全5件 (5件中 1-5件目)
1
![]()
こういうやり取りもリハビリになるので今回のっかってみます。 私が制作者サイドの記事を嫌うのは制作者には2つの側面が必要だからです。 ・・・というより自費制作・自己満足(私が大学時代にやったのはまさにコレ)でない限り、クライアントの依頼はとても強いですし、制作して飯食っているわけですから(1)プロとしての仕事が求められるわけです。 こうした記事を出すというのは『営業的側面』を言いましたが、その場でクライアントからの依頼と自分の主張したいことのギャップを言ったところで言い訳にしかならんのですよ。 そして『とにかく泣けるものを・・・』という主張を制作側の記事から一方的に・マイナス方面に捉えてしまえば 「そんな状況で作らされて可愛そう」となるのは彼らが無償で制作した場合でしょう。 私は一方的な主張を由とはしたくありませんし、これはフェアな見方になりません。 作品で制作側の言い分が前面に出ていない・・・と主張されていますが、そりゃぁそうでしょう。 世界観まで根本的に作り変えるのなら別ですが、そこは制作サイドも仕事としてこなしています。 制作側のこだわりというのも記事を読む限り個々のシーンに限定的なように、それも前提条件に世界観・設定があるのですから当然といえます。 同人レベルであっても世界観・設定が固定されているものを 前提を壊さずに演出だけでまったく別物にするのって骨が折れる作業ですよ。 私は前回の記事で「うちの子は泣けなかった」と書いたと思いますし、自分が過去に泣いた作品について「今も同じように出来るかはわからない」と書いたと思います。 私は実のところこの記事にえらい反発を覚えていまして、「技術的に泣けるシーンは簡単である」かのような言い回しをされているようですが、上記のようにうちの子供は泣けませんでしたよ。 技術的に簡単になかせることが出来ると思っているのなら 制作者として思い上がりも甚だしいといいたい。 私は「泣ける作品」「泣けた作品」などと評価していないと思いますよ。 これは視聴者によって受け取り方が一様ではないということであるし、人間の感情は単純にして複雑だということなんです。 以前どこぞで見た話。 「ライブで泣いている人がいてもお前の歌に感動して泣いていると勘違いするんじゃぁない。 その人はお前の歌で自分の中にある何かを思い出して泣いているんだ。」 こんな話だったかと。多分武田哲也辺りだと思いますが。 世にエンタメ作品が多数存在する中で「結果的に泣けた作品」が異なった背景・時間を持つ個人で全て一致することなど無いのですよ。 cheese さんの言う「自然と結果的に泣ける」は技術的に稚拙であっても自分の琴線に触れる部分の多寡、大小、高低・・・諸々が影響しているはずなんです。 アマチュアアニメを引き合いに出したのは こうした点でスポンサーを気にしない状況があるからです。 「俺はこんな表現が凄いと思うんだけど、どう?」 「こんな台詞このシーンで言われたら 俺なんかは耐えられないね。」 とか、自分の情動をそのまま下手は下手なりになんとかアニメに盛り込もうとします。 「みんなそうだろう?」とか 「みんなこれが泣けるだろう?」なんて上から目線じゃないんですよ。 (2)良くも悪くもオナ_ニーです。だけど表現者の個人としての限界はまさにそこにあるんじゃないかとも思いますよ。 これが商業作品になると、企画・監督・脚本・演出辺りだけでもある程度「個」を薄める部分(というより混ざり合う部分)が出てきます。表現方法としても記事のように『技術』としてテンプレートがあるかのような物言いをしてしまう。作品でもそれをなぞってしまう。(=手抜きです) 記事からうかがい知れるのは制作者はcheese さんの言う『お涙頂戴』に興味が無く、そして、恐らくは企画者側は制作者に「子供が興味を持ちやすいアニメーションを作れる技能」位しか期待していないであろうという事です。