで買ってきた肉、野菜、チーズ、牛乳・・・どの家の冷蔵庫も然して変わりません。 多くの『人並に人生を送った漫画家達』は「でも、折角あるんだし勿体無い・・・」とそれらの食材で賄おうします。 思い出を引っ張り出して出来上がった料理は大抵がありふれた学校生活を舞台にした料理です。 しかし、退屈で鬱積した人生を送ってきた漫画家は違う。 人生経験自体が希薄で記憶を掘り出してもネタが無い。思い出の冷蔵庫に何も入ってない。 必然的に他所から食材を仕入れてくる羽目になる。 漫画制作でいうなら「資料収集/取材」ですね。 全てはそこから始まる。その気になればロブスターどころじゃなく、世界各国を回って食材を仕入れる事も出来る。 つまり、漫画を体験ではなく緻密な取材に基づいて描こうとする。 ここから可能性は無限に広がるのです。私はそういう人が描いた漫画を支持したい。 卒なくこなす「人間優等生」よりも、殻に閉じこもってる落ちこぼれの漫画を読みたい。』
Aug 14, 2013
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