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当ブログ4月27日と6月9日の二回書いてきた「鹿児島清水城整備推進協議会」の設立総会が7月21日稲荷町公民館において開催され正式に発足した。残念ながら私は当日所用のため欠席した。それを受けて8月4日その設立を記念して、標記の記念講演会の開催となった。当日は会場の鹿児島市福祉コミュニティーセンターに80名の参加があり、講師として南九州城郭談話会会長で中世城郭研究の第一人者である鹿児島国際大学名誉教授の三木靖先生を迎えて開かれた。演題は「山城のあるまちづくり」である。 当日の講演は1、まちづくり。2、土で築く城。3、空堀(からぼり)。4、土塁。5、切岸。6、曲輪(くるわ)。7、その他の施設。8、清水城。9、蘇る鹿児島清水城山城部。という分類であった。先生が自ら踏査されて書かれた貴重な「縄張図」も配られて参加者は清水城のロマンに酔った。三木先生のブログー『山城散歩 みちくさ』 多くの山城愛好家の方へーに詳細がアップされている。またこのことは昨日の南日本新聞にも大きな記事として掲載された。 この記念講演を第一歩として、ガイド養成講座が開かれる。来年の3月まで10回にわたる講座だが、必ずしもガイドになることを義務ずけられるものではない。私は無欠席での「終了証」を狙っているところだ。
2012.08.10
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坂元の大地が、低地に移ろうとする台地の末端部の小高い場所にある南州墓地・南州神社・浄光明寺を訪ねる。ここは公園化されていて、写真は公園から鹿児島市街を通して見える桜島である。桜島は鹿児島市内はもちろん錦江湾に面したところからなら、県内各地からも眺めることが出来る。何処から見ても姿こそ変われ美しい。 西郷隆盛の墓を中心に、 桐野利秋や村田新八などの墓もある。ここはもともと浄光明寺という時宗の寺で、島津氏初代から5代までと、21代吉貴の菩提寺で島津氏と関係深いてらであったが、明治初年の廃仏毀釈で廃寺となった。 廃寺の跡に、1887(明治10)年の西南戦争で戦死した西郷隆盛を始め、2023人の薩軍将兵の墓地となった。墓石数は748基。官軍は9月24日、城山陥落の後、39名の死体を検死した上、この浄光明寺境内(現在の鳥居付近)に仮埋葬した。1879(明治12)年、市外に埋葬されていた220余名の遺骨を収容し、南州以下、諸将兵の墓所を現在の位置に整然と定めた。次いで、1883(明治16)年、九州各地に散在していた遺骨を収集し現在のようになった。尚、21代島津吉貴の墓は1970(昭和45)年ここから数百メートル先の福昌寺跡へ改葬された。1989(平成元)年浄光明寺もこの地に再興されている。(参考文献1994年 歴史の道調査報告書 第2集 大口筋・加久藤筋・日向筋鹿児島市教育委員会) この公園にある島津家の墓地、福昌寺跡墓地の紹介文である。上町歴史散歩はまだ続くのでお楽しみに。
2012.08.02
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