前にも書いたとおり原作の絵ってアニメ向けでもないし、好き嫌いが分かれる絵ですからね。 キャラデザに関しても。 制作者側だろうがスポンサー側だろうが私はどちらでもいいんですよ。 視聴者の知ったことではないんですよ。 キャラデザも含めて 「送り手」は作品に責任を持たなければならないのだし、スポンサーだってこければ損をするんです。 せっかくの企画なのに 原作者にも嫌な思い(これが後でどうなるかは分かるでしょう)をさせてしまう。 アニメーターが動かしにくい絵柄で泣きを見てきた歴史なんてのは長いですし、逆に原作の絵柄を踏襲できなくてファンを怒らせる事例なんてのも多々あるわけです。 ただ、繰り返し書いてきていることですが見せる・見せたい対象は子供なんです。 近年・・・例えば仮面ライダーが設定的やキャラクターの感情表現(恋愛感情なんかはうざいくらいに)凝りまくってくだらない方向に来ていると私は思っているんですが、アニメを多数見てきた目の肥えた人を対象にしているわけではないんですよ。大人の目から見てあざとい演出があろうが『わかりやすさ』が優先ならしょうがない部分もある。 私が「昔泣けた作品を今・・・」というのは 『子供のものを大人が奪っているのはどうなの?』って気持ちも有るんです。 その時には泣けた物が今は泣けない。だとしてもどうして泣けなくなったかを考えるきっかけにはなる。昔泣けた自分は事実であるのだから作品をこき下ろす必要も無い。 人は年齢や環境によってステージが変わります(上下左右前後・・・)。 cheese さんからの書き込みは『かつて制作した身』として面白い部分はあるのですが、『親として子供を見守る身』としてはあまりに『制作者と企画者の綱引き』に目が行き過ぎていて 一視聴者としてみなすことが出来ず少々きつい。 私は昔から自分でアニメも見てきたしゲームもやるし、この手の話が好きですから大人が例えば・・・プリキュアや仮面ライダーの映画に行こうが良いではないかと思いますが、『本来の自分のステージではない』という一点は守るべきだと思います。 (だから子供向け作品をアニメ誌で語っちゃう制作者は下種だと・・・以下検閲により削除) 一応後はこの件については返信を怠ります。 変に熱くなると倒れちゃうんですって。冗談みたいに。
Sep 16, 2013
コメント(2)
コメント欄に書くのはなんだか辛いので。 因みに更新が滞っているのはPCに対して体・・・というか病気のせいもあって頭が拒絶反応を示すことが度々あるのと、結構倒れている時間が多かったりする結果世間様の情報に疎くなっている部分があるせいです。 今後も書きたければ書く姿勢なのでお付き合いのほどよろしく・・・。 Re:毒書感想文『おまえうまそうだな』(11/10) cheese さんこの映画のプロデュース側について「人気絵本のネームバリューを使いたかったのか」「原作者が絵本と違う物をって頼んだのを良い事に映画を単なるお涙頂戴物にしたかったのか」って事を突っ込みたいのです。 私は『受信側』=視聴者・・・特に子供向けですから 子供がどのように感じるかということを主眼において回答していたのですが、どうもご納得いただけないようで。 先日ガンダムで著名な富野監督が最近の作品に対して『最近のアニメ作品は予定調和的で中身が無い』旨の発言をしています。 また最近話題という意味ではジブリの宮崎駿監督は 原作レイ_プの傾向が強い人であり、自ら原作のナウシカは『原作が無いとスポンサーが・・・』という大人の都合によって原作漫画を作ったものですが、映画とは密度から規模までまるで異なるものです。 例えば富野監督は『皆殺しの富野』なんていわれる位人が死にますわな。戦争やっているんだから当たり前といえば当たり前。イデオンも走り観程度ですが見ますと、確かに伝えたいことも程ほどに次々・・・子供まで死にます。 この作品は『泣かせる為』だったのでしょうか? 私は過去に泣いた作品はいくつかありますが、その作品を『今』みても同じように泣けるわけではありません。 私が『作り手』という表現よりも『送り手』という表現に走るのは監督や脚本家が『作り手』本体なら、『送り手』は例えばジブリなら鈴木Pまで含めた『商品として送り出す側』であるからです。 何かしら『伝えたいこと』表現をするからには相手が発生します。 アマチュアアニメではこの『相手』を無視した作品が数多くあります。要するに『自分の作りたいものを作る』というオナ_ニー思考です。私もこの段階を経験しています。 私はこのあにめの『おまえうまそうだな』はそれほど原作を無視した作品(いってしまえば別物とはいえない)と思います。 cheese さんはよく『制作側のコメント』を取り上げますが、では『制作側』は何を伝えたかったのか? 制作側のコメントを見た上で言うのなら、この監督の思惑は少なくとも親である私には伝わってきていません。 アクション? 比較すればもっと凄いものを多々見てきています。 泣ける表現を小手先で出来る?そうはしたくなかったから・・・? うちの子、ないちゃあいませんよ。 私は作品のコンセプトに対して『考えさせられる』としたわけで、つまるところ一番私や息子を『受け手』とした時にメリットがあったのは原作者であり、それをアニメに取り上げた企画者です。 しかも『客』として成立させながらも 『泣かせること』『アクションとして魅せること』も失敗しています。 では企画者は『本当に泣かせること』を目的としていたのでしょうか? 私ね、この手のアニメ誌の記事嫌いなんですよ。 アニメに限らず作品を作るものは『作品から読み取られるものが誤解や偏見を含めて全て』なんですよ。 私のこの駄文だって同じ事。 同じ言葉で傷つく人も居れば喜ぶ人も居る。 言い訳したところで言い訳が見てもらえるか分からないし、まして許されるとも限らない。 極端な話、誰が作ろうが『良い作品は良い』と言いたいし、わざわざフィルターやブーストかけるのは制作者なら本質的にするべきではない。昨今増えているのは『営業』と理解して やるのは勝手と そっぽ向いていますけど・・・。 ・ 商業ベースに乗せる ・ 原作の大意を感じさせる ・ 好き嫌いの分かれる原作をより見やすく多くの人に見てもらう これが企画者の意図だとしたらどうでしょうか? 勿論私の想像ですがそれなら達成されているでしょう? 原作のネームバリューといいますが、知らない子供は知らんですよ。古典童話でもないんだから。 お涙頂戴・・・で本当にそのように感じるかは受けて次第ですよね? 商業的に原作があったほうがスポンサーもつきやすいのは確か。 作品の企画進行がしやすいのも確か。 あらかじめある程度の受け手を期待しやすいのも確かです。 それで作品の大意を残して 広めて 売り出すことが出来たのなら何が悪いんでしょうか? 表現や設定があざといと感じるのであれば フジテレビではありませんが『見なければいい』の如く視聴者が勝手に離れます。 対象にしているのは子供たちです。 マトリックス張りのアクションを見たいのでも月9張りの女優が見たいのでも昼ドラ張りのどろどろとした展開を期待しているのでもない。 コレまでの経験から観るのではなく、自分のわずかな経験と新しい『考える種』が有ればいいんですよ。 cheese さんの言う『この映画のプロデュース側』が「人気絵本のネームバリューを使いたかったのか」はYesでしょう。それはもう書きました。「原作者が絵本と違う物をって頼んだのを良い事に映画を単なるお涙頂戴物にしたかったのか」はどちらかというと制作者の感受性が問題だと思いますよ。作品・原作のたち位置を考えれば・・・制作側の・・・例えばアクションシーンなんて『子供が見やすい』というだけですから。 いずれにせよ、原作者、企画者、制作者、視聴者・・・それぞれの思惑を超えてこの作品があるということが一番意味があることだと最後に記しておきたいと思います。
Sep 14, 2013
コメント(1)
![]()
オリンピック開催に冷や水を浴びせると批判されるのが現実社会のようなのですが、私個人は『スポーツ振興』っていうのをそんなに良いものだとは捉えていないんですね。 私は中学・高校位までは一生懸命スポーツする人で、その後は楽しむ以外はお断りの人になりました。 原因は所謂『体育系行事』です。 中学で市の大会なんかに 男子のいない陸上部の代わりに練習、大会と狩り出され、しかも体育系行事ではそれを”実績”としてやりたくも無い競技にエントリーされまくる。 中3の時に学年全体集会でいきなり選出された時には練習参加拒否を表明して参加者と対立したりしました。 因みに出たい奴の一部には 内申の関係があったのは裏を取っています。 昨今の部活動における体罰の問題なんかもあるわけですが、私は根本的に『健全なる体に・・・』ってのは信じていません。 だからオリンピック参加者のように『突き詰めた能力の持ち主』が志向するのはどうぞご勝手にと思いますが、敢えて特定のスポーツをやらないといけない方向に持っていくような空気はどこぞの協会連中やスポーツを業にする人たちの勝手な都合でしょう。 それでも私が『スポーツ振興』をするべきというのは 『体が弱くっちゃ無理してでも自分の将来やりたい事をやり遂げることもできないし、自分が大切だと思うものを守ることも出来ないでしょ?』ってことです。 だから長男の水泳でも『水難対策』程度の認識は義務教育として欲しいし、自分の体と向き合うのは義務教育+高校位の授業では必要だろうと思うんです。その上で自分にあった体の動かし方や健康管理(コレを主題にした体育授業って見ないんですが・・・)を進めるべきでしょ。 体育の授業で所謂運動音痴な人たちが、コンプレックス全開に、諦めムードで一緒にやっているのって辛くないですか? 少なくとも私は辛かったし、見下している輩に一緒に一泡・・・ってのも何度かやりましたが、うまくいくのって義務教育くらいまで。その先は一緒にやる機会自体がなくなっちゃう。 私は集団スポーツと個人スポーツで集団をまとめる適正だとか、コミュニケーション能力に差が出るかというとそれほど大差が無いように考えています。個人スポーツでも相手も無く、まったくの孤独でやるスポーツって単独登山くらいですよ。それ以外にはサポートスタッフが必要だったりライバルがいたりと(数字上だけでもね)相手の思考を無視して出来るスポーツなんて無いです。 そしてNPBやNBAを何年も見ていると、集団スポーツで本当に配慮できる人って意外に少ないことが分かります。それに配慮型の選手がそのスポーツの性質上望まれないことすらある。 少なくとも今長男の小学校で起きている『サッカーは上手いのに ソフトボール投げがまともに出来ない』なんて歪な・・・根本的に子供としての運動・・・遊びをしていたら身につきそうなものが、今や現実に起きていることを考えると 『もっと子供が自分たちのルールで遊べる環境を!』というのが大人が考えるべきことですよ。 公園は誰に配慮してか キャッチボールも、場合によってはサッカーもだめ。 下手糞のバドミントンのほうが危なかったりしますが、お役所仕事がまかり通ったりします。 そして大人自身、スポーツをしていれば・・・ジム通いなんかをしていれば『社会人としての自己管理』が達成されるなんて幻想は早いところ捨てたほうが良い。なんで日本の自殺がコレだけ盛んに起きるんでしょうね? なんで個人の権利主張に対して左翼的な『話せば分かる』がどこまでも成立しないんでしょうかね? ストレス社会という言葉がどれだけ元気で勢いがあるか。 サラリーマンのネクタイは首輪みたいなものかもしれませんが、首輪されて平気な人ほど会社に寄生していたりするのはどうなんでしょうかね? スポーツなんてかたっくるしい事言うから街に人がいなくなる。 人がいないから『袖摺りあうも・・・』なんて言葉が死語になる。 スポーツってそんなに不自由なものなんでしょうか? あ~もうよく分からん!
Sep 13, 2013
コメント(0)
![]()
東京オリンピックが決まりました。 経済効果や決定に伴うテレビでの連呼がうざったいと思う今日この頃。 こんな私は異端なのかとゲンナリスルここ数日。 前回の招致の時には東京都の職員がかなり異動されて商工振興などの担当がごっそりいなくなったりして驚いたものです。 正直その当時からオリンピックは否定派なのであまりめでたくも感じないんです。 推進で出てくる人たちも マスコミ関係、スポーツ関係・・・そして政治家。 胡散臭いのばっかりでね。 つまるところこのイメージ。 なんだか自分のノスタルジックな想いを箱物にして・・・ってところが本当なのかなと。 勿論安倍総理周辺は財政出動の根拠としても大義名分が欲しいという本音はあるんでしょうが。 企業スポーツや部活動なんか、そして日常的な遊びの延長線上にある運動が困難な状況に東京はなっているのに、先端にあるスポーツ振興だけしたところで「ちょっとやってみよう」とはならんわけですよ。金かかりすぎて。 以前こんなニュースがありました。年齢別の体力目標・体育指導者小学校に派遣 ( 2010年8月 3日 HP:まなび倶楽部より) 年齢別の体力目標・体育指導者小学校に派遣東京都教育委員会は7月22日、子どもの体力低下を食い止めるための「総合的な子供の基礎体力向上方策(第1次推進計画)」をまとめた。子どもの体力・運動能力が全国的に低下傾向にある中、東京都の児童・生徒は、文科省の調査で全国平均値を大きく下回っている。年齢別の運動テストの到達目標の設定や小学校への体育専門指導者の派遣など本格的な対策に乗りだした。学校での指導の改善・充実では、体育の授業の中でノート作成や話し合いの時間が長すぎ、子ども一人当たりの運動量が確保できていない例があると指摘し、体育の授業改善を提案。教科担任のいない小学校では、専門指導員を派遣し、技術的な指導を行う。 今年の夏 長男は小4でやっとこ25Mを泳ぐことが出来ました。 授業ではろくすっぽ泳ぎ方を教えないようなんですね。他のこの状況を確認しても。 ところが殆どの子は泳げるようになっている。 スイミングスクールの普及率が高いんですよ。 で、いっていない少数の子は取り残される、と。 しかも水泳の授業数は自分の頃に比べて少なく、既に今夏は終わってしまっています。 地域のコミュニティセンターのプールなども既に終了。 上記のニュースの他に 中学などで運動部の指導を出来る教師の不足を伝えるニュースも何度も出ています。 子供時代のスポーツの取っ掛かりって 漫画やアニメ、地域でやっている各種の競技の有無だと思うんですよ。 空手や剣道とかも警察署や道場があって”親の認識”でやるかどうかのスタートがあるし、私の子供時分を見返せばキャプテン翼→ サッカーやるで~ドリームチーム→ バスケやるで~ と非常にたやすくブームに飲まれたものです。 ですがこの間ブームの起きた『F1ブーム』等には環境が無かったこともあってせいぜいテレビ視聴止まり。 ダンス甲子園などがあった『ダンスブーム』も後のリア充御用達の趣味であり かじる程度で終わりますわ。 スポーツの祭典なんていって 実際には商業主義。 団結を示すとか言っても(実際招致委員は『絆』をうたう・・・)85%は会場8キロ県内のコンパクト運営をうたう大会で 経済的メリットを享受できる人も限られてくる。 スポーツを子供に志向させるにしても足許が超・お留守。 7年間広告業者様らは稼ぐつもりでしょうが、それこそ前回の東京オリンピックとは社会情勢が違うわけでね。 お祭り騒ぎに便乗して 世間を盛り上げるには地道な準備と確たる目的が必要だと思うわけです。 それがオリンピックの本質的な目的に沿うものなら意識も共有され広がるわけでね。 お祭り騒ぎと『無難なコンテンツ』が欲しいのなら 祭りの後が見えているので止めちまえ!というのが私の意見。 せっかくやるんだからさぁ・・・ 未来の為にとか綺麗事が言えるんだからさぁ・・・ 手抜き工事みたいな真似はやめましょうよ。ね。猪瀬知事。安倍総理。
Sep 9, 2013
コメント(1)
![]()
婚外子相続格差は違憲=「家族形態は多様化」-民法規定めぐり初判断・最高裁大法廷(2013/09/04 jiji.comより) 結婚していない男女の間に生まれた子(婚外子)の遺産相続分を結婚している夫婦の子(嫡出子)の半分とした民法の規定が、法の下の平等を定めた憲法に違反するかが争われた2件の家事審判の特別抗告審の決定で、最高裁大法廷(裁判長・竹崎博允長官)は4日、「家族形態の多様化や国民意識の変化などを考慮すると、親が結婚していないという選択の余地がない理由で子に不利益を及ぼすことは許されない」として、規定を違憲とする初判断を示した。 裁判官14人全員一致の判断。今回の違憲判断は既に決着した同種相続事案に影響しないとする異例の言及もした。 相続規定は明治時代から引き継がれ、最高裁では1995年に大法廷が合憲とする初判断を示して以降、合憲が維持されてきた。大法廷が違憲判断に転じたことで、国会は法改正を迫られる。 最高裁が法律の規定を違憲としたのは、両親の結婚を国籍取得の要件とした国籍法の規定をめぐる2008年の判決以来で、戦後9例目。 2件は、それぞれ01年7月と同11月に死亡した東京都と和歌山県の男性をめぐる遺産分割審判で、いずれも一、二審ともに規定を合憲と判断していた。 『子供のための平等』 論点が盛大にずれている。これを大義とし、『差別』とおっしゃる裁判関係者の皆様。 狂っていますよ。 子供はコウノトリやキャベツ畑から産出されると思っているわけではないですよね? 法律が、法制度にのとって婚姻をし、その上で生まれた子が法的に守られる。 生物学上『片親だけで』生まれるはずの無い 子供が、法制度によって 摘出子と『区別』される。 法の下の平等を謳うのであれば、やることやった大人が子供に対して責任を取るのが大前提でしょうよ。 キャベツ畑なら別ですが。 言葉を変える弊害ってこんなところにもあるんだという一例ですわな。非嫡出子の歴史 昭和17年民法改正前までは、「非嫡出子」といわず、認知されているか否かで「私生子」、「庶子」と分類されていました。婚姻外の子供で、父親に認知されない子供を「私生子」といい、認知された子は「庶子」と民法上分類されていました。しかし、差別の原因になったため、「非嫡出子」に統一されたのです。( 税理士・中島IT会計事務所運営 HPより) 今回の裁判で嫡出子側は勿論受け入れがたいとしていますが、当然で寸。 NHKで実際の非嫡出子の親が顔出しして(恥ずかしくないんだ・・・)厚生制度などでの非嫡出子の不利を『婚姻しなかった罪・罰』とのたまっていましたが、基本的に婚姻外や婚姻を前提にしない性交渉・・・要するに”遊び”をおおっぴらに認めなさい、その後始末を制度的にも有耶無耶にしなさい、厚生制度も認めちゃいなさいという判決ですよ。これは。 親の離婚での不利益とかじゃないんだもの。 子づくりの段階での話ですからね。 こうまで言うのは仮に婚姻していなくても非嫡出子を回避する手段って法制度であるから。 法曹家でもない私でも直ぐに『養子縁組』が頭に浮かぶ。 これ、親戚の遺産相続で揉め事の種になった制度でもあるんですが、ちょっと探せばこれに触れている情報も有るんですよ。例えば・・・(HP 司法書士鈴木が語る!!はじめての人にもわかる『相続・遺言ここだけの話』 2012年04月18日分より)ズバリ、「養子」になれば可能です養子縁組の手続きを行なえば、嫡出子となることができます。お腹を痛めて生んだ実の子どもなのに、養子縁組できるのか?という疑問がある方も多いかと思いますが、法務省の考え方によると実の子どもでも「非嫡出子の場合は、養子縁組により嫡出子の身分を取得し、『地位向上』という実益があるので養子縁組できる」とされています。「地位向上」・・・要するに、非嫡出子が嫡出子という立場を得ることにより、相続上での身分が嫡出子と同様となるつまり相続分が2倍に増えるということです。逆に言うと、すでに嫡出子である場合は、地位が変わらない(利益がない)ので養子縁組できない、ということです。また、民法798条によると、未成年者の養子縁組であっても 「 自己又は配偶者の直系卑属を養子とする場合 」には、家庭裁判所の許可は不要となります。なお通常、未成年者と養子縁組する場合には、家庭裁判所の許可が必要となります。 ちょっと検索するだけでそこそこヒットするということはそれだけ同様のケースがあるということなのでしょう。 敬虔なクリスチャンなら泣いてしまいそうな話ですが・・・。 『差別』と『区別』の違いもわきまえずに 法曹家こんな判決を出すのは不見識を誇っているようなものですよ。 ただね・・・ 人と人との関係から発生する事案ですから、勿論デリケートな(そういうケースなら裁判なんてしないでしょうけど)ケースは存在するでしょう。 それでもそうしたケースに対応する為に『区別の破棄』(実際に政府が検討している今回の対策)は下作も良いところですよ。 まず養子縁組など現行法制度で可能な対応を示すべきですし、個別事案に対して法制度の抜本的な改正に走るのは本末転倒なんです。 問題があるのは子供を作る側の下半身なんですから。
Sep 5, 2013
コメント(2)
全5件 (5件中 1-5件目)
1